3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『12か月の未来図』

 名門高校の国語教師フランソワ(ドゥニ・ポダリデス)はパリ郊外の教育困難中学に送り込まれる。エリート校の生徒ばかりを相手にしてきたフランソワにとって、様々なルーツを持ち学力もまちまちな生徒たちを相手にするのは一苦労。特にトラブルメーカーである少年セドゥには手を焼く。しかし教師としての意欲を取り戻し、生徒たちと格闘していく。監督はオリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル。
 フランソワが教育困難中学へ派遣されたきっかけは、彼のちょっとうぬぼれた性格、意外と女好きな脇の甘さが招いたものだ。この脇の甘さと自惚れがこの後もちらほら見受けられるので、こいつ懲りてないなと思ってしまう。ちょっといいかっこしいなのだ。ただ、最初は成り行きで始めた中学校赴任だが、エリート校で教えるのとはまた違ったやりがいにフランソワは目覚めていく。冒頭、エリート校の生徒たちにフランソワが答案用紙を返却するが、点数とコメントを大分辛辣に公表しながらなので、下手すると(下手しなくても)モラハラだ。点数と生徒の人格を結びつけた発言をしてしまっているのだ。最初から勉強することが身についている、学習意欲が水準以上にある進学校の生徒相手ならこれも有効なのかもしれないが、学習困難校の生徒におなじことをやったら相手を傷つけやる気を削ぐだけだろう(そもそもどういう生徒が相手でもああいった言い方をしてはいけないと思うが)。フランソワはより基本的、根源的な「学ぶ」ことと向き合わざるを得なくなる。学ぶとはどういうことか、学ぶことの面白さはどんなものか生徒に伝えていかなければならないのだ。またセドゥのように学校で学ぶこと自体が辛い生徒がいるということにも初めて気づいていく。アーティストである妹からの示唆により気づくのだが、妹もまたフランソワやその父親のように学校の勉強がごく自然にこなせる人の間で居心地が悪かったんだろうことが垣間見える。出来る人には出来ない人の気持ちってわからないんだよなと。
 フランソワは一定水準以上の勉強を教えることには長けているのだろうが、中学校で要求されるのはそれとはまたちょっと違うことだ。何を持って「いい教師」と言うのかは、生徒の層や学校の性質によって変わってくる。教師の大変さが端々で垣間見られた。フランソワはセドゥの退学を阻止しようとするが、それはまだ中学校のやり方に慣れていないからで、僕たちが悪者で君が英雄かと揶揄したくなる数学教師の言い分もわかる。学校全体のことを考えると彼のようなやり方にせざるを得ないのかもなということも。とはいえ、場所が変わって要求されることが変わっても、それに適応しつつ教師の本分を全うしようとするフランソワは、やはり「いい教師」と言えるのでは。好かれる教師といい教師とはちょっと違うんだよな。生徒の顔と名前と名前の正確な発音(何しろ多民族多文化なので)を必死で覚えようとするあたり、基本的に真面目だ。

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『シャザム!』

身寄りがなく里親の家を転々としていたビリー・バッドソン(アッシャー・エンジェル)は、突然謎の魔術師に召喚され魔法の力を与えられる。シャザム!と唱えると銃弾も跳ね返す強靭な大人の体と、超人的なパワー、スピードを手に入れられるのだ。里子仲間のフレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)と力を無駄遣いして悪ノリするが、同じく魔力を手にしたシヴァナ(マーク・ストロング)が彼らに目をつける。監督はデビッド・F・サンドバーグ。
DCは重さで失敗して軽さにシフトを変えたのだろうか。ともあれ子供も楽しめるヒーロー映画で、力を抜いて楽しめる。ネタに対してちょっと長すぎる気はするが・・・。ビリーとフレディのいかにもティーンエイジャー的な悪ふざけの数々がちょっとくどい。そこそんなに尺いります?ってくらい。なお、バットマンやスーパーマンのようにヒーローがいることが自明の世界なのかそうではないのかがちょっとはっきりしない。最後のオチをそのまま受け取ると、他のヒーローもいる世界ってことなんだろうけど、メタなジョークなのか本編の範疇なのかよくわからないんだよね・・・。
シャザムのデザインにしろ登場人物の衣装にしろ室内装飾にしろ、2010年代の映画とは思えないレトロさで、有体に言うとダサい。七つの大罪たちのデザインなんてあまりにダサくて思わず笑った。もちろんこれはあえてのダサさなんだろうが、80年代あたりの香りが濃厚だ。その中で普通にスマホやYoutubeが出てくるのがなんだか不思議だった。
ビリーは身寄りがないが、生き別れた母親のことを探し続けている。一方、彼が預けられた里親カップルも里子仲間たちも、ビリーのことを受け入れ何かと気にかける。ビリーの母親探しの顛末はほろ苦いが、大事なのは血のつながった家族がいるということよりも、大人として自分をケアし案じる存在がいることの方が大事だという、至ってまともな話。血縁を持たなくても家族になれるという流れはスタンダードになっていくのかな。実母が「こういうことをした女性はDV受けがち」みたいに描かれているのはちょっと気になったが。
ヴィランが誕生するきっかけに、「男らしさ」の強要があるというのが現代っぽい。適正は人それぞれだし、そもそも男らしいってなんだよと。「男になれ」という言い回し、英語圏映画ではよく耳にするが、何かの条件を満たすことによって社会的に性別が認定されるって嫌だよなぁ。その条件が不向きな人もいるのに。ビリーが誰かの為に力を使う方向に踏み切る、本物のヒーローになるように促すのが、いわゆる「男らしさ」を持ち合わせない肉体的にも弱い人だというエピソードと対称的。ビリーの里親も里子仲間たもは男/女らしくなんて言わないのだ。

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『シンプル・フェイバー』

 ニューヨーク郊外に住むシングルマザーのステファニー(アナ・ケンドリック)は、息子の同級生の派はおオアy・エミリー(ブレイク・ライブリー)と親しくなる。エミリーは華やかなファッション業界で働いており、夫はスランプ中だが有名作家。保険を切り崩して生活し特技は料理というステファニーとは真逆だったが、2人は秘密を打ち明け合うほどに仲良くなっていく。ある日、エミリーから息子のお迎えを頼みたいと連絡が来る。快く引き受けたステファニーだが、エミリーはそれきり姿を消してしまった。原作はダーシー・ベルの小説『ささやかな頼み』。監督はポール・フェイグ。
 正にアナ・ケンドリック劇場。ちょっとウザい、若干自信なさそうなステファニーが、だんだんしぶとくずぶとく、ある才能を発揮していく様がケンドリックに似合いすぎる!ライブリーと並ぶと全く別の生き物のように見える異種格闘技戦感には笑ってしまった。プロポーション・・・。しかしそれが全く難点になっていない所がケンドリックの強さだろう。
 ステファニーがよく「聖人みたい」と言われるというエピソードが出てくるが、これは揶揄であることが随所からわかる。いい人、善意の人ではあるのだろうが、その善意や熱意は若干有難迷惑なのだ。学校のイベントで張り切り過ぎて他の保護者たちがひいている様が生々しい(保護者といっても学校イベントに割ける労力ってまちまちだから、1人にはりきられると他の人は辛いよね・・・)。全身からポジティブオーラを発揮している所や差し入れ料理のクオリティが無駄に高いあたりも、これは保護者仲間からは敬遠されるだろうなーという雰囲気がばしばし伝わる。彼女とエミリーが仲良くなるのは、お互い他に友人がいないからというのもあっただろう。
 基本サスペンスのはずなのに、後半に行けばいくほどスクリューボールコメディ的なおかしさが募ってくる。ステファニーがどんどん暴走を始め、隠された才能が開花していく。彼女が頭がよく行動力もあることは、ブロガーとしての振る舞いからも随所で察せられるんだけど・・・。演出がどんどん上手くなってるのだ。学習力高い!エンドロール前にさらっと言及される「その後」のオチには笑ってしまった。こんな「名探偵誕生」ってあります?!なおPTAの父兄(だけでなく警官とか保険調査員とか)が民族も性別もまちまちで絵にかいたような「多様性」なところにはリアルさというよりも何かの揶揄のようなものを感じてしまった・・・。実際は地域によって偏りがあるんじゃないかなとか。


 
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『女王陛下のお気に入り』

 18世紀初頭、ルイ14世統治下のフランスと戦争中のイングランド。アン女王(オリヴィア・コールマン)は政治については才能がなく幼馴染の側近サラ・チャーチル(レイチェル・ワイズ)に頼り切りで、政権を握り王宮を牛耳っているのは事実上レディ・サラだった。ある日、サラを頼ってきた従妹の没落貴族アビゲイル・ヒル(エマ・ストーン)が召使として宮廷で働き始める。サラに気に入られ侍女に昇格したアビゲイルは、徐々に野心を膨らませていく。監督はヨルゴス・ランティモス。第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門審査員グランプリおよび女優賞(オリヴィア・コールマン)受賞、第91回アカデミー賞主演女優賞(オリヴィア・コールマン)受賞作。
 ランティモス監督作品は、『籠の中の乙女』は面白く『ロブスター』はそこそこ、『聖なる鹿殺し』は枠組み、図式へのフェティッシュが前面に出過ぎていて映画としては痩せているなと個人的にはがっかりした。しかし本作は面白かった。脚本が他の人(デボラ・デイビス、トニー・マクナマラ)な所が良かったのかもしれない。間口は広く、奥行きは深くなった印象。広角レンズを使ったような映像が多く、箱庭感は相変わらず強いのだが、映画としてのダイナミズムみたいなものがようやく感じられた。やはりフレーム内の動きがないと面白くないんだよね・・・。本作は単純に「運動」としての面白さの要素が増しているように思う。森の中の追いかけっこや乗馬、射的のようなわかりやすい「運動」だけでなく、アン女王の車椅子移動とか、王宮の廊下での歩きながらの駆け引きなど、単調にならないように配慮されていると思う。
 アン女王とサラ、アビゲイルの三角関係に一見見える。若いアビゲイルが女王の寵愛を奪っていくかのように見える。が、実際には後にサラが言うように、サラが戦っているゲームとアビゲイルが戦っているゲームは同じように見えて別のものだ。サラが戦うのは国の行く末を賭けた政治の舞台であり、かつそれはアン女王との長年培った絆に基づくものだ。アビゲイルは自分がより安全な、暮らしやすいポジションにいく為に闘っているのであって、サラとは見えているものが違う。最後に彼女が見せるどこか困惑したような表情は、思いもよらぬ地点にまで来てしまったことへの戸惑いと恐れであるように見えた。
 美術、特に衣装が素晴らしくて見応えあった。凝った生地を多用しているように見えたのだが、このあたりは歴史考証は度外視しているのかな。当時の衣服のフォーマットを使いつつも現代的なアレンジがされているように見える。特にサラのパンツスタイルが美しい。また、女性よりも男性たちの方が往々にして白塗り厚化粧な所も面白かった。かつらやおしろいは史実として使われていたのだろうが、薄化粧なアン女王やサラとの対比はかなり意識しているように思えた。




『劇場版シティハンター 新宿プライベート・アイズ』

 新宿に事務所を構え“シティハンター”としてトラブル解決やボディガードに奔走する冴羽リョウ(神谷明)と相棒の槇村香(伊倉一恵)。2人の元に、何者かに部屋を荒らされ狙われているというモデルの進藤亜衣(飯豊まりえ)が依頼に訪れる。亜衣がキャンペーンモデルを務める企業の社長・御国真司(山寺宏一)は香の幼馴染だった。一方、海坊主(玄田哲章)と美樹(小山茉美)は傭兵たちが新宿に集まっているという情報を入手する。その傭兵たちはなぜか亜衣を狙っていた。原作は北条司の漫画、総監督はこだま兼嗣。
 1980~90年代にテレビ放送された大ヒット作品(原作は1985~1991年連載)の、20年ぶりの新作。舞台は現代、2019年の新宿で、TOHOシネマズのゴジラも登場するしマイシティはルミネエストに変わっている。しかし、漂う空気は90年代のもの。リョウたちが年を取った様子もない。あの頃のシティハンターがそのまま帰ってきたと言っていいだろう。GetWildがちゃんと流れるらしいぞ!と公開前から沸いていたが、それどころではなく、本編始まるなりあの曲やこの曲が随所で使われるという、ファンは泣くしかない仕様。シティハンターシリーズはOP、EDが本当に名曲揃いだったので、これは大変嬉しかった。
 とは言え、やはり時代は感じる。作中でメタ突っ込みはされるものの、リョウの「もっこり」関連のギャグは今では全く笑えない(当時もそんな面白いものでもなくて、ほぼルーティンでしかなかった気がするけど)。エッチだけどかっこいい、という設定は最早通用しないだろう。それをわざわざやることもなかったんじゃないかなと思う。もしこれを面白いと思ってやっているのなら、制作側の意識・価値観が当時のまま変わっていないということだ。クリエイターとしてそれはどうなのと思わざるを得ない。時代と共に変わっていく部分と変わらない部分をもっと考えないとならなかったのでは。リョウのスケベ要素がなくても、ちゃんと面白いしリョウのキャラクター性は保たれていたと思う。そこがシリーズの強さだったはずなんだけど。
 なお、ファンサービスとしてはキャッツアイの3人姉妹も登場。これは本当にゲスト出演といった感じで必然性はないんだけど、お祭り映画と思えばこれでいいのだろう。正直、ストーリーは大雑把なのだが、イベント的な楽しさはある。そして本作の神髄はエンドロール!これは本当に唸った。TVシリーズを踏まえた上での演出が素晴らしい。


『ジュリアン』

 両親が離婚し、母ミリアム(レア・ドリュッケール)と姉ジョゼフィーヌ(マティルド・オネブ)と暮らすことになった11歳のジュリアン(トーマス・ジアリオ)。離婚調整で親権は共同と決められ、2週間に1度、週末を父アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)と過ごすことになった。ミリアムはアントワーヌと話すことも会うことも拒み、アントワーヌはジュリアンを通じて彼女の居所を突き止めようとする。ジュリアンは母を守る為に嘘をつき続けるが。監督・脚本はグザヴィエ・ルグラン。
 ストレートなドラマで捻りはないのだが、ひしひしと暴力が近づいてくる、地を這うような怖さがあった。アントワーヌがミリアムに何をしたのかは具体的には描かれない。あくまでもミリアム側の言い分として言及されるに留まる。が、彼女と子供たちがアントワーヌを恐れているのは事実だ。そして、彼の行動を見ていると、これはミリアムの言い分が概ね正しいのでは、少なくともアントワーヌの対外的な顔と、家庭内の顔とでは相当違いがあるのではと腑に落ちてくる。ミリアムやジュリアンが抱える恐怖は、関係性の中で培われたもので、外部からはそうとわかりにくいのだ。本作が孕む怖さは、この外側からわかりにくいという所にある。
 加えて、ジュリアンは子供故に自分たちに何があったのか、アントワーヌの何が問題なのか的確に言葉にすることができないし、11歳の知識ではどこに助けを求めればいいのかもわかっていない。またミリアムのアントワーヌに対する対応もちょっと脇が甘い所があり、危なっかしく見ていて少々イラつくこともあるのだが、長らく恐怖に支配されていると正常な判断力が失われてしまうんだろうなと思える。ストーリーはほぼジュリアン、ないしは他の家族の視線で進む。完全に外部の視線が入ってくるのは最後だけだ。家庭内の暴力はそれだけ外部から可視化されづらいということなんだと思う。
 アントワーヌの行動は客観的に見るとかなりやばい人のものなのだが、多分本人に自覚はない。妻や子供の心は彼から完全に離れており、もう関係の修復は無理だろうなと傍目には見てとれる。しかし、彼にはそれはわからないのだろう。彼にとって妻も子供も自分がコントロールできるもの、自分の所有物で、その意識がずっと抜けない。家族の関係においてだけ、客観的な状況と主観とが乖離している。これが一番怖かった。理性的な説得が通じないのだ。

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『シークレット・ヴォイス』

 国民的歌手のリラ・カッセン(ナイワ・ニムリ)が姿を消して10年。彼女の復帰コンサートが発表された。しかしリラは突然倒れ記憶喪失に陥り、歌い方、踊り方まで忘れてしまう。リラのマネージャー・ブランカは、リラの歌を彼女そっくりに歌いこなすカラオケ・バーの店員ヴィオレタ(エバ・リョラッチ)を探し出し、彼女のリラのコーチを依頼する。リラの大ファンであるヴィオレタは突然の出来事に戸惑う。監督はカルロス・ベルムト。
 ヴィオレタは無職の娘を抱えるシングルマザーで、苦労が絶えない。彼女にとって、リラの歌は人生の支えであり、見返りのない愛の対象だ。リラに助けを求められたヴィオレタは、彼女の苦境を支えようとする。ヴィオレタのリラの歌の他に自分には何もないといった風な面持ちが、どこか痛々しかった。実際のところ彼女には娘という家族がいるわけだが、娘との距離は微妙で、関係はぴりついたものだ。前半の娘とのやりとりからは、彼女は娘に対して毅然と振舞おうとするが、最終的に娘の無理難題に屈してしまう。2人の間には愛はあるが、母の愛は娘に不信感を持たせ、娘の愛は母を試し続けるという形でしか表出されない。
 リラとヴィオレタとの関係が物語の軸になるかのように見えるが、実はヴィオレタと娘との関係の方が重要だと思う。一方が愛ゆえにもう一方を消耗し続けているように見える。そして、リラ自身もある人物と似たような関係にあったことが分かってくる。リラとヴィオレタは愛に負け、それが家族との関係をよりねじれたものにしてしまったのだ。もっと早い段階ではねつけていれば、あるいは悲劇は回避できたかもと思わざるを得ない。

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『シシリアン・ゴースト・ストーリー』

 1993年、シシリアの小さな村で、13歳の少年ジュゼッペ(ガエターノ・フェルナンデス)が失踪した。彼に思いを寄せていた同級生のルナ(ユリア・イェドリコヴスカ)は、ジュゼッペの行方を知ろうとあちこち訪ねまわるが、大人たちは一様に口をつぐみ、真相は伏せられたままだ。監督・脚本はファビオ・グラッサドニア&アントニア・ピアッツァ。
 実際にあった誘拐事件が元になっており、映画を見ている側にはジュゼッペの父親が何者なのか、ジュゼッペを待ち受ける運命がどのようなものなのか、おおよそわかってしまう。ことは既に起こってしまい、不可避なのだ。その不可避さに、ルナは一人で挑む。彼女のジュゼッペへの想いは強く深い。彼女の中ではジュゼッペが死ぬ世界は否定され、彼が生きる世界が構築されている。そのファンタジーは彼女を突き動かし、彼女の外側、周囲にもあふれ出てこようとする。両親や友人の言葉は彼女を思っての現実的なものなのだが、ルナにとっては自分の邪魔をする分からず屋たちということになるのだ。ルナの一途さ、頑固さにインパクトがある。演じるウェドリコヴスカの意思の強そうな表情が素晴らしい。彼女が主演でなければ、もっと弱弱しい作品になったのではないかと思う。
 ルナのファンタジーはジュゼッペと彼女自身を救う為のものだが、同時に、彼女の肉体を生と死のぎりぎりの境界にまで連れて行ってしまう。ファンタジーは身を守るものになるが、強すぎるファンタジーは「あちら側」、死へと当事者を連れて行ってしまうという部分は、ギレルモ・デル・トロ監督作品を思わせる。もちろんファンタジーのセオリーなわけだが。「こちら側」と「あちら側」への移動は水によって表現されている。異界への入り口として揺らぎのイメージがぴったりだなと思っていたのだが、ことの顛末まで見るともっとえぐい、救いようのない理由だったのかとわかって愕然とした。この救いのなさに対してせめて何かしらの救いを、という祈りが込められた作品でもあると思う。「こちら側」に戻ってきたルナがジュゼッペを忘れるのではなく、今も彼と共にある、そして2人は自由であると示唆されるラストが美しく切ない。
 ルナの両親の描写が面白い。特に母親の超然とした雰囲気は時に不穏でもある。理性的で現実的であり、ジュゼッペに夢中なルナに対して批判的だ。父親はいかにも田舎の(ちょっとモテそうな)中年男という感じなので、なぜこの2人が結婚したのか不思議なのだが、母親の言葉の端々から、結婚を悔いておりルナには同じ道を辿らせたくないという思いが見え隠れする。それはルナには通じていないんだろうけど。父親とのピクニックの際、2人して母親の手作り弁当を捨ててしまうのがおかしかった。そんなに不味いのか、たまにはジャンクフードを食べたいのか。

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『シュガー・ラッシュ:オンライン』

 アーケードゲーム「シュガー・ラッシュ」のキャラクターで天才ドライバーのヴァネロペと、親友の心優しい悪役キャラ・ラルフ。ある日、シュガー・ラッシュが故障し、廃棄処分の危機に陥る。ヴァネロペとラルフはシュガー・ラッシュを救おうと、ゲームセンターを飛び出しインターネットの世界へ。ネットオークションでシュガー・ラッシュの部品を手に入れようとするが。監督はリッチ・ムーア&フィル・ジョンストン。
 1作目はゲーム世界の「楽屋ネタ」的構造にいまいち乗れなかったのだが、本作はあまりゲーム要素がないからか面白かった。と言っても、インターネット世界の構造をビジュアルで見せる場合ってこれでいいのか?とか、ゲームやアニメのキャラクターを「キャスト」として見るのって、それこそ公式が二次創作しているみたいでちょっとなぁという気持ちはぬぐえないのだが。
 ディズニー作品にしてはかなり苦い味わい。特に中年にはしみる話ではないかなと思う。ラルフはアーケードゲームの世界に満足しており、このまま変わらないことが幸せだと考えている。しかしヴァネロペにとってアーケードゲームの世界はもう退屈で自分が成長していく余地もない。彼女が自分がいたい場所だと思えるのはインターネットの世界だ。たとえ親友同士でもやりたいことは違う、違う人生を選ぶことになるかもしれないという親友同士の物語として描かれているのだが、ラルフのルックスが中年男性なので、時代に取り残され若者に粘着しているように見えてしまう。ひいては少女に粘着するおじさんのキモさが浮き彫りになってしまっている向きがある。多分そこは製作側の本意ではないと思うんだけど・・・(アメリカ映画としてはおじさんが少女に粘着するのはそもそも論外なので、映画の描写としてわざわざ出さないだろうと思う)。
 悪役としてのアイデンティティをラルフは前作で更新したわけだが、本作で彼のアイデンティティは「ヴァネロペの親友」として固まってしまっており、ヴァネロペに依存している。ラルフはラルフ、ヴァネロペはヴァネロペでそれぞれ自立した別の存在だという意識が希薄になってしまっているのだ。他人を自分の在り方の拠り所にするのはかなり危ういことだが、ラルフも案の定、踏み越えてはいけないラインを越えてしまう。親友を尊重するというのはどういうことか、自分の生き方は自分で保たなくてはならないのだと気づくラルフは、納得はしてもちょっと寂しそう。こういう余韻のディズニーアニメって珍しいのでは。
 ディズニー世界へのメタ視線で作られた作品で、それこそ「プリンセス控室」みたいなものも出てくる。従来のディズニープリンセスへの「こうであれ」設定はプリンセス当人にとってどうなのよ、的な自己批判的メタ視線も。ヴァネロペはプリンセスであってプリンセスでない(全く王子様もパートナーも家族も必要としていないと本作でより明らかになる)、結構例外的なキャラクターだと浮き彫りになる。

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『「女性活躍」に翻弄される人びと』

奥田祥子著
 管理職への昇進を拒む葛藤、やりがいと低賃金とのせめぎ合い、認められない家庭での働き。それらは女性たちを圧迫するだけでなく、男性に対するプレッシャーにもつながっていく。リサーチ対象を長年にわたって定点観測的に取材し、時代ごとの価値観が大きく変化していく中での個々人の生き辛さ、苦しさは何に根差すのか迫っていく等身大のルポルタージュ。
 著者が男性たちに取材した『男という名の絶望 病としての夫・父・息子』と同じようなインタビュースタイルのルポだが、少々構えたところがあった『男と~』に比べ、取材相手が女性だからか相手との距離感がやや近く、より細かい部分までニュアンスを拾えている感じがする。結構な年数を掛けて取材相手の変化を追うことが出来ているというのも大きい。時間の流れによって、女性の働きにくさ、生き辛さの背景にあるものが見えてくるのだ。面白いのだが、読んでいてかなり辛かった。当事者の努力だけではどうにもならない部分がある。
 女性が活躍できる社会に、と言うのは簡単だが、そもそも何をもって活躍とするのか。果たしてどういう状態を指し、誰にとっての活躍なのか。当人が望む活躍ではなく、その時々の世間が推奨する活躍に過ぎないのではないか。活躍のミスマッチが起きているのだ。本来、人によって活躍したいフィールドは違うだろうし特に活躍したくないならそれはそれで構わないはずだ。更に、仕事にしろ家事にしろ育児にしろ、どれか一つに注力したら他のパートに割くリソースは当然減るわけだが、なぜか全部フル稼働状態が要求され、しかもそのフル稼働状態をサポートするための社会的な仕組みは非常に手薄。女性たち(ひいては男性たち)の苦しさの根っこは社会構造のあり方、「世間」の価値観に根差すもので、個々の問題としてだけは解決できなさそう。もうちょっと楽に生きられればなとつくづく思う。


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