3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

『神と共に 第一章:罪と罰』

 死を迎えた消防士ジャホン(チャ・テヒョン)の前に3人の冥界からの使者が現れる。その3人、カンニム(ハ・ジョンウ)、ヘウォンメク(チュ・ジフン)、ドクチュン(キム・ヒャンギ)は地獄の裁判の弁護と護送役。死んだ人間は7つの地獄で裁判を受け、全て無罪判決を受けた者は転生できる。そして大勢を転生させると使者たちもまた転生を許されるのだという。善行を認められた「貴人」扱いだったジャホンは転生確定だと思われたが。監督はキム・ヨンファ。
 ウェブコミックの実写映画化だそうで、地獄めぐりの旅の様子や3人の使者のキャラクター造形など確かに漫画っぽい。韓国版ブリーチか?という感じ(イケメンがロングコートはためかせてるし・・・)。全体の構成も連載漫画のダイジェストっぽかった。 少年漫画っぽいのだが、人情話の側面がかなり強い、かつてらいがない所が韓国映画ならではか。親子、兄弟の情の描写はベタかつ濃厚。各地獄の大王さまたちも人情に弱過ぎて、そんなんで無罪有罪決まっちゃうの?!とびっくりする。これだったら結構な人数が無罪になって転生しているに違いない。
 とはいえこの人情部分も悪くなかった。絵にかいたような「いい人」であるジャホンが抱える罪悪感や、その弟の屈折、母の愛など、ベタはベタなのだが意外とくどくはない。本作、あの時実際に何があったのか、この人は実のところ何をしたのかというミステリが、ジャホンと母弟、弟の先輩後輩、そして本作ではまだ明かされない使者たちの生前の出来事という形で重層的に配置されているのだ。人情話はこのミステリ要素を成立させるための道具立てという印象だったので、そんなにくどく感じられなかったのかもしれない。
 本作の最大の魅力は3人の使者のキャラクターだろう。私にとっては彼らのやりとりを楽しむ作品という側面の方が強かったので、そりゃあ人情話はサブ扱いになっちゃうな・・・。リーダーであるカンニムが基本冷静なのについ情に流されてしまう様や、それがちょっと気に食わない、しかしリーダー大好き!感がにじみ出るヘウォンメク。ヘウォンメク、死者の前だと空気を読まないサイコパス感があるのに、カンニムに対してはちゃんと空気読むあたりが可愛い。そして少女の姿だがそれが単純に「年少の女性」のことで、性的なニュアンス、日本映画にありがちな少女幻想的なものをはらまないドクチュンの造形がよかった。こういう「少女」なら安心して見ていられる。第二部では彼らがなぜ死んで使者になったのかという部分が明かされるようなので楽しみ。私は基本的にサービスの盛りのいい映画はうるさくて苦手なのだが、本作はある程度記号化されているせいか、あまり鼻につかなかった。

『海獣の子供』

 中学生の琉花(芦田愛菜)は部活でトラブルを起こし、学校にも家にも居場所がない。別居中の父親が働いている水族館を訪ねたところ、ジュゴンに育てられたという少年海(石橋陽彩)と空(浦上晟周)に出会う。海と空は世界中で起きている不思議な海洋現象に関係があるらしい。原作は五十嵐大介の同名漫画、監督は渡辺歩。
アニメーション制作はSTUDIO4℃。
 原作の画風は、決してアニメーション向きではない、かなりタッチが細かく線描が多いもの。そのタッチを再現している作画に唸った。ペンの線描がそのまま動いている感じ。舞台の大半は海なので当然水の描写が多いのだが、これまた素晴らしかった。質感とスケール感は映画ならではなので、なるべく映画館で見た方がいいと思う。特に、ビジュアル面だけでなく音の効果にはっとする所が多かった。こちらも水関係の音の良さが目立つ。波音だけでなく水中の音の聞こえ方や、雨の中に入った時の独特な音の籠り方など、目ならぬ耳をひかれる部分が多かった。
 琉花のモノローグを多用されており、これにはストーリー展開の補助線的な役割の意図があるのだろうが、正直言ってあまり効果的とは思えなかった。原作がそうなっているからそうしたというのはわからなくはないが、余分なものに聞こえてしまった。作品自体が考えるな感じろ的なスタンスなので、言葉がどうしても上滑りになる。絵の力の方が圧倒的に強い。どう言語化しても表現しきれない、違うなーという気分になってしまった。言葉以外の方法での他者との通じ方が本作のテーマのひとつだというのも一因か(個人的には、ここが自分とは反りがあわない部分なんだけど)。
 琉花の居場所のなさは、アニメーションで彼女が動いている姿を見る方がより切実感をもって感じられた。家の雰囲気とか、父親の反応がちょっと鈍い他人事感(これは声をあてた稲垣吾郎の演技もよかった)などが微妙にいたたまれない。両親の目がもっと琉花に向いていたら、そもそも彼女が「選ばれる」ことはなかったんじゃないかとも思った。
 アニメーションの技術、演出力は非常に高くビジュアルの力があるが、正直それを越えてくるエモーショナルなもの、物語の力みたいなものは弱い(これは原作を読んだ時も思った)。人体と宇宙が繋がっている感じ、世界の神秘といったスピリチュアルというかニューエイジ的な世界観はもうフィクションの中ではやりつくされた感があって、なぜ今これを?という気分がぬぐえない。もはや一周して新鮮なの?

海獣の子供 (1) (IKKI COMIX)
五十嵐 大介
小学館
2007-07-30






鉄コン筋クリート [Blu-ray]
二宮 和也
アニプレックス
2014-04-23

『ガルヴェストン』

 重い病に冒されていると告げられた死期を悟ったギャングのロイ(ベン・フォスター)。ボスに命じられある仕事に向かうが、それは彼を切り捨てる為の罠だった。ロイは組織の人間を撃ち殺し、その場にいた娼婦ロッキー(エル・ファニング)を連れて逃げる。ロッキーはまだ少女だが頼れる人もなく、体を売って生活していた。なりゆきで見ず知らずの2人の逃避行が始まる。原作はニック・ピゾラット『逃亡のガルヴェストン』、監督はメラニー・ロラン。
 メラニー・ロランは役者としてだけではなく監督としても腕がある。ちょっとごつごつしたぎこちなさはあるのだが、抑制がきいてる好作だった。原作小説の消化の仕方にセンスのよさを感じた。原作はどちらかというと古風な男性のロマンティシズムが強かったように思うが、映画はロマンティシズムの方向がちょっと変えられている。性愛の要素が薄い、もっと広義の愛が描かれているように思った。男性に仮託されたナルシズムが薄い。女性はファム・ファタールではないのだ。自分よりずっと若い相手に手を出す大人はろくなもんじゃないぞ、まともな大人はそういうことをしないんだと示しているあたりも現代的。
 冒頭、病院での行動が、ロイがどういう人間なのか、すごくわかりやすく表わしている。自分の問題、恐れと直面できない弱い面があるのだ。さすがに診断は聞けよ!って思ってしまう。元恋人に会いに行くのもけじめというよりは逃避行動に見える。元恋人の塩対応は、彼の現実認識の甘さを突き付けるようでもあって苦い。
そんなロイがロッキーの為に逃げることをやめ立ち向かおうとする。ロッキーは自分の身を守る為にあるものから逃げ出したが、自分以外のものを守るために立ち戻り対決する。ロイがトラブルを呼び込むであろう彼女を見捨てられなかったのは、彼女の対決しようという意思を見てしまったからではないかとも思った。

逃亡のガルヴェストン (ハヤカワ・ミステリ)
ニック・ピゾラット
早川書房
2011-05-09





ミステリアス・ショーケース (ハヤカワ・ミステリ)
デイヴィッド・ゴードン
早川書房
2012-03-09

『家族のレシピ』

 父・和男(伊原剛志)、叔父・明男(別所哲也)とラーメン店を営む直人(斎藤工)。しかし父が急死した。直人は若い頃に亡くなった母メイリアン(ジネット・アウ)の日記を見つけ、彼女の故郷であるシンガポールを訪れる。地元のフードブロガー、美樹(松田聖子)の助けを借りて、現地で母の弟である叔父ウィー(マーク・リー)と再会した直人は、父と母のなれそめだったパクテー作りを学ぶ。同時に、祖母マダム・リー(ビートリス・チャン)が実の娘である母をずっと許さずにいると知る。監督はエリック・リー。
 監督が『TATSUMI マンガに革命を起こした男』の人だと気付いて見に行ったのだが、掘り出し物的な良さがあった。地味だが落ち着いた良さがある。高崎市とシンガポールのご当地映画としても楽しい。料理がモチーフの作品なだけあって、冒頭に出てくるラーメンから、シンガポールで次々と登場するシンガポール料理まであますところなく美味しそう!これはシンガポール料理店に行かなくては!という気分になってくる。料理を食べているシーンも自然で良かった。ウィーとその家族が直人に食事をふるまい、これも食べろ!とご飯の上に次々とおかずを分けていく様は、中国映画で良く見た風景。中国の文化圏でもあるという様子が垣間見られる(他にも色々な民族が流入しており、その多様さが食文化の多様さに反映されているそうだ)。食事の記憶が人の心をほぐし、繋げていくという話だから、食事のシーンに魅力がないと話にならないわけだが、その点は安心できる。
 シンガポールと日本の関係が常に円満だったわけではない、戦争が影を落とした時期もあることにも言及されている。マダム・リーにとっては戦争はまだ終わっていないとも言える。直人は歴史を学び、おそらく彼女の心情も察するのだろうが、それでも母を許さなかったことについて、酔ってマダム・リーに詰め寄ってしまう。彼のやっていることは八つ当たりで、大分身勝手に見えるのだが、それでも言わずにはいられないという所に逆に説得力があった。母を失ったこと、母が失意のうちに亡くなったというこが彼の中ではとても大きく、苦しいことで、それを今まで誰かと分かち合うことが出来なかったんだなと。
 なぜか松田聖子が出演しているのだが、彼女の違和感が何かすごかった。他の人たちはその土地に馴染んでいる感じがするが、一人だけ浮いており、「芸能の人」感が強烈。とてもブロガーには見えないよ・・・(なお作中に出てくるブログはデザインが一昔前っぽかった。というかあれはブログではないような・・・)。とはいえ発声がはっきりしており台詞は聞き取りやすいので、シンガポール料理の解説にはぴったりだった。


 
TATSUMI マンガに革命を起こした男 [DVD]

別所哲也
KADOKAWA / 角川書店
2015-06-10



スパイシー・ラブスープ [DVD]
ワン・シュエピン
ポニーキャニオン
2000-05-17

『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』

 (本作、構造上ネタバレせずに感想を書くのがすごく難しそうだが、なるべくネタバレなしで書いてみます。)
 仮面ライダージオウこと常盤ソウゴ(奥野壮)の世界で、仲間たちが次々と記憶を失うという異変が起きた。ソウゴは仮面ライダービルドこと桐生戦兎(犬飼貴丈)と協力して原因を探るが、2人の前にスーパータイムジャッカー・ティード(大東駿介)が現れる。ティードはシンゴという少年を追っていた。監督は山口恭平。
 歴史改変SFとしてはどうなんだとか、この人結局何をやりたかったんだろうとか、ストーリー上の強引さは相当ある、そもそも歴代平成ライダーが全員登場するという大前提が強引だ。しかし、なぜ全ライダーが来る必要があるのか、誰の為に来るのか、という部分がすごく力強く打ち出されて、コアなファンと言うわけではない私でも胸を打たれるものがあった。ファンなら思わず泣くのでは。登場するライダー全員は知らなくても、1人でも同じ時代を生きたと思えるライダーがいる人には刺さってくると思う。平成最後に贈られてきた、製作側から歴代視聴者への渾身のプレゼントだ。
 仮面ライダーというジャンルのみならず、特撮にしろ漫画にしろアニメにしろ小説にしろ映画にしろ、全てのフィクションを愛する人ならこの気持ちわかるんじゃないかな、というものが全編に満ちていた。この世界で仮面ライダーはもちろんフィクションなわけだが、同時にファンが覚えている限り生きていて、それぞれの人生に並走している。たとえ忘れてもどこかで生きている。作中のある台詞に涙したファンは多いのでは。
 スーツアクターによるアクションがかなり豪華(何しろ人数が多い!)で見応えがある。歴代ライダーそれぞれの特徴も分かりやすい演出だった。この頃は肉弾戦中心だったんだなとか、この時期はギミックが増えたんだなとか、キックの方向性の変化とか、色々楽しいのだ。また、バイクアクションが結構ガチなのも嬉しかった。すごくいいショットがある!


『彼が愛したケーキ職人』

 ベルリンに住むケーキ職人トーマス(ティム・カルクオワ)は、イスラエルから出張でやってくる常連客オーレン(ロイ・ミラー)と恋人関係になる、しかしオーレンには妻子がいた。ある日、エルサレムに帰ったオーレンからの連絡が途切れる。彼は交通事故で亡くなっていたのだ。エルサレムに残されたオーレンの妻アナト(サラ・アドラー)は休業していたカフェを再開する。何も知らない彼女の前に、トーマスが客として現れる。監督はオフィル・ラウル・ブレイツァ。
 一歩間違うと愛憎泥沼劇になりそうなところ、抑制が効いた静かな作品に仕上がっている。この抑制と静かさは、トーマスのキャラクターによるところも大きいと思う。彼は口数は少なく、感情をあまり露わにしない。オーレンを失った辛さ・寂しさにも一人でじっと耐える。見ているうちに情の深い人で彼の中にはどうしようもない感情が渦巻いているんだなとわかってはくるが、あまり表面化しないのだ。それだけに、何も知らないアナトからオーレンの衣服を渡された時や、プールのロッカーに残された水着を手にした時の表情がより痛切だ。
 トーマスとオーレンの関係もまた「表面化しない」ものだったのだろう。傍から見るとオーレンのやり方はちょっとずるいと思うし、トーマスの扱われ方がいかにも「別宅」的で少々ひっかかった。オーレンにとって、アナトとトーマスとはどういう存在だったのか。どういう決着を付けるつもりだったのか、はたまただらだらと現状維持するつもりだったのか。オーレンの存在は本作における謎だ。
おそらくアナトもトーマスも謎の答えを知りたかったのだろう。2人の親密さは、お互いの中に残されたオーレンの片鱗を拾い集める作業のようでもあった。2人ともいい人だから余計に切ない。
 トーマスは料理のプロだから当然なんだけど、料理するシーン、食べるシーンが印象に残る。ユダヤ教上の料理・食事の戒律も垣間見えるが(トーマスがオーブンで焼いたものはNGとか)、同じユダヤ教徒でも食の戒律に対するスタンスはそれぞれな所も興味深い。アナトは「食べることが楽しくなくなる方がよくない」というスタンスで、これだけで何かいい人だなって思ってしまう。アナトの義兄が届けた「母の作ったパン」をなんとなしに口にしたトーマスの表情が変わっていくところがすごくよかった。絶対おいしかったんだな。

院内カフェ (朝日文庫)
中島たい子
朝日新聞出版
2018-09-07


台北カフェ・ストーリー [DVD]
グイ・ルンメイ
ビデオメーカー
2013-09-19




『華氏119』

 トランプのアメリカ合衆国大統領当選が確定し、勝利宣言をした2016年11月9日を題名としたドキュメンタリー。『ボウリング・フォー・コロンバイン』でアポなし激突取材のインパクトを残したマイケル・ムーア監督の新作だ。ムーアは大統領選の最中から、このままでトランプが当選するのではと危惧していたが、その通りになってしまった。トランプ当選にはどのような背景があったのか、アメリカの今を追っていく。
 過去にブッシュ政権を批判した『華氏911』(2004)と対になった題名だ。しかしトランプに比べるとブッシュはまだしも政治家だったなと遠くを見る目をしてしまう現状があまりに辛い。現実が冗談を越えてきている。
 本作、トランプ批判かと思いきや、トランプよりも民主党の施策の方向への批判の方が痛烈。大統領候補選でのバーニー・ダンダースに対する民主党のあまりの仕打、サンダース浮かばれないわ!ヒラリーを推したいのはわかるが、そういう工作をするのはだめだろ・・・。共和党にしろ民主党にしろ、政治家が向いている方向がおかしいのではないか?というのがムーアの主張だろう。アメリカが傍から思われているよりもリベラル寄りだよというアンケート結果は、調査対象の分母選択の問題があるので何とも言えないけど、言うほどいわゆる保守というわけではないという面はありそう。問題は、そういったガチガチの保守ではない、トランプの政策にさほど同意しない層が選挙に行かなかったという所にある。アメリカは日本とどっこいどっこいの投票率の低さなのだ。
 政治への無関心や諦めを招き、ひいては現状を招いたのが、近年の政治だろう。民主党支持者が全てが経済的に富裕層というわけではなく、同時に共和党支持者全てが労働者層というわけではもちろんない。中間層が大半なわけだが、その中間層、さほど裕福ではない普通の労働者の意思を反映できる政治家・政党がなかったのだ。政治家が大企業と富裕層、ようするにお金の方ばかりを見るようになった最悪の事例として、ミシガン州の町、フリントで起きている汚水問題が取り上げられる。ディストピアSFもかくやという嘘みたいに極端な話であっけにとられた。フリント市の財政難がそもそもの原因とは言え、行政がまともに機能していないなんて・・・。
 そんな中、現行の政治に対してNOを突き付け、なんとかしようと団結する人たちが出てくる。無力感と根拠のない希望は民主主義の敵、ファシズムの元なんだなとつくづく思った。作中で紹介される、誰もやらないなら自分がやると立候補する新人議員たちや、教員たちのストや、銃規制を訴えるティーンエイジャーたちのデモ(これは日本でも結構報道された)等、こういう運動がちゃんと起こる所がアメリカのタフさだろう。見ていてちょっとぐっときてしまう。
 ムーア監督のドキュメンタリーは先に結論ありきで作られている向きが強いので、ドキュメンタリーの手法としてはちょっとどうなのとは毎回思う。とは言え、「今のアメリカ」と関わり続け他人事にしない、常にマウンドに立ち続ける姿勢はやっぱりえらいなと思う。

華氏 911 コレクターズ・エディション [DVD]
ドキュメンタリー映画
ジェネオン エンタテインメント
2004-11-12


マイケル・ムーア、語る。
マイケル・ムーア
辰巳出版
2013-10-24


『かごの中の瞳』

 夫ジェームズ(ジェイソン・クラーク)と共に、彼の赴任先であるバンコクで暮らすジーナ(ブレイク・ライブラリー)は、子供の頃に遭った交通事故で失明していたが、ジェームズが献身的に支え、幸せな生活を送っていた。運よく角膜移植に成功して視力を取戻し夫と共に喜ぶが、「想像していたのと違う」世界に違和感も感じていた。一人ではできなかったことに次々と挑戦するジーナだが、ジェームズは徐々に嫉妬を感じ始める。監督はマーク・フォスター。
 ジーナが視覚を失っている時の世界の感じ方、快感の捉え方の感覚を、ビジュアルとして表現している部分が面白かった。視覚以外で感じている人の世界を視覚で表すというのは矛盾しているような気もするが、こういう感じ方、という雰囲気は出ており何となく納得はいく(ジーナは後天的に視力を失っており、最初から見えなかったわけではないというのも大きいが)。
 ジェームズとジーナの仲が円満で、ジェームズが彼女を細やかに気遣っていることが、序盤でよくわかる。しかしジーナが視力を取り戻したあたりから、じわじわと不穏さが漂ってくる。ジーナは今までできなかったメイクやドレスアップをして外出するようになるが、ジェームズは彼女が他の男の目を引きつけるのでは、自分から目移りするのではと疑心暗鬼に駆られるようになる。自分の庇護が必要な存在だから、自分が影響力を持てる存在だから彼は彼女を愛していたのか?独立した存在としては見ていなかったのか?と2人の関係の前提が揺らいでいくのだ。セックスの時にジーナがイニシアチブを取ろうとするのにも、彼女の姉夫婦の家での滞在でも、自分が主導権を取れないことを、ジェームズは不安がり嫌がる。では彼女の何を愛していたのだろう。
 喜ばしいはずの変化が、2人の関係を揺るがし変化させていく。視力の回復という特殊な設定ではあるが、似たような食い違いや疑心暗鬼は、夫婦ならずともよくあることなのでは。2人だけで完結した世界のままだったら平穏だったのかもしれないが、いつまでもそのままではいられないだろう。ジーナとジェームズの関係も、仮にジーナの視力が戻らないままだったとしても、遅かれ早かれ破綻していったのではないかとも思う。

the EYE (アイ) デラックス版 [DVD]
アンジェリカ・リー
レントラックジャパン
2003-10-24


ビッグ・アイズ [Blu-ray]
エイミー・アダムス
ギャガ
2016-07-02




『累ーかさねー』

 伝説の女優・淵透世(檀れい)を母に持つ淵累(芳根京子)は、天才的な演技の才能があるものの、顔に大きな傷があり醜いと言われ続けてきたことに強いコンプレックスを持って生きてきた。舞台女優の丹沢ニナ(土屋太鳳)は容姿に恵まれているものの、才能は伸び悩んでおり、女優としての大成に強い執着を見せる。ある日ニナのマネージャー羽生田(浅野忠信)により累とニナは引き会される。累は母から譲り受けた不思議な口紅を持っていた。その口紅を塗ってほしいものにキスすればそれが手に入るのだ。累とニナはお互いに足りないものを補い、口紅を使って累をニナの顔にし、女優としてのし上がることを決意する。原作は松浦だるまの漫画、監督は佐藤祐市。
 そこそこ分量のある原作を2時間の映画にしているからか、特に前半がかなり詰め込んだ超展開になっているきらいは否めないし、顔の入れ替わりルール等があやふや(体は入れ替わらないなら身長や体つきですぐバレるのでは?とか、長期間寝たままだと体も顔も崩れない?とか)な所は気になった。基本設定の詰め方がかなり緩い。とは言え、さほど期待していなかった分かなり面白く見られた。主演2人の力によるところが大きいだろう。特に土屋の演じ分けは非常に頑張っていると思う(これはスベっているという演技なのか、それとも本当にスベっているのか?ともやもやするところはあったが)。
 難点があるとしたら、芳根が普通にかわいいので、顔に傷があるくらいでは「醜い」と言われるほどの容姿には見えないのだ。また土屋もかわいいが元々飛び抜けてオーラのある美女という感じではないので、わざわざ成り代わらなくても、とちらっと思ってしまう。本作の「演技」の場が舞台演劇であるというのも大きい。舞台の場合、映画やTVドラマほど俳優の顔の美醜が占めるウェイトは大きくないように思う。舞台上では「美形の振る舞い」をすれば「美形」に見えるのだ(そもそも大き目の劇場では、後方座席からは俳優の顔はよく見えない)。極端な話、累くらいの才能があればそのままの容姿で「美形」を演じられるんじゃないかと思える。
 だとすると、作中度々口にされる「偽物が本物に成り代わる」というテーマは成立しないのでは。演技者という点では、演技の才能にあふれる累こそが本物で、そこそこの演技しかできないニナはいくら容姿が女優らしくても偽物ということになるだろう。


〈プラチナファンタジイ〉 奇術師 (ハヤカワ文庫 FT)
クリストファー・プリースト
早川書房
2004-02-10




『悲しみに、こんにちは』

 母ネウスを病気で亡くしたフリダは、バルセロナからカタルーニャの田舎の家に引っ越し、叔父一家と暮らし始める。叔父夫婦も幼い従妹アナも彼女をやさしく迎えるが、お互いすぐにはなじめずにいた。監督・脚本はカルラ・シモン。
 子供の視点、子供の世界を実によく再現しており、さらに子供の姿を通して彼女の家族に何があったのか、彼女に何が起きたのかをさりげなく提示していく周到さに唸った。フリダがごっこ遊びで「母親」の役をやる時の振る舞いは胸を刺す。これは、フリダも辛いけどネウスも相当辛いよなと。公園で遊んでいた子供の母親の態度はショッキングだが、そういう時代だったのだ(今もとっさに同じような行動をしてしまうかもしれない)。
 子供は大人の世界で何が起きているのか具体的にわかるわけではないが、異変は察知する。大人たちがフリダの処遇を話し合う場に彼女もいるのだが、自分のことが話し合われているのに当の自分には話の内容が説明されない。フリダの所在なさと、大人に対する何をやっているんだこの人たちはみたいなまなざしが際立っていた。また、フリダは母親の死について大人に尋ねないし、自分の気持ちを話すわけでもない。自分の中に疑問や不安が渦巻いていても、それを表現する言葉を彼女はまだ持っていないように見える。彼女は時に大人から見たら不可解な行動をとるが、なぜそういう行動をとったのか説明することはできない。だから大人との関係はもどかしく、時に双方イラついてしまう。
 アナにいじわるをしてしまうのも、祖母のプレゼントに対して駄々をこねるのも、自分の中にあるもやもやを吐き出すためなのかもしれないが、大人にはそれはわからないし、わかったとしても具体的になにか出来るわけではないだろう。フリダが自分でそのもやもやを外に出す回路と方法を見つけていくしかない。彼女は終盤、その回路と方法に辿りつくが、このシーンは特にドラマティックに演出されているわけでもないがはっとさせられる素晴らしいものだった。彼女の中での時間が、ようやく追いついたと実感できるのだ。
 そんなフリダの側に居続ける叔父夫婦も素晴らしい。まだ若く、自分の子供はフリダよりも幼いから育児の経験値豊富というわけでもない。大人は大人で手さぐりをし続けているし必死なのだ。2人の子供に対する(そしておそらく死んだネウスに対する)誠実さと責任感がわかる。べったりとではなく、側に居続けることがフリダにとっての安心感につながり、彼女から感情表現を引き出すのだ。

ポネット [DVD]
ヴィクトワール・ティヴィソル
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-11-07


ミツバチのささやき HDマスター [DVD]
アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス
IVC,Ltd.(VC)(D)
2015-06-19


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