3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ダム・マネー ウォール街を狙え!』

 2020年、コロナ禍中のアメリカ。マサチューセッツ州に暮らす会社員のキース・ギル(ポール・ダノ)は、赤いはちまきに猫柄Tシャツがトレードマークの「ローリング・キティ」という名前で株式投資アドバイスの動画配信をしている。彼が目を付けたのはゲームストップ社。ゲームストップはアメリカの各地に実店舗を置くゲームソフト販売会社だが、時代遅れで倒産間近と噂されていた。キースは同社に全財産の5万ドルをつぎ込み株式を購入しこれをネットで公開し、ゲームストップ社は過小評価されていると訴える。これに共感した視聴者たちが次々とゲームストップ株を買い始め、株価は高騰し始める。同時に、空売りをしていた資産家たちは大損をすることになっていく。監督はクレイグ・ギレスピー。
 SNSを通して個人投資家たちが団結し金融マーケットを席巻した実話をドラマ化した作品。ギレスピー監督にはやはり実話のドラマ化である『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』という傑作があるが、本作も大変面白かった。素材のどこを使うといいのか、一連の出来事の中で何がポイントなのかという分析・見極めが上手い監督というイメージがある。また編集のキレがすごくよくてテンポがいい。本作はキースだけでなくゲームストップ株を買った個人投資家たち、また大手投資会社の富裕層たちのエピソードも組み込まれているので群像劇的な側面も強いのだが、個々のエピソードがケンカせずに組み込まれており、この時あの人はこんなことに!という見せ方が効果的。職人的な手際の良さを感じる。
 株式投資の話なので、当然お金の話、お金を儲ける為に投資をやるわけなのだが、ゲームストップ株が高騰し空売りを阻止できるかもという目が出てくるにつれ、もうお金の問題ではなくなってくる、お金よりも大事なものがあるという方向になってくる所が面白い。これがキース一人ではなく、彼に賭けた大勢の個人投資家たちの間で共有される。キースが訴えるのは市場は公正であるべきなのにそうではなくなっている、より持っている・より強いものが食いつくすゲームになってしまっている(個人投資家の一人である女子大生は、そのゲームの中で家族が経済的に苦しむことになるし自身も負債を負う身)ということだ。そこに多くの人が共感し協力し合ったという所は、これも一つのアメリカンドリームかなと思える。人間の利己的、非情な面が際立つと思われる株式市場を舞台にそういった側面が現れる所が意外でもあり、そこが株の面白さなのかなという気もしてくる。
 キースと妻キャロライン(シャイリーン・ウッドリー)の関係性の描写がいい。信頼関係があって(でないと全財産投資させないよな…)、お互いに尊重していることがよくわかるのだ。また個人投資家たちがどういう生活をしているどういう人たちなのかということも、露出時間は少ないのにちゃんと伝わってくる。人となりと示すちょっとした部分の演出が上手いのだ。シングルマザーの看護師の気風の良さや、パーティーの罰ゲームがきっかけで付き合うようになる女子大生2人等、皆生き生きとしていて魅力があった。悪役扱いの富裕層たちもどこか面白みが出ている所もいい。



アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル[Blu-ray]
アリソン・ジャネイ
ポニーキャニオン
2018-11-21



『ダンサーインParis』

 パリ・オペラ座バレエ団でエトワールを目指すエリーズ(マリオン・バルボー)は公演でソロパートを獲得したが、恋人の浮気を知りショックを受け、足首を負傷してしまう。医師からプロとして踊れなくなる可能性もあると告げられた彼女は、退団し実家に戻る。友人のサブリナ(スエリア・ヤクーブ)から料理のアシスタント係の仕事を紹介されブルターニュを訪れた彼女は、新進気鋭の振付師が率いるコンテンポラリーダンスカンパニーのトレーニングに触れ、新しいダンスの道を模索する。監督はセドリック・クラピッシュ。
 エリーズは古典バレエからコンテンポラリーダンスに方向転換するが、どちらがいい・優れているという話ではない。彼女の人生にあるタイミングが来て、表現方法を変えることで新しい景色が見えるということだろう。バレエとコンテンポラリーの重量に対するアプローチの違いの話が面白かった。エリーズはより重力を感じたいターンにきている。同じ人でもその時々によってどちらがフィットするか変わってくるんだろう。
 エリーズが彼女にとっての新しい表現方法を獲得していく過程と合わせ、彼女と父親との考え方の噛み合わなさが印象に残る。父親は弁護士で文学に造詣が深い言語の人。肉体と情感をベースにするエリーズの表現は、父親には二流のもの(彼にとって言語を使わないバレエは格下の芸術なのだ。同じく肉体をベースとする料理が得意な妹のことも軽く見ている)で、怪我で落ち込むエリーズに「法律を勉強すればよかったのに」と無神経なことを言う。それでもエリーズはダンスが自分の表現、自分の人生なのだと父親に説明しようと試みる。父親もわからないながらも彼女の真剣さは理解し、その姿に涙するようになる。「わからなくても受け入れる」というのが親子の関係の一つの形なのだと思う。
 一方で、エリーズの友人である整体トレーナーの関係、というより彼がエリーズに向ける視線が気になった。彼はエリーズに思いを寄せているが、お互い恋人に振られた者同士だからというよくわからない思い込みでうまくいくような気になっている。そんなところでもじもじされても困るんだけど…。距離の詰め方が一方的なのがちょっと気持ち悪い。最後、エリーズと同じ名前で足が少々不自由らしい女性と付き合っている風なのも、そういう属性が好きだったってこと?と若干ひいてしまった。

ニューヨークの巴里夫(字幕版)
ケリー・ライリー
2015-06-02


パリ・オペラ座のすべて [DVD]
紀伊國屋書店
2013-04-27



『探偵マーロウ』

 1939年のロサンゼルス。老年になった私立探偵マーロウ(リーアム・ニーソン)のもとに、裕福な女性クレア・キャヴェンディッシュ(ダイアン・クルーガー)が依頼に訪れる。依頼内容は失踪した元愛人の捜査。彼は交通事故で死んだと思われていたが、離れた町で生きている姿を見かけたというのだ。依頼を引き受けたマーロウは調査を進めるうちに、ハリウッドの暗部に足を踏み入れていく。原作はチャンドラー『長いお別れ』の正式な続編として認められたジョン・バンビル『黒い瞳のブロンド』、監督はニール・ジョーダン。
 原作は未読。リーアム・ニーソンがフィリップ・マーロウのイメージに近いのかどうかはわからないが、そもそもマーロウは誰が演じてもいいような、あまり突出した個性や肉体性のないキャラクター造形ではないかと思う。彼は物事を見る眼であり、物事をあるべき形に収束させる為に動き回って謎を解くことが役割であり、彼自身がどうこうということはない、それが探偵小説(特にハードボイルド)における探偵の役割とも言えるだろう。本作はマーロウが誰かを追っているシーン、ないしは移動する人をカメラが追うシーンが多いのが印象に残ったのだが、探偵の仕事はあちらこちらを行ったり来たりする(チャンドラーの他の小説でもマーロウはよく行ったり来たりしてるし)ことで、それを端的に表現しているとも言える。
 マーロウはキャヴェンディッシュとの距離が親密になっても「親子くらい年齢が離れているから」肉体関係は持たない(チャンドラーの小説を踏まえるとあっさり寝そうなので映画のアレンジかもしれないが)。彼女の母親ドロシー(ジェシカ・ラング)に対してもずけずけ立ち入るようでいてある一線は越えない。消えた男の妹に対しても、彼女に迷惑をかけられつつもその身を案じて奔走する。彼が女性たちに対してとる距離感はむしろ現代のセンスに近いもの、彼女らが置かれた不平等さに対するエンパシーがあるものではないかと思う。ある人のことを一度は見過ごすのも、その人にとってそれまでの境遇がフェアではなかった埋め合わせ(それを彼がやるべきなのかはともかく)とも言える。マーロウは力のバランスを常に意識しているように思えた。だから彼にとって不利益であってもマフィアにはくってかかるし、ある人が権力を手にしたなら、もう彼が手を貸す必要はなくなるので肩入れはしない。マーロウの行動は無軌道に見えつつ結構首尾一貫している。


ただの眠りを (私立探偵フィリップ・マーロウ)
ローレンス オズボーン
早川書房
2020-01-09


『TAR/ター』

 リディア・ター(ケイト・ブランシェット)はドイツの名門オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命され世界的な名声を得ている。しかしマーラーの交響曲第5番の演奏と録音、更に新曲制作のプレッシャーに苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入る。ターは彼女へのハラスメント疑惑をかけられ追い詰められていく。監督はトッド・フィールド。
 ケイト・ブランシェットの演技は確かにすごく、世界トップレベルの指揮者の振る舞い、そしてプレッシャーとはこういうものではないかと思わせる真に迫ったもの。私はクラシック音楽には疎いので細かいネタがわからないのだが、ああこういうことありそう!という雰囲気は伝わるので、クラシック音楽業界に詳しい人には更に面白いのでは。
 ただ、それ以外の部分にはそれほど面白みを感じず、絶賛されているのには正直ぴんとこない。指揮者としてスターになり、楽団もアシスタントも自分の意に添わせることに慣れきっている。彼女の振る舞いは時にハラスメント的だ。若い女性楽団員の気を引こうとする様など滑稽で、見た目はブランシェットなのにやっていることはおっさんのそれという、奇妙なおかしさがある。権力を持つと人はみな「権力を持ったおっさん」的振る舞いになっていくという、権力をテーマにした作品のようにも見える。
 しかし実際のところ指揮者の世界、権力を持った者の世界では未だに壮年の異性愛男性が大半を占めており、その中で女性、ことに少数派であろう同性愛者の女性であるターがのし上がっていくには、周囲の「おっさん」的振る舞いに同化せざるを得ない、おっさんを内面化せざるを得ないという背景があるのではないか。本作ではターの権力者としての振る舞いとその凋落を描くが、そこにあるであろう社会構造には踏み込まない。もしジェンダーによる格差・差別がない世界で本作のような物語が出てきたらストレートにターの栄光と凋落と受け止められるのだが、現状世界はそこに追いついておらず、片手落ちであるように思った。

リトル・チルドレン(字幕版)
フィリス・サマーヴィル
2015-12-01


セッション(字幕版)
オースティン・ストウェル
2016-10-27


『対峙』

 ある教会に2組の夫婦が訪れる。どちらも非常に緊張しており会話はぎこちない。6年前、ある高校で生徒による銃乱射事件が起き、多数の生徒が殺され、犯人の少年も自殺した。夫婦のうち1組は被害者の1人の両親、そしてもう1組は加害者の両親だった。加害者少年について知りたいという被害者夫婦の強い希望で話し合いの場が設けられたのだ。監督・脚本はフラン・クランツ。
 事態が事態なので緊張感に満ちたシチュエーションなのはもちろんなのだが、映画の構成そのものにゆるみがなく息がつけない。クランツ監督はこれが初監督作だというから唸ってしまう。そしてほぼ4人芝居状態で最後まで押し切る俳優の力が素晴らしかった。メイン4人も素晴らしかったが教会の職員とそのアシスタント青年も、こういう人いそうだなという説得力がある。職員の人は良いんだろうけどちょっと小うるさいというか、色々張り切りすぎな感じには、あーこういう人いる!と笑ってしまう。
 被害者遺族と加害者遺族が会って話し合ったとして、双方傷が広がるだけでは?という気もするが、許すという行為に大きな意味がある、キリスト教的価値観が背景に色濃くある文化圏(会合の場に選ばれるのも教会だし)、そして対話という文化が根付いている文化圏の話なんだろうとは思う。日本で同じ設定でドラマを作ったらそもそも対話にならなさそうだ。
 とは言え、登場人物たちの中に当初あるのは、相手を許すことで自分も怒りから解放されたいという気持ちよりも、なぜこういう事態が起きたのか知りたい、何らかの形で納得したいという気持ちであるように思った。加害者がどんな人物で、家族とどういう関係だったのか知ることで事件に至る経緯がわかるかもしれないと被害者の両親は考え、特に夫は加害者の両親を執拗に問い詰める。しかし、加害者の両親も、自分たちの息子が何を考えていたのかわからないままでいる。あの時ああすればよかったのか、こうすればよかったのかと考え続けても答えは出ないままだ。彼らがなぜ、と問う内容は答えのないもの、解決することがもはやないものだ。その問いとどうやって向き合い生き残っていけばいいのかという問題が4人の対峙の中に凝縮されているように思った。
 理解も納得もできないままの彼らの糸口になるのは、相手の話を聞く、そして自分も語るというやりとりだ。本気の聞く/話す姿勢は、たとえ問題解決には繋がらなかったとしても、相手の、そして自分の力になるのではないか。最後のある人の行動には、この人は人の話を聞く立場に回るばかりで、この人の話を真剣に聞く人はいなかったのではないかと思い当たる。夫婦の関係性までもそこに垣間見えてすっと寒くなるのだ。

ウトヤ島、7月22日(字幕版)
マグヌス・モエン
2019-10-16


ぼくだけのぶちまけ日記 (STAMP BOOKS)
スーザン・ニールセン
岩波書店
2020-07-17




『魂のまなざし』

 1915年のフィンランド。画家のヘレン・シャルフベック(ラウラ・ビルン)は田舎で高齢の母親と2人暮らしをしていた。画家としては不遇だが制作意欲は以前旺盛なシャルフベックを、画商のヨースタ・ステンマンが訪ねてくる。彼はシャルフベックの作品を大量に購入し、ヘルシンキでの個展を企画する。シャルフベックはステンマンに同行していた彼女のファンである青年エイナル・ロイターとの仲を深めていった。監督はアンティ・ヨキネン。
 ヘレン・シャルフベックの作品は2015年に東京藝術大学大学美術館で開催された回顧展(本作の題名はこの展覧会のサブタイトルから取られている)で初めて見た。あの時代にこんなモダンな作品を作っていた作家がいたのかと驚いたのだが、彼女の人生についてはこの映画で初めて知った。本作で描かれるのは1915年から1925年という彼女の人生のごく一部なのだが、作品制作の様子や作風の変化は結構描かれており面白い。
 ストーリーはシャルフベックとロイターとの関係、その愛の破綻(しかし友情として長年深い関係が継続していたそうだ)が創作に与えた影響を描く。しかし、ストーリーの軸としては今一つ描き方が弱いように思った。ロイターがどういう人なのか、輪郭が少々曖昧なのが一因ではないか。アマチュア画家であった彼はシャルフベックの作品に深く傾倒していたそうだが、シャルフベックに深い傷を残すようなインパクトはあまり感じなかった。
 むしろ、シャルフベックと母親との関係の方が、彼女の人生、製作に大きな影響を与えたように思えた。当時のフィンランドは男社会で、母親は長男ばかりを大事にする。シャルフベックと母親が日々の家事をこなす様子から始まり、シャルフベックが一人で家事をこなす様子で終わっていくという構成が印象に残った。女性は家事をするもの、という世界であり、一人で働いて経済的に独立するという生き方は相当難しかったろう。シャルフベックの絵の売り上げから、兄が勝手に自分の取り分を取ろうとするエピソードもある。「食事の取り分けは男性から」「女のものは男のもの」といった生活習慣の様子から、女性は人間として二番手扱いだということが痛感されるのだ。そして、母親はそういった社会通念を象徴するような存在なのだ。
 母親はシャルフベックの製作にとって障害だったろうし、「違う島から罵倒しあうような関係」だったという。しかし同時に、皮肉交じりの冗談を言い合ったり、娘の為にドレスの新調をしたりといった形の愛情もある。抑圧から逃れようとする格闘と、愛情と憎しみの折り合いをつけようとする格闘とが、作品制作にも向けられたように思えた。彼女の作品は自画像が多く、作中でも自画像をどう描いていたのかというシーンが印象に残った。自分と向き合うことは、母との関係に向き合うことでもあったのではないか。


『たぶん悪魔が』

 裕福な家に生まれた青年シャルル(アントワーヌ・モニエ)は、虚無感に取りつかれている。仲間と一緒に政治集会等に出ても身が入らない。友人のミシェル(アンリ・ド・モーブラン)やシャルルに好意を寄せるアルベルト(ティナ・イリサリ)とエドヴィージュ(レティシア・カルカノ)は彼を気に掛ける。監督はロベール・ブレッソン。1977年製作。
 学生運動や環境保護活動に励む学生たちは日本にもいたわけだが、シャルルの姿はそれとはだいぶ異なる。シャルル個人のパーソナリティによるところが大きいのだろうが、それと同時に、個人主義のあり方が日本とは全然違うんだろうなという印象を受けた。シャルルの生きる上での苦しさは、社会へのなじめなさや世間の同調圧力によるものではなく、自分が自分でありすぎることからくる苦しさとでもいうものではないかと思えた。周囲との関係性によるものではないように思えるのだ。世界に自分がハマれないという違和感・苦しさは若者のドラマとして普遍的だが、「自分」の度合いが何か違う。
 シャルルには友人や仲間がいるし、彼に思いを寄せる女性、また彼が好意を持っている女性がいる。周囲は彼のことを何かと気にかけているし、その感情に偽りはなさそうだ。にもかかわらず、彼の虚無感・自殺願望に歯止めをかけることができない。そういった感情の中には周囲が止められるものもあるだろうが、誰がはたらきかけてもどうしようもない領域、当人がどうにかする(あるいはどうもしない)ものがある。そういった諦念が作品の底に漂っているように思った。
 ミステリ・サスペンス的な面白さもあるが、爽快感はなく冷徹(ブレッソンの映画は大体冷徹だと思うが)。シャルルが周囲に救いを求めないという状況がだんだん重苦しくなってくる。他人・世界に期待をしないということだから、それは生きていたくなくなるだろうなと思えてしまう。

たぶん悪魔が ロベール・ブレッソン Blu-ray
レティシア・カルカーノ
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2022-03-25






ラルジャン ロベール・ブレッソン [Blu-ray]
シルヴィ・ヴァン・デン・エルセン
IVC,Ltd.(VC)(D)
2018-01-26





『ダムネーション/天罰』

 特集上映「タル・ベーラ 伝説前夜」にて鑑賞。廃れた鉱山の町に暮らすカーレル(セーケイ・B・ミクローシュ)は既婚者であるバーの歌手(ケレケシュ・バリ)と不倫している。彼女は部屋に来たカーレルを追い返す。カーレルは行きつけの酒場の店主から小包を運ぶだけという怪しげな仕事を持ちかけられる。町を離れたくないカーレルは歌手の夫に運ばせようと思いつく。監督はタル・ベーラ。1988年の作品。
 タル・ベーラといえばこれだろうというタル・ベーラ印みたいな特徴がはっきりと刻まれた作品。本作以降の殆どの作品で脚本を担当しているクラスナホルカイ・ラースローと、音楽担当のビーグ・ミハイが初めてそろった作品だそうだ。ゆっくりと横移動する長回しのカメラ、(モノクロだから多分だけど)どんよりとした空とぬかるんだ地面。そして酒場で歌い踊る人々。壁をなめるようにゆっくり長回しで写していくショットがあるのだが、よくこれで間が持つ、かつ美しく見えるなと感心してしまう。映し出される世界は決していわゆる風光明媚な風景というわけではないのに、はっとするような美しいショットがいくつもある。石炭を運ぶリフトの動きがやたらと魅力的なのだ。終盤の酒場でダンスが続くシーンの多幸感、それと同時にある世界の終わりのようなどん詰まり感は、タル・ベーラ作品ならではの持ち味だろう。
 本作、犬たちが印象的なモチーフとして登場する。霧の中から、雨の中から現れて画面を横切っていく犬たちの所在なさげな姿は、カーレルの姿と重なっていく。歌手に対して一途といえば一途な彼の姿は忠犬ぽくもあり、ストーカーぽくもある。彼は歌手に対して君が大切だ、自分は何も求めないというが、彼の行動はそれとは裏腹に見えてくる。やはり見返りがほしい、彼女を独り占めしたい、夫を遠ざけたいという気持ちがだだ漏れだ。忠犬というより愛を乞う野良犬みたいで、なんともやりきれない。天罰じゃなくて私怨ではないか。

ニーチェの馬 (字幕版)
デルジ・ヤーノシュ
2013-05-15


サタンタンゴ [Blu-ray]
ペーター・ベルリング
TCエンタテインメント
2020-09-09


『ただ悪より救いたまえ』

 凄腕の暗殺者インナム(ファン・ジョンミン)は引退してパナマに移住しようと計画し、最後の仕事として日本のやくざ・コレエダ(豊原功補)を殺害。しかしコレエダの義兄弟の殺し屋レイ(イ・ジョンジェ)が復讐のためインンアムを追い、関係者を次々と殺し始める。一方、インナムの元恋人は娘と2人でタイで暮らしていたが、娘が誘拐される。娘の存在を初めて知ったインナムは、彼女を救うためにタイへ向かう。監督はホン・ウォンチャン。
 韓国ノワールも段々数が増え、見ているうちにどれも同じように見えてきてしまうのがつらい。意外と話のバリエーションが作りにくいジャンルなのだろうか。本作は主要舞台が東京とバンコクで、韓国ノワールなのに地理上は韓国があまり出てこないという所が目新しいといえば目新しいか。東京パートは意外とちゃんとロケをしているようで、ちらっと見える街並みには違和感がない。またコレエダが殺害される屋敷はなかなかいい建物(ただ階段部分と部屋部分の組み合わせに違和感あったのでパートごとに別撮りかも)で、これはどこかで見たことがあるような気がするけどどこの屋敷を使ったのかなと気になった。日本のいわゆる居酒屋やラーメン店も出てくるが、居酒屋はほぼ違和感ない。ラーメン店は、あんなに大きな窯を使うだろうかと少々気になった。対してバンコクは、フィクションの中のバンコクのイメージが強いのかなと感じた。タイといえば命の値段がやたらとお安く、警察は丸ごとマフィアに買収されており、人身売買の拠点、というある種のエキゾチックアジアみたいなイメージはハリウッド映画や香港映画では時々見かけるが、韓国でも同じなのだろうか。
 復讐と最後の戦いというストーリーもアクションもそれほど新鮮味はないのだが、娘の命がかかっているインナムはともかく、レイのモチベーションがだんだんわけわからないままエスカレートしていく所が強烈に妙だ。一応義兄弟の復讐という体だったのだが、関係者を殺しすぎだし手段がえげつないし、自ら「なんで殺そうとしてるのか忘れたけどとにかく殺したい」みたいなことを言い出す。そしてものすごくしつこい。彼のキャラが濃すぎる。シクロで乗り付けて爆破、狙撃という流れには笑ってしまった。本作、レイの異常な執念さえあれば話が成立しそうなので、インナムの娘の存在とか余計に見えてしまう。女と子供を守るのが最後のミッション、みたいなのはもうドラマチックさにカウントされないのでは。

新しき世界(字幕版)
ソン・ジヒョ
2014-08-13


『ターミネーター ニューフェイト』

 メキシコシティで父と弟と暮らすダニー(ナタリア・レイエス)。彼女の前にグレース(マッケンジー・デイビス)と名乗る女性が現れる。彼女は未来からダニーを抹殺するために送り込まれたターミネーター「REV-9」’ガブリエル・ルナ)から彼女を守るため、同じく未来から来たというのだ。REV-9の猛攻に追い詰められていくが、2人の前にかつてターミネーターと戦い人類を滅亡から守ったサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)が現れる。監督はティム・ミラー。ジェームズ・キャメロンはプロデューサーを務めた。
 ターミネーターといえばアーノルド・シュワルツェネッガー演じるT800だが、今回は意外と出番が少ない。むしろこれシュワルツェネッガー出てなくても全然成立するんじゃないかな?という感じ(とはいえ出てくると画面が華やかになるのでやはりスターなんだなとは思った)。対してサラ・コナーはもちろん、女性3人が非常にかっこいい。ハミルトンの「きれいなおばあちゃん」「かわいいおばあちゃん」とは一線を画した年齢の重ね方にはぐっとくる。この路線の女優、役柄がもっと増えるといいのに…。またグレースを演じるデイビスのアクションが予想外に素晴らしい。ストーリー上もグレースの献身が熱い。まさかこのシリーズから良い百合が爆誕するとは…。
 本作、女性が活躍するが「女性」という要素に特別な意味づけはなく、ニュートラル。また女性たちの強さが今までのような「母強し」的なもの、聖母的なものとは切り離されている。これまでのシリーズとはもう違うんだよということだろうか。
 女性陣のかっこよさで楽しく見たが、ストーリーはわりと中だるみしているし、歴史改変SF要素は粗が多い。そもそも、それ根本的な問題解決になってないですよね?と突っ込みたくなる。次回作を作りたいということなのかなー。この点は本シリーズの限界を見てしまった気がする。

ターミネーター [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2018-03-16


ターミネーター2 [DVD]
アーノルド・シュワルツェネッガー(玄田哲章)
KADOKAWA / 角川書店
2019-08-29


 
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