3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ひとり暮らしの戦後史 戦中世代の婦人たち』

塩沢美代子・島田とみ子著
 太平洋戦争により夫を奪われる、また男性人口が一気に減ったために結婚の機会を失い、一人で生きることを余儀なくされた女性たち。生活苦に追われながら戦後を生き抜く女性たちへの聞き取り調査と統計から、戦後生活史の様々な側面をたどる。
 1975年に出版された本だが地味に版を重ね、近年再注目されているそうだ(私の手元にあるのは2015年の第5刷)。本著が再注目されたのは、女性の自立やキャリア構築を阻む日本の社会制度が、未だに根深いからだろう。労働運動に内部矛盾と行き詰まりを感じる女性が「保守・革新を問わず共通な日本人の精神構造に深く根差しているような気がして、そう簡単に展望がもてないんですね」と語るのにはため息が出た。本当にそうなんだよな…。
 一応男女平等という建前にはなったが、本著で聞き取りに応じた女性たちが置かれた立場や直面している困難の数々は、現代でも驚くほど変わらない。確かに男女雇用機会均等法は出来たし当時に比べればずっとましにはなっている。が、社会の性質や、社会の仕組みを作る立場にいるのが男性ばかりだという状況はあまり変わっていない。女性は結婚して仕事をやめ家庭に入るもの、長期で働くことはないという前提の元に雇用制度が作られていたために、本著に登場する女性たちは職を転々としたり、長く働いても昇給は男性に比べると圧倒的に少なく当然年金額も僅かになってしまう。いまだに同じ構造だ。単身で働き続ける女性は増えたのにも関わらず、女性は労働力の調整弁として扱われがちだ。また単身高齢者の住居確保の難しさは、男女関係なく現代では更に度合いが増しているように思う(収入に占める家賃の割合は現代の方が厳しいかも)。70年代の問題が今も現役であるというのが何か情けなくなってしまう。老若男女の多様な生き方が尊重され安心して生活できる社会保障制度を全く作ってこられなかったということだから。
 自分が体験してきた(している)苦しさ、将来直面するであろう困難が記されており正直読んでいてかなりしんどかった。が、こういう声を拾い集め記録し、これは社会の問題で社会の仕組みから変えなくてはならないのだと、声を上げる人たちのリレーを続けるしかないのだろうなと思う。ちょっとづつでもましにしたいよね…。


三ギニー (平凡社ライブラリー)
ウルフ,ヴァージニア
平凡社
2017-10-10


『ビバリウム』

 トム(ジェシー・アイゼンバーグ)とジェマ(イモージェン・プーツ)は新居探し中のカップル。ふと立ち寄った不動産屋から、そっくりな家屋が整然と立ち並ぶ新興住宅地「ヨンダー Yonder」を紹介される。内見を終えて帰ろうとすると、不動産屋は姿を消していた。2人は車に乗ってヨンダーを出ようとするが、いくら走っても毎回同じ家の前に出てしまう。そして町に閉じ込められた2人の元に、赤ん坊が入った段ボール箱が届く。監督はロルカン・フェネガン。
 「世にも奇妙な物語」とか奇想コレクションとか異色作家短編集みたいな不条理の世界。ただし不条理なのはトムとジェマにとってだけで、ある存在にとっては理にかなっているわけだが。アバンの映像でどういう話なのかはほぼ分かってしまうので、ミステリ的な要素はない。そのままあまり考えずに見る方が楽しめる作品だと思う。シュールな話かと思っていたら終盤で急にわかりやすくホラーめいてくるのだが、意外なストレートさも持ち味だ。
 ルネ・マグリットの絵画のような青緑の色合いと、くっきりとして見える輪郭にインパクトがある。雲の散らばり方が不自然に牧歌的なあたりはちょっと笑ってしまう。同じ形の家屋が延々と並ぶ風景は、色合いはキュートだが嘘くさくて不気味だ。また室内のしつらえも、色味はマグリット的できれいだけど、間取りやインテリアはスタイリッシュとは無縁の野暮ったさで退屈な空間だという、ギャップに妙な味わいがあった。ひと昔前の平均的な建売住宅という感じなのだが、平均的すぎて逆に変だ。
 何か決定的な違和感を感じさせるという点で、子役の演技が見事だった。人の神経を逆なでするのだ。一つ気になったのは、ジェマが務める幼稚園の生徒がほぼ全員白人のように見えたこと。アメリカの都市部としてはかなり珍しいのでは?それこそ「ヨンダー」的な統一感とも言えるのだが、そういう企みはあまりしてなさそうな緩さのある作品だった。

街角の書店 (18の奇妙な物語) (創元推理文庫)
シャーリイ・ジャクスン
東京創元社
2015-05-29


さあ、気ちがいになりなさい (異色作家短編集)
フレドリック・ブラウン
早川書房
2005-10-07


 

『羊飼いと風船』

 チベットの草原で、羊の放牧をして暮らすドルカル(ソナム・ワンモ)とタルギェ(ジンバ)。3人の息子と子供たちの祖父も一緒だ。尼になったドルカルの妹シャンチュ・ドルマ(ヤンシクツォ)も帰省していた。近代化により一人っ子政策がチベットにも押し寄せる中、ドルカルの妊娠が発覚する。タルギェらは喜ぶが、ドルカルは思い悩む。監督・脚本はペマ・ツェテン。
 だだっ広い風景が美しい。馬の代わりにバイクで移動しテレビや携帯電話も普通にあるなど、伝統的な生活が変化している一面が見られる一方で、信仰を重んじ輪廻転生を信じるという、伝統的な価値観も依然として続いている。一人っ子政策の影響で数は不十分とはいえ避妊具が配られていたり、女性医師が避妊手術を促したりするといった時代の変化も見られる。男性医師が女性の問題なので女医に相談したいというドルカルに「世界は変わったのに君たちは変わらない」というが、これは男性医師側の意識があまり変わっておらずドルカルの悩みに親身になれないから、女性医師に相談したいという状況なのではと思った。変わっていないのはチベットの人達だけではないだろう。
 転生という概念が日常生活にすっと入ってくるというシチュエーションはなかなか新鮮なのだが、チベットの人達の間ではこれが普通ということなのだろう。とすると、ドルカルの葛藤もまた普通のものとしてあるだろうということだ。子供を産むことは経済的な負担が増え家族の生活が更にひっ迫することでもあり、出産・育児を担う女性の健康負担が更に増えることでもあるのだ。死んだ家族の転生かもしれないからと出産を促されるのは、精神的にかなりきついだろう。信仰と生活の間の葛藤であると同時に、共同体の価値観と個人との間の葛藤でもある。病院に長男を連れて説得に来るタルギェの行動は、ドルカルを追い詰めるかなり卑怯なものだと思う。ドルカルは伝統的な生活の中で生きていると同時に、現代の文化の中でも生きている。女性の身体の問題も家庭の経済問題も差し迫った現実なのだが、タルギェにはいまひとつそれが実感できていないように見えた。
 ドルカルとシャンチュ・ドルマは価値観は結構違うし、衝突もする。しかし最終的には姉妹で寄り添いあう様に、家父長制社会とは別の道が(細くだが)垣間見られた。飛んでいく赤い風船には彼女たちの未来を託したくなる。

風船 ペマ・ツェテン作品集
ペマ・ツェテン
春陽堂書店
2021-02-12


月と金のシャングリラ 1
蔵西
イースト・プレス
2020-04-17


『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』

 時空を超えて冒険してきたビル(アレックス・ウィンター)とテッド(キアヌ・リーブス)ももはや50代。音楽活動を続けてきたものの人気は落ちる一方で、もはや応援してくれるのは娘たちだけ。そんな彼らの前に未来からの使者が現れ、時空のゆがみによって世界が終わるまで77分25秒、それを止める為にビルとテッドの「世界を救う曲」が必要なのだと告げる。監督はディーン・パリソット。
 まさかこのシリーズで3作目を今更作るとは思わないし(何しろキアヌ・リーブスは今や大スターだ)、ビルとテッドがあのまま50代になっていると思わないよな…。ずっと頭悪くて能天気なままだし大成とも成功とも程遠い。ただ、この成長のなさを全く笑えないし、自分たちはまだやれるはず!という根拠のない自信はいっそ尊敬してしまう。こういうメンタリティだと人生大分楽なのでは…。新曲が思いつかないから未来の自分たちからパクろう!という発想は大分クズなのだが。
 タイムトラベルというSF設定、未来の自分過去の自分と遭遇するというタイムパラドックス起きかねないシチュエーションはあるのだが、SF的なルールや整合性はほぼ無視されている。本シリーズらしく実に緩く雑。そして未来世界に対するセンスがとにかく古い!その未来は90年代に想像していた未来で2000年代の未来じゃないぞ!と非常に突っこみたくなった。良くも悪くも進化がないのだが、それこそがこのシリーズの真骨頂なのだろう。
 安い・緩い・頭悪いという三拍子なのだが、不思議と不快感はない。誰かを貶めるような笑いの作り方ではないからか。また、ビルとテッドの徹底した自己肯定感(強すぎるし2人一体化しすぎなのでこれはこれで怖いけど)も一因だろう。何より、本作、本気で世界を音楽で救えると思って作られているような気がする。世界中が分断されたコロナ禍の中で本作を見ると、その能天気さは逆に腹をくくったものに見えるのだ。一瞬かもしれないが世界中の人の心が重なる、同じ方向を向く瞬間があると信じて作られている気がした。その本気さが一見実にいい加減な本作を「映画」として立ち上げている。映画は大勢が一緒に見て同じものを共有するものだ。エンドロールにもその信念が込められていると思う。

ビルとテッドの大冒険 [Blu-ray]
ジョージ・カーリン
KADOKAWA / 角川書店
2018-08-24



『ビッレ』

 EUフィルムデーズ2020にて配信で鑑賞。1930年代、幼い少女ビッレは貧しい家庭に育つ。両親は喧嘩が絶えず、父親はすぐにお金を使ってしまい、母親はそれにいらだっていた。ラトビアを代表する作家ビスマ・ベルシェヴィツァの自伝小説を映画化した作品。監督はイナーラ・コルマネ。2018年製作。
 主演の子役が非常にうまい、というかはまっている。変に可愛すぎない所が生々しかった。そして物語としては、子供は辛いよ、であり、大人はわかってくれない、でもあるのだが、大人からしたら子供はわかってくれない、でもある。まだ社会との接点が薄い子供の世界が映し出されていく。ビッレは「パラダイス」を目指して友人らと家出をしたりもするが、基本的に一人でいる子だ。自分の頭の中の世界があり、それは友人とも両親とも分かち合うことが難しいものだ。特に両親に自分の思いを伝えられない、伝わる言葉を持たないもどかしさが感じられた。この伝わらない感じ、子供の頃にこういうことあったなとほろ苦い気分になった。
 ビッレの家庭の暮らしぶりはかなり貧しく、両親はいつも金策にきゅうきゅうとしている。原因はよくわからないのだが、両親ともにあまり世渡りの上手い人たちではなく、何かの拍子にレールから外れてしまいそうな危うさがある。特に母親は人づきあいが下手と明言されており、ビッレに対する態度も不器用。夫や子供への愛はあるが、接し方が荒っぽくなりがちだ。一方で父親もどうも頼りなく、すぐに母親を怒らせる。貧しさと機嫌の悪さが悪循環を起こしていくようで、見ていて少々辛かった。お金のなさは気持ちの余裕のなさと直結しているのだ。
 とは言え、幸福としか言いようのない瞬間も確かにある。両親と「おばさん」にお金を無心しに行った顛末の可笑しさや、友人らと「パラダイス」を目指す高揚感など。ただ、徐々に彼女の世界と両親の世界は離れていく。学校に入ったことでそれは加速していくように思った。同時に、それにつれて家庭内の状況が徐々に良くなっていく感じが面白い。子供を学校に行かせるとその分費用がかかるから大変だと思うんだけど、経済状況が良くなるような何かがあったのだろうか(作中では言及されない)。

マイライフ・アズ・ア・ドッグ [HDマスター] [DVD]
トーマス・フォン・ブレムセン
IVC,Ltd.(VC)(D)
2014-10-24


『his』

 田舎でひっそりと一人暮らしをしている井川迅(宮沢氷魚)。彼の前に元恋人の日比野渚(藤原季節)が幼い娘・空を連れて突然現れる。渚は妻と離婚するため親権の協議中だった。戸惑いつつ同居を始め、周囲の人たちにも受け入れられていく。しかし渚の妻・玲奈(松本若菜)は空を東京に連れ戻してしまう。監督は今泉力哉。
 脚本・演出が非常に丁寧だと思う。迅と渚はゲイのカップルなのだが、それを例外的なものではなく普通のことであり、誰の背後にもそれぞれの普通の生活があるということがちゃんと踏まえられている。迅が暮らす町は、地方の小さい町にしては地元の人たちがかなり寛容で、実際にこういうケースがあったらもっとあれこれ干渉されたり揶揄されたりするんじゃないかと思うけど…。とはいえ、あまり苦しい面ばかりを強調したくない(そこが本筋ではない)という製作側の意図なんだろうし、セクシャリティ云々よりも若い居住者が減る一方だから居住者ゲットの方が大事なんだよ!みたいな過疎化問題もありそうだなと思ったりもした。そう思わせるくらい地に足の着いた生活感のある描写だったということだろう。セクシャリティを隠さざるを得ない環境の苦しさは、会社員時代の迅の飲み会でのエピソードで十分伝わる。表面上はセクシャリティをネタにするのはアウトだという振る舞いだが、一枚めくると「ネタ」扱いで当事者がまさにこの場にいるということ自体が想定されていない。村八分よりむしろこういうマイルドな差別というシチュエーションの方が多いのではないかと思う。
 迅と渚はゲイとして世間の偏見にさらされることを恐れるが、シングルマザーとなった玲奈に対する世間の目もまた厳しい。裁判のシーンでそれが如実に現れる。子供を育てつつ仕事に励む物理的な厳しさ、精神的な厳しさをきちんと描いており、このあたりはバランスがいい。セクシャリティに限らず、世間的に設定されている「普通」に当てはまらない人に対しての風当たりの強さ、不寛容さへの批判がある。玲奈と彼女の母親の関係性の描写を入れたのが効果的(というかこういう親子関係あるよなーという辛さがすごい)だった。母は「世間」代表なのだ。
 「世間」に糾弾される玲奈を見て、渚は彼女もまた苦しんでいることに気付く。渚は迅の元からの去り方にしろ、再会の仕方にしろ、そしておそらく玲奈との関係にしろ、甘えがにじみ出ている。おそらく相手の気持ちや立場をあまり考えない人だったんだなと窺える。そんな彼が急速に大人になっていく様が清々しい。一方で迅も、渚と空と共に生きる為に踏み出す。彼の「賭け」にはぐっときたし、それに対するある人の言葉もぐっとくる。
 子役と犬の芝居が非常に良い。あと猟師役の鈴木慶一がいい味出していたのでファンの方はぜひ。
 
愛がなんだ (特装限定版) [Blu-ray]
岸井ゆきの
バンダイナムコアーツ
2019-10-25



知らない、ふたり (通常版) [DVD]
レン
ポニーキャニオン
2016-09-02


『ひつじのショーン UFOフィーバー!』

 イギリスの田舎の牧場に暮らすひつじのショーンの前に、宇宙人が現れる。ルーラという名前らしいその宇宙人はUFOで遠い星からやってきたが、牧場に迷い込んでしまったようだった。ショーンはルーラをUFOに送り届けようとするが。監督はリチャード・フェラン&ウィル・ベッカー。
 条件反射的にカワイイー!と思ってしまうが、よく考えるとアードマンスタジオのキャラクターはわかりやすく記号的に可愛いデザインなわけではない。むしろちょっと不細工あったり不気味だったりする。眼かっぴらいて歯茎むき出しにして、なんて表情も頻繁にみられる。わかりやすい可愛さに落とし込まないように(特に人間と犬)配慮されており、かつそれでも動き出すと可愛く見えるという絶妙なデザイン。相当テクニックがいるよなと毎回うなる。
 ストップモーションアニメとしての精度は毎度のことながらすさまじく、特殊効果も使えるし多少は使っているのだろうが、あくまでストップモーションアニメでやるという意地と執念を感じる。どこまでを実写でやるのかという線引きみたいなものがどのへんにあるのか気になった。今回も映画ネタはちょいちょい入れられており、往年の名作SF映画のあれこれはもちろん、Xファイル音楽付きというのには笑ってしまった。1フレーズであれだ!と思い出せる音楽って強いよな。
 宇宙人のルーラはまだ小さい子供なのだが、そういえばショーンも子供という設定だったなと思いだした。ショーンとルーラがいたずらに夢中で悪ノリをしていく様は、楽しいが危なっかしい。そこに「大人」として牧羊犬(牧場主は全く大人ではない!)がダメ出しするのには、少々うざったくもほっとするのだ。子供のバックアップをするのが大人なんだよなと。また本作、いわゆる悪役として登場する人物が、悪役のままにされないところにもほっとする。彼女にある救いが訪れるシーンにはぐっときてしまった。


未知との遭遇 スペシャル・エディション [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
リチャード・ドレイファス
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2015-12-25

 

『ひとよ』

 小さなタクシー会社を営む稲村家で、こはる(田中裕子)が夫を殺した。夫の暴力から子供たちを守る為と信じての犯行だった。15年後に必ず会いに来ると子供たちに告げ、こはるは逮捕される。そして15年後、長男・大樹(鈴木亮平)、次男・雄二(佐藤健)、長女・園子(松岡茉優)は事件によって人生を狂わされ、ひっそりと人生を送っていた。そんな彼らの前にこはるが帰ってくる。原作は桑原裕子。監督は白石和彌。 
 白石監督、どんどん座りがいいというか、きちんと折り目正しい映画を撮るようになってきているな。長くなりがちだった映画の尺自体もだんだんコンパクトになっているように思う(が、本作ももうちょっと短くできると思う…)。職人的な腕の良さ、手堅さを感じる。本作は殺人を犯した母と子供たちというシリアスな要素が中心にあるし、語りのトーンもシリアス。しかし、つい笑ってしまうような部分、なんだかユーモラスな部分がちょこちょことある。こっちをもっと膨らませてもよかったのになという気もした。こはるの「万引き」など元々笑いの要素として入れられているシーンだろうがその割には笑いが盛り上がらない。また、千鳥の大悟の登場の仕方など出オチに近いパーフェクトさだった。そこ、素直に笑わせてよという気分がなくもない。笑いを投げ込みつつ深刻な話をしてもいいと思うのだが。
 こはるの行為は子供たちを守りたい一心からのものだろう。これで子供たちは自由になれる、好きなことをできると彼女は信じた。しかし、子供たちにとって父親の死は決して自由をもたらすものではなく、むしろ世間の誹謗中傷や嫌がらせにさらされ、不自由なばかりだ。親の心子知らず、子の心親知らずとでも言うのか、お互いのすれ違いが苦い。とは言え、それでもお互いに大切に思う心を捨てることはできず、だからこそよい一層切ない。そもそも、本当に嫌ならこの土地を捨てていけばよかったのだ。家族を捨て食い物にするつもりだった雄二も、結局戻ってきてしまう。切り捨てることができれば
いっそ楽なのにそうできないという家族の情の厄介さ。
 出演者が皆とてもよかった。佐藤は「ちょっと賢い」かつ荒んだ雰囲気がよく出ている。ドロップキックの決まり方も抜群だった。鈴木が醸し出す不器用な生真面目さと危うさ、松浦の可愛いのか可愛くないのかよくわからない微妙なふるまいなど、兄妹3人がはまっている。そして何より田中の怪物性とでもいいたくなる存在感。普通のことをやっているはずなのにあの違和感は何なんだろうか。くどくなる直前でトーンを抑えるところがうまい。脇役も、訳ありドライバーの佐々木蔵之介の豹変ぶりと父親としての無力さにはぐっとくる。また、タクシー会社社長の丸井役の音尾琢真が本作の良心的なたたずまいで素晴らしかった。「良い人」として出来すぎなんだけど、それでもこういう「良い人」はいるに違いないと思わせるものがある。


ひとよ (集英社文庫)
長尾 徳子
集英社
2019-09-20


麻雀放浪記2020 [Blu-ray]
斎藤 工
バップ
2019-08-01




『ピータールー マンチェスターの悲劇』

 1819年、ナポレオン戦争の後、不景気が続き庶民は困窮していた。深刻化する貧困問題の改善、庶民代表の義会参加の権利を売った、マンチェスターのセント・ピーターズ・フィールド広場に6万人が集まった。しかし鎮圧の為に政府の騎馬隊が出動する。監督、脚本はマイク・リー。
 人権の為の戦いを始めた人々を描くが、カタルシスは全くない。セント・ピーダーズ・フィールドでの集会とそこでの衝突に至るまでの数年間、様々な人たちが何をしていて、どのように変化していくのかといううねりを描く群像劇。ナポレオン戦争の悲惨な戦場から始まり、かろうじて生き残った人にもまた辛い展開が待ち受けるラストへ進む。大惨事により何がどう変わったのかということもはっきりとは提示されない。
 民衆は生活も尊厳も奪われる一方であるように見える。織物工場で働くネリー(マキシン・ピーク)が、ストライキに参加したものの結局殴られ賃金も払われなかったと言うように。とは言え、誰かが声をあげ、その声がおおきくなって行かないと、そういう声がある、そういう人達がいると言うこと自体、他の階層では知られないままになってしまう。長い道のりのまだ初期の段階で、この後に続く人たちが必要なのだ。作中、集会を主催する地元の新聞社や、ロンドンや各地の記者たちマスコミが登場する。彼らはそんなに「立派」には見えないし、野次馬根性で来たような記者もいる。しかし民衆の声が広く伝わるかどうかは彼らにかかっているわけで、マスコミの必要性が見えてくる。また、弁論家のヘンリー・ハント(ロリー・キニア)は自己顕示欲が強く保身に走っているようにも見えるし、実際、口がうまい山師という印象は否めない。しかし彼の立ち回りは、とにかく自分の声を広く遠くまで届ける為のもの(なので逮捕されないように日和見も辞さない)ではあるのだ。
 国王をはじめ貴族、政治家、聖職者、軍人、商人など権力者層が登場するが、彼らの(富裕層以外の)「国民」理解は実に表層的で、血肉を持った、意思も知性もある存在としての「国民」はイメージされていない。具体的に庶民がどういう生活をしていて、どの程度の金銭や物資があれば困窮していないと言えるのかという実感がないのだ。まだ「人間らしい生活」という概念がない時代だったことが、工場経営者の言葉からありありとわかる。こういう人たちに対して基本的人権を訴えていかなければらなないわけだから、道のりは長い。また、声が届かないのは上の層だけではない。演説の言葉、報道の言葉には独自の文法があり、同じ階層であってもその文法の外にいる人には通じないこともある。婦人会に出席したネリーは議長が「何を言っているのかわからない」と何度も訴える。ハントの演説の時も彼の言葉は物理的に(遠すぎて)ネリーには届かないというのが象徴的だった。世の中を変えようという言葉はこういう人たちにも届けなくてはならないし、またその言葉を理解しない人であっても(主張の趣旨により)すくい上げるものでないとならないのだろう。
 作中、具体的な年月日や経年数にはあまり言及されないので、はたと気づくと数年経過していたりする。それでも、見ていてそんなに混乱することはなかった。控えめに見えるが、結構丁寧な演出がされている。権力者は醜悪に描かれているが、庶民が善良かと言うとそうでもない、どちらもほどほどに愚かでほどほどに知恵があるという描き方がいい。

ヴェラ・ドレイク [DVD]
イメルダ・スタウントン
アミューズソフトエンタテインメント
2006-02-24





未来を花束にして [DVD]
キャリー・マリガン
KADOKAWA / 角川書店
2017-07-28

『ピクニック・アット・ハンギングロック』

ジョーン・リンジー著、井上里訳
 寄宿学校・アップルヤード学院の生徒たちは、ハンギングロックへピクニックへ出かけた。しかし巨礫を見に出かけた4人の少女と、彼女らとは別行動していた教師1人が行方不明になってしまう。必死の捜索が行われたものの手掛かりは得られず、事件は迷宮入りに。事件の噂は広まり、以来、学院では歯車が狂い始める。
 舞台は1900年のオーストラリア。いかにも良家の子女が通っている風の箱庭的なアップルヤード学院の世界と、だだっ広く人間を拒むような土地・風土の独特さが強いコントラストを生んでおり、不思議な雰囲気。これがたとえばヨーロッパを舞台にしていたら、全然違う雰囲気だったろう。人がいきなりいなくなっても不思議ではない、人間の入る隙がない感じなのだ。
 少女たちだけの世界は閉鎖的、箱庭的な親密さがあり、そこが魅力だと感じる人もいるだろう。箱庭は徐々に崩壊し、学院の人たちは外の世界にさらされていく。生徒からも教師からも今一つうとまれている学院長が、頻繁に亡き夫のことを思い出すのがなんだか切なかった。彼女にとっては夫といた時間こそ箱庭的な安心しているられる場所だったのではないかと。
 中心的な、美しく聡明な少女たちがいなくなったことで美しい小さな世界は終わりを迎える。崩壊のイメージもまた美しいかもしれないが、姿が美しい少女は心も美しく聡明で、見た目がぱっとしない少女は中身もぱっとせず人柄にも愛すべき部分が少ないという描写は、見た目偏重すぎて少々辟易した。なお百合の文脈で語られがちな作品だと思うが、貴族の青年マイケルと、彼の叔父の御者であるアルバートとの関係は微妙にBL感が・・・。この2人も少女たちの失踪に影響を受けるが、「崩壊」には至らず、むしろそれまでの身分や立場から自由になっていくという所が面白い。



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