3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『悪魔のソナタ』

オスカル・デ・ミュリエル著、日暮雅道訳
 1888年、スコットランド・ヤードの若き敏腕警部イアン・フレイは、不本意ながら密命を受けエジンバラへ赴任する。切り裂きジャックを彷彿とさせる事件が起きたので内密に捜査しろと言うのだ。現地で彼と組むことになったのは、剛腕だがオカルトマニアのマグレイ警部だった。2人は反発しながら捜査を開始するが、あるバイオリンとの関係が浮かび上がってきた。
 フレイの一人称による語りだが、やたらと饒舌。饒舌な語りは聡明だが気取り屋で落ち着きがない彼のキャラクターを表現してはいるのだが、少々うるさい。国内外問わず、あまり上手くない小説は饒舌な一人称によるものが多いような気がするんだが、気のせいか。とは言え、本作がつまらないというわけではなく、フレイのスコットランドdisとマグレイのイングランドdisの応酬、つんけんしながら共闘していく様等、キャラクター小説としてはそこそこ楽しめる。マグレイがフレイを小娘扱い(フレイは身だしなみにうるさくやや神経質で、マグレイは無頓着なので)するあたりや、マグレイの身ぎれいにすればそれなりにイケメン設定等、何か狙っているんですか・・・という気がしなくもない。どちらかというとラノベ的なノリなのだろうか。オカルトめいた雰囲気は悪くないのだが、色々持ちだしてきた割にはあまり機能していない気がする。真犯人解明の際、急に現れたな感が出てしまった(伏線がもうちょっとあればなーと)感も残念。ミステリとしてはちょっと反則的じゃないかなと思う。犯人当てを読者にさせようという意図がない作品だと思うので、反則的もいいと言えばいいんだろうけど。

悪魔のソナタ (角川文庫)
オスカル・デ・ミュリエル
KADOKAWA/角川書店
2016-03-25

刑事たちの三日間 上 (創元推理文庫)
アレックス・グレシアン
東京創元社
2013-07-27






『あなたを選んでくれるもの』

ミランダ・ジュライ著、岸本佐知子訳
新作映画の脚本執筆に行き詰っていた著者は、地元のフリーペーパーの売買広告を目にする。様々な個人が、様々な物品を「売ります」と提示している。著者は広告主を訪ね、彼らの話を聞くことにする。
本作中で著者が脚本に行き詰っている映画は『ザ・フューチャー』(日本では2013年公開)。公開当時に見たが、正直、それほど自分の心にはヒットしなかった。著者の小説についても同様なのだが、ノンフィクションである本作はじわじわと染みてきた。著者が会いに行く人たちは全くの初対面の他人、しかも、普段著者(とおそらく読者)が生活している圏内ではあまり行き会わない異文化の人だ。彼らは著者の予想・世界の外から言葉を投げかけてくる。決して愉快な人たちばかりというわけではないが、全くの他者と向き合うことで、頭の風通しが良くなるような気持ちになる。著者がスランプから脱したのも、自分の頭の外にある予想外のものに揺さぶられたからではないだろうか。
 

『アックスマンのジャズ』

レイ・セレスティン著、北野寿美枝訳
 1919年のニューオリンズで、連続殺人事件が起きる。凶器が斧と見られたことから「アックスマン」と呼ばれるようになった犯人は新聞社に予告状を送り付け、「ジャズを聴いていない者は殺す」と宣言する。タある事情から警察内では嫌われ者のタルボット警部補はこの事件の捜査にあたる。一方、マフィアに犯人探しを依頼された元刑事のルカ、ピンカートン探偵社で事務をしているが探偵志望のアイダもこの事件を追っていた。
 実際に起きた未解決事件を題材にしているそうだ。1919年のニューオリンズが舞台ということで、様々な人種のコミュニティが共存しているが差別意識は強く、それがタルボットを苦しめ、アイダの足を引っ張る。タルボットには黒人の妻と子供がいるが、この時代、白人と黒人との結婚は許されないどころか、パートナーとしていることがわかっても周囲からのバッシングはもちろん、実際に暴力を振るわれかねない。自分が家族だと見なしている人たちを世間からは隠しておかなければならないのだ。また、アイダは白人として通用するくらい肌色が明るいが、それでも出自を知られると黒人として差別され、暴力を受ける。登場人物たちの背後、そして事件の背後には常に人種差別が横たわっており、これがあの時代の「普通」だったことを痛感させる。この「普通」に個人が対抗することがいかに難しいか、折々で感じさせるのだ。
 タルボット、ルカ、アイダはそれぞれ別個に事件を追い、それぞれがある結論を得る。彼らにとって見えるのは事件のある側面のみというところが小説の構造としては面白いが、事件を追う側にしてみたらなんか不消化だよな。・・・と思っていたら最後に思わぬ展開があり、これはうれしかった。続編も発行予定のようなので、今から楽しみ。
 なお、題名にジャズとつくが、ジャズが本筋に絡んでくるのは最初だけで予告状の内容も立ち消えになってしまうのには拍子抜けした。多分、実際に送られてきた予告状がそういう内容だったんだろうけど。

『アメリカン・ブラッド』

ベン・サンダース著、黒原敏行訳
元ニューヨーク市警のマーシャルは、犯罪組織への潜入捜査を終えた後、証人保護プログラムの下で暮らしていたが、地元の若い女性の失踪事件を追い始める。同じころ、チンピラのトロイは麻薬カルテルのボスであるレオンから資金を奪おうとしていた。一方、組織は殺し屋「ダラスの男」をマーシャルを始末するために差し向けていた。
現代のアメリカが舞台だが、どこか西部劇を思わせる。マーシャルの独特の行動規範と流れ者っぽさにはそんな雰囲気があるし、バニスターも来ては去っていくという男だ。マーシャルの「得意技」も西部劇由来だろう。各章が主要登場人物の名前になっており、視点が入れ替わりつつ物語が展開していく。マーシャルが捜査官だった頃のエピソードも徐々に明かされ、何が彼をこのような行為に駆り立てるのかわかってくる。一方で、バニスターの背景も見えてくる。2人とも、ある出来事により一線を越えてしまった人たちなのだ。2人が死闘へと突き進んでいく中、トラウマをかかえつつも冷静さを保ち職務を全うしようとする、女性警官ショアのパートが印象に残る。女性である、ということによるキャラ立てや役割分担みたいなものがされていない書き方もよかった。

『緋い猫』

浦賀和宏著
昭和24年。17歳の洋子は佐久間という青年に恋をする。しかし彼のプロレタリア仲間2人が殺される事件が起き、佐久間は姿を消した。洋子は佐久間を追い、彼の故郷である東北の寒村を訪ねる。そこで彼が東京で飼っていた三毛猫を見かけるが、村の人々は佐久間はいないと口をそろえ、彼女には監視がつく。
浦賀先生は精緻な球と暴投とを交互に繰り出してくるよね・・・。太平洋戦争直後の日本で、GHQの暗躍に下山事件にと出して来れば、これは何か巨大な陰謀が・・・!と期待するじゃないですか。そして閉鎖的な村、何か隠している風の村人たちとくればこれは横溝的なミステリの世界が・・・と期待するじゃないですか。しかしである。いきなりジャンルが跳躍するようなラストにはあっけにとられた。前フリはあそこじゃなくてそっちだったのかー!そういう意味ではトリッキーだが、フェイクが大ネタすぎる!なお非難しているのではなく、面白かったです。

『アメリカ最後の実験』

宮内悠介著
失踪した父親を探す為、アメリカにあるジャズ専門の難関私立音楽学校“グレッグ音楽院”を受験する脩。同じく受験生でマフィアの跡取り息子のザカリー、スキンヘッドで大柄な元バンドマン・マッシモと親しくなる。脩の父親はかつてグレッグ音楽院に通ったピアニストで、電子楽器“パンドラ”を使った演奏をしていたが、ほどなく行方不明になったのだ。そんな中、試験会場で殺人事件が起き、現場には「アメリカ最初の実験」という文章が残されていた。
音楽がモチーフとなったSFかと思いきや、意外にも音楽の性質そのものに言及してくる作品だった。作中、音楽は人の心を動かす、ひいては人を支配し操るものだと考えるミュージシャンが登場する。しかし彼は、音楽は人を操るものだと認識すると同時に、自分の中がからっぽになってしまったと言う。何かの手段としての音楽は、音楽の本質から逸れてしまうかのようだ。一方脩は、音楽はゲームだという。オーディエンスの傾向、時流の傾向を読み取りオーディエンスを沸かせるにはどうすればいいか(オーディエンスを沸かせろという試験なので)、ゲームとして戦略を練るのだ。しかしそれは、あくまで音楽を使ったゲームであり、音楽は二次的なものだろう。脩がパンドラの謎(これはちょっと中途半端だったかな・・・)、父親の謎を追いつつ、自分にとっての音楽を見つめ直すという青春小説的な味わいもあった。しかし著者の作品だから、てっきり音楽を使った兵器とかが出てくるのかと思っていたし、実際それができそうな設定なのにそうはならない着地点は意外だったが清々しくもある。音楽は音楽だ。それが本物であれ偽物であれ、音楽の目的は音楽でしかない。そういうものでいい、という割り切りができた方が、何をするにもより自由なのかも。

『アリバイ・アイク:ラードナー傑作選』

リング・ラードナー著、加島祥造訳
 名コラムニストで短編小説の名手でもあった著者の、傑作13編を収録。「村上・柴田翻訳堂」シリーズより。
 何をするにも言い訳をせずにはいられない男が登場する表題作をはじめ、小説というよりも漫談、ホラ話といった味わい。そしてどいつもこいつもよく喋る!翻訳も上手いのだろうが、内容はしょーもないのに喋りにグルーヴ感があってどんどん乗せられてしまう感じがする。著者はフィッツジェラルドやヘミングウェイと親しかったそうだが、作風は全く異なる。本作はやはりコラム寄りというか、「文学」を意識した文学という感じではないのだ。週刊誌とか新聞とかに掲載されていて往々に単行本化されないまま、みたいな雰囲気がある。しかし、その読み捨てられる感がいい。軽さ、おかしみが前面に打ち出されているが、人間の愚かさを冷徹に見つめるようなシニカルな視線もあり、そのあたりもコラムニスト出身者ぽい。
 それにしても、アメリカ人にとって野球は本当に特別なスポーツなんだなー。巻末に収録された柴田元幸と村上春樹の対談でも言及されているが、同じく村上・柴田翻訳堂から出版されているフィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』の先祖みたいな感じ。

『怒り』

吉田修一著
 ある一家が自宅で惨殺される事件が起き、現場には「怒」の血文字が残されていた。容疑者は山神一也という青年に絞り込まれたが、当人は行方知れずのままだった。事件から1年後、房総の漁港で暮らす洋平と娘の愛子は、最近漁港で働き始めた田代という青年と親しくなっていく。大手企業に勤める優馬は、新宿のサウナで直人と出会う。母と沖縄の離島に引っ越した高校生の泉は、バックパッカーの田中と知り合う。
 犯行現場に残された強烈な「怒り」とは異なるものではあろうが、登場人物の誰もが多かれ少なかれ「怒り」を覚えている。それは世間の偏見や社会の仕組み、あるいは身近な人や自分自身に対してのものもある。ただ、本作を読んでいて強く印象に残るのは、怒りよりもむしろ、相手をどこまで信じられるかという、自分自身が試されるような部分だ。個人的には同路線の『悪人』より読みやすい(著者の技術力が上がっているというのもあるんだろうけど)が、本作の方がより突き刺さってくる。どこまで信じられるのかという問題の方が、より(私にとっては)自分のこととして迫ってくるからだろう。問いを突き付けられ続けている感じなのだ。そして大抵に人は、それに耐え続けられるほど強くない。本作はその弱さの表現が様々で、読んでいると自分にも思い当たる節があり辛いただ、弱さを乗り越えていく人たちの姿もそこにはあり、少し救われた気持ちにはなる。ただ、そこに辿りつくまでの葛藤を考えると、やはり辛いのだが。辛い話なのだが、小説としてはすごく読みやすい。これが小説家の技術というやつかと唸った。重い作品なのだが軽く(というと語弊があるが)読めるのだ。非常にコントロールされていると思う。

『アメリカのナチ文学』

ロベルト・ボラーニョ著、野谷文昭訳
19世紀末から20世紀、南米を中心とするアメリカ大陸に生まれた、右翼的な詩人・作家たち30人を紹介する、架空の作家列伝。巻末には関係者一覧リストと著作リストまで掲載されているという徹底の仕方。著者の『野生の探偵たち』や『2666』を読んだ時も思ったのだが、物量によって表現しようとしているものがある。本作では(架空の)作家に関する情報が辞書のように綴られていく。作家たちはナチス、右翼思想に傾倒していたという共通点があるが、ナチスの本場であったヨーロッパとの距離感からか、どこかロマンチシズムじみた、安易とも言える傾倒の仕方だ。非道さを選ぶ人がまるっきりの悪人だというわけではなく、普通に知性のある人でもそういった選択をしてしまうということが、作家たちの情報が積み重ねられる中で見えてくる。そして30人目でいきなり記述の方向性が変わり、「私」=ポラーニョ本人が関与してくるのだ。距離感を持って見ていたものが、急に引き寄せられ、他人事にはしてくれない。作家たちがナチスを支持したように、誰の中にもそういう要素はあるのではないかと。

『あなたたちはあちら、わたしはこちら』

大野左紀子著
映画に登場する様々な女性たち。しかし、その女性達の多くは若く、人生も半ばを過ぎた「おばさん」が主人公の映画は意外と少ない。映画の中の彼女らの姿を見つめ、彼女らを通して女性の生き方を見つめるエッセイ集。こういう本で、自分が見たことある映画ばかり登場するというのは嬉しいものだな。ちゃんと「そうそう!」って思いながら読める。自分が映画を見て漠然と思っていたことを、ちゃんと言語化してもらったという感じがした。本著がいわゆる映画批評ではなく、主人公である女性1人1人がどういう人であるのか、彼女がどういう生き方をする人なのかという、寄り添うような視点で書かれているからかもしれない。私は映画を見る時にあまり感情移入はしない(共感するところがなくても面白いものは面白い)方だが、それでも見ていて身につまされることはある。女性として生きるのって面倒くさい(男性は男性で面倒くさいだろうがそれは実体験としてはわからんのでな・・・)が、その面倒くささを読み説くための支えになるのだ。一番思う所多かった章は、「「承認」を捨てる女/『めぐりあう時間たち』」と「病む女/『ピアニスト』」。『ピアニスト』は見た当初はどう受け止めればいいかつかみあぐねたが、今だとそういうことかと胸に迫ってくる。

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