3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー!』

 東西冷戦時代が終わろうとしている1991年。キューバで暮らす大学教授のセルジオ(トマス・カオ)は、無線が趣味。アメリカ人の無線仲間ピーター(ロン・パールマン)が送ってくれた新しい無線機をさっそく試していると、宇宙ステーションに滞在中のソ連人宇宙飛行士セルゲイ(ヘクター・ノア)からの無線を受信する。2人は交信を続け心を通わせていくが、ソ連崩壊に伴い国内が混乱状態になった為、セルゲイは帰還無期限延長を言い渡されてしまう。セルジオはセルゲイを何とか救おうと奇策を思いつく。監督はエルネスト・ダラナス・セラーノ。
 邦題は能天気なサブタイトルが余計なのだが、心温まる好作だった。キューバとロシアの歌謡曲(なのか?)が多用されているのも楽しい。コメディ寄りの軽めの作風ではあるが、時代背景や当時のキューバの情勢、各国の歴史問題が反映されており陰影がある。
 セルジオもセルゲイも、そしてピーターも、自分の意思や思想とは関係なく、国家の都合に翻弄されていく。セルゲイなんて国の混乱で宇宙から帰れず、妻子は食料がなくて困窮しているし自分の命の危険にまでさらされていくのだ。情勢不安定なキューバではセルジオの教員の給与では食って行けず(はっきりわからなかったのだが未払いみたい・・・)、セルジオの母親は葉巻工場で働き始めるし、セルジオ自身も不承不承ながらラム酒の密造を始める。セルジオの隣人は亡命者用ボートに使う資材の調達で稼いでいる。キューバもソ連も国家としては破綻しており未来は不透明、しかし市井の人々は今を生きていくしかないという状況だ。セルジオとセルゲイが心を通わせる背景には、置かれた環境への共感があったとも思える。
 一方、アメリカ人のピーターはマルクスも共産主義もとんでもない、ソ連に肩入れするセルジオには同意しかねると言う。単なる共産主義嫌いというわけではなく、彼の場合は出自がポーランドでソ連に迫害されてきたという事情があるのだ。それでも、主義主張や国を越えて、お互いへの思いやりを示す彼らのやりとりは優しい。分かりあえない部分はわかりあえないまま、それでも相手の命を助けようと尽力するのだ。彼ら、特にセルジオとピーターを繋ぐのは無線愛好家という「同好の士」としての連帯感だろう。同じ趣味の人と気が合うと、とにかくうれしいものなのだ。
 セルジオ役のトマス・カオがとにかく「いい人」感を漂わせており、とても良かった。セルジオはそんなに強い人ではないし立ち回りも下手と言っていいくらいなのだが、真面目さと人柄の良さがある。カオ以外の人が演じたらこんなにいい感じにはならなかったんじゃないかな。

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サンドラ・ブロック
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2014-12-03


『世界で一番ゴッホを描いた男』

 中国の「大芬(ダーフェン)油画村」と呼ばれる地域は、複製画製作の一大拠点。ここで20年間ゴッホの複製画を作り続けているチャオ・シャオヨンは、いつか本物のゴッホ作品を見たいと願っていた。念願叶って仲間と共にオランダ、アムステルダムのゴッホ美術館を訪れる。監督はユイ・ハイボ-&キキ・ティンチー・ユイ。
 大芬は複製画工房が立ち並び、そこら中で世界中の名画を大小さまざまなサイズで製作しており、正に一大産業。ワン・ビンのドキュメンタリーで縫製業ばかりが立ち並ぶ街を撮影したものがあったが、それの複製画版みたい。街全体が一つの産業に従事しているというケースが中国では多いのだろうか。
シャオヨンは美術を専門に学んだわけではなく(貧しくて中学も卒業できなかったと泣くシーンがある)、絵の描き方も独学。絵の写真を観察し続け何枚も描き続けてきたことで、技法の理解は深い。彼は農村部の生まれだが出稼ぎで街に出、大芬に腰を据えて自分の工房を出すまでになる。食う為の複製製作ではあるが、ゴッホを尊敬しその作品を愛していることが分かる。彼らがゴッホついて熱く語り、映画『炎の人ゴッホ』(ヴィンセント・ミネリ監督、1956)に真剣に見入る姿は微笑ましい。またゴッホ美術館で本物の作品をまじまじと見、「色が違う」等と漏らす様は正に職人。
 しかし、アムステルダムで自分が作った作品がどういう扱いをされているか知り、シャオヨンはへこんでしまう。彼は自分が作っているのは複製画で、芸術家ではなく職人だと自認はしている。それでも職人には職人のプライドがあり、高品質なものを作っているという自負があるのだ。確かにちょっとがっかりな扱われ方で、複製画というものの物悲しさを垣間見てしまった。全く同じものを全く同じ技法で描いたとしても、複製は複製でオリジナルではないんだよなぁ。
 ゴッホの作品を見たシャオヨンは、複製とは(そっくりではあっても)全く違う!と仲間に語り、自分のオリジナル作品を製作してみたいと表現欲に目覚める。根本的に絵を描くことが好きな人なのだ。彼のオリジナル作品が芸術として成功するかどうかとは別の話ではあるのだが。技術があることとオリジナリティがあることはやっぱり違う。とは言え、彼のオリジナル作品(工房を描いたものとか)も素朴で悪くないのだが。職人たちのオリジナル作品が売れるようになってきたという話には、市場の成熟ってこういうことかと思った。名画の複製よりは、無名作家のちょっと感じのいい作品の方が好ましいという価値観が増えてきたのかな。

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河出書房新社
2016-05-07


複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)
ヴァルター ベンヤミン
晶文社
1999-11-05




『聖なる鹿殺し』

 心臓外科医のスティーブン(コリン・ファレル)は美しい妻アナ(ニコール・キッドマン)と2人の子供に恵まれ、郊外の閑静な住宅地で暮らしていた。スティーブンは16歳の少年マーティン(バリー・コーガン)と時々会っている。マーティンを家族に紹介した時から、奇妙なことが起こり始める。監督はヨルゴス・ランティモス。
 奇妙な復讐劇というかホラーというか・・・。呪われる理由はあるものの、呪いの表出の仕方が独特かつ発動・収束システムがいまいちわからない(収束方法の説明はあるけど筋が通っているかというと・・・)。呪いの表出よりも、理屈が通じない、話が一方的で対話にならない部分がホラー的に怖かった。
 とは言え呪いそのものというよりも、そういう理不尽さに直面した時にスティーブンがどのように振舞えるかという所の方が重要な話だし、呪いの発動元もそこを見たがっていたんじゃないかと思う。マーティンもスティーブンの息子でまだ幼いボブも、スティーブンの体毛の濃さを妙に気にする。嫌がると言うよりうらやむ、面白がると言う感じ。「大人の男」としての印に引き付けられているということになるのか。マーティンはスティーブンに彼が考える「大人の男」を強要しているようにも思える。
 マーティンが考える「大人の男」は、セックスという要素も含むのだろう。スティーブンはマーティンの母親からセックスの誘いを受けるが、拒む。もちろんこの場合拒むことが「大人」としての適切な振る舞いなのだが。一方家庭では、死体のふりをするアナを見ながらオナニーするという関係。実際の所はセックスしようがしまいが大人たることは出来るのだが、マーティンが考える「大人の男」ではない。そもそもスティーブンは「大人の男」というよりも「大人」としての振る舞いがなかなか出来ない。彼は延々と迷い続け、追求も決断も保留する。対してアナの言動と決断は明瞭だ。あるシーンでは明瞭すぎてそこまで言う?!と思ったくらい。

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2018-03-02


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2016-11-30

『セリーナ 炎の女』

 特集上映「未体験ゾーンの映画たち2018」にて鑑賞。1929年、ジョージ・ペンバートン・ブラッドリー・クーパー)はノースカロライナのグレート・スモーキー山脈の麓で製材所を経営していた。彼はある日、火事で家族を失い天涯孤独の身になったセリーナ(ジェニファー・ローレンス)と出会い恋に落ち、結婚した。元々製材所の娘として育ったセリーナはビジネスにも才覚を現していくが、ある事件が起きる。監督はスサンネ・ビア。
 ジョージの行動の悪気のない思慮の浅さ、無自覚な惨酷さや薄情さを、クーパーが上手に表している。こういう役柄にハマる(演技がしっかりしているし、多分顔つきの雰囲気もむいている。顔つきについては本人不本意かもしれないけど・・・)俳優だと思う。ハンサムで人懐っこさがあるけどちょっと無神経ぽい雰囲気が出ている。ジョージとしては悪気はないが、彼の行動のせいで周囲のパワーバランスが激変してしまう。彼の行動イコール悪というわけではないので、周囲も積極的に彼を責めることが出来ない(ある女性は存分に責めてしかるところだと思うが)のがまた辛いのだ。
 セリーナもジョージに翻弄されたように見えるが、彼女自身は翻弄されたという意識はないだろうし、翻弄されるようなタイプでもないように思える。彼女はタフで商売の才覚やリーダーシップを持ち合わせ、ジョージに対して仕事の上でもパートナーになっていく。実際彼女の言動は頼もしく作業員たちの信頼も得ていくのだが、ある事件により、彼女の精神はガタガタになっていく。正直、このガタガタになっていく原因が彼女が「女」であるという面に頼りすぎていないかという気がした。そんなステレオタイプな!とちょっと不満だった。
 とは言え彼女にとってジョージ(と彼と培うはずのもの)の存在はそれだけ大きく、彼女の傷と向き合いきれなかったジョージが事態を悪化させたと言える。この局面でのジョージの振る舞いは、本人なりに一生懸命なんだろうけどほんとにがっかりさせられる。捨てたはずのものに今更未練を見せて、今共に生きている人を見ないのだ。過去の幻想を追ったことで、ジョージ自身もまた足元を見誤ってしまったように思えた。

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『セントラル・インテリジェンス』

 高校時代は学園のスターだったカルヴィン・ジョイナー(ケビン・ハート)だが、20年後の今は会社勤めのしがない会計士。高校の同級生だった妻は同窓会を楽しみにしているが、カルヴィンは気乗りがしない。そんな時、高校時代にぽっちゃり体型のいじめられっこだったボブ・ストーン(ドウェイン・ジョンソン)から連絡が入る。20年ぶりに再会したボブは、筋骨隆々で強面のCIA捜査官になっていた。裏切り者の濡れ衣を着せられ追われているというボブと、なりゆきで一緒に逃げるハメになるカルヴィンだったが。監督はローソン・マーシャル・サーバー。
 これは「当たりの時の午後ロー」案件だなぁ。TVで吹替え版放送されている様が目に浮かぶ!107分という時間のコンパクトさも含め、気楽な娯楽作品としてのちょうどよさがある。アクションの見せ方がちょっと古臭く洗練されていないところも何となく午後ローっぽい。ボブとカルヴィンが組織に追われるというサスペンス要素はあるものの、大分ユルいし情報提示の仕方がごちゃごちゃしているせいで、そもそも何を調査していたんだっけ?と見失いそうになった。ボブが切れ者のはずなのに根本的な所で簡単に騙されていないか?という所も含め。とは言え、ジョンソンのスター性もあって愉快な作品に仕上がっている。何より、作品の大元にある精神が真っ当で安心して見ていられた。
 冒頭の高校生時代のレセブション部分で、カルヴィンの人としての真っ当さ、常識人である様が提示される。現在のカルヴィンは決してかっこよくはないが、冒頭のあのエピソードがあるので、この人は本来ちゃんとした人だという信頼感が持続するのだ。「いじめ、ダメ絶対」という指針は一貫しているし、いじめた奴が絶対悪いんだというスタンスなところもほっとした(本作のいじめっ子は心底クズである)。ボブのトラウマは大分ベタ、コミカルな形で表現されるが、彼にとっては深い傷であり克服できないということは切実に伝わる。彼の背中を押すのは、ボブにとってのヒーローであるカルヴィンだ。カルヴィンをスター扱いするボブのはしゃぎっぷりは、青春やり直し版みたいで少々イタいし、カルヴィンとしても気恥ずかしく居心地悪そう。それでも、カルヴィンがボブにしてあげたことは、彼にとってはちょっとしたことかもしれないが、ボブにとっては人生変えるくらいの大きな意味があったのだ。
 ユニコーンのキャラグッズとパンケーキが好きな中年男性がアメリカだとどういうイメージで見られるのか、いまひとつつかめないんだけど(すごくガーリー、ってことでいいのかな?)、ロック様、ユニコーンのTシャツも甘いものも結構似合っている(笑)。

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『セブン・シスターズ』

 2073年、人口過多と食糧不足に悩まされるヨーロッパ連邦は、厳格な一人っ子政策を発令、1人目以降の子供は親元から引きはがされて冷凍保存されるようになった。七つ子として生まれたが祖父(ウィレム・デフォー)に匿われ全員成人したセットマン姉妹は、週に一日ずつ外出し、1人の人物「カレン・セットマン」(ノオミ・ラパス)を演じて生活していた。しかしある日、「月曜日」が帰宅せず姿を消す。残された6人は月曜日を探すが。監督はトミー・ウィルコラ。
 ある事実が明らかになった時点で、失踪事件の真相は大体見当がついてしまう。ミステリとしてもサスペンスとしても割と大味だ。ただ、人口管理社会の世界設定が結構えぐく、思っていたよりもシリアスなトーンだった。政府による人口統制は非人道的だが、そうでもしないと現状の人口を社会は支えることができず、子孫の為の「豊かな世界」を残すことも難しい。どちらを選んでも出口なし!という惨酷さだ。ある人物の動機が明らかになると更にやりきれない。色々なものを両天秤にかけていく話なのだ。
 姉妹の祖父は、家族のあり方を一律に規定する全体主義的な政府のやり方に反旗を翻し、姉妹を密かに育てる。しかし7人が1人の人物を演じるというやり方は、姉妹にそれこそ家庭内での全体主義的な共同責任、一律であり「個人」ではないことを強いることになってしまう。個々が存在するために個を否定しなくてはならないのが皮肉だ。そこから「個」に立ち返る為の闘いを本作は描いているとも言える。
 7人姉妹を1人で演じるラパスが見事だ。1人で演じているから当然同じ顔、同じ姿なのに、全く別人に見える。衣装やメイクだけではなく、ちょっとした動きの違いで別人に見えるという部分が大きい。ラパスは日本でウケるような美人、可愛いルックスというわけではないが、顔つきに存在感があっていい。個でいられなくなった姉妹を個性の強い女優が演じるというあたりも面白かった。

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『先生!、、、好きになってもいいですか?』

 高校生の島田響(広瀬すず)は、クールで生真面目な世界史教師・伊藤貢作(生田斗真)に恋をする。不器用ながらも伊藤に思いをぶつける響。伊藤は響に惹かれるが、教師という立場から彼女と距離を置こうとする。原作は河原和音の大ヒット漫画『先生!』。監督は三木孝浩。脚本を『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の岡田磨里が手がけた。
 映画(だけじゃないけど)は万人に開かれたものではあるが、やはり大抵の場合メインターゲットは設定してあり、またある年齢の時に見たからこそ響く作品というのもあるだろう。本作、響たちと同年代で見たら初恋の高揚感にきゅんきゅんしたかもしれないけど、いい大人、というかむしろ響たちの保護者に近い年齢になった身で見ると、なかなかしんどい。もう初恋できゅんきゅんとかしないからさ・・・。ストーリーと登場人物の行動原理がシンプルすぎるのもきつかった。長編漫画を2時間の映画にまとめているからという面もあるだろうが。
 また、若者の無鉄砲さと視野の狭さにはイライラするし、保護者目線になっちゃうと伊藤それはいかん!いかんぞ!と諌めたくなってしまう。教師と生徒の恋愛って、生徒側の年代だったころはちょっと憧れるし大人が素敵に見えたりもしたが、いざ大人になってみると、そこちょっと我慢しろよ!と思っちゃう。その時代を過ぎてみないとわからないわけだけど、「今」だけじゃなくてこの先長いぞ・・・という目で見てしまうのだ。映画のせいではなく、映画を見る自分の立場が変わったからこそのイライラなのだが。映画としては、ごくごく手堅く仕上げており、中高生が友達同士で見るにはちょうどいいのではないかと思う。
 ただ本作、教師と生徒の恋愛を描きつつ、やはり大人には責任があるのだという部分は一応ふまえており、そこには好感持った。「大人」としての振る舞いを美術教師の中島(比嘉愛未)が担っていたように思う。真剣なら許されるというわけではない、という浩介たちを諌める言葉は、高校生の時はわからないかもしれないけど、後々考えてみるとあの先生真っ当だったんだなと思えるものでは。同僚とのデート現場を目撃された時の態度も、大人はこのくらい堂々としらばっくれないとなというもの(笑)。あそこでうろたえる関矢先生は小物すぎる。



俺物語!!(通常版) [DVD]
鈴木亮平
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2016-04-27


『戦争のはらわた』

 デジタルリマスター版で鑑賞。サム・ペキンパー監督、1977年作品。
 第二次大戦中のロシア戦線。ソ連からの奇襲・猛襲にさらされドイツ軍は圧倒的不利だった。その中で、シュタイナー(ジェームズ・コバーン)曹長率いる小隊は絶対的な信頼を集めていた。フランス戦線からプロイセン貴族であるシュトランスキー(マクシミリアン・シェル)大尉が赴任してくるが、名誉欲が強く鉄十字勲章に執着するシュトランスキーは、捕虜の扱いを巡ってシュタイナーと対立する。
 ドイツ軍視点で描く第二次大戦だが、アメリカ映画故ドイツ人の登場人物の台詞は英語。最初のうちはここがどこで彼らがどこに所属する兵士なのかも明言はされないので、見ているうちに、だんだんどこの国の話なのか曖昧になってくる。ソ連兵はロシア語を話しているが、シュタイナーたちに関しては自国への言及も少なめ。特にドイツ軍=ナチスという側面をあまり見せないようにしているように思った。観客が多少なりとも共感しやすいようにという意図ではあるのだろうが、同時に、彼らはあまりナチスの思想に染まっておらず、だからこそ旗色が悪いソ連戦線に送られたのかなとも思えてくる(執務室にヒトラーの肖像がかけられているが、落ちてもそのままだ)。
 そもそも、シュタイナーは軍人ではあるが組織や国への帰属意識、ナショナリズムはあまり強くなさそうだ。いわゆる(国家が想定するような)「愛国者」には見えない。彼は優秀な軍人ではあるが、あくまで職能としての軍人で、メンタリティは少々違うのではないかと思った。彼は何よりもまず個人であり、帰属意識はあるとしても自分の小隊に留まっているように見える。自分と自分の部下を生き延びさせることが最優先で、名誉や国の行く末は二次的なもの(というよりも本人は殆ど気にしていないもの)なのだろう。本隊とはぐれて四苦八苦しつつも、「だが自由だ」と笑うところに、シュタイナーの本質があるように思った。本来、軍人に向かない人なのだ。
 対するシュトランスキーはろくな戦場経験はなさそうだが名誉欲は旺盛で、勲章の為なら他人を見殺し手柄を横取りすることも厭わない。嫌な奴だが、勲章でもないと親族に顔向けできないとぽろっと漏らすあたり、妙に人間味がある。やっていることは最低だが・・・。勲章欲しさに彼がやる行為は、平時だったらここまで極端なことはやらないだろうというもので、戦時下だから許されてしまう怖さがある。人間のたがが段々外れていくのだ。シュタイナーとシュトランスキーが、共に(違う方向ではあるが)ある一線を越えてしまうクライマックスは悲惨だが、どこか笑ってしまう悲惨さでもある。こんなに理屈が通らないことってあるか!と。シュタイナーの暴走は理屈が通らないことへの怒りでもあるように思う。

戦争のはらわた [DVD]
ジェームズ・コバーン
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2015-06-24

コンボイ [Blu-ray]
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キングレコード
2017-09-13

『セザンヌと過ごした時間』

 少年時代に出会ったポール・セザンヌ(ギョーム・ガリエンヌ)とエミール・ゾラ(ギョーム・カネ)は共に芸術を志、夢を語り合う。やがてパリに出たゾラは小説家として成功するが、セザンヌはパリの画壇では評価されず、苦しい生活を続けていた。ゾラはセザンヌを支え続けるが、小説『制作』を発表したことで、セザンヌは自分を勝手にモデルにしたと怒り、2人の友情に亀裂が入る。監督・脚本はダニエル・トンプソン。
 セザンヌの作品が好きな者としては、題材に興味があって見たのだが、『制作』発表時からスタートし少年時代に一気に遡るという構造が、あまり上手く機能しておらず冗長に感じられた。『制作』発表時に至るまでの経緯を見せるわけだが、途中の年代の飛び石状態は唐突だし、過去に遡ってという構成が逆に月並みに見えてしまった。『制作』発表後の2人の晩年まで描くので、発表時にそれまでの経緯が集約されていく感が薄まってしまっている。当時の画壇、文壇の面々の名前が出てくる所や、南仏の風景は楽しかったが。
 セザンヌとゾラが友人同士だったが、ゾラの小説が原因で仲たがいしたというエピソードはどこかで読んだことがあったが、そのエピソードはセザンヌ側の言い分に軸足を置いたものだったと記憶している。本作は、どちらかというと(この件に関しては)ゾラ側の視点が強い。映画原題も『Cezanne et moi』(セザンヌと私)だもんな。そして、セザンヌが付き合いにくい人だったというエピソードも読んだことがあるが、本作で描かれるセザンヌ像は、確かに付き合いやすくはなさそう。彼と決裂したにせよ長年友情を保ち、経済的支援までしていたゾラは聖人じゃなかろうかというレベルだ。
 (本作の)セザンヌはプライドは高いが卑屈、傷つきやすいのに毒舌で喧嘩っ早い、加えて女好きで手が速いという控えめに言っても面倒臭い人。この手の人間として難点が多いが天才肌タイプの人というのは、困った人だがそれでもどこか人間的な魅力がある、というパターンが一つの定型としてあると思う。だがセザンヌ(くどいようだが本作中の、である)は魅力に乏しい。彼が長年不遇だったのは、彼の才能が時代の先を行き過ぎていたのはもちろんだろうが、多分に人として愛されにくい、手助けしたくならないタイプの人だったからじゃないかなという実も蓋もないことを想ってしまった。先鋭的な天才であればあるほど、生きていくために愛され力が必要なのでは・・・なんとも世知辛い話だが(セザンヌはマネやルノワール、モネと比べて更に革新的ではあったろうが、飛び抜けてという感じでもないので、やっぱり人徳が・・・)。
 ゾラもセザンヌの妻も指摘するが、「自分が」すぎで、元々他人への興味が薄いのでは。彼は自分とゾラとの思い出が小説の材料にされて激怒する。自分たちだけのものだったのに矮小化しやがってという思いもあるだろうが、セザンヌの存在のみで『制作』が成り立ったわけではないだろう。そして彼はゾラも表現者であるということを失念している。興味深いネタがあったら、それが自分の親友のことであってもやっぱり描きたくなるんじゃないだろうか。

セザンヌ (岩波文庫)
ガスケ
岩波書店
2009-04-16


制作 (上) (岩波文庫)
エミール・ゾラ
岩波書店
1999-09-16

『セールスマン』

 小さな劇団に所属する俳優夫婦、エマッド(シャハブ・ホセイニ)とラナ(タラネ・アリシュスティ)は、アーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』に出演中だった。ある日、引っ越したばかりのアパートで、エマッドの留守中にラナが何者かに襲われる。ラナは警察へ届けることを拒み、エマッドは独自に犯人を捜し始める。監督・脚本はアスガー・ファルハディ。
 ファルハディ監督の作品は、『別離』にしろ『ある過去の行方』にしろ、カップル間のすれ違い、溝の開いていく過程のとらえ方が鋭く、毎回ひやりとする。本作も、エマッドとラナが事件が起こったことによって段々すれ違っていく様や、ふとした言葉で決定的な亀裂が入ってしまう様が生々しい。事件によってラナがどういう立場に立たされ、どういう傷を負っているのかということが、エマッドには今一つぴんときていない。あっそれ絶対言っちゃダメなやつー!という言葉が出た瞬間にはぴりついた。例えば、これがひき逃げ等交通事故のようなものだったら、ここまで溝は広がらなかっただろう。性犯罪の被害者は、被害者側にも落ち度があったと往々にして責められがちだが、ラナもそれを恐れて警察に届けない。警察の聴取に耐えられるかどうかも定かではないし、とても話せる状態ではないだろう。世間体が悪くて通報したくないのではなく、世間がどのように自分を見るか予想できるから通報したくないのだ。エマッドはその部分に思いが至らないので妻の態度に困惑し、自分での犯人探しに踏み切る。しかしラナがエマッドに求めているのはそういうことではないんだろうなぁ・・・。
 面白い、良くできた作品なのだが、監督の過去作『彼女の消えた浜辺』や『別離』に比べるときちんとしすぎているきらいがあって、スリリングさはさほどでもない。所定のものが、所定の場所に収まっていくという感じで、物語の枠からはみ出してくる強烈な違和感みたいなものがないのだ。犯人の背景の設定や、いわゆる「悪人」が登場するわけではなくタイミングの食い違いや心の隙等、諸々の連鎖によって悲劇が起きる、しかし誰を責めればいいというわけでもないという構造等、あえてわりきれない話にしていく、意図的な「収まらなさ」はある。しかし、それすら設計通り感が強く、ちょっとお行儀が良すぎるというか、整理されすぎな気がした。
 私が『セールスマンの死』をちゃんと見た(読んだ)ことがないのも、物足りなさの一因かもしれない。おそらく、『セールスマンの死』とリンクしてくる部分があるはずで、そこがわかるとより味わい深く見られるのでは。

別離 [DVD]
レイラ・ハタミ
Happinet(SB)(D)
2012-12-04


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