3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ステージ・マザー』

 テキサスの田舎町に住む主婦メイベリン(ジャッキー・ウィーバー)の元に、長年絶縁状態だった息子リッキーの訃報が届く。葬儀の為にサンフランシスコに向かったメイベリンだが、教会で待ち受けていたのはドラァグクイーンたちのパフォーマンス。リッキーはパートナーのネイサン(エイドリアン・グレニアー)と共にゲイバーを経営し、ドラァグクイーンとしてショーに出ていたのだ。息子を受け入れてこなかったメイベリンをネイサンは拒否するが、経営破綻寸前のバーを立て直すため、メイベリンは奮闘する。監督はトム・フィッツジェラルド。
 メイベリンが暮らすテキサスの町は非常に保守的、かつ彼女はバプテスト派の教会で合唱団の指揮をしているくらいなので、その文化の中にどっぷりとつかっている。そんな彼女と夫は息子のセクシャリティを受け入れられず、リッキーは居場所がなくて去っていった。ただ、メイベリンはリッキー本人のことを受け入れられなかったというよりも、彼を忌避する夫や世間の目を恐れていた、そして息子と衝突することを恐れていたのだということが垣間見えてくる。「弱さ」を巡るメイベリンと夫とのやりとり、男性の暴力に相対した時のメイベリンの振る舞いは、それまで彼女が押し殺していたものが表面化したもののように思えた。保守的な地域で女性として生きるというのはこういうことなのだろうと。彼女は夫と不仲というわけでも地域で浮いていたわけでもないのだろうが、それでも元々、何かしらはみ出る所がある人だったのではと。
 メイベリンはリッキーに対して十分に母親でいられなかった。バーのキャスト達を親身になってケアするのはその償いとも言える。リッキーは既に死んでおり、彼にしてあげられることはもうないが、メイベリンは彼の思い出と対峙できるようになる。息子の死がきっかけで自由になっていくというのは少し悲しいが、何歳になっても変わっていける可能性があるというのは清々しい。それだけ歌えるならなぜリップシンクにしてたの?とか作中の時間経過がよくわからないというわきの甘さはあるのだ、人が少し自由になっていく話はやはり気分がいい。

マイ・マザー [DVD]
グザヴィエ・ドラン
TCエンタテインメント
2014-06-04


パークランド ケネディ暗殺,真実の4日間 [Blu-ray]
ポール・アジマッティ
ポニーキャニオン
2014-11-19



『すばらしき世界』

 殺人の罪で13年間服役した三上(役所広司)は、身元引受人の庄司弁護士(橋爪功)の力を借りながら経済的に自立しようとしていた。ある日、TVの若手ディレクター津乃田(仲野太賀)とやり手ディレクターの吉澤(長澤まさみ)が近づいてい来る。三上が再起を目指す姿をドキュメンタリーにしたいというのだ。原作は佐木隆三の小説『身分帳』。監督・脚本は西川美和。
 面白いのだが、私にとってはどこか捉えどころのない作品だった。これまでの西川監督作品よりも見得を切っている感じで、戯画的な見せ方が目立ったように思う。ラストは舞台演劇の幕引きのような味わいだった。また、三上とアパートの迷惑住人とのやりとりなどかなりコミカルに描かれている。三上の伝統的やくざとしての言動はあまりにアイコン的すぎて、今の世の中では時にギャグのように見えてしまう。三上と世間のずれを使ったコミカルな見せ方が多かったように思う。
 そのずれに目をつけたのが吉野と津乃田ということになるのだろうが、津乃田は世間受けしそうな題材としてだけではなく、個人として三上という人間のことを知ろうとしていく。彼の真っすぐさは(それが常に正解というわけではないだろうが)ストーリー上のほのかな救いになっている。庄司夫妻やスーパーの店長・松本(六角精児)のようにわかりやすく「(やはり常に言動が正解なわけではないが)まあまあいい人」は出てくるのだが、津乃田は彼らよりももう一段人物造形に奥行があるように見える。
 三上が世間に馴染めず苦戦する様について、吉澤は(三上を言いくるめる為ではあるが)社会構造によるものだと言う。失敗も「世間」からのはみだしも許されず空気を読み続けなければならない世の中は、三上のような存在を許容しない。一度はみ出ると再起が難しく、結局またはみ出てしまう。三上の兄弟分の現状を見ると、今の日本でのやくざ稼業は決して割のいいものではないのだが、そこしか行く場所がないからたどり着いてしまうという事情が垣間見える。また、津乃田は三上の暴力性や激しやすさは幼少時の体験によるものではと考える。
 どちらもそれなりに正しいのだろうが、それと同時に、三上の中で修正しようがない性分のようなものも多分にあるのではないかと思わせる、多面的な見せ方だった。三上は自分を「一匹狼」といい生活保護を受けることに非常に抵抗を見せるが、その自負ははたから見ると根拠のない、不確かなものに見える。何かに頼ることは彼のプライドを損なうのだが、その自負と暴力団という組織のバックアップを受けて生活することとは矛盾しないのだろうかと。彼は「一匹狼」と自分を称するのだが、やくざはそもそも集団であって一匹狼ではないよな、等と思ってしまう。三上が生活保護担当職員に「孤立してはだめだ、社会と関わって生きていかないと」と諭されるシーンがあるが、この言葉はある程度的を得ているが皮肉。三上にとっては殺人を犯して服役することが、社会と関わるということだったのではとも思えたのだ。世間が求める関わり方に軌道修正したことで最後の顛末につながってしまったのではと。

永い言い訳
深津絵里
2017-02-16


身分帳 (講談社文庫)
佐木隆三
講談社
2020-07-15



『ストレイ・ドッグ』

 ロサンゼルス市警の刑事エリン・ベル(ニコール・キッドマン)は酒におぼれ体はボロボロ。同僚からは疎まれ、別れた夫や娘とも疎遠になっている。17年前、FBIの捜査官クリス(セバスチャン・スタン)と犯罪組織に潜入捜査をしていたエリンは、取返しのつかないミスをし、その後生活は荒れる一方だったのだ。しかしある日、17年前の事件の主犯で姿をくらましていたサイラス(トビー・ケベル)が舞い戻ったという情報が入る。監督はカリン・クサマ。
 こういう女性主人公ハードボイルドが見たかった!と溜飲が下がった。女性が主人公であっても女性ならではの、みたいな言説が付きまとわないやつだ。登場人物の性別を入れ替えても話が成立するフラットさがある。同時に、男女間であっても(妙な言い方だが)暴力の振るい方度合いがフラットで、同じように殴り合い蹴りあう。こんなに爽快感がなくてしみじみ痛そうな映画内暴力、意外と久しぶりに見た。全然かっこよくなく、単に暴力なのだ。痛みと身体へのダメージにやたらと説得力があって、エリンの体がどんどん傷んでいくのがよくわかる。
 エリンとクリスの間に何があるのか、2人が何をやろうとしたのか、そしてエリンが何をやったのかが徐々に見えてくる。時系列がシャッフルされた構成なのだが、これが非常に効果的。ああそういうことだったのか!と鮮やかに全体図が見えてくるのだ。そして同時に、より胸を刺す光景が見えてくる。エリンはサイラスから「欲深い」と称されるが、彼女が欲したものはそんなに大それたものではない。今よりも少しだけ良い暮らし、少しだけ希望が持てる未来を欲した故の行動だった。しかしその欲を持とうとしたばかりに取返しのつかないことになる。飢えたことへの落とし前をつける為にだけ生きているといった体のエリンの姿は、強さを感じさせると同時に痛ましい。彼女はこういう形でないとけりをつけられない人間で、元夫や娘の存在も彼女を引き止められないのだ。私はある選択・生き方しかできない人間を描いた映画が好きなのだが、本作も正にそれだった。
 キッドマンのよれよれ感と肉体的な憔悴感がすごくてちょっと圧倒されてしまった。やはり名優なんだな…。

ガールファイト [DVD]
ポール・カルデロン
松竹
2004-11-25


フローズン・リバー [DVD]
マーク・ブーン・ジュニア
角川映画
2010-12-10



『スパイの妻』

 1940年、太平洋戦争開戦直前の日本。神戸に住む織物商の勇作(高橋一生)は、仕事で満州に行った際、偶然に恐ろしい国家機密を知ってしまう。帰国した彼は正義の為、この事実を世界に知らせようとする。勇作の妻・聡子(蒼井優)は、スパイと疑われる夫を信じようとするが。監督は黒沢清。
 滝口竜介・野原位による脚本(黒沢も参加している)が良かったではないだろうか。黒沢監督の単独脚本では聡子の言動にここまでの勢いは出なかったかなという気がする。ミスにたいしテリとして、メロドラマとして大変面白かった。
 勇作は人としての正義感・倫理から国家機密を海外に持ち出す「スパイ」になろうとし、聡子は勇作への愛から「スパイの妻」になる覚悟をする。その目的の為に多大な犠牲が生じようともだ。2人とも方向は違うが、個人の心情・理屈を最優先しており、これは最後の最後、エンドロール前の字幕に至るまで一貫している。それは戦争へと向かう全体主義的な「国」の空気の中で異質だ。将校となった泰治(東出昌大)が「世間がどんな目で見るか」「どう見られるか気を付けた方がいい」と2人に忠告するが、国=世間と言えるだろう。自分がどう考えているか、何を正しいと考えるかよりも、世間がどう見るか、今世間がどんな雰囲気なのかということの方が、この国では重視される。勇作や聡子の生き方はそれに背を向けるものだ。ベースはメロドラマなのだが、個人と国家がどうやっても添えない、和解し得ない地点に向かう様が息苦しく迫ってきた。
 勇作は趣味で映画を撮っており(社長が撮った自主映画を納会で上映するって長閑な会社だよな…)、作品のヒロインを聡子に演じさせる。勇作が撮ったフィルムの中の聡子はひときわ美しい。勇作と秘密を共有するようになった聡子は、正に映画のヒロインのような華やぎを見せる。夫との秘密は、彼女にとっては自分が主役のお芝居のようなものだったのではないか。監視の目をかいくぐり、路上で勇作に抱き着く彼女は実に楽しく充実していそうなのだ。ただ、勇作が撮った映画のヒロインがたどった運命がどのようなものだったのか。勇作が、そういう彼女を見て見たかったのでは、彼にとっても全部映画、自身が映画監督をやっているような気持ちだったのでは。撮るものと撮られるもの、その交わらなさがにじみ出ていたようにも思えた。

散歩する侵略者
笹野高史
2018-03-07


ハッピーアワー [Blu-ray]
川村りら
NEOPA
2018-05-18



『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』

 南北戦争時代のアメリカ。父親が北軍兵として戦地に赴いているマーチ家には、しっかり者のメグ(エマ・ワトソン)、わんぱくで作家志望のジョー(シアーシャ・ローナン)、内気で音楽好きのベス(エリザ・スカンレン)、絵を描くことが得意でおしゃまなエイミー(フローレンス・ピュー)の4姉妹と、優しい母(ローラ・ダーン)が暮らしていた。女性の働き口が限られていた時代、ジョーは作家になる夢を諦めずに突き進む。原作はルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』。監督はグレタ・ガーヴィグ。
 ニューヨークで作家を目指し下宿生活を始めたジョーが、家族と暮らした頃を折に触れて思い出すという、時制を行き来する構成。かつ、これが「書かれた」物語であるということが示唆される構成になっていく。邦題の評判がすこぶる悪かった本作だが、この構造が見えてくると案外的を得たものだったのかなと思えた。「わたしの」とはジョーの体験としての物語であり、彼女が記した物語ということでもある。一部メタ構造になっているのだ。 
 そして「わたし」には、原作者オルコットも含まれるのではないか。ジョーが出版社で言われる「ヒロインが結婚しないと作品は売れない(人気が出ない)」という言葉は、原作者であるオルコットが実際に言われたことだそうだ。オルコット自身は生涯独身だったが、作品を売る為に自作の中ではジョーを結婚させた。作家としては不本意だっただろう。彼女が本来望んでいたであろう展開を取り入れつついかに原作小説に添わせるか、というアクロバティックな構造なのだ。原作に忠実(実際、びっくりするくらい原作エピソードが盛り込まれている)でありつつ現代に即した作品になっており、ガーヴィグはこんなに腕のある人だったかと唸った。古典は古典として素晴らしいが、それを今作るのならどうやるか、ということをよくよく考えられている。
 自分で働き生計を立てることや資産を持つことが難しかった当時の女性にとって、結婚は自分や家族の生活を守る為の手段だった(現代でも未だその側面が強いというのがまた辛いが)。作中で言及されるようにまさに「結婚は経済」なのだ。マーチ伯母(メリル・ストリープ)がメグの結婚を祝福せずジョーを見込みなしとするのは、そういった社会背景がある。彼女自身は独身のままだったが、「お金があるからいいのよ」というわけだ。彼女はエイミーに資産家と結婚して家族を支えるのがあなたの役目だという。一家の命運を背負わされてしまうエイミーが気の毒だった。彼女の子供時代はあの瞬間に終わったのだなと。
 本作、4姉妹皆魅力的なのだが、特にエイミーの造形が新鮮だった。過去の映像作品では少々わがままでおしゃれでおしゃまなキャラクターとして描かれることが多かったと思うが、本作でもそれは踏襲されている。ただ、本作のエイミーは良くも悪くも普通の少女だ。メグのような美貌も、ジョーのような独立心と才能も、ベスのような天使の心も持ってはいない。可愛らしく聡明で絵の才能はあるが、どれもあくまで「ほどほど」。普通の女性に残されている道は経済の為の結婚である、というのはなんとも息苦しくやるせない。フローレンス・ピューが演じているというのも非常に効果的だった。貴婦人ぶりになんとなく、これはこの人の本分ではないのではという雰囲気が出るのだ。エイミーが後々ジョーやローリー(ティモシー・シャラメ)よりも大人びていくのは、年齢を重ねて大人になったというよりも、社会通念に自分を適応せざるをえなかったからだと思う。そういう形での子供時代の終わりはちょっと悲しいのだ。
 ジョーとローリーのじゃれあい、一緒に遊び回る姿は本当に幸福そうだ。男性/女性がまだ未分化な時代だから成立する幸福だったというのが寂しくもある。本来は分化した後も成立するはずのものだが、当時の(多分現代も)社会はそれを許さない。いつか失われる幸福だからこそより強烈に目に映るのか。

レディ・バード (字幕版)
ティモシー・シャラメ
2018-09-20


若草物語 1&2
ルイザ・メイ・オルコット
講談社
2019-12-12


『スケート・キッチン』

 郊外の住宅地に暮らす17歳のカミーユ(レイチェル・ビンベルク)はスケートボードに夢中だが、怪我が原因で母親からスケートボードを禁止されてしまう。こっそりとスケートボードをしに街に出掛けたカミーユは、女の子だけのスケートクルー「スケート・キッチン」に出会い、メンバーになる。しかしこのことで母親との関係はよりこじれてしまう。監督はクリスタル・モーゼル。
 カミーユが暮らしているのは住宅地(長屋風の集合住宅が並んでおり、わりと庶民的な雰囲気)だが、スケート・キッチンのクルーらがつるんでいる市街地に出るには、電車でそこそこ時間もお金もかかるらしい。ティーンエイジャーにとって距離とお金というのは大きなハードルだ。これは自分ではどうにもならない。
 そしてどういう親の元で生活しているかということも、自分ではどうにもならない。このもどかしさは万国共通だろう。カミーユの母親は決して悪い人ではないし母親としての責任を担える人ではあるが、娘が愛しているもの、彼女の内面の世界についてはあまり理解していない。母親としてはスケートボードは危ないからやめてほしい、せっかくかわいいんだからメイクしておしゃれすればいいのに…という気持ちなのだろうが、それはカミーユがやりたいこと、やりたいファッションとはずれている。心配とは言え、娘のフィールドに土足で踏み込んでくるのはちょっといただけない。友達の前で親と揉めなければならないのはきついなあ(特に10代にとっては)と、あるシーンを見ていていたたまれなくなった。母親は娘が自分が思う「娘」像とは大分違う人間らしいということになかなか気づかないのか、受け入れられないのか。ラストで若干歩み寄りが見えてほっとしたが。最終的に戻るのが親元の「家」であるのは、カミーユの年齢を考えると年齢相応なのだ。

 自宅と街との距離は、カミーユと母親との距離にも思える。かといって彼女が別居している父親の元に行きたいのかというとそういうわけでもない。後にカミーユが自分で家族の事情を口にするのだが、娘が成長していくことを受け入れられない(大人の女性の身体になっていくことを相談できる相手ではない)父親というのはかなり問題があるのでは…。カミーユの生理用品に関する知識に偏りがあって、17,18歳でその理解って大分ずれているのでは?と思ったのだが、そういうことをちゃんと教えてくれる・話し合える相手がいなかったということで、それは心細いだろう。彼女がスケート・キッチンの仲間と一緒にいたがるのはそういう話ができるから、というのも一因なのだと思う。
 女の子たちがボードで町中を疾走し、大声で笑ったり怒鳴ったりしているは小気味良い。よく描かれがちな「女子ならでは」みたいな感じではなく、単につるんで騒いでいるというニュートラルさ、雑さがいいのだ。ただ、会話の中では女性だから遭遇する不愉快さや迷惑行為などがぽろぽろ出てきてなかなかしんどい。また、男の子が絡むと一気にいわゆる「女の子集団にありがちな面倒くささ」みたいな表現になってしまうのは残念だった。恋愛であれ友情であれ個対個の関係だから、親友である自分への報告がないことをそんなに怒ったり裏切り者扱いするか?と思っちゃうんだけど…。

スケート・キッチン(字幕版)
ジェイデン・スミス
2020-04-01



SK8R’S(3) (ビッグコミックス)
トジツキハジメ
小学館
2015-07-10


『スキャンダル』

 全米で視聴率ナンバーワンのテレビ局FOXニュースの元キャスター、グレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)が、CEOのロジャー・エイルズ(ジョン・リスゴー)をセクハラで提訴した。全米中のメディアが注目する中、FOXの看板キャスターであるメーガン・ケリー(シャリーズ・セロン)も自分の過去を思い返し平静ではいられなかった。一方、若手キャスターのレイラ(マーゴット・ロビー)はエイルズと直接面談するチャンスを得るが。監督はジェイ・ローチ。
 ごく最近の話(ケリーがニュース内で大統領選に出馬するトランプを批判している)だというのが結構ショック。エイルズの女性キャスターに対するルッキズム強要、セクシーさの強要は前時代的なのだがいまだにこれが現行しているのかと。少女たちに自身の意思決定の大切さを説くカールソンの番組は即中止を申し渡されてしまう。そしてクビを言い渡されたカールソンは長年にわたるハラスメント被害を訴えるが、激しいバックラッシュを受ける。またケリーは過去にセクハラにあっただけではなく、トランプの女性蔑視発言を批判したことで視聴者からのバッシングとメディアの目にさらされ、家族の身の安全にも不安がよぎる。レイラは自分の身に起きたことで自分を責め、誰にも相談できず苦しむ。彼女ら以外にもちょっとだけ出てくる女性たちが、女性であるが故にさらされる問題が手際よく(というのも変な表現だが)紹介されている。あーあるある!というものばかりだ。この「あるある」が男性たちにはほぼぴんときていない様子も作中で描かれている。
 ただ、ハラスメントに遭ったという共通項はあっても彼女たちが共闘するわけではない。他の被害者も声を上げるはずと思っていたカールソンは失望する。ケリーは自分も被害者であると公表することで自分の弱さをさらすことになると危惧する(そう思わせてしまう世間がおかしいのだが)。トップキャスターとしての野心満々な彼女は、勝てる勝負だと確信できるぎりぎりまで勝負に出ない。立場はまちまちで、女性の連帯・共闘というものは案外生まれないのだ。
 また、社内を牛耳ってきたエイルズのやり方が、女性同士を競わせるよう焚きつけ、分断するものだったという面も大きいだろう。競わせて優秀な方を男性である自分が取り立ててやるというシステム。女性の敵は女性という言い草は男性が作ったものだろうなとよくわかるエピソードだ。エイルズの人となりも一様ではなく、ゲスなセクハラ男であるが、経営者としては非常に目利きだった、かつ情に厚いところもあって身内と見なした人間は自腹を切って助けるという一面もある。登場する人たちは皆、多面的な造形になっている。
 ハラスメントの告発はもちろん自分自身の為、企業の膿を出すという社会正義の為ではあるが、後進の人たちの為でもある。レイラが「先輩」になぜなにもしてこなかったのかと訴えるシーンは胸に刺さる。レイラのように一人で苦しむ人を出さないためなんだよなと。本作、エンドロールのデザインがとても冴えている。女性たちが分断されている様、孤独な様が象徴されているのだ。


スタンドアップ (字幕版)
ジェレミー・レナー
2013-11-26



『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』

 ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)の意志を受け継ぎ、フォースを覚醒させ修行に励むレイ(デイジー・リドリー)。一方、祖父ダース・ベイダーに傾倒し銀河の支配者に登り詰めようとするカイロ・レン(アダム・ドライバー)。レイはレジスタンスのポー(オスカー・アイザック)やフィン(ジョン・ボイエガ)らと共に戦いに挑む。監督はJ.J.エイブラムス。
 1977年からの全9エピソード、ついに完結。関係者の皆様お疲れ様でした!解散!と言いたくなる。エピソード7,8,9は一方では現代性を考慮しつつ、一方ではオールドファン達を配慮しつつという四苦八苦が垣間見える作品だった。私はスターウォーズシリーズに思い入れがないし、エピソード4,5,6のリアルタイム世代ではないので正直そんなに面白いとも思っていなかった(スターウォーズ以降、フォロワー的作品が大量に出た後の世代なので、最早新鮮さを感じられない)。しかし、7,8,9については結構面白く見ることができた。やはり同時代性というのは馬鹿にできないのだと思う。
 スカイウォーカーの夜明けというサブタイトルだが、スカイウォーカー一族という血からの解放でもあり、帰属でもある、ただしどちらも自分で選ぶことができるのだという落としどころは苦し紛れというよりも、今スターウォーズを描くならこうなるだろう、という所では。レジスタンスらの自分たちは一人ではない、どこかに必ず後に続く者がいるという信念も、超王道ではあるが世界の分断が深まる現代にはより響くものがある。
 ただ、難点も結構ある。相変わらずレジスタンス側の作戦がぶっつけ本番的で勝てそうに思えない所や、帝国側も組織が現在どうなっているのか最後までよくわからない(組織の規模とか構成とかがよくわからない…カイロ・レンが妙に高い位置にいることで組織のスケール感が消えてるんだよな…)所など、設定にしろストーリー展開にしろ見せ方の大雑把さが目立つ。また、これは本作に限ったことではなくシリーズ全般的にその傾向があると思うのだが、地上戦の際の位置関係や移動距離等、空間設定がよくわからない。空中戦はかっこいいのに、地上の白兵戦はとりあえず大群動かしました的な大雑把さを感じる。
 レイ、ポー、フィンの関係がロマンスではなく、友情をベースにしたものであるというのはよかった。フィンはレイに対して何か言いたいことがあったみたいだけど(笑)、フィン本人が今回意外とモテていてレイへの感情がうやむやになっている。その一方で、レイとカイロ・レンに関しては、そうじゃないんだよなぁ…という不満が否めない。もう一人の自分みたいなもので、ロマンスとはちょっと違うと思う。


『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』

 夏休みに部活の研修旅行でヨーロッパに行くことになったピーター・パーカー(トム・ホランド)は、旅行中に片思いしているMJ(ゼンデイヤ)に告白しようと計画していた。しかしベネチアで水の怪物が出現。謎のヒーロー、ミステリオ(ジェイク・ギレンホール)が危機を救うが、ピーターの前には元S.H.I.E.L.D長官のニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)が現れる。ミステリオことベックは別の世界からやってきて、彼の世界を破壊した存在エレメンタルズがピーターたちの世界に出現したのだと言う。監督はジョン・ワッツ。
 夏休み前哨戦にぴったりな作品。ピーターはバカンスをフューリーたちに邪魔されてがっくりするわけだけど、見ている側としてバカンス気分、かつ青春映画の良い部分を味わえる、そして当然ヒーロー映画としての爽快感もある。
 ピーターは「親愛なる隣人」としての自分の立ち位置を前作で確かめた(だから今回、地元のチャリティーイベントにも出るわけだ)。ところが今回は『アベンジャーズ エンドゲーム』後の世界であり、スパイダーマンを含むヒーローたちが人類を救ったことが世界中に知られている。当然人々はスパイダーマンにもアベンジャーズに代わる世界のヒーローとしての活躍を期待するし、フューリーもまた、ヒーローとしての覚悟をピーターに要求する。意欲の空回りをいさめられた前作とは逆の展開だ。しかし今回、ピーターは正に夏休み気分だし好きな女の子は気になるしで、ごくごく普通のティーンエイジャーとしての側面が強く出ている。ヒーローとして困っている人を助けたいという気持ちと引っ張り合いになるのだ。
 ただ本作、ピーターに対して大人になれ!立派なヒーローになれ!と強いるのではなく、しかるべき大人たちが彼をサポートし、成長を見守っている。メイおばさんはもちろん、今回はハッピーが頼もしい。彼があるシーンでとてもうれしそうな顔をする。スタークとピーターが重なって見えたんだろうなとぐっときた。スタークはピーターのことを案じていたが、実はそんなに的確に保護者、指導者になれたわけではない。むしろ今回、彼が遺したものがピーターを導いていく。そしてスタークから遺産を受け取ったのはピーターだけではないのだ。ピーターの存在が、ハッピーにとってはスタークから受け継がれたものと言えるだろう。
 ただ、前作の敵にしろ今作の敵にしろ、スタークの負の遺産ともいえる。良くも悪くもスタークが残したものとどう向き合っていくかというのが、本シリーズの裏テーマ見たいになってしまっている気がした。そういう点で、スパイダーマンシリーズの敵ってちょっと他のマーベル作品とは質が違うように思う。人により意図せず生み出されたもの、人の営みの一部としての悪という側面が強い。今回の敵には、なるほどそうきたか!と唸った。非常に現代的だし、明らかにアベンジャーシリーズの敵とは意味合いが違う。次作は更に、戦うことの意味合いが変わってきそうだ。

スパイダーマン:ホームカミング ブルーレイ & DVDセット [Blu-ray]
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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-12-20






アベンジャーズ/エンドゲーム MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー+MovieNEXワールド] [Blu-ray]
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ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2019-09-04

『スノー・ロワイヤル』

 スキーリゾート地キーホーに住む除雪作業員のネルズ・コックスマン(リーアム・ニーソン)は、模範市民賞を受賞するほど真面目な男。しかし一人息子が麻薬王バイキング(トム・ベイトマン)に殺され、復讐に乗り出す。監督はハンス・ペテル・モランド。
 モランド監督による『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』のセルフリメイク作品(元作品にかなり忠実だとのこと)だそうだが、なぜこれをわざわざリメイクした・・・。面白いが、珍妙な味わいがある。率直に言って変!基本的にふざけてはいないのだが、真顔でギャグを繰り出すようなところがある。
 息子を殺されて怒りに燃える男が主人公だし、近年は「悪い奴絶対殺すマン」として定着しているニーソンが主演なので、今回もリーアム無双なのかなと思っていたら、今回はそこまで無敵ではない。人を殴れば自分の拳はすりむけ、相手に引きずりまわされたりもする程度の生身感があるし、体力にも限界がある。そもそも戦闘のプロではないから色々危なっかしい。死体の処理もかなり大雑把で、手法も「クライムノベルで知った」というくらいの素人だ(大雑把な処理でも大丈夫なくらいの極寒地帯が舞台なので、そこも面白い)。不器用でどたばたした復讐劇として、当事者は大まじめなのに時々笑ってしまう。陰惨なのにどこか長閑でユーモアがある。登場人物が死ぬたびにちゃんと「死亡」字幕が表示され、更にその人の宗教的な背景がわかるマークも付けてくれる、拘るのそこ?という新設設計も味わい深い。
 ネルズにしろバイキングにしろ下っ端のギャングたちにしろ、登場人物が全員キャラ立ちしていて、悪党でも憎々しいと同時にどこか可愛らしさがある。親に似ず理性的でかしこいバイキングの息子や、バイキングの右腕的な部下の常識人ぶりがアクセントになっている。この部下については、後半であっそうか!という設定が明らかになり、それを知っちゃうとその後の行動もまあまあしょうがないよね・・・と納得。
 本作、何より除雪車その他の「働く自動車」映画としてとても楽しいので、クライマックスを楽しみにしてほしい。除雪車、運転したくなります。

ファイティング・ダディ [DVD]
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オンリー・ハーツ
2015-07-03





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2018-03-16
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