3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ペイン・アンド・グローリー』

 世界的に有名な映画監督のサルバトール(アントニオ・バンデラス)は母親を亡くしたこと、健康状態が思わしくなく脊椎の痛みがひどくなってきたことで、心身共に疲れ果て、仕事も手につかなくなっていた。幼少時代、母親と過ごした日々、バレンシアでの子供時代やマドリッドでの恋と破局など、自身の過去を回想していく。監督はペロド・アルモドバル。
 アルモドバル監督作はいつも色彩がビビッドで鮮やかかつ美しい、時に毒々しいくらいだが、本作の美術の色調は個人的には今までで一番好み。特にサルバトールの自宅のインテリアは大変しゃれていて(サルバトールは美術コレクターでもあり、アート作品も多数所蔵している)赤と水色とのコントラストが鮮やかだった。サルバトールが着ている服も、デザインはシンプルなのだが配色は結構思い切っている。無難な色の服を着ている人があまり出てこない。
 サルバトールは体のあちこちの調子が悪く、特に背中の痛みを常に抱えている。背を丸めてかがむことができないのだが、演じるバンデラスが非常にうまく、可動域が制限されている感じで、どうかすると痛いんだなということがよくわかる。見ている方が辛くなってきちゃうくらいだ。ただ、サルバトールはこういった痛みや不調の改善・治療に積極的かというとそうでもない。病院でこまめな診察を受けている様子はなく、痛みを抑える為にヘロインに手を出して依存気味になってしまう。自分の体に対してどこか投げやりなように見えた。
 しかし、自分作品に出演したものの不和に終わった元主演俳優や、破局したかつての恋人との関係を見直し、関係を築きなおしていくうち、自分の健康面の見直しにも行き着く。更に、創作意欲の復活にもつながっていく。自分の過去を振り返ることは、彼にとってこの先の人生と向かいあうこと、イコール映画を作り続けることでもある。過去の昇華が映画作りにつながるというのは正にナチュラルボーン映画監督と言う感じなのだが、ジャンルは何であれ創作に従事している人というのはそういうものかもしれない。
 今現在の元主演俳優や元恋人と接することで、苦い思い出も多少甘やかな、自分の中で許せるものになっていく。時間を置くことで見え方が変わってくるのだ。(主演俳優ともめたかつての監督作について)重すぎると思っていた主演俳優の演技が違って見えてきた、今はあの演技でよかったと思うとサルバドールが語るエピソードが面白かった。また、元恋人との再会も、円満に幕を閉じる。双方それぞれの人生があり、一緒にはいられなかったがそれぞれ幸せがあったと受け入れられるのだ。
 ただ、母親との関係は一見美しい思い出に見えるが、ずっと苦いものが残る。子供時代のサルバトールについて母が「誰に似たのかしら」といい顔をしなかったことを、彼はずっと記憶している。また老いた母は彼が同居しようとしなかったことをずっと根に持っている。サルバトールは(おそらくセクシャリティ含め)母が望むような息子にはなれなかったし、母の失望は(彼女はそんなこと意図しなかったろうが)ずっと彼を苦しめる。サルバトールのせいではなく単に「そうならなかったから」というだけなのだが、母への愛情ゆえに罪悪感が止まない。母に対してだけは彼女が生きている間に関係を結びなおすことができず、彼の思い出の中=映画の中でだけ再構築される。それはサルバトールの創作と直結しており映画監督として喜ばしいことではあるのだが、取返しのつかなさがどこか物悲しい。

ジュリエッタ(字幕版)
ダリオ・グランディネッティ
2017-06-02


マイ・マザー(字幕版)
スザンヌ・クレマン
2014-07-04


『ペスト』

カミュ著、宮崎嶺雄訳
 アルジェリアのオラン市でペストが流行し始める。医師のリウーは病気の妻を転地の為に送り出し、自身は病に倒れる人たちを助ける為に奔走する。しかしペストは広がり続け、リウーをはじめ治療に携わる人たちは疲弊していく。
 新型コロナウイルス流行に伴いにわかに注目されたカミュの作品。確かに今読まないとこの先読み逃し続ける気がしたので手に取った。どちらかというと抽象・観念的な小説かと思ったら、むしろルポルタージュ的な、記録小説的なタッチで意外。他のカミュ作品と比べても大分リアリズム寄りなように思う。疫病が蔓延し始めたら人びとはどのように行動するのか、行政は、医療はどうなるのか、ちゃんと想定して書かれている。特に集団がどのように動くかという部分には、今まさにリアルタイムで体感しているものだと感じた。感染対策にちょっと疲れた人たちの気が抜けてやや浮かれちゃうところとか、なかなかリアルだ。追い詰められた状況で人の高潔さが現れる、が、むしろそれ以上に暴力性や愚かさが目立ってしまう。ペスト流行の中に自分の居場所を見つけてしまう(つまり病気の恐怖の元では皆平等だから)男の姿には危うさを感じた。

ペスト (新潮文庫)
カミュ
新潮社
1969-10-30


『ベン・イズ・バック』

 クリスマスイブの朝、19歳のベン(ルーカス・ヘッジズ)が急に帰宅し家族を驚かせた。ベンは薬物依存症の治療中で、施設で暮らしていたのだ。母ホリー(ジュリア・ロバーツ)と幼い弟妹は再会に喜ぶが、妹アイビー(キャスリン・ニュートン)と継父ニール(コートニー・B・バンス)は不安がる。1日だけの在宅を許すが、外出先から一家が帰宅すると、家の中が何者かに荒らされ愛犬がいなくなっていた。昔の仲間の仕業だと考えたベンは一人で彼らの元に向かい、ホリーはそのあとを追う。監督はピーター・ヘッジズ。
 息子が薬物依存症で大変という映画は最近だと『ビューティフル・ボーイ』もあったが、本作の方がストーリー展開にメリハリがありスリリング。依存症の、当人にとって、周囲にとって何が大変なのかという面も端的に垣間見える。ここまでやらないとだめなのか!と少々ショックだった。そして絶対に長期戦で、三歩進んで二歩下がるの繰り返し。これは本人はもちろん辛いが、周囲が消耗していくな・・・。
 ベンは弟妹からは素直に慕われており、彼らに対する振る舞いからもいい兄だったことがわかる。一方で、薬物依存が原因で取り返しのつかないことをしてしまったことが徐々にわかってくる。その事件によって人間関係がおおきく損なわれ、家族は深く傷ついているのだ。しかし、家族は良き兄、良き息子としてのベンの顔も知っている。いっそ良い思い出がなければもっと気持ちが楽なのだろうが、気持ちが引き裂かれていく。ホリーはベンと守る為、彼につきっきりで一緒に行動する。薬物依存症患者への対応として、絶対に一人にしないということが必要なのだろうが、いくら家族でもなかなかできない、むしろ家族だからよけいきついのではないかと思う。ベンを愛しているし信じたいけど、依存症である彼を決して信じてはダメなのだ。ホリーは彼を守りつつ他の家族も守ろうとする為、嘘をつき続ける羽目になっていく。演じるロバーツの表情には鬼気迫るものがあり、徐々に母と息子の地獄めぐりのような様相になってくる。とても母は強しなんて気軽に言えない雰囲気だった。
 一方、アイビーが何とか母を支え続けようとニールに嘘をつく様が切ない。ニールはとてもちゃんとした父親でベンにとっての「敵」ではないし、ホリーもアイビーもそれは重々わかっている。とはいえ、ベンと過ごした時間の違いによる切実さの差異が出てしまうのかなと思った。切実さという面では、子供との関わり方という一点で立場を越えてホリーに手助けするある人物が強く印象に残った。同じ立場でないとわからない類の辛さなんだろうと。

薬物依存症 (ちくま新書)
松本 俊彦
筑摩書房
2018-09-06





ワンダー 君は太陽 [DVD]
ジュリア・ロバーツ
Happinet
2018-11-16

『ヘレディタリー 継承』

 2人の子供を持つアニー・グラハム(トニ・コレット)は老齢の母エレンを亡くした。母に対して複雑な感情を持ちその死を悲しむことが出来ないアニーだが、葬儀はつつがなく終わった。しかしグラハム家に奇妙な出来事が起こり始める。徐々に家族の関係は悪化していくが。監督はアリ・アスター。
 前評でとにかく怖いと聞いていたのだが、ホラーが苦手な私でも大丈夫な程度ではあった。ただ、これはホラーとしての怖さが予想ほどではなかったということであって、別の怖さがしっかりとある。怖さというよりも嫌さという方が近いかもしれない。ミヒャエル・ハネケ監督の諸作に近いものを感じた。ハネケ監督作と『普通の人々』(ロバート・レッドフォード監督)をドッキングしてホラーのフォーマットに押し込んだみたいな、実に嫌、かつ完成度の高い作品だと思う。
 アニーは子供たちを愛してはいるが、その愛を何かが邪魔しがちだ。長男ピーター(アレックス・ウルフ)に対しては自分の母に男児の出産を強要されたという恨みがあり、関係はぎこちない。パニックになった時に「産みたくなかった」と漏らしてしまい、更に関係は悪化する。またチャーリーにはもう少しストレートに愛情を示しているが、彼女を「母(エレン)に差し出した」ことに罪悪感がある。エレンはアニーに対して支配的で、孫の養育にやたらと拘っていた。アニーは自分やピーターへの干渉を避ける為、チャーリーの養育にはエレンを関わらせたのだ。
 アニーと家族との関係の邪魔をしているのがエレンであり、アニーはその存在を愛しつつも恐れている。同時に、アニーは自分が母=エレンのようになったらどうしようという恐怖に苛まれている。エレンの一族には精神を病んだ人が複数おり、エレンもまた晩年は双極性障害を患っていたのだ。自分も自分の親のようになったら、自分が苦しめられたように自分の子供を苦しめるようになったらどうしようという恐怖は、さほど珍しくなくその辺の家庭にあるものではないかと思う。
 一方、ピーターにとっては自分は母親に愛されていないのではないか、憎まれているのではないかという思いが拭えずにいる。過去のとある事件が双方にとってトラウマになっている(そりゃあトラウマになるな!というものなのだが)のだ。子供にとって自分の親に愛されないというのは相当な恐怖ではないかと思う。父親スティーブ(ガブリエル・バーン)は2人の間をとりなそうとするが、あまり上手くいかない。これもまた、さほど珍しくなくその辺の家庭にありそうな状況なのだ(なお明示はされないのだが、ピーターはスティーブの実子ではなくアニーと別の男性の間の子なのかな?という気もする
)。
 オカルト的な、人知の範疇外の怖さは後半に募ってくるが、前半の普通と言えば普通の家庭内の不調和、家族と言えど圧倒的な他人であるという状況の不穏さがただならぬ気迫で迫ってくる。超常的なものが相手だと、人間じゃないならまあ仕方ないな!という諦めがつくのだが、同じ地平にいるのに薄気味悪いというのが何とも言えず嫌なのだ。
 アニーはドールハウス作家なのだが、ドールハウスの拡大がそのままグラハム家の情景にスライドしていく冒頭からして怖い。グラハム一家は何者かにとってコントロールされる駒、おもちゃに過ぎないように見える。アニーはドールハウスで自分史を再現しようとしており、その再現度はちょっとやりすぎなくらいなのだが、箱庭療法的にやらずにはいられないのだろう。

ハッピーエンド [Blu-ray]
イザベル・ユペール
KADOKAWA / 角川書店
2018-08-03


普通の人々 [DVD]
ドナルド・サザーランド
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2010-11-26


『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』

 ニューヨークの富豪、グッゲンハイム家に生まれたペギー・グッゲンハイムは、伝統を重んじる社交界から逃れるため、20代でパリに単身渡、シュルレアリスムや抽象絵画と出会う。自由な芸術の世界で羽を伸ばしたペギーは、芸術家たちを支援し、画商としてギャラリーを開設。世界的な現代美術のコレクターとして、著名なパトロネスとして成長していく。彼女の肉声を含む、様々なインタビューから構成されたドキュメンタリー。
 新たに発見された本人へのインタビューと関係各所へのインタビュー、当時の映像等からペギーの人生を辿っていくという、オーソドックスな作りのドキュメンタリー。ペギーが支援していた芸術家たちがビッグネーム揃いで圧巻だ。ピカソ、ダリ、ブランクーシ、ポロック、ジャコメッティ、そして彼女と結婚もしたエルンスト。芸術家たちの映像も多数使われており、この人もこの人もこの人もか!と唸る。なぜかロバート・デ・ニーロも出演しているので注目だ。
 ペギーはグッゲンハイム一族としてはさほど裕福ではなかったそうだが、それでも世間一般からしたら富豪だ。そして、その富の使い方を間違わなかった。ペギーがパリに渡った当時、シュルレアリスムはまだ価値を認められていなかった。そこにいち早く着目し、その後も美術史の最先端で芸術界をリードし続けた。彼女の眼力と作品を扱う商才はずば抜けていたのだろう。そこに経済力がプラスされて、歴史に残るコレクターとなり、その集大成がベネチアのグッゲンハイム美術館なわけだ。芸術、特に新しい芸術には良きパトロンが必須だと痛感させてくれる作品だった。
 ちょっと驚いたのは、ペギーは元々美術に興味があったわけではないということだ。パリの芸術家たちの自由な世界と肌が合い、その中に親しむうちに素養が蓄積されていったということらしい。ペギーは10代の頃から当時の女性としては大分風変りだったそうだ。当時の上流階級の女性にとって身を立てる道と言ったら、社交界の花になり他の名家の子息と結婚するくらいしかなかっただろう。そんな習わしに対する反発から書店で働いていたというから、当時としては相当型破りだ(グッゲンハイム家レベルの名家の娘が町で働いていたら恥さらし呼ばわりされるだろう)。
 いわゆる美人ではないが非常に魅力のある人だったそうで、芸術家たちとのスキャンダルが絶えなかったし、本人も特にそれを隠そうとはしていなかった。後に自伝で寝た相手をほぼ全員実名公開してしまったそうで、大変バッシングを受けたが、本人あまり気にしていなかったというのも面白かった。他人がどう見るかより自分がどうしたいのかだ、と行動する一方、コレクターとしての自分に対する評価には敏感だった。承認欲求が強く、パトロネス、コレクターとしての活動はそれを埋める為のものだったのではと話す関係者もいた。もし彼女が現代に生きていたら、美術分野にはいかなかったのではないかとも思う。商才のある人だったそうなので、ビジネスの世界でぶいぶい言わせていたかもしれない。当時は女性、特に上流階級の女性がビジネスの場で活躍する機会はあまりなかっただろう。そう思うと、彼女のコレクションは後世にとっては大きな遺産だが、ちょっと複雑な気分にもなる。
 諸々について気にする所と気にしない所のちぐはぐさが面白い人だったのではないか。自宅で振舞われるランチがとにかく不味いというのには笑ってしまった。ケチだと言う人もいたが、食に対する興味が極端に低かったらしい(あれだけのコレクションを作ってケチということは有り得ないだろう)。

ペギー―現代美術に恋した“気まぐれ令嬢”
ジャクリーン・ボグラド ウェルド
文藝春秋
1991-01




『ペンギン・ハイウェイ』

 小学校4年生のアオヤマ君(北香那)は、毎日学んだことをノートに記録す勉強家。ある日、町にペンギンたちが現れる。海のない町にペンギンたちがなぜ現れたのかさっそく研究を始めたアオヤマ君は、仲良しのお姉さん(蒼井優)が投げたコーラの缶がペンギンに変身するところを目撃する。原作は森見登美彦の同名小説。監督は石田祐康。
 新井陽二郎によるキャラクターデザインはやり過ぎ感がなく、あざとすぎずイヤミがないもので見やすい。お姉さんの胸の造形に力が入りすぎ(サイズと重力感が生々しい・・・)な所、女児キャラクターのデザイン、演技が少々類型的な所は気になるが、全体的には悪くなかった。いわゆるおねショタ感がすごくて大丈夫なの?とちょっとひくくらいなのだが、絵の方向性がニュートラルでそれほど偏執的ではないのでなんとか一般向け作品として着地している印象。声優陣もバランスが良く、特にお姉さん役に声が低めの蒼井をあてているところはよかった。また釘宮理恵によるウチダ君は白眉だと思う。私は釘宮さんの少年演技が好きなので・・・。また、アオヤマ君の父親役が西島秀俊なのだが、なんというか、心のないイケメン感とでもいうようなニュアンスがじわじわくる。すごい美形というわけではないが妙に生活感が希薄で、不思議な個性の人だよな・・・・。
 この映画がというよりも原作込でなのだが、SF的な側面やいつかは終わる夏休みのもの悲しさ、寂しさのニュアンスは涼やかで良い。ただ、おっぱい推しはちょっと勘弁していただきたかった。アオヤマ君はお姉さんのおっぱいに興味津々(多分彼女が初恋なのだ)で、それは別にかまわない。かまわないのだが、アオヤマ君のお姉さんに向ける視線が一貫して性的なものなので、落ち着かないのだ。子供が大人の女性を性的に見ているから、というのではなくて(これは多分に原作の問題だが)、子供が主体であればこのくらいの性的ニュアンスは微笑ましいでしょ?むしろかわいいでしょ?という作品の建て付けの甘え、油断に少々辟易とするのだ。アオヤマ君が(主に男性)視聴者にとっての「あらまほしき科学少年」として造形されているだけに、より鼻につく。男子のスケベ心は微笑ましいという慣習、いい加減ダサいからやめませんか・・・。性的に見られ続ける側の意識に全然触れられていないのはきつい。

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
森見 登美彦
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-11-22

台風のノルダ DVD通常版
野村周平
東宝
2015-08-19


『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』

 リチャード・ニクソン大統領政権下の1971年アメリカ。ベトナム戦争は泥沼化し、アメリカ国民の間でも反戦の気運が高まっていた。そんな中、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書、通称ペンタゴン・ペーパーズの内容をニューヨーク・タイムズがスクープする。ライバル紙のワシントン・ポスト紙は、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)を筆頭に文書の入手に奔走する。ようやくネタを手にしたものの、ニクソン政権はニューヨーク・タイムズに記事の差し止めを要求。記事を掲載すればワシントン・ポストも同じ目に遭いかねない。株式上場を果たしたばかりの社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は経営陣と記者の板挟みになり苦悩する。監督はスティーブン・スピルバーグ。
 スピーディーな展開でスリリング。これが映画の醍醐味!って感じに満ち満ちており、スピルバーグ会心の一撃という感がある。アメリカの現状への怒りが込められているのだろうが、むしろ今の日本で見ると心に刺さる要素がいっぱいだし、正に今見るべき作品だろう。ブラッドリーの「報道の自由を守る方法は一つ、報道し続けることだ」という言葉が響く。そして報道の自由は誰の為にあるのか、更に憲法は誰の為にあるのかということも。ペンタゴン・ペーパーズをリークした調査員も、それを掲載したタイムズも、そしてもちろんポストの記者たちも社主であるグラハム、さらにその他の新聞社も、報道は何の為・誰の為にあるのか、何を持って正義とするのかを真剣に考え、ぎりぎりの所で判断する。裁判所が最後に提示されるような判決を下す所が、アメリカの強さ・健全さなのだと思う。
 本作は報道の自由を守ろうと文字通り命を賭けた人たちを描いているが、それと並行して、当時、女性経営者(に限らず女性全般)がどのように見られていたのかということも描いている。ポスト社は元々グラハムの父親が経営していたが、有能だったグラハムの夫が跡を継ぎ、夫の死により彼女が社主となった。彼女はながらく新聞社のお嬢様、社交界の花的存在として振舞ってきた。とは言え社主となったからには資料を読み込み研究を積み、社主にふさわしい振舞いをしようとする。が、周囲の役人や銀行家たちにとっては「魅力的な女性だけど(経営者としては能力不足)」という扱いで、スタートラインにも立てない。ずっと「あなたには無理だから」という接し方をされていると、いざ発言できる場になっても萎縮してしまうよなと、会議でのグラハムの姿を見てつくづく思った。
 そんな彼女がリベンジを果たし、正にマスコミ全体が一番となって戦うクライマックスにはやはり震える。そして、ブラッドリーたちは正義感にあふれ有能であってもあくまで記者で、社主であるグラハムの覚悟には思いが及ばなかったんだなとも。それを指摘するのはブラッドリーの妻だが、「彼女(グラハム)は勇敢よ」という言葉に思いやりがある。グラハムは会社全体と一族の歴史、これまで社交界で培った人脈の全て、つまり彼女の世界全てを賭けている(妻が指摘するように、ブラッドリーたちは転職可能だしむしろ箔がつくんだよね・・・)。ブラッドリーは正しいのだが、正しさの追求は時に残酷でもある。相手を目の当たりにしてその残酷さにようやく気付くということもあるのだ。記者の目と経営者の目、双方での闘いが本作をよりスリリングにしている。

大統領の陰謀 [Blu-ray]
ロバート・レッドフォード
ワーナー・ホーム・ビデオ
2011-04-21


グッドナイト&グッドラック 通常版 [DVD]
ジョージ・クルーニー
東北新社
2006-11-22


『ベロニカとの記憶』

 60歳を過ぎ、小さなカメラ店を営業しつつ引退生活を送るトニー・ウェブスター(ジム・ブロードベント)の元に、弁護士からの手紙が届く。40年前に別れた当時の恋人ベロニカ(シャーロット・ランプリング)の母親が亡くなり、遺品として日記を残しているというのだ。元恋人の母親から遺品を残される理由がわからず困惑するトニー。しかもベロニカは母の遺品をトニーに渡すことを拒んでいるというのだ。トニーの青春時代の記憶が呼びさまされていく。原作はジュリアン・バーンズの小説『終わりの感覚』、監督はリテーシュ・バトラ。
 私にとっての原作の面白さが、映画では大分スポイルされてしまったように感じた。私は原作小説を好きなので残念に思ったけど、逆に映画の方が好ましいと思う人もいると思う。ラストの味わいが、映画の方が大分優しいのだ。原作は過去との向き合い方に対してかなり辛辣で、取り返しのつかなさの方が強調されていたように思う。小説(文章)の方が、記憶の欺瞞というシチュエーションに向いた表現方法であるという面もあるだろう。映像の方が客観性が高くなるんだなと改めて認識した。本作は、トニーの主観の身勝手さについての物語とも言える。
 トニーと会話をしていた元妻が、「そういうことじゃないのよ」と彼に言うシーンがある。トニーはおそらく、何度となく「そいういうことじゃないのよ」と言われてきたんじゃないか、そして彼自身は言われていることにぴんとこないままだったんじゃないだろうか。
 トニーは悪い人ではないしバカでもないが、自分で思っているほどには利口ではなく、他人の気持ちや状況に対していまひとつ考えが浅い。そして考えが浅い故に一言多い。その一言、面白いつもりかもしれないが全然面白くないぞ!元妻の元に押しかけるのは、見ていてちょっと嫌な気分になった(そういう関係性の夫婦だったんだろうし元妻も彼の振る舞いをある程度許容しているというのはわかるのだが)。相手に歓迎されていない、相手が話を聞きたがっていないという発想はないんだなと。何かと言い訳がましいのも、基本的に自分本位だからだろう。後ろめたさをつい正当化したくなる気持ち、わからなくはないがみっともないからなぁ・・・。



めぐり逢わせのお弁当 DVD
イルファーン・カーン
東宝
2015-03-18




『ベイビー・ドライバー』

 天才的なドライビングテクニックを持ち、とある事情により犯罪組織のドク(ケビン・スペイシー)から仕事を請け負っているベイビー(アンセル・エルゴート)。ある日、ウェイトレスをしているデボラ(リリー・ジェームズ)に一目惚れしたベイビーは裏稼業から足を洗おうと決意するが、ドクに脅され、強盗犯の逃走を助けることになる。監督はエドガー・ライト。
  ベイビーは耳鳴りを防ぐため、常にiPodで音楽を聴いている。彼の動きも運転も音楽に合わせたものだ。冒頭のベイビーの一連の動きは音楽に合いすぎていて笑っちゃうくらいで、これをわざわざやったのか!と監督に大して少々呆れる気持ちもある。見ていて楽しいし体感として気持ちいい(とにかく、音と動きを徹底して合わせているので)のだが、ちょっとやりすぎだなぁという気もした。ともあれ、こういうやり方の音楽映画もアリだとは思う。意外とMV的ではないように思えたところも、面白い。音楽と並走しているが、主体はやはり人体であり車なんだなぁと。  カーアクションに魅力がある。荒唐無稽過ぎないラインがすごい、という感じ。非常に高いドライビングテクニックを駆使して車をちゃんと運転している感のあるカーアクションというか、トンデモ感が薄いのだ(ようするにワイルドスピード的なものではないということで)。カースタントってこういうことだよなー!とうれしくなる。しかしクライマックスではやっぱり車同士のガチンコを始めるので、これは近年のトレンドなんだろうか。
 ベイビーが常に音楽を聴いているのは、耳鳴りを防ぐ為の行為であると同時に、自分自身にサントラを付ける、自分を演出することでもある。冒頭の彼のはしゃぎっぷりは正に「主人公」だし、音楽はその感覚を更に強めている。ただこの音楽、周囲の人には聞こえない(イヤホンで聞いてるから)はずなので、ちょっとイタい人みたいに見えないかな・・・。ベイビーにとって音楽と車は、自分を外界から守る鎧みたいなものでもあるのだろう。それを脱いでいく話なのかなと思っていたら、そうでもないのでちょっと拍子抜け。まあ趣旨は音楽映画なんだろうからそれでいいのか。
ベイビーは裏社会に染まり切っているわけではない。暴力を見るとすくんでしまうし、人を傷つけたくない。そんな彼が、デボラを守りそこから抜け出す為、裏社会のルールに自ら乗っかっていくというところには違和感があった。違うやり方でもいける、という成長の仕方もあるんじゃないかなぁと。同じ土俵に乗らなくてもなぁというもやもやが残った。
 ところで、エドガー・ライトは男女のやりとりに興味がないのか描けないのか。ベイビーとデボラのやりとりにしろ、作中の男女関係にさっぱり魅力がないのには参った。バディ(ジョン・ハム)を援護しようとダーリン(エイザ・ゴンザレス)がバッツ(ジェイミー・フォックス)に言い返す内容、もうちょっと何とかならないのか。ダーリンがその程度のことしか言えない人である、という設定なのかもしれないがそれこそ退屈すぎる。





『ベンヤメンタ学院』

 召使養成学校のベンヤメンタ学院に入学したヤーコプは、服従を学ぶレッスンに励む。学園長ベンヤメンタ氏の妹で唯一の教師であるリーサに惹かれ、彼女に学園の奥へと導かれていく。原作はローベルト・ヴァルザーの小説『ヤーコプ・フォン・グンテン』。監督はブラザーズ・クエイ。「ブラザーズ・クエイの世界」Cプログラムにて鑑賞。
 クエイ兄弟と言えば人形を使ったアニメーション作品だが、本作は数少ない全編通して人間の俳優を使った長編映画。しかし、やはりクエイ兄弟はクエイ兄弟。作風は一貫している。銀板写真のような質感の映像と、閉ざされた空間。そしてフェティッシュさとセットになったエロティシズム。本作では生身の人間が出てくるが、生身であるということよりも、体のパーツに対するフェティッシュ、特に手の動き(ここは非常に厳密な演技が要求されてるんだろうなぁという気がする)によるエロティシズムが濃厚だった。生身の人間全体としてのエロティックさというものは、実はそれほど感じられない。また、召使養成学校ということで、服従が課されていることによるSM的な味わいも。ヤーコプはベンヤメンタ氏やリーサに従順だが、ベンヤメンタ氏やリーサもまた、ヤーコプに、あるいは学院そのものに服従しているようにも見える。
 ヤーコプとキリストになぞらえるようなベンヤメンタ氏の発言や、教会のミサを模したような学生たちのパフォーマンスがあったりする。しかし、ヤーコプは殉教者でも救世主でもなさそうだし、ベンヤメンタ氏もリーサも何かに帰依しているという感じではない。ベンヤメンタ氏とリーサがいる世界は、変化のない完結した閉じた世界だ。スノードームのように舞い散る雪や丸い金魚鉢は、閉じた世界の象徴だろう。2人はそこから解放されたいようでもあり、閉じた世界が壊れることを恐れているようでもある。ヤーコプが入学してきたことで、彼には全く自覚はないのだが、ベンヤメンタ氏もリーサも揺り動かされ世界は変動していく。しかしそれは、完結していた世界が壊れて元には戻らないということでもあるのだ。その壊れていく予兆がそこかしこに感じられ、見ている側も不安に駆られてくる。

ブラザーズ・クエイ短編作品集 [Blu-ray]


KADOKAWA / 角川書店
2016-08-05



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