3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『レディ・バード』

 カリフォルニア州サクラメントに暮らすクリスティン・マクファーソン、自称レディ・バード(シアーシャ・ローナン)は、カソリック系高校に通う17歳。母マリオン(ローリー・メトカーフ)は地元の公立大学に進学しろと言うが、都会に出たくてたまらず、内緒でニューヨークの大学の奨学生に応募している。高校生活最後の1年、友人やボーイフレンドとひと悶着あったり、家族とぶつかったり、将来について悩んでいく。監督はグレタ・ガーウィグ。
 女優として活躍しているガーウィグの初の単独長編監督作だそうだが、監督としてもいい!自意識過剰で「イタい」高校生の姿には自身の体験も投影されているというが、そのイタさを卑下するような所、自虐感がないところがよかった。レディ・バートに対しても、彼女の友人や家族、ボーイフレンドらに対しても、ほどよく距離感があり誰かを悪者にしようとはしない。
 レディ・バードと親友のやりとりがどれも心に残る。プロムが出てくるアメリカの映画はいくつも見たけど、本作のプロムが一番じーんときた。こういう友人て得難いよなとしみじみ思う。もしかしたら、彼女らはこの後疎遠になるのかもしれないけれど、そうだとしてもいいのだ。この時、この人がいてくれたということがすごく大事なのだ。一方、レディ・バードがイケてる自分を演出したいが為に接近するクラスのイケている女子についても、彼女がいじわるだとか浅はかだという描き方はしていない。ただ、今の現実生活が経済的にも精神的にも充実していていて自己評価の高い人は、地元を出たいとはあんまり思わないんだろうなぁという妙な説得力があった。彼女にとってレディ・バードは「その他」であり個人としては認識されてなかったという所もリアル。
 レディ・バードの高校最後の1年をハイスピードで描く青春物語であると同時に、彼女と家族の物語としても際立っている。特に母娘の関係が、こういう描き方はありそうでいてあまりなかった(あり方がユニークというより、こういう部分をわざわざクローズアップしようという人がいなかったと言う意味で)気がする。仲が悪いとかお互いに全く理解不能というわけではない。マリオンはすごく強い人で、レディ・バードに対しては少々過干渉なようにも見える。レディ・バードの方も大分我が強いのでいちいちカチンとくるのだ。マリオンは正しい人だが、正論でこられると(特に家の台所事情が絡むと)子供としては辛いものがある。レディ・バードくらい我の強い子じゃないと、マリオンのような母親と個人として張り合えないだろうから、悪い組み合わせではないのだろうが。レディ・バードが落ち込んでいる時にマリオンが慰めるやり方等、器用ではないが娘のことを本当に愛しているというのはわかるのだ。
 レディ・バードはミッションスクールの校風や決まり事(プロムのダンスホールをシスターたちが見張っているのにはちょっと驚いた)は決して好きではない様子だし、敬虔なクリスチャンというわけではもちろんないだろう。しかしこの学校の先生たちは実はすごくちゃんとしている。演劇の先生にしろ、校長であるシスターにしろ、生徒のことを良く見ていて、いい部分を引き出そうとしていることがわかる。シスターがレディ・バードの文章に対して「それは(地元を)愛しているってことじゃないかしら」と指摘するが、確かに自覚はなくても、愛憎混じったものであっても、そうなんだろうなと思える。都会に出て早々に大失敗した彼女は、ある場所に立ち寄る。うざったく感じていても、もう自分の一部なのだ。

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『レディ・プレイヤー1』

 貧富の格差が拡大した2045年。人々はVR世界「OASIS(オアシス)」の中で理想の人生を楽しもうとしていた。オアシスの開発者ジェームズ・ハリデー(マーク・リアランス)は死去の際、オアシス内に3つの謎を隠した、解明した者に莫大な資産とオアシス運営権を譲渡するとメッセージを残した。17歳の少年ウェイド(タイ・シェリダン)も謎解きに参加し一つ目の謎を解くことに成功、一躍オアシス内の有名人になる。しかしハリデーの遺産を狙う巨大企業IOIが彼に近づいていた。原作はアーネスト・クラインの小説『ゲームウォーズ』、監督はスティーブン・スピルバーグ。
 2045年という未来設定なのに、なぜか80年代サブカルチャーのてんこ盛りで色々突っ込みたくなる。予告編からしてヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」大フィーチャー(本編でも使用されている)だし世界設定といい、デザインといい、2010年代に想像した未来ではなく、1980年代に想像した未来という感じで、これを90年代以降に生まれた世代はどう見るんだろうと不思議だった。とは言え、あの作品のあのキャラクター、あの小道具等が次々と登場するのは楽しい。日本からの出演も相当数あり、これはぐっと来てしまうであろうというショット多々。ラスボス的存在登場前、客席に「もしやこれは・・・!」的緊張感が走り、登場すると「やっぱりねー!」と場内温度が高くなった気がした。メインテーマまで使っているなんて・・・。
 ストーリーやVR世界の設定には特に目新しさはなく、ビジュアルの賑やかさ、情報量のみで楽しめてしまう。ただ、VRの世界に耽溺せず現実に帰れというのではなく、VR、つまりフィクションが豊かである為には現実世界の豊かさが必要であり、現実が豊かである為にはVR・フィクションも豊かでなくてはならない、双方が呼応し合っているのだというテーマは、フィクションとエンターテイメントの世界で一時代を築いた(まだ築き続けているとも言える)スピルバーグらしい。VRに対しても現実に対してもポジティブだ。

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2014-05-17


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『レッド・スパロー』

 ボリショイバレエのダンサーだったが事故でダンサーとしての道を絶たれたドミニカ・エゴロワ(ジェニファー・ローレンス)は、ロシア政府の諜報機関に加わり、セクシャルな誘惑や心理操作を駆使するスパイ「スパロー」になる訓練を受ける。彼女はやがて才覚を認められ、CIA捜査官ネイト・ナッシュ(ジョエル・エドガートン)に近づき彼がロシア内に持っている情報源を特定するという任務を命じられる。監督はフランシス・ローレンス。
 ドミニカもナッシュも、意外と手の内をお互いに見せていくのだが、どこが工作でどこが本気なのか、二転三転していく。スパイ映画というよりも、政治的な、また個人同士のパワーバランスの転がり様を見ていくような作品だった。本作、面白いことは面白いのだが今一つ気分が乗り切らなかったのは、パワーバランス、力を巡る話だったからかもしれない。ドミニカは母親を人質に取られるような形で、スパイになる以外の選択肢を奪われる。叔父は彼女に対して支配力があると言える。スパイ養成所で叩き込まれるのは、相手をコントロールする方法で、それも相手に対する力の行使のやり方だ。ドミニカが「実演」するように、相手の欲望を見抜くことが弱点を掴むことにもなる。そしてもちろん、ドミニカにしろナッシュにしろ、組織、国家という力に支配されており、そこから逃げのびることは難しい。ナッシュは(ロシアと違い)アメリカは人を使い捨てにしないというが、それは嘘だよなぁ・・・。相手を支配することによる力の奪い合いって、見ているうちにだんだん辛くなってきてしまい楽しめない。コンゲームにおける裏のかきあいとは、私の中ではちょっとニュアンスが違うんだろうな。
 しかしその一方で、ドミニカがいかに自分を保っていくかというドラマでもある。この部分は序盤から徹底しており、少々意外なくらいだった。彼女は様々な名前、姿、身分を使い分けるが、常に自分であり続け行動の意図がブレない。彼女のありかは国でも組織でも特定の個人でもなく、自分だけなのだ。ある意味スパイ映画の対極にある映画な気もしてきた。ジェニファー・ローレンスのキャラクター性が強すぎて、そっちに役柄が引っ張られているような気もしたが。

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『レゴバットマン ザ・ムービー』

 レゴの世界でもヒーローとして活躍しているバットマンことブルース・ウェイン(ウィル・アーネッ/山寺宏一ト)。孤独なヒーローとして人を寄せ付けない彼の元に、彼に憧れるロビンことディック・グレイソン(マイケル・セラ/小島よしお)が養子になろうと押しかけてくる。更に自称宿敵のジョーカー(ザック・ガリフィアナキス/子安武人)が異次元に閉じ込められていた悪者たちを脱走させ、ゴッサムシティを大混乱に陥れる。監督はクリス・マッケイ。
 前作『レゴ・ザ・ムービー』はレゴという玩具の性質をフルに活かしたレゴのメタ映画とでも言える作品だったが、本作はレゴ要素は薄れている(クライマックスでレゴならではの「修繕」方法が披露されたりするけど)。本作はバットマンが主人公どころかテーマになっており、バットマン、ひいてはヒーローVS悪役というフォーマットに対するメタ映画と言えるだろう。正直なところ、バットマン関連としては直近の作品になる『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』よりはよっぽどバットマンという存在に迫っており説得力がある。ビジュアルはレゴだししょうもないギャグも満載なのだが、バットマンが抱える孤独、それが何に由来しているのかということ、そしてそれをいかに乗り越えるかということをちゃんと描いているのだ。
 序盤、バットマンが孤独であるという演出がこれでもか!と積まれてくる。様々な映画の中で、電子レンジを使うシーンというのはしばしば出てくると思うのだが、今まで見てきた中で本作の電子レンジシーンが一番心に刺さる。つ、辛い!バットマン本人がその辛さに気付かないようにしているのがまた辛い!バットマンが自分のまわりに壁を作るのは、子供の頃に両親を理不尽な形で亡くしているから、というのは基本設定だと思うのだが、本作ではそれに加え、人との距離感が上手く測れない社交下手な要素が乗っかってくるので、彼のイタさが何だか身につまされるのだ。スーパーマンの自宅を訪ねるエピソードでは、「シンプルに人柄と人徳の差だよ」ということが露呈されていてまあ辛い。
 辛いと言う面では、ジョーカーの辛さも描かれている。ジョーカーは言うまでもなくバットマンシリーズ最大の悪役で宿命のライバル的な存在だが、そもそもバットマンが彼のことを「宿命のライバル」と思っていないと、ジョーカーの立ち位置は揺らいでしまう。相反する相手の存在によってしか存在することができない、悪役の悲哀(それはヒーローの悲哀でもあるのだが、バットマンはそれをよくわかっていない)があるのだ。ジョーカーがある意味一途な片思いをしており、なかなかに不憫。

『レッド・タートル ある島の物語』

 嵐の海に投げ出された1人の男は、無人島に辿りつく。真水と果実でなんとか生き延び、いかだを作って島からの脱出を試みるが、何度試しても奇妙な力で島に引き戻されてしまう。ある日、男の前に1人の女が現れる。監督・原作・脚本はマイケル・デュドク・ドゥ・ビット。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門特別賞受賞作品。
 スタジオジブリ作品との触れ込みで、プロデューサーは鈴木敏夫、高畑勲がアーティスティックプロデューサーとしてシナリオ・絵コンテのアドバイスをしたそうだが、いわゆる「ジブリ作品」とはかなり色合いが異なる。ジブリはプロデュース的な立ち位置で、ドゥ・ビット監督の作家性の強い作品になっている。監督が2000年に発表した短編『岸辺のふたり』には号泣したものだが、本作はそれともまた印象が異なる。
 絵の地というか、目の細かな画用紙に描いたような質感で、色合いもとても美しい。無人島が舞台なので海の描写は当然多いのだが、南の海の色で、水の質量感もすごくいいなと思った。また、セリフが一切ないのだが、キャラクターの演技が的確なので、物語の理解には支障ないと思う(小さいお子さんには難しいかもしれないが)。ちょっとした仕草まで目が行き届いていると思う。また、男にまとわりつく蟹たちの演技が素晴らしい。ユーモラスで可愛らしく、かといってぎりぎり擬人化には至らずあくまで「蟹」。作品のアクセント、息抜き部分になっていた。
 神話や昔話のような物語で、異なる存在との遭遇と交じり合いを描かれる。そこで新しい生活が生まれていき、それはそれで幸せだろう。しかし男にとっては、それは同時に島に幽閉される、絡め取られるということでもある。男は結構ガッツがあって何度もいかだで漕ぎ出すのだが、島は何としても彼を離してくれない。男に対する執着(まあ愛は愛なのかもしれないが)が少々怖くもあった。
 恐いと言えば、後半で起こるある事件は、生々しく恐い。抗いようのない事態には、どうすることもできないのだ。そこからまた日常を取り戻していく様はたくましいのだが。

『レジェンド 狂気の美学』

 1960年代初頭のロンドン。双子のギャング、レジー・クレイとロン・クレイ(トム・ハーディ二役)はアメリカン・マフィアと手を組み、そのネットワークはセレブや政界にまで及んでいた。レジーは部下の妹・フランシスと恋に落ち、犯罪から足を洗って結婚すると約束する。カジノ経営に注力したレジーは成功するが、昔ながらのギャング稼業を愛するロンは反感を覚え、組織には不協和音が生まれていった。監督はブライアン・へルゲランド。
 スウィンギン・ロンドンの時代ということで音楽も多用されている。楽しいが、ちょっと音が多すぎるなと思った。全体的に余白の部分が少ない。音楽が入りすぎていることに加え、本作は概ねフランシスの視点から、彼女のモノローグによって物語が進行する。このモノローグがちょっと多すぎ、物語に対する視点が煩雑になっているように思った。その程度のことだったら見ればわかるから(つまり、映像としてちゃんと説明が出来ている)いちいちモノローグ入れなくてもなぁと、少々うっとおしかった。クレイ兄弟ともギャング組織とも距離感のある人物を入れて、俯瞰させたかったのかもしれないが、あまり上手く機能していなかった気がする。
 レジーとロンは、外見は体格がちょっと違うくらいで良く似ている(何しろどちらもハーディが演じている)のだが、言動は大分違う。レジーは泥臭いギャング稼業から、徐々にスマートに大金を回収できる「ビジネス」へと志向を移していく。しかしロンは、その泥臭さ、撃ちあいや殴り合いこそを愛している。組織を盤石にし規模を広げていこうとするなら、当然レジーのやり方の方が合理的だし、実施、レジーが舵を取っている間はビジネスは好調なのだ。ビジネスが軌道に乗り、いちいち腕に物を言わせずにすむようになると、精神的に不安定で爆発しがちなロンは、組織にとってもレジーにとってもアキレス腱になりかねない。レジーは実際、ロンの暴挙のせいで刑務所に入る羽目になるのだが、それでもロンを切ろうとはしない。愛憎すら飛び越え、お互いに切るに切れない存在なのだ。この有無を言わせない関係性が、彼らを追い詰めていくものの一つだったのかもしれない。お互い別の人間なのに自分達では離れることも関係性を変えることも出来ないというのは、相手を好きであれ嫌いであれ、厄介なものだろう。
 本作、ハーディが2役を演じたことで話題だが、確かに名演だったと思う。とにかく双子が一緒にいるシーンが多いので、大変だったと思う。とっくみあいの喧嘩シーン等、ボディダブルを使うにしても、どうやって撮ったのか不思議。

『レネットとミラベル/四つの冒険』

 エリック・ロメール監督特集上映「ロメールと女たち」にて鑑賞。エリック・ロメール監督、1986年の作品。レネット(ジョエル・ミケル)とミラベル(ジェシカ・フォルド)はルームシェアする友人同士。考え方も風貌も対称的な2人が繰り広げる、ちょっと奇妙なエピソード4編から成るオムニバス作品。
 ミラベルはクールかつシンプルなファッションで、性格もクールかつ割と現実的。レネットはガーリーなファッションをまとう美術学校生で、妙な所で理屈っぽく生真面目でお喋り。普通だったら、あまり接点がなさそうな2人だ。実際、2人の会話は必ずしもかみ合っているわけではなく、レネットがミラベルにやきもきしたり、ミラベルがレネットに対して少々うんざり気味になることもある。万引き未遂犯を巡る対話で如実に現れているがのだ、価値観や主義主張は、結構違う2人なのだ。しかしそれでも、2人の間に流れる空気は、親しい友人同士のものだ。また、2人は論争していても、お互いの人間性を否定するような喧嘩にはならない。関係性があっさりとしているようで、双方の信頼感がある。
 最初のエピソードはレネットとミラベルの出会いを描く。田舎道で自転車がパンクし困っていたミラベルを、田舎暮らしのレネットが助けたのだ。レネットはミラベルに田舎を案内し、“青い時間”(レネットによると、夜明け前、無音になる一瞬)を一緒に体験する。レネットにとって大切な時間であり、ミラベルはそれを分かち合った。この体験がなかったら、2人は友達にならなかったかもしれない。
 2人の対称的なファッションや室内の調度など、色合いが美しく目に楽しい。レネットとミラベルは同居するようになるが、室内のこの部分はレネットが飾り付けたのでは、このあたりはミラベルの趣味かなと、見ていて楽しい。壁に麦わら帽子と造花を飾っているのはレネットの趣味っぽいが、こういうの80年代にあったわー!とやたらと懐かしい気分になった。ただ、ロメール作品は屋内よりも屋外の情景の方が、光線に魅力が合って個人的には好きだ。屋内だと、構図も色も決まりすぎな感じがするのだ。

『レヴェナント 蘇りし者』

 1823年のアメリカ北西部。毛皮を狩る為の旅の途中、旅団の案内人ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)はハイイログマに襲われて重傷を負う。回復の見込みはないと判断した仲間たちは彼を置き去りにし、彼を助けようとした息子は仲間の1人フィッツジェラルド(トム・ハーディ)に殺されてしまう。奇跡的に生き延びたグラスは復讐心に燃え、フィッツジェラルドを追う。監督・脚本・製作はアレハンドロ・G・イニャリトゥ。
 評判通り、エマニュエル・ルベツキによる撮影が美しく凄みがある。光線の入り方や、妙に低いカメラ位置、俳優の動きに合わせてカメラも結構移動するに動きはなめらかでゆっくり漂っている感じがするところは、テレンス・マリック監督『ツリー・オブ・ライフ』っぽい(ルベツキが撮影している)なと思った。いわゆる手持ちカメラ風では全くないのだが、これは誰の視線なのか?ということを強く意識させる、変わった個性の撮り方だと思う。そこに何か(もしかしたら神)がいる、という空気感があるのだ。もし神がいるとしたら、側にいるが何もしてくれない神なのかもしれないが・・・。グラスは死にそうな時も神に祈ったりはしない(と、思う)のだが、最後、敵を「神の手にゆだねる」と言う(とは言えそれまでに相当半殺しにしているが)。その、神との距離感みたいなものが面白かった。
 グラスは息子の死を知った時点で、既にこの世の人であることをやめたようにも見える。復讐の為だけに生き続けるが、存在自体は彼岸のもののようで、彼岸に行きつくためにただただ歩み続けているようだった。人の気配のない荒涼とした、しかし美しい風景がよけいにそう思わせる。途中で同行する先住民男性も、どこかファンタジーの世界の登場人物のように、唐突に現れる。ラスト、自分が今どこにいるのか、自分は何者なのか(生者なのか死者なのか)茫然としているような、映画を見ている側に問いかけるようなグラスを映したショットが強烈だった。
 アメリカ人たちは先住民を「野蛮人」と呼ぶのだが、自分たちがやっていることも十分野蛮だ。登場人物、どいつもこいつも皆野蛮。アメリカの小説や映画には、「ジャンル:野蛮」と呼びたくなるようなジャンルがあると思う。国の成り立ちがそもそもそういうことなのか。

『レステロの老人』

 特集上映「永遠のオリヴェイラ」で鑑賞。マノエル・ド・オリヴェイラ監督2014年の短編作品。ポルトガルの国民詩人ルイス・デ・カモンイス(ルイス・ミゲル・シントラ)、『ドン・キホーテ』の作者セルヴァンテス/主人公のドン・キホーテ(リカルド・トレパ)、ロマン派の作家カミーロ・カステロ・ブランコ(マリオ・パローゾ)、20世紀初頭の詩人テイシェイラ・デ・パスコアイス(ディオゴ・ドーリア)が日差し差し込む庭園で顔を会わせ、語り合う。
 ポルトガルの歴史や文学に言及する作品なので、全く知識がない状態で見るとついていけなさそう。上映館で参考資料を無料配布してくれたので助かった。本作の下地になっているのは、パスコアイスによる評伝『告解者カミーロ・カステロ・ブランコ』だし、題名はカモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』の一部から取ったものだそうだ。
本作の中には、他のオリヴェイラ監督作品も引用されている。私でもわかったのは『ノン、あるいは支配の空しい栄光』(1990年)。紀元前2世紀のローマに対するルシタニアの敗北、15世紀後半の王位継承戦争での敗北、16世紀のセバスティアン1世の敗北というポルトガルの敗北の歴史を、1974年の独立戦争の兵士が振り返るというものだが、結構な規模のロケをやっていて豪華。しかし、オリヴェイラ監督は、ポルトガルの歴史・文化は、敗北という要素から逃れられないと考えていたのかなとも思った。
 また、グリゴーリ・コージンツェフ監督『ドン・キホーテ』からも引用されている。ドン・キホーテと言えば心は高潔な騎士だがはたから見たら滑稽な負け犬というキャラクター。ここでもまた、敗北の気配が濃厚なのだ。映像はキラキラと美しく、海に沈んでいく本のモチーフがまた印象に残るが、どこかもの悲しさも感じた。

『0.5ミリ』

 介護ヘルパーの山岸サワ(安藤サクラ)は、訪問先の家族からある頼まれごとをされたことがきっかけで失職。寮住まいだった為に住処もなくしてしまう。カラオケボックスで店員と押し問答していた年配男性を見かけたサワは、無理やり便乗して一晩乗り切る。これをきっかけに、押しかけヘルパーとして転々としていくことに。監督は安藤桃子。
 アバン部分が長く、加えて1ショットがやたらと長い。ここでショットを切り替えたら気持ちがいいだろうなぁと思ったところをことごとくスルーしていくのだが、これはあえてなのだろうか。音楽と画面内の動きが合っていないところも気持ち悪いのだが、多分あえてなんだろうな・・・。
 しかし、映画タイトルが出た後は、安藤サクラの身体の説得力(優雅でも美しくもないがやたらと「そこにある」感じ)もあいまって、引き込まれた。サワのやっていることは年配男性の弱みにずけずけと付け込んでいく、恐喝まがいの行為なのだが、その強引さと男性たちのおたおた感とのコントラストでつい笑ってしまう。特に元自動車整備士の茂(坂田利夫)のパートは、ファンタジー要素も含んだコメディとして楽しかった。2人の距離が徐々に縮まり、一方的ではない関係性が出来ていく過程がいい。双方から与えあっている、と言う感じがするのだ。
 ただ、その後の元教師の真壁(津川雅彦)のパート以降は、監督が何をやりたいのか混乱しているように見えた。真壁の一方的な「演説」の内容は取ってつけたようで、作品全体からは浮いているし、監督がこの演説に対して切実感を持って相対しているようにも思えない。これをやりたいなら、ここに至るまでの設計がもっと別のものじゃないとならないんじゃないかなー。また、その後の佐々木健(柄本明)のパートも、それぞれ別の映画の一部のように見えた。
 何より、真壁パートではサワと年配男性らとの関係の性的なニュアンスが、ちょっと私が苦手な方向に強くて辟易しそうになった。おじいちゃんの為のドリーム映画みたいな変なサービス精神を感じてしまって・・・。茂パートでそれを感じなかったのは、一重に坂田の稀有なキャラクターによるものだと思う。
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