3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名あ行

『あたらしい無職』

丹野未雪著
 今日から無職。ハローワークに行き雇用保険の説明を受ける。友人の誘いで花見に行きまくる。就職活動をし自炊をする。非正規雇用の編集者として働いてきた著者の、無職と正社員、そしてまた無職としての生活。
 日記の形式で書かれているので時間の経過がわかりやすい。時間の経過がわかりやすいということは、無職期間が具体的にイメージできるので収入がない心細さもじわじわしみてくるということなのだ…。予算が限られている中でお花見に行ったりピクニックに行ったりと愉快そうではあるが、生活は逃がしてくれない。お金の算段をするくだりではちょっとおなかが痛くなりそうだった。友人からお金を借りる時の、借りる側だけでなく貸す側の覚悟が垣間見える、それに気づいた著者がそれに気づき涙する件は心に刺さる。正社員としての仕事の中でも、仕事の面白さがある一方で、人間関係の理不尽さや取引先の無茶苦茶さに翻弄される辛さが身に染みてくる。出来の悪い若手への指導の中で高圧的だったかつての「出来る」上司のことを思い出す等、なんかもう色々とぐさぐさきます。
 働くこと、無職であること両方の辛さ面白さ(というと語弊があるが)がシンプルな文体で率直に、抑制のきいたトーンで綴られていく。それにしても著者の周囲が非正規雇用とフリーランスばかりなのが辛かった…。時代背景によって仕事のあり方はもちろん「無職」のあり方もだいぶ変わってくると思う。下り坂の時代の無職ってきつい…。それでもちゃんと自分の生活、仕事をとらえていく著者の文章にぐっときた。


『女の子は本当にピンクが好きなのか』

堀越英美著
 女の子が好きな色、女の子らしい色といえばピンクが定番と思われてきたが、そもそもなぜ女の子=ピンクというイメージが定着したのか?いわゆる「ダサピンク」現象(ピンク=ダサいではなく、女性はピンクが好きな物、可愛いものがすきなものだという認識で商品が作られ残念な結果になる現象)も起きた昨今、ピンクが女らしさ・男らしさにもたらした功罪を国内外の事例を取り上げ掘り下げていく。
 女の子=ピンクというのはフランスが発祥だそうで、それほど歴史が長いわけではない(男の子=ピンクの国もあったし、そもそも昔は持ちのいい染料は高価だったので洗う頻度の高い子供服は白一択だったそうだ)。それが今やというかいまだにというか、女の子といえばピンク、女児玩具売り場はピンク水色ラベンダー色。親がキラキラファンシーを好まなくてもいつの間にか好むようになることが往々にしてあるというから不思議だ。幼い子供はピンクを好みやすいという統計もあるそうだが、社会的に「そういうもの」とされていることの根深さ、ピンクを好む女性が世の中では好まれるとされている影響がやはり強いのだろう。ピンクという色は単に色でしかないのだが、そこに加味される意味合いが女性に複雑な気持ちを抱かせ、男性をピンクから遠ざける。本来単なる色なんだから、男女とももっとフラットにピンクと付き合える世の中になるといいのに…。
 その一方で女児向け玩具の変化(バービーの職業や体形が多様化したり、理系実験キットが人気だったり)が著しかったり、男の子もピンクを着ていいじゃないかというムーブメントが海外では起きていたいるする。特に玩具業界における変化についての記述が面白かった。男らしさ女らしさという枠組みは昔よりはゆるやかになり、少しずつだが世界は変わっていくのだ。とは言え、日本は他国に比べて数周遅れているのが辛いが…。


『エリザベス・ビショップ 悲しみと理性』

コルム・トビーン著、伊藤範子訳
 20世紀アメリカにおける最も優れた詩人の一人、エリザベス・ビショップ。喪失体験の悲しみや痛みをストイックかつ精緻な詩として昇華し、高い評価を受けた。アイルランドの作家である著者は、ビショップの作品と人生を紐解いていく。
 私はビショップという詩人のことは実は知らなかったし、本著に登場する彼女と交流のあった詩人、作家のこともほとんど知らない。トビーンの著作ということで手に取ってみた。ビショップの作品が多数引用されているというわけではないのだが、その作品を読んでみたくなる。トビーンはビショップの作品を彼女の人生と重ねて分析していくが、ビショップが自分の人生を作品に反映した部分よりも、むしろしなかった、取捨選択が厳しくされているという部分に着目していく。豊かな表現だが決して饒舌にはならない。作品はあくまで作品で、人生やその時々の感情とはいったん切り離されたものとして成立しなくてはならないという厳しさがある。感情を直接盛り込むのではなく、具体的な物、風景のディティールの積み重ねの上に強い情感のイメージが構成されていく。非常に注意深く組み立てられているのだ。
 その厳しさは自分自身に対してだけではなく、ビショップが仲間の詩人たちに向ける態度でもあり、コビーン当人の態度でもあるのだろう。ビショップと彼女の「親友」であった詩人ロバート・ロウエルとの書簡は時にユーモラスだが、時にお互い刺し違えそうな言葉の応酬がある。創作者として認め合っているからこそのやりとりだろう。ビショップとロウエルは直接顔を合わせることはほとんどなかったそうだ。

エリザベス・ビショップ 悲しみと理性
コルム・トビーン
港の人
2019-09-10


エリザベス・ビショップ詩集 (世界現代詩文庫)
エリザベス ビショップ
土曜美術社出版販売
2001-02


『オーバーストーリー』

リチャード・パワーズ著、木原善彦訳
 南北戦争前のニューヨークから現代へ。四世代にわたって庭の栗の木の写真撮影を受け継ぐアーティスト、ベトナム戦争で空から落下しベンガルボダイジュに救われた空軍兵、感電死の後に蘇った大学生、植物に対する愛を父親から受け継ぎ樹木同士のコミュニケーションを発見する科学者。9人の人物の人生が樹木を媒介にパズルのように組み合わさり、アメリカ大陸最後の原生林を救う闘いに集約されていく。
 登場人物一覧表を作りながら読むべきだった…。最初は個々の人物のエピソードが並列されているのだが、2章目「幹」以降(根、幹、樹冠、種子と樹木の形状に合わせた章分け)、あのエピソードのあの人がこんなところに、という具合にどんどん増幅し絡み合っていく。大きな流れの中に、ごく身近にも感じられる個人の人生の悲喜こもごもが織り交ぜられていく。それこそ様々な植物が一つの共同体を成している雑木林みたいな具合だ。その広がり方や絡み合い方、相互作用の仕方が森林ぽい。肥沃な森林のように壮大な物語だが、その森林が刈り込まれていき、伐採に対する無謀な戦いが展開されるというのは皮肉だ。樹木の「声」を聞き樹木の生存権を訴える彼らは、人間の社会からは理解されない。人間とは異なる存在の仕方、異なる時間の流れを知ることで彼らの生は豊かになるが、それは周囲からは理解されないし、異なる世界を知れば知るほど「人類の英知」とは真逆のもの、人間社会という群れの一員としては異物なものとして扱われる。それが個人を、そして個々の繋がりを引き裂いていくのだ。こういったペシミズムが近年のパワーズ作品には散見されるように思う。
 ただ、樹木は人間よりも圧倒的にタフで息が長い。円環するようにまた1本の栗の木に集約され、ここからまた次の円環、また別の時間の流れが始まるのではと予感される。

オーバーストーリー
リチャード パワーズ
新潮社
2019-10-30




『おばちゃんたちのいるところ』

松田青子著
 かわいくて、気が利いて、セクシーで、やさしい女を目指し脱毛に励む私の元に、おばちゃんがやってきた。おばちゃんは相変わらず図々しく不躾でパワフルだった。ただ、おばちゃんはもう死んだはずなんだけど。追い詰められた人たちの元に、幽霊のおばちゃんたちが助けにやってくる連作短編集。
 よく女の情念とか女の嫉妬とかマイナスイメージで言われるが、それをすべてプラスに反転していくパワフルなおばちゃんたち。女性だから(ひいては男性だから)、この年齢だから、この立場だからといったくくりを全部無効化し、あくまで「自分」である様は頼もしく清々しい。おばちゃん、私のところにも来てほしい。そしておばちゃんたちがスカウトされている「会社」に就職してみたい。怪談、幽霊話がモチーフとなっているので、古典落語や歌舞伎を多少知っているとより面白いのでは。あの女性にもこういう事情があってその後こんな風に生きてきたのか…と感慨深くなるかも。






問題だらけの女性たち
ジャッキー・フレミング
河出書房新社
2018-03-20



『あふれでたのはやさしさだった』

寮美千子著
 作家である著者は、奈良少年刑務所で「社会性涵養プログラム」を担当することになる。内容は詩と絵本の教室の講師。2007年から10年間、受刑者たちと向き合った記録。
 著者が奈良少年刑務所と関わるようになったきっかけは、明治時代の名建築である刑務所の建物に惹かれて、あの中に入ってみたいという一心のことだったというのが面白い。元々対受刑者への教育プログラム等に興味があったわけではなく、全くの門外漢だったというのだ。刑務官らと共に手探りで進められていく授業は、絵本を全員で朗読したり、文章に合わせて体を動かす芝居仕立てにしたりというもの。そして、徐々に自分で詩を作れる、つまり自分の気持ちを言葉で表せるようにしていく。社会性涵養プログラムを受ける受刑者たちは、自分がしたことへの反省や更生以前の状態にいるということにちょっとショックを受けた。感情の言語化、コミュニケーションがうまくできないことで犯罪への道を進んでしまったりもする。彼らの多くは他人からちゃんと向き合ってもらっていない、自分の言葉を聞いてもらっていない。ちゃんと向き合い、言葉が出てくるのを待つということが非常に重要で、そうしていると彼ら自身の言葉が出てくる瞬間がある。著者は、変わらなかった子はいないという。お互いに言葉を聞きあうという体験を重ねることで優しさが引き出されていくというのだ。著者のオプティミズムがすぎるようにも思うのだが、言葉(を発すること、それをじっと聞くこと)の力というのは確かにあるのだろうとも思える。

『アイネクライネナハトムジーク』

伊坂幸太郎著
 「出会い」って何なんだろうと考える会社員、妻に愛想をつかされたその先輩、電話だけでやりとりする男女、元いじめっ子への復讐を企てる女性。ごく普通の、様々な人たちの愛がある地点で交差する連作短編集。
 あの時のあれはこの人か!こことここがこうつながるのか!という著者の得意技が繰り広げられる。ちょっと仕掛けがやりすぎな感じもしてくどいといえばくどいのだが、そこが楽しくもある。予想外に直球かつかわいさのあるラブストーリー集。妻に出ていかれた男性の話が個人的には一番好きかもしれない。あーこういうものかもしれないなーというあきらめ感があって(笑)。
 ただ、登場人物の1人である織田一真の言動がどうにも受け付けなかった。特に最初に収録されている「アイネクライネ」で顕著なのだが、言動がモラハラぎりぎりだと思うんだよな…これを愛嬌とか可愛げとしてとらえているっぽい筆致には違和感がある。DVDの散らかし方とか妻が財布を落とした時のリアクションとか、私が妻ならキレてる。
 なお本作、斉藤和義小説でもある。本作映画化されたそうだが、映画の中ではちゃんと曲を使っているのかな?



『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』

北村紗衣著
批評家は探偵に似ている。テクストを読み解き手掛かりを拾い集め、その作品の筋道を発見し理解の糸口を導き出す。映画と文学をフェミニスト批評から読みとくパンチのきいた批評集。サブタイトルに「フェミニスト批評入門」とあるように、本格的な批評というよりも、批評と言うのはこういうものだ、こういうアプローチの仕方があるのだという入口の案内のような1冊。読みやすくとても面白い。映画や小説を鑑賞していて、一応面白いし世評も高い、でも自分の中では何かひっかかる、もやもやするという時に、なぜひっかかるしもやもやするのか考える糸口になりそう。若い人に読んでほしい。特にファミニスト批評としてのアプローチなのでジェンダー由来の「もやもや」をひもとく糸口になりそう。批評は自分を知ることでもあるのだ。
キャッチーかつ個人的にも深く頷くところが大きかったのは『アナと雪の女王』批評。ディズニーアニメとしては確かに画期的だし技術的にはもちろん素晴らしく、中盤までは面白かったのが、私は終わり方に納得がいかないというか、なんでこんなつまらない終わり方なんだと思っていたので(他社作品だが『ヒックとドラゴン』にも同じことを感じたんだよな・・・)。ディズニー作品は「社会参加」の壁は多分越えられないんだろうな・・・。


『IQ2』

ジョー・イデ著、熊谷千寿訳
 亡き兄マーカスの恋人だったサリタに依頼され、高利貸しに追われる彼女の異母妹ジャニーンを助けることになったIQ。腐れ縁の相棒ドッドソンと共にジャニーンとその恋人ベニーが住むラスベガスに向かうが、ジャニーンは予想以上に厄介な状況に陥っていた。
 前作と同じく、過去と現在が交互に配置されている構成。今回はその2つのラインがある地点で合流するところにミステリの醍醐味を感じた。と言っても、いわゆる謎解きミステリ要素はあまりないんだけど・・・。クールなイメージのIQだが、今回はあまりクールではいられない。彼はサリタにずっと想いを寄せており、彼女の前でいいところを見せたいとちょっと焦っている。更にその焦りをドッドソンに見透かされてしまう。IQはとても頭がいいが人の心の機微には疎い。サリタへの自分の思いも、彼女と自分の関係がどういうものなのかも、ドッドソンが彼に対して感じている苛立ちが何故なのかもぴんときていない。だからよけいに焦るし苛立つのだ。本作のある人物の行動をIQが看破するが、実はその行動原理はIQ自身のものと被ってくる。それをIQが自覚しているのかいないのか・・・。この看破の様は相手に対してすごく残酷で、多分本来のIQの倫理観からは外れるものなのだろうが、それをやってしまう所に今回の彼の危うさが垣間見える。怒りも嫉妬も人を弱くするのだ。
 対して今回、ドッドソンの成長が目覚ましい。大人になって・・・!しかもIQに対してちょっと素直になってる!IQの危うさを補うのはドッドソンの世間慣れした部分や意外と常識的な部分(IQも常識的だし人情もあるのだが、発露の仕方がちょっと独特だし人の心の機微には疎いよね・・・)なのではないか。2人のパートナーシップが今後の展開の鍵になるのかなと。

IQ2 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2019-06-20





IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2018-06-19

『あとは切手を、一枚貼るだけ』

堀江敏幸・小川洋子著
 「私」と「ぼく」とが交互に綴る、お互いに向けた手紙。ドナルド・エヴァンズの架空の切手、箱に封じ込められたジョセフ・コーネルの世界、そしてアンネ・フランクが身をひそめた小部屋。小さな世界に留まりつつも彼方まで飛距離を伸ばしていくような、様々な文学や映画、音楽がちりばめられたリレー小説。
堀江敏幸と小川洋子という、知と洗練の極みみたいな組み合わせ。どちらがどのパートを書いているのか、わかりやすく表示はされていないのだが、読めばすぐにわかる。どんな形態であれ、文章がしっかりと顔を持ち続けている。自分の文体が確立されているってやっぱりすごいことなんだなと実感した。どう読んでも堀江敏幸の文だし小川洋子の文なんだもんな・・・。
 ドナルド・エヴァンズ、ジョセフ・コーネル、ロベール・クートラスらの名前が次々出てくるだけで無性にうれしくなる。「彼らは独自の境界線の内側に潜んでいますが、孤立しているわけではありません」という彼らの作品の核心を突いた表現。他にもソローであったり宮沢賢治であったり、まど・みちおであったり、大声ではないがずっと静かに話し続けているような作家たちが登場する。著者2人の美学、ものの見方が垣間見え、フィクションとはいえこれらの文学(だけではない)を紹介していく随筆的な側面が強い。が、その一方で、強く小説を意識させる瞬間もある。瞳を自ら閉ざした人と光を失いつつある人の対話であるかのようだが、ある地点で風景がぐらりと揺らぐ。そこかしこにあった不穏さ、悲劇の気配のようなものはここに集約、伏線回収されるのかと。ペダントリィに徹するようでいて、ちゃんと「私」と「ぼく」の物語だったのだ。


ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ