3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『アコーディオン弾きの息子』

ベルナルド・アチャガ著、金子奈美訳
 1999年、カリフォルニアで死んだダビは、「アコーディオン弾きの息子」という回想録を書き残した。ダビの妻メアリー・アンは作家である「僕」ヨシェバにその本を渡す。故郷のバスク語で書かれたその本を、メアリー・アンは読むことができないのだ。ダビが家族にも読めない言語で語った過去とはどのようなものだったのか。幼馴染であるヨシェバとの間には何があったのか。
 バスクの田舎、オババに暮らしていたダビは、父親からアコーディオン奏者になることを期待され、上流階級の子供が通う学校に行かされるが、自分が心安らぎ馴染めるのは農夫や馬飼いたちの世界だった。野山の自然描写やその中での子供たちの生活が生き生きとしており、魅力がある。ただ、その美しい生活の背後には、スペイン内戦やフランコ政権の暗い記憶が控えているのだ。ダビの伯父は反体制派で、義理の弟であるダビの父とは折り合いが悪い。ダビは、父は軍に協力し殺人に関わったのではないかと疑い始める。ダビの疑いは彼自身にとっては劇的なもの、耐えがたいものなのだが、こういった疑惑はおそらく当時のバスクでは珍しいものではなかったのだろう。それくらい、生活と歴史の影の部分とが一体になっていることがわかる。ダビの著作は自分の子供時代、青春時代を回想するものであると同時に、自分たちの背後にあるそういった歴史、それに加わってしまったことへの痛みと自責を記録したものなのだ。だから故郷の母語で書かれなくてはならないし、妻子に読ませるつもりはないということなのだろう。
 そして「アコーディオン弾きの息子」はヨシェバの物語でもある。本著のいくつかの章はダビではなくヨシェバの手による「小説」だ。ダビの書いたものとヨシェバが書いたもの、両方により彼らにとっての真実が浮かび上がる。そしてダビが書いたものが、そう書かざるをえなかったものであったという苦しさも見えてくる。人はなぜ書くのか、なぜそのように書くのか、という部分にも迫った作品。


『雨をよぶ灯台』

マーサ・ナカムラ著
 仏が茶をたてる浅草寺、サンタクロースの任務を課された囚人、千葉県の駄菓子屋、実家から押しかけてくる犬、偽物のお父さん…様々なイメージが紡ぎだされる詩集。
 久しぶりに詩集を買ったわ…。本著は装丁自体が詩的で気になってしまったのだ。表紙絵にしろ題字フォントとデザインにしろ、イメージがふわーっと湧いてくる造本。装丁が、文章の引き出すイメージを支えているように思った。収録された16篇の詩は、硬質な表面の下にどろりとしたものが流れているような、どこか土着的で血の匂いのするようなものが多い。定期的に見る悪夢のような後を引く、とらえどころのないイメージだ。ただ、どろどろしているだけでなく、硬質な透明感もある。世界にすっと冷たい風が吹き込むようだった。最後に収録された「新世界」には、自分の内側から空の向こうへ抜けていくようなさわやかさと冷たい寂しさ、なつかしさを感じた。

雨をよぶ灯台 新装版
マーサ・ナカムラ
思潮社
2020-06-25


狸の匣
マーサ・ナカムラ
思潮社
2017-11-09


『アレックスと私』

アイリーン・M・ペパーバーグ著、佐柳信男訳
 鳥類のコミュニケーション・言語の研究者である著者は、1羽のヨウム相手の実験を始める。そのヨウム・アレックスは50の物体の名前、7つの色、5つの形、8つまでの数を学習した。著者との二人三脚で研究に多大な功績を残したアレックスとの道のりを記したノンフィクション。
 ヨウムが賢い、かつ音を発する能力(鳴き声のバリエーションの使い方)が高いというのは知っていたが、人間とのコミュニケーションをここまで出来るとは。ヨウムは大体人間の5歳児くらいの知能があるそうだ。人間の言語を教えていく訓練の組み立て方からは、人間の子供がどのように言語を獲得していくのかという過程もわかり、鳥類の知能に関する研究という側面だけでなく、言語学の側面からもとても面白い。訓練に飽きてしまうアレックスと著者たちの攻防や、アレックスの我儘に翻弄される様はユーモラスだが、ここまで(意固地になったり嫉妬したりはもちろん、これは人間をからかっているのでは?という行動まで)鳥と人間がコミュニケーションできる、それを立証できたということには感動する。鳥の情緒や思考は人間とは別物という認識を著者は持っているが、それであっても意思疎通は出来るし、人間と通じ合う情緒のようなものがある。
 一方で、科学の世界の意外なコンサバさ(当時、動物に独自の言語能力、知能があるという説自体大変バッシングを受けたとか)や女性研究者に対する偏見、不当な低い評価など、著者が戦わなければならなかったものの多さが随所でわかる。何より予算と研究室の確保に汲々としている様は、研究職の方なら涙なしには読めないのでは…。著者はアレックス財団を作りそこから捻出するようになったそうだが、それでも相当大変そう。研究ってお金かかるんですよね…研究者が裕福だなどというのは幻想…。

アレックスと私 (ハヤカワ文庫NF)
アイリーン M ペパーバーグ
早川書房
2020-10-01


フクロウのいる部屋
高木 尋士
集英社インターナショナル
2013-04-26


『あの本は読まれているか』

ラーラ・プレスコット著、吉沢康子訳
 冷戦下、1950年代のアメリカで、ロシア移民の娘であるイリーナはCIAにタイピストとして就職する。しかし彼女に課されたのは諜報員としての仕事だった。訓練を受け文書の受け渡し等を行うようになり、更にある特殊作戦に抜擢される。それは、共産圏で禁書になっているボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』をソ連国民の中に浸透させプロパガンダに利用するというものだった。
 『ドクトル・ジバゴ』をソ連国民に読ませるという「作戦」が中心にあるが、3つの視点でストーリーは展開していく。イリーナと同僚の諜報員サリー、「わたしたち」として語るCIAのタイピストたち、そしてパステルナークの愛人オリガ。どれも女性たちのエピソードだ。この時代に女性に生まれたことで受ける不利益や屈辱にはやりきれないものがある。その一方で女性同士のいたわりやゆるやかな連帯の描き方はこまやかだ。イリーナとサリーの距離の縮まっていく様や2人の気分の華やぎが眩しい。ただ、小説の語りとして一番面白いと思ったのは「わたしたち」によるもの。タイピストとしてひとくくりにされ、個々の顔など特に意識されなかったであろう女性たちとしての「わたしたち」だが、その「わたしたち」の中には個々人の顔があり、その個々が共鳴しあっている声なのだ。一方、オリガのパートにはあまり面白みは感じなかった。古典的な尽くす女、いわゆる「女はたくましい」とか言われがちな造形の話だからか。むしろ「わたしたち」パートの手法のみで全編書かれたものが読んでみたかったかな~。東京創元社が激しく推していた作品だが、そこまでの傑作・名作という印象は受けなかった。わりとあっさりとしている。

あの本は読まれているか
ラーラ・プレスコット
東京創元社
2020-04-20


ドクトル・ジバゴ〈上巻〉 (新潮文庫)
ボリス・パステルナーク
新潮社
1989-04T


『赤毛のアン』

ルーシー・モード・モンゴメリ著、村岡花子訳
 プリンス・エドワード島のグリン・ゲイブルスに暮らす兄妹・マシュウとマリラは、農作業を手伝わせるために孤児の男の子を引き取ろうと決める。知人に頼んで子供を連れてきてもらったものの、やってきたのは女の子だった。アン・シャーリーというその少女は空想好きで風変わりだったが、徐々にマリラとマシュウにとってかけがえのない存在になっていく。
 実は今までちゃんと通読したことがなかったのだが、こんなに面白かったのか!そしてアンの11歳から16歳までの成長過程を結構なスピードで綴っていく。空想好きでおしゃべり、テンションの上がり下がりが激しく時に非常に頑固なアンの言動はとにかく目まぐるしい。そこがちょっとうるさくもあるのだが、率直でものおじしない態度や「お話」が大好きな内面の豊かさが良い。赤毛とそばかすへのコンプレックスの強さや「膨らんだ袖」、美しさへの執着は当時としてもルッキズム強すぎない?という気がするが、年齢を重ねるにつれ執着が弱まっていく。単純に大人になっていくからというのもあるだろうが、周囲から一個人としての愛情を受けることで、自分は自分として容姿も含め肯定できるようになっていくのだと思う。とは言え、人並みに可愛い服を着たいという気持ちは自然だし、それなりの服を着られるようになってほっとしましたが…。町の世話役的で「世間」代表みたいなリンド夫人もアンの服装はあんまりだと思っていたというのにはちょっと笑ってしまった。
 アンの成長物語ではあるが、少女時代のユニークで自由なアンが、空想する頻度も落ち、上の空なこともあまりなくなり、地に足のついた女性になってしまうのはちょっと寂しい。ただ。一方でもう若くはないマリラとマシュウ、特にマリラが変化していく物語でもあって、大人になってから読むとむしろこちらの方が心を打つ。彼女が表に出さなかったユーモア(ユーモアがあるということは最初に示唆されるのだが)や愛情深さがにじみだしていくのだ。


赤毛のアン Blu-ray メモリアルボックス
槐柳二
バンダイビジュアル
2014-03-26


『赤い館の秘密』

A・A・ミルン著、山田順子訳
 とある田舎の屋敷で殺人事件が起きた。被害者は15年ぶりに館の主マークを訪ねてきた兄ロバート。第一発見者はマークの従弟で彼の仕事の手伝いをしているマシュー・ケイリーと、館に滞在中のウィリアム・ベヴァリーを訪ねてきたアントニー・ギリンガム。現場の状況からマークに容疑がかかるが、彼は姿をくらましたままだ。ギリンガムはベヴァリーを助手に事件を調べ始める。
 江戸川乱歩が探偵小説黄金時代のベスト10に入れている本作だが、読んでみて納得。正直舐めていましたすいません。予想以上にしっかり本格ミステリだった。その行動はそういうことか!というつじつまの合わせ方がちゃんとしている。難点は屋敷の間取りや建物の位置関係など、物理的な距離の表現がわかりにくいという所だろうか。どう頑張っても文章に即した間取りが書けなさそうなのだが…。
 田舎の屋敷での殺人、行方不明の容疑者、そしてスマートな名探偵と人のいいワトソン役。古典ミステリの王道みたいな布陣だ。ミルンは探偵と助手の造形はシャーロック・ホームズシリーズを意識したそうだが、ギリンガムとベヴァリーの方がわかりやすく仲が良い。お互いのいい所をちゃんとほめあうというツンのないデレのみの関係。ベヴァリーはギリンガムのことをちょっと持ち上げすぎな気もするけど、ギリンガムがベヴァリーのことを気にかけており彼の人間性をかっているということがはっきりしているのだ。2人のやりとりがほほえましい。そして関係性が気になる2人は実はもう一組いるのでその道の方は要注目だ。
 なお、巻末に著者による「『赤い館の秘密』によせて」という文章が収録されているが、最後の一文が胸を打つ。

赤い館の秘密【新訳版】 (創元推理文庫)
A・A・ミルン
東京創元社
2019-03-20


クマのプーさん全集―おはなしと詩
A.A.ミルン
岩波書店
1997-11-17


『アガサ・クリスティー完全攻略〔決定版〕』

霜月蒼著
 ミステリの女王といえばアガサ・クリスティー。ミステリ評論家でありながらクリスティーの作品を7作しか読んだことがなかった著者が、クリスティ作品100冊を読み込み評論するまさに「完全攻略」読本。
 私はクリスティ作品はそこそこ読んでいるつもりだったが、読んでいない作品がこんなにいっぱいあったのか!そして読んだはずの作品も全く内容を覚えていない!ということが本著を読んでわかりました。ネタバレにも配慮されているので、クリスティ初心者にも、そこそこ読んでいるよという人にも(皆さん私のように忘れっぽくはないだろうが)ブックガイドとしてお勧めできる。また、クリスティ作品の何が面白いのかということを、作品の数をこなすにつれて著者がだんだん掴んでくる過程が見え、そこも面白い。著者の読み手・評論家としての道筋が記されているのだ。本著内でも言及されているように、クリスティは決してトリックメイカーではなく、「ミステリとしてどう見せるか」という部分に長けてた作家なのだと思う。
 私はポアロよりもミス・マープルものの方が好きなのだが、著者のシリーズ内番付には納得。あれはやはり名作ですよ…。そしてミス・マープルはやっぱりかっこよかったんだなと改めて認識した。ポワロよりもクールなんだよね。また、私がクリスティの短編集の中で一番好きな『謎のクィン氏』が高評価でこれまたうれしい。あまりスポットがあたらない短編集ではあるが、お勧めです。


ポケットにライ麦を (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2003-11-11


『青ノ果テ 花巻農芸高校地学部の夏』

伊与原新著
 宮沢賢治の故郷である花巻。壮太は怪我で高校の「鹿踊り部」の選抜メンバーを外される。そんな折、幼馴染の七夏と共に地学部の活動をすることになった。しかし七夏は突然姿を消す。地学部で一緒に活動している東京からの転校生・深澤が関係しているのではと壮太は疑うが、深澤と先輩の三井寺と共に地学部の自転車旅行に出ることに。
 自分には鹿踊りしか打ち込めるものはないのにと、怪我に落ち込み少々荒む壮太の姿は若くほろ苦い。10代って視野がまだ狭い所があって、一つのことが上手くいかないと全部だめになったような気になるものだよなと。七夏にも深澤にもそれぞれの事情があるが、彼らが抱えるものは「あったこと」として飲み込むしかできないものだ。それは10代にはまだ酷だろう。七夏のように時間が必要なのだ。花巻と言えば宮沢賢治の故郷で、作中でも頻繁に引用されるし、『銀河鉄道の夜』が下敷きにされた話でもある。『銀河鉄道の夜』もある意味覆せない「あったこと」を受け入れる話でもあるか。ミステリ的な謎解きと合わせ、『銀河鉄道の夜』が上手く機能していると思う。
 何より、花巻を中心に、小岩井牧場近辺や八幡平など、個人的になじみのある土地の風景が次々と出てきて楽しかった。どういう経路で移動しているかちゃんとわかる描写だ。しかし自転車でこの距離か!よく走るな~!


『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』

阿佐ヶ谷姉妹著
 高い歌唱力を活かした歌ネタを誇り、実の姉妹ではないのに何だか似ている風貌の女芸人コンビ・阿佐ヶ谷姉妹が、2人の同居生活を交代で綴るエッセイ集。
 コンビ名通り阿佐ヶ谷のアパートでの地味で穏やか、時に緊張感走る生活が描かれるが、この時代に23区内でこんなご近所づきあいあります?!という人情味。お惣菜のおすそ分けってこんなにもらえるものなんだ…。中華料理店の店主とのエピソードや整体院でのニアミスなど、自宅回りでのネタがしみじみと良い。また同生活の中でのちょっとした楽しみや失敗、食い違い等、ちょっとした部分を拾い上げていく。華々しくなくても生活は面白いんだなと思わせるのだ。
 読んでいるうちにみほさんとえりこさんの個性の違いが段々わかってくる。私、みほさんサイドの人間だわ…。2人は仲はいいが、常に一緒にいたいかというとそういうわけでもなく、一緒にいたいときもその度合いはそれぞれ違う。それを踏まえたうえでのパートナーシップと友愛だということにぐっときた。これぞシスターフッド。そして単純にエッセイとして上手い!こんなに文才のある方たちだったとは。過剰に読者を笑わせようとかサービスしようとかいう欲があまり感じられず、品があるユーモラスさ。



『アニルの亡霊』

マイケル・オンダーチェ著、小川高義訳
 法医学者のアニルは故郷のスリランカに帰り、遺跡から出土した骨が最近殺された政治テロの被害者のものだと証明しようとする。スリランカの考古学者サラス、サラスの弟で医者のガミニらの力を借りるが、内乱の中で作業はなかなか進まない。
 題名はアニルが死んで亡霊になったのか?と思わせるものだが、そうではない。死者とはアニルが抱える骨「水夫」をはじめ、彼女がかかわることになる死者、あるいは過去の記憶の中の人たちのことだろう。それはアニルだけでなく、サラスもガミニも同様だ。過去のわだかまりも後悔も、亡霊のように何度も人の前に立ち現れ脅かす。過去の様々な時と現在とが交互に語られるという著者定番の構成だが、記憶という主観的なものはどこか足元がおぼつかない。それらすべてが亡霊であるかのように思えてくるのだ。しかし舞台はテロが頻発するスリランカで、新しい死体は次々と生々しく現れる。その生々しさと輪郭のおぼらな亡霊たちとの対比がくっきりと浮かび上がる。
 アニルはスリランカ生まれだが「西側世界」での生活の方が長く、故郷に対してもはやよそ者と言ってもいい。国連の仕事でやってきた彼女は、故国の価値観とはすでに別の立ち位置で生きている。そのギャップが時に居心地の悪さを感じさせる。彼女の正しさ、倫理観は読者にとってはまっとうなものなのだが、サラスやガミニの生きる世界では時に、というか往々にして無力なのだ。彼らにしてみたら、彼女は結局安全圏からものを言っているだけなのではと思ってしまうのでは。

アニルの亡霊
マイケル オンダーチェ
新潮社
2001-10-31


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