出版社勤務の亜希(澁谷麻美)は休職し、実家へ帰省する。小学校から大学まで一緒に通った幼馴染の野土香(笠島智)の新居を訪ねる為でもあった。野土香は大学の先輩だった直人(足立智充)と結婚し小幼い娘・穂乃香がいた。監督は草野なつか。脚本は『ハッピーアワー』(濱口竜介監督)を手掛けた高橋知由。
おそらくドラマ映画としての脚本があるのだが、俳優の読み合わせを映画化してしまう、つまり完成した演技の表出はほとんどされないという思い切ったスタイル。同じシーンを何度も読み合わせることで俳優が役を掴んでいき、何テイクも繰り返される中でその都度ニュアンスが異なる。この役柄はどういう人なのか、この役とあの役の関係性はどういうものなのかということが、同じシーンの反復の中で立ち上がってくる。同時に、俳優の解釈次第で物語のニュアンスが変わってくるという、映画における物語の不確定さが浮かび上がってきて非常にスリリングな映画体験だった。人が演じている以上、テイクが重なる中で同じものは生まれないのだ。映画に対するメタ映画といってもいいかもしれない。
一方、作中のドラマ内での人間関係もスリリングだ。ある大きな事件が起きたことが冒頭で語られるが、その背景にはどういうものがあったのか、同じシーンが繰り返される中でなんとなくわかってくる。3者の会話は一見変哲のないものだがどこか不穏だ。人と人が深い関係性を築くとそこに「王国」が生まれる。その「王国」にいる人の間でだけの共通言語があり、属していない人には共有できない。目の前でそういう状況が展開していたら疎外感を感じ、時にいたたまれなくなるのでは。人と人との間に深い絆が出来るということはそれ以外を疎外することでもある。そういった流れがどんどん浮き上がっていく所に本作の凄みを感じた。