3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『キング・オブ・シーヴス』

 かつて「泥棒の王」と呼ばれていたブライアン(マイケル・ケイン)は泥棒稼業を引退し平穏な日々を送っていた。しかし知人のバジル(チャリー・コックス)から、ロンドン随一の宝飾店街「ハットンガーデン」での窃盗計画を持ち掛けられる。ブライアンはかつての泥棒仲間を集めるが。監督はジェームズ・マーシュ。
 2015年に実際に起きた、英国史上最高齢かつ最高額の金庫破りとして世間を騒がせた事件をドラマ化した作品。おじいちゃんたちが昔取った杵柄で金庫破り!というと何やら愉快痛快な話を想像しそうだが、本作、意外と地味。実話をベースにしているからだろうが、犯罪が泥臭いと言うか、全然爽快ではなく「仕事」として面倒臭いのだ。更にメンバーも60代が「若手」扱いという高齢者集団なので、体は動かないしコンピューターには弱いしで、ブライアンの計画には色々と粗が出てくる。傍から見ていると、プロ集団のわりには詰めが甘い、計画が雑なように見えるのだ。そのスムーズにいかない雑さ、大雑把さこそがエンターテイメントのようにはいかない「仕事」っぽさなのだろう。結構渋い話なのだ。
 英国最高額の金庫破りのわりには、計画の破綻の仕方がショボいあたりも、実際の仕事ってこういう所あるよな…というしょっぱい気持ちになる。ちょっとした油断はもちろんなのだが、問題の大半が人間関係から生じてくるのだ。あいつのあそこが気に食わないとか、あいつは俺をバカにしているとか、もはや窃盗と関係なくどこの職場でもありそうなごたごた。加えて、やっていることが違法行為なため、裏切ったのでは・出し抜かれたのではという疑心暗鬼が積み重なっていく。誰がどうやって出し抜くのか、というとコンゲームのようだが全くそんなことはなく、なし崩しになっていくというのがなかなかのしょっぱさだ。
 結局ブライアンの計画はどう着地するはずだったのかとか、彼が途中で離脱するのが若干唐突だとか、いわゆる「よくできた」ストーリーではないしそんなに起伏にメリハリがあるわけでもない。それでも不思議とダレないのは、劇伴の乗せ方の効果だろう。ジャズをベースにした(ブライアンがジャズ好き)音楽が多用されており音楽入っていないシーンの方が少ないくらいなのだが、音楽のグルーヴで映画が駆動していくような印象を受けた。

ジーサンズ はじめての強盗(字幕版)
クリストファー・ロイド
2017-10-27


ミニミニ大作戦 (字幕版)
ラフ・ヴァローネ
2013-11-26




『銀魂 THE FINAL』

 不死身の生命を持つ虚により地中のエネルギー・アルタナを吸い上げられ、地球滅亡が迫る中、かつての盟友、銀時(杉田智和)、高杉(子安武人)、桂(石田彰)は虚を阻止するために奔走する。一方、万事屋の新八(阪口大助)と神楽(釘宮理恵)や真選組の面々も、彼らを助ける為に立ち上がる。原作は空知英秋の同名漫画、監督・脚本は宮脇千鶴。
 『銀魂』劇場版3作目、かつ本当の最終回。本来ならアニメ版の最終回はTVシリーズとしてやるべきだったと思うのだが(劇場版はあくまでスピンオフ)、原作もまさかの終わる終わる詐欺かつ最終的には連載媒体移動したから、らしいといえばらしいのか…ある意味首尾一貫している。なんにせよ、アニメ化も最後まで完走できてよかったよかった。製作側の多大な努力とファンの熱意によるものだろう。いやーよく続いた…。アニメシリーズ放送開始に中高生だった視聴者はもう立派な大人ですよね…。
 銀魂と言えばギャグとパロディと悪ふざけ、特にアニメシリーズは製作会社(サンライズ)と原作版元(集英社)のコンテンツをフル活用していたが、今回は冒頭に集中している。正直、今回の笑いは冒頭の「これまでのおはなし」パートで使い切った感がある(作画力もかなり使い切っている)。元ネタのカラー原稿テイストを踏襲しておりクオリティが妙に高い。以降はかなりウェットなストーリー展開なので、ギャグを求める人には拍子抜けかもしれないが、銀魂のベースは割とオーソドックスな人情噺なので最終回としてはこれでいいのだと思う。
 キャラクターの人生にちゃんと決着をつけるという意味では、正しい最終回だったのではないかと思う。あるキャラクターについて、ああやっぱりこういう人だったのかと納得させられる所があり、シリーズを追ってきた者としては感慨深いし、彼のファンだったらなおさらだろう。いわゆる男のクソデカ感情が炸裂している。上映中に泣いているお客さんがいたが、そりゃあファンは泣くだろうなと思った。このパートのみ作画が力んでいる感じ(あとはTVシリーズとあんまり変わらないかな…)。
 なおシリーズ通して見た上で本作見ていると、銀時と高杉に比べると桂はあんまり屈折していない(変人ではあるだろうが)んですね…。何というか、精神が健やかな感じがするのが面白かった。



『恐竜が教えてくれたこと』

 11歳のサム(ソンニ・ファンウッテレン)は「地球上最後の恐竜は自分が最後の一頭だということを知っていたのか」と思い悩む。家族内で末っ子である自分は最後に取り残される、そのために孤独に慣れなくてはと特訓を開始する。バカンスで訪れた島で、年上の少女テス(ヨセフィーン・アレンセン)に出会い、一緒に遊ぶようになる。テスは母親と二人暮らしだが、会ったことのない父親を島に招いたのだという。原作はアンナ・ウォルツ『ぼくとテスの秘密の七日間』、監督はステフェン・ワウテルロウト。
 サムはそんなに気難しい子ではなく素直なのだが、一人で色々考え実験してみたいという気持ちが強い。一緒に出掛けようと誘ってくる父親がちょっと迷惑な時もあるのだが、彼が安心して実験・修行に励めるのは、自覚有無にかかわらず家族が自分をバックアップしている、尊重されているという安心感があるからだろう。サムは自分を助けてくれた老人に「思い出を作れ」と言われるが、思い出を作るとはこのバックアップを上書きしていくことかもしれないなと思った。
 一方、テスはある男性を父親だとみなして彼との距離を詰めようとする。計画はうまくいくかのように思えるが、この男性が彼女にある言葉を放つ。当人は全く悪気はないのだが、これはテスが子供であるということへの配慮を欠いたものだ。子供を一個人として尊重することと、大人と同等に扱うことは、似ているようで違う。子供はどんなにしっかりしていても子供で、大人が対応する時にはそれなりのケアが必要なのだ。大人相手と同じように接することは、子供へのケアを放棄することでもある。彼のふるまいは子供であるテスに甘えているとも言える。サムの両親は子供からしたら時々うざいかもしれないが、このあたりの塩梅をちゃんと理解し、「親」「大人」であることを実践しているように思えた。だからサムは安定しているのだ。
 子供2人がとても生き生きとしていて、児童映画として良作。ラストの大団円はちょっとファンタジーぽい(ある人物が責任を引き受けるとは考えにくいので)が、子供が見て安心できる映画かなとは思った。サムが一貫して優しい子なのでほっとする。彼の優しさは、個が確立しているからこそのものに思えた。他人は自分と違うが尊重するという姿勢がある。これは彼の父親にも見られるもので、時々頼りないけどやっぱりちゃんとした大人なのだ。

ぼくとテスの秘密の七日間 (文学の森)
アンナ ウォルツ
フレーベル館
2014-09T


あの夏の子供たち [DVD]
エリック・エルモスニーノ
紀伊國屋書店
2011-04-28


『キャッツ』

 飼い猫も野良猫もいるが皆したたかに生きる「ジェリクルキャッツ」と呼ばれる猫たち。年に一度開かれる舞踏会で、新しい人生への生まれ変わりを許される、ただ1匹の猫が選ばれる。1981年に初演されて以来、愛され続けているミュージカルの映画化。監督はトム・フーパー。
 「猫人間」とでも言えばいいのか、かなり奇妙なルックの「猫」の姿に予告編段階で映画ファンを騒然とさせていた本作。映画本編を見ても、「猫人間」に慣れることはなかった。猫コスプレがだめというのではなく、コスプレ・加工度合いをなぜそこに落ち着かせたのかという、奇妙な美的センスに皆ひっかかったのだと思う。人間の体のフォルムや顔つきが出すぎで、特にボディラインは目のやりばに困る。舞台だと猫耳・ヒゲを付けたダンサーが四つん這いになったり2本足で踊ったりする様が、「あれは猫ですよ」という観客とのお約束=見立てによって成立するわけだが、映画だとその見立てが成立しない。映画は基本的に、カメラに映ったものは映ったままのものとして観客は認識するんだなと再認識した。特にトム・フーパーはクロースを多用して撮っているので、猫のコスプレをした人間というそのままの姿が更に強調されるというかごまかされないというか…。映画と舞台の表現方法の差異、観客のスタンスの差異が確認できる。そういう意味では面白い。
 何しろ大ヒットミュージカルなのでダンスと音楽はちゃんとクオリティが高い。有名曲の「メモリー」はちょっと情感盛りすぎな歌唱だと思ったが、ここが泣き所ですよ!!というわかりやすい提示。映画として駄作とか失敗作とかとはちょっと違うんだよな。ただただ奇妙。基本的に猫の自己紹介ショーの連打なので、ストーリー性には乏しく映画向きとは思えないんだけど…。

キャッツ [DVD]
“サー”ジョン・ミルズ
ジェネオン・ユニバーサル
2012-04-13


キャッツ (ちくま文庫)
T.S. エリオット
筑摩書房
1995-12-06


『きみと、波にのれたら』

 子供の頃からサーフィンが好きで、海洋大学への進学を機に海辺の町に引っ越してきたひな子(川栄李奈)。火事騒動がきっかけで消防士の港(片寄涼太)と知り合い恋に落ちる。お互いかけがえのない存在になっていくが、ある日海でおぼれた人を助けようとし、港は亡くなった。ショックが大きくサーフィンはおろか、海を見ることもできなくなったひな子。しかしある日、2人の思い出の曲を口ずさむと、水の中に港が現れる監督は湯浅政明、脚本は吉田玲子。
 堂々と真面目に恋人同士がいちゃいちゃする、真正面からじゃれあうアニメーションて日本では意外となかった気がする。本作、前半は2人のいちゃいちゃ、好きで好きでしょうがない!愛おしい!という感情の昂揚・交換をど直球で描いていて、ひねりのなさが逆に新鮮だった。こういうことを近年の日本アニメが避けてきたということなのだろう。四季を通して2人の距離感が変化していく様を瑞々しく描く。このパートをしっかりやっているから、港を失ったひな子の辛さ、取り乱し方に説得力が出るのだ。
 ひな子は水の中で港と再会でき、また一緒にいられるととても喜ぶ。落ち込んでいた所から一気に浮上するのだが、彼女の姿はとても危うく見える。他の人たちに港の姿は見えない。ひな子が悲しみのあまり自分の世界に閉じこもり、港の幻想を追い続けているとも言える。どんどん死の側に引き寄せられていくのだ。映画のトーンはポップでファンタジックだが、実はホラー的な要素がかなり強いと思う。全くジャンルは違うが黒沢清監督『岸辺の旅』を思い出した。港との繋がりが非常に強かったひな子には、生の側に引きとめてくれる存在がいない。彼女のことを心配する友人や港の後輩、妹の声も、彼女に届かないのだ。彼女が生の側に留まるには、自分自身で道を見つけ「波にのる」しかない。
 彼女が再び「波にのる」までを描く、ひな子の喪の仕事とも言えるのだが、ある地点で、もう彼女は大丈夫だなと思えるシーンがある。それまで水の中の港を見続けていたひな子が、ある時点で彼を見なくなる、波の方向、前方を見つめるのだ。こういう登場人物の心の軌道をさりげなくちゃんと描写しているところが、本作の良さだと思う。これは脚本の力なのか、絵コンテの力なのか。
 乗り物に乗って移動するシーンがどれも良かった。移動している主体の視点で動いていく風景が鮮やか。自動車にしろ自転車にしろサーフボードにしろ、それぞれ(その乗り物自体の造形も込で)魅力があった。なお、最も少女漫画感を感じたのはひな子の住む部屋のデザイン。広い!おしゃれ!大学生にこんないい部屋住めないんじゃないか・・・。しかし他の部分はロケハンばっちりでリアルなのに、ひな子の部屋のみ雰囲気優先で作っている所に拘りを感じた。そうかこういう方向の作品なんだなとここで納得した感がある。

「夜明け告げるルーのうた」 DVD 初回生産限定版
谷花音
東宝
2017-10-18






岸辺の旅 [DVD]
深津絵里
ポニーキャニオン
2016-04-20

『希望の灯り』

 ライプツィヒ近郊の巨大スーパーマーケット。在庫管理係として働き始めた青年クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)は、同僚のマリオン(サンドラ・フラー)に思いを寄せるようになる。クリスティアンに仕事を教える先輩社員のブルーノ(ペーター・クルト)は彼を見守り時に元気づけていた。彼らにはそれぞれ抱える事情があるが、つつましい生活は続いていく。原作・脚本はクレメンス・マイヤー。監督はトーマス・ステューバー。
 メイヤーの短編小説集『夜と灯りと』はしんみりとわびしくなる良作だった。ドイツはドイツでも旧東ドイツ側に暮らす人々の生活を描くが、統合後はどこか取り残された、おいていかれた感じがあるのだ。それは映画化された本作でも同様で、統合前を知る人達は当時を懐かしむ。とは言え、それほど悲壮感を持って描いているわけではない。クリスティアンはスーパーの中で、徐々に居場所を見つけていく。昔の仲間とひと悶着あったりはするが、今やれることをやろうとするし、やれることは少しずつ増えていくのだ。また、クリスティアンがフォークリフト運転の資格試験を受ける時、ブルーノだけでなく他の店員たちも固唾をのんで見守る。彼には仲間が出来、出勤することが「家に帰る」ことのようになっていく。スーパーがなんだか、ある種のユートピアみたいにも見えてくるのだ。本当は彼らの給料は決して高くはないだろうし、仕事はきつくて不安定だろう。将来の不安ももちろんあるだろう。それでも、今この時の良い面を探そう、今いる場所を良い場所だと思おう、良い場所にしようという心持が感じられる。ささやかなクリスマスパーティーが思いの外楽しそうだし、毎日の退勤の様子も、お互いに仲間であるという共通認識が感じられる。
 とは言え、その裏側で摩耗していく人、部分も確かにある。小さい摩耗が積み重なって起こったであろうある顛末が痛ましい。摩耗している部分を周囲に見せないことが彼の優しさだったのかもしれない。
 音楽、音の使い方がとてもいい作品だった。ささやかな毎日の中に時折、ファンタジックな瞬間が立ち現れるが、それは音楽の効果によるところが大きいと思う。クリスティアンがフォークリフトを初めて運転するシーンが素晴らしかった。また、クリスティアンがマリオンを見る時、しばしば海の音がする。彼にとって海の音は憧れの音なのだろう。

夜と灯りと (新潮クレスト・ブックス)
クレメンス マイヤー
新潮社
2010-03





グッバイ、レーニン! [DVD]
ダニエル・ブリュール
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2014-01-10

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』

 2002年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は「大量破壊兵器の保持」を理由にイラク侵攻に踏み切ると宣言。地方新聞社を傘下に持つナイト・リッダー社ワシントン支局の記者、ジョナサン・ランデー(ウッディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)は大統領の言葉に疑問を持ち、真実を探り始める。監督はロブ・ライナー。
 91分というコンパクトさが素晴らしい!ストーリーがぎゅっと凝縮されており濃密。ロブ・ライナー監督自身、編集長ジョン・ウォルコット役で出演しているのだが、頼りがいのある雰囲気を出しており良かった。ランデーとストロベルがウォルコットのことをすごく尊敬していて、男の子っぽいワクワク、キラキラ感を見せるのがちょっとかわいかった。うちのボスやっぱりすごいぜー!ボスおれたちがんばったよ褒めて褒めてー!みたいなまなざしでちょっと子犬っぽさがある。実際にウォルコットはすごく出来る人なわけだけど。
 彼らの戦いは負け戦になると、映画を見ている側はわかっている。フォックスを始め大手新聞社はのきなみ政府の発表を鵜呑みにした報道に偏重し、その偏重した情報が国民に浸透していく。正しいことをしているはずなのに不審の目で見られてしまうランデーとストロベルの辛さと納得いかなさがじわじわ伝わる。それでも彼らは自分が正しいと思うことをやり続けるのだ。それがマスコミとしての使命であり責任だから。ナイト・リッダー社の記事を掲載しなくなった新聞社が、「読者が喜ぶ記事を載せないと」というが、それはもう報道ではないだろう。
 ランデーの妻が、愛国者と愛国主義は違う、愛国主義は嫌いだと言う(彼女はスラブ地方出身、愛国主義の蔓延でボロボロになってしまった国から来たというわけだ)が、これって本当にその通りだよなと深く共感した。今の日本も愛国主義ばかりで愛国ではないのでは。ランデーの妻によるとアメリカ人は(国というものの捉え方が)「ナイーブ」だそうで、苦笑いしてしまった。

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NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2018-09-05





スポットライト 世紀のスクープ[Blu-ray]
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2016-09-07

『キャプテン・マーベル』

 1995年、ロサンゼルスのビデオショップに落ちてきた女性ヴァース(ブリー・ラーソン)。彼女はクリー帝国の惑星ハラから来た特殊部隊スターフォースの一員で、宿敵スクラルを追ってきたが、司令官ヨン・ロッグ(ジュード・ロウ)とはぐれてしまったのだ。驚異的な力を持つ彼女は、身に覚えのない記憶のフラッシュバックに悩まされていた。スクラルは彼女の記憶の中にある何かを狙っているらしい。謎を解明するため、ヴァースとSHIELDの捜査官ジャック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)は行動を共にする。監督はアンナ・ボーデン&ライアン・フレック。
 ようやくこういう女性ヒーローが登場したか、と感慨深いものがあった。すごく美しいわけでもセクシーなわけでも(もちろんブリー・ラーソン自身は見られる職業の人としての美しさがあるが、強調されていない)、愛嬌ふりまくわけでもない、加えて恋愛もしない、ただ単に「ヒーロー」。女性という要素の扱いがとてもフラットだ。強い女性ヒーローというと、今までは強いけど優雅だとか、女傑的な美しさとか、あるいは母性をベースにしたものだったりしたが、キャプテン・マーベルにはそういう要素は薄い。ただただ強いのだ。闘い方も結構乱暴で優雅とは程遠い。殴る!投げる!捻じ曲げる!って感じだ。ヴァース=キャロルが無駄に笑わない所も良かった。笑うのは、笑いたい時、笑いあいたい相手に対してだけでいい。
 ヴァース=キャロルの、自分の記憶は一体何を意味するのか?自分は本当は何者なのか?という「なぜ?」に突き動かされて邁進していく様が小気味よい。そして彼女が「なぜ?」と思っていたのは自分のことだけではなく、自分を取り巻くものに対してもだった。何かに阻まれるたびに「なぜ阻むのか?」「阻むことに正当な理由はあるのか?」と問い続け諦めなかったからこそ、今の彼女がある。彼女の記憶が彼女を肯定し支え続ける。決して師匠の導きのみによってここにたどり着いたわけではないのだ。最後に「手を取らない」というのも清々しい。「導いてやろう」系の奴は大体ろくでもないからな!
 フューリーとの関係にしろ、マリア(ラシャーナ・リンチ)との関係にしろ、友情の描き方がとてもいいなと思った。ピンチの時は呼んで、絶対助けに来るからという言葉、もうヒーローとしか言えない!そしてマリアとの絆と思いやりには胸が熱くなった。どちらもべたついていない、しかし深い信頼がある。

『THE GUILTY ギルティ』

 緊急通報指令室のオペレーター、アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は今まさに誘拐されているという女性イーベン(イェシカ・ディナウエ)から通報を受ける。車の発信音や物音、イーベンの声等から、彼女が置かれている状況に少しずつ近付きなんとか救出しようとするアスガーだが。監督はグスタフ・モーラー。第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞した作品。
 ここ数年でワンシチェーションスリラーのバラエティが増えたなという印象があったが、本作はその中でも頭一つ抜けて出来がよく、ストイックに「ワンシチュエーション」に徹していると思う。電話からの声と音だけで構成され、アスガーはオペレーター室から出ることがない。この縛りの中でよくここまでサスペンスを盛り上げたな!と唸った。90分足らず(88分)という短い作品ではあるが、全く飽きず最後まで観客を引っ張る。
 このシチュエーションの中で盛り上げる為のストーリー構成がよく考えられている。(ネタバレになるので妙な言い方になるが)まず彼女に何があったのか?という1周目の盛り上がりがあり、更にベクトルの向きが変わった2周目の盛り上がりがあるのだ。2周目の存在は何となく予想できるのだが、そこでクールダウンさせないのはアスガーと電話相手との会話の組み立て、タイミング設置が的確だからだろう。アスガーとイーベン、アスガーと所轄(という呼び方はデンマークではしないとは思うけど・・・)、アスガーと元相棒刑事という組み合わせでの言葉のやりとりが、何が起きているのかを徐々にあぶりだしていく。
 更に、事件の経緯と平行して、アスガーがなぜ緊急通報指令室に配属されたのか、彼が迎える「明日」とは何なのか、過去に何があったのかが徐々にわかってくる。アスガーの行動、相棒に対する態度等がちょっと独善的に思えたのだが、おそらくはそういう資質が招いたことへとつながってくる。これらの謎が明らかになった後、題名の意味が重く響いてくる。キレのいいサスペンスだが、ある事実が判明した後の雰囲気や後味は北欧ミステリっぽさがある。アメリカのミステリとは一味違った闇の濃さだ。

セルラー [DVD]
キム・ベイシンガー
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2005-08-26


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ジョン・チョー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2019-03-06


『喜望峰の風に乗せて』

 1968年のイギリス。ヨットによる単独無寄港を競う、ゴールデン・グローブ・レースが開催されることになった。航海計器メーカーを経営するドナルド・クロウハースト(コリン・ファース)は、名立たるセーラー達が集う中、名乗りを上げる。アマチュアが優勝すれば大きな宣伝になると触れ込みスポンサーも確保し、周囲の期待に押されながら出航するが。監督はジェームズ・マーシュ。
 予告編は見たことがなく、ポスターも題名も何となく爽やかなので感動海洋冒険ものかと思ったら、とんでもなかった。いい方向(と言っていいものか・・・)に裏切られた作品。本作、中盤以降ほぼホラーな怖さだった。ドナルドは家族とヨット遊び等はしているものの、長距離航海をしたことはなく(「沖から出たことないだろう」と言われる)、ほぼ素人。そんな素人が単独無寄港レースに参加するというだけで無謀だし、妻クレア(レイチェル・ワイズ)が心配して止めるのも当然だろう。しかし子供たちは無邪気に喜ぶし、スポンサーや世論は「勇気ある挑戦者」として彼を持ち上げ、地元の町ぐるみで時の人として応援されるようになる。ドナルドがやっぱり無理なのではと危機感を感じた時には、引っ込みがつかなくなっている。ボートが不完全な状態で航海に出るなんて狂気の沙汰だが、出ざるを得ない「空気」が彼の周囲で形成されているのだ。そしてドナルドはその空気に負けてしまう。更に、リタイアすらできなくなっていく。現実的に考えれば、いくら叩かれるだろうとは言え、リタイアする方がまともと思えるのだが、そういう選択肢を持てなくなっていく所が、本作最大の恐怖だ。原題が「 The Mercy 」というのも容赦ない。
 ドナルドが不備を分かりつつも航海に出てしまったのは、周囲の期待に応えなくてはというプレッシャーと同時に、臆病者だと思われたくないというプレッシャーが非常に強かったからではないか。彼は展示会で聞いた、セーラーの「男らしい」冒険者としての言葉に魅了され、レース参加を思い立つ。レースに要求されるような勇気や強さを自分も持っていると証明したくなってしまったのだろう。彼は割と柔和で気の優しい人であり、いわゆるマッチョな男性ではないことが、言動の端々から感じられる。妻からも子供たちからも愛される良き夫・良き父であるはずなのだが、それだけでは満足できない、何かを証明したことにはならないのかと不思議な気もした(そもそも何かを証明する必要があるのかと思う)。そして、彼の自分の存在証明みたいなものが、レースのような無謀な形を取ることがまた不思議だ。父親/男性はこうであれ、勇気があるとはこういうことである、という理想のようなものにドナルドが食い殺されていくようでもあった。


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