3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『T2 トレインスポッティング』

 20年前に仲間を裏切り退勤を持ち逃げしたレントン(ユアン・マクレガー)は、全てを失い故郷のスコットランドのエディンバラに返ってきた。シック・ボーイことサイモン(ジョニー・リー・ミラー)はさびれたパブを経営する傍ら、売春や恐喝で金を稼いでいる。スパッド(ユエン・ブレムナー)は薬物依存を断ち切ろうとするも家族に愛想を尽かされ自殺を図る。ベグビー(ロバート・カーライル)は刑務所に服役していたが脱獄し、レントンへの復讐に燃える。原作はアービン・ウェルシュの小説、監督は前作に引き続きダニー・ボイル。
 はー20年か!と思わずため息をついてしまう。前作『トレイン・スポッティング』は当然劇場に見に行ったし周囲ではTシャツやらポスターやらクリアファイルやらが大流行りしていたし、サウンドトラックは当然買った。まさか今になって続編見ることになるとは・・・。見ている自分たちは当然年を取っているわけだが、作中のレントンたちもきっちり20歳老いているし、ユアン・マクレガー以外はそもそもスクリーンで見るのが久しぶりすぎる!皆、年取ったな・・・。その姿を見るだけで感慨深くもありしんみりさもあり。
 加えて、20年後の彼らは相変わらずジャンキー(スパッドは脱ジャンキーを目指しているが)で特に成長しておらず、社会的に成功しているわけでもない。見ている自分もレントンを笑えないくらい成長していないし生活はきゅうきゅうなわけで、しょっぱさ倍増である。前作では「未来を選べ」というフレーズが多用されていた。今回もレントンがヴェロニカに当時こういうフレーズが流行ったんだ、みたいなことを教えるが、当時の「未来を選べ」と今の彼にとっての「未来を選べ」は全く意味あいが違うだろう。20年前は、まだ未来は選び取るものとして、希望を孕んだものとしてあった。40代になった今、未来の枠は狭まり、先はそこそこ見えている。自分が選べるであろう中に選びたい未来などないにもかかわらず、選ばざるを得ないという辛さがあるのだ。これから世界を牛耳っていくのは自分達ではなく、ヴェロニカら下の世代なんだということが、レントンやサイモンに突きつけられていく。何者にもなれずに取り残されていくのは辛いのだが、それでもまた明日をこなしていなかなくてはならない。ラストのレントンの行動には、何だか泣き笑いしそうになった。結局そこに戻っちゃったなぁ。
 唯一前進した、未来を少し掴んだと感じられるのはスパッドだろう。本作の良心のような存在になっているが、彼は「書く」ことで自分と過去を相対化できるようになった。そうすると、未来も見えやすくなってくるのかもしれない。

『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』

 南太平洋に氷山が流れてきたというニュースを知ったのび太(水田わさび)たちは、真夏の暑さから逃れる為にさっそく氷山にやってきた。ドラえもん(大原めぐみ)の秘密道具「氷細工ごて」を使って遊園地を作り遊んでいたところ、氷に閉じ込められた金色のリングを見つける。リングのまわり氷は10万年前の南極のものだった。10万年前に高度な文明が存在したのではと、一行は南極へ向かう。そこで見つけたのは氷の下に閉じ込められた巨大な遺跡だった。監督・脚本・演出は高橋敦史。劇場オリジナル作品となる。
 ドラえもんの「新」劇場版は旧作のリメイク、というよりもリブート作品だが、本作はオリジナル。しかし、富士子・F・不二雄テイストが案外強く(一番らしいなと思ったのは「ヒョーガヒョーガ星」というネーミングですね・・・)、何だか懐かしい気持ちになった。そうそう、子供の頃に見たドラえもんてこんな雰囲気だったよなぁと。SFマインドを忘れず、自然科学の知識を織り込み、遺跡での冒険はインディ・ジョーンズみたいでわくわくする。タイムトラベルに関する整合性を結構きっちり詰めて説明しようとしているので、小さいお子さんにはちょっと難しくなっちゃうかなというきらいはあったが、これをやってくれないとつまらないしな。また、映画ドラえもんには度々、この先もう会うことがなくても、友達はずっと友達だ、という要素が含まれているように思うが、本作も同様。そこに妙なウェットさとか悲壮感みたいなものはなく、フラットな感覚で「ずっと友達」としている感じが良かった。ラストシーンはぐっとくる。
 従来のドラえもんと異なる特色があるとしたら、本作ではのび太が結構賢い(笑)。あんまり慌てない(単にぼーっとしているだけかもしれないが)し、リーダーシップをそれなりに取ろうとしたりする。おおいつになく出来るのび太だ・・・と思ったけど、現代ではあまりにも出来ない子、というのは逆に共感しにくいのかもしれない。
 高橋監督は『青の祓魔師 劇場版』に続く長編監督作2作目ということだが、所々ちょっとはしょったな、雑だなと思う所はあったが(特にジャイアン、スネ夫、しずかのキャラクターがあまり活かされていない)コンパクトにまとめていてなかなかいい。『青の祓魔師』の時も思ったけど、ドラマ展開でバーンと見得を切るというよりも、ちょっとした部分の情感の細やかさ、可愛らしさに持ち味のある作風なように思った。私の好みでそういう部分に目がいってしまうだけかもしれないけど。また、食事シーンに時間を割いており、一緒に食べるご飯はおいしいね!的シチュエーションには持ち味を感じる。

『トリプルX 再起動』

 謎の集団がパンドラの箱と呼ばれる兵器を奪い、それを使って人工衛星を落下させた。元シークレットエージェントのザンダー・ケイジ(ヴィン・ディーゼル)は国家安全保障局に召集され、チーム「トリプルX」を結成しパンドラの箱奪還に挑む。監督はD・J・カルーソ。
 ストーリーを追う必要がない、というよりもそもそもストーリーをちゃんと見せる気がないんだろうなと思ってしまうくらい、アクションの見せ場でつないでいく作品。前作に登場した人のことはその都度説明してくれるので、初心者にもやさしい仕様だ。冒頭、電波塔からテレビへの流れからして、なぜスキー?!なぜスケボー?!と突っ込みつつも人間の運動自体が目に気持ち良くてとても楽しい。ザンダーがわざわざ危険を冒した理由も、じゃあしょうがないよね!と納得してしまう(冒頭で登場するゲストとの関連もあるのだろうが)。
 12年ぶりのシリーズ新作だそうで、なぜ今わざわざ?と思ったのだが、これはドニー・イェンがハリウッドで活躍するようになるのを待っていたからだよ!と言われれば納得せざるを得ない。ゲスト的な扱いなのかな?と思っていたが、ディーゼルとの2枚看板と言えるくらい、意外と活躍している。そしてアクションは速い!高い!強い!の3拍子で当然のごとく見応え抜群。そして高さ速さで言うとトニー・ジャーも投入されている(今回珍しくすごくチャラいキャラクターだった)。ディーゼルはさすがに動きがもったりしてきているので、早さ・高さがイェンとジャーによって補完されている感じだった。中国資本が入ったからしょうがなくなんじゃないの?と言う人もいそうだが、何であれ、様々な人種の人がチームになって挑むというのはやはり燃える。インド映画で大活躍しているディーピカー・パードゥコーンが凄腕として大活躍しており、こちらも魅力的。ルビー・ローズ演じるスナイパー・アデルとバディを組んだ銃撃戦は、予告編でも使われているが最高だった。
 ディーゼル主演ということでうっかりワイルドスピードシリーズと混同しそうになるのだが、本作の方がワイルドスピードよりもメンバーの人種、性別、セクシャリティがまちまちでカラフルだ。そのまちまちさが、特に前説明なく投入されていて、これが「普通」だよという振る舞いになっている。これからの大作アクション映画は、こういう方向になっていくんじゃないかな。一応、ディーゼルは見た目マッチョで女性にモテモテになったりするが、「お約束だから義務としてやった」的な取って付けた感がある。マッチョな肉体だけどあまり肉食系に見えないという不思議なことになっている。こういう「お約束」も、今後は減っていくのかもしれない。本作、異性間にはあまりイチャイチャ感がなく、むしろ同性間の方がイチャイチャしているんだよな・・・。

『特捜部Q Pからのメッセージ』

 未体験ゾーンの映画たち2017にて鑑賞。未解決事件を扱う特捜部Qに新たに依頼された案件は、海辺で見つかった瓶の中に「助けて」と書かれた手紙が封入されていたというもの。手紙は7~8年前に書かれ文字は劣化しており、唯一の手がかりは差出人の頭文字「P」だった。原作はユッシ・エーズラ・オールスンの同名小説。監督はハンス・ペテル・モランド。
 このシリーズは原作がどれも結構なボリュームなのだが、映画化作品は1作目も2作目も本当によくまとまっていて感心する。大体2時間以内で収まっているのだ。話の運び方の要領が的確でさくさく進むし、情報の整理が上手い。今回は1作目に通ずるような嫌なシチュエーション、嫌な話ではあるのだが、話の展開にスピード感があるのでストレスはそれほど感じなかった。なお、前作見ていなくても大丈夫だが、マークが前回の事件で精神的にボロボロであるという部分だけ踏まえておくといいかも。
 マーク(ニコライ・リー・コス)とアサド(ファレス・ファレス)の関係がまた一歩前進している。マークはアサドに対していまひとつ信頼感を示さないが、ちょっと心を開いてきている様子がわかる。今回は信仰が大きなファクターになっている。無神論者であるマークは、神の存在を信じるアサドを理解できないし、信心深い事件関係者の行動原理も理解できない。それでも、それはそれとして黙認しようという所までは譲歩するのだ。アサドが敬虔なクリスチャン(キリスト教系新興宗教なので厳密には違うのかもしれないが・・・)から自宅への入室を拒否されるシーンがあるのだが、アサドは何も言わないし、マークはむっとしつつ堪える。アサドにとっては理不尽な仕打ちだが、彼は他人の信仰、信条を極力尊重する。それが彼にとっての正しさであり、処世術であるのかもしれないと思った。
 とは言え、本作での事件のファクターである信仰、というよりも信仰への絶望感は理不尽で恐ろしい。理屈による説得は通じず、相手の行動原理もこちらの理解を越えている。元々信仰自体は邪悪なものではないはずなのだが、それが屈折したことで邪悪さを生み出してしまったという構図がやりきれない。
 今回はこれまでの特捜部Qによる単独捜査という側面よりも、警察組織で捜査しているという側面の方が前面に出ている。おお警察ものっぽい!とこれはこれでうれしくなる。半信半疑だった警官たちが、マークとアサドの熱意に感化されて必死になっていく様もいい。また、ローサの地味な活躍ぶりも生きている。彼女を若いアイドル的な女性キャラクターにはしていない所は正解(そもそも原作でもいわゆる「かわいい女性キャラ」ではないし)だろう。

『ドクター・ストレンジ』

 天才的な技術を持つ外科医師ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は交通事故で両手の神経を損傷し、医者としての道を閉ざされる。なんとかして手を治療しようと模索するストレンジは、下半身麻痺だった男性が地力で歩けるようになったという話を聞き、ネパールの僧院を目指す。そこで彼を導くエンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)は強大な力を持つ魔術師だった。ストレンジは修行に励み魔術の力を手に入れるが、闇の魔術の存在とそれを手にしようとする魔術師カエシリウス(マッツ・ミケルセン)の存在を知り、大いなる戦いに巻き込まれていく。監督はスコット・デリクソン。
 原作だとチベットのアジア系魔術師(男性)に師事するんだそうだが、ネパールに変更されている所に諸々の都合が垣間見えてしまう・・・。映画のエンシェント・ワンはケルト民族らしいが、なぜネパールに流れ着いたのか謎なので、彼女のこれまでの物語も(本作見た後はなおさら)見たくなってしまう。
 初めて3D・IMAXで鑑賞したのだが、これはよかった!作品の方向性と上映形式がぴったり合っていた。明らかに3D前提で作られた作品だと思うのだが、画質、音響共になるべくいい環境で見た方が楽しいと思う。劇場用プログラムとしては最適。自宅で見ても、あんまり楽しくないんじゃないかな。予告編の街が畳み込まれるシーンでも明らかだが、とにかく面白い、初めて見るような映像を!という意識がとても強く感じられた。
 逆に、キャラクター造形やストーリーは既視感のあるもので、さほどユニークではない。ただ、ストレンジはもちろんだがエンシェント・ワンにしろ悪役であるカエシリウスにしろ、善悪がそれほどはっきりしていない所は面白い。カエシリウスは恐ろしい敵ではあるのだが、邪悪さとはちょっと方向性が違うのだ。また、善の側であろうエンシェント・ワンも、目的の為ならダーティな手段も多少やむを得ないという、清濁併せのむ人物。併せ呑んだものがとんでもないので揉めに揉めるわけですが・・・。
 ストレンジは医者としては天才的、かつ魔術の才能も発揮するが性格は傲慢で、カンバーバッチのクセのある風貌も相まっておおよそ世界を救わなさそうなキャラクターだ。しかし傲慢ではあるものの、彼には医者として他人を救うことが自分の本分だという矜持がある。だから執拗に「ドクター」という呼称に拘る。彼が事故に遭った時、救うべき患者を選別していた(救わない患者を選んでいた)というのも象徴的だ。救うなら、全部だ!という境地に至ったのが本作のクライマックスでの奇策なのかもしれない。
 ドクター・ストレンジの能力はかなりチートなのだが、使用範囲や条件が今一つはっきりしない所が気になった。また、アベンジャーズに合流するらしいけど、アベンジャーズの面々とすごく反りが合わなさそう・・・。ストレンジ、能力以外は比較的一般人の感覚だもんね・・・。アントマンあたりとならまだ話が通じるかな・・・。

『ドラゴン×マッハ!』

 香港で臓器売買の闇取引を展開しているホン・マンコン(ルイス・クー)摘発の為、潜入捜査をしていた刑事チーキット(ウー・ジン)は、正体がばれ、タイの刑務所に収監されてしまう。刑務所の看守チャイ(トニー・ジャー)は、刑務所所長コー(マックス・チャン)に白血病の娘の治療費を援助してもらっていた。しかし刑務所が闇取引に関与していることに気付く。監督はソイ・チェン。
 原題は「SPL2」なので、SPLの続編なのだろうが、単品で見ても大丈夫な内容だと思う(私はSPL未見だが特に問題なかった)。邦題はカンフー×ムエタイ的な意図で付けたのだろうが、内容とあんまり合っていない(そんなにあっけらかんとした作風ではないので)と思う。SPLがよっぽど集客出来なかったってことかな・・・。とは言え、カンフー対ムエタイ、カンフー&ムエタイなのは本当だしアクションの見応えはすごい。早い!(ジャンプが)高い!強い!と唸りまくり。その滞空時間の長さは何なんだ!トニー・ジャーに関してはさすがに『マッハ!』ほどの超人振りではないのだが、それでも全然キレがいい。またさしの組みあいはもちろんなのだが、中盤の刑務所内での群衆大乱闘シーンがすばらしい。チーキットとチャイ、コーの動きを追いつつ、遠景で取っ組み合っている人たちの動きもちゃんと「アクション」として機能している。群衆の動きが単調でなく、画面の隅までちゃんと演出が行き届いている感じで、俯瞰していくような撮影もとてもよかった。
 香港での出来事とタイでの出来事を、徐々に時系列を合わせていくようなやり方で交互に見せていく。エピソードを盛りすぎぎゅうぎゅう詰め状態なので、ごちゃっとした印象は否めないが、大雑把なようでいて、妙な所できちんと伏線回収していくなという印象を受けた。前述の時系列の合わせ方も強引なんだけど、合わせようという意図は結構はっきり伝わってくる。また、チーキットが薬物依存症であるという設定の活かし方や、コーの「いいネクタイ」等、やらなくても支障はなさそうなところでちゃんとやってしまう妙な律義さを感じた。どちらもいい使い方だったと思うが。
 チーキットもチャイも、どんどん逃げ場のない方向に追いつめられていく。彼らはホンやコーから見たら負け犬なのだろうが、ズタボロになってもぎりぎりで踏みとどまる、自分にとって本当に大事なものは手放さないぞ!という気概に心打たれた。2人だけでなく、2人の直属の上司たちも意地を見せるところが清々しかった。また、チャイの娘の勇気と健気さにはやはり目頭熱くなる。 トニー・ジャーの父親としての演技がなかなか様になっているのも良。

『ドント・ブリーズ』

 ゴーストタウン化が進むデトロイト。妹を連れて街から逃げ出したいロッキー(ジェーン・レビ)は、恋人のマニー(ダニエル・ゾバット)と友人のアレックス(ディラン・ミネット)と組んで空き巣強盗を繰り返していた。ある老人が娘が事故死した際の多額の賠償金を隠し持っていると聞いた3人は、その老人宅に強盗に入る。老人は盲目なので、「目撃」もされないとたかを括っていた彼らを、予想外の恐怖が襲う。監督はフェデ・アルバレス。
ホラー映画は苦手なのだが、やたらと評判がいい作品なので見てみた。結果、確かに面白い!すごく面白い!見られないほど怖くはなかった(というより別のベクトルの嫌さの方が強いかな・・・)ので、ホラー苦手でも大丈夫。
 舞台はほぼ室内で動きが限られており登場人物も最小限で、とてもよく設計されているなと思う。一種の機能美みたいなものすら感じる。かちっとした理詰めの作りを好む監督なのだろうか。各種アイテムの用意の仕方、これがここにありますよーという見せ方が几帳面。わざわざ見せたものは全て伏線として回収していくので、ほんと生真面目と言えば生真面目な作風だと思う。
 予告編の通り、老人が目茶目茶強いというのが一つの怖さなわけだが、真の怖さはその先にある。そこを伏せたままにした予告編は結構良心的だった。ホラーの怖さの一つは対象が不可解である、理屈が通らないと言う所にあると思うが、本作でもそれが後半一気に加速していく。
 またホラー的な怖さというわけではないが、デトロイトの町の荒れ方、人のいなさがうすら寒い。モブを入れる製作費がなかったということなのかもしれないが、今のデトロイトは実際このくらい人気がないんだという共通認識があるってことでもあるのかな。若者3人の行動は浅はかに見える所もあるが、ろくな仕事もなく世間から取り残されているのだという背景が透けて見える。移動するには、強盗でもやって資本を手に入れるしかないのだ。一方、老人の方も若者たちとは別の意味で、社会からないがしろにされた存在だ。底辺同士が激突し食い合うという殺伐としたものがある。
殺伐と怖い作品ではあるのだが、映像の色合い、質感が予想外に美しい。特に光の使い方は効果的だと思った。物語の大半が暗い室内で展開されるので、差し込む光はより印象深い。

『トレジャー オトナタチの贈り物』

 ルーマニアのブカレスト。妻と幼い子供と暮らすコスティ(クジン・トマ)の元を、同じアパートに住むアドリアン(アドリアン・プカレスク)が訪ねてきた。失業中で住宅ローンが滞っており、このままだと家を失うので800ユーロ貸してほしいというのだ。一旦は断ったコスティだが、アドリアンは再度、曾祖父が共産党台頭前に庭に埋めた宝を探したいので出資してくれと頼みに来る。見つけた宝の半分を渡すと言われて、半信半疑ながらも協力することにしたコスティだが、いつのまにか宝探しに没頭し始める。監督・脚本はコルネリュ・ポルンボュ。
 もしかすると今年見た映画の中で、一番変、というか奇妙な味わいの作品かもしれない。一見至って地味で「日常」感あふれるように見えるのだが、登場人物同士の会話のどこか噛み合っていない奇妙さや、「宝探し」の大雑把さ(もうちょっと手がかり手に入れてから取り掛かれよ!と突っ込みたくなる)には、脱力させるおかしみがある。警察での一連の流れも、泥棒の振る舞いを含めてユーモラス。それぞれが特におもしろいことを言ったりやったりするわけではないのだが、日常としてやっていることが
 邦題にはなんとなくほのぼのとしたサブタイトルがついている。本作の雰囲気からするとこのサブタイトルはミスマッチな気がしたが、コスティが最後にやったことを見ると、あながち的外れでもない(映画のトーンと合っていないとは思うが)。コスティは宝さがしに夢中にはなるが、アドリアンほど金銭にがつがつしている感じではない。彼にとって一番大事なことを最優先すると、あのラストなのだろう。もっとも所詮あぶく銭だからということなのか微妙ではあるし、「彼ら」がまた争奪戦をやりそうではあるので、なんとなく不穏なのだが。
 エンドロールで流れる曲にやたらとインパクトがある。こういう曲をどこから見つけてくるんだろう・・・。ルーマニア奥が深いな。

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

 脚本家ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)は『恋愛手帖』で第13回アカデミー賞脚色賞にノミネートされ、売れっ子脚本家として活躍していた。しかし冷戦下に起きた赤狩りの標的の1人として起訴され、下院非米活動委員会への協力を拒否した為に投獄されてしまう。釈放されたが委員会から監視されているトランボは、偽名でB級映画の脚本を大量に生み出していく。そして友人の名前で執筆した『ローマの休日』がアカデミー賞にノミネートされた。監督はジェイ・ローチ。
 赤狩りが猛威を振るったのは1940年代後半から50年代だが、この時代のハリウッドを舞台にした小説や映画等を見ると、えっこんなことで共産主義者扱いなの?!とびっくりするような描写がしばしば出てくる。実際のところどの程度のものだったのかはわからないが、本作のエンドロール前のテロップを見る限りでは、相当数の人が(少なくとも当時のソ連が言うところの)共産主義とはさほど関係がなかったのではと思われる。何か気に食わない所があるからつきだしてやろう、あるいはちょっと風変わりな人は皆共産主義者扱いみたいな、ものすごくきつい同調圧力がはたらいていた、社会の空気が不寛容な方向に激しく傾いていたように見える。
  本作中で描かれるトランボの言動も、さして共産主義的ではないだろう。冒頭、スタジオの従業員の雇用条件について上司と言い合うシーンがあるが、その程度だ。娘に対する「共産主義者」の説明も、子供相手とはいえ大変牧歌的だ。むしろトランボはがっつり稼ぐ功利主義者でそこそこいい家に住んでいる(そのことを共産主義者の脚本家仲間に揶揄される)し、それを恥じたりもしない。もらえるものはもらっておく主義っぽいのだ。
 彼が「アカ」と呼ばれ仕事を奪われても屈しなかったのは、下院非米活動委員会の弾圧の理不尽さや、社会の不寛容さへの反感あってのことだろう。ただ、彼は特別正義漢というわけでもないのではないか。彼が反抗し続けた最大の理由は、「委員会に同調した脚本家たちよりも自分の方が面白い脚本を書けるのに、なぜ書かせないのか」ではないかと思う。偽名を使い、自宅にこもって書き続ける彼の戦いは家族や友人も巻き込んでいき、疲弊させていく。それでも彼が書くことをやめないのは、自分には才能があり、かつそれしかないからであり、書かずにはいられないからだろう。委員会への怒りや正義感よりもまず先に、書きたいという一心だったのではなないかと思う。才能(と多少の経済力)があるが故の傲慢さや、家族にも友人にもそれぞれの事情があるということに思い当たらない(というよりも忘れちゃうんだろうな・・・)あたりに、彼の脚本家としての業が見えた気がした。
 

『TOO YOUNG TO DIE 若くして死ぬ』

 冴えない男子高校生・大助(神木隆之介)は、修学旅行中のバス事故により死んでしまう。地獄に落ちた大助の前に、地獄専属ロックバンド「地獄図(ヘルズ)」のボーカル&ギターで地獄農業高校の軽音部顧問の鬼・キラーK(長瀬智也)が現れる。現世に転生する方法があると知った大助は、片思い中のクラスメイト・ひろ美(森川葵)に会いたい一心で、キラーKの厳しい指導に耐える。監督・脚本は宮藤官九郎。音楽は向井秀徳。
 クドカン監督映画の中ではベストなのではないか。全然予想していなかったが、音楽映画、バンド映画としていい!長瀬は本職だからもちろん上手いのだが、地獄図のメンバーを演じる桐谷健太と清野菜名は相当練習したのか、演奏姿が様になっているし、演奏は吹替えかと思っていたら、ちゃんと自分達で演奏している。また、地獄のギタリスト鬼たちがやたらと豪華な面子で驚いた。ものすごくバカバカしいシチュエーションなんだが、演奏が本気なのでつい見入ってしまう。
 大助の薄っぺらさといい、あっという間に地獄に落ちる冒頭の展開といい、地獄の情景のウソ臭さ(あえて書割風の美術にしてある)といい、転生したい理由と転生したシチュエーションのしょうもなさといい、基本バカバカしくコメディなのだが、どこかほろ苦い。大助はひろ美に会いたい一心で転生にこぎつけるが、人間に転生できるわけではない。更に、地獄と現世では時間の流れが異なり、ひろ美はどんどん年をとっていく。それでもとにかく会えば彼女の気持ちがわかるだろうと思い込んでいる大助は、大分頭悪そう(実際頭は良くない)なのだが、あまりにブレないので段々清々しく見えてくる。一方、キラーKもまた、とある事情で現生に未練がある。大助はキラーKの心残りを解消しようと奮闘するが、何度やってもうまくいかない。起きてしまったことは変えられず、人生をやり直せるわけではないのだ。
 大助の未練もキラーKの未練も、おそらくタイミングが少し違えば、2人がもう少し思い切りがよければ、生じなかったかもしれないものだ。そういう未練、後悔は生きている限り(2人は死んでるんだけど)なくなることがないんだよなと何だかしみじみしてしまった。しかし、その未練に大助が何度もくいついていく様が、妙に青春映画っぽい。死んでからようやく華々しい青春が始まるみたいな、奇妙な青春映画だと思う。

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