1950年代、イタリアとユーゴスラビアの国境に位置する、栗の森に囲まれた小さな村。長引く政情不安から、人々は村を離れていった。老大工マリオ(マッシモ・デ・フランコビッチ)は音信不通の息子からの便りを待ち、妻と共に村に留まり続けていた。栗売りのマルタ(イバナ・ロスチ)は、戦争へ行ったまま帰ってこない夫を待ち続けている。数通の手紙の内容によると、夫はオーストラリアにいるらしい。監督はグレゴル・ボジッチ。
映像が非常に美しい。森の風景がそもそも魅力的なのだが、ライティングと色合い、質感の調整がとても美しい。監督はフェルメールやレンブラント等のオランダ印象派の画家に影響を受けたそうで、ライティングの繊細さも頷ける。特に室内のライティングは確かにフェルメールっぽい。暗い部分は本当に暗くてぱっと見何が起きているのかわかりにくかったりもするのだが、その分、光本来の稀さみたいなものが感じられる。舞台となる季節は栗の収穫時期である秋から初冬にかけてと思われるのだが、空気の冷たさや木や草の匂いまで感じられそうな映像。花だか綿毛だかみたいなものが舞うシーンなど非常に美しく刺さってきた。自分の中の原風景みたいなものに触れる感じ。ただこの美しさは、その中に実際に暮らしていないから無防備に享受できるものではないかという気もした。かつてここに住んでいた人たちの記憶としての美しさなのか、全くの部外者だから他人事として受け止められる美しさなのか。
人々は村から離れていき、見捨てられた地になっていくわけだが、土地の記憶は残る。作中に登場する亡霊たちはその記憶で、それが生きている人たちを迎えに来ているように思えた。故郷を捨てることは悲しいことではあるのだろうが、その土地から解放されるという面もある。特に女性にとってはそういう面が強いのではないかと、マルタの姿を見ていて思った。馬車に乗っていた2人の女性(この人たちが村から出て行くのかはわからないが)も全然悲壮感なくて楽しそうだ。マルコの妻への態度は彼固有のものというより、そういう文化の土地なのだという側面が強そう。そりゃあ出て行きたくなるよな。