3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』

 灯台守の父と暮らす少年ベンの母親は、妹シアーシャを生むと姿を消し、以来、父親は悲しみに暮れていた。祖母は子供達を自分の家に引き取ろうとし、2人は嫌々ながら町に住むことになる。しかしシアーシャがフクロウの魔女に連れ去られてしまう。土地の妖精たちによると、シアーシャは妖精セルキーなのだと言う。ベンはシアーシャを助ける為に魔女の家に向かう。監督はトム・ムーア。
 ビジュアルが素晴らしい!アイルランドが舞台でケルト文化が背景にあるので、美術のそこかしこにケルト風の文様がちりばめられている。エンドロールでイメージボードやキャラクターデザイン表が見られるが、本にまとめて出版してほしいくらい。円をベースにデザインした風のキャラクターは、シンプルだがデザインも動きも可愛らしい。特に犬とおばあちゃんたちのデザインは秀逸だと思う。
 可愛らしく美しいおとぎ話だが、実はかなりしんどい物語ではないだろうか。兄妹の母親は妖精だった為に、人間の世界では暮らせなかったらしいということがなんとなくわかってくるが、人間の世界で暮らせないということは、この世にいられない、あの世へ行ってしまったということでもある。家族がそろって暮らせる日はおそらくもう来ない。そして父親が自分の哀しみで手一杯で、子供達の方になかなか気持ちが行かない。そうすると、子供達は子供達で母親が恋しいわけで、どんどんあの世の方に近づいてしまう。祖母のやり方は横暴ではあるのだが、子供達をなんとかこの世側に引き戻そうとしているとも言える。父親が出てくる度に、お父さんしっかりして・・・!とハラハラしてしまった。父親が動き出すことが、物語をめでたしめでたしで終わらせるには必須なのだ。
 ベンとシアーシャの冒険物語であると同時に、身近な喪失とどう向き合っていくかという物語でもある。フクロウの魔女と、彼女の息子である石化した巨人のエピソードは、ベンとシアーシャの父親の姿にも重なった。

『草原の実験』

 見渡す限りの大草原の中、少女(エレーナ・アン)は父親と2人で暮らしている。訪ねてくるのは少女に思いを寄せる幼馴染の青年くらい。ある日、車が故障して立ち往生していた青い目の青年と知り合い、ほのかな三角関係が生じる。監督はアレクサンドル・コット。
 せりふは一切ないが、ファンタジーないしはSFめいた雰囲気にマッチしていて、寓話感がより高まる。俳優たちのルックス(エレーナ・アンの美少女ぶりもさることながら、父親役の俳優の風貌は強烈な印象を残す)に加え、地平線が見えるほどに真っ平らなロケ地の風景の力も強い。こういう風景あまり見慣れていないというのもあるんだろうけど(日本て本当に山の国なんだなーと実感した)。撮影がとてもよく、詩情に満ちている。タルコフスキーが引き合いに出されるのもよくわかる(ネタから連想するというのもあるだろう)。
 せりふがないことで詩情は高まるが、逆に人と人とのやりとり、交情のありかたがシンプルすぎて、おそらくギャグではないんだろうが笑っちゃうところも。男子2人が取っ組み合うところとか、いまどきそれか!いつの時代の青春ドラマだ!と失笑しそうになった。
 詩情が漂えば漂うほど、ラストのショックは強くなる。ラストで起こる事態は、少女にも青年たちにも少女の父親にも関わりない、全く別の文脈のものだ。その別の文脈によって彼女らの文脈が突然断ち切られてしまうという暴力性に立ちすくんでしまう。

『ソロモンの偽証 前篇:事件/後篇:裁判』

 1990年12月24日、城東第三中学校の生徒・藤野涼子(藤野涼子)は、同級生・柏木卓也の遺体を校舎の裏手で発見する。警察は事故死と断定するが、様々な噂が飛び交い、柏木をいじめていた不良生徒・大出俊次(清水尋也)を殺人犯と名指しした怪文書が学校に届く。藤野は自分たちで真相を掴もうと、柏木と小学校で同級生だった神原和彦(板垣瑞生)の協力を得て、学校内裁判を開廷することを決意する。原作は宮部みゆきの同名小説。監督は成島出。
 大人となった藤野が母校を訪れ過去を語るという構成。過去の話であるというところが強調され、あの時代を感じさせる衣装、小道具等にも目配りが細かい。しかし、作品自体には不思議と時代性を感じない。時代を飛び越えた寓話的なものとして感じられた。
 寓話的と感じたのは、本作が非常に記号的、ベタな表現を(もちろんあえてだろう)多々使っているということも一因だと思う。特に前篇の序盤、親子のやりとりとか家庭の様子とか、丁寧な紋切型とでも言いたくなる、細やかだけどど直球のベタだ。藤野の、生真面目だがバランス感覚があり賢い中学生という造形も、ある種の理想像としての典型だと思う。
 更に、後篇の学校内裁判が始まると、法廷シーンは実際の裁判の場というよりも(そもそも学校内裁判なので判決によって処罰を与えたりするものではないと前置きしてあるし)、事件の関係者それぞれが自分の体験・心情を吐露する「場」としてどんどん抽象化されてくるように見えた。判決を下すことよりも、それぞれが隠してきたことを告白することに主眼が置かれているのだ。それが許される場をつくることが、学校内裁判の役割だったのだろう。なので、ミステリとしての謎に関しては、本作での言及はあっさりとしているし、複雑な事情があったというわけでもない。複雑なのは、生徒や教師、父兄の心と、それが引き起こす相互作用なのだ。
 本作の面白い、特異だな思った所は、14歳の少年少女が当事者だったからこそ起こった事件であり、裁判であるという所だ。藤野は柏木のある言葉に傷つくが、もし大人だったらそう傷つかないだろうし、その言葉が柏木にブーメランとして返ってくるものだと指摘するかもしれない。そもそも大人は柏木みたいなことは言わないだろう。それが良いことなのかどうかはわからないが、14歳に戻りたいかと問われたらまず戻りたくないなと痛感させられる作品だった。

『ソニはご機嫌ななめ』

 映画の研究をしている女子大生のソニ(チョン・ユミ)は留学の為の推薦状をもらおうと、チェ教授と面談した。大学に行くと、元彼のムンス、先輩で映画監督のジェハクと再会する。それぞれソニと飲んだり話したりした3人は、ソニへの好意を再確認してしまう。監督はホン・サンス。
 ホン・サンスの映画はエリック・ロメールのようだとよく言われるが、本作は特にロメールっぽい。4人の男女がつかずはなれずで、ふらふらとあっちへ行ったりこっちへ行ったり。恋愛のしょーもなさやぐだぐだ加減、でも皆どこかキュートで憎めない感じ、そしてそれをさらっとユーモア交えて(時に辛辣だが)描くところ、そして何よりある種の映画に対する図太さがそう思わせるのだろうか。
 チェ教授もムンスもジェハクもソニのことを好きになってしまい、そもそもソニがどの人に対してもまんざらでなさそうな態度を取るので、どんどんその気になってしまう。3人は元々子弟だったり先輩後輩だったりするので、相手がソニのことを好きとは知らずに「好きな人が出来たんだ・・・」みたいな話をするところなど、コントかよ!と突っ込みたくなる。ひと悶着あってもおかしくないところ、なりそうでならない、ふわっと逃げてしまう軽やかさがいよいよエロメールっぽくなってきたなぁと思った。男3人が公園でソニを探すものの、なんだか普通の観光客に見えてくるラストショットなど気持ちがいい。
 『ヘウォンの恋愛日記』に登場する「教授」と比べると、本作の男性3人はより愛らしいというか、純情だし、なんだかんだで優しい。ただ、ソニの良さを語る彼らの言葉は大体同じようなものだ。お互いに影響されているというよりも、他人を見る目なんてそんなものじゃないかなと思った。「自分があの人のことを一番わかっている」「あの人の良さをわかるのは自分だけ」というのは幻想ではないだろうか(笑)

『そこのみにて光輝く』

 仕事をやめ、ふらふらと過ごしていた佐藤達夫(綾野剛)は、荒っぽいが人懐こい大城拓児(菅田将暉)
と知り合う。やがて拓児の姉・千夏(行け脇千鶴)とひかれあうようになるが、千夏は家族の生活を支える為、過酷な暮らしをしていた。原作は佐藤泰志の同名小説。監督は呉美穂。
 幾分古臭い風貌、そして物語の映画だなと一見思ったのだが、それが一周回って現代の貧しさにマッチしている。また、物語そのものや演出がそんなにひねっていないことで、却って俳優の力が前面に出ている、最近見た映画の中でも珍しいくらい、俳優が引っ張っている映画になっていたと思う。
 主演の綾野はわりと抑え目の演技で、菅田と池脇が映える。特に、菅田の動物的な動きと切れのよさが際立っていた。粗野だがどこか純真さも感じさせる青年の輪郭が、くっきりと見える。方言も板についていて、耳のいい俳優なのかなと思う。見るたびに上手くなっているのでびっくりした。
 また、池脇は背中の肉が余っていたり髪の毛もぼさぼさだったりで、決して「美しい」役ではなく生活感に満ち満ちているのだが、その生活感に説得力がある。最初、えっ不細工なんじゃ・・と思わせる撮られ方なのだが、最後のショットではちゃんと美しく見えるところが(撮る側も演じる側も)さすが。
 綾野の演技が抑え目と前述したが、存在感が薄いということではない。むしろ彼のフィルモグラフィーの中ではベスト級ではないか。どこか所在なさげにそこにいる、ということがこの映画にとって大きな要素なのだ。
 物語の舞台は函館だが、観光地らしい美しい風景はほとんど出てこない。どんよりとした海や場末の飲み屋街ばかりだ。達夫や拓児、千夏が置かれている状況も、突破口が見えない袋小路のようなものだ。しかしそんな生活にも、美しい瞬間が訪れる。3人が関わりあううちに生まれるそんな瞬間が、作品の題名に象徴されているように思った。


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