1920年代のハリウッド。毎晩のように派手なパーティーが開かれ乱痴気騒ぎが繰り広げられていた。人気俳優のジャック(ブラッド・ピット)はその中でもスターとして周囲の注目を集める存在だった。スターを夢見る新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)は映画製作を目指す青年マニー(ディエゴ・カルバ)の助けを借りてパーティーに潜り込み、運よく仕事を手に入れる。マニーもジャックの助手として働くことになる。映画界はサイレントからトーキーへと移り変わり、3人の人生も大きく変化していく。監督・脚本はデイミアン・チャゼル。
おそらく多数の映画史ネタが投入されているのだろうが、私は残念ながら映画史に詳しくないので一部しかわからなかった。ただ、ネタがすべてわかっていれば本作がより堪能できたのかというと、そういうわけでもないように思った。映画単体としては面白くないわけではないがすごく面白いというわけではないという、微妙な線なのだ。そもそも、映画史に詳しい人が見たら何をいまさらという話なのでは。ハリウッドのひとつの黄金期であり大転換期とも言える時代と、映画史全体とを接続しようという意図だったのだろうが、あまりうまくいっていない。チャゼル監督は映画がすごく好きだろうし映画史への造詣も深いのだろうと思うのだが、熱意に技術が追いついていないという印象を受けた。これ、あの監督が手掛けたらもっと面白かったのでは…とつい思ってしまった。
微妙さを感じた最大の理由は、多分ゴージャスさの演出があまりうまくないところにあるのではないかと思う。特に冒頭のパーティーに象徴されるような世界の肝は、俗悪さと魅惑との混在にあると思うのだが、本作では俗悪は単に俗悪であり、何で皆がこんなに熱狂しているのか、魅了されているのかという映画の世界の魔を感じさせない。特に、マーゴット・ロビーにしてもブラッド・ピットにしても、この人のチャーム、セクシーさはこんなものではないだろうと歯がゆくなった。ブラッド・ピットは落ち目の俳優という役どころだからともかく(それにしても零落していく者の色気というものがあると思うが)、マーゴット・ロビーがあまり魅力的に撮れていないのは残念。とにかくセクシーさに対する感度が低い。監督の腕が悪いというのではなく、資質が本作のテーマに向いていないんじゃないだろうか。そこに自覚はないのだろうか。
ある時代に乗り切れず、しかしハリウッドというバビロンから脱出することもできなかった人たちが描かれる。映画の世界から抜け出した人が結局一番、映画の魔法を浴びることができたのでは。自分は魔法を使えない(が生き残る)という構図は『ラ・ラ・ランド』と似ている。