3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『シャクラ』

 孤児だったところを義父母に引き取られた喬峯(ドニー・イェン)は成長するにつれ武術の才能を発揮し、武林最強の技「降龍十八掌」を会得。丐幇(かいほう)の幇主として尊敬されるようになる。しかしある日、副幇・馬大元殺しの濡れ衣を着せられてしまう。さらに漢民族ではなく契丹人であるという出自を記した文書が見つかり、丐幇を追放される。喬峯は自分を陥れた犯人、そして自身の出生の真実を探る為旅に出る。しかし彼を更に陥れようとする計画が動いていた。監督・主演はドニー・イェン。
 香港を代表する武侠小説家・金庸の長編小説「天龍八部」が原作。原作の4人の主人公のうちの1人が喬峯(きょうほう)だそうだ。私は武侠小説については全く疎いのだが、映画化された本作を見る限り、中国では一般的な知識としてこの話が知られているのかな?という印象を受けた。日本で言ったら歌舞伎の演目みたいな感じで、正確な細部は知らなくてもキャラクターと大まかなお話、名場面は割と知られているというような。というのも、本作、映画を見る側が既にこの話を知っているという体で作られているような印象を受けたからだ。ストーリーの流れがいきなり飛躍したり、登場人物の設定・背景の説明がざっくり省略されていたりと、前知識がないとこれは戸惑うのでは?という作りなのだ。脚本が下手というよりも、「皆さんご承知の通り~」というような身振りに思えた。ここは原作の名場面なんだろうなというシーンはがっつり作りこんでいるので、決して雑に作っているから話の飛躍が多いというわけではないのでは。武侠小説の知識ゼロの人間が見るものでもなかったかな…。
 アクションは華やかで見栄えがするし(さすがにドニー・イェンの若作りがすぎるのではという気はしたが)、何よりセットが豪華!予算が潤沢にあることが一目でわかるリッチな作り。ビジュアル的には美しいし楽しい。やはり予算があるって娯楽大作にとっては大事なんだな…。

天龍八部〈第1巻〉剣仙伝説
金 庸
徳間書店
2002-03-01



『ショーイング・アップ』

 特集上映「A24の知られざる映画たち」にて鑑賞。美術学校で働いている彫刻家のリジー(ミシェル・ウィリアムズ)は、間近に控えた個展に向け作品制作に忙しい。しかし壊れた給湯器を大家がなかなか修理してくれないし、怪我した鳩の世話を押し付けられるし、学校の事務仕事は煩雑だし家族の問題も抱えている。創作に集中できずリジーはいらついていくが。監督はケリー・ライカート。
 アーティストは創作だけをやっているわけではなく、それと並行して生活に関わる諸々をやっているという当たり前のことを1人の女性を通して見せる。アーティストが主人公の映画というと創作上の葛藤とか情熱とかが描かれることが多いが、本作は創作に関わるシーンもそれなりにあるものの、むしろ「その他」に焦点が当たっている。「その他」の部分の処理の仕方の方に、リジーがどういう人柄であるかが色濃く表れているのだ。怪我をした鳩の世話を迷惑がっているのに、様子がおかしいとわざわざ獣医に連れて行き徐々に愛着まで湧いてしまう様や、父親の家によくわからない人たちが寝泊まりしている様や兄が引きこもり状態なことに気を揉む様は妙に生真面目。意外と細かいことを気にし勝ちだが不器用な様子が伺える。家族の様子・関係を気にする様は、家族本人はあまり気にしていないみたいなのにちょっと心配しすぎではないかと思うのだが、そういうことを放っておけない人なのだろう。あまりおおらかなタイプではないのだ。
 彼女がおおらかになれないのは、創作活動がちょいちょい中断される、そこに集中できないというフラストレーションもあるだろう。アーティストには才能の持っている・持っていないという格差は当然あるが、生活面での持っている・持っていないもある。当然、持っていないものは持っているものを羨んでしまう。リジーの大家(ホン・チャウ)はアーティストとし手の評価も安定した生活と資産も手に入れている。それでいながら給湯器の修理に手をつけなかったり怪我した鳩を押し付けたりするので、リジーのいらいらは募っていく。留守電に怒りのメッセージを残してしまうあたりは結構痛々しいのだが、創作以外のことで疲弊させられてしまうという彼女の怒りもわかる。
 ただ、リジーと大家とが嫌い合っているのかというとそういうわけではない。ラストの2人の姿は、この人たちは同じものを見ることが出来る、同じ地平に立つことができるのだと感じさせるものだ。序盤、大家がタイヤを転がしていく横移動のシーンがすごくいいのだが、あれをリジーも見ていたのだとわかるちょっとしたシーンが終盤にある。あの瞬間に美しさを感じるなら、嫌いっぱなしということはないだろう。

ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択 [DVD]
リリー・グラッドストーン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-08-02

ウェンディ&ルーシー
ウォルター・ダルトン
2022-07-18


『ショータイム!』

 農場主のダヴィッド(アルバン・イワノフ)は借り入れた資金の返済が滞り、地方裁判所から差し押さえの通知をされる。何とか2か月待ってもらったものの、借金返済の当ては全くない。途方に暮れて町をさまよっていた彼は、キャバレーのネオンサインを見かけ、ふらっと中に入った。ステージ上のショーに魅せられた彼は、農場の納屋をキャバレーにして客を呼べないかと思いつく。監督はジャン=ピエール・アメリス。
 実話を元にした物語で、エンドロールでは「ご本人」映像もある。本当にこんなことをやってみた人がいるのか!映像を見た限りでは(作中もだが)農場をキャバレーに転用、ではなく、農場をやりつつキャバレーもやるという二刀流。なかなか牧歌的で楽しそうだった。作中のダヴィッドはキャバレーのステージを夢のようだと感銘を受けて、自分もそれをやってみたいと思い立つ。しかし客であるダヴィッドにとっては夢のようであっても、ステージの上に立つ人、ステージを裏方で運営する人にとっては決して夢ではなく、労働である。ダヴィッドが自分のキャバレーの要としてスカウトしてきたダンサーのボニー(サブリナ・ウアザニ)は前職のキャバレーのボスから横暴な扱いを受けていたが、いざ自分が舞台監督を務めるとなると、キャストたちをどなりつけ委縮させてしまう。またセクハラに怒る一方で自身のステージでは過剰にセクシャルなダンスをして「やりすぎ」と言われたりもする。彼女は自分がされていて抵抗があるものについても「こういうものだから」と刷り込まれてしまっていたのだろう。逆にショービジネスの素人であるダヴィッドやキャストたちにはそういう刷り込みは薄い。ボニーがステージのプロとしてキャストらの意識を変えていく一方で、キャストらはボニーを刷り込みから少しずつ自由にしていくのだ。
 人を楽しませる仕事ならまず自分が楽しいというのが正解なのでは、という意識がダヴィッドにはあるように思う。ダヴィッドの祖父は「仕事では疲れない」というが、仕事は疲れる。であれば摩耗しきらないような働き方が必要なのだ。


カレンダー・ガールズ (字幕版)
シーリア・イムリー
2022-03-26






『シチリア・サマー』

 1982年初夏。シチリア島に暮らす16歳のニーノ(ガブリエーレ・ピッツーロ)と17歳のジャンニ(サムエーレ・セグレート)は、バイク同士の衝突事故をきっかけに知り合う。育った環境も性格もまったく異なる2人だが不思議と惹かれ合い、その関係は友情から恋へ変化していった。共に過ごし絆を深めていく2人だが、突然関係に終わりが訪れる。監督はジュゼッペ・フィオレッロ。
 初夏のシチリアというロケーションの魅力、主演俳優2人の瑞々しさの魅力があり、映像はとても美しい。景色も人もきらきらしており、恋に落ちる瞬間の輝きを掴んでいる。しかしビジュアルの美しさは、本作が結構嫌な、ひどい話だということの目くらましにはならない。実話が元になっているからしょうがないとは言え、あまりに救いがない。
 ジャンニは自分が同性愛者だという自覚があることが示唆されているが、それが原因で矯正施設に入れられていたらしいし、地元の若者たちからも散々からかわれ時に性的な嫌がらせを受けそうにもなる。そもそも彼の母親が息子のセクシャリティを受け入れていないのだ。舞台は1980年代だが、セクシャリティに対する感覚はもっと古いもののように思えた。まだ経済的に自立できない少年にとって、家族が自分を拒否するというのはかなりきついのではないかと思う。家庭に居場所がないから、ニーノとの関係がより重要な拠り所になっていくのだ。2人が強く惹かれていく様子、時間を分かち合う様子の美しさが際立つのは、そういった居場所のなさの反動みたいなものだろう。
 一方のニーノは家族仲が良く、父親の仕事を引き継ぎ母親の家事も手伝う。食事のシーンやサッカー観戦シーン等、お互いに深い愛情がある様子がよくわかるにぎやかで微笑ましい情景だ。そのような家族であっても、息子に同性の恋人がいるというのは受け入れがたいことなのだ。ある電話を受けた時のニーノの母親の表情が凄い。更にジャンニの場合は母親自ら引導渡すようなことをするのでそんなにか!と愕然とした。母親の恋人の方がこのへんの問題についてはあまり追及せず、逆に赤の他人だから冷静に見られるということはあるのかなと思った。
 実話とは言え、同性愛者のカップルが悲劇的な運命をたどる物語を、2023年の今わざわざ作ったのかなという疑問は感じた。そこからどうする、どう変わった、みたいな話は作中では起きない(字幕で少しだけ言及される)ので、美しい悲劇として消費されてしまいそう。また、登場する女性たちがおおむね男性に依存せざるを得ない立場にあるというのも、時代背景故とは言え陰鬱な気持ちになった。彼女らの選択肢の少なさが子供たちを追い詰めることにも繋がっていくのではないかと。

ウィークエンド WEEKEND [DVD]
ローラ・フリーマン
ファインフィルムズ
2020-04-29


ゴッズ・オウン・カントリー 豪華版 [Blu-ray]
ジェマ・ジョーンズ
ファインフィルムズ
2019-06-04




『ジョン・ウィック コンセクエンス』

 裏社会の掟を破り逃亡したジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は、裏社会の頂点に立つ組織・主席連合と敵対することに。主席連合の若きトップであるグラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)は、中立地帯としてジョンを庇ってきたNYのコンチネンタルホテルの閉鎖を宣告し、ジョンの旧友である盲目の暗殺者ケイン(ドニー・イェン)にジョン殺害を命じる。ジョンは旧友シマヅ(真田広之)に協力を求めるため、日本の大阪コンチネンタルホテルを訪ねる。監督はチャド・スタエルスキ。
 原題はJohn Wick: Chapter 4とごくごくシンプル。最初から邦題もナンバリングでよかったのに…。ともあれとうとうシリーズ完結編でジョン・ウィックの長かった旅路も終了する。このくらいで終了しておいてシリーズとしては丁度よかったのではないか。個人的にいい締めだったと思う。とはいえ、ストーリーらしいストーリーがあるわけではなく、そもそも裏社会の掟が具体的にどういうものなのか、主席連合のシステムは一体どうなっているのか等よくわからず大分ふわふわしている。ジョンの「実家」エピソードとかいらなかった気もする。とは言えそういう所はスルーして全く問題ない話ではある。
 本作の趣旨はあくまでアクションであり、アクションの見せ方のバリエーションに対する創意工夫が素晴らしい。今回はこうきたか!という新鮮さがずっと維持されるというのはすごいと思う。特に自動車を使ったアクション(カーアクションとは似て非なる気がする…)は自動車に対する愛が一切なさそうな所が逆に面白い。また、真田広之とドニー・イェンという壮年のアクションスターのオマケやツマ的扱いではないアクションシーンをしっかり盛り込んでいる所はうれしい。とてもかっこいいのだ。特にドニー・イェンの盲人設定アクションはなるほどこういうやり方になるのかと感心した。やりたいことがはっきりしているのでストーリーが多少ゆるくても意外とブレを感じないシリーズだったと思う。
 ただ、この内容でこの尺(169分)はさすがにやりすぎだ。娯楽作としてはもうちょっと見に行きやすい長さであってほしい。


ジョン・ウィック 期間限定価格版 [DVD]
ミカエル・ニクヴィスト
ポニーキャニオン
2017-06-02



『シアター・キャンプ』

 ニューヨーク州北部リゾート地にある演劇スクール「アディロンド・アクト」では、ミュージカルスターや製作者を夢見る子どもたちを長年にわたり指導してきた。しかし夏のキャンプ開始を目前に校長が突然昏睡状態に。急遽、息子トロイ(ジミー・タトロ)が跡を継ぐが、トロイはミュージカルの知識も学校運営の知識も皆無。更に経営状況が破綻寸前に陥っていることが判明。スクール存続のためには3週間出資者の前で新作ミュージカルを披露しなければならない。3週間という限られた期間の中で講師らも子供たちも奮闘するが。監督はモリー・ゴードン&ニック・リーバーマン。
 モキュメンタリー仕立ての構成だがあくまでモキュメンタリー「風」であって厳密ではない。ただ「風」程度にしていることで却ってとっつきやすく楽しめるのではないかと思う。ミュージカルに興味がない私でも面白かった。本作の舞台はミュージカル専門のワークショップキャンプだが、参加する子供たちも講師たちも、いわゆる社会の中でははみ出し者。このキャンプが居場所でありもう一つの家庭のようになっている。人気講師のグレン(ノア・ガルビン)とレベッカ(モリー・ゴードン)は子供の頃にキャンプで知り合って以来の仲。他の講師も参加者たちもお互い馴染み深く、だからキャンプの維持に必死だ。ミュージカル好きというのはそんなにアウトサイダー扱いされるものなのかとちょとぴんとこない所もあったが、彼らがミュージカルにかける熱意は伝わってくる。
 ただ、彼らはみ出し者にとっての居場所ではあるが、逆にそうではない、社会のなかでは比較的メジャーな立ち位置の人にとってはアウェイであるという所が皮肉だ。トロイはそう頭がいいわけでも人気者というわけでもなさそうだが、比較的一般的な趣味嗜好の人ではある。が、キャンプでは全く理解されないし子供たちの反応も冷ややか。序盤での人気講師への反応との対比には笑ってしまうのだが、こんなアウェイな状態でキャンプ運営をしなければならないというのはいっそ可哀そうでもある。キャンプは誰もを受け入れる場所に、というのが創設者の趣旨なのだろうが、そういう場所の成立というのは不可能なのではと思ってしまった。キャンプの立役者であろうグレンとレベッカの間でも同様で、片方にとっての理想が既にもう一方にとっては違和感のあるものだったりする。
 ただ、現実的に不可能であってもそういう場所が成立するという幻想を持てるということ自体が、ここに集まる人たちの心を支えるのだろう。皆の努力が実を結ぶクライマックスにはやはりぐっとくるし、思わぬ所からスターが誕生するのは爽快だ。エンドロール前の後日談で「いい話」に落とさない所も含め好感度高い。

スクール・オブ・ロック(吹替版)
アンジェロ マサギリ
2013-06-15



『シモーヌ』

 1974年のフランス国会で、シモーヌ・ヴェイユ(エルザ・ジルベルスタイン)は違法な中絶手術の危険性、レイプ被害や若いシングルマザーの窮状を提示し、大多数の反対意見をはねのけ、後にヴェイユ法と呼ばれる中絶法を認めさせる。1979年には女性初の欧州議会議長に選出される。アウシュビッツ収容所と"死の行進”という壮絶な体験を経て、女性だけでなく移民や囚人、エイズ患者等、社会的立場の弱い人たちの為に尽力したヴェイユの伝記映画。監督・脚本はオリヴィエ・ダアン。
 裕福なユダヤ系家庭に育った子供時代から政治家として大成した晩年までを、晩年のヴェイユが自伝を綴るというシチュエーションで描くが、必ずしも時系列が連続しているわけではない。人間の記憶はあっちに飛んだりこっちに飛んだりと、何かのきっかけでふっとよみがえってくるものだという、記憶の仕組みの方を重視した構成になっている。そしてそれらの記憶の中、ヴェイユが立ち返っていくのがホロコーストの記憶だ。ユダヤ人であった彼女と家族はアウシュヴィッツに送られ、家族の中で彼女と姉だけが生き残った。収容所やそこから延々と歩かされる”死の行進”の描写は壮絶で、彼女(だけではなくその他の人たちにとっても)にとってずっとトラウマになっていたことが痛感される。同時に、ヴェイユの政治方針、政策にこの体験が大きく影響しているということもわかってくる。ホロコーストというのは徹底的に個人を個人でなくす、人間の尊厳を奪い記号化、数量化するものだ。彼女の人間の尊厳や生き死にに対する意識が切実なのは、それらが奪われる恐ろしさを痛感しているからだろう。ヴェイユが刑務所の環境改革を進めていたというのは恥ずかしながら初めて知ったのだが、環境の劣悪さが収容所を思わせたという面もあるのだろうと。
 ホロコーストの体験はヴェイユにとってトラウマではあるが、同時に共に生き延びた人たちとその当時の体験を語り合いたいという欲求があるという所が興味深かった。彼女らの間には強い連帯感がある。また、夫(ユダヤ人だがホロコーストは体験していない)らが彼女が当時のことを話すのを非常に嫌がる、済んだことにしたがるという所も興味深かった。自国のことなんだから記憶を伝えなければと思うが、国の汚点を見つめなおすのは確かにしんどいだろう。歴史改変されがちな理由がよくわかった。しかしなかったようされるのでは、それこそ生存者の存在って何なんだろうということになってしまう。ヴェイユはそういったものにも抗っていたのではと思える。


あのこと [DVD]
アナマリア・ヴァルトロメイ
ギャガ
2023-05-10


『小説家の映画』

 有名小説家のジュニ(イ・ヘヨン)は、執筆から遠ざかってしばらくになる。彼女は音信不通になっていた後輩を訪ねるため、ソウルから離れた河南市を訪れる。書店を運営している後輩に会った後、偶然女優のギルス(キム・ミニ)と知り合う。彼女もまた人気を博したものの表舞台から姿を消していた。ジュニは、彼女を主演に短編映画を制作したいと提案する。監督はホン・サンス。
 今回はホン・サンスが監督の他脚本、製作、撮影、編集、音楽までこなしており出演しているキム・ミニは監督の私生活上でもパートナーという、ホン・サンス濃度がいつになく高い布陣になっている。作品自体はいつものホン・サンスという印象だったが、より自由にやれたのかなという感じはした。
 ジュニはある部分では敏感だが、ある部分は鈍感で、そのちぐはぐさが危なっかしくもありおかしくもある。人の見た目に関わること(太ったとか)を気軽に口にするのだが、これは結構失礼だろう。一方で(若いのに、才能があるのに)「勿体ない」という言葉に対しては、それを決めるのはあなたではないだろうと敏感に反応する。この敏感な部分がギルスを助けることにはなるのだが、結局自分の中で共有できる部分に対してしか人は敏感になれないのかなとも思った。ジュニはおそらくスランプで、彼女自身が「読者が待っているんだから書けばいいのに」「才能があるのに勿体ない」と言われることにうんざりしていた。だからメジャーな場に出なくなったギルスが同じようなことを言われて困っているのがわかったのだろう。ただ、ジュニの抱えている問題とギルスが抱えている問題は同じものであるはずもなく、そこに過剰に入れ込んでしまうジュニの姿勢は少々危なっかしくも見える。
 ジュニだけではなく、登場人物たちの会話は時にお互いの地雷を踏むのではないかという気まずさ、危なっかしさをはらむものだ。ホン・サンス監督作品中のお酒を飲むシーンは、この場に交じりたくないわ~としみじみさせる気まずいものが多いのだが、本作の酒盛りシーンもやはり同様だった。酔うな!余計なことを言うな!とはらはらさせられる。本作はほぼ会話劇と言ってもいいのだが、それぞれの過去にひと悶着あったろうことが薄っすら感じられるので、いつそのわだかまりが露呈するのかという不穏さがある。冒頭、店頭にジュニがいるシーンで、女性がおそらくアシスタントを怒鳴りつける音声だけがかぶさるのだが、これはジュニがかつてアシスタント、もしかしたら後輩に対して投げつけてしまった言葉、彼女の過ちなのでは。そう思って観ると、その後の後輩とのやりとりは表面的な和やかさとはまた違った意味合いを持って見える。
 ところでジュニが撮った映画はどういうものだったのだろうか。終盤、どうも彼女の作品の一部らしきフィルムが映し出されるのだが、なんというかダサい…。映画を見た後のギルスの表情が何とも判断しがたいものだったので気になってしまう。

逃げた女(字幕版)
ハ・ソングク
2021-12-10


夜の浜辺でひとり(字幕版)
ソ・ヨンファ
2019-04-17


『ジャンヌ・ディエルマンをめぐって』

  特集上映「シャンタル・アケルマンをめぐって」にて鑑賞。シャンタル・アケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1976年)の撮影現場を、主演のデルフィーヌ・セイリグのパートナーであったサミー・フレイが撮影し、アケルマンが編集したドキュメンタリー。1975年製作。
 『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』は衝撃的だったのだが、その撮影過程を記録したドキュメンタリーである本作も興味深かった。主演のセイリグは当時既に大御所だったわけだが、アケルマンに対して指示された動きやショットの意図を繰り返し尋ねる。どうもアケルマンは最初から明確に言語化できているわけではなく、自分で自分の意図するところをとらえきれていないように見えた。それが、セイリグとのディスカッションを重ねるうちに段々はっきりとビジョンが見えてくる。この構築の仕方がとてもスリリングで面白い。セイリグは自身でも自分ははっきりとした説明が欲しいのだと言うが、彼女くらいの経験があればそこまで説明されなくても、やろうと思えばそれなりの演技はできるだろう。しかしそこであえて何度も監督の意図を確認するところに、セイリグのプロ意識、映画に対する誠実さが見えたように思う。映画というのは監督だけ、俳優だけが突出していれば出来上がるというのではなく、やはり共同作業なんだなと再確認できる。
 撮影は実際にアパートの一室を使って行われているのだが、スペースが限られている=カメラの可動域が限られているので、フレームをどこに設定してその中でどう動くのかという設計が非常に難しかったということもよくわかる。『ジャンヌ~』は印象的なショットが多いのだが、あのショットのインパクトは物理的な制限から生まれた部分もあったのだなと。また、料理の手順やベッドの整え方等、家庭によってまちまちなやり方のどれを採用するかという試行錯誤も興味深かった。どうもアケルマンは料理は苦手だったみたいで、料理のできるスタッフの回答待ちになっているあたりも面白い。確かに不自然な手順で料理してたら気になるもんな。
 セイリグが若いスタッフ(音響技師らしい)を叱責するシーンが印象に残る。セイリグのこの時代を生きる映画人としての覚悟と蓄積が伺える、そしてそれが若い世代にはぴんときていないというもどかしさが感じられるシーンだった。セイリグの女性俳優としてどう生きるかという姿勢も垣間見られるドキュメンタリーだった。


ロバと王女(字幕版)
ミシュリーヌ・プレール
2019-04-09





『シン・仮面ライダー』

 秘密結社SHOCKERによって実験体とされた本郷猛(池松壮亮)は、組織の研究者だった緑川弘博士(塚本晋也)とその娘ルリ子(浜辺美波)により助けられる。しかし裏切り者として緑川博士は殺され、本郷とルリ子は共にSHOCKERに立ち向かう。1971年放送開始の特撮テレビドラマ「仮面ライダー」を新たなオリジナル作品として映画化。監督・脚本は庵野秀明。
 私は仮面ライダー素人(平成はともかく昭和のライダー作品は全く見たことがない)なのだが、そういう立場から見ても楽しめた。ただ、多分このあたりはファン故のこだわりや何かのオマージュではないかなと思われる部分も多々あり(というか全編そうだろう)、仮面ライダーに詳しければ詳しい方が楽しめる作品ではあると思う。映画としてはかなり奇妙な印象で、何でわざわざこういうショットにするのか意図がよくわからない極端な構図が多々あったり、やたらとコマ割りが細かかったりするのはあまり好みではなかった。庵野監督の映像(とセリフのセンス)の方向性は、どちらかというとアニメーション映えするもので、実写でやると逆にダサくなるリスクが高いように思う。舞台の地理的な繋がりに脈絡が見えなかったり、作中時間がいきなり飛んでいるぽかったり、中ボス戦はダイジェスト感あるあたりは、一般的な映画としてはマイナス要素だが逆に自分が知っている「特撮」(日曜朝に見る作品)感を感じた。なお、女性キャラクターの古いオタク的紋切り型造形はやはりいただけない。サソリの人の扱いとかもうほんとそういうの止めようよ…。
 とは言え、本郷とルリ子がちゃんとバディに見える、そして本郷と一文字(柄本佑)もちゃんとバディに見えるあたりには好感を持った。彼らが心を通わせる過程が丁寧に描かれるわけではないが、キーワード的にセリフで押さえていること、また何より俳優の力によるところが大きいだろう。もはやルックスが二次元的な浜辺はともかく池松が仮面ライダー?とキャスト発表時には思ったのだが、本編見ると納得。本作の優しくナイーブで強いライダーには合っている。また柄本による一文字の飄々としているがニヒルにはなりきらないたたずまいは、これは好きになる人多いだろうな!と思わされた。

シン・ウルトラマン
西島秀俊
2022-11-18


シン・ゴジラ
大杉漣
2016-12-20



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