3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『劇場版 夏目友人帳 うつせみに結ぶ』

幼い頃から、他の人の目には見えない妖を見ることができた夏目貴志(神谷浩史)は、亡き祖母レイコが妖怪たちから名前を集めた「友人帳」を受け継ぎ、名前を返してほしいとやってくる妖怪にはその名を返していた。強い妖力の持ち主だったレイコは、妖怪と勝負をして負かした相手に契約書を書かせていたのだ。ある日夏目は10代の頃の祖母を知る津村容莉枝(島本須美)とその息子・椋雄(高良健吾)と知り合う。2人が住む町で妖怪の気配を感じた夏目は、自称用心棒の妖怪・ニャンコ先生(井上和彦)と調べに向かう。緑川ゆきの同名漫画をアニメ化したTVシリーズ作品の、オリジナル劇場版。総監督はTVシリーズ監督を務めた大森貴弘、監督は伊藤秀樹。
104分の劇場用作品だが、中身はいたって通常営業。妙な気負いや派手なイベントはなく、このシリーズらしい地味ながら丁寧なストーリーテリングと美術を見せている。シリーズのファンの期待はまず裏切らないのではと思う。下手に特別なことをやろうとせずに、きちんとウェルメイドに仕上げている。
本シリーズ、季節感の演出に毎回味わいがあってとても良い。舞台は田園風景広がる結構な田舎(モデルは熊本らしい)だが、本作では盛夏~秋の気配が感じられる頃までを描く。緑の濃さの変化や日差しの強さが、だんだん秋らしくなる様が気持ち良かった。随所で挿入される虫や鳥のショットもアクセントになっていて良い。
さすらい続け人の記憶に留まれない妖怪の寂しさが、人間の世界では異端視され一か所に留まれなかったレイコが感じていたかもしれない寂しさと呼応する。それは、かつての夏目が感じており、めぐりあわせによっては今も感じ続けることになったかもしれないものだ。本シリーズ、心温まるエピソードであってもいつもどこか寂しい。人間と妖怪は交流することはあっても、本質的に別の時間、別の理論で生きているのだと折に触れて感じさせるからだ。とは言え、常に何も残らないというわけではない。ささやかながら、異質なものと、あるいは異質なものとして生きることの希望が込められているように思う。


夏目友人帳 Blu-ray Disc BOX
神谷浩史
アニプレックス
2011-06-22


『泣き虫しょったんの奇跡』

 おとなしく特にやりたいこともない少年だった「しょったん」こと瀬川晶司(松田龍平)は、将棋の面白さに目覚め、プロ棋士をめざし奨励会に入会。しかし26歳までに四段昇格できなければ退会という規定のプレッシャーがのしかかり、年齢制限により退会に至る。棋士の道を諦めて、就職して働き始めるが、将棋への思いは捨てられず、再びプロ棋士を目指すべく立ち上がる。原作は瀬川晶司五段の自伝的小説。監督・脚本は豊田利晃。
 豊田監督作品の中では一番安定感があり、まっすぐど真ん中のストレートを投げてくるような作品。静かだが熱い。劇伴は控えめで、駒を置く音が効果的に響く。この音が意外と高く頭に刺さるような感触があり、緊張感を煽る。対局中、瀬川が追い詰められていくにしたがって、周囲の駒を置くパチパチという音や対局相手が扇子で仰ぐ音がどんどんノイズとして彼を責め、飽和状態になっていくように感じた。音の設計が上手いと思う。また、概ね静かなのだが、ここぞというところでじわじわと盛り上げていく、照井利幸によるギター主体の音楽もよかった。
 瀬川は才能はあると作中でも断言されているのだが、勝負弱い。将棋のことはわからなくても、この人はここぞと言う所で踏ん張れないんだなということが、周囲の言葉や反応から何となく伝わるのだ。「瀬川君が負ける相手じゃないよ」と負けた後に言われるのって結構きついんじゃないかな・・・。そして、瀬川の人柄の良さも、彼の言動というよりも周囲の言動から伝わる。彼のアパートに奨励会の仲間がたむろっているシーンは、彼らがくすぶっているにも関わらず、青春ぽさと多幸感を感じた。「負けた時は一人でいたくないでしょう」というのは意外な気もしたけど、そういうものなのかな。落ち込む瀬川を新藤(永山絢斗)がドライブに連れ出す、しかしドライブ先の風景がこれまたひどくわびしくて全然元気にならなそうというエピソードが、何だか胸に染みる。
 周囲の人に恵まれているということが、まわりまわって彼をプロ棋士への道に引き戻す。瀬川が人柄の良さで掴んだ運であり縁だとも言える。瀬川が奨励会を去る冬野(妻夫木聡)に、瀬川さんは(将棋の)指し方がきれいだ、人の良さが将棋に出ているがそれでは生き残れないと言うシーンがある。冬野は瀬川の人の良さは弱点だと考えたわけだし実際にそういう面もあるのだろうが、瀬川はそういうタイプの棋士にも活路があると証明したと言えるだろう。彼の過去から現在に至るまでの人との出会いが集約していくクライマックスは、ベタだなとわかっていてもやはり泣けた。
 主演の松田は得難い存在感がある。また脇役、モブに至るまで、役者が皆いい。今回、いつになく役者の顔にカメラが集中しているように見えた。少し出てくるだけの人も、はっとするような表情を見せる。役者の顔への信頼感が感じられた。そして松たかこが飛び道具的存在になっている。監督の私情が大分入っているのではないだろうか。「おうちの人に若くてきれいな先生だと言って」というくだりには、今時(作中では’80年代だけどそれにしても・・・)それはないわーと思ったけど。


ナイン・ソウルズ [DVD]
原田芳雄
ポニーキャニオン
2004-01-21


『名もなき野良犬たちの輪舞』

 刑務所内の「大統領」ジェホ(ソル・ギョング)は若い受刑者ヒョンス(イム・シワン)と出会う。他人を信用しないジェホだったが、奇襲から救われたことでヒョンスに目をかけるようになり、出所後は共に犯罪組織を乗っ取ろうと計画を立てる。しかし、彼らにはそれぞれに秘密があった。監督はビョン・ションヒョン。
 野望、欲望、愛と嫉妬に裏切りと感情がてんこもりの韓国ノワール。湿度と粘度が高い。これは欧米のノワールではあまり感じない質感だと思う。ジェホもヒョンスもタフで強さと力を目指す、実際にそれを持っているはずの人間なのに、お互い出会ってしまったことで弱さが生まれていく。それまでになかった感情が動かされるようになってしまうのだ。
 オム・ファタールものとでも言えばいいのだろうか。上司と部下のようであり、兄弟のようでもあるジェホとヒョンスのの関係は「秘密」を介してどんどん濃密になっていくが、それは同時に、2人がそれまで所属していたものに背いていくということでもある。
 2人は元々、それぞれ合いいれない世界の住人であり、それぞれの世界の中での出世なりなんなりを野望にしていたわけだが、お互いの存在により、元々所属していた世界から乖離していく。所属していた世界を裏切るか、お互いを裏切るか、あるいは全て裏切って1人生き延びるか。どちらにしろ、この先には泥沼しかない。お互いの「秘密」が明かされストーリーが二転三転するほどに、この先の選択肢は減り、出口が見えなくなっていく。どんどん息苦しくなっていき、緊張感が途切れない。
 基本ジェホとヒョンスを含み超有能なクズみたいな人ばかり出てくるのだが、2人が突き進んでいくうち、当初モンスター的に見えた犯罪組織のメンバーにしろ、手段を選ばない警察にしろ、むしろ普通に見えてくる。姑息に見えた会長の甥が、むしろ一番まともで(多分警察よりもまともなんじゃ・・・)普通の人としての情緒を持っているように見えてくるのが面白い。

友よ、さらばと言おう [DVD]
ヴァンサン・ランドン
ポニーキャニオン
2015-01-07


監視者たち 通常版 [DVD]
チョン・ウソン
TCエンタテインメント
2015-02-04



『ナチュラル・ウーマン』

 ウェイトレスをしながらクラブの歌手として働いているマリーナ(ダニエラ・ベガ)は、年上のパートナー・オルランド(フランシスコ・レジェス)と暮らしている。しかし突然オルランドが死亡。マリーナは彼の息子からアパートの立ち退きを迫られ、更に元妻や弟から葬儀には絶対に来るなときつく伝えられる。オルランドに最後の別れを告げたいマリーナは一人で抗い続ける。監督はセバスティアン・レリオ。第90回アカデミー賞外国語映画賞受賞作。
 オルランドの家族のマリーナに対する態度があまりにも失礼なので、見ている間中腹が立って腹が立ってしょうがなかった。元妻との会話から察するに、オルランドはマリーナと出会ったことがきっかけで家を出たらしいので、彼女に対して思う所あるというのは分かる。しかし彼女がトランスジェンダーであることをあげつらって存在を化け物扱いするというのは卑怯だ。憎むなら人として対等に憎め!彼らの態度が礼儀を欠いたものなのは、彼女を同じ土俵に立つ人間として見ていないからだろう。せめて外面だけでも礼節保っておけばいいのに、そういう努力すらしないのかとうんざりする。
 また、マリーナに対して個人的な因縁がないはずの刑事や医者もまた失礼だ。彼らの失礼さは個人というよりも組織、社会がマリーナに向けてくる失礼さのように思った。刑事は「この手のことはよくわかっている」という態度で博士号も持つ、いわば専門家を自認している。しかしマリーナとオルランドの関係をお金によるものだと決めつけていたり、一方的に約束を取り付けたりと、マリーナがどういう状況でどういう事情があるのかという個別の部分は理解しようとしない。「この手のこと」も千差万別なはずなのに、こういうものだからとひとくくりにする態度にはこれまたうんざりだ。当人は、無礼だという意識すらないんだろうけど。
 理不尽に向けられる無礼さや悪意に対して、マリーナは抵抗し続ける。彼女の好ましさは、この一人で抗い続ける自立した態度にある。自分が自分であるという姿勢が揺らがない。彼女の落ち着きは、ことあるごとに無礼さや悪意にさらされてきたということでもあるのかもしれないけど・・・。とは言え、常にタフでいられるわけではなく、深く傷つき疲れ切ってしまう時もある。オルランドの姿や、クラブでのミュージカル風シーンは、彼女が心を守り自身を勇気づける為の幻想であるように思える。それが周囲にも提示されるのが彼女にとっての歌うという行為なのではと。彼女が歌うシーンの解放感、浄化される感じが素晴らしい。

グロリアの青春 [DVD]
パウリーナ・ガルシア
オデッサ・エンタテインメント
2014-09-03


ボルベール <帰郷> Blu-ray
ペネロペ・クルス
TCエンタテインメント
2012-09-05


『謎の天才画家 ヒロニムス・ボス』

 15~16世紀のネーデルランドで活躍した画家、ヒエロニムス・ボス。その人物像については生年月日を含め謎が多く現存する作品は25点のみ。その中でも傑作と名高いのが、プラド美術館所蔵の三連祭壇画「快楽の園」。プラド美術館の全面協力のもと、この「快楽の園」を細部まで撮影し、様々な研究者やアーティストが作品に込められた意図を探るドキュメンタリー。監督はホセ・ルイス・ロペス=リナレス。
 全体の構成があまり上手くなく、焦点があいまいでぼけているという印象を受けた。「快楽の園」に対するアプローチの方向は、絵具の成分やX線による下絵の確認、またモチーフを読み解き解釈する、歴史的な背景から制作経緯を推測する等様々だ。絵画の研究とはもちろんそうした多面的なものだが、情報の提示の順番の道筋が散漫で、エピソード間のつながりがちぐはぐなように思った。思わせぶりな「イメージショット」的映像が多いのも気になる。もうちょっと筋道はっきりさせて、展開を見せてほしかった。
 作品解釈が印象論寄りになっているのは残念。X線を使った下絵の研究など面白いので、こちらをもっと見せてほしかった。そもそも、明確にわかっている部分が少ないから(材料が少ないから)印象論にならざるを得ないのかもしれないけど・・・。正直な所、目新しい情報は少ない。
 ともあれ、「快楽の園」を超クロースアップで見られる機会はなかなかないだろうから、そういう意味では貴重。茟のタッチがかなり細かいことがよくわかる。それにしても「快楽の園」、現代の目で見ると宗教画とは思えないフリダームさに見える。当時は宗教画として成立していたわけだし、ボス自身もキリスト教的倫理に則って描いたと思われるが、それが不思議だ。こういう部分をもっと掘り下げてほしかったけど、映像的には面白みないか。




『ナラタージュ』

 大学2年生の工藤泉(有村架純)の元に、高校時代の演劇部顧問教師・葉山貴司(松本潤)から電話がかかってきた。後輩たちの卒業公演を手伝ってほしいというのだ。高校時代、葉山に恋していた泉は、再会したことで思いが再燃してしまう。原作は島本理生の同名小説。監督は行停勲。
 原作は未読なのだが、多分原作小説だとこのへんはもっと情念がどろどろしているんじゃないかなぁと思わせる部分がちらほらとあった。のっぴきならない感情を描いた作品ではあるものの、映画のトーンはかなり淡く、輪郭がぼんやりとしている。本作、大学を卒業し社会人となった工藤が過去を回想する(現在のシーンは冒頭とラストだけなんだけど)構成だ。葉山との恋は既に思い出の中のことであり、だからこそ生々しさにはフィルターがかかり、美しくノスタルジー漂うものに見える。淡々としたストーリー運びが時に平坦すぎる気もしたが、それも思い出として工藤の中に既に距離感が生じているからとも思える。
 工藤は高校時代、周囲から浮いていじめにあっており、学校の中に居場所がなかった。そんな時、声をかけて居場所を作ってくれたのが葉山。そりゃあ(何しろ見た目はまつじゅんだし)好きになっちゃうよなぁという説得力はある。実際、卒業式後のある出来事までは、葉山は普通に「良い先生」だと言えるし、工藤との距離感も教師と生徒のそれを踏み越えるものではない。なんで最後の最後で踏みとどまれないの・・・恋愛物語だから話の流れ上踏みとどまられちゃ困るわけだが、先生にはがっかりだよ!大人は大人であれ!という気分にもなってしまう。
 とは言え、葉山には葉山で色々大変な事情があり、救いを求めて工藤に手を伸ばしたということが徐々にわかってくる。葉山の弱い面がぼろぼろと露呈していくのだが、自分より一回りほど年下の相手に対して甘えすぎではと、気になってしょうがなかった。工藤のセリフではないが、なぜそのタイミングで電話してくるの!本作、工藤と恋愛関係になる男性として葉山の他に同年代の小野(坂口健太郎)も登場する。小野は工藤が葉山に思いを寄せていることを知っており、その上で彼女を大切にしようとするのだが、やはり葉山の存在を意識せずにはいられない。その結果、大分器の小さい言動をとってしまう。工藤を連れて実家に行くエピソードで小野いい奴だな!と思っていたのでこれにはがっかり。まあ焦るでしょうねとは思いつつも、こういうことされたらちょっと許せないかもなー。小野自身も自分が嫌な奴になっているというのはわかっているんだろうけど。

ナラタージュ (角川文庫)
島本 理生
角川書店
2008-02-01


真夜中の五分前 [DVD]
三浦春馬
アミューズソフト
2015-07-08




『夏の娘たち~ひめごと~』

 養父の容体悪化を知り、故郷の小さな町に戻ってきた看護師の直美(西山真来)。義弟・裕之(鎌田英幸)と直美はかつて男女の関係があった。義妹はそれを知ってか知らずか、「お兄ちゃんと直美ちゃんが結婚して家を継げばいいのに」と言いだす。そんな折、直美と裕之の幼馴染・義雄(松浦祐也)が町に戻ってくる。監督は堀禎一。
 ロケは全編上田市だそうだが、山間の町の、夏の空気感がとてもよかった。しっとりと若干重苦しいが、同時に瑞々しい。直美の実家の旅館として使われている建物(実際に旅館の建物で、出演者は撮影中宿泊していたそうだ)のひなびた、しかし趣のある雰囲気もよかった。昔の木造の旅館ならではの、アップダウンが大きい構造なのだが、2階の縁側や階段の多さが演出に活かされている。この建物でなかったら、本作の魅力は大分落ちるだろうなと思った。
 少人数の集団の間で、男女の組み合わせがいつのまにか変わっていく。狭い集団でのくっついたり離れたりというのが田舎っぽいというか、土着的な(偏見かもしれないが)感じだった。それに対して特になぜ・どうしてという説明がないあたりに、逆に説得力を感じる。流れでこちらとこちら、あちらとあちらというふうに近づいたり離れたりする。作中、ある人物が直美に対して、なぜ自分たちは別れたんだ、自分に悪い所があるなら直すから復縁したいと迫る。しかし、悪い所があったから別れたわけではないだろう(このシーンのある人物のセリフ、本当に「こういうこと言われても困るよな・・・」というもので、ちょっと直美に同情した)。直美は「運命じゃなかった」という言葉を別の場で漏らすのだが、それもまた正解というわけではなく、具体的には何だか当人にもわからないがそうなってしまった、というところではないか。私はそういう流れの方が自然だと思うが、それに納得できない人もいる。前出のある人物は、納得できずに極端な方法を選んでしまうのだ。
 どうということのない会話のシーンに不思議と魅力がある。父親のお通夜での、久しぶりに会った親戚や幼馴染とのやりとりの妙なテンションの上がり方とか、直美と女友達とが旅館(直美の実家)で酒盛りする様とか。こういう、現実で普通にやっているであろうことが、なんとなしな魅力をまとって撮られているというのが、映画っぽさというものかもしれないなと思った。

憐 Ren [DVD]
岡本玲
ポニーキャニオン
2009-01-21


妄想少女オタク系 [DVD]
木口亜矢
ポニーキャニオン
2008-04-16


『ナイスガイズ!』

 1976年のデトロイト。シングルファーザーの探偵マーチ(ライアン・ゴズリング)と腕っぷしの強い示談屋ヒーリー(ラッセル・クロウ)は、なりゆきでコンビを組み、失踪した少女アマンダを探すことになる。アマンダはポルノ映画の撮影に関わっていたらしいが、その映画の関係者である女優も監督も殺されていた。監督・脚本はシェーン・ブラック。
 予想以上に70年代感漂う作品で、ストーリー展開のユルさものたのた進行も70年代の探偵映画の雰囲気を狙ったのかな?ってくらい。どこか懐かしいのだ。そしてライアン・ゴスリングは70年代ファッションが異様に似合う。現代のファッションよりも似合っているんじゃないだろうか。本作、ゴズリングが痛さのあまりにキーキー言ったりえぐえぐ泣いたりあたふたしたりする、基本的にあまりかっこいいところがないゴズリング映画なのだが、今まで見た彼の演技の中では一番好きかもしれない。情けないが憎めない味わいがある。そしてラッセル・クロウはいつものラッセル・クロウ(殴る・唸る・暴れる)な感じだった。一見穏やかで常識人に見えるマーチが諸々だらしなくぼんくらで、一見暴力で全部解決する系のヒーリーは意外と常識人で頭も回るという凸凹感も楽しい。
 加えて、マーチの娘ホリーが聡明かつ心が優しい良い子で、清涼剤のようだった。本当は色々思う所あるけれど言わないという健気さにも泣ける。マーチは終始、彼女に支えられているのだ。ちょっと娘に寄りかかりすぎじゃないのと思わなくもないが、多分娘がいるから道を踏み外さなくて済んでる(それでも結構外してるけど・・・)タイプの人なんだろうな・・・。ホリーに対しては父親であるマーチはもちろん、強面のヒーリーも誠実にならざるを得ない。ホリーに「殺したの?」と問われるヒーリーの表情には何とも言えないものがあった。まあそう答えるしかないよ・・・。
 妙に脇道が多く、同じ場所をぐるぐる回っていくようなストーリー展開で、これ回転数もうちょっと減らせるんじゃないかな?とも思ったが、そこもまた味か。ユルいコメディとユルいサスペンスを足して2で割った感じで、肩の力を抜いて楽しく見られる。子供の頃、テレビで午後放送されていた映画の中の「大当たり」作品といった味わい。とは言え、能天気な話かと思っていたら(実際最初はかなり能天気だし)、意外と生臭い展開になってくる。デトロイトの現状を見ると、無常感を感じざるを得ない。
 ところで、マーチは借家とは言え結構いい家に住んでいる。元の家も近所なので、実はそこそこ稼いでるってことなのかな?それとも妻が稼いでたの?彼の探偵仕事は腕がいいとは考えにくいんだけど・・・。

『永い言い訳』

 津村啓というペンネームで執筆している人気作家の衣笠幸夫の元に、バス事故で妻・夏子(深津絵里)が亡くなったという知らせが入る。しかし知らせが入った時、幸夫は浮気中だった。夫婦の間に既に愛情はなく、幸夫は悲しみに暮れる夫を演じるだけだった。そんな幸夫の前に、同じバス事故で、夏子の友人であった妻を亡くした大宮(竹原ピストル)が現れる。2人の子供を抱える大宮は、妻を亡くした悲しみに耐えかねていた。幸夫は大宮家に通い、トラック運転手の大宮に代わって子供達と留守番をするようになる。監督・脚本・原作は西川美和。
 幸夫のいけ好かなさが、夏子にヘアカットをしてもらうシーン数分間で如何なく発揮されており、西川監督の演出の上手さと、人間のかっこ悪さに対する感覚の鋭さに唸る。こういう、自分の不備を引き受けられなくて言い訳ばかりする人っているよなー!というか自分がやっちゃうよなー!という大変居心地の悪い気分にさせられる。幸夫はルックスはいいし立ち居振る舞いにもあたりさわりがない、ぱっと見はちゃんとした社会人だが、実の所は利己的で自分がどう見られているのか気になってしょうがない(エゴサーチするシーンの検索ワードの組み合わせには笑ってしまった)。妻が死んで初めて、彼女が何を考えていたのか、というよりも彼女にも彼女の感情と人生があり、夫に向けた感情があったと気付く。しかし相手は既にいなくなっており、彼女の感情がどのようなものだったのかは、永遠にわからない。
 幸夫はなりゆきで大宮家の子供達の世話をするようになるが、マネージャーからは現実逃避だと指摘される。それももっともで、幸夫は妻の不在、妻に対するわからなさと向き合いたくないのだろう。しかし、現実逃避だった行動が、徐々に彼にとって本当に「現実」になっていく。他人に関心を向けなかった幸夫が、本気で子供達を案じ、可愛がるようになっていく。もちろん彼は子供達の家族ではないし、家族の代わりにもなれない。幸夫にとって人生を分かち合うはずだった家族は、既に失われている。その出遅れ感、取り返しのつかなさが、ずっとつきまとうのだ。
 もっとも、仲良く見える大宮父子の間にも、やはりわからなさはある。大宮は幸夫とは対称的に、不器用だが自分の思いをそのまま口に出すことに躊躇がない。洗練されてはいないし、時によっては「それはまずいんじゃ・・・」ということもあるが、時には幸夫の「言葉プロ」としての言葉よりも他人の心を打つ。しかし、大宮の長男にとって、それは気恥ずかしいことだ。息子は息子で母親の死を悲しんでいるのだが、その表出の仕方が大宮とは違うし、大宮にはそれがぴんとこない。家族にしろ何にしろ、誰かと共に生きることは素晴らしいことなのだろうが、同時に、関係性が続く限り相手をわかろうとし続けなければならない、相手へはたらき続けなければ維持できない厄介なものでもあるのだろう。幸夫と夏子は戸籍上の夫婦としては維持されていたが、もう相手をわかろうとすることはなくなっており、関係性としては終わっていたのかもしれない。
 本作のラスト、今までの西川監督作品と比べるとかなり優しい、人によっては温いと感じられるものだ。しかし、監督はそういう指摘を受けるであろうことは当然予測して、あえてこの締め方にしたのだろう。そういう選択を今回あえてした、という所がとても面白いなと思った。

『夏の黄昏』

カーソン・マッカラーズ著、加島祥造訳
最近、『結婚式のメンバー』として村上春樹による新訳が出た、マッカラーズの代表作。本著は1990年に福武文庫から出たバージョンになるが、ご厚意により読み比べることが出来た。作品の印象はそれほど変わらない。ただ、村上版の方がより乾いており、主人公であるフランキーと周囲の「ずれ」が際立っていたと思う。また、特にベレニスの言葉や彼女に関する表現は村上訳の方が生き生きとしている気がする。対して加島訳の本著は、夏のねばっこい暑さやけだるさ等、フランキーを取り巻く空気感がより感じられた。ただ、文章上には表れていないが、訳者解説で言及されている加島の本作に対する解釈は、ちょっと違うんじゃないかなと思った。加島は本作を、フランキーが大人になる一夏の物語としてとらえている。それは間違いではないのだが、本作は「一夏」ではなく、おそらくフランキーがこの先ずっと、大人になっても抱えていく如何ともし難さを描いているように思う。大人になっても住むところが変わっても、フランキーはフランキーでそれ以外になれない、というところに苦しさがあるのではないか。「(中略)あたしはどこまでいってもあたしでしかないし、あんたはどこまでいってもあんたでしかない。こういうこと今まで考えたことない?変だと思わなかった?」

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