3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『寝ても覚めても』

 大阪で暮らす朝子(唐田えりか)は麦(東出昌大)と出会い恋に落ちる。しかしある日、麦は姿を消した。2年後、東京へ引っ越した朝子は麦とそっくりな亮平(東出昌大2役)と出会う。麦のことを忘れられない朝子は激しく動揺するが、亮平は朝子に好意を抱いていく。原作は柴崎友香の同名小説。監督は濱口竜介。
 朝子と麦が初めて出会い向き合うシーン、ザ・運命の出会い!もう恋に落ちる以外ありえない!的演出で、あっこれを堂々とやるのか!と逆に新鮮だった。一方、亮平との出会いでは、二人が向き合うまでの時間、助走の部分がある。最初から麦と亮平は違ったわけだ。劇的な出会いだったから想いが持続するというわけでもないだろうが、朝子は同じ容姿という部分に引っ張られてしまう(と自分で思い込んでいる)。
 朝子のある種のバカ正直さとでもいうか、自分に対する誠実さ、嘘のなさが面白い。彼女は周囲にもそうした誠実さで接しようとするが、それは相手を傷つけたり周囲をかき回したりすることにもなる。「それ言って幸せになる人いないよ」と言われても、自分にとって事実であるなら、嘘はつけない。世間の人は多少自分を押さえて場をとりなすようなことをできるものだろうが、彼女にはそういう面が希薄だ。逆に亮平はそういった場のとりなし、雰囲気の作り方が大変上手く、気遣いの人であることがよくわかる。朝子の友人である春代(伊藤沙莉)やマヤ(山下リオ)も同様で、押しなべて良識的。社会性が高いとも言える。朝子は自身でも言うように「自分のことばかり」なのだ。それが悪いというのではなく、自分に忠実であろうとするところが彼女のいい所だと思うのだが、時に自分と「彼」に集中しすぎて世界から断絶されているように見える。
 幽霊譚のような、ちょっとホラーめいた怖さも感じた。過去の一点がずっと追ってきて離れない。終盤の亮平にとっての朝子もまた、そういう存在になっているのかもしれない。麦の人間ではない何かであるような立ち居振る舞いもまた不気味だった。東出が二役を演じているが、同じ顔だが違う人に見えるし、何だったら同じ顔に見えないようにも思った。
 登場人物それぞれの「その人」としての佇まいや動作の手応えが素晴らしい。台詞や分かりやすい顔の表情がなくても、振舞い方でエモーショナルな部分、この人はどういう人かという部分が伝わってくる。とにかく行動設計が上手いなという印象。どの俳優もとても良かったのだが、亮平の同僚である串橋役の瀬戸泰史があるシーン以降とても良くて、こんなに出来る人でしたか!とびっくりした。これは監督の演技指導の腕でもあるのだろうか。


寝ても覚めても: 増補新版 (河出文庫)
柴崎友香
河出書房新社
2018-06-05


『ネッド・ライフル』

 ある罪により逃亡中のヘンリーと、拘留中のフェイの息子ネッド(リーアム・エイケン)は18歳になった。叔父サイモンを含め、家族の不幸の元凶である父ヘンリーに復讐しようと、ネッドは彼をさがしに旅に出る。サイモンの作品に執着している風変りな女性スーザンも同行することになる。監督はハル・ハートリー。2014年の作品。
 『ヘンリー・フール』三部作の3作目。出演者の加齢と同じスピードで物語が進んでいるので、この人変わらないなとか、こんなに大きくなって!とか、久しぶりに親戚に会ったような気分にもなる。本作、3部作の中では一番テンポが良く、タイトな作りになっていると思う(実際85分という短さだし)。
 父親殺しや世代を超えて受け継がれていく因がなど、ドストエフスキーのような様相を見せるが、ネッドの潔さがさわやかな後味を残す。ヘンリーは最後まで責任を取らない人、逃げる人として造形されている。しかし、グリム家は逃げない人たちなのだろう。彼らのふんばりと善良さで、ヘンリーの因果にようやく終止符が打たれるのだ。ラストがとてもきっぱりとして心を打つものだった。この人はこっち側に行くことに決めたんだなと深く納得するのだ。ハートリー監督の映画は、どれもラストショットがかっこよくて強く印象に残る。
 ヘンリーとスーザンの過去に遡っての諸々は、物議をかもしそうだけどやはり危ういと思う。ヘンリーは罰を受けており自分に責任があるという自覚もある(1作目ではなさそうだったけど・・・)という描写は織り込まれているとは言え、ロマンティックな要素を加味しすぎではないかな。

ヘンリー・フール・トリロジー
パーカー・ポージー
ポッシブル・フィルムズ
2017


はなしかわって [DVD]
D.J.メンデル
J.V.D.
2014-06-06





 

『ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!』

 1995年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期のサラエボ。NATO軍として派遣されていたマット(サリバン・ステイプルトン)率いる5人のネイビーシールズチームは、かつて近くの村に逃れてきたナチスが残した、重さ27トン、総額3億ドルの金塊が湖に沈んでいると知る。チームの一員ベイカー(チャーリー・ビューリー)が恋する地元の女性ララ(シルビア・フークス)はかつてナチスの金塊の話を祖父から聞いていたのだ。町の復興の為にどうしても金塊が欲しいとララに頼まれた5人は、撤退までの8時間で金塊を運び出す計画に着手する。監督はスティーブン・クォーレ。製作・原案はリュック・ベッソン。
 舞台が1995年のサラエボという所で意表を突かれた。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ってこういう風に扱われる「歴史上の出来事」になったんだなぁと。本作、敵軍の将軍を拉致した上、盗んだ戦車で逃亡するという無茶苦茶な序盤展開なので、背景が生々しすぎるんじゃない?と思わなくもないけど、20年以上前のことってその程度の感覚なんだろうか。そんなに背景説明されるわけでもないし、架空の紛争地域と言ってしまってもいいくらいの軽さなんだけど・・・。現地の軍組織をちょっとバカにした部分があるのは気になった。
 アクションに過不足なく、ほどほどのゆるさで楽しく見た。前半は火器銃器満載で景気よく、後半は水中での作業が多いのでちょっと珍しいシチュエーションが多く見られる。チームのそれぞれが専門分野を持つチームものとしても楽しい。ただ、予告編ではベイカーがセクシー担当ハニートラップ要員みたいな扱いだったけど、単にララと恋仲というだけで、全然そんなことなかった(そもそもそんなにセクシーでもない気が・・・)。彼だけ専門分野が何なのかわからなかったんだけど、サブリーダー的な立ち位置ってことかな?なお、チームの上司役でJ・K・シモンズが登場するが、今回も見事な説教芸を披露している。

ミケランジェロ・プロジェクト [DVD]
ジョージ・クルーニー
松竹
2016-04-06


ザ・バトル ネイビーシールズVSミュータント [DVD]
ポール・ローガン
アメイジングD.C.
2018-02-02





『ネオン・デーモン』

 トップモデルを夢見て田舎からロサンゼルスへ出てきた少女ジェシー(エル・ファニング)は、モデル事務所と契約を交わし、人気カメラマンのテストモデルになる。若さと天性の魅力によってカメラマンやデザイナーの心を捉えたジェシーはトップモデルへの階段を上り始めるが、彼女の魅力はライバルたちの嫉妬心に火をつけるものでもあった。監督はニコラス・ウィンディング・レフン。
 メタリックな蛍光色に彩られた夢のように美しく血みどろな世界という、「いつものレフン」感満載の新作。見る側としてはまたこれ?という気分もあるが、ビジュアルの癖こそがこの監督の最大の持ち味なんだろう。『ドライヴ』にしろ『オンリー・ゴッド』にしろ本作にしろ、物語自体は非常にオーソドックスな恋愛であったり復讐譚であったりという、ごくありふれたものだしストーリーライン自体もそんなに捻ってこない。見せたいのは物語を媒介とした映像そのものということか。話がどうこうとかはあんまり興味ないのかもなー。美しさ=ビジュアルが全てという本作のモチーフは、レフン監督の作風と一致しているとも言える。それにしても、若さと美しさの追求が人を狂わせていくというのは、今時それかよって感じが否めない。未だにそれがネタになるくらい、ハリウッドは美と若さが持てはやされる世界ってことなのだろうが。
 本作の設定の前提として、ジェシーを演じるエル・ファニングに絶対的な魅力がなければならないのだが、正直な所、それほどとは(私個人の趣味では)思えなかった。なので、カメラマンもデザイナーもジェシーを見ると息を呑み夢中になっていくという展開には、なんだかなという気分になってしまう。また、周囲の女性達も彼女に嫉妬し、あるいは魅了されてとんでもないことになるのだが、何というハイリスクローリターン!的な感想しか出てこないのね・・・。わざわざそんなことするほど、ジェシーに魅力ある?って思ってしまう。また「そんなこと」後の3人の女性も、特に魅力が増したようには見えないし、カメラマンにインスピレーション与えるようにも見えない(ので終盤の抜擢が茶番に見えてしまう)。美の基準て難しいなー。「ネオン・デーモン」とは一見ジェシーのようでもあるが、彼女の中にそういうものを見出してしまう周囲の心理、そしてそういうもの、外的な美に固執してしまう監督の性分のことを指しているようにも思った。
 それにしても、前2作よりも悪趣味だなと(自慰はともかく満月の晩のあれは、大昔のすっごく安い悪魔崇拝ネタみたいで何か観客バカにしてる?って気分に・・・)思うところが多くげんなりした。自分の趣味の方向に舵を切りすぎるとどん引きされるタイプの監督だと思う。
 なお、なぜかキアヌ・リーヴスが出演しているのだが、彼が演じるモーテルの主だけ他の登場人物とは異質に見えるところが面白い。ジェシーに何か特別なものを感じている風にも見えない。キアヌは(世間的に一応)美形ということになっていると思うのだが、作中の美と若さを巡るあれこれにはとんと興味がなさそうなのだ。彼にとっては女は女、男は男、ピューマはピューマでそれ以外の何かは付加されていないのだろう。

『眠りなき狙撃者』

ジャン=パトリック・マンシェット著、中条省平訳
殺し屋のマルタン・テリエはある仕事を最後に引退を決意する。しかし組織の刺客や彼に恨みを持つ者が、彼を狙い始める。冷徹といっていいほどクールかつ、余計なものをそぎ落とした文体。翻訳の良さもあるのだろうが、ゴツゴツ、殺伐として読んでいる側に切りつけてくるようなスタイルだ。それがテリエの人としてどこか足りないような、偏った言動とマッチしている。はたから見ているとちょっと理屈がおかしいのだが、本人はいたって真面目だしこういうやり方しかできないという不器用さと、それゆえ訪れるラストがやるせない。それを突き放した文体で語っていくのでなおさらだ。


『ネオン警察 ジャックの刺青』

 勢力争いをしている上岡組と十和田組。上岡組は不動産屋の野田と結託してシマを広げようと画作、十和田組を罠にかけ、3000万を支払う羽目に陥る。それを知った“ジャックの刺青”こと花村(小林旭)は、相棒の倉原(郷英治)と、十和田組を盛り返して荒稼ぎしようと仲裁に乗り出す。しかし上岡組は先手を打って、十和田組長を殺してしまう。監督は武田一成。1970年の作品。
 花村と倉原が「風邪ひくなよ」「腹壊すなよ」と挨拶代りに言い合う様がコミカルだし、そもそもヤクザの話なのに「ネオン警察」って何故?という、全体に軽快でノリがいい出だし。しかし、やっていることは意外と陰惨という、不思議な作風だった。花村と倉原の「仕事」のスタンスが悪漢小説ぽく、結構ひどいこともやっているのに妙に憎めない。仁義があるのかないのか微妙な感じで、この2人はヤクザでも任侠でもないんだなという雰囲気がよくわかる。
 花村はカードの名手という設定で、カードを投げて武器にするという漫画かアニメのようなシーンがある。当時は結構話題になったシーンだそうだが、これは確かに真似したくなるだろう(笑)。小林自ら、吹き替えなしでカードをさばいているであろうシーンもあるのだが、結構スマートな手振り。小林旭にはなんとなく不器用そうなイメージを持っていたので、本作のような軽やかなキャラクターは意外だった。
 安岡力也が殺し屋役で出演しているのだが、この頃から既に異色な雰囲気を醸し出している。決して演技が達者というわけではないが、粘着質の殺し屋役が似合っていた。

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