3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

本題名あ行

『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』

北村紗衣著
批評家は探偵に似ている。テクストを読み解き手掛かりを拾い集め、その作品の筋道を発見し理解の糸口を導き出す。映画と文学をフェミニスト批評から読みとくパンチのきいた批評集。サブタイトルに「フェミニスト批評入門」とあるように、本格的な批評というよりも、批評と言うのはこういうものだ、こういうアプローチの仕方があるのだという入口の案内のような1冊。読みやすくとても面白い。映画や小説を鑑賞していて、一応面白いし世評も高い、でも自分の中では何かひっかかる、もやもやするという時に、なぜひっかかるしもやもやするのか考える糸口になりそう。若い人に読んでほしい。特にファミニスト批評としてのアプローチなのでジェンダー由来の「もやもや」をひもとく糸口になりそう。批評は自分を知ることでもあるのだ。
キャッチーかつ個人的にも深く頷くところが大きかったのは『アナと雪の女王』批評。ディズニーアニメとしては確かに画期的だし技術的にはもちろん素晴らしく、中盤までは面白かったのが、私は終わり方に納得がいかないというか、なんでこんなつまらない終わり方なんだと思っていたので(他社作品だが『ヒックとドラゴン』にも同じことを感じたんだよな・・・)。ディズニー作品は「社会参加」の壁は多分越えられないんだろうな・・・。


『IQ2』

ジョー・イデ著、熊谷千寿訳
 亡き兄マーカスの恋人だったサリタに依頼され、高利貸しに追われる彼女の異母妹ジャニーンを助けることになったIQ。腐れ縁の相棒ドッドソンと共にジャニーンとその恋人ベニーが住むラスベガスに向かうが、ジャニーンは予想以上に厄介な状況に陥っていた。
 前作と同じく、過去と現在が交互に配置されている構成。今回はその2つのラインがある地点で合流するところにミステリの醍醐味を感じた。と言っても、いわゆる謎解きミステリ要素はあまりないんだけど・・・。クールなイメージのIQだが、今回はあまりクールではいられない。彼はサリタにずっと想いを寄せており、彼女の前でいいところを見せたいとちょっと焦っている。更にその焦りをドッドソンに見透かされてしまう。IQはとても頭がいいが人の心の機微には疎い。サリタへの自分の思いも、彼女と自分の関係がどういうものなのかも、ドッドソンが彼に対して感じている苛立ちが何故なのかもぴんときていない。だからよけいに焦るし苛立つのだ。本作のある人物の行動をIQが看破するが、実はその行動原理はIQ自身のものと被ってくる。それをIQが自覚しているのかいないのか・・・。この看破の様は相手に対してすごく残酷で、多分本来のIQの倫理観からは外れるものなのだろうが、それをやってしまう所に今回の彼の危うさが垣間見える。怒りも嫉妬も人を弱くするのだ。
 対して今回、ドッドソンの成長が目覚ましい。大人になって・・・!しかもIQに対してちょっと素直になってる!IQの危うさを補うのはドッドソンの世間慣れした部分や意外と常識的な部分(IQも常識的だし人情もあるのだが、発露の仕方がちょっと独特だし人の心の機微には疎いよね・・・)なのではないか。2人のパートナーシップが今後の展開の鍵になるのかなと。

IQ2 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2019-06-20





IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョー イデ
早川書房
2018-06-19

『あとは切手を、一枚貼るだけ』

堀江敏幸・小川洋子著
 「私」と「ぼく」とが交互に綴る、お互いに向けた手紙。ドナルド・エヴァンズの架空の切手、箱に封じ込められたジョセフ・コーネルの世界、そしてアンネ・フランクが身をひそめた小部屋。小さな世界に留まりつつも彼方まで飛距離を伸ばしていくような、様々な文学や映画、音楽がちりばめられたリレー小説。
堀江敏幸と小川洋子という、知と洗練の極みみたいな組み合わせ。どちらがどのパートを書いているのか、わかりやすく表示はされていないのだが、読めばすぐにわかる。どんな形態であれ、文章がしっかりと顔を持ち続けている。自分の文体が確立されているってやっぱりすごいことなんだなと実感した。どう読んでも堀江敏幸の文だし小川洋子の文なんだもんな・・・。
 ドナルド・エヴァンズ、ジョセフ・コーネル、ロベール・クートラスらの名前が次々出てくるだけで無性にうれしくなる。「彼らは独自の境界線の内側に潜んでいますが、孤立しているわけではありません」という彼らの作品の核心を突いた表現。他にもソローであったり宮沢賢治であったり、まど・みちおであったり、大声ではないがずっと静かに話し続けているような作家たちが登場する。著者2人の美学、ものの見方が垣間見え、フィクションとはいえこれらの文学(だけではない)を紹介していく随筆的な側面が強い。が、その一方で、強く小説を意識させる瞬間もある。瞳を自ら閉ざした人と光を失いつつある人の対話であるかのようだが、ある地点で風景がぐらりと揺らぐ。そこかしこにあった不穏さ、悲劇の気配のようなものはここに集約、伏線回収されるのかと。ペダントリィに徹するようでいて、ちゃんと「私」と「ぼく」の物語だったのだ。


『アイル・ビー・ゴーン』

エイドリアン・マッキンティ著、武藤陽生訳
 ある事件によって警察を追われたショーンに保安部(MI5)が接触してくる。彼らはIRAの大物テロリスト・ダーモットの捜索を依頼する。ダーモットはダフィの旧友だったのだ。復職を条件に仕事を引受けたショーンは、ダーモットの元妻の母に取引を迫られる。4年前の娘の死因を解明すれば、彼の居場所を教えるというのだ。娘は一家が経営するパブで事故死したとみなされていた。事件が起きた夜、パブは完全な密室だったのだ。
 ダフィシリーズ、めでたく3作目!そして1,2作とはまた違った面白さがあった。構成バランスや読みやすさでは3作中一番かもしれない。1,2作目は人物像系や時代背景、風土の表現が魅力的だったが、勢い任せな面が否めず1つの小説としてはバランスがちょっといびつだった。今回はそのあたりがだいぶ改善された気がする。正義感ゆえに不遇をかこつダフィは冒頭ではだいぶやさぐれているのだが、MI5へのわだかまりをもちつつ任務に没頭するうち、徐々に精神を持ち直していく。基本的に倫理観がしっかりしているし人情のある人なことが透けて見える。常に頭脳明晰というわけではないし勘がいまいち悪いところもあるのだが、憎めない。詩や音楽の造形深く、実は場違いともいえるインテリ。そんな彼の最後の行動は、決意のほどを感じさせる。そこは決して居やすい場所というわけではないが、それでもやるべきことがある(と彼には思われる)のだ。


『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ(上下)』

A・J・フィン著、池田真紀子訳
 精神分析医のアナ・フォックスは広場恐怖症で自宅の外に出ることができない。暇つぶしは古いミステリ映画を見ることと、近所の人たちを望遠カメラで覗き見ること。毎日近所のある日、近所に住んでいるというジェーン・ラッセルが家を訪ねてくる。彼女は夫アリステアと息子イーサンと暮らしているというのだ。ジェーンに好感を持つアナだが、彼女が自宅でナイフで刺されるのを目撃する。パニックを起こしつつ警察に通報するが、ラッセル家では何も起きていないという。そして彼女の前に現れたジェーン・ラッセルは、アナが出あった女性とは全くの別人だった。
 引きこもりの目撃者、かつアルコール依存症の気があるアナは、信頼できる語り手とは言えない。どこまでが実際にあったことなのか、アナにもわからないし読者にもわからない。アナが出あったジェーンはどうなったのか?という謎に加え、そもそも何があったのか?そしてアナはなぜこういう状態になったのか?(これは割とすぐに見当つくが)という謎が並走しているサスペンス。ミステリとしては終盤にバタバタと風呂敷を畳む印象であまり精緻ではないのだが(ある人物が短時間で諸々手際よくやりすぎな気がするし・・・)、オチに向かってぐいぐい読ませる。アナが古いサスペンス映画好きで、ヒッチコック作品の題名やセリフが頻出するのだが、本編との絡みはあまり強くなく、出てくるだけという印象になっているのがちょっともったいなかった。絡んでいないわけではないけど、もっと謎の核心に触れる絡み方を期待しちゃったので。


ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 上 (早川書房)
A.J. フィン
早川書房
2018-09-19
ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 上 [単行本]





めまい [DVD]
ジェームズ・スチュワート
ジェネオン・ユニバーサル
2012-09-26

『Xと云う患者 龍之介幻想』

デイヴィッド・ピース著、黒原敏行訳
 小説家・芥川龍之介。彼が魅せられた東洋と西洋の伝承と信仰、震災による遺体と瓦礫が連なる光景、ポオ、河童、ドッペルゲンガー、夏目漱石が体験したロンドン等、芥川の作品のモチーフの幻想と不安とが入り混じっていく連作短編集。
 ジェイ・ルーピン訳の芥川作品を通してイギリス人である著者が幻視する芥川のコラージュでありマッシュアップ。大変な力技で二次創作的な愛着を感じる。芥川の不安を主観的に、客観的に追っていき、史実と芥川の創作、著者による幻想の境目がだんだん曖昧になっていく。芥川の周囲の人たちも登場するし、なんといっても夏目漱石が遭遇したロンドンの怪異の話がいい。
 日本語で読んでも違和感は感じない(芥川のコアなファンには異論があるかもしれないが)のはルーピンによる英訳が多分とても出来がいいこと、著者の読者としての鋭さ故なのでは。良い書き手は良い読者でもある。そして翻訳が素晴らしいことが英語を読めない私でもわかる!芥川の文体や文字表記をカバーした上で日本語へ変換する、正にはなれわざ。私は著者の装飾が多くねっとりとした文章(翻訳文ということになるけど)にずっと苦手意識をもっていたのだが、本作は日本語文章にしたときの良さがあった。

Xと云う患者 龍之介幻想
デイヴィッド ピース
文藝春秋
2019-03-22




『生まれ変わり』

ケン・リュウ著、古沢嘉通他訳
 地球に到来した異の生物トウニン人と共生するようになった人類は、トウニン人の技術により悪しき記憶を切除して「生まれ変わる」ことが可能になった。トウニン人のパートナーを持つ「わたし」はトウニン人殺害テロの捜査にあたる。表題作を始め、衰退する人間の世界と発展するAIの世界を描く「神々は~」三部作、アジアの工場で働く少女の奇妙な運命を描く「ランニングシューズ」等、20編を収録した日本オリジナル短編集3作目。
 相変わらず安定して高品質な作品集。過去2作の短編集に比べると、より人間の身体と意識の問題、そして移民問題、経済格差問題が浮かび上がる面が濃くなっているように思う。前出の「ランニングシューズ」や介護ロボットのある生活を描く「介護士」や、は正に国家・地域間の経済格差、搾取の問題が背景にあるし、異なる種との接触が描かれた「悪疫」「ホモ・フローレシエンシス」は移民問題にも通じるものがある。人間は公平なつもりでいて見下しがちなのではないか、こちらの正しさとあちら の正しさとは違うのではないかという居心地の悪さを感じさせる。
また、意識と身体の問題がより際立ってきている。前述の「神は~」三部作では電子情報だけになった父親と生身の娘の変遷が描かれる。また「カルタゴの薔薇」でも老いていく肉体を持ち続ける姉と肉体を捨てようとする妹が描かれる。肉体をなくしたら人間性は失われるのか?肉体を捨てるところまではいかなくても、身体のバージョンアップについては多少現実味が増してきている中、答えが出せない問いが漂い続ける。また身体に関わる問題も経済格差と表裏一体なんだよなという辛さも。


『いま、息をしている言葉で。「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』

駒井稔著
 東西、ジャンルを問わず数々の古典文学を新訳版文庫としてリリースしてきた、「光文社古典新訳文庫」の創刊編集長だった著者による回想録。出版の世界にまだ「無頼」の空気があった入社当初から、古典の新訳の必要性を確信し、文庫創刊にこぎつけるまで。
 なんとなく、著者はずっと文芸畑の人だと思っていたので、結構下世話な記事も多い週刊宝石の編集者だったというのは意外。とは言え、この時代に学んだことは多々あるそうだ。先輩方が古典文学、哲学書をちゃんと読み通しているかというとそうでもないぞ(もちろん非常に文学哲学の素養のある人ばかりなんだけど)と気づいたことも、後の古典新訳企画に繋がっている。古典に対して読みにくいというイメージが強い(実際読みにくい)のは、中身の難解さもあるだろうが、そもそも翻訳文が日本語として読みにくい、咀嚼しきれていないのではないか。今の日本で古典の作者たちが書いたとしたらどのように書くのかをイメージする、というのがこの叢書の翻訳コンセプトになっていく。実際、古典新訳文庫はかなり読みやすい。これなら哲学書もいけるかも、という気にさせる(この「させる」という部分が大事なのだと思う)。そして、平易な文にすることと簡易化することは違うのだ。古典文学が現代に繋がっている、翻訳の歴史はイコール日本の近代史だという著者の確信が力強い。
 創刊、そして叢書を維持する為に編集者、翻訳者を始め出版社の営業や販売担当、そして書店や外部の編集者ら様々な人たちの尽力が見えて、翻訳書好きとしては胸が熱くなる。にもかかわらず、翻訳書だと「(元があるから)楽しやがって」みたいなことを言われるというのにはびっくりした。それとこれとは違うよね!
 古典新訳文庫は古典を読み切れなかった中高年を読者層に設定していたそうだが、実際には若い読者がたくさんついた。これは、文庫というフォーマット、豊富な解説文によるところが大きいのではないかと思う。書籍においてもフォーマット、価格帯は非常に大事だなと実感した。


翻訳と日本の近代 (岩波新書)
丸山 眞男
岩波書店
1998-10-20


『移動都市』

フィリップ・リーヴ著、安野玲訳
 60分戦争と呼ばれる化学兵器の応酬により文明が荒廃した世界。生き延びた都市は移動機能を備えるようになり、都市と都市が狩り合い食い合う、都市間自然淘汰主義が蔓延する。一方、犯移動都市同盟はテロ行為でそれに反発していた。移動都市ロンドンに住むギルド見習いのトムは、史学ギルド長で高名な探検家・歴史家であるヴァレンタインが、正体不明の少女ヘスターに襲われる所に出くわす。なりゆきでヘスターを助け、行動を共にすることになるが。
 都市が移動するというイメージがとにかく魅力的。しかし、都市と都市が食い合う弱肉強食の世界に、都市に住む人は誰も疑問を持たない、自分の都市が他の都市を捕獲すると拍手喝采という穏やかならぬ世界でもある。登場人物たちの価値観や方向性がわりとはっきりしており、その間でトムが揺れ動く。自力では資源を供給しきれずに小さい都市を食らって生き延びていくロンドンは帝国主義時代のそれを思わせる。今となっては過去の栄光(罪深くもあるが・・・)もいい所という感じだが。移動都市のおこぼれにあずかろうという怪しげな集団や、都市間を軽やかに行き来する飛空艇乗りたちなど、脇役に至るまで登場人物に活気がある。
 ロンドンはギルドによって運営されており、特に工学ギルドが力を持っている。史学ギルドは都市文明の礎となっているが、都市の強大化に力がそそがれるようになってからは蔑ろにされている。このあたり、実学が重視され本来の学問のあり方がおろそかになっている近年の日本(だけじゃないのかな?)とも重なって見えた。史学を捨てたロンドンはある方向に暴走し始める。とは言え、著者はどうも理系学問に対するヘイトが強いんじゃないかなと言う気がしなくもない(根っからの文学畑の人らしいので、自分のフィールドに対してあてこすりでもされた嫌な思い出があるんだろうか)。そんなに悪者扱いしなくてもなぁ。両方あってこその分明よ。

移動都市 (創元SF文庫)
フィリップ・リーヴ
東京創元社
2006-09-30


掠奪都市の黄金 (創元SF文庫)
フィリップ リーヴ
東京創元社
2007-12-12


『あひる』

今村夏子著
 私の家で、両親があひるを飼い始めた。あひるの「のりたま」がきてから近所の子供たちがよく遊びにくるようになり、両親は喜ぶ。段々子供たちの溜まり場のようになっていく我が家だが、のりたまが病気になり病院に連れて行かれる。帰ってきたのりたまは、以前よりも小さくなったように見えた。
 あひるをめぐるほのぼのとした日常かと思いきや、そこかしこに不穏さが顔を出す。あからさまではなく、ちらちらと奇妙さ、足元が崩れるような感じが現れる様に痺れた。あひるが入れ替わっても誰も気にしない。また、遊びに来る子供たちが入れ替わっても、両親は気にしない。そこにあひる/子供がいれば特に問題ない、入れ替え可能であり取り換えのきかない「個」の存在などそこにはないのだと言わんばかりだ。また、「私」がどうやら引きこもり気味のニートらしく、誰からも顧みられない存在らしいとわかってくる。そして両親も「私」も何かから目をそむけ続けているのではないか、家族はもはや家族として機能していないのではないかと思えてくるのだ。
 併録されている「おばあちゃん」「森の兄妹」は対になった作品。孔雀の現れ方、見え方が、それぞれの作品の立つ位置を現わしており、繋がり方が鮮やかだった。子供の目線を通した世界の不思議やそれに対する不安は、良質の児童文学を思わせる。

あひる (角川文庫)
今村 夏子
KADOKAWA
2019-01-24





星の子

今村夏子
朝日新聞出版
2017-06-07
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