3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『メリー・ポピンズ リターンズ』

 バンクス家の長男マイケル(ベン・ウィショー)は家族を持つ父親に、長女ジェーン(エミリー・モーティマー)は貧しい労働者を援助する市民活動家になっていた。しかしマイケルは妻を亡くし、融資の返済期限切れで抵当に入れていた家まで失いそうになる。そんな彼らの前に、完璧な子守だったメリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が戻ってくる。監督はロブ・マーシャル。
 1964年のディズニー映画の20年後を描く、(ディズニー的には)正式な続編。リメイクや「別物」扱いではなく続編としたことは、結構勇気がいったのではないかと思う。ジュリー・アンドリュース主演の前作(ロバート・スティーブンソン監督)はミュージカルとしても、実写とアニメーションを合成したファンタジー作品としても高い評価を得ており根強いファンがいる作品。これの「続編」とうたってしまうと、全作のイメージを壊さず、しかし現代の作品としてアップデートし、かつ旧来のファンの期待を裏切らないように作らなくてはならない(加えて、私のように原作ガチ勢で1964年版も映画単体としては楽しいけど『メアリー・ポピンズ』シリーズの映画化作品と思っちゃうとちょっと・・・という人もいる)。しかし本作、このへんの問題はそこそこクリアしていたように思う。
 衣装や美術セットのデザイン、色合いがとてもかわいらしいのだが、まるっきり「今」の映画として作られていたらこういう色味は選ばれないのでは、というニュアンスがある。昔の映画の、ちょっと人工的でカラフルな色味だ。お風呂から出発する海の冒険のシーンなど、それこそ昔のミュージカル映画のレビューシーンのバージョンアップ版ぽい。技術も演出も現代の映画なのにどこかレトロさもある。このレトロ感と現代感の兼ね合いが上手くっていたように思う。またセル(風)アニメーションとの組み合わせも前作を引き継いでの演出だろうが、こんな面倒くさいことをよくもまあ(今アニメーションと合成するならもっと楽な方法があるのではと思う)!という絶妙な懐かしさ演出。
 音楽に関しても、前作の言葉遊びノリを引き継いだものでとても楽しい。ブラントもウィショーもこんなに歌って踊れる人だったのか!と新鮮だった。ただダンスに関しては、ブラントはリズム感の強いものはちょっと苦手なのかな?という気もしたが。ミュージックホールでの彼女はちょっと動きが重い感じがした。ダンスシーンで一番楽しかったのは点灯夫たちが歌い踊るシーン。前作の煙突掃除夫たちのダンスを踏まえてのものだろうが、自転車を使った動きは現代的。ショットの切り替えが頻繁なのは少々勿体なかった。舞台を見る様に引きで全体を見ていたい振り付けだったと思うんだけど。ドラマ映画としての見せ方とミュージカルとしての見せ方がどっちつかずになっていた気がする。
 メリー・ポピンズは子守、家庭教師であり、彼女が直接的に世話をするのは子供たちだ。しかし彼女が来たのは父親であるマイケルの為と言っていいだろう。子供たちは死んだ母親を恋しがってはいるが、死を受け入れられないわけではない。このあたり、マイケルが父親としてちゃんとしているんだろうなと窺える。マイケルは少々頼りないし時に子供の前でも取り乱すのだが、すぐにフォローを入れる。彼が子供に安心感を与えることが出来ていればおそらくこの一家は大丈夫なので、マイケルを助ける為にメリー・ポピンズが来るのだ。とは言え、抵当を巡るクライマックスの展開には、それが出来るなら最初からやればいいのに!と突っ込みたくなる。メリー・ポピンズが何に魔法を使うことを良しとし何には使わないという主義なのか、線引きがご都合主義だと思う。


メリーポピンズ スペシャル・エディション [DVD]
ジュリー・アンドリュース
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
2005-01-21






『メアリーの総て』

 19世紀のロンドン。思想家の両親の元に生まれ、父が経営する書店を手伝いながら自らも執筆を夢見ているメアリー(エル・ファニング)。スコットランドの知人宅に滞在した際、新進気鋭の詩人パーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と出会う。しかりパーシーには妻子があった。情熱に駆りたてられた2人は駆け落ちし夫婦生活を始めるが、パーシーの経済的な問題、幼い娘の死と相次いで悲劇に見舞われる。詩人バイロン卿(トム・スターリッジ)の別荘に滞在したメアリーは、「皆で1つずつ怪談を書こう」と誘われ、あるアイディアに着手する。監督はハイファ・アル=マンスール。
 作家メアリー・シェリーが後世に読み継がれる怪奇小説『フランケンシュタイン』を執筆するまでをドラマ化した作品。エル・ファニングがまあはまり役で、今こういう役を演じたら敵うものなしという感じなのだが、こういう役ばかりでもなぁ・・・とちょっと複雑な気分にもなる。少女性を加味されすぎな気がするので。それはさておき、キャストが全員ハマっていてなかなか良かった。特にパーシー・シェリーのまず顔ありきな感じにはちょっと笑ってしまった。顔と才能が傑出していなければただのクズというところが潔い。
 メアリーは先進的な家庭に生まれたけど、時代の壁は厚い。自由恋愛とは言っても、パーシーにとっては自分に都合のいい「自由」で、メアリーを個人として尊重しているとは言えない。パーシー自身にはメアリーを尊重していないという自覚はないのだろうが、この「自覚すらない」というのが非常にやっかい。彼が自由恋愛を主張するロジック、現代でも使う人がいると思われるけど、元々2者が立っている地平が同等ではないということが念頭にないのだろう。
 パーシーはメアリーの文才は認めているものの、彼女にとって自分の作品がどのような意味を持つのかという所までは考えが及ばない。(作品のクオリティが高ければ)作者名はどうでもいいというのは、既に名がある、自分の著作物だと主張することが許されている(女性作家名の作品は出版できない等とは言われない)から言えることだろう。また、モンスターではなく天使のような創造物を描けばいいのにという意見も、なぜモンスターなのかということを全く考えていない(心当たりがない)から言えることだ。そこから言われてもね、という苛立ちは否めない。メアリーは出版社への持ち込みや出版の条件からして、パーシーら男性作家に付与されているものを持っていないのだ。著作権問題といえば、ドラキュラを執筆した(と主張する)医者も気の毒だ。バイロン本人が自分の著作ではないと言ってもダメなのか・・・。当時の女性の辛さがてんこ盛りでなかなかどんよりとしてくるのだが、現代でもこういうことってあるなと思えてしまう所がさらに辛い。
 メアリーが『フランケンシュタイン』を執筆し始め、書きすすめる過程は史実とは違うのだろうが、それまで彼女が読んだ本や体験、全部盛り込まれ集約されていくことが分かる見せ方になっていたと思う。前半で出てくるスコットランドの情景がとてもよかった。広くて静かで寂しく、寒々しい。メアリーは「夜が静かすぎて眠れない」と言うのだが、そうだろうなぁ。この風景もメアリーの著作の下地になっているということが実感できる。こういう環境でしばらく暮らしてみたくなった。

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)
メアリー シェリー
光文社
2010-10-13






ワアド・ムハンマド
アルバトロス
2014-07-02

『Merry Christmas!ロンドンに奇跡を起こした男』

 1843年のロンドン。小説家チャールズ・ディケンズ(ダン・スティーブンス)は『オリバー・トゥイスト』がヒットし人気作家として有名だったが、スランプに悩み家計も赤字が続いていた。クリスマスの小説を書くことを思いつき構想を練る彼の前に、スクルージ(クリストファー・プラマー)をはじめ作品の登場人物たちが次々現れる。しかし執筆を進めるうち、子供の頃のトラウマと父親ジョン(ジョナサン・プライス)との確執に苦しむようになる。監督はバハラット・ナルルーリ。
 クリスマスシーズンにぴったりでとても楽しかった。とは言え、自費出版なのに支払の当てはなく、締切は刻一刻と迫っていくという作家の苦しみを描いた作品でもある。基本コメディで筆が全く進まないディケンズの「無の顔」にも、アイディアを思いつくと周囲が見えなくなる様にも笑ってしまうのだが。彼の前に現れる『クリスマス・キャロル』の登場人物たちが好き勝手に話し動き回るのは、文字通り「登場人物が動きだす」ということで楽しい。ディケンズの身近な家族や町で見かけた人たちが登場人物造形のヒントになるということが映像の流れでわかってくる。スクルージをはじめ、確かにぴったり!という風貌なのでこれもまた楽しかった。
 執筆中のディケンズは突然訪問してきた父ジョンに悩まされる。ジョンは気のいい人物だが金に無頓着でしょっちゅう息子にたかる。更に、ディケンズは父親が破産し収監された(破産者専用の監獄があったんですね・・・)せいで幼い頃から靴墨工場で働かざるを得ず、非常に苦しい体験をした為父親を恨んでいる。執筆の過程で当時の記憶がフラッシュバックのようによみがえり、父親へのわだかまりや子供時代のトラウマに向き合わざるを得なくなっていくのだ。このあたりは完全にフィクションだろうと思うが、創作が自分の記憶に棘刺すものと向き合い続けることであるという部分は、すごく「作家映画」ぽいんじゃないかと思う。また、過去が垣間見えることで、現在のディケンズの言動の数々がどういう思考回路・体験から生まれてきたものかわかってくる。家計は赤字なのに物乞いへの献金を欠かさない、貧乏人は救貧院に入ればいい、(死んで)数が減ればなおいいという富裕層の発言に猛反発するのは、自分の体験からくるものだということが見えてくるのだ。(少なくとも本作中の)ディケンズは、貧困は自己責任だとは言わないだろう。
 クリスマスシーズンにぴったりで、ディケンズの作品をまた読んでみようかなと思わせてくれる映画だった。公開規模が小さめなのが勿体ない。

クリスマス・キャロル (岩波少年文庫)
チャールズ ディケンズ
岩波書店
2001-12-18


オリヴァー・ツイスト (新潮文庫)
チャールズ ディケンズ
新潮社
2017-04-28


『MEG ザ・モンスター』

 深海の調査の為、沖合の海中に建設された海洋研究所。潜水艇で調査に出た探査チームは、人類未踏の深海を発見し興奮が隠せない。しかし巨大な何かが潜水艇を襲ってきた。動けなくなった潜水艇の救出の為にやってきたレスキューダイバーのジョナス・テイラー(ジェイソン・ステイサム)は、200万年前に絶滅したと思われてきた、巨大ザメ・メガロドンに遭遇する。監督はジョン・タートルトーブ。
 巨大ザメとステイサムという組み合わせがそもそもキャッチーすぎる。しかしステイサム、元飛込競技選手なだけあって飛び込みのフォームがきれいだった。私はサメ映画に詳しいわけではないが、予想よりも大分ちゃんとした、予想ほど荒唐無稽ではない良いサメ映画だったのではないかと思う。メガロドンはめっぽう強いわけだが、サブタイトルにあるモンスター、異物の強さというよりも、この世の生き物として目茶目茶強い、という見せ方だったと思う。だから、サメにとってはいい迷惑だよな!という話にも見えちゃうんだけど・・・。
 ジョナスがどんどん無茶ぶりをされていくのにはちょっと笑ってしまうのだが、最初は比較的文明の利器(笑)を使ってメガロドンに対抗する。戦う方法がどんどん原始的になっていくあたりが妙におかしかった。最終的にメガロドンとステイサムのタイマンみたいになってるのだ。
 チームものとしての側面もある。シングルマザーの海洋学者スーイン(リー・ビンビン)といい感じになったり(男女カップリングが強いられすぎでちょっと鼻についたが、どのへんに需要があるのだろうか・・・少なくとも本作見に来る人たちはそこを見たいのではないと思うが)、元妻がチーム内にいたり、過去の確執のある同僚がいたりと色々設定の盛りが良いのだが、それほどごちゃごちゃした感じはしない。いい意味でいい加減、ほどほどな作りで、娯楽映画としては正しい。『コンスタンティン2』で大変素敵だったルビー・ローズが出演しているのもうれしかった(本作では普通の人役)。
 思わぬ収穫だったのが、ステイサムと子供のやりとりが絵になっている所。スーインの8歳の娘とのシーンが結構多いのだが、子供と接する時のステイサムの演技が良い。個人として尊重しつつも子供であるという点はふまえている感じが出ていた。子供との共演作をもっと見てみたい。意外と似合うんじゃないかな。

ジョーズ[AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
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2018-03-27


メガ・シャークVSグレート・タイタン [DVD]
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アルバトロス
2015-07-03




『名探偵コナン ゼロの執行人』

 サミットの会場として、東京湾に建てられた巨大施設「エッジ・オブ・オーシャン」が選ばれた。しかし数日後にサミットが迫る中、エッジ・オブ・オーシャンで大規模爆破事件が発生する。爆破当日は公安警察による安全確認調査が行われており、その中に警察庁の秘密組織・通称ゼロに所属する安室透(古谷徹)の姿もあった。コナン(高山みなみ)は爆破事件がサミット当日ではなく事前に起きたことに違和感を抱く。一方、事件現場から毛利小五郎(小山力也)の指紋が発見され、小五郎は容疑者として逮捕されてしまう。青山剛昌の大ヒット漫画のアニメ化作品だが、劇場版は22作目。監督は立川譲。
 アバンでの情報の詰め方、提示の仕方が密度が高く整理されており、その後の伏線となる要素をほぼ紹介している。作中の情報量がかなり多くて、おそらくシリーズ内でも対象年齢がかなり高めのストーリー(公安組織の解説をこんなにやる全年齢向けアニメってあります・・・?)。その傾向に合わせてなのか脚本家・監督の作家性なのかはわからないが、舞台となる場所はかなり現実の東京に近く、ちゃんとロケハンしている様子がわかる。コナンシリーズって、実在の場所が出てくることもあるけどそこまでこだわっていないというイメージだったので(まんま出てくるのはそれこそ警視庁くらいか)、日本橋の風景等新鮮だった。
 また、作画的な見せ場がキャラクターの表情・動きよりもビルやドローン、車両等、無機物の動きに集中しているように思えた。日本の実写映画ではなかなか見られない(技術的にというよりも公道での撮影があまりできないからだろう)ケレン味たっぷりのカーアクションを満喫できるのは楽しかったしお腹いっぱいになる。ケレン味どころか無茶苦茶で、安室が実はかなりヤバい人であるというキャラクター演出にもなっている。
 今回は安室をクローズアップした作品なので、彼が所属する公安が活躍するストーリーでもある。公安がかっこよく活躍する作品というのはあまりないので、そういう面でも新鮮だった。ただ、かっこよすぎるのもちょっと問題だなとも思った。終盤、ある人物に「見くびるな」と一喝されるが、その見くびりは、彼らが一般市民をどのように見ているかということに他ならない。犯人は正義の名の元に犯罪に手を染めるが、そのメンタリティは安室たちとそんなに変わらないように思える。正義、国という漠然とした大きいものに尽くすことの危うさには、もっと言及しておいてもいいんじゃないだろうか。特に本作はそもそも「名探偵」コナンシリーズ。名探偵は、大義が時に見捨てる個人の為に闘ってほしいのだ(個人的には)。


『女神の見えざる手』

 大手ロビー会社コール=クラヴィッツ&Wのトップロビイスト、エリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)は、銃擁護派の議員から依頼を受けるが、それを断り銃規制法案成立を目指してロビー活動を行っている小規模な会社からのスカウトに応じる。部下を引き連れ移籍したスローンは数々の奇策や時にグレーな手法を駆使し、情勢を変えていく。しかしコール=クラヴィッツ社は、スローンを引きずりおろそうと彼女の過去を洗い出していた。監督はジョン・マッデン。
 スローンが聴聞会に召喚されている所から始まり、時間をさかのぼってこれまでの経緯が語られる。ストーリー進行の段取が良くスピーディで、職人的な手さばきの良さのある作品。作中の情報量は非常に多いのだが、整理されているのでそんなに混乱することもなかった。面白いが、自分にとっては苦手な世界の話だ。どいつもこいつもギラギラしすぎている・・・主人公が一番ギラギラしているわけだが。
 『Miss Slone』というシンプルな原題が本作にはふさわしい。邦題はドラマティックだが、ちょっと作品のニュアンスと違うと思う。本作は徹頭徹尾、スローンという1人のロビイストの話だ。彼女の運命は女神の采配によるものではなく、当然彼女が女神のごとき存在なわけでもない。時に泥をかぶる事や卑劣な手段を取る事も厭わず、スローンは自分の力でとことん闘う。そこに「見えざる手」などと言っては却って失礼な気がした。
 スローンがどういう人なのかということは、あくまで「仕事」を通して描かれる。作中、スタッフの1人が、過去の体験によって銃規制派になったと思われたくないともらすのだが、スローンにどのような過去があって今の彼女になったのかということは殆ど言及されないし、彼女も過去の体験を引き合いに出すことはない。自分が何者なのか証明するのは自分の能力と行動のみ、家族との逸話や過去の悲劇により色を付ける必要はないというわけだ。とは言え、他人の過去を引き合いに出して同情票を集める画策はするのだが。そういう部分では「主義」は発揮しないんだな。
 スローンは往々にしてイリーガルなやりかたもする。仕事上の目的・課題達成の為だからというのはもちろん、目的が正しいという信念があるからだ。非常に打算的な面と理念のぶれない面とが両立されている、彼女のメンタリティが面白い。彼女はやがて、政界、経済界、そして司法の腐敗と癒着に挑むことになる。自身のキャリアだけでなく個人としてのプライド、プライベート等過大すぎるものを危険にさらすのだが、彼女にとっては目的が正しいのだから、やる。とは言え、彼女はこれまでそういった腐敗や癒着を(スタッフの「過去」と同じく)散々利用してきたんだろうしなぁ・・・。彼女の中の正しさの基準って何なんだろうなとふと思った。



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2014-02-05

『メッセージ』

 ある日突然、世界各地に巨大な楕円状の物体が出現した。言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は軍の要請を受け現地に赴く。軍は、物体はどこかから来た宇宙船で、未知の知的生命体が中にいると判断。その生命体と意思疎通を図る為にルイーズが必要だったのだ。ルイーズは科学者のイアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)と共にヘプタポットと名付けられた生命体とコンタクトを図ろうとする。原作はテッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』、監督はドゥニ・ビルヌーブ。
 あの短編小説がこうも壮大な長編映画に!こう映像化するのかー!という驚きがある。私は映画の方が好きかもしれない。映画の方が構成に妙があり、SFギミックを使っての「サプライズ」部分が強化されているように思った。SFの素養がなくても、そういうことだったのか!という方向での面白さを提供できており間口は広いのではないか。また、唸り声、ささやき声のような音楽が素晴らしい。本作を構成する要素の中で、ある意味、音楽が一番SFっぽく感じられた。ヘプタポットの「言語」と同じで、地球の音楽からちょっとずらしこんでいるような感じなのだ。
 ルイーズがウェーバー大佐(フォレスト・ウィテカー)に説明する解読手順や、ヘプタポットの「言語」を解読しようと試行錯誤していく様、どこから作業にとりかかるかというような部分が、「研究している人たち」ぽくてわくわくした。科学者のイアンは最初からわくわくしているっぽいし、ルイーズも大きなプレッシャーを感じつつも、研究に引き込まれていくように見える。とにかく結果、「翻訳」が欲しい軍人や政治家とは反応が大分違う。ウェーバーがそれで宇宙人は何を言っているんだ!と焦れるシーンでは、そんなに早くできるかよ!と突っ込みを入れたくなった。研究者と軍人、政治家との、考え方のパターンとか、作業時間に対する感覚の違いが垣間見えるようで面白いシーンだった。途中、一部の兵士たちが起こすある行動は、一般人に近い感覚の人たちという設定とは言え、ちょっと頭悪すぎるんじゃないかと思ったが。そもそも、突然巨大物体を出現させられるような未知の技術を持った存在に、人間が作った兵器が通用すると思う方がどうかしている気もするんだけど・・・。
 ヘプタポットの「言語」にしろ、ルイーズのある選択にしろ、「ああそうか!」と深く納得させられる。後から振り返るとそういうことか!とよりわかる構成になっており、この点すごくよくできているなと思った。この構成自体が、ルイーズの至る境地とリンクしているのだ。

『MERU/メルー』

 難攻不落と言われる、ヒマラヤ・メルー峰シャークスフィンの登頂に挑む、登山家たちの奮闘を追うドキュメンタリー。2008年10月、コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レオン・オズタークの3人はメルー峰に挑むが、7日間のツアーの予定が倍以上も要する苦闘となった。監督は登頂に参加した当事者の登山家であり、山岳カメラマンでもあるジミー・チンと、エリザベス・C・バサヒリィ。
 元々映画化が前提だったのだろうが、登山中の映像が豊富で、登山素人の目から見ると色々と新鮮で面白かった。所要日数と持ち運べる荷物量の兼ね合い等、当然と言えば当然なのだが言われないと気付かなかった。また、場所によっては夜間に登るというのは、氷がより固くて剥落しにくい状態を選んでいるからだそうだ。昼間の方が見通し良くて安全な気がしてたけど、なるほど。一番驚いたのは、序盤でも映し出されるのだがテントの設置場所。設置というか、これは吊り下げている感じなのでは・・・。最近の登山用具はすごいなー。当然のことだけど、登山も進化するんだな。自分の知らない世界を垣間見る面白さがあった。
 登山のプロジェクト自体はもちろんドラマチックなのだが、登山家3人の背景、プロジェクトの過程で個々を襲うトラブルがこれまたドラマチックすぎる。特にチンとオズタークを襲うトラブルは、事実は小説より奇なりとはいうけれど、まさか連続してこんな羽目にあうなんてと唖然とした。当事者にとっては登山に対するモチベーションがぐらつくような事態だったろう。生死にかかわるトラブルを経てなお登頂に挑もうという姿勢には凄みを感じるが、そこまでして登りたいのか?という疑問も当然沸いてくる。登山家それぞれのパートナーたちは登山自体には理解があるが、大きなリスクを抱えた登山にはやはり反対する。そりゃあそうだよな・・・。それでも彼らが山に登るのは、「そこに山があるから」としか言いようがないのだろうというのも、本作を見ていて思った。
 なお、風景は当然素晴らしい。空撮も多用されており、結構な予算を組んだプロジェクトだったことが窺える。とは言え、雪山の恐ろしさもありありと見られる映画でもある。よく無事だったな・・・。

『めぐりあう日』

 理学療法士のエリザ(セリーヌ・サレット)は幼い頃に養子に出され、生みの親を知らずに育った。今では夫と息子がいるが、自分の出生を調べる為、息子ノエを連れ、パリから港町ダンケルクに引っ越してきたのだ。ある日、ノエが通う学校の職員アネット(アンヌ・ブノワ)が患者としてエリザの診療室に来た。2人はどことなく親密さを感じるようになっていく。監督はウニー・ルコント。
 エリザは育ての親との関係は上手くいっているらしい(電話等ちょっと鬱陶しがっているが、そこがむしろ本当の親子っぽい)が、自分が誰から生まれたのかというのは、どうしても気になるものなのか。彼女が苦しんでいるのは、自分の生が呪わしいものだった(レイプによる妊娠等ではなかったか)のではないかということだ。それを気にするならなおさら知らない方がいい気もするのだが、やっぱり知ろうとせずにはいられないんだろうなぁ。そうではない人もいるんだろうけど、エリザはどうしても知りたく、役所で粘り、当時自分を取り上げた助産婦などにも会いに行く。ただ、事実を知ったら知ったで、それが穏当なものであっても「思っていたのと違う」という気分にもなるかもしれない。自分を手放した母親に会いたい、いや会いたくない、幸福であってほしい、いや幸福なのは許せないといったような、相反する気持ちに苛まれているように見えた。
 ドラマは静かに進み、エリザも口数は多くない。しかし穏やかな表面の下では、様々なわりきれないものが渦巻いており、今にも噴出しそうでひやひやする。その渦をノエが察知してぎこちなく、あるいは不機嫌になる、それを見たエリザが更に不機嫌になるという悪循環。実際、エリザの行動は特に衝動的で、それがノエとのトラブルにつながったりもする。ノエの年齢的なものもあるのだろうが、序盤から母息子の間はぎすぎすしており、そこにもひやひやした。エリザはダメな母親というわけでは全くないのだが、自分の問題が大きすぎて処理できず、ノエに疎外感を感じさせてしまうのかもしれない。問題に光明が見えた後、ノエとの関係も自然と落ち着いていくのだ。
 本作の原題は『Je vous souhaite d'être follement aimée』。アンドレ・ブルトンの『狂気の愛』の最終章に出てくる、娘宛の手紙の最後の一文だそうだ。日本語訳では、「あなたが狂おしいほどに愛されることを、私は願っている」。どんな形であれ、エリザもノエも、そしてエリザの実母もそう思われたのではないだろうか。

『メニルモンタン 2つの秋と3つの冬』

 ボルドーの美大を卒業したアルマン(ヴァンサン・マケーニュ)は、職を転々とし、学生時代からの友人のバンジャマン(バスティアン・ブイヨン)とつるみつつ、パリのはずれのメニルモンタンで暮らし続けていた。33歳の誕生日に、思い立ってタバコをやめジョギングを始めた彼は、同じく公園でジョギングをしていた27歳のアメリ(モード・ウィラー)に恋をする。監督はセバスチャン・ベベデール。
 冒頭、アルマンによるナレーション内に「33歳の青年」という言葉が出てくるのだが、ああフランスでもか・・・!としみじみし、一気に親近感がわいてきた。今の33歳は社会的には立派な成人だが、当人はまだ「大人」であることに自信が持てない人も多いのではないか(それを言ったら40歳になっても50歳になっても私は自身が持てそうにないけど・・・)。パリといえば昔からおしゃれで恋の都でパリジャンたちは皆シュッとしていて・・・というイメージだが、本作にはおしゃれでシュっとしている人は出てこないし、恋多き人たちでもないし、恋愛の手練れでもない。人生に迷いつつ地味に生きている、ごく普通の人たちだ。
 アルマンとアメリはドラマティックな事件により近づくが、2人はヒーローにもヒロインにも見えない。なんとなくぱっとしないままだし、かっこつかないのだ。アルマンの友人(作中主人公というわけではない)バンジャマンとその恋人の方が、まだしも「主人公カップル」的な属性があるように見える。本作は主にアルマンとアメリのモノローグで進行するのだが、2人ともメタ視線というか、自分たちに対して距離を置いた語りをする。それがまた、あんまり主人公ぽくないのだ。でも、そういう人たちも、自分の人生の上では主人公だし、自分たちでなんとかやっていくしかない。
 アメリが、とある状況に泣いてしまい、あることでアルマンとの関係がこじれてしまうのだが、この感じ、自分で処理しなければいけないが処理しきれない感じはすごくよくわかるなと思った。ドラマみたいにかっこよくはできないのだ。それでも、関係を築き直したかったら相手に働きかけるしかない。アルマンとアメリが話し合おうとする時、彼らがまた少し大人になっていくように見えた。

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