3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『ジュマンジ/ネクストレベル』

 テレビゲーム「ジュマンジ」の中での冒険から2年、スペンサー(アレックス・ウルフ)、マーサ(モーガン・ターナー)、フリッジ(サーダリウス・ブレイン)、ベサニー(マディソン・アイスマン)は大学生になりそれぞれの生活が始まっていた。しかしスペンサーは壊したはずのジュマンジを修理し、再びゲームの世界に入ってしまう。残された3人も彼を連れ戻す為にゲームにログインするが、スペンサーのおじいちゃんたちも一緒にゲーム内に吸い込まれてしまう。監督はジェイク・カスダシ。
 相変わらずゲームの構造がよくわからない大雑把さなんだけど、登場する人たちが(ゲームの悪役以外)皆いい人なので、安心して見られる。ゲームに再び入ってしまうスペンサーの行動は唐突にも見えるが、周囲は順調に進んでいるのに自分だけ取り残されたように感じてつい現実逃避してしまうというのは、何だかわかる。コンプレックスを「ジュマンジ」世界で冒険したことで克服できたのに、また元に戻ってしまう。ゲームの中での全能感は当然ゲームの中だけでのことだけど、一度味わうと忘れられないのか。そこから引き戻してくれるのが友達なわけだが、彼らもまた、ゲーム内のアバターには結構愛着を持っている。何だかんだいってルックスがよくて身体能力高いキャラになりたくなっちゃうんだよなー(マーサは全ての体は美しい!と自分に言い聞かせるけど、言い聞かせないとならない程度ってことだ)。ルッキズムの呪力の根強さよ。どうしてもわかりやすい強さ、かっこよさに流れちゃう。そこへの反論、どんな能力にも使い道があるということも作中提示はされているが。
 ブレイブストーン博士にしろオベロン教授にしろ、「中の人」が替わったことがちゃんとわかる所が楽しい。ジャック・ブラックはもちろんだけどドウェイン・ジョンソンも上手い!動きがちゃんと年寄りのものになっている。ジャック・ブラックは台詞のイントネーションの切り替えがさすがだった。

ジュマンジ [Blu-ray]
ロビン・ウィリアムズ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2011-07-22


『屍人荘の殺人』

 ミステリー愛好会の会長・明智恭介(中村倫也)とその助手葉村譲(神木隆之介)は、大学内で起きる様々な事件に首を突っ込んでいた。ある日、同じ大学に通う剣崎比留子(浜辺美波)に音楽フェス研究会の合宿への同行を持ち掛けられる。研究会に脅迫状が届いており、昨年の合宿で女子生徒が失踪したことと関係があるのではというのだ。3人は研究会のメンバーと共に、長野県の別荘「紫湛荘」に宿泊することになるが。原作は今村昌弘の同名小説。監督は木村ひさし。
 あるトンデモ設定が明かされるタイミングが原作よりも大分前倒しになっているのだが、その他は割と原作に忠実。登場人物の布陣もアレンジされオリジナルキャラクターも投入されているのだが、本格ミステリとしての謎解き部分に関しては原作通りというバランスがちょっと面白い。キャスティングによる犯人推測もやりにくいように配慮されているように思った。謎解きに関して映画オリジナルでちょっと追加されている部分もあるのだが、それもなるほどなと思える範疇。そこ割愛するの?とかそこで終わるの?とは思ったが。
 良くも悪くも「豪華なTVドラマ」感は否めない。監督がTVドラマ出身の人だからかなのか、あまり「映画」という感じはしないのだ。仲間内っぽい小ネタを使いすぎなせいかもしれない。お茶の間で気楽に見る用の作品という印象だった。出演者に関しても割と神木が一人で牽引しているというか(やっぱりコメディができる人は強いなと思った)…正直、演技を見る作品ではない。とは言え、高校生が友達同士で見に行くにはちょうどいい感じの面白さ。本格ミステリとしてのフェアな謎解きを意外にちゃんとやろうとしているので、ミステリ好きとしてもそんなに悪い印象はない。なお、死人は出るが露骨に残酷な描写はない(肝心なシーンはレントゲン図的に演出されます)のでその向きが苦手な方も安心。

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)
今村 昌弘
東京創元社
2019-09-11


魔眼の匣の殺人
今村 昌弘
東京創元社
2019-02-20


『Gのレコンギスタ 行け!コアファイター』

 リギルド・センチュリーと呼ばれる未来。貴重なエネルギー源フォトン・バッテリーを宇宙から地球上に運ぶ軌道エレベーター、「キャピタル・タワー」を護衛する「キャピタル・ガード」の候補生ベルリ・ゼナム(石井マーク)は、実習中に宇宙海賊の襲撃に遭う。海賊の一味であるアイーダ(嶋村侑)を捕らえるが、彼女が乗っていたモビルスーツ「G-セルフ」をベルリはなぜか起動することができた。総監督は富野由悠季。
 2014年に放送されたTVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』を劇場版として再構成した5部作の1作目。5部作…先は長い…。その長さゆえに見ようかどうか迷っていたが、見るとやっぱり楽しい。決してストーリーテリングがスマートなわけではなく、いきなり始まりいきなり終わる感じなのだが、躍動感に満ちている。作画がいいというより(一部リライトされているが基本TVシリーズの再構成なので)、キャラクターの演技や声優の演技によるところが大きいように思う。富野節とでもいうか、独特なセリフ回しが癖になる。言葉のやり取りの文脈が必ずしもかみ合っているわけではない所が逆に生の会話っぽい。
 また、ベルリの賢いがまだ子供で視野が狭い所や、一見大人っぽく見えるアイーダの余裕のなさなど、この人たちはまだ子供なんですよという示唆が結構はっきりしていたんだなと改めて感じた。特にアイーダの振る舞いは一見すごいわがままに見えるが、彼女なりに自分の役割を果たそうとあがいているんだなとよくわかる。自分が至らないことへの憤りは、自分にできないことをさらっとやってしまったベルリに対する憤りでもあり、だから八つ当たりにも見えてしまう。
 情報がぱんぱんに詰め込まれているので、監督は子供に見てほしいらしいけど子供にはついていけないのではないかなという気がした。TV版で見たときよりもかなり交通整理された印象にはなっているが、テクノロジーの度合いや国の体制(宗教国家に近い感じなのね)、エネルギー供給やそれに伴う軋轢など、矢継ぎ早に情報を繰り出してくる。密度が相当高い。


『シティハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』

 凄腕のスイーパー、「シティハンター」ことリョウ(フィリップ・ラショー)は相棒のカオリ(エロディ・フォンタン)と共に様々な依頼を請け負っていた。ある日、香りをかいだ者を虜にする惚れ薬「キューピッドの香水」の奪還を依頼される。48時間というタイムリミットのなかで2人は奔走する。原作は1980年代にアニメ化され人気を博した北条司の漫画『シティーハンター』。監督は主演も兼ねているフィリップ・ラショー。
 タイトルロゴはもちろん、サントラもアニメ版を踏襲。さらに掲示板(フランスにあの掲示板はないだろ!そもそも縦書きという概念がない!)、100tハンマーもカラスも登場するという徹底ぶり。キャラクターのビジュアル再現度もやたらと高い。ファッションも今が2019年だとは思えないもの。漫画の実写化としては異常な完成度でパリが新宿に見えてくるよ…。
 ただ、いくら原作に忠実とはいえそこまで忠実にする必要があるのか?という部分も。リョウの覗きや下着ネタは現代では(実際は当時でもだけど)完全にセクハラで笑えるものではないし、「もっこり」というワード(フランス語では何と言っているのだろうか…)も同様だ。今年日本で公開された劇場版アニメですら、このあたりのネタに対するエクスキューズは入れていたのだが、このフランス版ではそれが一切ない。また、セクシャリティや身体的特徴へのいじりは正直いただけない。今時これをやる?という感じだし欧米ではこういったいじりへの批判は日本よりも強いのではないかと思うのだが…。正直、フランス人がどういうスタンスで本作を見ているのか(ギャグはコンプラ上完全にアウトなので)よくわからないのだ。2019年に映画化するのならそれなりの、その時代に即した表現があると思うのだが(こういうギャグを排してもシティーハンターの面白さに変わりはないと思う)。ただランジェリーショーのシーンで、リョウがある事情により下着姿のモデルたちに全く反応しないというシチュエーションにしたのはひとつの配慮かなと思った。性的に見る視線がなければただの人体なんだなと妙に納得。
 とは言え本作、監督のシティーハンターが強烈だということはよくわかるし、理解の深さもうかがえる。カオリの兄である槇村とのエピソードを組み込み、その上でリョウとカオリの関係性を描いているところは原作ファンも納得だろう。そしてエンドロールではあの曲がばっちり流れる。あれがないとシティーハンター見た気にならないもんね。




『人生、ただいま修行中』

 パリ郊外にある看護学校。年齢、性別、出身など様々な40人の学生たちが実習の現場で奮闘していく様子を追ったドキュメンタリー。監督は二コラ・フィリベール。
 私はフィリベール監督の作品が好きなのだが、それが大人であれ子供であれ基本的に他者(撮影対象)に対する敬意、尊重を感じるからかもしれない。対象に近づくが、無遠慮に踏み込まない微妙な距離感が踏まえられているように思う。本作は学生だけではなく、看護の現場なので当然患者も映されており、かなりデリケートな撮影だったのではないかと思う。でもカメラを向けられた人たちがカメラがあることによって不快そうだったり委縮していたりという印象は受けなかった。撮る側と撮られる側との間に信頼関係があるのだろう。
 学生たちの実習は、手の洗い方から始まり看護の理念に関する講義、病院での実習と進んでいく。講義の中で、患者の属性や状態によって看護の質を変えてはならないという理念、看護師の独立性について強調されることが印象に残った。
 採血に何度も失敗するという定番のシチュエーションや、片手を必ず清潔に保つための手の使い方、ガーゼを扱うときの手のふるえや患者とのぎこちない会話など、彼らがまだ「卵」であることがよくわかる。そこに寄りすぎもせず、しかし親密さも感じさせるというカメラの距離感が巧み。映し出される状況に関する説明はないので、この人は今どういう状況にいるのか?と戸惑うところもあるし、個々の学生たちのパーソナリティや背景が最初からわかっているわけでもない。しかし徐々に、あのシーンはこういうことだったのか、この人はこういう人なのかと映像の積み重ねの上わかる瞬間があってはっとする。編集がうまい。終盤に教官との面談があるのだが、その面談で学生たちの顔がよりはっきりするという、最後に個々のキャラクターが印象付けられる構成だ。人の命と向き合う仕事の中で彼らが感じているプレッシャーや喜びがここで言語化される。
 学生たちだけでなく、教育する側の姿も印象に残る。研修現場でなるべく手は出さずちょっとづつアドバイスをしたり、うまくいったら後からほめたり。患者の前で指導するというのはなかなかやりにくいと思うのだが。患者たちもしょうがないな…みたいな鷹揚な対応の人も、注射針を刺されてすごく痛そうな反応をする人もいてまちまち。患者もある意味教師だとも言える。看護の現場が人手不足で厳しいのは万国共通なようで、周囲が忙しすぎて具体的な指導が受けられず途方に暮れたという学生の声もあった。また、ハラスメントが起きやすい場であるのも残念ながらフランスでも同様らしい。研修中にずっと人格を否定され続けた(その現場の映像は作中では使われていない)という学生の話もあった。また、学生との面談中に教官がすごく怒っているのだが、聞いていると学生がハラスメントにあっているといことがわかる。「修了書の為に(ハラスメントを)我慢しなくていい」と断言するところがまともでほっとする。学校側が学生を守る立場なのだと明示しているのだ。

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『真実』

 フランスの国民的大女優ファビアン(カトリーヌ・ドヌーブ)は『真実』という題名の自伝を出版する。出版を祝うために、アメリカで脚本家をしている娘リュミエール(ジュリエット・ビノシュ)は俳優である夫ハンク(イーサン・ホーク)と娘と共に帰省する。しかし自伝に書かれたエピソードは架空のもの、そして家族にとって重要なはずなのに書かれていないエピソードがあった。監督・脚本は是枝裕和。
 超豪華キャストだが、やっていることはいつもの是枝監督作品。車体はコンパクトカーなのにエンジン等はレーシングカー並みとでもいえばいいのか、ドヌーブとビノシュがいるだけでバランス感がおかしなことになっている。贅沢すぎるのだ。とは言え、ドヌーブはいつもの是枝監督作品における樹木希林的な役回りなんだなと見ているうちに腑に落ちていく。傍若無人だが可愛げがあり、周囲を振り回していくと同時に俯瞰している年配者という立ち位置。そういう意味でも「いつもの是枝監督作品」なのだ。字幕の文体が普段見慣れているものとちょっと違って(あまりに是枝作品ぽくて)違和感があったのだが、日本語の脚本をそのまま字幕に転用しているのだとすると、腑に落ちる。
 ファビアンヌは自身が女優であることを最優先しており、その振る舞いは妻、母である以前に女優としてのもの。彼女の「真実」とは女優としての彼女にとっての「真実」なので、彼女を母として見ているリュミエールにとっての「真実」とは食い違う。2人の気持ちが通じ合ったと思えるいいシーンの直後、突如「女優」として考え始める姿には笑ってしまうし、リュミエールの唖然とした表情を見ると気の毒にもなる。この人はそういう人だからしょうがないとあきらめるしかないのだ。
 ではリュミエールにとっての「真実」が全面的に正しいのかというとそうでもない。彼女の立場からは、ファビアンヌの女優としての部分、またある人物の友人・ライバルとしての部分はあまり見えていない。お互い自分の立場から見ているから記憶にも食い違いがあり、どちらが正しいとも判断できない。お互い様なのだ。真実はモザイク状だったり、レイヤーになっていたり、グラデーションがあったりする。本作における「真実」とは主観でしか語れないものなのだ。客観的な事実としてどうだったのかということは、ずっとはっきりしないままだ。ファビアンヌとリュミエールは常にちょっとすれ違い、全面的に重なり合うことはないままの関係なのだろう。ある程度理解はしあっているし愛情もあるが、相入れないのだ。ファビアンヌがリュミエールが「逃げた」ことについて、言及するシーンがある。親にこういう言われ方したらかなりきついと思う。ファビアンヌなりに配慮しているところがまたきついのだ。
 ファビアンヌがフィクションを体現する表現者であるなら、リュミエールはフィクションを作る脚本家という立場。終盤でのある意趣返しとでもいうような行為は、ファビアンヌが自伝を書く行為とあまり変わらないようにも思えた。

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『ジョン・ウィック:パラベラム』

 殺し屋たちの聖域、コンチネンタルホテルでの不殺の掟を破った殺し屋ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)。裏社会を束ねる組織は彼の抹殺命令と1400ドルの懸賞金を告げる。町中の殺し屋たちから追われるジョンは、モロッコへと渡り、かつて“血の誓印”を交わしたソフィア(ハル・ベリー)に協力を仰ぐ。監督はチャド・スタエルスキ。
 アクションシーンの一つ一つ、特に前半のシティから脱出するまでの一連のアクションシークエンス(図書館とか!)がユニークかつ見やすい。目新しさがありつつ、何がどうなっているのか目で追いやすいというアクション設計がとても楽しかった。速さや華やかさだけではなく、見ていて「わかる」ようにアクションを組み立てるってやっぱり大事なんだなと実感した。見ていて満足感が高い。キアヌのアクションは素晴らしいが、必ずしも「速い」わけではなく、もったりとしたところもあるのだが、それが彼の持ち味だし本作には合っている。ジョン・ウィックって意外とボロボロになるし2作目でヘロヘロになった状態のまま、今回はあまり回復していない(笑)。無敵の殺し屋みたいに周囲からは見られているが、そうでもなさそうなのだ。
 ジョンが殺し屋界のアイドルらしい事情が作中垣間見えておかしい。「ニンジャ」たちが超クールでめちゃめちゃ強いのだが、ボスがまさかそんなキャラだったとは!ソファーのくだりには笑ってしまった。そりゃあ推しと急接近するまたとないチャンス、夢のイベントではあるけど…。烈火勢に絡まれるジョンがちょっと(どころではなく)迷惑そうなのも笑ってしまう。
 なお「組織」の支配力が明らかになるのだが、殺し屋の世界がかなり窮屈そうな絶対君主制的なもので、ちょっと冷めてしまった。フリーランスがしのぎを削る、その中でホテルだけが中立地帯で、何かに統制されているわけじゃないから面白い世界なんじゃなかったのか…。



『ジョーカー』

 コメディアンを目指し、道化師として働くアーサー(ホアキン・フェニックス)。しかしクビにされ、貧困と持病に苦しむ中、市の経費削減で福祉ケアも打ち切られる。不遇に追い詰められていく彼に、さらに追い打ちをかける事実が明らかになり、アーサーは変容していく。監督はトッド・フィリップス。
 (ストーリー内容に触れています)これまで映画に登場してきたジョーカーというキャラクターは、内面やその行動への共感を拒む、ただただ悪でありそこに理由はないという造形だったと思う。しかし本作では、1人の人間としての名前があり、家族があり、他人に対する共感も優しさも持ち合わせている、不当に扱われたりバカにされたりしたら傷つく存在であることが明白だ。そういう「変わり者」と揶揄されることはあるもののごく普通の人が、どういう経緯で狂気に走っていくのか、思いやりや倫理をなくてして全ての人間に破壊衝動を向けるようになるのか、ねっちりと見せていく。彼の行動にうっかり共感させてしまうところが性質が悪い。誰でもジョーカーになりえるのだと。
 アーサーが人間性を捨てていく過程には、いくつも分岐点がある。ここで何か助けがあれば、裏切られなければ、別の選択肢があれば、という歯がゆいシチュエーションで、逆に彼の背中を押していくものが何なのか浮彫になっていく。個人として尊重されないことは人の心を着実にむしばんでいく。福祉はそれに歯止めをかける最後の砦でもあると、なんだかケン・ローチやダルデンヌ兄弟の映画を見ているような気分にもなった。そういう話をアメコミ原作映画で、ことにジョーカーという超有名キャラクターを使ってやる必要があるのか?という批判もありそうだが、そういうものすら料理できる許容範囲の広さ・深さがアメコミというジャンル、ひいてはヴィランという存在の強さではないだろうか。
 アーサーが社会から取り残され、自分を片隅に追いやった社会、そしてその社会を牛耳り彼を見捨てた(と彼が思っている)存在への憎しみを爆発させる過程は、最近頻発しているいわゆる一人テロに近い。ただ、アーサーの爆発は現実の一人テロとはちょっと違うところがあるように思った。彼には異性にモテないことによる恨み、ミソジニー的なものはさほど強くないように見える。ある女性への執着は確かにあるのだが、異性との性愛というより、自分が愛され尊重されること全般についての得られなさといった方がいいのだろう。ただ一つの存在として大事にされたいという思い(本来なら母親から得られるはずのものだったのに)が、彼に「父親」との絆(そして「父親」を奪った者への憎しみ)という夢を見させてしまい、その夢の破綻が狂気の背中を押す。人として基本的な尊厳と性愛、セックスを得られるかどうかは別物だぞという監督の念押しか。
 本作の上手いところは、すべてがアーサーの夢であるようにも解釈できるというところだろう。実際にはアーサーはずっとあの白い部屋にいたのでは、コメディアンにもヴィランにもなれなかったのではと。そして本作に登場する町は、音頭を取るジョーカーが存在しなくても近いうちに暴動が起きそうに見える。ジョーカーは町で生活苦にあえぐ人たちの共同幻想が生み出したものかもしれない。だとすると、ウェイン一族はどちらにせよ町の救世主にはなりえないだろう。富裕層と低所得層との分断という今現在起きている現象が映しこまれているが、ウェイン家はそれに加担してしまった立場だ。ヒーロー全否定なので、アメコミファンにとっては許しがたいのかもしれないが、非常に「今」の作品だなと思った。
 
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2016-02-24


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2018-12-06


『主戦場』

 日韓の間でくすぶり続ける慰安婦問題。アメリカ人YouTuberのミキ・デザキは“ネトウヨ”から度重なる強迫を受けたことがきっかけで、彼らの主張に興味を持ち、慰安婦問題の渦中に飛び込む。取材先は右左、日米韓を問わず論争の中心人物たちだ。
 ミキ・デザキ監督は本作が長編ドキュメンタリーのデビュー作になるそうだが、組み立ての手際がよく、編集が的確かつ「突っ込み」スキルが高い。ここはボケだな!という部分の発見の仕方が上手いのだ。デザキ監督がアメリカ人で元々この問題に詳しいわけでもなかったという、いわば部外者、新参者的な立場でアプローチしていることが、この問題のいびつな部分を発見しやすくしているだろうと思う。
 監督にとって「ボケ」であるのは、右翼陣営のインタビュー対象らだ。話し方は穏やか、理知的でまともそうに見える。しかし、その歴史認識はどこかおかしい、持論の文脈も、資料の解釈の仕方も恣意的すぎるのでは?とひとつひとつ検証していく、つまりツッコミをいれていくのだ。能面のようにがっちりガードしてそつがない人がいる一方、話していく中で、この人はもうあまり喋らない方がいいのでは・・・本人も所属している陣営も得しないのでは・・・という場面も。ここに壮大なボケがあるけどなぜ世間は突っ込まないの?というのが監督のスタンスであるようにも思った。そして取材を重ねる中で、この問題をある目的にしようとしている集団がいるのではということを後半であぶりだしていく。
 慰安婦問題は歴史認識の問題としての側面と同時に、人権問題、ジェンダーの問題をはらんでいる。この人権問題、ジェンダーの問題であるという認識が右左双方であまり浸透していない。右派はあえてそこを避けようとしているし、左派でも意外と理解されていないように思う。女性の性被害の理解されなさは日韓問わず、また家父長制の弊害があることも韓国の研究者により指摘されていた(国内ではこの指摘にかなり反発があったようだ)。現在、この問題が非常にこじれているのは、これらのことにも関係しているように思う。本作の後半では慰安婦問題をある目的に利用しようとしている集団がいるという新たな側面を展開するが、その中で人権問題としての慰安婦問題のあり方から焦点がブレてしまった気がした。とはいえ、ズレた先の面白さ、怖さが予想外で、そこも本作の力なのだろう。ただ、それを部外者から指摘されるというのはかなり恥ずかしいしキツいのではないかと思うけど・・・。

『シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢』

 2年前から鬱病で仕事をやめ、引きこもりがちなベルトラン(マチュー・アマルリック)。ある日、公営プールで男子シンクロナイズドスイミングのメンバー募集を目にする。なぜか引きつけられ参加することにしたベルトランだが、チームのメンバーも彼同様になんらかの問題を抱える中年男性たちだった。監督はジル・ルルーシュ。
 男子シンクロチームが舞台ではあるが、スポーツ映画としての側面はあまり強くない。練習もあまり本格的に見えないし、シンクロしている姿が本格的に見られるのはクライマックスくらいなのだ。エピソードが散漫で、緩い群像劇と言った感じ。むしろ中年男性・女性のミドルクライシスの方が物語の中心にある。鬱のベルトランはもちろん、仕事では成功しているのに家族と心が離れていくロラン(ギョーム・カネ)や、起業マニアなのにどの事業も上手くいかないマルキュス(ブノワ・ポールヴールド)、いまだに芽は出ないが夢を諦めきれないシモン(ジャン=ユーグ・アングラード)、いつも周囲から浮いているティエリー(フィリップ・カトリーヌ)。皆それぞれ問題があり、更にコーチで元女子シンクロ選手だったデルフィーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)もアルコール依存症だ。
 彼らは社会的に決して強くないし、いわゆる負け犬と言われる存在だ。彼らが一歩前に進んでいく姿を本作は描いているが、彼らを前に進めるのはシンクロへ打ち込むことそのものではなく、チームの仲間と自分の問題、仲間が抱える問題について対話していく行為であるように思えた。もちろんシンクロに取り組むことで自信がつくとかやる気が出てくるという面はあるのだが、むしろお互いに話し合うことで自分の中での問題の筋道がついていく、そういう場があり仲間がいると思えることが支えになるという要素の方が、彼らの前進にとっては大きかったのではないだろうか。鍛えて強くなるのではなく、弱いままでもちょっとだけ良くなるという方向性だ。
主人公であるベルトランのスタンスが象徴的で、彼は最初から自分が鬱であることを受け入れておりあまり隠さない。その上で物事に挑戦しようとし、最後までいわゆる「強い人」にはならないし目指さない。彼の妻も、ベルトランの弱さを受け入れており、軋轢は生じるがそれ込みで彼を大事に思っている。夫婦の関係がすごくよかった。弱い人が弱いままで生きるという方向性に現代性を感じた。

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