3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』

今井むつみ、秋田喜美共著
 人間は言語がないと日常生活を送ることができない。人間社会を成立させるための必須アイテムである言語だが、そもそも言語はどのように発生し進化してきたのか。そして子供はどのように言葉を覚えるのか。言語の成り立ちと拡大を、オノマトペとアブダクション(仮説形成推論)を鍵として紐解いていく。
 本著、内容は専門的だが結構売れているらしく意外だった。言語に興味を持つ人が多いのはやはり生きていくことと切っても切れない(音声言語にしろ手話にしろどういう形状の言語を使うかは様々だが)からだろうか。特にオノマトペの特質についての解説は興味深い。どこの国の言語にもオノマトペはあるが、互換性は薄い。ただ、特定の音が特定のイメージを思い起こさせるという作用はある程度被るところがある。言語が体の動きと連動したものであるということなのだろうが、こういう所から言語はどのように発生するのか、オノマトペを言語と言えるのはなぜか、という内容に展開していく。言語研究というのはこういう風に進めていくものなのか、こういう実験を行うのかという、片鱗を見た感じで新鮮だった。特に6章、7章あたりは、おお…人間頭いいな!と妙に感心してしまう。推論ができるというのはすごいことなんだな。


ことばと思考 (岩波新書)
今井 むつみ
岩波書店
2010-10-21


『幻滅』

 19世紀前半のフランス。恐怖政治が終焉を迎え、その反動で宮廷貴族や裕福な商人たちが享楽的な生活を堪能していた。田舎の活版印刷所で働いていた青年リュシアン(バンジャマン・ポワザン)は、詩人としての成功を夢見て彼のパトロンだった男爵夫人ルイーズ(セシル・ドゥ・フランス)とパリへ駆け落ちするが、社交界で田舎者だと笑いものにされてしまう。金に困ってゴシップ新聞社の記者として働き始めた彼は、当初の目的を忘れて金と虚栄の為に記事を書き続ける。原作は19世紀のフランスの文豪であるオノレ・ド・バルザックの同名小説。監督はグザビエ・ジャノリ。
 原作は未読。19世紀パリを舞台にしているが、現代以上に新自由主義的というか、金と知名度が全てな世界。新聞に何を書くか、どの作品を賞賛しどの作品をこき下ろすのかは自分たち書き手に払われる金次第という、「報道の自由」=自由に稼ぐ、という意味になってしまっているのだ。そもそも最大手出版社の経営者であるドリア(ジェラール・ドパルデ)は文字が読めない。文字は読めなくても商才があれば、出版業でものし上がれるという奇妙な世界だ。更に文学に打ち込める・評価される作家には資産背景があるということも言及されており、表現の自由にも金が必要、生活の為に働かなくてすむ者のみが表現の自由を手にできるという世界でもある。リュシアンのライバルであり友人である人気作家のナタン(グザヴィエ・ドラン)はリュシアンに金の為の批評ではなく自分の表現としての文学をやれと言うのだが、そういうナタンは実家に資産があるらしい。一方、金を持たない表現者である女優達はパトロンが必要だ。パトロンを繋ぎ止める為に文字通り自分の身を削る。リュシアンは金に目がくらんで提灯持ちの批評を書き続けてしまうが、そもそもそれをやらないと生活が成り立たないのだ。そうやっているうちに、自分が本来やりたかったことを忘れ、自分が乗っかった資本のルールに足元をすくわれてしまう。
 上京物語として非常にオーソドックスで、今見ても古さを感じない。というよりも、古さを感じないように現代の映画として作られているということだろう。出演している俳優が豪華、また時代物として美術面が豪華で、フランスの文芸大作映画としてかなり力が入れられているという印象。オーソドックスな作品だがビジュアルの満足感がある。俳優も皆良かったが、特に俳優としてのグザヴィエ・ドランの良さを初めて実感した。こういう古典劇がはまる人とは思っていなかったので意外だった。

『ケイコ 目を澄ませて』

 生まれつき聴覚障害があり両耳とも聞こえないケイコ(岸井ゆきの)は、プロボクサーとしてリングに立ち続け、ホテルで働き生活費を稼いでいる。所属している小さなボクシングジムの会長(三浦友和)は、彼女を初心者からプロへ育て上げた恩師だ。ボクサーとしての人生に行き詰っているケイコはジムの大会届けを出そうかと迷っていた。そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知る。原作は元プロボクサー・小笠原恵子の自伝「負けないで!」。監督は三宅唱。
 ケイコがろうあ者であるという事情から、彼女のセリフはほぼない。また手話であっても自身の考えを発するシーンは多くはない。また聴者と手話で話すシーンには字幕がつくが、ろうあ者同士で手話で会話するシーンには字幕はつかない。映画を見ている側の視点(聴者と仮定されている)はケイコの側にはおかれておらず、映画を見ている側とケイコの間には距離がある。観客にとってケイコは他者であり、何を考えているのかわからないような見せ方になっている。だから、彼女が自分の言葉で綴ったものが語られるシーンではっとする。この人の中にはこういう気持ちが詰まっていたという、人としての輪郭、個々に至るまでの経緯がよりはっきり見えるのだ。彼女と世界との関わり方は決して器用ではないのだが、関わろうという意思、彼女独自の関わり方がある。
 ケイコはとても静かな人、かつ無駄に笑わない人だ。言葉を発さないとは嘘をつけないということでもある。彼女は正直なのだ。この愛想のなさがとてもよかった。彼女が静かである一方で、本作は環境音を少し大きめに調整している。音との対比でケイコの静かなたたずまいがまた際立っているのだ。また映像の質感がとてもいい。特に暗いシーン、夜のシーンの質感にグラデーション、奥行きがある。フィルム撮影だそうだが、このグラデーション、ざらっとしていてのっぺりとならない特徴はフィルムならではなのだろうか(撮影そのものが凄くうまいんだろうけど)。
 ケイコの母親が彼女に、ボクシングはもういいだろうと言うシーンがある。この一言で、親子の間に愛情はあるのだろうが深い関わりはない、母親は娘をよく理解していないということがわかる。ケイコと同居している弟の方が、生活面ではともすると頼りないのだが、彼女を理解しているし関わろうとしている。ケイコの聴覚障害については、彼女がそういう人であり、周囲もそういう人として自然に対応しているという描写だ。当事者が見るとちょっと違うのかもしれないし、主演俳優はろう俳優の方がいいという意見もあるだろうが、岸野の好演もありこれはこれで納得。他人と他人が関わり合う時の距離感、自分と異なる相手を尊重しつつ距離をとる(尊重することと親密になることとはイコールではない)姿の描き方が的確だったと思う。



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渡辺真起子
TCエンタテインメント
2019-05-10






『ゲアトルーズ』

 「奇跡の映画カール・セオドア・ドライヤーセレクション」にて鑑賞。弁護士の妻となり歌手を引退したゲアトルーズ(ニーナ・ペンス・ローゼ)は、夫との生活に不満を抱くようになり、若い作曲家エアランとの恋愛関係にある。ゲアトルーズは夫と別れることを決意する。そんな折、元恋人で著名な詩人ガブリエルの帰国祝賀会が開かれ、彼女はそこで歌を披露するが、卒倒してしまう。1964年の作品。
 ゲアトルーズという1人の女性の愛のあり方、人生の選択を様式美的な画面で描いている。並んで座って対話する2人の人間を正面から撮ったショットが頻発するが、並んで座っていても距離感を感じる会話内容だったりするところが面白い。ほぼ会話劇なのだが、その会話が必ずしもかみ合っているわけではないのだ。ゲアトルーズは夫、エアラン、ガブリエルと対話していくが、彼女の思いと彼らの思いは、愛し合っている同士でもずれがあり、彼女はそれを許容できない。特にエアランとのやりとりは、彼の若さゆえのあさはかさとゲアトルーズの覚悟のギャップを浮き彫りにするもので、ゲアトルーズの本気が痛々しい。彼女は愛について常に本気で、男性たちはそこについていけなくなるのだろう。夫からゲアトルーズの心が離れていく様と、彼女がガブリエルの元を去った様とは、具体的な背景は異なるが似通っている。ゲアトルーズの熱量と男性たちの熱量が一致しなくなった、そして男性たちはそれに無自覚なのだ。
 無自覚という面でいうと、ゲアトルーズは人生における自分の選択についてかなり自覚的だ。流されるということがなく、相手にも決断を迫る。彼女自身、運命論者だった父親とは異なると言及している。男性たちはそこまで自覚があるようには見えない。これは男性の方が人生の上での選択肢も選択する自由も多い、だからそこまで意識しなくてもいいということなのではないだろうか。当時、ゲアトルーズのような、力強いが時に不道徳にも見える女性像はかなりインパクトがあったのではないか
。しかしゲアトルーズが選んだ人生の終盤、現代の目から見ても勇気づけられるものがあるように思う。 

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アクセル・ストレヴュ
紀伊國屋書店
2020-05-29


『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』

 鬼に家族を殺された竈門炭治郎(花江夏樹)は鬼狩りとして生きる決意をし、修行に励む。短期間のうちに数十人の人々が行方不明になっている無限列車へ向かった炭治郎、禰豆子(鬼頭明里)、善逸(下野紘)、伊之助(松岡禎承)は「柱」の一人・煉獄(日野聡)と共に鬼挑む。原作は吾峠世晴の漫画、関東は外崎春雄。
 原作を通して読んでいる視聴者には問題ないのだろうが、TVシリーズの最終回から直接続くストーリー、かつ本作の続きはまたTVシリーズでという変則的な構成。これは果たして映画単体として成立しているのか?映画といっていいのか?という思いはぬぐえない。とはいえ、昨年一番ヒットした日本映画ということは、映画単体として成立してしまったということだろうなぁ…。映画の意味合い、位置づけが本作の成功によって大分変わった、というよりも既に変わってきたことを本作が大々的に証明したということかもしれない。TV放送、配信、映画館上映の差別化というものが、少なくともコンテンツの内容上は視聴者にとって均一にとらえられてきているのかなと思った。
 本作、作画は豪華でアクションはダイナミック(かなりすごいことをやっていると思う)。画面の奥行が過剰に深く華やかというイメージがUfotableの作品にはあるが、その特質が存分に活かされていると思う。とは言え、本作が「映画」として面白いのかというと、ちょっと微妙。シリーズ内のエピソードの抜粋という構成もなのだが、(原作は週刊誌連載でそこそこボリュームがあるし)ダイジェスト版を見ている感は否めない。すごくよくできたシリーズアニメのダイジェスト版をスクリーンで見ているという印象だった。また、台詞やモノローグ等言葉による説明が過剰という声が多々あるそうだが、確かに言葉での説明量が多い。ただ、個人的には見ている間は気にならなかった。本作は原作からしてそういう芸風だという了解の元で見ているというのも一因だが、本作を見ている時の意識が「映画」を見ている時のものとは違ったのではないかと思う。多分、実写映画で本作相当の説明台詞量だったら相当気になっていただろう。自分にとっての映画、アニメーション映画、アニメーションとは何なんだろうと意識させられる作品だった。


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大塚芳忠
アニプレックス
2019-07-31


 

『刑事マルティン・ベック』

 日本・スウェーデン外交関係樹立150周年「シュウェーデン映画への招待」にて鑑賞。ストックホルムの病院に入院中だった警部が、騎兵銃の銃剣でめった刺しにされ殺されるという事件が起きた。主任警視マルティン・ベック(カール=グスタヴ・リンドステット)率いるストックホルム警察殺人課の刑事たちは捜査を開始する。被害者には悪評があり、不適切な捜査や行動に対する訴状が幾通も出てきた。ベックたちは怨恨による犯行とみて捜査を続けるが。原作はマイ・シューヴァル&パール・ヴァールーの人気警察小説シリーズ7作目『唾棄すべき男』。監督・脚本はボー・ヴィーデルベリ。1976年の作品。
 70年代の雰囲気が濃厚で、ざらついた渋い刑事ドラマ。前半は地道な捜査が続くのだが、後半で急に派手な見せ場が出てくるし、クライマックスでは群衆にヘリコプターや消防車まで動員した一大ロケが見られる。刑事もの好きにはお勧めしたい。ベックにしろその部下たちにしろ、いわゆる二枚目ではないが、皆味のあるいい顔つきで個性豊か。“キャラ”として完成された個性豊かさではなく、こういう人いそうだなという、人間の雑味が感じられる造形だ。
 ベックが最初「つまらない奴」と称する刑事が、確かに地味だが地道な書類チェックを厭わず着眼点も鋭い(が、それをことさら言い立てない)優秀さを垣間見せる、その優秀さをベックもわかっているというあたりがいい。また、色男風(美形ではないがモテそう)がいたり、一匹狼風なとんがった奴がいたりと、群像劇的な良さがある。ベックが決して愉快な人物というわけではないあたりもいい。妻とは家庭内別居っぽい(ベックは居間のソファーで寝ている)し、ハンサムでもスタイルがいいわけでもない。しかし存在感がある。演じるリンドステットは元々コメディ俳優だそうだが、本作では非常に真面目な演技を見せておりはまり役ではないかと思う。
 シリアスで時間との勝負という要素も出てくるサスペンス展開なのだが、ちょこちょこユーモラスな部分もある。これが狙ったユーモラスさなのか、思わぬところでそうなってしまったのかよくわからない所も面白い。終盤のベックの状況は大変深刻なんだけど、その扱われ方がどこか吹き出してしまいそうなもの。また、対象監視中におばあちゃんがやたらと話しかけてきてお茶やらクッキー(北欧土産でよく見かけるやつだった・・・やっぱり定番なのか)やら出してくるのとかは、明らかに狙っていると思うが。

刑事マルティン・ベック 笑う警官 (角川文庫)
マイ・シューヴァル
角川書店
2013-09-25


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カルル・グスタフ・リンドステット
オルスタックソフト販売
2011-04-28


『幻土』

 第19回東京フィルメックスで鑑賞。シンガポールで建設現場の作業員をしている中国系移民のワンは、不眠に悩んでいた。ある日、移民仲間の友人が失踪する。現場監督は彼は国に帰ったんだと言うが、ワンは不審に思う。一方、地元の刑事がワンを探しに来る。ワンは何日も宿舎に戻っていなかった。監督はヨー・ショウホァ。ロカルノ映画祭で金豹賞を受賞した作品。
 監督はシンガポールで生まれ育ったそうだが、上映終了後のティーチインでシンガポールは夢のような国だと話していた。経済的に急速に発展し、都市の整備が整い富裕層が集まる、と言った「夢のような」ではなく、足元がおぼつかないという意味での夢。シンガポールは海岸の埋め立てによって国土を広げ、都市の風景の変化も激しい為、何だか地に足の着いた気がしない時があると言うのだ。そういう意味での幻の土地、幻土だと。
 作中でもワンが車を運転しながら「ここは~、ここは~」と、どこの国から来た砂で埋め立てられた場所なのか話すシーンがある。シンガポールにいながら他の国の土地にいるとも言える。建築現場で働く人々は殆どが移民、海外からの出稼ぎ民で、祖国ではないこの土地で生活している。しかしその生活も工事が終わるまでのもので、土地に根差したものではない。土地に根差して生活しているという実感のない不確かさが常にある。先日見た『クレイジー・リッチ』はシンガポールの超富裕層の世界が舞台だったが、あの世界を支える底辺が本作に登場するような世界なのか・・・。ワンが熱中するネットゲームもまた、実体がない不確かなものの象徴として登場するのだろうが、これは少々紋切型すぎると思う。他の国の土砂で新しく土地を作るというシチュエーションだけで十分では。
 ワンと刑事は一つの現象の裏表であるように見えてくる。2人が対面する瞬間はカメラには捉えられないし、刑事が追っているのは幻の男であるようにも思えてくるのだ。アントニオ・タブッキの小説でアラン・コルノー監督により映画化もされた『インド夜想曲』を思い出した。どこかリンクしているようでいて平行線のままのようでもある。この部分の調整はいまひとつという印象を受けた。社会派的なリアリズムと幻想との配分バランスがしっくりこない。

インド夜想曲 [DVD]
ジャン=ユーグ・アングラー
ジェネオン・ユニバーサル
2012-05-09



世界 [DVD]
チャオ・タオ
バンダイビジュアル
2006-07-28


『検察側の罪人』

 金貸しをしていた夫婦が殺され、東京地検刑事部の検事・最上(木村拓哉)と新人検事の沖野(二宮和也)が事件を手掛けることになった。既に時効となった少女殺人事件の容疑者だった松倉(酒向芳)に疑いがかかるが決め手がない。沖のは徐々に、最上が松倉を真犯人に仕立てようとしているのではと疑い始める。原作は雫井脩介の同名小説。監督は原田眞人。
 映画のビジュアルや演出も、役者の演技も妙にくどい。二宮はしばしば見せる句点の置き方が不思議なせりふ回しが強化されており、木村はやたらと演技がかっている。最上に協力する闇ブローカー諏訪部(松重豊)は立ち居振る舞いが漫画みたいなデフォルメ度だし、容疑者・松倉は色々と奇矯すぎる。前景にいる登場人物はくっきりすぎるほど濃く、くどく、背景の登場人物は色が薄くナチュラルという描き分けがされているように思った。あえてのくどさなのだろうが、少々上滑りしているように思った。最上の新人研修教官としての立ち居振る舞いや、友人と同じ誕生日の有名人の名前を挙げていくシーンは、やり過ぎ感極まって、見ていて笑いそうになる。まあそのくどさも本作の持ち味だろう。
 本作、前半は割と普通のミステリ映画だと思うのだが、後半、最上が独自に動き始めるにつれて、どんどん奇妙なねじれを見せていく。後半の最上の行動は穴だらけでミステリ要素はどんどん薄まる。更に、最上の祖父は太平洋戦争中のインパール作戦の生き残りで、諏訪部はその手記に興味を持っている設定なのだが、このインパール作戦の記憶が他の部分とそぐわず浮いている。おそらく原作にはなかった要素だと思う。最上の親友・丹野(平岳大)が巻き込まれたスキャンダルの背後にあるもの、そして最上自身もその最中にいる組織、システムの病巣と根を同じくするものとして取り入れられているのだろうが、無理矢理感が強い。監督の熱意はわかるが、この作品でそれをやる必要があったのかは疑問。そしてラストショットがダサすぎて震えた。叫ぶやつ、もうやめませんか・・・。

検察側の罪人 上 (文春文庫)
雫井 脩介
文藝春秋
2017-02-10


検察側の証人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14


『ゲティ家の身代金』

 石油王として富豪となった実業家ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の17歳の孫ポールが誘拐された。母親ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)の元に1700万ドルの身代金を要求する電話がかかってくるが、ゲティの息子と既に離婚しているゲイルにはそこまでの財力はない。しかしゲティは支払を拒否する。監督はリドリー・スコット。
 リドリー・スコットは自分の趣味に走らずに、職人に徹した方が(私にとっては)見やすい作品撮るんじゃないかなー。もうエイリアンシリーズはいいから本作みたいな邪念の表面化してないやつをお願いします・・・。スピーディな展開で、段取の良い映画という印象を受けた。作中で起きている事件は決して段取のいいものではないという対比が(ストーリー上の対比ってわけじゃないけど)妙に面白かった。事件の段取の悪さが犯人グループによるものではなく、ほぼイタリア警察(憲兵隊)の初動捜査のまずさ、見込みの甘さから生じるものだというのが、脱力感を煽るし逆に生々しい。焼死体の確認など、いくらなんでもそれはないだろう!と思ったけど、実話が元になっている話だそうだから、本当なのかな・・・。だとしたら、そりゃあゲイルも、交渉人のチェイス(マーク・ウォールバーグ)も怒るだろう。
 本作、画面の色合いをかなり調整している。舞台と、どの人が中心のパートかで色合いが違うので、話の展開が速くてあっちに行ったりこっちに行ったり(実際、物理的な移動の多い話だ)してもわかりやすい。誘拐犯たちのパートが一番温かみのある明るい色調だというのが(屋外シーンが多いからなのだろうが)皮肉だ。対してゲティの屋敷内は、ぎりぎりまで彩度を抑えたモノクロに近いような色調で、冷ややか。ゲティの不可思議な人となりを感じさせる。それぞれの行動の指針に関しても、犯人側の方が単純明快でビジネス的。ゲティのものは、おそらく彼の中では明確な基準があるのだろうが、他人には不可解なのだ。

ゲティ家の身代金 (ハーパーBOOKS)
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ハーパーコリンズ・ ジャパン
2018-05-17


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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2018-07-04




『犬猿』

 印刷会社の営業職をしている金山和成(窪田正孝)は粗暴でトラブルメーカーの兄・卓司(新井浩文)にうんざりしつつも恐れていた。和成の取引先である印刷工場の二代目社長・幾野由利亜(江上敬子)は、和成に密かに思いを寄せていた。由利亜の妹・真子(筧美和子)は印刷工場を手伝いながら女優を目指している。仲の悪い2組の兄弟姉妹は、やがて感情を爆発させていく。監督・脚本は吉田恵輔。
 兄弟姉妹に起こりがちな気まずさ、険悪さに満ちている。兄弟姉妹のいる人なら、どこかしらあるある!と頷く部分があるのではないか。いやーな気分にさせる要素に関して、細かい部分まで目が行き届いておりいちいちいやさを感じさせる。他人に対してこういう種類のいやさはあまり感じないだろう。縁を切れないからいやさが募るのだ。
 彼らが抱える、兄弟姉妹への屈託・コンプレックスの描き方、そしてその原因となっている兄弟姉妹の描き方は、若干戯画的である種の型に沿ったものとも言える。しかしだからこそ「あるある」感に直結している。「出来のいいお嬢さん」ではあるが容姿に恵まれなかった由利亜の、容姿に恵まれ愛され上手な妹へのコンプレックスはそりゃあそうだろうなと言うもの。が、真子にとっては姉は有能で何でも自分より出来る(英会話のくだりがきつい)、少なくとも家業では必要とされる存在で、自分の取り柄は「かわいい」だけ、しかもその「かわいい」も中途半端なものなのだ。この姉妹は、お互いにもうちょっと違う接し方をしていたらこんなに関係悪化しなかったんじゃないかという部分が見え隠れして、いちいち「ちょっと言い方ー!」と突っ込みたくなりいたたまれなかった。
 対する金山兄弟は、卓司の暴力性があからさまで、それに対する恐怖が刷り込まれた和成は逆らえない。これは男兄弟特有の上下関係なのかな。とは言え和成は和成で兄の暴力を影でそれとなく利用したり、嫉妬しつつも言い訳がましく馬鹿にしたりと、恐怖一辺倒ではない。和成を演じた窪田は最近の出演作の中では最も好演だったのでは、目の不穏さが際立っている。一方、実家に高額なプレゼントをした卓司が、結局和成の安価なプレゼントの方が長年愛用されている様を見てキレるのだが、これって末っ子あるあるだわ!と。一見卓司が圧倒的強者に見えるが、対両親についてはそうでもないわけだ。
 終盤、沸点部分が長すぎな気がした。エモーショナルな音楽とか流されると逆に冷める。その後の「穏やかに見えるけど実は」的な不穏な気配は、兄弟姉妹ってそういうものだろうなとは思う。所で本作の兄弟姉妹、子供時代は仲が良かったという設定なのだが、仲悪い兄弟姉妹って大概子供時代から仲悪いんじゃないかな?むしろ子供時代は仲悪かったけど、大人になったら(大人として話し合えるようになるので)関係改善されたってパターンの方が多い気がするのだが。




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