3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ペンギン・ハイウェイ』

 小学校4年生のアオヤマ君(北香那)は、毎日学んだことをノートに記録す勉強家。ある日、町にペンギンたちが現れる。海のない町にペンギンたちがなぜ現れたのかさっそく研究を始めたアオヤマ君は、仲良しのお姉さん(蒼井優)が投げたコーラの缶がペンギンに変身するところを目撃する。原作は森見登美彦の同名小説。監督は石田祐康。
 新井陽二郎によるキャラクターデザインはやり過ぎ感がなく、あざとすぎずイヤミがないもので見やすい。お姉さんの胸の造形に力が入りすぎ(サイズと重力感が生々しい・・・)な所、女児キャラクターのデザイン、演技が少々類型的な所は気になるが、全体的には悪くなかった。いわゆるおねショタ感がすごくて大丈夫なの?とちょっとひくくらいなのだが、絵の方向性がニュートラルでそれほど偏執的ではないのでなんとか一般向け作品として着地している印象。声優陣もバランスが良く、特にお姉さん役に声が低めの蒼井をあてているところはよかった。また釘宮理恵によるウチダ君は白眉だと思う。私は釘宮さんの少年演技が好きなので・・・。また、アオヤマ君の父親役が西島秀俊なのだが、なんというか、心のないイケメン感とでもいうようなニュアンスがじわじわくる。すごい美形というわけではないが妙に生活感が希薄で、不思議な個性の人だよな・・・・。
 この映画がというよりも原作込でなのだが、SF的な側面やいつかは終わる夏休みのもの悲しさ、寂しさのニュアンスは涼やかで良い。ただ、おっぱい推しはちょっと勘弁していただきたかった。アオヤマ君はお姉さんのおっぱいに興味津々(多分彼女が初恋なのだ)で、それは別にかまわない。かまわないのだが、アオヤマ君のお姉さんに向ける視線が一貫して性的なものなので、落ち着かないのだ。子供が大人の女性を性的に見ているから、というのではなくて(これは多分に原作の問題だが)、子供が主体であればこのくらいの性的ニュアンスは微笑ましいでしょ?むしろかわいいでしょ?という作品の建て付けの甘え、油断に少々辟易とするのだ。アオヤマ君が(主に男性)視聴者にとっての「あらまほしき科学少年」として造形されているだけに、より鼻につく。男子のスケベ心は微笑ましいという慣習、いい加減ダサいからやめませんか・・・。性的に見られ続ける側の意識に全然触れられていないのはきつい。

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
森見 登美彦
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-11-22

台風のノルダ DVD通常版
野村周平
東宝
2015-08-19


『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』

 リチャード・ニクソン大統領政権下の1971年アメリカ。ベトナム戦争は泥沼化し、アメリカ国民の間でも反戦の気運が高まっていた。そんな中、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書、通称ペンタゴン・ペーパーズの内容をニューヨーク・タイムズがスクープする。ライバル紙のワシントン・ポスト紙は、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)を筆頭に文書の入手に奔走する。ようやくネタを手にしたものの、ニクソン政権はニューヨーク・タイムズに記事の差し止めを要求。記事を掲載すればワシントン・ポストも同じ目に遭いかねない。株式上場を果たしたばかりの社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は経営陣と記者の板挟みになり苦悩する。監督はスティーブン・スピルバーグ。
 スピーディーな展開でスリリング。これが映画の醍醐味!って感じに満ち満ちており、スピルバーグ会心の一撃という感がある。アメリカの現状への怒りが込められているのだろうが、むしろ今の日本で見ると心に刺さる要素がいっぱいだし、正に今見るべき作品だろう。ブラッドリーの「報道の自由を守る方法は一つ、報道し続けることだ」という言葉が響く。そして報道の自由は誰の為にあるのか、更に憲法は誰の為にあるのかということも。ペンタゴン・ペーパーズをリークした調査員も、それを掲載したタイムズも、そしてもちろんポストの記者たちも社主であるグラハム、さらにその他の新聞社も、報道は何の為・誰の為にあるのか、何を持って正義とするのかを真剣に考え、ぎりぎりの所で判断する。裁判所が最後に提示されるような判決を下す所が、アメリカの強さ・健全さなのだと思う。
 本作は報道の自由を守ろうと文字通り命を賭けた人たちを描いているが、それと並行して、当時、女性経営者(に限らず女性全般)がどのように見られていたのかということも描いている。ポスト社は元々グラハムの父親が経営していたが、有能だったグラハムの夫が跡を継ぎ、夫の死により彼女が社主となった。彼女はながらく新聞社のお嬢様、社交界の花的存在として振舞ってきた。とは言え社主となったからには資料を読み込み研究を積み、社主にふさわしい振舞いをしようとする。が、周囲の役人や銀行家たちにとっては「魅力的な女性だけど(経営者としては能力不足)」という扱いで、スタートラインにも立てない。ずっと「あなたには無理だから」という接し方をされていると、いざ発言できる場になっても萎縮してしまうよなと、会議でのグラハムの姿を見てつくづく思った。
 そんな彼女がリベンジを果たし、正にマスコミ全体が一番となって戦うクライマックスにはやはり震える。そして、ブラッドリーたちは正義感にあふれ有能であってもあくまで記者で、社主であるグラハムの覚悟には思いが及ばなかったんだなとも。それを指摘するのはブラッドリーの妻だが、「彼女(グラハム)は勇敢よ」という言葉に思いやりがある。グラハムは会社全体と一族の歴史、これまで社交界で培った人脈の全て、つまり彼女の世界全てを賭けている(妻が指摘するように、ブラッドリーたちは転職可能だしむしろ箔がつくんだよね・・・)。ブラッドリーは正しいのだが、正しさの追求は時に残酷でもある。相手を目の当たりにしてその残酷さにようやく気付くということもあるのだ。記者の目と経営者の目、双方での闘いが本作をよりスリリングにしている。

大統領の陰謀 [Blu-ray]
ロバート・レッドフォード
ワーナー・ホーム・ビデオ
2011-04-21


グッドナイト&グッドラック 通常版 [DVD]
ジョージ・クルーニー
東北新社
2006-11-22


『ベロニカとの記憶』

 60歳を過ぎ、小さなカメラ店を営業しつつ引退生活を送るトニー・ウェブスター(ジム・ブロードベント)の元に、弁護士からの手紙が届く。40年前に別れた当時の恋人ベロニカ(シャーロット・ランプリング)の母親が亡くなり、遺品として日記を残しているというのだ。元恋人の母親から遺品を残される理由がわからず困惑するトニー。しかもベロニカは母の遺品をトニーに渡すことを拒んでいるというのだ。トニーの青春時代の記憶が呼びさまされていく。原作はジュリアン・バーンズの小説『終わりの感覚』、監督はリテーシュ・バトラ。
 私にとっての原作の面白さが、映画では大分スポイルされてしまったように感じた。私は原作小説を好きなので残念に思ったけど、逆に映画の方が好ましいと思う人もいると思う。ラストの味わいが、映画の方が大分優しいのだ。原作は過去との向き合い方に対してかなり辛辣で、取り返しのつかなさの方が強調されていたように思う。小説(文章)の方が、記憶の欺瞞というシチュエーションに向いた表現方法であるという面もあるだろう。映像の方が客観性が高くなるんだなと改めて認識した。本作は、トニーの主観の身勝手さについての物語とも言える。
 トニーと会話をしていた元妻が、「そういうことじゃないのよ」と彼に言うシーンがある。トニーはおそらく、何度となく「そいういうことじゃないのよ」と言われてきたんじゃないか、そして彼自身は言われていることにぴんとこないままだったんじゃないだろうか。
 トニーは悪い人ではないしバカでもないが、自分で思っているほどには利口ではなく、他人の気持ちや状況に対していまひとつ考えが浅い。そして考えが浅い故に一言多い。その一言、面白いつもりかもしれないが全然面白くないぞ!元妻の元に押しかけるのは、見ていてちょっと嫌な気分になった(そういう関係性の夫婦だったんだろうし元妻も彼の振る舞いをある程度許容しているというのはわかるのだが)。相手に歓迎されていない、相手が話を聞きたがっていないという発想はないんだなと。何かと言い訳がましいのも、基本的に自分本位だからだろう。後ろめたさをつい正当化したくなる気持ち、わからなくはないがみっともないからなぁ・・・。



めぐり逢わせのお弁当 DVD
イルファーン・カーン
東宝
2015-03-18




『ベイビー・ドライバー』

 天才的なドライビングテクニックを持ち、とある事情により犯罪組織のドク(ケビン・スペイシー)から仕事を請け負っているベイビー(アンセル・エルゴート)。ある日、ウェイトレスをしているデボラ(リリー・ジェームズ)に一目惚れしたベイビーは裏稼業から足を洗おうと決意するが、ドクに脅され、強盗犯の逃走を助けることになる。監督はエドガー・ライト。
  ベイビーは耳鳴りを防ぐため、常にiPodで音楽を聴いている。彼の動きも運転も音楽に合わせたものだ。冒頭のベイビーの一連の動きは音楽に合いすぎていて笑っちゃうくらいで、これをわざわざやったのか!と監督に大して少々呆れる気持ちもある。見ていて楽しいし体感として気持ちいい(とにかく、音と動きを徹底して合わせているので)のだが、ちょっとやりすぎだなぁという気もした。ともあれ、こういうやり方の音楽映画もアリだとは思う。意外とMV的ではないように思えたところも、面白い。音楽と並走しているが、主体はやはり人体であり車なんだなぁと。  カーアクションに魅力がある。荒唐無稽過ぎないラインがすごい、という感じ。非常に高いドライビングテクニックを駆使して車をちゃんと運転している感のあるカーアクションというか、トンデモ感が薄いのだ(ようするにワイルドスピード的なものではないということで)。カースタントってこういうことだよなー!とうれしくなる。しかしクライマックスではやっぱり車同士のガチンコを始めるので、これは近年のトレンドなんだろうか。
 ベイビーが常に音楽を聴いているのは、耳鳴りを防ぐ為の行為であると同時に、自分自身にサントラを付ける、自分を演出することでもある。冒頭の彼のはしゃぎっぷりは正に「主人公」だし、音楽はその感覚を更に強めている。ただこの音楽、周囲の人には聞こえない(イヤホンで聞いてるから)はずなので、ちょっとイタい人みたいに見えないかな・・・。ベイビーにとって音楽と車は、自分を外界から守る鎧みたいなものでもあるのだろう。それを脱いでいく話なのかなと思っていたら、そうでもないのでちょっと拍子抜け。まあ趣旨は音楽映画なんだろうからそれでいいのか。
ベイビーは裏社会に染まり切っているわけではない。暴力を見るとすくんでしまうし、人を傷つけたくない。そんな彼が、デボラを守りそこから抜け出す為、裏社会のルールに自ら乗っかっていくというところには違和感があった。違うやり方でもいける、という成長の仕方もあるんじゃないかなぁと。同じ土俵に乗らなくてもなぁというもやもやが残った。
 ところで、エドガー・ライトは男女のやりとりに興味がないのか描けないのか。ベイビーとデボラのやりとりにしろ、作中の男女関係にさっぱり魅力がないのには参った。バディ(ジョン・ハム)を援護しようとダーリン(エイザ・ゴンザレス)がバッツ(ジェイミー・フォックス)に言い返す内容、もうちょっと何とかならないのか。ダーリンがその程度のことしか言えない人である、という設定なのかもしれないがそれこそ退屈すぎる。





『ベンヤメンタ学院』

 召使養成学校のベンヤメンタ学院に入学したヤーコプは、服従を学ぶレッスンに励む。学園長ベンヤメンタ氏の妹で唯一の教師であるリーサに惹かれ、彼女に学園の奥へと導かれていく。原作はローベルト・ヴァルザーの小説『ヤーコプ・フォン・グンテン』。監督はブラザーズ・クエイ。「ブラザーズ・クエイの世界」Cプログラムにて鑑賞。
 クエイ兄弟と言えば人形を使ったアニメーション作品だが、本作は数少ない全編通して人間の俳優を使った長編映画。しかし、やはりクエイ兄弟はクエイ兄弟。作風は一貫している。銀板写真のような質感の映像と、閉ざされた空間。そしてフェティッシュさとセットになったエロティシズム。本作では生身の人間が出てくるが、生身であるということよりも、体のパーツに対するフェティッシュ、特に手の動き(ここは非常に厳密な演技が要求されてるんだろうなぁという気がする)によるエロティシズムが濃厚だった。生身の人間全体としてのエロティックさというものは、実はそれほど感じられない。また、召使養成学校ということで、服従が課されていることによるSM的な味わいも。ヤーコプはベンヤメンタ氏やリーサに従順だが、ベンヤメンタ氏やリーサもまた、ヤーコプに、あるいは学院そのものに服従しているようにも見える。
 ヤーコプとキリストになぞらえるようなベンヤメンタ氏の発言や、教会のミサを模したような学生たちのパフォーマンスがあったりする。しかし、ヤーコプは殉教者でも救世主でもなさそうだし、ベンヤメンタ氏もリーサも何かに帰依しているという感じではない。ベンヤメンタ氏とリーサがいる世界は、変化のない完結した閉じた世界だ。スノードームのように舞い散る雪や丸い金魚鉢は、閉じた世界の象徴だろう。2人はそこから解放されたいようでもあり、閉じた世界が壊れることを恐れているようでもある。ヤーコプが入学してきたことで、彼には全く自覚はないのだが、ベンヤメンタ氏もリーサも揺り動かされ世界は変動していく。しかしそれは、完結していた世界が壊れて元には戻らないということでもあるのだ。その壊れていく予兆がそこかしこに感じられ、見ている側も不安に駆られてくる。

ブラザーズ・クエイ短編作品集 [Blu-ray]


KADOKAWA / 角川書店
2016-08-05



『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』

 1920年代、ニューヨーク。フィッツジェラルドやヘミングウェイを世に送り出した編集者、マックス・パーキンズ(コリン・ファース)の元に、無名作家のトマス・ウルフ(ジュード・ロウ)が原稿を持ち込んでくる。彼の才能を見抜いたパーキンズはウルフに協力して原稿の手直しに励み、処女作『天使よ故郷を見よ』はベストセラーに。次の作品の為、2人は昼夜を問わず大量の原稿の校正を続ける。パーキンズは家庭を犠牲にしていると妻に諌められ、ウルフの恋人アリーン(ニコール・キッドマン)は2人の関係に激しく嫉妬する。やがてウルフはパーキンズがいないと作品を完成できないと揶揄されたことに腹を立て、2人の関係にも亀裂が走る。原作はA・スコット・バーグ『名編集者パーキンズ』、監督はマイケル・グランデージ。
 トマス・ウルフの作品を特に読んだことがなくても、パーキンズのことを知らなくても大丈夫な作品だが、フィッツジェラルドやヘミングウェイのことは(本作での登場時間は短いのだが)知っておいた方が楽しめると思う。特にフィッツジェラルドは『グレート・ギャツビー』の後、長いスランプ時期に入っており、妻が精神的に不安定なこともあり生活が厳しい。苦境のフィッツジェラルドをパーキンズが以前と変わらず支え続けていることがわかる描写もあり、パーキンズの人柄がわかる。
 ウルフはどちらかというと奇人変人扱いされるであろう人柄で、声は大きくテンションの上がり下がりが激しい。執筆量はやたらと多く、1作品の原稿が木箱数箱に入れられ編集室に届くというシーンもある。これを書きたい、という意欲が旺盛だというよりも、頭の中で言葉が渦巻いており、書き出さずにいられないように見える。キッチンで立ったまま原稿を書くウルフの姿は、何かに追い立てられているようだった。一語を絞り出すのに必死だというフィッツジェラルドも大変そうだが、ウルフの言葉の過剰さは、これはこれで大変そう。
 ウルフは対人関係でもテンションの上がり下がりが激しく、好意を持った相手にはぐいぐい押してくる。ウルフにとってパーキンズは初めて自分の作品を認めてくれた相手ということもあり、パーキンズを深く信頼するようになる。執筆している間は作家は孤独で苦しいだろうと思うが、その苦しさを理解してくれる相手がいるという喜びが、2人で作業を進める様には充ちている。
パーキンズも才能ある作家に信頼されてもちろん悪い気はしないので(演じるジュード・ロウが久しぶりにキラキラ感全開で押してくるので、そりゃあ悪い気はしないな!と妙に納得する)、彼との仕事にはどんどんのめり込んでいく。作家の才能がどんどん開花していく様を目の当たりにし、その手助けをするというのは、やはり他の仕事では味わえない喜びがあるのだろう。その喜びの代えがたさみたいなものが、そこに立ち入ることができないアリーンやパーキンズの家族にとってはやりきれなかったのだろうが。
 ウルフの信愛は直球だが、不信が芽生えるとそれに蝕まれるスピードも速く、こういう人と付き合うのは仕事相手としても友人としても、実に大変そう。フィッツジェラルドに暴言をはいたウルフをパーキンズが叱責するシーンがあるが、ウルフは多分、何で怒られてるのかぴんとこなかったんじゃないか。書けない状態を想像できないことに加え、パーキンズが自分以外を尊重するということが念頭にない感じ。こういう形で過剰に信頼を寄せられるというのも、なかなかきついものがある。パーキンズは実に人間が出来ていた(家族から見たら別の意見があるだろうけど、作中では妻はパーキンズの仕事を尊重している)んだろうな・・・。才能ある者から離れられない性分という側面もあったのかもしれないが、すごく抑制のきいた振る舞い方。コリン・ファースにははまり役だったと思う。ファースが演じることで人徳感が上がっている気がしなくもない。

『ヘイル・シーザー!』

 1950年代のハリウッド。超大作映画『ヘイル・シーザー!』の撮影中、主演スターのウィットロック(ジョージ・クルーニー)が誘拐された。スタジオの何でも屋(ジョシュ・ブローリン)は事件解決に奔走する。監督・脚本はジョエル&イーサン・コーエン。
 予告編だと何でも屋が個性豊かなスターたちの力を借りて事件解決に乗り出す、みたいな話のようだが、実際は何でも屋が1人で奔走しており、スターたちはむしろちょっとしたトラブルを上乗せしていくような存在。ユルーい群像劇みたいな感じで、キャストが豪華な割にはそれぞれの見せ場はそれほどない。ヒロインぽく見える(というか通常ならヒロインであろうスカーレット・ヨハンソンの出演時間が意外と短くてびっくりした。逆に、華を添えるという意図なのかと思っていたチャニング・テイタムが、フレッド・アステアばりのニュージカルシーンを見せるわ、まさかの大活躍(?)だわで、なかなか意表を突かれた。また、全くノーマークだったアルデン・エーレンライクが大変チャーミング。アクションはピカイチだがそれ以外はとんでもなく大根というカウボーイ俳優役なのだが、一見とっぽいのに実は結構常識人で聡明という、おいしい役どころだった。他のキャストがいわゆるスターばかりなのだが、彼が一番印象に残っているというのは、やっぱりすごいのではないか。
 何でも屋が誘拐事件を解決するという本筋よりも、撮影所内で製作されている映画の製作現場の様子や、撮影されたワンシーンの方がインパクトがあり魅力的。この撮影中の映画、全編見てみたいなと思わせるのだ。大根役者の箸にも棒にもかからない演技が、フィルムを編集すると何となくそれなりに見えるようになる、という映画のマジックも垣間見られる。当時のハリウッド映画に詳しい人なら、この映画の元ネタはこれでは、この監督のモデルはあの人ではみたいな部分がわかるのかもしれない。全てのシーンが「こんな映画あった気がする」ものに見える。映画撮影のセットのセットを作って映画を撮っている映画を撮る、というメタ映画なので、映画好きならより楽しめるだろう。きつい仕事に不満たらたらで他業界からのスカウト話に揺れる何でも屋も、結局は映画が好きで、映画製作に誇りを持っているのだ。
 ただ、映画愛に満ちた映画ではあるが、映画やハリウッドを絶賛しているわけではない。ハリウッドの人たちは俳優も監督も記者たちもどこかうさんくさく、品行方正とは程遠い。ウィットロックが誘拐された理由も真面目は真面目だけどどこかマヌケだし、犯人たちの描写も、真面目なんだかふざけているんだか(コーエン兄弟が脚本家としても活躍していることを考えると、かなり自虐的というかふざけていると思う)。一見華やかな世界だが、その実滑稽だったりあくどかったりする。でも、そういう素地の上に何か美しいものが出来上がっていくという所が、映画を作る側にとっての醍醐味であり矜持なのか。
 なお、前述したチャニング・テイタムによるミュージカルシーンで、「海の上には女がいない」と歌う部分があるのだが、テイタムの歌と踊りを見ていると、女はいないけどテイタムがいるからいいじゃん!って気になってくる。これ、終盤の展開を考えるとかなり意図的にそうしているのではないかと思う。

『ヘイトフル・エイト』

 南北戦争から約10年後のワイオミング。雪の中、賞金稼ぎのジョン・ルース(カート・ラッセル)は逮捕したデイジー・ドメルグ(ジェニファー・ジェイソン・リー)を処刑する為、彼女を連れてレッドロックへと馬車を走らせていた。道中、立ち往生していた賞金稼ぎのマーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)、新任の保安官だと自称しているが南部の略奪団として知られるクリス・マニックス(ウォルトン・ゴギンズ)が同乗し、レッドロックへの中継地点である「ミニーの紳士用品店」に到着。しかしミニーは不在で留守を預かるメキシコ人のボブ(デミアン・ビチル)、絞首刑執行人のオズワルド・モブレー(ティム・ロス)、カウボーイのジョー・ゲージ(マイケル・マドセン)、そして南部の元将軍サンディ・スミザーズ(ブルース・ダーン)が先客としていた。ルースはこの中にドメルグの仲間がいるのではと疑う。監督・脚本はクエンティン・タランティーノ。
 吹雪による密室!山荘に閉じ込められたいわくありげな8人!ときたらもう殺人が起こるしかないよねと考える本格ミステリ脳な私ですが、本作は本格ミステリではない。確かに殺人は起きるしウォーレンが探偵的な役割を果たすのだが、もう犯人云々の世界じゃないんだよなこれ・・・。通常のミステリだったらこれは伏線に違いない!というパーツは随所にあるのだが、それは全てスルーされるし本格ミステリとしての禁じ手をあっさり使うので、いわゆる論理的な謎解きに頓着した作品ではない。むしろ、ミステリとしてのプロットは大味(でも「それっぽい」ことはちゃんとやっており嬉しくなった)で、B級のシナリオを超A級の演出・撮影・美術で撮りましたという印象だった。こんな大味な話でここまで映画として迫力・見応えのある作品に仕上げられるって、タランティーノの才能って本当にすごいんだなと実感した。
 本作の魅力であり、「ああ映画を見ている!」という感慨を与えてくれるのは、やはり映像だ。映画だから映像を見て感慨にふけるのは当然なのだが、本作の映像はこれが映画だ!と大声で訴えてくるような感じがする。冒頭の、雪原を駅馬車で走るシーン、丘の向こうから馬車がやってきて丘を越えるといったパノラマが素晴らしいのだが、それは風景が素晴らしいからとも言えるだろう。本作のすごさは、その素晴らしさ、パノラマ感が密室劇になってからも持続されるところにある。ほぼ密室劇なのに閉塞感や狭さは感じさせず、カメラは縦横無尽に動き回り、ショットがワンパターンにならない。限られた空間でよくこれだけバリエーションが出るなーと感心する飽きのこなさ。室内のセットがカメラの動線も考慮してすごくよくできているということなのかな・・・。この種田陽平による室内セットは細部まで見事。私は種田の映画美術はちょっとファンシーすぎる気がして好きではないのだが、本作はすごくよかった。
 本作の舞台背景は南北戦争の約10年後ということで、南北の溝はまだ深く、戦争の記憶もはっきりとしている時期だ。これが結構大きな要素になっている。密室内が北V.S.南のようになってくるのだ。アメリカという国家にとって重要な戦争は第二次世界大戦ではなくて南北戦争なんだなぁと実感する作品でもある。タランティーノは『イングロリアス・バスターズ』では第二次世界大戦を舞台とし、『ジャンゴ』では奴隷制度との戦いが背景にあり、本作では南北戦争後のしこりを取り上げている。彼なりにアメリカの精神史みたいなものを追おうとしているのかなとも思った。

『ベテラン』

 特殊強力事件担当の広域捜査隊のベテラン刑事ドチョル(ファン・ジョンミン)は、悪人逮捕の為には手段を選ばず、人を殴る為に刑事になったとまで言われている。あるパーティーで財閥の跡取り息子であるテオ(ユ・アイン)と出会うが、後日、財閥の関連企業の社員が自殺を図る。自殺の裏にテオが絡んでいるのではと直感したドチョルは独自に調べ始めるが、財閥の息がかかった警察上層部によって捜査の打ち切りが命じられる。それにも負けずドチョルは事件を調べ続けるが、テオは次々と妨害工作を仕込んでくる。監督はリュ・スンワン。
 韓国の娯楽大作って、盛って盛ってまた盛って!くらいのハイカロリーなイメージがあったのだが、本作はサービス精神旺盛ながらも見せ方はスマート。一見泥臭いのだが、切り上げどころがいいというか、洗練されていて見やすい。個人的にはもっとローカロリーでもいいくらいだが。
 ドチョルは豪快かつ暴力的、頭は切れるもののそれ以上に腕に物を言わせる、いわゆるマッチョなタイプと言えるだろう。こういうタイプの主人公だと往々にしてセクハラ的発言が出やすいものだが、ドチョルは意外なほどにそういう振る舞いをしない。紳士という雰囲気ではないが、仲間である以上は男女関係なくフラットな接し方だ。同僚に女性刑事はいるが、いわゆるマスコット的な存在ではなくしっかりと戦力だし、女性としての立ち位置をどうこう言われることもさほどない。このあたり、時代に即して韓国の娯楽映画が成熟してきているということじゃないかなと、何だか新鮮だった。
 時代に即してと言えば、作中で「大企業は聖域」(捜査できない)と警官たちが揶揄するシーンがあるのだが、これは現代の韓国社会内での感覚を反映しているのだろうか。とすると、大企業の恩恵にあずかれない一般人にとっては、大分絶望感深いんじゃないかと思うが・・・。そんな中だからこそ、ドチョルの「金よりも(刑事としての)プライド」という譲らない態度によりぐっとくるのでは。敵であるテオが清々しくクズな悪役なので、思う存分広域捜査隊の面々を応援できるという側面もある。ちょっとキャラクターとして出来すぎな感じもするのだが、いい悪役がいる物語はやはり盛りあがる。
 ドチョルとテオの戦いが、最後はなぜかガチンコ勝負に持ち込まれるというのは、非常に少年漫画的で笑ってしまうところもあるのだが、こういうやり方でないと身柄を確保するだけの罪状を作れない、というシチュエーションでもある。ああいう場に引っ張り出して多数の証人を作り、言い逃れできなくするしかないということだろう。それもまた複雑な気持ちになる。一歩間違うと、冷静な捜査からは外れてしまいそう。ポピュリズム至上主義や密告社会になりかねないのではと。

『ベルファスト71』

1971年、北アイルランドでの紛争激化に伴い、イギリス軍が派遣された。ベルファストに着任した新兵のゲイリー(ジャック・オコンネル)は、パトロール中に争いに巻き込まれ、一人取り残されてしまう。監督はヤン・ドマンジュ。ジャック・オコンネルって『ユナイテッド ミュンヘンの悲劇』で主演だった人か!主演作が渋い。アイルランド紛争について多少知識がないと苦しいかもしれないが、地味に面白い作品だった。
イングランドに対する敵意あふれる地域から、ゲイリーは果たして生還できるのかという脱出劇としてのサスペンスが軸になってはいる。ただ同時に、北アイルランド側も一枚岩というわけではない。IRAの中にも、穏健派と過激派がいるし、また地域住民の中にも、カトリックもいればカトリック排斥派もいる。IRAの中にも、イングランド軍に協力して工作やスパイ行為をしている者もいる。この彼が切り抜けられるのかどうかもサスペンスの一つだ。更に、この人は、あの人は無傷でいられるのかという、スリリングさに満ちている。そのくらい情勢が緊迫しており、解決の糸口も見えにくいということなのだが。こういう紛争の厄介なところは、落とし所を非常に作りにくいということなんだろうなぁ。
ゲイリー以外は全員何かを欺き、腹に一物持っているようなわけありの人たちなのだ。アイルランドの複雑な歴史背景と政治状況が絡んでおり、ゲイリーはそこに巻き込まれていく。新兵だったゲイリーが無垢さを失っていく物語でもあり、紛争の落とし所の見えなさとあいまって後味は苦い。ゲイリーの幼い弟に対する態度が、また苦さを深めるのだ。あの場で死んだあの人たちにも、こういう幼い弟妹や子供がいたのではないかと。
それにしても、子供の頃から「敵」に対する憎しみを植えつけられている様を見るのはきつかった。子供は大人の言動をまねるってことなんだろうけど、小さな子供も「敵」を罵倒し投石をする。なんで彼らが敵とされているのかもわかってないんじゃないかと思うが。彼らが育ってまた自分の子供に憎しみを植えつけていくのか。そりゃあ紛争なくならないよなぁとやりきれなくなる。

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ