3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『青ノ果テ 花巻農芸高校地学部の夏』

伊与原新著
 宮沢賢治の故郷である花巻。壮太は怪我で高校の「鹿踊り部」の選抜メンバーを外される。そんな折、幼馴染の七夏と共に地学部の活動をすることになった。しかし七夏は突然姿を消す。地学部で一緒に活動している東京からの転校生・深澤が関係しているのではと壮太は疑うが、深澤と先輩の三井寺と共に地学部の自転車旅行に出ることに。
 自分には鹿踊りしか打ち込めるものはないのにと、怪我に落ち込み少々荒む壮太の姿は若くほろ苦い。10代って視野がまだ狭い所があって、一つのことが上手くいかないと全部だめになったような気になるものだよなと。七夏にも深澤にもそれぞれの事情があるが、彼らが抱えるものは「あったこと」として飲み込むしかできないものだ。それは10代にはまだ酷だろう。七夏のように時間が必要なのだ。花巻と言えば宮沢賢治の故郷で、作中でも頻繁に引用されるし、『銀河鉄道の夜』が下敷きにされた話でもある。『銀河鉄道の夜』もある意味覆せない「あったこと」を受け入れる話でもあるか。ミステリ的な謎解きと合わせ、『銀河鉄道の夜』が上手く機能していると思う。
 何より、花巻を中心に、小岩井牧場近辺や八幡平など、個人的になじみのある土地の風景が次々と出てきて楽しかった。どういう経路で移動しているかちゃんとわかる描写だ。しかし自転車でこの距離か!よく走るな~!


『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』

阿佐ヶ谷姉妹著
 高い歌唱力を活かした歌ネタを誇り、実の姉妹ではないのに何だか似ている風貌の女芸人コンビ・阿佐ヶ谷姉妹が、2人の同居生活を交代で綴るエッセイ集。
 コンビ名通り阿佐ヶ谷のアパートでの地味で穏やか、時に緊張感走る生活が描かれるが、この時代に23区内でこんなご近所づきあいあります?!という人情味。お惣菜のおすそ分けってこんなにもらえるものなんだ…。中華料理店の店主とのエピソードや整体院でのニアミスなど、自宅回りでのネタがしみじみと良い。また同生活の中でのちょっとした楽しみや失敗、食い違い等、ちょっとした部分を拾い上げていく。華々しくなくても生活は面白いんだなと思わせるのだ。
 読んでいるうちにみほさんとえりこさんの個性の違いが段々わかってくる。私、みほさんサイドの人間だわ…。2人は仲はいいが、常に一緒にいたいかというとそういうわけでもなく、一緒にいたいときもその度合いはそれぞれ違う。それを踏まえたうえでのパートナーシップと友愛だということにぐっときた。これぞシスターフッド。そして単純にエッセイとして上手い!こんなに文才のある方たちだったとは。過剰に読者を笑わせようとかサービスしようとかいう欲があまり感じられず、品があるユーモラスさ。



『アニルの亡霊』

マイケル・オンダーチェ著、小川高義訳
 法医学者のアニルは故郷のスリランカに帰り、遺跡から出土した骨が最近殺された政治テロの被害者のものだと証明しようとする。スリランカの考古学者サラス、サラスの弟で医者のガミニらの力を借りるが、内乱の中で作業はなかなか進まない。
 題名はアニルが死んで亡霊になったのか?と思わせるものだが、そうではない。死者とはアニルが抱える骨「水夫」をはじめ、彼女がかかわることになる死者、あるいは過去の記憶の中の人たちのことだろう。それはアニルだけでなく、サラスもガミニも同様だ。過去のわだかまりも後悔も、亡霊のように何度も人の前に立ち現れ脅かす。過去の様々な時と現在とが交互に語られるという著者定番の構成だが、記憶という主観的なものはどこか足元がおぼつかない。それらすべてが亡霊であるかのように思えてくるのだ。しかし舞台はテロが頻発するスリランカで、新しい死体は次々と生々しく現れる。その生々しさと輪郭のおぼらな亡霊たちとの対比がくっきりと浮かび上がる。
 アニルはスリランカ生まれだが「西側世界」での生活の方が長く、故郷に対してもはやよそ者と言ってもいい。国連の仕事でやってきた彼女は、故国の価値観とはすでに別の立ち位置で生きている。そのギャップが時に居心地の悪さを感じさせる。彼女の正しさ、倫理観は読者にとってはまっとうなものなのだが、サラスやガミニの生きる世界では時に、というか往々にして無力なのだ。彼らにしてみたら、彼女は結局安全圏からものを言っているだけなのではと思ってしまうのでは。

アニルの亡霊
マイケル オンダーチェ
新潮社
2001-10-31


『あたらしい無職』

丹野未雪著
 今日から無職。ハローワークに行き雇用保険の説明を受ける。友人の誘いで花見に行きまくる。就職活動をし自炊をする。非正規雇用の編集者として働いてきた著者の、無職と正社員、そしてまた無職としての生活。
 日記の形式で書かれているので時間の経過がわかりやすい。時間の経過がわかりやすいということは、無職期間が具体的にイメージできるので収入がない心細さもじわじわしみてくるということなのだ…。予算が限られている中でお花見に行ったりピクニックに行ったりと愉快そうではあるが、生活は逃がしてくれない。お金の算段をするくだりではちょっとおなかが痛くなりそうだった。友人からお金を借りる時の、借りる側だけでなく貸す側の覚悟が垣間見える、それに気づいた著者がそれに気づき涙する件は心に刺さる。正社員としての仕事の中でも、仕事の面白さがある一方で、人間関係の理不尽さや取引先の無茶苦茶さに翻弄される辛さが身に染みてくる。出来の悪い若手への指導の中で高圧的だったかつての「出来る」上司のことを思い出す等、なんかもう色々とぐさぐさきます。
 働くこと、無職であること両方の辛さ面白さ(というと語弊があるが)がシンプルな文体で率直に、抑制のきいたトーンで綴られていく。それにしても著者の周囲が非正規雇用とフリーランスばかりなのが辛かった…。時代背景によって仕事のあり方はもちろん「無職」のあり方もだいぶ変わってくると思う。下り坂の時代の無職ってきつい…。それでもちゃんと自分の生活、仕事をとらえていく著者の文章にぐっときた。


『あふれでたのはやさしさだった』

寮美千子著
 作家である著者は、奈良少年刑務所で「社会性涵養プログラム」を担当することになる。内容は詩と絵本の教室の講師。2007年から10年間、受刑者たちと向き合った記録。
 著者が奈良少年刑務所と関わるようになったきっかけは、明治時代の名建築である刑務所の建物に惹かれて、あの中に入ってみたいという一心のことだったというのが面白い。元々対受刑者への教育プログラム等に興味があったわけではなく、全くの門外漢だったというのだ。刑務官らと共に手探りで進められていく授業は、絵本を全員で朗読したり、文章に合わせて体を動かす芝居仕立てにしたりというもの。そして、徐々に自分で詩を作れる、つまり自分の気持ちを言葉で表せるようにしていく。社会性涵養プログラムを受ける受刑者たちは、自分がしたことへの反省や更生以前の状態にいるということにちょっとショックを受けた。感情の言語化、コミュニケーションがうまくできないことで犯罪への道を進んでしまったりもする。彼らの多くは他人からちゃんと向き合ってもらっていない、自分の言葉を聞いてもらっていない。ちゃんと向き合い、言葉が出てくるのを待つということが非常に重要で、そうしていると彼ら自身の言葉が出てくる瞬間がある。著者は、変わらなかった子はいないという。お互いに言葉を聞きあうという体験を重ねることで優しさが引き出されていくというのだ。著者のオプティミズムがすぎるようにも思うのだが、言葉(を発すること、それをじっと聞くこと)の力というのは確かにあるのだろうとも思える。

『アイネクライネナハトムジーク』

伊坂幸太郎著
 「出会い」って何なんだろうと考える会社員、妻に愛想をつかされたその先輩、電話だけでやりとりする男女、元いじめっ子への復讐を企てる女性。ごく普通の、様々な人たちの愛がある地点で交差する連作短編集。
 あの時のあれはこの人か!こことここがこうつながるのか!という著者の得意技が繰り広げられる。ちょっと仕掛けがやりすぎな感じもしてくどいといえばくどいのだが、そこが楽しくもある。予想外に直球かつかわいさのあるラブストーリー集。妻に出ていかれた男性の話が個人的には一番好きかもしれない。あーこういうものかもしれないなーというあきらめ感があって(笑)。
 ただ、登場人物の1人である織田一真の言動がどうにも受け付けなかった。特に最初に収録されている「アイネクライネ」で顕著なのだが、言動がモラハラぎりぎりだと思うんだよな…これを愛嬌とか可愛げとしてとらえているっぽい筆致には違和感がある。DVDの散らかし方とか妻が財布を落とした時のリアクションとか、私が妻ならキレてる。
 なお本作、斉藤和義小説でもある。本作映画化されたそうだが、映画の中ではちゃんと曲を使っているのかな?



『IQ2』

ジョー・イデ著、熊谷千寿訳
 亡き兄マーカスの恋人だったサリタに依頼され、高利貸しに追われる彼女の異母妹ジャニーンを助けることになったIQ。腐れ縁の相棒ドッドソンと共にジャニーンとその恋人ベニーが住むラスベガスに向かうが、ジャニーンは予想以上に厄介な状況に陥っていた。
 前作と同じく、過去と現在が交互に配置されている構成。今回はその2つのラインがある地点で合流するところにミステリの醍醐味を感じた。と言っても、いわゆる謎解きミステリ要素はあまりないんだけど・・・。クールなイメージのIQだが、今回はあまりクールではいられない。彼はサリタにずっと想いを寄せており、彼女の前でいいところを見せたいとちょっと焦っている。更にその焦りをドッドソンに見透かされてしまう。IQはとても頭がいいが人の心の機微には疎い。サリタへの自分の思いも、彼女と自分の関係がどういうものなのかも、ドッドソンが彼に対して感じている苛立ちが何故なのかもぴんときていない。だからよけいに焦るし苛立つのだ。本作のある人物の行動をIQが看破するが、実はその行動原理はIQ自身のものと被ってくる。それをIQが自覚しているのかいないのか・・・。この看破の様は相手に対してすごく残酷で、多分本来のIQの倫理観からは外れるものなのだろうが、それをやってしまう所に今回の彼の危うさが垣間見える。怒りも嫉妬も人を弱くするのだ。
 対して今回、ドッドソンの成長が目覚ましい。大人になって・・・!しかもIQに対してちょっと素直になってる!IQの危うさを補うのはドッドソンの世間慣れした部分や意外と常識的な部分(IQも常識的だし人情もあるのだが、発露の仕方がちょっと独特だし人の心の機微には疎いよね・・・)なのではないか。2人のパートナーシップが今後の展開の鍵になるのかなと。

IQ2 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2019-06-20





IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2018-06-19

『あとは切手を、一枚貼るだけ』

堀江敏幸・小川洋子著
 「私」と「ぼく」とが交互に綴る、お互いに向けた手紙。ドナルド・エヴァンズの架空の切手、箱に封じ込められたジョセフ・コーネルの世界、そしてアンネ・フランクが身をひそめた小部屋。小さな世界に留まりつつも彼方まで飛距離を伸ばしていくような、様々な文学や映画、音楽がちりばめられたリレー小説。
堀江敏幸と小川洋子という、知と洗練の極みみたいな組み合わせ。どちらがどのパートを書いているのか、わかりやすく表示はされていないのだが、読めばすぐにわかる。どんな形態であれ、文章がしっかりと顔を持ち続けている。自分の文体が確立されているってやっぱりすごいことなんだなと実感した。どう読んでも堀江敏幸の文だし小川洋子の文なんだもんな・・・。
 ドナルド・エヴァンズ、ジョセフ・コーネル、ロベール・クートラスらの名前が次々出てくるだけで無性にうれしくなる。「彼らは独自の境界線の内側に潜んでいますが、孤立しているわけではありません」という彼らの作品の核心を突いた表現。他にもソローであったり宮沢賢治であったり、まど・みちおであったり、大声ではないがずっと静かに話し続けているような作家たちが登場する。著者2人の美学、ものの見方が垣間見え、フィクションとはいえこれらの文学(だけではない)を紹介していく随筆的な側面が強い。が、その一方で、強く小説を意識させる瞬間もある。瞳を自ら閉ざした人と光を失いつつある人の対話であるかのようだが、ある地点で風景がぐらりと揺らぐ。そこかしこにあった不穏さ、悲劇の気配のようなものはここに集約、伏線回収されるのかと。ペダントリィに徹するようでいて、ちゃんと「私」と「ぼく」の物語だったのだ。


『アイル・ビー・ゴーン』

エイドリアン・マッキンティ著、武藤陽生訳
 ある事件によって警察を追われたショーンに保安部(MI5)が接触してくる。彼らはIRAの大物テロリスト・ダーモットの捜索を依頼する。ダーモットはダフィの旧友だったのだ。復職を条件に仕事を引受けたショーンは、ダーモットの元妻の母に取引を迫られる。4年前の娘の死因を解明すれば、彼の居場所を教えるというのだ。娘は一家が経営するパブで事故死したとみなされていた。事件が起きた夜、パブは完全な密室だったのだ。
 ダフィシリーズ、めでたく3作目!そして1,2作とはまた違った面白さがあった。構成バランスや読みやすさでは3作中一番かもしれない。1,2作目は人物像系や時代背景、風土の表現が魅力的だったが、勢い任せな面が否めず1つの小説としてはバランスがちょっといびつだった。今回はそのあたりがだいぶ改善された気がする。正義感ゆえに不遇をかこつダフィは冒頭ではだいぶやさぐれているのだが、MI5へのわだかまりをもちつつ任務に没頭するうち、徐々に精神を持ち直していく。基本的に倫理観がしっかりしているし人情のある人なことが透けて見える。常に頭脳明晰というわけではないし勘がいまいち悪いところもあるのだが、憎めない。詩や音楽の造形深く、実は場違いともいえるインテリ。そんな彼の最後の行動は、決意のほどを感じさせる。そこは決して居やすい場所というわけではないが、それでもやるべきことがある(と彼には思われる)のだ。


『あひる』

今村夏子著
 私の家で、両親があひるを飼い始めた。あひるの「のりたま」がきてから近所の子供たちがよく遊びにくるようになり、両親は喜ぶ。段々子供たちの溜まり場のようになっていく我が家だが、のりたまが病気になり病院に連れて行かれる。帰ってきたのりたまは、以前よりも小さくなったように見えた。
 あひるをめぐるほのぼのとした日常かと思いきや、そこかしこに不穏さが顔を出す。あからさまではなく、ちらちらと奇妙さ、足元が崩れるような感じが現れる様に痺れた。あひるが入れ替わっても誰も気にしない。また、遊びに来る子供たちが入れ替わっても、両親は気にしない。そこにあひる/子供がいれば特に問題ない、入れ替え可能であり取り換えのきかない「個」の存在などそこにはないのだと言わんばかりだ。また、「私」がどうやら引きこもり気味のニートらしく、誰からも顧みられない存在らしいとわかってくる。そして両親も「私」も何かから目をそむけ続けているのではないか、家族はもはや家族として機能していないのではないかと思えてくるのだ。
 併録されている「おばあちゃん」「森の兄妹」は対になった作品。孔雀の現れ方、見え方が、それぞれの作品の立つ位置を現わしており、繋がり方が鮮やかだった。子供の目線を通した世界の不思議やそれに対する不安は、良質の児童文学を思わせる。

あひる (角川文庫)
今村 夏子
KADOKAWA
2019-01-24





星の子

今村夏子
朝日新聞出版
2017-06-07
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