3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『サマーフィーリング』

 真夏のベルリンで、30歳のサシャが突然亡くなった。パートナーのロレンス(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)とサシャの妹ゾエ(ジュディット・シュムラ)は茫然とする。それぞれの生活が続くものの、悲しみはなかなか癒えない。監督はミカエル・アース。
 同監督の『アマンダと僕』と同じく、喪の仕事を描く物語だ。舞台は夏のまぶしい光の中だが、どこか寂しい。ロレンスにとってもゾエにとっても異国であるベルリンから、ゾエの故郷であるパリ、ロレンスの故郷であるニューヨークへと1年ごとに舞台は変わる。2人を照らす夏の光も雰囲気もその都度異なる。そして、2人とサシャとの距離、ロレンスとゾエの距離も変わっていく。
 それは少し楽になっていく、日常に立ち返っていくことだが、元に戻るということではない。失われたものはやはり失われたものにほかならず、そこを埋めるものはないのだ。時間がたつにつれ、それがありありと立ち現われてくる。悲しみは薄れるのではなく、距離を取るのが上手くなるだけで依然としてそこにある。ニューヨークでゾエが泣くのは、(現状自分が幸せかどうかとは関係なく)失ったもの、変わってしまったものの動かせなさ、時間の止まらなさを再確認してしまったからではないだろうか。夏の光はいつもまぶしいのだが、どこか寂しい。
 ロレンスとゾエ(とゾエの家族)の関係の微妙さが印象に残った。仲がいい悪いではなく、そもそも面識がろくにない状態からサシャの訃報がきっかけで対面するというのは、お互いどう振る舞うのが正解なのかわからないだろう。会食の席でのロレンスの居心地が悪そうな表情が忘れられない。こういう時って何かしら言い訳を造って帰りたくなっちゃうよな・・・。
 なお、ロレンスには姉がいるのだが、姉弟の関係はかなり親密そう。『アマンダと僕』の主人公にも親密な姉がおり、どちらの作品でも親とは疎遠、というよりも親からのケアが希薄だから姉弟の絆が強固になったという設定が透けて見えた(本作では、父親が仕事で不在がちで、いなくなった母の代りに姉がロレンスの世話をしていたと明言されている)。この設定は監督(ないしは身近な人)の実体験が反映されているのかなとちょっと気になった。

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『さらば愛しきアウトロー』

 1980年代初頭のアメリカ。誰ひとり傷つけず、拳銃をちらりと見せるだけで仕事を成功させる銀行強盗、フォレスト・タッカー(ロバート・レッドフォード)。何度も脱獄してきた彼も今や74歳になっていた。彼の反抗はアメリカ中で報道されるようになり、刑事ジョン・ハント(ケイシー・アフレック)がタッカーの痕跡を追っていた。監督・脚本はデヴィッド・ロウリー。
 「ほぼ真実の物語」にはじまり、ちょっと人を食った字幕の文句(「そして彼はそうした」という直訳とか)がしゃれている。80年代が舞台だが、車や衣装、小道具など美術面だけではなく映像の質感そのものも80年代のアメリカ映画っぽい、ざらっとしたものに加工されているという凝り方。色みの黄色っぽさなど、あーあの頃っていく感じがすごくする。当時の映画をリアルタイムで見ていたわけではないのにそう思うのが不思議なんだけど。
 タッカーは人好きのする、すごくチャーミングな人物だ。何しろ演じているのはレッドフォードなので、顔はしわしわなんだけどいまだハンサムで色気がある。銀行強盗中の振る舞いにもしゃれっ気がありお茶目で憎めない。ジュエル(シシー・スペイセイク)へのナンパの仕方も、いやーこれいいナンパだな!と思わずにやにやしてしまう。ちゃんと年配者同士のロマンスを出会いの段階からやっている映画って意外と目にしない。2人の距離感が縮まっていく過程に、それまでの2人の人生を踏まえたものという感じが出ていてとてもよかった。
 ただ、タッカーはチャーミングだが人としてどうにもダメな面があることも、彼の関係者の言葉で示される。人への愛はあるが自分のやり方の愛でしかない。相手に対する責任をもつことができない。夫、父親としてはまずダメだろう。その人間性の変わらなさにおかしさと悲しさがあり、ほろ苦い。タッカーはドキドキしていないと、動き続けずにはいられない人なのだ。
 レッドフォードの俳優引退作ということだが、引退作としてはばっちりだったのではないだろうか。彼と相対するスペイセクもまたチャーミング。加齢による聡明さ、魅力が感じられる女性像だった。また、タッカーを追う刑事ハント役のアフレックが、抑えた演技でなかなか良い。普段はちょっと屈折した役を演じることが多いが、本作ではそうでもない。真面目な警官で家族思いだが、どうかするとドキドキさせるもの、追跡のスリルが先に立ってしまう、実はハントと似通った部分があるというアンビバレンツが面白い。

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『さよなら、退屈なレオニー』

 カナダ、ケベックの小さな港町に住む17歳のレオニー(カレル・トレンブレイ)は、高校卒業を控えているが進路は定まらず、自分が何をしたいのかもわからない。口うるさい母も母の恋人も大嫌いで家にもいたくない。ある日レオニーはダイナーで知り合ったミュージシャンのスティーブに興味を持ち、彼にギターを習い始める。監督はセバスチャン・ピロット。
 レオニーの不機嫌さ、周囲への八つ当たりを自分でもコントロールできない感じが実にティーンエイジャーっぽい。自分が今感じ悪いなという自覚やそれに対する自己嫌悪もあるけど、だからといって機嫌のいいフリをするなんてしゃらくさくて出来るか!ということだろう。社会的な「感じの良さ」は彼女にとってはかっこ悪いし、自分ではない誰かに好まれる為の格好はしたくないという面倒くさい自意識なのだ。しかし、そこは変えなくていいよ!そのまま行けよと言いたくなった。自立した個人になっていく為の過程なんだから。
 スティーブとレオニーは距離が縮まっても一線を越えることはない。最初はレオニーの方からスティーブにちょっかいを出しているし、スティーブも段々まんざらでもない感じになっていくが、子供と大人という区別はされている。レオニーはスティーブのことを負け犬呼ばわりしてなじる(これも八つ当たりなんだけど)が、彼は彼女を責めたりしない。そこは、彼女がまだ子供だから許容されている部分なのではと思う。彼がレオニーを責めるのは、約束していたギターのレッスンを彼女が無断で休んだということで、彼女が自分の思い通りにならなかったからではないのだ。
 レオニーがまだ十分に大人とは言えない、子供であるということは、父母との関係、母の恋人との関係からも垣間見える。母や母の恋人の前では一人前ぶるが、彼女の不機嫌さは子供だから許されていることでもある(母の恋人はほんとにいけすかないので、一緒にいたら大人でも不機嫌になっちゃいそうだけど・・・)。別居中の父親を慕うレオニーだが、彼女が慕っているのは理想化された父とも言える。父と母との関係がどのようなものだったか、彼らがどういう個人なのかを受け止めるのはまだ難しい。
 冒頭と終盤、レオニーがバスに飛び乗るシーンが軽やかで素晴らしい。音楽の合わせ方も含め、これぞ映画!という感じがする。他の部分はそれほど劇的ではないので余計に際立つ。今はここにいるけど、いつでも、どこへでも行っていいんだという風通しの良さが感じられるシーンだ。仮に彼女がこの先もこの町に留まるとしても、いつでも出ていく手段があると確信できているのとそうでないのとは全然違うだろう。


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『サンセット』

 1913年、オーストリア=ハンガリー帝国が栄華を極めた時代。トリエステからブダペストのレイター帽子店へやってきたイリス(ユリ・ヤカブ)。この名門店は彼女の亡き両親が経営していたのだ。しかし今のオーナー、ブリルは彼女を歓迎せず追い返そうとする。ブリルや店員に食い下がるうち、イリスは自分には兄がおり、その兄カルマンは伯爵殺しという犯罪を犯したのだと知る。監督・脚本はネメシュ・ラースロー。
 イリスは自分の家族についても、自分が生きる時代についてもよく知らない。映画を見ている側はイリスと同じ視線でこの世界の中を引き回され、翻弄されていく。何か色々なことが次々と起こっているのだが、それをとらえきれず状況に流され、巻き込まれていくイリスの行動はどこか危うい。自分が何に加担してしまったのか、彼女にはわからないままなのだ。
 彼女が巻き込まれているのは第一次世界大戦を目前としたヨーロッパ全体のうねりで、カルマンもブリルも同じく呑みこまれている。が、渦中にいる人たちには、それがどのような波なのか、何が起こっているのかわからない。本作、カメラはイリスにはりついたままで視野がかなり狭いのだが、そのわからなさを極端に強調するための視野の狭さなのだろう。イリスに近すぎて、光景を俯瞰で見られる部分がほとんどないのだ。ブリルがやっていること、彼がやっていることで店の女性達がどういう運命をたどったかを知った上で(大きな犠牲を払いながらも)彼を守ろうとするイリスの行動はちょっと不思議でもあるのだが、それもまた、彼女にことの一部しか見えていないからだろう。
200年近く前の時代が舞台なのだが、女性がさせられていたこと、女性への視線が現代でも大して変わっていない(もちろんそう意図して作劇されているのだが)ことが辛い。女性が「引き倒される」シーンは意図的に反復されていると思う。
 帽子店が舞台なだけあって、登場する帽子はとても美しく華やかで服飾品の細部まで見応えがある。生地の使い方が豪華。当時のファッションに興味がある人にはとてもお勧め。イリスの服がほぼ1着のみで、どんどんよれよれになっていくのもリアル。オールセットに近い環境で撮影しているのではないかと思うが、本作のような作品をオールセットで撮ることができるというのも豪華。

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『PSYCHO-PASS SS Case3 恩讐の彼方に』

 東南アジア連合・SEAUnでの事件後、狡噛慎也(関智一)は紛争地帯を放浪し続けていた。南アジアの小国で武装ゲリラに襲われていたバスを救うが、乗客の1人だった少女テンジン(諸星すみれ)に闘い方を教えてほしいと頼まれる。彼女の両親は武装ゲリラに殺されており、復讐を願っていたのだ。監督は塩谷直義。
狡噛の旅がようやく終わるのか・・・。シリーズ通して、シビュラシステムという装置の元で人がどのように生きるのかという物語を描いていたが、同時に彼の長い長い自分探しと贖罪の物語でもあった。贖罪などできない、でも生きていくという境地にたどり着いたのか。過去との対峙の仕方という点で、テンジンの存在が鏡のようでもあり道しるべのようでもあった。テンジンの描写は女の子であるが「子供」という部分が強調されており、セクシャルでないところがよかった。
 肉弾戦のアクション設計には相変わらず力が入っている。SSシリーズ3作通して一番アクション映画っぽさがある。画面の奥行きを強く意識しているように思った。アクション映画の定番である列車上での攻防があるのが嬉しい。このシークエンスはかなり実写映画っぽいショットで構成されているという印象だったが、大々的な落下シーンはアニメーションならではの演出だろう。そういえばシリーズ3作通して空中に身体が投げ出されるシーン、落下シーンが印象深い。
 また乗り物が色々出てくる、かつ作画がいいというのも個人的には楽しかった。あの世界の中でレトロなスクーターが出てくるとなんとなく嬉しくなる。また、この時代のドローンは規模が違うな!というドローンの量産製品ぽさもいい。作画は3作中で最も、全編通して安定して良いのだが、キャラクターの演技(声ではなく動作)が1作目、2作目に引き続きかなりテンプレートっぽいのは気になった。格闘シーン等はアクション設計がきちんとされていて良いのだが、会話シーンの動作が正に「絵にかいたような」ものでちょっと想像力乏しいのでは・・・。なお、狡噛の上半身のラインの見せ方には妙な熱意を感じました。ありがとうございます。

『サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所』

 ニューヨーク、ブロンクスに母と弟と暮らす少年ユリシーズ(ルカ・カイン)は、女性の服や靴を身にまといたいという思いを押さえられずにいた。ある夜、路上で出会ったトランスジェンダーのエボニーらに「土曜の夜の教会」に誘われる。そこはLGBTをはじめとする様々な人たちが集う場だった。ユリシーズは自分の居場所を見つけたという思いでいっぱいになるが、厳格な叔母ローズに自分のハイヒールを見つけられ、家を追い出される。監督はデイモン・カーシダス。
 ミュージカルというよりミュージカル「風」で、歌と踊りがそこまで多いわけではない。しかし、ユリシーズが自分の内面深くに潜り込む時、また彼(ら)が重要な気持ちを吐露する時、音楽にのせて表現される。歌もダンスもすごく上手い、こなれているというわけではないのだが、手作り感があって微笑ましいし、素朴故に気持ちの切実さがよりにじんでいるように思う。ミュージカルシーン以外でも、ユリシーズと彼を取り巻く世界の距離感が、彼が耳にしている音、音楽で表現されている。自分が世界にうまくはまっていないと感じる時には音は遠くゆがんで聞こえるし、自分の在り方、やりたいことの糸口をつかむと音楽はクリアにビビットに聞こえ、彼の体もそれに乗って動き出す。iPodをずっと身につけているのは、彼にとってのシェルターであり、世界と繋がる為の道具でもあるのだろう。
 ユリシーズはまだティーンエイジャー。このくらいの年齢の子にとって、自宅に居づらい、居場所がないというのはかなりしんどい。大人だと(子供よりはお金も知識もあるから)何かしら時間をつぶせる場所があったり、場所を変えることができたりするが、子供は家と学校くらいしか居場所がない。学校でいじめにあっていても家で安心できるならいいのだが、ユリシーズは家族にも自分の在り方を否定されてしまう。家に居場所がないと、抽象的な問題ではなく実際問題として、ユリシーズのように心身の危険にさらされるリスクが高くなるのだ。もちろん居場所のなさに付け込む大人が一番悪いんだけど。そういう危険から子供(だけではないが)を守る為にも、「土曜の夜の教会」みたいな場所が必要なのだ。とにかく安心できる場所が、家でなくてもどこかにあるといい。
 ラストがあっさりしているようにも見えるが、ユリシーズにとって一番重要なのは、母親が自分の在り方を肯定し受け入れてくれること、居場所の保障がされるということなのだろう。最後に見せるパフォーマンスの表情は、最初の彼とは全然違う。安心できる、自分を肯定できるってこういうことなのだと思う。

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『PSYCHO-PASS SS Case2 First Guardian』

 国防軍第15統合任務部隊に所属する須郷徹平(東地宏樹)は極秘の軍事作戦に参加していたが、作戦は失敗し、先輩である大友逸樹(てらそまさき)は現地で行方不明に。3か月後、国防省が無人ドローンに襲撃される事件が起きた。被疑者となった須郷の前に現れたのは、刑事課一係執行官・征陵智己(有本鉄陵)だった。
 常守が一係に配属される前の話なので、あの人もこの人もまだご健在で・・・と何となく寂寥感を感じてしまう。宜野座がまだきゃんきゃん言っている時代の宜野座だよ・・・懐かしい・・・。それはさておき、『劇場版PSYCHO-PASS』で特に説明もないまま新キャラクターとして登場していた須郷がどういう人で、どういう経緯で一係に来たのかという補助線的なエピソードと言える。
 ディストピアSFである本シリーズらしいエピソードなのだが、中心にいる須郷と征陵があまりディストピア的でない、オールドタイプな軍人であり刑事な気質の持ち主だという所が面白い。須郷の正直で熱血漢的な部分や、征陵の勘と長年の経験に基づく刑事としての能力等、いつになく温度が高い。同時に、こういうタイプの人は、本作で描かれているような社会の中ではマイノリティであり生き辛いんだろうなと思わせる。人間を数値化できない、合理を受け入れきれないタイプなんだろうなと。本作のキーとなる人もおそらくそうなのだ。人間に対してただ一人の存在としての尊重がないと、やりきれないのだろう。
 征陵は刑事としては有能で後輩刑事からも尊敬されている。能力面だけでなく、人間的に尊敬されているのだ。しかし家族に対しては、決して良き父親、良き夫ではなかった。仕事にかまけすぎていたという自覚はあるが、そもそも家族として上手く機能するタイプの人ではないようにも思う。息子に示されるべきだった父性は、(TVシリーズにおいても)仕事の中で出会った他人に向けて示されているような気がしてちょっと切ない。

『サスペリア』

 1977年、スージー・バニヨン(ダコタ・ジョンソン)は世界的に有名なマルコス舞踏団に入団するため、ボストンからベルリンにやってきた。オーディションで振付師マダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)の目に留まり、メインダンサーに抜擢される。しかし彼女の周囲で不可解な事件が次々と起こり、ダンサーが失踪していく。監督はルカ・グァダニーノ。ダリオ・アルジェント監督作のリメイク作品になる。なお私はアルジェント監督作は未見。
 すごく奇妙だし、多分クオリティ高くて面白いんだろうなということはわかるが、自分の中のフックにはいまひとつ引っかかってこない。設定が難解で全くわからないというわけではないし、残酷な描写が受け付けられないというわけでもないので、何でひっかからないのか腑に落ちず困るんだよな・・・。監督の他の作品は概ね最高だと思ってるだけに。
 かなり長尺の作品だが、さほど長すぎると感じなかったことが意外だった。カットのつなぎは妙にぎこちなかったり、クロースアップの仕方があえて古臭かったりと、流れのスムーズでなさが強調された構成になっているように思った。スムーズでないから逆に飽きなかったのかもしれない。あれ何か変だな?といちいちひっかかる。つまづきつつ前進するので、テンポが乱れて気持ちよく見させてくれないのだ。その乱れが本作のキモなのかなと思った。マダム・ブランはバランスを取る事を強調するが、作品のトーン自体はむしろそこからどんどん乖離していく。ストーリー上、マダム・ブランの影響力もまた弱まっていくのだ。
 母による娘、というよりも次の母の奪い合い血みどろ合戦のようであった。しかし同時に、それまでの母という存在の否定でもある。私は本作を見ていてなんとなく息苦しかったのだが、母たちと娘たちのクローズドサークルのような世界だったからかもしれない。母たちは「女性の経済的な自立を支援」する為に若い女性達を寮に住まわせるが、それは娘たちの囲い込み、所有化でもある。娘たちは母たちの為に奉仕する存在、母たちに消費される存在になってしまう。スージーは新たな母というよりも、娘を持つことを拒否した母であるように思えた。
 バーダー・マインホフが飛行機ジャックをしていた時期の話とはっきり設定されているところが面白い。集団が一つの熱に浮かされている状態という所で、舞踏団と社会とが呼応していく。革命も魔術も、共同幻想のようなものだ。もちろんドイツにおける共同幻想といえばナチスが連想され、本作の中にもホロコーストの記憶が挿入される。共同幻想のほころびは、集団内の個人が別のベクトルを持つところから始まる。逆に言うと魔術を解くのは極めて個人的な記憶、意思なのかもしれない。

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2010-09-03


『PSYCHO-PASS Case1.罪と罰』

 公安局ビルに一台の車両が突入する事件が発生。運転手は青森にある潜在犯隔離施設「サンクチュアリ」の心理カウンセラー・夜坂泉(弓場沙織)だった。取り調べを待たず異例の即時送還が決まったことに、公安局刑事課の監察官・霜月美佳(佐倉綾音)は疑問を持つ。霜月と執行官・宜野座伸元(野島健児)は夜坂の送還の為、青森へと向かう。監督は塩谷直義。
 「シビュラシステム」に管理された未来の日本を舞台としたSFアニメーションシリーズの、スピンオフ的作品。作中の時系列は『劇場版PSYCHO-PASS』の後にあたる。TVシリーズの頃と比べると、各キャラクターが大分大人になっているというか、言動が落ち着いてきて安定感があった。情緒不安定ではない!皆大きくなって・・・!それぞれ、自分がシュビラシステムとどのように向き合うかという納得が既に得られて腰が据わったからか。
 霜月はシュビラシステムの正しさを信じているが、TVシリーズ時よりも視野は広がっている。システムである以上エラーは出る、そのエラーは人間の倫理で是正していくものだという地点に至ったように思う。相変わらずイキってはいるが、イキりに根拠が出てきた感じ。また、彼女をサポートする宜野座も大分余裕が出たというか丸くなったというか、何か色々感慨深い。
 今回、宜野座のアクションが一つの見せ場になっており、アクションの組み立てが面白かった。特にヘリコプターを使った演出は、なるほどその手があったか!と新鮮。また、宜野座が義手になった時点で、一度こういう演出をやってみたいだろうなーと予想はしていたが、やはり。こういう演出を好むのって悪趣味とも思われるだろうけど、やっぱり見ると嬉しくなっちゃうんだよな・・・。
なお、青森で何か作業をしている、という時点でもしかしてあのネタか、と予想はつくと思うのだが、最近だとあまりそういうイメージないのかな?


『斬、』

 開国するかどうかで大きく揺れる江戸時代末期の日本。農村で田畑の仕事を手伝う侍・都築杢之進(池松壮亮)の前に、江戸に向かう侍・澤村二郎左衛門(塚本晋也)が現れる。都築の剣術の腕を見込み、自分の組に参入し、泰平を守る為に京都の動乱に参加しないかと言うのだ。同じころ、村に無頼者(中村達也)たちが流れ着き、ある事件が起きる。監督・脚本は塚本晋也。
 登場人物が喋りはじめた時点で、これはいわゆる時代劇をやろうとしているわけではないんだなと気づく。台詞はほぼ現代語で、時代考証はさほど気にしていないように見える(各種考証のクレジットはエンドロールにあるが)。私はこういう部分はあまり気にならないが、時代劇というジャンルにあまり馴染みも思い入れもないからだろう。時代考証の正確さにキモのある作品ではないのだが、気になる人は気になるかもしれない。
 都築は剣術に秀でているが、人を切ったことはなく、むしろ暴力は忌避する性格だ。無頼者たちに対しても、会話を試み何となく距離を詰めていき暴力に訴えることはない。彼が振るうのは概ね木刀だ。しかし刀を振るうこと、刀という存在そのものに惹き付けられてやまない、それによって性的な興奮も得ていることが示唆される。そんな自分を持て余している様子もうかがえるのだ。
 そんな都築に、澤村は刀を使うよう誘いをかける。彼は刀を振るうこと、必要ならば人を切ることに全く迷いがない。刀を使う意思がはっきりしすぎていて、ちょっとサイコパス的に見えてくる。都築に対する執着、彼を何とか引き込もうとする情熱にも段々筋が通らなくなってきて、なかなか薄気味悪い。演じる塚本がなまじ上手い(正直、主演の池松よりも役者としての格上感がある。監督・脚本・撮影・編集が出来て出演も出来るってすごいよな・・・)。
 澤村とは反対に都築を地に足の着いた生活に引きとめようとする存在が、村の娘ゆう(蒼井優)だ。彼女は都築が江戸に行き暴力に身を投じる可能性を案ずる(彼に好意を寄せており一緒にいたいからではあるが)。同じ理由で自分の弟が侍に憧れるのも嫌がるのだ。彼女にとって刀は武器であり暴力の道具であって、魅了されるものではない。しかしそんな彼女も、ある事件の後には自身の力=暴力を行使せず相手に屈する都築をなじる。彼女の慟哭が都築をさらに追い詰めるのだ。
 殺陣のシーンはもちろんあるのだが、その撮影の仕方がちょっと面白いなと思った。木刀同士での稽古シーンは普通に(手持ちカメラなのでかなり揺れるがアクションがまあまあわかる程度に)撮っているのだが、真剣同士の斬り合いのシーンになると、かなり様相が変わる。殺陣そのものをちゃんと見せようというよりも、刀に乗った意識の動きを演出しようとするような印象を受けた。主体が刀にある感覚なのだ。人間の意識と肉体の存在感が薄れていくような感じがする。都築が至る境地はここなのかもしれないと思うと、ラストの音の使い方等も腑に落ちる。


野火 [Blu-ray]
塚本晋也
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2016-05-12




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