3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『HiGH&LOW THE MOVIE 2 END OF SKY』

 拮抗する5つのチームの名前の頭文字をとってSWORD地区と呼ばれているエリア。SWORDの面々は湾岸連合軍との戦いに勝利し、再開発の波もひとまず収まる。しかし林蘭丸(中村蒼)率いる悪名高いスカウト集団「DOUBT」がSWORDのスカウトチーム「White Rascals」をつぶそうとしてくる。更にジェシー(NAOTO)を筆頭とした武闘派集団「プリズンギャング」も蘭丸に加勢し始める。一方、カジノ計画に絡んだ癒着事件を明らかにしようとする琥珀(AKIRA)雨宮兄弟らには、証拠隠滅を図る九龍グループの刺客が迫っていた。監督は久保茂昭・中茎強。
 ドラマと映画が連動する「HiGH&LOW」プロジェクトの劇場作品3作目。1作目『HiGH&LOW THE MOVIE』、2作目『HiGH&LOW THE RED RAIN』からストーリーは直接つながっているのだが、正直ストーリーに重点を置いた作品ではないので、多少あらすじやキャラクターをかじって本作をいきなり見るという形でも大丈夫ではないかと思う。1作目、2作目でも決してストーリーが面白い、良くできているという類の作品ではなく、見せたいシーンとキャラクターのつなぎの為にストーリーらしきものがあるという感じだった。しかし、本作ではエピソード間のつなぎ方がもうちょっとましになったかなという気はする。九龍の幹部らが全員(多分)登場して新たな動きが見える等、ストーリーの広がりを見せてくるところはいい。とは言え相変わらず「何やってるんすか琥珀さぁぁん!」と叫びたくはなりますが・・・。
 アクション面は前作よりも更に強化されており、演出の創意工夫が素晴らしい。冒頭、パルクールを取り入れた下方向へのアクションで一気に引き込まれる。このシーンに限らず、アクションの飛距離、スピード感が爽快。ストーリーがどんなにザルでも人体の動きを見ているだけで楽しくなってくる。体の良く動く出演者といいアクション監督(アクション監督は大内貴仁)を使うとこうも違うのかと唸った。上下左右各方向への動きがちゃんと設定されており、1作目でもそうだったが、群衆での乱闘シーンでも画面の奥のモブキャラまでちゃんと演技指導されていることがわかる。行き届いているのだ。
 また、カー&バイクアクションもこれまでの日本映画ではなかなか見られなかった領域に突入している。USBの奪い合いが車とバイクでのカーチェイス中に行われるのだが、ちょっと最近の韓国映画っぽいシーンだった。日本でもとうとう「人VS車」をやるやつが出てきたか!また九龍会からの刺客である源治(小林直己)の日本刀も使ったアクションも素晴らしかった。演じる小林の身体能力の高さあってのことだろうが。しかし、これだけキレッキレのアクションシーンにもかかわらず、その原因となっているUSBメモリに関してはなぜコピーしておかない!琥珀さん海外にUSBメモリ持ち出して何やってたんすか!何もやってなかったんすか!という突っ込みが止まらないのだった。
 なお、これをカーアクションというのか微妙だが、クライマックスの廃駅での達磨一家の登場の仕方は最高だった。いやーあれやってみたいな(笑)!

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AKIRA、TAKAHIRO、黒木啓司、ELLY、岩田剛典他
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2017-01-18

HiGH & LOW THE RED RAIN(豪華盤) [DVD]
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2017-04-05



『パターソン』

 ニュージャージー州の街パターソンで暮らす、バス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。毎日定時に出勤してバスを運転し、帰宅後は愛犬マービンの散歩に出て、バーに立ち寄りビールを1杯だけ飲む。詩人である彼は毎日ノートに少しずつ詩を綴る。監督はジム・ジャームッシュ。
 パターソンの1週間を追うドラマだが、冒頭、ベッドから出た彼がキッチンでシリアルを食べているシーンで、ガラスの器が素敵なことや、部屋は狭いけどインテリアのコーディネートはユニークで住みやすいようにコーディネートされていることに気付く。ここで何だかほっとした。パターソンと妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)は、自分たちの生活を心地よくしようとする意欲があるし、生活を楽しんでいるんだとわかるのだ。
 パターソンが住む町はどうということもない、むしろさびれた地方の小さな町だ。しかし、彼の出勤風景は妙に美しい。煉瓦造りの古い工場跡のような建物や、同じく古びたバス会社の操車場が、なんだかかけがえのないものに見えてくる。これは、パターソンが自分が住む世界を愛しており、その彼の目を通して見た風景だからだろう。随所で挿入されるパターソンの詩(少しずつ修正しながら書く為、これもまた反復の一種にも見える)は、彼にとっての世界に対する驚き、美しさの記録でもある。
 パターソンの生活は反復を重ねているように見える。仕事である路線バスの運転も、同じルートをぐるぐると回る行為だ。しかし、乗客の会話はその日によって違うように、日々は似ているようでいて一日一日が全然違う。彼の日々はささやかかもしれないが驚きに満ちている。映画を観ている側も、なんだか彼と一緒にびっくりしているような気分になってきた。
 パターソンとローラは、性格のタイプとしては大分違うように見える。パターソンは内向的で詩の発表をする気もあまりない。対してローラは彼に作品を発表するよう勧めるし、彼女自身の表現活動も外へ外へと向かっていくものだ。行動力にあふれ、ぱっと思いつきで実行できる人なのだ。それでも、お互いに相手が何を大切にしているかを理解しており、そこは尊重している。2人の愛情、信頼関係も本作を見ていて安心できた要因の一つだ。パターソンが何らかのトラブル(終盤でトラブルどころではない大事件が起きるのでびっくりした)が起きてもローラやマービンに八つ当たりしない所も、とてもよかった。彼は人間がすごくできている人だと思う。
 翻訳された詩はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの、という台詞が出てくるのだが、本当にそうなんだろうなぁと思う。思いつつも、でもレインコートがないと私は他国の詩を読めないのに!ともどかしくなった。翻訳業の人たちは、より良いレインコートを作る為に尽力してくれているわけだな。

ブロークンフラワーズ [DVD]
ビル・マーレイ
レントラックジャパン
2006-11-24


パタソン―W・C・ウィリアムズ詩集
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
沖積舎
1988

『ハートストーン』

 アイスランドの漁村で暮らす少年ソール(バルドル・エイナルソン)とクリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)。ソールは大人びた少女ベータに夢中だった。クリスティアンはソールの後押しをしつつも、彼に対する特別な思いをもてあましつつあった。監督はグズムンドゥル・アルナル・グズムンドン。
 思春期の少年少女らの、同性の友人との濃密な関係、自分のセクシャリティに対する戸惑いを描いた作品だが、何よりも強く印象に残ったのは、小さな町の息苦しさだ。ソールとクリスティアンが暮らしているのはいわゆる田舎の小さな漁村で、周囲は海と山ばかり。隣の家まで何キロ離れているんだと言うような地域だ。当然人口は少ないので、村人はほぼ全員顔見知り。更に人数が少ない子供は全員顔と名前が知られており、子供たちのたまり場になる場所も限られているので、カフェに行けば同級生がいるし、クラブにもぐりこむと母親が地元の男性と踊っている。人づきあいが苦手な人、周囲から浮いている人にとってはかなりしんどい環境だろう。誰にも会わずに一人でふらふらしたいなと思ったら、野山をふらつくくらいしかやることがない。安心して自宅にいられる環境ならいいのだろうが、ソールは姉2人と同室、クリスティアンは父親と折り合いが悪く、家にも居辛い。2人は度々、つるんで外を歩き回っているのだが、要するに行く場所がないんだなぁと。2人の仲の良さは村の子供たちからも揶揄されており、他の子供たちと顔を合せるのも面倒くさいのだ。
 小さいコミュニティの息苦しさを感じると同時に、外部からの情報が入ってきにくいことの息苦しさ、世界の狭さも強く感じる。子供達だけでなく、ソールの母親のように大人でも息苦しく感じる人がいる。本作の時代設定は現代よりも少し前、まだインターネットが普及しておらず、携帯電話も登場していない頃。子供が「外の世界」の情報を得るにはテレビや雑誌しかなく、セクシャリティに関する情報等はなかなか入手できない。自分のように悩んでいる人は他にもいるのか、どういう受け止め方をすればいいのかという判断材料が乏しいのだ。舞台となる風景は広大なのに(アイスランドの地形ってやっぱり独特だよなーと思う)のに、描かれる世界は閉塞的で風景の広さと反比例していく。ロケーションが開けているだけよけいに「ぼっち感」が強まるのだ。
 クリスティアンはソールよりもやや大人で、自分のセクシャリティにも、周囲がそれになんとなく気付いていることも自覚的だ。それに比べてソールの悩み方はまだまだ子供っぽく単純(女の子とセックスした翌朝のすがすがしく達成感漂う表情、ほんと腹立つわ・・・)。2人の気持ちの並走できない感が辛い。冒頭から破局への予感に満ちていてハラハラしっぱなしだった。2人とも、自分の心を持て余して自爆してしまいそうなのだ。

馬々と人間たち [DVD]
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2015-06-02


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『パワーレンジャー』

 それぞれの事情から補習クラスに通う羽目になった高校生のジェイソン(デイカー・モンゴメリー/吹替:勝地諒)、キンバリー(ナオミ・スコット/広瀬アリス)、ビリー(RJ・サイラー/杉田智和)、同じ高校に通うが欠席がちなトリニー(ベッキー・G/水樹奈々)、ザック(ルディ・リン/鈴木達央)は偶然、同じ場所に居合わせ不思議なコインを手に入れる。しかしそのコインのせいで彼らに超人的なパワーが生まれた。不思議に思いコインを発見した場所に戻った彼らは、かつて世界を守った「パワーレンジャー」の1人ゾードン(ブライアン・クラストン/古田新太)と、機械生命体アルファ5(ビル・ヘイダー/山里亮太)に出会う。ゾードンがかつて戦った悪の戦士リタ・レバルサ(エリザベス・バンクス/沢城みゆき)を阻止する為、ジェイソンらが新たなパワーレンジャーに選ばれたと言うのだ。監督はディーン・イズラライト。
 日本のスーパー戦隊シリーズをアメリカ向けにローカライズしたテレビドラマを、映画としてリブートした作品。当然日本では東映が配給しているのだが、洋画の前に東映のロゴが表示されるのって何か新鮮だわ・・・。作品自体はとてもお金がかかってブラッシュアップされたやや年長向けの戦隊ものといった感じなのだが、今回吹替え版で見たので、自分が馴染のある「戦隊もの」感をより味わえたように思う。ジェイソン役の勝地はアニメ吹替えの実績があるので特に心配はしていなかったが、キンバリー役の広瀬が達者とはいかないまでもなかなか頑張っていて、好感が持てた。本業声優の皆さんに関しては当然全く心配ないので、吹替え版も結構お勧めできる。特に沢城みゆきの沢城みゆき感はあーこれこれ!って感じで素晴らしかった。安心感ばっちり。
 パワーレジャーとなる5人の少年少女それぞれが、家庭や自分自身の問題を抱えていたり、学校に馴染めなかったりという背景が設定されている。自閉症やセイクシャルマイノリティという設定も盛り込まれているあたりは現代的だ。5人が何事もなく学校に通っていたら、同級生であっても特に仲良くはならない「別ジャンル」の人同士(ジェイソンとキンバリーはアメフトの花形選手とチアリーダーだから接点あるだろうけど)というあたりは、特撮版『ブレックファスト・クラブ』とも言える。全然「別ジャンル」の相手であっても協力し合えるし話してみたら面白いかもしれないし仲良くなれるかもしれないよ、という示唆はティーン向け映画として真っ当。5人の造形はなかなか良く、通り一遍から若干ずらした感じなので、むしろTVシリーズをこのキャラクターで見てみたくなった。映画だと、やはり5人の背景までちゃんと見せるのは時間的に難しいんだろうな。映画だから当然全員それなりのルックスではあるが、いわゆる美男美女、スタイル抜群という感じではない所も良かった。年齢相応な雰囲気が出ていて、女の子たちも、意外と寸胴だったりする。
 5人がパワーレンジャーに変身するのが大分後半で、しかも1度のみというあたりも、彼ら個人のドラマを見せようという意図だろう。変身や巨大メカというガジェットはあるものの、ベースは思春期の少年少女たちの青春ドラマだ。そこが間口の広さでもあるが、大人が見るには若干物足りないかなという気もする。戦隊もののお約束的カットや音楽の特徴もちゃんと踏まえているが、それに興ざめする人もいるだろうしなぁ。

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『ハクソー・リッジ』

 敬虔なキリスト教徒で、人を殺してはならないという信念を持ち、宗教上の理由で銃を手にすることも忌避している青年デズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は、衛生兵として軍に志願するものの、武器を持たない彼は仲間からは疎んじられ上官からは理解されない。彼の所属部隊が派遣されたのは沖縄。ハクソー・リッジと呼ばれる断崖絶壁がアメリカ軍を拒んでおり、そこは激戦地となっていた。監督はメル・ギブソン。
 第二次世界大戦中、沖縄戦で武器を使わず75人の命を救った米軍衛生兵、デズモンド・ドスの実話を映画化した作品。第89回アカデミー賞で編集賞と録音賞を受賞している。録音賞受賞は納得。音の距離感や奥行がはっきりと感じられる。銃を撃つ際の、引き金を引く作動音、火薬の爆発音、薬莢が落ちる金属音まで音の粒が立っていると言えばいいのか、音のひとつひとつがクリアでインパクトがある印象だ。音の設計や画面上の構成が3D映画ぽい(本作は2D上映のみ)気がした。
 メル・ギブソンてこんなにテンポのいい映画を撮る人だったっけと驚いた。映画の段取が良く、必要な情報を順次開示していくという感じの、よく整理されている話の運び方だと思う。少年時代のエピソードでドスの信念の根っこの部分を提示し、更に父親との関係が銃を忌避する伏線として後からきいてくる。子供の頃の遊びから、岩山を走り回る体力と敏捷さが身についたんだなという情報も得られる。父親(ヒューゴ・ウィービング)の造形もいい。彼は第一次世界大戦で従軍したが、その時の体験により人が変わってしまった。今ならPTSDと名前がつくのだろうが、当時はそういう概念はなかっただろう。戦中を舞台にした物語だが、父親のあり方は戦争の後に生じること、戦争の後には彼のような人たちが大勢現れるであろうことも提示しているのだ。
 新兵の訓練では、当然銃を扱う課題がある。課題をすべてクリアしないと一人前の兵士としては認められないのだが、ドスは宗教上の主義としてこれを拒む。上司や同僚からすると戦場で武器を持たないというのは理解しがたい。ドス本人が危機にさらされるだけでなく、無力な隊員を守らなくてはならないという「手間」は隊全体にとってリスクとなるからだ。ドスは上官に逆らったことで軍法会議にかけられるのだが、ある手紙によって窮地を救われる。この手紙の内容が、なるほどアメリカは腐っても立憲主義国ということなんだなと納得させられるものだ。憲法は信仰の自由を守る、軍は憲法を守る為に存在するというスタンスなのだ。ダンを疎んじていた上官や同僚も(表面上とは言え)この指摘に納得するし、映画を観ている観客も納得するはずと思われているのだろう。ダンの行動は理にかなっているとは言い難いだろうし、上官も同僚も理解はしていないと思う。とは言え、彼には信仰を持ち続ける権利も、信仰を持ちつつ兵士になる権利もある。理解は出来ないがその権利は認める、ということなのだろう。

アポカリプト Blu-ray
ルディ・ヤングブラッド
ポニーキャニオン
2016-10-19



『パトリオット・デイ』

 2013年4月15日。愛国者の日(パトリオット・デイ)に開催されるボストンマラソンの警備の為、ボストン警察殺人課に所属する刑事トミー・サンダース(マーク・ウォールバーグ)は現場に駆り出されていた。会場には50万人の観衆が集まっており、マラソン参加者が次々にゴールしていく中、2度にわたって爆発が起きる。ボストン警察の警官たちは状況を把握できないまま必死に救護活動を行う。現場に到着したFBI捜査官リック・デローリエ(ケビン・ベーコン)は事件をテロと判断。多数の街中の監視カメラが撮影した、膨大な画像を解析する中で、「黒い帽子の男」と「白い帽子の男」が容疑者として浮上する。監督はピーダー・バーグ。
 2013年に起きたボストンマラソン爆弾テロ事件を題材にしたドラマで、実際に事件に関わった捜査関係者や市民たちが本人名(もちろん俳優が演じているが、関係者本人の名前が役名)で登場人物になっている。主人公格のサンダースは完全にフィクションだそうだが、彼がいることで物語としての動線整理がされている。とは言え、あまり出しゃばる主人公ではなく、基本的には群像劇だ。
 パニック映画としても、警察ドラマとしても、アクション映画としても面白い。事件直後の現場の混乱ぶりと視界の悪さは臨場感たっぷりだし、警察側も状況を把握しきれておらず指揮系統も乱れているあたりが生々しい。FBIが到着してからの捜査本部の作り方とか捜査の進め方など、どの程度事実に基づいているのかはともかく、なるほどなぁという説得力がある。監視カメラに残った断片的な映像から、容疑者の動きを推測し遡っていく流れは、「町の刑事」であるサンダースの能力がFBIの捜査力と噛み合った見せ場でありわくわくする(このエピソードが一番フィクショナリーではあるのだが)。また、中盤の銃撃戦は(これまたどの程度事実に基づいているのかはわからないが)車両と住宅地内というロケーションを活かしたユニークさがあった。民家のすぐ脇で銃撃戦プラス爆弾というとんでもないシチュエーションではあるのだが。
 とても面白かったのだが、同時にもやもやするものが残る。本作、FBIと警察、そして市民の総力戦で迅速なテロリスト逮捕に至るという物語だが、捜査の大きな手がかりとなるのは、町中に取り付けられた監視カメラなのだ。前述の、サンダースがカメ映像から犯人の行動経緯を推測していくシーンだが、犯人の動きが数分(本当に1,2分)ごとに記録できるくらいの台数のカメラがあるということに他ならない。これらの映像をFBIが一挙に収集することができ、かつ市民が積極的に撮影した映像を提供する。アメリカはここまで監視社会になっているのかと驚いたが、この監視状態がすんなりと受け入れられている所に、違和感を感じた。慣れていないからと言えばそれまでなのだが、本当にいいのか?という疑問は付きまとう。また、容疑者の画像を公開して市民の協力を仰ぐと言えば聞こえはいいが、(作中でデローリエが懸念するように)密告大会、リンチ大会になりかねない危うさもある。本作、ボストン市民が真の主役であり英雄であるというスタンスの地元愛映画でもあるのだが、「我が町」「我が国」に対する愛は、それ以外の排斥と繋がりかねない。色々と紙一重な感じだと思うのだが、それに対する自覚を(意図的なのか無意識なのか)見せないのだ。そういう意図の作品じゃないからしょうがないといえばしょうがないのかもしれないが、やはり気になる。犯人たちの英語以外の会話には字幕(英・日ともに)がつかない演出も、彼らを「他所の人」として分別しているように思った。彼らもボストン市民ではあるのだろうが(中国系男性が話す中国語には字幕がついていたので余計に)。

ローン・サバイバー Blu-ray
マーク・ウォールバーグ
ポニーキャニオン
2016-02-17



『パーソナル・ショッパー』

 モウリーン(クリステン・スチュワート)は、服やアクセサリー等の買い物を代行するパーソナル・ショッパーをしている。今のクライアントはパリに住むセレブのキーラ(ノラ・フォン・バルトシュテッテン)だ。一方、モウリーンは双子の兄アランを亡くし、彼の亡霊が自分にメッセージを送るのではという思いを捨てきれずにいた。アランとモウリーンは霊媒の資質があり、特にアランは霊感が強かったのだ。監督・脚本はオリヴィエ・アサイヤス。第69回カンヌ国際映画祭コンペティション部門監督賞受賞作。
 アサイヤスがこういう作品撮るの?!という意外性にあふれる作品だった。幽霊の表現のあまりのベタさには、ちょっと笑ってしまいそうになった。アートというよりも、ホラー映画の文法にオーソドックスに従っている感じ。ちゃんとエクトプラズマ吐く(欧米の幽霊はなぜ頻繁に嘔吐するんだろうか・・・)しなぁ・・・。アサイヤス監督作でこういうものを見るとは思わなかったよ!ある意味律義な見せ方なので、妙に感心した。
 パーソナルショッパーという要素と、オカルト的な要素という、まったく関係がなさそうなものを混ぜているのには、なぜ?別々の作品でよくない?と最初は思ったのだが、見ているうちに、何となく腑に落ちるような気もしてきた。パーソナルショッパーとしてのモウリーンは、どこか所在なさげに見える。「そんな仕事」と揶揄される立場であることや、物理的な本拠地を持たない(自宅はあるが本当に寝に帰るだけみたいな感じだし、常に移動し続けている)ことが、彼女のフラフラしている感じを強めている。その所在なさげな立ち位置は、「あちら側」からの干渉を受けやすいのではないかと思った。ひいては、付け入られやすさに繋がってくるのだが。
 また、パーソナルショッパーという仕事は、クライアントの代理で買い物をするわけだが、指定された品物だけではなく、クライアントが好むであろう品物を選んで買うこともある。クライアントの意向を読む、気分をくみ取るわけだ。そのくみ取ろうという姿勢は、モウリーンが霊的なものとの対峙した時のやり方と似ているのだ。霊は具体的なメッセージを送ってくるわけではない。メッセージがあることはわかるが、その内容は受け手が推し量るしかないのだ。そういう意味では、ショートメールは明らかに異質なのだ。メッセージの正解がわかるとも限らないので、モウリーンの「くみ取り」は自家中毒的にもなっていったのではないか。ラスト、心がざわつくのはそのためだったと思う。どこで「終わり」とすればいいのかわからないのだ。

『パリが愛した写真家 ロベール・ドアノー〈永遠の3秒〉』

 フランスの国民的写真家、ロベール・ドアノーの人生と作品を追うドキュメンタリー。パリの街並みやそこで生きる庶民の姿を撮影し、ヴォーグやLIFEでファッションやポートレートの仕事もしたドアノー。彼の家族や親しかった人たちの言葉、また彼を撮影した映像等から構成される。監督はドアノーの孫娘であるクレモンティーヌ・ドルディル。
 ETVで放送されるドキュメンタリー的な、わりとあっさりとした口当たりの作品なので、既にドアノーの生涯や作品についてある程度知っている人には特に新鮮味はないかもしれない。しかし、家族の話やドアノーの映像(晩年はTV番組等にもそこそこ出演していたようで、動画が結構残っている)からは、彼の人柄が感じられ、なかなか面白かった。
 現在、彼の作品の管理は2人の娘が行っているそうだが、事務所には元々アトリエ兼住居(娘たちもここで育った)だった物件をそのまま使っている。父親とその仕事、ここでの暮らしに対して、いい思い出がいっぱいあるんだなと何となくわかる。若い頃のドアノーは、広告写真やカード用の写真のモデルに妻子や親戚を使っていたという話は何かで読んだことがあったのだが、モデルを務めた当人たちから当時の話を聞くことができる。とにかく写真、写真で家族総出で手伝っていたらしいのだが、それが嫌だったという話は出てこないし、家族も結構楽しんでいたようだ。かつてモデルを務めた親戚や知人友人一同が集まって当時の写真を見るという「モデル会」みたいな集まりの様子が映されるが、皆当時の思い出話に興じて、実に和やかだし楽しそう。
 ドアノーは反権威主義で、仕事の上ではすごく頑固なところもあったようだが(かつての仕事仲間が、仕事の内容によっては何かと理由をつけて出てこなくなるので困ったと話している)、基本的に、一緒にいて楽しい人だったのではないか。仕事仲間の話からしても、あまり相手を威圧するところがなく、感じのいい紳士という風。ドアノーは著名人ポートレートの仕事も(おそらくLIFE誌の依頼で)多数手掛けており、個展でいくつか見たことがあるが、どれもいい写真だった。写真撮影の中でも特に人間を撮影する際には、撮影する側の人柄によって作品の出来がかなり左右されるような印象がある。撮影技術の高低はもちろん影響するだろうが、人対人の仕事である、という側面が強いように思う。
 ドアノーと言えば、「パリ市庁舎前のキス」が本人の名前よりも有名なくらいだが、この作品が知られるようになったのは撮影当時よりも大分後、1980年代になってからだという話が面白かった。キャッチーさを先取りしすぎたわけだが、当時のパリでは路上でキスするような習慣はなかったそうで、ドアノーの作品によってパリの「恋人たちの街」としてのイメージが定着したという側面もあるようだ。それだけキャッチーだったってことだよなー。なお、ドアノーは文才もあって、自身による随筆はなかなかいいのでお勧め。本作中には、ドアノーと付き合いがあった文学者たちの名前も出てくる。私が大好きなブレーズ・サンドラールとの共同仕事の話も出てきてうれしかった。


『バーニング・オーシャン』

 メキシコ湾沖約80㎞に位置する石油掘削施設「ディープウォーター・ホライゾン」。2010年4月20日、技師のマイク・ウィリアムズ(マーク・ウォルバーグ)は勤務シフトに入り、同僚らとヘリコプターで施設に到着した。しかし海底油田から天然ガスが逆流、引火して大火災が起きる。マイクら作業員たちは被害を食い止めようと奔走しつつ、なんとか脱出しようとする。監督はピーター・バーグ。
 実際に起きた事件が元になっているが、ヒューマンドラマ方向にはもっていかず、ディザスタームービーに徹している。主役は人ではなく炎。何しろ海上のある種の孤島で大火災、しかも石油掘削所だから燃料がなかなか尽きないという、人間にはなすすべがない状況だ。視点が人間に近づきすぎないことで、炎の圧倒的な力がより際立っていた。こういう施設で火災が起きるとどうなるか、という災害の進み方みたいなものにひきこまれた。当然なんだけど、爆発が起きれば物が飛んでくるわけだよね・・・。
 この災害が天災ではなく、ほぼ人災であるというのがやりきれない。ストーリーの端々で、ここで別の選択をしていれば事故は起きなかった、あるいは起きたとしても規模をもっと小さくできたのではないかという運命の分かれ道が示唆されるのだ。運不運はどうしようもないが、コスト削減の為にテストを軽視したり、メンテナンスを怠ったりしたことの積み重ねで取り返しのつかないことになってくる様には、あー・・・とへたりこみたくなる。技師たちはそれなりに頑張っているのに、親会社の方針で全部ひっくり返されちゃなぁ・・・。でもこういうのって下請あるあるだよなぁとどんよりとした。マイクが言うように、コスト面の余裕のなさはいざと言う時のリカバリー能力を奪っていく。人員にも物資にもある程度余裕があることが、安全確保に繋がっていくというのは、どの現場でも同じだろう。
マイクは絶望的な状況の中でも、自分の知識と技術をフル活用し、同僚も自分も助かろうと全力を尽くす。彼の行為は、客観的には勇敢で英雄的なものに見えるだろうし、よくある「実話もの」だったら、彼をヒーローとした感動ものとして描くだろう。しかし、事態を乗り切った後の彼の振る舞いにはっとした。同僚の家族を見て動揺しまくりまともな対応はできず、一人になると泣き崩れる。ああ全然平気じゃなかったんだよなぁと、彼が受けたダメージ目の当たりにした気がした。

『はじまりへの旅』

 森の中で、独自の教育方針に基づいて6人の子供と生活しているベン・キャッシュ(ヴィゴ・モーテンセン)。毎日のトレーニングと勉強により、子供達はアスリート並の体力を持ち、6か国語を喋れるようになっていた。ある日、入院していたベンの妻レスリーが死んだという知らせが入る。レスリーは仏教徒で火葬を希望していたが、カソリックである彼女の両親は土葬しようとしていた。ベンは妻の遺体を取り戻す為に子供達と旅に出る。
 アメリカ北西部からニューメキシコまで、2400キロのバスでの旅は、楽しそうでもあり過酷そうでもある。森の中から殆ど出たことのない子供達にとってはカルチャーショック、かつベンも子供達も資本主義の世の中には強い反抗心を持っているので、珍道中ロードムービーとしても楽しい(資本主義・物質主義への反抗の仕方が子供っぽいが・・・)。一家が移動に使っているバスの内装が、キャンピングカーのようにベッドやソファーがしつらえてあって羨ましくなってきた。
 楽しい映画ではあるのだが、色々と問題もあると思う。ベンの教育方針は、古典的自由主義に基づき、超リベラルなはずなのだが、現代の中に置くと遅れてきたヒッピーのようでもある。アナーキーを突き詰めて逆にステレオタイプ的な、古典的な型にはまってしまっている(資本主義の否定、宗教の否定といったような)。ベンが若かった頃のリベラル像のまま現代に至っているようにも見え、一種のパロディのようだ。ベンは非常に頭がよく教養豊かで、子供達にどの分野であれそれなりに教えることが出来る。しかし、子供の自主性を尊重しているようでいて、教育方針はベンが良かれと思っているものでありそれ以外の選択肢がない。子供が反抗すると自分を論破しろと言うのだが、どの子も口が達者というわけではない。言葉で説明するのが難しい子もいるし、ベンは知識も豊富で口も達者だから無茶ぶりだろう。同等に扱っているようでアドバンテージが全然違うというずるさ。
 長男と次男は、この不自然さにうすうす気づいてはいるのだが、彼らにとってはモデルとなる「大人」の選択肢が父親しかないないのだ。これは結構きついと思う。色々な大人がおり、色々な考え方があるということを体感できないから。ベンがなまじ頭が良くてカリスマ性があるので、いくら「自由」で個人を尊重すると言っても、子供達は父親の支配下から逃れられないのではないかと思う。レスリーの死は全てがベンのせいというわけではないが、森での生活の影響であることは否めないだろう。元々弁護士として働いていた人なので、社会との繋がりが絶たれた生活を続けることは、やはり辛かったのではないか。本作、そのあたりの掘り下げが少々甘く、ベンに優しすぎな気がした。

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