3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『クロール 狂暴領域』

 試写会で鑑賞。大学競泳選手のヘイリー(カヤ・スコデラリオ)は、実家のあるフロリダに巨大ハリケーンが近づいており、父親と連絡が取れなくなっていると知る。売り出し中のかつての実家に訪れると、地下室で重傷を負い気絶している父を見つける。助けようとするが、彼女も何者かによって地下室の奥に引きずり込まれて足に重傷を負ってしまう。監督はアレクサンドル・アジャ。
 製作サム・ライミという安心感…。私はホラーやパニック映画の類はあまり好きではないのだが、本作は楽しく見られた(懐が痛まなかったというのもありますが…)。空き家の地下室に閉じ込められ、ハリケーンが近づいてくるので周囲に人はいなくなるし、洪水が起きて浸水してくるのは必須、さらにワニまで襲ってくる!というなかなかの盛りの良さなのだが、むしろストイックに見える。観客をハラハラドキドキさせびくっとさせるためのイベントの組み立て、舞台設定、仕掛けの入れ方が機能的で、システマティックな印象を受けた。とても機能的な映画だと思う。こうすれば行動範囲が狭まる、この方向に行かざるを得ない、等の条件の付け方が的確。
 ワニたちは大活躍するのだが、意外とスプラッタ要素は少なかった。ワニは怖いが、それよりも怖いのがハリケーンとそれに伴う洪水。ワニは何とか避けられても風と水は避けられない!正直、ワニに食い散らかされるよりも溺れ死ぬ、ないしは漂流物に激突する恐怖の方が生々しくて怖いんだよね…。
 ワニ&洪水と戦う一方で、疎遠だった娘と父親が関係を築きなおすというサイドストーリーがきいている。王道、ベタだがそれがいい。子供時代の体験、父親の言葉がここぞというところでリフレインされる。父娘の生き延びるためのガッツと崩れないファイティングポーズが熱く、爽快。

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エリザベス・シュー
ポニーキャニオン
2016-02-17


ワニの町へ来たスパイ (創元推理文庫)
ジャナ・デリオン
東京創元社
2017-12-11


 

『グッド・ヴァイブレーションズ』

 1970年代、紛争の真っ只中にある北アイルランドではツアーにやってくるミュージシャンは激減し、ナイトクラブにも人は来なくなっていた。そんな中DJを続けるテリー・フーリー(リチャード・ドーマー)は、ベルファストにレコード店「GOOD VIBRATIONS」を開店する。ある日チラシを持ち込んできた若者に興味を持ったテリーは、興味本位で地元のライブハウスを覗く。そこで演奏していたパンクロックとそれによって団結し世の中に抵抗す若者たちに心打たれたテリーは、自ら音楽レーベルを立ち上げ彼らのレコードをリリースする。テリーの元には様々なバンドが集うようになるが。監督はリサ・バロス・ディーサ&グレン・レイバーン。実話を元にしたストーリー。クライマックスとなる2つのライブシーンに「いいライブ」感が満ち満ちておりちょっと泣いた。
 70年代~80年代初頭のアイルランドなのでIRAによるテロが続発しており、テリーのかつての友人たちも主義主張により袂を分かっていく。テリーは共産主義者や起業家や芸術家、様々な人たちがカソリックかプロテスタントかに二分されてしまったとぼやく。中立は許されず、どちらにも属さないテリー自身もかつての仲間に狙われ始めるのだ。そんな中、ベルファストでレコード店を開くという計画はかなり能天気に思えただろう。カソリックもプロテスタントも関係ない、ロックへの愛は境界を越え生きる希望になるのだという彼の生き方に、目を覚ませという人もいる。しかしテリーは無鉄砲とも言える行動力と楽天性でどんどん実現していく。一緒にいる人は経済的にも精神的にもかなり大変そうだけど、彼みたいな人が世の中を変えていくのかもしれないなと思った。
 レコード店立ち上げの時にカソリック派とプロテスタント派を集めたときのやりとりや、バンドのツアー中に「カソリックとプロテスタントがつるんでいるのか」と警官に驚かれる様は、彼の理想が現実になった瞬間だろう。それはすぐにとん挫するかもしれないが、そしたらまたやり直せばいいのだ。エンドロール前のテロップで実在のテリーのその後が説明されるが、「やりなおせばいい」精神が一貫していて笑っちゃうくらい。なかなかここまでできないよな。負けつつ勝つ、みたいな生き方だ。
 とは言え、テリーが目の前の責任や現実から逃げがちな人だというのも、金策や妻子との関係に如実に表れている。ここは決して褒められたものではない。面白いもの、すごいものの方に夢中でそれ以外には目がいかない。彼はパンクキッズらの信頼を得るが、彼自身も子供だったからだろう。もうちょっと立ち回りや周囲への目配りが「ちゃんとした大人」だったらレーベルもショップも長持ちしたかもしれないけど、パンクキッズらの信頼を得られていたかはわからない。




『グリーンブック』

 1962年。ニューヨークの高級クラブで用心棒をしているトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、南部でコンサートツアーを計画している黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手兼雑用係として雇われる。黒人差別が根深い南部でのツアーは危険をはらんでいた。性格も背景も全く違う2人は衝突を繰り返していく。監督はピーター・ファレリー。
 凸凹ロードムービーのようで楽しく愉快。しかし、そんなに楽しくていいのか?という気もする。人種差別を描いているから楽しかったらダメということではなく、差別されない側、安全圏から描いた話だなという印象が否めないからだ。
 本作はあくまで白人男性であるトニー中心の話で(実話が元で、脚本には実在したトニー・リップの息子が関わっているそうだ)、彼が深く傷つくことはない。黒人であるドクターが置かれている状況がどのようなものなのか、どんな覚悟でディープサウスへ向かったのかは、おそらくトニーにはぴんときていない。トニーはドクターから黒人に対する偏見を指摘され、「イタリア人が皆スパゲティ好きだと思われていても俺は気にしない」と言う。この「自分は気にしない」「私はそういう思いをしたことはない」という言説、差別や偏見の存在を否定する時によくつかわれるけど、そういう問題じゃないんだよなと毎回思う。個人的な体験を一般化できる問題ではないだろう。
 イタリア系であるトニーもまた、白人社会の中では低く見られる存在だ。作中でも「半分ニガーだろ」と中傷される。ただ、それに対してトニーが「俺もニガーだ、むしろ俺がニガーだ」と言うのは違うだろう。白人男性である彼が受ける差別と、黒人が受ける差別とは全然緊迫度が違う。少なくとも、車から降りて外を歩くだけで異様な緊張感がただようなんてことはないだろう。
 ドクターは黒人だが、ロシアで英才教育を受けたインテリであり、アメリカの黒人社会では全く異質で住む世界が違う。しかし同じように教育を受けた白人から見ると「ニガー」扱いだ。どこにも居場所がないのだ。彼が学んだのはクラシック音楽だが、クラシックの世界にも黒人の居場所はない。黒人に期待されるミュージシャン像は、彼の音楽に即したものではないのだ。トニーは「ショパンは誰でも弾ける」と言うが、そういう問題じゃないんだよね・・・。「私が弾くショパンは私だ」というドクターの言葉の方が正しい。終盤のバーでの演奏はそういう意味でひっかかった。ジャズナンバーで終わっちゃだめだろう。それは彼の音楽ではないのに。

ふたりにクギづけ〈特別編〉 [DVD]
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2005-10-28






地下鉄道
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早川書房
2017-12-06

『クリード 炎の宿敵』

 チャンピオンになったアドニス・クリード(マイケル・B・ジョーダン)の次の対戦相手は、ヴィクター・ドラゴ。彼はドニスの父アポロを死に追いやった、ドラゴ(ドルフ・ラングレン)の息子だった。因縁の対決に挑むアドニスだが、ロッキー(シルベスター・スタローン)は対戦に反対していた。監督はスティーブン・ケイブル・Jr。
 スタローン本人が脚本に参加しているそうだが、ちょっとした会話、やりとりの作り方が結構上手くて、本当に多才な人なんだなと実感。特にビアンカの妊娠がわかった時の、アドニスとビアンカ(テッサ・トンプソン)の振る舞いは、実際はこういう感じだよな、いきなり喜んだりはしないよなというリアリティがあった。自身の人生も軌道に乗ってきたばかりという2人が、果たして自分たちは親としてやっていけるのか、この先どうなるのかという不安感の方が先に立っており、等身大の若者という感じがあった。また、生まれた子供がある検査を受ける顛末も、その結果の出し方、それに対するロッキーの言葉は、ロッキーの人としてのまともさ、ひいてはスタローンのまともさが投影されたものではないかと思う。スタローン、ちゃんとした人だったんだな・・・。
 ロッキーとアドニスは疑似的な親子だが、今回は2人が別の方向を向いてしまう。2人がまた同じ方向を向いて戦い始めるのと合わせて、アドニスが自身も父親としてスタートを切るのだ。またロッキーはロッキーで、実の息子との関係がずっと棚上げになっている。本来はこの実の父子関係をどうにかしないとならないわけだ。ロッキーもまた、父親として問題と向き合うタイミングに来ている。彼にとっても「そして、父になる」話しなのだ。
一方、負の父性を背負っているのがドラゴだ。彼は息子を復讐の道具として育て上げている。そこに、息子であるヴィクターが何を求めているのかという要素はない。セリフ量は少ないが、ヴィクターは父親にしろ母親にしろ、「親」とのつながり、子供として親に愛される、必要とされることを望んでいるのだが、それは得られない。だから会食の場で深く傷つくのだ。ラングレンの風貌の作り込みも相まって、ドラゴ親子が辛酸なめてきた感が強く滲むだけに、求めるものを得られないヴィクターの姿が痛々しい。父子関係が何重にも反復される。
 とは言え、全体的なトーンはスポ根少年漫画的で熱い。特に「特訓」シーンが前作以上に「特訓」感があるのにはちょっと笑ってしまった。それ本当に効果あるの?って気もしちゃう。この部分だけ漫画度が高くなっている気がした。それはそれで楽しいのだが。

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ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
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『来る』

 香奈(黒木華)と結婚し幸せな新婚生活を送る田原秀樹(妻夫木聡)の会社に、「知紗さんのことで」と伝言を残した来客がいた。取り次いだ後輩社員はその来客の顔も名前も思い出せず、突然出血し倒れる。知紗とは香奈が妊娠している子供に付けるつもりの名前だった。2年後、秀樹の周辺で奇妙な出来事が起こり始め、身の危険を感じるようになる。友人の民俗学者・津田(青木崇高)からオカルト専門フリーライターの野崎(岡田准一)とその知人で霊能力のある比嘉真琴(小松菜奈)を紹介してもらう。原作は澤村伊智の小説『ぼきわんが、来る』、監督は中島哲也。
 中島監督作品は大概シネフィルに嫌われがちだが、今回は特にキッチュなビジアル、かつぎゅうぎゅうに要素を詰め込み盛りが良すぎるくらい。音楽も多用すぎるくらい多用しており見た目も音も余白がない。野暮と言えば野暮だしMVにしか見えない部分もある。しかしエンターテイメントとしては予想外に楽しかった。予告編ではあまり期待していなかったのだが、テンポがよく飽きさせない。
 序盤、秀樹が香奈を実家の法事に同行する、そして2人の結婚式、新居でのホームパーティという流れがあるのだが、自分内の「あっこれ耐えられない」メーターの針がすごい勢いで振り切っており、今年一番の映画内不愉快シチュエーションだった。映画の登場人物にこんなに殺意を感じたのは初めて。もちろんこの不愉快さは監督や俳優の意図したもので、そういう意味では非常にすぐれた作品だろう。本作のキモは何かが追ってくるという所にはなく、そのへんにいそうな人たちの気持ち悪さ、不愉快さにあると思う。
 秀樹はルックスはいいし愛想もいいし、ぱっと見友人が多くて人望もあって、という万事うまくいってそうな人なのだが、実は薄っぺらくパフォーマンスのみで中身を伴わない。法事の席でよそ者として不安を抱える香奈への配慮が全くなく、適当に大丈夫大丈夫という姿(香奈の膝をぱしぱし叩く動作がむかつく!あれやられると本当にイラっとするんだよなー!)には無神経さ・思いやりのなさ(というか的外れさ)がもろに出ている。また結婚式やホームパーティーでのこれみよがしなはしゃぎっぷりと、それに白けつつ表面上は同調する友人たちの姿は、正に地獄絵図。絶対にこの場に交じりたくないと思わせる見事な演出だった。
 キャスティングが手堅く、妻夫木のクズ演技は最早鉄板。見事だった。また、柴田理恵や伊集院光など、本業が役者でない人の使い方が上手く、いいアクセントになっている。特に柴田理恵は柴田理恵史上最高にかっこいい柴田理恵だった。そして松たか子の面白そうなら何でもやりますよというスタンスに感銘を受けた。だってキャリア的には全然やらなくていい仕事だもんなこれ・・・。



 

『くるみ割り人形と秘密の王国』

 母親を亡くした少女クララ(マッケンジー・フォイ)は家族と共に、名付け親であるドロッセルマイヤー(モーガン・フリーマン)のクリスマスパーティーに招かれる。プレゼント探しをするうち、クララは不思議な世界に迷い込む。その王国は「花の国」、「雪の国」、「お菓子の国」、そして「第4の国」から成り各国を摂政が治めていた。クララはプリンセスと呼ばれ戸惑うが、王国内の紛争に巻き込まれていく。チャイコフスキーのバレエが有名な「くるみ割り人形」が原作で、チャイコフスキーの組曲も当然使われている。監督はラッセ・ハルストレム&ジョー・ジョンストン。
 ロンドンでのクララの家や洋服も、ドロッセルマイヤーの屋敷も、王国の情景も美しく可愛らしいのだが、それしかない。ファンタジーとしての世界のふくらみや奥行、厚みみたいなものが全く感じられなかった。『くるみ割り人形』の楽しさって、作中に出てくる国を順番に旅していく、それぞれの国の風景や文化を楽しむという側面にもあると思うのだが、本作では王国の王宮と第4の国との行き来が殆どで、他の国の情景は申し訳程度にしか(本当に1シーンくらいしかなかったと思う)出てこない。せっかく複数の国があるんだからどんな風土なのか見て見たかったのに・・・。ガジェットが色々と華やかだし凝ってはいるのだが、装置の為の装置という印象が強くて、物語世界に溶け込んでいない印象を受けた。ぜんまい出せばいいってものじゃないんだぞ!また、大がかりな装置も色々出てくるのだが、どういう仕組みで動いているのか、何の為の装置か、見ていても今一つイメージが沸いてこない(序盤でクララが修理するドロッセルマイヤーの白鳥の玩具とか、その修理の仕方でいいの?って思うし)。作り手がそういう設定は考えずに漫然と動かしているように思った。
 くるみ割り人形の存在感が薄い、というか指摘されないと彼がくるみ割り人形だと気付かない。クララではなく弟がクリスマスプレゼントにもらったということになっておりそもそも玩具の状態でもあまり出てこないし、これ題名「くるみ割り人形」を付けなくてもよかったのでは?中心になるのはクララとお菓子の国の摂政であるシュガー・プラム(キーラ・ナイトレイ)だ。シュガー・プラムは母を亡くしたクララの分身とも言えるが、ここがもうちょっと響いてくればなと残念。母親を亡くしているというシチュエーションをあまり上手く処理できていないように思った。
 なお、アクション要素もあるのだが見せ方が概ねもたついており、監督はこういうの不得手なのかなと思った。ブリキの兵隊との戦いのリズムの悪さにいらついてしまった。


『クレイジー・リッチ!』

 若くして経済学の教授となり、ニューヨークで働くレイチェル(コンスタンス・ウー)。恋人ニック(ヘンリー・ゴールディング)が親友の結婚式に出席するのに伴われ、初めて彼の故郷であるシンガポールにやってきた。初めてニックの家族に会うのでレイチェルは緊張していたが、彼はシンガポールの不動産王である名家の一人息子だと明かされる。ニックの母エレノア(ミシェル・ヨー)を始め親族、そして独身の富豪であるニックを狙う社交界の女性達から、レイチェルは敵視されてしまう。監督はジョン・M・チュウ。
 レイチェルは母親が中国からアメリカに移住してきた中国系移民2世。一方、ニックとその一族は何代も前に中国からシンガポールに移住して土地を切り開き財を成した華僑一族。同じ移民ではあるが、エレノアたちにしてみるとレイチェルは大幅に「格下」なのだ。また、同じ中国系移民ではあるが、レイチェルは友人に「バナナ(皮は黄色いが中身は白い)」と言われるようにアイデンティティはアメリカ人で、中国語もさほど出来ない。中国の伝統を受け継いできたエレノアたちにとってはそこもまた気に入らないところだ。嫁姑合戦というよりも、異文化間の不調和なのだ。レイチェルは聡明でやりがいのある仕事をしている、自立した人物だが、そういった特質はエレノアたちの文化圏では必ずしもプラスではない。
 とは言え、レイチェルは持ち前のガッツで事態を打開していこうとする。彼女がちゃんと話し合う人、自分の生き方を弁えている人であるという所が清々しい。エレノアも単に怖い姑ではなく、彼女には彼女の責任と苦悩があってこその行動だとわかる。女性達のキャラクターがしっかり立ち上がっていた。一方、彼女らに比べるとニックはちょっと頼りない。ラストにも不満が残った。この先どうなるのかというところが濁されているが、2人が「どうする」のかが見たかった。「俺たちの闘いはこれからだ!」エンドっぽく見えてしまった。
 本作、アメリカでは大ヒットしたそうだが、アジア系移民が多数いるアメリカで作られ、上映したからこそわかる面白さなのではないかと思う。日本で見ると、そういった背景が抜け落ちてしまうのではないか。正直、ストーリー単体は古今東西よくある話で、そんなに独自性があるわけではないので、映画が置かれた状況を知らないと何でそんなにヒットしたの?と不思議に思うのでは。

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『クワイエット・プレイス』

 音に反応して人間を襲う存在によって、人類は滅亡の危機に瀕していた。エヴリン(エミリー・ブラント)とリー(ジョン・クラシンスキー)夫婦、娘のリーガン(ミリセント・シモンズ)と息子のマーカス(ノア・ジュプ)は音を立ててはいけないというルールを徹底し、森に囲まれた農園でひっそりと生き延びていた。リーガンに聴覚障害がある為に元々手話でコミュニケーションを取っていたのだ。しかし彼らにも危機が迫る。監督はジョン・クラシンスキー。
 「音を立ててはいけない」というワンアイディアを膨らませたスリラーだが、勢いがありとても面白かった。冷静に考えるとどのくらいの音量ならアウトなのか、敵の聴覚はどのくらいの精度なのかという設定が結構曖昧なのだが、勢いよく話を転がしていくので見ている間はそれほど気にならない。伏線の提示が非常に分かりやすく、話を転がす為の設定がやや鼻につく(裸足でいるところとか)のだが、あざというというよりも不器用故に伏線の敷き方が目立ってしまうという感じだった。「音を立ててはいけない」という一点突破で、下手に話を広げすぎなかったところも勝因だろう。
 音を立てたら死ぬという状況下で子供を産もうというのが本作の設定で一番どうかしている所だと思うのだが、サスペンスの舞台装置としてはスリリングだしこの先どうするの?!という予想のつかなさもある。これに限らずラストに至るまで、全ての設定をスリラーの装置として機能させようという作品に想えた。そこが鼻につくと言えば鼻につくかもしれないが、手堅いし上手い。
 両親が子供にかける思い、子供の親兄弟に対する思いが深くしっかりと描かれているので、設定が単なる装置で終わらず、登場人物たちのキャラクターが浮かび上がっている。リーとリーガンのすれ違いは、聴こえる/聴こえないという立場の違いが生んだものでもあるが、過去のある事件に対する双方の後悔のすれ違いが生んだものでもある。親は子供にはとにかく生き延びてほしい、安全でいてほしくて色々やるわけだが、子供にはそのへんがいまひとつ伝わらないのだ。リーガン役のシモンズは『ワンダーストラック』(トッド・ヘインズ監督)でも好演だったが、今回も良い。親子の描き方がしっかりとしているので、安っぽいドラマには見えなかった。
 なお、撮影がなぜかとても良くて、秋の光が美しい。森の情景がいい!光の加減でちゃんと季節がわかる。

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『クレアのカメラ』

 映画会社で働くマニ(キム・ミニ)はカンヌ国際映画祭への出張中、上司のナム社長(チョン・ジニョン)から突然解雇を言い渡される。帰国を考えたものの航空券の交換ができず、カンヌを観光するうち、パリから来た女性クレア(イザベル・ユペール)と知り合う。ポラロイドカメラあちこち撮影しているクレアは、偶然ナム社長と、同行していたソ監督(チョン・ジニョン)の姿も捉えていた。監督・脚本はホン・サンス。
 時系列はバラバラに組み立てられており、1つの人生のようでもあるし、平行世界に複数いるマニの人生のようでもある。断片的なシーンがこまかく繋がっていくのでうっかりスルーしそうになったけど、よく見ていると季節がいつのまにか真夏から冬に変わっている。夏に出会ったクレアと冬になっても一緒にいるけど、これは2人が友人付き合いするようになったということなのか、夏の2人と冬の2人は別ものなのか。私は前者だといいなと思ったけど、どうとでもとれる微妙な見せ方だ。ラストもいつ、どこへ向けた作業なのか、明言はされない。余白が大きくて色々と想像を掻き立てられる。マニが「正直ではない」と評されるのも、一見こういう話に見えるけど実はこんな話だったかも、でもどちらでもないかもというあやふやさと呼応しているように思う。
 余白の大きさは、マニとクレアがそれぞれの母国語ではない、英語で会話をしていることからも生まれる。2人は英語を話せるがネイティブ並というわけではなく、わりとぎこちない。使える言語表現が限られ、細かいニュアンスがお互い伝わらない。言葉にされない部分が大きいのだ。
イザベル・ユペールはフランス人だが、本作中では不思議なことにマニよりも異邦人ぽく見える。彼女が演じるクレアという女性は正体不明感があり、非日常を感じさせる。彼女の媒介によって、マニも人生の新たな局面に向かっていくように思えた。
 ホン・サンス作品では混ざりたくない酒の席がしばしば出てくるが、本作ではソン監督が泥酔し、かなりみっともない振る舞いをする。彼が(その時はそれほどお酒は入っていないが)マニにする説教は、年長男性が若年女性にしがちな的外れ説教のテンプレ的なもので、大変イライラする。何を着るとかどんなメイクをするとか、貴様に関係ないわ!ホン・サンス作品に出てくる映画監督は本当に人としてはろくでもないなー。マニが何も言い返さないので見ている側としてはイライラが更に募るのだが、彼女が傷ついて嫌な思いをしているのは明らかにわかる。ホン・サンス、自戒を込めてのシーンなんだろうか・・・。

3人のアンヌ [DVD]
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2014-02-22


自由が丘で [DVD]
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KADOKAWA / 角川書店
2015-07-24


『グレイテスト・ショーマン』

貧しい仕立て屋の息子として生まれたP・T・バーナムは、名家の令嬢チャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)と駆け落ち同然の結婚をし、2人の娘に恵まれる。しかし仕事先は倒産、「珍しいもの」を集めた博物館を開設するも客は来ず、窮地に追い込まれる。そんな中バーナムは、「特徴」を持った人たちを集めショーを開くことを思いつく。ショーは大成功しバーナムは一躍金持ちになるが。監督はマイケル・グレイシー。
 オープニングどころか20世紀FOXのロゴの時点でいきなりかましてくるな!というフックの強さ。メインテーマでぐっと引き込み、更に子供時代、青年時代、結婚して子供が出来てショーを思いつく、というあたりまで一気に見せる。序盤にかなりのスピード感があり、突っ込む余地を与えない。本作、手放しで絶賛できない要素が結構あるのだが、音楽の良さと華やかさ、展開のスピード感、そしてヒュー・ジャックマンの魅力で無理矢理押し切られた感じがする。映画体験としてはすごく楽しいのだが、見ている間常にもやもやも感じる、しかし音楽とショーに魅せられ、もやもやは一旦脇においておいて・・・となる。良くできた音楽とダンスの有無を言わせない引力って、やっぱりすごいんだなと痛感した。他のことを保留にさせてしまう力はちょっと怖いようにも思う。
 本作のもやもやは、ショーの団員たちがどう見られるか、という所に生じる。バーナムが集める団員は「特徴のある人物」、要するに当時はフリークス扱いされたり、肌の色が違ったりということで偏見の目にさらされていた人たちだ。バーナムは「君たちを見てお客は喜ぶ」「きっと皆君たちを好きになる」と言うが、その喜びや好意は奇異なものに対するもの(バーナム自身「人は奇異なものが好き」と言うし)で、彼らを一個の人間として見るものではない。いくらもてはやされても、同等の人間扱いというわけではない。彼らの「仲間」であるバーナムですらそうなのだ。そういう見られ方に対して「This is me」と言い続けられるだろうかと悩んでしまった。人間を見世物として扱うことに(おそらく意図的にそうしているんだろうけど)ノリが軽すぎない?バーナムが基本クズだという描写はあるにせよ少年漫画的にいい話風にしすぎじゃない?ということがずっとひっかかる。しかし映画としてはすごく気分が上がって楽しいしメインテーマでは泣きそうになる。実に悩ましい。

バーナム博物館 (白水uブックス―海外小説の誘惑)
スティーヴン ミルハウザー
白水社
2002-08-01


富を築く技術 (フェニックスシリーズ)
P.T.バーナム
パンローリング
2013-12-14




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