3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『ゲット・アウト』

 アフリカ系アメリカ人の写真家クリス・ワシントン(ダニエル・カルーヤ)は白人の恋人ローズ・アーミテージ(アリソン・ウィリアムズ)の実家に招待される。過剰なくらいの歓迎ぶりに一安心するクリスだが、アーミテージ家が黒人の使用人を雇っていることに違和感を感じた。翌日、パーティが開かれるが来客は白人ばかり。その中に黒人青年を見かけたクリスは彼にカメラを向けるが、青年の態度が急変する。監督はジョーダン・ピール。
 田舎が怖い物件であり恋人の実家が怖い物件であるが、そこに人種差別を絡めて更に怖い物件に仕上げている。基本ワンアイディアではあるのだが、とてもよくできている快作。コンパクトな尺(104分)も素晴らしい。私はホラー映画は苦手なので本作も耐えられるかどうかとちょっと心配だったのだが、音やタイミングでびっくりさせる系の怖さではないので、大丈夫だった。恐いというよりも、気持ち悪い系の作品だろう。
 前述のあらすじでわざわざ主人公と恋人の人種を記載したことでも明確だが、人種差別、偏見が本作の怖さ、気持ち悪さの根底にある。小さいところから大きな(というか大き過ぎでとんでもない)ところまで、おそらく「黒人あるある」状態なんだろうなぁという、ある意味鉄板ネタの連打。クリスが過剰なほど接待されるのも彼が黒人だから無意識に気を使ってという面があるだろう(いちいちオバマ支持者だよ!というのとか)。パーティの参加者の発言、振る舞いは結構な差別でこれアウトだろう!というものばかりなのだが、当人たちはその自覚がなさそうだ。
 そんなクリスならずとも居心地の悪い状況から、どんどん不穏な雰囲気になっていく。あーやっぱりね、うんうん、と思っていると、えっそっち!というとんでもない方向にハンドルを切られてびっくりした。この題名、そういう意味か!人種差別・偏見に根差すものなのは確かなんだけど、これまたずいぶん拗らせているというか複雑化しているというか・・・。多民族国家の屈折した部分をかいま見て(というか前面に出してきてるんだけど)しまった感がある。

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『獣は月夜に夢を見る』

 デンマークの小さな港町。少女マリー(ソニア・ズー)は雑貨店を営む父親(ラース・ミケルセン)、口がきけず、体も不自由で車椅子生活の母親(ソニア・リクター)と暮らしている。水産工場で働くようになったマリーは、青年ダニエル(ヤーコブ・オフテブロ)と恋に落ちるが、同時に体に異変を感じるようになる。往診に来た医師のカバンから資料を盗み出した彼女は、自分と母親の「病気」の真実を知る。監督・原案・脚本はヨナス・アレクサンダー・アーンビー。
 北欧発のモンスター・ホラー映画だが、モンスターの露出は少なく、決定的なシーンは映さずに怖さを演出していく、控えめかつ上品な造り。予算の兼ね合いもあるのかもしれないが、作品の雰囲気には合った演出法だったと思う。モンスターそのものよりも、自分が何者なのかというマリーの葛藤が中心にある。
 マリーは自分の異変を恐れ、ダニエルを傷つけるのではと危惧はするが、罪悪感や悲壮感とはちょっと違う。ここが面白いなと思った。モンスター化する自分を強く否定はしないのだ。むしろ、父親が母親の身に起こったこと、マリー自身の身に起こるであろうことを隠し、変化の兆しが見えたらそれを薬で抑えようとしたことに怒る。他人が彼女の本性を隠す・抑えることに反発するのだ。マリーは職場で嫌がらせを受ける(彼女と母親が異質であることは町でも知られているのだ)が、冗談として流すことも出来そうなところ、反感を隠さない。異質なものを周囲と無理矢理同化させようとするもの、共同体の「お約束」みたいなものへの疑問があるのだ。本作、いわゆる村社会の陰湿さが節々で見られるが、こういう状況での「異物」の息苦しさは、モンスター云々よりも切実で怖い。マリーが戦うのは、村社会そのものでもある。その為には、むしろモンスターであり続けなくてはならない。ラストは、彼女が彼女のままでありながら、生きる場所も愛も手にする可能性があるのではと示唆するものだと思う。
 監督はラース・フォン・トリアー作品で美術アシスタントを務めた人だそうだ。確かに本作の映像は冷ややかで美しく、端正。特にロケ地の力にも助けられた風景の数々が素晴らしい。怖いくらいさびしい、荒涼とした海や浜辺なのだが、とても魅力がある。特に空の表情や、夜の海の木版画のような質感が印象に残った。

『激戦 ハート・オブ・ファイト』

 父親の会社が倒産して一文なしになった青年チー(エディ・ポン)は、チーは総合格闘技で金を稼ごうとし、ジムの雑用係で元ボクシング王者のファイ(ニック・チョン)にコーチ役を頼み込む。ファイは借金を抱え取り立て屋に追われていた。ファイが居候しているアパートの家主クワン(メイ・ティン)は、息子の死から立ち直れずにいた。監督はダンテ・ラム。
 3人の傷ついた男女が、自分の為、そして誰かの為に人生をもう一度取り戻そうと奮起する。その姿は不器用だが清々しい。特に、自堕落でやる気のなかったファイが、チーの為に、そしてクワンとのその娘の為にもう一度立ち上がろうとする様には胸が熱くなる。愚直にファイを慕うチーもかわいいし、気丈にクワンを支え続ける娘・シウタン(クリスタル・リー)とファイとのやりとりも微笑ましい。ど直球で、愚直に登場人物全員が一生懸命な作品だった。いわゆる「悪役」的なキャラクターは出てこない(借金を取り立てに来るヤクザくらい)。格闘技の対戦相手にしてもいけすかないところはあっても、戦い方が卑怯だとかいうことはなくて、まっとうに試合をする。チーやファイ、特にファイにとっての真の敵は過去の自分、自分自身なのかもしれない。
 好作ではあるのだが、特に前半が回りくどくて、特別長尺の作品ではないのにやたらと長く感じた。本作に限ったことではなく、ダンテ・ラム監督の作品はエピソードが1周余計というか、それいる?みたいな部分が結構あるように思う。私の好みに合わないというだけなんだろうけど、色々と盛りすぎで、そこまでサービスしてくれなくてもいいよ、と思ってしまう。チーとファイのいちゃいちゃ(笑)にしても狙い澄ましたように見せられてもな・・・。
 格闘技戦シーンが予想外に見応えあって、格闘技素人の私でも気分が盛り上がった。下手に派手派手しく見せるのではなく、いかにも実際の試合っぽい技のかけあい、双方がどういう狙いでそういう動きになっているのか、なんとなくわかるのがよかった。

『毛皮のヴィーナス』

 演出家のトマ(マチュー・アマルリック)はマゾッホの小説「毛皮を着たヴィーナス」を戯曲化、主演女優のオーディションをしていた。めぼしい女優がおらずうんざりしていた。時間に大幅に遅れてきた女優ワンダ(エマニュエル・セニエ)に押し切られ、嫌々彼女の演技を見ることに。しかしワンダの演技は彼を引きこんでいく。監督はロマン・ポランスキー。
 支配する側とされる側が、するりと入れ替わるが、なぜか予定調和のように見えてしまう。ワンダの振る舞いは、支配する側であれされる側であれ、そもそもはトマの欲望であり、ワンダが女優である以上それを反射していくのは当然、という部分があるからだろう。なので、「入れ替わり」による天地の逆転みたいなものはあまり感じないし、2者の関係が同じ力でせめぎ合うもの、またトマが言うように「美しい」精神的なものとは見えないのだ。
 ポランスキー監督も、そのあたりは十分承知なのだろう。ワンダは「毛皮を着たヴィーナス」を読んで、ただのSMポルノだと言い放ちトマを怒らせる。ポルノじゃない、芸術だと説明しようとするトマの言葉も説得力はなく、頑張れば頑張るほどせこく見えてしまう。これは演ずるアマルリックの持ち味もあるんだろうけど、所詮下心ありきですよ、という諦念のようにも見える。エンドロールで数々のヴィーナス像が登場するのも、そういうことではないだろうか。芸術をエロの言い訳にするな!やるなら堂々とやれ!というポランスキー監督の説教のような気も・・・いやそれは気のせいか。そもそもポランスキーって結構えげつないというか、下品な見せ方も平気でやっちゃうところがあると思うので、気取ったことやってんなよって気分なのかもしれない。
 エマニュエル・セニエはすごく美人だったりスタイルがよかったりするわけではないが、「役」を演じている間はすごくセクシーだったり知的だったりする。これが女優の醍醐味なんだろうな。

『ケープタウン』

 南アフリカの都市ケープタウンで、若い女性が殺された。事件を担当する刑事ブライアン(オーランド・ブルーム)とアリ(フォレスト・ウィテカー)、ダン(コンラッド・ケンプ)は、女性の体内からドラッグが検出され、殺された当日、彼女がドラッグの売人と会っていたことを突き止める。アリはその薬物が、多発している子供の失踪事件の現場で発見されたものと同じだと気づく。原作はフランスのクライムノベル『ZULU』、監督はジェローム・サル。脚本は『あるいは裏切りという名の犬』のジュリアン・ラプノー。
 日本ではオーランド・ブルーム主演ということくらいしか宣伝要素がなさそうだったが、地味ながらなかなか面白かった。製作はフランスで、ハリウッドのサスペンスとはちょっと雰囲気が違うところも面白い。フランスのサスペンス映画は、基本温度低目なのだがある一点で情念が濃くなることが多いように思う。本作でも、ベースは乾いているのだが、所々でねっとりとしたほの暗いものが感じられる。
 ほの暗さの元は、過去の記憶からくるところも大きいだろう。社会的な問題に強く言及する作品ではないのだが、アパルトヘイト撤廃後の社会の雰囲気が垣間見られる。アパルトヘイト時の為政者は処罰されたりしているのだが、恩赦があってあっさりシャバに戻ってきているし、しかもそれなりの地位を手に入れている。結局根っこの問題は変わっていないという部分もあって、これは反アパルトヘイト側としてはもどかしいんだろうなとわかるのだ。過去を糾弾し続けていては前に進めないが、過去を忘れることもできないというジレンマを、おそらく多くの人が抱えているのだろう。
 そのジレンマを体現しているのがアリだ。彼は理性的な良識派で、過去は過去、これからのことを考えようという立場。しかしそんな彼であっても、(これは人種問題とは別の理由によるものだが)あるきっかけで憎しみに駆られてしまう。元々人間には暴力への指向が備わっており、暴走させるにはスイッチを押すだけでいいのだとでもいうようだ。ドラッグ事件の真相との対比が皮肉に見える。
  しかし一方で、ブライアンは過去との折り合いをつけ、一歩踏み出す。ラスト、どこか所在なさげにたたずむ彼の姿が印象に残った。演じるオーランド・ブルームは王子様的な役柄が多かったが、本作では顔と刑事としての資質以外は結構ろくでもない(笑)男役で、これが意外とはまっている。ヨレヨレによごれた姿もなかなかいい。なお、ブライアンの別れた妻子に対する褒められたものではないのだが、信頼する同僚やその家族に対しては思いやりを示すし親身になる。彼にとって、妻子は「仲間」じゃないんだろうなぁ。こういう人は実際にいそうだなと思った。
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