3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『THE GUILTY ギルティ』

 緊急通報指令室のオペレーター、アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は今まさに誘拐されているという女性イーベン(イェシカ・ディナウエ)から通報を受ける。車の発信音や物音、イーベンの声等から、彼女が置かれている状況に少しずつ近付きなんとか救出しようとするアスガーだが。監督はグスタフ・モーラー。第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞した作品。
 ここ数年でワンシチェーションスリラーのバラエティが増えたなという印象があったが、本作はその中でも頭一つ抜けて出来がよく、ストイックに「ワンシチュエーション」に徹していると思う。電話からの声と音だけで構成され、アスガーはオペレーター室から出ることがない。この縛りの中でよくここまでサスペンスを盛り上げたな!と唸った。90分足らず(88分)という短い作品ではあるが、全く飽きず最後まで観客を引っ張る。
 このシチュエーションの中で盛り上げる為のストーリー構成がよく考えられている。(ネタバレになるので妙な言い方になるが)まず彼女に何があったのか?という1周目の盛り上がりがあり、更にベクトルの向きが変わった2周目の盛り上がりがあるのだ。2周目の存在は何となく予想できるのだが、そこでクールダウンさせないのはアスガーと電話相手との会話の組み立て、タイミング設置が的確だからだろう。アスガーとイーベン、アスガーと所轄(という呼び方はデンマークではしないとは思うけど・・・)、アスガーと元相棒刑事という組み合わせでの言葉のやりとりが、何が起きているのかを徐々にあぶりだしていく。
 更に、事件の経緯と平行して、アスガーがなぜ緊急通報指令室に配属されたのか、彼が迎える「明日」とは何なのか、過去に何があったのかが徐々にわかってくる。アスガーの行動、相棒に対する態度等がちょっと独善的に思えたのだが、おそらくはそういう資質が招いたことへとつながってくる。これらの謎が明らかになった後、題名の意味が重く響いてくる。キレのいいサスペンスだが、ある事実が判明した後の雰囲気や後味は北欧ミステリっぽさがある。アメリカのミステリとは一味違った闇の濃さだ。

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アミューズソフトエンタテインメント
2005-08-26


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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2019-03-06


『喜望峰の風に乗せて』

 1968年のイギリス。ヨットによる単独無寄港を競う、ゴールデン・グローブ・レースが開催されることになった。航海計器メーカーを経営するドナルド・クロウハースト(コリン・ファース)は、名立たるセーラー達が集う中、名乗りを上げる。アマチュアが優勝すれば大きな宣伝になると触れ込みスポンサーも確保し、周囲の期待に押されながら出航するが。監督はジェームズ・マーシュ。
 予告編は見たことがなく、ポスターも題名も何となく爽やかなので感動海洋冒険ものかと思ったら、とんでもなかった。いい方向(と言っていいものか・・・)に裏切られた作品。本作、中盤以降ほぼホラーな怖さだった。ドナルドは家族とヨット遊び等はしているものの、長距離航海をしたことはなく(「沖から出たことないだろう」と言われる)、ほぼ素人。そんな素人が単独無寄港レースに参加するというだけで無謀だし、妻クレア(レイチェル・ワイズ)が心配して止めるのも当然だろう。しかし子供たちは無邪気に喜ぶし、スポンサーや世論は「勇気ある挑戦者」として彼を持ち上げ、地元の町ぐるみで時の人として応援されるようになる。ドナルドがやっぱり無理なのではと危機感を感じた時には、引っ込みがつかなくなっている。ボートが不完全な状態で航海に出るなんて狂気の沙汰だが、出ざるを得ない「空気」が彼の周囲で形成されているのだ。そしてドナルドはその空気に負けてしまう。更に、リタイアすらできなくなっていく。現実的に考えれば、いくら叩かれるだろうとは言え、リタイアする方がまともと思えるのだが、そういう選択肢を持てなくなっていく所が、本作最大の恐怖だ。原題が「 The Mercy 」というのも容赦ない。
 ドナルドが不備を分かりつつも航海に出てしまったのは、周囲の期待に応えなくてはというプレッシャーと同時に、臆病者だと思われたくないというプレッシャーが非常に強かったからではないか。彼は展示会で聞いた、セーラーの「男らしい」冒険者としての言葉に魅了され、レース参加を思い立つ。レースに要求されるような勇気や強さを自分も持っていると証明したくなってしまったのだろう。彼は割と柔和で気の優しい人であり、いわゆるマッチョな男性ではないことが、言動の端々から感じられる。妻からも子供たちからも愛される良き夫・良き父であるはずなのだが、それだけでは満足できない、何かを証明したことにはならないのかと不思議な気もした(そもそも何かを証明する必要があるのかと思う)。そして、彼の自分の存在証明みたいなものが、レースのような無謀な形を取ることがまた不思議だ。父親/男性はこうであれ、勇気があるとはこういうことである、という理想のようなものにドナルドが食い殺されていくようでもあった。


『恐怖の報酬』

 121分のオリジナル完全版で鑑賞。南米、ヴォルベニール。反政府ゲリラによってジャングルの中の油田が爆破され、大火災が起きた。油田会社はニトログリセリンによって爆破・鎮火させようとするが、ニトログリセリンの保管場所と火災現場は300キロの距離があり、ちょっとした刺激で爆発してしまうニトログリセリンの運搬は非常に難しいと思われた。会社側は一万ドルの報酬を提示し、名乗りを上げた4人の男にニトログリセリン運搬を依頼する。監督はウィリアム・フリードキン。1977年の作品。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督作品(1953)のリメイク。
 前知識が全くと言っていいほどなく、1978年に公開された当時には大幅にカットされていた(当時公開されていたのは92分版だそう)ということも初めて知った。多分、運搬に関わるまでに4人が何をしていたかという冒頭30分くらいの部分が丸ごとカットされていたのではないかと思うが、この部分が大変面白かった。全く違う国、違う町で4つの事件が起き、4人の男がその町を去ったことが順番に提示されるのだ。メキシコでターゲットを消した殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)は何事もなかったようにその場を去る。エルサレムで爆破テロを遂行した若者たちは軍の特殊部隊に追い詰められ、カッセム(アミドゥ)のみが逃げのびる。パリに暮らす投資家マンゾン(ブルーノ・クレメル)は証券取引所から不正取引を追及さる。ビジネスパートナーである義弟に、富豪の父親に金を出してもらうよう交渉しろと詰め寄るが、交渉は決裂、義弟は自殺し、マンゾンはその場から逃げ出す。ニュージャージー州で強盗により大金を手に入れたマフィアの一味だが、交通事故で4人中3人が瀕死の状態に。生き残ったスキャロン(ロイ・シャイダー)は事故現場から逃げるが、更に被害者の兄が対抗組織のボスだということが発覚。追手から逃れる為にスキャロンは国外へ高飛びしようとする。
 4人それぞれのパートが、それぞれ別の映画の導入部分であるようにスリリングで引きが強い。この時点では4人の接点はないので、一体どういう話なのか、4人がどう絡んでくるのかとわくわくしてくる。むしろ南米で大集合したことに、若干拍子抜けというか虚を突かれたというか。そこから南米に行きます?って感じの人もいるし(マンゾンは油田で働きそうにないもんな!)。私はどちらかというと、冒頭の乾いたハードボイルドサスペンス的なタッチに惹かれたので、ホラー味が増していく(作っている側としてはホラーと思っていないだろうけど)後半には戸惑った。
 とは言え、後半も緊張感が途切れず、本気で怖い。橋のシーンは噂には聞いていたが、トラック側も先導する人の側もどう見ても落ちそうだし全く安心できない!ストーリー上安心できないのはもちろんなのだが、これ撮影する側・される側共に大丈夫だったのだろうかと心配になってしまう(実際、相当過酷だったらしいが)。橋はセットとして作ったのだろうが、よく作ったよな。山道をトラックが走るシーンも、運転席のアップと車輪部分(車両の足元)のアップを交互に配置し、とにかく車幅がぎりぎりだということが強調される。良く考えると、こんな道ならヘリで運んだ方がいくらかましだったのでは(序盤で「揺れるから無理」と否定されるのだが、明らかにトラックの方が揺れてるだろう・・・)?と突っ込みたくなるが。
 過酷な道程を見せようとすればするほど、なぜだか幻想的で情念が濃くなっていくところが不思議だ。トラックが進んでいくジャングルや山道、そして吊り橋自体が化け物めいた存在感を放ってくる。終盤で迷い込むカッパドキアのギョレメのような不思議な風景は、南米のジャングルの中とは思えない。本当はかなり早い段階でニトログリセリンが爆発し、全員死んでしまった後の夢のようなものなのではという気もしてきた。


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ウィリアム・L・ピーターセン
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2018-07-04





『ギャングース』

 犯罪集団の盗品や収益金を狙って「タタキ」を繰り返すサイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は少年院で知り合いチームを組むようになった。親からも社会からも見捨てられた彼らには、窃盗以外に生活の手段がない。ある詐欺グループを狙って大金入手に成功したものの、犯行がバレ、後戻りできなくなる。原作は鈴木大介・肥谷圭介による同名漫画。監督は入江悠。
 サイケたちがやっている「タタキ」は窃盗なので当然犯罪なのだが、楽して金を手に入れようとしているわけではない。楽天的なカズキとタケオはともかく、情報収集に余念がないサイケは努力家で勤勉といっていいくらいだ。いわゆる不良とはちょっと違う。彼らは安定した職に就くためのベース自体がない。家族がいないと保証人を得にくいので住居の賃貸契約ができない、なので固定住所を持てないし、学校にも行っていないので履歴書段階で普通の採用では落とされる。スタートラインにすら立てないという苦しさだ。一方、せめてレースに出場して上の奴らを食い物にしてやる、というのが詐欺集団側。詐欺集団の「番頭」加藤(金子ノブアキ)が部下たちに仕事の心得を叩き込むのだが、その内容も若者の貧困ありきのもの。話のベースに経済的な貧困プラス家族関係の貧困があるあたりが現代の作品だなぁと思う。貧しくてもつつましく暮らす仲の良い家族、という設定はもうフィクションとしてのリアリティ(って変な言い方だけど)を持たないのかもしれない。経済的な貧困がもたらす負の連鎖が実社会にありすぎるもんなぁ・・・。
 サイケたちには頼れる親はいないし、カズオは明白に親から虐待されていた。彼らが少女ヒカリ(伊藤蒼)を行きがかり上保護してしまうのも、彼女が虐待されていたからだ。家族に対していい思い出はないはずなのに(いやだからこそか)、自分たちで疑似家族的なものを作って自己補完していくサイケたちの姿は、なんだかいじらしい。それでも親を憎めないとカズキが漏らす言葉も切なかった。なおヒカリの最終的な処遇についての判断がいたってまともで、ちょっとほっとする。
 シリアスとコメディのバランスが良くて、テンポよく進むし、出演者の演技も良く、当初見る予定はなかったのだが、見てよかった。東京フィルメックスのイベントで、入江監督とアミール・ナデリ監督の対談があり、ナデリ監督が本作をいたく気に入っていたので興味が出たのだ。ナデリ監督は本作の狂気、クレイジーさは、他の国の若手の作品ではあまり見ないタイプ、コミックの影響かな?と言っていたけど、正直なところそれほど狂気は感じなかった。マンガっぽい演技や演出のことなのかな?と思ったけど、ちょっと違う気がするしな・・・。こういうのがスタンダードになっていて自分が見慣れちゃっているということかな?


『教誨師』

 死刑囚専門の教誨師である牧師・佐伯(大杉漣)は、6人の死刑囚と面談をしている。教誨師とは受刑者の道徳心の育成や心の救済につとめ、彼らが改心できるように導く存在。しかし自分が話したいことばかり話す者、佐伯との会話がすれ違うばかりの者もおり、自分の言葉が相手に届いているのか、佐伯は自信が持てずにいる。監督・脚本は佐向大。
 大杉漣の初プロデュース作であり、主演作であり、遺作であることで評判になった本作だが、むしろ死刑と向き合う刑務官の葛藤を描いた『休暇』の脚本家が監督を務めた作品ということで重要なのではないかと思う。ほぼ佐伯と死刑囚たちの面談シーンのみで構成されており、実質的な2人芝居であるパート、しかもショットが顔に集中しているパートが長い。俳優に相当技量がないと、間が持たなさそうなのだ。そこを緊張感途切れさせず演じ切る俳優の力を実感できる作品。どの人も顔の圧が強かった。カメラがほぼ面談室の外に出ない(佐伯の回想シーンや終盤でちょっと屋外に出るくらい)というかなり思い切った構成。ぱっと見地味だが力作で見応えあった。
 殆どの囚人たちはキリスト教に帰依する気があるようには見えず、対話が成立しているとは言い難い日とも。むしろ相手の不可解さ、全くの他者であるという部分がどんどん強くなる。理解や共感を拒む存在として彼らはそこにおり、むしろ人間同士はそういうものではという諦念が生まれそうになる。佐伯はその諦念を越えようとしているわけだが、囚人たちを前にするとなかなか難しい。饒舌な女性や無口な男性の、表出の仕方は違うが自分の世界に籠っている、自分の都合がいいようにしか他者を見ない(ということは他者がいないということか)姿の異質感が強烈だった。言葉が全く届かない感じなのだ。信仰以前の問題だなと言う徒労感がすごい。
 佐伯は牧師として人徳にあふれているというわけではなく、特に頭が切れるというわけでもなく、弁舌爽やかというわけでもない。むしろ面談相手の問いの一つ一つに躓き、揚げ足を取られることもある。決して器用ではない。しかし彼が相手を説得してしまうような巧みな言葉を持っていたら、教誨師ではなくなってしまうだろう。佐伯はある境地に辿りつくが、彼はその境地を少々陳腐な言葉でしか表現できない。それでいいのだ。しかしその境地の後、改めて彼を殴りつけるようなラストが襲ってくる。その不穏さが素晴らしかった。

休暇 [DVD]
小林薫
ポニーキャニオン
2009-05-20


死刑 (角川文庫)
森 達也
角川書店
2013-05-25


『きみの鳥はうたえる』

 函館郊外の書店でアルバイトをしている「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と同居している。「僕」が同僚の佐和子(石橋静河)と付き合い始めたことで、3人で遊ぶようになる。ビリヤードやダーツに興じ、クラブに通い、夜通し酒を飲む。しかし3人の心地よい関係にも変化が生じ始める。原作は佐藤泰志の同名小説。監督は三宅唱。
 作品全体にリズム感がある。劇伴としての音楽の量はそれほど多くはない、むしろ無駄な音楽は使っていない印象なのだが、映画全体が音楽的とでも言えばいいのか、編集が的確なのか、一定のリズムで流れ進行していく感じがして気持ちいい。劇伴、音声、生活音等、音全般の扱い方が上手い作品だ。ボイスオーバーを多用しているのだが、声の大きさや聞こえる方向の変化で、画面に映っている人との距離感が何となく変わってくるように感じられた。
 また、3人がクラブでライブを見るシーンがあるのだが、最近見た日本映画に出てくるクラブの中では一番ちゃんとクラブっぽく、佐藤泰志作品の映像化作品の中でも突出して「今」を感じさせる。地方都市の小さいハコでちょっといいパフォーマンス見て気分が上がってふわふわしている感じがすごくよく出ていた。佐和子の踊る姿には、ごく普通の人が音楽と体を動かすこととのシンプルな楽しさが滲む。なお佐和子がカラオケで熱唱するシーンもあるのだが、歌が上手い!石橋は演技以外の表現力も豊かであることが窺える。
 「僕」と静雄、佐和子の関係は、いわゆる三角関係とはちょっと違う印象を受ける。「僕」は佐和子に静雄と付き合うように勧め、お互いに束縛しないでいようというスタンスだ。3人でじゃれあっていること、佐和子と気楽にセックスすることが楽しいのだ。彼のスタンスは無責任と言えば無責任なのだがそれ故軽やかで気楽。佐和子はそこに惹かれたのだろう。
 とは言え、2人のスタンスがいつまでも一致しているわけではない。「僕」は軽やかで自由に見えるが、その生き方からは「今この時」しか感じられない。「今」より先が見えないのだ。「先」を見始めた、あるいは見ざるを得ない静雄や佐和子とは自然とずれていく。佐和子や静雄には軽やかになりきれないしがらみがあることが提示されるが、「僕」にそれはない。最後の「僕」の行動は、彼が自分のスタンスを曲げて一歩踏み出した、ルートを変えたかのように見える。佐和子たちに追いつくのかはわからないけれども。

きみの鳥はうたえる (河出文庫)
佐藤 泰志
河出書房新社
2011-05-07


海炭市叙景 (通常版) [DVD]
加瀬亮
ブロードウェイ
2011-11-03


『銀魂2 掟は破るためにこそある』

 金欠で家賃の支払いに困った万屋の銀時(小栗旬)、新八(菅田将暉)、神楽(橋本環奈)はアルバイトをすることを決意。しかしピンチヒッターで雇われたキャバクラでも床屋でも、なぜかお忍びで訪れる将軍・徳川茂茂(勝地涼)と遭遇するのだった。一方、真選組では新参者の伊藤鴨太郎(三浦春馬)が勢力を伸ばしつつあり、土方(柳楽優弥)らは内紛を懸念していた。原作は空知英秋の同名漫画。監督・脚本は福田雄一。
 前作を見た時、銀魂を本当に実写化し、しかもちゃんと原作漫画とTVアニメーション版を踏まえた銀魂になっている!と何か感動に近いインパクトの面白さがあったのだが、今回はいまひとつ。ちょっと長尺すぎて、中だるみしていたように思う。真選組パートが原作でもそこそこボリュームのあるエピソードなので、将軍エピソードと組み合わせて一本の映画にするのはなかなか厳しかったのだろう。それぞれの話はコメディもシリアスも面白いので(銀魂というコンテンツを初見の人はすごい勢いで置いていかれるだろうけど・・・)もったいない気もする。
 また、福田監督作品の常連である佐藤二朗とムロツヨシを使ったコメディ部分は、内輪ノリ感が強すぎて全く笑えなかった。特に佐藤のギャグは尺が勿体ないとしか思えなかった(ムロパートは一応原作のからみもあるので)。原作にしろアニメにしろ、銀魂は内輪ネタ、楽屋ネタが多い作品ではある。が、最大公約数的な内輪がよりこぢんまりとした内輪に縮小してしまったかな?という印象を受けた。監督としては安心感があるのだろうけど、見ている側には関係ないからなぁ・・・。
 ストーリー上、今回は万屋よりも真選組がおいしい部分を持っていく。特に近藤(中村勘九郎)と沖田(吉沢亮)のキャラクターの魅力はよく出ていたのではないかと思う。これは、演じた俳優の力によるところも大きいだろう。中村演じる近藤、本当にちょっとアホだけど好男子で器が大きい感じがする。近藤が愛されゴリラだということに初めて納得いったかもしれない(笑)。沖田が非情なようでいて近藤のこと大好きというニュアンスの出方にも作品ファンはぐっとくるだろう。そして顔面が大変良い。
 なお顔面の良さで言うと、桂(岡田将生)は女装してもちゃんと美形かつ美脚。ドレスから肉がはみ出る銀子も捨てがたいが、やはりヅラ子圧勝であった。

銀魂 [DVD]
小栗旬
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2017-11-22


『君の名前で僕を呼んで』

 1980年代、北イタリアの避暑地。両親と別荘にやってきた17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は、大学教授である父親が招いた24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)と知り合う。一緒に過ごすうち、エリオはオリヴァーに強く惹かれていく。原作はアンドレ・アシマンの小説。監督はルカ・クァダニーノ。脚本はジェームズ・アイボリー。
 隅から隅まで美しくてびっくりする。特に夏の日差しを感じさせる光のコントロールが徹底しているように思う。また、かなりこれみよがしな音楽の使い方なのだが、それが鼻につかずぴったりとはまる、ぎりぎりの線を狙っている。あとちょっと分量が増えると鼻について我慢できなかっただろう。
 オリヴァーの動きの優雅「ではない」所が強く印象に残り惹きつけられた。ドアの開け閉めの雑さや、妙にもたつくダンスなど。その一方でエリオの父親とのやりとりは聡明で機知に富むもので、そこには速さ、軽やかさを感じる。またエリオを翻弄するような思わせぶりな言動やきまぐれさも、フィジカルの重さとはちぐはぐ。そのちぐはぐさが彼の魅力、というか何となく意識にひっかかる部分であったと思う。自由であると同時に不自由そうだ。オリヴァーの言動は一見自由奔放で軽やかだが、実際の所は(主に社会的に)様々なしがらみがあることが垣間見られる。自分では不自由なつもりかもしれないが実際は相当自由なエリオと対称的だ。エリオは、オリヴァーがユダヤ人であるということを自身のアイデンティティーにはっきりと組み込んでいることに憧れた様子だが、オリヴァーにとっては自分を構成するものであると同時に縛り付けるものでもある。エリオにはその相反する要素がよくわかっていないのかもしれないが。ハマーはどちらかというともったりとした「重い」俳優だと思うのだが、本作ではその重さがうまくはまっていた。
 恋愛の「今、ここ」しかない感が強く刻み込まれていて、きらきら感満載、陶酔感があふれ出ている。自分と相手との間に深く通じるもの、一体感が瞬間的にであれ成立するという、得難い時間を描く。しかしオリヴァーの「重さ」、彼の背後に見え隠れするものが、「今、ここ」の終わりを予感させ切ない。終わりの予感を含めて美しい恋愛映画であり、夏休み映画だと思う。舞台が夏でなかったら、こんなに浮き立った感じにはならないだろう。
 シャラメが17歳にしてもどちらかというと華奢な体格で、ハマーが24歳には見えない(実年齢考えたらしょうがないんだけど・・・)ので、シチュエーション的にかなりきわどく見える所もある。倫理的にどうなのともやもやしたことは否めない。が、予想していたほどのもやもやではなかった。エリオとオリヴァー、更にエリオの父親が、1人の人の別の時代を表しているように見えたからだ。壮年であるエリオの父親はエリオとオリヴァーの関係をかけがえのないもの、しかし自分は得られなかったものだと言う。青年であるオリヴァーはエリオの中に自分にもあったかもしれない可能性を見る。大人時代から過去に遡りこうであったら、という人生をやり直したいという願いにも思えた。「君の名前で僕を呼んで」とはそういう意味でもあったのではないか。
 エリオの両親の、理知的で子供を個人として尊重している態度が素晴らしい。また、エリオのガールフレンドの振る舞いが清々しい。このあたりが、本作を「今」の映画にしているなと思った。エリオは、父親やオリヴァーが選べなかった道を選ぶことができるのだ。



胸騒ぎのシチリア [Blu-ray]
ティルダ・スウィントン
Happinet
2017-06-02



『きみへの距離、1万キロ』

 アメリカ、デトロイトに住むゴードン(ジョー・コール)の仕事は、1万キロ離れた北アフリカの砂漠地帯にある石油パイプラインを、小型ロボットで監視すること。ある日ゴードンは、パイプラインの近くの村の娘アユーシャ(リナ・エル・アラビ)を見かける。彼女は強制結婚から逃げる為、恋人と海外へ逃亡しようとしていた。監督はキム・グエン。
 ゴードンはアユーシャを助けるつもりではあるのだが、彼の行動は気になる女の子を監視カメラで逐一チェックし彼女の人生に勝手に介入していくというものなので、冷静に考えるとかなり危うい。しかし、ちょっとおとぎ話的な雰囲気で中和されている。何より6本脚のロボットの可愛らしさで乗り切っている気がする。そういえば本作もある意味、「二輪車二人乗り」映画だ(私は「二輪車二人乗りシーンがある映画は打率が高い」という持論を持っている)。
 正に当事者として問題の真っ只中にいるアユーシャに対して、ゴードンはその職業が象徴するように「見ている」だけの人だ。彼はアユーシャと彼女の恋人カリムのことを、『ロミオとジュリエット』のように「見て」いる。恋人に振られたばかりの彼にとって、アユーシャとカリムの真摯な関係はロマンティックであり、理想的なものに見えたのだろう。ゴードンは自分が欲する真摯な関係やロマンティックさは、モニターの向こう側にしかないように思っていたのではないか。しかし、モニターの向こうのアユーシャにとっては現実そのものなのだ。
 ある出来事から、ゴードンは当事者としてアユーシャの逃亡に手を貸すことを決意する。物語を眺めているだけだった人が、自分で物語を生き始めるのだ。彼の行為はアユーシャの物語を一方的に消費し「ただ乗り」している行為にも見えかねない。しかし自分で物語を動かそうとする、つまり彼女を助けようとするゴードンの意思と、逃げたいが助けが必要なアユーシャの意思がはっきりしているのでそれほど嫌悪感は沸かない。ラスト、それこそ物語の主人公になったようなゴードンの行動はなんだか微笑ましくもある。

魔女と呼ばれた少女 [DVD]
ラシェル・ムワンザ
アミューズソフトエンタテインメント
2013-10-23


不思議のひと触れ (河出文庫)
シオドア・スタージョン
河出書房新社
2009-08-04


『去年の冬、きみと別れ』

 結婚を間近に控えたライターの耶雲恭介(岩田剛典)は出版社に、有名写真家・木原坂雄大(斎藤工)の密着取材企画を持ち込む。彼のモデルをしていた盲目の女性の焼死事件は木原坂が故意に起こしたものではないかというのだ。編集者の小林(北村一輝)は推測だけで裏が取れない記事は掲載しないと告げる。原作は中村文則の同名小説。監督は瀧本智行。
 原作は未読。結末は予想できない!絶対騙される!という触れ込みだったが、本格ミステリ慣れしている人だったら7割くらいは予想可能なのでは。「第二章」という字幕の出るタイミングで本作の仕掛けはなんとなくわかるだろうし、作る側もこれを前フリにして構成になにか色々ありますよ!と観客の興味を終盤までひっぱっているのだろう。ただ残り3割は予想が難しく、あっそういう方向か!とびっくり、というか唖然というか。何が予想しにくいかというと、ある人物のある側面がいきなり露呈されるのだ。えっあなたそういう人だったの?!確かにちょっと不穏な空気は出しているけれどそれほどかよ!これじゃあもう1人の人とどっちもどっちだわ・・・。
 題名の『去年の冬、きみと別れ』はこのある人が一つの決意をした瞬間を指しているのだが、ある側面が露呈した時点で、既に「きみと別れ」ていたのではないかと思う。「きみ」の思いが消えたわけではないだろうけど、別の側面を見てしまった以上、それまでと同じようにある人を思うことは出来なかったのではないか。
 予想していたのとは全然違う方向でびっくりさせられた。ちょっと昔のB級サスペンスっぽい舞台装置や映像の色調なのだが、作品には合っていたと思う。前半、ストーリー上の粗に見えた部分も、後半でなるほどそういうことねと凡そ納得させられた。精緻なミステリというわけではないのだが、この世界観であれば伏線回収したと理解できる。




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