3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ナイン・マンス』

 工場勤務の傍ら、農学を学んでいるユリ(モノリ・リリ)。工場の上司と恋に落ちるがユリには前パートナーとの間に幼い息子がいることを伏せていた。やがて上司にも子供の存在は知られるが、彼はそれを受け入れられず家族に知られることを恐れた。監督はメーサーロシュ・マールタ。1976年製作。
 メーサーロシュ・マールタ監督特集にて鑑賞。女性監督として初めてベルリン国際映画祭最高賞を受賞し、その後もカンヌ国際映画祭やシカゴ国際映画祭などで高く評価された監督だそうだ。なぜか日本では今まで劇場公開されておらず、今回初の特集上映となる。本作は1977年のカンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞、同年のベルリン国際映画祭でOCIC特別賞を受賞。1人の女性の生きる姿の生々しさが迫ってくる。つっけんどんと言ってもいいようなスタイルの作品なのだが強いインパクトを残す。
 何よりあの当時、自分自身の人生を生きようとする女性の在り方をパートナー男性の存在が阻害するということを、ここまで率直に描いた作品があったのかと唸った。ユリが直面する困難や不愉快さの数々は現代の女性のそれと何ら変わらない。私たちは40数年間いったい何をしてきたんだと愕然とするくらいだ。ユリ自身は結構堂々、ずけずけと生きている。彼女が自分で言うように自分の行いを恥じてはいない。恥じるのは恋人であり彼が所属する世間なのだ。彼は家の新築に情熱を注いでおり、ユリにもそこで一緒に暮らしてほしいと願う。ユリは工場で働くと同時に学校を卒業したいと考えるが、恋人は彼女に仕事も学校もやめてほしいという。自分が稼いでいるんだから働くなくてもいいじゃないかと。このくだり、現代でも全く珍しくないシチュエーションだろう。なかなかにげんなりした。ユリは「大黒柱は2人よ」と切り返すが、現代でもそういいたくなる女性は大勢いるだろう(そもそも、たとえ一方の稼ぎが少ない、ないしはなかったとしても「自分が稼いでいるんだから」という言い方は卑怯だろう)。
 この恋人男性が退屈な男すぎて、ユリがなぜ惚れているのか謎だった。彼がこだわるのは固定化された(物質としての家も含め)家、家族だ。自分の中の「家庭」という概念が強すぎて、ユリの生き方を受け入れられない。ユリにとっても彼の人生観は自分のやり方と相容れないものだ。それなのに2人が強く惹かれ合い続けるという所が不思議だった。恋愛とはそういうものなのかもしれないが、いくら何でも相性悪すぎる。

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幸福(しあわせ)(字幕版)
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『泣いたり笑ったり』

 イタリアの風光明媚な港町。この町に別荘を持つカステルヴェッキオ家と、カステルヴェッキオ家が持つコテージを借りたペターニャ家。同じ時期にバカンスに訪れるが、カステルヴェッキオ家の父親・トニ(ファブリッツィオ・ベンティボリオ)と、ペターニャ家の父親・カルロ(アレッサンドロ・ガスマン)が結婚すると言い出す。両家は大混乱に陥り、特にトニの二女・ペネロペ(ジャスミン・トリンカ)は大反対。何とか2人を別れさせようと画策するが。監督はシモーネ・ゴダノ。
 おおよそ予想通りのストーリーである種古典的な家族劇はあるのだが、家族間の微妙な関係やセクシャリティへの言及については割と配慮されている印象で、そこは現代の作品だなと思った。コンパクトにまとめてあるし緩急もちょうどよく、気持ちよく楽しく見られる作品だった。
 美術商で富裕層のトニと、漁師を生業とする労働者階級のカルロは文化的な背景が全く違い、共通項はなさそうに見える。2つの家庭の間に起こる大騒ぎは父親が同性と結婚しようとしていることが原因ではあるが、同時に2つの階級のギャップが原因でもある。結婚というものは異文化同士のすり合わせとはよく言ったもので、トニとカルロはこれまで相当すり合わせてきたのではないかと思える。とは言え、性格上カルロが譲歩することの方が多そうで、それが後々歪を生んでくるのだが…。結婚の障害になっているのは同性同士だからというよりも、文化背景の違いや家族同士の問題による所が大きいのだ。
 ペネロペはトニの結婚に大反対なのだが、それは彼女が父親から十分な愛情を受けてこなかったことも一因だと徐々にわかってくる。この見せ方がなかなかうまかった。彼女の異母姉は移り気な父親にさっさと見切りをつけているので、表面上は父親との関係は良好、お気に入りの娘としてふるまえる。ペネロペは良くも悪くも正直でそれができない。トニは子供たちのことを愛してはいるが、父親としての責任を引き受け切らなかった。トニが孫たちを放置してカルロたちが激怒するエピソードでもよくわかるのだが、保護者としてどうするべきかということがあまりぴんときていないままなのだ。親に不向きな人というのは絶対にいるし、たまたまそういう人の子供に生まれたら、ある程度諦めざるを得ないんだろうなというほろ苦さがある。対してカルロは絵に描いたようないい父親。ペネロペが求める父性は実の父親にはなくて、彼女が遠ざけたいカルロの方が持っているという所が皮肉だ。
 カルロがトニとの結婚を望むことに、カルロの息子は不愉快だと言う。それに対してカルロは「それはお前の問題だ」と返す。不愉快に思う側、なぜ不愉快に思うのかという心性が問題なのであって、同性婚をしようとする側の問題ではないということが明言される。はっきりこう言える時代になったんだなという感慨深さがあった。ただその一方で、トニが娘に結構なセクハラ発言(さすがに諫められるが)したりするのだが…。
 
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『ナイトメア・アリー』

 故郷を捨てた青年スタン(ブラッドリー・クーパー)はカーニバルの一座にやとわれ、読心術を学ぶ。生来の人を引き付ける才能を持ったスタンは一座でも頭角を示すようになり、やがて独立。カーニバルで出会ったモリー(ルーニー・マー)とコンビを組み、各地で読心術ショーを開催する人気興行師になる。しかし心理学者のリリス・リッター博士(ケイト・ブランシェット)と出会ったことで彼の運命は大きく狂い始める。原作はウィリアム・リンゼイ・グレシャムの同名小説。監督はギレルモ・デル・トロ。
 ビジュアルの作りこみはデル・トロ監督の本領発揮というところなのだろうが、特にカーニバルのうさん臭さやいかにも「作り物」な安っぽさ、だからこそ醸し出される魅力は好きな人は好きだろうなと思う。私個人の好みというわけではないのだが、ハリボテだからこその美しさがある。一方で出てくる富豪の屋敷やゴージャスなホテル等は殺風景だったり凡庸だったりするので、そっちはあんまり興味ないんだろうなぁ…。良くも悪くも監督が好きなものがよくわかる。
 前半のカーニバルのパートがかなり長く、少々緩慢すぎるのではと思ったが、このパートで見られる登場人物のセリフや行動が、後半の展開の伏線になっている。だらだら長いようでいて、結構かっちり構成されているのだ(それが面白いかどうかはさておき)。ラストも原作よりは因果応報の文脈が明確になっており、運命の逃れ難さが際立つ。それを自覚するかしないかという話なのだ。もっと早くに自覚していたら別ルートがあったかもしれないのに。
 クーパーはスタン役には年長すぎるのではと思っていたが(原作だと最初はまだまだ未熟な青年なので)、後半に焦点を当てたキャスティングなのだとわかる。クーパーは顔のいいモラハラ系クズを演じると抜群に上手い。モラハラ感と読心術ショーという相手をコントロールする見世物の特質との相性がよく、いいうさん臭さがあった。またスタンにとってキーとなる3人の女性のキャスティングは鉄板といってもいいだろう。魅力的だが鉄板すぎて少々面白みには欠けたかもしれない。ケイト・ブランシェットがああいう役をやったらそりゃあ素敵だが、多分こういう素敵さだろう、という枠からは出ないのだ。アイコン度の低いトニ・コレットの方が陰影が深かったように思う。

ナイトメア・アリー 悪夢小路 (海外文庫)
ウィリアム・リンゼイ・グレシャム
扶桑社
2020-09-25


ナイトメア・アリー (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ウィリアム リンゼイ グレシャム
早川書房
2022-01-26






『ナイル殺人事件』

 美貌の資産家リネット(ガグ・ギャドット)はサイモン(アーミー・ハマー)と結婚し、新婚旅行でエジプトを訪れる。しかしサイモンの元婚約者でリネットの親友でもあったジャクリーン(エマ・マッキー)が2人に付きまとい続けていた。そしてナイル河を行く豪華客船の中で、リネットが殺害される。バカンスで船に乗り合わせていた名探偵ポワロ(ケネス・ブラナー)は犯人捜しに乗り出すが、強い動機を持つジャクリーンには完ぺきなアリバイがあった。原作はアガサ・クリスティ。監督はケネス・ブラナー。
 何度も映像化されている原作小説だが、ブラナー監督による本作は、ポワロの過去エピソードを盛り込んだり、登場人物構成を一部変更したりと、オリジナルアレンジも目立つ。クリスティ原理主義者は異論があるかもしれないが、これはこれで楽しく見た。ブラナーにとっては、自身が演じているからということもあるかもしれないが、ポワロは名探偵という記号ではなく、背景のある一人の人間として描きたいのだろう。
 ポワロの過去が描かれる一方で、原作で大きなウェイトを占めていた愛憎関係、また「持つもの」に対する「持たざるもの」の羨望と鬱屈は薄味だ。原作だとポワロとジャクリーンの会話がその後の展開を示唆する重要なものになっているが、このあたりは映画では割愛されている。その代わりに、ポワロの過去の恋愛と、ジャクリーンとサイモン、リネットとサイモンの官能的なダンスシーンが本作における愛の象徴となっているということか。ダンスがかなり下世話なのは逆に興ざめだったが…。この時代設定でこのダンスはありなのか?というところも気になってしまった。セックスの暗喩がおおむねダサいのだが笑いどころなのだろうか。
 映像化として成功していると思ったのは、最初の事件が発生した後、ラウンジから人が移動するシーン。誰がどのように移動したのかという動線と船の構造がはっきりわかる。本作のようなミステリの場合、空間内の位置関係が重要になってくるが、そのあたりへの配慮が感じられた。またビジュアルの美しさという面でも船内は豪華で見ごたえがある。急に舞台劇のような画面構成になる外連味は好みがわかれるだろうが、本作に合っていたと思う。


ナイル殺人事件 [DVD]
マギー・スミス
KADOKAWA / 角川書店
2018-04-27






『ナインフォックスの覚醒』

ユーン・ハ・リー著、赤尾秀子訳
 星間大国「六連合」は、数学と暦に基づき、物理法則を超越する科学体形「歴法」を駆使し統治を広げていた。六連合の若き軍人チェリスは、不変氷と呼ばれる鉄壁のシールドを持つ巨大宇宙都市要塞の制圧を命じられる。ただ、この指令には史上最高の戦略家かつ反逆者として長らく幽閉されていたシュオス・ジュダオの意識をチェリスの体に宿すという条件があった。
 歴法、六連合等作品オリジナル用語が多数使われているスペースオペラなのだが、用語の意味がいちいち説明されるわけではないので、SF不慣れな人には結構推理力がいる。また意味を理解したとしても、これは何を意味しているんだっけ?と何度も振り返り確認する羽目に。ページが進まない!ネタバレになりかけるとしても、最初に巻末の用語集を読んでおけばよかった。戦闘シーンも悲惨なことはわかるが何がどう起きているのかいまいちぴんとこない…。
 物語の立て付け、設定としてはおそらくそれほど珍しいものではないのだろうが、食事のシーンで米と漬物、発酵食品系のものが頻繁に出てきたり(著者は韓国系アメリカ人)、僕扶と呼ばれる自律ドローンが様々な形(動物や小鳥の形のものもある)だったりと描写が楽しい。また、男性女性の性別は存在する世界だが、個人の特性の設定や描写が性別とあまり関係ない、性別入れ替えても成立するような作りになっているところは面白かった。六連合の世界がかなりかっちりした階級・組織分けされており、所属階層からの移動は難しそうなのとは対称的。なおチェリスの趣味は僕扶と一緒にTVドラマを見ること。ちょっとかわいい。

ナインフォックスの覚醒 (創元SF文庫)
ユーン・ハ・リー
東京創元社
2020-03-12


ウォーシップ・ガール (創元SF文庫)
ガレス・L・パウエル
東京創元社
2020-08-12


『名もなき生涯』

 第二次大戦下のオーストリア。国内の男性たちは次々と戦地に徴兵されていた。山間の村で妻子と暮らすフランツ(アウグスト・ディール)の元にも徴兵の知らせがくるが、ヒトラーへの忠誠を拒んだことで収監される。妻フランチスカ(バレリー・パフナー)は彼を手紙で励まし続けるが、彼女も村人たちから裏切り者の妻として村八分にされていた。監督はテレンス・マリック。
 フランツが兵役を拒む、というよりヒトラーへの忠誠を拒むことに対して、周囲は「そんなことで世界を変えられると思うのか」「誰も見ていないからそんな反抗しても意味がない」という。しかしフランツにとっては多分そういう問題ではないのだろう。誰かが見ているからとか、世の中に訴えたいとかではなく、自分がおかしいと思う、倫理に反すると思うからやらないのだ。フランツはクリスチャンなので、最初は信仰心による殺人の拒否という側面もあったろうが、神は自分たちなど見ていないのかもという絶望的な境地に至ってもなお、ヒトラーへの忠誠は拒否し続ける。自分の中に倫理や良心があると知っている以上、そこから目をそらすことはできない。世間の正義や宗教とはもはや別物なのかもしれない。しかし忖度だらけの現代に、彼の正しさは刺さる。そして彼を裏切り者扱いする「世間」の醜悪さもまた刺さるものだ。
 フランツがナチスから受ける取り調べや暴力はもちろん恐ろしく見ていて辛いのだが、それ以上に村人たちがフランツやフランチスカに向ける嫌がらせの方が怖い。戦地に行くのは祖国の為のはず、だから徴兵を拒否する人は臆病者だし裏切り者だというわけだ。その時の空気が作る大きな「正しさ」(に見えるもの)に対する疑いはなく(あるいは棚上げして)、その流れに疑問を持つ人の方が悪者扱いされてしまう。倫理がその時々の風向きによって変化することも、自分内の倫理や良心とじっくり向き合う、個であることが許されないことも恐ろしい。何より、自分もまた世間の側に加担してしまいそうなところが怖い。フランツのように自分の良心に誠実で居続けられる人はなかなかいないだろうから。
 映像はとても美しい。ロケーションがいい(すごくロケ大変だったと思う…)のはもちろんなのだが、自然光の差し込み方や陰影のコントラスト等、光と空気の質感まで伝わってきそう。一点気になったのは、言語の使い方。監督が英語圏の人だからだろうが、フランツやフランチスカの主要なセリフは英語。ただ、全編が英語というわけではなくドイツ語も(いわゆるモブの台詞などで)使われている。この使い分けルールがちょっと曖昧で、英語が特権的な言語のように見えてしまうのは問題があるのでは。全編ドイツ語でも構成上は問題ないと思うのだが。

聖杯たちの騎士(字幕版)
テリーサ・パーマー
2018-02-02



沈黙-サイレンス- [DVD]
リーアム・ニーソン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-08-02


『ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』

 著名なミステリ作家ハーラン・スロンビー(クリストファー・プラマー)が、85歳の誕生日パーティーの翌朝、遺体で発見された。警察は自殺と見るが、名探偵ブノワ・ブラン(ダニエル・クレイグ)は殺人の可能性を示唆し捜査を開始する。ハーランの子供や孫、家政婦、看護師ら、屋敷にいた全員が容疑者になるが、ハーランの莫大な資産をめぐり、人間関係のこじれが浮かび上がっていく。監督・脚本はライアン・ジョンソン。
 『BRICK』のライアン・ジョンソンが帰ってきたぞ~!NY郊外の屋敷を舞台にアガサ・クリスティー風のフーダニットを仕掛け、非常にひねりを加えたワトソン役を設定し、更に「南部」をにおわせ現代のアメリカが抱える病巣を示唆する。ある「型」を用いて別の「型」を展開するという遊び。パーツと大筋はベタだが各所でひねりが加えられている。やっぱりこういうのが好きだし得意なんだろうなぁ。ダサい邦題サブタイトルも本格ミステリという「型」と思えばまあ許せる。序盤で一回転半ひねってくるのでおおそうきたかと思ったが、その後の謎解きはむしろスタンダード。本格ミステリとしてはそんなに突拍子もないわけではない。クレイグ演じる探偵がある意味空洞的というか(別の意味で「ドーナツの穴」は出てくるけどそれとは関係ない)、背景を一切説明されない(アメリカ南部出身のフランス系か?と思いきやそれもかなり怪しい)所こそ、探偵は一つの装置であるという本格ミステリの醍醐味であるように思った(私は探偵にキャラ性はあまり求めないので)。
 ハーランの死を巡るあれこれは、ある人物の意図に基づくゲームでもある。他の人たちは皆ゲームの装置であり駒だ。ハーラン自身が大のゲーム・クイズ好きで作中でも頻繁に「ゲームに勝て」ということが言われる。しかし、ゲームに乗る必要が本当にあったのか。他人のゲームに乗らず、自分のルール=倫理を曲げなかった者が真の勝者になるのでは。まあハーランは自分のゲームをやめなかった為に死んでしまった面もなきにしもあらずだが…。
 クレイグが久しぶりに眉間にしわが寄っていない、すっとぼけた振る舞いで案外板についている。コメディももっと演じてほしいなと思った。またクリス・エヴァンズが噂通りキャプテン・アメリカとは真逆のゲス男を好演!近年珍しい、顔しかいいところがない男役だった。

BRICK‐ブリック‐ [DVD]
ジョセフ・ゴードン=レヴィット.エミリー・デ・レイヴィン.ノラ・ゼヘットナー.ルーカス・ハース.ノア・フレイス.マット・オリアリー
video maker(VC/DAS)(D)
2007-11-09




『ナポリの隣人』

 ナポリで暮らす元弁護士のロレンツォ(レナート・カルペンティエーリ)は、妻を亡くし一人暮らし。アラビア語の法廷通訳をしている娘エレナとは折り合いが悪い。母の死の原因はロレンツォの浮気にあるとエレナは考えていたのだ。ロレンツォは向かいに越してきたファビオとミケーラ夫婦、そして2人の子供と親しくなり、実の家族のような付き合いをしていくが。監督はジャンニ・アメリオ。
 ファビオはナポリには馴染めない、好きになれないと漏らすが、やはり独特の雰囲気、地元ルールみたいなものが強い町なのだろうか。ロレンツォは根っからのナポリっ子でナポリから出たことがないと豪語するくらいなので、好きな人はすごく好き、地元愛が強い土地柄なのかもしれない。ロレンツォが町中を散歩する場面がたびたび出てくるのだが、結構人が多くて、渋滞気味の車の間を歩行者や自転車がすりぬけていくようなにぎやかさだった。ざわついている感じがファビオは苦手だったのかな。
 ロレンツォは自分の家族は普通ではない、ファビオとミケーラ一家こそ普通だと言う。しかし、ファビオもミケーラもロレンツォが思っているような「普通」の人たちだったのだろうか。そもそも普通の家族とは何だろうか。ロレンツォの家族は不仲ではあるが、その不仲さこそ至って普通、ありふれた不調和とも言える。普通の家族とはロレンツォの頭の中にだけある理想の「普通」で、それをファビオたちに投影していただけなのではないだろうか。それは彼の幻想にすぎないのだが。元愛人の元を去った経緯も、急に訪問してくる経緯も自分本位だが、本人には自覚がない。自分では相手のことを考えて行動しているつもりなのだろうが、その「相手」は彼の頭の中にいる存在なのだ。
 ロレンツォは多分に思いこみが激しいというか、自分本位なものの見方をする。彼は子供はなぜ成長するんだ、大人になんてならなければいいのにと言う。彼は子供好きで子供を守らなくてはと思っている。逆に言うと、大人になると自分の力が及ばない存在になっていくから気に入らないのだろう。それは相手を一個人として尊重しているということにはならない。だからある人物に「別の愛し方を学ばなければ」と指摘されるのだ。

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ハピネット
2007-03-23






『劇場版 夏目友人帳 うつせみに結ぶ』

幼い頃から、他の人の目には見えない妖を見ることができた夏目貴志(神谷浩史)は、亡き祖母レイコが妖怪たちから名前を集めた「友人帳」を受け継ぎ、名前を返してほしいとやってくる妖怪にはその名を返していた。強い妖力の持ち主だったレイコは、妖怪と勝負をして負かした相手に契約書を書かせていたのだ。ある日夏目は10代の頃の祖母を知る津村容莉枝(島本須美)とその息子・椋雄(高良健吾)と知り合う。2人が住む町で妖怪の気配を感じた夏目は、自称用心棒の妖怪・ニャンコ先生(井上和彦)と調べに向かう。緑川ゆきの同名漫画をアニメ化したTVシリーズ作品の、オリジナル劇場版。総監督はTVシリーズ監督を務めた大森貴弘、監督は伊藤秀樹。
104分の劇場用作品だが、中身はいたって通常営業。妙な気負いや派手なイベントはなく、このシリーズらしい地味ながら丁寧なストーリーテリングと美術を見せている。シリーズのファンの期待はまず裏切らないのではと思う。下手に特別なことをやろうとせずに、きちんとウェルメイドに仕上げている。
本シリーズ、季節感の演出に毎回味わいがあってとても良い。舞台は田園風景広がる結構な田舎(モデルは熊本らしい)だが、本作では盛夏~秋の気配が感じられる頃までを描く。緑の濃さの変化や日差しの強さが、だんだん秋らしくなる様が気持ち良かった。随所で挿入される虫や鳥のショットもアクセントになっていて良い。
さすらい続け人の記憶に留まれない妖怪の寂しさが、人間の世界では異端視され一か所に留まれなかったレイコが感じていたかもしれない寂しさと呼応する。それは、かつての夏目が感じており、めぐりあわせによっては今も感じ続けることになったかもしれないものだ。本シリーズ、心温まるエピソードであってもいつもどこか寂しい。人間と妖怪は交流することはあっても、本質的に別の時間、別の理論で生きているのだと折に触れて感じさせるからだ。とは言え、常に何も残らないというわけではない。ささやかながら、異質なものと、あるいは異質なものとして生きることの希望が込められているように思う。


夏目友人帳 Blu-ray Disc BOX
神谷浩史
アニプレックス
2011-06-22


『泣き虫しょったんの奇跡』

 おとなしく特にやりたいこともない少年だった「しょったん」こと瀬川晶司(松田龍平)は、将棋の面白さに目覚め、プロ棋士をめざし奨励会に入会。しかし26歳までに四段昇格できなければ退会という規定のプレッシャーがのしかかり、年齢制限により退会に至る。棋士の道を諦めて、就職して働き始めるが、将棋への思いは捨てられず、再びプロ棋士を目指すべく立ち上がる。原作は瀬川晶司五段の自伝的小説。監督・脚本は豊田利晃。
 豊田監督作品の中では一番安定感があり、まっすぐど真ん中のストレートを投げてくるような作品。静かだが熱い。劇伴は控えめで、駒を置く音が効果的に響く。この音が意外と高く頭に刺さるような感触があり、緊張感を煽る。対局中、瀬川が追い詰められていくにしたがって、周囲の駒を置くパチパチという音や対局相手が扇子で仰ぐ音がどんどんノイズとして彼を責め、飽和状態になっていくように感じた。音の設計が上手いと思う。また、概ね静かなのだが、ここぞというところでじわじわと盛り上げていく、照井利幸によるギター主体の音楽もよかった。
 瀬川は才能はあると作中でも断言されているのだが、勝負弱い。将棋のことはわからなくても、この人はここぞと言う所で踏ん張れないんだなということが、周囲の言葉や反応から何となく伝わるのだ。「瀬川君が負ける相手じゃないよ」と負けた後に言われるのって結構きついんじゃないかな・・・。そして、瀬川の人柄の良さも、彼の言動というよりも周囲の言動から伝わる。彼のアパートに奨励会の仲間がたむろっているシーンは、彼らがくすぶっているにも関わらず、青春ぽさと多幸感を感じた。「負けた時は一人でいたくないでしょう」というのは意外な気もしたけど、そういうものなのかな。落ち込む瀬川を新藤(永山絢斗)がドライブに連れ出す、しかしドライブ先の風景がこれまたひどくわびしくて全然元気にならなそうというエピソードが、何だか胸に染みる。
 周囲の人に恵まれているということが、まわりまわって彼をプロ棋士への道に引き戻す。瀬川が人柄の良さで掴んだ運であり縁だとも言える。瀬川が奨励会を去る冬野(妻夫木聡)に、瀬川さんは(将棋の)指し方がきれいだ、人の良さが将棋に出ているがそれでは生き残れないと言うシーンがある。冬野は瀬川の人の良さは弱点だと考えたわけだし実際にそういう面もあるのだろうが、瀬川はそういうタイプの棋士にも活路があると証明したと言えるだろう。彼の過去から現在に至るまでの人との出会いが集約していくクライマックスは、ベタだなとわかっていてもやはり泣けた。
 主演の松田は得難い存在感がある。また脇役、モブに至るまで、役者が皆いい。今回、いつになく役者の顔にカメラが集中しているように見えた。少し出てくるだけの人も、はっとするような表情を見せる。役者の顔への信頼感が感じられた。そして松たかこが飛び道具的存在になっている。監督の私情が大分入っているのではないだろうか。「おうちの人に若くてきれいな先生だと言って」というくだりには、今時(作中では’80年代だけどそれにしても・・・)それはないわーと思ったけど。


ナイン・ソウルズ [DVD]
原田芳雄
ポニーキャニオン
2004-01-21


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