3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『タロウのバカ』

 戸籍を持たず、一度も学校に通ったことがない少年タロウ(YOSHI)。いつもつるんでいる高校生のエージ(菅田将暉)とスギオ(伊賀太賀)と、半グレの吉岡(奥野瑛太)を襲い、一丁の拳銃を手に入れた。はしゃぐ3人だが、吉岡らが報復にやってくる。脚本・監督は大森立嗣。
 タロウは明らかにネグレクトされた子供だし、エージは学校から見放され(体育教師の対応がひどい。えらいパワハラである)ている。スギオは2人に比べるとまだ「普通」の家庭らしく、父親も登場するが、彼を守るほど強くはない。スギオはタロウとエージの無軌道さにおびえるものの、最終的にはふらふらと吸い寄せられてしまう。
 3人の少年たちの行動には、今よりも先のことを考えている様子が見受けられない。そこが見ていて落ち着かない、不安にさせられる一因でもあるだろう。彼らには「今」しかないのだ。彼らの言動の考えのなさ、即物性にはちょっとインパクトがあった。吉岡を襲うのはともかく、その先何をしたいのかがわからないし隠蔽する度胸も知恵もなく、結局自分たちの首を絞めるようなことになってしまう。暴力的だが、暴力がどのようなものなのか、何が暴力なのかという想像力がない(殴る、殺す、レイプみたいな発想だ)。銃一丁で無敵みたいな気分になって盛り上がるのもあからさまに子供っぽい。衝動ばかりが空回りするのだ。経済的な貧しさも苦しいが、想像力の貧しさ・知の貧しさもなかなか見ていてしんどいものだなと思った。
 タロウがピザ配達のバイクにエンジンをかけるシーンが妙に心にひっかかった。エンジンをかけてはいるが、自分がバイクに乗って走るという段階になかなかならない。ようやくバイクに乗ってエンジンをかけると、今度はかからない。結局走り出す契機を逃してしまうのだ。






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松田翔太
ポニーキャニオン
2011-01-19


『ダンスウィズミー』

 一流企業で働く「勝ち組OL」の鈴木静香(三吉彩花)は、ある日姪っ子と訪れた遊園地で怪しげな催眠術師のショーを見学する。しかし姪っ子にかけられるはずだった「音楽が流れると歌って踊らずにはいられない」というミュージカルスターになる催眠術にかかってしまう。街中に流れる音楽や携帯の着信音などあらゆる音楽に反応してしまうようになった静香は、催眠を解いてもらうために催眠術師の行方を彼のアシスタントだった千絵(やしろ優)と共に捜すが。監督は矢口史靖。
 ミュージカルが苦手な人にとってのミュージカルのとっつきにくさは、作中で静香が言うように日常の中でいきなり歌い踊りだす、冷静に考えたら変な人じゃん!という奇妙さにあるだろう。その奇妙さをそのまんまやってしまおう、それが主観的にはどう見えて客観的にはどう見えるのか両方やろうという作品。ミュージカルの奇妙さを逆手にとっているわけだが、それが上手くいっているとはあまり言えないように思う。ミュージカルシーン自体はそれなりに楽しいのだが、「日常の中でついやっちゃう」というコンセプト故か単純に俳優のスキル故か、パフォーマンスがどこか素人くさい。それが狙いだと言うならしょうがないが、ミュージカルの楽しさって動きと音楽がバッキバキにきまる所にあると思うので、私は素人っぽさがあると気持ちが冷めてしまうんだよね・・・。カメラワークも、ミュージカルシーンに自信があるならもっとロング中心で全体の動きがどうなっているのか見せてほしい。全般的になんだか野暮ったいなと思った。
 また序盤、静香が同僚との会話の中で感じているであろう違和感とか、やり手男性社員への憧れ、「玉の輿」発言とか、労働観が大分古いように思った。作中で言及があるように静香の勤務先は超大手企業で、入社は狭き門。静香自身「すごく頑張った」と言うし、それは他の女性社員も同じだろう。そういう人たちが悩むのは玉の輿とかについてではないのでは?という違和感があった。現代の職場での話題とか悩みとかって、もっと他のことだと思う。オーソドックスさと古さは違うだろう。そもそも、静香は今の仕事が嫌いというわけではないんだと思うし。
 静香は子供の頃の体験から本来好きだったミュージカルにトラウマが生じてしまい、そのせいで催眠に強くかかってしまう。このトラウマ克服という要素と、今の仕事のままでいいのかという迷いという要素が、ひとつの物語としてあまり上手くかみあってないように思った。入口とその先と出口が乖離しているというか・・・。

『旅のおわり、世界のはじまり』

 テレビ番組のリポーターとしてウズベキスタンを訪れた葉子(前田敦子)。伝説の怪魚を探すロケはなかなかうまくいかず、スタッフも苛立つ。ある夜、路地裏に繋がれたヤギを見かけた葉子は、そのヤギを野に放ちたいという衝動に駆られる。監督・脚本は黒沢清。
黒沢監督にしてはかなりフワっとしたゆるさのある作品。前田敦子の存在感にゆだねた部分が大きい(黒沢清流のアイドル映画と思えばいいのか)からか。それでも室内でカーテンは揺れるし、急に日が陰るし、黒沢印は健在なんだけど。
 テレビクルーは葉子以外全員男性。染谷将太演じるディレクターが現地の人に対してすごく失礼だし、クルーに対しても感じ悪いのだが、こういうディレクターいそうで笑ってしまった。海外ロケのあるバラエイティ番組を見ていると、これはかなり失礼なのではという企画がちらほらあってぞっとすることがあるので、笑いごとではないのだが・・・。現地ガイドの青年とADは葉子にに対して多少気遣いがある。ADが「歌」を聴いたのは彼女と少しだけ心の距離が近かったからか。男性のグループの中で女性が働く時のいまひとつ打ち解けられない感じ、緊張感が随所で見られる。バスに乗ったら男性乗客ばかりだった時(前田の表情が上手い!)や、夜道で男性のグループとすれ違う時の緊張感等、葉子がリラックスしていられるシーンがほぼないのだ。海外にいるからというのも一因だが、仕事仲間の間でいまひとつ意思疎通ができていないというのも大きいんだなとわかる。気を許せる場がないのだ。この気の許せなさ、リラックスできなさは見ていてちょっときつかった。
 ヤギを野に放つという葉子のアイディアは多分に短絡的ではあるのだが、何か自分だけの物語のようなもの、自分の予想をちょっとだけ越えるものが欲しいのだ。彼女が山頂で得たものは多分それだろう。あの瞬間、彼女がウズベキスタンで体験した不愉快さを含めた諸々が物語となる。それは彼女のこの先を支えるものだろう。前田敦子の歌唱は、決して達者と言うわけではないのだとてもよかった。少なくともあのシーンにとってはベストの歌唱。

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2018-03-07




黒沢清、映画のアレゴリー
阿部 嘉昭
幻戯書房
2019-02-28

『誰もがそれを知っている』

 ラウラ(ペネロペ・クルス)は妹アナの結婚式の為、家族と共に暮らすアルゼンチンから2人の子供を連れスペインの実家に里帰りする。ワイン農場を営む幼馴染のパコ(ハビエル・バルデム)とも再会し、結婚式も披露宴のパーティーも大いに盛り上がる。しかしパーティーのさ中、ラウラの娘イレーネが姿を消す。身代金を要求するメールが届き、誘拐されたことが判明するが、それぞれが解決の為に奔走する中、家族の秘密があらわになっていく。監督はアスガー・ファルハディ。
 この邦題はちょっと意地悪。当人は自分達だけの秘密だと思っているのに、周囲はなんとなく事情を察しているという・・・この田舎社会感が辛い!誘拐事件をきっかけに、お互いに隠していた「ということになっている」こと、取り繕っていたことがどんどんほつけて露呈していく。なかなかいたたまれない話なのだ。舞台が都会だったら、ここまで人間関係煮詰まらないような気がする。村の外に出にくい、社会の中での関係性が限定されているという所が事態をこじらせているように思った。そもそも事件のきっかけも、ここから出ていきたいという願望からだろうし。
 ファルハディ監督の作品は、人間の心理の不可思議、矛盾を精緻な脚本で描くという印象がある。本作も人の心のミステリを描いてはいるが、これまでの作品の模倣というか、ちょっと手くせで作ってしまったような印象を受けた。よくある話、凡庸な線でまとまってしまい、いまいちキレが鈍い。クルスとバルデムというスター俳優を使ってもスター映画っぽくはなっていないあたりは面白かった。俳優優先ではなく、作品のパーツとしての俳優なんだなと。
 男女の人間関係、家族間の人間関係のこじれやすれ違いはもちろん厄介なのだが、ラウラの一族が地元の人間に対しうっすらと優越感を抱いていることが、お金の問題が発生するに伴いポロポロ表面化していくるところにぞわっとした。差別発言、相手をさげすむ言葉がナチュラルに出てくるが、発する当人はその差別意識に無頓着なのだ。ラウラの父親の振る舞いは醜悪と言ってもいいのだが(そもそもお前のせいで没落したんだろ!と突っ込みたくなるし)、多分本人はそういう意識はないんだろうなぁ・・・。男女の因果よりもこっちの方が厄介に思えた。この一家、実は地元では好かれていないのでは・・・。


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『魂のゆくえ』

 ニューヨーク郊外の小さな教会の牧師トラー(イーサン・ホーク)は、ミサにやってきた女性メアリー(アマンダ・セイフライド)から、夫マイケルが悩んでいるので話を聞いてやってほしいと頼まれる。環境活動家のマイケルは環境汚染を心配するあまり、メアリーが妊娠中の子供を生むことが正しいのかどうか葛藤していた。更に。トラーは自分が所属する教会が、環境汚染の原因を作っている企業から多額の献金を受けていると気づく。監督はポール・シュレイダー。
 トラーは神父なので、仕事でも私的な課題としても、信徒と、自分自身との対話を続ける。神父という立場からは対話をはぐらかすことはできない。自分自身に対しては可能だろうが、彼は自分への枷としてそれをよしとしない。この対話が彼を追い詰めていく。トラーの自分内ロジック、ともすると思いこみが暴走していくところ、更にそれが何の役にも断っていないというところは、シュレイダー監督が脚本を手掛けた『タクシードライバー』とちょっと似ている。自分の行動の動機を勝手に他人に託してしまっているきらいがあるところも。メアリーに対する思い入れは、ともすると彼の一方通行っぽく見えてしまい少々危うい。
 信仰の話なのかと思っていたら、どんどんそれていき予想外の方向へ。信仰そのものというより、現状の、大企業的教会の一支部として、人道的とは言えない事業もしている大企業の献金を受けないと維持できないという、現状に対する葛藤と言った方がいいのか。とは言え、トラーは元々環境問題に強い関心を持っていたわけではなさそうだ。急にのめりこんでいくのでどうしちゃったの?と不安になる。彼が本来向き合わなくてはならない問題は別にあり、そこから逃れる為に手っ取り早く目の前の問題に飛びついているようにも見えるのだ。
 トラーの信仰は彼の息子が死んだときに既に死に向かい始めていたのではないかと思える。とはいえ、彼が救われるのは全く信仰によってではない!結局それか!という意外性というか、脱力感というか・・・。何とも奇妙な終盤。こうであればいいのにというトラーの幻想であるようにも思えた。でもそこに救いを見出されてもなぁ・・・。やはり他人に諸々託しすぎでは。

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『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』

ピーター・ゴドフリー=スミス著、夏目大訳
心、意識はどのように生じてきたのか。哲学者であり熟練のダイバーでもある著者が、生物の進化を追いつつ、脊椎動物とは全く異なる頭足類、タコやイカの仲間の生態の観察から、生き物の心の存在を考える.
本著の冒頭で、原文のmindに「心」、interlligenceに「知性」、consciousnessに「意識」という訳語を当てていることが編集部により記されている。加えて、英語のmindは心の機能の中でも思考、記憶、認識という人間で言う所の主に頭脳の働きを想起させる言葉だと解説されている(なので本著内で言う「心」は英語での意味)。いわゆる日本語で言う「心の動き」とはちょっと異なるということだ。タコの「心」、精神活動についてもこの英語/日本語の差異と似たところがある。人間が想像するタコの精神活動はあくまで人間の視点によるもの、タコの精神世界はタコ独自のもの、タコの身体に基づいたものだという本著の内容が、この前置きに既に現れている。タコの知能が高いという話は聞いたことがあったが、本著によると思っている以上に頭がいい(ただ人間にとっての「頭の良さ」とはちょっと違う所もある)。映画『ファインディング・ドリー』で描かれていたタコの行動はちゃんと事実に基づいていたんだな・・・。基本群れない生き物だが条件によっては小さい社会のようなものを形成するという所や、好奇心旺盛で「遊び」的な行動も見せるという所は新鮮だった。彼らの知能は定型を持たない身体と深く関わっているらしいという点も。ガワが決まると中身も決まるという側面はあるんだろうな。

『立ち上がる女』

 アイスランドの田舎町に住む合唱団講師のハットラ(ハルドラ・ゲイルハルズドッティル)にはもう一つの顔があった。環境活動家として、地元のアルミニウム工場に停電攻撃を仕掛けていたのだ。ある日、彼女の元に4年前に申請していた養子縁組が受け入れられたという知らせが届く。監督はベネディクト・エルリングリン。
 協力者の議員や双子の妹に反対されても我が道を突き進むハットラの姿は力強い。活動家としての手腕は結構なもので、冒頭のボーガンの使い方を見ているだけでも彼女のことをちょっと好きになってしまった。彼女の活動に対して、環境問題は大事だけど周りの人に迷惑がかかるようなやり方ってちょっと・・・と思う人は大勢いるだろう。ヨガのインストラクターであるハットラの妹も、姉の主義は尊重しているが暴力的な方法には賛成できないと彼女を諌める。しかし、ハットラの世間への迎合しなささ、自分を曲げない様を見ていると、(それが今の風潮に即さないものだとしても)いっそ清々しくて、誰かの迷惑なんて考えてられるかよ!正しいと思ったことをやりたいんだよ!って気分になってくる。彼女の中での優先順位がすごくはっきりしているのだ。
 とは言え、ハットラにも迷いはある。活動家である自分が幼い子供の保護者として責任を保ち続けられるのかということだ。これが、自分に母性があるのか女性としてこの生き方でいいのか等ではなく、保護者として適切だろうか(何しろそこそこ危険なことをしているので突然いなくなる=保護者としての責任を果たせなくなる可能があるのだ)という迷い方な所がとてもよかった。あくまで彼女個人(と引き取る子供)の問題であり、世の中のくくりやカテゴリを想定したものではないのだ。自分にとって、自分の家族となる存在にとってベストな道、生き方になるのかを考えている。彼女の妹が、姉のそういう生き方に賛同はしないが理解し尊重しているというのもいい。登場人物に対して個人としての尊重が保たれている映画は、やはり見ていて安心できる。
 音楽の使い方がとてもユニーク。ブラスバンドとウクライナ(ハットラが養子にしようとしている少女がウクライナ人)の合唱団によるものなのだが、背景に楽団が登場してそのまま演奏するのだ。背景に徹するのかと思ったら登場人物と目を合わせたりとちょっとしたコミュニケーションを取ったりもするので、これは何事?!と笑ってしまう。しかしとぼけたユーモアがあり、またハットラに寄り添い勇気づける存在にも見え、気分が和む。音楽自体もかっこいい。

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『タリーと私の秘密の時間』

 2人の子供に加え、3人目が生まれたマーロ(シャリーズ・セロン)は家事と育児で疲れ果てていた。見かねた兄が夜だけベビーシッターを雇い、マーロの元に若い女性タリー(マッケンジー・デイビス)がやってきた。若いながらも彼女の仕事は完璧。久しぶりにぐっすりと眠り、また自由奔放なタリーとの交流で、マーロは生き生きとした表情を取り戻していく。監督はジェイソン・ライトマン。
 赤ん坊が生まれてからの、授乳、オムツ替え、寝かしつけ、泣く、授乳、オムツ替え・・・というエンドレス早回しにめまいがした。子供が生まれるってつまりこういうことなんだなと。脚本は『JUNOジュノ』『ヤング≒アダルト』でもライトマンとタッグを組んだのディアブロ・コーディなので、素直に「いい話」ってわけではないんだろうと思っていたけど、予想ほどには捻っていない。しかしこの話の場合、捻っていないからこそしんどいんじゃないだろうか。マーロと似た状況のが見たらどう思うのか(確かに強く共感するであろう、あるある!的要素は満載なんだろうけど)ちょっと分かりかねる。傷をえぐらないか心配よ・・・。マーロの、若くて自由なタリーに対する羨望と自分に対する後悔、それに対してタリーが平凡な1日を続けていくことがすごいんだ、と説得する様は、マーロの自分内での葛藤をそのまま再現しているよう。なんてことない1日のありがたさなんて、彼女は当然わかっているだろう。わかっていても、持っていたものを捨てていかなければならなかったことはやはり苦しいのだ。
 マーロの夫は好人物で子供たちは手はかかるが可愛い。元々共働き(マーロが休職中だという台詞がある)すごく金持ちというわけではないが経済的に逼迫しているわけでもない。客観的にはそこそこ幸せに見えるだろう。子育ては大変だが、「とは言え子供はかわいいでしょ」みたいに、大変さが見る側にとって無効化されやすい、当事者が大変さの中に取り残されがちなのかもしれないなとふと思った。いい母親、いい妻、素敵な家庭を成立させるために、どれくらいしんどい思いをしているのかなと。マーロの兄の家はゴージャスで、妻はおしゃれで小奇麗、子供たちもごきげんだが、それはお金の力で家事育児をアウトソーシングできているからだよな・・・。一人でやれることには限界がある。
 マーロがぎりぎりであることが、夫には今一つ伝わっていない。いい人だし世間一般的にはいい夫なのだろうが、当事者としての意識が今一つ希薄。彼は寝る前にTVゲームをするのが習慣なのだが、ヘッドフォンをして音声を外に漏らさないという気づかいはしても、コントローラーの音やTV画面の光が寝る時に邪魔なんじゃないかという所までは気が回らない。まあ話し合いの上での処置なのかもしれないけど・・・。とりあえず、食洗機とルンバを買ったらどうかな(食洗機はあったかも)。

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『正しい日、間違えた日』

映画祭に招かれたものの、予定より1日早く到着してしまった映画監督のハム・チュンス(チョン・ジェヨン)は、観光名所で魅力的な女性ユン・ヒジョン(キム・ミニ)と出会う。チュンスは彼女をお茶に誘い、更にお酒も入っていい雰囲気になるのだが。監督はホン・サンス。
原題の直訳だと「今は正しくあの時は間違い」という意味になるそうなので、邦題とはちょっとニュアンスが異なる。ただ作品を見ると、どちらの題名もちょっとそぐわないかなという気がしてきた。男女の出会いを2通りの展開で描いた作品で、前半でパターンA、後半でパターンBというような2部構成になっている(A、Bという章タイトルは付けられておらず、私が便宜上そう呼んでるだけ)。
 酔った男女のかけひきって、見ていてこんなにいたたまれないものだったっけ?と見ながらむずむずが止まらない。チョンスは明らかにヒジョンに好意があるが、いい年齢の大人の言動とは言い難い。「かわいい」の連呼なんて泥酔した大学生じゃあるまいし・・・。世間の噂によれば、彼はモテて女癖の悪い人らしいので、成功体験からくる言動なんだろうけど、よくこれで口説き成功してきたな!とは言えヒジョンもやぶさかではない感じだし、成功していると言えばしている。
 とはいえこのいい雰囲気は長くは続かない。AパターンでもBパターンでも何かしらに腰を折られ、険悪か険悪でないかという違いはあれど、2人の人生はすれ違っていく。AとBのどちらが正しくてどちらが間違いかなど、結局わからないのだ。どちらも間違いとも言えるし、交わらない運命だとするならどちらも正しい。曖昧さ、どうともならない儚さと滑稽さが余韻を残す。
 それにしても、ホン・サンス監督作に登場する映画監督は、大概クズ味がひどいな・・・。映画監督として評価はされているが、特に女性関係での脇の甘さや失礼さ(でもそこそこモテるところがイラっとする)は自虐ギャグなんだろうか。

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『タクシー運転手 約束は海を越えて』

 1980年5月の韓国。民主化を求める大規模な民衆デモが起こり、光州では軍が戒厳令をしき、報道も規制されていた。ドイツ人ジャーナリストのマルゲン・ヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)は取材の為光州へ向かう。彼を送迎することになったタクシー運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)は報酬欲しさに機転を利かせて検問を突破。何とか光州市街へ辿りつくが。監督はチャン・フン。
 近年、光州事件(と当時の時代背景)を題材にした韓国の文学、映画等が目につくようになったが、映画や小説の題材としてがっぷり取り組むことができるくらいに時間がたったということなのだろうが。何にせよ、自国の負の歴史を再検証し、かつエンターテイメント作品に落とし込める所に韓国映画のタフさ、成熟度を見た感がある。本作、本国でも結構な動員数だったそうなので、映画を見る層の厚さとリテラシーがそもそも日本と違う気がする・・・。
 戒厳令下の光州が舞台で、非常にシリアスな背景なのだが、人情ドラマとして、活劇として、まさかのカーアクション映画として面白かった。もうちょっと短くてもいいなとは思ったのだが(マンソプの動線設定に無駄が多いように思う)、サービス精神旺盛なエンターテイメントだと思う。史実(ヒンツペーターは実在の記者)を元にしているが、絶対にここはフィクションだ!という部分がクライマックスにあり、その絶対にフィクションな部分が本作の核になっているように思った。そこでやっていることは映画としてのフィクションなのだが、彼らの気持ちは当時実際にいた市井の人々の気持ちと同じことなのではないだろうか。
 マンソプは政治には興味がなく、光州のデモについても、学生ならデモなんてやらずに勉強しないと親不孝だと言う(そもそも報道規制がされており電話も遮断されていて光州の実情が外部にはわからないのだが)。「韓国は世界一住みやすい国だ」と言う彼が光州で見たものは、その「世界一住みやすい国」が市民に何を強いているのかという現実だった。どこかの変わった人達の反乱ではなく、自分と同じように普通に生きてきた人が、これはおかしいと声を上げていたのだ。一刻も早くソウルに戻りたがっていたマンソプだが、光州の出来事が彼の中で他人事ではなくなっていく。この他人事ではない感覚、映画を見ている側にとっても同じなのではないかと思うし、そこを狙って作られた作品だと思う。



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角川エンタテインメント
2008-12-05

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