小学1年生のトットちゃん(大野りりあな)は、おしゃべりで落ち着きがないことを理由に、学校を退学させられてしまう。困った両親は独特の教育をしているというトモエ学園にトットちゃんを転校させる。小林校長先生(役所広司)が指導する自由な校風のもとで、トットちゃんはのびのびと成長していく。原作は黒柳徹子の同名エッセイ。監督は八鍬新之介。
子供の動きのかわいらしさと不器用さ、どうかするとすごく不細工になったりする描写の細やかさ、ユニークさというアニメーション表現と、トットちゃんの想像世界を描くアートアニメーションパートのどちらもクオリティが高く、アニメーション好きは必見だろう。かわいいことはかわいいが、キャラクターデザインを含めキャッチーなかわいさにしすぎていない所に好感を持った。正しい児童向けアニメという趣だが、今の児童にキャッチーに刺さるかというとちょっと微妙な所はある。むしろ大人とこれから大人になる人たち(それを児童というわけだが…)に向けて作られたと言った方がいいのか。子供の頃に背景がよくわからないまま見て、後々もう一度見てああそういうことだったのかと見方が更新される、みたいな鑑賞のされ方になるといいなあと思える作品。
物語は概ねトットちゃんの視点で進むので、基本的には子供の世界が描かれる。トットちゃんは発想が自由でおしゃべり、自分の世界をしっかりと持っている子供だ。それが一般的な学校教育にははまらない。はまらなさを両親は心配するのだが、小林先生は肯定する。小林先生が初対面のトットちゃんの話をじっと聞くシーンは、彼が子供を一人の人間として尊重している様が現れているようで、トットちゃんが先生を信頼するようになるのも納得できる。また、トットちゃんがくみ取りトイレに落とした財布を探す際、小林先生は「ちゃんと元に戻すんだぞ」とだけ言って彼女の気が済むまでやらせておく。気が済んだトットちゃんは納得して財布を諦めるのだが、トモエ学園の教育方針がよく表れているエピソードだったと思う。大人としては早い時点で止めさせた方が多分楽(何しろ臭いし汚くなるので原状回復は一苦労だろう)なのだが、そうはしない。また「尻尾」のエピソードも小林先生の教育者としての指針がはっきり示されていた。トモエ学園での授業そのものの描写にはそれほど時間が割かれていないのだが、こういう部分で学園の核みたいなものはわかるように提示されている。そして、その核になる部分が当時の日本の社会が徐々に向かっている方向とは相容れないものなのだろうということも察せられるのだ。
物語はトットちゃんが小学生の時分の出来事だが、彼女がトモエ学園に編入した時点で、第二次世界大戦は既に始まっている。この頃は東京に戦争の影はあまり見えない。国語の授業で使う文章にその影が見える程度だが。しかし昭和16年~19年くらいの間で急激に戦争下の世相になっていく。この変化の見せ方がとても上手い。トットちゃんには大人の世界のことはあまりわからないわけだが、子供たちが描く絵や子供たちの発言にも影響が出てくるのだ。軍国教育とは無縁なトモエ学園でもこうなるかと、子供の世界と大人の世界が当然地続きであることを改めて感じた。トットちゃんの両親が自分たちを「パパ、ママ」ではなく「お父様、お母様」と呼びなさいと言うくだりは結構ぞっとするのだが、こういう世相だったんだなと。両親の(ことに父親の)忸怩たる思いも刺さってくる。クライマックスでトットちゃんが疾走するシーンでは、子供の世界に大人の世界、「世の中」が一気に流入してきて圧巻だし、しみじみと辛い。彼女の全くの子供としての世界が終わっていく気配が濃厚になるのだ。