サラ・スピンカー著、市田泉訳
ある日突然自分の赤ん坊の夢を見る。その子供はカリフォルニアの海から姿を現し私を待っている(『そしてわれらは暗闇の中』)。長年連れ添った夫はある時から建築家としての夢を失くした。彼が設計していたのは何だったのか(『深淵をあとに歓喜して』)。世代間宇宙船の中で失われかけた文化の記憶と歴史を伝え続ける人々(『風はさまよう』)。あらゆる世界線のサラ・スピンカーが集合するコンベンションで起きた殺人事件(『そして(Nマイナス1)人しかいなくなった』)。フィリップ・K・ディック賞を受賞した短篇集。
著者の作品は長篇の『新しい時代への歌』を先に読んでいたのだが、本著の方が個人的にはずっと良いと思う。短編の方が上手い作家なのでは。文明の衰退した世界が往々にして舞台となっているが、ディストピアSF的でありつつ、どこかノスタルジーを感じさせる。表題作では何らかの問題で地上は荒廃し、方舟のような巨大客船に乗って生き延びようとした人たちもその閉塞感に耐えられなくなっている。『風はさまよう』はその閉塞感の中で世代を重ねていく様が描かれる。『オープン・ロードの聖母様』は長篇『新しい時代への歌』のスピンオフ的作品で、肉体を伴うライブが激減したパンデミック後の世界のバンドマンたちのロードノベル。どの作品でも世界は黄昏ており、すぐに滅ぶことはなくてもゆっくりと衰退していくように思われる。しかしその中でも衰退する=死滅ではなく、今この瞬間に生きている人間がいること、そこにはささやかでも美しさや喜びがありその生は無意味ではないことが描かれている。個人的に好きな作品は『一筋に伸びる二車線のハイウェイ』。自分が失ってしまったものへの諦念、しかし失ったものを何かにゆだねることができる、自分が全く別の場所・ものと関連付けられることの奇妙さとある種の爽快感みたいなものがユーモアを交えて語られる。