クラリス(ビッキー・クリープス)はある朝、夫や子供を後にして家を出る。ガソリンスタンドに寄ってから車で走り続け、車中では幼い娘がひいたピアノの録音テープを聞く。彼女はどこへ向かっているのか。監督・脚本はマチュー・アマルリック。
フランスを代表する俳優の一人であるマチュー・アマルリックによる長編監督作4作目。アマルリック監督の前作『バルバラ セーヌの黒いバラ』が素晴らしく、監督としての手腕も相当なものだぞ!とショックをうけたのだが、本作はそれを上回る。前作と同じく視点の設置にひねりがあり、引き付けられた。特に今回は時間軸や視点をシャッフルしたかなり複雑な構造なのだが、最小限の補助線で何がどうなったのか最終的にわかるように設計・配置されている。情報の出し方・見せ方が非常に上手い。小出しにされる情報を組み合わせていくと、最終的に彼女に何が起きたのかがわかってくるのだ。なぜあの時ああいう反応をしたのか、なぜあのホテルにいるのか、そもそもなぜ家を出るのか、出来事がわかるにつれ、腑に落ちてくる。その過程はスリリングであり、同時に痛切さが深くなっていく。
ちょっとすぐには引き受け切れないような大きな事件が起こった時、人間はそれをいったん物語化、ファンタジー化してからでないと受容できないのかもしれない。人間は物語化する生き物であるということが痛いほど伝わってくる。「現実」とはパラレル状態かもしれないファンタジーを内包したまま生きていかざるを得ないということは、はたから見たら狂気にも近い、ともすると非常に苦しそうに見えるだろう。特にファンタジーを「やり直す」様はあまりに痛ましく思えた。が、当人にとっては平行する世界の両方に生きることが自然であり、救いにもなっているのかもしれない。
主演のビッキー・クリープスの演技が素晴らしい。感情とシチュエーションの振れ幅が大きい作品なのだが、その振れ幅が自然なものに見える。そこにいる人としての実感があった。