3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『夜明けのすべて』

 PMS(月経前症候群)のせいで月に定期的に感情・体調をコントロールできなくなる藤沢(上白石萌音)は、同じ会社に転職してきた山添(松村北斗)に怒りを爆発させてしまう。やる気がなさそうに見える山添は、パニック障害を発症して電車やバスにも乗れず無気力に襲われ、転職を余儀なくされていたのだ。職場の人たちにフォローされつつ仕事をこなしていく中で、藤沢と山添の間には同士のような協力関係が生まれていく。原作は瀬尾まいこの同名小説、監督は三宅唱。
 三宅監督作品は毎回撮影がいいなと思うのだが、本作も同様。フィルム撮影だそうだが、特に夜景やプラネタリウム内など暗いシーンで暗さの色合いに奥行が感じされた。舞台は冬の時期がほとんどなのだが、寒そうでもどこか温かみを感じられる質感になっていたと思う。また人物へのクロースが控えめでほぼフィクスで撮られているところも個人的には落ち着く。情感を煽りすぎずショットが抑制されているように思った。
 抑制されているのはドラマも同様で、原作以上の盛り方はしていない。原作小説をもっとポップに華やかに演出することも可能だったろうし、ありがちな映画化だと藤沢と山添の間に恋が芽生えるという展開を入れそうなところだが、そういうことをしないあたり、原作の肝をわかっているなという印象。そして原作からアレンジされている部分も効果的だった。教材のプラネタリウムを作っているという藤沢と山添の職場の設定は題名により深く関わってくる。更に、登場人物たち個々の存在が小さな星のように、彼らの繋がりが星座を作るように思えてくるのだ。また社長や山添の元上司の背景の付けくわえは、彼らの人としての造形により深さが出たし、生きる上で悲しみや困難を抱えた人たちがお互いに少しずつケアしあうという本作のモチーフを拡張しているように思う。
 一方で、それらしいバックグラウンドがなくても人は人を心配するし手助けするものだという考え、というか覚悟みたいなものも(原作と同様に)織り込まれているのではないか。藤沢も山添も特に親切な人間というわけではない(藤沢はまあ親切かもしれないがピントがずれている)。彼らが抱える問題も別個のもので一緒くたに「苦しい者同士頑張ろう」とはできないということも作中で言及されている。そして藤沢も山添も、周囲の助けがあっても抱えている問題がきれいに解決するわけではない。生き辛さは依然として続く。
 ただ、特別に親切ではなくても誰かの苦しさをいくらか理解し手助けし合うことはできる。それは家族や恋人や親友といった深い関係でなくてもできることだ。藤沢と山添、またその他の社員たちも会社の同僚というだけで、職場が変わればその関係は希薄になっていく。また社長らが参加している互助会も、プライベートで深入りするものではないだろう。儚い繋がりの上での助け合いとも言える。ただ、その薄い関係上での助け合いの積み重なりが人を少し楽にする。本作の登場人物はいい人ばかりで嘘っぽいという指摘もあるだろうが、それは承知の上で(原作も同様だが)人の善性を信じる方向に舵を切っている。これは人の悪を描くよりも実は勇気がいるのではないか。そこをあえてやる、堂々とやる所に本作の清々しさがある。

夜明けのすべて
瀬尾まいこ
水鈴社
2020-10-22


ケイコ 目を澄ませて [Blu-ray]
岸井ゆきの,三浦誠己,松浦慎一郎,佐藤緋美
Happinet
2023-10-04

 

 

『よだかの片想い』

 大学院生の前田アイコ(松井玲奈)は、顔の左側に痣がある。子供の頃に痣をからかわれたことで他人との間に距離をとるようになっていた。しかし彼女が取材を受けたルポルタージュに映画化の話が持ち上がり、映画監督の飛坂逢太(中島歩)と出会う。最初は映画化の話を断ったアイコだが、飛坂に惹かれるようになる。原作は島本理生の同名小説、監督は安川有果。
 身体の特徴によって心のありようが定められてしまう(左右される)というのは、残念だけど根深くある。アイコは痣によって他人との間に距離を取りがちだが、その距離は本人が最初から意識しているというよりも、周囲が「それは配慮しないとならないもの」として扱うからそういうものなんだと思ってしまうという描写が鋭い。自分発なのではなく、相手、社会の通念・まなざしによって葛藤が生じるのだ。
 アイコは自分の痣を受け入れているように見えるが、平気でいるわけではない。彼女は初対面の飛坂がアイコを評した言葉に心動かされる。この飛坂の言葉、実はそう冴えたものではなくむしろ陳腐と言ってもいい。アイコのことを理解しているのか正直微妙なのだが、たまたま、彼女の平気でない所に丁度フィットする言葉だったのだろう。それだけ平気ではなかったということなのだろうが、飛坂に付け込まれているようにも見える(飛坂はやっていることはちょっとずるいが悪意はないし、付け込もうと意図しているわけではない)。アイコの恋心は不器用かつ重め直行型で、危なっかしい。スタート地点が「この人は私のことをわかってくれる」という思い=勘違いなので、その後は当然ズレが生じるし、飛坂には映画という世界があってアイコはそこには入れない。おいてけぼりにされていく苦しさがある。題名が「恋」ではなかく「片想い」なのにも納得だった。
 痣との付き合い方に風穴を開けるのは、飛坂だけでなくむしろ同性の先輩かもしれない。先輩はアイコの痣に無頓着なのだが、ある出来事をきっかけに痣が辛い・苦しいものだと認識してしまう。先輩がそういう認識を持っていないからこそ、アイコには心が楽だったのだろうが。ただ、先輩は痣との別の付き合い方を教えてくれるのだ。常に真っ向から向き合う必要はないのだと。アイコのゼミの教授も(痣についてではないが)常に頑張らないとダメというわけではないとアイコに助言する。楽な道を選んでもいいのだという示唆が、重めのアイコにはちょうどいいのかもしれない。


よだかの片想い (集英社文庫)
島本理生
集英社
2019-08-02





ドレッシング・アップ
渡辺朋弥
2019-11-02





『四畳半タイムマシンブルース』

 大学生の「私」(浅沼晋太郎)は京都・左京区の古びた下宿「下鴨幽水荘」に住んでいる。ある夏の日、下鴨幽水荘で唯一のエアコンが使えなくなってしまった。悪友の小津(吉野裕行)がリモコンをコーラまみれにしてしまったのだ。何とかならないかと右往左往する彼らの前に、田村(本多力)と名乗る青年が現れる。田村は25年後の未来からタイムマシンに乗ってやってきたというのだ。「私」は、タイムマシンで昨日の夜に戻り、壊れる前のリモコンを持ってこようと考えるが。原作は森見登美彦・上田誠。監督は夏目真悟。
 森見登美彦の小説「四畳半神話大系」と劇団ヨーロッパ企画の舞台「サマータイムマシン・ブルース」がコラボレーションした小説「四畳半タイムマシンブルース」をアニメ化した作品。2010年に放送されたテレビアニメ版「四畳半神話大系」のスピンオフ的作品でもあるが、続編と言うわけではない(どちらかというとパラレル)ので単品で見ても大丈夫だ。キャストは「~神話大系」の面々が続投している。画面構成が相変わらずバッキバキに決まっており、ビジュアルの魅力は高い。一方で、カメラの動きは若干実写映画寄りな気がした。奥行がより意識されているような。
 キャラクターや出演者、全体的なデザインの方向性は「~神話大系」と同じなのだが、作品の雰囲気は少々異なる。これはヨーロッパ企画の作品の方向性が影響しているのかなと思った(ヨーロッパ企画の舞台を見たことがないので想像に過ぎないが)。森見登美彦原作の「~神話大系」は大分屈折した青春で「私」のひねくれと後ろ向き度がなかなかのしょうもなさだったが、本作は屈折度がもうちょっと低い。自虐度も無駄なプライドも若干マイルドで、ともすると素直に青春ぽいのだ。明石さんの造形も、本作の方が超然としておらず、あたふたぶりやかっこ悪い姿も見せる。「私」も明石さんをそこまで聖域扱いせず、等身大のその人として見ている感じがした。「~神話大系」は10年前の作品だが、ビジュアルの切れの良さは同等でも、登場人物のメンタリティは本作の方が現代に即しているのかなと思った。


四畳半神話大系 Blu-ray BOX
檜山修之
東宝
2014-06-18


 

『夜空に星のあるように』

 1960年代のロンドン。18歳の女性ジョイ(キャロル・ホワイト)は泥棒稼業で暮らしているトムと結婚し、息子も生まれた。トムは息子には無関心でジョイにもきつくあたってくる。ある日トムが逮捕され、ジョイは叔母の家に身を寄せる。彼女を訪ねてきた夫の仲間デイヴ(テレンス・スタンプ)と愛し合うようになり、幸せな日々を送っていたが、彼もまた逮捕されてしまう。監督はケン・ローチ。1967年製作の長編デビュー作。
 原題は「Poor Cow」で、少々侮蔑的な「可哀そうな女」「貧しい女」という意味合いらしい。正に「貧しい・哀れ(と思われがち)な女」の話で、邦題はきれいすぎるかもしれない。『キャシー・カム・ホーム』を思わせる所もある作品だが、本作は1960年代のロンドンやその周辺の町の雰囲気がよりリアルに伝わってくる。60年代ロンドンというと先日見た『ラストナイト・イン・ソーホー』を思い出すが、実際の人々の暮らしは意外と素朴で、華やかなのはごく一部であり外から見たイメージなのかなと思った(どこの都市でもそういうものかもしれないが)。
 さすがに今見ると古さを感じるが、トムがジョイに「TVのチャンネルを変えろ」「毎日サンドイッチばかり」と文句を言ってジョイがかちんとくるというシーン、また、彼の一存で引っ越したので新しく友達を作らないとならないというエピソードなど、現代でもしばしばありそうだ。トムやデイヴが逮捕されるとジョイはたちまち生活に困るのだが、シングルマザーの働き口が限られているという状況も、期待していたほどには変わっていないということだろう。パブで男性客をあしらったり、きわどい写真のモデル仕事でニコニコしている様など、本当はどう思っているんだろうなと考えてしまう。ジョイは一個人としての意識・プライドを持っておりトムのようにそれを侵害してくる相手には怒るが、同時に、精神的にも経済的にも男性に依存せざるを得ないし、それを否定しない。この裏腹さにも時代を感じた。今だったら自分がやっていることが何を意味するのか、もっとはっきり意識する部分なのではないかなと。ジョイ個人が愛する人と生活したい(男性と共にいたい)という願いを持ち続けている人だから、こういう行動になるという面もあるだろうが。
 デイヴを演じるテレンス・スタンプは流石に素敵で、これなら釈放を待ち続ける気になるかも…とは言っても、最初の結婚相手も次に付き合う相手も泥棒なのか!泥棒という生業がすごくカジュアルなのだ。

夜空に星のあるように [DVD]
ジョン・ビンドン
角川書店
2012-03-16


ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生 [DVD]
キリアン・マーフィー
バップ
2017-09-06


『ようこそ映画音響の世界へ』

 1972年に初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が誕生して以来、映画を構成する大きな要素であり、進化し続ける映画音響。映画の歴史を塗り替えてきた音響の歴史、技術者たちの拘りと創意工夫の歴史を追うドキュメンタリー。監督はミッジ・コスティン。
 音響と言うと映画製作の中ではいまいち地味な印象で、技術者一人一人にスポットが当たる機会は少ない(コアな映画ファンは把握しているのだろうが、一般的には注目されにくいように思う。しかし本作で「音響あり/なし」の比較がされると、音の入れ方、作り方によって映画の印象ってすごく変わるんだなと改めて確認できる。スターウォーズを初めて見た観客のリアクションにまつわるエピソードで、それを実感した。あの瞬間に立ち会った人は幸せだな…。
 作中、映像の音響調整あり/なしの比較がしばしばされるのだが、そういえばこういう所も調整されているんだった!と再確認すること多々。なんとなく当然と思っている部分が実は当然はない。当然に感じられる=自然に感じられるように調整されているということなのだ。実はすごく手が込んでいる。映画の中の「自然」は、実際には自然ではなく、観客のイメージの中の自然さなのだな。
 インタビューに答えている技術者には意外と女性が多い。が、実際は音響以外の部門にも相当数の女性がいて、今までスポットが当たることがなかったということなのだろう。作中でも「映画現場は男性が多いと思われているけど、実際はそんなことない」という話が出ていた。
 NHKの教育番組的なオーソドックスな構成で、映像としては映画館で見る意義はあまり感じない。が、本作はやはり映画館で見ないと意味がない作品だ。音響効果の、「ここがこういうふうになっている」という実演・比較が作中でされるので、映画館で見ないとちょっと意味がなくなってしまう所がある(映画館並みの設備のホームシアターならいいのだろうが)。音響のいい映画館で見ることをお勧めする。

Sound Design  映画を響かせる「音」のつくり方
デイヴィッド・ゾンネンシャイン
フィルムアート社
2015-06-27


 

『読まれなかった小説』

 大学を卒業し教員試験を控えたシナン(アイドゥン・ドウ・デミルコル)は作家志望。故郷へ戻り処女小説を出版しようとするが資金の援助は得られなかった。シナンの父イドリス(ムラト・ジェムジル)は引退間際の教師だが競馬にのめりこみ、借金まみれ。シナンはイドリスを非難する。監督はヌリ・ビルゲ・ジェイラン。
 シナンが故郷の町(トロイ遺跡の近くで、広場に大きな木馬がある)ターミナルに降り立った時の侘しさが身に染みる。地方の町ということもあるが、知り合いに「お前の父親に金貨を貸したから返せと伝えておいて」って行く先々で言われるのってやっぱりきついよな…。イドリスは人柄は悪くないし仕事はちゃんとやっているらしい。またユーモアがある理想化肌なのだが、ギャンブル依存症という一点がそれらを帳消しにしている。借金で家を手放し狭いアパート暮らしになり、車も売りに出し(車に「売ります」という張り紙をしたままにしているのがまた辛い…)、支払いが滞り自宅の電気まで止められる。大学の学費を出してもらった身とは言え、シナンがキレ気味なのもわかる。
 とは言え、母も妹も父親にあきれ果ててはいるが本気で愛想をつかしているようには見えないし、家を出ていこうともしない(出ていく先がないというのも大きいだろうが)。シナンも何だかんだ言って、決定的な糾弾はためらう。どう考えてもイドリスが犯人だというある状況で、シナンは真相に踏み込めない。イドリス本人がそれを示唆し焚きつけるにもかかわらず。父は父として一つの権威であり続けてほしいということなのだろうか。トルコはまだまだ父権主義が強い、父親という存在に重きを置いている文化圏なのかなと思った。腐っても父親ということか。母親が「父さんは他所の父親みたいに殴ったりしない」というが、それは比較対象がおかしいよな…。
 シナンが疑似父親とも言える有名作家に絡みまくる(舞台となる書店がすごくいい!)エピソードがあるのだが、本当に青いというか、後になってみたら黒歴史決定だなという空回り感。なかなかのイタイタしさだ。冷静な議論ではなく自分を擁護するための妄想交じりになっている感じがして、ちょっと怖かった。シナンとイドリスは理想家肌という部分では似ている(故にシナンの文学上の理解者はイドリスになってしまう)のだ。

雪の轍 [DVD]
ハルク・ビルギネル
KADOKAWA / 角川書店
2016-01-29


百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)
ガブリエル ガルシア=マルケス
新潮社
2006-12-01



『よこがお』

 訪問介護士の市子(筒井真理子)は周囲からの信頼も厚く、特に本門先の大石家の長女・基子(市川実日子)には懐かれていた。ある日、基子の妹サキが行方不明になる。すぐに保護され犯人も逮捕されるが、市子は事件への関与を疑われる。マスコミが押し寄せ、職場を追われ恋人との結婚も破談になった市子は、ある行動に出る。監督・脚本は深田晃司。
 試写で鑑賞。以前見た同監督『淵に立つ』はいまいち頭でっかちというか、映画の枠組みばかりが前面に出ていた印象を受けたが、本作はすごく面白かった。最初から不可解なものが登場しとにかくずっと不穏であるという点は共通しているが、本作の方が不可解さが地に足のついたもののように思った。
 一見、市子の物語であるように見えるが。実はその物語は基子の物語と鏡合わせになっている。市子にとっては、自分には預かり知らない基子の情念に振り回され、それまでの人生を失うわけで、全くわけがわからないし基子の在り方は不可解なものだろう。しかし、基子にとっては憧れの人があっさり結婚して自分から離れていくということが不可解で許せない。そして許せないという自分の情念も、それ故に行ってしまった行動も不可解なものだろう。お互いの情念と不可解さが時間差で空回りしているという構造なのだ。市子が「復讐」に走ったのは当時の基子からしたら本望かもしれない。自分の存在が彼女にそれだけの跡を残した、自分が彼女にとって忘れられない存在になったということだから。とはいえ、市子の「復讐」が成立した時点で基子が彼女をどう思っていたのかはわからないので、これもまた空回りかもしれないのだが。
 筒井の演技、存在感が強靭。地味な時は本当に地味なのにぶわっとなまめかしさが溢れる瞬間がある。それを受ける市川の胡乱さとキュートさが入り混じる存在感も相変わらず面白い。この2人の実力を実感できる作品だった。

よこがお
深田 晃司
KADOKAWA
2019-07-19






淵に立つ(通常版)[DVD]
浅野忠信
バップ
2017-05-03

『夜明け』

 木工所を経営する哲郎(小林薫)は、川辺に倒れている1人の青年(柳楽優弥)を見つけた。自宅に連れ帰り介抱された青年は、シンイチと名乗る。哲郎はシンイチを木工所に連れて行き、技術を教え、共に暮らし始める。2人は徐々に心を通わせていくが、シンイチにはある秘密があった。監督・脚本は広瀬奈々子。
 訳有りの2人が絆を深め、疑似親子的な関係を形成していくというある種定番のドラマではあるが、それはあくまで途中まで。そこからの展開で冷や水を浴びせられる。ちょっと冗長な部分があるが、長編初監督作としては高いレベルで引きつけられた。監督はこの部分に興味があるんだろうなという、焦点がはっきりしていると思う。
 疑似親子的な関係は、哲郎にとってもシンイチにとっても過去の傷を癒すものになる。ただ、それはあくまでかりそめのものだ。ずっとこのままではいられない。彼らはそれぞれ、向き合わなければならない相手が他にいる。この点、かなりシビアに描かれていた。意外だったのは、若いシンイチに対してではなく、初老の哲郎に対する視線に容赦がない所。
 両親との不和、過去のある事件が原因となり心を閉ざしているとはっきり提示されているシンイチに対し、哲郎が抱えている問題が何なのか、何から目を背けているのかという部分はなかなか現れてこない。彼の息子が既におらず、そのことが傷になっているということはわかる。しかし、息子との関係がどんなものであったのかは、哲郎の言葉からはわかりにくいのだ。
 哲郎の問題がどこにあるのかは、婚約者からなじられるシーンではっきりとわかってくる。彼にとって息子のような存在であるシンイチとの絆は、目の前の現実から逃げる為のものになってしまったいる。シンイチ本人を見ているわけではなく、理想的な父と息子、師匠と弟子という幻想にしがみつく為のものだ。そして実の息子との不和は、彼のそういった態度によるものではなかったかと垣間見えてくる。しかし哲郎はシンイチに対して、実の息子にしたことと同じことを繰り返してしまうのだ。その時点で、疑似親子的な絆はかりそめのものであると決定づけられてしまったように思う。

しゃぼん玉 [DVD]
林遣都
ギャガ
2017-11-02



ゆれる [DVD]
オダギリジョー
バンダイビジュアル
2007-02-23


『夜の浜辺でひとり』

 映画監督との不倫で騒がれ、ソウルからハンブルグに逃げてきた女優ヨンヒ(キム・ミニ)は、恋人を待ちつつ後悔に苦しむ。数年後、韓国のカンヌンに戻ってきたヨンヒは、旧友たちと再会する。監督・脚本はホン・サンス。
 またしても「絶対混ざりたくない飲みの席」シーンがある!しかも2回!先日見た『それから』はわけありカップルに巻き込まれた部外者としての居心地の悪さのある飲みの席だったが、今回は色々な意味で昔馴染みの宴席。なまじ関係性が濃いからこそいたたまれない。ヨンヒもそこそこ酒癖が悪く、絡み酒で周囲をちょっと困らせるのだが、彼女は絡まずにいられないしんどさを抱えている。それを周囲も察しているからこそ余計にいたたまれない。特に2度目の宴席、1度目とは面子が違うのだがそこに混ざりたくない度合いは1度目の比ではなかった。ここまでこじれる前に決着つけてよ!と思わずにいられない。とは言えヨンヒの苦しさは、自分一人で決着をつけるしかないものだ。彼女が抱える問題を迂回しつつも、最終的にそこから逃げないからこそラストが清々しい。
 再会した男性の先輩2人のヨンヒに対する態度が、結構失礼な気がした。いきなりそんな立ち入ったことを聞くの?とか、何で自分を無視したんじゃないかとか言うの?と。これは意識的に彼らを失礼な人として描いているのか、それとも彼らの文化圏の男性先輩としては平均的な態度なのか、ちょっとよくわからない。年齢による上下関係をうっすら醸し出してくるのが何かイヤなんだけど・・・。対して、年上の女性2人、ハンブルグの先輩もカンヌンの先輩も好ましく、こういう女性っていいな、信頼できるな(特にハンブルグの先輩)と思った。2人ともヨンヒのことを気遣っているが、立ち入りすぎないところがいい。
 途中、これは何なの?!という展開がある。ハンブルグの浜辺でのラストショットと、カンヌンのホテルのベランダのシークエンスだが、いきなりリアリティラインがずるっとずれこんだような気持ちの悪さでインパクトがある。特に浜辺でのロングショットは、この為にヨンヒに白いパンツをはかせたのか!と唸った。忘れられない。

自由が丘で [DVD]
加瀬亮
KADOKAWA / 角川書店
2015-07-24


次の朝は他人 [DVD]
ユ・ジュンサン
紀伊國屋書店
2013-06-29




『夜の果て、東へ』

ビル・ビバリー著、熊谷千寿訳
 15歳の少年イーストは、ロサンゼルスの犯罪組織に所属し、麻薬斡旋所の見張り役をしていた。しかし警察が踏み込んできたことで、組織は複数の斡旋所やねぐらを捨てざるを得なくなる。イーストは責任を取る形で、ボスからある任務を命じられる。元大学生のウィルソン、コンピューターに精通した17歳のウォルター、そしてイーストの異父弟で13歳のタイと車でウィスコンシン州へ行き、ある人物を殺すのだ。英国推理作家協会賞最優秀長篇賞受賞作。他にも複数の賞を連続受賞しているがこれがデビュー作だというからすごい。
 今年読んだ翻訳ミステリの中では、もしかしたらベストかもしれない。賞総なめというのも納得。クライムミステリであり、2000マイルに及ぶロードノベルであり、少年の成長物語でもある。イーストの仲間3人は計画を遂行するために集められたメンバーにすぎず、経験豊富というわけでもない。イーストも言動は大人びているがやはり15歳、しかもこれまでの体験の範囲がかなり限られている15歳にすぎない。仲間とのコミュニケーションの取り方や反りが合わないタイに対する怒り等からは、彼が世の中に対してまだ不慣れである様、如才なさとは程遠い様が見て取れる。自分をコントロールできる部分と、できない部分の落差が痛々しくもあった。彼はそもそも、ロサンゼルスの自分が「見張る」エリアから出たこともないのだ。旅の過程で物理的に世界が広がっていく様と、イーストの内的な世界が初めての経験を経て広がっていく様が重なっていく。あったかもしれない、もう一つの「普通」の人としての生活を体験していくのだ。イーストがある夫婦のディナーに招かれた時、これがいわゆる家庭というやつなんだなと新鮮に驚く(というか学習する)シーンが強く印象に残った。つまり、彼はこういう普通さとは無縁だったんだなと。イーストは何度か大きな決断をし、自分の人生の方向を変えていく。最後の選択の先に広がる景色は、きっともっと広いはずだ。




プリズン・ガール (ハーパーBOOKS)
LS ホーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-05-17

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ