3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『パピヨン』

 金庫破りのパピヨン(チャーリー・ハナム)は殺人の濡れ衣を着せられ、終身刑を言い渡される。投獄先は南米ギアナの孤島にある刑務所で、過酷な強制労働が待ち受けていた。脱獄を決意したパピヨンは、紙幣の偽造で投獄され金を持っていると噂のルイ・ドガ(ラミ・マレック)を仲間に引き入れる。刑務所内でドガを守る代りに逃走資金を提供してもらおうというのだ。やがて2人の間には奇妙な友情が生まれていく。原作はアンリ・シャリエールの手記。監督はマイケル・ノアー。1973年に制作された脱獄映画の名作のリメイク。
 先日原作本を読んだのだが、映画は原作を大幅にアレンジしていたんだなと再認識した(リメイク元作品は見たことあるけど、記憶が大分薄れている)。ドガは原作で登場するパピヨンの囚人仲間を総合したような造形だ。映画の最後にパピヨン=リシャールと同じように投獄された男たちへの献辞が出てくるが、ドガはその男たちの代表とも言える。パピヨンとドガ、一対一の関係を長期的に描いている所が、映画の改変。これは成功しているように思う。2人の間には囚人であること以外共通項がない。最初は打算ありきの取引関係だったのが、段々本物の友情になっていく。独房への差し入れについてパピヨンが口を割らずに耐えきる、また一人で逃げることもできるのにドガを連れに戻ってしまう(同じく囚人仲間のマチュレットのことはスルーするのに)。ドガに対する振る舞いが損得抜きになっていく所に、パピヨンにとっての人間の尊厳がある。ドガとの絆を守ることは、パピヨンにとっては極めて個人的なことであり、非人間的な刑務所というシステムに対する反抗でもあるのだ。
 原作との大きな違いは、看守や署長らが一貫して非人間的で、「システム」の象徴だという所だろう。原作だと囚人に対して非人道的な振る舞いをする看守がいる一方、一定の敬意を払う所長や看守もいる。囚人同士の関係も同様だ。それが本映画だと、囚人から徹底して個人の尊厳をはく奪していく。所長たちもまた、個人としての顔の見えない存在として描かれる。パピヨンが何度も脱獄を試みるのは、殺人罪が濡れ衣であること以上に、非人間性、個人の尊厳を奪うものへの怒り故なのだとより浮き彫りになる。独房のパートが妙に長いのも、刑務所の非人道さを強調する為だろう。

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パピヨン 上 (河出文庫)
アンリ・シャリエール
河出書房新社
2019-04-19

『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』

 ブルックリンでレコードショップを営むフランク(ニック・オファーマン)は店を閉めることにした。娘のサム(カーシー・クレモンズ)は医者を志しUCLAへの進学が決まっているので、いい頃あいだと考えたのだ。しかしフランクがサムを一緒にレコーディングした曲をネットにアップロードしたところ予想外に人気が出て、レコード会社からも声がかかる。かつてバンドマンだったフランクは浮かれるが。監督・脚本はブレット・ヘイリー。
 フランクはシングルファーザーとしてサムを育ててきたが、どこか子供っぽい。今ではサムの方が地に足がついて大人っぽく見える。自分たちの曲が注目されたことに対しても、ツアーはどこにいこうかなんてはしゃぐフランクに対して、サムは進学の準備に余念がない。進学を1年延ばせないかと言いだす父親に彼女がキレるのも無理はないのだ。入学は決まってるし奨学金だって受けている、何よりフランクの都合で振り回されてはたまらないだろう。彼女も心底音楽好きで、多分フランクよりも音楽の才能はあるので心が揺れないわけではない。それでも彼女が選らんだ道があるのだ。
 フランクのふるまいはなかなかイラっとさせられる所があるのだが、ぎりぎりで嫌な感じにはならない。子供っぽいが父親としての役割はちゃんと果たしてきた、親として役割を果たすため、断念しなければならないことがあると受け入れてきた様子が垣間見られるのだ。更に、彼がサムにはサムの人生があり、フランクとは別の意思をもっていること、彼女の選択を尊重しなければならないということを本当はわかっているからだろう。同じものを愛していても、2人は別の人間なのだ。
 2人が歌う歌の歌詞にもあるように「大切なものを置いて」旅に出ることは、決して悲しいことではない。これは親子の間だけではなく、サムとガールフレンドのローズとの関係において同じだろう。愛し合うことと、共にいることは必ずしも一致しない。それぞれ別の人格、別の生き方だというスタンスが一貫している。
 音楽に溢れた作品で既存楽曲の使い方も良いのだが、特にライブシーンの多幸感が素晴らしかった。クレモンズのパフォーマンスが本当にチャーミングで見ていて嬉しくなる。また、まさかトニ・コレットのカラオケを聞けるとは思わなかった(上手い!かわいい!)ので得した気分になる。

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ヴィゴ・モーテンセン
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2017-10-04





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2017-12-22

 

『バースデーワンダーランド』

 誕生日の前日、小学生のアカネ(松岡茉優)は母の友人・ちぃ(杏)ちゃんの雑貨店にお使いに行く。そこに突然、錬金術師のヒポクラテスと弟子のピポが現れた。彼らの世界をアカネに救ってほしいというのだ。雑貨店の地下室の扉からもう一つの世界に向かったアカネとチィは、世界に「色」を取り戻す為の冒険に旅立つ。原作は柏葉幸子『地下室からのふしぎな旅』、監督は原恵一。
 アニメーションのテクニック、動きの見せ方は流石に安定感ありきめ細やか。かわいすぎない、流行に左右されにくく普遍性ありそう、かつセクシャルさを抑制したキャラクターデザインは秀逸だと思う。日本のアニメーションだと意外とこの方向性はなかったなという気がする。異世界の風景も美しい。最近のアニメーションの背景美術は細部までリアルに描き込む表現が主流になっている印象だったが、本作はそのあたりほどほどで、適度にデフォルメし情報量をコントロールしているように思う。童画っぽい雰囲気だ。色や植物の質感等はとても美しく、眺めているだけで楽しい。
 とはいえ、脚本はいまひとつ。ストーリーを前に進めていくエンジンみたいなものが弱いのだ。主人公であるアカネがちょっと臆病で、自分から動けるキャラクターではないというのも一因だろうが、それ以上に、ストーリーテリングの下手さ、脚本の技術的な不備であるように思う。主人公が消極的でもストーリーテリングが巧みでどんどん読ませる小説・映画はいくらでもあるもんね。むしろちぃちゃんの方がいわゆる主人公的な、自分からどんどん動いていく好奇心旺盛なキャラクターなのだが、ストーリー上いまいち上手く機能していないように思った。ただ、大人の方が自由で融通がきくという見せ方は現代っぽいのかなという気もする。子供は案外頭固いし応用きかないよなと。
 現代のファンタジーというよりも、私が子供の頃に読んでいたファンタジー児童文学の世界。実際、原作小説は子供の頃に読んだ作品だ。それはそれで懐かしく楽しいのだが、今ファンタジー作品を作る上で、これでいいのかという疑問は付きまとう。当時の「ファンタジー」の異世界は大体中世ヨーロッパ風で、その世界の住民もカタカナ名前でどうも白人ぽくて、なんていう英語圏の作品の影響の強いものが多かった(翻訳ファンタジーはほぼ英米からのものだったから)。しかし現代では様々な国、人種、文化圏があることがフィクションにおいても大前提になっている。本作の異世界はやはりヨーロッパ風味が強く、出てくる人たちも西洋風でアジアンやアフリカンはいなさそう。なぜその表現を選んだか、という部分にもっと自覚的になる必要があるのではないかなと思った。ファンタジーってこんな感じだろう、という記憶と慣れで作ってしまっているという印象を受けた。
 また、農耕や素朴な商業と魔法とで成り立つ異世界と、科学によって発展したアカネたちの世界との対比が単純すぎる。アカネが、自分達の世界では星空や花々の美しさを忘れがちと言うのだが、むしろ忘れがちと言われることに驚いた。私、結構頻繁に星空や花の美しさに驚いてますよ!逆に素朴な世界だから皆幸せというわけでもないし、魔法の力は科学の力と同じような機能になりうる。そんなに対称的か?という気がするのだ。ファンタジーは現実を相対化したものだ。だから現実が複雑なら複雑であるはずだし、その複雑さに作り手も鑑賞者も耐えなければならないのではないか。


『ハンターキラー 潜航せよ』

 ロシア近海でアメリカ海軍原子力潜水艦が消息を絶った。近くでロシアの潜水艦も狙撃されたらしい。捜索に向かったジョー・グラス(ジェラルド・バトラー)率いる攻撃型原潜ハンターキラーは、現場付近に沈んでいたロシアの原潜から生存者を救出。一方、米軍特殊部隊はロシア内部の動きを探るために潜入作戦を開始するが、世界を揺るがすクーデターが起こっていると判明。ハンターキラーには絶対不可侵のロシア海域へ潜入するミッションが課せられる。原作はドン・キース&ジョージ・ウォーレスによる小説。監督はドノバン・マーシュ。
 アメリカ軍にしろロシア軍にしろ、艦長の慕われ方がすごい!人生の明暗をわけるのは人徳だ!ぶっきらぼうだが有能でリーダーシップのあるグラスに部下達、特に副艦長がデレる様が圧巻である。そりゃあジェラルド・バトラーについていけば絶対死ななさそうだし頼りがいありすぎるくらいありそうだんもんな・・・。グラスがどのように経験豊富で有能であるかということは様々なシチュエーションで示唆されるのだが、何よりもまずバトラーが演じているという点で説得力が出ている。対してロシア艦長の方は、この人は本当に部下のことを大事にし、部下から信頼されていたんだなと納得させられる良いシーンがある。ベタはベタなんだがやはりぐっとくる。上司はかくありたいものよ・・・。良き上司として徳を積んでおくといざという時命が救われるのか。アメリカとロシア、立場は違うが潜水艦乗りであるという共通項で共感・理解し合うという「ライバルと書いて友と読む」な少年漫画的要素にも燃えた。
 私は元々、飛行機内とか船・潜水艦内などの降りたら死ぬ密閉空間で展開するサスペンスが苦手なのだが、本作は楽しく見ることができた。ストーリーが潜水艦内だけでなく、特殊部隊が作戦を遂行中の地上でも展開されるので、閉そく感が薄いのだ。そして特殊部隊サイドでもひねくれ上司とちょっと頼りない新人隊員の絆が発揮される。こちらは上司のデレになかなかぐっときた。更にロシアサイドでもまさかの上司と部下の深い絆が。プロ意識のたまものではあるのだが、双方大分個人的な思い入れがありません?!と注視してしまった。

ハンターキラー 潜航せよ〔上〕 (ハヤカワ文庫NV)
ジョージ・ウォーレス
早川書房
2019-03-06






ハンターキラー 潜航せよ〔下〕 (ハヤカワ文庫NV)
ジョージ・ウォーレス
早川書房
2019-03-06

『バイス』

 1960年代半ば、酒癖が悪く大学を中退した青年ディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)は、恋人リン(エイミー・アダムス)に態度を改めないと縁を切ると迫られ、一念発起し大学を卒業、政界へ進む。下院議員ドナルド・ラムズフェルド(スティーブ・カレル)の下で働くうち、政界の裏と表を知り権力に取りつかれていく。ジョージ・W・ブッシュ大統領の副大統領として9・11後のアメリカをイラク戦争に導いたディック・チェイニーを描く。監督はアダム・マッケイ。
 非常にキレがよく人を食った作風で、マッケイ監督の腕の良さを実感した。登場する人たちは全員実在の人物、そして全員をdisりブラックユーモアで笑い飛ばす度胸の良さ。チェイニーとリンのカップルは正にマクベス夫妻(実際、シェイクスピア風セリフでやってみよう!というくだりがある)といった感じで、二人三脚で権力の階段を駆け上がる。何しろトップがボンクラ(全米公認でボンクラキャラの大統領ってすごいよな・・・これが民主主義の凄み・・・)なのでやりたい放題。マクベスみたいに人を殺さずに済むしな。イラク戦争へのかじ取りの動機がそんなことなのか!とぞっとさせられる。人間、簡単にモンスター化してしまうのだ。
 当初、頭が切れてスピーチが上手く、政治のセンスがあるのはリンの方だった。当時は女性の政治家の活躍など望めない時代だったので、リンは自分の望みをかなえる為にディックを一人前に仕立てあげるのだ。もしもうひと世代でも後に生まれていたら、リンはディックと結婚することなく自分が政治家として出馬したのではないだろうか。ディックは色々な点で運のいい人物だが、あの時代に生まれてリンと結婚できたことが最大の幸運だったのでは。夫婦2人で欲望を膨らませていく様は、おしどり夫婦と言えばおしどり夫婦。
 ディックにしろリンにしろ個人としては野心強すぎて全く好きになれないし自分の野望の為に手段は問わない卑怯さ、冷酷さを持ち合わせているが、よき夫、よき妻、よく親であると言う所が面白い。政治活動に後に娘も加わり、ファミリービジネス的になっていく。基本的に家族仲がいいのだ。同性愛者である娘を、自分の支持基盤から反感をかうとわかっていても受け入れ守っていく。妻の父親に対して家族を守るとはっきり表明するのも、親としてちゃんとしている。政治家としての顔との違いが人間の複雑さを感じさせる。とは言え、娘との関係は最後の最後で損なわれてしまうのだが・・・。ある一線を越えると政治家としての側面を選んでしまうのか。
 ナレーションが誰によるものか判明すると、「他人を食い物にする」ことをディックとリンが一貫してやってきたことがより明瞭に浮き上がる。本作に登場するのはそういう人間ばかりだ。まさにクズなのだが、彼らはクズであることを全然気にしない。ラムズフェルドじゃないけれど、理念なんて笑っちゃうぜというわけだ。

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『バンブルビー』

 父親を亡くした少女チャーリー(ヘイリー・スタインフェルド)は父が残した自動車の修理に明け暮れ、既に立ち直ったかのように見える母や弟との関係はぎくしゃくしている。18歳の誕生日、彼女は廃車置き場でボロボロの自動車を見つけた。自分の車を持てたと喜ぶチャーリーだが、その自動車は突然、人型に変身。彼は他の星から来た生命体だったのだ。チャーリーは彼をバンブルビーと名付け匿うが、バンブルビーには追手がかかっていた。監督はトラビス・ナイト。
 マイケル・ベイ監督の超大作、トランスフォーマーシリーズからのスピンオフ。しかしシリーズ内で最も出来の良い作品がスピンオフだとは・・・!冒頭のサイバトロン星パートは、全トランスフォーマーファンが「こういうのが見たかったんだよぉぉ!」とむせび泣こうかというもので、次回はこの部分で2時間見せて下さい!とリクエストしたくなる。またトランスフォーマーといえば文字通り変形シーンが醍醐味なわけだが、体の構成パーツがどう動いて変形しているのかちゃんとイメージ出来る構造と見せ方、かつ変形途中のフォームで移動できるというところも見せてくれる。これだよ!これが見たかった!ベイは今まで何していたんだよ本当に!個人的にはバンブルビーが初代ビートルモデルなところが嬉しい。私にとってのバンブルビーはビートルなので、カマロも悪くないんだけど(本作内の設定だとカマロがデフォルトみたいなんですが)やっぱり違和感あるんだよな・・・。また、オプティマスが旧モデルなのもうれしい。やはりコンボイ指令はこのフォルム、このカラーリングだよな!
 ドラマとしては非常にオーソドックスで、むしろ地味と言っていいくらい。チャーリーが父親の死と折り合いをつけていく成長物語が縦糸、バンブルビーとの友情と共闘が横糸という感じだ。チャーリーは父親のことを深く愛しているが、彼女の母や弟の父親への愛が浅かったというわけではない。チャーリーはもちろんそれを理解しているし、母親のボーイフレンドが(ちょっとピントはずれているが)いい人だということもわかっているのだろう。それでも、人によって悲しみの速度みたいなものが違い、そこで食い違いが出てくる。母親のボーイフレンドがチャーリーのことをちゃんと心配している、保護者になる覚悟があるという描写を入れている所はとてもよかったし、ティーン向け映画として真っ当だと思う。チャーリーとバンブルビーが共に成長し、それぞれがいるべき所を確かめる物語は爽やか。
 本作がトランスフォーマー映画で一番まともだなと思ったのは、物語が展開される地理的な距離感、時間経過の感覚。ベイ監督作品て無駄にやたらと移動するし、作中時間の経過がよくわからないと思う。本作は高校生が車やバイクで移動できる範囲内、かつ数日間の出来事であることがはっきり設定されている。ドラマ作りをする上ではごくごく普通のことなんだけど・・・。





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2015-01-28


『運び屋』

 長年ユリの栽培をしてきた90歳のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)だが農園経営に失敗し、自宅も差し押さえられた。そんな折、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの運び屋だった。監督はクリント・イーストウッド。87歳の老人が
 自作での主演は10年ぶりだというイーストウッド。非常にざっくりとした直線的な映画で、特にテクニカルなことをしているようには見えないのにちゃんと面白い。これが老練の技か・・・。王道エンターテイメントして面白かった。おじいちゃんが運転するだけなのにちゃんとハラハラドキドキするところがすごい。とは言え、ちょっとアールに都合の良すぎる人的配置だなという感じは否めない。夫婦関係、親子関係の不調和って、一度の「善行」でどうにかなるものじゃなくて、少しずつたゆまず積み重ねるしかないものだからね・・・。登場する女性たちがアールに対して何かと甘すぎる。おじいちゃんの「こうだったらいいのにな」ドリーム映画っぽい側面は否めない。若い女性を部屋に呼んじゃうし、女性たちから嫌な顔されないしな・・・。アールには自分がよき父・夫にはなれなかった、所詮ろくでなしであるという自覚はある。でもそれが自分だから受け入れてほしいと言う所が甘い。まあ家族から終始そっぽを向かれる話より、この方が世間受けは良さそうだからしょうがないのかな。
 アールの言動には結構な頻度で人種差別的なものが含まれる。パンクした車を見るエピソードも、「一番おいしいポークサンド屋」のエピソードも、結構ぎりぎりな感じでちょっと笑えない。本人は自覚しておらず、そこが厄介なのだが、差別とはそういうものだろう。アールはその言動まずいですよと指摘されるとあっさり直す。何で注意されたのかわかってるのかどうか微妙なのだが、自分は既に時代にそぐわない、今を動かしているのはもっと若い人たち、別の人たちの物の見方だという自覚はある所が面白かった。頑固な部分と柔軟な部分とが混在している。ギャングに「(人生に)失敗したからここにいるんだろ」と正論をかまされるのがおかしいやら哀しいやら・・・。結構コメディぽい要素が多いのだが、すごく乾いたタッチだからか(また前述の通り人種差別ネタがさらっと出てくるからか)、あまり笑いにつながっていない気がした。あっさりしているのだ。


ザ・カルテル (上) (角川文庫)
ドン・ウィンズロウ
KADOKAWA/角川書店
2016-04-23


『半世界』

 炭焼き職人の紘(稲垣吾郎)の前に、幼馴染の瑛介が現れた。自衛隊を辞め妻子とも別れ、故郷に戻ってきたというのだ。瑛介の心配をし何かと世話を焼こうとする紘だが、一方で同じく幼馴染の光彦(渋川清彦)には妻・初乃(池脇千鶴)にまかせきりの息子への無関心を指摘される。高校を卒業するまでいつも一緒だった紘・瑛介・光彦はまた3人で集まるようになる。監督は阪本順治。
 紘のコミュニケーションの取り方、人との距離感がちょっと独特。彼はしばしば、「甘えるんじゃないよ」という言葉を使うのだが、彼の「甘えるんじゃないよ」というのは、世話を焼かれないと思うなよ、何も言わなくても気持ちをくんでもらえると思うなよ、何も言わないなら勝手に世話を焼くぞ、みたいな意味合いらしいと見ているうちにわかってくる。一般的に想定される「甘える」とはちょっと方向性が違うのだ。瑛介は色々あって具体的な話をしたくないのだが、話さないならこっちは勝手に距離を詰めるよ、というのが紘のやり方らしい。世話好きだが一方的というか、相手の意図をくむ、行間を読むということをしないのだ。基本、額面通り、見たままで受け取る。なので、息子が置かれている状況をあっさり見誤ってしまったりするのだ。コミュニケーションがショートカット気味と言える。息子は「俺に興味ないだろ」と言うが、(本人に悪意はないんだけど)一定量以上の労力を他人に割くことができないタイプなんだろうなと。私も似たところがあるのでちょっと身につまされるところがあった。興味がないっていうわけではないけど、最優先できないんだよな・・・。自分内ソースが不足しているのだ。
 40歳手前の男性3人の、「年齢相応」なんて訪れないというしょうもなさと惑い、そしていかんともしがたい人生がおかしくも哀しい。瑛介は明らかにPTSDなのだが、具体的に何があったのかはさほど明らかにされない。そこは重要ではなく、彼が今苦しんでいることが重要だし、苦しむ彼を待つ友人2人がいることが必要なのだ。待っているだけというのは紘にしてみると不本意なんだろうけど、そこにいてくれるだけということが大事な時もある。
 それぞれ別の方向にクセが強くて我が強い紘と瑛介は頻繁にぶつかりあうが、そんな2人を中和するのが光彦。一見フラフラしているが、人のことを良く見ている。保護士をやっているというセリフもあり、人の心の機微は3人の中で一番分かっていると思われるし、バランス感覚がある。彼がいたから3人の繋がりが途絶えなかったのだろう。紘と瑛介2人だったら、繋がっている時の繋がりが強くても何かの拍子ででもろく壊れてしまいそう(というか実際壊れかけた経緯がある)。友人関係のバランスってそういうものだろうなと思う。
 すごく小さな世界の話ではあるのだが、ここもまた人々が生活する世界だ。海外で活躍した瑛介にとっても、町から出たことがない紘や光彦にとっても、世界は世界。どちらが広い・狭いという比較できるものではないのかもしれない。紘の中学生の息子の世界もすごく小さいと言えるが、彼にとってはやはりそこが自分の世界で、そこで何とかやっていくしかないのだ。

団地 [DVD]
藤山直美
Happinet
2017-01-06


半世界 (キノブックス文庫)
豊田美加
キノブックス
2018-12-09


『バッタを倒しにアフリカへ』

前野ウルド浩太郎著
 大学院で昆虫の研究をしていた著者は、アフリカのモーリタニアでサバクトビバッタの研究に従事することを決意。バッタの大発生がしばしば起きるアフリカでは、農作物を守る為にバッタの防除技術開発は死活問題なのだ。意気込んで研究所での生活を始めたものの、想像しなかった諸々のトラブルに遭遇することになる。
 評判通り、大変面白かった。なにしろ「まえがき」の時点で既に面白い。著者の研究対象および研究だけでなく、著者本人がユニーク、かつ文才のある人だ。発信力が高いとでも言えばいいのか、どう伝えれば面白いのか、興味を持ってもらえるのかという部分の発想・行動力と技術のある人なのだと思う。よい編集者との出会いにも恵まれてこの文章力が培われてきたことも、内容から窺える。
 研究者の就職口の少なさと研究予算確保の厳しさが全編通してひしひしと伝わってくる。これが研究職のリアルか・・・。著者が同級生たちの現在を見て落ち込む所など、自分が研究職でなくても身につまされる。そこから粘りに粘って自分のポストを確保する著者の逞しさと運の強さ!人柄と熱意が運を引き寄せるということもあるんだろうな。もちろん研究者としての資質が大前提で、豊かではない研究環境の中で著者の研究者としての観察力や実験ノウハウがどんどん高くなっていく様も面白い。研究者としてのゾーンに入った瞬間みたいなものがあるのかも。モーリタニアの研究所で彼を支えるアシスタントや所長の人柄も魅力。人にも恵まれている!特に所長のバッタ対策にかける情熱と覚悟に打たれた。「バッタを倒しに」というのは全く大げさではなく、現地の人たちの生命が掛かっている問題なのだ。
バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)
前野ウルド浩太郎
光文社
2017-05-17




『バーニング劇場版』

 小説家志望の青年イ・ジョンス(ユ・アイン)は同郷の幼馴染シン・ヘミ(チョン・ジョンソ)と再会し、彼女がアフリカへ行く間、猫の世話を頼まれる。帰国したヘミは、現地で知り合った裕福な男性ベン(スティーブン・ユァン)にジョンスを紹介する。ある日、ヘミと共にジョンスの家を訪れたベンは、時々ビニールハウスを燃やしていると秘密を明かす。原作は村上春樹の短編『納屋を焼く』、監督はイ・チャンドン。
 TV版を放送した後に、それより約1時間ほど長尺の劇場版が上映されるという特殊な形状の作品。両方見てみたが、途中までは同じなのに、劇場版である本作を最後まで見ると全く別の作品になっていた。原作小説に近いはTV版の方だが、劇場版はそこから更に飛躍している。少なくとも村上春樹はこういうラストは書かないんじゃないだろうか。私はそこが良いと思った。
 結構な長さの作品なのだが、時間の流れはゆるゆるとしている。ヘミの身に何かよからぬことが起きたのは状況証拠からはほぼ間違いないだろう、しかし決定打も「犯人」への正攻法での追及も叶わない。疑惑と不安だけがずっと漂っている。それが煮詰まって爆発するのがラストだが、それによってヘミが救われるというわけではない。
 ヘミがベンとその仲間、昔でいうところの高等遊民的な人たちから、何となく軽い扱われ方をしているのを見ると、辛くなってくる。ヘミにとっての大切なものが、彼らにはどうということのない、ちょっとした時間つぶしのように扱われているのだ。そしてそういう扱われ方をしたのはヘミだけでなく、彼女の前にも後にもいるだろうことがまた辛い。若くて特に何も持たない(と彼らが見なす)女性は消費されて飽きられたら終わり、というわけだ。ヘミの元同僚が唐突に「女が住める国はない」と口にするけど、つまりそういう話でもあるように思った。ベンは明らかにヘミを暇つぶしに使っているが、彼女を「愛している」というジョンスも、結局彼女の記憶を創作のネタとして消費しているのではないかと思う。
 ジョンスはベンをギャツビーに例え、自身の家庭をフォークナーの小説に例える。フォークナーを読むと自分の家族を思い出すって結構強烈な家庭環境ではないかと思うが・・・。確かにジョンスの両親は厄介な人たちで(ここはTV版ではよくわからない)、彼の中に蓄積されている鬱憤は相当のものだろうと想像できる。この家に生まれなければこの田舎から出て行けたのに、振り回されずに済んだのにという気持ちがずっと尾をひいているのではないかと思う。一方、ギャツビーであるベンがジョンスのことを小馬鹿にしているかというと、意外とそうとも言い切れない。少なくとも、ヘミを扱うような軽さでは彼に接していないように思う。ベンの捉えどころのなさや意味ありげな物言い、ふと秘密を明かしてジョンスの興味をひくような態度は、むしろメフィストフェレス的な、ジョンスを自分側の世界に引き入れようとしているようにも見えた。2人の結末も、ベンはジョンスの中に自分の共犯者的要素を見ていたのではないかと思う。方向は違えどヘミを消費するという点では、共犯者と言えるのかもしれない。


ポエトリー アグネスの詩 [DVD]
ユン・ジョンヒ
紀伊國屋書店
2013-01-26


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