3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ブライトバーン 恐怖の拡散者』

 子供ができずに悩んでいるトーリ(エリザベス・バンクス)とカイル(デビッド・デンマン)夫婦の元に、赤ん坊がやってきた。その男の子ブランドン(ジャクソン・A・ダン)は聡明で成績優秀に育った。しかし12歳になったブランドンは異常な力を発揮し始め、人が変わったようになる・監督はデビッド・ヤロベスキー。
 自分たちの子供が何を考えているのか、どういう人物なのかわからないという子供の他者性を極端に拡大したような話であり、スーパーマンが悪い子だったらという話である。良い子か悪い子かは親の人柄や努力によって決まるとは限らないからな…。とは言え、子供の他者性についても、異能のダークサイドについても掘り下げ方はさほど深くなく、意外とあっさりしている。自分の子供が邪悪な存在だとは信じたくない、しかし邪悪である証拠が次々と出てくるというシチュエーションは、親としては相当辛く葛藤するところだと思うのだが、父親も母親も結構決断が早いな(笑)。重苦しくなりそうなところ、あまり重苦しくないのはあえてなのかそういう作風(全般的にあまり心理の彫り込みがうまいとは思えない)なのか。良くも悪くも軽め。さらっと見られて(時間的にもコンパクトで)いいといえばいいのだが、心理的な緊張感、サスペンス要素がもっと強いのかと思っていたので拍子抜けした。
 登場人物の心情や行動の演出、ブランドンの邪悪さの演出はわりとあっさり目なのだが、所々でスプラッタ、グロテスク要素をチラ見させていくところに監督の性癖を感じた。ストーリー展開上そんなに必要ないし、一連の流れの中で見せるというよりもわざわざそのシーンをねじこんできている印象だった。

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ブラッド・レンフロ
パイオニアLDC
1999-12-22







『ブラインド・スポッティング』

 黒人青年コリン(ダビード・ディグス)は刑務所から出所し保護観察期間もあと3日に迫った。幼馴染の白人青年マイルズ(ラファエル・カザル)と運送会社で働いていたが、ある日白人警官が黒人男性を背後から撃った現場を目撃してしまう。また、衝動的でけんかっ早いマイルズの行動が、コリンをトラブルに巻き込んでいく。監督はカルロス・ロペス・エストラーダ。
 アメリカ、オークランドが舞台だが、ご当地事情が垣間見える。住宅地の高級化が進み、若い小金持ち層が転入してきて、町の雰囲気は変わっていく。昔から住んでいるコリンやマイルズのような決して豊かではない層と、新しく入ってきた層とは文化が違い、お金がない彼らはだんだん追いやられていく。マイルズがパーティーで見せる爆発は、そういった思いが積み重なった上でのことだろう。白人であるマイルズはこのエリアではむしろ少数派として生きてきており、彼のチンピラとしての振る舞いは周囲に溶け込みなめられない為の自衛でもある。が、最近転入してきた人たちには、「黒人不良の真似をしてイキってる白人のにわかチンピラ」に見えてしまう。住民層に対するステレオタイプ+経済格差によって見えなくなっているものがあるのだ。
 コリンの恐怖にしろマイルズの怒りにしろ、自分のバックグラウンドを知らない奴らに好き勝手言われたくない、お前らは俺の何を知っているんだという話だ。本作ではこの「お前らは俺の何を知っているんだ」というシチュエーションが繰り返される。黒人を撃つ警官も、パーティーで声をかけてくる男も、カテゴリーごとの「こういうジャンルの人ならこういうことになっているはず」という見方しかしていない。
 そしてこれは、親友であるはずのコリンとマイルズの間でも同じなのだ。同じ場所で長年一緒に過ごしていてもまだ見えない部分がある。黒人であるコリンが日々感じる緊張感は、マイルズにはわからない。同じことをやってもコリンの方がリスクが高くなる(疑われ制裁される可能性が高くなる)のは、前科者だからではなく前科者の「黒人」だからなのだ。ニガーという言葉をコリンが自分で言ってもかまわないが、マイルズが口にするのはNG(と当然マイルズもわかっている)というニュアンスにははっとする。

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2010-12-02

『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』

クリストファー・R・ブラウニング著、谷喬夫訳
 一般市民を中心に編成された第101警察予備大隊。狂信的な反ユダヤ主義者というわけでもなく、ナチスによる教育を受けてきたわけでもない彼らは、ポーランドで約38,000人のユダヤ人を殺害、45,000人以上を強制移送した。ごく普通の人たちになぜそんなことが可能だったのか。限られた資料や証言から当時の実態を描き出し、大量殺戮のメカニズムを考察する。初版出版から25年後に加筆された増補分(研究対象を同じくするゴールドハーゲンの著作への反論)を加えた決定版。
 ホロコーストの加害者側の証言を収集し当時のドイツ軍内部の様子、いわゆるエリート軍人以外の軍従事者はどのような精神状態だったのか垣間見え興味深い。残された資料や証言、増補分ではポーランドで撮影された写真をひも解き、地道に情報をすくい上げていく。
 101予備大隊は元々軍人ではない、職人や商人などごく一般的な市井の人々から構成された隊で、世代的に(ナチス台頭の前に生まれた世代なので)ナチスによる教育を受けておらず、必ずしも熱烈な愛国心は反ユダヤ主義に駆られていたわけでもないという指摘がされている。ユダヤ人、特に女性や子供、老人を殺すことに強い抵抗を感じた人も少なくなかった。そういった抵抗を感じつつも大量のユダヤ人を収容所に送り、殺すことが出来てしまったという点が、非常に恐ろしい。ユダヤ人狩り、殺害方法がだんだんシステマティックになり、人間対人間という意識が薄れていく(自分がトリガーを引かずに済む、殺害現場を目撃しなくて済むとこの傾向はどんどん強まる)と殺害に抵抗を感じなくなっていき、習慣化していく。人間の慣れも、見たくないものは見ないようになる傾向も、実に恐ろしい。何でも日常に回収していく性質は人間の強さでもあるが、本件の場合は最悪の形で発揮されてしまったわけだ。
 また、大隊は男性のみで構成されていたようだが、「殺しに怯える弱い男」とみなされることを恐れ、周囲との同化の為に殺す、同化が強まると更に殺害に対して抵抗がなくなっていくという「空気を読む」ことによる罪悪感や抵抗感の希薄化も指摘される。101大隊の派遣先が海外で、隊からはずれると言葉も通じず行く場所もないというロケーションも、この傾向を強めたようだ。男らしさの呪縛はほんとろくなことにならないな・・・。
 ともあれ、101大隊の置かれた条件をひとつずつ見ていくと、どこの国、どの社会、どの層においてもこういうことは起こりうるだろうと思える。人間、自分の倫理観、善良さを過信してはいけないのだな・・・。こういうことが私たちは出来てしまう、その性質を利用しようとする者もいるということを、肝に銘じておかなくては・・・。内容が内容なのでなかなか読むのが辛かった。人間の負の可能性を目の当たりにし、暗欝とした気分になる。

『プロメア』

 突然変異により生まれた炎を操る種族、バーニッシュの出現により、各地で大火事が起き世界の半分が消失した。それから30年後、対バーニッシュ災害用の高機動救命消防隊バーニングレスキューは、攻撃的なバーニッシュの組織マッドバーニッシュから町を守っていた。新人(松山ケンイチ)とマッドバーニッシュのリーダー・リオ(早乙女太一)はぶつかり合う。。監督は今石洋之、脚本は中島かずき。制作スタジオはトリガー。
 始まっていきなりクライマックス!そしてTVシリーズならここで最終回だろー的なクライマックスがその後も波状攻撃してくる。やたらとテンションが高く緩急の急しかないような構成だ。ストーリーは極めて大味なのだが、本作の場合はそれが魅力になっているし、監督はじめスタッフもそこはよくわかっているんだろうな。バンクに決めポーズを惜しみなく多用し、かつそこにメタ的な突っ込みも入れる(とはいえテロップ芸のかっこよさはトリガーのお家芸的)。ビジュアルデザインが全般的に素晴らしかった。
 いわゆる日本的なアニメ、セル画風アニメの面白さ、持ち味はこういう所にあるという確信に満ちた作り。例えばハリウッド産アニメーションの最前線のような『スパイダーマン スパイダーバース』とはまた別の方向でのアニメーションの最前線を見た感がある。動画にしろ背景美術にしろ、非常にかっこよくて唸った。特に背景の省略の仕方がいい。登場するメカやロボットの全てが洗練されたかっこよさをもっているわけではない、あえてダサくしたり相当なバカ設定だったりするわけだが、全体的にはクールな印象になる所が面白かった。ちょっと匙加減を間違うとごちゃごちゃになりそうな所、絶妙なバランスが保たれている。正直、冒頭のバーニングレスキューが出動する20分くらいで動きの鮮やかさに満足してしまった。そのくらい密度が高い。
 最終的には気合で何とかする非常に中島かずきらしいストーリーで、大分ご都合主義ではある。が、大真面目でこれをやれるというのは、すごいヒューマニズムなのではないかと思う。人間の意志の力、善性を信じているということだから。ポジティブ、かつカラっとしている。
 なお本作、海外マーケットをかなり意識しているのかなという印象だった。舞台は多民族都市的な雰囲気で、モブキャラのデザインを見ても様々な人種がいる雰囲気が出ている。また研究所の職員がほぼ男女半々だったりと、男女比にも気をつけているように思った。メイン女性キャラに対してセクシャルな描写が少ない(露出度が高い衣装でも胸や尻を強調しない、いわゆるサービスショットを入れない)あたりも配慮されていると思う。トリガー制作の『キルラキル』では衣装デザインでちょっとひいてしまったので、このあたりの配慮は好ましかった。

『ブラック・クランズマン』

 1979年、ロン・ストールワース(ジョン・デビッド・ワシントン)はコロラド州コロラドスプリングスの警察署に、初の黒人警官として採用される。冷遇されつつも仕事に燃えるロンは、白人になりすましKKKのメンバー募集に電話、面接までこぎつける。白人刑事フィリップ(アダム・ドライバー)との2人1役で潜入捜査を開始する。監督はスパイク・リー。
 そこそこ長い尺の作品なのだが、スパイク・リー監督の編集能力の高さを実感した。テンポがよくて冗長さを感じない。キレがいいのだ。また、音楽映画としても楽しい。映画ネタが結構挿入されている(冒頭からして観客が『風と共に去りぬ』を知っていることを前提にしている)ので、見る側にそこそこ映画リテラシーを要求している作品ではある。わからなくても普通に面白くはあるのだが(私は昔の映画はあまり知らないのだがちゃんと面白かった)。
 黒人警官が白人警官の「中の人」と化してKKKに潜入するという冗談みたいな話なのだが、実際にあった事件が元になっているそうだ。作中でも言及されているように、黒人は固有の喋り方だから声だけですぐわかるというのは、大して信憑性のある話ではない(矯正・モノマネできる後天的な要素)ってことだな・・・。ロンは白人集団の中で浮かないような喋り方も、黒人集団の中で浮かない喋り方も、白人が思い浮かべるステレオタイプ的な黒人の喋り方もできる。いわゆる「~らしい話し方」って、聞く側が勝手に先入観によるイメージを膨らませている側面が大きいのかなと思った。
 学生運動家のパトリス(ローラ・ハリアー)は警察は人種差別者ばかりと嫌うが、ロンはまともな警官もいると反論する。「~は皆~だ」という論法は「黒人には固有の喋り方をする」という説(によってロンに足元をすくわれる)と同じく、ステレオタイプになりかねない。ロンはそれに対抗しようとしているのだろう。どの集団も均一ではなく色々な人がいる。とはいえ集団としてある方向を向きがちなのは確かなのだが・・・。実際、あからさまな差別と嫌がらせをする警官は登場するし、もっと多いのは差別的な行為をしてもそれが差別とは気がつかないほど、差別的な考え方が身にしみついている人たちだ。ロンはそういう警官達に囲まれつつも、まともな警官もいると反論するのだ。
 ロンの同僚たちはフィリップ始め、ロンに対する態度がフラット。対等な警官同士として接する。ジョークの言い合いとか「ネタばらし」とかに全員でウケる様は微笑ましい。KKKのリーダーが選挙に出馬すると知ったロンが、あいつに投票するほど国民はバカじゃないでしょうと言うと、巡査部長がお前は黒人なのにナイーブだなと返す。 現在のアメリカに直結する自虐ギャグなわけだが、苦すぎる。
 パトリスはあれは映画の中の話でしょ、と言う。しかし本作は映画は現実と地続きであり、映画が現実に影響しないなんてはずはない!と主張しているように思える。その信念が明瞭にあらわれているのが最後の映像だろう。映画の中で起きていたことは未だ起きているし、現実の方が嘘みたいなことになっているのだ。

ブラック・クランズマン
ロン ストールワース
パルコ
2019-02-28






ゲット・オン・ザ・バス [DVD]
チャールズ・S・ダットン
Happinet(SB)(D)
2016-08-02

『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』

 0歳でスコットランド女王になり、16歳でイングランドへ嫁ぎ、18歳で未亡人となったメアリー・スチアート(シアーシャ・ローナン)はスコットランドに帰国し王位継承権を主張。イングランド女王エリザベス1世(マーゴット・ロビー)は従妹であるが自分とは全く異なるメアリーに複雑な思いを抱く。カソリックである彼女の王位継承権を認めればイングランド内で猛反発が起きるのは目に見えていた。一方メアリーはイングランドに対して妥協を許さず交渉する。監督はジョージー・ルーク。
 原題が「Mary Queen of Scots」なのでふたりの女王というよりも、メアリー主体の話だった。しかしエリザベス役のロビーの演技がより印象に残り、むしろエリザベスのエピソードをもっと見たくなってしまった。まあエリザベスの生涯を描いた作品は過去にも色々あるからしょうがないか・・・。
 メアリーの周囲にはいつも侍女たちが控えており、会話も主従関係でありながら同年代の友人のような親密なものだ。しかしエリザベスの周囲には、親密な同性が一切いない。侍女はいるがあくまで侍女で心を打ち明けることなど出来ないし、支えてくれる忠臣はいるが皆男性かつあくまで仕事上の忠実さだ。メアリーが歌や踊り等肉体で感じる遊びを頻繁にしているのに対し、エリザベスの周囲にはそういった娯楽、心地よさそうな要素が希薄なのも印象に残った。これはエリザベスの周囲は清教徒だという事情もあるのかもしれないが。
 王族女性に対して結婚し「世継ぎ」を産むことが責務と考えられていた時代、結婚せず子供も産まず、「女王」に徹したエリザベスの孤独の覚悟は想像を絶するものがある。女性にとっての幸せ云々という話ではなく、自分を同じ立場で共感し理解してくれる人がいない、誰にも心を許せないという孤独だ。私は男だ、という言葉があまりに辛い。男性社会の中でトップを保つには男性化しなくてはならないというのは現代にも通じる部分がある(未だに通じるというのが嫌になるが)。
 メアリーもエリザベスも、男性だったらしなくていい苦労や屈辱を味わってきたと言えるしそこでの共感もあるだろう。しかし生き残るのが妻、母という立場を経験したメアリーでなく「男」と自認して生きるエリザベスであるというのもまた辛い。エリザベスの苦境、責務を唯一理解し得る人物がメアリーだったというのは、何とも皮肉だ。
 野外ロケにしろ衣装にしろ、重厚感があって豪華。お金のかかった時代劇はやはり良いものだなと実感した。しかしこの当時のお城ってものすごく底冷えしそう!メアリーもエリザベスも室内着としてウールの編み物をまとっているのだが、その程度でしのげるだろうかと心配になるくらい。

メアリー・スチュアート
アレクサンドル・デュマ
作品社
2008-08-21



『ファースト・マン』

 空軍のテストパイロット、ニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)は、NASAの宇宙飛行士に選抜される。家族と一緒にヒューストンに移り住み、有人宇宙センターで訓練を続ける日々。上官のディーク・スレイトン(カイル・チャンドラー)は、ソ連もなし得ていない月への着陸を目指すと宣言する。一方、ニールの妻ジャネット(クレア・フォイ)は夫の身を案じ不安を隠せずにいた。原作はジェームズ・R・ハンセンによる宇宙飛行士ニール・アームストロングの伝記。監督はデイミアン・チャゼル。
 アポロ計画に費やされた巨額の予算と、犠牲になっていった同僚たち、そして英雄を求めるマスコミとアメリカ国民の欲望を背負ったアームストロングのプレッシャーは、大変なものだったろう。しかし本作は、彼の内面を明瞭に提示することはない。それだけに、彼のたたずまいやちょっとした行動が強く印象に残る。庭で夜空を眺めている時の同僚とのやりとり、またパーティー会場で電話を受けた時の反応は、彼の心情がダイレクトに伝わる数少ないシーンだった。そしてどちらのシーンも、彼と死者との関係が表面化する部分でもある。
 アームストロングは幼い娘の死と折り合いを付けられずにいること、娘の記憶を他人と分かち合えないことはそれとなく示唆され続けているが、同僚たちの死は、彼を更に「あちら側」、死者に近い距離へと追い詰めていくように見える。そもそもアームストロングは最初から、どこかこの世の人ではないような佇まいなのだ。演じているゴスリングの特性にもよるものなのだろうが、常に揺蕩っている、虚ろな雰囲気があり、死者と生きる人なのだと思わせる。いよいよアポロ11号の打ち上げ基地に向かうという前夜にジャネットとひと悶着あるのは、妻子が所属するこの世と向き合う姿勢を彼が見せないからだろう。彼の心ここにあらず感が、家族を不安にさせ苛立たせる。
彼が再びこの世に戻ってくるには、月面まで行くくらいの遥かな旅路が必要だったのだろう。しかし、 この世に戻ってもなお、ニールとジャネットの間には透明な壁が立ちはだかる。そっと手を差し伸べあうとは言え、2人の世界が再び交わるのか甚だ不安だ。


『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』

 アメリカからイギリスに帰国したニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、アメリカ合衆国魔法議会が幽閉していた悪しき魔法使いグリンデルバルド(ジョニー・デップ)が逃げ出したことを知る。グリンデルバルドがクリーデンス(エズラ・ミラー)に接触しようとしていると知ったイギリスの魔法議会はクリーデンスをいち早く捕獲・抹殺しようとする。ホグワーツの校長アルバス・ダンブルドア(ジュード・ロウ)はクリーデンスを助けろとニュートに命じる。ニュートはパリへ向かうが、ティナ(キャサリン・ウォーターストン)もまた闇払い師としてパリに出向いていた。監督はデビッド・イェーツ。
 ハリー・ポッターシリーズの原作者J・K・ローリング自ら脚本を手掛けているが、ハリー・ポッター初期と比べると、ストーリー作り、世界観作りの腕を格段に上げたんだなと納得。魔法同士の整合性が取れている!最初のうちは思いつきに思いつきを重ねるような印象があったが、流石にそれはもうない。私は映画シリーズや原作シリーズのファンというわけではないのだが、奥行のある世界を作れるようになったことはすごくよくわかった。時代設定をここに持ってきたというのも上手い(が、この先考えるとちょっと辛いよね・・・)。グリンデルバルドの演説が何を意味するのか、より明らかだろう。
 魔法動物たちの造形が相変わらずかわいいし、前作よりも見せ方が洗練されてきているように思った。序盤で出てくるシーホース的な生き物にしろ、サーカスの動物たちにしろ、近づきたい!触ってみたい!という気分にさせられる。私は今回2Dで見たのだが、3Dだとより触りたくなるかもしれない。
 魔法動物たちはとてもかわいく楽しいのだが、前作からのファンにとってはちょっと辛いストーリー展開かもしれない。彼にしろ彼女にしろ、選ぶ道とそこに至るまでの経緯が見ていていたたまれない。愛されたい・理解されたいと切実に欲している人は付け込まれやすい。そしてそこに付け込む奴の性質の悪さ!許せないやり方だよな。
ニュートと兄の関係がハグのシーンに如実に現れていてちょっと面白かった。ニュートの動きが、ちゃんと「ハグ(というかおそらく身体的な接触全般)が苦手な人」のものだった。動きが硬い。

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2018-10-03



『ファイティン!』

 子供の頃に韓国からアメリカへ養子に出されたマーク(マ・ドンソク)はアームレスリングチャンピオンを目指したものの八百長疑惑を掛けられ、今はクラブの用心棒に。自称スポーツエージェントのジンギ(クォン・ユル)の口車に乗せられ、祖国に戻ってアーレスリングに再び挑むことになった。実母の家を訪ねると、初めて存在を知った妹スジン(ハン・イェリ)と子供たちが住んでいた。一方、ジンギはスポーツ賭博を仕切るチャンス社長にマークのスポンサーになってほしいと頼むが、八百長への加担を迫られる。監督・脚本はキム・ヨンワン。
 どストレートでひねりのない話なのだが、王道だからこその面白さがあった。感動は大いにあるが湿っぽくならず、基本的にカラリとしているのもいい。マ・ドンソクの魅力が存分に発揮されており、彼が演じるマークの、見た目はいかついが生真面目で心優しい所、口下手で不器用な所がとてもチャーミング。老若男女、家族連れでも楽しめる作品だと思う。
 ストーリーはさくさくと進みコンパクトな構成。序盤、あっという間に韓国へ舞台が移るし、マークとジンギがどういう経緯で兄弟分になったのか、マークはどういう人生を送ってきたのか(養父母について殆ど言及されない)等は具体的には殆ど説明されない。割愛してかまわないところはざっくり割愛しており、テンポの良さが重視されているように思った。割愛されたことで物足りなさを感じることもない。ちょっとしたやりとりや表情で、彼らの関係や過去は何となく想像できる。過不足のない見せ方になっていると思う。
 マークは自分は母親に見放された、不要な存在だったのではないかという気持ちを拭えずにいる。彼がなかなか実家を訪ねられないのには、そういった躊躇があるのだ。またジンギは実父に対して複雑な思いがあるし、シングルマザーであるスジンは子供たちを愛しているものの時々逃げ出したくなると漏らす。皆、家族という形について何かしら不安を持っていたり、わだかまりを抱えていたりする。そんな人達が助け合うようになり、徐々に家族のような絆を築いていく。マークがアームレスリング選手として再起を賭けるスポ根物語であると同時に、家族を失った彼(ら)が再び家族を得る、ファミリードラマとしての側面もある。2本の軸が相互に機能して物語を進行していく、手堅いストーリーテリングだった。血縁を超えた家族的共同体というモチーフは、近年色々な国の映画で見かけられるようになったが、世界的な流れなのだろうか。
 アームレスリングというぱっと見てわかりやすい、見た目がシンプルな競技を選んだのは正解だったと思う。前述した余計な説明はしないという本作の見せ方の方針に合っている。盛り上がりも強さの度合いも、見ていればとりあえずわかるところがいい。競技説明にかける時間を省略できるのだ。

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Happinet
2018-10-02


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ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2013-04-17



『プーと大人になった僕』

 かつてくまのぬいぐるみプー(ジム・カミングス)と共に100エーカーの森で遊んでいたクリストファー・ロビンは、やがて大人になり、親友プーや仲間たちのことを忘れてしまう。大人になったクリストファー・ロビン(ユアン・マクレガー)は妻イヴリン(ヘイリー・アトウェル)、娘マデイン(ブロンテ・カーマイケル)とロンドンで暮らし、鞄メーカーに勤めていたが、大幅なコスト削減、リストラを命じられ四苦八苦していた。そんな彼の前に、プーが姿を現す。原作はA・A・ミルンの児童文学を元にしたディズニーのキャラクター「くまのプーさん」。監督はマーク・フォスター。
 プーは子供時代のクリストファー・ロビンの親友であると同時に分身でもある。いわゆるイマジナリー・フレンドと言えるだろう。それ故に、プーが大人になったクリストファー・ロビンの前に現れた時、彼だけではなく他の人たち、妻子はともかく全然関係ない町の人たちの目にも見え、声も聞こえるという設定がどうにも気になった。プーはクリストファー・ロビンの子供時代そのものでもある。だからそれ以外の人に見える必要はないし、見えたらプーの持つ意味合いが変わってしまう。プーが登場してクリストファー・ロビンの前に現れるのは、彼の内面での問題があるからだろう。本作、ファンタジーがどこまで具現化しあふれ出るのかというラインの設定が曖昧だ。クリストファー・ロビンの内面にあるファンタジーが、現実を侵食していくように見えてくるのだ。そう見ると、ラストも相当不穏な気がしてしまう。プーはあくまで、クリストファー・ロビンと1対1の関係においてのみ存在するものだろう。彼が大人の自分=クリストファー・ロビンを助ける為に出現するのはとても良い(しファンタジーにはそういう力があると思う)と思うけど。
 私が愛しているのはA・A・ミルンとE・H・シェパードによる「くまのプーさん」であって、ディズニーのプーさんではないので(なので、冒頭の原作絵を活かしたアニメーションは良かった)、本作に対してもつい批判的になってしまう。本作のクリストファー・ロビンは、ミルンが「プーさん」を与えた息子クリストファー・ロビン=クリストファー・ミルン・ロビンではない。実在のクリストファー・ミルンと『くまのプーさん』の関係、ミルン親子のその後を知ってしまうと、本作見ても複雑な気持ちにしかならないのだ。


クリストファー・ロビンの本屋
クリストファー・ミルン
晶文社
1983-12





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ドーナル・グリーソン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2018-10-03


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