3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『クレアのカメラ』

 映画会社で働くマニ(キム・ミニ)はカンヌ国際映画祭への出張中、上司のナム社長(チョン・ジニョン)から突然解雇を言い渡される。帰国を考えたものの航空券の交換ができず、カンヌを観光するうち、パリから来た女性クレア(イザベル・ユペール)と知り合う。ポラロイドカメラあちこち撮影しているクレアは、偶然ナム社長と、同行していたソ監督(チョン・ジニョン)の姿も捉えていた。監督・脚本はホン・サンス。
 時系列はバラバラに組み立てられており、1つの人生のようでもあるし、平行世界に複数いるマニの人生のようでもある。断片的なシーンがこまかく繋がっていくのでうっかりスルーしそうになったけど、よく見ていると季節がいつのまにか真夏から冬に変わっている。夏に出会ったクレアと冬になっても一緒にいるけど、これは2人が友人付き合いするようになったということなのか、夏の2人と冬の2人は別ものなのか。私は前者だといいなと思ったけど、どうとでもとれる微妙な見せ方だ。ラストもいつ、どこへ向けた作業なのか、明言はされない。余白が大きくて色々と想像を掻き立てられる。マニが「正直ではない」と評されるのも、一見こういう話に見えるけど実はこんな話だったかも、でもどちらでもないかもというあやふやさと呼応しているように思う。
 余白の大きさは、マニとクレアがそれぞれの母国語ではない、英語で会話をしていることからも生まれる。2人は英語を話せるがネイティブ並というわけではなく、わりとぎこちない。使える言語表現が限られ、細かいニュアンスがお互い伝わらない。言葉にされない部分が大きいのだ。
イザベル・ユペールはフランス人だが、本作中では不思議なことにマニよりも異邦人ぽく見える。彼女が演じるクレアという女性は正体不明感があり、非日常を感じさせる。彼女の媒介によって、マニも人生の新たな局面に向かっていくように思えた。
 ホン・サンス作品では混ざりたくない酒の席がしばしば出てくるが、本作ではソン監督が泥酔し、かなりみっともない振る舞いをする。彼が(その時はそれほどお酒は入っていないが)マニにする説教は、年長男性が若年女性にしがちな的外れ説教のテンプレ的なもので、大変イライラする。何を着るとかどんなメイクをするとか、貴様に関係ないわ!ホン・サンス作品に出てくる映画監督は本当に人としてはろくでもないなー。マニが何も言い返さないので見ている側としてはイライラが更に募るのだが、彼女が傷ついて嫌な思いをしているのは明らかにわかる。ホン・サンス、自戒を込めてのシーンなんだろうか・・・。

3人のアンヌ [DVD]
イザベル・ユペール
紀伊國屋書店
2014-02-22


自由が丘で [DVD]
加瀬亮
KADOKAWA / 角川書店
2015-07-24


『グレイテスト・ショーマン』

貧しい仕立て屋の息子として生まれたP・T・バーナムは、名家の令嬢チャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)と駆け落ち同然の結婚をし、2人の娘に恵まれる。しかし仕事先は倒産、「珍しいもの」を集めた博物館を開設するも客は来ず、窮地に追い込まれる。そんな中バーナムは、「特徴」を持った人たちを集めショーを開くことを思いつく。ショーは大成功しバーナムは一躍金持ちになるが。監督はマイケル・グレイシー。
 オープニングどころか20世紀FOXのロゴの時点でいきなりかましてくるな!というフックの強さ。メインテーマでぐっと引き込み、更に子供時代、青年時代、結婚して子供が出来てショーを思いつく、というあたりまで一気に見せる。序盤にかなりのスピード感があり、突っ込む余地を与えない。本作、手放しで絶賛できない要素が結構あるのだが、音楽の良さと華やかさ、展開のスピード感、そしてヒュー・ジャックマンの魅力で無理矢理押し切られた感じがする。映画体験としてはすごく楽しいのだが、見ている間常にもやもやも感じる、しかし音楽とショーに魅せられ、もやもやは一旦脇においておいて・・・となる。良くできた音楽とダンスの有無を言わせない引力って、やっぱりすごいんだなと痛感した。他のことを保留にさせてしまう力はちょっと怖いようにも思う。
 本作のもやもやは、ショーの団員たちがどう見られるか、という所に生じる。バーナムが集める団員は「特徴のある人物」、要するに当時はフリークス扱いされたり、肌の色が違ったりということで偏見の目にさらされていた人たちだ。バーナムは「君たちを見てお客は喜ぶ」「きっと皆君たちを好きになる」と言うが、その喜びや好意は奇異なものに対するもの(バーナム自身「人は奇異なものが好き」と言うし)で、彼らを一個の人間として見るものではない。いくらもてはやされても、同等の人間扱いというわけではない。彼らの「仲間」であるバーナムですらそうなのだ。そういう見られ方に対して「This is me」と言い続けられるだろうかと悩んでしまった。人間を見世物として扱うことに(おそらく意図的にそうしているんだろうけど)ノリが軽すぎない?バーナムが基本クズだという描写はあるにせよ少年漫画的にいい話風にしすぎじゃない?ということがずっとひっかかる。しかし映画としてはすごく気分が上がって楽しいしメインテーマでは泣きそうになる。実に悩ましい。

バーナム博物館 (白水uブックス―海外小説の誘惑)
スティーヴン ミルハウザー
白水社
2002-08-01


富を築く技術 (フェニックスシリーズ)
P.T.バーナム
パンローリング
2013-12-14




『KUBO クボ 二本の弦の秘密』

 魔法の三味線の音色で折り紙を操る片目の少年クボ(アート・パーキンソン)は、病んだ母とひっそりと暮らしていた。母は、祖父である月の帝(レイフ・ファインズ)がクボの片目を奪い、もう片方の目も奪う為に探し続けていると言う。ある日、母の言いつけを破り日が暮れても家に戻らなかったクボは、魔力を持つ伯母たち(ルーニー・マーラ)に見つかってしまう。監督はトラビス・ナイト。
 両親を亡くした少年が、自分の出自の秘密を知る為に旅に出るという王道の冒険ファンタジー。制作は『コララインとボタンの魔女』等を手掛けたアニメーションスタジオ・ライカ。緻密なストップモーションアニメの凄みを見せてくれる。キャラクターの質感や、風景の作りこみ(海の波の表現が素晴らしい)には唸るしかない。あまりに動きがスムーズで緻密なので、果たしてこれをストップモーションアニメでやる必要があるのか?むしろストップモーションとしての面白みが削がれているのでは?という疑問が沸くくらい。技術的に素晴らしいのはすごくよくわかるのだが、なぜこの技術でこの作品を作るのかという部分でひっかかってしまった。折り紙の味わいとかは人形アニメーションならではかもしれないが・・・。
 ストーリーの展開は割と単調、かつ伏線の使い方がぎこちなく、少々退屈だった。アニメーション技法を鑑賞するには複雑なストーリーではない方がいいのかもしれないけど、クボの目の秘密にしろ、月の帝が結局何をしたかったのかにしろ、曖昧なままだったように思う(途中ちょっとうとうとしてしまったので、ちゃんと説明されていたならごめんなさい・・・)。ストーリー的にすごくいい部分もあるので中途半端な伏線の使い方がもったいない。物語をもって自分を理解する、他者を助ける(皆で「彼」に物語をわけてあげるのちょっとすごいと思った)という部分にもっと寄せていってもよかったんじゃないかなぁ。比較的シンプルな話なのに妙に整理されていない印象を受けた。
 冒険物語でありつつ、哀愁が漂う。「お供」として彼を助けるサル(シャーリーズ・セロン)とクワガタ(マシュー・マコノヒー)の正体には泣かせられる。それでもなお、という去っていかざるを得なかった人たちの気持ちが染みてくるのだ。そして彼らがいたこと、彼らに愛されたことの記憶こそがクボを助けることになる。






『劇場版 黒子のバスケ LAST GAME』

 ウィンターカップで優勝し念願の全国制覇をした誠凛高校バスケ部。黒子テツヤ(小野賢章)と火神大我(小野友樹)は2年生になり、夏のインターハイが終わる頃、アメリカのストリートバスケチームJabberwork(ジャバウォック)が来日。強烈な強さを見せつける一方で日本のバスケを馬鹿にする彼らに、黒子と火神、そしてキセキの世代と呼ばれた選手たちがドリームチームVORPAL SWORDS(ヴォーパル・ソーズ)を結成し試合に挑む。原作は藤巻忠俊の大ヒット漫画の続編『黒子のバスケ EXTRA GAME』。監督は多田俊介。
 何かあらすじ書いているうちに空しくなってきたんだけど、とりあえずすごい強くて悪い奴(本当にあっけらかんと悪くて背景説明とかほぼないあたり潔い。90分尺なのでこれで十分だと思う)が来る、バスケで勝負、というシンプルさ。とは言えシリーズのボーナストラックにして真の完結編的作品なので、やはり単品で見るのは厳しいだろう。逆に、個々のキャラクターの成長を見ることが出来るので、原作ないしはTVシリーズを見てきたファンには十分満足できる内容だと思う。少なくとも私はすっごく楽しかった。
 見ている間ずっと、あージャンプっぽい!ジャンプのバトル漫画っぽい!(というか実際ジャンプの漫画なんだけど)という強烈なジャンプ臭のようなものに襲われ、自分の体にジャンプ成分が染みついていることを再確認する羽目に。ジャンプ的な対戦もの、キャラクターの立て方のお作法を踏まえつつ、妙に地に足がついた部分もあるところが本シリーズの面白さだったと思う。根っこにある「バスケが好きか」という部分がブレない。ジャバウォックと対戦するのも、「日本の」バスケを馬鹿にされたからではなく「(上手い下手関係なく)バスケをする人」を馬鹿にされたから、というニュアンス。真面目にやっている人を馬鹿にしない、好きなことは(才能の度合いと関係なく)一生懸命やるといい、というシンプルな所が踏まえられているあたり、いい少年漫画だと思う。
 原作(とTVシリーズ。原作を最後までアニメ化しているので)は週刊少年ジャンプ連載の人気作品としては例外的なくらい、引き延ばさないきれいな終わり方をしている。番外編とも言える本作は蛇足では?とも思ったのだが、本作のラスト、いや蛇足ではないな、これが本当の完結編だなと深く納得した。文字通り「黒子のバスケ」の話であり、彼のバスケが周囲をどのように変えてきたかという話を最後までやったんだなと。
 なお、キャラクター人気に寄るところが大きい作品と思われがちだが、作画面ではキャラクターの一枚画の美麗さを見せようという意図はあまり感じない。あくまで試合の中での動きで魅せたい、そこにキャラクターの魅力が一番発揮されるはずという姿勢が感じられた。

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』

 1991年、エドワード・ヤン監督作品。2017年に4Kレストア・デジタルリマスター版としてよみがえった。1961年に台北で実際に起きた、少年によるガールフレンド殺害事件を元にしている。
 1960年年代初頭の台北。受験に失敗して夜学に通う小四(シャオスー)は、不良グループ“小公園”の王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らとつるんでいた。ある日、少女・小明(シャオミン)と知り合うが、彼女は小公園のボス"ハニー”の恋人だった。ハニーは対立グループ“217”のボスと小明を奪い合い、相手を殺して姿を消したと噂されていた。
 リマスター版だからか、映像の質感、光の強弱がとても美しい。特に、暗い部分、黒い部分の奥行がより細部までよく見える気がする。べたっとした暗さではなく、ニュアンスのある暗さなのだ。またエドワード・ヤンの映画はなぜだかいつも夏の空気感がある。登場人物が頻繁に夏服だからというのもあるだろうが、どこか湿度を感じる、クリアすぎない色合いの映像によるものかなとも思う。4時間近い長尺の作品だが、その映像の美しさに見入って、予想していたほど長さを感じなかった。
 不良グループ同士の対立はヤクザごっこのようでもあり、『クローズ』的な世界のようでもある。しかしファンタジーではなく、当人らは大真面目で「タマを取り合う」つもりなのが、滑稽でもあり痛ましくもある。世の中の不安定さ、大人たちの混乱が彼らを生んだと冒頭のナレーションにあるが、彼らの世界と大人たちの世界は断絶されているように見える。彼らは子供だが、子供の至らなさをフォローする大人がいないのだ。大人は大人で、自分たちの問題で手一杯だし、小四の父親のように自分ではなすすべもない不条理な処遇に追いつめられていく人もいる。
 小四は2人の少女に同じことを指摘される。「あなたの思った通りにしろというの?」と。小四は小明に好意があり、自分が彼女を守ると明言して行動に移す。が、それは彼女の立場も、自分と彼女の関係も客観視できていないということなのだ。彼のひとりよがりな愛が、取り返しのつかない悲劇を招いてしまう。若々しくてキラキラしている部分と、若さ故のしょうもない部分がないまぜになり、美しく苦い青春物語だ。

『クリミナル 2人の記憶を持つ男』

 CIAエージェントのビル・ポープ(ライアン・レイノルズ)が任務中に殺された。彼は米軍の核ミサイル発射装置まで沿革操作できる万能のプログラムを開発したハッカー「ダッチマン」(マイケル・ピット)の居場所を知る唯一の人物だった。テロリストのハイムダール(ジョルディ・モリャ)もまた、プログラムを狙いダッチマンを追っていたのだ。CIAはダッチマンを確保する為、ビリーの記憶を他人の脳に移植する手術を敢行。移植先は、死刑囚のジェリコ・スチュアート(ケヴィン・コスナー)だった。ジェリコは自身の人格とビリーの記憶とに引き裂かれつつ、テロリストとの戦いに巻き込まれていく。監督はアリエル・ブロメン。
 コスナーだけでなくビルの上司ウェルズとしてゲイリー・オールドマン、移植手術を行う医師フランクスとしてトミー・リー・ジョーンズが出演しておりなかなか豪華かつ渋いキャスティングなのだが、公開規模は小さいんだな・・・。何となくB級SF感が漂うが漂うからか、微妙に地味だからか。しかし、なかなか好きなタイプの作品だった。監督のブロメンて何を撮った人なのかなと思ったら、『THE ICEMAN 氷の処刑人』の人だったのか!これも奇妙なんだけど好きな作品だったなぁ。俳優の使い方に味のある監督だと思う。
 ジェリコは子供の頃の脳の損傷が原因で、感情を持たず、理知的な思考が苦手で粗暴だ。いわゆるサイコパスとはちょっと違って社会に適応する「振り」も出来ない為、刑務所と縁の切れない人生だった。そんな彼がビルの記憶を移植されることで感情と社会性、そしてCIAとしてのスキルを手に入れる。特殊技能の記憶が増えているとはいえ、ジェリコにとっては初めての「普通」の状態なのだ。それがあくまで借り物で、フランクスによればやがて(48時間程度で)消えていくものだということが、なまじ「普通」を経験してしまった故に何だか切ない。知れないままだったら心揺さぶられたりはしなかっただろうに。彼の大きな選択は、フランクスにとっては臨床実験の成功でもあるのだが、その感情がジェリコのものなのかビルのものなのかはわからない。フランクスがずっと、何とも言えない割り切れなさそうな表情なのは、そのせいかもしれない。彼は一貫してジェリコのことを気の毒(ではあるが自分にはどうもできない)に思っており、彼を道具としてフル活用しようとするウェルズとは対称的。
 ラストは無理矢理大団円ぽい雰囲気に持って行っているが、解釈によっては大分不気味でもある。「彼」はいったい誰なのか?という部分がより曖昧になっているように感じられるのだ。穏やか過ぎて、最早あの世の風景のようでもある。

『クラッシュ・ゾーン』

 「未体験ゾーンの映画たち2017」にて鑑賞。違法公道レースをしたことで逮捕され、2年間服役していたロイ(アンドレス・バースモ・クリスティアンセン)はようやく出所し、妊娠中の恋人シルビアと前妻と娘であるニーナの為にもレースの世界から足を洗おうと決意する。しかし彼をライバル視するレーサーのカイザーが挑戦を挑んでくる。更にニーナの恋人チャーリーがレースに参加すると言いだし、ニーナも同乗すると言う。前妻からニーナを連れ戻せと言われたロイは、愛車のマスタングでカイザーらを追う。監督はハロルド・ブレイン。
 ノルウェー発のカーアクション映画『キャノンレース』の続編。前作での展開及びラストからそのまま続いているので、キャラクターの説明等が一切ないという潔さ。ノルウェーでは説明いらないくらいヒットしたってことだよな・・・。アバンで前作のダイジョエストは漠然とわかるので、単品でも大丈夫なことは大丈夫だと思うが。そもそもそんなに入り組んだ話ではないし、何なら前作より更に能天気になっていると思う。
 今回はノルウェーからスウェーデン、フィンランド経由でゴール地点がロシアというコースなのだが、季節は冬。しかも当然豪雪地帯。雪上でレースをし派手なカーアクションをかましているので、前作よりもカースタントの難易度は上がっているように思う。極端に寒い地域でないと出来ないようなネタもあり、えっそれ大丈夫なの?!CGじゃないよね?!と思わず二度見してしまいそうになる所も。カーアクションて色々あるけど、これは初めて見たわ・・・。登場する車の台数は減ったが、いい意味で泥臭く大変楽しかった。自動車が、ちゃんと自動車として走りアクションしているのがいい。『ワイルドスピード』シリーズみたいなのももちろん楽しいのだが、あれはカーアクションというよりも車を使った格闘技みたいな感じだからな・・・。
 本作、前作に引き続き父親と娘の物語でもあるが、父親であるロイが随分甘やかされるようになっちゃったなーという感は否めない。前作では疎遠だった娘との絆をレースで取り戻したが、本作では既に(恋人はいるが)ニーナはロイのことを大好きだし、父親としても夫としてもあまり役に立たないロイのかっこいい所をわかってくれている。ある意味夢の娘像だよなと。ロイはいわゆる「大人」として振舞えない人なので、娘との共犯関係みたいなものが余計に嬉しいのかも。前妻は良くも悪くも大人になってしまったんだよな。
 なお、一番驚いたのはノルウェーの刑務所の住環境が結構良さそうな所。そんなに重罪じゃなかったからだろうけど。刑務所内での仕事が裁縫というのも何かいい。

『グッバイ・サマー』

 小柄な体格と長めの髪の毛から女の子と間違われることもある14歳のダニエル(アンジュ・ダルジャン)は、目立ちたがりで機械いじりが得意な転校生・テオ(テオフィル・バケ)と仲良くなる。学校や家族にうんざりした2人は、車輪の付いた小屋を自作し、夏休みに2人で旅に出る。監督・脚本はミシェル・ゴンドリー。
 ダニエル役のダルジャンが大変可愛らしく、これは確かに女の子と間違われちゃうなーという説得力がある。とは言えダニエルにとって見た目の「可愛さ」はあまり喜ばしいことではなく、片思いしておりそこそこ仲のいい女の子にも異性扱いしてもらえない。彼はクラスの中ではちょっと浮いていて、男子グループよりも女子グループとつるんでいる(好きな女の子の傍にいたいというのもあるのだが)。周囲の男の子たち、特にクラスの親分的な男の子たちが誇示する「男らしさ」に参加することはできない、かといって女の子とと話が合うというわけでもなさそうなダニエルにとって、テオの存在ははっきりと「親友」と言えるものだったのだろう。
 周囲から浮いている、というよりも最初から馴染む気がないテオにとっても、ダニエルは大切な存在になっていく。個展での振る舞いには、ちょっと風変わりではあるが彼の思いやりが充ちていて微笑ましかった。テオの方がダニエルよりもわが道を行き、やや大人びているので相手への配慮も出来る。とは言え、全く平気というわけでもないということが垣間見える終盤にも、はっとするものがあった。
 2人とも、方向性は違うが親が大分重い、14歳男子には持て余すような存在であるという所も、シンパシーを呼んだんだろうなと思う。子供にとって親の存在はどうしようもないものだとしみじみ思う。横暴で労働力としてしか子供を見ていないテオの親も困り者だが、「ものわかりのいい母親」として振舞おうとするダニエルの母親も、息子にとってはかなり厄介だろう。そこ、踏み込まないで!という部分に(当人はオープンなつもりで)どんどん入ってくるので見ていて焦る。
 ダニエルは、自分は個性がない、周囲に流されてばかりだと嘆く。だから自分流のやり方をしているように見えるテオに惹かれたのだろう。しかし、ダニエルが自分で言うように無個性だとは見えなかった。画が得意だというのも個性だし、色々考えすぎ(なので結果的に流されているように見える)なのも個性だろう。テオが同級生に馬鹿にされたことにカチンとくるのは、彼は堂々と好きなことをやっているのに何でいちゃもんつけるんだという考え方だろうし、そこは流されていない。むしろ何で流されやすいと思っているのか不思議なんだが、テオのように明瞭な個性が欲しいということなのかな。
 車輪付きの小屋で旅に出るというフレーズだけでわくわくしてくるし、少年2人の車作りと旅路はどこかファンタジックで夢のようでもある。夏休みの香りに満ちているのだ。しかし、夢は覚めるものだし夏休みには終わりがある。急に現実が襲ってくる後味はほろ苦い。こういう夏休みは一度だけで、もうこの先ないだろうなという寂寥感が襲ってくる。おそらく、ダニエルとテオはこの先会うことはないだろう。でも、お互いに一生に一度くらいの夏休みを共にした友達のことは、ずっと忘れないのではないだろうか。

『クリーピー 偽りの隣人』

 とある事情で刑事から、大学で教鞭をとる犯罪心理学者に転身した高倉(西島秀俊)は、妻・康子(竹内結子)と一軒家に引っ越してくる。隣人の西野(香川照之)はどこか奇妙で捉えどころのない男だった。ある日高倉は、警察時代の後輩・野上(東出昌大)から6年前の一家失踪事件の分析を頼まれる。監督は黒沢清。原作は前川裕の同名小説。
 原作にどのくらい忠実なのかはわからないが、いやー怖かった!黒沢清作品を見続けてきたコアなファンにとっては、本作のラストは一般に配慮しすぎなものなのかもしれないが、この程度にしておいてくれないと正直きつい・・・(私は黒沢作品好きだが、本気のホラーは苦手なので)。また、出演者からしてもこのくらいで正解なんじゃないかなと思った。そもそも、公開版のラストでも十分怖い。ああいった事柄があったにもかかわらず、この先が依然として続く、という恐怖があるのだ。
 近年、実際に起きた事件をモデルにしているのだと思うが、(原作はどうだかわからないが)本作は事件をリアルに描く犯罪映画ではない。西野が「何かした」のはわかるが、具体的に何をどうしたのかははっきりしない、ただ、彼が人の心を支配していくということはありありとわかる。経路がはっきりしないからまた怖いのだ。この怖さは、西野を演じる香川や、西野に蝕まれていく竹内らの演技によるところも大きい。香川照之って、やっぱり上手いんだな・・・。奇矯な役柄ばかりが印象に残るのだが、西野の会話のテンポのずらし方や動きの唐突さから生じる不自然さは、演じる香川の身体コントロールがすごく的確だから成立しているのだと思う。また竹内は、溌剌としたイメージの役柄が多いし実際本作でも溌剌としているのだが、ある地点からの目の力のなさ、気力が抜ける感じにはぞわっとした。あ、この人もうだめだという感じになるのだ。
 西島演じる高倉は、一家失踪事件の関係者への行き過ぎた取材の際に、関係者から人の心がないんですかとなじられる。高倉は犯罪心理のエキスパートで警察内でも手腕には定評があるが、いわゆる心の機微にはむしろ疎いように見える。犯罪者の心理は見ぬくが、身近な人間の心には鈍感だ。心の動きが、自分(とその周囲)のこととしては捉えられていないような感じだった。そういう面では、西野の方が圧倒的に相手を観察しており機微に敏い(しかし自分の中には機微がない)のだ。もっともそういう人だからこそ、サイコパスと相対することができたのかもしれないが。

『クーパー家の晩さん会』

 クリスマスには全員で集まってディナーパーティーを開くのがクーパー家のお約束。しかし長年連れ添ったシャーロット(ダイアン・キートン)とサム(ジョン・グッドマン)は離婚を決意。長男ハンク(エド・ヘルムズ)は失職したことを離婚した元妻にも子供達にも両親にも言えずにいた。長女エレノア(オリビア・ワイルド)は不倫中で、たまたま空港でであったジョー(ジェイク・レイシー)を恋人の「替え玉」として同行する。シャーロットの妹エマ(マリサ・トメイ)は万引きがバレ、パトカーで連行中。全員が家族に言えない秘密を抱えたままディナーが始まる。監督はジェシー・ネルソン。
 これクリスマスムービーだったのね・・・。なぜクリスマスに日本公開できなかったのか。こういう季節商品的な映画は、それ以外の季節に見ると少々興ざめする(気にならない作品もあるけど)ので、大変勿体ない。逆に真夏に公開とかの方が季節感気にならなかったかもしれないなぁ。
 特にハリウッドのクリスマス映画は、クリスマス以外の季節に見るときついなぁと感じることが多いのだが、これはクリスマス=ハッピー「でなければならない」という空気が映画内(と、映画が作られたアメリカ)にあるからかなと思う。本作は、その「でなければならない」空気に翻弄される一家が主人公だ。シャーロットとサムは離婚寸前だが、子供達に嫌な気分でクリスマスを過ごさせたくない為、離婚の話はとりあえず内緒にしている。ハンクやエレノアも同様で、個人的な問題で一家団欒に水をさすことが出来ない。そして出来のいい姉にコンプレックスを持つエマにとって、ハッピー「でなければならない」場を強要されるのは、苦痛でもある。
 この苦痛は、家族に対する愛情の有無とは関係ないことだろう。クリスマスだと、独り身だったり仕事で失敗したりしたことが、ことさら「かわいそう」と憐れまれているみたいでいたたまれないってことだと思う。家族としては心配しているつもりなんだろうけど、心配される側にとっては、的外れだったり、上から目線の心配だったら却って迷惑なのだ。エレノアがシャーロットに「あの顔をしないでね!・・・やっぱりするじゃない!」とキレるくだりは、このイライラ感がすごくわかりやすくておかしい。こういう感じあるある!と思わせられる。
 楽しい作品ではあるのだが、ナレーションが(とある事情により)過剰で説明しすぎ。群像劇としてもあまり交通整理されていない感じ(エピソード量を無理矢理作った感じの人とかいる)で、なんだかごちゃごちゃしているなという印象が拭えなかった。個人的に一番印象に残ったのは、エマを連行する巡査。彼のこの先が気になる。幸せになってね。

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