3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『マーメイド・イン・パリ』

 家業の老舗バーでステージに立つ歌手のガスパール(ニコラ・デュボシェル)は、ある夜、川辺で怪我をしている人魚のルラ(マリリン・リマ)を発見し、手当の為に自宅に連れ帰る。ルラの美しい歌声を聞いた男たちは心奪われ、その命がルラのエネルギーとなっていた。ルラはガスパールの命も奪おうとするが、過去の痛手で恋する感情を無くしたガスパールには全く効果がなかった。監督はマチアス・マルジウ。
 冒頭のアニメーションが素敵で、これから「お話」が始まるぞ!と心浮き立つ。本編のルックもレトロかつキッチュで魅力的。ちょっと前のフランスの小品映画という雰囲気がある(こういう感じの映画、シネマライズとかシネクイントとかで上映していたよな…と懐かしくなった)。一応現代が舞台らしいのだが、美術面は全体的に作り物めいたレトロ風味でまとめられている。
 ビジュアルのレトロさは、ガスパールが過去に生きる人であることと呼応しているように思った。ガスパールはバーを大切にしており、もう潮時だからと売却しようとする父親に強く反発するのだが、彼が愛するバーの姿は祖母が仕切っていた過去のもので、今この店をどう盛り立てるのかという方向には向いていない。また、ガスパールのアパートは年代物の家具家電や子供時代からずっと置かれているようなおもちゃでいっぱい。40歳の大人の部屋という感じではないのだ。彼の時間は祖母が健在でバーも繁盛していた子供時代で止まっているように見える。祖母から受け継いだ仕掛け絵本がお守りのようになっているのも、彼が過去に生きていることの象徴のように思えた。
 そんなガスパールの人生を無理やり「今ここ」に引っ張り出すのがルラとの出会い。ルラの治療や食事の為に奔走し、彼女と共に歌ってレコーディングまでする。ルラと過ごす中で、エンターテイナーとしての自分の本分に立ち返っていくのだ。過去を捨てて進むのではなく、過去もそのまましょい込んで、かつ開き直って前進する様が小気味よい。変に現実に立ち返れとか大人になれとかいう話ではない。むしろファンタジーとして腹をくくっている感じがした。
 実は人が結構死んでいるしルラは男性たちを殺すことに躊躇がないので物騒な話ではあるのだが、妙にあっけらかんとしている。夫をルラに殺された医者が復讐に燃えてルラとガスパールを追うが、彼女もまた医者としての本分に立ち返っていく。本来の自分に戻るという流れがガスパールと平行しているのだ。

ロスト・チルドレン [Blu-ray]
セルジュ・メルラン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2013-10-02


シェイプ・オブ・ウォーター オリジナル無修正版 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
オクタヴィア・スペンサー
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2018-12-05


『Mank マンク』

 1930年代、ハリウッド。脚本家のマンクことハーマン・J・マンキウィッツ(ゲイリー・オールドマン)はオーソン・ウェルズ(トム・バーク)から依頼された新作『市民ケーン』の脚本を執筆中だった。アルコール依存症に苦しみ、無茶な納期や注文、製作会社からの妨害に振り回されつつ脚本の完成を目指す。監督はデビッド・フィンチャー。
 1941年に公開された『市民ケーン』はオーソン・ウェルズ監督主演の代表作だが、その脚本を手掛けたのがハーマン・J・マンキウィッツ(現在ではウェルズとマンキウィッツの共作扱い)。マンキウィッツが脚本を書いていく様と当時のハリウッドの様子やアメリカ社会の動き、そしてケーンのモデルとなったメディア王ウィリアム・R・ハーストの影を描いていく伝記ドラマ。フィンチャーにとっては久しぶりの伝記ものだが、モノクロ画面に現在と過去を行き来しやがて全体像が浮かび上がるという『市民ケーン』を踏襲したスタイル。『市民ケーン』という作品への敬意が感じられる。と同時に、『市民ケーン』を踏襲しているということは、実在の人物・エピソードを元にしていてもあくまで本作はフィクションだという立て付けも踏襲しているということだ。マンクの勇気と諦めなさ、周囲からの圧力に屈しないタフなユーモアを史実として感動するのには、ちょっと留保が必要だろう。フィンチャーも当然そのつもりで本作を作っているわけだ。本作、こういった構造に加え、観客が『市民ケーン』をしっかり鑑賞していること、製作当時のエピソードや実在の関係者、時代背景についてかなり知識があることを前提に作られているので、鑑賞ハードルはかなり高いと思う。正直、私が見るべき作品ではなかったな…。
 マンキウィッツが書くのはフィクションだ。彼は自分が事実を元にフィクションを書いているという自認は当然あり、それによるリスクも責任を問われることも覚悟している。一方で、ハーストらは選挙を有利に運ぶために「やらせ」のニュース映画を作る。正にフェイクニュースなわけだが(メディアによる情報操作はこのころからあったということに加え、メディア戦で勝つのは資金がある方というのが辛い…)、マンキウィッツはこれに激怒する。フィクションで現実と戦うというのは、こういうことではないのだ。フィクションは嘘でだますこととは違うという、フィクションを扱う者としての矜持が見えた。

市民ケーン Blu-ray
レイ・コリンズ
IVC,Ltd.(VC)(D)
2019-11-29


『市民ケーン』、すべて真実 (リュミエール叢書)
ロバート・L. キャリンジャー
筑摩書房
1995-06-01


『マティアス&マキシム』

 幼馴染のマティアス(ガブリエル・ダルメイド・フレイタス)とマキシム(グザビエ・ドラン)は、友人の妹が撮影している短編映画でキスシーンを演じる羽目になる。これがきっかけでお互いに対する感情に気付き始めた2人だが、婚約者がいるマティアスは自分の気持ちに戸惑い混乱する。一方、マキシムは思いを告げないままオーストラリアへ渡る準備を進めていた。監督・脚本はグザビエ・ドラン。
 マティアスとマキシムと友人たちの賑やかさ、はしゃぎっぷりは私にとってかなり苦手なノリで、見ていて若干苦痛な所も。10代ならともかく、30代の大人がああいうはしゃぎ方をするのはちょっと見苦しいなと思ってしまった。とは言え、彼らの友人関係はなかなか良い。マティアスとマキシムの関係が微妙になっていることを勘付きつつもいじらず、仲直りできそうなタイミングでパスを出すという配慮がある。また、彼らの仲間内では家庭環境に結構経済格差があるようで、今の生活水準もまちまち。リヴェット(ピア=リュック・ファンク)は明らかにそこそこ豊かな家の息子だし、マティアスは自身が新進気鋭の弁護士で実家もそこそこ安定していそう。一方マキシムは母親との関係にかなり問題があり、子供の頃から生活に苦労していた様子が垣間見られる。今の仕事もバイトのバーテンらしく不安定だ。しかし、仲間内ではこういう格差を追た阿木に感じさせることがほとんどなくフラットな関係が維持されている。意外とお互い気を使っており、ぎりぎりでバランス保っている感じだった。
 マティアスは「言葉警察」と言われるくらい言葉の使い方に厳密。意味のある話、ちゃんと言語化された話に拘りがある。しかしマキシムに対する自分の気持ちは言語化できないし、自分の心の動きを受け入れることができず、なかったものにしてしまう。マティアスのマキシムに対する態度はかなり不誠実だと言えるだろう。
 一方、マキシムは言葉の使い方こそ上手くはないが、自分の気持ちには誠実だ。言葉の正確さを求めるマティアスと言葉を使いこなせないマキシムのコミュニケーションの齟齬と距離がもどかしくもある。2人の距離が縮まるのは、言葉が介在しない瞬間、体が動いた瞬間だ。それはマティアスにとっては受け入れがたいことなのかもしれないが(それにしてもそこで逃げるの?!という逃げっぷりで退いた)。ラストシーンの後、マティアスはマキシムに何か告げることができたのだろうかと気になった。

トム・アット・ザ・ファーム(字幕版)
マニュエル・タドロス
2015-05-02


君の名前で僕を呼んで(字幕版)
アミラ・カサール
2018-09-14


『マーティン・エデン』

 貧しい船乗りのマーティン・エデン(ルカ・マリネッリ)は、ブルジョア階級の令嬢エレナ(ジェシカ・クレッシー)に恋し、彼女のような教養を身に付け彼女が所属する世界に参入したい、彼女と結ばれたいと切望する。文学に夢中になり小説家を目指した彼は、幾多の挫折を乗り越えて富と名声を手にするが。原作はジャック・ロンドンの自伝的小説。監督・脚本はピエトロ・マルチェッロ。
 主演のマリエッリの正に映画俳優的なビジュアル、佇まいで存在感抜群だった。またマーティンが憧れるエレナを演じるクレッシーは、ボッティチェリの作品に描かれた女性のような風貌。イタリアの古典的な美人というのはこういう感じなのだろうか。俳優は皆良かった。
 俳優もいいのだが、彼らが置かれた空間、背景となる風景もとても魅力的。人がいないシーンの間が持つというか、ずっと見ていたくなる。映像はざらつきのある質感で、色合いはクール。寒々しさの一歩前でとどまっている感じだ。ナポリ以外の土地の名前、具体的な時代はぼかしてあるのだが、時代・場所の抽象性が嘘くさくならないようなディティールの造形もよかった。
 ジャック・ロンドンの原作はもちろん20世紀初頭のアメリカ、オークランドが舞台だ。それをなぜにイタリア映画に?何か全然感触違いそうだけど?と思っていたが、全然成立している。むしろ最初からイタリアの作家作品が原作なのでは?というハマり方で、これはアレンジの上手さなんだろうなぁ。特に労働組合運動、ストの盛り上がり等はイタリアっぽい。最近読んだイタリア小説で描かれていた、60年代前後の左翼活動の盛り上がり方が印象に残っていたからかもしれないが。
 マーティンはエレナたちの世界、文化と教養の世界に憧れ渇望するが、同程度の教養を身に付けても彼らの世界は彼を拒む。そもそもエレナはマーティンに思いやりと愛を示すが、彼が自分たちの世界ルールに合わせることを前提とした付き合いで、自分が彼の世界に歩み寄るという発想はない。マーティンに対しても結構失礼なことを言っているのだが、彼女にはそんな自覚はないだろう。その自覚のなさが「持つもの」である所以なのだろうけど…。マーティンは元々文学に惹かれる人物だったという描写があるが、そんな彼がエレナに見合うような同等の教養を得ようとし、徐々に独自の表現を掴んでいく。彼の中にあったものが一気に噴出していく熱気が鮮やかだ。憧れと現実とのギャップが彼を走らせ続けたとも言える。
 ただ、自らの言葉を手に入れる中で、彼は彼女の失礼さ、彼女の世界が絶対に自分を同等には扱わないことにも気付いてしまう。彼女に憧れ続けても共に生きることは出来ないし幸せにはなれない。マーティンは富も名声も手に入れるが、エレナは手に入らないし最早手に入れたいものでもなくなっていく。最後はまた何も持たず、一人で(というかずっと一人でいる感じの人なんだけど…)立ち尽くしているように見えた。


火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)
ジャック・ロンドン
スイッチ・パブリッシング
2008-10-02


『マザーレス・ブルックリン』

 1950年代、NY。私立探偵事務所の所長フランク・ミナ(ブルース・ウィリス)が殺された。少年時代から彼に育てられた部下のライオネル・エスログ(エドワード・ノートン)は事件の真相を探ろうとする。ミナは何者かの秘密を追っていたのだ。原作はジョナサン・レセム。監督はエドワード・ノートン。
 ノートンが監督主演を兼ねているが、俳優としてはもちろん監督としての筋の良さがわかる好作。90年代が舞台だった原作よりも時代設定をさらにさかのぼらせたことで、翻訳ミステリ小説ファンには懐かしさを感じさせる、クラシカルな探偵映画になっている。ビジュアルの質感や、ジャズを中心とした音楽の使い方(なぜかトム・ヨークが楽曲提供&歌唱しているんだけどあまり違和感ない)も雰囲気あってよかった。ただ、クラシカル故にというかそれに流されたというか、女性の造形・見せ方も少々レトロで、(特に当時の黒人女性がおかれた立場を描くなら)もう少し彫り込むことができたのでは?とは思った。ノートンが実年齢よりだいぶ若い設定の役柄なので、女性と年の差ありすぎないかという所も気になった。設定上はそんなに年齢が離れていないはずだし、確かにノートンは年齢の割に若く見えるのだが、さすがに厳しい。
 題名の「マザーレス・ブルックリン」はミナがライオネルに着けたあだ名。文字通り、ライオネルは母のいない孤児として、疑似父親であるミナに育てられた。ライオネルが親しくなる黒人女性ローラ(ググ・ンバータ=ロー)もまた母親を早くに亡くしており父親に育てられた。ライオネルが追う謎は、2組の父子の父親の謎でもある。父親は実はどのような人間なのか、何をしていたのかという。そして彼が清廉潔白でなかったとしても、子供への愛は依然として残り、それがほろ苦くもある。
 ミナ役のブルース・ウィリスをはじめ、ウィレム・デフォー、アレック・ボールドウィンという大御所がなぜか出演しているのはノートンの人脈か。ボールドウィン演じる不動産王はトランプ大統領を思わせる造形。50年代が舞台なのにも関わらず、地上げと地元民の排除が背景にある点はより現代に通じるものがある。


銃、ときどき音楽
ジョナサン レセム
早川書房
1996-04



『マリッジ・ストーリー』

 NYで活動している女優のニコール(スカーレット・ヨハンソン)と舞台演出家のチャーリー(アダム・ドライバー)夫婦はすれ違いが増え、協議離婚をすることになる。しかしそれまでため込んでいた不満と怒りが噴出し、息子の親権争いも加わり弁護士を立てて全面的に争うことになってしまう。監督はノア・バームバック。
 お互いの「良い所リスト」から始まり、終わるという構成が上手いが皮肉でもある。ニコールとチャーリーの関係は大きく変わるが、双方で挙げた良い所がなくなったというわけではない。人生を共にすることはできなくなってもそれが残っていくということが、救いでもありより辛くもあるのだろう。他人になりきれないのだ。関係が冷えて別居していてもニコールがチャーリーの髪を切ったりしてあげるのも、関係がよかろうが悪かろうがもはや他人ではない、家族でなくなりきる(って変な言い方だけど)のは難しいというとなのだと思う。
 子は鎹とは言うが、ニコールとチャーリーの場合、子供がいるからこそ拗れるという面もある。2人ともお互いにいい親だと認めているだけに、親権争いの為に相手の親としての不備をあげつらっていかないとならないというのがすごくつらい。アメリカの親権争いの苛烈さを垣間見てしまった。当人たちよりそれぞれの弁護士がエキサイトしている感じなのもきつい。
 ニコールとチャーリーの離婚の原因は、チャーリーの浮気にあるともわかってくる。が、真の原因はこれまでのすれ違いの積み重ねだ。多くの離婚がそうなのだろうが。ニコールがロスに滞在したがるのは、実家がロスだということ以上に、NYだと映画の仕事を続けることが困難だという要因が大きいだろう。逆にチャーリーのフィールドである演劇はNYが本拠地。結婚生活はチャーリーにばかり得があるのでは?という気がしてしまう。チャーリーがニコールの事情、彼女のキャリアに対して無頓着に見えるので、よけいそう思った。自分に都合の悪いことには気づかぬようにしているんじゃないの?と。
 ヨハンソンとドライバーの演技がとても良い。特にヨハンソンは、最近は『アベンジャーズ』でアクションを披露しているイメージばかり強くなっているが、本来はすごく微細な演技ができる俳優なんだよなと再確認した。弁護士との面談で泣き出してしまう所や、チャーリーとの言い合いでたぶん思いを言い切れていないんだろうなという表情等、ちょっとした動作や声のトーンがとてもよかった。言外に垣間見える感情のインパクトが強い。ドライバーはハンサムなんだかそうじゃないのかわからないぬーぼーとした面持ち、ちょっともったりとした動きがいい。2人ともセクシーなイメージがあるが、実は典型的な美男美女というわけじゃないんだよな。

イカとクジラ コレクターズ・エディション [DVD]
ジェフ・ダニエルズ
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2009-12-23


ビフォア・サンライズ/サンセット/ミッドナイト ブルーレイ トリロジーBOX(初回仕様/3枚組) [Blu-ray]
イーサン・ホーク
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2017-12-16


『マーウェン』

 5人の男から暴行を受けたマーク・ホーガンキャンプ(スティーブ・カレル)は瀕死の重傷を負う。何とか回復したものの、事件以前の記憶をなくし、重いPTSDに苦しんでいた。彼はフィギュアで空想の世界「マーウェン」を作り、その撮影をするようになる。その世界ではホーギー大佐と5人の女戦士がナチスとの戦いを繰り広げていた。監督はロバート・ゼメキス。
 冒頭、G.I.ジョーとバービー人形が第二次大戦下のベルギーでナチスと戦い始める(フィギュアなので動きはぎこちないし表情は動かない)ので、これは一体何を見せられているのか・・・と気持ちがざわつくのだが、徐々にこれはマークが作り上げた創作世界で、彼はなんらかの障害を負っているらしい、その原因はヘイトクライムの犠牲になったことにあるらしい、そしてマークがヘイトクライムの対象にされた理由もわかってくる。「マーウェン」の世界はマークの創作であると同時に、彼の身に実際に起きた出来事を投影した、記憶をなくした彼の人生の語りなおし行為でもあるのだ。
 「マーウェン」に登場するホーギー大佐も女戦士たちも、多分にマッチョ&セクシーなジェンダーが紋切り型のキャラクター。特に女性たちはホーギー大佐=マークにとって都合よくセクシーでありフェティッシュ。彼女らは現実のマークの周囲にいる女性達を作品内に置き換えた存在なので、自分がかなり露骨に性的なモチーフとして扱われたと知ったら大分辟易するだろうし、不快にもなるだろう。マークは作品の中では自分の願望を抑えることがないので(アウトサイダーアートみたいなものだから)、傍から見ているとかなり危なっかしいし、実際に一線を踏み越えかける事態にもなる。それでも周囲の女性があからさまには不快感を見せない、見せた場合もなぜ不快・困るのかちゃんと説明するあたり、マークにとって大分優しい世界だなとは思うが、ぎりぎり「有害」っぽさを押さえられており、そのさじ加減が面白い。あと一歩でアウトなところ、不思議と不快感はあまり感じない。マークが「それは不快だ」「私には受け入れられない」と言われれば理解しそれを受け入れるからか。彼の創作物は現実を投影したものだが、現実と創作物の世界は別のものだという諦念がある。
 また、カール自身はマッチョというわけではなく、マッチョになれないからマッチョなホーギー大佐があるべき自分として現れるという面もある。悪しきマッチョさはカールを迫害したものだから、このへんもねじれた構造になっていて奇妙。とは言え、ホーギーが最後に手に取る武器が「あれ」であるのは、カールが自分の中のフェミニンな部分、フェティッシュを手放す必要はない、自分は自分だと認めたということだろう。フェミニンな象徴があれというのは、やはりちょっと古いなとは思うが。

小出由紀子
平凡社
2013-12-18

『マイ・ブックショップ』

 1959年、イギリスの小さな港町。戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)はオールドハウスと呼ばれる建物で本屋を開こうと決意する。しかしオールドハウスを文化センターにしようと目論んでいた町の有力者・ガマート夫人(パトリシア・クラークソン)がしつこく嫌がらせをしてくる。町の隠遁者で目利きの読書家・ブランディッシュ氏はフローレンスと心を通わせていく。監督はイザベル・コイシェ。
 フローレンスは夫を亡くして10数年たつ、いわゆる未亡人。彼女は本屋を開くために銀行に行ったり弁護士にあったり、ガマート夫人のパーティーに出向いたりするが、何れの場面でも相手からなめられる。女性だから、特に男性の後ろ盾がない女性だからというわけだ。フローレンスは一見おっとりとおとなしげだが結構しぶとく、彼らの予想を裏切っていく。彼女は何かすごく秀でた所があるというわけではない。しかしへこたれないし、ブランディッシュ氏が評するように「勇気がある」。このシーンは胸を打つ。人と会話することが決して好きではない、言葉のごくごく少ない人が言葉を選んで放つ言葉なのだ。この言葉によってフローレンスは勇気を持ち続けることができたのではないかと思う。そしてブランディッシュ自身も、フローレンスの勇気に打たれて自身も勇気を出すのだ。
 序盤で言及されるように、フローレンスは、そしてブランシッシュも強者ではない。搾取されていく側の人々であり、消えていく側の人々だ。しかし勇気ある人々だし、何より自分が愛するものの為に戦うことができる、それを愛し続けることができる人々だ。本作は何者かの語りによりストーリーが進行するが、その語り手の正体が明らかになると、フローレンスやブランディッシュ氏の勇気がまた誰かの勇気に繋がったこと、その勇気が何を生みだしたのかがわかり、そこにまたぐっとくる。
 本好きにとっては楽しくも切ない物語だ。個人の愛と勇気で出来ることは限られている。しかしその愛と勇気がまた誰かに火を付け、その火が誰かの人生を動かすこともある。
 風景がとても素敵な映画だった。フローレンスの散歩コースが羨ましい。ああいう場所を一人でずんずん歩いて行けたら気持ちいいだろうな。そして本屋の中の本のタイトルを必死で目で追ってしまう。

ブックショップ (ハーパーコリンズ・フィクション)
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ハーパーコリンズ・ ジャパン
2019-03-01





あなたになら言える秘密のこと [DVD]
サラ・ポーリー
松竹ホームビデオ
2008-11-27

『マチルド、翼を広げ』

 9歳の少女マチルド(リュス・ロドリゲス)は母親(ノエミ・ルボフスキー)と2人暮らし。母親は少々風変りで、マチルドは彼女の言動に振り回されっぱなしだ。ある日、母親が小さなフクロウをマチルドにプレゼントした。フクロウは何と人間の言葉を喋りだすが、その声はマチルドにしか聞こえない。フクロウはマチルドの心の支えになっていく。監督は母親役も演じたノエミ・ルボフスキー。
 マチルドの母親は、いわゆる母親らしからぬ、大人としてはちょっと突飛で困った人ではある。しかしマチルドにとっては愛する母親だ。マチルドが必死で母親のフォローをする姿はいじらしい。冒頭、校長室での校長先生とのアイコンタクトらしきものは、子供がそこまでやらなくてはならないのかとちょっとやりきれなくなる。マチルド自身もそんな状況に納得しているというわけではない。フクロウは母親が変なんだという怒りを口にするが、これは普段は言えないマチルドの心の代弁だろう。とは言えマチルド当人が怒りを爆発させる時もある。クリスマスの夜の顛末は思いきりが良すぎて危なっかしい以上に小気味良いくらいだ。マチルドが置かれている境遇はネゴレクトとも言えるのだろうが、あまりそういう印象を受けないのは、マチルドがはっきりと怒りを見せ、母親に反抗するからだろう。
 一方マチルドの母親は娘を愛してはいるが、自分が母親という役割に不向きだという自覚はある。一見、母親が娘に依存しているようではあるが、離れたがらないのはむしろマチルドの方だ。母親はずっと、娘と距離を置く決意をしていたとある言葉からわかってくる。愛の有無ではなく、どんなに愛情があっても夫婦、親子という形状に不向きな人はいるはずだ。母親が漏らす、「人との距離が近すぎる、あなた(元夫)の手も重い」という言葉が痛切だ。マチルドの両親は離婚しているが、父親(マチュー・アマルリック)は娘のことはもちろん、元妻のことも未だ愛している様子が見て取れる。愛の有無と、一緒に暮らせるかどうかは別問題というところが切なくもあり、一方でこういう形の家族もありだと思える。おそらくマチルドもその境地に達するのだ。ラストはちょっと蛇足な気もしたが、彼女が母親と同じ言語を獲得したと言うことかなと思う。
 色合いがとてもきれいな作品だった。青みがかった映像の中に、黄色やピンクが映えていた。マチルドの服が柄×柄だったり、カラータイツが鮮やかだったりと可愛らしい。

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2016-09-02


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2008-10-03


『マイル22』

 インドネシアのアメリカ大使館に保護を求めてきた現地警察官のリー・ノア(イコ・ウワイス)。彼は何者かに奪われた危険物質の行方を知っている、亡命させてくれればその情報を教えると取引を持ちかけてきた。国外に脱出させるため、ジェームズ・シルバ(マーク・ウォールバーグ)率いるCIAの機密特殊部隊が護衛につき、空港までの22マイルを移動し始めるが、次々と武装勢力が迫ってくる。監督はピーター・バーグ。
 バーグ監督の前作『パトリオット・デイ』では、銃撃戦をどのようなバリエーションで演出できるかというチャレンジが印象に残ったが、本作も同じ系統にあると思う。バーグ監督は銃撃戦とマーク・ウォールバーグが大好きなんだなーとしみじみ実感できる作品だった。ウォールバーグは多分監督にとってのミューズなんだろうが、この人のどのへんがそんなにいいのか、見ている分にはちょっとよくわからないんだよな・・・俳優として何か突出しているタイプの人という印象がない。銃撃戦アクション演技への対応が的確なんだろうとは思うが。あとは単に人として相性がいいとかなのかな・・・。本作の主人公シルバは神経質かつクレイジーなキャラクターで、ウォールバーグの持ち味とはちょっと違う気もしたのだが、そのへんはねじ伏せてしまうウォールバーグ愛だった。多分またウォールバーグ主演で何か撮るんだろうな・・・。
 銃撃戦の面白さはもちろんだが、本作は肉弾戦も魅力的。リー・ノア役のウワイスの動きが良すぎる!速い!(ジャンプが)高い!強い!と思っていたら、『ザ・レイド』の人だというので納得。彼のアクションシーンだけ別ジャンルの映画に見えるくらい、突出している。他の人たちと重力のかかり方が違う感じがするのだ。しかしウォールバーグのやや重めの肉体感とのバランスが良く、この2人主演での続編を見たくなった。
 アクションシーンがほぼ移動しながらのもののみというユニークさだが、ちょっと禁じ手的な部分もあり、それを出せるならもっと早くに出せば?と思った所も。また、監視カメラの類から(という設定の)映像を駆使した構成だが、そのカメラはいつ設置したんだ?(特に冒頭の突入先)と突っ込みたくなった。あと、ハリウッド映画では本作と同様の「危険物質」が盗まれ過ぎなので、そろそろ別のパターンが必要なのでは。そんなに精緻な作品ではなく、見た後には内容を忘れてしまうのだが、スカッと楽しめた。

パトリオット・デイ [Blu-ray]
マーク・ウォールバーグ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-11-08


16ブロック [Blu-ray]
ブルース・ウィリス
Happinet(SB)(D)
2015-07-24


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