3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『きみと、波にのれたら』

 子供の頃からサーフィンが好きで、海洋大学への進学を機に海辺の町に引っ越してきたひな子(川栄李奈)。火事騒動がきっかけで消防士の港(片寄涼太)と知り合い恋に落ちる。お互いかけがえのない存在になっていくが、ある日海でおぼれた人を助けようとし、港は亡くなった。ショックが大きくサーフィンはおろか、海を見ることもできなくなったひな子。しかしある日、2人の思い出の曲を口ずさむと、水の中に港が現れる監督は湯浅政明、脚本は吉田玲子。
 堂々と真面目に恋人同士がいちゃいちゃする、真正面からじゃれあうアニメーションて日本では意外となかった気がする。本作、前半は2人のいちゃいちゃ、好きで好きでしょうがない!愛おしい!という感情の昂揚・交換をど直球で描いていて、ひねりのなさが逆に新鮮だった。こういうことを近年の日本アニメが避けてきたということなのだろう。四季を通して2人の距離感が変化していく様を瑞々しく描く。このパートをしっかりやっているから、港を失ったひな子の辛さ、取り乱し方に説得力が出るのだ。
 ひな子は水の中で港と再会でき、また一緒にいられるととても喜ぶ。落ち込んでいた所から一気に浮上するのだが、彼女の姿はとても危うく見える。他の人たちに港の姿は見えない。ひな子が悲しみのあまり自分の世界に閉じこもり、港の幻想を追い続けているとも言える。どんどん死の側に引き寄せられていくのだ。映画のトーンはポップでファンタジックだが、実はホラー的な要素がかなり強いと思う。全くジャンルは違うが黒沢清監督『岸辺の旅』を思い出した。港との繋がりが非常に強かったひな子には、生の側に引きとめてくれる存在がいない。彼女のことを心配する友人や港の後輩、妹の声も、彼女に届かないのだ。彼女が生の側に留まるには、自分自身で道を見つけ「波にのる」しかない。
 彼女が再び「波にのる」までを描く、ひな子の喪の仕事とも言えるのだが、ある地点で、もう彼女は大丈夫だなと思えるシーンがある。それまで水の中の港を見続けていたひな子が、ある時点で彼を見なくなる、波の方向、前方を見つめるのだ。こういう登場人物の心の軌道をさりげなくちゃんと描写しているところが、本作の良さだと思う。これは脚本の力なのか、絵コンテの力なのか。
 乗り物に乗って移動するシーンがどれも良かった。移動している主体の視点で動いていく風景が鮮やか。自動車にしろ自転車にしろサーフボードにしろ、それぞれ(その乗り物自体の造形も込で)魅力があった。なお、最も少女漫画感を感じたのはひな子の住む部屋のデザイン。広い!おしゃれ!大学生にこんないい部屋住めないんじゃないか・・・。しかし他の部分はロケハンばっちりでリアルなのに、ひな子の部屋のみ雰囲気優先で作っている所に拘りを感じた。そうかこういう方向の作品なんだなとここで納得した感がある。

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『希望の灯り』

 ライプツィヒ近郊の巨大スーパーマーケット。在庫管理係として働き始めた青年クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)は、同僚のマリオン(サンドラ・フラー)に思いを寄せるようになる。クリスティアンに仕事を教える先輩社員のブルーノ(ペーター・クルト)は彼を見守り時に元気づけていた。彼らにはそれぞれ抱える事情があるが、つつましい生活は続いていく。原作・脚本はクレメンス・マイヤー。監督はトーマス・ステューバー。
 メイヤーの短編小説集『夜と灯りと』はしんみりとわびしくなる良作だった。ドイツはドイツでも旧東ドイツ側に暮らす人々の生活を描くが、統合後はどこか取り残された、おいていかれた感じがあるのだ。それは映画化された本作でも同様で、統合前を知る人達は当時を懐かしむ。とは言え、それほど悲壮感を持って描いているわけではない。クリスティアンはスーパーの中で、徐々に居場所を見つけていく。昔の仲間とひと悶着あったりはするが、今やれることをやろうとするし、やれることは少しずつ増えていくのだ。また、クリスティアンがフォークリフト運転の資格試験を受ける時、ブルーノだけでなく他の店員たちも固唾をのんで見守る。彼には仲間が出来、出勤することが「家に帰る」ことのようになっていく。スーパーがなんだか、ある種のユートピアみたいにも見えてくるのだ。本当は彼らの給料は決して高くはないだろうし、仕事はきつくて不安定だろう。将来の不安ももちろんあるだろう。それでも、今この時の良い面を探そう、今いる場所を良い場所だと思おう、良い場所にしようという心持が感じられる。ささやかなクリスマスパーティーが思いの外楽しそうだし、毎日の退勤の様子も、お互いに仲間であるという共通認識が感じられる。
 とは言え、その裏側で摩耗していく人、部分も確かにある。小さい摩耗が積み重なって起こったであろうある顛末が痛ましい。摩耗している部分を周囲に見せないことが彼の優しさだったのかもしれない。
 音楽、音の使い方がとてもいい作品だった。ささやかな毎日の中に時折、ファンタジックな瞬間が立ち現れるが、それは音楽の効果によるところが大きいと思う。クリスティアンがフォークリフトを初めて運転するシーンが素晴らしかった。また、クリスティアンがマリオンを見る時、しばしば海の音がする。彼にとって海の音は憧れの音なのだろう。

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『記者たち 衝撃と畏怖の真実』

 2002年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は「大量破壊兵器の保持」を理由にイラク侵攻に踏み切ると宣言。地方新聞社を傘下に持つナイト・リッダー社ワシントン支局の記者、ジョナサン・ランデー(ウッディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)は大統領の言葉に疑問を持ち、真実を探り始める。監督はロブ・ライナー。
 91分というコンパクトさが素晴らしい!ストーリーがぎゅっと凝縮されており濃密。ロブ・ライナー監督自身、編集長ジョン・ウォルコット役で出演しているのだが、頼りがいのある雰囲気を出しており良かった。ランデーとストロベルがウォルコットのことをすごく尊敬していて、男の子っぽいワクワク、キラキラ感を見せるのがちょっとかわいかった。うちのボスやっぱりすごいぜー!ボスおれたちがんばったよ褒めて褒めてー!みたいなまなざしでちょっと子犬っぽさがある。実際にウォルコットはすごく出来る人なわけだけど。
 彼らの戦いは負け戦になると、映画を見ている側はわかっている。フォックスを始め大手新聞社はのきなみ政府の発表を鵜呑みにした報道に偏重し、その偏重した情報が国民に浸透していく。正しいことをしているはずなのに不審の目で見られてしまうランデーとストロベルの辛さと納得いかなさがじわじわ伝わる。それでも彼らは自分が正しいと思うことをやり続けるのだ。それがマスコミとしての使命であり責任だから。ナイト・リッダー社の記事を掲載しなくなった新聞社が、「読者が喜ぶ記事を載せないと」というが、それはもう報道ではないだろう。
 ランデーの妻が、愛国者と愛国主義は違う、愛国主義は嫌いだと言う(彼女はスラブ地方出身、愛国主義の蔓延でボロボロになってしまった国から来たというわけだ)が、これって本当にその通りだよなと深く共感した。今の日本も愛国主義ばかりで愛国ではないのでは。ランデーの妻によるとアメリカ人は(国というものの捉え方が)「ナイーブ」だそうで、苦笑いしてしまった。

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『キャプテン・マーベル』

 1995年、ロサンゼルスのビデオショップに落ちてきた女性ヴァース(ブリー・ラーソン)。彼女はクリー帝国の惑星ハラから来た特殊部隊スターフォースの一員で、宿敵スクラルを追ってきたが、司令官ヨン・ロッグ(ジュード・ロウ)とはぐれてしまったのだ。驚異的な力を持つ彼女は、身に覚えのない記憶のフラッシュバックに悩まされていた。スクラルは彼女の記憶の中にある何かを狙っているらしい。謎を解明するため、ヴァースとSHIELDの捜査官ジャック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)は行動を共にする。監督はアンナ・ボーデン&ライアン・フレック。
 ようやくこういう女性ヒーローが登場したか、と感慨深いものがあった。すごく美しいわけでもセクシーなわけでも(もちろんブリー・ラーソン自身は見られる職業の人としての美しさがあるが、強調されていない)、愛嬌ふりまくわけでもない、加えて恋愛もしない、ただ単に「ヒーロー」。女性という要素の扱いがとてもフラットだ。強い女性ヒーローというと、今までは強いけど優雅だとか、女傑的な美しさとか、あるいは母性をベースにしたものだったりしたが、キャプテン・マーベルにはそういう要素は薄い。ただただ強いのだ。闘い方も結構乱暴で優雅とは程遠い。殴る!投げる!捻じ曲げる!って感じだ。ヴァース=キャロルが無駄に笑わない所も良かった。笑うのは、笑いたい時、笑いあいたい相手に対してだけでいい。
 ヴァース=キャロルの、自分の記憶は一体何を意味するのか?自分は本当は何者なのか?という「なぜ?」に突き動かされて邁進していく様が小気味よい。そして彼女が「なぜ?」と思っていたのは自分のことだけではなく、自分を取り巻くものに対してもだった。何かに阻まれるたびに「なぜ阻むのか?」「阻むことに正当な理由はあるのか?」と問い続け諦めなかったからこそ、今の彼女がある。彼女の記憶が彼女を肯定し支え続ける。決して師匠の導きのみによってここにたどり着いたわけではないのだ。最後に「手を取らない」というのも清々しい。「導いてやろう」系の奴は大体ろくでもないからな!
 フューリーとの関係にしろ、マリア(ラシャーナ・リンチ)との関係にしろ、友情の描き方がとてもいいなと思った。ピンチの時は呼んで、絶対助けに来るからという言葉、もうヒーローとしか言えない!そしてマリアとの絆と思いやりには胸が熱くなった。どちらもべたついていない、しかし深い信頼がある。

『THE GUILTY ギルティ』

 緊急通報指令室のオペレーター、アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は今まさに誘拐されているという女性イーベン(イェシカ・ディナウエ)から通報を受ける。車の発信音や物音、イーベンの声等から、彼女が置かれている状況に少しずつ近付きなんとか救出しようとするアスガーだが。監督はグスタフ・モーラー。第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞した作品。
 ここ数年でワンシチェーションスリラーのバラエティが増えたなという印象があったが、本作はその中でも頭一つ抜けて出来がよく、ストイックに「ワンシチュエーション」に徹していると思う。電話からの声と音だけで構成され、アスガーはオペレーター室から出ることがない。この縛りの中でよくここまでサスペンスを盛り上げたな!と唸った。90分足らず(88分)という短い作品ではあるが、全く飽きず最後まで観客を引っ張る。
 このシチュエーションの中で盛り上げる為のストーリー構成がよく考えられている。(ネタバレになるので妙な言い方になるが)まず彼女に何があったのか?という1周目の盛り上がりがあり、更にベクトルの向きが変わった2周目の盛り上がりがあるのだ。2周目の存在は何となく予想できるのだが、そこでクールダウンさせないのはアスガーと電話相手との会話の組み立て、タイミング設置が的確だからだろう。アスガーとイーベン、アスガーと所轄(という呼び方はデンマークではしないとは思うけど・・・)、アスガーと元相棒刑事という組み合わせでの言葉のやりとりが、何が起きているのかを徐々にあぶりだしていく。
 更に、事件の経緯と平行して、アスガーがなぜ緊急通報指令室に配属されたのか、彼が迎える「明日」とは何なのか、過去に何があったのかが徐々にわかってくる。アスガーの行動、相棒に対する態度等がちょっと独善的に思えたのだが、おそらくはそういう資質が招いたことへとつながってくる。これらの謎が明らかになった後、題名の意味が重く響いてくる。キレのいいサスペンスだが、ある事実が判明した後の雰囲気や後味は北欧ミステリっぽさがある。アメリカのミステリとは一味違った闇の濃さだ。

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『喜望峰の風に乗せて』

 1968年のイギリス。ヨットによる単独無寄港を競う、ゴールデン・グローブ・レースが開催されることになった。航海計器メーカーを経営するドナルド・クロウハースト(コリン・ファース)は、名立たるセーラー達が集う中、名乗りを上げる。アマチュアが優勝すれば大きな宣伝になると触れ込みスポンサーも確保し、周囲の期待に押されながら出航するが。監督はジェームズ・マーシュ。
 予告編は見たことがなく、ポスターも題名も何となく爽やかなので感動海洋冒険ものかと思ったら、とんでもなかった。いい方向(と言っていいものか・・・)に裏切られた作品。本作、中盤以降ほぼホラーな怖さだった。ドナルドは家族とヨット遊び等はしているものの、長距離航海をしたことはなく(「沖から出たことないだろう」と言われる)、ほぼ素人。そんな素人が単独無寄港レースに参加するというだけで無謀だし、妻クレア(レイチェル・ワイズ)が心配して止めるのも当然だろう。しかし子供たちは無邪気に喜ぶし、スポンサーや世論は「勇気ある挑戦者」として彼を持ち上げ、地元の町ぐるみで時の人として応援されるようになる。ドナルドがやっぱり無理なのではと危機感を感じた時には、引っ込みがつかなくなっている。ボートが不完全な状態で航海に出るなんて狂気の沙汰だが、出ざるを得ない「空気」が彼の周囲で形成されているのだ。そしてドナルドはその空気に負けてしまう。更に、リタイアすらできなくなっていく。現実的に考えれば、いくら叩かれるだろうとは言え、リタイアする方がまともと思えるのだが、そういう選択肢を持てなくなっていく所が、本作最大の恐怖だ。原題が「 The Mercy 」というのも容赦ない。
 ドナルドが不備を分かりつつも航海に出てしまったのは、周囲の期待に応えなくてはというプレッシャーと同時に、臆病者だと思われたくないというプレッシャーが非常に強かったからではないか。彼は展示会で聞いた、セーラーの「男らしい」冒険者としての言葉に魅了され、レース参加を思い立つ。レースに要求されるような勇気や強さを自分も持っていると証明したくなってしまったのだろう。彼は割と柔和で気の優しい人であり、いわゆるマッチョな男性ではないことが、言動の端々から感じられる。妻からも子供たちからも愛される良き夫・良き父であるはずなのだが、それだけでは満足できない、何かを証明したことにはならないのかと不思議な気もした(そもそも何かを証明する必要があるのかと思う)。そして、彼の自分の存在証明みたいなものが、レースのような無謀な形を取ることがまた不思議だ。父親/男性はこうであれ、勇気があるとはこういうことである、という理想のようなものにドナルドが食い殺されていくようでもあった。


『恐怖の報酬』

 121分のオリジナル完全版で鑑賞。南米、ヴォルベニール。反政府ゲリラによってジャングルの中の油田が爆破され、大火災が起きた。油田会社はニトログリセリンによって爆破・鎮火させようとするが、ニトログリセリンの保管場所と火災現場は300キロの距離があり、ちょっとした刺激で爆発してしまうニトログリセリンの運搬は非常に難しいと思われた。会社側は一万ドルの報酬を提示し、名乗りを上げた4人の男にニトログリセリン運搬を依頼する。監督はウィリアム・フリードキン。1977年の作品。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督作品(1953)のリメイク。
 前知識が全くと言っていいほどなく、1978年に公開された当時には大幅にカットされていた(当時公開されていたのは92分版だそう)ということも初めて知った。多分、運搬に関わるまでに4人が何をしていたかという冒頭30分くらいの部分が丸ごとカットされていたのではないかと思うが、この部分が大変面白かった。全く違う国、違う町で4つの事件が起き、4人の男がその町を去ったことが順番に提示されるのだ。メキシコでターゲットを消した殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)は何事もなかったようにその場を去る。エルサレムで爆破テロを遂行した若者たちは軍の特殊部隊に追い詰められ、カッセム(アミドゥ)のみが逃げのびる。パリに暮らす投資家マンゾン(ブルーノ・クレメル)は証券取引所から不正取引を追及さる。ビジネスパートナーである義弟に、富豪の父親に金を出してもらうよう交渉しろと詰め寄るが、交渉は決裂、義弟は自殺し、マンゾンはその場から逃げ出す。ニュージャージー州で強盗により大金を手に入れたマフィアの一味だが、交通事故で4人中3人が瀕死の状態に。生き残ったスキャロン(ロイ・シャイダー)は事故現場から逃げるが、更に被害者の兄が対抗組織のボスだということが発覚。追手から逃れる為にスキャロンは国外へ高飛びしようとする。
 4人それぞれのパートが、それぞれ別の映画の導入部分であるようにスリリングで引きが強い。この時点では4人の接点はないので、一体どういう話なのか、4人がどう絡んでくるのかとわくわくしてくる。むしろ南米で大集合したことに、若干拍子抜けというか虚を突かれたというか。そこから南米に行きます?って感じの人もいるし(マンゾンは油田で働きそうにないもんな!)。私はどちらかというと、冒頭の乾いたハードボイルドサスペンス的なタッチに惹かれたので、ホラー味が増していく(作っている側としてはホラーと思っていないだろうけど)後半には戸惑った。
 とは言え、後半も緊張感が途切れず、本気で怖い。橋のシーンは噂には聞いていたが、トラック側も先導する人の側もどう見ても落ちそうだし全く安心できない!ストーリー上安心できないのはもちろんなのだが、これ撮影する側・される側共に大丈夫だったのだろうかと心配になってしまう(実際、相当過酷だったらしいが)。橋はセットとして作ったのだろうが、よく作ったよな。山道をトラックが走るシーンも、運転席のアップと車輪部分(車両の足元)のアップを交互に配置し、とにかく車幅がぎりぎりだということが強調される。良く考えると、こんな道ならヘリで運んだ方がいくらかましだったのでは(序盤で「揺れるから無理」と否定されるのだが、明らかにトラックの方が揺れてるだろう・・・)?と突っ込みたくなるが。
 過酷な道程を見せようとすればするほど、なぜだか幻想的で情念が濃くなっていくところが不思議だ。トラックが進んでいくジャングルや山道、そして吊り橋自体が化け物めいた存在感を放ってくる。終盤で迷い込むカッパドキアのギョレメのような不思議な風景は、南米のジャングルの中とは思えない。本当はかなり早い段階でニトログリセリンが爆発し、全員死んでしまった後の夢のようなものなのではという気もしてきた。


L.A.大捜査線/狼たちの街 [Blu-ray]
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2018-07-04





『ギャングース』

 犯罪集団の盗品や収益金を狙って「タタキ」を繰り返すサイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は少年院で知り合いチームを組むようになった。親からも社会からも見捨てられた彼らには、窃盗以外に生活の手段がない。ある詐欺グループを狙って大金入手に成功したものの、犯行がバレ、後戻りできなくなる。原作は鈴木大介・肥谷圭介による同名漫画。監督は入江悠。
 サイケたちがやっている「タタキ」は窃盗なので当然犯罪なのだが、楽して金を手に入れようとしているわけではない。楽天的なカズキとタケオはともかく、情報収集に余念がないサイケは努力家で勤勉といっていいくらいだ。いわゆる不良とはちょっと違う。彼らは安定した職に就くためのベース自体がない。家族がいないと保証人を得にくいので住居の賃貸契約ができない、なので固定住所を持てないし、学校にも行っていないので履歴書段階で普通の採用では落とされる。スタートラインにすら立てないという苦しさだ。一方、せめてレースに出場して上の奴らを食い物にしてやる、というのが詐欺集団側。詐欺集団の「番頭」加藤(金子ノブアキ)が部下たちに仕事の心得を叩き込むのだが、その内容も若者の貧困ありきのもの。話のベースに経済的な貧困プラス家族関係の貧困があるあたりが現代の作品だなぁと思う。貧しくてもつつましく暮らす仲の良い家族、という設定はもうフィクションとしてのリアリティ(って変な言い方だけど)を持たないのかもしれない。経済的な貧困がもたらす負の連鎖が実社会にありすぎるもんなぁ・・・。
 サイケたちには頼れる親はいないし、カズオは明白に親から虐待されていた。彼らが少女ヒカリ(伊藤蒼)を行きがかり上保護してしまうのも、彼女が虐待されていたからだ。家族に対していい思い出はないはずなのに(いやだからこそか)、自分たちで疑似家族的なものを作って自己補完していくサイケたちの姿は、なんだかいじらしい。それでも親を憎めないとカズキが漏らす言葉も切なかった。なおヒカリの最終的な処遇についての判断がいたってまともで、ちょっとほっとする。
 シリアスとコメディのバランスが良くて、テンポよく進むし、出演者の演技も良く、当初見る予定はなかったのだが、見てよかった。東京フィルメックスのイベントで、入江監督とアミール・ナデリ監督の対談があり、ナデリ監督が本作をいたく気に入っていたので興味が出たのだ。ナデリ監督は本作の狂気、クレイジーさは、他の国の若手の作品ではあまり見ないタイプ、コミックの影響かな?と言っていたけど、正直なところそれほど狂気は感じなかった。マンガっぽい演技や演出のことなのかな?と思ったけど、ちょっと違う気がするしな・・・。こういうのがスタンダードになっていて自分が見慣れちゃっているということかな?


『教誨師』

 死刑囚専門の教誨師である牧師・佐伯(大杉漣)は、6人の死刑囚と面談をしている。教誨師とは受刑者の道徳心の育成や心の救済につとめ、彼らが改心できるように導く存在。しかし自分が話したいことばかり話す者、佐伯との会話がすれ違うばかりの者もおり、自分の言葉が相手に届いているのか、佐伯は自信が持てずにいる。監督・脚本は佐向大。
 大杉漣の初プロデュース作であり、主演作であり、遺作であることで評判になった本作だが、むしろ死刑と向き合う刑務官の葛藤を描いた『休暇』の脚本家が監督を務めた作品ということで重要なのではないかと思う。ほぼ佐伯と死刑囚たちの面談シーンのみで構成されており、実質的な2人芝居であるパート、しかもショットが顔に集中しているパートが長い。俳優に相当技量がないと、間が持たなさそうなのだ。そこを緊張感途切れさせず演じ切る俳優の力を実感できる作品。どの人も顔の圧が強かった。カメラがほぼ面談室の外に出ない(佐伯の回想シーンや終盤でちょっと屋外に出るくらい)というかなり思い切った構成。ぱっと見地味だが力作で見応えあった。
 殆どの囚人たちはキリスト教に帰依する気があるようには見えず、対話が成立しているとは言い難い日とも。むしろ相手の不可解さ、全くの他者であるという部分がどんどん強くなる。理解や共感を拒む存在として彼らはそこにおり、むしろ人間同士はそういうものではという諦念が生まれそうになる。佐伯はその諦念を越えようとしているわけだが、囚人たちを前にするとなかなか難しい。饒舌な女性や無口な男性の、表出の仕方は違うが自分の世界に籠っている、自分の都合がいいようにしか他者を見ない(ということは他者がいないということか)姿の異質感が強烈だった。言葉が全く届かない感じなのだ。信仰以前の問題だなと言う徒労感がすごい。
 佐伯は牧師として人徳にあふれているというわけではなく、特に頭が切れるというわけでもなく、弁舌爽やかというわけでもない。むしろ面談相手の問いの一つ一つに躓き、揚げ足を取られることもある。決して器用ではない。しかし彼が相手を説得してしまうような巧みな言葉を持っていたら、教誨師ではなくなってしまうだろう。佐伯はある境地に辿りつくが、彼はその境地を少々陳腐な言葉でしか表現できない。それでいいのだ。しかしその境地の後、改めて彼を殴りつけるようなラストが襲ってくる。その不穏さが素晴らしかった。

休暇 [DVD]
小林薫
ポニーキャニオン
2009-05-20


死刑 (角川文庫)
森 達也
角川書店
2013-05-25


『きみの鳥はうたえる』

 函館郊外の書店でアルバイトをしている「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と同居している。「僕」が同僚の佐和子(石橋静河)と付き合い始めたことで、3人で遊ぶようになる。ビリヤードやダーツに興じ、クラブに通い、夜通し酒を飲む。しかし3人の心地よい関係にも変化が生じ始める。原作は佐藤泰志の同名小説。監督は三宅唱。
 作品全体にリズム感がある。劇伴としての音楽の量はそれほど多くはない、むしろ無駄な音楽は使っていない印象なのだが、映画全体が音楽的とでも言えばいいのか、編集が的確なのか、一定のリズムで流れ進行していく感じがして気持ちいい。劇伴、音声、生活音等、音全般の扱い方が上手い作品だ。ボイスオーバーを多用しているのだが、声の大きさや聞こえる方向の変化で、画面に映っている人との距離感が何となく変わってくるように感じられた。
 また、3人がクラブでライブを見るシーンがあるのだが、最近見た日本映画に出てくるクラブの中では一番ちゃんとクラブっぽく、佐藤泰志作品の映像化作品の中でも突出して「今」を感じさせる。地方都市の小さいハコでちょっといいパフォーマンス見て気分が上がってふわふわしている感じがすごくよく出ていた。佐和子の踊る姿には、ごく普通の人が音楽と体を動かすこととのシンプルな楽しさが滲む。なお佐和子がカラオケで熱唱するシーンもあるのだが、歌が上手い!石橋は演技以外の表現力も豊かであることが窺える。
 「僕」と静雄、佐和子の関係は、いわゆる三角関係とはちょっと違う印象を受ける。「僕」は佐和子に静雄と付き合うように勧め、お互いに束縛しないでいようというスタンスだ。3人でじゃれあっていること、佐和子と気楽にセックスすることが楽しいのだ。彼のスタンスは無責任と言えば無責任なのだがそれ故軽やかで気楽。佐和子はそこに惹かれたのだろう。
 とは言え、2人のスタンスがいつまでも一致しているわけではない。「僕」は軽やかで自由に見えるが、その生き方からは「今この時」しか感じられない。「今」より先が見えないのだ。「先」を見始めた、あるいは見ざるを得ない静雄や佐和子とは自然とずれていく。佐和子や静雄には軽やかになりきれないしがらみがあることが提示されるが、「僕」にそれはない。最後の「僕」の行動は、彼が自分のスタンスを曲げて一歩踏み出した、ルートを変えたかのように見える。佐和子たちに追いつくのかはわからないけれども。

きみの鳥はうたえる (河出文庫)
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河出書房新社
2011-05-07


海炭市叙景 (通常版) [DVD]
加瀬亮
ブロードウェイ
2011-11-03


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