工場勤務の傍ら、農学を学んでいるユリ(モノリ・リリ)。工場の上司と恋に落ちるがユリには前パートナーとの間に幼い息子がいることを伏せていた。やがて上司にも子供の存在は知られるが、彼はそれを受け入れられず家族に知られることを恐れた。監督はメーサーロシュ・マールタ。1976年製作。
メーサーロシュ・マールタ監督特集にて鑑賞。女性監督として初めてベルリン国際映画祭最高賞を受賞し、その後もカンヌ国際映画祭やシカゴ国際映画祭などで高く評価された監督だそうだ。なぜか日本では今まで劇場公開されておらず、今回初の特集上映となる。本作は1977年のカンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞、同年のベルリン国際映画祭でOCIC特別賞を受賞。1人の女性の生きる姿の生々しさが迫ってくる。つっけんどんと言ってもいいようなスタイルの作品なのだが強いインパクトを残す。
何よりあの当時、自分自身の人生を生きようとする女性の在り方をパートナー男性の存在が阻害するということを、ここまで率直に描いた作品があったのかと唸った。ユリが直面する困難や不愉快さの数々は現代の女性のそれと何ら変わらない。私たちは40数年間いったい何をしてきたんだと愕然とするくらいだ。ユリ自身は結構堂々、ずけずけと生きている。彼女が自分で言うように自分の行いを恥じてはいない。恥じるのは恋人であり彼が所属する世間なのだ。彼は家の新築に情熱を注いでおり、ユリにもそこで一緒に暮らしてほしいと願う。ユリは工場で働くと同時に学校を卒業したいと考えるが、恋人は彼女に仕事も学校もやめてほしいという。自分が稼いでいるんだから働くなくてもいいじゃないかと。このくだり、現代でも全く珍しくないシチュエーションだろう。なかなかにげんなりした。ユリは「大黒柱は2人よ」と切り返すが、現代でもそういいたくなる女性は大勢いるだろう(そもそも、たとえ一方の稼ぎが少ない、ないしはなかったとしても「自分が稼いでいるんだから」という言い方は卑怯だろう)。
この恋人男性が退屈な男すぎて、ユリがなぜ惚れているのか謎だった。彼がこだわるのは固定化された(物質としての家も含め)家、家族だ。自分の中の「家庭」という概念が強すぎて、ユリの生き方を受け入れられない。ユリにとっても彼の人生観は自分のやり方と相容れないものだ。それなのに2人が強く惹かれ合い続けるという所が不思議だった。恋愛とはそういうものなのかもしれないが、いくら何でも相性悪すぎる。