3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ソウルメイト』

 済州島に転校してきたミソ(キム・ダミ)は、画家になって世界中を旅したいと願う自由な少女。彼女と親友になったハウン(チョン・ソニ)はミソの生き方に憧れつつも堅実な人生を築いていく。ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染の2人だったが、医師志望の青年ジヌとの出会いをきっかけに2人の関係は急激に変化していく。香港のデレク・ツァン監督『ソウルメイト 七月と安生』を韓国でリメイクした作品。監督はミン・ヨングン。
 物語は大人になったミソがハウンとの関係について問われる所から始まる。ミソはもうずっと疎遠だと答えるが、それは嘘であることもわかる。なぜ彼女がそう答えたのか、2人に何があったのかということが時間をさかのぼって描かれ、一つの答え合わせのようなミステリ的側面がある。本作、女性2人男性1人がメインの登場人物で一見三角関係に見えるが、実際はそうでもない。あくまでミソとハウンの関係についての物語であり、ジヌは2人と深く関わるが触媒的な存在にすぎない。愛があるのはミソとハウンの間であると明言されるのだ。
 しかしミソとハウンの関係は成長してからはすれ違いの連鎖で、距離は離れてしまう。進学先、仕事、家族、経済状況など、様々な要因が2人の環境を離してしまうというのは、特に女性の場合はよくあるケースだと思うのだが、経済的に厳しい環境にあるミソのそれを悟られまいとする振る舞いはいじらしく、見ていて苦しい。ミソとハウンは性格も家庭環境も対称的でお互いに憧れがあるのだが、その憧れが本当のことを言いにくくする。お互いに助け合う・向き合うことを徐々に妨げていくのだ。
 ただ本作、この対称的な2人がある地点から同一化していく所が面白い。お互いに影響し合うというよりも、あなたの人生を私が生きる、私の人生にあなたがなるというような一体化なのだ。これを愛、友情と言えるのかどうかがよくわからない。相手の意志を確認できないかなり一方的な愛の在り方のような気がするのだ。これが私にとってのあなたへの愛だ(あなたもそれを知っているはずだ)と断言できるほどの強さということなのかもしれないが。

ソウルメイト/七月と安生[Blu-ray]
マー・スーチュン
Happinet
2022-02-02



『それでも私は生きていく』

 サンドラ(レア・セドゥ)は夫を亡くし、8歳の娘リン(カミーユ・リバン・マルタン)と2人暮らし。通訳・翻訳の仕事の合間をぬって高齢の父ゲオルグ(パスカル・グレゴリー)の介護もしていた。しかしゲオルグの病状は進行し、記憶の欠落や身体の不自由が目立つようになっていく。そんな折、亡き夫共々友人として交際していたクレマン(メルヴィル・プポー)と再会する。サンドラとクレマンは恋に落ちていくがクレマンには妻子がいた。監督はミア・ハンセン=ラブ。
 レア・セドゥといったらもはや大スター、ゴージャスなヒロインというイメージなのだろうが、本作で演じているのは地に足の着いた、生活感が濃厚な人物。生活もファッションも(さすがにシュっとしているけど)いたって地味だ。こういう役柄を演じてもちゃんと「その人」に見える俳優だったんだなと再確認した。今まではどこか「夢の女」要素を引き受けた役柄が多く今一つ魅力を感じられなかったのだが、本作のセドゥはとてもいい。作中のサンドラのファッションも魅力。いわゆるおしゃれな服装ではないのだが、サンドラという人の人とない・暮らしぶりとマッチしている。ハンセン=ラブ監督の作品はいつもヒロインの服装がこなれていて素敵だ。
 サンドラと父親の関係が物語の一つの柱となっている。父親は元・哲学教授で知、言語の人だった。しかし病のせいで彼の人となりの根幹とも言える知性の部分がどんどん崩れていく。家族にとってそういう姿を見るのはとても辛いことだろう。特にサンドラは職業上、父親と共有する部分が多く親密だった様子がうかがえる。しかし肝心の父親は時に家族のことも思い出せないし、自分の恋人にばかり会いたがる。日本同様、介護施設への入居の困難さも加わり、彼女がどんどん疲弊していく様が切実だった。彼女の母親(父親とは離婚済)のように手助けはするけど一線を引ける人の方がこういう時は強いだろう。父親の蔵書の引き取りをはっきり断る、自分には自分の生活があると言える母親の姿が好ましかった。
 物語のもう一つの柱はサンドラとクレマンの恋愛だ。恋愛の一番いいところというか、浮き立つような感じに満ちている。リンを交えての3人家族のようなやりとりも微笑ましい。ただクレマンには妻子がおり、サンドラは段々彼を待つばかりの存在になっていく。妻子と別れるとも別れないともつかないクレマンの態度は不誠実と言えば不誠実なのだろうが、サンドラへの愛が嘘というわけではない。そこが両立してしまう所が面倒くさい。しかしサンドラはその面倒くさいことをちゃんとやっていき、自分の人生を見失わない。そこが眩しかった。彼女らの幸せな時間の幸福感が強烈なのは、その裏側にある面倒くささを引き受けているという描写があるからかもしれない。

ベルイマン島にて(字幕版)
アンデルシュ・ダニエルセン・リー
2022-07-17
 





あの夏の子供たち [DVD]
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紀伊國屋書店
2011-04-28


『そばかす』

 30歳の蘇畑佳純(三浦透子)は音大を出てチェリストを目指していたが、音楽の道を諦め実家に戻ってきた。コールセンターで働いているが、母親(坂井真紀)は恋人はいないのか、結婚はしないのかとしつこく尋ねてくるし、妊娠中の妹(伊藤万理華)も何かと心配してくる。佳純は恋人は欲しくないし他人に恋愛感情もわかないのだが、周囲はそれを理解しないのだった。監督は玉田真也。
 企画・原作・脚本は今泉力哉監督『his』の脚本を手掛けたアサダアツシ。世の中の王道とされている価値観からずれてしまう人を描く時の丁寧さ、そして世の中の王道とされる価値観への疑問提起は本作でも共通している。佳純の合コンへの興味のなさや、親しくなった相手に恋愛感情を示された時の戸惑い、また母や妹とのかみ合わなさや、自分に非があるわけでもないのに申し訳なさそうにしないとならないという流れには、こういう人だったら多分こういうことで困るんだろうなというディティールの積み重ねに説得力がある。少々説明的になりがちでこなれきっていない所は気になったが、誠実なストーリーテリングだったと思う。
 特に、人と人との関係が深まれば当然恋愛感情が生じる、人間はパートナーを獲得することが自然だという社会通念の強固さ、その強固さに辟易とするし理解しがたい!という佳純の憤りには深く共感する。佳純はアセクシャルなわけだが、そういう特性について周囲が無知だし想像の範疇外のことなので、「今は恋愛・結婚する気がなくてもそのうちに~」みたいな反応をするばかりなのだ。佳純はそれなりに働いているし、楽しみだってある。周囲にとやかく言われる筋合いはないし、そんなに心配される必要もなさそうなのに(蘇畑家で切実に心配される必要があるのは鬱を患っているらしい父親だろう)。終盤、自宅で夕食をとっている時の妹の発言には、なぜそういう解釈になるの…と脱力しそうになった。そこまで通じないというのは本当に何なんだろう。
 家族には理解されない佳純だが、彼女をそのまま受け入れ、関係を築いていく人たちもいる。その人がたとえ自分と共にあるのではない人生を歩むのだとしても、佳純にとってそれは希望だ。ラストは清々しい。カメラが急に手持ち風にブレるのはいただけなかったが。演出上、そんなに機能していないと思う。

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外村紗玖良
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2020-08-05



ドライブ・マイ・カー インターナショナル版 [Blu-ray]
岡田将生
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2022-02-18


『ソー:ラブ&サンダー』

 故郷と多くの仲間を失った後、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々と宇宙を旅していたソー(クリス・ヘムズワース)。自分探しで迷走していた彼は、全宇宙の神の抹殺を目論む“神殺し”ゴア(クリスチャン・ベール)の存在を知る。ゴアはソーも標的にし、更に地球に再建されたアスガルドの町を襲い、子供たちを攫っていった。ソーは新たにアスガルドの王となったヴァルキリー(テッサ・トンプソン)らと共に子供たちを救おうとする。仲間の中には新たなマイティ・ソーとなったソーの元カノ・ジェーン(ナタリー・ポートマン)の姿もあった。監督はタイカ・ワイティティ。
 賛否別れるワイティティ監督によるソーシリーズだが、私は前作の『マイティ・ソー バトルロイヤル』は嫌いではない。本作も同じノリで作られているのだが、前作に比べると相当雑というか、展開が緩すぎて終始のれなかった。ちょっと内輪的な盛り上がりに終始しすぎていないか?という気がしたし、子供を戦わせるのも個人的にはちょっと…。話のボリュームの割に尺が長くダレるという印象だった。
 本作を見て改めて気付いたのは、ソーは意外とキャラとしての個性が薄味だったんだということだ。「オーディーンの息子」「神」という属性はあるのだが、実はこの属性はわりとざっくりとしていて、「だからこういう人」という側面とはあまり繋がってこないように思う。なんだかキャラ造形がぼんやりとしているのだ。本作で言ったらむしろ久々の登場となるジェーンの方がキャラが立っていると言ってもいいくらいだ。今回の彼女はあるストーリー上の機能としてだけ登場するみたいでそこはひっかかるのだが、彼女の方が何をやりたいのか、何に苦しんでいるのかという動機付けがはっきりとしている。
 本作で1点いいなと思ったのは、カップル、家族の形がさらっと多様であるところ。ヴァルキリーの恋人は女性だったし、単性種族らしい人がいたり、子供たちももしかして親とは民族が違うのかな?という子も。そのあたり特にエクスキューズがなく、普通に出てくる所がよかった。そしてソーも家族の多様性に加わることになる。「神」であるよりもそっちの方が、今後の彼にとって比重が大きそうなのだ。

マイティ・ソー バトルロイヤル (字幕版)
ザッカリー・レヴィ
2018-01-10


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『その場所に女ありて』

 特集上映「東宝の90年 モダンと革新の映画史」にて鑑賞。西銀広告に営業職として勤める矢田律子(司葉子)。顧客の難波製薬が新薬を発売することになり、各広告会社が広告費を巡って暗躍を始める。西銀広告のライバルである大通広告も競争に加わった。律子は難波製薬の広告予算を探るが、そこで大通広告のエース営業である坂井(宝田明)と知り合う。監督は鈴木英夫。1962年製作。
 60年前の作品とは思えないほど今日性があることにびっくりした。本作が作られた当時は女性も勤め人として働くことが定着していたと思うのだが、彼女らが抱える困難は現代にも通じるものだ。仕事では女性というだけで薄っすらなめられ、セクハラはあるし、「いざとなれば(体という)武器がある」と悪気なく揶揄される。一定年齢になると結婚するのが普通で取引先から見合いを持ちかけられれば断りにくい、結婚したらしたで一歩引いていないと伴侶は不機嫌になる、といった風潮は現代でも決してなくなっていない。若い男性の同僚が独身の律子に付け込んで言い寄る件など、これは相手を侮っているからやるんだろうなぁとつくづく嫌になる。男性はなぜ女性を自分が使うものとして見るのかというようなことを律子が漏らすのだが、現代でもそういう男性はまだまだいるよなとため息が出た。本作の先進性に驚くというよりも、日本社会の変わらなさに驚くと言った方が正しいのかもしれない。
 一方で、律子の同僚女性たちの様々さや、彼女らの決して仲がいいだけではない連帯感は魅力だった。別れた男性への思いを断ち切れない人や、逆に様々な男性と遊び歩く人、男性とは縁を切った人、また社内で金貸しをやっている人等、個性もまちまち。特に一人称「俺」でぶっきらぼうだが面倒見がいいタイピストの祐子はチャーミングだった。独立独歩でお互い深入りはしないが、誰か困っている人がいると皆で助けようとするという、関係性のメリハリが魅力。あまりべったりとくっついていないのだ。彼女らのファッションも楽しい。司の着こなしや所作は抜群にかっこよかった。ちょっとしたスカーフの使い方で同じ服も雰囲気が変わるなとか、ファッションブック的な楽しさがある。


『その手に触れるまで』

 13歳の少年アメッド(イディル・ベン・アディ)はイスラム指導者に感化され、過激な思想にのめりこんでいく。とうとう学校の教師をイスラムの敵として危害を加えようとするが。監督・脚本はジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ。
 ダルデンヌ兄弟作品の主人公は、必ずしも共感できる人ではない、何を考えているのか行動原理がわからない人物であることが少なくない。本作の主人公であるアメッドはその中でも特に不可解であり、共感できない主人公だろう。アメッドがなぜ過激な思想に傾倒していくのか、何をもって教師を敵とみなしているのか、周囲からはわからないし、作中で説明もされない。カメラはアメッドの行動をじっと見つめるのみだ。
 アメッドの母親は彼の変化を理解できず「昔のあなたに戻って」と泣くが、アメッドにそれが響いている様子は見られない。また更生施設の職員たちや、実習先の農場主やその娘など、彼に関わり、彼を引き戻そうとする。しかし、その言葉も試みもなかなか届かない。特に、農場主の娘はアメッドと同年代で彼と親しくなるが、届きそうで届かないままだ(彼女のアプローチがちょっとセクハラまがいだというのもあるけど…)。アメッドは彼女に好意はあるのだろうが、彼女に提示する「条件」は、他者、特に女性を対等の存在として扱っていない、尊重していないものだ。カウンセラーがアメッドに教師との面会を許さないのは、彼にその自覚がないからでもあるだろう。どうすればそこに気が付けるのかというアメッドの周囲の格闘を見ているようでもあったが、自分で気付くしかないんだろうな…。アメッドが「気付く」、というかぽろっと引き戻されるシチュエーションがあんまりにもあんまりなので、そこまでやられないとだめなのか!かつそこで終わるのか!という衝撃。
 アメッドはイスラムのコミュニティの中で生活しているが、イスラム教徒であっても信仰との向き合い方が様々な様子が垣間見えた。アメッドの学校の教師が地元のイスラムのコミュニティで、放課後学級でのイスラム語指導の仕方について話し合いをする。保護者の中には、授業の内容についてもあくまでコーラン上の言葉を扱うべきだという人も、将来働くためにも世俗的な言葉に慣れておくべきだという人も、様々だ。そういうコミュニティと関わり続ける教師の労力は大変なものだし、アメッドらに関わり続けようとする姿勢には頭が下がる。しかし彼女の誠意が地元のイスラム指導者は気に入らず、アメッドが起こす事件につながる。教師としてのまともさがリスクになる世界って何なのだろう。イスラム指導者とアメッドの言動から垣間見られるミソジニーの強烈さ・根深さもきつい。もし教師が男性だったら、彼らの敵意はここまでエスカレートしなかったのでは。

午後8時の訪問者(字幕版)
オリヴィエ・グルメ
2017-10-06


サンドラの週末(字幕版)
カトリーヌ・サレ
2015-11-27


『ソン・ランの響き』

 1980年代のサイゴン。借金の取り立て屋ユン(リエン・ビン・ファット)は、ベトナムの伝統歌舞劇カイルオンの俳優リン・フン(アイザック)と知り合う。リン・フンは劇団に取り立てに来たユンに敵意を向けるが、店の客に喧嘩を売られた彼をユンが助けたことで距離が縮まっていく。実はユンの父親は民族楽器ソン・ランの奏者、母親はカイルオンの女優だった。ユン自身もかつてはソン・ラン奏者を目指していたのだ。監督はレオン・レ。
 すごくきちんとしているというか、かっちり組み立てられた作品という印象だった。丁寧に律儀に作っていると思う。ベトナムの映画を見ることは今まであまりなかったのだが、夜のシーンが多い映像が美しい。80年代のサイゴンの雰囲気もあいまってビジュアルも魅力があった。なお、ファミコンがとても効果的な小道具になっておりノスタルジー掻き立てられる。
 ユンは粗暴なようでいて自宅で鉢植えを育てていたり、部屋も質素ながら小ぎれいだったり、また借金取りとして非情になりきれなかったりと、繊細な面を見せる。演じるファットがこれがデビュー作とは思えないほど微妙なニュアンスを表現していてとてもよかった。一見荒んでいるけど荒み切れないが故の苦しさみたいなものがにじみ出ていたと思う。
 花形俳優であるリン・フンは酒も博打もやらず演技に打ち込む、非常に生真面目な人柄。また、いわゆるマッチョな男らしさを誇示せず、誇示しなければという男らしさのプレッシャーからも自由(と言うか退けている)ように見える。ユンも本来はそうなのだろうが、職業上、暴力性を伴う男らしさを示さざるを得ず、それが彼の生き辛さにつながっているように思えた。取り立て先の子供に対する態度等、やる必要はないし立場上それは悪手なのだろうが、せずにはいられない人なのだ。その矛盾から抜け出し本来の自分に戻ろうとした矢先に、業が巡ってくる。
 リン・フンと出会ったことでユンの人生は大きく動き始める。魂が響きあうとはこういうことかというほど、2人のわずかな交流は心が温まる、まぶしく切ないものだ。結果はどうあれ、ユンはリン・フンと出会えて幸せだったのではと思える。

第三夫人と髪飾り [DVD]
レ・ヴー・ロン
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2020-06-10


ウィークエンド WEEKEND [Blu-ray]
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2020-04-29




『象は静かに座っている』

 中国の田舎町。高校生の少年ブー(パン・ユーチャン)は友人をかばい、不良の同級生シュアイを階段から突き飛ばし重傷を負わせてしまう。シュアイの兄はヤクザのチェン(チャン・ユー)。ブーはチェンと手下に追われて町を出ようとする。そのチェンは親友を自殺に追い込んでしまい、自責の念に駆られていた。監督はフー・ボー。
 234分の長尺だが、作中で経過している時間はたぶん1,2日。チェンの親友の自殺、シュアイの階段からの転落という2つの落下が登場人物たちの心を揺さぶり、波紋を広げていく。閉塞感が強く、動いてはみるもののどこへも行けそうにない辛さがある。彼らが漠然と目指すのは、「座り続ける象」がいるという満州里。そこへ行けば何かが変わるという保証もないのだが。
 ブーも友人の少女リン(ワン・ユーウェン)も、家族との折り合いが悪く家に居場所がない。特にリンと母親の関係は険悪(母親の言動が結構すごい。娘にそういうこというか…)で、彼女は教師との関係に居場所を求めるが、当然そちらもうまくいかない。またブーの近所に住む老人ジン(リー・ツォンシー)は娘夫婦と同居しているが、老人ホームに入ってほしいと言われる。チェンは恋人に愛想をつかされつつある。皆、居場所がないし行くべき場所もない。宙ぶらりんなのだ。何か一歩を踏み出そうとするごとに腰を折られるような展開、熱意の空回りが繰り返されるのがおかしくも悲しい。ああやっぱりどこにもいけないのかと思わせる。最後、ほのかに先を予感させるが「声」の実態は見えずまだ薄闇の中だ。
 恋人、家族、親友など、本来なら支えとなり助けとなる関係性が、ことごとく機能を果たしていない。前述のとおりブーもリンも家族と折り合いが悪く、トラブルがあっても相談できないし頼りにできない。シュアイは恋人に未練たらたらだが、関係に先が見えないことは双方わかっている。ブーと親友との関係の顛末も実に苦い。どの関係性においても、一方がこうと思い込んでいるものに対してもう一方は同調を拒み、双方向の関係にならないのだ。「お前のせいだ」という責任転嫁が何度か反復されるが、その都度はねつけられるというのはその象徴だろう。親密な関係性に対する幻想を許さないというところに時代の空気が感じられる。

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アミューズソフトエンタテインメント
2007-07-27


ヴェルクマイスター・ハーモニー [DVD]
ラルス・ルドルフ
紀伊國屋書店
2003-01-25


 

『空の青さを知る人よ』

 秩父の町に住む高校生のあおい(若山詩音)は、13年前に両親を亡くし、姉のあかね(吉岡里帆)と2人暮らし。あおいは東京でバンドをすることを目指し、受験勉強もせずベースの練習に打ち込む。地元を離れようとするのは、あおいの面倒を見る為に、当時付き合っていた慎之介(吉沢亮)と上京することを断念し、地元で就職したあかねへの負い目もあった。そんな折、町おこしの祭りに来た有名演歌歌手のバックバンドの一員として慎之介が帰郷してくる。それと同時に、高校生当時の慎之介があおいの前に現れるのだった。脚本は岡田磨里、監督は長井龍雪。
 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってるんだ』に続く秩父を舞台とした作品。ただ、少年少女たちの物語だった前2作に対し、本作はむしろ、かつて少年少女だった人たち、大人2人の物語という側面が強かったと思う。私が年齢的に大人の立場で見ているからということもあるが、あおいのエピソードはちょっと印象が薄かった。後で謝るとは言え同級生に対する態度がものすごく失礼(相手も相当無遠慮なんだけど、あれだけ言われて怒らないとはなんて心が広いんだ…)というくらいしかインパクトが残らなかったんだよね…。
 あおいとあかねは仲のいい姉妹と言えるだろう。しかしあおいは、あかねの人生、10代から30代にいたるまでの彼女の時間を自分が奪ってしまったと罪悪感に駆られており、自分が離れればあかねも「自分の人生」を歩めるだろうと考えるのだ。とは言え、あおいと過ごした時間もあかねの人生であり、彼女が不幸か幸せかはあかねが決めることだ。あかねの幸せはあかねが決めることだと見落としているあたりが、あおいの若さ・視野の狭さなのかなと思った。また、慎之介の「自分あかねを幸せにしないと」という思いもまた、独りよがりなものだろう。あかねにはあかねの空の青さがある。
 なので、エンドロールのおまけ的映像はちょっと蛇足というか、本作の趣旨からずれたものになってしまっている気がした。ああいう、当初思い描いていたような未来がなくてもそれぞれ幸せになれるはず、というのが趣旨なのではなかったか。10代の頃の思いと30代になってからの思いはそもそも違うしな…。


心が叫びたがってるんだ。 [Blu-ray]
水瀬いのり
アニプレックス
2016-03-30


『存在のない子供たち』

 12歳の少年ゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)は両親を訴える裁判を起こした。罪は「僕を生んだ罪」。ゼインは出生届が出されておらず、生年月日がわからないし社会に存在すらしていない扱いになっている。学校に通うこともなく、路上で物売りをする毎日だった。大切な妹が11歳で強制結婚させられたことがきっかけで、ゼインは家を飛び出す。監督・脚本はナディーン・ラバキー。
 試写で鑑賞。幼い子供が辛い目にあい続けている、かつそこそこ長いので見ていて結構辛かったのだが、力作。ゼインはなぜ自分を産んだのかと両親を責めるが、彼が置かれた苦境はむしろ社会のシステムの問題であって、個人がどうこう出来る規模の問題ではないだろう。ゼインの両親が子供たちに対してやっていることは、子供の人権といったものを全く無視しているし倫理的にも許されない(特に妹の運命は痛ましい)。面会に来た母親に対してゼインが取る態度は、これまでこの親子がどういう関係だったのか、親が子に何をしてきたのか端的に表している。子供が全然守られていないのだ。母親とゼインとの問題意識が全くすれ違っていることが辛い。
 ただ両親もまた、ゼインと同じく出生届のない、世の中からは「ないもの」にされている存在だ。ないものに対しては社会的な保障も、保護も与えられないというわけだ。そういう環境、仕組みの中で生きてきた両親には、他のやり方は最早わからないだろう。家出したゼインを助けてくれる、不法滞在者の女性も同様だ。「ないもの」から、「ないもの」であることにつけこんでまた搾取しようとする人達もおり、それがまた辛い。ゼインたちの境遇を家族や個人の責任にとどめず、彼らを「ないもの」にしている政治家、世間へのサイレン的な思いが込められている。貧困は国の失策なのだ。社会保障が個人を個人として存在させる、人の搾取を食い止める(少なくとも子供を売るような事態は避けられる)という側面はあるだろう。
 ゼインの、今を何とかしたいというもがきが痛ましくはあるのだが、彼は大人びているがさめきってはいない。まだこの世界を諦めていないまなざしは、物悲しげだが力強かった。なりゆきで赤ん坊と2人で生活をしなくてはならない様など、本当にはらはらしてしまうし、見ていてしんどいのだが、子供は圧倒的に「今」を生きているなと感じさせる作品でもあった。それは監督が彼らにはこの先が、光がなくてはならないと確信しているからでもあるんだろうけど。

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2013-09-28
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