3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ラスト・ディール 美術商と名前を無くした名画』

 画商のオラヴィ(ヘイッキ・ノウシアイネン)は仕事最優先で家族はおそろかにしてきた。娘レア(ピルヨ・ロンカ)との間にはわだかまりが残り疎遠だった。ある日、レアから息子のオットー(アモス・ブロテルス)の職業体験を受け入れてほしいと連絡がくる。久しぶりの孫との対面に戸惑うオラヴィだが、オットーは押しかけてきてしまう。そんな折、オラヴィはオークションでサインのない一枚の肖像画に惹かれる。オットーと絵を調べるうち、近代ロシア絵画の巨匠レーピンの作品ではと確信する。監督はクラウス・ハロ。
 95分というコンパクトな尺だが、ゆったりとした時間の流れを感じる作品。盛り上げ方も控えめで品がいい。ただ、オラヴィという人物の造形はそんなに品のいいものではなく、美術に向ける情熱、執念は時に生々しい。稼いだ金は家族ではなく美術品の収集に注ぎこみ、かといって巧みに売りさばけるでもなく溜まる一方。金策に行き詰まると不仲な娘にもけろっと金の無心をし、まだ高校生な孫の金まで使い込むという人でなし加減。美術品を前にすると人の心がなくなるのか…。
 見せようによってはいい話っぽいし、実際そうしようとしている向きもあるのだが、美術の魔に取りつかれた者のなりふり構わなさ、妄執にうっすらとぞっとした。娘との関係を築きなおすという側面はなくはないのだが、彼が失った信頼自体はおそらくもう取り戻せない。愛があるのと信頼しているのはまた別の話なのだ。最後、謎の肖像画にサインがない理由について、ある説が提示される。その説の内容は、オラヴィの妄執とは対極にあるというところが皮肉だ。
 それにしても、オークションハウスも美術商も、本作を見た限りではろくな商売じゃなさそうだな…。そのあたりの商売としてのやくざさは意図的に描かれていると思う。決してオラヴィの行動を正当化しない、渋い作品だ。

こころに剣士を(字幕版)
レンビット・ウルフサク
2017-11-15


『ラストレター』

 姉・未咲の葬儀を終えた裕里(松たか子)は、未咲宛に高校の同窓会の案内が届いていることを知る。姉の死を知らせに同窓会に出席したものの、未咲と勘違いされて思わず姉の振りをしてしまう。帰り道、初恋の相手で未咲の同窓生・鏡史郎(福山雅治)に声を掛けられる。監督は岩井俊二。
 鏡史郎の初恋相手は未咲で、彼は40代になるまでずっと、その思いを抱き続けている。思いをこじらせて小説家としてスランプになるくらいに。1人の人への思いをそこまで維持し続けるというのは、一途を通り越してちょっと怖い。彼目線のロマンチシズムがいきすぎて、もはや胸焼けしてきて気持ち悪い…。岩井監督の粘着性、変態性が前面に出ているように思う。少女の部屋着としてノースリーブのワンピース着せちゃうあたりも変わらぬ性癖を感じる。新海誠の大先輩って感じだ。とは言え、ストーリーテリング、全体の構造は岩井監督の方がずっと映画の手練れではあるが。
 裕里も鏡史郎も未咲との記憶に縛られ続けている。本作の中心にいるのは彼女だ。しかし、その中心は空洞であるように思った。本作で描かれる未咲は、常に誰かの記憶の中の未咲、誰かの目から見た未咲であって、彼女が実際に何を考えどういう人だったのかということはわからない。誰かが見る幻影としての彼女であって、本質はそこにない。そういう存在にされてしまうのってどうなんだろうなとちょっと物悲しさも感じた。
 裕里が同窓会から帰った後、彼女のスマホを見た夫の態度がひどくて、一気にひいてしまった。勘違いからくる嫉妬による行動なのだが、男女年齢関係なく、嫉妬してすねるのって全然可愛くないし迷惑だなと。「罰する」ってあまりに一方的。どういう意図でああいったエピソードをいれたんだろうか。まさかやきもちやいちゃって可愛いでしょ?とか思ってないよね監督?

リップヴァンウィンクルの花嫁 [Blu-ray]
黒木華
ポニーキャニオン
2016-09-02


Love Letter [DVD]
中山美穂
キングレコード
2001-03-07


『ラスト・クリスマス』

 ロンドンのクリスマスショップで働くケイト(エミリア・クラーク)は歌手志望だがオーディションには落ちてばかり。ある日、風変わりな青年トム(ヘンリー・ゴールディング)と出会い惹かれていくが、彼の行動には謎が多かった。脚本はエマ・トンプソン、監督はポール・フェイグ。
 ケイトとトムのロマンティックなクリスマスラブロマンスという大枠はあるのだが、様々な要素が盛り込まれすぎており、なんだか不思議なことになっている。女優のエマ・トンプソンが脚本を手掛けているそうだが、こういう作風の人なのか…。ケイトがユーゴスラヴィアからの移民、トムがはっきりとアジア系だとわかるルックスというのもハリウッドのラブコメとしては珍しいなという印象だが、2人以外にも、ケイトの家族はもちろん、勤務先の上司サンタ(なんとミシェル・ヨー!)は華僑だし、そのボーイフレンドは東欧だかロシアだか(サンタが鼻濁音ばかりで発音できない!と言う)系らしいし、主要登場人物の多くが生粋のイングランド人というわけではない。折しもブリグジットに揺れる英国が舞台で、TVニュースを見たケイトの母がイングランドを追い出されるのではと怯えるシーンもある(と同時に「外国人が多すぎる!」と言っちゃうんだけど)。バスの中で外国人カップルが「英国では英語を話せ!」と暴言を吐かれるシーンも。異質なものに対する不寛容さが強まる世相と、そこにあらがう人たちの姿をかなり意識的に描いている。
 さらに異文化だけではなく、階層間の無関心についても言及される。ホームレスのシェルターでケイトがなりゆきでボランティアをするというエピソードがあるが、彼女の無意識の態度は「上から目線」とこっそり揶揄される。「中産階級の善意(寄付)はしょぼい」みたいなフレーズは、英国ならではの階層ギャグなのか?
 更に、ケイトが家族、特に母親とあまりうまくいっていない(明らかに2人ともカウンセリングが必要だと思うんだけど…)、母親のケイトへの拘りには祖国での戦争体験も影響していること、そしてケイトの姉にも家族に隠していることがある等、家族ドラマ要素も盛りだくさん。祖国では弁護士だった父が、英国ではタクシードライバーをしている(お金がなくて英国での弁護士資格取得のための勉強ができないまま)という設定など切ない。家族ドラマだけで映画1本作れそうだ。
 更に更に、ケイトとトムのロマンスにもどんでん返し的な展開がある。これによって映画のジャンルががらっと変わるのだ。しかし相手への思いやりという面ではより切なく、真摯なものに感じられる。本作、ラブロマンスではあるのだが、恋愛が成就すること、あるいはケイトの歌手になるという夢がかなうことよりも、依存しないで立つこと、自分に肯定感を持つこと、そして寛容であることの方が幸せへの確実な道だと説いているようだった。盛りだくさんすぎてとっちらかってはいるが、そこがとてもいい。なお題名の通り、ラスト・クリスマスをはじめジョージ・マイケルの楽曲を多用している。それも2019年の映画としてはかなり珍しいのでは。

ラスト・クリスマス
ワム!
Sony Music Direct
2004-11-17


ホリデイ [Blu-ray]
キャメロン・ディアス
ジェネオン・ユニバーサル
2012-04-13



『嵐電』

 鎌倉から京都・嵐山にやってきたノンフィクション作家の平岡衛星(井浦新)は、京福電鉄嵐山線、通称嵐電にまつわる不思議な話を収集している。修学旅行生の南天(窪瀬環)は、嵐電を撮影していた少年・子午線(石田健太)に一目ぼれする。地元の食堂で働く小倉嘉子(大西礼芳)は、東京から来た俳優・吉岡譜雨(金井浩人)の方言指導を頼まれる。監督は鈴木卓爾。
 路面電車である嵐電はやはり絵になる。日常の交通手段としても、異界へ繋がるものとしても、大切な人を連れ去ってしまうものとしての嵐電の存在感が作品の核にある。舞台装置の選び方でほぼ勝っているのでは。そのくらい雰囲気がいい。
 3組の男女が登場するが、どの関係もどこかおぼつかない。妻を見失っている平岡、一方通行の思いをぶつける南天と戸惑う子午線、そしてほのかな思いを寄せあうが先が見えない小倉と吉岡。狐と狸が乗った嵐電に乗った2人は二度と会えないという都市伝説が作中出てくるが、狐と狸に出会わなくても彼らはもう会うことはないのではというあやふやさがある。強い思いはあったとしても、自分は相手の何を見ていたのか、相手は自分の何を見ていたのかがわからなくなっていく。
 この世とあの世、異界を繋ぐやり方、ファンタジーの取り入れ方(というかこの世と同じ地平で推移している感じ)が鈴木監督は上手い。音楽にも味わいがあった。歌が異界への入り口のようで、一気にファンタジックになる。あがた森男の主題歌も乾いているが哀愁漂う。

ゲゲゲの女房(新・死ぬまでにこれは観ろ! ) [DVD]
吹石一恵
キングレコード
2016-08-03





私は猫ストーカー [DVD]
星野真里
マクザム
2009-12-25

『ランペイジ 巨獣大乱闘』

 違法な遺伝子操作実験の失敗により、自然保護区内でゴリラ、オオカミ、ワニの3頭が巨大化、狂暴化した。様々な動物の強みを取り入れた遺伝子により力を得た動物たちには軍もなすすべながなかったが、遺伝子操作実験の首謀者である大企業は、動物たちからDNAサンプルを採取しようと、シカゴへとおびき寄せようとする。元特殊部隊員で動物学者のデイビス・オコイエ(ドウェイン・ジョンソン)は、動物たちを止めようと3頭の後を追う。監督はブラッド・ペイトン。
 巨大動物大暴れという1ネタのみで100分強を乗り切る、潔い娯楽作。遺伝子操作だろうが何だろうが、とにかく「動物が巨大化して強い」という幼稚園児のような発想だし、そもそも生物としての強さはその方向で合っているのか?大企業もDNA採取するのにその方法でいいのか?返り討ち間違いないぞ!という突っ込みも入れたくはなるが、大きい物が暴れまくるのは愉快だ。荒唐無稽というよりも大分頭の悪い世界観をそれなりに成立・納得させてしまう、ドウェイン・ジョンソンのスター性に唸る。彼の存在によって「映画」として成立しているように思う。ゴリラとの「会話」も、まあジョンソンさんならゴリラとお話くらいできて当然、という気分になってくるし、何しろ死にそうにないので安心だ。
 このシーンとこのシーンの間に何かもう一展開くらいないと流れがおかしいな?という所が何か所かあるのだが、話の整合性よりもテンポの良さ、スピーディーで飽きさせないことを優先していると思う。無駄に尺を長くしないところはとてもよかった。さくっと気軽に見られて見た後はスッキリ、余韻は何も残さないという娯楽作に徹している。こういう映画も絶対必要なんだよなー。自分の立ち位置をよく理解している作品だ。


『ラブレス』

 ボリス(アレクセイ・ロズィン)とジェーニャ(マルヤーナ・スピヴァク)は離婚協議中で、既にそれぞれ別のパートナーがいる。2人とも新しい生活を始める為、相手に12歳の息子アレクセイを押し付けようとしており、協議はもめていた。2人の口論を聞いたアレクセイは、ある日学校へ向かったまま行方不明になる。監督・脚本はアンドレイ・ズビャギンツェフ。
 日本で公開されたズビャギンツェフ監督の作品は毎度見ているのだが、どれもビジュアルは大変美しく情緒がないわけではないが人間に対する視線が冷徹で、血も涙もないな!とうめきそうになる。本作も題名からして血も涙もない。そして題名通りの内容だ。
 ボリスとジェーニャは形は異なるものの、エゴをむき出しにしていく。ジェーニャは苛立ちや怒りをボリスにぶつけ、とりつくろうとすらしない。ボリスは一見下手に出ているが、言葉の端々からは責任を回避しようとする姿勢が見て取れる(終盤、新しい家庭でのボリスの姿は、この人夫としても父親としてもやる気ないんだな・・・と予感させるもの。家庭は欲しいが家庭で果たすべき責任は面倒くさくてやりたくないという感じ)。2人とも、自分のことが最優先でアレクセイのことは二の次だ。
 2人の行動は親としてどうなんだ、と非難されるであろうものだ。とは言え、彼らのエゴイズムと同じものが映画を観ている側の中にもきっとある。また、全ての親が自分の子供を愛せるわけでもないだろう。ボリスとジェーニャは保護者としての責任をおろそかにしたという点では非難されるだろうけど、愛が薄い(ように見える)ことは正直な所あまり非難する気にならなかった。もし親になったら、私もこんな感じじゃないかなと思ってしまうのだ。本作の題名はラブレス、愛がないということだが、そもそも家族の間に愛があるという前提が不確かなものではないだろうかと。
 アレクセイに対する直接的な愛情も思い入れもない、ボランティアの捜索隊の人たちの行動が、作中最もまともで責任感あるもののように見えたのが皮肉だ。

裁かれるは善人のみ [DVD]
アレクセイ・セレブリャコフ
紀伊國屋書店
2016-08-27



『ラッキー』

 90歳のラッキー(ハリー・ディーン・スタントン)は一人で暮らしている。毎朝起きるとコーヒーを飲み、タバコをふかし、自己流のヨガをこなし、ダイナーに行ってコーヒーを飲みながらクロスワードパズルを解く。夜はバーに行ったりTVでクイズ番組を見たりする。ある日突然倒れたラッキーは、医者からは問題ないと言われたものの、自分に人生の終わりが近づいていると感じる。監督はジョン・キャロル・リンチ。
 ラッキーは同じような日課の毎日を繰り返しているのだが、妙に味わいがあって惹きつけられる。ラッキーは一人者だが、それが寂しい、悲しいというわけではないし、人生に失敗したと考えているわけでもないだろう。本作のキャッチコピーは「孤独と一人は、同じじゃない」だが、正確にはラッキーは一人だし孤独かもしれない、だがそれは自然なことでマイナスに考えることではない、といったところではないか。ラッキーは人間は生まれるときも死ぬときも一人だと明言する。彼には友人がおり、かつては恋人もいたようだが、それでも自分は自分であり、一人なのだ。それが彼にとっての自然だから、ペットの犬も小鳥も必要ない。
 とは言えラッキーは、他人が家族を持ったりペットを飼ったりすることを否定しない。ペットの亀が逃げ出して凹んでいる友人(デビッド・リンチが演じている)を周囲がからかっていると猛然と怒るし、雑貨店の女性が息子の誕生日なんだと言うと一緒に祝う。人が大切にしているものを茶化すべきではないという姿勢は一貫している。そこが、彼が偏屈だが周囲から好かれている一因でもあるのだろう。自分とは違うし理解できないかもしれないが、それはそれとして、という態度が見られるのだ。同性カップルに対する視線や弁護士とのやりとり等、若い頃はもっと偏屈で偏見に満ちていた(今でも偏見は持っているんだけど・・・)んだろうなという部分がちらほら見える。

パリ、テキサス デジタルニューマスター版 [DVD]
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東北新社
2006-08-25


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カイル・マクラクラン
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2016-11-18





『RAW 少女のめざめ』

 厳格なベジタリアン家庭で育ったジュスティーヌ(ガランス・マリリエール)は、両親の母校でもある獣医学校に進学。先輩として既に寮生活をしている姉アレックス(エラ・ルンプフ)を頼るが、彼女は様変わりしていた。新入生の通貨儀式として生肉を食べることを強要されたジュスティーヌは、自身の体の変化に気付く。監督はジュリア・デュクルノー。
 上映中に失神者が出るほどの衝撃作との触れ込みで、一部でかなりの高評価だったらしいが、どのへんが衝撃だったのかな・・・?至って普通に少女の成長物語だった。確かに食肉シーンが衝撃なのかもしれないが、作劇的に特に目新しいことをしているわけではないので拍子抜けした。更に言うなら、わざわざ食肉設定を出してくる必要もあんまりない気がするんだけど・・・。
 ジュスティーヌは学校に附属した寮に入るのだが、新入早々「歓迎」の儀式に引っ張り出されたり、セクシーな服を着ることを強要されたり、出来がいいからと教員に因縁つけられたりで、混乱することだらけだ。先輩が絶対的なヒエラルキーのある世界で、優等生だった彼女は異物なのだ。彼女は学校の雰囲気に自分を合わせようとするが、肉食に目覚めたことがきっかけで、更に合わせることが困難になっていく。
 少女が自分を発見し解放されていくというよりも、自分を取り囲む世界との違和感、そして自分の身体との違和感と相対してもがいていく様に思える。学校内の雰囲気がとっても嫌な感じ(先輩に対して「聖なる存在!」みたいにコールさせるのとか、お祭り騒ぎに参加しないと許されない感じとか)ジュスティーヌが本来の自分であろうとすると、必然的に周囲の人々、最も近しい人々を傷つけることになってしまう。これは彼女の身体的なリアクションであると同時に、内面のリアクションでもある。彼女がセクシーな恰好をするのが自分1人だけの時というのも象徴的だった。
 しかしそれをこういう形で表現する必要ってあるのかなという気がしてならなかった。わかりきったことをもっともらしくやられてもなぁ・・・普通ですよとしか言いようがないよ・・・。特に、言うまでもない様なオチの付け方など、もはやコメディ。

ザ・ヴァンパイア~残酷な牙を持つ少女~ [DVD]
シェイラ・ヴァンド
ギャガ
2016-02-02


静かなる叫び [DVD]
カリーヌ・ヴァナッス
Happinet
2017-10-03




『ライオンは今夜死ぬ』

 南フランスのラ・シオタで映画の撮影に臨む老齢の俳優ジャン(ジャン=ピエール・レオ)。しかし共演者の不調で撮影が延期されてしまう。ジャンはかつて愛した女性ジュリエット(ポーリーヌ・エチエンヌ)を訪ねて古い屋敷にやってくる。既に空き家となった屋敷では、近所の子どもたちが映画撮影をしていた。ジャンも俳優として撮影に加わることになる。監督は諏訪敦彦。
 事前に思っていたのとは別の方向に話が転がるのであれっ?と思ったけど、予想とは違う良さがあった。渋い老人映画かと思っていたら、思いのほか子供映画であり、夏休み映画であり、何より映画の映画である。夏のキラキラした光と色彩がまぶしく(トム・アラリの撮影がいい)、できれば夏休みシーズンに見て気分を盛り上げたかったなぁ。
 冒頭、死にいく人を演じるジャンに対して監督が「死は穏やかのもの」と言うが、それは監督がまだ若いからで、死がそこそこ他人事に感じられるからだろう。もう人生の終盤にいるジャンにとっては、「穏やか」言えるのかどうか微妙だ。彼は死は出会いだと繰り返すが、おそらく出会ってみるまで何だかわからない、「出会い」としか言いようがないイメージなのだ。
 ジャンは実際、ジュリエットという死者と出会う。それは自分の死のリハーサルのようにも見える。実際、ジュリエットは彼を待っていると言うのだから。ジュリエットとの出会いと別れは、子どもたちが撮影する映画の中で更に反復される。死者との出会いと別れを経て最後にジャンが披露する演技は、冒頭のものよりもきっとよくなっている。
 一方、子どもたちにとっての死者は幽霊であり、ゴーストバスターズが退治するものだ。ジャンのセンチメンタリズム等入る隙がない。ジャンの思い出に対して子どもたちは無頓着だし、全然別の世界で生きているようでもある。しかしそこがいい。彼らの傍若無人さに対して、ジャンも自由きままな演技で返していく。子どもによるしっちゃかめっちゃかな指示を無視して演じるジャンに、子どもたちが「演技指導」する、その指導の内容が徐々に具体的になっていく所など愉快だった。子供はわかってくれない!しかし瞬間的に老人とすごく近い位置にいるように見える。

不完全なふたり [DVD]
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
ジェネオン エンタテインメント
2008-02-08






『ラブラバ』

エルモア・レナード著、田口俊樹訳
 元シークレット・サービスの捜査官で、今では写真家のジョー・ラブラバは、12歳の頃の初恋の相手である、元女優のジーン・ショーと知り合う。ジーンとの出会いに心浮き立つラブラバだが、彼女は厄介な男たちに目を付けられていた。アメリカ探偵作家クラブ最優秀長篇賞を受賞した作品の、新訳版。
 ラブラバは一見呑気でピントがずれているが、実は頭がきれ腕っぷしも強いという、なかなかのチートキャラ。都合が良すぎるチートぶり(経歴が結構すごいもんね・・・)もレナードの軽口をたたくような軽妙で洒脱、しかしクールすぎない文体だと違和感を感じない。世界観の統一がされているということだな。ラブラバの、頭はきれるが基本的に人が良く、特に女性に対しては脇が甘い所も、やりすぎ感を抑えている。ラブラバの中の客観的で冷静な部分と、自分が信じたいものを信じたいという情の部分のせめぎ合いが、本作を単なる「クール」ではなくしていると思う。
 本作、’40年代フィルムノワールへのオマージュに満ちていて、固有名詞をわかる映画好きにはより楽しいのでは。ジーンがどのような女優なのかということも、よりわかる(そこが辛い)はず。引退したとはいえ彼女はやはり女優で、「映画」をやりたいのだ。事件の謎は中盤で明かされてしまうが、謎解きは本作の重点ではない。女優として生きるジーンと、それに対するラブラバの配慮が泣かせるのだ。ラブラバは信じたいものを信じようとしても真実に引き戻されるが、ジーンは自分が見せたいものに殉ずるようでもあった。夢に生きてこそのハリウッドの住民ということか。
 悪役として登場するノーブルズとクンドー・レイの珍道中もいい。ノーブルズの言動は頭が悪いのに結構怖い。中途半端な悪人、かつ思い込みの激しさ故の怖さがあるのだ。



グリッツ (文春文庫)
エルモア レナード
文藝春秋
1994-01

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