原子工学を学ぶ大学生サロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)は、骨折した同級生からアルバイトの代理を頼まれる。そのバイトとはアダルトショップの店員だった。経歴も年齢も不詳なオーナーのカティア(エンフトール・オィドブジャムツ)と交流するうち、サロールは自分が本当にやりたいことに気付いていく。監督・脚本はジャンチブドルジ・センゲドルジ。
風変りなアルバイトを通じて若者が変化していくという筋立てはオーソドックスなのだが、舞台がモンゴルの首都ウランバートルだという所が、日本で見る映画の中では珍しい。ただ、ウランバートルは都市部なので他のアジア圏の都市部と人々の生活様式はそんなに変わらない。今のモンゴルの都市部の若者がどういう生活をしているのかという側面が垣間見られることが新鮮だった(私の中のモンゴルのイメージが乏しいという要因が大きいが)。いわゆるエキゾチズムのようなものはなく、私たちと同じような(そしてそれぞれ違う)青春があるんだなと親近感を覚えた。冒頭、「バナナ」に至るまでのリズムの良さで捕まれる。
年代の離れた女性2人の間に友情めいたものが生まれてくる様が清々しい。2人の間にはジェネレーションギャップ、価値観のギャップもあるが、それを踏まえた上での思いやりもある。若者であるサロールの方が人生観がコンサバだというあたりは、逆に現代的なのかもしれないと思った。サロールはカティアの人生は中身が空っぽだと言うが、それは空っぽなのではなくサロールが思う「人生」にはまらないというだけでは。カティアの過去も内面も実際のところはわからないままそういう指摘をしてしまうあたりが、若いな…という感じで苦笑いをしたくなる。自分や自分の親が送ってきたような人生を否定したくないというのはわかるのだが、そうでない人生にも実も花もある。サロールはやがてそれに気付くから、自分がしたいことへの道を踏み出すことができたのでは。彼女がどんどんすきにやっていくようになる様がよかった。アダルトショップでは最初から意外と落ち着いて接客しているので、元々度胸がある人なのでは?とも思ったが。
風変りなアルバイトを通じて若者が変化していくという筋立てはオーソドックスなのだが、舞台がモンゴルの首都ウランバートルだという所が、日本で見る映画の中では珍しい。ただ、ウランバートルは都市部なので他のアジア圏の都市部と人々の生活様式はそんなに変わらない。今のモンゴルの都市部の若者がどういう生活をしているのかという側面が垣間見られることが新鮮だった(私の中のモンゴルのイメージが乏しいという要因が大きいが)。いわゆるエキゾチズムのようなものはなく、私たちと同じような(そしてそれぞれ違う)青春があるんだなと親近感を覚えた。冒頭、「バナナ」に至るまでのリズムの良さで捕まれる。
年代の離れた女性2人の間に友情めいたものが生まれてくる様が清々しい。2人の間にはジェネレーションギャップ、価値観のギャップもあるが、それを踏まえた上での思いやりもある。若者であるサロールの方が人生観がコンサバだというあたりは、逆に現代的なのかもしれないと思った。サロールはカティアの人生は中身が空っぽだと言うが、それは空っぽなのではなくサロールが思う「人生」にはまらないというだけでは。カティアの過去も内面も実際のところはわからないままそういう指摘をしてしまうあたりが、若いな…という感じで苦笑いをしたくなる。自分や自分の親が送ってきたような人生を否定したくないというのはわかるのだが、そうでない人生にも実も花もある。サロールはやがてそれに気付くから、自分がしたいことへの道を踏み出すことができたのでは。彼女がどんどんすきにやっていくようになる様がよかった。アダルトショップでは最初から意外と落ち着いて接客しているので、元々度胸がある人なのでは?とも思ったが。
なかなか良い青春映画だが、アダルトショップ=セックスに関わることで一皮むけるというのはあまりに紋切り型で正直少々古臭い。これが新しい・冒険であると思えるような環境にサロールがいたしそういう価値観にはまれる性質だった(そして本作が作られた環境がそういうものだった)ということなのかもしれないが。