リチャード・ライト著、上岡伸雄訳
1930年代のシカゴ。貧しいアフリカ系青年ビッガー・トマスは、裕福な白人一家の運転手として雇われるが、その家の娘を殺害してしまう。発覚を恐れたビッガーは娘の首を切り、遺体を暖房炉で焼却する。何とかその場を逃れようとするが、彼の運命は大きく変わってしまった。
ブラック・ライヴズ・マターの原点とも言われる作品だそうで、20世紀アメリカ文学最大の問題作とも称されている。新訳で読むことができてありがたい(旧訳ではカットされた部分もあるそうだ)。舞台は1930年代当時で黒人差別は当然のこととされ、これが差別であるという意識すら希薄だ。そんな中で黒人でありお金も職もないビッガーの立場は極めて弱い。彼の言動はあまりに衝動的で計画性も思慮分別もないように見えるものなのだが、とにかく「今」生きているということしか手元にない、明日の生活も将来の展望も抱けないくらい足元が不安定だからだろう。更に、家族や雇用主が求めるいわゆる堅実・真面目な生活というのは、白人社会が期待する、彼らに都合のいい労働力・搾取対象としての「良き生活者」だ。ビッガーはそれに薄っすら気付いているから、自分に不利になるとわかっていても規範から外れた方向へどんどん行ってしまうのではないか。一方で規範から外れていくことによってビッガーが自分は何を感じているのか自覚していく、言語化されていく様は皮肉でもある。作中、ビッガーが神父をはねつけるのは、信仰は思考と言語化をある種棚上げする、自分をゆだねてしまうことでもあるからだろう。
人種差別というのがどういうことなのか、本作出版から80年以上経った現代でも生生しく伝わってくる。特に差別に反対している・黒人に対し理解があると自認している人たちのビッガーに対する態度がいかに無自覚に差別的かという描写は、なるほど社会の仕組みに差別が織り込まれているというのはこういうことかと深く頷く、かつ薄っすらと寒気がする。こういうこと、自分もやっているのではないかと。