3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『メッセージ』

 ある日突然、世界各地に巨大な楕円状の物体が出現した。言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は軍の要請を受け現地に赴く。軍は、物体はどこかから来た宇宙船で、未知の知的生命体が中にいると判断。その生命体と意思疎通を図る為にルイーズが必要だったのだ。ルイーズは科学者のイアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)と共にヘプタポットと名付けられた生命体とコンタクトを図ろうとする。原作はテッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』、監督はドゥニ・ビルヌーブ。
 あの短編小説がこうも壮大な長編映画に!こう映像化するのかー!という驚きがある。私は映画の方が好きかもしれない。映画の方が構成に妙があり、SFギミックを使っての「サプライズ」部分が強化されているように思った。SFの素養がなくても、そういうことだったのか!という方向での面白さを提供できており間口は広いのではないか。また、唸り声、ささやき声のような音楽が素晴らしい。本作を構成する要素の中で、ある意味、音楽が一番SFっぽく感じられた。ヘプタポットの「言語」と同じで、地球の音楽からちょっとずらしこんでいるような感じなのだ。
 ルイーズがウェーバー大佐(フォレスト・ウィテカー)に説明する解読手順や、ヘプタポットの「言語」を解読しようと試行錯誤していく様、どこから作業にとりかかるかというような部分が、「研究している人たち」ぽくてわくわくした。科学者のイアンは最初からわくわくしているっぽいし、ルイーズも大きなプレッシャーを感じつつも、研究に引き込まれていくように見える。とにかく結果、「翻訳」が欲しい軍人や政治家とは反応が大分違う。ウェーバーがそれで宇宙人は何を言っているんだ!と焦れるシーンでは、そんなに早くできるかよ!と突っ込みを入れたくなった。研究者と軍人、政治家との、考え方のパターンとか、作業時間に対する感覚の違いが垣間見えるようで面白いシーンだった。途中、一部の兵士たちが起こすある行動は、一般人に近い感覚の人たちという設定とは言え、ちょっと頭悪すぎるんじゃないかと思ったが。そもそも、突然巨大物体を出現させられるような未知の技術を持った存在に、人間が作った兵器が通用すると思う方がどうかしている気もするんだけど・・・。
 ヘプタポットの「言語」にしろ、ルイーズのある選択にしろ、「ああそうか!」と深く納得させられる。後から振り返るとそういうことか!とよりわかる構成になっており、この点すごくよくできているなと思った。この構成自体が、ルイーズの至る境地とリンクしているのだ。

『MERU/メルー』

 難攻不落と言われる、ヒマラヤ・メルー峰シャークスフィンの登頂に挑む、登山家たちの奮闘を追うドキュメンタリー。2008年10月、コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レオン・オズタークの3人はメルー峰に挑むが、7日間のツアーの予定が倍以上も要する苦闘となった。監督は登頂に参加した当事者の登山家であり、山岳カメラマンでもあるジミー・チンと、エリザベス・C・バサヒリィ。
 元々映画化が前提だったのだろうが、登山中の映像が豊富で、登山素人の目から見ると色々と新鮮で面白かった。所要日数と持ち運べる荷物量の兼ね合い等、当然と言えば当然なのだが言われないと気付かなかった。また、場所によっては夜間に登るというのは、氷がより固くて剥落しにくい状態を選んでいるからだそうだ。昼間の方が見通し良くて安全な気がしてたけど、なるほど。一番驚いたのは、序盤でも映し出されるのだがテントの設置場所。設置というか、これは吊り下げている感じなのでは・・・。最近の登山用具はすごいなー。当然のことだけど、登山も進化するんだな。自分の知らない世界を垣間見る面白さがあった。
 登山のプロジェクト自体はもちろんドラマチックなのだが、登山家3人の背景、プロジェクトの過程で個々を襲うトラブルがこれまたドラマチックすぎる。特にチンとオズタークを襲うトラブルは、事実は小説より奇なりとはいうけれど、まさか連続してこんな羽目にあうなんてと唖然とした。当事者にとっては登山に対するモチベーションがぐらつくような事態だったろう。生死にかかわるトラブルを経てなお登頂に挑もうという姿勢には凄みを感じるが、そこまでして登りたいのか?という疑問も当然沸いてくる。登山家それぞれのパートナーたちは登山自体には理解があるが、大きなリスクを抱えた登山にはやはり反対する。そりゃあそうだよな・・・。それでも彼らが山に登るのは、「そこに山があるから」としか言いようがないのだろうというのも、本作を見ていて思った。
 なお、風景は当然素晴らしい。空撮も多用されており、結構な予算を組んだプロジェクトだったことが窺える。とは言え、雪山の恐ろしさもありありと見られる映画でもある。よく無事だったな・・・。

『めぐりあう日』

 理学療法士のエリザ(セリーヌ・サレット)は幼い頃に養子に出され、生みの親を知らずに育った。今では夫と息子がいるが、自分の出生を調べる為、息子ノエを連れ、パリから港町ダンケルクに引っ越してきたのだ。ある日、ノエが通う学校の職員アネット(アンヌ・ブノワ)が患者としてエリザの診療室に来た。2人はどことなく親密さを感じるようになっていく。監督はウニー・ルコント。
 エリザは育ての親との関係は上手くいっているらしい(電話等ちょっと鬱陶しがっているが、そこがむしろ本当の親子っぽい)が、自分が誰から生まれたのかというのは、どうしても気になるものなのか。彼女が苦しんでいるのは、自分の生が呪わしいものだった(レイプによる妊娠等ではなかったか)のではないかということだ。それを気にするならなおさら知らない方がいい気もするのだが、やっぱり知ろうとせずにはいられないんだろうなぁ。そうではない人もいるんだろうけど、エリザはどうしても知りたく、役所で粘り、当時自分を取り上げた助産婦などにも会いに行く。ただ、事実を知ったら知ったで、それが穏当なものであっても「思っていたのと違う」という気分にもなるかもしれない。自分を手放した母親に会いたい、いや会いたくない、幸福であってほしい、いや幸福なのは許せないといったような、相反する気持ちに苛まれているように見えた。
 ドラマは静かに進み、エリザも口数は多くない。しかし穏やかな表面の下では、様々なわりきれないものが渦巻いており、今にも噴出しそうでひやひやする。その渦をノエが察知してぎこちなく、あるいは不機嫌になる、それを見たエリザが更に不機嫌になるという悪循環。実際、エリザの行動は特に衝動的で、それがノエとのトラブルにつながったりもする。ノエの年齢的なものもあるのだろうが、序盤から母息子の間はぎすぎすしており、そこにもひやひやした。エリザはダメな母親というわけでは全くないのだが、自分の問題が大きすぎて処理できず、ノエに疎外感を感じさせてしまうのかもしれない。問題に光明が見えた後、ノエとの関係も自然と落ち着いていくのだ。
 本作の原題は『Je vous souhaite d'être follement aimée』。アンドレ・ブルトンの『狂気の愛』の最終章に出てくる、娘宛の手紙の最後の一文だそうだ。日本語訳では、「あなたが狂おしいほどに愛されることを、私は願っている」。どんな形であれ、エリザもノエも、そしてエリザの実母もそう思われたのではないだろうか。

『メニルモンタン 2つの秋と3つの冬』

 ボルドーの美大を卒業したアルマン(ヴァンサン・マケーニュ)は、職を転々とし、学生時代からの友人のバンジャマン(バスティアン・ブイヨン)とつるみつつ、パリのはずれのメニルモンタンで暮らし続けていた。33歳の誕生日に、思い立ってタバコをやめジョギングを始めた彼は、同じく公園でジョギングをしていた27歳のアメリ(モード・ウィラー)に恋をする。監督はセバスチャン・ベベデール。
 冒頭、アルマンによるナレーション内に「33歳の青年」という言葉が出てくるのだが、ああフランスでもか・・・!としみじみし、一気に親近感がわいてきた。今の33歳は社会的には立派な成人だが、当人はまだ「大人」であることに自信が持てない人も多いのではないか(それを言ったら40歳になっても50歳になっても私は自身が持てそうにないけど・・・)。パリといえば昔からおしゃれで恋の都でパリジャンたちは皆シュッとしていて・・・というイメージだが、本作にはおしゃれでシュっとしている人は出てこないし、恋多き人たちでもないし、恋愛の手練れでもない。人生に迷いつつ地味に生きている、ごく普通の人たちだ。
 アルマンとアメリはドラマティックな事件により近づくが、2人はヒーローにもヒロインにも見えない。なんとなくぱっとしないままだし、かっこつかないのだ。アルマンの友人(作中主人公というわけではない)バンジャマンとその恋人の方が、まだしも「主人公カップル」的な属性があるように見える。本作は主にアルマンとアメリのモノローグで進行するのだが、2人ともメタ視線というか、自分たちに対して距離を置いた語りをする。それがまた、あんまり主人公ぽくないのだ。でも、そういう人たちも、自分の人生の上では主人公だし、自分たちでなんとかやっていくしかない。
 アメリが、とある状況に泣いてしまい、あることでアルマンとの関係がこじれてしまうのだが、この感じ、自分で処理しなければいけないが処理しきれない感じはすごくよくわかるなと思った。ドラマみたいにかっこよくはできないのだ。それでも、関係を築き直したかったら相手に働きかけるしかない。アルマンとアメリが話し合おうとする時、彼らがまた少し大人になっていくように見えた。

『名探偵群像』

シオドー・マシスン著、吉田誠一訳
歴史に名を残した偉人たちなら、生涯のうち1度くらいは難事件に遭遇して推理の腕を披露したに違いない、というアイディアから生まれた短篇集。アレクサンダー大王、レオナルド・ダ・ヴィンチ、クック船長にセルバンテス、ナイチンゲールらが事件を解決する短篇集。当時(1961年)の創元推理文庫だと「セオドー・マシスン」表記なのだが、「セオドア」表記のこともあるのかな?エラリー・クイーンが絶賛したという(序文をクイーンが書いている)だけあって、歴史上の偉人が探偵役というアイディアだけではなく、ミステリとしてロジックの部分も(わりと)きっちり詰めてくる。ただ、歴史ものでもあるので当時の風俗や習慣を思い浮かべにくくてぴんとこないというものもあったが・・・。それだけ時代背景も踏まえているということだろうから、マシスンは多分勉強熱心でよく調べる人だったんじゃないかな。

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