3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ロスト・フライト』

 機長のブロディ・トランスが操縦する航空機のブレイザー119便は、悪天候のなか、落雷でコントロールを失ってしまうが、何とかフィリピンのホロ島に不時着する。乗務員と乗客ら17名は一命をとりとめたが、不時着した場所は反政府ゲリラが支配する無法地帯。フィリピン政府からの救援は望めずゲリラたちが迫りくる中、トランス機長は乗客を守るべく立ち向かう。監督はジャン=フランソワ・リシェ。
 いい塩梅の娯楽映画として大正解の程よい面白さと長さ!奇をてらうことなく、作中の言葉ではないが、一つ一つ着実にタスクをこなしていく感じの脚本。脚本家のチャールズ・カミングはスパイ小説家でもあり、私は未読なのだが著作は結構評判いいそうだ。多少大雑把な所はあるが骨組みがしっかりしていて余計なことをやらないのがいい。冒頭の搭乗シーンでどういう人たちが乗っているのか、機長や副機長、キャビンアテンダントたちはどういう人なのかを手際よく見せていくあたり、また航空機を飛ばすのはチームプレイなんだとわかる離陸までの手順の見せ方も手さばきが良く(その機能性が味気なくていやだと言う人はいるかもしれない)で、これは段取りのいい脚本だな!と安心した。ストーリー展開も、何しろいきなりクライマックスに突入し次のクライマックスがすぐにやってくるという具合でスピーディー。ピンチに次ぐピンチでも主演がジェラルド・バトラーだと何となく大丈夫そうな気がしてくるが、それでも結構ハラハラドキドキさせる。安心感とドキドキのバランスがちょうどいい。
 トランスがたまたま乗客として搭乗していた移送中の犯罪者ガスパール(マイク・コルター)と手を組んでゲリラに立ち向かう、即席バディ展開はお約束的だがそれ故に盛り上がる。何より、トランスを筆頭に航空会社のスタッフが皆プロ意識が高い!金で動く洋平たちも仕事である以上命を張って働く。現場のプロへの信頼感が感じられる。また、航空会社の本社側もちゃんと危機対応をしているよ!という動きを見せるのもいい。やはりチームプレイなのだ。

アサルト13 要塞警察(字幕版)
ブライアン・デネヒー
2016-10-01


ハンターキラー 潜航せよ(字幕版)
ミカエル・ニクヴィスト
2019-08-21


 

『ロストキング 500年越しの運命』

 フィリッパ・ラングレー(サリー・ホーキンズ)は職場で上司から、持病を理由に不本意な人事評価を受けて落ち込む。別居中の夫・ジョン(スティーブ・クーガン)は彼女の悩みに無関心だ。そんな折、息子の付き添いでシェイクスピアの「リチャード三世」を鑑賞したフィリッパは、リチャード3世が悪人として描かれてきたのは実は不当なのではと思い当たり、彼に深く共感すると共に歴史研究にのめり込んでいく。専門家・アマチュア問わずリチャード3世の汚名挽回を試みる研究者たちにコンタクトするうち、1485年に死亡したリチャード3世の遺骨は近くの川に投げ込まれたと長らく考えられてきたが、実際ににはどこかに埋葬されたのではないかとフィリッパは仮説を立て、何とか遺骨を発掘しようとする。監督はスティーブン・フリアーズ。
 フィリッパの探索は直観に頼る所が大きく、リチャード3世の幻影が彼女を導くという少々ファンタジックな演出なのだが、発掘エピソード自体は実話だというから驚いた。もちろんフィリッパは過去の様々な研究を読み込んだうえでここに遺骨が埋まっていると当たりをつけるのだが、ドラマティックすぎる。何かに突き動かされるように走り出してしまうということは誰しもあるだろうが、フィリッパの一歩間違うと狂気じみている一直線ぶりには圧倒される。
 彼女がリチャード3世に深く共感するのは、彼が特に身体の障害により性格の悪さをキャラ付けされてしまっているという面があるからだろう。「~だからこの人はこうだろう」という決めつけがあるのだ。フィリッパは持病がありストレスに弱かったり疲れやすかったりする。とは言えある程度コントロールできるし仕事もこなせる。それを「体調が大変だろうから重要なポストからは外しておいた」と言われると、そこに悪意がなくても不本意だし不当に扱われたと感じる。「病気の人」というキャラ付けだけになってしまうのだ。更に、リチャード3世について調査を進める中でも、彼女はアマチュアだからと軽く扱われる。そして、「中年の女性」であるということで更にナメられるのだ。もしアマチュア研究家でも男性だったらこうはあしらわれないだろうというシーンや、「説得に感情を出さないで」と女性職員にアドバイスされるシーン等、残念ながら女性にとっては非常によくあるシチュエーションだろう。フィリッパが大発見をした後の展開もリチャード3世と似通った扱いで苦い。ただ、実際の後日談も紹介されるのでそこはほっとしたのだが。
 フィリッパの諦めなさ、自身の知性と直感への誠実さはやはり心を打つものだ。フィリッパに呆れていたジョンが段々協力的になってくるのは、元々彼女の聡明さをかっていた(君はお願いする体で銃を突き付けてくるとぼやくが)からだろう。ただ、そこが別れた一因でもあるんだろうなとも思ったが。ああいう知性を怖いと思う男性も多いんだろうなと。

あなたを抱きしめる日まで [DVD]
スティーヴ・クーガン
Happinet(SB)(D)
2014-10-02


リチャード三世(新潮文庫)
ウィリアム・シェイクスピア
新潮社
2016-01-29


『658㎞、陽子の旅』

 42歳の独身女性・陽子(菊地凛子)は、フリーターをしつつ引きこもりがちな生活をしていた。ある日、従兄の茂(竹原ピストル)が突然訪ねてきた。陽子の父が急死し、これから実家の青森へ向かうというのだ。茂とその家族とともに、東京から青森県弘前市まで車で向かう陽子だが、途中のサービスエリアでのトラブルにより、陽子は置き去りにされてしまう。所持金も携帯電話もなく途方に暮れる陽子だが、とうとうヒッチハイクで故郷を目指すことにする。監督は熊切和嘉。
 都内から青森まで車で行くのは体力的にかなりきついし時間がかかると思うのだが、長距離運転慣れしている人にとってはそうでもないのだろうか。車で移動するロードムービーはいつも距離感と体力度合いの兼ね合いが気になってしまう。それはさておき、陽子をいかに1人だけ、連絡取れない状態にするかという設定が強引なようでいてそうでもないかなという微妙なところ。
 陽子を同乗させてくれる人たちは様々だが、ヒッチハイク、ことに女性1人でヒッチハイクする行為の危うさもやはり描かれる。その危うさは陽子が軽率とかいうことではなく、彼女を食い物にしようとする人が全面的に悪いのだが、こういう、選択肢がないからやむなくのことを自己判断・自己責任扱いにする人っているよなーとしみじみ嫌な気持ちになった。ライターの男は自分は自分のことを話したんだから陽子にも話せというが、それは取引するような事柄ではないしそもそも本気で聞く気がない人には話せないだろう。同乗させてくれる人たちは、最初のうちは自分のことをひたすらしゃべる人が続く。しかし目的地に近づくにつれ、陽子との間に会話が成立するようになる。最後は運転手はほとんどしゃべらず、陽子が自分のことを一気に話す。陽子に話す準備ができたということでもあり、その時の運転手には聞く姿勢が出来ていたということでは。
 陽子は「私みたいなものが」と卑下するのはひっかかった。彼女は家族の反対を押し切って状況したものの夢かなわず何者にもならなかったことを悔いており、もうやり直しがきかない年齢だと考えている。しかし20年も実家に頼らず何とかかんとか生きてきたんだから、むしろ大したものだろう。何者かになる必要はないし42歳でいわゆる社会的な「実績」がないから何も持っていないというわけでもないし、人生が失敗したというわけでもない。そこへのフォローは何か欲しかった。

海炭市叙景
小林薫
2019-02-13


寝ても覚めても
田中美佐子
2019-03-06


『ロスト・ドーター』

 Netflixで鑑賞。ギリシアの海辺にバカンスにやってきたレイダ(オリビア・コールマン)は、ビーチで見かけた若い母親ニーナと幼い娘を目で追い続ける。レイダは若いころの自分と娘たちのことを思い返す。原作はエラナ・フェッランテの小説。監督・脚本はマギー・ギレンホール。
 俳優のマギー・ギレンホールの長編初監督作だそうだが、生真面目な作り。人形の扱いは少々やりすぎではないかと思ったが、レイダがなぜ若い母娘のことを過剰なくらいに気にしており、彼女の過去はどういうものなのか、彼女と娘の間に何があったのか、少しずつ見えてくる。1人の女性の重層的な姿を見せると共に、ミステリ的な面白さもあるのだ。
 若いころのレイダは娘たちを愛しているが、「母親」としての自分以外に、研究者としての自分、妻としての自分、恋人としての自分、そして自分1人だけの自分がある。彼女に限ったことではなく、すべての女性(男性にも)に言えることだろう。しかし、特に女性の場合は「母親」としての役割や「妻」としての役割から逸脱すると強く非難されがちであり、更に家事や育児などは男性よりも強く要求される。作中でも、夫の子守担当日なのに夫は仕事の電話から離れず、やむなくレイダが子供の元へ、というくだりがあった。彼女も夫と同じく研究職で自分のキャリアに集中したいのに。
 レイダに対して無責任な母親だとかひどい妻だとか思う観客もいるだろう。ただ、レイダはこのような生き方でないと生きられない人だし、それは非難されるようなことではないと思う。正直なだけなのだ。多面的な生き方が非難されることの方がおかしい。レイダ自身も自分の中の相容れない複数の役割に苦しんでおり、それが彼女を若い母娘に執着させることになる。あれかこれか、ではなくどちらも彼女だ。かなり堅苦しい描き方なのだが、本作のようにどの役割にもはまりきらない女性が普通に生きている姿が、映画内でもっと描かれるといいのだが。原作者のフェッランテは、代表作『ナポリの物語』シリーズでも本作のような女性の生の一様でなさ、ある役割のみを求められがちな苦しさを描きづつけていた。

リラとわたし ナポリの物語1 (早川書房)
エレナ フェッランテ
早川書房
2017-07-15


マリッジ・ストーリー
ランディ・ニューマン
Rambling RECORDS
2020-02-26




『ローズメイカー 奇跡のバラ』

 父親から受け継いだ農園を運営しているエヴ(カトリーヌ・フロ)は、数々の新種のバラを開発、コンテストで受賞を重ねてきた。しかし近年は大企業に賞も顧客も奪われ、バラ園は倒産寸前だった。助手のヴェラ(オリビアー・コート)は安い労働力として職業訓練所から来たフレッド(メラン・オメルタ)、サミール(ファッシャー・ブヤメッド)、ナデージュ(マリー・プショー)を雇う。しかし3人はド素人でトラブルが絶えない。エヴは新種開発で一発逆転を狙うが。監督・脚本はピエール・ピノー。
 バラの栽培、品種改良ってこういう風にやっているのかという面白さ、登場する様々なバラの美しさも楽しいが、何よりカトリーヌ・フロの貫禄と軽やかさ(って両立するんだなとも)が魅力。フロは様々な女性を演じてきたが、近年演じている役柄は、「女性ならではの」的な、母性とか美しさセクシーさとかきめ細やかさとか、旧来の社会通念の中で女性の特質とされていた要素があまり加味されていない、シンプルに生物学上の女性である、という傾向が強いように思う(女性だから云々と言ってくるのは周囲や世間だ)。そういう女性の描き方をする映画が徐々に増えてきたというよりも、フロ本人がそういう作品を積極的に選んでいるのではないかと思う。
 本作の主人公であるエヴも同様だ。父親の跡を継いで夫も子供も持たないまま農園を運営しているが、そこについて何かしら特別な言及があるわけではないし、女だてらみたいな表現も特にされない。フレッドを気にかけるが、母性というよりも性別関係なく、年少者に対する大人としての姿勢であるように思えた。
 とは言え、エヴは決して出来た人間、良識的な大人というわけではない。開発者としての才能はあるが経営者としてはいまいちみたいだし、相当エゴイストで周囲にも無茶ぶりをしてくる。献身的なヴェラに対する態度は結構ひどい。基本的に自分と自分の仕事中心の人だ。しかしだからこそ、それ以外の要素については他人のあれこれ、他人の自分本位さにあまり頓着しないし、フェアだとも言える。見た目やセクシャリティについて偏見の強い発言に対しぴしゃりとやりこめる一幕は、現代の映画として必要であると同時に、エヴの人柄が現れたシーンでもある。
 フレッドの嗅覚の繊細さに気付いたエヴが、才能があるからテストしてみようと言うが、フレッドは強く反発する。今までなにかにつけて試されダメ出しされてきたんだろうなということが垣間見えて切ない。また、五感の繊細さは「男らしくない」というマチズモ的な価値観があるのかな?と思った。鈍いことが強いことに見えるという文化、何なんだろうな。フレッドがそういった価値観や親への執着から自由になっていく様がストーリーのもう一つの軸になっていたと思う。

大統領の料理人 [DVD]
アルチュール・デュポン
ギャガ
2019-12-03


『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』

 黒猫の妖精・小黒(シャオヘイ)(花澤香菜)は、人間が森を伐採した為に住み家を追われ、あちこちを放浪していた。妖精の風息(フーシー)(櫻井孝宏)に出会い自分の居場所を得たと安堵するものの、、人間の「執行人」無限(ムゲン)(宮野真守)が現れる。中国で2011年から配信されていた『羅小黒戦記』の劇場版として2019年に制作された。監督・脚本はMTJJ。
 当初、口コミで評判が広がったが上映規が小さく、残念ながら字幕版を見ることはできなかった。今回、日本語吹き替え版としてそこそこの規模で上映されたのでようやく見ることができたのだが、これは吹替え大勝利なのでは。豪華かつ手堅いキャスティングですごく楽しかった。花澤さん、立派になって…。
 中国のアニメーションというと、少し前まではデザインや演出が若干野暮ったいというイメージがあったのだが、本作は相当洗練されている。猫型シャオヘイのデザインがちょっと苦手で(目がものすごく大きい)見るのをためらっていたところもあったのだが、動くと正に猫!という柔らかさしなやかさで大変可愛らしい。またフーシーやムゲン、他の妖精たちのデザインもやりすぎず足らなすぎずの匙加減で、魅力がある。デザインは全般的にすっきり目で、動画のカロリーの高さとバランスをとっているように思った。デザイン上、性的な要素が少なめなのも(中国での上映上の条件や対象年齢などの関係もあるだろうが)見やすかった。
 評判通りアクション作画が凄まじい。動体視力が試される速さと強さ(作画が強い、というと変な言い方だが揺らぎ・ブレみたいなものが少なくムラがないように思う)。しかしキャラクターの演技やアニメーションとしての演出自体は日本のアニメーションで見慣れたものだ。日本の観客にとっては違和感なくとっつきやすいが、ここまでクオリティ高く同じ路線で作られると、日本のアニメーション関係者は戦々恐々だろう。差別化している要素がなくなりつつある、かつあっちには圧倒的に資本がありそうだから…。
 本作、作画の良さが評判になったが、何よりストーリーがオーソドックスに面白い、奇をてらわないことをちゃんとやっている、という点が良かった。新しいことは特にやっていないのだが瑞々しい。こういう、お約束事や独自の文法を踏まえていなくても見られるという部分が日本のアニメーションは弱くなっているのではないか。また、ファンタジックではない部分、人間の町やそこに住む人たちの様子がこまやかに書き込まれている、その「場」の魅力を作っているところも魅力だった。


AKIRA
神藤一弘
2020-05-01




『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』

 父親が死んだという知らせを聞き、ずっと疎遠だった故郷の凱里に戻ったルオ・ホンウ(ホアン・ジュエ)。故郷の町で幼馴染だった白猫の死を思す。また、忘れられない1人の女性、ワン・チーウェン(タン・ウェイ)のことを思い起こす。彼女は地元のヤクザの情婦だった。監督はビー・ガン。
 作品の中盤で2Dから3Dに切り替わる。ルオが映画館で3D眼鏡をかけると同時に観客も眼鏡をかけて、彼の体験を追体験する気分になる。残念ながら新型コロナウイルスの影響で3D上映が縮小してしまっているが、ぜひ3Dで見ることをお勧めしたい。見え方が変わることが、映画の構造が明示されるのだ。時に夢=映画の方がありありと感じられるものではないか。
 ルオがワンについて聞く噂から、彼女と過ごした時間を回想する。しかし回想の中身は、彼女について聞いた断片的な情報をもとに組み立てられたストーリーであるようにも見える。ルオの想像でしかないのではないかと。更に言うなら彼女は実在しない女、ルオの頭の中にだけ存在する「幻の女」なのではと。幻の女を追い続けても当然、彼女に手が届くはずはない。ルオは幻想と記憶、現実との間をフラフラと行ったり来たりしているような、半分眠っているような構造だ。
 ルオが追いかける女性はもう1人いる。彼の母親だ。彼の母親は若いころに家を出て行方が知れない。ルオが母親について覚えていることはわずかだ。そのわずかな記憶は登場する女性たちに少しずつ投影されているように思う。ワンにも白猫の母親にも、もちろん終盤に登場する女性にも。記憶の中の女性の影を追い続けるロードムービーだった。夢の中を旅するような映像はとても美しい。緑と赤という補色同士の組み合わせが鮮やかで、ネオンカラーのような艶っぽさがあった。

花様年華 (字幕版)
マギー・チャン
2013-11-26


青いドレスの女 [DVD]
ドン・チードル
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2010-02-24


『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』

 ニューヨークで活動している写真家のロニート(レイチェル・ワイズ)は、父親の死の知らせを受けイギリスに帰郷する。彼女が育ったのは厳格なユダヤ・コミュニティで、彼女の父親はそこのラビだったのだ。ロニートは幼馴染のドヴィッドと結婚したエスティ(レイチェル・マクアダムス)と再会する。かつてロニートとエスティは愛し合っていたが、コミュニティの掟はそれを許さず引き裂かれたのだ。監督はセバスティアン・レリオ。
 ロニートが写真家という設定に、先日回顧展を見たソール・ライターのことを思い出した。ライターもユダヤコミュニティの出身で、父親は著名なタルムード学者。ライターは神学校を中退して写真家を目指すが、偶像崇拝を禁じるユダヤ教文化の中では写真はタブー視されており、家族とは絶縁状態に。唯一の理解者だった妹は精神を病み生涯を病院で終えたそうだ。強固なコミュニティはそこに疑問を持たず馴染める人によっては安心できる拠り所になるのだろうが、内部のルールに馴染めない、逸脱した人にとっては強い抑圧、足かせになってしまう。
 ロニートは写真を手段としてコミュニティから離れ別の世界を得るが、エスティの世界はコミュニティの中にこそある。教師という仕事にはやりがいを感じ、夫との生活も不幸なわけではない。ただ、本来の自分を隠し続けなくてはならないのだ。更に苦しいのは、エスティはもちろんロニートも信仰を失ったわけではなく、文化的な背景もルーツもユダヤ文化と共にある。そのコミュニティの中で生活することができなくても、そこで染みついたものが消えるわけではないのだ。信仰はあるのにその教義が自分の生来の姿を許さないというのは、自分の存在を自分の拠り所に否定されるわけで、相当苦しいのではないかと思う。
 その葛藤を越えて彼女らはある決断に至るが、選んだ道がどうであれ、自分で選んだ、選択肢があったということが重要なのだろう。かつての2人はそれがなかった。コミュニティ自体にも変化の兆しがあったのかもしれない。ロニートの父が話しきれなかった説法では「選択」という言葉が繰り返された。そしてドヴィッドがそれを受け継ぐ。そこにほのかな希望が見えるように思った。

ナチュラルウーマン [DVD]
ダニエラ・ヴェガ
アルバトロス
2018-08-03


グロリアの青春 [DVD]
パウリーナ・ガルシア
オデッサ・エンタテインメント
2014-09-03


『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』

 アメリカ国務長官シャーロット・フィールド(シャリーズ・セロン)は大統領選に出馬することを決意。スピーチの原稿をジャーナリストのフレッド(セス・ローゲン)に依頼するが、共に行動するうちに2人は恋に落ちる。しかし立場が違いすぎる2人の関係は前途多難だった。監督はジョナサン・レビン。
 男女逆転シンデレララブコメみたいな言われ方の作品だが、そこにはそれほど新鮮味は感じない。これは時代が変わりつつある(女性の方が社会的な地位が高いカップルも珍しくなりつつある)ということなんだろうし、アイディアとしてそんなに斬新というわけではないということでもあるだろう(笑)。ある事件の時にシャーロットが、世間が見るのは問題を起こした当事者の男性ではなくそのパートナーの女性だ、とぼやくところは昔から変わらずトホホ感あるが。
 新鮮だったのはむしろ、フレッドがシャーロットとの境遇の差や、自分が失職中であることをさほど卑下しないという所。フレッドが自分はシャーロットにふさわしくないのではと思うのは、それとは別の所、自分のふるまいに問題があったという所だ。シャーロットの方もフレッドを職業や所得によって見下すことはない。お互いの考え方と振る舞いを見てお互いを評価(という言い方はあんまり感じよくないけど…)する。対等なのだ。フレッドがシャーロットに協力し彼女を励ますのも、まず彼女の目指す政策に正しさを感じ、共感したからだ。冷静に考えると基本的なことなのだが、2人がスピーチ製作にしろセックスにしろ、自分はどうしたいのか、どう思っているのかちゃんと確認し落としどころを見つけて実行しているということに何だかほっとする。
 明るく希望に満ちたラブコメではあるのだが、今のアメリカは本作でシャーロットとフレッドが目指すのとは真逆の方向に進んでいる。その中で本作を見ると、そんなこと言われてもなぁ…と若干冷めてしまうのも正直なところだ。こういう状況だから本作のような「こういう方向がいいんだよ!」と言い切る作品が必要なのだとも言えるだろうが。


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2019-12-04


『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』

 19世紀ロシア。貴族の娘サーシャ(上原あかり)は北極点を目指し行方不明になった冒険家の祖父を探すため、一人北へ向かう。監督はレミ・シャイエ。
 単純化されたフォルムによる画面構成が美しい。ちょっと切り絵のような味わいがある。近年の日本のアニメーションは、背景美術を精緻に、リアルにという方向性が強いが、それとは真逆の省略による洗練、デザイン性の高さが魅力。面と色のバランスが、特に北極圏に入ってからの氷原の描写が素晴らしかった。木版画の洗練にちょっと近いものがあるように思った。とても美しいと同時に、氷、寒さの恐ろしさも伝わってくる。
 サーシャは祖父の影響で、地図や航路の座標を読みこなし、各地の天候の知識もある。しかし「貴族の子女」である彼女に両親が求めるのは、良縁をつかんで一族の基盤を盤石にすることだ。彼女個人の能力や人格はさほど問題にされないし、そこは評価されるところではない。父親が「期待していたのに」というときの「期待」とは、そういうことなのだ。
 物語はサーシャの社交界デビューから始まる。これで大人の仲間入りということだが、一人前として扱われるというよりも、結婚相手の物色が始まる、「家」の道具として扱われるようになるということでもある。彼女の人生の方向性は決められてしまうのだ。サーシャの旅は、祖父を探し彼の名誉を回復するためであると同時に、サーシャ自身の人生をつかむ為のものであもる。旅の中で個としての力をつけ彼女は成長していく。酒場の女将(自立した女性としてサーシャを導くいいポジションだった)や船乗りたちに鍛えられてどんどんたくましくなっていく姿は頼もしくりりしいが、元の生活に戻った時、その力はどうなるのだろうとも思った。彼女の力を生かせる場はあるのだろうかと。元々所属していた世界に、もはや彼女の居場所はなくなってしまうのではないか。サーシャのような人は、あの時代どうすれば力を活かせたのだろうか。彼女の人生のその先が気になった。

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