3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『モリのいる場所』

 94歳の画家・モリ(山崎努)は、毎日自宅の庭を散策し、虫や植物を眺め、夜はアトリエで絵を描く。妻・秀子(樹木希林)はモリに代わって来客に対応し、家の中を切り盛りしていく。監督・脚本は沖田修一。
 今年、大規模な回顧展も開催された画家・熊谷守一と妻・秀子の、夏の一日を描く作品。明らかに守一が主人公なのだが、作中ではあくまで「モリ」と呼ばれ、伝記映画ではなく守一をモチーフにしたフィクションとしての色合いが濃い。名作秀作というにはこぢんまりしているが、こぢんまりしているが故の居心地の良さと、予想外の風通しの良さがある作品だった。ある夏の日、という感じで見ていて気分がいい。
 時代背景は昭和、ドリフとジュリーが全盛期だった当時だ。とは言え、登場人物の言葉づかい等はそれほど時代性に拘っていない。カメラマンの助手の物言いはほぼ現代の青年のものと変わらない(当時は断る意味で「大丈夫です」という言葉は使わなかったのでは)。とは言え、それが不自然さや手落ち感ではなく、こういうニュートラルな世界観なんだなと思える。今よりもちょっと昔でどこか懐かしい雰囲気だ。モリ家の庭の鬱蒼とした繁みや、古い木造家屋のきしみじや屋内の薄暗がり(トイレ付近が暗いのが、昔の家だなぁと)は、必ずしも実体験したわけでもないのに、妙に郷愁を感じさせる。
 モリの家は人の出入りが頻繁だ。1日の出来事とは思えないくらい、来訪者が出たり入ったり居座ったりする。来てもいい雰囲気のある家なのだろう。本作はほぼ室内と庭だけで展開されるが(自宅外でのシーンは、家事を手伝っているモリの姪がスイミングスクールにいくシーンくらい)、閉塞感はない。風通しがよく、世界に広がりがある。人が出たり入ってたりして「外」を連れてくるのだ。そして、モリが言うように彼にとっての庭が「広すぎる」からだろう。
 守一が作品に描いた虫や動物、植物が作中次々に登場する。回顧展を見ておいてよかった。モリが絵画制作をするシーンは全然ないのだが、彼の見る行為が制作に繋がっていると感じられるのだ。虫たちの撮影は相当頑張っていると思う(エンドロールを見ると、虫単体の撮影は専門のカメラマンがやっているみたい)。動植物の気配が音からも感じられる作品でもあった。虫や鳥の声やざわめきによって、空間がぶわっと広がる。


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『目撃者 闇の中の瞳』

 新聞記者のシャオチー(カイザー・チュアン)は交通事故に遭い、買ったばかりの中古車を修理に出すハメに。しかし修理の際、その車は9年前にシャオチーが目撃した交通事故の被害者の持ち物だったことがわかる。9年前の事件に疑問を感じたシャオチーは真相究明に乗り出すが。監督はチェン・ウェイハオ。
 サブタイトルの通り、闇の濃いミステリ・サスペンス映画。映像の美しさのせいかどこか幻想的な味わいもあり、大変面白かった。情報の密度がかなり高く、序盤でちらりと出てきたものが後半の伏線に使われる等、目が離せない。
 「目撃者」という題名(原題通り)はとても上手い。誰が誰にとっての目撃者なのか、何を目撃したのかという謎を、幾重にも畳み掛けてくる。視線が何十にも重なっており、その主体が変わるごとに事件の様相ががらりと変わっていく。映画を観ている側にとっても、果たして自分が今まで見てきたものは何だったのか、と愕然とさせられていくのだ。
 物陰からのぞき見するようなショット、車のバックミラーなどへの映り込みなど、他者の視線を感じさせる演出が随所にちりばめられている。その「他者」が何者なのかわからずに不安が煽られていく。自分が見ている景色は見たままのものではなく、全く別の風景を見ている人がいるんじゃないかという予感を常にはらんでいるのだ。
 視線の主体が交代していくにつれ、事件は地獄めぐりの様相を見せてくる。なぜこうなった、という空しい問いが響き、それを呑みこんで更なる地獄を歩んでいくある人物の笑顔が恐ろしくも哀しい。

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『モアナと伝説の海』

 モトゥヌイ島で生まれ育った少女モアナ(アウリー・クラバーリョ)は、いずれは村長である父親の跡を継ぐよう教えられ、外洋に出ることは禁じられてきた。ある時、島の作物に異変が起き、周囲の海から魚が姿を消した。かつて世界を生んだ女神テ・フィティの心が、伝説の英雄と言われたマウイ(ドウェイン・ジョンソン)に奪われて闇が生まれ1000年が経つ、その闇の影響だとモアナの祖母は教える。モアナはマウイを探し出し、テ・フィティの心を元に戻そうと、父親の反対を押し切り海に出る。監督はジョン・マスカー&ロン・クレメンツ。
 2D字幕で鑑賞。アニメーションとしての質は当然高く安心して見られる。マウイの入れ墨がちょっと懐かしいカートゥーンのように動き回る演出は素晴らしかった。また、海の底の世界がなぜかギラギラにドラッギーで、これはこれで愉快。ロード・オブ・ザ・リングの竜の巣を思い出してしまった・・・。また『マッドマックス 怒りのデスロード』へのオマージュがあると聞いていたが、なるほどこれか!と笑ってしまった。確かにオマージュ捧げたくなる、というか一度やってみたくなるシチュエーションだもんなぁ。
 マッドマックスオマージュがあるくらいなので、モアナはいわゆる「プリンセス」的な造形の少女ではない。ラプンツェルもアナもエルサも今までのプリンセスとはちょっと違う方向付けだったが、本作では更にその路線が進められ、むしろアンチプリンセス的な含みが持たされているように思う。モアナ自身「プリンセスではない(村長の娘だから)」と明言するし、ディズニープリンセスの「お約束」を揶揄するようなジョークもある。特にマスコット的動物の可愛くなさは、これはグッズを売る気がないということなのだろうかと心配になるくらい。
 モアナは早い段階で、次期村長になることが決められているが、それを嫌がっているわけではなく、むしろ積極的に引き受けようとしている。しかし同時に、海に惹きつけられてやまない。村も家族も愛しているし自分の仕事への意欲もあるが、海へ憧れはそれとは別物として、彼女を掻き立てていく。この造形がとてもいいなと思った。現状に不満足というわけではないが、どうしても他の世界に心が向かってしまう人というのは、一定数いるだろうし、周囲からは理解されにくいだろうなと思う。
 また、モアナは不得意なこともあるが出来ることも多い(村での仕事はよくこなしているみたいだし、学習意欲も高い)。加えて戦闘力もあるところも、行動的なヒロインとしてはポイントが高い。マウイとの関係に、性的な要素が薄く恋愛関係に発展しなさそうなところもいい。マウイはモアナに船を操る技術を教えるが、立場は対等であくまで「相棒」的だ。マウイはやはり、モアナとは別の世界の人で時々ひょこっと姿を現す存在なんじゃないかと思う。
 

『森山中教習所』

 自動車免許を取ろうと思い立った大学生の佐藤清高(野村周平)は、ヤクザ見習いの轟木信夫(賀来賢人)が運転する車にひかれる。清高が死んだと思った組長らは事故を揉み消す為に清高をトランクに押し込め、非公認の自動車教習所に連れて行く。轟木はそこで自動車教習を受けることになっていたのだ。そして、清高と轟木は高校の同級生だった。事故の口止め料として、清高も轟木と一緒に教習を受けさせてもらうことになる。原作は真造圭伍の同名漫画。監督は豊島圭介。
 清高と轟木は高校の同級生ではあるが、言葉を交わしたのは1度だけだ。お互いのことは名前くらいしか知らない。能天気な清高とクールな轟木では、そもそも接点がないのだ。本来友達になれそうもない2人が、なりゆきで時間を共にし何となく友達のようになっていく。この「友達」感には、先日見た『セトウツミ』を思い出した。『セトウツミ』は現役高校生、本作は元高校生の話だが、いわゆる別ジャンルの2人が、日常からほんのちょっと離れた、隙間的な時間を共にすることで友達(らしきもの)になっていく。
 本作での隙間的な時間は、自動車教習所に通っている期間だ。教習所なので当然、試験に合格して免許を取得すれば終了する。終わりが最初から決まっている時間なのだ。この終わりが既に決まっているということは、特に轟木にとってきついことでもある。轟木は組長の運転手として正式に働く為に免許を取れと指示されているので、免許を取る=正式にヤクザになり後戻りできなくなるということだ。轟木は身よりがなく、生活の為に組の世話になっていたので、学生生活は高校中退で中断している。彼にとっては教習所での日々が、青春のやり直しのようでもあったのだろう。免許取得は、彼にとっては青春、モラトリアムの終了でもある。
 一方、能天気に見える清高だが、彼は彼なりの息苦しさを抱えている。父親が失職中で時に母親に暴力も振るい、家に居辛いのだ。彼は概ね空気を読まない(特に清高に思いを寄せる松田さんに対する態度はひどい)が、家庭内では両親の空気を窺いぴりぴりしていて、ちょっといたたまれない。清高が免許を取りたがっているのは、とにかく家から出て遠くへ行きたいからだ。
 清高にとっても轟木にとっても、教習所での時間は、自分が否応なしに所属している場から逃れることが出来る、避難所のようなものだったのだろう。そこを出たら、2人はそれぞれの生活に立ち向かわなくてはならない。でも、避難所での思い出があるから乗り越えられることもある。この先2人が会うことがなくても、あの時自分には友達がいてとても楽しかったという記憶は、ずっと彼らを支えるのではないだろうか。ラストシーンを見てそんなことを思った。

『モヒカン故郷に帰る』

 売れないデスメタルバンドのボーカリスト・田村永吉(松田龍平)は、同棲相手の由佳(前田敦子)が妊娠したことをきっかけに、結婚報告の為、瀬戸内海の故郷に7年ぶりに帰省。父・治(柄本明)、母・春子(もたいまさこ)、そして故郷を離れたはずがなぜか帰ってきていた弟の浩二(千葉雄大)と久しぶりに対面する。しかし治が末期がんに侵されているいることがわかる。監督・脚本は沖田修一。
 沖田監督、本当に手堅く、かつ毎回何かしら前進しているいい監督になったなぁとしみじみとした。以前は構成に少々中だるみを感じたが、それもなくなってきている。ストーリーテリングのペースが速いわけではなく、むしろのんびりとしているのだが、省略する所の思い切りがいい。普通だったらエピソードとして使いそうな所をあっさり省略し、その前のフリ部分や後の余韻で経緯が感じられる。また、絵的にも、とあるシーンで柄本のつま先だけが画面の隅から出ているのだが、このつま先だけでどういう気分なのかわかってぐっとくる。こういうさらっとした、見せすぎない・説明しすぎない見せ方が上手くなったんだろうなぁ。
 父親が末期がんだと知った永吉が、わかってはいたけれど親が本当に死ぬとなるとどうすればいいかわからない、という意味合いの言葉をこぼす。これ本当にそうだなぁと心に刺さった。自分がいい大人になっていたとしても、親が自分より弱っており世話が必要である、親が自分より先に死ぬということに、いちいちびっくりして、動揺してしまう。永吉もおたおたするばかりで、実際的な役にはあまり立たない。そんな彼でも、ふと気づくと父親に対するケアの手際が良くなっているということに、なんだかしんみりとした。心情はともかく、生活しているうちにだんだんそうなっていくのかと。
 永吉は治とさほど仲が良かったわけでもないし、治も永吉を目立って可愛がっていたわけでもなさそうだ。しかし浜辺での会話にはほろりとする。この時の治は少々呆けも入り、永吉が中学生だった頃に戻ってしまっている。つまり、中学生の永吉に話しかけるのだ。永吉にとっては後追いで親の真意がわかることになる。しかし永吉は最早中学生ではなく、治の言葉がうれしくても取り返しがつかないことではある。同時に、当時の永吉には、治の気持ちはおそらくわからなかっただろう。そのすれ違いが、暖かくも非常に痛切なシーンだった。

『物語る私たち』

 監督としてもめきめき頭角を現している女優のサラ・ポーリー。彼女は、自分が11歳の頃に病死した母親について、家族や両親の友人への取材を始めた。ポーリー家では「サラはパパに似ていない」という家族内での冗談が定着していたが、兄のふとした言葉から、本当に父の実子ではないのではという疑問が拭えなくなってくる。母の人生について話を聞くうち、彼女の秘密が明らかになっていく。
 サラ・ポーリーは自分の監督作だとここまで突っ込むのか!と言いたくなる、結構な冷徹さを発揮していると思うのだが、本作にも同じ精神を感じた。気心知れた家族相手だからこそ、聞きにくいことや気まずさもあると思うのだが、ユーモアを絶やさずどんどん掘っていく。それに応じる家族も器がでかいと思ったのだが、家族間の信頼関係がすごくしっかりとしているんだと思う。ポーリーが愛情を十分に受けて育ったことが垣間見られた。
 ポーリーが撮るのは、取材相手それぞれの「語り」であって、母の人生に関する客観的な証拠というわけではない。周囲が母の人生をどのように見ていたか、どう考えたかということなのだ。なので、母の姿も真実も、あらすじが概ね一致していても、ディティールは語る人によって少しずつ違ってくる。それを不満に思う語り手も当然いる。ただ、ポーリーにとって人の人生とはそういうものなのだろう。
 本作の、そしてポーリーにとってのキーパーソンとなる人物も登場するが、この人の「真実」、そしてポーリーの母の人生対する考え方は、いささかロマンチックすぎるように思った。自分が注いでいるほどの情熱を相手も持っているとなぜ信じられるのか。同じ風景を見ているとは限らないだろう。あなたの物語はあくまであなたの物語であり、私の物語はあくまで私の物語なのだ。多面的な見方があるからこそ、本作は面白い。



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