3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『劇場版 黒子のバスケ LAST GAME』

 ウィンターカップで優勝し念願の全国制覇をした誠凛高校バスケ部。黒子テツヤ(小野賢章)と火神大我(小野友樹)は2年生になり、夏のインターハイが終わる頃、アメリカのストリートバスケチームJabberwork(ジャバウォック)が来日。強烈な強さを見せつける一方で日本のバスケを馬鹿にする彼らに、黒子と火神、そしてキセキの世代と呼ばれた選手たちがドリームチームVORPAL SWORDS(ヴォーパル・ソーズ)を結成し試合に挑む。原作は藤巻忠俊の大ヒット漫画の続編『黒子のバスケ EXTRA GAME』。監督は多田俊介。
 何かあらすじ書いているうちに空しくなってきたんだけど、とりあえずすごい強くて悪い奴(本当にあっけらかんと悪くて背景説明とかほぼないあたり潔い。90分尺なのでこれで十分だと思う)が来る、バスケで勝負、というシンプルさ。とは言えシリーズのボーナストラックにして真の完結編的作品なので、やはり単品で見るのは厳しいだろう。逆に、個々のキャラクターの成長を見ることが出来るので、原作ないしはTVシリーズを見てきたファンには十分満足できる内容だと思う。少なくとも私はすっごく楽しかった。
 見ている間ずっと、あージャンプっぽい!ジャンプのバトル漫画っぽい!(というか実際ジャンプの漫画なんだけど)という強烈なジャンプ臭のようなものに襲われ、自分の体にジャンプ成分が染みついていることを再確認する羽目に。ジャンプ的な対戦もの、キャラクターの立て方のお作法を踏まえつつ、妙に地に足がついた部分もあるところが本シリーズの面白さだったと思う。根っこにある「バスケが好きか」という部分がブレない。ジャバウォックと対戦するのも、「日本の」バスケを馬鹿にされたからではなく「(上手い下手関係なく)バスケをする人」を馬鹿にされたから、というニュアンス。真面目にやっている人を馬鹿にしない、好きなことは(才能の度合いと関係なく)一生懸命やるといい、というシンプルな所が踏まえられているあたり、いい少年漫画だと思う。
 原作(とTVシリーズ。原作を最後までアニメ化しているので)は週刊少年ジャンプ連載の人気作品としては例外的なくらい、引き延ばさないきれいな終わり方をしている。番外編とも言える本作は蛇足では?とも思ったのだが、本作のラスト、いや蛇足ではないな、これが本当の完結編だなと深く納得した。文字通り「黒子のバスケ」の話であり、彼のバスケが周囲をどのように変えてきたかという話を最後までやったんだなと。
 なお、キャラクター人気に寄るところが大きい作品と思われがちだが、作画面ではキャラクターの一枚画の美麗さを見せようという意図はあまり感じない。あくまで試合の中での動きで魅せたい、そこにキャラクターの魅力が一番発揮されるはずという姿勢が感じられた。

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』

 1991年、エドワード・ヤン監督作品。2017年に4Kレストア・デジタルリマスター版としてよみがえった。1961年に台北で実際に起きた、少年によるガールフレンド殺害事件を元にしている。
 1960年年代初頭の台北。受験に失敗して夜学に通う小四(シャオスー)は、不良グループ“小公園”の王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らとつるんでいた。ある日、少女・小明(シャオミン)と知り合うが、彼女は小公園のボス"ハニー”の恋人だった。ハニーは対立グループ“217”のボスと小明を奪い合い、相手を殺して姿を消したと噂されていた。
 リマスター版だからか、映像の質感、光の強弱がとても美しい。特に、暗い部分、黒い部分の奥行がより細部までよく見える気がする。べたっとした暗さではなく、ニュアンスのある暗さなのだ。またエドワード・ヤンの映画はなぜだかいつも夏の空気感がある。登場人物が頻繁に夏服だからというのもあるだろうが、どこか湿度を感じる、クリアすぎない色合いの映像によるものかなとも思う。4時間近い長尺の作品だが、その映像の美しさに見入って、予想していたほど長さを感じなかった。
 不良グループ同士の対立はヤクザごっこのようでもあり、『クローズ』的な世界のようでもある。しかしファンタジーではなく、当人らは大真面目で「タマを取り合う」つもりなのが、滑稽でもあり痛ましくもある。世の中の不安定さ、大人たちの混乱が彼らを生んだと冒頭のナレーションにあるが、彼らの世界と大人たちの世界は断絶されているように見える。彼らは子供だが、子供の至らなさをフォローする大人がいないのだ。大人は大人で、自分たちの問題で手一杯だし、小四の父親のように自分ではなすすべもない不条理な処遇に追いつめられていく人もいる。
 小四は2人の少女に同じことを指摘される。「あなたの思った通りにしろというの?」と。小四は小明に好意があり、自分が彼女を守ると明言して行動に移す。が、それは彼女の立場も、自分と彼女の関係も客観視できていないということなのだ。彼のひとりよがりな愛が、取り返しのつかない悲劇を招いてしまう。若々しくてキラキラしている部分と、若さ故のしょうもない部分がないまぜになり、美しく苦い青春物語だ。

『クリミナル 2人の記憶を持つ男』

 CIAエージェントのビル・ポープ(ライアン・レイノルズ)が任務中に殺された。彼は米軍の核ミサイル発射装置まで沿革操作できる万能のプログラムを開発したハッカー「ダッチマン」(マイケル・ピット)の居場所を知る唯一の人物だった。テロリストのハイムダール(ジョルディ・モリャ)もまた、プログラムを狙いダッチマンを追っていたのだ。CIAはダッチマンを確保する為、ビリーの記憶を他人の脳に移植する手術を敢行。移植先は、死刑囚のジェリコ・スチュアート(ケヴィン・コスナー)だった。ジェリコは自身の人格とビリーの記憶とに引き裂かれつつ、テロリストとの戦いに巻き込まれていく。監督はアリエル・ブロメン。
 コスナーだけでなくビルの上司ウェルズとしてゲイリー・オールドマン、移植手術を行う医師フランクスとしてトミー・リー・ジョーンズが出演しておりなかなか豪華かつ渋いキャスティングなのだが、公開規模は小さいんだな・・・。何となくB級SF感が漂うが漂うからか、微妙に地味だからか。しかし、なかなか好きなタイプの作品だった。監督のブロメンて何を撮った人なのかなと思ったら、『THE ICEMAN 氷の処刑人』の人だったのか!これも奇妙なんだけど好きな作品だったなぁ。俳優の使い方に味のある監督だと思う。
 ジェリコは子供の頃の脳の損傷が原因で、感情を持たず、理知的な思考が苦手で粗暴だ。いわゆるサイコパスとはちょっと違って社会に適応する「振り」も出来ない為、刑務所と縁の切れない人生だった。そんな彼がビルの記憶を移植されることで感情と社会性、そしてCIAとしてのスキルを手に入れる。特殊技能の記憶が増えているとはいえ、ジェリコにとっては初めての「普通」の状態なのだ。それがあくまで借り物で、フランクスによればやがて(48時間程度で)消えていくものだということが、なまじ「普通」を経験してしまった故に何だか切ない。知れないままだったら心揺さぶられたりはしなかっただろうに。彼の大きな選択は、フランクスにとっては臨床実験の成功でもあるのだが、その感情がジェリコのものなのかビルのものなのかはわからない。フランクスがずっと、何とも言えない割り切れなさそうな表情なのは、そのせいかもしれない。彼は一貫してジェリコのことを気の毒(ではあるが自分にはどうもできない)に思っており、彼を道具としてフル活用しようとするウェルズとは対称的。
 ラストは無理矢理大団円ぽい雰囲気に持って行っているが、解釈によっては大分不気味でもある。「彼」はいったい誰なのか?という部分がより曖昧になっているように感じられるのだ。穏やか過ぎて、最早あの世の風景のようでもある。

『クラッシュ・ゾーン』

 「未体験ゾーンの映画たち2017」にて鑑賞。違法公道レースをしたことで逮捕され、2年間服役していたロイ(アンドレス・バースモ・クリスティアンセン)はようやく出所し、妊娠中の恋人シルビアと前妻と娘であるニーナの為にもレースの世界から足を洗おうと決意する。しかし彼をライバル視するレーサーのカイザーが挑戦を挑んでくる。更にニーナの恋人チャーリーがレースに参加すると言いだし、ニーナも同乗すると言う。前妻からニーナを連れ戻せと言われたロイは、愛車のマスタングでカイザーらを追う。監督はハロルド・ブレイン。
 ノルウェー発のカーアクション映画『キャノンレース』の続編。前作での展開及びラストからそのまま続いているので、キャラクターの説明等が一切ないという潔さ。ノルウェーでは説明いらないくらいヒットしたってことだよな・・・。アバンで前作のダイジョエストは漠然とわかるので、単品でも大丈夫なことは大丈夫だと思うが。そもそもそんなに入り組んだ話ではないし、何なら前作より更に能天気になっていると思う。
 今回はノルウェーからスウェーデン、フィンランド経由でゴール地点がロシアというコースなのだが、季節は冬。しかも当然豪雪地帯。雪上でレースをし派手なカーアクションをかましているので、前作よりもカースタントの難易度は上がっているように思う。極端に寒い地域でないと出来ないようなネタもあり、えっそれ大丈夫なの?!CGじゃないよね?!と思わず二度見してしまいそうになる所も。カーアクションて色々あるけど、これは初めて見たわ・・・。登場する車の台数は減ったが、いい意味で泥臭く大変楽しかった。自動車が、ちゃんと自動車として走りアクションしているのがいい。『ワイルドスピード』シリーズみたいなのももちろん楽しいのだが、あれはカーアクションというよりも車を使った格闘技みたいな感じだからな・・・。
 本作、前作に引き続き父親と娘の物語でもあるが、父親であるロイが随分甘やかされるようになっちゃったなーという感は否めない。前作では疎遠だった娘との絆をレースで取り戻したが、本作では既に(恋人はいるが)ニーナはロイのことを大好きだし、父親としても夫としてもあまり役に立たないロイのかっこいい所をわかってくれている。ある意味夢の娘像だよなと。ロイはいわゆる「大人」として振舞えない人なので、娘との共犯関係みたいなものが余計に嬉しいのかも。前妻は良くも悪くも大人になってしまったんだよな。
 なお、一番驚いたのはノルウェーの刑務所の住環境が結構良さそうな所。そんなに重罪じゃなかったからだろうけど。刑務所内での仕事が裁縫というのも何かいい。

『グッバイ・サマー』

 小柄な体格と長めの髪の毛から女の子と間違われることもある14歳のダニエル(アンジュ・ダルジャン)は、目立ちたがりで機械いじりが得意な転校生・テオ(テオフィル・バケ)と仲良くなる。学校や家族にうんざりした2人は、車輪の付いた小屋を自作し、夏休みに2人で旅に出る。監督・脚本はミシェル・ゴンドリー。
 ダニエル役のダルジャンが大変可愛らしく、これは確かに女の子と間違われちゃうなーという説得力がある。とは言えダニエルにとって見た目の「可愛さ」はあまり喜ばしいことではなく、片思いしておりそこそこ仲のいい女の子にも異性扱いしてもらえない。彼はクラスの中ではちょっと浮いていて、男子グループよりも女子グループとつるんでいる(好きな女の子の傍にいたいというのもあるのだが)。周囲の男の子たち、特にクラスの親分的な男の子たちが誇示する「男らしさ」に参加することはできない、かといって女の子とと話が合うというわけでもなさそうなダニエルにとって、テオの存在ははっきりと「親友」と言えるものだったのだろう。
 周囲から浮いている、というよりも最初から馴染む気がないテオにとっても、ダニエルは大切な存在になっていく。個展での振る舞いには、ちょっと風変わりではあるが彼の思いやりが充ちていて微笑ましかった。テオの方がダニエルよりもわが道を行き、やや大人びているので相手への配慮も出来る。とは言え、全く平気というわけでもないということが垣間見える終盤にも、はっとするものがあった。
 2人とも、方向性は違うが親が大分重い、14歳男子には持て余すような存在であるという所も、シンパシーを呼んだんだろうなと思う。子供にとって親の存在はどうしようもないものだとしみじみ思う。横暴で労働力としてしか子供を見ていないテオの親も困り者だが、「ものわかりのいい母親」として振舞おうとするダニエルの母親も、息子にとってはかなり厄介だろう。そこ、踏み込まないで!という部分に(当人はオープンなつもりで)どんどん入ってくるので見ていて焦る。
 ダニエルは、自分は個性がない、周囲に流されてばかりだと嘆く。だから自分流のやり方をしているように見えるテオに惹かれたのだろう。しかし、ダニエルが自分で言うように無個性だとは見えなかった。画が得意だというのも個性だし、色々考えすぎ(なので結果的に流されているように見える)なのも個性だろう。テオが同級生に馬鹿にされたことにカチンとくるのは、彼は堂々と好きなことをやっているのに何でいちゃもんつけるんだという考え方だろうし、そこは流されていない。むしろ何で流されやすいと思っているのか不思議なんだが、テオのように明瞭な個性が欲しいということなのかな。
 車輪付きの小屋で旅に出るというフレーズだけでわくわくしてくるし、少年2人の車作りと旅路はどこかファンタジックで夢のようでもある。夏休みの香りに満ちているのだ。しかし、夢は覚めるものだし夏休みには終わりがある。急に現実が襲ってくる後味はほろ苦い。こういう夏休みは一度だけで、もうこの先ないだろうなという寂寥感が襲ってくる。おそらく、ダニエルとテオはこの先会うことはないだろう。でも、お互いに一生に一度くらいの夏休みを共にした友達のことは、ずっと忘れないのではないだろうか。

『クリーピー 偽りの隣人』

 とある事情で刑事から、大学で教鞭をとる犯罪心理学者に転身した高倉(西島秀俊)は、妻・康子(竹内結子)と一軒家に引っ越してくる。隣人の西野(香川照之)はどこか奇妙で捉えどころのない男だった。ある日高倉は、警察時代の後輩・野上(東出昌大)から6年前の一家失踪事件の分析を頼まれる。監督は黒沢清。原作は前川裕の同名小説。
 原作にどのくらい忠実なのかはわからないが、いやー怖かった!黒沢清作品を見続けてきたコアなファンにとっては、本作のラストは一般に配慮しすぎなものなのかもしれないが、この程度にしておいてくれないと正直きつい・・・(私は黒沢作品好きだが、本気のホラーは苦手なので)。また、出演者からしてもこのくらいで正解なんじゃないかなと思った。そもそも、公開版のラストでも十分怖い。ああいった事柄があったにもかかわらず、この先が依然として続く、という恐怖があるのだ。
 近年、実際に起きた事件をモデルにしているのだと思うが、(原作はどうだかわからないが)本作は事件をリアルに描く犯罪映画ではない。西野が「何かした」のはわかるが、具体的に何をどうしたのかははっきりしない、ただ、彼が人の心を支配していくということはありありとわかる。経路がはっきりしないからまた怖いのだ。この怖さは、西野を演じる香川や、西野に蝕まれていく竹内らの演技によるところも大きい。香川照之って、やっぱり上手いんだな・・・。奇矯な役柄ばかりが印象に残るのだが、西野の会話のテンポのずらし方や動きの唐突さから生じる不自然さは、演じる香川の身体コントロールがすごく的確だから成立しているのだと思う。また竹内は、溌剌としたイメージの役柄が多いし実際本作でも溌剌としているのだが、ある地点からの目の力のなさ、気力が抜ける感じにはぞわっとした。あ、この人もうだめだという感じになるのだ。
 西島演じる高倉は、一家失踪事件の関係者への行き過ぎた取材の際に、関係者から人の心がないんですかとなじられる。高倉は犯罪心理のエキスパートで警察内でも手腕には定評があるが、いわゆる心の機微にはむしろ疎いように見える。犯罪者の心理は見ぬくが、身近な人間の心には鈍感だ。心の動きが、自分(とその周囲)のこととしては捉えられていないような感じだった。そういう面では、西野の方が圧倒的に相手を観察しており機微に敏い(しかし自分の中には機微がない)のだ。もっともそういう人だからこそ、サイコパスと相対することができたのかもしれないが。

『クーパー家の晩さん会』

 クリスマスには全員で集まってディナーパーティーを開くのがクーパー家のお約束。しかし長年連れ添ったシャーロット(ダイアン・キートン)とサム(ジョン・グッドマン)は離婚を決意。長男ハンク(エド・ヘルムズ)は失職したことを離婚した元妻にも子供達にも両親にも言えずにいた。長女エレノア(オリビア・ワイルド)は不倫中で、たまたま空港でであったジョー(ジェイク・レイシー)を恋人の「替え玉」として同行する。シャーロットの妹エマ(マリサ・トメイ)は万引きがバレ、パトカーで連行中。全員が家族に言えない秘密を抱えたままディナーが始まる。監督はジェシー・ネルソン。
 これクリスマスムービーだったのね・・・。なぜクリスマスに日本公開できなかったのか。こういう季節商品的な映画は、それ以外の季節に見ると少々興ざめする(気にならない作品もあるけど)ので、大変勿体ない。逆に真夏に公開とかの方が季節感気にならなかったかもしれないなぁ。
 特にハリウッドのクリスマス映画は、クリスマス以外の季節に見るときついなぁと感じることが多いのだが、これはクリスマス=ハッピー「でなければならない」という空気が映画内(と、映画が作られたアメリカ)にあるからかなと思う。本作は、その「でなければならない」空気に翻弄される一家が主人公だ。シャーロットとサムは離婚寸前だが、子供達に嫌な気分でクリスマスを過ごさせたくない為、離婚の話はとりあえず内緒にしている。ハンクやエレノアも同様で、個人的な問題で一家団欒に水をさすことが出来ない。そして出来のいい姉にコンプレックスを持つエマにとって、ハッピー「でなければならない」場を強要されるのは、苦痛でもある。
 この苦痛は、家族に対する愛情の有無とは関係ないことだろう。クリスマスだと、独り身だったり仕事で失敗したりしたことが、ことさら「かわいそう」と憐れまれているみたいでいたたまれないってことだと思う。家族としては心配しているつもりなんだろうけど、心配される側にとっては、的外れだったり、上から目線の心配だったら却って迷惑なのだ。エレノアがシャーロットに「あの顔をしないでね!・・・やっぱりするじゃない!」とキレるくだりは、このイライラ感がすごくわかりやすくておかしい。こういう感じあるある!と思わせられる。
 楽しい作品ではあるのだが、ナレーションが(とある事情により)過剰で説明しすぎ。群像劇としてもあまり交通整理されていない感じ(エピソード量を無理矢理作った感じの人とかいる)で、なんだかごちゃごちゃしているなという印象が拭えなかった。個人的に一番印象に残ったのは、エマを連行する巡査。彼のこの先が気になる。幸せになってね。

『クリムソン・ピーク』

(若干終盤の展開に触れています)
 10歳で母親を亡くしたイーディス(ミア・ワシコウスカ)は、死んだ母親を筆頭に幽霊の姿を見ることができる。彼女は父親の死をきっかけに、イギリスの貴族であるトーマス(トム・ヒドルストン)と結婚して、彼の姉ルシール(ジェシカ・チャステイン)と共に姉弟の故郷であるイングランドの屋敷で暮らし始める。その土地は冬になると、地表の赤粘土が雪を染めることから、クリムゾン・ピークと呼ばれていた。しかしイーディスは亡霊に「クリムゾン・ピークに気をつけろ」と警告されていた。監督はギレルモ・デル・トロ。
 ビジュアルにしろ物語にしろ、とてもクラシカルなゴシックホラー。特に衣装と屋敷の造形等の美術面のクオリティは素晴らしい。これぞギレルモ・デル・トロ監督の真骨頂!って感じだ。天井の穴から雪が舞い落ちる屋敷の中とか、蛾がうごめく屋根裏の壁(これは虫嫌いにとってはぞっとするが・・・)等強いインパクトがある。一方で主人公であるイーディスの、幽霊話を書く作家志望で、裕福な家の育ちだが独立心がある理知的なキャラクターは現代的。読容貌よりも自分の能力や作品、内面に関わる部分を評価されることを望む(それ故ちょろいとも言えるのだが・・・)あたりも的を突いている感じ。ただ「こういう感じでしょ?こういうの好きでしょ?」というくすぐりをやりすぎで鼻につくように思ったが(読み書きする時だけ眼鏡かけるのもあざとい・・・)
 対して、ルシールは古典的なファム・ファタール。情愛深く情念に満ち、それにより相手を絡めとる。チャステインはあまり肉感的なルックスではないしルシールの振る舞いはクールなので、それほどねっとり感は出てないが、それにより終盤の怖さが冴えていた。
新しいタイプの女性と古いタイプの女性の対決とも見られるクライマックスは、男性そっちのけで双方強い強い!いわゆる「王子様」的ポジションかと見えた男性が、その役割を途中で放棄・断念してしまうというところもちょっとおもしろかった。
 レトロなルックスが楽しい作品だったが、幽霊のビジュアルだけはいただけない。それ幽霊じゃなくてゾンビじゃないかなー。クリーチャー寄りの造形なのだ。幽霊って人の生前の念が現れたもので肉体(が腐敗していく様)は反映されないと思うんだけど・・・。

『クリード チャンプを継ぐ男』

 ボクシングのヘビー級チャンピオンだったアポロ・クリードの息子、アドニス・ジョンソン(マイケル・B・ジョーダン)は、生まれた時には父親は既に死亡しており、父親のことは映像でしか知らなかった。母親は、アポロが若くして死んだのはボクシングが原因だとして、アドニスがボクシングに興味を持つのにいい顔はしなかったのだ。しかしどうしてもプロボクサーの路を進みたいアドニスは仕事を辞めて家を出る。向かった先はアポロのライバルで親友だったロッキー(シルヴェスター・スタローン)の店。アドニスはロッキーにトレーナーになってほしいと頼む。監督・脚本はライアン・クーグラー。
 アポロの息子がアドニスって、すごいネーミングセンスだな・・・。それはさておき、秘められた才能はあるがチャンスをつかめずにいる若者が特訓に特訓を重ね強くなる、という王道スポ根少年漫画のような物語で正直なところ新鮮味はないし、そもそもロッキーシリーズである必然性があるのか?と言われるとシリーズのファンでない自分には何とも言えない。しかし、王道・ベタにはベタ故の良さがある。本作は良くできたベタ。盛り上がるぞ盛り上がるぞ・・・盛り上がったー!みたいな、定番だからこその気持ちよさがある。試合シーンの迫力もあって、エンターテイメントとしてのちょうど良さを感じた。
 アドニスには、実母を亡くして以降、里親の元や施設を転々として、素行が荒れていたという過去がある。そこから立ち直らせたのが、彼を引き取って息子として育てたアポロの妻だった。アドニスは成長し大学を出て投資会社に就職、そこそこ順調にキャリアを積んでいた様子なので、子供時代のキレやすさは克服したのかな?と思いきや、ちょっとしたことでキレてしまう。一見、あれ?唐突な展開だなと思ったのだが、彼がキレるのは父・アポロに絡めてからかわれた時だ。
 アドニスはアポロが父親だということはもちろん知っているのだが、直に会ったことはないし、アポロが息子である自分のことをどう思っていたかも知らない。父親との距離感や父親にとって自分がどういう存在か掴みあぐねているからこそ、アポロを引き合いに出されると混乱するしムカつくのだろう。本作はアドニスがボクサーとして路を切り開き成長していく物語であると同時に、彼が父親との関係を結びなおす物語でもある。彼は、父親が(隠し子である)自分を恥じていたのではと、ずっと恐れていたのだ。
 アドニスは会社員からボクサーに転身し、人生を再挑戦する。これはロッキーについても同じだ。彼もまた、難しい局面を迎える。その局面を乗り越えよう、挑戦しようと決意させるのはアドニスだ。また、アドニスの恋人ビアンカ(テッサ・トンプソン)もまた、ある難局と戦い、自分の人生を生きようとしている。加えて、アドニスと対決することになる現チャンピオンのコンラン(アンソニー・ベリュー)もまた、後がない状況だ。主要な登場人物が皆、人生を賭けた戦いをしている。手持ちの札が限られている中でどう生きるか、何を選ぶかという側面が彼らには色濃く、興味深かった。本作のもうひとつのモチーフなのかなと。

『グラスホッパー』

 教師の鈴木(生田斗真)は、自動車の暴走事件で死亡した恋人の仇を取る為、裏社会のドン・寺原(石橋蓮司)の組織に潜入していた。しかし事件の裏にいた寺原の息子が、押し屋と呼ばれる殺し屋に目の前で殺されてしまう。組織に命じられて押し屋を尾行する鈴木。一方、若手の殺し屋・蝉(山田涼介)は、ターゲットを自殺に追い込むという殺し屋・鯨(浅野忠信)を消せという依頼を受ける。鯨は死ぬ間際のターゲットの告白を耳にする為、寺原の組織の秘密を知りすぎたというのだ。原作は伊坂幸太郎の同名小説。監督は瀧本智行。
 原作は読んだが内容をほとんど覚えていない。本作を見るにはむしろそれでよかったのかもしれない。一昔前の「クール」なセンスで、懐かしさも感じつつ楽しめた。監督の前作『脳男』を見た時も思ったのだが、美術のセンスが90年代っぽい。こういうのが一つの記号(目的不明の廃工場とかバーやライブハウスっぽいアジトとか、ビルの屋上に根城があるとか)として成立するようになったんだろうけど、なんだか様式美の世界みたいだなと思った。浅野忠信が殺し屋役だったり、村上淳が蝉のマネージャー的存在である岩西役だったりするのも、あの頃の「クール」さの名残のように思った。この感慨深さはは現在の10代20代に通じるんだろうか・・・。
 生田演じる鈴木はごくごく普通の人。『脳男』で見せたアクションやヒーローっぽさは今回全く見せず、そのあたりは浅野や山田が担当している。特に山田演じる蝉はナイフが武器で近距離戦が主体。若干ぎこちないシーンもあるが、結構キレのいいアクションを見せてくれてうれしい。そういえば、蝉が仕事前におそらく血飛沫避けにレインコートを着るのだが、前をちゃんと閉めないので全然血飛沫避けになっていないあたりも様式美っぽいなと思った。
 原作よりも、ストーリーラインがおそらくすっきりわかりやすく構成されている。最後は若干説明過剰な気もしたが、普通の人の善意に対する希望が掲げられており、後味は悪くない。善意や良心は大きな力の前に無力かもしれないが、それでも、そういうものがちょっとだけ世の中を良くするのだ。
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