3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『パリのどこかで、あなたと』

 パリで一人暮らしをしている30歳のメラニー(アナ・ジラルド)とレミー(フランソワ・シヴィル)は隣同士のアパートメントに住んでいるがお互いを知らない。がんの免疫治療研究者であるメラニーはプレゼンを控え仕事に追われているが、別れた恋人への思いを引きずっている。レミーは物流会社で働いているが同僚が解雇され自分だけ昇進したことへの罪悪感と深刻な不眠症に悩んでいた。監督・脚本はセドリック・クラピッシュ。
 まだ見知らぬ男女の都会での孤独と不安を描く、まあ月並みといえば月並み、どうということはない話ではある。しかし何だか良い手触りがある。どこかにいる、もしかしたらお隣に住んでいるあの人、みたいな近さを感じた。作中、しばしば夜になるとアパートメントやビルの窓に明かりが灯り、中にいる人たちの様子が垣間見える。夜、電車や自動車に乗っているとよく目にする風景なのだが、私はこれが好き。自分がそこに参加できないとしても、そこで生活し生きている人たちがいる。それを目にすると、世界がちゃんと動いている気がして何となくほっとすると同時に、ほんのり寂しくなるのだ。本作はそういう「窓の中の人」の人生を垣間見させてくれる。
 コミカルに描かれているが、メラニーもレミーも結構大変な状況にある。精神状態はかなりまずいのではないか。特にレミーは自分の大変さをあまり自覚していない(あえて自覚しないようにしてきた)。パニック障害と睡眠障害のダブルパンチって結構大変だとおもうのだが…。彼は極端に内省しないというか、自分の状態・内面を言語化することができないのだ。カウンセリングを受けても何を話すべきか途方に暮れる。とは言え、徐々に彼の自分自分自身へのある種の無関心さや他人との距離感の根がどこにあるのかが見えてくる。本作、カウンセリングの有効性が描かれているという側面もあった。
 一方メラニーはカウンセラーにも積極的に話すし、自分の状態の何が問題か自覚的だ。ただ、わかっていても自分をコントロールできない。彼女のトラブルへの妹の対応を見るにつけ、多分これが初めてではないんだろうな…と思える。妹、手慣れすぎ。
 なお、レミーにしろメラニーにしろ、何となく上手くいかない、不調な時に周囲から「付き合っている人いないの?」「デートしてる?」といったことをまず聞かれるというのが、なかなかしんどい。結婚ありきの価値観ではないのはいいのだが、カップル文化なんだな~と痛感する。皆が皆、恋愛をしたい、もしくはパートナーを得たいわけではないしそれによって問題が解決されるわけでもないと思うのだが…。


ブエノスアイレス恋愛事情 [DVD]
イネス・エフロン
アメイジングD.C.
2014-09-03


 

『ハッピー・オールド・イヤー』

 インテリアデザイナーのジーン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は実家をミニマムなデザインの事務所にリフォームしようと思い立つ。実家は父親が営んでいた音楽教室で、様々な不要品でいっぱいだった。断捨離を決行し、借りっぱなしだった物は持ち主に返却していったジーンは、元恋人から借りていたカメラを送り返すものの、受取拒否されてしまう。監督・脚本・製作はナワポン・タムロンラタナリット。
 冒頭、親友ピンクにリフォームの相談をしたジーンは、年内には実家の中を片付けてと言われる。言われた日付は11月末。複数名が暮らす一軒家の引っ越し・リフォーム・建て替えなどを体験したことがある人にはわかるだろうが、スケジュールが無茶である。ミニマリストは計画性があるというイメージだったのだが、ジーンのリフォーム計画は練られているとは言い難い。何より、この時点でジーンは家族にリフォームの計画を説明していないのだ。誰かと一緒に暮らす以上、住まいのことはその都度相談し、各々が納得する形にしないと後々色々問題が起きるというのは言うまでもないことなのだが…。
 現実的に考えるとちょっとなさそうなシチュエーションなのだが、ストーリー展開上の都合の良さというよりも、ジーンの性格をよく表すエピソードとして設定されているように思う。彼女は自分の思い・都合が先行して周囲の気持ちや都合は後回しになってしまうのだ。この性格のせいで、彼女も映画を見ている側も何度か冷や水を浴びせられたような気持ちになる。そしてジーンは、自分のこういう性格を自覚していくことになる。物事が丸く収まるのではなく、彼女が自分の身勝手さを自覚し引き受けていく過程の物語なのだ。そして一番先に説明・説得しておくべき家族への対応を後回しにしていた以上、終盤、家族のエピソードに帰結していくのも自然と言えるだろう。
 思い出の処理の仕方は人それぞれで、その方向性の違う人たちが一緒に住んでいるとしみじみ大変だ。特にジーンと母親の思い出に対する態度は真逆だ。母親の、思い出を一見封印しているようでいて実はずっと拘っている姿は、痛々しくもある。そこにしがみついても何も生まれなさそうだが、それでも断ち切れないのだ。ジーンはそんな母親を切り捨てる。彼女もまた極端だ。家屋の整理は家族解散にもつながっているのだ。

バッド・ジーニアス 危険な天才たち [DVD]
チャーノン・サンティナトーンクン
マクザム
2019-03-22


 

『パピチャ 未来へのランウェイ』

 1990年代、アルジェリアの首都アルジェ。大学生のネジュマ(リナ・クードリ)はファッションデザイナーを目指し、ナイトクラブのトイレで自作のドレスを売っている。しかしイスラム原理主義が台頭してテロが多発し、女性にヒジャブ着用を強要するポスターがそこら中に貼られるようになる。イスラム原理主義グループはやがて大学寮にまで乗り込んでくる。自分たちの自由の為、ネジュマは命がけでファッションショーを行おうとする。監督はムニア・メドゥール。
 90年代のアルジェリアがこのような状況にあったとは、恥ずかしながらよく知らなかった。本国では上映中止されたり、製作側が政府からの圧力があったと訴えたりで大変だったそうだが、すごく勢いのある快作。ただ、快作と言うには彼女らの戦いが現在進行形すぎて辛いのだが…。ネジュマらが直面している問題は、当時のアルジェリアに限ったことではなく、いまだに世界のあちこち(ことに日本では)で散見されることだと思う。
 はつらつとした女性たちの青春が映されるのだが、中盤で衝撃的な展開があり愕然とした。映画を見ている側にとってもネジュマにとっても、自分が生きている世界はこのようなところになってしまったということを突き付けてくる。邦題のサブタイトルは「未来へのランウェイ」だが、キラキラしたものではなく、文字通り生きるか死ぬか、自分固有の生を守る為の戦いなのだ。彼女らが立ち向かうものはあまりに理不尽で、ラストからの「その先」も前途多難だろう。
 ネジュマや友人が男性から向けられる視線、言葉はかなり偏見に満ちているのだが、今の日本でも見聞きするシチュエーション、言葉なので暗澹たる気分になった。「男の目をひく(から露出の大きい服を着るな)」という言い方、いまだに根深い(それは見る側の問題であり女性側にどうこう言うことではないだろう)。また、最初はネジュマの独立心に理解がある風だったボーイフレンドが、その「理解」はネジュマが彼の価値観の範疇に収まっている間だけのものだったと露呈するのにもがっくりくる。まあこういう人多いですよね…。

少女は自転車にのって [DVD]
ワアド・ムハンマド
アルバトロス
2014-07-02


裸足の季節(字幕版)
アイベルク・ペキジャン
2016-12-14


『バルタザールどこへ行く』

 農園主の息子ジャックと幼なじみのマリーは、仔ロバをバルタザールを名付け、一緒に成長する。やがてバルタザールは他人の手に渡り、ジャックも村を去った。美しく成長したマリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)はバルタザールと再会し昔と同じように可愛がるが、マリー自身は不良少年ジェラールに運命を狂わされていく。監督・脚本はロベール・ブレッソン。1966年の作品。同年のヴェネチア国際映画史審査委員特別賞受賞作。
 私はブレッソン監督作品が好きなのだが、本作は見る度しみじみ嫌な話だと思う。マリーの転落ぶりというか、彼女の人生が「転落」として悲劇的に描かれているところにちょっと悪意に近い冷酷さを感じる。マリー自身が折々で間違った方向を選んでしまう、ないしは他の選択肢が奪われており、誰も彼女を助けないというUターン不能みたいなストーリー構造が重苦しい。神話的な悲劇とも言えるだろうが、ちょっと露悪的な悲劇の盛り方(特にバルタザールの顛末は「絵にかいたような」ものすぎる)だ。ブレッソンの演出、映像の作り方自体はストイックで余計なことをせず映画の骨組みのみ、みたいな感じなので、映画演出と悲劇の盛りとのアンバランスさが際立つ。
 マリーの不幸の一つは両親が家族を守る役に立たないことにあり、もう一つはジェラールと関わってしまったことにある。今回再見して、ジェラールという登場人物はなかなか不思議だと改めて思った。なんでそんなにモテるのかさっぱりわからないのだ。マリーは彼を拒みつつずるずる関係を持ち「愛している」というまでになるし、パン屋の女将も彼にやたらと貢いでいる。しかも男友達からも人気だ。何か悪魔的な魅力があるのかもしれないが、映画の画面を見ている限りではそれが感じられない。だからジェラール当人も彼に翻弄される人たちも大分アホみたいに見えてしまうんだけど…。

バルタザールどこへ行く ロベール・ブレッソン [Blu-ray]
ヴァルテル・グレーン
IVC,Ltd.(VC)(D)
2017-06-30


少女
アンヌ ヴィアゼムスキー
白水社
2010-10-19



『博士と狂人』

 貧しい家庭に生まれ、独学で学んできた異端の学者ジェームズ・マレー(メル・ギブソン)は、オックスフォード英語大辞典の編纂に抜擢される。英語圏中から用例を募った所、的確かつ大量の用例を送ってきたボランティアがいた。その人物はウィリアム・チェスター・マイナー(ショーン・ペン)。マイナーは精神を病んで自分を殺しに来たと勘違いし無関係の男を殺害、精神病院に幽閉されていた。2人は英語圏最高の辞典を作るという共通の目標を目指し、友情と尊敬で結ばれていく。原作はサイモン・ウィンチェスターによるベストセラーノンフィクション『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』。監督はP・B・シェムラン。
 原作は買ったものの未読。先に読んでおくべきだったか。映画は予想外にロマンス要素が盛り込まれており、いくら何でもこれはドラマティックすぎでは?思ったとのだが、原作だとどうだったのだろうか。肝心の辞書編纂の描写は大味で、ちょっと拍子抜けした。これはこれで面白いのだが、原作よりも、人間ドラマ方向に大分舵を切っているのでは?と予想した。
 マレーとマイナーの友情、マイナーと被害者の妻の関係という人間ドラマが主体だが、英語の辞書、伝統的な言葉も俗語も、古いものも新しいものも同価値として収録していくというOEDの意義はどのようなものなのかということは伝わってくる。マレーの辞書の作り方はかなり民主主義的というか、言葉の価値を決めるのは自分たちではない、また特定の層が決めることではない指針に基づいている。オックスフォードの学者の中には、言葉は選別すべき、「美しい英語」「正しい英語」を自分たちが定義するべきだという反論もある。しかしそれは特権階級による言葉の専有化につながる。国内だけでなく他国の英語辞書との競り合いもあり、言葉=権力という考え方をするのが政治家のやり方とも見えた。言葉は平等であり広く収集してこそ辞書だというのがマレーの主義だったのだろう。
 なお、マイナーが収容されている精神病院の院長は、おそらく当時としては先進的で実験精神旺盛なのだが、やっていることはかなり問題がある。マイナーをある程度尊重してはいるが、現代から見ると間違った治療方法で、精神医学の黒歴史を垣間見た感があった。こういう間違いの積み重ねが現代の医療につながってくるのだろうが、患者はたまったもんじゃないよな…。

博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)
サイモン ウィンチェスター
早川書房
2017-09-30


舟を編む
麻生久美子
2013-11-26


『ハニーボーイ』

 人気子役のオーティス(ノア・ジュプ)は“ステージパパ”の父親ジェームズ(シャイア・ラブーフ)とモーテル暮らし。ジェームズは時に感情を爆発させオーティスを混乱させる。演技の道に進もうとするオーティスは、ジェームズに「普通の父親」になってほしいと願うが。監督はアルマ・ハレル。
 成人しプロの俳優として活躍するオーティスが飲酒問題で療養施設に入れられる、という所から映画はスタートする。アバンとタイトル提示直後の流れ・演出があまりに退屈なので(ワイヤーつけてのアクションシーンの成長後/成長前の呼応などうまいことやってやったぜ感が出すぎていて、思っているほど面白くないですよ!と水を差したくなってしまう)どうなることかと思ったが、その後はまあまあ悪くない。こういう演出・構成にしようという意図の方が前に出てしまいかなり図式的で、演出意図が読み取りやすすぎて興ざめする所はあるのだが。
 この手の「至らない親」案件映画を見る度、愛情は免罪符にならないということをつくづく思う。ジェームズは彼なりにオーティスのことを愛し、可愛がって入る。機嫌のいい時には愉快な父親だとも言える。しかし子供を十分に守り、養育するという面では不備が多いと言わざるを得ない。撮影所に迎えに来ないジェームズをオーティスが待ち続ける姿には胸が痛くなる。困っていることを周囲の大人に言えないというところがまた辛いのだ。自分がケアされていないということを周囲に知られれば父親が苦境に立たされるし、自分自身も「かわいそうな子」と思われたくないのだろう。そういう状況がかえってオーティスの首を絞めていく。
 愛情は免罪符にならないというのは子供側においても同様で、どんなに親を愛していても離れた方がいい親というのはいる。なかなか諦められないから辛いんだけど…。コメディドラマでの演技に関する双方の意見不一致の様子など、ジェームズのずれ方が痛々しい域だし、ジェームズの感情的な言動や他の大人の関わりをかたくなに拒む態度は、一歩間違うと虐待やネグレクトになりかねないだろう。問題ある親に対して必要な態度は、許容や許しではなく諦めなのでは。

荒野にて(字幕版)
スティーヴ・ザーン
2019-09-03


フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(字幕版)
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
2018-10-03


 

『パブリック 図書館の奇跡』

 記録的大寒波に襲われた真冬のシンシナティ。70人のホームレスが公共図書館に立てこもった。緊急シェルターがどこも満員で、このままでは路上で凍死するというのだ。図書館員のスチュアート(エミリオ・エステベス)は彼らの苦境を見かね、共に図書館に立てこもることになる。監督・脚本は主演もしているエミリオ・エステベス。
 監督としてのエステベスの仕事は『星の旅人たち』しか知らなかったのだが、パブリック=公共とはどういうものかと真っ向から向き合った熱意溢れる作品だった。何より、「図書館は民主主義の最後の砦」であると明言されている、社会における図書館の存在意義がわかる作品。フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を思い出した。アメリカにおける公共図書館の位置づけがよくわかるのだ。図書館は誰もが知識にアクセスできる場であり、知識を得る=生活を助けること、生きる権利を保護することなのだ。冒頭、「臭い」にまつわるトラブル(日本でも頻発していそうで、図書館ユーザーとしては各方面の言い分がわかるだけになかなか辛い…)で図書館側が苦境に立たされるが、図書館の利用が誰にでも保障されているという前提、つまり生きる権利が保障されているという前提が世の中に浸透しているからこその訴えなわけだ。このあたりは日本との民度の違いを感じて、正直羨ましくもあった。
 スチュアートがホームレスらと共闘するのも、仲間や友人だからではなく、それが彼らの権利であり、自分はその権利を守ることが仕事だという信念があるからだろう。ホームレスたちの要求は寒さから身を守りたいというのが第一なのだが、内部の映像を見た人が言うように「デモみたい」なものでもある。こういう苦しみを抱えている者がここにいる、自分たちはここにいるという存在の主張なのだ。警察官たちはそこが見えていないのだが、スチュアートには見えた。
 良い作品なのだが、ちょっと古いなと思った所もある。アパート管理人がスチュアートに積極的に関わるようになる経緯としてセックスが織り込まれている所とか、女性キャスターの能力も知識も共感力もいまいちだが野心は満々な所とか、映画の中の女性の造形がひと昔前っぽい。同僚女性の造形も類型的な図書館ガールとでもいうような感じで、センスいまいちだと思う。

星の旅人たち (字幕版)
エミリオ・エステヴェス
2013-11-26







『はちどり』

 1994年、ソウルの団地で暮らす14歳のウニ(パク・ジフ)は学校には馴染めず、同じ塾に通う親友と悪さをしたり、ボーイフレンドや後輩の女子とデートをしたり、代わり映えのない日々を過ごしていた。両親はしばしば大ゲンカをし、受験生の兄はウニに暴力をふるい、姉は塾をさぼって留守がちだった。ある日、ウニが通う塾に新任教師ヨンジ(キム・セビョク)がやってくる。これまで会った大人とは雰囲気が違うヨンジにウニは心を開いていく。監督はキム・ボラ。
 ウニの家庭は父親が専制君主的に妻や子供たちを縛っており、家族は父の顔色を窺っている。とは言え真に強い父親というわけでもなく、家父長制というシステムに乗っかっているから威張れるという感じの頼りなさが漂う。母親は一応父親に従うがどこか上の空で子供たちの機微にも無頓着。兄は実際の能力以上の成績を親に求められて強いプレッシャーを感じており、そのストレスを妹たちにぶつける。ウニは家族に何も相談できず、明らかに家庭内に問題があると言える。
 しかしウニが抱えているような家庭の問題は、外部からは見えにくいし、相談しても「よくあること」「普通の家の子」として扱われがちだ。当人もこれが普通で、仕方のないことだと思ってしまいがちだろう。そこが非常に辛い。家族で囲む食卓がやたらと緊張感をはらんで不穏なので、これが毎日続くのかと思うと、そりゃあ生きているのが辛くもなるよなと納得してしまう。子供はいられる場所が限られているから、自宅の居心地が悪いというのは死活問題だろう。
 子供にとって、周囲にどんな大人がいるのか、どういう大人と知り合うかというのは本当に大きな要素だ。しかしこれは運任せだというのがまた辛い。兄の暴力に耐えるウニに、殴られたら反抗しなさいとヨンジ先生は話す。自分がないがしろにされているのを我慢する必要はない、嫌なことを訴えるのは正しいと教えてくる人がそれまでいなかったというのは、かなり深刻なことだと思う。ウニがヨンジを慕うのは、彼女がウニを独立した個人として尊重したからだろう。でも本来、誰でもそうするべきなんだけど。

ヤンヤン 夏の想い出 [DVD]
ケリー・リー
ポニーキャニオン
2004-03-03


冬の小鳥 [DVD]
コ・アソン
紀伊國屋書店
2011-06-25


『ハリエット』

 1849年、メリーランド州の農園・ブローダス家が所有する奴隷のミンティ(シンシア・エリボ)は、自由の身となって家族と暮らすことを願い続けていた。しかし奴隷主エドワードが急死、借金返済に迫られたブローダス家は、ミンティを売ることにする。売られれば家族とはもう会えないと悟ったミンティは、脱走を決意し奴隷制が廃止されているペンシルバニア州を目指す。監督はケイシー・レモンズ。
 奴隷解放運動家ハリエット・タブマンの人生を映画化した作品。ミンティという名前は奴隷主がつけた呼び名で、彼女が自由を手に入れた時に自分で決めた名前がハリエット・タブマンなのだ。作中で出る字幕によると、彼女が逃亡を成功させた奴隷は70人。南北戦争では黒人兵を率いて戦い、晩年は参政権運動にも関わったという人だそうだ。恥ずかしながらこういう人が実在したことを初めて知ったのだが、本作で描かれる人生は大変ドラマティック。ストーリー展開は直線的で少々ダイジェスト版ぽい、正直野暮ったい作りなのだが、こういう人がいた、という面で面白く見られた。
 彼女は頭部を負傷したことの後遺症で睡眠障害(いきなり寝てしまう)があったのだが、たった一人で逃げ出し、その後は奴隷解放組織の一員として何度も南部と北部を行き来した。非常にタフで、自分を見くびるなという意志の強さがある。奴隷が置かれた過酷な状況は、自身が自由になってからもずっと、彼女にとっては自分の問題、自分の苦しみだ。他の組織のメンバーは自由黒人であったり白人であったりと、奴隷の立場そのものとはやはり切実さが異なる。下宿の主マリー(ジャネール・モネイ)に「臭う」と言われてくってかかる(そもそも失礼だしね)のも、想像力のなさに対するいら立ちからだろう。
 不公正さへの感覚は人によって差があって、ハリエットはそこに鋭敏、かつそれは間違っているという意志を持ち続け、行動に移すことができた。黒人で元奴隷である彼女にとってその行動のリスクは非常に高いし、解放組織の仲間も、彼女には無理だ、組織を危険にさらすなと止めようとする。彼女はそこを押し切って(そこもまた、自分を見くびるなということだろう)行動に移すわけだが、信仰が後ろ盾になっているという面も非情に大きい。ハリエットは睡眠障害の一環として、幻視体験をするのだが、それを神のお告げとして解釈し従うのだ。この幻視がストーリー上都合よく使われすぎな気もしたが、自分を導く存在がいると確信できるというのは行動するうえで大きな支えなのだと思う。解放組織のメンバーとしての彼女の通称は「モーゼ」なのだが、神のお告げに従い民を導く女性という面ではジャンヌ・ダルクのようでもある。白人奴隷主たちは彼女を捕らえてジャンヌ・ダルクのように火あぶりにしろ!といきまくのだが、クリスチャンとしてそのたとえは大丈夫なんだろうか…。

ハリエット
テレンス・プランチャード
Rambling RECORDS
2020-03-25


それでも夜は明ける [Blu-ray]
ブラッド・ピット
ギャガ
2016-02-02


『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』

 悪のカリスマである恋人・ジョーカーと破局したハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)は、町中の悪党から狙われるようになる。いわくつきのダイヤを盗んだ少女カサンドラ(エラ・ジェイ・バスコ)を巡り、街のクラブを仕切る悪党ブラックマスクことローマン・シオニス(ユアン・マクレガー)と対立することに。クラブの歌姫ブラックキャナリーことダイナ(ジャーニー・スモレット=ベル)や殺し屋のハントレスことヘレナ(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)、そしてシオニスを追い続けてきた刑事モントーヤ(ロージー・ペレス)と結託し起死回生を図るが。監督はキャシー・ヤン。
 DCの女性主人公映画というとワンダーウーマンが評判だったが、本作はワンダーウーマンに感じたひっかかり、つまり女性主人公はセクシーで美しく男性と恋愛しないとダメなのか?という点を克服している。女性が主人公のアメコミ映画を今作るならどうやるのか、ということがすごく考えられていると感じた。ハーレイ・クインといえばジョーカーの恋人で、当人も言及するように彼の為に悪の道に入り彼に尽くすというキャラクターだった。彼女の仕事は彼の為、彼女の功績は彼の功績になる。この点は男性上司に手柄を横取りされてきたモントーヤと通じるものがある。
 しかし本作では早々にハーレイ・クインとジョーカーは破局している。最初はショック状態だった彼女だが、段々彼を思い出すこともなくなり、自分の為に行動し始める。そして新たなロマンスは生まれない。異性からの愛とか、異性に対する支えとか献身とかは投げ捨てている。更に、カサンドラに対しても母性とか「女性ならでは」の動機付けではなく行きがかり上、ひいては仲間意識や友情というスタンスで接する。また、協力関係になるダイナらとも、いわゆるファミリー的な仲間意識ではなく、たまたま目的が同じ・敵が同じだから協力するというスタンスで、ミッションが終われば意外とあっさり解散で尾を引かない。関係性の中にヒエラルキーが希薄なのだ。この困ったことがあれば助け合うが基本あっさりとしている関係性が好ましいし、実際女性同士の連帯ってこういう感じだよなという手応えがある。本当に女性たちの物語なのだ。
 対して敵のシオニスは、男性同士でつるむホモソーシャルな(多分にミソジニーを含む)関係の中におり、更にマフィアの御曹司だが一族のみそっかすという父権的ヒエラルキーから抜け出せない人物。対称的なのだ。ハーレイらの魅力は、シオニスが所属しているような格付けの世界から自由であるところ、何かに所属することを拒む所にあると思う。

ハーレイ・クイン&バーズ・オブ・プレイ (ShoPro Books)
ポール・ディニ他
小学館集英社プロダクション
2020-03-12


スーサイド・スクワッド(字幕版)
アダム・ビーチ
2016-11-23


 
ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ