3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『勇者たちの休息』

 スイスとフランスに跨るレマン湖畔かた、アルプス山脈経由でニースに至る「大アルプス・ルート」。約720キロにわたる自転車観光ルートとして人気のこの道を横断するために、毎年6月末に60人近い自転車愛好家たちがやってくる。仕事をリタイアした後にこのコースに挑む自転車愛好家たちを追う、短編ドキュメンタリー。監督はギョーム・ブラック。
 決して若くはない自転車愛好家たちにスポットを当てたドキュメンタリー。大アルプスルートは聞いただけでも過酷そうだし、実際に映像を見ると更に過酷そう。そんなルートをなぜ彼らは選ぶのかと不思議に思うが、好きだというのはそういうことだろうなぁ。ある「沼」にいる人たちのことは沼の外からはよくわからないけれども、その熱中、情熱に突き動かされる人たちを見ているのは面白いし、時に心を揺さぶられる。愛好者同士で一つのコミュニティになっている雰囲気もよかった。こういう、好きなものを媒介にゆるく繋がっている人間関係があると、心のバランスを保ちやすい。精神的にしんどい時の逃げ場になると思う。
 自転車沼にいる人たちに対する監督の視線はやさしい。自転車にはまっていない人でも、自転車に乗っている時に感じる風邪や匂いの感じ、世界がどのように見えるのか、カメラが彼らに並走してとらえようとしているように思った。被写体が皆リラックスして、自然体で映し出されている。



『ユナイテッド・ステイツv.s.ビリー・ホリデイ』

 1940年代のアメリカ。黒人歌手のビリー・ホリデイ(アンドラ・デイ)が歌う『奇妙な果実』は、人種差別を告発する曲として広まっていた。この曲が公民権運動を扇動すると考えたFBIはビリーを危険視し、彼女の監視を続ける。おとり捜査官としてビリーの元に送り込まれた捜査官ジミー・フレッチャー(トレバンテ・ローズ)は彼女にほれ込んでしまう。監督はリー・ダニエルズ。
 ビリー・ホリデイの伝記映画なのだが、立て付けが少々うまくいっていない気がした。彼女へのインタビューという形式で物語へ導入していき、当初はインタビューの内容として語られる。しかし途中からこの構造はなし崩しになってしまい、それほど効果を上げていない。ビリーが語りたかったストーリーとインタビュアーが聞きたかったストーリーの衝突みたいなものを演出したかったのか?とも思ったが、インタビューが行われた後(ビリーの晩年)のエピソードも描かれるので、何の為にインタビュー構成を取り入れたのかよくわからないのだ。
 また随所で当時の映像(ぽく演出した映像)が挿入されて実話ドラマっぽさが演出されているのだが、ストーリーは実話というにはロマンティックすぎる。監視対象とFBI捜査官が大っぴらにロマンスを繰り広げるというのは少々浮世離れした設定のように思えるし、『奇妙な果実』は大手レコード会社に録音拒否されたという経緯は実際にあったそうだが、そこまで忌避されていたわけではないのでは。ビリーが薬物依存状態で何度か薬物所持で逮捕されている、服役もしているというのは事実に即しているが、当時の公民権運動と楽曲との関係、公民権運動に対する当局の圧力を直結させすぎなように思った。もちろん楽曲の背景・時代背景として公民権運動はあるはずだが、どういう時代か、それがビリーにどのように影響したか、という見せ方が中途半端なまま楽曲の扱いがクローズアップされている印象を受けた。
 ただ、ビリーを演じるアンドラ・デイのパフォーマンスが素晴らしいので何となく見られてしまう。歌の吹き替えなしで全曲こなすって相当勇気がいると思うのだが。

奇妙な果実(SHM-CD)
ビリー・ホリデイ
Universal Music
2016-10-26


ビリー・ホリデイと『奇妙な果実』―“20世紀最高の歌”の物語
デーヴィッド マーゴリック
大月書店
2003-04-01


『ゆれる人魚』

 ポーランド、ワルシャワの岸辺に、人魚の姉妹シルバー(マルタ・マズレク)とゴールデン(ミハリーナ・オルシャンスカ)が現れる。歌手のクリシア(キンガ・プレイス)らにより地上に引き上げられた2人は、ナイトクラブでデュエットを披露するようになり人気者に。シルバーはベーシストのミーテク(ヤーコブ・ジェルシャル)と恋に落ちるが、ゴールデンは彼女に批判的だった。人魚にとって人間は食料なのだ。監督はアグニェシュカ・スモチンスカ。
 ポーランドから一風変わった映画がやってきた。レトロでちょっとキッチュな美術といいテクノポップ満載の音楽といい、1980年代ぽいなーと思っていたら本当に80年代が舞台だった。この時代を舞台にする必然性は全然ないと思われる(ポーランドの歴史文化を熟知していれば必然性がわかるのかもしれないが)のだが・・・。監督も脚本家も70年代生まれなので、彼女らにとってのノスタルジー、レトロなのだろうか。ともあれ、チープでちょっと悪趣味なかわいらしさで統一されており、見ているうちにクセになってくる。
 また、音楽を多用しているとは聞いていたけどミュージカル仕立てになっているとは知らなかった。人魚姉妹を引き上げて保護するクリシアは歌手だしバックバンドもついており、ステージ上で披露される音楽と、人魚姉妹の「語り」としての音楽が混在している。歌に合わせたダンス、群舞シーンもあるが、ミュージカルを見ているという感じはあまりしない。撮影の仕方がちょっともったいないのだ。群舞を俯瞰で見られるショットが案外少なく、変な所で見切れていて全体がどういう動きになっているのか十分に楽しめないは残念。ミュージカルは体の動きの要素も大きいのでもったいない。少人数でのシーンはそれなりに見られるので、大勢がいるシーンに慣れていないのかな?
 アンデルセンの人魚姫を下敷きにしているが、血と魚臭さが生々しく漂う。人魚たちの尾の大きさ、ぬめっとした質感は、分かりやすい可愛らしさ・セクシーさやブランド的な「少女」性を拒否しているようにも見える。「王子」との顛末も、あなたは許しても私は許さないよ!というある種のフェアさ、自己犠牲や純粋さの否定があってむしろ爽快。だって「王子」のやることは大分最低だからね・・・。

リザとキツネと恋する死者たち DVD
モーニカ・バルシャイ
オデッサ・エンタテインメント
2016-06-02



人魚姫 アンデルセン童話集 (2)
アンデルセン
新書館
1993-12-20


『湯を沸かすほどの熱い愛』

突然、末期がんによる余命宣告をされた双葉(宮沢りえ)。残された時間でやり残したことをやりきろうと、1年前に家出した夫・一浩(オダギリジョー)を連れ戻して稼業の銭湯を再会し、学校でいじめに遭っている娘・安澄(杉咲花)を嫌がらせに立ち向かわせる。更に、双葉には今まで家族にも言えずにいた思いがあった。監督・脚本は中野量太。
双葉の愛は大きく深い。しかし、彼女が周囲の人々に与えるものは、自身が与えられなかったものの反動、代償行為なのかもしれないと気づかされる瞬間があり、はっとする。本作、様々な所ではっとさせる、軽く予想を裏切る展開を見せる。難病で余命わずかという設定をはじめ、パーツのひとつひとつはベタもいいところなのだが、組み立て方によってユニークな作品になっている。ミスリードを誘うパーツを要所要所に置いており、特に後半の展開は、設定はベタなのに表出の仕方がベタではないというか、不思議な味わいもあった。ただ、ベタをやりつつベタ回避するというアクロバットのせいか、所々展開が強引に思われる所もあった。
特に、安澄に対する態度は、かなり問題があると思う。学校に行かせたいのは分かるが、弱っている時にああいうことを言われると本気で死にたくなる。「おかあちゃんの子だから(弱くない)」と言われても、やっぱり親子は別の人間なので母親のようにはなれないとは思わないか。説得できる言葉になっていない。また、その後更に大きな展開があるが、これもいきなり言われても!って感じで唐突過ぎると思った。もうちょっと助走が必要だろう。娘に対する愛と思いやりを十分に持つ双葉がいきなりこういう振る舞いをする、というのは不自然ではないか。双葉にとっては残り時間が限られており、自分が動ける間に何とかしないとという焦りから、強引になってしまうという理解は出来る。が、見ていてどうしても不愉快になってしまう部分があり困った。展開の意外性・キャッチーさを狙いすぎて、登場人物の心情・行動が他の部分と比べて不自然ではないかという部分がおざなりになっている気がする。
最後のオチは、ジョークと言えばジョークなのだが、個人的には臭いがすごいんじゃないかと気になってしまって、あまり感動の方には気持ちが向かなかったな・・・。面白い作品ではあるんだが。

『幽霊と未亡人』

 特集上映「映画史上の名作13」にて鑑賞。ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督、1947年の作品。未亡人のルーシー(ジーン・ティアニー)は小さな娘と家政婦と共に、海辺の家を借り越してきた。その家には元の持ち主であるグレッグ船長(レックス・ハリソン)が憑りついていた。ルーシーは彼の横暴な言動に憤慨するが、徐々に親しくなっていく。
 幽霊は出てくるが怖くはなく、少女漫画のようなロマンチックさ。主人公であるルーシーがめそめそしておらず好ましい。義母や義姉にも毅然として立ち向かうし、グレッグに対しても驚き怯えはするものの、軽妙な切り替えしと気の強さを見せる。ロマンスではあるが、全般的にユーモラスさがあって楽しかった。
 グレッグとルーシーは惹かれあうが、グレッグがルーシーを守るというのではなく、彼女が(精神的にも経済的にも)自立できるように支え導く。対等というにはちょっと「教える」感がありすぎかなという気がしたが、船長の自伝をルーシーに口述筆記させても「文章は君の中から出てきたものだ」と彼女に自らの才能に気付かせ励ます様にはなかなかぐっとくる(ずいぶん中途半端な形での励ましだなとは思ったが)。2人がお互いずけずけとものを言い合うところがいい。
 それだけに、ルーシーがいわゆる「女の弱さ」とか言われがちなふらつき方を見せてしまう後半は残念だった。当時としてはこういう流れの方が自然だったのかもしれないけど、この人唐突に出てきたな!って思っちゃったので。

『雪の轍』

 カッパドキアでホテルを経営する元俳優のアイドゥン(ハルク・ビルギナー)。地元の地主の家の生まれで、裕福な暮らしをしている。若い妻のニハルは慈善活動に打ち込み、離婚したアイドゥンの妹ネジラも一緒に暮らしている。アイドゥンが家を貸しているイスマイルは生活に困窮し、家賃を滞納している。その息子イリヤスはアイドゥンが乗る車に石を投げつけ、あわや事故になりかける。監督はヌリ・ビルゲ・ジェイラン。チェーホフのいくつかの作品をモチーフにしているそうだ。
 作中、対話の占める分量がかなり高く、しかもそれぞれが自分の倫理やら正義やらを語り、お互いに非難しあいがちという暑苦しいもの。チェーホフが底にあるからかどうかはわからないが、舞台劇っぽい語りのありかただなと思った。どの人もこれみよがしに話し始めるからかもしれないが・・・アイドゥンが元俳優というのも、ともするとわざとらしい語りをついやってしまう、というところからきた設定なのかな。
 良心と倫理、善と悪についての問答が続くが、白熱しても空しい。これが正解という答えが出るものではないからだ。加えて、アイドゥンの言うことは、その時々によって、自分に都合のいいものにすぎない。彼には確固とした自分の考えや立ち位置はないように見える。彼がニハルに対してもネジラに対しても、うっすらとモラハラ・パワハラめいた振る舞いを続けるのは、そうやって上に立つことで自分の立ち位置を固めようとしているからのように見えた。ホテルの客や地元住民に対する態度からしても、彼はとにかく相手に対して影響を与えたい、相手を支配下に置きたい願望が強いようだ。その影響力は、知識・経験の差であったり、金銭の差であったりする。特にニハルに対する、「お前は何もわかってないんだから私に任せておけば安心」的な物言いは、にこやかに相手の力を削ごうとするもので腹立たしい。それはニハルの誇りを傷つけることなのに。
 そのニハルは、慈善活動に打ち込むことで自尊心を保とうとする。が、彼女も相手との差を使って、相手の自尊心を傷つけることをしてしまう。彼女はよかれと思ってやるわけだが、はたから見たら不遜なことでもあるのだ。
 言葉のやりとりに注意がいきがちだが、映画としての絵の強度もすごく高い。カッパドキアの風景に強力な魅力があると言うのあるのだが、ひとつひとつのショットがばっちり決まりすぎているくらいに決まっている。本作、3時間越えの長さで正直きついなと思ったのだが、ダレはしないのは映像として完成度が高いからだと思う。

『誘拐の掟』

 1999年。元ニューヨーク市警の刑事で、今は探偵をしているマット・スカダー(リーアム・ニーソン)は、妻を誘拐・殺害された男から犯人探しの依頼を受ける。犯人は身代金を奪った上、妻をバラバラ死体にしたのだ。過去にも同じような事件が起きていることに気づいたスカダーは、犯人は狡猾な連続殺人鬼と考え調査を続ける。しかし新たに少女が誘拐される事件が起きた。原作はローレンス・ブロックの小説『獣たちの墓』。監督・脚本はスコット・フランク。
 これはよかった!原作は呼んでいないのだが、ローレンス・ブロックっぽい世界に仕上がっているのではないかと思う。リーアム・ニーソン主演でスカダーシリーズをあと何作か見てみたくなった。スカダーが断酒会に通っている設定をちゃんと踏襲していてほっとした。
ア バンで何が起きているのかわからず、妻を見る夫の視線なのかなと思っていると、アーっ!という恐ろしさにしろ、スカダーの人生が大きく変わってしまう一連の出来事にしろ、現場そのものを直接的には見せず、周囲を見せて状況を伝えるという、意外と抑制された見せ方だった。かなり残虐な殺害シーンもあるのだが、そのものずばりは見せないというやりかた(猟奇殺人事件ものだからPG対策もあるのかもしれないけど)の塩梅がいい。よく考えられていると思う。
 犯人は化け物的な存在だが、出てくる人たち全員、規格外に強いというわけではない。手持ちの札を全部使って何とか切り抜けるという、等身大の知恵と強さがある。まあニーソンに関しては最近の主演作のせいで死ななそうなイメージが強いのだが。麻薬売人の家なども、ほどほどの裕福さだったり、犯罪者であると同時に妻や子供を愛する家庭人であったりと、等身大の人間らしさがある。
 犯人は被害者の夫らのある弱みにつけこんでいた。夫は更に、自分が妻を死に追いやったのではないかと自責の念に駆られている。そしてスカダーも、警察をやめることになった事件について深い悔恨を抱いている。彼らがその悔恨といかに向き合い、それを償おうとするかという過程の物語にも見えた。そのやりかた、償いへの殉じ方は少し信仰にも似ているように思った。スカダーが断酒会の心得みたいなものを思い起こすのは、彼なりの祈りの言葉なのではないだろうか。

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