3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ミッドサマー』

 突然家族を失ったダニー(フローレンス・ピュー)は、大学で民俗学を研究している恋人のクリスチャン(ジャック・レイナー)、彼の友人ジョシュ(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)、マーク(ウィル・ポールター)らと、スウェーデンのとある村を訪ねる。この村では90年に一度の祭りが行われるというのだ。その村、ホルガの人びとはダニー達をやさしく迎え入れ歓迎するが、祭りの儀式は彼女らにとって予想外のものだった。監督はアリ・アスター。
 まさかの盛り上がりで大ヒット中だが、個人的にはそれほどでも…。いわゆるホラー的に怖い映画ではないので割と平常心で見られたが、ちょっと長すぎて飽きてしまった。何が起こるか最初からある程度想定内だし、ダニーとクリスチャンとの関係やホルガの村のロッジ内に書かれている壁画の内容からも儀式の顛末は大体予想がつく。「まあそうなりますよね」としか思えないのだ。ただ、すごく拘りをもってきちんと演出されている作品だということはわかる。特にドラッグ類でハイになっているときの描写が、客観的にも当人の主観的にもすごく上手いと思った。芝生の上で全員間の抜けた表情になっている所とか笑ってしまうし、ホルガの食卓の上がぐねぐねしていたり花冠が常に動いていたりというほんのりとした不気味さがいい。ダニーが手足末端に感じる違和感の表現も説得力がある。
 ダニーとクリスチャンとの関係は、この2人なんでまだ別れていないの?というレベルに冷えている。冷えているというよりも、噛み合っていないといった方がいいか。ダニーは元々精神的に不安定だったことに加え、家族を失ったことで更に悪化しており一人になりたくない欲求が強まっている。クリスチャンには依存気味なのだ。対してクリスチャンは、ダニーとの関係は冷えているものの、傷ついている彼女を放っておくこともできず、中途半端な責任感でずるずる付き合っているように見える。クリスチャンはちょっと物事にだらしがない、身勝手な所があるということが友人に対するある態度でもわかるのだが、基本的に良い人なのだろう。とは言え、支えきれない人と安易に関わり続けるというのは双方にとって不幸な気がするし、一緒に異文化圏への旅行なんてもっての外だろう。別れられない、という所にこのカップルの最大の問題があるのだ。
 ホルガの民は迷いや葛藤が薄くて幸せそうだ。何かに所属しており、役割がはっきり決まっており存在を肯定されているという環境は、背景を失ったダニーにとって魅力的なのだろう。その安心感はクリスチャンは与えてくれないものだ。クリスチャンや彼の友人と一緒にいる時のダニーは、大麻を勧められた時のように本意に沿わなくても「私なら大丈夫だから」「気にしないから」と受け入れる。クリスチャンは、最初はダニーに寄り添おうとはするが、途中で止めちゃうし理解を諦めちゃうのだ。ホルガの人たちに対してはダニーは忖度する必要がない。彼らはダニーに共感してくれるのだから。


ウィッカーマン [Blu-ray]
ダイアン・シレント
KADOKAWA / 角川書店
2017-04-28


『見習い警官殺し(上下)』

レイフ・GW・ペーション著、久山葉子訳
 バカンスシーズンのスウェーデン、ヴェクシェー。警官見習いの若い女性・リンダの遺体が、母親のマンションで発見された。彼女は強姦され絞殺されていた。県警本部長は国家犯罪捜査局に応援を要請、エーヴェルト・ベックストレーム警部が派遣されることになった。捜査チームが早速捜査を開始するが。
 CWA賞やガラスの鍵賞を受賞した著者の『許されざる者』を読んだ後に本作を読むと、あれ?だいぶ雰囲気違うな?と思うかもしれない。『許されざる者』の主人公は超切れ者の元警察官ヨハンソン(本作にも現役警官としてちょっと登場する)だが、本作の主人公といえるベックストレームは相当問題がある。セクハラ、モラハラ、経費の使い込みは日常茶飯事。かつ、警官としてあまり有能でない!そしてその自覚がない!普通の警察小説だったら素行は悪いが能力はあるというのがセオリーなのに、ベックストレームはそもそも捜査能力が低いのだ。これが逆に新鮮だった。ほんとに頭悪いんだ…と。
 彼だけでなく、バカンスシーズン故にたまたま手が空いていた人の寄せ集め的な構成の捜査班はお世辞にも腕がいいとは言い難い。まあ普通なのだ。そんな普通の警官たちが右往左往しつつ、地道に事実を拾い上げていくところが本作の読みどころなのだろう。容疑者特定もいきなり出てきたな!って感じの唐突さ。ただ、その唐突さとそこから先の決定打の出せなさがリアル。時に誇張された登場人物の描写とはうらはらだ。文章が少々大げさで鼻につくところがあったが、警察群像小説としてはむしろ地味な展開だろう。

見習い警官殺し 上 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2020-01-22


見習い警官殺し 下 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2020-01-22




『宮本から君へ』

 文具メーカーの営業マン、宮本浩(池松壮亮)は不器用だが正義感が強い熱血人間。会社の先輩である神保(松山ケンイチ)の仕事仲間である中野靖子(蒼井優)と恋に落ちる。しかし靖子の元彼・裕二(井浦新)が現れる。靖子に暴力を振るった裕二に対し、宮本は「この女は俺が守る」と言い放つが。原作は新井英樹の同名漫画。新井は宮本の父親役として出演もしている。監督は真利子哲也。
 宮本の熱血バカ、スポーツできないのに体育会系気質な所(というよりもそういう環境に投げ込まれている)は、受け付けない人はとことん受け付けないだろう。宮本という男性の造形にしろ、本作における男女の関係の在り方にしろ、かなり古さを感じることは否めない。そもそも原作がそこそこ以前に描かれたものだから仕方ないのかもしれないが。私も宮本のようなキャラクターは本来苦手なはずなのだが、なぜかするっと見ることができたし不快感もさほど感じなかった。真利子監督のタッチがかなり乾いているからか。また、宮本の行動を全面的に肯定・共感するわけではない、彼にしろ靖子にしろちょっと引いた目線で撮られているというのもよかったのかもしれない。登場人物たちはかなりストレートに感情をぶつけ合い、激情を示す。俳優たちも熱演しているのだが、池松と蒼井の演技がすごくいいかというと、いいことはいいが突出していいという感じではない。むしろ、ふっと力が抜けたようなシーンの瞬間的な表情の方に、はっとする良さを感じた。これは演じる側と撮る側の力のバランスが取れているからだろうなと思う。路上のキスで柄にもなくぐっときた。
 宮本の「頑張り」は実は具体的に何か・誰かの役に立っているわけではない。靖子になじられるように自分の為だ。むしろ、一番肝心な時に彼は何もできず気付きもしない。ただ、自分が納得するために悪あがきして、空回りで何が悪い!という突き抜けた感じがする。この人はこうすることしかできない人、考えるよりとにかく動いた方が前に進める人なのだと納得できる見せ方になっていた。現代的ではないのだろうが、現代でも確かにこういう人はいるよなと。
 宮本の取引先のお偉いさん方と靖子とを交えたシーンが、本作中一番きつかった。前時代的なパワハラ・モラハラの嵐なのだが、今でもこういう関係性は間違いなくそこかしこにあるし、こういう営業がまだまだあるんだよなー。待ち合わせに遅れてきた靖子が、赤の他人である宮本の取引先の真淵(ピエール瀧)に勢いよく頭を下げる、それを聞いた真淵が気をよくして「ついてこい!」と飲みの席に彼女を同席させるという流れがたまらなく嫌だった。真淵らが勝手に来てるんだから謝る筋合いないんだけど、そうやって場を収めるのがベストという判断が靖子の身に付いてしまっているというのが辛い。

宮本から君へ DVD-BOX 
池松壮亮
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2018-10-03


定本 宮本から君へ 1
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太田出版
2009-01-17


『港の兄妹』

 ちいさな港町で自閉症の妹・真理子(和田光沙)と2人暮らしをしている良夫(松浦祐也)。工場の仕事を解雇されて食事にも事欠く状況になった良夫は、真理子に売春をさせ日銭をかせごうとする。妹を斡旋することに罪悪感を持ちつつ、今まで知らなかった彼女の一面を目にしていくが。監督・脚本は片山慎三。
映像にはっとするような部分があるし、俳優の鬼気迫る演技はすごい。人間のかっこわるい、みっともない表情を赤裸々に見せている。しかしその赤裸々さが大分古臭い、昔のテンプレートっぽいなと思った。貧しい兄妹というのも、妹に体を売らせるという設定も、セックスによって違った面が見えてくるというのも、今これをやる必要があるのかな?という気がした。
 妹が売春をするというくだりにはイ・チャンドン監督『オアシス』に似通ったものを感じた。障害者の性を描くことが危ういというのではなく、当事者である女性の真意がどういうものであるか確認しようがないというシチュエーション、にも関わらず本人が意欲的であるという風に作劇されているところの無頓着さがどうも気になった。
気になると言えば、兄妹の世界がすごく内向きだという所も気になった。社会からどんどん乖離していく。ある程度抽象的な描き方を意図しているのだろうとは思うが、具体的にどういう仕事をしてきた人でどういう生活をしていてという部分が(食生活の貧しさ等が具体的に見せられているにも関わらず)あまり迫って来ない。貧しさと社会とが乖離している感じが気になった。
 本作に限らず日本映画で貧困を描く時、当事者の外側がないというか、どういう社会に所属していて公的な支援があるのかないのかといった視点があまりないように思う。本作の場合、貧しさを具体的に描くことが目的というわけではないだろうが、あまりに抽象的になのも不自然。貧しさが観念的すぎるし、当事者の内面の問題に帰結しているように見えてしまう。

オアシス [DVD]
ソル・ギョング
バンダイビジュアル
2004-12-23




海炭市叙景 Blu-ray (通常版)
加瀬亮
ブロードウェイ
2011-11-03

『未来を乗り換えた男』

 ファシズムの嵐から逃れ、祖国ドイツからフランスへやってきたゲオルグ(フランツ・ロゴフスキー)。しかしパリもドイツ軍に占領されつつあり、南部の港町マルセイユへ向かった。パリのホテルで自殺していた作家ヴァイデルのパスポートをたまたま手に入れた彼は、ヴァイデルに成りすましてメキシコへ渡ろうとする。しかしたまたま知り合ったヴァイデルの妻マリー(パウラ・ベーア)に心奪われてしまう。原作はアンナ・ゼーガースの小説『トランジット』。監督・脚本はクリスティン・ペッツォルト。
 第二次大戦下のヨーロッパのような社会情勢で描かれているが、舞台となっているのは明らかに現代(スマホも出てくる)。しかし登場人物の服装はどこかレトロで時代の特定はしにくい。どこでもありどこでもない、いつでもありいつでもないという不思議な雰囲気がある。この特定できなさ、逆に言うとどこでも・いつでもありうる普遍性を醸し出す美術面の匙加減が上手いと思った。マルセイユという町の風景も効果的。
 ゲオルグの行動はマリーに魅せられてのものではあるのだろうが、それ以上に彼の人となりから来るもののように思えた。汽車で同乗した相手にしろ難民の子供にしろ、困っている・傷ついている人がいたらとりあえず助けようとはするのだ。見込みが甘かったり自分の都合が優先させられたりはするが、基本的に善意がある。人間には善意があるはず、窮地の中でも人として正しいことをする瞬間があるはずという、オプティミズムのようなものを感じる。同監督の『東ベルリンから来た女』でも、自分の処遇はともかく「正しいことをした、これが私にとっては勝利だ」という話だった。人間は利他的になれるという希望を常に持っているように思える。本作は三角関係を含んだロマンス映画でもあるが、ロマンス以上に人間のこういった部分の方が強く印象に残った。善意は中途半端な形で発揮されるかもしれない。ゲオルグの手助けは概ね中途半端なものだ。でも、やるんだよ!というのが本作の方向性では。
 
 一方で、ゲオルグを引き留めているのは土地そのものでもあるように思えた。この土地に辿りついた人は土地の呪縛に絡み取られ、ずっとこの地でさまよい続けるのではないかと。マリーが夫を探し続けるのも、彼を愛し続けているからというよりも、この地を出られないような呪いをかけられたように見える。彼女の気持ちがふわふわしているように見えるのも、そのせいではないだろうか。

東ベルリンから来た女 [DVD]
ニーナ・ホス
アルバトロス
2013-07-03





『ミッション:インポッシブル フォールアウト』

 盗まれた3つのプルトニウムを回収するミッションを命じられたイーサン・ハント(トム・クルーズ)だが、何者かに回収目前で横取りされてしまう。秘密組織シンジケートの関連組織、アポストルが関係しているらしい。手がかりとなるジョン・ラークなる人物を確保しようとするイーサンとIMFだが、CIAはイーサンの目付け役としてエージェントのオーガスト・ウォーカー(ヘンリー・カヴィル)を送り込んできた。監督はクリストファー・マッカリー。
 MIシリーズって、見ているうちに「あれ?これそもそも何が目的のミッションなんだっけ?」と思う瞬間があるのだが、本作はほぼ全編にわたってその思いが頭を離れなかった・・・。前評判の通り、アクションはまあバカみたいにすごくて、トム・クルーズは撮影中に死にたいのかなーと不安になるくらいなのだが、それ以外の部分の印象がおしなべてぼんやりしている。あれ、どういう話だったっけ・・・と思う頻度はシリーズ中一番高かった。アクションシーンとアクションシーンを繋ぐ為に無理矢理ストーリーのパーツをはめ込んでいるような印象。前作『ローグネイション』が大変面白かったので、大分がっかりしてしまった。登場人物の造形や立て方も、前作には及ばなかったように思う。また、ストーリーに行き当たりばったり感が強いので、登場人物が上手く機能していない。新規投入されたオーガストも再登場のイルサも、もっと活かし方があったんじゃないかなという中途半端さだ。イーサンのキャラクターがシリーズ重ねるごとに変化してきているのだが、その変化にストーリー構築が追い付いていない感じもした。行動が唐突過ぎるように思える。
 とは言え、アクションは確かに前評判通りの迫力。予告編でも使われていたヘリコプターのアクションは無茶すぎて笑ってしまうくらい。個人的にはパリでのカーチェイスがとても楽しかった。バイクと乗用車とを使ったカーチェイスだが、車体間隔が非常に狭かったり、音の響かせ方にひねりがあったりとわくわくする。古い町並みが背景というのも味わい深くいい。




『未来のミライ』

 4歳のくんちゃん(上白石萌歌)は、生まれたばかりの妹に両親の関心を奪われ、ご機嫌斜め。ふてくされて小さな木の植わった中庭に出るたび、不思議な世界に迷い込む。そんな彼の前に、10代の少女が現れる。彼女は成長した妹・ミライ(黒木華)だった。原作・脚本・監督は細田守。
 『バケモノの子』があれもこれもやろうとして収集つかなくなっていたのをふまえたのか、今回は一つの家族とその家の子供に焦点を当て、おそらくあえて家庭の外の世界は描かない。くんちゃんは幼稚園に通っているのでおそらく幼稚園での友達はいるはずだし(○○君のおうちで遊ばないの?みたいなセリフは出てくるので)、ご近所さんもいるだろうし、親にとっても保護者同士の繋がりや仕事上の繋がりもあるだろう。そういうものはほぼ排除された、かなりクローズドな世界観だ。児童文学的な(中川李枝子『いやいやえん』を思い出した)雰囲気で、実際、くんちゃんが中庭に出るとすっとファンタジーの世界に移行していく流れには、これが子供視点の世界かもしれないなと思わせるものがあった。唐突と見る人もいるかもしれないが、子供の世界ってこのくらい躊躇なくあちら側とこちら側を行き来するものじゃないかなと。
 とは言え、作品としては今回もいびつさが否めない。くんちゃんと両親、ミライちゃんの関係を横糸に、縦糸として母親の子供時代、そして曾祖父の青年時代という、家族の歴史が織り込まれるのだが、この縦糸があまり機能していないように思う。未来のミライちゃんが登場する意義もあまり感じない。そもそも4歳児に一族の歴史を意識させようというのはなかなか無理があると思う。子供であればあるほど、「今ここ」に意識は集中するだろう。
 また、くんちゃんがある危機に陥った際、自分が「ミライちゃんのお兄ちゃん」であることが「正解」とされる。確かに「正解」は「正解」なのだが、これをもってアイデンティティとされるのはちょっと違うんじゃないかなと違和感を感じた。肉親との関係性だけによって個人が成立するわけではないだろう。4歳児であるくんちゃんの世界は両親と妹で構成される小さなものかもしれないが、電車が好きなくんちゃんや自転車に乗れるようになったくんちゃんという側面も大きいわけだし。
 毎回異なる一定層の地雷をぶちぬいていくことに定評がある細田監督だが、今回も間違いなく一定層の地雷に触れていると思う。相変わらずコンテ、作画のクオリティは素晴らしい(幼児の動きの表現にはフェティッシュさすら感じる)のでアンバランスさが悩ましい。ストーリー、脚本は自分でやらない方がいいんじゃないかな・・・。監督として職人的なスタンスに徹した方がバランスのいい作品に仕上がりそう。当人は作家性を出していきたいんだと思うけど、そんなに作家性の高い作風じゃないと思うんだよな・・・。
 なお、これも相変わらずだが女性の造形はいまひとつだけど男性の趣味はいいよな(笑)。モブ美少年にしろひいおじいちゃんにしろ無駄にクオリティ高い!ひいおじいちゃんなんてキャラクターデザインがイケメンかつ中の人もイケメンでずるすぎだろうが!




『港町』

 想田和弘監督の「観察映画」第7弾。前作『牡蠣工場』の撮影地である岡山県の漁港町・牛窓。『牡蠣工場』の撮影の合間に出会った町の人たちの生活と町の風景を撮影した作品。
『牡蠣工場』の副産物とも言える、元々撮影の予定はなかった作品だそうだ。撮り始めてみたら予想外の撮れ高があったというか、監督の撮影者としての引きが強いというか。ここは撮ってみたら面白いかもな、という場に即時対応していく判断力と身体性(観察映画は、撮影者の身体性を予想外に感じる形式だと思う。実際問題として、タフじゃないと撮影し続けられないだろうし)がこの引きの強さを生んでいるんだろう。122分という想田監督としては比較的短い作品なのだが、密度は濃い。
 本作、ほぼ全編モノクロームで撮影されているのだが、モノクロの風景にはどこか異世界感がある。この町で長年繰り返されてきたであろうごくごく日常の風景が映し出されると同時に、それが他の国のような、全く知らない世界のもののように見えてくる(もっとも、都会、ないしは内陸側に住んでいる人にとって牛窓は「異界」と言えるのだろうが)。登場するのがお年寄りばかりで若者や子供があまりいない(子供は全く登場しない)ということもあって、なんだかあの世とこの世の境目のようだ。
 メイン登場人物とも言える「クミさん」はよく喋るが、息子についての話が始まると、異世界感が更に深まる。クミさんに限らず、登場する人たちの日常風景を追うことは、その人の生活と歴史を垣間見ることだろう。クミさんの息子についての話も彼女の生活と歴史を反映したものではあるのだが、それ以上彼女の内的世界がはみ出してくるような、異様な迫力があるのだ。普通、日常の中でのコミュニケーションでは、そういう「中身」を必要以上に見せないものにするものだろう。見た側も見せてしまった側も、なんとなく居心地悪くなりそうだから。
 そこをあえて踏み込む想田監督の心の強さに唸る。普通だったら腰が引けてしまいそうなところをあえて踏み込んでいく。被写体にもよるだろうが、この判断力はドキュメンタリー作家としての資質に大きく関わってくるんだろうなと思う。対象との距離感が初期とはだいぶ変わってきているのでは。

精神 [DVD]
ドキュメンタリー映画
紀伊國屋書店
2010-07-24



『Mr.LONG ミスター・ロン』

 殺し屋のロン(チャン・チェン)は東京にいる台湾マフィアを殺す仕事を受けるが失敗。北関東の田舎町で身動き取れなくなった所、少年ジュン(バイ・ルンイン)に助けられる。その母で台湾人のリリー(イレブン・ヤオ)は、薬物依存症に苦しんでいた。一方で、おせっかいな地元住民たちは、あれよあれよという間にロンの住家や商売の為の屋台を世話する。監督・脚本はSABU。
 ロンは日本語がわからないのだが、住民たちが勝手にどんどん段取つけていく様に対する「何がどうしてこうなった」という表情はとてもキュート。流れ者が悪党に苦しめられる母子を救うという所は『シェーン』(ジョージ・スティーブンス監督)フォーマットだが、流れ者当人が現地の人たちの善意に翻弄され、流れ者としてのアイデンティティが危うくなる(笑)という所が愉快。ロンが所属している組織は表向きレストラン経営しており、ロンも料理が得意。水と塩で野菜煮ただけの汁物はさすがにおいしくなさそうだったが、その後登場する諸々台湾のお惣菜風料理はおいしそうだし、包丁をふるうチャン・チェンはかっこいいし、絵として料理要素が入ることで、ぐっと魅力的な作品になっている。とにかくチャン・チェンの魅力ありきな作品。ナイフを使ったアクションも、終盤の殺陣などかなり戯画的ではあるが(そもそも殺しの道具として効率悪いのでは・・・)様になっていた。
 そんなに精緻な脚本というわけではないし、ある種の「型」を踏まえたストーリーではあるが、前述の通りチャン・チェンに魅力があるし、ラストにベタ故の気分の良さがあり楽しく見た。ただ、1シーンが長すぎ、エピソード加えすぎなきらいがあり、あと30分くらい短くできそうだなぁという気もした。製作側だけが楽しい、自己満足感が滲んじゃっている。リリーの過去を見せたいのは分かるが、そこまで細かくやらんでも・・・。住民たちの田舎歌舞伎のシーンもまるっと割愛してもよさそう。見ていてちょっと苦痛だった。

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2012-02-02


牯嶺街少年殺人事件 [Blu-ray]
チャン・チェン
Happinet
2017-11-02



『ミステリ原稿』

オースティン・ライト著、吉野美恵子訳
 夫、子供と暮らすスーザンの元に、20年前に別れた前夫から小説の原稿が送られてくる。小説家志望だった前夫エドワードはとうとう長編『夜の獣たち』を書きあげ、彼女に読んでほしいと言うのだ。スーザンは原稿を読み始めるが、その小説は1人の男トニーが暴力の最中へ投げ出される物語だった。『ノクターナル・アニマルズ』(トム・フォード監督)として映画化され、文庫版は映画と同題名とのこと。
 原稿の読者であるスーザン視点のパートと、作中小説である『夜の獣たち』のパートが交互に配置される。スーザンは『夜の獣たち』をよみながら小説の主人公トニーの視線に自分を重ね、かつ、トニーに前夫であるエドワードを重ねていく。更にスーザンの視線はトニーだけでなく、彼の妻子や彼らに絡んでくる男たちにも重ねられていく。彼らの中の暴力性はスーザンの中にもあり、そして小説を生んだエドワードの中にも潜んでおり、それが呼応していくかのようだ。読書という行為がどのようなものか、上手く描かれた作品だと思う。必ずしも小説の主人公に共感、主人公目線で読むわけではなく、小説内の様々な部分に感情や記憶を呼び起こされていくと同時に違和感を覚えもする感じ。スーザンはエドワードの原稿を読むことによって、彼が自分を揺さぶろうとしている、自分に影響を及ぼそうとしていると感じ、それに反発もするのだが、それが読書という行為(そしておそらく小説を書くという行為)だよなと。
 『夜の獣たち』には、理性的かつ非暴力的故に妻子を奪われたトニーが、徐々に暴力側に引き込まれていく様が描かれている。非暴力的であることが「男らしくない」と非難されるのって(おそらくアメリカでは顕著なのだろうが)辛いな・・・。暴力へのストッパーは社会的に絶対必要とされているのに、ストッパーがかかっていることを非難されもするとは。暴力が否定される一方で暴力を強要されるような二律背反がある。




血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)
コーマック・マッカーシー
扶桑社
2007-08-28

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