(ストーリー後半に言及しています)
ショーパブのステージに立つ凪沙(草彅剛)は、養育費目的で親戚の少女・一果(服部樹咲)を預かる。最初は双方心を開かなかったものの、社会の片隅で生きてきた2人の間に気持ちが通い始める。凪沙はバレエに情熱を傾ける一果を支えたいと考えるが。監督・脚本は内田英治。
俳優はかなり良かった。草彅の「あえてけだるげな女をわざわざ演じている女を演じる」という二重の演技性がハマっていた。凪沙は素があまりない、ほぼ「凪沙という女性」を演じている人なのだという感じがする。また新人だという服部は、序盤の寄る辺のない目つきが印象に残る。
ただ、いい部分もあるがそれ以上に問題点が多い作品だと思う。トランスジェンダーの扱いが安易だしあまり考えてないなという印象を受けた。まず、ショーパブのステージで踊る一果を凪沙たちが見て心打たれるというエピソードだが、一果が本物、凪沙が偽物という対比になってしまっているように思う。一果が踊る前に凪沙らが踊っていて客に馬鹿にされるという流れがあるので、本物の才能にはかなわない、みたいな演出に見えてしまう。しかし凪沙が仕事で踊るのと一果がバレエに情熱を燃やすのとは全然意味合いが違うだろう(一果とバレエの才能が対比される存在として同級生も登場するが、彼女の扱いも雑だったと思う。なぜとってつけたような悲劇にしないとならないんだ…)。
更に、「本物の女性の体」と「(トランスジェンダーという)にせものの女性の体」の対比に見えかねないのも厳しい。凪沙は「女性」と自認しており、偽物ではない。性転換手術を受けた凪沙に「本物の女性になったからあなたの母親になれる」と言わせてしまうのも問題だ。肝心なのは「親」で「母親」ではないし、女性の体をもっていれば母親になれるわけでもない。いまだに母性神話かとうんざりする。また、子供に必要なのは適切な「保護者」であって必ずしも父親・母親というわけではないだろう。
更に、手術後の凪沙の顛末が、現代の医療水準でいきなりそれは不自然なのでは?というもの。悲劇の為の悲劇に見えてしまう。失明についても、前々から何らかの疾患があって、という前フリがあれば理解できるがいきなりぶっこんでくるので不自然。不幸に舵切りすぎで凪沙が「母親」になろうとしたペナルティにも(そんなものあるはずがないのだが)見えてしまいかねない。
一方、素人が見てもバレエの扱いには問題がありそう。そんな短期間で劇的にうまくなるもの?!中学生で習い始めるのって世界を目指すには遅すぎない?!と突っこみ入れたくなった。全般的に、こういうシチュエーションがあったら泣けるな、盛り上がるなというものを無頓着に投入しているように思えた。この要素を盛り込むならもうちょっと勉強しては…という部分が悪目立ちしていた気がする。