3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』

 19世紀ロシア。貴族の娘サーシャ(上原あかり)は北極点を目指し行方不明になった冒険家の祖父を探すため、一人北へ向かう。監督はレミ・シャイエ。
 単純化されたフォルムによる画面構成が美しい。ちょっと切り絵のような味わいがある。近年の日本のアニメーションは、背景美術を精緻に、リアルにという方向性が強いが、それとは真逆の省略による洗練、デザイン性の高さが魅力。面と色のバランスが、特に北極圏に入ってからの氷原の描写が素晴らしかった。木版画の洗練にちょっと近いものがあるように思った。とても美しいと同時に、氷、寒さの恐ろしさも伝わってくる。
 サーシャは祖父の影響で、地図や航路の座標を読みこなし、各地の天候の知識もある。しかし「貴族の子女」である彼女に両親が求めるのは、良縁をつかんで一族の基盤を盤石にすることだ。彼女個人の能力や人格はさほど問題にされないし、そこは評価されるところではない。父親が「期待していたのに」というときの「期待」とは、そういうことなのだ。
 物語はサーシャの社交界デビューから始まる。これで大人の仲間入りということだが、一人前として扱われるというよりも、結婚相手の物色が始まる、「家」の道具として扱われるようになるということでもある。彼女の人生の方向性は決められてしまうのだ。サーシャの旅は、祖父を探し彼の名誉を回復するためであると同時に、サーシャ自身の人生をつかむ為のものであもる。旅の中で個としての力をつけ彼女は成長していく。酒場の女将(自立した女性としてサーシャを導くいいポジションだった)や船乗りたちに鍛えられてどんどんたくましくなっていく姿は頼もしくりりしいが、元の生活に戻った時、その力はどうなるのだろうとも思った。彼女の力を生かせる場はあるのだろうかと。元々所属していた世界に、もはや彼女の居場所はなくなってしまうのではないか。サーシャのような人は、あの時代どうすれば力を活かせたのだろうか。彼女の人生のその先が気になった。

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『ロケットマン』

イギリス郊外の町に生まれた少年レジナルド・ドワイトは、音楽の才能に恵まれ音楽院でピアノを学び始める。やがてロックに傾倒するようになりミュージシャンを目指すことを決意、「エルトン・ジョン」(タロン・エジャトン)という芸名で音楽活動を始める。そして生涯の友となる作詞家のバーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と出会い、成功への道をひた走っていく。監督はデクスター・フレッチャー。
世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンの生涯を映画化した作品で、本人も製作総指揮に参加している。とはいえ、史実や実際の時系列に忠実であることよりも、ミュージカルとしての楽しさやビジュアルのインパクト、収まりの良さを重視しているのかなという印象。エルトンのことを良く知らなくても(私も良く知らないし)面白かった。本作、エルトンがリハビリ施設で語りだすシーンから始まる。あくまで一人称の、彼にとっての、彼が見せたいストーリーなんだよというアピールだと思う。
子供時代のエルトンは、父親に褒められたくて色々と関心をひこうとする。しかし父親は彼に冷淡で家にもいつかない。母親は父親ほどではないし気まぐれに彼を可愛がるが、やはりあまり関心はなさそう。彼に保護者としての愛情を注ぐのは祖母のみだ。やがて青年になったエルトンはバーニーと運命的な出会いを果たす。2人は意気投合し強い絆で結ばれる。名曲『Your Song』が生まれるエピソードは、本作のクライマックスの一つだ。とても美しいのだが、2人の関係のピークがもうきてしまったかという切なさもある。エルトンとバーニーの間には愛がある。が、ゲイであるエルトンの愛と、ヘテロであるバーニーの愛は意味合いが違う。更にエルトンはマネージャーのジョン・リード(リチャード・マッデン)と恋におちるが、リードはビジネス第一だった。
 エルトンを愛する人たちはいるが、彼と同じような意味合いの愛、同じような熱量の愛は手に入らない。バーニーはエルトンの音楽の最大の理解者であり、彼都の友愛があったからこそ名曲の数々が生まれたわけだが、彼はエルトンの元に留まってはくれない。要所要所で立ち去るシーンが挿入される。エルトンは悲しんだり怒ったりするが、最終的にはそれを受け入れる。本作、音楽はとても楽しいのだが、この孤独の解消されなさ、愛を得られない様はなかなか辛い。孤独である自分を受け入れ、それでも生き延び音楽を続けるという話なのだ。題名にもなった『ロケットマン』の歌詞がこれまた辛い。実際のエルトンがパートナーを得て元気に生きている(エンドロール前に紹介される)からなんとなく安心するけど、そうでなかったらかなり救いのない話なのでは。
 エルトンと父親の関係に問題があるのは非常にわかりやすい(再婚相手との子供に対する態度の違いがこれまた辛い)。とはいえ、母親も大分問題がある。エルトンが自分はゲイだと告白した後の言葉には、そりゃあ心が折れるよなと。それを言っちゃあお終いよという言葉が世の中にはあるが、さらっと言ってしまうのだ。
 一方、バーニーは一貫してエルトンへの友愛を持ち続けるいい人として描かれているが、折々のしんどい局面で流れる、しかもそのシチュエーションにものすごくハマる曲の歌詞、これ全部バーニーがエルトンが歌うこと前提で書いた(当然エルトンの自分に対する思いもわかったうえで)わけだ。エルトンもそれを要求したわけで、お互いそこまで要求できるというのはなかなか怖い関係性だと思う。ずっと喧嘩はしなかったというけど、本当かな・・・。

『ROMA』

 1971年のメキシコ。医者のアントニオ氏一家の屋敷で家政婦として働くクレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)。ある日アントニオ氏は出張と称して家を出、妻ソフィア(マリーナ・デ・タビラ)と4人の子供を残したまま戻らないままだった。一方クレオは恋人に妊娠を告げるが、彼もまた姿を消す。監督はアルフォンス・キュアロン。 モノクロ映像が美しく、結構長回しが多い。相変わらず流暢な映像だが、映像よりも音の方が印象に残った。雨風の音や、鳥や動物の鳴き声や町の雑踏のざわめき、海の波の音等、環境音の入り方、広がり方にすごく気を使っているという印象だ。人の声の距離感も生々しい。  使用人としてつつましく生活しているクレオも、裕福な雇い主であるソフィアも、男性に捨てられる。クレオはソフィアや子供たちに忠実に仕えるし、子供たちはクレオにとても懐いている。ソフィアは妊娠したクレオを親身になってケアする。彼女らは家族のように見えるし、ソフィアはクレオを家族扱いしているつもりだろう。しかし、2人の女性の間には身分の差が依然としてある。クレオが病院に運び込まれた時、ソフィアの母は彼女のフルネームも生年月日も知らないことがわかる。彼女らにとって、クレオはそういう情報は必要のない存在であり、対等なものではないのだ。2つの世界が同じ空間で別個に展開されているような構造だ。子供たちはその2つの世界を自由に行き来しているようには見えるのだが。そしてクレオとソフィアそれぞれの世界の背景に、当時のメキシコの社会の変動が横たわる。絵巻物のようでいて、重層的な景色が展開されていく。  不吉な予感を感じさせるシーンが非常にわかりやすく、クレオの出産がどのような顛末になるのか、容易に想像できる。これ見よがしと言えばこれ見よがしなのだが、そのわかりやすさが神話のような味わいになっている。帰宅するたびに車をこすっちゃうという最早反復ギャグみたいなくだりも、分不相応なものを使っている(ので買い替えたらこすらない)という比喩みたいでわかりやすい。しかし駐車シーンのたびに他人事とは思えず、フェンダミラー!フェンダミラー気をつけて!とハラハラしてしまった。

『ローズの秘密の頁』

 精神科医のスティーブン・グリーン(エリック・バナ)は、取り壊しが決まった精神病院を訪れた。転院手続きの為、赤ん坊殺しを犯した精神障害犯罪者として40年間収容されているローズ・F・クリア(バネッサ・レッドグレーブ)の診断を依頼されたのだ。ローズは自分の名前はローズ・マクナリティで赤ん坊殺しはしていないと訴え続けてきた。グリーンは彼女が聖書に書き込んだ手記を読み、彼女の話に耳を傾けていく。監督はジム・シェリダン。
 若き日のローズ(ルーニー・マーラ)のロマンスは美しくも過酷なのだが、全般的にはロマンチックな味わいがあり、そこがちょっとユニーク。背景にあるのは当時(第二次世界大戦中)のアイルランドの社会、教会の価値観の偏狭さや自己欺瞞性で、かなり深刻な話なのだが、ローズのロマンスはロマンチックできらきらと輝いている。
 ダブリンから疎開してきたローズは、おそらく当時としては精神的に自立した都会的な女性で、人目を引く美人。男性に対して臆さない(男性の目を見て話し、初対面の人ともダンスする)というだけであばずれ扱いされるなんて!と見ていて大変気分が悪かったが、現代でもこういう見方をする人はいるよな・・・。「彼女が色目を使った」ことにされるというのも、現代でもしばしばあることなのでうんざりする。
 本作、ローズが愛するマイケル(ジャック・レイナー)以外の彼女の周囲の男性は概ねクズなのだが、英国派のマイケルを敵視するIRAはともかく、地元の神父であるゴーント(テオ・ジェームズ)の態度がひどい。勝手につきまとって振られたと思ったらその仕打か!何が聖職者だ!と突っ込みたくなるが、教会の権力って想像以上のものなんだなとうすら寒くもなった。ローズは気丈な性格で普通の男性はさっさと袖にしても、「神父」であるゴーントに対してははっきりとNoとは言えないのだ。教会の意思であれば、非人道的なこともまかり通ってしまう。スティーブン・フリアーズ監督『あなたを抱きしめる日まで』でもアイルランドの修道院の問題が取り上げられていたが、そこと重なる部分がある。ブラックボックス化した大きな組織ってろくなもんじゃないな・・・。

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『ローサは密告された』

 マニラのスラムで、小さな雑貨店を営むローサ(ジャクリン・ホセ)一家。ある日、ローサ夫婦は麻薬の密売容疑で逮捕されてしまう。ローサと夫は生活の為に、店で少量の麻薬を扱っていたのだ。警察から恐喝まがいの麻薬売人の密告要求と高額な保釈金の要求を突き付けられたローサと家族は、自分たちの生活を守る為に奔走する。監督はブリランテ・メンドーサ。第69回カンヌ国際映画祭主演女優賞受賞作。
 舞台はスラム、ローサは麻薬の売買もする個人商店主だが、それが特別なこととしては描かれていない。麻薬を売ることも、突然逮捕されることも、密告されることも、密告を強要されることもこの土地では普通のことなのだという、画面の中の「日常」感に圧倒された。ローサたちは、別に特別なことだと思っているわけではないんだよなと。裏社会とか闇社会とか俗にいうが、裏も表もない、これが今いる世界なんだという生々しさ。裏社会とかスラムの闇とか軽々しく言ったら、ローサたちにぶっとばされそうである。彼女たちは自分たちが運が悪かったとは思っているだろうけど、不幸だとはそれほど思っていないのではないか。ここはそういう世界だから、それに応じて生きるしかない。
 フィリピンの警察怖いし酷い!につきる話でもある。腐敗しきっており、麻薬も金も応酬して横流し(警部が札束を持って訪れる先が署長室というのがなんともはや)である。公的な保安機関が自分たちを守ってくれず、搾取する一方なので一般市民の無力感が半端ない。警察とギャングとやっていることが同じだし、権力の後ろ盾がある分警察の方が性質が悪い。不条理を解決できるのはお金だけという不条理さで、法治国家って何よ、という気分になってくる。こういう社会だと、「身を守る」ということへの意識のあり方のレベルが全然違ってくるんだろうな。
 ローサを含め登場人物たちが歩く背中が、度々映し出される。映画を観る側は背中についていく感じになるが、彼らが歩いていく先には目的は異なれどお金が絡んでいる。その金が、彼らの自由をわずかながら保証するのだ。ほぼ全編誰かしらがお金を追いかけていく話なので、見ていてなんだかげっそりしてしまった。お金のことばっかり見ていると、体も心も削られていく感じが(私個人は)するのだ。





『ロスト・イン・パリ』

 雪に覆われたカナダの小さな村に暮らす、図書館司書のフィオナ(フィオナ・ゴードン)には、彼女が子供頃にパリへと旅立った伯母マーサ(エマニュエル・リバ)がいた。ある日、マーサから老人ホームに入れられそうだから助けてくれという手紙が届く。フィオナは勇気を振り絞ってパリへ旅立つが、パリのアパートにマーサはいなかった。セーヌ川に落ちたフィオナは荷物もお金もパスポートも失くしてしまい大ピンチに。更に奇妙な男ドム(ドミニク・アベル)がフィオナに一目惚れして付きまとう。監督はベルギーの道化師夫婦であるドミニク・アベル&フィオナ・ゴードン。2人は製作、監督、脚本、主演を兼ねている。
 夏休みの香りが漂う楽しいファンタジー。これはファンタジーだし少々ナンセンスなのねと、序盤で納得させる。何しろ、フィオナが旅立つ時のカナダは吹雪なのに、彼女がパリに到着すると夏なのだ。いくらなんでもカナダはそこまで北ではない。しかしこういうデタラメがとてもチャーミング。自由の女神を見上げると星が文字通り動いているというのも、味わいがある。ちょっと笑っちゃうけどロマンティックな感じがするのだ。
 映画の楽しさはやはり動きの楽しさなんだなと実感する作品だった。人の体の動きが面白い、というのはプリミティブな面白さだと思うのだが、プリミティブ故に強い。冒頭、室内に雪が吹き込むシーンはコントかよ!と突っ込みたくなるようなベタな人体表現なのだが、やっぱり笑っちゃう。また、レストランでドムとフィオナが踊る、というかドムがフィオナを躍らせるシーンは、多分演じている2人とも相当踊れる(というか体を使える)人のはずなのに、ドムが踊れないフィオナをリードして動かしているように見える、更にそれが(写実的な描写というわけではなく)一つのショーになるように見える所にプロの技を見た。体の部分のちょっとした調整具合でそう見えるんだろうけど、面白いなぁと。また、マーサと旧友とが足だけでダンスするシーンも、とても可愛らしかった。本作、セリフの量はそんなに多くないし状況の説明もあまりされない。しかし、体の動きの表現は豊かで、寡黙な印象は受けない。フィオナの性格など、歩き方だけで伝わってくる気がする。
 生真面目で臆病だったフィオナが、めちゃくちゃな目に遭ううちに段々こなれて解放されていく様に、なんだかほっとする。伯母であるマーサはむしろ大胆で自由な生き方を選ぶ人で、その片鱗が作中のそこかしこに見られておかしい(マーサのある秘密をフィオナが知ってしまったシーンなど、なんだか気まずそうで)。マーサの自由さがフィオナにも染みこんでいくみたいだ。この解放されていく感じも夏休みぽかった。そして本作の素敵なところは、夏休みがまだ終わらないというところですね!

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『LOGAN ローガン』

 ミュータントの大半が姿を消した2029年。不死の力を失いつつあるウルヴァリンことローガン(ヒュー・ジャックマン)は、老いて自身の力を制御できなくなりつつある“プロフェッサーX”チャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュアート)を匿い、メキシコ国境付近で暮らしながら、リムジン運転手として働いていた。ある日ローガンは、ガブリエラという女性から少女ローラ(ダフネ・キーン)をノースダコタに送り届けてほしいと頼まれる。彼女はある組織に追われていた。監督はジェームズ・マンゴールド。
 ジャックマン演じるローガン=ウルヴァリンと言えばアメコミ原作の映画『Xメン』シリーズでお馴染み、最も人気のあるヒーローだろう。しかし本作はこれまでのXメンおよびウルヴァリンのシリーズ作品とはだいぶ色合いが異なる。これまでのシリーズとは別物でありつつ一応シリーズのキャラクターや設定は踏まえている(ローガンとチャールズの関係やチャールズの能力など、Xメンシリーズを見ておいた方がよくわかるだろう)という、間口が広いのか狭いのかよくわからない作品だ。作中でコミック本としての『Xメン』が登場し、ローガン自らコミックに描かれていることは嘘だ、作り話だと言うくだりがあるので、Xメンシリーズに対するメタフィクション的な側面もあるのか。
 ローガンにしろチャールズにしろ、明確に老いを感じさせる描写が多く、この点情け容赦ない。片足を悪くし、かつてのような治癒能力も衰えた(そして老眼鏡常備・・・)ローガンはともかく、チャールズがおそらくアルツハイマーが進み、時に脈絡のないことをしゃべり始めたりする様には、Xメンシリーズを見てきた人は愕然とするのでは。チャールズは元々、非常に知的で精神的に豊かな人という造形だったので、知性や情緒が損なわれた状態を見ているとやりきれない。とは言え、本作は辛気臭いわけではなく、殺伐とした中にも妙なユーモアが入り混じったりする。「ボケ老人」感を逆手にとったチャールズのリアクションや、車に八つ当たりするローガンの姿はどこかユーモラスだ。老人と子供を連れたロードムービーの味わいもある。
 これまでの、Xメンのヒーローとしてのウルヴァリンをある程度引き継ぎつつ全否定するような作品なので、ファンがどう受け止めているのか気になった。今までのヒーローとしての「戦い」は相手を殺すことにほかならず、人を殺したらもう元には戻れないと明言してしまう。この点を強調する為か、アメコミ映画としては異色なほど(アメコミ原作のものは大抵年齢制限がつかないように配慮されているので)血肉があからさまに飛ぶ。映画『シェーン』からの引用ではあるが、この言葉は戦い続けてきたローガンだけではなく、まだ子供であるローラもこの先背負っていくということでもある。しかしローガンはローラに対し、それでもなお生きろ、自分の人生を他人に蹂躙させるなと言い切る。こういうところが、すごくアメリカの映画という感じがするなぁと思った。自分の生は自分だけのものであり、何/誰の為に闘うかも自分が決めることだ。そういう意味では、ローガンは本作で、アメリカのヒーローとしての生を全うしたと言えるだろう。少なくともローラにとっては、ローガンはウルヴァリンであり最後までヒーローだった。
 

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』

  幼い頃に科学者だった父親ゲイレン(マッツ・ミケルセン)を兵器開発の為に帝国軍に拉致され、父親の盟友で反乱軍の異端児だったソウ・ゲレラ(フォレスト・ウィテカー)に保護されたものの、ソウにも置き去りにされたジン・アーゾ(フェリシティ・ジョーンズ)は、一人きりで生きてきた。彼女の背景を知った反乱軍はジンに接触。ジンは反乱軍のキャシアン・アンドー(ディエゴ・ルナ)と共に、巨大兵器デス・スターの設計図入手に挑む。監督はギャレス・エドワーズ。
 スター・ウォーズシリーズの「エピソード4新たなる希望」直前に位置づけられる物語。とは言え、ジンにしろアンドーにしろジュダイではないし、そもそも世の中でジュダイやフォースの存在自体が眉唾ものだと思われているらしい。また当初、ジンは生きていくのに精一杯で、帝国軍だろうが反乱軍だろうが知らん、という態度だし、反乱軍であるはずのアンドーの態度にも「仕事」感が強く嫌々な風にすら見える(ゲイレン殺害の指令を受けているからというのもあるけど)。強い使命感があるわけではなく、行動のモチベーションはさほど強くない。キャラクターとしてもそれほど「立って」おらず、本当に「その他大勢」感がある。そのせいもあってか、物語前半はかなりかったるく平坦な印象。正直な所、少々退屈だ。
  しかし後半、急速に気分が盛り上がっていく。ジンに強いモチベーションが生まれ、アンドーたちもそれに感化されていくのだ。大して共通項も使命感もなかった人たちが、帝国軍の好きにさせてたまるか!という意地で繋がり、なんとかミッションを遂行しようとする。彼らの闘いが、エピソード4の「希望」に繋がるのだ。ジュダイたちの物語は王道の英雄物語だが、本作はその背後にいた多数の名もなき人々の物語だ。彼らにもそれぞれの人生があり物語があった、彼らがいたから次の物語に続いたのだと感じさせるクライマックスには、やはりぐっとくる。色々と(主に脚本上の)難点も多い作品なのだが、クライマックスの盛り上がりで帳消しになるくらい。
 キャラクターとして魅力があったのは、おそらく本作見た人の多くは同じことを言うだろうが、チアルート・イムウェ(ドニー・イェン)と相棒のベイズ・マルバス(チアン・ウェン)。チアルートは座頭市をイメージしたような盲目の僧侶だが、何しろドニー・イェンが演じているのでやたらと強い。しかし彼はジュダイではなく、フォースは使えないし、体感したこともないだろう。それでもフォースの存在を信じ続けている。その姿勢が何だか泣けた。ベイズはフォースを信じていないが、チアルートを信じ、時に無茶な彼の行動を支え続ける。ぐんぐん先に行っちゃうチアルートも、ぶつぶつ言いながらフォローするベイズも可愛いのだ。

『ロブスター』

 独身者は強制的にとあるホテルに送り込まれ、45日以内にパートナーを見つけなければ動物に変えられ森に放たれるという社会。妻と別れたデビッド(コリン・ファレル)はかつて犬に変えられた兄同伴でホテルに送られたが、ある出来事に耐えられず森へ逃げ出す。そこでは独身者たちがゲリラ組織を結成しており、デビッドは彼らの保護を受ける。組織の1人である近視の女(レイチェル・ワイズ)と恋に落ちるが、独身者のゲリラでは、恋愛は禁止されていた。監督はヨルゴス・ランティモス。
 監督の前作『籠の中の乙女』は、独自のルールが敷かれている家庭という密室を描いた奇妙な作品だったが、本作もまた、特殊ルール下の奇妙な世界。独身者には社会的な価値がなく、カップル(異性同性は問わない)として社会を構成しなければならないというのは、個人的にはまあそこそこ死にたくなる世界である。かと言って、独身者ゲリラに入ったら入ったで、カップルであること、特定の個人と恋愛をすることは許されない。どちらの社会も生き方を規定されているという意味では同じなのだ。滑稽だが、そのルールの極端さはどうにも怖い。
 デビッドがホテルに送られる際に色々問診を受けるのだが、その際にセクシャリティも聞かれる。ヘテロセクシャルかホモセクシャルかの選択は出来るが、バイセクシャルという選択肢はない(数年前に廃止されたというセリフがある)。また、靴のサイズを聞かれるのだが、端数のサイズはない。中途半端、曖昧なものは排除していく、あれかこれか、という世界なのだ。カップルが成立するかどうかという基準も、何となく好感が持てるといったものではなく、客観的に明らかな共通項(近視だとか鼻血が出やすいだとか)がないと、カップルだということにならないらしい。一方、独身者ゲリラの中では、セックスはもちろん、2人でダンスをすることも禁止されている。とにかく極端なのだ。人間はそもそもあっちかこっちかで割り切ることが出来ない、曖昧な存在だと思うのだが、本作ではその人間独特の曖昧な部分が否定されている。こういう社会だったら、人間やめて動物になる方がまだしも気楽っていう人もいるだろう。
 奇妙で笑ってしまうシーンも多々あるのだが、笑った直後にぞわりと寒気がする。デビッドが最後に直面する事態も、それやるの?!どうなの?!と迫ってくる。でもそれをやってしまうと、結局逃げ出した社会における「こうであれ」というものにまた従うことになるのでは。

『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』

 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルと並ぶ世界三大オーケストラである、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(以下、RCO)。2013年、RCO創立125周年のワールドツアーを追ったドキュメンタリー・RCO初の公式記録映画でもある。監督はエディ・ホニグマン。
 ワールドツアーは1年間でヨーロッパ、北米、南米、アフリカ、アジア、オーストラリアの六大州を巡り、50公演を行うという大規模なもの(この他に通常の公演もある)。オーケストラだからそれなりの人数がおり、更に人数分の楽器が加わるという、大所帯での移動となる。楽団員たちは移動に慣れている様子ではあるが、心身ともにタフでないとこれはきつそうだなぁ。楽器に“パジャマ”(楽器ケースを覆う保冷パックのようなもの)を着せて温度と湿度をコントロールする等、作業のひとつひとつが物珍しくて面白かった。オーケストラが演奏しているシーンと、機内や空港、ホテルでのシーンが同じくらいの分量だった気がするが、移動することも仕事のうちなんだなと妙に納得した。これは、有名オーケストラのチケットが高い(日本では特になのかもしれないけど)のも納得せざるを得ない・・・。
 個々の楽団員が自分の楽器、演奏や好きな曲について語るシーンがある。この曲のここが好き!等という話題だと、皆一様にすごくいい顔をする。好きなものについて話すのってやっぱり楽しいよなぁ。打楽器、特にシンバル等、出番ではない時間帯は何をやっているんだろう、眠くなったりしないんだろうかという私の子供の頃からの疑問に回答が得られて満足。やっぱり意識飛んだりするんだな。
 また、楽団員ではない、鑑賞者側の一般人へのインタビューもある。アルゼンチンのタクシー運転手、アフリカの少女や、音楽教師。ロシアの老人など。彼らの佇まいや、音楽との向き合い方もいい。生活の一部として音楽がそこにあるという感じがすごくするのだ。彼らからは音楽だけでなく、仕事やこれまでどういう生活をしてきたか等の話も出てくるのだが、その人の人生の一部が垣間見える。特にロシアの老人の、楽ではなかった人生前半(当時のロシアでは同じような体験をした人は少なくなかったのかもしれないが)の話は、一見そんな雰囲気を漂わせない人物だけに、染みる。

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