3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『幸せへのまわり道』

 記者のロイド・ボーゲル(マシュー・リス)は華々しいキャリアを積んできた。今は有名雑誌の編集部に勤め、弁護士だが育児の為休職中の妻と、幼い息子と3人暮らし。ある日、姉の結婚式で絶縁状態だった父ジェリー(クリス・クーパー)と再会し、大ゲンカしてしまう。数日後、ロイドは仕事でインタビューをすることになる。相手は子供番組の司会者で国民的スターのフレッド・ロジャース(トム・ハンクス)。フレッドは会うなり、ロイドが抱えている問題を察知する。監督はマリエル・ヘラー。
 スタジオ見学に来たがなかなか言葉を発さない子供に対して、フレッドが子供の発語をずっと待ち続けるシーンが印象に残った。フレッドは「聞く」力の鍛え方、胆力が半端ない人物なのだ。相手の話を本気で聞く姿勢を保ち続けるというのは、実は相当努力と技術がいる。そして聞く姿勢が本気でない場合、往々にして相手にバレる。フレッドは初対面の相手に結構立ち入ったことを聞いてくるのだが、そこで関係がいきなり拗れるという風でもない。この人は本気で聞く気があるなと思わせる何かがあるからだろうし、そういう人に対しては、相手も自分のデリケートな部分を開示してもいいと思える。
 一方ロイドは記者という職業にも関わらず、今一つ聞く態勢がとれていない人だ。彼が用意している質問は答えが予測されている、あるいはこう答えてほしいというシナリオが前提になっているもので、フレッドには「期待通りの答えじゃなかったかな?」と言われてしまう。また、相手を怒らせて本音を引き出すといった手法を取る様子も垣間見え、インタビューした相手からは嫌われているという。ロイドの聞き方は対話にならないのだ。彼のこの姿勢は家族に対しても同様で、関係がこじれている父親はともかく、妻に対しても今一つ上の空。子供の世話は一緒にやっているし決して不仲ではないのだが、妻は本当は復職したいのでは(保育所が決まらなくて、という会話がある)、ロイドにも家にいてほしいのではといった事情が垣間見えてくる。ロイドが取材に打ち込むのは、そういった対話をせざるを得ない状況から逃げ出すためでもあるのだろう。
 相手の話を本気で聞くのは、気力体力を使うし、自分をある程度律していなければできないことだ。フレッドが感情、特に怒りをコントロールするように努めているというのもそのためだろう。ロイドに一番出来ていないのはここだ。プレッシャーが重なっていく様が、耳鳴りや話が聞こえなくなるといった演出で表されているのだが、徐々に周囲が見えなくなり頭が飽和状態になる様子が伝わってくる。こういうキレ方をする人は結構多いと思うのだが、弱みを見せてはいけない、強くあらねばというプレッシャーが根底にあるのかなという気がする。だから悲しみや辛さで泣いたりできないし、間違いや弱さを指摘されるとキレるのではないか。
 そういった感情は言語化して整理する、またフラストレーションを何かで発散してバランスを保つのだとフレッドは言う。しかし彼にとっても決して簡単というわけではない、素の彼が垣間見えるラストに異様な迫力があった。それまではフレッドの番組というフレーム、その中で紹介されるロイドの物語という複数のフレームで構成されているのだが、ここだけフレームがなくなるのだ。実は構成に結構凝った作品だ。

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2012-11-09









『シチリアーノ 裏切りの美学』

 1980年初頭のシチリアでは、マフィアの全面戦争が激化していた。パレルモ派のトンマーゾ・ブシェッタ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)はブラジルに逃れるが、仲間や家族は次々と敵対するコルリオーネ派に殺されていく。ブラジルで逮捕されイタリアに引き渡されたブシェッタは、ファルコーネ判事から捜査への協力を求められる。監督はマルコ・ベロッキオ。実在したマフィアの一大摘発事件をドラマ化した作品。
 俳優たちの面構えにアクがあり、映像も色彩鮮やかでテンポよくエネルギッシュ。冒頭の死人カウント表示も抗争の規模が一目でわかり景気がいい。ベロッキオ監督は既には80歳越えていたと思うが、元気だなー。なかなかのくどさだった。
 シチリアはイタリアの中でも大分独特な土地柄なのだろうか。どうもかなり方言がきついらしいというだけでなく、1980年代の話ではあるが、更にひと昔前の世界みたいだ。法律と行政ではなく、マフィア同士の関係とローカルルールが支配する世界なのだ。法を守る側に協力したブシェッタは激しいバッシングを受け、地元では「雇用を守るマフィアを守れ!」というデモが起きていたりする。マフィアが経済を回す、犯罪が一大産業になっているのだ。そんな世界ではブシェッタは組織だけではなく土地全体に対しての裏切り者、卑怯者ということになる。このあたりの過剰な地元愛は外様から見るとなんとも不思議。ブシェッタと他のマフィアたちは双方卑怯者、裏切り者(ブシェッタからすると昔からのルールを無視し私欲に走ったマフィアたちは裏切り者というわけ)とののしりあうが、いずれにせよどちらも犯罪で飯を食っているわけで、どっちもどっちな気がしなくもなかったが…。その文化の中にいないとわからない理屈があるんだろうなという異文化を垣間見るような作品だった。
 異文化と言えば、本作で行われる裁判は、私が映画やTVドラマで見知ってきたものとは大分様相が違う。証人であるブシェッタと被告であるマフィアがその場で直接「対決」を出来る、更に他の被告(マフィア組織を摘発したので被告が大勢いる)もギャラリーとして待機しておりやんやと野次を浴びせることができるという、見世物的な状況だった。ブシェッタと「対決」相手も裁判官そっちのけで罵倒しあい、弁護士が介入する余地がない。具体的な証拠や証言の裏付け等は一切出てこない(実際の裁判ではあったのだろうが、作中には出てこない)ので、これは一体何を見せられているんだ…と謎の時間が流れた。

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『ジョゼとピラール』

 EUフィルムデーズにて配信で鑑賞。ポルトガル語圏唯一のノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴと、彼のパートナーであるピラールを追ったドキュメンタリー。2010年製作、監督はミゲル・ゴンサルヴェス・メンデス。
 サラマーゴといえばパンデミック小説とも言える『白の闇』(映画化された『ブラインドネス』も佳作だった)、そして今年はサラマーゴ没後10周年。半分は予期せずだがタイムリーな作品になってしまった。本作は晩年、80代のサラマーゴの活動を追うが、非常に若々しく精力的だ。執筆はもちろんだが、各種講演、シンポジウム、サイン会(時間と体力温存の為に献辞は遠慮願うというやり方)、はたまた次作の芝居に出演までという幅広い活動ぶり。しかもそれがスペイン(サラマーゴはスペインのランサローテ島にに移住)だけでなく様々な国で開催されるので、かなりあわただしく海外を飛び回ることになる。講演にもサイン会にも大勢の人が訪れ、文化や政治に関する発言も注目を集める。その注目度は日本における「作家」のあり方とは大分様子が違う。作家という立場のプライオリティの高さや、実際に彼の作品を読んでいる読者の多さが垣間見える。
 サラマーゴのあわただしい活動をマネージャー的にサポートするのがピラール。日常生活はもちろん、仕事のスケジュール管理やイベントの手配、マスコミ対応等、こちらもまた大変な仕事量。サラマーゴの絵画遠征にももちろん同行するし、一方で彼女自身の仕事もばりばりこなす。やたらとエネルギッシュなカップルなのだ。2人の会話の掛け合い、ぶつかり合いも小気味良い。ピラールがインタビュー内でプレジテントと呼ばれ「プレジデンテです」と訂正する(プレジデントは男性名詞、プレジデンテは女性名詞。プレジデンテという名詞が定着していないのはそのポジションが男性ばかりだからという文脈)様や、「セクシャルマイノリティに対して寛容ですよね」というな質問を投げかけられて寛容とかそういう問題でなくて(彼らは現に存在するわけだから)人権問題だと怒る様が彼女の人となり、立ち位置を示していた。
 とはいえば、サラマーゴも高齢は高齢なので、ある時点でがたっと調子を崩す。これが生々しくて(ドキュメンタリーだから当然「生」なんだけど)心がざわつく。彼の最晩年の映像だとわかっているだけに。それを支え続けるピラールの姿は、献身というよりも、チームの一員としての責務としてやっているように思えた。それが2人にとっての愛の形なのだろう。
 サラマーゴはポルトガルで生まれ育って、作家として成功した後にスペインで暮らすようになったという背景がある(当時のポルトガル政府の方針に同意できなかったらしい)。彼とポルトガル、スペインという2つの国の関係への言及が作中でやはり出てくるのだが、なかなか微妙。サラマーゴ展の開幕にポルトガル政府の関係者は出席しなかったというし、ポルトガルからは裏切り者扱いされている向きもあるのだろう。本人のアイデンティティはおそらくポルトガルにあり、祖国への愛もあるのだろうが、そこで生きやすいかどうかはまた別問題だ。

白の闇 (河出文庫)
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2020-03-16


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『白い暴動』

 配信で鑑賞。経済が破綻状態にあり、働き口と福祉を奪われる不満から移民排斥主義運動が高まっていた、1970年代後半のイギリス。イギリス国民戦線(NF)を中心に排斥運動の過激化が進む中、芸術家のレッド・ソーンダズらは差別に対してロックで対抗する組織「ロック・アゲインスト・レイシズム(ARA)」を発足。ザ・クラッシュ、スティール・パルスらパンクやレゲエミュージシャンのライブを開催し反レイシズムを訴える彼らの活動は、多くの若者たちに支持されていく。監督はルビカ・シャー。
 RARの活動を追ったドキュメンタリーだが、レッドにしろ中心的スタッフのケイト・ウェブにしろ、表現は政治活動であるという認識は一貫している。これは日本だとなかなか抵抗を感じる人が多いし反感をかいそう。とは言え、社会の中で生きている以上政治にかかわらない活動というものはない(政治的主張を表現活動として表現するかどうかはまた別の話だし、やってもやらなくてもいい)。アーティストが政治を語ると「がっかりした」等の声が湧き出る今の日本とは大分様子が違う。当時はデビッド・ボウイやエリック・クラプトンまでNF支持を表明していたというから、そこに反対していったレッドらの覚悟は相当なものだったろう。実際、激しい嫌がらせにあったり知人から身辺に気を付けるよう忠告されたと言う。
 ARAのユニークな所は、NFの支持層である白人青年たちに人気のパンクバンドをイベントに起用して、そのファンとの対話を試みたという所だろう。ある意味、人間に対する信頼があるからできることではないかと思う。また、人種差別だけでなく性差別、LGBT差別、宗教や経済格差等、様々な差別問題を不公正なものとして包括的に反対運動が進められていた点も面白い。不公正・不正義には声を上げろという姿勢が一貫している。1978年のデモとフェスには10万人以上の人が集まったというから、その姿勢が様々な人々の共感を呼び行動されたということになる。相当数の人びとが声を上げたという所に健全さと言うか、救いがある。正直羨ましい。インタビューされた若者が「NFは国の問題を個人の問題にしている」と話していたのも印象に残った。国の経済状況が落ち目になると排斥運動は起こりやすく、それは経済問題だし、レイシズムへの流れを押し止めるのは「差別をやめましょう」という道徳よりも、国の経済政策やアナウンス、教育によるものだということだろう。
 RARの広報誌の紙面が結構かっこよく、何かを訴える為にはデザイン、ビジュアルも大事なんだなと改めて感じた。若い層の支持を得たというのはこういう要素もあったからだろう。なお、ザ・クラッシュは右翼的な白人男性の支持が強かったそうだが、バンドメンバーは「歌詞ちゃんと読めよ!(レイシズム要素はないから)」と話しているのがおかしかった。

白い暴動 (字幕版)
スティール・パルス


白い暴動
ザ・クラッシュ
SMJ
2013-03-06


『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』

 2006年。人気俳優のジョン・F・ドノヴァン(キット・ハリントン)が29歳で突然死した。10年後、若手俳優のルパート・ターナー(ベン・シュネッツァー)は著書出版に際したインタビューを受けていた。ジョンの大ファンだったルパート(ジェイコブ・トンブレイ)は、11歳の頃、彼と文通しており100通以上の手紙を交わした。その内容を本に記したのだ。監督はグザヴィエ・ドラン。
 ドラン監督の作品は常に感情の圧が高く、そこで好き嫌いが分かれそうな気がするが、本作は割と間口が広いように思う。青年ルパートの目を通したジョンの生涯という入れ子構造の立て付けなので、感情にフィルターがかかっている。「私の声」としての生々しさやどぎつさは若干和らぐのだ。また、これまでのドラン作品と同じようにジョンと母親との間、またルパートと母親との間には愛があると同時に大きな拗れ、わだかまりがある。ただ、その描写もさほどとげとげしいものではない(とは言え実家帰省のシーンなどを見ると、こんな親子関係・親戚関係だったらちょっとしんどいなとは思わせるけど)。根底には愛があり共感が生まれる瞬間もある。加えて少年ルパートの母親(ナタリー・ポートマン)は息子の為に本気で奔走し、それがルパートの心を再び動かす。2人の心が通う感動的な瞬間があるが、この瞬間がなければ後のルパートはいなかったかもしれない。これはおそらくジョンが得られなかった体験で、あったかもしれないジョンの人生をルパートがやりなおしているようにも見えるのだ。親子関係の運任せな部分を垣間見たようで切なくもあるのだが。
 とは言え、本作に出てくるジョンのエピソードは、ルパートが語るものという側面が強い。実際の彼がこのようだったかどうかはわからない。ルパートは信用できない語り手でもあるのだ。彼が必要とした物語が本作におけるジョンの物語であり、彼がジョンに自分を重ねることで生まれた物語とも考えられる。憧れのスターに自分を重ねる、共感を重ねるという気持ちは個人的にはあまりわからないのだが、こういう物語の在り方を必要とする人はいるし、スターはそれを許容するからこそスターなのかなとも思えた。
 それにしても、ジョンが生きていた2006年は思った以上に窮屈そうで、意外だった。セクシャリティに対する許容度ってアメリカでもこんなものだったのかな?対して、2016年を舞台とするラストシーンの幸福感がまぶしい。ある映画へのオマージュになっているのだが、ここで堂々とハッピーエンド感を出せる所が2020年(作中は2016年、製作は2018年だが)なのだと思う。

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『ジュディ 虹の彼方に』

 1968年。『オズの魔法使い』以来、ミュージカルスターとして一世を風靡したジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)は、度重なる遅刻や失踪により仕事は途絶え、借金を抱えつつ巡業で生計を立てる日々を送っていた。幼い娘と息子と一緒に暮らす資金を手に入れる為、子供たちを元夫に預け、ロンドン公演へ向かう。監督はルパート・グールド。
 ガーランドは47歳で死去しているので、本作が描くのは彼女の晩年期と言ってもいいだろう。お酒と薬で心身ともにボロボロ、ステージにも支障をきたしかつて築いたスターとしての信用も失っていく彼女の姿は痛々しい。少女時代のエピソードが随所に挿入されるが、彼女が薬を手放せなくなったのは、ハードワークに耐えさせる為に周囲の大人たちから長年にわたり投与されていた為だとわかる。同時に、周囲の大人たちは彼女の若さと無知に付け込み、年齢相応に必要とされるケアは全くしてこなかったことが窺えるのだ。その状態のまま大人になったガーランドは、子供時代の自分が得られなかった愛情や庇護を受けようとするあまり、手近な愛(的なもの)に手を伸ばしてしまっているように見える。客観的にはいかにも脆そうなものを掴んでしまう様が痛々しくて辛い。
 ただ、男性運が悪かった彼女にとっても確かな愛、双方向に成立している愛はある。それはファン、ショーの観客との愛だ。遅刻魔でパフォーマンスも不安定な彼女には大失敗のステージも多く、大変なブーイングを浴びることもある。しかしひとたびスイッチが入って何かがかみ合った時、ステージの上と観客とが一体になった高揚感と深い共感(のように錯覚できるもの)が生まれる。その瞬間の為にガーランドはパフォーマンスするし、ファンもそれを待ち望み続ける。生の舞台の魔力がとてもよくわかるシーンだ。日常がパッとしない辛いものでも、その瞬間が生きる支えになってくる。ガーランドと彼女のファンであるゲイのカップルの交流は正にそれを表しているし、クライマックスのあの曲のシーンは、生きる支えを与え続けてくれたガーランドに対するファンの真心そのものだろう。とは言え、ファンがスターに出来ることはその程度であり、彼ら彼女らの実人生の幸せの担保にはなれないということでもあるのだが。
 エピソードの分量は多くはないが、ガーランドと子供たちの関係が深く刺さった。序盤、タクシーの中で見せる娘の表情(子役が上手い!)がすごい。この時点で、彼女らの家庭は今の状態に耐えきれないんだろうと悟らせる。そして終盤、電話をしている娘の表情もまたすごい。とどめを刺してくるのだ。ガーランドは子供たちをちゃんと愛しているし一緒にいたらとても楽しい母親なのだが、愛だけでは足りないのだ。子供にとって実の親の愛よりも必要なものがある。ガーランド当人は実の親の愛が足りない子供だったことを思うと何とも皮肉だ。


ジュディ・アット・カーネギー・ホール
ジュディ・ガーランド
ユニバーサル ミュージック
2020-03-04


『劇場版SHIROBAKO』

 上山高校アニメーション同好会の卒業生、宮森あおい(木村珠莉)ら5人は、アニメーション制作進行、アニメーター、声優、3Dクリエイター、脚本家などそれぞれの道を歩み、夢に一歩近づいてきた。皆が関わったTVアニメ『第三飛行少女隊』から4年、宮森が勤務する武蔵野アニメーションは大きな問題に直面する。監督は水島努。
 TVシリーズの4年後を描く完全新作劇場版。しかししょっぱい!アニメーション業界のしょっぱい現実から目を背けさせてくれないある意味非常に誠実な作品だ。業界全体の落ち込みと武蔵野アニメーションの「没落」が連動しており、TVシリーズの高揚感は最初ほぼなくなっている。宮森の表情も冴えず、記号的表現とは言え仲間との飲み会の前に無理やり笑顔を作る様が切ない。オープニングで流れる作中作曲がこれまた切ない歌詞で、しょっぱさ抜群だ。とは言え、宮森がプロデューサーがやるべきことを自覚し初心に帰る、その上でアニメを「完成させる」と決意し奔走する様は清々しいし、「仲間」が再結集する過程は少年漫画的な熱さがある。そのうえで現在のアニメ業界への批評(だいぶマイルドだけど)を含んだお仕事ドラマになっている所が面白い。ラストも決して順風満帆ではないが、現在のアニメ業界を鑑みたうえでぎりぎりのハッピーエンドなんだろうな。
 ただ、本作はアニメーション表現としては割と定型的というか、キャラクターデザインや演技の記号性等、ちょっと古い印象がある。だから作中作アニメとのメリハリが弱くて若干勿体ない気がする。記号的なルックでこういうドラマをやるというのがアンバランスなように思うが、あえてなのだろうか。
 なお、本作の主人公とその仲間たちは女性だし、職場の先輩らも女性登場人物が多く登場する。男性も当然多いのだが、仕事の現状に対して女性たちの方が切り替えが早いというか、この状況で何ができるかという方向に舵を切っているように思った。男性たちの方が自己憐憫から抜けられなかったり膠着状態になっちゃったりしているところがちょっと面白い。

SHIROBAKO Blu-ray BOX 1 スタンダード エディション (3枚組)
茅野愛衣
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2020-02-19


 

『GのレコンギスタⅡ ベルリ撃進』

 宇宙海賊の元でキャピタル・アーミィを退け、海賊の母艦メガファウナと共に宇宙に上がったベルリ(石井マーク)。ベルリたち救出の為出撃したキャピタル・ガードの教官デレンセン(小山剛志)が急襲するが、ベルリはそれとは知らずG‐セルフで迎撃してしまう。一方キャピタル・アーミィはG‐セルフとラライヤ・マンディ(福井裕佳梨)の身柄を要求してくる。総監督・脚本は富野由宇季。
 Gレコ劇場版2作目が早々に公開。1作目『行け!コアファイター』を見たときも思ったが、基本的にTVシリーズの再編集版なのだが、スケール感があってむしろ劇場で見てよかった!と思える。今回はいきなりドンパチ盛りだくさんでアクションの比重の大きいので、大きな画面がよりうれしい。やっぱり大画面でのモビルスーツ戦は燃えるのだ。
 とは言え、戦闘機には大体人が乗っており、機体を撃沈させるというということは大体において、その中にいる人の命を奪うことでもある。今回は早い段階でそれを明示していると同時に、それに気づいたベルリのショックも描く。更に、ベルリ=子供にそれをやらせるべきではなかったという周囲の大人の悔恨も漂わせる。こういうところ、ちゃんと大人が作った作品だなという印象だった。ベルリはパイロットとして優秀で「特別」だと描かれてはいるが、同時にまだ子供であり、本来ならそういう(一人前のパイロット=大人)扱いをされるべきではないんだよなと。それはアイーダにしても同様で、未成年、子供が子供として扱われるべき場面というのはあるのだ。
 今回は登場人物の表情、振る舞いがより豊かで、キャラクター造形がより立体的だったと思う。ベルリと母が意外と似たもの同士(やることが結構すっとんきょうで思い切りがよすぎる)だったり、アイーダの言動がちょっと肩の力の抜けたものになっていたりと、微笑ましい。また、自然環境が豊かな世界設定だということがよくわかる。動物や鳥の登場頻度が高い!気候も温順そうで、暮らしやすい環境なんだろうなと。生活のディティールの細やかさがやはり楽しい。


『ジョジョ・ラビット』

 第二次大戦中、ナチス政権下のドイツで母ロージー(スカーレット・ヨハンソン)と暮らす10歳の少年ジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)。ヒトラーユーゲントで立派な兵士になろうと訓練に励むが、弱虫扱いされ「ジョジョ・ラビット」というあだ名をつけられてしまう。ある日ジョジョは、自宅の壁の中で何か音がすることに気付く。そこにいたのはユダヤ人の少女だった。監督はタイカ・ワイティティ。
 ドイツが舞台だけど全編英語のアメリカ映画。英語圏の作家が英語でドイツを舞台に児童文学を書いたという印象の作品だった。ジョジョのイマジナリーフレンドはなんとアドルフ・ヒットラー(タイカ・ワイティティ)なのだ。ファンタジー的要素があり、寓話のような雰囲気だが、背後にはホロコーストの恐怖、ナチスの狂気が見え隠れする。
 とは言え、正直物足りなかった。ちょっと軽すぎないかなという気がした。ナチスをユーモアを交えて扱うことが問題なのではなく、それがかなり表層的に見えてしまうのが勿体ない。ジョジョの「友達」としてのヒトラーはお茶目なスターという感じなのだが、当時の人びとがヒトラーに、ナチスに熱狂していた(ジョジョも熱心なナチスの「ファン」である)こと、それがどういうことなのか、というところまで掘り下げてほしかった。ヒトラーユーゲントの教官クレッツエンドルフ(サム・ロックウェル)の投げやりな鬱屈に、熱狂に乗れない(下手をすると排斥される側になりかねない)人の居場所のなさが垣間見えるが、その程度か。
 ジョジョがナチズムから抜け出していくきっかけは、ユダヤ人少女との出会いだ。彼女に関心を持ち、彼女を知ろうとすることで、今までの価値観に疑問を持っていく。他者の存在が世界を広げるのだ。恋愛感情が契機になるというのは大分ありがちで若干興ざめではあるのだが、恋愛は極めて個人的なもので「世間はこう言うから」という理屈とは真逆だから自然と言えば自然か。母親の愛や知恵では、そういう部分の突破口にはならないのだろう。

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2017-12-22


アルトゥロ・ウイの興隆 (AKIRA ICHIKAWA COLLECTION)
ベルトルト ブレヒト
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2016-11


『ジュマンジ/ネクストレベル』

 テレビゲーム「ジュマンジ」の中での冒険から2年、スペンサー(アレックス・ウルフ)、マーサ(モーガン・ターナー)、フリッジ(サーダリウス・ブレイン)、ベサニー(マディソン・アイスマン)は大学生になりそれぞれの生活が始まっていた。しかしスペンサーは壊したはずのジュマンジを修理し、再びゲームの世界に入ってしまう。残された3人も彼を連れ戻す為にゲームにログインするが、スペンサーのおじいちゃんたちも一緒にゲーム内に吸い込まれてしまう。監督はジェイク・カスダシ。
 相変わらずゲームの構造がよくわからない大雑把さなんだけど、登場する人たちが(ゲームの悪役以外)皆いい人なので、安心して見られる。ゲームに再び入ってしまうスペンサーの行動は唐突にも見えるが、周囲は順調に進んでいるのに自分だけ取り残されたように感じてつい現実逃避してしまうというのは、何だかわかる。コンプレックスを「ジュマンジ」世界で冒険したことで克服できたのに、また元に戻ってしまう。ゲームの中での全能感は当然ゲームの中だけでのことだけど、一度味わうと忘れられないのか。そこから引き戻してくれるのが友達なわけだが、彼らもまた、ゲーム内のアバターには結構愛着を持っている。何だかんだいってルックスがよくて身体能力高いキャラになりたくなっちゃうんだよなー(マーサは全ての体は美しい!と自分に言い聞かせるけど、言い聞かせないとならない程度ってことだ)。ルッキズムの呪力の根強さよ。どうしてもわかりやすい強さ、かっこよさに流れちゃう。そこへの反論、どんな能力にも使い道があるということも作中提示はされているが。
 ブレイブストーン博士にしろオベロン教授にしろ、「中の人」が替わったことがちゃんとわかる所が楽しい。ジャック・ブラックはもちろんだけどドウェイン・ジョンソンも上手い!動きがちゃんと年寄りのものになっている。ジャック・ブラックは台詞のイントネーションの切り替えがさすがだった。

ジュマンジ [Blu-ray]
ロビン・ウィリアムズ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2011-07-22


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