PMS(月経前症候群)のせいで月に定期的に感情・体調をコントロールできなくなる藤沢(上白石萌音)は、同じ会社に転職してきた山添(松村北斗)に怒りを爆発させてしまう。やる気がなさそうに見える山添は、パニック障害を発症して電車やバスにも乗れず無気力に襲われ、転職を余儀なくされていたのだ。職場の人たちにフォローされつつ仕事をこなしていく中で、藤沢と山添の間には同士のような協力関係が生まれていく。原作は瀬尾まいこの同名小説、監督は三宅唱。
三宅監督作品は毎回撮影がいいなと思うのだが、本作も同様。フィルム撮影だそうだが、特に夜景やプラネタリウム内など暗いシーンで暗さの色合いに奥行が感じされた。舞台は冬の時期がほとんどなのだが、寒そうでもどこか温かみを感じられる質感になっていたと思う。また人物へのクロースが控えめでほぼフィクスで撮られているところも個人的には落ち着く。情感を煽りすぎずショットが抑制されているように思った。
抑制されているのはドラマも同様で、原作以上の盛り方はしていない。原作小説をもっとポップに華やかに演出することも可能だったろうし、ありがちな映画化だと藤沢と山添の間に恋が芽生えるという展開を入れそうなところだが、そういうことをしないあたり、原作の肝をわかっているなという印象。そして原作からアレンジされている部分も効果的だった。教材のプラネタリウムを作っているという藤沢と山添の職場の設定は題名により深く関わってくる。更に、登場人物たち個々の存在が小さな星のように、彼らの繋がりが星座を作るように思えてくるのだ。また社長や山添の元上司の背景の付けくわえは、彼らの人としての造形により深さが出たし、生きる上で悲しみや困難を抱えた人たちがお互いに少しずつケアしあうという本作のモチーフを拡張しているように思う。
一方で、それらしいバックグラウンドがなくても人は人を心配するし手助けするものだという考え、というか覚悟みたいなものも(原作と同様に)織り込まれているのではないか。藤沢も山添も特に親切な人間というわけではない(藤沢はまあ親切かもしれないがピントがずれている)。彼らが抱える問題も別個のもので一緒くたに「苦しい者同士頑張ろう」とはできないということも作中で言及されている。そして藤沢も山添も、周囲の助けがあっても抱えている問題がきれいに解決するわけではない。生き辛さは依然として続く。
ただ、特別に親切ではなくても誰かの苦しさをいくらか理解し手助けし合うことはできる。それは家族や恋人や親友といった深い関係でなくてもできることだ。藤沢と山添、またその他の社員たちも会社の同僚というだけで、職場が変わればその関係は希薄になっていく。また社長らが参加している互助会も、プライベートで深入りするものではないだろう。儚い繋がりの上での助け合いとも言える。ただ、その薄い関係上での助け合いの積み重なりが人を少し楽にする。本作の登場人物はいい人ばかりで嘘っぽいという指摘もあるだろうが、それは承知の上で(原作も同様だが)人の善性を信じる方向に舵を切っている。これは人の悪を描くよりも実は勇気がいるのではないか。そこをあえてやる、堂々とやる所に本作の清々しさがある。