3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『湯を沸かすほどの熱い愛』

突然、末期がんによる余命宣告をされた双葉(宮沢りえ)。残された時間でやり残したことをやりきろうと、1年前に家出した夫・一浩(オダギリジョー)を連れ戻して稼業の銭湯を再会し、学校でいじめに遭っている娘・安澄(杉咲花)を嫌がらせに立ち向かわせる。更に、双葉には今まで家族にも言えずにいた思いがあった。監督・脚本は中野量太。
双葉の愛は大きく深い。しかし、彼女が周囲の人々に与えるものは、自身が与えられなかったものの反動、代償行為なのかもしれないと気づかされる瞬間があり、はっとする。本作、様々な所ではっとさせる、軽く予想を裏切る展開を見せる。難病で余命わずかという設定をはじめ、パーツのひとつひとつはベタもいいところなのだが、組み立て方によってユニークな作品になっている。ミスリードを誘うパーツを要所要所に置いており、特に後半の展開は、設定はベタなのに表出の仕方がベタではないというか、不思議な味わいもあった。ただ、ベタをやりつつベタ回避するというアクロバットのせいか、所々展開が強引に思われる所もあった。
特に、安澄に対する態度は、かなり問題があると思う。学校に行かせたいのは分かるが、弱っている時にああいうことを言われると本気で死にたくなる。「おかあちゃんの子だから(弱くない)」と言われても、やっぱり親子は別の人間なので母親のようにはなれないとは思わないか。説得できる言葉になっていない。また、その後更に大きな展開があるが、これもいきなり言われても!って感じで唐突過ぎると思った。もうちょっと助走が必要だろう。娘に対する愛と思いやりを十分に持つ双葉がいきなりこういう振る舞いをする、というのは不自然ではないか。双葉にとっては残り時間が限られており、自分が動ける間に何とかしないとという焦りから、強引になってしまうという理解は出来る。が、見ていてどうしても不愉快になってしまう部分があり困った。展開の意外性・キャッチーさを狙いすぎて、登場人物の心情・行動が他の部分と比べて不自然ではないかという部分がおざなりになっている気がする。
最後のオチは、ジョークと言えばジョークなのだが、個人的には臭いがすごいんじゃないかと気になってしまって、あまり感動の方には気持ちが向かなかったな・・・。面白い作品ではあるんだが。

『幽霊と未亡人』

 特集上映「映画史上の名作13」にて鑑賞。ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督、1947年の作品。未亡人のルーシー(ジーン・ティアニー)は小さな娘と家政婦と共に、海辺の家を借り越してきた。その家には元の持ち主であるグレッグ船長(レックス・ハリソン)が憑りついていた。ルーシーは彼の横暴な言動に憤慨するが、徐々に親しくなっていく。
 幽霊は出てくるが怖くはなく、少女漫画のようなロマンチックさ。主人公であるルーシーがめそめそしておらず好ましい。義母や義姉にも毅然として立ち向かうし、グレッグに対しても驚き怯えはするものの、軽妙な切り替えしと気の強さを見せる。ロマンスではあるが、全般的にユーモラスさがあって楽しかった。
 グレッグとルーシーは惹かれあうが、グレッグがルーシーを守るというのではなく、彼女が(精神的にも経済的にも)自立できるように支え導く。対等というにはちょっと「教える」感がありすぎかなという気がしたが、船長の自伝をルーシーに口述筆記させても「文章は君の中から出てきたものだ」と彼女に自らの才能に気付かせ励ます様にはなかなかぐっとくる(ずいぶん中途半端な形での励ましだなとは思ったが)。2人がお互いずけずけとものを言い合うところがいい。
 それだけに、ルーシーがいわゆる「女の弱さ」とか言われがちなふらつき方を見せてしまう後半は残念だった。当時としてはこういう流れの方が自然だったのかもしれないけど、この人唐突に出てきたな!って思っちゃったので。

『雪の轍』

 カッパドキアでホテルを経営する元俳優のアイドゥン(ハルク・ビルギナー)。地元の地主の家の生まれで、裕福な暮らしをしている。若い妻のニハルは慈善活動に打ち込み、離婚したアイドゥンの妹ネジラも一緒に暮らしている。アイドゥンが家を貸しているイスマイルは生活に困窮し、家賃を滞納している。その息子イリヤスはアイドゥンが乗る車に石を投げつけ、あわや事故になりかける。監督はヌリ・ビルゲ・ジェイラン。チェーホフのいくつかの作品をモチーフにしているそうだ。
 作中、対話の占める分量がかなり高く、しかもそれぞれが自分の倫理やら正義やらを語り、お互いに非難しあいがちという暑苦しいもの。チェーホフが底にあるからかどうかはわからないが、舞台劇っぽい語りのありかただなと思った。どの人もこれみよがしに話し始めるからかもしれないが・・・アイドゥンが元俳優というのも、ともするとわざとらしい語りをついやってしまう、というところからきた設定なのかな。
 良心と倫理、善と悪についての問答が続くが、白熱しても空しい。これが正解という答えが出るものではないからだ。加えて、アイドゥンの言うことは、その時々によって、自分に都合のいいものにすぎない。彼には確固とした自分の考えや立ち位置はないように見える。彼がニハルに対してもネジラに対しても、うっすらとモラハラ・パワハラめいた振る舞いを続けるのは、そうやって上に立つことで自分の立ち位置を固めようとしているからのように見えた。ホテルの客や地元住民に対する態度からしても、彼はとにかく相手に対して影響を与えたい、相手を支配下に置きたい願望が強いようだ。その影響力は、知識・経験の差であったり、金銭の差であったりする。特にニハルに対する、「お前は何もわかってないんだから私に任せておけば安心」的な物言いは、にこやかに相手の力を削ごうとするもので腹立たしい。それはニハルの誇りを傷つけることなのに。
 そのニハルは、慈善活動に打ち込むことで自尊心を保とうとする。が、彼女も相手との差を使って、相手の自尊心を傷つけることをしてしまう。彼女はよかれと思ってやるわけだが、はたから見たら不遜なことでもあるのだ。
 言葉のやりとりに注意がいきがちだが、映画としての絵の強度もすごく高い。カッパドキアの風景に強力な魅力があると言うのあるのだが、ひとつひとつのショットがばっちり決まりすぎているくらいに決まっている。本作、3時間越えの長さで正直きついなと思ったのだが、ダレはしないのは映像として完成度が高いからだと思う。

『誘拐の掟』

 1999年。元ニューヨーク市警の刑事で、今は探偵をしているマット・スカダー(リーアム・ニーソン)は、妻を誘拐・殺害された男から犯人探しの依頼を受ける。犯人は身代金を奪った上、妻をバラバラ死体にしたのだ。過去にも同じような事件が起きていることに気づいたスカダーは、犯人は狡猾な連続殺人鬼と考え調査を続ける。しかし新たに少女が誘拐される事件が起きた。原作はローレンス・ブロックの小説『獣たちの墓』。監督・脚本はスコット・フランク。
 これはよかった!原作は呼んでいないのだが、ローレンス・ブロックっぽい世界に仕上がっているのではないかと思う。リーアム・ニーソン主演でスカダーシリーズをあと何作か見てみたくなった。スカダーが断酒会に通っている設定をちゃんと踏襲していてほっとした。
ア バンで何が起きているのかわからず、妻を見る夫の視線なのかなと思っていると、アーっ!という恐ろしさにしろ、スカダーの人生が大きく変わってしまう一連の出来事にしろ、現場そのものを直接的には見せず、周囲を見せて状況を伝えるという、意外と抑制された見せ方だった。かなり残虐な殺害シーンもあるのだが、そのものずばりは見せないというやりかた(猟奇殺人事件ものだからPG対策もあるのかもしれないけど)の塩梅がいい。よく考えられていると思う。
 犯人は化け物的な存在だが、出てくる人たち全員、規格外に強いというわけではない。手持ちの札を全部使って何とか切り抜けるという、等身大の知恵と強さがある。まあニーソンに関しては最近の主演作のせいで死ななそうなイメージが強いのだが。麻薬売人の家なども、ほどほどの裕福さだったり、犯罪者であると同時に妻や子供を愛する家庭人であったりと、等身大の人間らしさがある。
 犯人は被害者の夫らのある弱みにつけこんでいた。夫は更に、自分が妻を死に追いやったのではないかと自責の念に駆られている。そしてスカダーも、警察をやめることになった事件について深い悔恨を抱いている。彼らがその悔恨といかに向き合い、それを償おうとするかという過程の物語にも見えた。そのやりかた、償いへの殉じ方は少し信仰にも似ているように思った。スカダーが断酒会の心得みたいなものを思い起こすのは、彼なりの祈りの言葉なのではないだろうか。

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