3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ディリリとパリの時間旅行』

 ベル・エポック期のパリ。ニューカレドニアからやってきた少女ディリリ(プリュネル・シャルル=アンブロン)は配達人の少年オレル(エンゾ・ラツィト)と共に、パリで起きている少女誘拐事件に挑む。監督・脚本はミッシェル・オスロ。
 アニメーションの魅力は動き、動き方をどのように表現するかという点にあると私は思っているが、本作は決して「動き」のアニメーションではない。ではアニメーション固有の魅力がないのかというとそんなことはなく、アニメーションならではの魅力がふんだんにある。動きで魅せる活劇としてのアニメーションとは発想の起点がちょっと違っており、そこが面白い。リアルなパリの風景を、きり絵のように単純化されたアニメーションの人物が駆け抜けるというコントラストの妙がある。キャラクターの動き自体にはそれほど面白みはないのだが、画面全体がひとつの絵としての美しい。当時のパリの風景を様々な角度から見せる、観光映画のようでもあった。ディリリとオレルは三輪車でパリを駆け抜け、とても爽快なのだが、他にも馬車、ボート、飛行船等乗り物が次々と登場する。乗り物によって目線の高さや移動ルートが違うので、風景にバリエーションがあって楽しい。衣装の色合いのビビッドさも美しかった。
 パリの風景だけではなく、学者や芸術家等、歴史上の人物たちが次々と登場する。有名な絵画作品に描かれた風景がそのまま再現されていたりもする。ムーラン・ルージュで画家ロートレックと出会う時には、舞台の上も客席でも、彼の作品に登場した人たちがその姿で現れるので嬉しくなった。ロートレック本人もディリリと一緒に三輪車に乗る姿がきゅーとなのだが、ドガに作品を褒められて喜ぶ姿もまた微笑ましかった。
 ディリリ達の敵は明確に性差別主義者たちだ、女の子も自由に学び生きる権利があるということをディリリが体現しており彼らにNOを突き付けるわけだが、いまだにこれを言わないとならない世の中だというのが何とも辛い(作品の舞台は19世紀だたそのメッセージは現代の私たちに向けられているわけだから)。一方、本作の冒頭で、ディリリは「未開の民族」として、アトラクションの一部になっている。パリ万博では実際に様々な地域の先住民を見世物として「展示」(展示の中に現地の住居を再現し生活させ、来場客に見せる)していたそうだが、これは彼らを「未開人」として見世物扱いしている、同等の人間としては扱っていないということになるだろう。先住民とフランス人の間に生まれたディリリは、宣教師によりヨーロッパの教育を受け「文明化」されたというわけになる。確かにディリリの世界は教育により広がったわけで、宣教師としては彼女を「野蛮から救い出した」という意識があるのだろう。とはいえ、彼女のバックボーンはヨーロッパ側からは無視されたままなのでは。そこにある差別には本作は言及していない点にはひっかかった。

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2007-12-19





世界を変えた100人の女の子の物語
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河出書房新社
2018-03-24

『鉄道運転士の花束』

 鉄道運転士のイリヤ(ラザル・リストフスキー)は列車の運行中、線路を歩いていた少年をひき殺しかける。その少年は自殺したいから構わないのだと言う。そして10数年後、イリヤの養子となったその少年シーマ(ペータル・コラッチ)は自分も定年間近のイリヤの跡を継ぎ鉄道運転士になりたいと考える。しかしイリヤは猛反対。事故で人を殺してしまうことは避けられない、その重みをシーマに負わせたくないのだ。反対を押し切りシーマは鉄道運転士になるが。監督・脚本はミロシュ・ラドビッチ。
 イリヤは鉄道事故で累積28人を殺しており、その中には最愛の女性も含まれていた。自分のような苦しみを子供には味わせたくないというと良い話みたいだけど、「人をひいたら一人前」「一人ひいたら気が楽になる」等イリヤも運転士仲間もぽんぽん言うので信用できない。無事故無違反ありきではなく、事故も違反もあることが前提なのだ。日本だったら不謹慎!と怒られそうなセリフだ。
 早く人をひいて楽になりたい!と訴えるシーマ(その訴えもどうなんだと思うが)に対するイリヤの行動は、予想は出来るが結構極端。子供への愛情の示し方がちょっといびつだし、良くも悪くも融通がきかない。イリヤはシーマが自分を愛しすぎないように、自分もシーマを愛しすぎないようにずっと気をつけているように見えた。その試みは結局のところ失敗していることがわかってくるが、イリヤの愛は屈折しているのだ。その屈折を補うのが、同僚夫婦。ストレートな愛情をシーマに示す姿は心温まるし、とてもいい「近所のおじさんとおばさん」という感じ。おばさんが作るズッキーニの肉詰め、イリヤ達には不人気なのだが食べてみたくなった。
 一見牧歌的でハートウォーミングな印象だが、かなりブラックユーモアが強い。題名の「花束」の意味だって、えっそっち?!という方向でまずは見せてくる。運転士たちが引き殺した人数を出し合うのといい、この人をひくのはまずいけどあいつならOKという差別化も、あっけらかんと黒い。
 イリヤの自宅が列車車庫の中にあったり、同僚夫婦やカウンセラーの自宅は車輛を改装したものだったりと、舞台がとても楽しい。特にカウンセラー女性の自宅は、一面が本棚になっていてアンティークっぽい内装で素敵だった。車輛に住むというシチュエーション、子供の頃に大分憧れたので、映画の中で見られて嬉しいしうらやましくなってしまった。

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キングレコード

『田園の守り人たち』


 1915年、第一次世界大戦中のフランスの田園。未亡人オルタンス(ナタリー・バイ)は、長女で夫が出征中のソランジュ(ローラ・スメット)と農園を取り仕切っていた。人手不足の中、身寄りのない若い娘フランシーヌ(イリス・ブリー)を雇うが、彼女は働き者で家族同然になっていく。ある日、前線から二男ジョルジュが一時休暇で帰ってくる。ジョルジュとフランシーヌは惹かれあっていくが。監督はグザヴィエ・ボーヴォワ。  音楽が何だかいいなと思っていたらミシェル・ルグランだった。最晩年の仕事ということになるのか。全般的には控えめな音楽の使い方なのだが、エピソードの節目節目で印象に残る。また、四季を通して描かれるフランスの田舎の風景が美しい。ジョルジュが農場の周りの森に拘るのもわかる。  女性ばかりの農園が舞台ということで、大地母神神話的に母性賛歌みたいな方向だとちょっと困るなと思っていたら、あまりそういう側面は感じられずほっとした。農園のあり方はむしろ、経営、経済活動という側面が目についた。男性は出征していて働いているのは女性と老人ばかりなのだが、耕運機など農耕器具が改良され(作中描かれているのは3,4年程度なのだが、その中でも結構進化している)、生産量が上がっていると言及されるシーンがある。技術が発展すると労働力としての男性のアドバンテージはそれほど高くなくなっていくのだ。ソランジュが帰郷した夫に得意げな顔で農耕器具を見せるシーンが印象に残った(夫が君すごいな!的リアクションなのもいい)。農場主であるオルタンスの個性は、母性よりもむしろ経営者、事業者としての有能さに象徴されている。  とはいえ、オルタンスは経営者であると同時に娘、息子たちの母親であることは間違いない。彼女の「母」としての側面が強く出るのは、特に息子に対してだ。それまで冷静でフェアだった人が、息子の為には急にひとりよがりで卑怯なことをしてしまう。母親の業みたいなものなのかもしれないが、息子に対する執着が見え隠れしてちょっと怖かった。  女性たちの強さ、有能さが印象に残るが、女性故に我慢しなくてはならない側面は依然としてある。「女」として扱われる不愉快さが、主にアメリカ兵相手に漂う。あるシーンで、ジョルジュはフランシーヌが立場上そうせざるを得ないということが多分わからないのだろう。その時彼もフランシーヌが感じる不愉快さに加担していることになるのだが、その自覚もないのだろう。オルタンスはそれがわかっていて、やはり加担してしまうというのが辛い。



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紀伊國屋書店
2011-10-29



『天気の子』

 16歳の帆高(醍醐虎汰朗)は、離島から家出し東京にやってくるが、すぐに資金が尽き仕事もみつからず途方に暮れていた。船で出会ったライターの須賀(小栗旬)を頼り、彼の事務所で住み込みのアシスタントを始める。ある日であった少女・天野陽菜(森七菜)は「100%の晴れ女」だった。2人は晴れを届ける商売を始めるが。監督・脚本は新海誠。
 プロデュース川村元気、キャラクターデザイン田中将賀、音楽RADWIMPSという『君の名は。』の布陣を引き継いだ布陣。まさかのメガヒット作の次にどんな作品を作るのかと思っていたら、基本毎回同じネタというかブレがないというか。もう自分はこのネタ一本でいきます!という開き直りを感じた。好き嫌いは別として、この度胸と作家性はやっぱり強みなんだろうなぁ・・・。10代少年のメンタルを維持し続けるというのが、
 天候の描写は本当に美しく見応えがあるのだが、本作を好き、面白いと思えるかというとちょっと微妙だった。今に始まったことではないのだが、「特殊能力ゆえに悲劇から逃れられない少女を僕が助けたい」という新海誠監督作に頻繁に出てくる願望がモロに表出しており、いまだにこれなのかと辟易した。それが作家性というものなんだろうけど、延々とやるのか…。少女に色々なものを仮託しすぎだし、主人公の少年は何も出来ないのに彼女に全面的に受け入れられすぎで、まあ都合がいい話だよなという面は否めない。ラストを、「特別な少女」を犠牲にしがちなオタクコンテンツへのアンチテーゼと見る向きもあるようだが、どちらかというと世界に対して何か決定的な影響力を持ちたい!という少年の独りよがりな願望に見えてしまった。そもそも、なぜいつも特殊能力を持ち負荷をかけられるのが「少女」という設定にするんだという話だからな・・・。自分に何もないから少女に託すんだろうけど、もうちょっと何か引き受けようよと思ってしまう。
 帆高にしろ陽菜にしろ、大人への不信感、大人のサポートを拒否する感じは何なんだろうなと不思議だった。少年少女が身を寄せ合う状況にしたいというストーリーの建てつけ上の都合とはいえ、彼らの行動原理の説明がないので不自然に感じた。ぱっと見楽しそうでもすぐに破綻しそうな生活で、ボーイミーツガール以前に大人が保護しろよと思ってしまった。本来なら、帆高と「ちょっと(不完全な)大人」である須賀たちとの生活のエピソードの方が、帆高の成長過程では重要なんじゃないかと思うんだけど・・・。女子とまともに関わるのはそのあとでいい。

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2017-07-26





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『天国でまた会おう』

 第一次世界大戦の終結目前。ドイツ軍との停戦が成立するかに見えたが、“戦争好き”なフランス軍のプラデル中尉(ローラン・ラフィット)は理不尽な攻撃命令を下す。戦場でフランス軍兵士のアルベール・マイヤール(アルベール・デュポンテル)は、若い兵士エドゥアール・ペリクール(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)に助けられる。アルベールを助けたことで、エドゥアールは顔の下半分に重症を負う。エドゥーアールは名門銀行家の息子だったが家族とは絶縁状態で、自分は死んだことにしてくれとアルベールに頼み込み、断りきれないアルベールは戦後も彼を引き取り同居するようになった。エドゥアールには絵の才能があり、その才能を活かした詐欺計画を思いつく。原作はピエール・ルメートルの同名小説。監督はアルベール・デュポンテル。
 原作は結構なボリュームなのだが、ダイジェスト感強いとは言え意外と忠実に映像化されている。時代劇としての美術の面白さやエドゥアールが自作する仮面の美しさ等、ビジュアル面に魅力がある。俳優も皆ハマっており良かった。ビスカヤートは物語中盤以降、ほぼ顔を隠して出演しているが、体の動きのしなやかさや、目の表情の豊かさに魅力がある。多分、目でどれだけ演技が出来るかという部分で役が決まったのではないかなと思う。
 アルベールとエドゥアールは、彼らにとっての戦後を生きているわけだが、彼らの人生から戦争の影が消えることはない。エドゥアールの顔には修復しようのない傷が残っているし、アルベールは元の仕事(銀行の簿記係)に戻れず給料の安い半端仕事を転々としている。何より同じ兵士として戦地に赴いた若者たちが無残に死ぬ様を見てしまっている。そして、彼らを戦地に送り込んだ政治家や指揮する上官たち、そして戦争で儲ける資本家たちは安泰なままだ。エドゥアールが思いつきアルベールを巻き込んでいく詐欺計画は、自分たちの運命を翻弄した戦争そのもの、そして戦争で儲けた、自分たちを食い物にした者たちへの復讐だ。そして、自分たちの正当な分け前を取り返すという意味合いもあるのだろう。ピカレスクロマンであると同時に、広義の戦争映画なのだ。社会的な「終戦」が訪れても個人の中の戦争は終わらないということに、最後の最後まで言及されている。
 更にエドゥアールにとっては、絵にかいたような資本家であり自分とは相いれなかった父親への意趣返しでもある。映画では、エドゥアールと父親との関係が原作小説よりもクロースアップされており、この部分はよりエモーショナルだった。関係がいくばくか修復されることと、取り返しのつかなさが一体となっており切ない。エドゥアールがあの瞬間の為に生きていたように見えてしまうのは、ちょっと感傷的すぎないかとは思うが。

天国でまた会おう(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ピエール ルメートル
早川書房
2015-10-16


天国でまた会おう(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ピエール ルメートル
早川書房
2015-10-16


『天才作家の妻 40年目の真実』

 現代文学の巨匠と称されるジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)がノーベル文学賞を受賞することになった。妻ジョーン(グレン・クローズ)は共に喜び、息子のデビッド(マックス・アイアンズ)を伴い授賞式が行われるストックホルムへ赴く。しかしライターのナサニエル(クリスチャン・スレイター)がジョゼフの作品はジョーンの手によるものではないかと疑問をぶつけてくる。監督はビョルン・ルンゲ。
 クローズは本作で第91回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされているが、それも納得。微笑だけでいくつもの感情、シチュエーションを感じ取らせる名演技だったと思う。人懐こいがちょいちょいクソ野郎感を醸し出すプライスの演技も的確。ストーリーやビジュアルはそんなに凝ったものではないので、俳優の演技を見る映画としてのウェイトが高いのは否めない。とは言え、やはりクローズの力で面白く仕上がっている。スレーターを映画で見るのも久しぶりなので嬉しかった。本作のナサニエルような、饒舌さが鼻につくがどこかチャーミングな役が似合う。
 冒頭、ベッドでのくだりで、ジョゼフはちょっと(いや大分、だろうか)無神経なのでは?と気になった。隣で寝ている人がいるのにわざわざベッドで夜食食べる?その後ジョーンとセックスする流れも、冗談交じりとは言え自分の欲求優先で(ジョーンの睡眠欲はどうなる)いい気がしない。、見ていくうちにその気になり度合いがどんどん高まっていく。彼は基本的に好人物でジョーンのことを愛しているのはわかる。ただ、ジョーン(に限らず家族や他の人が)何を考えているのか、自分の言動が何を意味することになるのかに無頓着で、それが無神経さに感じられるのだ。言葉を扱う職業なのに、相手にかける言葉の選び方は軽率だ。特に息子に対してはもうちょっと言いようがあると思うのに・・・。
 対してジョーンは常にそつなく感じが良い。正に「内助の功」的妻として振舞う。が、それが彼女の本意というわけではないこともそこかしこで感じられる。女性は結婚すると〇〇の妻、〇〇の母という呼ばれ方になってしまう。黙っているからと言ってそれらに納得しているというわけではないのだ。ジョゼフの言動はジョーンのその納得していなさを全く理解していないものだと思う。ジョーンが重要な話をしようとするたびに何かしらの出来事が起き話の腰を折られるのだが、この夫婦はずっと、こういう感じでやり過ごしてきたんじゃないかと思った。
 ジョーンとジョセフが何をやったのかはあっさりと明かされてしまうので、ドラマとしては少々物足りない。しかし、最期にジョーンが見せる微笑みは、最大のイベントはこれから、本作で語られたことの後に起こるんだろうなと思わせるものだ。

天才作家の妻 40年目の真実 (ハーパーBOOKS)
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セールスマン [Blu-ray]
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『テルマ』

 信仰心深く抑圧的な両親の元で育ったテルマ(エイリ・ハーボー)は、オスロの大学に進学し、一人暮らしを始める。同級生のアンニャに心惹かれていくが、不可解な発作に襲われるようになった。発作の度にテルマの周囲で奇妙な出来事が起きる。そしてある時アンニャが姿を消してしまう。監督・脚本はヨアキム・トリアー。
 奇異な力を持った少女を主人公にしたホラーサスペンスという触れ込みだったが、あまりホラーっぽい印象は受けなかった。確かにホラー的な現象は起きるし、冷ややかな映像は何かが起こりそうという嫌な予兆には満ちているのだが、怖さ・怖がらせが主眼ではないからか。テルマの成長・変容の話でもあり、すごく極端だが親離れ子離れの話でもある。親からするとこんな離れ方は相当しんどいとは思うが・・・。親子であっても全くの他人であることを強烈に突きつけてくる。
 テルマは自分の身に何が起きているのか、記憶の失われた過去に何があったのか知ろうとする。両親は彼女にそれを知らせない為、彼女を事実に近づけない為に信仰を植え付け厳しく育てたのだろう。序盤では少々過干渉では?と思えるのだが、そうするだけの理由があり、彼らは彼らなりに娘のことを心配していることも徐々にわかってくる。しかし、その信仰や抑圧が、却って彼女を事実に近づけてしまうのが皮肉だ。抑圧が強いからこそ彼女の葛藤は大きくなり、強い葛藤は彼女の中のある部分を目覚めさせてしまう。
 テルマが個人として独り立ちしようとする(彼女に自覚はないだろうが)、家族以外の世界を広げようとするほど、両親との軋轢は強まり、更に彼女と「この世」の軋轢も強まっていく。彼女のような存在はこの世界では人を傷つけるだけなのか、いない方がいいのか。テルマの選ぶ道が鮮やか(と言っていいものか)だ。自分が生きたい世界で生きたいなら、なぜそれを選んではいけないのか?
 なおテルマが一人暮らししている部屋は学生寮らしいのだが、結構広くてびっくりした。ちゃんとベッドルームとダイニングが分かれているっぽい。環境良いなぁ・・・。テルマが女性であることを強調しない、そこに寄った話にしていないところが良かった。

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『デス・ウィッシュ』

 シカゴで働く外科医のポール・カーシー(ブルース・ウィリス)。ある日妻ルーシー(エリザベス・シュー)と娘ジョーダン(カミラ・モローネ)が自宅で何者かに襲われ、ルーシーは死亡、ジョーダンは昏睡状態に陥る。警察の捜査が進まないことに怒りを抑えられないポールは、自らの手での復讐を決意する。監督はイーライ・ロス。
 チャールズ・ブロンソン主演『狼よさらば』(1974)のリメイクだそうだが、元作品は未見。ブロンソン主演だとかなり男臭い、マッチョな感じなのかな?おそらく本作は、元作品よりもマッチョさは控えめなのではないかと思う。死刑実行人という設定からすると意外なくらい、ポールは(表面上は)穏健派として振舞う。因縁つけて絡まれても言い返したり暴力に訴えたりしないし、しつこいナンパに困っている女性を助けて逆にボコボコにされたりする。この手の映画の主人公としては珍しく、自宅に銃も置いていないし使い方も知らない。若い頃は喧嘩っ早かったという話は出てくるが、その程度だ。あまり「男としての面子」に拘る描写がない。復讐の動機を、愛する物を奪われた怒りと悲しみ、正義感という方向により強めに振っているあたりが、現代に寄せているなと感じた。
 ストーリーは非常に典型的で特に新鮮というわけではないのだが、ポールの真面目さ・勤勉さには妙な面白さがある。銃の扱いにド素人だが、ネットで動画を見まくって学習し、練習にも余念がない。学習意欲がすごく高くてどんどん上達していく様、復讐の要領が段階的に良くなっていく様は、ちょっとコメディぽくもあった。そして銃を使った復讐よりも、外科医の知識を動員した復讐方法の方がより怖い!流石プロ。
 あまり気合を入れず、空いた時間にぼーっと見るにはちょうど良かった。オールドタイプな建て付けなのだが、ちょっとしたキャラクター造形や演出で「今」の作品になるように工夫されていると思う。

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『デッドプール2』

 最愛のパートナー・ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)を取り戻し順風満帆だったデッドプールことウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)。彼の前に、1人の少年を殺す為に未来から来たサイボーグ、ケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れる。ヴァネッサと「良い人間になる」と約束していたデッドプールは特殊能力を持った仲間を集めて「Xフォース」を結成、少年を守ろうとするが。監督はデビッド・リーチ。
 Xメンやアベンジャーズのアメコミ映画のみならず、往年の名作から最近の珍作に至るまで、映画全般に関するネタが増量されている。OP部分はビジュアルも音楽の傾向も007オマージュなんだろうなぁ。本作を見ている人ならこのネタがわかる率が高いだろう!という観客に対する信頼(つまりサメがあれこれする映画とかお前ら好きなんだろ?って思われているということですが・・・)に基づき作られているように思う。もっとも、普段映画見ていない人でも十分楽しめるであろう作りで、そのあたりは堂々たる娯楽映画。
 過激なギャグが多いと言われる本シリーズだが、私はむしろ見ていて安心感があった。デッドプールは人殺しだしやっていることは非道ではあるのだが、どの分野の人に対しても基本的にフェアで属性による差別をしない。ここを押さえているので、下品なことをやっていても作品としてはあまり下品には感じられず、むしろすごく真面目に思える。特に女性の扱いがフラット(ヴァネッサとあれだけファックしている前作ですらも)なので、不愉快な要素が少ない。ここまでPCに配慮するヒーローはなかなかいないのでは・・・。もはやPCをギャグとして使う域だからなぁ。
 今回、タイムマシンが登場するので、これは歴史改変になってしまわない?そのあたりすごくざっくりそうだったけど大丈夫?と気になっていたのだが、やはり結構ざっくりとしている。とは言えデッドプールのキャラクターで何となく乗り切っている。デップーのキャラをここまで作り上げたレイノルズは本当にえらいよ・・・。とは言えどんなにタイムマシン使ってもあの黒歴史のことは忘れないよ!なかったことにしないで!

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『デトロイト』

 1967年の夏、ミシガン州デトロイトでは社会に対する黒人たちの不満が噴出し、暴動が起きていた。暴動が起きてから3日目の夜、アルジェ・モーテルの一室で銃声が響いた。デトロイト市警、ミシガン州警察、ミシガン陸軍州兵らがモーテルに押し入り、ピストルの捜索・押収の為に黒人宿泊客らを拘束する。デトロイト市警の白人警官たちによる強制訊問は一線を越えていく。監督はキャスリン・ビグロー。
 アメリカ史上最大の暴動と言われるデトロイト暴動の最中のある一夜を、当事者への取材を元に描いた作品で、当時の報道映像なども挿入されている。ビグロー監督作の中では一番編集がタイトで緩みがない印象。物語の核心となる一夜の出来事があまりに緊張感張りつめていて目が離せないというのもあるが、その前のシンガー志望のラリー(アルジー・スミス)らの初ステージがおじゃんなる流れ、警備員ディスミュークス(ジョン・ボイエガ)の仕事の仕方、白人警官クラウス(ウィル・ポールター)が商店から出てきた黒人を銃撃する流れ等、群像劇としての手さばきがいい。ラリーの無念さが滲む空席の劇場のシーンや、クラウスの無自覚な差別が不穏さを煽る。「一夜」への前振りをきちんとしているので、モーテルで彼らが顔を合わせた後の展開が更にきつく感じられるのだ。
 クラウスたちはたまたまモーテルにいた黒人たちが銃を所持していると決めつけ、彼らに不当な取り調べ(というより拷問)を行う。同じく宿泊していた白人女性2人に対しても、「黒人と寝た娼婦」と決めつける。彼らは自分たちが差別をしているという意識や、不当な捜査をしているという意識は希薄だ。人間、こいつには何をやってもいいんだという前提が自分の中にあると、本当に何でもやりかねないという恐ろしさを突き付けてくる。1人の警官の思考停止振りには唖然とするが、クラウスなどはむしろ治安の為の正当な行動だと思っているんだろうし、自分内の前提条件に疑問を持たない。クラウスたちが特殊なのではなく、こういう構図に置かれると誰でもそうなりかねない(今まさに自分がそうなっているかもしれない)ということの怖さだ。州兵や州警察は市警がやりすぎだと思っても我関せずで何もしない(それぞれの縄張り争い的なものもあるのだろうが)。はっきりと「人種問題には関わりたくない」と言う人もいる。そこで何か介入しておけば事態は変わったのに!とはがゆくなるが、「我関せず」という態度は自分もやってしまいがちなので非常に耳が痛い。あまり見たくないもの、直面するとしんどい(が考え続けなければならないこと)を延々と見せられるような作品だ。
 昼間は工場の作業員として、夜は警備員として働くディスミュークスは、黒人側と白人側を行き来しつつバランスを保つ。州兵に対して親切に振舞うのも、黒人少年をたしなめるのも、彼の人柄であると同時に処世術としてずっとこういう振舞いをしてきた人なんだろうなと窺えるものだ。モーテルでの彼は警察に協力する素振りを見せつつ、モーテルの客たちへの被害を食い止めようとする。しかし、彼に出来ることはわずかだ。この、「出来ることはわずか」という点が最後まで徹底している。あれだけ耐え忍んだのにこの仕打か!という顛末には、そりゃあ嘔吐もするよな!といたたまれなくなる。エンドロール前の「その後」のテロップで、現在進行形の問題であることが強く意識され更に辛くなる。ビグロー監督は『ハート・ロッカー』でも『ゼロ・ダーク・サーティ』でも辛さを避けなかったが、本作は特にそうだと思う。

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