3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『探偵はBARにいる3』

 札幌、ススキノでトラブル解決に奔走する探偵(大泉洋)と相棒・高田(松田龍平)。高田の大学の後輩が、失踪した女子大学生・麗子(前田敦子)の捜索を依頼してきた。調査に乗り出した探偵は、表向きはモデル事務所の怪しげな組織に辿りつく。そのオーナー、岬マリ(北川景子)は探偵を翻弄するのだった。原作は東直己の「ススキノ探偵シリーズ」。監督は吉田照幸。脚本はシリーズ1,2に引き続き古沢良太。余計なサブタイトルを付けなかったのは正解だと思う。
 本シリーズ、大泉洋がパンイチになるのがお約束なんでしょうか。今回かなり寒そう!これは厳しい(笑)!前作では往年の東映映画のごとくいきなりお色気要素を投入してきてどうした?!と思ったが、今回は控えめ。脱ぐのはほぼ大泉のみで、全年齢向き、ゴールデンタイムでのTV放送OKな画になっている。
 シリーズ3作目ということで、作品フォーマットがほぼ固まっている。とある事情を抱えた美女が探偵を翻弄し、ミステリとアクションと笑いとちょっと人情と涙、という定番。シーズン商品として1年に1本くらい見られると嬉しい。ほどほどに気を抜いて見られる面白さ度合いもちょうどよい。アクションは1,2作目に比べるとちょっと控えめ、かつあまり効果的な見せ方ではないように思え(スロー中途半端に使いすぎで、せっかくそこそこ長いシークエンスなのにぶつ切りされているように見える)、少々残念だった。ともあれ東映の定番として今後も続いていくといいな。
 毎回女性が物語の鍵を握るシリーズだが、今回は3人の女優がそれぞれ役柄にはまっていて魅力的。北川景子ってやっぱり美人なんだな・・・。麗子役の前田は、計算高いがあっけらかんとした女性を演じると非常にハマっており、やはり筋がいい。またマリの過去を知るかつての同僚(というか先輩)モンロー役の鈴木砂羽はどっしり構えた貫禄と気の良さが感じられる演技。今回のメイン登場人物であるマリはもちろんだが、麗子もモンローもキャラクターの存在感、こういう人なんだろうなと想像させる厚みがあってなかなか好感が持てた。
 マリの行動の動機がどうにもやるせなく切ない。他人から見たらバカみたい、何の意味もないように見えるかもしれないが、本人にとっては大真面目で、人生を賭ける価値がある。傍から見たら意味がない・得がないとわかっていても、突き動かされるようにやらざるを得ない、やらずにはいられない人が出てくる物語が自分は好きなんだなぁと改めて思った。それを否定しない探偵の悔恨と優しさが染みる。このシリーズ基本的に、この世から落っこちそうな人を探偵が助けようとする話なんだよな。

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『立ち去った女』

 教師だったホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)は、冤罪で投獄され30年になる。しかしある日、受刑者仲間のペトラがホラシアが犯人とされた殺人事件の真犯人だと告白。ホラシアに罪を着せたのは、ホラシアのかつての恋人・ロドリゴだと言う。ペトラは真相を告白した後、自殺してしまった。ホラシアは釈放され娘と再会するものの、夫は既に亡くなり、息子は失踪。ホラシアは復讐の為ロドリゴを追う。監督はラヴ・ディアス。原作はレフ・トルストイの短編小説『God Sees the Truth, But Waits(神は真実を見給ふ、されで待ち給ふ)』。
 228分という長尺だが、ディアス監督の作品の中では比較的短い方だそうだ。いくらなんでも長すぎるのではと思ったが、見ている間は不思議とさほど長さを感じない(肉体的にはじわじわ堪えてくるけど・・・)。むしろホラシアの旅路が2時間で収まるはずがない、じわじわと迂回しつつ進むのが妥当ではないかと思えてくる。時間の経過を体感することが、この作品においては非常に重要なのだと思う。
 本作の物語は王道メロドラマ、復讐譚だが、ホラシアは復讐の手前で躊躇し続けているように見える。物理的な旅はロドリゴを発見した時点で終わっているわけだが、彼女の心の変遷、精神的な旅路はまだ終わらない。実際にはロドリゴをロックオンして住家を手に入れ現地での商売も始め、更に情報源を確保してと着々と準備を進めていく。釈放された後の自宅の処分や管理人へのケアでもわかるのだが、ホラシアは行動力はあるし実務能力が高い人(しかも体術の心得もある)なのだ。彼女の立ち居振る舞いには、身一つで生きてきた人のかっこよさがある。
 しかしロドリゴへの一撃は遅々として始まらない。むしろ、彼女がその過程で接する人たちとのやりとりの方が豊かなドラマを見せてくる。卵売り、ホームレスの女性、食堂を任されている女性ら、どの人たちもそれぞれ訳有りっぽく、個々のドラマを背負っているであろう存在感がある。特にトランスジェンダーのオランドとの交流は、女友達同士のようでもあり親子のようでもあり、強い印象を残す。
 彼・彼女ら脇役が、ホラシアのドラマを復讐譚から徐々にずらして別の線路に乗せていくように見えた。それこそが、ホラシアの旅路だったのだろう。ある種の「行きて帰りし」物語であるようにも思える。特定の場所に帰るというよりも、自分の心の置き場が決まったという意味での帰郷。さまよい続けているのはむしろロドリゴの方だろう。神父とのやり取りからも垣間見られるが、彼の魂は休まる時がないのだ。

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『ダンケルク』

 第二次世界大戦中の1940年、北フランスまで勢力を広げたドイツ軍は英仏連合軍をフランス北部の港町・ダンケルクに追いつめていた。イギリス首相チャーチルは、ダンケルクに取り残された兵士40万人の救出を命じ、5月26日、軍艦の他に民間の船舶を徴収・総動員したダイナモ作戦が発動する。監督はクリストファー・ノーラン。
 IMAX版で鑑賞。自分が見られる上映形態のうち、ノーランが意図した画角に一番近いのがIMAXだということで選んだのだが、正直な所、上下左右、多少切れていても私は気付かなかったんじゃないかな・・・。どうしてもこの画角じゃないと駄目、というほどの絵の説得力は感じなかった。見比べれば色々と違うのかもしれないけど、わざわざ見比べる意欲が沸くかというと今一つ。私がこういう部分にあまり拘らないというのも一因だし、見ていると(内容とか音とか)結構疲れる作品だということも一因。 とは言え、疲れるというのは、それだけ迫力があるということでもある。特に音量、音響のデリケートさはIMAXで見て良かったと思える点だった。爆撃機のエンジン音の迫り方や銃撃の音など、見ていてびくっとするくらい迫ってくる。
 自分にとってノーラン監督の作品は、新作を初見で見ている間はすごく面白いんだけど、再見するとこんなに構成下手だったっけ?間延びしてたっけ?と思うことが多い。語り口があまり上手くないという弱点があるのだ。本作はノーラン作品としては尺がかなりタイトで、こなすべき出来事を短時間に圧縮してどんどん処理していく感じだった。慌ただしさ故に、物「語る」感がわりと薄く、そのおかげで弱点が目に付きにくかったように思う。浜辺の兵士、パイロット、民間船舶という3つの視点が入れ代わり立ち代わり提示されるが、それぞれ時間の圧縮具合が違うので、全体的に何がどうなってどことどこがつながるという流れはわかりにくい。これは意図的なものだろう。あえて俯瞰の「物語」を見せないことで、登場人物たちのその場のことしかわからないという、戦争の只中にいる感じが強まるのだ。
 ダンケルクの救出劇は、イギリスにとって敗退ではあるが人々の勇気と倫理(見殺しには出来ないという)を示した英雄的なエピソードだ。しかしこの出来事の後、戦争は更に激化し、更に大勢の人が死ぬ。登場人物の中にも、この後の命運が危うい人もいる。救出の高揚感は、一時の気休めみたいなものでもある。ラストに映し出される人物の顔がどこか懐疑的な表情にも見えるのは、周囲の浮き立ちに対しての違和感でもあるだろう。

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『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』

 19歳で史上最年少のロイヤル・バレエ団プリンシパルになったセルゲイ・ポルーニン。圧倒的な才能で絶賛されるが、2年後に突如退団を発表する。その後、ホージアの『Take Me To Church』のMV出演で再び注目を集め、YouTubeでのMV公開によりバレエファン以外にも知られるようになった。本人、家族、友人らのインタビューを通し彼の姿に迫るドキュメンタリー。監督はスティーブン・カンター。
  私はバレエには疎くてポルーニンの名前も本作で初めて知ったくらいなのだが、素人目にも子供時代から才能がずば抜けていることがわかる。特に横っ飛びにすっ飛んで行くような飛翔の仕方がすごい。えっこんなに飛ぶの!とびっくりする。彼の母親は息子の才能を確信し、家族全員で学費を工面してバレエ学校に入学させるのだが、実に先見の明があったということだろう。また、息子の才能と母親の確信を信じた家族も、本当に理解と愛情があったのだと思う。 しかし、費用の工面の為に父と祖母が出稼ぎに、更にイギリスにはポルーニン単身で渡るという状況の中、両親は離婚。誰のせいというわけでもなく、こういう状況だったらしょうがないんじゃないかなとは思う。ポルーニンが責任を感じることはないのだろうが、彼がバレエに打ち込んだのは経済面を含め家族の努力に報いる為(当人もプレッシャーを感じたと言っている)という側面も多々あったのだろう。ロイヤル・バレエ時代のポルーニンはスキャンダラスな言動でも有名だったそうだが、バレエに賭けたことで結果的に家族がバラバラになっていったことも、彼の迷走の一因だったのかもしれない。梯子を外されたような気がしたんじゃないだろうか。精神的に成長しきっていないまま地位を築いてしまった人の右往左往という感じがするのだ。
  また、ポルーニンのバレエ学校での担当教師によると、彼は振付をマスターしつつ、毎回違う解釈を加えてきたそうだ。彼の退団後の紆余曲折を見ると、バレエという枠にダンサーとしての彼が求めるものが収まり切らなかったのかなという気もする。もちろんバレエダンサーとして突出してはいるのだが、どんどんはみ出ていく感じの人なのかなと。
 本作、ポルーニン本人の言葉は意外と少ない。彼の周囲の人たちが見た彼、という側面の方が強いが、それも少々通り一遍な言葉であるように思った。家族の話にしても、アウトラインはなぞっているが彼の内面には迫っていないのだ。その為、ドユメンタリーとしては少々薄味になっている。ポルーニンを知らない人に紹介するにはいいが、既に知っている人には大分物足りないのではないか。ポルーニン自身が言葉での表現があまり得意ではない人なのではないかもしれない。彼の雄弁さはやはりダンスによるものだ。随所で挿入される彼が踊っている映像を見ると、もっとこれを見たい!と思うのだが、だったら彼のステージのDVDでも見ていればいいわけで、ドキュメンタリーを見る必要はない。ドキュメンタリーである本作が彼のダンスに負けている。撮影側が、ポルーニンに切り込めなかった(ポルーニンが距離を詰めさせなかった)んだろうなぁ。なお、ロックやポップミュージックを多用しており楽しいことは楽しいのだが、ちょっと音楽による説明過剰になっている気がした。エンドロールは正に!って感じではまっていたが。

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『ダイ・ビューティフル』

 長年の夢だったミスコンで優勝したトリシャ・エチェバリア(パオロ・バレステロス)は、突然死してしまう。トリシャは生前、葬儀では毎日メイクを変えてくれと親友に頼んでいた。彼女は裕福な家庭の一人息子として生まれたが、トランスジェンダーであることを認めない父親に家を追い出され、自分らしく生きようとしてきたのだ。監督はジュン・ロブレス・ラナ。
 トリシャの人生(と葬儀)の様々な局面を行ったり来たりする、少々目まぐるしい構成。時間の流れ通りに進行する葬儀と、過去の様々な局面との行ったり来たりであれば、もう少し整理された印象になるのだろうが、葬儀のシーンも時系列通りじゃないんだよなー。記憶はそもそも秩序立っておらず芋づる式に呼び起されるものだというなら、この構成で間違いではないんだろうけど、ストーリーの見せ方としてはちょっともたついている。しかしそれが疵にならないくらい、大変面白かった。1人の人間が自分の人生を生きようとした物語として、ぐっとくる。
 トリシャの父親は彼女をあくまで「息子」として見ているので、彼女のセクシャリティには全く理解がない。彼女が死んだ際も男の体に「戻して」葬儀をしようとする為、トリシャの友人たちは猛反発する。姉は彼女にもう少し同情的だが、やはり理解はできない。また、トリシャはなぜか恋愛運が悪く、イケメンと付き合ってもすぐに浮気されたり相手が訳ありだったりする。肉親の愛とパートナーとの愛には恵まれない人生なのだ。
 しかし彼女には、それを補って有り余る友人たち、そして養女からの愛がある。子供の頃からの親友バーブ(クリスチャン・バブレス)はトリシャを励まし笑わせ、時に彼女の代わりに怒ったり闘ったりもする(ちょっとだけ登場するバーブの母親のおおらかさも素晴らしい)。手厳しく彼女にはっぱをかける“ママ”やトランスジェンダー仲間たち等、彼女の周囲には人が絶えない。恋愛は上手くいかないし血のつながった家族とは絶縁状態だが、トリシャはそれに代わるような愛し愛される人たちを獲得している。彼女は恋愛にしろ養子を迎える流れにしろ、愛することをためらわない勇気がある人なんだなとわかるのだ。それが、周囲に人を集めるのだろう。
 葬儀での日替わりメイクは見事で、確かに不謹慎かもしれないけどSNSで拡散したくなるなと笑ってしまった。有名人のそっくりメイクというコンセプトなのだが、確かにものによっては完成度高い。

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『TAP THE LAST SHOW』

 天才タップダンサーとして一世を風靡したものの、ステージ上で事故に遭い引退した渡新二郎(水谷豊)。引退から10数年経ち酒に溺れる毎日を送っていた渡の元を、旧友の劇場支配人・毛利(岸辺一徳)が訪ねてくる。劇場を閉めることになったので、最後のショーを渡に演出してほしいというのだ。最初乗り気でなかった渡だが、オーディションに集まった若いダンサーたちを見るうち、本気になっていく。監督は主演もしている水谷豊。
 水谷豊初監督作品、かつ主演作だが、予想していたほど本人は全面に出てこない(演技がちょっとくどいのは気になったけど・・・)。なにはともあれダンサー達をしっかりと見せよう、タップダンスの魅力を伝えようという意思が一貫して感じられる。正直な所お話は少々古臭いし、若い俳優たちの演技も若干厳しい(プロのダンサーたちが演じているので、映画の芝居は本職ではない)。登場人物の造形も、設定は盛っているのに浅くてアンバランスだ。オーディションシーンでのコメディ色が大すべりしているのも痛い。
 しかし、ひとたびダンスが始まるとそういう疵が吹っ飛ぶ。そのくらいダンスシーンが楽しい。終盤の20数分間、ほぼぶっ通しでダンスショーを見せるという思い切った構成だが、これこそ見せたいところなんだよ!という熱気があった。ショーの途中でドラマの都合上観客の表情も映し出されるのだが、客席ショットでショーが中断されるのが勿体ない。確かに観客の反応がないとドラマっぽさは薄れるかもしれないけど、もっとダンスが見たい!という気持ちにさせられる。そう思わせた時点で本作は成功しているのだと思う。
 渡によるダンサーへのしごきは、デイミアン・チャゼル監督『セッション』を彷彿とさせるが、本作の方が私にとって好感度は高い。渡が、自分は去りゆく者だと自覚しており、去る前に若者たちに何か残してやりたいと必死になっていくからだろう。次の世代へ橋渡しするという部分が、ラストで明かされるとある設定でも明らかだが、そこを強調しすぎないのは良かった。とは言え設定を積みすぎな気はするのだが。
 なお、全力投球しているようには見えないのに、そこにいると画面が締まる岸辺一徳はもちろん、毛利の片腕・吉野役の六平直政がチャーミングだった。彼の衣装が一番良かった気がする。三つ揃いが固くなりすぎずに、かわいい(笑)着こなしだった。


 
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『ダブルミンツ』

ごく普通の会社員、壱河光夫(淵上泰史)に1本の電話がかかってきた。発信元は高校の同級生で今はチンピラまがいの生活をしている市川光央(田中俊介)。光夫は高校時代、光央の「犬」として下僕扱いをされていた。光央は「女を殺した、なんとかしろ」と言う。数年ぶりで光央と再会した光夫は彼の共犯者になり、2人の関係は徐々に変化していく。原作は中村明日美子の同名漫画。監督・脚本は内田英治。
 根強いファンがいる漫画なり小説なりが原作の場合、あくまで原作に沿うのか映像作品として新たな解釈をするのか、さじ加減が難しい所だと思う。特に漫画原作の場合はビジュアルのイメージが既に固まっているから、どこまで原作のイメージに寄せるかという部分は活字原作よりもやりにくいだろう。ビジュアルイメージがかけ離れ過ぎたら原作ファンの反感をかう、かといって原作そっくりにすれば映画が面白くなるのかというとそうでもない。本作は、このあたりのどこを寄せてどこを寄せないか、という取捨選択が上手くいっていたように思う。漫画はあくまで原作、実写映画には実写映画としての見せ方があるという、当然と言えば当然のことがきちんとできているなという印象だった。脚本も内田監督が手がけているが、原作の咀嚼・再構成が上手くいっていると思う。
 光夫と光央の関係は、倒錯した主従関係でありつつ、時に主と従が逆転しそうな兆しも見せる。光央は傲慢で光夫を翻弄するが、どこか不安定で脆さも見える。ヤクザにもなりきれず、かといって気質に戻る気骨もない。彼の不遜さはその不遜さをぶつける光夫がいればこそだ。一方光夫は光央に翻弄されているようでありつつ、何でも従うことで逆に光央をじわじわ縛り付けているようにも見える。この反転し続ける共依存的な主従関係はBLの定番ではある(んですよ・・・)が、あえて関係性に名前をつけられないような演出にしているところにわかっている感がある。お互いに執着はあるが恋愛とも言い切れず、おそらく彼ら自身(特に光央は)も自分の行動が何を意味するのかよくわかっていない。あいまいで多面的な関係であるからこそ面白い。
 主演俳優2人が好演していた。わかりやすいルックスの良さではなく、ちょっとアクのある風貌の俳優を起用したのは正解だったのでは。特に光夫役の淵上は、冒頭のオフィスのシーンが大根役者っぽかったので大丈夫かな?と思ったのだが、後半でどんどん追い上げてきた感じ。また要所でベテラン俳優を起用して安定感を保っているので、割と安心して見られた。

ダブルミンツ (EDGE COMIX)
中村 明日美子
茜新社
2009-07-24




下衆の愛DVD
渋川清彦
SDP
2016-11-25


『台北ストーリー』

 不動産会社で働くアジン(ツァイ・チン)と稼業の布地問屋で働くアリョン(ホウ・シャオシェン)は幼馴染で、過去に色々あったらしいが何となく関係が続いている。昇進を控えたアジンだが、勤務先が大企業に買収され解雇されてしまう。渡米したアリョンの義兄を頼って、2人でアメリカへ移住しようとも考えるが、アリョンはなかなか踏ん切りがつかない。監督はエドワード・ヤン。4Kデジタル修復され、待望の日本公開となった。1985年の作品。
 80年代、日本と同じく好景気に沸く台北が舞台。冒頭、アジンは念願のマンションを購入する。徐々に内装が整うマンションの室内は、当時の「ちょっとおしゃれな単身者の住まい」風で、うーんこれは仕事も私生活もぶいぶいゆわせてゆく系の調子良好な都会人たちの話なのかしら・・・と思っていたら、アジンがいきなり失職するし再就職なかなかしないしで、むしろ調子悪くなっていく話だった。なんとなく続けていた青春時代の名残、モラトリアム期間が、とうとう霧散していくようなはかない味わいがある。
 アジンはアメリカへの移住を望むが、台北での生活に具体的な支障があるわけではない。今の生活に行き詰まりを感じており、環境を変えたいのだ。アリョンは彼女に、結婚しても移住しても何かが変わるとは限らないと言い放つが、確かにその通りでもある。ただ、アリョンはアリョンで今の自分の生活に所在なさを感じている。アリョンが少年野球のエースとして活躍し周囲からも期待されていたらしいという話が何度も出てくるが、今の彼は野球選手ではない。彼の人生のピークはあまりにも早く来てしまった。アリョンはアメリカへ行ったり日本へ行ったりもしているみたいだが、やはり自分の居場所を掴みあぐねている。継いだ稼業にも向いているとは思えないし、同年代の起業家たちのように貪欲にもなれない。アリョンのふらふらとしているうち、なんとなくここまで来てしまったがこの先どこへいけばいいのかわからないという状況は、身につまされるものがあった。2人はもし結婚したとしても、アメリカに移住したとしても、どこへも行けない気持ちのままだったのではないか。「どこか」「いつか」などないと断念するしか、今ここから抜け出す方法はないのかもしれないが、それがちょっときついのだ。
 好景気が背景なのに、アジンとアリョンの周囲は金に困っているという話ばかりだ。世間の景気と自分の景気は違うという所も、なんだか身につまされた。アジンは父親の借金のとばっちりをずっと受けているし、アリョンは安易に人に金を貸してしまいトラブルになる。アジンが母親に金を都合した後のシーンが印象深い。アジンはすぐにその場を立ち去るが、母親は帰り道がわからず往生している。アジンには母を案ずる余裕がないのだ。2つの世代の間にはっきりと断絶がある(子は親を、親は子を最早理解できない)のに、親子の関係は切ることができないというもやもやを、アジンもアリョンも抱えているように見えた。



『タレンタイム 優しい歌』

 マレーシアのとある高校で、音楽コンクール「タレンタイム」が開催されつことになった。ピアノの弾き語りで出場するムルーは、彼女の送迎役になった耳の聞こえないマヘシュと恋に落ちる。オリジナル曲をギターの弾き語りで披露するハフィズは、母が末期の脳腫瘍で入院中。二胡奏者のカーホウは、何でも一番になれという父親からのプレッシャーに苦しみ、成績優秀なハフィズがカンニングをしたと嘘をついてしまう。監督はヤスミン・アフマド。
 ロミオとジュリエット的な恋愛、難病、同級生への嫉妬や家族問題等、ベタに泣かせてきそうな要素がてんこ盛りなのだが、不思議とそういう印象を受けない。一歩間違うと下品、通俗的すぎになりそうなところを、品よく踏みとどまっており、ベタだがとても瑞々しい。要素がトゥーマッチなのにそう感じさせないところが、面白いと思う。風通しがいいのだ。マレーシアは多民族、多宗教の多文化国家で特に都市部は様々な文化が入り混じっているようだが、その様々加減が本作に現れているように思う。
 群像劇であり、ムルーとマヘシュの恋愛が中心にあるのだが、強く印象に残るのは様々な家族の姿だった。ムルーの両親は父親が英国人、母はムスリムのマレーシア人で、結構裕福層な家庭だ。そしてとても仲がいい。特に父親と娘たちがダンスを披露しあう姿、足を「挙手」する父親の姿等には、通り一遍の「仲の良さ」演出ではない手応えがある。こういうやりとりが日常的で、関係性が密である様子がよく伝わるのだ。
 一方、マヘシュの家は父親が亡くなっており経済的には厳しいながらも、やはり家族仲はいい。しかし母親はある事件が起きたことで心を閉ざし、更にマヘシュがムスリムのムルーと恋に落ちたことに激怒する(マヘシュの家はヒンドゥー教)。また、ハフィズと母親の間には強い絆があり、ハフィズは本当に献身的なのだが、母親は自分が苦しむ姿を見せたくはない。お互いに愛情はあるが、それゆえに苦しんだりすれ違ったりする。基本的に、仲が険悪な家族は描かれていない為に、そのすれ違いが一層際立つのだ。また、仲がいい家族であっても、親は親、子供は子供であり、子供は保護される存在だが、同時に親子それぞれ独立した人格だという部分は踏まえられており、安心感があった。

『たかが世界の終り』

 作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)は自分の死期が近いことを家族に告げる為、10数年ぶりに実家に帰る。母マルティーヌ(ナタリー・バイ)は息子の帰郷にはしゃぐが、兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)や年の離れた妹シュザンヌ(レア・セドゥー)の態度はぎこちない。アントワーヌの妻カトリーヌ(マリオン・コティヤール)は家族と衝突しがちなアントワーヌのフォローでマルティーヌにもルイにも気を遣う。ルイは告白するタイミングを見失っていく。原作は劇作家ジャン=リュック・ラガルスの舞台劇『まさに世界の終り』、監督はグザヴィエ・ドラン。
 相変わらず劇中音楽の選曲が上手い。あまりに嵌めすぎ、ショットの切り替えを音楽に合わせすぎで鼻につくという部分もなきにしもあらずなのだが、音楽と映像のリズムが合っているとそれだけで気分が上がるので、これはこれでいいと思う。ちゃんと物語のシチュエーションに合っている。ただ、それ以外の部分は意外とテンポが悪いのは残念。元々舞台劇だったからか、幕間のように何度か画面が暗転するのだが、それによってリズムが乱れているように思った。あんまり小刻みにしない方がよかったのかな。映像は概ね美しく、鮮やかな色の洗濯物や毛布が風に舞うシーンなどドラン監督が一躍スターダムになった『わたしはロランス』を彷彿とさせる。また、室内に差し込む光のとらえかたが美しい。ただ、本作の場合はその美しさ、スタイリッシュさがあまり機能していないように思った。むしろ、もっと泥臭い映像と演出だったらより印象が深まったかもしれない。
 ルイはゲイで、家族にはカミングアウトしていることがさらっと冒頭に明かされる。とは言え、ゲイだからというだけで家族から受けいられなかったというわけではなさそう。また彼は小説家、しかもそこそこ売れているらしいという文化的背景があるのでよけいに他の家族からすると異物感があるのだろう。そもそもこの家族は、お互いがお互いに対して異文化であり、会話を続けることがとにかく困難そうなのだ。家族として全く愛情がないわけではない。思いやりの心もある。しかしそれがプラスに働くことがないという、家族という泥沼を見てしまった感がある。家族だから理解しあえる、心が通じるというのは幻想で、距離を置いた方が円満に収まる家族もいるのだ。
 マルティーヌ、アントワーヌ、シュザンヌがやたらと大声で話すので、ヒステリックな印象を受ける。マルティーヌはひたすら自分の話を聞いてほしがり、アントワーヌはそれに反発して怒鳴り、さらにそれに反発してシュザンヌがわめくという悪循環。相手の話を聞く態勢が出来ないまま、ここまで来てしまった家族なのだろう。ルイは物静かではあるのだが、彼もまた相手の話に耳を傾けるという風ではない。彼は観察者ではあるが、対話者ではないのだ。彼だって変わる気がないという点では、他の家族と大差ない。自分の人生の終わりが見える時点になってもなお、人は変われないものなのか。

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