3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『サンドラの小さな家』

 夫のDVに耐えかね、2人の娘を連れて逃げ出したサンドラ(クレア・ダン)。福祉の支援を受けホテルで仮住まいをしているが、公営住宅への入居は長井順番待ち、民間のアパートは家賃が高すぎで、入居の見込みは立たないままだった。サンドラはインターネットでセルフビルドの設計図を見て、自分で小さい家を建てられないかと思いつく。監督はフィリダ・ロイド。主演のダンが原案と脚本(マルコム・キャンベルと共作)を兼ねている。
 サンドラがDVのフラッシュバックを起こすシーンが度々あるのだが、これが真に迫ってきて結構つらかった。心身ともに虐げられていると、自分で恐怖やパニックをコントロールできなくなってくる。また、サンドラは自分が受けた被害や怪我の痛みについて、周囲に相談できない。相談できそうな相手もいないし、言語化すること自体が難しい、知られたくないという事情もあるだろう。夫婦間の問題については、「もっとよく話し合えば」とか「反省しているし許してあげれば」みたいな的外れな言葉も往々にしてあるだろうし、動揺している姿を見せると子供に対する責任能力を問われるという側面もあるだろう。DV問題の相談のしにくさが垣間見えた。
 また、サンドラは(主に調停の場で)「DV被害について皆にわかるように話せ」「平静に話せ」ということを度々要求されるのだが、これはDV被害者にとってすごく難しい、酷なことだというのがよくわかる見せ方になっている。言語化できるようになるまでは時間がかかるのだ。そして、恐怖で考える力を奪いコントロールしたいという支配欲が、DV加害者の動機だということもよくわかるのだ。終盤のあんまりにもあんまりな展開も、相手を打ちのめしたい、希望を奪い無力化したいという欲望があるのだと端的に示すものだ。
 サンドラが助けを求める相手が、さほど濃い付き合いではない人たちだという所が面白い。アドバイスを求める建設業者のエイドはホームセンターでたまたま会った人だし、娘の同級生の母親ともさほど話したことはない。元々サンドラの母親の雇い主だった清掃仕事先の雇い主も、サンドラ本人とはすごく親しいというわけではない。皆、薄目の好意と親切心で繋がっていくのだ。そういうものが最終的なセイフティネットになるのだとすると、助けを乞う側の人間力が問われすぎなのではと、少々暗澹たる気持ちになった。私にはできそうもない…。

サンドラの週末(字幕版)
カトリーヌ・サレ
2015-11-27


自分でわが家を作る本。
氏家 誠悟
山と溪谷社
2008-11-10


『ザ・ライダー』

 カウボーイのブレイディ(ブレイディ・ジャンドロー)はロデオ中に頭に大怪我を負う。復帰を願うが後遺症が残り、引退を考えざるを得なくなる。監督はクロエ・ジャオ。出演者はモデルとなった実在の人物本人たちだそうだ。
 アメリカ中西部のサウスダコタ州が舞台なのだが、だだっ広く荒涼とした風景が素晴らしい。ロデオ自体の魅力はさっぱりわからないのだが、こういう土地を馬で走ることの解放感は伝わってくるし、ブレイディがロデオ込みでこの土地を離れられないのもわかる。
 ただ、ブレイディがこの土地を離れられないのはロデオへの拘りだけではなく、ロデオ中の事故で障害を負った仲間のケアや、軽い知的障害があるらしい妹の保護者として振舞わなくてはならないという事情もある。ブレイディ自身だけのことを考えると、いっそ地元も家族も捨てて一人で出ていけたら楽なのかもしれないが、そうはできない真面目さがある。カウボーイやロデオというと荒っぽいマッチョな世界、アウトローの世界を連想するが、ブレイディやロデオ仲間たちからは意外にマチズモは感じられない。ボーイズクラブ的な連帯はあるが、それほど悪ノリみたいな振る舞いは見られない。事故に遭った仲間の為に皆で祈るシーンが印象に残った。
 カウボーイにしろロデオにしろ、それのみでは職業として食っていけない時代だろう。実際、ブレイディは(事故後でロデオはできないという事情もあるが)生活費の為にスーパーで働いている。しかしブレイディにとっては馬と接している時、ロデオをしている時こそが生きている・働いていると実感できるものであり、彼にとっての生はそこにある。その生き方は現代の資本主義的な価値観からすると時代から取り残されたものだろう。ただ、ブレイディは自分にとってベストな生き方は何なのか、何をやりたいのか掴んでおり、諦念は漂うが全く諦めているわけではない。自分の生のあり方を知っている人は、幸せかどうかは別として強い。本作が苦いがよどんでいないのは、そのあたりに要因があるのでは。

ザ・ライダー (字幕版)
リリー・ジャンドロー
2018-11-07


すべての美しい馬 (ハヤカワepi文庫)
コーマック マッカーシー
早川書房
2001-05-01


 

『さんかく窓の外側は夜』

 三角康介(志尊淳)は幼いころから霊が見えることに苦しんできた。ある日、冷川理人(岡田将生)に「助手にならないか」と声を掛けられる。冷川は除霊師で、三角と一緒にいるとよりはっきりと「見える」のだという。一緒に働き始めた2人は、冷川と懇意にしている刑事の半澤(滝藤賢一)から、1年前に起きた連続殺人事件の調査を依頼される。遺体の一部がまだ見つかっていないというのだ。原作はヤマシタトモコの同名漫画、監督は森ガキ侑大。
 意外と手堅くまとめており、改変部分はあるが原作のイメージも損なっていないと思う。原作漫画に非常に愛着がある人にとっては微妙な所もあるのかもしれないが、映画単体としては悪くない。省略していいところはさっくり省略したメリハリのある脚本の方向性と、映像の組み立て方とが上手くかみ合って、コンパクトにまとめられていると思う(102分という尺は非常に好感度高かった)。モブ含め出演者の衣装を黒ベースで統一するという視覚的な演出への拘りも見られたが、これはそれほど効果を発揮していなかったように思う。ちょっとファンタジー寄り・フィクショナルな雰囲気を強めたかったのかもしれないが、拘る所そこ?という釈然としない気分になってしまった。一方、霊の見せ方等のVFXはやりすぎない感じに見える所が良い。単にそこにいる、という本作の霊のありかたに合っているように思った。
 冷川は情緒に乏しく心情の機微がわからない人間だが、岡田の「心のない人」演技が上手い。表面上にこにこしており過剰に明晰だが、内面は何を考えているのかわからない、そもそも感情があるのかわからない、という奇妙さが出ていたと思う。前半での冷川の得体の知れなさと、後半で内面の揺らぎが生じる様との微妙な変化を感じさせる演技だったと思う。
 原作では呪いの鍵を握る非浦英莉可(平手友梨奈)がストーリー上閉める割合がもっと高いが、本作では三角のトラウマと冷川の「呪い」を解くという点にストーリーを絞っている。冒頭と終盤でのあるシーンが対比になった構成には、製作側のドヤ顔とやってやった感がにじむが、1本の映画としては正解だろう。この冒頭と終盤の呼応によって、本作はバディームービーとして成立しているのだ。
 ラスト、続編への色気がちらつくし実際そういう予定だったのかもしれないが、現状ではなかなか難しいのではという気がする。公開時期でかなり損しているのが勿体ない。なお、非浦英莉可役の平手友梨奈の芝居している姿を初めて見たのだが、常に教室の隅っこにいそうな個性がユニークで、好演だったと思う。


重力ピエロ
渡部篤郎
2013-11-26





『ザ・プロム』

 ブロードウェーの「元」スター・ディーディー(メリル・ストリープ)とバリー(ジェームズ・コーデン)は新作が大コケし窮地に立たされていた。原因は2人のイメージがナルシスト、エゴイストで好感度が最悪だからだという。そんな折、インディアナ州の田舎町に住む高校生エマ(ジョー・エレン・ペルマン)がガールフレンドとプロムに出たいと願っているが、PTAに猛反対されたというニュースを知る。ディーディーたちはエマを助けてイメージアップを図ろうと田舎町に向かう。監督はライアン・マーフィー。
 エマの暮らす田舎町では、学校やモールにいる人たちはそこそこ他民族なのだが、ことセクシャリティに関してはものすごく保守的。カミングアウトしたエマは両親に家から追い出され、校内の味方は校長(キーガン=マイケル・キー)のみ。ガールフレンドのアリッサ(アリアナ・デボース)も生徒会長という立場上、2人の関係を秘密にしており表立ってかばうことができない。今時「同性同士のカップルはプロム禁止」なんて言ったら大炎上しそうなのに大丈夫?!と逆に心配になるPTAの硬直ぶりだ。そんな超保守的な土地にゲイのアイコン的なディーディーや「100%ゲイ」だというバリーが乗り込んでくるので、文化間のギャップが激しい。そのギャップを埋めていく、というより田舎の偏見を打開していく話だ。自身も自分のセクシャリティー故に田舎を飛び出してきたバリーのエマに対する思いやりや、彼のプロムへの思いが昇華される過程にはぐっときた。またちょっとマヌケなキャラだったトレント(アンドリュー・ラネルズ)が地元の価値観(やはりキリスト教強し…)を逆手にとって高校生たちの視野を開いていく様も意外性がある、かつやはり若い方が頭柔らかいよね、と思わせるいいナンバーだった。
 ただ、ゲイのカップルがプロムへ向かうという現代的なストーリー。だが、その現代性とプロムというイベントがアンマッチな気がした。プロムに行かなくては、という部分は旧来の価値観に乗っかっているのだ。そんな排他的なイベントなんて粉砕するぜ!という方向にはいかない。元々あるものを色々な人が享受できるように随時ブラッシュアップしていく、という姿勢は社会の構成員としては正しいのだろうが、個人的にはつまらないと思う。そこから脱出しちゃうという選択肢はないのかなと。『ブックスマート』見た時も同じことを思った。ベースの価値観はあんまり変わらないんだなと。プロムは異性にしろ同性にしろカップル文化の産物なので、その点は非常に保守的だと思うんだけど…。一人でいるという選択肢はないんだよなと。

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 豪華版 [Blu-ray]
モリー・ゴードン
TCエンタテインメント
2021-02-26


キャリー [Blu-ray]
ジョン・トラボルタ
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2015-12-18




『3人の夫』

 配信で鑑賞。船の上で年老いた「父」と暮らす娼婦のムイ(クロエ・マーヤン)は、情人離れした性欲で次々と客を取っていた。彼女に恋した青年は彼女の「父」を口説き落として結婚し、陸上で新婚生活を始める。しかしムイの性欲は留まることがなく、また地上での生活にもなじめない様子だった。監督はフルーツ・チャン。
 とにかく男女が頻繁にセックスしている作品なのだが、ムイにとってはやらないと体調が悪くなる、死ぬくらいの必死さなので、あまりハッピーな感じではない。ムイにとっての自然な生き方は一般的な社会の中では不自然と捉えられる。また、彼女をとりまく3人の「夫」は協力して売春ビジネス(当然ムイを売るわけだが)を始め、ファミリービジネスとして勝手に盛り上がっていく。その盛り上がりはコミカルではあるが、ムイの意思を確認しようという様子が全然ないので少々気持ち悪い。
 とは言え、ムイの意思、彼女が自分をどう位置付けて何を感じているのかということは、一貫して示されない。もちろん彼女にも意思はあるのだが、それを他の人間がうかがい知ることが難しい。別の言語、別のルールで生きている存在のように見える。青年は彼女を伝説の人魚と重ねるが、まさに人魚のような異界の存在で、普通の人間社会からははみ出ている。海の上ではあんなに妖艶だったのに、陸で生活するうちどんどん色あせていく(撮影と演じるマーヤンの上手さが映える)のも人魚のようだ。海に帰りたくて彼女は暴れるのかもしれない。終盤、3人の夫たちは、彼女と共に異界に入っていくようにも思えた。最初はカラフルだった映像がどんどんモノクロに近づいていくのも、異界に近づいていく過程のようだった。
 ただ、ムイが「夢の女」すぎて今時これかと鼻につくところはある。意思疎通のできない、勝手に動いていく女という点では古典的な夢の女ではないと言えるが、性的な存在として都合がよすぎるようには思う。

三人の夫(字幕版)
チン・マンライ
2019-10-19


ハリウッド★ホンコン [DVD]
ウォン・ユーナン
レントラックジャパン
2003-12-19


『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』

 ダウン症の青年ザック(ザック・ゴッツァーゲン)は長年の夢だったプロレスラーの養成学校に入る為、施設を脱走する。その道中で漁師のタイラー(シャイア・ラブーフ)と出会い旅を共にするが、彼は漁師仲間の獲物を盗み網に火をつけたことで追われる身だった。ザックを追ってきた介護士のエレノア(ダコタ・ジョンソン)も加わり、ザックを目的地に送り届けようとする。監督はタイラー・ニルソン&マイケル・シュワルツ。
 ザックが暮らしているのはどうやら老人ホームらしいのだが、高齢者介護と障碍者支援とは別のスキルを必要とするものだろう。多分、他に手近な施設がないから無理やり入れられているんだろうが、ザックに適切な手助けをしてくれる、あるいは適切な施設を手配してくれる家族が介助者がいないということなのだろう。エレノアはザックのことを気にかけてはいるが、過保護すぎて彼に出来ることを見落としている。見た限りではザックは身の回りのことはそこそこ自分で出来るし、つきっきりでケアをしなければならないというわけでもない。ザックは自分が本来がいるべきではない場所から脱出したのだと言える。
 タイラーも同様で、地元の漁師仲間との関係は修復しようがない。彼の自暴自棄な振る舞いは兄の死によるものだとわかってくる。兄がタイラーにとってのいるべき場所で、彼はその場所を失ってしまったのだ。エレノアについても、タイラーと同様に大切な人と離別している。居場所をなくした人たちが自分がいるべき場所を見つけにいくロードムービーだと言える。いるべき場所とは具体的な場があるというよりも、ここは自分がいるべき場所だと思わせてくる人がいるかどうかなのだろう。
 心温まるストーリーではあるのだが、話の軸もディティールもわりとぼんやりしている。3人の間に何で信頼関係が成立したのかという描写が大分ふわっとしており、多分にご都合主義的だ。そんな簡単に流されちゃうの?!という感じは否めない。全体的に散漫な所が残念だ。音楽も含め、アメリカ南部の風土には魅力があるので勿体ない。なお、シャイア・ラブーフ出演作を久々に見たのだが、年齢重ねて痩せてきたらクリスチャン・ベールに似てきた気がする。

ザ・ピーナッツバター・ファルコン [Blu-ray]
トーマス・ヘイデン・チャーチ
Happinet
2020-08-05



ハックルベリー・フィンの冒けん
マーク・トウェイン
研究社
2017-12-19


『PSYCO-PASS3 FIRST INSPECTOR』

 2120年、シビュラシステムによって管理された社会。刑事の慎導灼(梶裕貴)と炯・ミハイル・イグナトフ(中村悠一)は連続テロ事件の背後にある陰謀、そして過去の灼の父の死の謎と炯の兄の死の謎を追い続けていた。ある陰謀の為に暗躍する梓澤廣一(堀内賢雄)は、刑事課職員たちを人質にとり公安局ビルを占拠。人質を解放する条件として都知事・小宮カリナ(日笠陽子)の辞任を求めてくる。監督は塩谷直義。脚本はTVシリーズから引き続き冲方丁・深見真。
 TVシリーズの3シーズン目最終回から直接つながっているストーリーなので、基本的にシリーズを追ってきた人向け。そういう意味では劇場版作品というよりシリーズの一環としてイベント的に劇場上映したという体なのだろう(実際、劇場では2週間限定上映でメインは配信だし)。でも、だったら全部ちゃんとTVシリーズとして放送してほしかったな…。しかもきれいに完結するわけではなく、もうちょっと続くよ!アピールを残した終わり方なので。どちらにしろ続きがリリースされれば見るつもりだけど、メディア・形態を変えつつずるずる続けるというのは個人的にはあまり好きではない。とは言え、それと本作が面白いかどうかは別問題だが(面白いです)。またシリーズを見続けてきた人にとっては、この人はこういう風に変化したのか等、感慨深い部分も多いと思う。
 とは言えこのシリーズ、作品のクオリティとは別問題として本来は自分の嗜好にはそんなに沿っていないんだなということの確認にもなった。本シリーズはシビュラという高クオリティ管理社会システムとでもいうべきものの管理下にある社会と、そのシステムの中で適応する、あるいは適応しきれなかったりすり抜けたりする人々を描いてきた。そしてシリーズ3ではシュビラの盲点をついて「ゲーム」を行い勝ち残ろうとするグループが登場する。ディストピアSFとして王道と言えば王道、それなりに面白いが、私個人はシステムの中で生き残ることやシステムを出し抜くこと、ゲームをする・ゲームに勝ち抜くことにあんまり興味がない。本作に限らずゲームのルールを掌握することやシステムの穴を突くストーリー、特権的な視点が物語世界を俯瞰する構造に一種の全能感を持つ観客は多そうだが、個人的にははまらない。なので、作中で梓澤が持っている願望は随分と退屈なものに思えた。それ、何か楽しい…?
 では自分が本シリーズ(特にSinners of the System以降)の何が好みと言ったら、やはりアニメーション表現の部分、特にアニメーションで実写的な組み立てのアクション演技をどう見せるかという部分だ。一連のアクションがどうつながっているのかわかるよう、キャラクターの全身を見せてくれるあたりが楽しい。この点は、俳優(ないしはスタントマン)の身体能力に依存する実写よりも有利かもしれない。ヘリや宜野座の義手を使ったアクションシーン等、やりたかったんだろうなぁ。ストーリー上そんなに必然性ないから。


『37セカンズ』

 ユマ(桂山明)は出生時に37秒間呼吸ができなかった為、脳性麻痺を患い、車椅子生活をしている。幼馴染の漫画家のゴーストライターをする傍ら、自分の作品をアダルト漫画専門誌に持ち込むが、リアルな体験がないと良い作品は描けないと編集長に言われてしまう。実際にセックスを体験しようと街に出たユマは、障碍者専門の娼婦・舞(渡辺真起子)やヘルパーの俊哉(大東駿介)と出会い世界を広げていく。しかし母・恭子(神野三鈴)は激怒する。監督・脚本はHIKARI。
 最初、ユマに対する恭子の接し方が、娘が身障者で介助が必要とは言え、22歳の人間相手にちょっと子ども扱いしすぎではないか?とひっかかったのだが、彼女の過保護さがこの後どんどん示されていく。ユマは実は時間がかかるけど一人で着替えはできるし、シャワーも浴びられるということが一方で提示されるのだ。彼女はおそらく、恭子が思っているよりもしっかりしているし自分の考えを持っている。漫画を描くためにセックスをしたいと即行動に移すユマの思い切りの良さ、舵の切り方の極端さにはハラハラするし、「私のことなんか誰も見ない」という彼女の言葉には、そういうことじゃないんだよ!(性的な側面以外からも加害する人はいるし事故だってある)と母親ならずとも言いたくもなる。
 とは言え大事なのは、ユマがしたいのであればセックスなりなんなりしてみていいし、身体的な問題を理由に選択肢を狭められる、世界を狭められる筋合いはないじゃないかということだ。そのために手助けを頼んだっていい。舞や俊哉のような人はそのためにいるのだから。もちろん難しいこともあるだろうけど、最初から無理だと言われるのはちょっと違うよなと。これは障碍だけでなく全ての人に言えることだろう。あなたはこのカテゴリーに入っているからこれをやるべきではない、という決めつけはおかしいのだ。「ためにならない」ことをやっても別にいいだろう。
 ユマは自分にもう一つの人生、障碍のない人生があったのではと思わざるを得ないし、その上で「私でよかった」と言うに至る。しかしもう一人の「彼女」にとっては、自分こそが選ばれなかった側、ある人から捨てられた側だという思いがあるのではないだろうか。もう一つの人生は、彼女にとっても思いを巡らさざるを得ないものだったのではないかと。
 なお作中、エンドロールでCHAIの楽曲が使用されているが、これは圧倒的に正しい!本作が目指すところが明示されている、いい選曲だと思った。


『囀る鳥ははばたかない The clouds gather』

 被虐趣味を持ち様々な男と関係を持ってきた真誠会若頭の矢代(新垣樽助)の配下に、雑用係として百目鬼(羽田野渉)がやってくる。矢代は百目鬼をなんとなく気にいり、からかいつつ傍に置くものの、距離を保つ。百目鬼は愚直に矢代に従いながら、自己矛盾を抱える彼に惹かれていく。原作はヨネダコウの同名漫画。監督は牧田佳織。
 超人気かつ名作BL漫画のアニメ化。私は原作は読んでいるものの、アニメ化された本作について事前情報をあまり入れていなかったので(ネタバレというわけではないので書いてしまうが)、最後の最後であっこれ続くんだ!と気付いた(原作連作中だからそりゃそうだろうという話なのだが)。まあ次作も見ますけれども…。
 原作と原作ファンを尊重した丁寧な映像化だと思うのだが、それが映像化として面白くなっているのかというと、ちょっと微妙な所だと思う。もちろん原作のストーリーが面白いからそれに沿って作って作っている以上一定水準の面白さはあるのだが、絵が動くという、アニメーションならではの面白みみたいなものはあまり感じない。原作の絵の通りですね、このシーンはあのコマですねという感想になってしまう。そもそも原作は物理的な動き=運動の多い作品ではないから、アニメーション化に向いているかというと、ちょっと微妙なのでは。コマ内が割と静止画寄りというか、コマとコマとの間にあまりダイナミックな動きの演出はないように思う。それが整理された読みやすさに繋がっているのだが。原作の魅力であるモノローグも、映像化した時にはもっと削っていいのではとも思った。そのモノローグが表現するものを映像として見せてほしいんだよな。
 とは言え、映像化されて本作が持つメロドラマ要素が際立ってきたところは面白い。メロウ寄りな音楽の効果もあるのだろうが、言葉を音声化することで強調されるものがあるんだなと再認識した。百目鬼は矢代のことをきれいだと言うのだが、BL漫画だとこれは常套句なので読者側はわりと流してしまいがちなように思う。しかし映像と音声で表現されると、男性に対してこの表現を使うことってあまりないなと(使って全然良いと思うけど)現実に引き戻される。と同時に、百目鬼にとってこの「きれいだ」という表現は非常に特別なもの、彼にとって矢代は何か代えがたいものなんだなと伝わってくるのだ。


どうしても触れたくない [DVD]
米原幸佑
ポニーキャニオン
2014-09-17



『サヨナラまでの30分』

 バンド「ECHOLL」でのデビューを目前に事故死したアキ(新田真剣佑)。彼が残したカセットレコーダーを拾った大学生の颯太(北村匠海)は、中のカセットテープを再生してみる。すると30分だけアキが颯太の体を借りて入れ替わる。2人は颯太の体を共有し、ECHOLL再結成の為に奔走する。しかし2人が入れ替われる時間は段々短くなっていく。監督は萩原健太郎。
 予想外の良さでびっくりした。若手人気俳優を起用した、さわやかな若年層向け作品ではあるのだろうが、カセットテープというレトロ(最近復権してきたけど)なモチーフを使っているところが面白い。再生時間の制限や「巻き戻し」という仕組みが入れ替わりシステムとリンクしており、カセット世代にはイメージとしても懐かしいのでは。
 一人でいるのが好きな颯太は、アキによって生活を引っ掻き回される。迷惑がる颯太だが、誰かと一緒に音楽をやる楽しさに目覚め新しい世界に心を開いていく。一方でアキも、颯太を通してかつての仲間や恋人を見ることで、自分の時間が止まっていたことに気付き認識を改めるのだ。颯太が就職活動中というのも要素として利いている。本来の自分を偽装してウケがいいように演じなければならない(と思わされている)から、面接だけ「ウケ」のいいキャラに交代できればなと思ったり、本来の自分の良さを見失ったりしがちな時期で、「入れ替わり」のハードルが下がるのだ。
 2人が変化し一歩を踏み出す物語だが、アキの恋人カナ(久保田紗友)の喪の仕事という側面も踏まえられており、彼女が添え物に甘んじていない所がよかった。バンド内での存在感はそんなにない(彼女のパートがなくても成立しそうな曲だ)ところがちょっと辛かったが。
 作中の楽曲がしっかりしており、「デビュー間近だったバンド」という設定に説得力が出ている。エンドロール曲もストーリーの内容をきちんと踏まえたものにしているあたりにもこだわりを感じた。ライブハウスの集客度合いや地方のフェスの規模感もわりとリアルなのでは。音楽面の演出をちゃんとしようという意欲が感じられた。


[新版]幽霊刑事 (幻冬舎文庫)
有栖川 有栖
幻冬舎
2018-10-10


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