3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ペルリンプスと秘密の森』

 太陽のエージェント・クラエと、月のエージェント・ブルーオ。敵対している2人だが、この地を支配している巨人から森を守っているという謎の存在“ペルリンプス”を探すという共通の目的を持つ。2人は協力しあいペルリンプスを求めて森の奥へ進んでいく。脚本・編集・監督はアレ・アブレウ。
 監督の前作『父を探して』は、カラフルで自由奔放なビジュアルとノスタルジーをはらむが現代社会に対する批評的な視線を含んだストーリーが印象深い作品だった。本作も映像表現の方向性はまた違うものの、色彩や質感の美しさ楽しさ、そして終盤で明らかになる世界の姿が胸に刺さってくる様は方向性が通じるものがある。場所によって色のトーンが変わっていき、全体的にやわらかいフォルムとポップな色彩でまとめられた美術がとても美しい。また、音楽がポップで楽しい、かつどことなくノスタルジックなもので耳に残る。
 クラエとブルーオは動物のような子供のような可愛らしい外見で、声も可愛らしい。2人はそれぞれの世界のエージェントだが、自称有能なわりにたどたどしく、エージェントの仕事も能力のあり方も、お互いのライバル意識や意地の張り合いも、どこか子供のごっこ遊びのように思えた。子供向け作品だとするとそれもまあ順当…と思っていたら終盤でなるほど!と。彼らが何者でこの世界がどういう形になっているのか腑に落ちると同時に、彼らに課されているものの残酷さが刺さってくる。急に現実に迫ってくるのだ。しかし、彼らの存在は希望でもある。クラエとブルーノは共に「潜入」したのだから、もしかすると未来を変えられるのかもしれないのだ。

父を探して [Blu-ray]
バップ
2017-01-11







ディリリとパリの時間旅行 [DVD]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2020-01-22













『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』

 ファッションデザイナーのペトラ(マルグリット・カルステンセン)は、2人目の夫と離婚し落ち込んでいた。アトリエ兼アパルトマンの部屋で暮らしている彼女のもとに、友人の男爵夫人が、若く美しい女性カーリン(ハンナ・シグラ)を連れてやってくる。カーリンにひかれたペトラは、モデルとして活動する為の援助をするとカーリンを誘い、彼女と同棲を始めるが。監督はライナー・ベルナー・ファスビンダー。1972の作品。
 本作をリメイクしたフランソワ・オゾン監督『苦い涙』を見たので、比較してみたくて元作品である本作も見てみた。意外だったのが、脚本はそれほど改変されていないこと。ストーリーの流れやセリフはほぼ本作を踏襲しているものだった。受ける印象や監督の解釈の違いは、登場人物が全員女性か男性かというところが大きいように思う。オゾン版は全員男性だが、元作品の本作は全員女性。なおペトラの母親が娘が女性に恋するなんてとショックを受けるくだりがあるのだが、オゾン版ではさすがにそれはなかった。
 本作の方がペトラの愛のむなしさが印象深い。ストレートに悲恋のメロドラマという感じだ。オゾン版もわりと直球のメロドラマではあるのだが、愛におけるパワーゲームの側面を強調している感じがした。本作でもペトラが「(カーリンを)所有したかった」と言うので、愛の権力関係という側面も描かれているのだが、そこまで強い印象ではない。これは登場人物の性別も一因なのかもしれないが、主人公の職業がデザイナーか映画監督かという部分が大きいと思う。モデルに対するデザイナーよりも俳優に対する映画監督の方が権力を持っていそうだし、相手を消費する、自分の糧としてしまいそうな気がする。オゾン版の主人公は結局自分のこと大好きだよなーというナルシズムが漂っているからかもしれないが。本作のペトラにはナルシズムはあまり感じない。むしろ自分の欠落を埋めようと必死になっているような印象を受けた。母親との関係も、無条件に愛されていたという感じがしない。我儘に見えるがどこか自分を肯定しきれない人物なのではと思わされた。
 画面構成の複雑さにインパクトがある。どこに焦点が当たっているのかということと、画面内で主に起きていることとのずらしが面白い。またカメラの動き方もかなり複雑で、これを狭い空間(セットはあまり広くなさそうなので)で成立させるのは大変そう。鏡を多用した演出も、誰が誰を見ているのかと常に意識させるもので印象に残った。

ペトラ・フォン・カントの苦い涙【DVD】
イルム・ヘルマン
紀伊國屋書店
2018-12-22


マリア・ブラウンの結婚 [DVD]
イヴァン・デスニー
紀伊國屋書店
2007-12-22


『ベネデッタ』

 6歳で修道院に入ったベネデッタ(ビルジニー・エフィラ)は熱心に信仰に励み、奇跡ではと噂されるような出来事も起こしていた。ある日、修道院に逃げ込んできた少女バルトロメア(ダフネ・パタキア)を助けるが、ベネデッタと彼女は急速に惹かれ合っていく。そんな中、ベネデッタは聖痕を受けたと主張し、新たな修道院長に就任。民衆から聖女と崇められるようになる。監督はポール・バーホーベン。
 私はバーホーベン監督作品をあまり面白いと思ったことはないのだが、本作はやたらと面白かった。冒頭からして、子供の頃から口が達者ではったりが抜群に上手いというベネデッタのキャラが立っているし、修道院なのに院長とベネデッタの父親との会話は商談のそれ。世俗でしかないので笑ってしまう。17世紀が舞台なのだが、修道院長にしろ教皇にしろ、権力を持っている側の意識はかなり現代的に描かれている。信仰はあるが、それ以上に政治と経済が彼らを動かしているのだ。
 対してベネデッタの信仰は非常に一本気で大真面目だ。ただ、大真面目といっても彼女の起こす「奇跡」はどう見てもインチキ臭い。そのインチキも信仰の為、神がそれを阻害しないのなら神の意志にかなっているはずだから自分は正しい!と言わんばかりの堂々としたインチキなのだ。ここまでくるともう怖いものないだろうなという自己肯定感が強烈。一歩間違えれば狂信的な雰囲気になりそうなところ、妙に健康的に見えてしまうのは、このベネデッタの強靭さによるところだと思う。迷いがない!信仰に対しても愛欲に対してもブレがなくていっそ清々しい。欲望に対して一貫して肯定的なあたり(まあバーホーベンが女性同士のセックスを描きたいだけかもしれないが…セックスの描写はヘテロセクシャル男性の視線と思われ、そこだけは微妙だった)、既にカソリック的ではない気がするのだが、彼女の中では矛盾がなさそうだし、だからこそ陰惨なシーンがあっても作品全体のトーンはあっけらかんとしているのでは。

エル ELLE(字幕版)
ジュディット・マーグル
2018-09-02


『ベルイマン島にて』

 映画監督同士のカップル、クリス(ヴィッキー・クリープス)とトニー(ティム・ロス)は、スウェーデンのフォーレ島でひと夏過ごす為にやってきた。フォーレ島は敬愛するイングマール・ベルイマン監督の居宅があり、彼の作品が撮影された土地でもある。2人はベルイマンが暮らしていた居宅で執筆活動を始めるが、クリスはなかなか筆が進まない。監督・脚本はミア・ハンセン=ラブ。
 クリスとトニーはどちらも映画監督。同業者同士のパートナーだったらお互いの仕事の苦労への理解・共感も深いのでは、と思ったらそうでもないっぽい所が面白くもあり、世知辛くもある。特にこの2人は年齢差があって、トニーがクリスの先輩格(下手すると親子みたいに見えてしまった)という非対称があり、更に創作スタイルも違う。トニーは自分が目指すところへぐんぐん進んでいくのだが、クリスは自分の身を削るような感覚で書いているらしい。この苦しさはおそらくトニーにはわからないのだろうなと思う。同業者同士でも、案外情報共有できないものなのだろう。クリスはトニーに自分の作品の構想を話し、トニーがちゃんと聞いていない・返答しないと怒るが、トニーはトニーなりに誠実に聞いて返答しようとしているようにも思った。彼の対応は同業者としての態度で、個人的なパートナーとしてのものではなかった(クリスは個人的なパートナーとして相談していた)のでは。
 前半はほぼ時系列通りにストーリーが進行する。時間が経つのにクリスの仕事が進んでいない、対してトニーの仕事ははかどりその他のアクティビティも時間の流れに沿って順調にこなしている様子が浮かび上がる。しかしある時点で、クリスの中で自分の映画が「はまる」瞬間が訪れる。作品が自分のものになるというのはこういう感じかとはっとした。この時点からは時系列は必ずしも一定の流れではなく、大幅にジャンプしたり戻ったりする。この、時間の流れの一定しなささ、時間の操作性が映画という媒体の大きな要素の一つだということを意識させられる。
 それにしても、ベルイマン監督が観光資源になっているとは。ベルイマンサファリ(ロケ地などのバスツアー)なんてものもあって、ちょっと笑ってしまった。ベルイマン監督作とのギャップが激しい。ベルイマン作品は夫婦・カップルにとって不吉でしかないのだということは、万国共通の認識だろうが、そのベルイマンの家に映画監督カップルで滞在するクリスたちは、結構心臓が強い。

未来よ こんにちは(字幕版)
エディット・スコブ
2018-11-03


ある結婚の風景 オリジナル版 Blu-ray
ヤン・マルムシュー
IVC,Ltd.(VC)(D)
2015-05-22


『ベルファスト』

 北アイルランドのベルファストで両親と兄と暮らす9歳のバディ(ジュード・ヒル)。しかし1969年8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始める。バディの家はカトリック住民が多い地域にあり、家の前の道路が爆破され。バディの家にも石が投げ入れられる。父親(ジェイミー・ドーナン)には武装集団のメンバーから強引な勧誘の声がかかり、一家もこの紛争に巻き込まれていく。監督・脚本はケネス・ブラナー。
 ベルファスト出身であるブラナー監督の自伝的作品。現代のベルファストから一気に60年代に観客を引き込み、更に紛争下の町であることを突き付ける序盤の構成がうまい。最初、カメラがやたらと動き映像がにぎやかな印象なのが気になったのだが、徐々に落ち着いていく。これはバディの視点が少し大人になっていく、世の中が楽しいだけではなくなっていくということかも知れないと思った。子供の世界に徐々に世間が浸透していくのだ。世間に触れていくということは、分断が深まる世の中で、バディもカトリックに対して強い偏見と敵意を持つことになったかもしれないということでもある。そうならなかったのはひとえに、周囲の大人が宗教の違いによって壁を作らない人たちだからだろう。周囲にどういう大人がいるのかということは、子供の人生にとって非常に大きい。幼いころはほぼ全てといってもいいくらいだろう。
 バディの両親はその点なかなかいい。父親(ジェイミー・ドーナン)は英国に出稼ぎに行っている。金銭面でルーズなのが問題なのだが、家族を愛しており気骨がある。子供たちを育て守るのは主に母親(カトリーナ・バルフ)なのだが、これまた気骨に溢れたタフな女性だ。終盤の暴動の中で子供たちを「連行」する姿にはしびれた。完璧ではないが親としての愛情があり、大人としての責任を果たそうとしている。2人とも子供たちを守ろうとしているのだが、それ故ベルファストに残るか紛争を避け移住するかで意見が割れるのだ。この町に残るか出るかの葛藤は当時の人たちの多くが持っていたものだろう。故郷を深く愛していても離れざるを得ない人もいる。その葛藤を理解しているからこそ、最後の献辞が深くしみてくるのだ。

私のはじまり―ケネス・ブラナー自伝
ケネス ブラナー
白水社
1993-11-01


『ベイビーティース』

 難病を抱える16歳のミラ(エリザ・スカンレン)は、不良青年モーゼス(トビー・ウォレス)に一目ぼれする。ミラの両親は素行不良で薬物にも手を出しているモーゼスとの交際に大反対だが、ミラのモーゼスへの気持ちは強まる一方。刺激的で色鮮やかな日々に夢中だったが、ミラの病状は悪化していく。監督はシャノン・マーフィ。
 色調と音楽がポップで楽しく、キラキラしている。音楽の選び方、シーンへのはめ方へのセンスで映画の格が一段上がっているように思う。短いエピソードのつなぎ合わせで、エピソード間の時間の経緯はあえて示さないという、散文的なスタイルだ。多分、ミラの症状が本当に悪くて辛い時期もあるはずなのだが、そこはあえて見せない。が、多分今このあたりのステージだよなということは見ていれば察しが付くといったように、情報の示し方と構成が上手い。若々しい作品なのだが、こういう部分のテクニックは意外とこなれていると思う。使い古されたネタでも料理の仕方次第でフレッシュになるのだ。
 一見、ミラとモーゼスのラブストーリーのようだが、この2人の間にあるのは本当に恋愛なのか微妙ではないだろうか。ミラはモーゼスにぞっこんだが、一方的すぎる。モーゼスもミラのことを可愛いとは思ったのだろうが、薬物ほしさにミラの家に押し入るくらいなのであまり信用できない。ミラにはその臆面のなさ、遠慮なく踏み込んでくるあたりが魅力だったのかもしれないが、2人の間の思いは噛み合っていない、お互いへの思いがかなり不均等なように思った。何より、モーゼスはミラよりも大分年上(両親もそこを指摘する)なので、倫理的にちょっとアウト寄りでは?フェアな力関係にならないのでは?と思ってしまった。そういった2人の間の齟齬を意図的に演出しているように思われた。2人の間に心の繋がりは生まれるが、実はそれほど「ラブストーリー」というわけではないのでは。
 リアとモーゼスよりも、リアの両親ら大人たちの姿の方が(私の年齢のせいもあるだろうが)印象に残った。リアの両親は彼女の幸せを祈るが、モーゼスとの関係にどう対処していいのか迷い続ける。母親は娘と薬に依存気味だし、父親は向かいの家の女性にときめいてしまう。両親は不仲と言うわけではなくむしろ愛し合っており結構いちゃつくのだが、なかなか立派な大人、立派な両親にはなれない。しかし娘の為に迷い続ける姿は、親ってこういう感じだろうなとしみじみさせられる。またちらりと登場するモーゼスの母親の姿も印象深かった。彼女はモーゼスのことを強く拒否するのだが、母親には母親なりのどうにもならない事情があり、モーゼスはおそらく相応のことをしたのだろうと思えるのだ。親たちの話という側面もある物語だと思う。




パンチドランク・ラブ [DVD]
ルイス・ガスマン
パラマウント
2016-06-03




『ペイン・アンド・グローリー』

 世界的に有名な映画監督のサルバトール(アントニオ・バンデラス)は母親を亡くしたこと、健康状態が思わしくなく脊椎の痛みがひどくなってきたことで、心身共に疲れ果て、仕事も手につかなくなっていた。幼少時代、母親と過ごした日々、バレンシアでの子供時代やマドリッドでの恋と破局など、自身の過去を回想していく。監督はペロド・アルモドバル。
 アルモドバル監督作はいつも色彩がビビッドで鮮やかかつ美しい、時に毒々しいくらいだが、本作の美術の色調は個人的には今までで一番好み。特にサルバトールの自宅のインテリアは大変しゃれていて(サルバトールは美術コレクターでもあり、アート作品も多数所蔵している)赤と水色とのコントラストが鮮やかだった。サルバトールが着ている服も、デザインはシンプルなのだが配色は結構思い切っている。無難な色の服を着ている人があまり出てこない。
 サルバトールは体のあちこちの調子が悪く、特に背中の痛みを常に抱えている。背を丸めてかがむことができないのだが、演じるバンデラスが非常にうまく、可動域が制限されている感じで、どうかすると痛いんだなということがよくわかる。見ている方が辛くなってきちゃうくらいだ。ただ、サルバトールはこういった痛みや不調の改善・治療に積極的かというとそうでもない。病院でこまめな診察を受けている様子はなく、痛みを抑える為にヘロインに手を出して依存気味になってしまう。自分の体に対してどこか投げやりなように見えた。
 しかし、自分作品に出演したものの不和に終わった元主演俳優や、破局したかつての恋人との関係を見直し、関係を築きなおしていくうち、自分の健康面の見直しにも行き着く。更に、創作意欲の復活にもつながっていく。自分の過去を振り返ることは、彼にとってこの先の人生と向かいあうこと、イコール映画を作り続けることでもある。過去の昇華が映画作りにつながるというのは正にナチュラルボーン映画監督と言う感じなのだが、ジャンルは何であれ創作に従事している人というのはそういうものかもしれない。
 今現在の元主演俳優や元恋人と接することで、苦い思い出も多少甘やかな、自分の中で許せるものになっていく。時間を置くことで見え方が変わってくるのだ。(主演俳優ともめたかつての監督作について)重すぎると思っていた主演俳優の演技が違って見えてきた、今はあの演技でよかったと思うとサルバドールが語るエピソードが面白かった。また、元恋人との再会も、円満に幕を閉じる。双方それぞれの人生があり、一緒にはいられなかったがそれぞれ幸せがあったと受け入れられるのだ。
 ただ、母親との関係は一見美しい思い出に見えるが、ずっと苦いものが残る。子供時代のサルバトールについて母が「誰に似たのかしら」といい顔をしなかったことを、彼はずっと記憶している。また老いた母は彼が同居しようとしなかったことをずっと根に持っている。サルバトールは(おそらくセクシャリティ含め)母が望むような息子にはなれなかったし、母の失望は(彼女はそんなこと意図しなかったろうが)ずっと彼を苦しめる。サルバトールのせいではなく単に「そうならなかったから」というだけなのだが、母への愛情ゆえに罪悪感が止まない。母に対してだけは彼女が生きている間に関係を結びなおすことができず、彼の思い出の中=映画の中でだけ再構築される。それはサルバトールの創作と直結しており映画監督として喜ばしいことではあるのだが、取返しのつかなさがどこか物悲しい。

ジュリエッタ(字幕版)
ダリオ・グランディネッティ
2017-06-02


マイ・マザー(字幕版)
スザンヌ・クレマン
2014-07-04


『ペスト』

カミュ著、宮崎嶺雄訳
 アルジェリアのオラン市でペストが流行し始める。医師のリウーは病気の妻を転地の為に送り出し、自身は病に倒れる人たちを助ける為に奔走する。しかしペストは広がり続け、リウーをはじめ治療に携わる人たちは疲弊していく。
 新型コロナウイルス流行に伴いにわかに注目されたカミュの作品。確かに今読まないとこの先読み逃し続ける気がしたので手に取った。どちらかというと抽象・観念的な小説かと思ったら、むしろルポルタージュ的な、記録小説的なタッチで意外。他のカミュ作品と比べても大分リアリズム寄りなように思う。疫病が蔓延し始めたら人びとはどのように行動するのか、行政は、医療はどうなるのか、ちゃんと想定して書かれている。特に集団がどのように動くかという部分には、今まさにリアルタイムで体感しているものだと感じた。感染対策にちょっと疲れた人たちの気が抜けてやや浮かれちゃうところとか、なかなかリアルだ。追い詰められた状況で人の高潔さが現れる、が、むしろそれ以上に暴力性や愚かさが目立ってしまう。ペスト流行の中に自分の居場所を見つけてしまう(つまり病気の恐怖の元では皆平等だから)男の姿には危うさを感じた。

ペスト (新潮文庫)
カミュ
新潮社
1969-10-30


『ベン・イズ・バック』

 クリスマスイブの朝、19歳のベン(ルーカス・ヘッジズ)が急に帰宅し家族を驚かせた。ベンは薬物依存症の治療中で、施設で暮らしていたのだ。母ホリー(ジュリア・ロバーツ)と幼い弟妹は再会に喜ぶが、妹アイビー(キャスリン・ニュートン)と継父ニール(コートニー・B・バンス)は不安がる。1日だけの在宅を許すが、外出先から一家が帰宅すると、家の中が何者かに荒らされ愛犬がいなくなっていた。昔の仲間の仕業だと考えたベンは一人で彼らの元に向かい、ホリーはそのあとを追う。監督はピーター・ヘッジズ。
 息子が薬物依存症で大変という映画は最近だと『ビューティフル・ボーイ』もあったが、本作の方がストーリー展開にメリハリがありスリリング。依存症の、当人にとって、周囲にとって何が大変なのかという面も端的に垣間見える。ここまでやらないとだめなのか!と少々ショックだった。そして絶対に長期戦で、三歩進んで二歩下がるの繰り返し。これは本人はもちろん辛いが、周囲が消耗していくな・・・。
 ベンは弟妹からは素直に慕われており、彼らに対する振る舞いからもいい兄だったことがわかる。一方で、薬物依存が原因で取り返しのつかないことをしてしまったことが徐々にわかってくる。その事件によって人間関係がおおきく損なわれ、家族は深く傷ついているのだ。しかし、家族は良き兄、良き息子としてのベンの顔も知っている。いっそ良い思い出がなければもっと気持ちが楽なのだろうが、気持ちが引き裂かれていく。ホリーはベンと守る為、彼につきっきりで一緒に行動する。薬物依存症患者への対応として、絶対に一人にしないということが必要なのだろうが、いくら家族でもなかなかできない、むしろ家族だからよけいきついのではないかと思う。ベンを愛しているし信じたいけど、依存症である彼を決して信じてはダメなのだ。ホリーは彼を守りつつ他の家族も守ろうとする為、嘘をつき続ける羽目になっていく。演じるロバーツの表情には鬼気迫るものがあり、徐々に母と息子の地獄めぐりのような様相になってくる。とても母は強しなんて気軽に言えない雰囲気だった。
 一方、アイビーが何とか母を支え続けようとニールに嘘をつく様が切ない。ニールはとてもちゃんとした父親でベンにとっての「敵」ではないし、ホリーもアイビーもそれは重々わかっている。とはいえ、ベンと過ごした時間の違いによる切実さの差異が出てしまうのかなと思った。切実さという面では、子供との関わり方という一点で立場を越えてホリーに手助けするある人物が強く印象に残った。同じ立場でないとわからない類の辛さなんだろうと。

薬物依存症 (ちくま新書)
松本 俊彦
筑摩書房
2018-09-06





ワンダー 君は太陽 [DVD]
ジュリア・ロバーツ
Happinet
2018-11-16

『ヘレディタリー 継承』

 2人の子供を持つアニー・グラハム(トニ・コレット)は老齢の母エレンを亡くした。母に対して複雑な感情を持ちその死を悲しむことが出来ないアニーだが、葬儀はつつがなく終わった。しかしグラハム家に奇妙な出来事が起こり始める。徐々に家族の関係は悪化していくが。監督はアリ・アスター。
 前評でとにかく怖いと聞いていたのだが、ホラーが苦手な私でも大丈夫な程度ではあった。ただ、これはホラーとしての怖さが予想ほどではなかったということであって、別の怖さがしっかりとある。怖さというよりも嫌さという方が近いかもしれない。ミヒャエル・ハネケ監督の諸作に近いものを感じた。ハネケ監督作と『普通の人々』(ロバート・レッドフォード監督)をドッキングしてホラーのフォーマットに押し込んだみたいな、実に嫌、かつ完成度の高い作品だと思う。
 アニーは子供たちを愛してはいるが、その愛を何かが邪魔しがちだ。長男ピーター(アレックス・ウルフ)に対しては自分の母に男児の出産を強要されたという恨みがあり、関係はぎこちない。パニックになった時に「産みたくなかった」と漏らしてしまい、更に関係は悪化する。またチャーリーにはもう少しストレートに愛情を示しているが、彼女を「母(エレン)に差し出した」ことに罪悪感がある。エレンはアニーに対して支配的で、孫の養育にやたらと拘っていた。アニーは自分やピーターへの干渉を避ける為、チャーリーの養育にはエレンを関わらせたのだ。
 アニーと家族との関係の邪魔をしているのがエレンであり、アニーはその存在を愛しつつも恐れている。同時に、アニーは自分が母=エレンのようになったらどうしようという恐怖に苛まれている。エレンの一族には精神を病んだ人が複数おり、エレンもまた晩年は双極性障害を患っていたのだ。自分も自分の親のようになったら、自分が苦しめられたように自分の子供を苦しめるようになったらどうしようという恐怖は、さほど珍しくなくその辺の家庭にあるものではないかと思う。
 一方、ピーターにとっては自分は母親に愛されていないのではないか、憎まれているのではないかという思いが拭えずにいる。過去のとある事件が双方にとってトラウマになっている(そりゃあトラウマになるな!というものなのだが)のだ。子供にとって自分の親に愛されないというのは相当な恐怖ではないかと思う。父親スティーブ(ガブリエル・バーン)は2人の間をとりなそうとするが、あまり上手くいかない。これもまた、さほど珍しくなくその辺の家庭にありそうな状況なのだ(なお明示はされないのだが、ピーターはスティーブの実子ではなくアニーと別の男性の間の子なのかな?という気もする
)。
 オカルト的な、人知の範疇外の怖さは後半に募ってくるが、前半の普通と言えば普通の家庭内の不調和、家族と言えど圧倒的な他人であるという状況の不穏さがただならぬ気迫で迫ってくる。超常的なものが相手だと、人間じゃないならまあ仕方ないな!という諦めがつくのだが、同じ地平にいるのに薄気味悪いというのが何とも言えず嫌なのだ。
 アニーはドールハウス作家なのだが、ドールハウスの拡大がそのままグラハム家の情景にスライドしていく冒頭からして怖い。グラハム一家は何者かにとってコントロールされる駒、おもちゃに過ぎないように見える。アニーはドールハウスで自分史を再現しようとしており、その再現度はちょっとやりすぎなくらいなのだが、箱庭療法的にやらずにはいられないのだろう。

ハッピーエンド [Blu-ray]
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2018-08-03


普通の人々 [DVD]
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パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
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