3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『さらば青春の光』

 1964年ロンドン。オフィスのメッセンジャーとして働くジミー(フィル・ダニエルズ)は、毎晩ドラッグをキメてクラブで騒ぎ、改造スクーターを乗り回す日々を送っていた。週末に訪れたブライトンで、リーゼントに皮ジャンできめたロッカーズたちとの全面対決が勃発する。監督はフランク・ロッダム。THE WHOの1973年のアルバム「四重人格」を元に、彼らの音楽をふんだんに使い、メンバーもエグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。
 ジミーを見ていると、定職についているとはいえそんなに高い給料はもらっていなさそうだし、この人どうやって生活しているんだろう、いくら実家暮らしだとは言え…と思ってしまった。超スリムな(テーラーに無理ですよ!と言われても無理やり細身にする)ジャケットを着てばっちり決め、夜通し遊びまわる生活は、ずいぶんきままで明日のことなど考えていないように見える。ただ、そのきままさは、現状への不安・不満の裏返しなのかもしれない。明日のことは考えないのではなく、考えられないのではとも思えた。
 ジミーは自分自身が何になりたいのか、何が欲しくて何をやりたいのか迷走し続けているように見える。モッズとしてかっこよくありたいのも、女の子といちゃいちゃしたいのも、暴動に乗っかり盛り上がるのも、ふわふわしたイメージ的な願望で頼りない。あまりに刹那的だ。それが当時の時代の雰囲気であり、青春らしさというものなのかもしれないが、現代の若者が見てもあまり共感しなさそうだなとは思った。そもそもモッズとロッカーズの違いがよくわからないだろうし…。あくまで当時の風俗に根差した青春映画。映画ではなく、映画に使われた音楽の方が生き残っている感じがする。

さらば青春の光 [Blu-ray]
フィル・ダニエルズ
ジェネオン・ユニバーサル
2012-12-05


THIS IS ENGLAND [DVD]
トーマス・ターグース
キングレコード
2009-12-09


『サタンタンゴ』

 経済的に行き詰ってうらさびれた、ハンガリーのとある村。死んだはずのイリミアーシュが村に帰ってくるという噂が流れ始める。村人たちは彼が現状を変えてくれるのではと、期待と不安に駆られる。彼は救世主なのか詐欺師なのか。原作はクラスプホルカイ・ラースターの小説。監督・脚本はタル・ベーラ。
 438分という超長尺かつ全約150カットという長回しの連打。だいぶどうかしている、なぜやろうと思った⁈というくらいの力業だが、無理やり感がない、かつエネルギーが途切れないところがすごい。全12章から成る構成は、一見ゆるゆると進むようでいて、あの時実はこういうことが、というパズルのような部分もある。意外とタイト(というには上映時間的に語弊があるんだけど…)だ。モノクロ映画なのだが、4Kデジタルレストア版だと非常にクリアで美しい。白黒なのにどことなく色づいて見えてくるのが不思議だ。
 不思議といえば、構成も撮影も厳密に練りこまれていると思われる(でないとあんなに長回しばかりできないだろう)のに、大雨の後のシーンなのに地面が乾いていたり、ナレーションでは暗闇と言っているのに映像は昼間のようだったりと、整合性のないおおざっぱなところもある。どこを精緻にしてどこをおおらかにするのかという判断基準が見えそうで見えない。
 長時間という体力的な負荷よりも、精神的な負荷の方がきつかった。とにかく精神を削られる。冬の雨が降り続き、町へ出るバスもなくなり、経済も人間関係もどん詰まり、どうにもならない世界なのだ。降り続く雨には世界の終末の気配さえ漂い、神話的な雰囲気が濃厚なのに、どうかすると泥臭くちっぽけな人間同士のいさかいや欲が転がりだす。壮大さと卑小さが同居している。いわゆる人間固有の美点とされるもの、知性や倫理、理性や善良さといったものにあまり信頼をおいていない(本作のような作品を作るという点で観客の知性・感性は信用しているんだろうけど)作品内世界なので、なんとも気が滅入る。気が滅入る話を大変な強度と美しさで見せてくるので破壊力がなんだかすごい。

ニーチェの馬 [DVD]
ボーク・エリカ
紀伊國屋書店
2012-11-24





Satantango
Laszlo Krasznahorkai
Atlantic Books
2013-07-04


『サウナのあるところ』

 自宅や別荘などプライベートなサウナから、街中の公衆サウナまで、様々なサウナが息づく国フィンランド。その様々なサウナで語らう人たちの会話を追ったドキュメンタリー。監督はヨーナス・バリヘル&ミカ・ホタカイネン。
 フィンランドはサウナが盛んという話は聞いていたが、サウナの形態が本当にそれぞれでバラエティに富んでいる。いわゆる北欧の「サウナ」と聞いて連想するようなウッディでこじんまりとした個人宅のものから、森の中の小屋、テント風、キャンピングカーや電話ボックスを改造したもの、街中にある公衆サウナや軍や企業の設備まで。日本のお風呂みたいな感覚で使っているんだろうな。中の温度湿度もまちまちみたいで、サウナといえば汗!というわけでもないみたい。サウナの中では暑すぎ湿度高すぎでゆっくり語らうなんて無理では?と思っていたけれど、これなら大丈夫かなと納得。あまり汗をかいていない人もいる。
 最初に登場する夫婦を除き、登場するのは男性ばかり。そして、かなり立ち入った、その人にとってデリケートなものであろう話をする人が多い。映画の構成として編集時にそういうエピソードをピックアップしているのかもしれないが、サウナだとそれこそ裸の付き合いで話しやすいのだろうか。他にすることないしな…。家族との死別や、子供に会えない(親権を取り上げられた)という話が多い。皆普通の人だし意識してうまく話そうとしているわけではないから、ぽつぽつとエピソードが出てくるという感じなんだけど、ぎこちないからこそダメージの深さの深刻度がわかる気がした。
 北欧は男女平等、ジェンダーのフラット化が進んでいるというイメージがあるが、フィンランドでは男は男らしく、人前で泣くなんてみっともない、弱音をはくな、という文化が根強く残っているようだ。喪失による痛み、悲しみなど心のやわらかい部分を明かせる場がないのだろう。サウナのような密閉空間だと、かろうじてそういう話がしやすいのかもしれない。


旅人は夢を奏でる [DVD]
ヴェサ・マッティ・ロイリ
エプコット
2015-03-06



『サマーフィーリング』

 真夏のベルリンで、30歳のサシャが突然亡くなった。パートナーのロレンス(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)とサシャの妹ゾエ(ジュディット・シュムラ)は茫然とする。それぞれの生活が続くものの、悲しみはなかなか癒えない。監督はミカエル・アース。
 同監督の『アマンダと僕』と同じく、喪の仕事を描く物語だ。舞台は夏のまぶしい光の中だが、どこか寂しい。ロレンスにとってもゾエにとっても異国であるベルリンから、ゾエの故郷であるパリ、ロレンスの故郷であるニューヨークへと1年ごとに舞台は変わる。2人を照らす夏の光も雰囲気もその都度異なる。そして、2人とサシャとの距離、ロレンスとゾエの距離も変わっていく。
 それは少し楽になっていく、日常に立ち返っていくことだが、元に戻るということではない。失われたものはやはり失われたものにほかならず、そこを埋めるものはないのだ。時間がたつにつれ、それがありありと立ち現われてくる。悲しみは薄れるのではなく、距離を取るのが上手くなるだけで依然としてそこにある。ニューヨークでゾエが泣くのは、(現状自分が幸せかどうかとは関係なく)失ったもの、変わってしまったものの動かせなさ、時間の止まらなさを再確認してしまったからではないだろうか。夏の光はいつもまぶしいのだが、どこか寂しい。
 ロレンスとゾエ(とゾエの家族)の関係の微妙さが印象に残った。仲がいい悪いではなく、そもそも面識がろくにない状態からサシャの訃報がきっかけで対面するというのは、お互いどう振る舞うのが正解なのかわからないだろう。会食の席でのロレンスの居心地が悪そうな表情が忘れられない。こういう時って何かしら言い訳を造って帰りたくなっちゃうよな・・・。
 なお、ロレンスには姉がいるのだが、姉弟の関係はかなり親密そう。『アマンダと僕』の主人公にも親密な姉がおり、どちらの作品でも親とは疎遠、というよりも親からのケアが希薄だから姉弟の絆が強固になったという設定が透けて見えた(本作では、父親が仕事で不在がちで、いなくなった母の代りに姉がロレンスの世話をしていたと明言されている)。この設定は監督(ないしは身近な人)の実体験が反映されているのかなとちょっと気になった。

しあわせな孤独 [DVD]
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2004-07-02




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『さらば愛しきアウトロー』

 1980年代初頭のアメリカ。誰ひとり傷つけず、拳銃をちらりと見せるだけで仕事を成功させる銀行強盗、フォレスト・タッカー(ロバート・レッドフォード)。何度も脱獄してきた彼も今や74歳になっていた。彼の反抗はアメリカ中で報道されるようになり、刑事ジョン・ハント(ケイシー・アフレック)がタッカーの痕跡を追っていた。監督・脚本はデヴィッド・ロウリー。
 「ほぼ真実の物語」にはじまり、ちょっと人を食った字幕の文句(「そして彼はそうした」という直訳とか)がしゃれている。80年代が舞台だが、車や衣装、小道具など美術面だけではなく映像の質感そのものも80年代のアメリカ映画っぽい、ざらっとしたものに加工されているという凝り方。色みの黄色っぽさなど、あーあの頃っていく感じがすごくする。当時の映画をリアルタイムで見ていたわけではないのにそう思うのが不思議なんだけど。
 タッカーは人好きのする、すごくチャーミングな人物だ。何しろ演じているのはレッドフォードなので、顔はしわしわなんだけどいまだハンサムで色気がある。銀行強盗中の振る舞いにもしゃれっ気がありお茶目で憎めない。ジュエル(シシー・スペイセイク)へのナンパの仕方も、いやーこれいいナンパだな!と思わずにやにやしてしまう。ちゃんと年配者同士のロマンスを出会いの段階からやっている映画って意外と目にしない。2人の距離感が縮まっていく過程に、それまでの2人の人生を踏まえたものという感じが出ていてとてもよかった。
 ただ、タッカーはチャーミングだが人としてどうにもダメな面があることも、彼の関係者の言葉で示される。人への愛はあるが自分のやり方の愛でしかない。相手に対する責任をもつことができない。夫、父親としてはまずダメだろう。その人間性の変わらなさにおかしさと悲しさがあり、ほろ苦い。タッカーはドキドキしていないと、動き続けずにはいられない人なのだ。
 レッドフォードの俳優引退作ということだが、引退作としてはばっちりだったのではないだろうか。彼と相対するスペイセクもまたチャーミング。加齢による聡明さ、魅力が感じられる女性像だった。また、タッカーを追う刑事ハント役のアフレックが、抑えた演技でなかなか良い。普段はちょっと屈折した役を演じることが多いが、本作ではそうでもない。真面目な警官で家族思いだが、どうかするとドキドキさせるもの、追跡のスリルが先に立ってしまう、実はハントと似通った部分があるというアンビバレンツが面白い。

ブルベイカー [Blu-ray]
ロバート・レッドフォード
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2017-10-04





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『さよなら、退屈なレオニー』

 カナダ、ケベックの小さな港町に住む17歳のレオニー(カレル・トレンブレイ)は、高校卒業を控えているが進路は定まらず、自分が何をしたいのかもわからない。口うるさい母も母の恋人も大嫌いで家にもいたくない。ある日レオニーはダイナーで知り合ったミュージシャンのスティーブに興味を持ち、彼にギターを習い始める。監督はセバスチャン・ピロット。
 レオニーの不機嫌さ、周囲への八つ当たりを自分でもコントロールできない感じが実にティーンエイジャーっぽい。自分が今感じ悪いなという自覚やそれに対する自己嫌悪もあるけど、だからといって機嫌のいいフリをするなんてしゃらくさくて出来るか!ということだろう。社会的な「感じの良さ」は彼女にとってはかっこ悪いし、自分ではない誰かに好まれる為の格好はしたくないという面倒くさい自意識なのだ。しかし、そこは変えなくていいよ!そのまま行けよと言いたくなった。自立した個人になっていく為の過程なんだから。
 スティーブとレオニーは距離が縮まっても一線を越えることはない。最初はレオニーの方からスティーブにちょっかいを出しているし、スティーブも段々まんざらでもない感じになっていくが、子供と大人という区別はされている。レオニーはスティーブのことを負け犬呼ばわりしてなじる(これも八つ当たりなんだけど)が、彼は彼女を責めたりしない。そこは、彼女がまだ子供だから許容されている部分なのではと思う。彼がレオニーを責めるのは、約束していたギターのレッスンを彼女が無断で休んだということで、彼女が自分の思い通りにならなかったからではないのだ。
 レオニーがまだ十分に大人とは言えない、子供であるということは、父母との関係、母の恋人との関係からも垣間見える。母や母の恋人の前では一人前ぶるが、彼女の不機嫌さは子供だから許されていることでもある(母の恋人はほんとにいけすかないので、一緒にいたら大人でも不機嫌になっちゃいそうだけど・・・)。別居中の父親を慕うレオニーだが、彼女が慕っているのは理想化された父とも言える。父と母との関係がどのようなものだったか、彼らがどういう個人なのかを受け止めるのはまだ難しい。
 冒頭と終盤、レオニーがバスに飛び乗るシーンが軽やかで素晴らしい。音楽の合わせ方も含め、これぞ映画!という感じがする。他の部分はそれほど劇的ではないので余計に際立つ。今はここにいるけど、いつでも、どこへでも行っていいんだという風通しの良さが感じられるシーンだ。仮に彼女がこの先もこの町に留まるとしても、いつでも出ていく手段があると確信できているのとそうでないのとは全然違うだろう。


レディ・バード [AmazonDVDコレクション]
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キングス・オブ・サマー [Blu-ray]
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『サンセット』

 1913年、オーストリア=ハンガリー帝国が栄華を極めた時代。トリエステからブダペストのレイター帽子店へやってきたイリス(ユリ・ヤカブ)。この名門店は彼女の亡き両親が経営していたのだ。しかし今のオーナー、ブリルは彼女を歓迎せず追い返そうとする。ブリルや店員に食い下がるうち、イリスは自分には兄がおり、その兄カルマンは伯爵殺しという犯罪を犯したのだと知る。監督・脚本はネメシュ・ラースロー。
 イリスは自分の家族についても、自分が生きる時代についてもよく知らない。映画を見ている側はイリスと同じ視線でこの世界の中を引き回され、翻弄されていく。何か色々なことが次々と起こっているのだが、それをとらえきれず状況に流され、巻き込まれていくイリスの行動はどこか危うい。自分が何に加担してしまったのか、彼女にはわからないままなのだ。
 彼女が巻き込まれているのは第一次世界大戦を目前としたヨーロッパ全体のうねりで、カルマンもブリルも同じく呑みこまれている。が、渦中にいる人たちには、それがどのような波なのか、何が起こっているのかわからない。本作、カメラはイリスにはりついたままで視野がかなり狭いのだが、そのわからなさを極端に強調するための視野の狭さなのだろう。イリスに近すぎて、光景を俯瞰で見られる部分がほとんどないのだ。ブリルがやっていること、彼がやっていることで店の女性達がどういう運命をたどったかを知った上で(大きな犠牲を払いながらも)彼を守ろうとするイリスの行動はちょっと不思議でもあるのだが、それもまた、彼女にことの一部しか見えていないからだろう。
200年近く前の時代が舞台なのだが、女性がさせられていたこと、女性への視線が現代でも大して変わっていない(もちろんそう意図して作劇されているのだが)ことが辛い。女性が「引き倒される」シーンは意図的に反復されていると思う。
 帽子店が舞台なだけあって、登場する帽子はとても美しく華やかで服飾品の細部まで見応えがある。生地の使い方が豪華。当時のファッションに興味がある人にはとてもお勧め。イリスの服がほぼ1着のみで、どんどんよれよれになっていくのもリアル。オールセットに近い環境で撮影しているのではないかと思うが、本作のような作品をオールセットで撮ることができるというのも豪華。

サウルの息子 [DVD]
ルーリグ・ゲーザ
Happinet
2016-08-02



夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか
クリストファー・クラーク
みすず書房
2017-01-26
 

『PSYCHO-PASS SS Case3 恩讐の彼方に』

 東南アジア連合・SEAUnでの事件後、狡噛慎也(関智一)は紛争地帯を放浪し続けていた。南アジアの小国で武装ゲリラに襲われていたバスを救うが、乗客の1人だった少女テンジン(諸星すみれ)に闘い方を教えてほしいと頼まれる。彼女の両親は武装ゲリラに殺されており、復讐を願っていたのだ。監督は塩谷直義。
狡噛の旅がようやく終わるのか・・・。シリーズ通して、シビュラシステムという装置の元で人がどのように生きるのかという物語を描いていたが、同時に彼の長い長い自分探しと贖罪の物語でもあった。贖罪などできない、でも生きていくという境地にたどり着いたのか。過去との対峙の仕方という点で、テンジンの存在が鏡のようでもあり道しるべのようでもあった。テンジンの描写は女の子であるが「子供」という部分が強調されており、セクシャルでないところがよかった。
 肉弾戦のアクション設計には相変わらず力が入っている。SSシリーズ3作通して一番アクション映画っぽさがある。画面の奥行きを強く意識しているように思った。アクション映画の定番である列車上での攻防があるのが嬉しい。このシークエンスはかなり実写映画っぽいショットで構成されているという印象だったが、大々的な落下シーンはアニメーションならではの演出だろう。そういえばシリーズ3作通して空中に身体が投げ出されるシーン、落下シーンが印象深い。
 また乗り物が色々出てくる、かつ作画がいいというのも個人的には楽しかった。あの世界の中でレトロなスクーターが出てくるとなんとなく嬉しくなる。また、この時代のドローンは規模が違うな!というドローンの量産製品ぽさもいい。作画は3作中で最も、全編通して安定して良いのだが、キャラクターの演技(声ではなく動作)が1作目、2作目に引き続きかなりテンプレートっぽいのは気になった。格闘シーン等はアクション設計がきちんとされていて良いのだが、会話シーンの動作が正に「絵にかいたような」ものでちょっと想像力乏しいのでは・・・。なお、狡噛の上半身のラインの見せ方には妙な熱意を感じました。ありがとうございます。

『サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所』

 ニューヨーク、ブロンクスに母と弟と暮らす少年ユリシーズ(ルカ・カイン)は、女性の服や靴を身にまといたいという思いを押さえられずにいた。ある夜、路上で出会ったトランスジェンダーのエボニーらに「土曜の夜の教会」に誘われる。そこはLGBTをはじめとする様々な人たちが集う場だった。ユリシーズは自分の居場所を見つけたという思いでいっぱいになるが、厳格な叔母ローズに自分のハイヒールを見つけられ、家を追い出される。監督はデイモン・カーシダス。
 ミュージカルというよりミュージカル「風」で、歌と踊りがそこまで多いわけではない。しかし、ユリシーズが自分の内面深くに潜り込む時、また彼(ら)が重要な気持ちを吐露する時、音楽にのせて表現される。歌もダンスもすごく上手い、こなれているというわけではないのだが、手作り感があって微笑ましいし、素朴故に気持ちの切実さがよりにじんでいるように思う。ミュージカルシーン以外でも、ユリシーズと彼を取り巻く世界の距離感が、彼が耳にしている音、音楽で表現されている。自分が世界にうまくはまっていないと感じる時には音は遠くゆがんで聞こえるし、自分の在り方、やりたいことの糸口をつかむと音楽はクリアにビビットに聞こえ、彼の体もそれに乗って動き出す。iPodをずっと身につけているのは、彼にとってのシェルターであり、世界と繋がる為の道具でもあるのだろう。
 ユリシーズはまだティーンエイジャー。このくらいの年齢の子にとって、自宅に居づらい、居場所がないというのはかなりしんどい。大人だと(子供よりはお金も知識もあるから)何かしら時間をつぶせる場所があったり、場所を変えることができたりするが、子供は家と学校くらいしか居場所がない。学校でいじめにあっていても家で安心できるならいいのだが、ユリシーズは家族にも自分の在り方を否定されてしまう。家に居場所がないと、抽象的な問題ではなく実際問題として、ユリシーズのように心身の危険にさらされるリスクが高くなるのだ。もちろん居場所のなさに付け込む大人が一番悪いんだけど。そういう危険から子供(だけではないが)を守る為にも、「土曜の夜の教会」みたいな場所が必要なのだ。とにかく安心できる場所が、家でなくてもどこかにあるといい。
 ラストがあっさりしているようにも見えるが、ユリシーズにとって一番重要なのは、母親が自分の在り方を肯定し受け入れてくれること、居場所の保障がされるということなのだろう。最後に見せるパフォーマンスの表情は、最初の彼とは全然違う。安心できる、自分を肯定できるってこういうことなのだと思う。

ぼくのバラ色の人生 [Blu-ray]
ジョルジュ・デュ・フレネ
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2013-07-12


Love, サイモン 17歳の告白 2枚組ブルーレイ&DVD [Blu-ray]
ニック・ロビンソン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2018-10-24



『PSYCHO-PASS SS Case2 First Guardian』

 国防軍第15統合任務部隊に所属する須郷徹平(東地宏樹)は極秘の軍事作戦に参加していたが、作戦は失敗し、先輩である大友逸樹(てらそまさき)は現地で行方不明に。3か月後、国防省が無人ドローンに襲撃される事件が起きた。被疑者となった須郷の前に現れたのは、刑事課一係執行官・征陵智己(有本鉄陵)だった。
 常守が一係に配属される前の話なので、あの人もこの人もまだご健在で・・・と何となく寂寥感を感じてしまう。宜野座がまだきゃんきゃん言っている時代の宜野座だよ・・・懐かしい・・・。それはさておき、『劇場版PSYCHO-PASS』で特に説明もないまま新キャラクターとして登場していた須郷がどういう人で、どういう経緯で一係に来たのかという補助線的なエピソードと言える。
 ディストピアSFである本シリーズらしいエピソードなのだが、中心にいる須郷と征陵があまりディストピア的でない、オールドタイプな軍人であり刑事な気質の持ち主だという所が面白い。須郷の正直で熱血漢的な部分や、征陵の勘と長年の経験に基づく刑事としての能力等、いつになく温度が高い。同時に、こういうタイプの人は、本作で描かれているような社会の中ではマイノリティであり生き辛いんだろうなと思わせる。人間を数値化できない、合理を受け入れきれないタイプなんだろうなと。本作のキーとなる人もおそらくそうなのだ。人間に対してただ一人の存在としての尊重がないと、やりきれないのだろう。
 征陵は刑事としては有能で後輩刑事からも尊敬されている。能力面だけでなく、人間的に尊敬されているのだ。しかし家族に対しては、決して良き父親、良き夫ではなかった。仕事にかまけすぎていたという自覚はあるが、そもそも家族として上手く機能するタイプの人ではないようにも思う。息子に示されるべきだった父性は、(TVシリーズにおいても)仕事の中で出会った他人に向けて示されているような気がしてちょっと切ない。

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