3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

『彼女のいない部屋』

 クラリス(ビッキー・クリープス)はある朝、夫や子供を後にして家を出る。ガソリンスタンドに寄ってから車で走り続け、車中では幼い娘がひいたピアノの録音テープを聞く。彼女はどこへ向かっているのか。監督・脚本はマチュー・アマルリック。
 フランスを代表する俳優の一人であるマチュー・アマルリックによる長編監督作4作目。アマルリック監督の前作『バルバラ セーヌの黒いバラ』が素晴らしく、監督としての手腕も相当なものだぞ!とショックをうけたのだが、本作はそれを上回る。前作と同じく視点の設置にひねりがあり、引き付けられた。特に今回は時間軸や視点をシャッフルしたかなり複雑な構造なのだが、最小限の補助線で何がどうなったのか最終的にわかるように設計・配置されている。情報の出し方・見せ方が非常に上手い。小出しにされる情報を組み合わせていくと、最終的に彼女に何が起きたのかがわかってくるのだ。なぜあの時ああいう反応をしたのか、なぜあのホテルにいるのか、そもそもなぜ家を出るのか、出来事がわかるにつれ、腑に落ちてくる。その過程はスリリングであり、同時に痛切さが深くなっていく。
 ちょっとすぐには引き受け切れないような大きな事件が起こった時、人間はそれをいったん物語化、ファンタジー化してからでないと受容できないのかもしれない。人間は物語化する生き物であるということが痛いほど伝わってくる。「現実」とはパラレル状態かもしれないファンタジーを内包したまま生きていかざるを得ないということは、はたから見たら狂気にも近い、ともすると非常に苦しそうに見えるだろう。特にファンタジーを「やり直す」様はあまりに痛ましく思えた。が、当人にとっては平行する世界の両方に生きることが自然であり、救いにもなっているのかもしれない。
 主演のビッキー・クリープスの演技が素晴らしい。感情とシチュエーションの振れ幅が大きい作品なのだが、その振れ幅が自然なものに見える。そこにいる人としての実感があった。

バルバラ セーヌの黒いバラ [DVD]
マチュー・アマルリック
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2019-07-02


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マチュー・アマルリック
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2017-05-03




『神に仕える者たち』

 EUフィルムデーズ2022、オンライン配信で鑑賞。1980年、チェコスロヴァキア社会主義共和国のブラチスラヴァの神学校。共産党への恭順が強いられる中、教師たちは当局による学部閉鎖を恐れ、国家秘密警察に従う。しかし学生の中には政治に宗教が従うことを疑問視し、ひそかに外部に文書を送り、ハンガーストライキを行う者もいた。監督はイヴァン・オストゥロホヴスキー。』2020年製作。
 神学校に秘密警察がやってきて、教育方針、ひいては教会・信仰のあり方に介入しようとする。権力がいかに人の精神の自由を奪おうとするのか、その結果がいかにむごいものかということが露わになっていく。学生たちの面持ちがまだ幼さを残している所に、より痛ましさを感じた。モノクロの映像は静謐な神学校の雰囲気に合っているが、静かだからこそ彼らに近づいてくる権力の影が恐ろしい。
 本作では共産党の方針に反抗する学生と、党への恭順の精神で教育を行うことにした教師のどちらが悪い・弱いというわけではなく、双方の苦悩が描かれる。更に秘密警察官も抽象的な「悪役」ではなく、顔のある個人として描いている。彼には彼の悩み、苦しみがあるわけだが、その一方で職務になると「国家秘密警察官」としての意思・思考は覗かせないし、おそらくそこに疑問はないように見える。自分がやっていることに疑問がないというところがまた怖いのだ。
 対して教師や学生たちは、迷い悩み続ける。悩んだ末の行動はそれぞれなのだが、非常に痛ましい選択を強いられる人もいる。本作はモノクロ映像が美しいのだが、この痛ましさが鑑賞者にとってトラウマレベルにならない為の配慮としてのモノクロだったのかとも思った。



『神々の山嶺』

 カメラマンの深町(堀内賢雄)は、仕事先のネパール・カトマンズで、1924年6月にエベレスト山頂付近で消息を絶った登山家・マロリーが残したカメラがあるという話を地元の男から持ち掛けられる。一笑に付した深町だが、登山家の羽生(大塚明夫)がそのカメラを男から入手する様を見かける。羽生は孤高の日本人登山家として名を馳せたが、ある時を境に音信不通になっていた。深町はマロリーがエベレスト初登頂を成し遂げたか否かの謎、そして羽生の人生を追い始める。原作は夢枕獏の小説を谷口ジローが漫画化した同名漫画。監督はパトリック・インバート。
 アニメーション映画としては今年ベスト級なのでは。もっとアート寄りなのかなと思っていたら、意外とドラマの外連味やフックの強さもあり、ビジュアルの美しさ意外の部分でも引き込まれた。羽生という登山家の強烈なエゴと、彼を突き動かす山への思いが強烈なインパクトを残す。エゴイストでないと単独登頂なんてできないのか。そして彼の軌跡を追う深町もまた、山に魅せられた羽生の衝動を追体験していく。その追体験が徐々に深町自身のものになっていくのだ。私は登山をしたことはないが、登山未経験者でも彼らが山の何に魅せられたのかが何となくわかる気がする。
 本作の舞台は80年代~90年代くらいだと思うのだが、人物の顔にまだ昭和の味わいがあり、なかなかぐっときた。東京の街並みや群衆の顔・服装も「あの頃」の匂いが濃厚。まさかフランス映画でこの感じを味わうことになるとは…。山の肌合いや天候の表現はもちろん素晴らしいのだが、予想外に町なみの描写が良くて(原作に倣ったからというのもあるのだろうが、よくリサーチされているのではないかと思う)うれしくなった。
 どの程度原作漫画に沿っているのかわからないのだが、ストーリー展開のテンポはとてもいい。羽生の時間軸と深町の時間軸がどんどん接近し重なっていくのだが、2つの車輪が連動して物語の推進力になっている。また場面の切り替えのドラマティックさは、漫画のコマ構成に倣ったのかな?という所も。ここぞというショットの力を感じた。
 なお、日本では吹き替え版の上映だそうだが、大塚と堀内の演技が素晴らしい。この人たちはやっぱり名優なんだなと実感した。いわゆる「キャラ」的な演技よりも生々しく曖昧な揺らぎがある所に惹かれた。




神々の山嶺(上) (集英社文庫)
夢枕獏
集英社
2013-07-25



『帰らない日曜日』

 1924年3月、「母の日」の日曜日。使用人たちも帰省を許される休日だが、ニヴン家に仕えるジェーン(オデッサ・ヤング)は孤児院育ちで帰省にも縁がない。彼女はひそかに付き合っているシェリンガム家の息子ポール(ジョシュ・オコナー)を訪ねる。幼なじみのエマとの結婚を控えるポールだったが、昼食会の前にジェーンとのひと時を過ごす。彼を見送りニヴン家へ戻ったジェーンを、ある知らせが待ち受けていた。原作はグレアム・スウィフトの小説『マザリング・サンデー』、監督はエバ・ユッソン。
 ぱっとしない邦題(現代は「マザリング・サンデー」)だと思っていたら「帰らない」ってそういうことでもあったのか…。特定の人物の「帰らない」話でもあるし、過去は「帰らない」、また何もなかったころには帰れないという話でもあり、なかなか切ない。メイド時代のジェーンを後に作家となったジェーンが振り返り執筆しようとする、過去と現在を行ったり来たりする構成になっている。作家となったジェーンは執筆に行き詰っており、何とか書きだすきっかけをつかもうとしている。そのきっかけとなるのが「あの日」なのだ。
 ジェーンはメイド、ポールやその両親は上流階級で、階級差がはっきりとあるのだが、本作に登場する上流社会の人たちは不自由で不幸そうだ。ポールの結婚も彼の本意ではなく、家同士の前々からの関係性によるものだ。ただ、彼らの不幸は階級というよりも、戦争により家族を亡くし、そこから立ち直れずににいるという部分の方が大きいだろう。登場する3家族は同じ過去・思い出を共有してきたが、それが損なわれてしまった。家族がいて、家族仲が良かったからこそ傷が深い。思い出、ことに子供時代の記憶は強く人をそこに引き戻し、そこに留めてしまうものだとしみじみ思った。幸せな過去は時に現在を不幸にしてしまうのかもしれない。
 対してジェーンは孤児で家族も幼馴染もいない。彼女の女主人が指摘するように、過去を共有する人がいない、失うものがない強さというものも確かにあるだろう。そんな彼女が「失うもの」を得てしまった後にどうするのか、という部分も描かれるが、少々駆け足で圧縮しすぎかなという印象。彼女が自分が「失うもの」を得たことで当時のポールらのことを捉えなおす、そして自作への切り口をつかむという側面もあるのでもうちょっと溜めが欲しいように思った。彼らの思い出が彼女の架空の思い出、イメージとしてして精製されていく。それは作家の性でもあるのかと思った。

マザリング・サンデー (新潮クレスト・ブックス)
グレアム・スウィフト
新潮社
2018-03-30


ハワーズ・エンド [DVD]
エマ・トンプソン
パイオニアLDC
2001-07-10


『カモン カモン』

 ニューヨークに住むジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)は、9歳の甥ジェシー(ウッディ・ノーマン)の面倒を見てほしいと妹のヴィヴ(ギャビー・ホフマン)から頼まれる。ロサンゼルスのヴィヴの家でジェシーと暮らし始めたジョニーだが、好奇心旺盛でお喋りなジェシーに振り回されっぱなしだ。仕事で急遽ニューヨークに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れていくことにする。監督はマイク・ミルズ。
 モノクロ作品なのだが、すごくカラフルに見える。そこに色が、生き生きとした生活があるように見えるのだ。冒頭の町の遠景、空撮からすごく美しく、親しみのあるものに見えてきて(NYに行ったことなどないのに!)なぜか泣けてきた。渋滞している道路がこんなに魅力的に見えるとは。本作のモノクロの美しさは、映し出される風景を一種のファンタジーに見せる。生活に根差したファンタジーではあるのだが、その生活が一段階いいもののように見えるフィルターとして機能しているように思った。
 ジョニーに対するジェシーの圧倒的な他者性が強烈だった。子供と大人という立場の違いはあるが、それ以上に別の存在であるというインパクトがあった。ジェシーは自由奔放で我儘な子供のように見えるし、実際、常にジョニーが全力で自分に関わることを求めるので、ジョニー側は相当大変だ。子供が、この大人は自分にどのくらい関わってくれるのか?本気なのか?ということをずっと試しているという側面もあったろう。本気でない大人は見限られるのだ。これを24時間365日続けなければならない親って大変だな…。特に母親に対しては往々にして完璧な母親を求めてくるから、ヴィヴの苦労には同情してしまう。
 ただ、ジェシーが我儘一辺倒かというとそういうわけではないだろう。ジェシーはジェシーで子供なりに気を使っているし我慢している。9歳の子供にとって母親と離れる(しかも父親が不調で妻のサポートが必要という理由だし)、疎遠な伯父といきなり2人暮らしをしろというのはかなりハードル高いだろう。ジェシーのにぎやかさは不安さと一体になっているのかもしれない。だからジョニーに対する要求度が高いのだ。
 一方、ジョニーは決してダメな大人というわけではないが、子供と生活することには慣れていないので色々と不注意が多い。親の承諾があいまいなままNYに同行させてしまうというのはかなり問題があるだろう。彼は色々な子供にインタビューをするプロジェクトを進めており、子供に対するインタビュアーとしては上手に対応している。この上手さは とは言え、ジェシーと生活するうちに子供に対する大人の責任を引き受けていくようになる。面倒くさくても他人と本気で向き合うようになるのだ。この本気は、妹や母、そしてもしかすると別れたパートナーに対して彼がずっと避けてきたことだったのだろう。大人になるのは面倒くささを引き受けていくことでもある。
 ただヴィヴが、亡き母に対しても子供に対しても夫に対しても一貫してケアする存在であることは、ジョニーとの非対称さがあり少々辛かった。家族内(だけではないが)だと女性がこういう役割をより負いがちだ。彼女には独立した一個人として他の面もあることは提示されるが、今後もケアに比重を置いた人生にならざるをえなさそうなところがまたきつい。

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『ガンパウダー・ミルクシェイク』

 犯罪組織”ファーム”に所属する腕利きの殺し屋・サム(カレン・ギラン)は組織の金を持ち逃げした会計士の処分を依頼される。しかし会計士の娘・エミリー(黒江・コールマン)を助けてしまい、組織から自分が命を狙われる羽目になる。追手の「3バカ」をかわしながら2人が逃げ込んだのは図書館。その図書館は3人の女たちが管理しており、様々な武器を保管していた。3人の助けを得て、サムは反撃を開始する。監督・脚本はナヴォット・バプシャド。
 序盤、妙にのたのたとした滑り出しで、この先乗り切れるのかと心配になった。かっこいいことをやろうとしており、多分ああいう感じのかっこよさを目指しているんだなというのはわかるのだが、技術が追いついていない印象。ボーリング場での格闘は前半の見せ場のはずなのだが、動きと音楽とがあっておらず(おそらく動きと音をぴたっとはめるかっこよさを目指していると思われる)、アクションももたついており、映像のリズム感が悪くてイライラしてしまった。しかしこのもたつきは尻上がりに改善されていく。デンタルクリニックでの「腕が使えない」アクションなど、創意工夫が見られてなかなか楽しかった。音楽と映像との合わせ方がだんだんかみ合ってくる感じなのだ。
 “ファーム”は男性メンバーによって作られ、そのルールを作ったのも男性という言及があるのだが、これは世の中の比喩でもある。本作ではそのルールに対するカウンターとして女性たちの活躍が描かれる。ただ、それを特に気負わず「女性だから」「女性ならでは」的な背景が希薄な所は現代的だと思う。諸々のアクション映画でやっていそうなことは、男性だろうが女性だろうがやるだろう、というスタンスに思えた。ただ今現在ではまだ、「女性が」という部分にやはり意味が生まれるだろう。将来的にはそういう意味がもっと希薄化していくといいなと思う。

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『GAGARINE ガガーリン』

 パリ郊外の大規模公営住宅ガガーリン。この団地に住む16歳の少年ユーリ(アルセニ・バティリ)は宇宙に憧れつつ、2024年パリ五輪の為に取り壊されることがきまった団地を存続させようと、懸命になっていた。監督はファニー・リアタール&ジェレミー・トルイユ。
 ガガーリンという団地の名前は、宇宙飛行士のガガーリンからとったもの。実際にあった、そして解体された団地だそうだ。ガガーリンが現役のころに名前が付けられたわけだからかなり老朽化しており、設備の故障は多いしアスペスト問題も指摘されている。ユーリは親友のフサームと共に、電気系統など設備の修理に奔走する。ユーリにとってはこの団地は自分の居場所なのだ。住民同士の軋轢はあっても、意外とご近所付き合いや団地内のサークル活動、イベント(皆で日食を見るエピソードがいい)があり、コミュニティが機能していることがわかる。団地を取り壊して斡旋された新居に移れば、住まいの設備環境自体はよくなるかもしれない。しかし、長年培ってきたコミュニティは失われてしまう。設備の古さは安全面からも健康面からも問題だし、地域の再開発が悪いというわけではないのだが、その一方で失われてしまうものもあり、時に暴力的にもなり得るのだ。
 ユーリが団地にこだわるもう一つの理由は、母親だろう。母親は恋人の元におり、家にはほとんど帰ってこないようだ。ユーリが電話をしてもいつも留守電。彼女が戻ってくる場所としての団地が、ユーリにとっては必要なのだ。
 とはいえ、ユーリがどんなに頑張っても団地の取り壊しが覆ることはない。彼は宇宙船のように団地の空間を改造し、ライフラインが途切れた団地に一人で居残り続ける。このDIY精神あふれる様は楽しいと言えば楽しいのだが、彼の必死さがにじんでおり見ているのが辛くもあった。団地の外の世界との温度差・距離感が、宇宙船の中と宇宙空間の間の壁のように思えてくるのだ。ユーリのガールフレンドであるロマの少女は、彼に外から見た団地の美しい光景を見せてくれる。しかしロマである彼女は一か所にとどまることはできず、この地にとどまり続けたいユーリとは共にはいられない。
 終盤のファンタジーがとても美しいのだが、これはユーリに他に行く場所がないからこそ生まれたファンタジーだろう。宇宙空間に飛び出した宇宙飛行士のようにひとりぼっち…ではなく、宇宙飛行士だって船でバックアップしている仲間がいるのに、彼はひとりだ。美しくも物悲しくほろ苦い。

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『かそけきサンカヨウ』

 幼い頃に母親がお家を出て以来、父・直(井浦新)と2人暮らしの陽(志田彩良)。毎日学校から帰ると夕飯の支度にとりかかるのが日課だった。ある日、直が恋人ができた、結婚したいと告げる。直の再婚相手・美子(菊池亜希子)とその連れ子で4歳のひなと一緒の生活が始まるが、陽は馴染み切れずにいた。原作は窪美澄の同名小説。監督は今泉力哉。
 わりとフレームがきっちりとした、「置きに来た」感じの作品という印象だった。上手くまとめているが、ちょっとまとめた感がありすぎなように思う。上手くまとめる為に物語上のひっかかりが放置されているというか、零れ落ちている。物語内で起きている物事について、あれ?と思う所、物事の背景にある問題がどんどん遠景になっていくのだ。
 陽は友人たちがまだお喋りしている中、先に帰って家事をする。それ自体はともかく、帰りが遅くなった直がソファーでうたた寝する陽を起こすと、彼女が「すぐご飯温めるね」と台所に向かうのには違和感があった。これ、直が温めるとかお惣菜買ってくればいいのでは?帰ってきてレコードかける前にやることあるのではないかと。また、美子との再婚についても、「これで陽ももっと学校の勉強や部活に時間を使えるようになる」と言うのだが、美子は家事やるためだけに結婚するのではないだろう。直と陽の母が離婚したのは直が家事育児をあまりやらなかったからだという言及が出てくるのだが、その時からこの人はあまり変わっていないんだ、また同じ顛末になるのではと思えてしまう。
 陽は叔母からもらった料理レシピで料理を覚えたというが、その料理レシピ、まずは直に渡すべきなのではと不思議だった。陽が男の子だったら叔母は同じことをしただろうか。また、陽の同級生・陸の家でも、母親が過去に色々大変だったりする。どちらの家でも、「で、父親はその間何やっていたの?」という問題があるのだ。ひいてはそういう形を家族に強いる社会って何よという問題がある。本作の趣旨ではないのだろうが、そういう問題を個々の問題に収束させてしまっている、背景の仕組みに無頓着であるという点が気になった。何だか広がりがないというか、視野が狭い。高校生たちの心の機微やお互いの距離感等の描写は良かったので、広いスパンの描写自体に監督あるいは原作の興味がないのかもしれないが、あまり「今」の映画という感じがしなかった。


『科捜研の女 劇場版』

 京都で科学者が高所から飛び降りる連続変死事件が起きる。更に、ロンドンやトロントでも似た事件が起きたと判明。犯罪であると裏付ける物的証拠が出てこない為に自殺として処理されそうになるが、京都府警科学捜査研究所の榊マリコ(沢口靖子)と捜査一課の刑事・土門薫(内藤剛志)は独自の捜査を続ける。やがて捜査線上に最近研究者の加賀野亘(佐々木蔵之介)が浮上する。監督は兼崎涼介。
 根強い人気を持つドラマシリーズ「科捜研の女」初の劇場用作品。TVドラマシリーズのイメージを崩さず、いかにいつもの「科捜研の女」を映画という形に落とし込むかという課題を実直にやり通した作品という印象だった。立ち位置としては「名探偵コナン」のTVシリーズに対する劇場版の感じに近いのでは。そういえば本作の脚本を手掛けた櫻井武晴はコナンも手掛けているから、こういう企画には慣れているのだろう。劇場版だからといって意気込みすぎたり羽目を外したりしない、やりすぎない所が良かったと思う。収まりがいいのだ。劇場版だからといってむやみに爆発させたりテロ起こしたり巨大な権力が動いたりしなくていいのよ。
 いままでのTVシリーズで登場した主要キャラクターオールスターズというファンサービス的な賑やかさはあるが、そのオールスターをマリコが自分の捜査の為にフル活用するという一応理にかなった展開。マリコは仕事の鬼なので人間関係の情緒はガン無視していくのだが、そこが気楽でいい。本シリーズの見ていて楽な一因は、この人間関係の楽さにあるのではないか。科捜研全員がマリコのこういう人柄を理解しているし、そもそも全員オタク的というか、自分の仕事・研究第一なので、今更恋愛や嫉妬等の余計な情緒が発生する余地がない。逆に人間ドラマを見たい人にとっては仕事ばかりで物足りないのかもしれないけど…。
 榊マリコは前述のとおり仕事の鬼で、恋愛や結婚に興味はないし(離婚はしている)、母性的な側面もない。いわゆる世の中で「女らしい」「女ならでは」と称されるような要素が希薄な、日本のドラマでは珍しいタイプのヒロインなのでは。彼女の行動原理は基本的に科学者・研究者としてのものだ。こういうヒロインが長年支持されてきたというのも面白いし、何だか頼もしいぞマリコ。


新・科捜研の女’06 VOL.1 [DVD]
泉政行
東映ビデオ
2007-04-21






 

『鵞鳥湖の夜』

 2012年、中国南部の鵞鳥湖付近ではギャングたちの縄張り争いが激化していた。バイク窃盗団のチョウ(フー・ゴー)は、対立する組織の猫目。猫耳兄弟との揉め事に巻き込まれ、誤って警官を殺してしまう。指名手配されたチョウは自らにかけられた報奨金を妻子に残そうと画策し、妻の代理で来たという娼婦アイアイ(グイ・ルンメイ)と行動を共にするが。監督・脚本はディアオ・イーナン。
 緑とピンクのネオンにレトロな艶っぽさがあり、ちょっと90年代インディーズ映画ぽい(私の90年代イメージがそうだというだけなんだけど…)。『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』(ビー・ガン監督 2018年)と雰囲気や色調が似ているのだが、最近の中国の若手監督の間ではこういうのが流行っているのか?
 夜に生きる裏社会の人びと、血みどろバイオレンス、交錯する男と女というフィルム・ノワール要素満載なのだが、男女間の情念が全く感じられない部分が新鮮。出会ったばかりのチョウとアイアイはもちろんだが、チョウと妻の間にも相互理解が全然なさそうなのだ。更に男性同士、ギャング仲間同士も共感や理解がほぼ感じられず、それぞれ孤独だ。ものすごくドライで、むしろ共感や信頼はお互いに拒んでいるような雰囲気すらある。唯一何らかの共闘ぽいものが感じられる2ショットが最後のあれ、というのも旧来のノワールとは違った味わいがある。
 基本シリアスなサスペンスではあるが、妙にユーモラスなシーンが多い。意図的なのか天然なのか謎だ。ギャングたちが真面目腐ってバイク窃盗講座をやっているシーンとか、乱闘が始まると元締めが勘弁して…って顔する所とか、まどろっこしい包帯の巻き方とか、それ何なの?!と突っこみたくなる。特にアクションシーンは凄惨なのにショットのつなぎ方にやたらとリズム感があってポップ。「傘」の使い方でつい笑っちゃったりするので困る。ユーモラスで笑っちゃうのに、テンポとスピード感の緩急が抜群でかっこよく見えてしまう。不思議な持ち味だ。

薄氷の殺人(字幕版)
ワン・シュエビン
2017-07-07


オンリー・ゴッド
クリスティン・スコット・トーマス


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