3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『その手に触れるまで』

 13歳の少年アメッド(イディル・ベン・アディ)はイスラム指導者に感化され、過激な思想にのめりこんでいく。とうとう学校の教師をイスラムの敵として危害を加えようとするが。監督・脚本はジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ。
 ダルデンヌ兄弟作品の主人公は、必ずしも共感できる人ではない、何を考えているのか行動原理がわからない人物であることが少なくない。本作の主人公であるアメッドはその中でも特に不可解であり、共感できない主人公だろう。アメッドがなぜ過激な思想に傾倒していくのか、何をもって教師を敵とみなしているのか、周囲からはわからないし、作中で説明もされない。カメラはアメッドの行動をじっと見つめるのみだ。
 アメッドの母親は彼の変化を理解できず「昔のあなたに戻って」と泣くが、アメッドにそれが響いている様子は見られない。また更生施設の職員たちや、実習先の農場主やその娘など、彼に関わり、彼を引き戻そうとする。しかし、その言葉も試みもなかなか届かない。特に、農場主の娘はアメッドと同年代で彼と親しくなるが、届きそうで届かないままだ(彼女のアプローチがちょっとセクハラまがいだというのもあるけど…)。アメッドは彼女に好意はあるのだろうが、彼女に提示する「条件」は、他者、特に女性を対等の存在として扱っていない、尊重していないものだ。カウンセラーがアメッドに教師との面会を許さないのは、彼にその自覚がないからでもあるだろう。どうすればそこに気が付けるのかというアメッドの周囲の格闘を見ているようでもあったが、自分で気付くしかないんだろうな…。アメッドが「気付く」、というかぽろっと引き戻されるシチュエーションがあんまりにもあんまりなので、そこまでやられないとだめなのか!かつそこで終わるのか!という衝撃。
 アメッドはイスラムのコミュニティの中で生活しているが、イスラム教徒であっても信仰との向き合い方が様々な様子が垣間見えた。アメッドの学校の教師が地元のイスラムのコミュニティで、放課後学級でのイスラム語指導の仕方について話し合いをする。保護者の中には、授業の内容についてもあくまでコーラン上の言葉を扱うべきだという人も、将来働くためにも世俗的な言葉に慣れておくべきだという人も、様々だ。そういうコミュニティと関わり続ける教師の労力は大変なものだし、アメッドらに関わり続けようとする姿勢には頭が下がる。しかし彼女の誠意が地元のイスラム指導者は気に入らず、アメッドが起こす事件につながる。教師としてのまともさがリスクになる世界って何なのだろう。イスラム指導者とアメッドの言動から垣間見られるミソジニーの強烈さ・根深さもきつい。もし教師が男性だったら、彼らの敵意はここまでエスカレートしなかったのでは。

午後8時の訪問者(字幕版)
オリヴィエ・グルメ
2017-10-06


サンドラの週末(字幕版)
カトリーヌ・サレ
2015-11-27


『ソン・ランの響き』

 1980年代のサイゴン。借金の取り立て屋ユン(リエン・ビン・ファット)は、ベトナムの伝統歌舞劇カイルオンの俳優リン・フン(アイザック)と知り合う。リン・フンは劇団に取り立てに来たユンに敵意を向けるが、店の客に喧嘩を売られた彼をユンが助けたことで距離が縮まっていく。実はユンの父親は民族楽器ソン・ランの奏者、母親はカイルオンの女優だった。ユン自身もかつてはソン・ラン奏者を目指していたのだ。監督はレオン・レ。
 すごくきちんとしているというか、かっちり組み立てられた作品という印象だった。丁寧に律儀に作っていると思う。ベトナムの映画を見ることは今まであまりなかったのだが、夜のシーンが多い映像が美しい。80年代のサイゴンの雰囲気もあいまってビジュアルも魅力があった。なお、ファミコンがとても効果的な小道具になっておりノスタルジー掻き立てられる。
 ユンは粗暴なようでいて自宅で鉢植えを育てていたり、部屋も質素ながら小ぎれいだったり、また借金取りとして非情になりきれなかったりと、繊細な面を見せる。演じるファットがこれがデビュー作とは思えないほど微妙なニュアンスを表現していてとてもよかった。一見荒んでいるけど荒み切れないが故の苦しさみたいなものがにじみ出ていたと思う。
 花形俳優であるリン・フンは酒も博打もやらず演技に打ち込む、非常に生真面目な人柄。また、いわゆるマッチョな男らしさを誇示せず、誇示しなければという男らしさのプレッシャーからも自由(と言うか退けている)ように見える。ユンも本来はそうなのだろうが、職業上、暴力性を伴う男らしさを示さざるを得ず、それが彼の生き辛さにつながっているように思えた。取り立て先の子供に対する態度等、やる必要はないし立場上それは悪手なのだろうが、せずにはいられない人なのだ。その矛盾から抜け出し本来の自分に戻ろうとした矢先に、業が巡ってくる。
 リン・フンと出会ったことでユンの人生は大きく動き始める。魂が響きあうとはこういうことかというほど、2人のわずかな交流は心が温まる、まぶしく切ないものだ。結果はどうあれ、ユンはリン・フンと出会えて幸せだったのではと思える。

第三夫人と髪飾り [DVD]
レ・ヴー・ロン
TCエンタテインメント
2020-06-10


ウィークエンド WEEKEND [Blu-ray]
ローラ・フリーマン
ファインフィルムズ
2020-04-29




『象は静かに座っている』

 中国の田舎町。高校生の少年ブー(パン・ユーチャン)は友人をかばい、不良の同級生シュアイを階段から突き飛ばし重傷を負わせてしまう。シュアイの兄はヤクザのチェン(チャン・ユー)。ブーはチェンと手下に追われて町を出ようとする。そのチェンは親友を自殺に追い込んでしまい、自責の念に駆られていた。監督はフー・ボー。
 234分の長尺だが、作中で経過している時間はたぶん1,2日。チェンの親友の自殺、シュアイの階段からの転落という2つの落下が登場人物たちの心を揺さぶり、波紋を広げていく。閉塞感が強く、動いてはみるもののどこへも行けそうにない辛さがある。彼らが漠然と目指すのは、「座り続ける象」がいるという満州里。そこへ行けば何かが変わるという保証もないのだが。
 ブーも友人の少女リン(ワン・ユーウェン)も、家族との折り合いが悪く家に居場所がない。特にリンと母親の関係は険悪(母親の言動が結構すごい。娘にそういうこというか…)で、彼女は教師との関係に居場所を求めるが、当然そちらもうまくいかない。またブーの近所に住む老人ジン(リー・ツォンシー)は娘夫婦と同居しているが、老人ホームに入ってほしいと言われる。チェンは恋人に愛想をつかされつつある。皆、居場所がないし行くべき場所もない。宙ぶらりんなのだ。何か一歩を踏み出そうとするごとに腰を折られるような展開、熱意の空回りが繰り返されるのがおかしくも悲しい。ああやっぱりどこにもいけないのかと思わせる。最後、ほのかに先を予感させるが「声」の実態は見えずまだ薄闇の中だ。
 恋人、家族、親友など、本来なら支えとなり助けとなる関係性が、ことごとく機能を果たしていない。前述のとおりブーもリンも家族と折り合いが悪く、トラブルがあっても相談できないし頼りにできない。シュアイは恋人に未練たらたらだが、関係に先が見えないことは双方わかっている。ブーと親友との関係の顛末も実に苦い。どの関係性においても、一方がこうと思い込んでいるものに対してもう一方は同調を拒み、双方向の関係にならないのだ。「お前のせいだ」という責任転嫁が何度か反復されるが、その都度はねつけられるというのはその象徴だろう。親密な関係性に対する幻想を許さないというところに時代の空気が感じられる。

孔雀 我が家の風景 [DVD]
チャン・チンチュー
アミューズソフトエンタテインメント
2007-07-27


ヴェルクマイスター・ハーモニー [DVD]
ラルス・ルドルフ
紀伊國屋書店
2003-01-25


 

『空の青さを知る人よ』

 秩父の町に住む高校生のあおい(若山詩音)は、13年前に両親を亡くし、姉のあかね(吉岡里帆)と2人暮らし。あおいは東京でバンドをすることを目指し、受験勉強もせずベースの練習に打ち込む。地元を離れようとするのは、あおいの面倒を見る為に、当時付き合っていた慎之介(吉沢亮)と上京することを断念し、地元で就職したあかねへの負い目もあった。そんな折、町おこしの祭りに来た有名演歌歌手のバックバンドの一員として慎之介が帰郷してくる。それと同時に、高校生当時の慎之介があおいの前に現れるのだった。脚本は岡田磨里、監督は長井龍雪。
 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってるんだ』に続く秩父を舞台とした作品。ただ、少年少女たちの物語だった前2作に対し、本作はむしろ、かつて少年少女だった人たち、大人2人の物語という側面が強かったと思う。私が年齢的に大人の立場で見ているからということもあるが、あおいのエピソードはちょっと印象が薄かった。後で謝るとは言え同級生に対する態度がものすごく失礼(相手も相当無遠慮なんだけど、あれだけ言われて怒らないとはなんて心が広いんだ…)というくらいしかインパクトが残らなかったんだよね…。
 あおいとあかねは仲のいい姉妹と言えるだろう。しかしあおいは、あかねの人生、10代から30代にいたるまでの彼女の時間を自分が奪ってしまったと罪悪感に駆られており、自分が離れればあかねも「自分の人生」を歩めるだろうと考えるのだ。とは言え、あおいと過ごした時間もあかねの人生であり、彼女が不幸か幸せかはあかねが決めることだ。あかねの幸せはあかねが決めることだと見落としているあたりが、あおいの若さ・視野の狭さなのかなと思った。また、慎之介の「自分あかねを幸せにしないと」という思いもまた、独りよがりなものだろう。あかねにはあかねの空の青さがある。
 なので、エンドロールのおまけ的映像はちょっと蛇足というか、本作の趣旨からずれたものになってしまっている気がした。ああいう、当初思い描いていたような未来がなくてもそれぞれ幸せになれるはず、というのが趣旨なのではなかったか。10代の頃の思いと30代になってからの思いはそもそも違うしな…。


心が叫びたがってるんだ。 [Blu-ray]
水瀬いのり
アニプレックス
2016-03-30


『存在のない子供たち』

 12歳の少年ゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)は両親を訴える裁判を起こした。罪は「僕を生んだ罪」。ゼインは出生届が出されておらず、生年月日がわからないし社会に存在すらしていない扱いになっている。学校に通うこともなく、路上で物売りをする毎日だった。大切な妹が11歳で強制結婚させられたことがきっかけで、ゼインは家を飛び出す。監督・脚本はナディーン・ラバキー。
 試写で鑑賞。幼い子供が辛い目にあい続けている、かつそこそこ長いので見ていて結構辛かったのだが、力作。ゼインはなぜ自分を産んだのかと両親を責めるが、彼が置かれた苦境はむしろ社会のシステムの問題であって、個人がどうこう出来る規模の問題ではないだろう。ゼインの両親が子供たちに対してやっていることは、子供の人権といったものを全く無視しているし倫理的にも許されない(特に妹の運命は痛ましい)。面会に来た母親に対してゼインが取る態度は、これまでこの親子がどういう関係だったのか、親が子に何をしてきたのか端的に表している。子供が全然守られていないのだ。母親とゼインとの問題意識が全くすれ違っていることが辛い。
 ただ両親もまた、ゼインと同じく出生届のない、世の中からは「ないもの」にされている存在だ。ないものに対しては社会的な保障も、保護も与えられないというわけだ。そういう環境、仕組みの中で生きてきた両親には、他のやり方は最早わからないだろう。家出したゼインを助けてくれる、不法滞在者の女性も同様だ。「ないもの」から、「ないもの」であることにつけこんでまた搾取しようとする人達もおり、それがまた辛い。ゼインたちの境遇を家族や個人の責任にとどめず、彼らを「ないもの」にしている政治家、世間へのサイレン的な思いが込められている。貧困は国の失策なのだ。社会保障が個人を個人として存在させる、人の搾取を食い止める(少なくとも子供を売るような事態は避けられる)という側面はあるだろう。
 ゼインの、今を何とかしたいというもがきが痛ましくはあるのだが、彼は大人びているがさめきってはいない。まだこの世界を諦めていないまなざしは、物悲しげだが力強かった。なりゆきで赤ん坊と2人で生活をしなくてはならない様など、本当にはらはらしてしまうし、見ていてしんどいのだが、子供は圧倒的に「今」を生きているなと感じさせる作品でもあった。それは監督が彼らにはこの先が、光がなくてはならないと確信しているからでもあるんだろうけど。

キャラメル [DVD]
ナディーン・ラバキー
オンリー・ハーツ
2009-07-24






駆ける少年 [DVD]
マジッド・ニルマンド
紀伊國屋書店
2013-09-28

『それだけが、僕の世界』

 かつてはボクサーとしてアジアチャンピオンになったものの、今は落ちぶれその日暮らしをしているジョハ(イ・ビョンホン)。ある日偶然、17年ぶりに母親と再会し、サバン症候群の弟ジンテ(パク・ジョンミン)がいることを知る。なりゆきで実家で暮らし始めたジョハは、母親から弟がピアノコンクールに出られるよう面倒を見てやってほしいと頼まれる。ジンテは一度聞いた演奏は完璧に再現できる、天才的なピアノの腕を持っていたのだ。監督・脚本はチェ・ソンヒョン。
 邦題は内容と合っているようないないような(多分主題歌から取っている題名なので、原題通りなのかもしれない)。それだけが彼の世界「ではない」ことが描かれた作品だと思う。ジョハはある事情でボクサーとしての人生を絶たれ、孤独に生き、家族との縁もないと思っていた。しかし、ジンテとの出会いでそうではないとわかってくる。またジンテも母とピアノだけの世界に生きているが、ジョハが現れたことで新しい家族が出来、更にピアノで世界とつながることを覚える。事故に遭って隠居生活をしていたピアニストも、新たに自分の音楽の世界を掴もうとする。今自分の世界だと思っているものだけが全てではないのだ。ファミリードラマ、兄と弟の絆の物語としての側面が強いが、ある道を絶たれた人たちが、自分以外の才能を体を張って世に出そうとする、そのことによって自分もまた生き直すという側面も強い。ジンテのピアノを初めて聞いたジョハの表情は「目が開かれた」ように見える。弟の姿が一新されるのだ。
 親子関係について安易なハッピーエンドにしない所に誠実さがある。母とジョハとの失われた過去は、もう取り戻せないのだ。今から再構築しても何もなかったことには出来ないというほろ苦さがある。ジョハはおそらく、母を心から許すことは出来ないだろう。仕方なかったと受け入れていくしかないのだ。弟の部屋の写真を見る姿や、迷子騒動の顛末が何ともやるせない。自分に与えられなかったものが何で弟には与えられているんだという割り切れなさは、何歳になっても、それこそ40歳越えても消えるものではないのだ。
 ジョハと母との間にはわだかまりがある。それだけに一層、家族写真でおどけ、母とのダンスに興じる姿に、ジョハが本来持っている優しさが窺える。どちらもとても良いシーンだった。

エターナル 通常版 Blu-ray
イ・ビョンホン
ポニーキャニオン
2018-07-04




『それから』

小さな出版社の社長キム・ボンクン(クォン・ヘヒョ)は、新人スタッフとしてソン・アルム(キム・ミニ)を雇う。アルムの出勤1日目にボンクンの妻が来社し、アルムをボンクンの浮気相手と勘違いして責め立てた。同じ夜、ボンワンの本当の愛人で部下だったイ・チャンスク(キム・セビョク)が戻ってくる。監督はホン・サンス。
 男女のしょうもないやりとりが延々と続き、絶対その場に交じりたくないと思うが、妙に面白い。大人のダメさとだらしなさが縦横無尽なのだが、それが彼らの可愛げになっており見ていて不快にならないところが面白い。大人に対する期待値が低そうな映画だ。恋に浮足立っているボンクンのふわふわ加減や独りよがりなセンチメントにしろ、アルムが彼の愛人と間違えられたと知ると、彼女と不倫していることにすればいじゃない私は奥さんに顔割れてないし!と言いだすチャンスクにしろ、結構身勝手でおいおい!と突っ込みたくもなる。
 三角関係に巻き込まれた形になるアルムはいい迷惑ではあるのだが、彼女は彼女でボンクンに形而上的な議論をふっかけたりその議論にあまり実がなさそうだったりと、なんだか青々しい。アルムは生真面目なんだかふざけているんだかよくわからないところがチャーミングだった。タクシー車中のシークエンスは、本作内で最もキム・ミニが美しく魅力的に映っているのではないだろうか。
 3人の“それから”は非常にあっさりとしている。あの盛り上がりは何だったの、というオチの決まらなさが、そんなものだよなぁという諦観とおかしみの余韻を残す。社長たちは次の段階へ進んでしまい、アルムだけまだ“それから”と言える段階に辿りついていないようにも思えた。彼女は他の登場人物に比べるとまだ青年のようなのだ。

ソニはご機嫌ななめ [DVD]
チョン・ユミ
紀伊國屋書店
2015-05-30


教授とわたし、そして映画 [DVD]
イ・ソンギュン
紀伊國屋書店
2013-05-25


『早春』

 公衆浴場で働き始めた15歳の少年マイク(ジョン・モルダー=ブラウン)は、職場の先輩であるスーザン(ジェーン・アッシャー)に憧れる。しかしスーザンには婚約者がいた。片思いを募らせたマイクの行動はエスカレートしていく。監督はイエジー・スコリモフスキ。1970年の作品で日本では1972年に劇場公開されたが、この度デジタルリマスター版で上映された。
 スコリモフスキの青春残酷物語!スーザン側からしたらマイクの暴走は結構怖いし、ストーカー行為に他ならないだろう。とは言え、可愛い後輩でもあるし、本来気のいい少年なんだろうしからかいたくもなる。双方の思いの食い違いが行くところまで行ってしまうのが悲しい。
 少年の片思いの悲劇であると同時に、いきなり「世の中」に放り出されてしまった故の悲劇であるようにも思った。マイクは高校に進学せずに働き始めているので、まだ子供といっていいくらい。女性客の思わせぶりな態度(公衆浴場ってこんなセクハラ三昧の職場なの?!)に混乱しっぱなしだし、職場に両親が来たら無邪気に喜ぶ。まだ大人としての立ち位置を獲得しておらず、スーザンがいるような大人の世界、好き嫌いだけではない人間関係の機微はよくわかっていない。そのよくわかっていなさが、事態をややこしくしていく。思いがまっすぐすぎて、「これは無理目だろ」という引き際を見失っているのだ。そこ、どんなに押しても扉開かないよ・・・!スコリモフスキは近年の『アンナと過ごした4日間』でも、一見不可解で不気味にも見える片思いのありかたを描いた。自分の思いをコミュニケーションに落とし込めない人たちの悲しさがある。
 デジタルリマスター版だからということもあるだろうが、色彩が鮮やか。プールの青色、ペンキの赤色、そしてスーザンの黄色いエナメルコートのコントラストが美しい。

早春 デジタル・リマスター版 [Blu-ray]
ジェーン・アッシャー
復刻シネマライブラリー
2018-03-23


アンナと過ごした4日間 Blu-ray
アルトゥール・ステランコ
紀伊國屋書店
2012-11-24

『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』

 灯台守の父と暮らす少年ベンの母親は、妹シアーシャを生むと姿を消し、以来、父親は悲しみに暮れていた。祖母は子供達を自分の家に引き取ろうとし、2人は嫌々ながら町に住むことになる。しかしシアーシャがフクロウの魔女に連れ去られてしまう。土地の妖精たちによると、シアーシャは妖精セルキーなのだと言う。ベンはシアーシャを助ける為に魔女の家に向かう。監督はトム・ムーア。
 ビジュアルが素晴らしい!アイルランドが舞台でケルト文化が背景にあるので、美術のそこかしこにケルト風の文様がちりばめられている。エンドロールでイメージボードやキャラクターデザイン表が見られるが、本にまとめて出版してほしいくらい。円をベースにデザインした風のキャラクターは、シンプルだがデザインも動きも可愛らしい。特に犬とおばあちゃんたちのデザインは秀逸だと思う。
 可愛らしく美しいおとぎ話だが、実はかなりしんどい物語ではないだろうか。兄妹の母親は妖精だった為に、人間の世界では暮らせなかったらしいということがなんとなくわかってくるが、人間の世界で暮らせないということは、この世にいられない、あの世へ行ってしまったということでもある。家族がそろって暮らせる日はおそらくもう来ない。そして父親が自分の哀しみで手一杯で、子供達の方になかなか気持ちが行かない。そうすると、子供達は子供達で母親が恋しいわけで、どんどんあの世の方に近づいてしまう。祖母のやり方は横暴ではあるのだが、子供達をなんとかこの世側に引き戻そうとしているとも言える。父親が出てくる度に、お父さんしっかりして・・・!とハラハラしてしまった。父親が動き出すことが、物語をめでたしめでたしで終わらせるには必須なのだ。
 ベンとシアーシャの冒険物語であると同時に、身近な喪失とどう向き合っていくかという物語でもある。フクロウの魔女と、彼女の息子である石化した巨人のエピソードは、ベンとシアーシャの父親の姿にも重なった。

『草原の実験』

 見渡す限りの大草原の中、少女(エレーナ・アン)は父親と2人で暮らしている。訪ねてくるのは少女に思いを寄せる幼馴染の青年くらい。ある日、車が故障して立ち往生していた青い目の青年と知り合い、ほのかな三角関係が生じる。監督はアレクサンドル・コット。
 せりふは一切ないが、ファンタジーないしはSFめいた雰囲気にマッチしていて、寓話感がより高まる。俳優たちのルックス(エレーナ・アンの美少女ぶりもさることながら、父親役の俳優の風貌は強烈な印象を残す)に加え、地平線が見えるほどに真っ平らなロケ地の風景の力も強い。こういう風景あまり見慣れていないというのもあるんだろうけど(日本て本当に山の国なんだなーと実感した)。撮影がとてもよく、詩情に満ちている。タルコフスキーが引き合いに出されるのもよくわかる(ネタから連想するというのもあるだろう)。
 せりふがないことで詩情は高まるが、逆に人と人とのやりとり、交情のありかたがシンプルすぎて、おそらくギャグではないんだろうが笑っちゃうところも。男子2人が取っ組み合うところとか、いまどきそれか!いつの時代の青春ドラマだ!と失笑しそうになった。
 詩情が漂えば漂うほど、ラストのショックは強くなる。ラストで起こる事態は、少女にも青年たちにも少女の父親にも関わりない、全く別の文脈のものだ。その別の文脈によって彼女らの文脈が突然断ち切られてしまうという暴力性に立ちすくんでしまう。

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ