3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ボーダー 二つの世界』

 税関職員のティーナ(エヴァ・メランデル)は、人間のおびえや嘘を嗅ぎ分ける能力を持っていた。そのため違法なものを持ち込む人間を見分けることができるのだ。ある日、怪しげな旅行者ヴォーレを呼び止め検査したものの、証拠を掴めず入国審査をパスする。彼から何か特別なものを感じたティーナは、ヴォーレに近づいていく。原作はヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの小説。監督はアリ・アッパシ。リンドクヴィストとは共同脚本になる。
 ユニークで面白かったのだが、見ていて段々辛くなってしまった。ティーナには人間としては特殊な能力があり、自分が所属している社会にすんなり溶け込んでいるというわけではない。同居人とのやりとりや食事シーンに、この生活への違和感や相手との断絶が滲んていて薄ら寒く感じられた。そんな彼女の前に現れるのがヴォーレだ。彼女にとっては初めての仲間、自分と同種の存在で、同じようなものの感じ方、世界のとらえ方をできると実感できる存在だ。2人で過ごす中での彼女の高揚感や喜びが非常に鮮烈で瑞々しい。世界の見え方が変わるとはこういうことかと思わせる。
 しかし、新しく出会った世界にためらいなく同化(というか回帰)できるのかというと、そうではない。彼女は人間社会の中で育ち生きてきた存在だ。その社会の中でのルール、倫理がすでに自分の一部になっている以上、それを捨てて「彼」の理論、価値観に乗ることは倫理的にできない。彼の価値観は彼女のタブーなのだ。結局、どこに行ってもティーナは部外者であり、彼女は彼女として、ただ一人生きていくしかないということが浮き彫りになっていく。ヴォーレと共にあるときの高揚感・幸福感が強烈だったからこそ2人の間の越えがたい溝が痛烈なのだ。
 ティーナは一人きりではないという可能性が最後に提示されるが、その他者の存在は彼女を守ってくれるわけではなく、逆に足かせになるのではとも思える。この先の困難がうかがえるだけに、何とも辛いのだ。
 
ボーダー 二つの世界 (ハヤカワ文庫NV)
ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
早川書房
2019-09-19



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カーレ・ヘーデブラント
アミューズソフトエンタテインメント
2014-03-26


『ホテル・ムンバイ』

 2008年11月、インド、ムンバイで同時多発テロが起きた。インドを代表する5つ星ホテルのタージマハル・パレス・ホテルは、テロリストに選挙され500人以上の宿泊客と従業員が閉じ込められ、人質にとれらた。従業員たちは宿泊客を逃すために奔走する。一方、特殊部隊の投薬まで数日かかるという中、地元警察官たちがホテルに突入する。監督はアンソニ・マラス。
 実際に起きた事件を元にドラマ化された作品。中心となる人物はホテルマンのアルジュン(デブ・パテル)をはじめ何人かいるものの、群像劇としての側面が強い。123分とそこそこ長さはあるが、テンポが良く、むしろコンパクトに感じられた。個々の登場人物の見せ方、エピソード展開の手際がいい。ストーリー内の状況が状況なので、緊張感が途切れようがないという事情もあるのだが。
 ホテル従業員たちのプロ意識、職業倫理の高さが称揚されそうだが、彼らが元々特に素晴らしい人たちなのかというと、ちょっと違うと思う。本作に登場する人たちは、ホテル従業員にしろ、宿泊客にしろ、あくまで普通の人たちだ。テロリストですら、何かすごく特別な能力があるわけではない。武器で武装してはいるが、パニックになるとごく普通の、それほど頭がいいわけでも意志が強いわけでもない若者たちであることが露呈していく。従業員も宿泊客も、あくまで一般人の知恵と勇気の範疇で生き残るために戦っていく。普通の人たちが極限状態で勇気や利他性を発揮する姿には胸が熱くなるが、運不運としか言えない展開もあって、テロの不条理さがつらい。テロを起こす側の若者たちは、いいように使い捨てられる駒のようなもので、その上にいる人物は無傷。貧しい環境出身と思われる彼らが富裕層に憎しみを燃やし、不平等への不満・怒り故に利用されていく様がやりきれない。

パラダイス・ナウ [DVD]
カイス・ネシフ.アリ・スリマン.ルブナ・アザバル.アメル・レヘル.ヒアム・アッバス.アシュラフ・バルフム
アップリンク
2007-12-07


タワーリング・インフェルノ [DVD]
スティーブ・マックィーン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21



『僕たちは希望という名の列車に乗った』

 1956年、東ドイツの高校生テオとクルトは、こっそりもぐりこんだ西ドイツの映画館で、ハンガリーの民衆蜂起のニュースを見る。感銘を受けた2人はクラスメイトに呼びかけ、授業中に2分間の黙祷を実行。しかしソ連の影響下におかれた東ドイツでは国家への反逆とみなされてしまう。首謀者とあげろと彼らは迫られるが。原作はディートリッヒ・ガルスカ『沈黙する教室 1956年東ドイツ 自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』、監督はラース・クラウメ。
 教育委員たちが学生から「ゲシュタポ」と揶揄され激怒するが、やっていることは似ている。力と恐怖で国民、国を画一的に支配しようとするやり方は、大体似通ってくるのか。体制側と違う考え方をすることは認められないのだ。本作中でも、学生たちの弱みを握り、脅し、彼らが疑心暗鬼に陥り仲間を裏切るよう煽っていく。若者たち、国民たちが自分の頭で考え団結することが、体制側は怖いのだとよくわかる。管理しようという姿勢が徹底していてすごく怖い。なりふりかまわずそこまでやるのかと。若者たちが何も考えず言うことをきく状況は、支配する方としてはそりゃあ楽だよな。だから個々が自分で考え行動することが、権力の肥大化を押さえる為にもとても重要なのだ。学生たちが黙祷を「皆でやろう」と多数決を取るのは、ちょっと同調圧力っぽくないか?という気もしたが・・・。 
 彼らの行動は最初はあまり深い考えに基づくようなものには見えない、その場の思いつきのようなものだ。しかし、その思いつきで自分の生き方、ひいては自分が今いる国が何をしようとしているのか、自分たちが何に加担することになりかねないのか、深く、しかも短時間で考えざるを得なくなっていく。少年少女が急激に成長していく様が鮮やかではあるのだが、こういう形で成長を強いられるのってちょっと辛い。他の場所だったらしなくていい苦労だし、理不尽すぎる。
 裏切り者になること、嘘をつくことを大人が子供に強いる国は、大分終わっているのではないだろうか。この5年後にベルリンの壁ができるわけだから、変なことを変だと言える環境がどんどんなくなっていく過程を描いた物語でもある。この先、こういう体制が何年も続くのだから本当に暗い気持ちになってしまうが、心が折れそうになっても自分達で考え屈しない若者たちの姿には希望がある。
 走るシーンが多く、どれも印象に残った。動きのテンポがいいというか、躍動感がある。ストーリーは重いが軽やかさがあるのだ。


アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 [DVD]

ブルクハルト・クラウスナー
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2017-07-05



『僕たちのラストステージ』

 1953年、スタン・ローレル(スティーヴ・クーガン)とオリバー・ハーディ’(ジョン・C・ライリー)のコメディアンコンビ、ローレル&ハーディは、イギリスツアーに乗り出す。かつて一世を風靡した2人だったが今では過去の人扱い。しかし地道な宣伝活動が実を結び、動員は着実に伸びていく。励まし合いツアーを続ける2人だが、口論により関係にひびが入ってしまう。監督はジョン・S・ベアード。
 これみよがしな盛り上げ方はせず、割と淡々とした語り口だなと思っていたら、ここぞというところでぐっと心を掴む。あざといのではなく、そこに至るまでの人物造形やコミュニケーションの経緯の積み重ねでエモーショナルさが生まれており、堅実な良さがあった。脚本は『あなたを抱きしめる日まで』のジェフ・ポープで、やりすぎない上品さがある。98分というコンパクトさもうれしい。
 ローレルとハーディは仲違いするが、2人が信頼し合っているからこそ腹が立つのだろう。お互い愛とか期待とかがなかったらそもそも腹も立たない。2人は元々、プロダクションの指示でコンビを組まされたので、最初からうまがあったとか共通項が多かったというわけではないだろう。実際、やせ形で几帳面、少々気難しいローレルと、大柄で酒・女・博打好きだが人好きのするハーディは見た目も性格も対称的。仕事の同僚でなかったら仲良くなったかどうか微妙だ。それでも2人は仕事のパートナーとしては抜群の組み合わせで、深く理解し合っている。これはもう友情に他ならないだろう。倒れたハーディを喧嘩中だったローレルが見舞うシーンは、妙に可愛らしい。こういうことをやれる間柄なんだよな、心を許しているんだよなということがすごくよくわかるのだ。
 友情があるのはローレルとハーディの間だけではない。彼らの妻たちもツアーに合流するのだが、2人はこれまた対称的。考え方も振る舞いも真逆で、一緒に行動はしているが決して仲が良く友好的というわけではない。しかし1人が非常に苦しい思いをしている時、もう一人がぎゅっと彼女の手を握るのだ。芸人の妻という似た立場だからこそ理解しあえることがある。彼女らの間にもまた、同士としての友情があるのだ。

あなたを抱きしめる日まで [DVD]
ジュディ・デンチ
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『ポリスストーリー/REBORNE』

 2007年、香港。国際捜査官のリン(ジャッキー・チェン)は重病で入院中の娘に会えないまま、証人警護作戦に駆り出される。対象は遺伝子工学者で、犯罪組織に狙われていた。早急に作戦を開始するものの、襲撃されたリンは瀕死状態になってしまう。そして2020年、シドニー。大学生のナンシー(オーヤン・ナナ)はひどい悪夢に悩まされ、魔女と呼ばれる呪い師に助けを求めるほどだった。魔女から有名な催眠術師を紹介されたナンシーは、彼の公演会場を訪ねるが、謎の組織が彼女をつけ狙う。監督・脚本はレオ・チャン。
 ストーリー展開も設定も非常にユルく、一見SFぽいのだがSF要素が瀕死状態。遺伝子工学ってそういうことだっけ?とか、その情報どこから手に入れたの?その要塞なに?とか突っ込み所満載。基本設定がとにかく雑なのだ。悪の組織が非常に分かりやすく悪の組織っぽい恰好をしており、日曜朝の特撮タイムを連想してしまった。今時これやります?!というちょっと古びた要素だらけなのだ。2018年の作品とは思えない。
 しかし珍作ではあるかもしれないが、つまらないわけではない。ジャッキーはやっぱりスターなんだなと思える。年齢が年齢だから全盛期のようなアクションは当然できないわけだが、今のジャッキーがやるとしたらどういう「面白いアクション」が出来るのか、失われたスピードや飛距離を補う為にどうするのか、ずっと考え続けているんだろうなと思う。脇の甘い映画でも、ジャッキーの奮闘を見ていると何となく納得できてしまうのだ。
 アクションのスピードとキレは、リンの部下スー役のエリカ・シアホウが見せてくれる。軽やか、華やかでくるくる回る姿も楽しい。また、ナンシーにちょっかいをかける青年リスン(ショウ・ルオ)がコミカルさを添える。彼の的確すぎる先回りには何かすごい伏線があるのでは?!と思っていたら案外普通だったけど。
 エンドロールはちゃんとNG集。これを見ていると、珍作だと思ってみていたのに、何かいい映画を見たような気分になるのが不思議だ。

ポリス・ストーリー 3 <完全日本語吹替版> [Blu-ray]
ジャッキー・チェン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2015-04-28


香港国際警察 NEW POLICE STORY [DVD]
ジャッキー・チェン
ジェネオン・ユニバーサル
2012-06-20




『ボーダライン:ソルジャーズ・デイ』

 アメリカで一般人15人が死亡する自爆テロ事件が起きた。犯人はカルテルの手引きによりメキシコ経由で不法入国したと政府は睨み、CIAへ任務を課す。CIA特別捜査官マット・グレイヴァー(ジョシュ・ブローリン)は、カルテルに家族を殺された過去を持つアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)に協力を仰ぐ。麻薬王レイエスの娘イザベル(イザベラ・モナー)を誘拐して敵対組織の仕業と見せかけ、麻薬カルテル同士の争いへ発展させる計画を秘密裡に実行するが。監督はステファノ・ソッリマ。
 前作はドゥニ・ビルヌーブが監督だったが、ソッリマに交代。また前作は音楽をヨハン・ヨハンソンが手がけたが、彼が亡くなったことで弟子筋のヒドゥル・グドナドッティルが担当という、引き継ぎが相次ぐ案件だった。しかしさほど前作の雰囲気から外れていない。ストーリーテリングからはビルヌーブの奇妙かつ粘着質な手癖が薄れストレートになったが、音楽の雰囲気はびっくりするほど引き継がれている。個人的にはむしろ本作の方が好きかもしれない。三部作構想だそうなので、次作もちゃんと作られると嬉しい。
 前作は捜査官が異世界に迷い込み、アレハンドロが歩む煉獄を垣間見るような構造だったが、本作でもアレハンドロは相変わらず煉獄を歩き続けている。そして課された任務のせいで地獄度がより高まっている。行っても行ってもまだ地獄!そして帰る場所などないのだ。一方、マットもまた地獄を歩むことになる。上司から責任を丸投げされ、自分の仲間も倫理も切り捨てろと迫られる。政府の高官からCIAの責任者へ、そしてエージェントへとどんどん責任を丸投げされていく過程が悪夢のようだ。投げてくる側は気楽なもんだよな!中間管理職としてのマットの苦しみが辛い。また、麻薬王の娘として生まれたイザベルは、本人の意思とは関係なく、修羅の道を歩むことになる。そもそも選択肢がないのだ。不遜な態度だった少女が、終盤で見せる抜け殻のような表情が痛ましかった。
 本作でのデル・トロはもはや人間ではないような、一度死んで何か別の者としてこの世に戻ってきたかのような、胡乱かつ不気味な存在感を放つ。ラストにはしびれた。洋画の邦題というと映画ファンからは非難されるケースが多いが、このシリーズに関しては的を得ていると思う。全員が何らかのボーダーを越える、あるいは越えない瞬間を捉え続けているのだ。そこを越えたら元には戻れない、という緊張感がみなぎっている。


犬の力 上 (角川文庫)
ドン・ウィンズロウ
角川書店(角川グループパブリッシング)
2009-08-25



『ボヘミアン・ラプソディ』

 世界的ロックバンド、クイーンの結成から、20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での伝説的なパフォーマンスに至るまでを描く伝記映画。ボーカルのフレディ・マーキュリー(ラミ・マレック)、ギターのブライアン・メイ(グウィリム・リー)、ドラムのロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)、ベースのジョン・ディーコン(ジョセフ・マッゼロ)から成るクイーンは、斬新な音楽とパフォーマンスで一躍スターになるものの、其々の方向性の違いやフレディへのソロ活動の誘いで分裂状態に。しかし「ライブ・エイド」への出演を決意し、再度力を合わせる。監督はブライアン・シンガー。
 クイーンというバンドの熱心なファンがどう受け止めるのかはわからないが、見ていてとても楽しかったし気分が盛り上がった。本作最大の功労は、楽曲の強さを再発見できたというところにあるのではないだろうか。全く古びていない。一緒に歌いたくなるし足を踏み鳴らしたくなるし拳を突き上げたくなる。レコーディングシーンがどれも心浮き立つのは、新しい音楽を作る楽しさ、聴く喜びが実感出来るからだ。それが最高まで極まるのがラスト20数分のライブ・エイドのシーン。この時のクイーンのパフォーマンスが神がかっていたという話は聞いたことがあるが、映画内のパフォーマンスも見ていて涙が出そうになるくらい気分がいい。不思議なもので、多分当時の実際の映像を見てもこれほどぐっとこないのではないかと思う。「お話」のクライマックスとして見ているから余計に気分が盛り上がるという面が少なからずあるのでは。
 ライブ・エイドで既に「過去の人」ポジションだったクイーンだが、演奏が始まると観客の合唱が聞こえ始める。これに鳥肌が立った。クイーンは良く知らなくてもクイーンの曲は何かしら知っていて歌える、というところが凄いのだ。クイーンのステージの選曲がちゃんとフェス向けになっているのもぐっときた。スタッフがステージセットの裏や骨組みの上部ですごく楽しそうにしているのも素敵。いい盛り上がり方させてくれるな!
 史実とは少々異なる部分もあるそうなので、以下言及するクイーンおよびメンバーはあくまで本作中のものを指す。フレディは出っ歯であることに強いコンプレックスを持っていたそうだが、本作のフレディはちょっと歯出過ぎじゃない?!というくらいに出っ歯が強調されている。平素から、口元の動きが出っ歯を気にしている人のものになってしまっているのが何だか切なかった。出っ歯など全く問題にならない声とパフォーマンスのかっこよさなのだが、癖がなかなか抜けないのだ。彼はなりたい自分になろうと努力し続ける人だったが、途中でそれを見失ってしまう。終盤、ライブ・エイドに向きあうことで、ようやく本来の自分となりたい自分とに折り合いがつくように見えた。当時、インド系でありゲイであるという属性は相当生き辛かった(世間的にもだけど、家族との関係がすごい大変そう・・・実際作中ではライブ・エイド直前まで会ってなかったし)だろうから、そのあたりちょっとさらっと描きすぎてないかなという気はする。とは言え、本作の主役はあくまでクイーンの楽曲と考えると、このくらいでいいかなとも思う。
 フレディ中心のストーリー運びだが、予想以上にバンド映画として楽しかった。この面子で音楽を作ることがなんて面白い(が時に苦しい)のか!という高揚感が伝わるレコーディングの様子がとても良かった。全員何か可愛いんだよね・・・。
 

ライヴ・エイド★初回生産限定スペシャル・プライス★ [DVD]
USA for AFRICA
ワーナーミュージック・ジャパン
2004-11-17


『ポップ・アイ』

 バンコクで暮らす中年男タナー(タネート・ワラークンウクロ)はかつては有名建築家だったが、今では会社に居場所がなく、妻との関係も冷え切っていた。ある日、少年時代に飼っていた象ポパイ(ボン)を見かけたタナーは、思わず買い取って家に連れ帰る。しかし妻は激怒、仕事にも嫌気がさしたタナーは、ポパイを連れて田舎の故郷を目指す。監督・脚本はカーステン・タン。
 色合いがとても気持ちよく、なんだか懐かしい味わい。特に水色の色味が少々黄味がかっていて、レトロな印刷物的な風合いがある。象とおじさんという組み合わせも味わいがあって、ぱっと見てなんだか気になるルックの作品だった。ストーリー構成は少々ユルいが許せてしまう。
 異種間ブロマンスとでも言いたくなるロードムービー。エンドロールのキャスト名の一番最初に象の名前がくるのも頷ける、象のポパイの存在感が抜群だった。象の内面は人間にはわからないが、タナーへの優しさが行動に滲んでいるように見えるのだ。背中にタナーがよじ登ろうとするのを辛抱強く待ってくれる姿はユーモラスでもある。「家畜」としてすごく訓練されているということでもあるわけだけど。
 ポパイだけではなく、タナーもまた優しい。レストランでのゲイの娼婦に対する態度とか、ホームレス男性に対する声のかけ方とか、年齢の割に偏見が薄くフラットなのではないだろうか。ただ、彼の優しさは今一つ実を結ばない。結果として間の悪さに繋がってしまうというのがほろ苦かった。でも、周囲の人たちが何だかんだで優しいのは、彼の優しさに誘発されるからのように思える。「旅は道連れ、世は情け」という本作のキャッチコピーは、正に!という感じ。
 ちなみにタナーが30年前に設計して一世を風靡した高層ビルが、いよいよ取り壊されるという設定なのだが、高層ビルの寿命が30年て短くない?タイでは普通なのかな?

ハリーとトント [DVD]
アート・カーニー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2016-01-20


光りの墓/世紀の光 Blu-ray
ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー
紀伊國屋書店
2017-02-25


『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』

 端正な風貌と冷静沈着なプレイスタイルから、「氷の男」と呼ばれたテニスプレイヤーのビヨン・ボルグ(スベリグ・グドナソン)。20歳でウィンブルドン選手権で初優勝し、以来4連覇という偉業を成し遂げた。前人未到の5連覇に挑む彼の前に立ちはだかるのは、アメリカのジョン・マッケンロー(シャイア・ラブーフ)。苛立ちや怒りを隠さず審判に噛みつき悪態をつく彼は「悪童」と揶揄されていた。1980年のウィンブルドン選手権でついに2人は対戦する。監督はヤヌス・メッツ。
 テニス全般に非常に疎い私でも、クライマックスである決勝戦には手に汗握った。実際にあった話でどういう試合結果になるのかはわかっているのに、息をつかせぬ緊張感が続く。ボルグとマッケンローの集中と高揚がビシビシ伝わるのだ。試合シーンの見せ方はとても上手いのではないかと思う。主演2人のプレー演技の良さもあるけど、撮影・編集が冴えていた(当時のスポーツ中継ぽいレトロ感もありつつ現代的なシャープさがある)ように思う。
 少年時代のボルグの振る舞いと、マッケンローの今現在の振る舞いが似通っているところが面白い。氷と炎という対称的な存在と見なされている2人だが、資質としては近いものがあるのではと思わせるのだ。選手としてのボルグは佇まいもプレースタイルも非常に冷静でコントロールされている。しかしテニスを始めた少年時代は癇癪持ちでラフプレーも目立ち、怒りや悔しさのコントロールが出来ていなかった。その怒りや苛立ちを発散する様は、マッケンローとよく似ているのだ。少年時代のマッケンローはむしろ大人しそうな少年で得意科目は数学というあたりが意外。少年時代のボルグとはこれまた対称的で、2人が入れ替わったような不思議さがあった。ボルグは極端にルール決めした生活で、マッケンローは罵倒や毒舌で極度のプレッシャーと闘っていることがわかってくる。
 ボルグのファインプレーに感化されるようにマッケンローもファインプレーを見せていくが、作中、2人が決勝戦前に交流するシーンは一切ない。決勝戦の途中でボルグがマッケンローに言葉をかけるが、これが引き金になったというよりも、良いプレーが良いプレーを誘発していく、スポ根漫画のお約束である対戦によって語り合う感に満ちていてぐっときた。ある域に達した人にしかわからないプレッシャーや喜びが2人の間で共感を生んでいると思える。エンドロール前の「その後」のエピソードで更にぐっとくる。強敵(ライバル)と書いて友と呼ぶ、を地で行くような話。


ウィンブルドン (創元推理文庫)
ラッセル・ブラッドン
東京創元社
2014-10-31


『ぼくの名前はズッキーニ』

 母親が死亡し、施設に入ることになった9歳のズッキーニ(カスパール・シュラター)。施設にはリーダー格でちょっと意地悪なシモン(ポーラン・ジャワー)を始め、それぞれ異なる事情を持つ子どもたちが集まっていた。ズッキーニは新たに入居してきた少女カミーユ(シクスティーヌ・ミュラ)に一目惚れする。監督はクロード・バラス。
 丁寧に作られたストップモーションアニメで、単なる可愛らしさからちょっとはみ出すキャラクターのデザインが、決して甘くない物語とマッチしている。冒頭、ズッキーニの母親の死に方がいきなりヘビーなのだ。ズッキーニが背負っているものがあまりに重い。しかしそこを取り立ててクローズアップするわけではない。ズッキーニ以外の子どもたちも、親に健康上の問題があったり、子供に性的暴力を振るったり、犯罪者であったり、不法入国者として強制送還されたり(これは正に現代の話だなと実感した)とそれぞれに問題を抱えている。親の難点がかなりシビアでぼかさず言語化されるが、彼らに対しても、そこを深堀するわけではない。一貫して退いた目線がある。この施設に入所している、という点では子どもたちは皆同じなのだ。
 子どもたちの保護者には色々と問題があり、彼らを守る存在になり得ていない。しかし一方で、子どもたちを大人として支えようとする人たちもいる。ズッキーニを施設に連れてきた警官は、その後も度々、彼との面談に訪れ、遊びに連れ出したりもする。警官にも息子がいるが、家を出て断絶状態だ。彼とズッキーニは家族に見捨てられた者同士とも言える。また、施設の職員たちも子どもたちの為に尽力していることがよくわかる。ステレオタイプ的な「施設のいじわるな大人」ではない。ベタベタした優しさではないし、実の親の代わりにはなれない、それでもプロとしての愛と責任感を持って子どもたちと接しているのだ。雪山のロッジでの「クラブ」の光景にはちょっとぐっときてしまった。子どもたちを教える、育てるだけでなく、ちゃんと生活を楽しませようとしているんだなと。
 施設はやがて出ていく場所だが、いつ、どのような形で出ていけるのかはわからない。望んでいた形では出られない、あるいは大人になるまで出られない子もいるかもしれない。楽観視はさせないながらも、それでも人生には可能性があり、あなたは一人ではないと思わせるラストのさじ加減に誠実さを感じた。

冬の小鳥 [DVD]
キム・セロン
紀伊國屋書店
2011-06-25


小鳥はいつ歌をうたう (Modern & Classic)
ドミニク・メナール
河出書房新社
2006-01-11



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