18世紀のフランス。画家のマリアンヌ(ノエミ・メルラン)はブルターニュの孤島に暮らす貴族の婦人から、娘エロイーズ(アデル・エネル)の縁談用肖像画の製作を依頼される。エロイーズは結婚を望んでおらず、マリアンヌは彼女の「散歩係」として屋敷に入り、密かに絵を完成させる。エロイーズに真実を告げ肖像画を見せるが、彼女は絵の出来栄えを否定。描き直しを決意したマリアンヌに、エロイーズはモデルを務めると申し出る。監督・脚本はセリーヌ・シアマ。
映像が素晴らしい。全体的に青みがかった寒色の色調なのだが、その中でマリアンヌの赤い服や草原の黄色があざやかに映える。また、全体のトーンといい特定のショットといい、ハマスホイの絵画を意識しているのかな?という印象を受けた。ピアノ(チェンバロか?)を弾く女性のバックショットなど、あっハマスホイのあの絵だ!と思わせる。ワンショットに強烈な魅力がある作品で、絵力の強さみたいなものを感じた。女性3人が台所で並んで作業しているショットとか、草原で薬草探しをしている3人が同時にほこっと上半身を上げるショットとか、はっとさせるがわざとらしくない所が素晴らしい。また、ショットとショットのつなぎ方にもいい意味でのひっかかりがあって、この人の中ではあの動作とこの動作は繋がっているんだなと印象付けられた。観客の目の掴みが上手いのだ。
当時の社会では同性愛は認められない。また女性が経済的に自立して生きる道も限られており(マリアンヌは父親の名前でサロンに出展している。女が描いた絵は売れないのだ)、エロイーズは結婚せざるを得ないだろう。2人がこの先の人生を共にする道はない。終わりが見えている関係なのだ。とは言え、悲しみはあっても悲壮感はそれほどない。あの数日間はなくならず、その時の関係があったからその先の人生を生きることができる。オルフェの神話が引き合いに出されるのが面白い。冥府から妻を連れだす時に振り返ってしまったオルフェにメイドは憤慨するが、エロイーズは愛ゆえに見るのだと解釈する。画家であるマリアンヌもまた見る人だ。
マリアンヌはエロイーズの肖像画を描く。そのためにはエロイーズのことを見る・観察するわけだが、最初に描いた肖像画は、マリアンヌが一方的に見て描いたものだ。肖像画の用途も、見合い用という一方的に見られる為のもの。エロイーズはこの肖像画を否定する。彼女がモデルをすると申し出たのは、描く者と描かれる者がお互いに見合う、対等であろうとするからだ。自分と向き合え、自分がどうう人物であるか(どう見られることが望ましいのかではなく)を見ろという要求だ。個対個であろうとする強烈な意志があり、そこがマリアンヌと呼応するのだろう。マリアンヌが手元に残した作品「燃ゆる女の肖像」がすごくいいのだが、あれこそがエロイーズの姿なのだと思った。対等さはマリアンヌとエロイーズの恋愛関係だけでなく、2人とメイドの間の友愛にも成立している。当時の社会の中では3人の間には階級差があるが、島の中では対等だ。越境しているシスターフッドが清々しかった。