3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名あ行

『アメリカン・プリズン 潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス』

シェーン・バウアー著、満園真木訳
 全米約150万人の受刑者のうち、約13万人を収容する民営刑務所。その実態を知ろうと、著者は実際に民営刑務所に就職し、潜入取材を開始する。あっさり採用された著者の配属先は大手の刑務所運営会社が管理する刑務所で、自給はウォルマート並みの9ドルだった。アメリカにおける刑務所の歴史を紐解きつつ、民営刑務所運営の実態を暴くノンフィクション。
 アメリカには民営刑務所があるということは聞いたことがあったが、その実態はかなりショック。刑務所は本来、受刑者の拘束・懲罰・更生の目的で作られたものだと思うのだが、著者の配属先の民営刑務所では、更生という目的はまず果たされていない。受刑者をただ収容しているだけで、本来受刑者に対して行うべき管理は行き届いていない。そもそも環境が劣悪なのだ。なぜ「入れっぱなし」状態になるのかというと、管理側の人員が圧倒的に足りていない(人数もスキルも)からだし、なぜ足りないのかというとぎりぎりまで利潤を追求しており、人件費をけちっているからだ。資本主義に組み込むべきではないものが組み込まれてしまっている怖さがあった。利潤の前には社会的な損益とか倫理とか人間の尊厳とかは二の次になっていく。終盤、本ルポを発表した著者が民営刑務所会社の株主総会に出席するのだが、告発を受けても運営会社側はびくともしないあたり、産業構造の根深さを感じる。
 こういった民営刑務所の指針は最近のものなのかと思っていたら、アメリカでは元々、囚人=労働力という側面が強かったことも解説されていく。捕虜・囚人は無料の労働力であり、大規模農業においては欠かせないものだった。民営刑務所が利潤を上げる素地は元々あったということだろう。利潤を持ち込むと非常に危うい分野だということも、歴史的にわかっていそうなものだけど…。


囚われし者たちの国──世界の刑務所に正義を訪ねて
バズ・ドライシンガー
紀伊國屋書店
2020-12-25


『海と山のオムレツ』

カルミネ・アバーテ著、関口英子訳
 イタリア、カラブリア州の小さな村で育った「僕」の半生は、様々な食べ物で彩られている。祖母の得意料理である「海と山のオムレツ」を挟んだシュティプラ(柔らかいパン)、サルデッラや腸詰サラミのンドゥイヤ、鰯の塩漬け、じゃがいもやさくらんぼ、スイカ。郷土の料理と食材と共に少年・青年時代が綴られる自伝的短編集。
 私はそれほど食に重きを置く方ではないのだが、本作を読むと(少なくとも本作に登場する人たちにとって)それぞれの家庭の料理が一つの文化であり、家族の共通の記憶、個々のアイデンティティの一部となっていることがよくわかる。「僕」の母親は息子が食べているかいつも心配し、大人になってからも帰省する度に食料を持たせる。食べさせることが親の愛なのだ。多分本当に美味しい料理なのだろうが、「僕」の思い出と結びつくことで更に美味しそうに感じられる。「僕」の父親が郷土料理自慢をするのも無理はないなと思えるのだ。著者の小説『風の丘』はやはり自伝的な要素が含まれているが、本作の方がより「思い出話」的なまろやかさがあって、『風の丘』で描かれたような土地の厳しさは陰をひそめている。特に父親の造形は、ベースは同じだが派生の方向が変わっているように思った。本作の父親もやはり頑固で生まれ育った土地に根差した生活を愛するが、土地や一族への呪縛めいたものは薄い。故郷を離れた息子の人生に納得はしないまでも、受け入れている。息子の側も少し鬱陶しがりつつ真っすぐな愛情を向けている感じがする。子供時代の楽しい思い出がちゃんと生きているのだ。

海と山のオムレツ (新潮クレスト・ブックス)
アバーテ,カルミネ
新潮社
2020-10-29

ふたつの海のあいだで (新潮クレスト・ブックス)
アバーテ,カルミネ
新潮社
2017-02-28


『赤と白とロイヤルブルー』

ケイシー・マクイストン著、林啓恵訳
 アメリカ初の女性大統領の長男アレックスは、英国のフィリップ王子の結婚式に家族と共に参列するが憂鬱だった。退屈なイベントに加え、フィリップの弟ヘンリーとは反りが合わず苦手なのだ。晩餐会でもヘンリーの冷ややかな態度に苛立ち大トラブルを起こしてしまう。世評をなだめ名誉挽回するため、アレックスとヘンリーは「親友」として世界中に仲の良さをアピールすることになるが。
 大統領の息子と英国王子という超セレブ!ロイヤル!なカップルが嘘から出た実的に成立するロマンス。シチュエーションとしては結構王道だと思われるが、男性同士の恋愛という設定、かつ本作が全米ベストセラーになったという所が現代ならではか。アメリカでの出版は2019年、著者が着想したのが2016年ということで、トランプ政権下で書かれたロマンス(トランプっぽい政治家も登場する)と考えると、世界よこうであれ!という願いが込められたファンタジーでもある。現実では女性大統領はまだ誕生していないが副大統領は誕生した。日本での出版はとてもいいタイミングだったのでは。ロマンスが進展する一方、アメリカ大統領選の内情のえげつなさや州ごとの傾向についても言及されている所が面白かった。アレックスの故郷は保守大国テキサス。もし彼のホームがニューヨークやカリフォルニアだったら大分違うテイストになっただろう。
 自覚がなかった自分のセクシャリティへの戸惑いや、大統領の息子(しかも母親は大統領選を控えており、初の女性大統領の2期目挑戦として絶対に負けられない)という立場と自身の恋との間での葛藤など、アレックスの心情はこまやかに描かれているが、ヘンリーのそれは若干大味。主人公はアレックスだからという設定上の事情もあるだろうが、王室の一員としての帰属意識と葛藤は特殊すぎてフィクションとしては通り一遍になりがちなのかな。
 それにしても、アメリカ人は英国王室をもちろんセレブ好きすぎないか?という気はした。私がセレブに全く興味がないからぴんとこないのかもしれないけど、「セレブなまもの」ジャンルがあるのか?とちょっと慄きましたよ…人権的に問題ありそうな気がしちゃうんだけど…。


『屋上で会いましょう』

チョン・セラン著、すんみ訳
 職場でのハラスメントに疲れ切り屋上から飛び降りてしまおうかという衝動にかられた「私」は、先輩たちからある呪文書を渡される(「屋上で会いましょう」)。あるウェディングドレスの変遷(「ウェディングドレス44」)、韓国版吸血鬼はたまたゾンビ(「永遠にLサイズ」)、中東からの留学生の奇妙な体験(「ハッピー・クッキー・イヤー」)など9編を収録した短編集。
 『フィフティ・ピープル』が抜群に面白かった韓国作家の短編集。SFっぽいもの、ホラーテイスト、ちょっとファンタジックなものと、自分の隣に住んでいる人の話のような小説が入り混じっておりバラエティ豊か。ただ、素っ頓狂な設定であっても、そこに登場する人たち(往々にして女性)が感じる苦しさや居場所のなさは身近なものだ。表題作の「私」が現状から脱出しようという珍妙な試みの行き先には笑ってしまうのだが、笑えない。追い詰められ方は生々しく、もうぎりぎりの状態なのがわかるのだ。女性先輩たちは皆結婚して脱出ちゃうなんてひどい!という取り残され感とか、脱出したにせよそれが結婚という制度によるものだという納得のいかなさ。その納得のいかなさを逆手にとったとんでも設定ではあるのだが、現実と照らし合わせると更に悲しくなってしまうね…。とは言え、どの収録作も哀しみとおかしみが一体になっており、ペシミズムでは終わらせない。「離婚セール」のちょっと悲しくしんどいが身軽になるような後味がよかった。

屋上で会いましょう チョン・セランの本
チョン・セラン
亜紀書房
2020-07-31


『アコーディオン弾きの息子』

ベルナルド・アチャガ著、金子奈美訳
 1999年、カリフォルニアで死んだダビは、「アコーディオン弾きの息子」という回想録を書き残した。ダビの妻メアリー・アンは作家である「僕」ヨシェバにその本を渡す。故郷のバスク語で書かれたその本を、メアリー・アンは読むことができないのだ。ダビが家族にも読めない言語で語った過去とはどのようなものだったのか。幼馴染であるヨシェバとの間には何があったのか。
 バスクの田舎、オババに暮らしていたダビは、父親からアコーディオン奏者になることを期待され、上流階級の子供が通う学校に行かされるが、自分が心安らぎ馴染めるのは農夫や馬飼いたちの世界だった。野山の自然描写やその中での子供たちの生活が生き生きとしており、魅力がある。ただ、その美しい生活の背後には、スペイン内戦やフランコ政権の暗い記憶が控えているのだ。ダビの伯父は反体制派で、義理の弟であるダビの父とは折り合いが悪い。ダビは、父は軍に協力し殺人に関わったのではないかと疑い始める。ダビの疑いは彼自身にとっては劇的なもの、耐えがたいものなのだが、こういった疑惑はおそらく当時のバスクでは珍しいものではなかったのだろう。それくらい、生活と歴史の影の部分とが一体になっていることがわかる。ダビの著作は自分の子供時代、青春時代を回想するものであると同時に、自分たちの背後にあるそういった歴史、それに加わってしまったことへの痛みと自責を記録したものなのだ。だから故郷の母語で書かれなくてはならないし、妻子に読ませるつもりはないということなのだろう。
 そして「アコーディオン弾きの息子」はヨシェバの物語でもある。本著のいくつかの章はダビではなくヨシェバの手による「小説」だ。ダビの書いたものとヨシェバが書いたもの、両方により彼らにとっての真実が浮かび上がる。そしてダビが書いたものが、そう書かざるをえなかったものであったという苦しさも見えてくる。人はなぜ書くのか、なぜそのように書くのか、という部分にも迫った作品。


『雨をよぶ灯台』

マーサ・ナカムラ著
 仏が茶をたてる浅草寺、サンタクロースの任務を課された囚人、千葉県の駄菓子屋、実家から押しかけてくる犬、偽物のお父さん…様々なイメージが紡ぎだされる詩集。
 久しぶりに詩集を買ったわ…。本著は装丁自体が詩的で気になってしまったのだ。表紙絵にしろ題字フォントとデザインにしろ、イメージがふわーっと湧いてくる造本。装丁が、文章の引き出すイメージを支えているように思った。収録された16篇の詩は、硬質な表面の下にどろりとしたものが流れているような、どこか土着的で血の匂いのするようなものが多い。定期的に見る悪夢のような後を引く、とらえどころのないイメージだ。ただ、どろどろしているだけでなく、硬質な透明感もある。世界にすっと冷たい風が吹き込むようだった。最後に収録された「新世界」には、自分の内側から空の向こうへ抜けていくようなさわやかさと冷たい寂しさ、なつかしさを感じた。

雨をよぶ灯台 新装版
マーサ・ナカムラ
思潮社
2020-06-25


狸の匣
マーサ・ナカムラ
思潮社
2017-11-09


『アレックスと私』

アイリーン・M・ペパーバーグ著、佐柳信男訳
 鳥類のコミュニケーション・言語の研究者である著者は、1羽のヨウム相手の実験を始める。そのヨウム・アレックスは50の物体の名前、7つの色、5つの形、8つまでの数を学習した。著者との二人三脚で研究に多大な功績を残したアレックスとの道のりを記したノンフィクション。
 ヨウムが賢い、かつ音を発する能力(鳴き声のバリエーションの使い方)が高いというのは知っていたが、人間とのコミュニケーションをここまで出来るとは。ヨウムは大体人間の5歳児くらいの知能があるそうだ。人間の言語を教えていく訓練の組み立て方からは、人間の子供がどのように言語を獲得していくのかという過程もわかり、鳥類の知能に関する研究という側面だけでなく、言語学の側面からもとても面白い。訓練に飽きてしまうアレックスと著者たちの攻防や、アレックスの我儘に翻弄される様はユーモラスだが、ここまで(意固地になったり嫉妬したりはもちろん、これは人間をからかっているのでは?という行動まで)鳥と人間がコミュニケーションできる、それを立証できたということには感動する。鳥の情緒や思考は人間とは別物という認識を著者は持っているが、それであっても意思疎通は出来るし、人間と通じ合う情緒のようなものがある。
 一方で、科学の世界の意外なコンサバさ(当時、動物に独自の言語能力、知能があるという説自体大変バッシングを受けたとか)や女性研究者に対する偏見、不当な低い評価など、著者が戦わなければならなかったものの多さが随所でわかる。何より予算と研究室の確保に汲々としている様は、研究職の方なら涙なしには読めないのでは…。著者はアレックス財団を作りそこから捻出するようになったそうだが、それでも相当大変そう。研究ってお金かかるんですよね…研究者が裕福だなどというのは幻想…。

アレックスと私 (ハヤカワ文庫NF)
アイリーン M ペパーバーグ
早川書房
2020-10-01


フクロウのいる部屋
高木 尋士
集英社インターナショナル
2013-04-26


『おらおらでひとりいぐも』

若竹千佐子著
 74歳の桃子さんは郊外の新興住宅地で一人暮らし。見合い結婚の相手を放り出して一人上京した24歳の秋、住み込みのアルバイトをするうちに周造と出会い結婚、長男と長女が生まれて成長し独り立ち、そして周造は急死した。一人になった桃子さんの内側から、使ってこなかった故郷の言葉が沸き上がってくる。
 本作、語りの勝利だと思う。桃子さんは岩手出身なのだが、上京してからは標準語を通している。封印していた方言が年を取り一人になってからあふれ出てくるのだ。そして桃子さんが深く考える時、やはり自分が生まれ育った土地の、体に染みついた言葉が発せられる。桃子さんは故郷は嫌いだと思い続けていたのに皮肉ではあるが。その皮肉さは、「新しい女」を目指して故郷から飛び出したのに、周造に惚れて彼の前では「可愛い女」として妻・母として献身的尽くすという古典的な女になっしまっていたというのも皮肉だ。しかし桃子さんは一人になることで、そういった役割、ジェンダーから自由になっていく。桃子さんという個がむきだして立ち現れてくる、その様が鮮やかだ。この鮮やかさ、自由さは方言による語りだからこそ感じられたのではないかと思う。オフィシャルなものではなく、よりパーソナルな語りに感じられるのだ。

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)
若竹千佐子
河出書房新社
2020-06-26




『あの本は読まれているか』

ラーラ・プレスコット著、吉沢康子訳
 冷戦下、1950年代のアメリカで、ロシア移民の娘であるイリーナはCIAにタイピストとして就職する。しかし彼女に課されたのは諜報員としての仕事だった。訓練を受け文書の受け渡し等を行うようになり、更にある特殊作戦に抜擢される。それは、共産圏で禁書になっているボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』をソ連国民の中に浸透させプロパガンダに利用するというものだった。
 『ドクトル・ジバゴ』をソ連国民に読ませるという「作戦」が中心にあるが、3つの視点でストーリーは展開していく。イリーナと同僚の諜報員サリー、「わたしたち」として語るCIAのタイピストたち、そしてパステルナークの愛人オリガ。どれも女性たちのエピソードだ。この時代に女性に生まれたことで受ける不利益や屈辱にはやりきれないものがある。その一方で女性同士のいたわりやゆるやかな連帯の描き方はこまやかだ。イリーナとサリーの距離の縮まっていく様や2人の気分の華やぎが眩しい。ただ、小説の語りとして一番面白いと思ったのは「わたしたち」によるもの。タイピストとしてひとくくりにされ、個々の顔など特に意識されなかったであろう女性たちとしての「わたしたち」だが、その「わたしたち」の中には個々人の顔があり、その個々が共鳴しあっている声なのだ。一方、オリガのパートにはあまり面白みは感じなかった。古典的な尽くす女、いわゆる「女はたくましい」とか言われがちな造形の話だからか。むしろ「わたしたち」パートの手法のみで全編書かれたものが読んでみたかったかな~。東京創元社が激しく推していた作品だが、そこまでの傑作・名作という印象は受けなかった。わりとあっさりとしている。

あの本は読まれているか
ラーラ・プレスコット
東京創元社
2020-04-20


ドクトル・ジバゴ〈上巻〉 (新潮文庫)
ボリス・パステルナーク
新潮社
1989-04T


『今も未来も変わらない』

長嶋有著
 小説家を生業とする星子は40代。数年前に夫と離婚し同居している娘は受験を迎えようとしている。親友の志保とカラオケやドライブで盛り上がり、娘の学校の教師と友達になり、一方で一回り年下の男性と恋の予感がしていた。
 星子は女性であり中年であり作家であり母であり元妻であり恋人であり、という複数の属性を持っている。しかし本作を読んでいると、星子が「~の星子さん」であるという印象はない。星子はあくまで星子。他の登場人物も同様で、「~の」というくくりや属性を極力感じさせない書き方になっていると思う。もちろんそれぞれの年齢や性別、職業や家族間での続柄はあるだろう。しかしそれはその人全体を表すものにはならない。読者の前に立ち上がってくるのは星子であり志保であり、あくまで固有名詞としての人だ。そこがすごくよかった。星子は世間的には「おばさん」と呼ばれる年代なのだろうが、「おばさん」という感じもしない。星子という人が年齢を重ねて今40代、という感じのニュートラルさだ。
 相変わらず固有名詞の使い方が上手い。特定の題名や名称を出すことでその時はこういう気分だな!とはっきりわかるというのは面白いものだな。共通の体験、知識が必要とされることだから、どの固有名詞を使うかかなり匙加減のテクニックが要求されるはず。同時に、わかっている人にはわかるような描写で固有名詞までは出さない、という演出もあり、この使い分けが面白かった。GAPにエルメス合わせて怒られる映画ってあれだな!なお吉祥寺小説でもあるので、調子に乗って吉祥寺のカフェで完読した。

今も未来も変わらない (単行本)
長嶋 有
中央公論新社
2020-09-18


三の隣は五号室 (中公文庫 (な74-1))
長嶋 有
中央公論新社
2019-12-19


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