3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

映画う

『Winterboy』

 17歳のリュカ(ポール・キルシェ)は寄宿舎暮らしの高校生。ある夜、教員に起こされアルプスの麓の村にある実家に連れ戻される。父親が交通事故で不慮の死を遂げたのだ。リュカと家族は突然のことに呆然とし深く悲しむ。葬儀の後、パリで独り暮らしをしている美大生の兄の家に滞在することにしたリュカは、兄のルームメイトであるリリオと出会い惹かれていく。監督はクリストフ・オノレ。
 リュカが正面からのショットでモノローグを語るシーンが随所に挿入され、基本的に彼の語り、彼の主観でストーリーが進む。リュカの語りは聡明だが自意識強めでナルシズムが漂い、いかにもティーンエイジャーという感じだ。語りの地点では彼は冷静なのだが、大人びている割にちょと視野が狭いなと思わせる所もある。大人に近づいているがまだ大人ではない、という位置づけがとてもよく表れている。
 リュカは父親の心情について想像するが、それはあくまで彼が考えられる範疇であり、実際の父親の心情には思いが至っていないように見える。リュカはゲイであり、自身では自分のセクシャリティに葛藤しているわけではなくボーイフレンドもいるし、家族も彼のセクシャリティを受け入れている。ただリュカは、父親は自分がゲイであることにがっかりしたのではないかという気持ちをぬぐい切れない。その思い込みは兄から強く否定されるし、実際そんなことはなかったのだろう。父親がリュカを大切に思っていることは冒頭のドライブのシーンからも見て取れる。本作はリュカのセクシャリティや恋がストーリーに織り込まれているものの、底辺に流れているのはリュカの父親に対する思いだ。なぜか、父親は自分の生活に満足していなかったので、家族が疎ましくなっていたのではという恐れを彼は抱いているのだが、それはやはり彼の一方的な思いという側面が強いだろう。家族をよく見ているようで見ていないという所が子供(大人もかもしれないが)の目線なのだ。
リュカの恐れは父親の死によって、永遠に解決されない問題になってしまった。パリでのリュカの混乱は一見リリオとの関係によるもののように見えるが、実際はその前から、父親との関係が宙づりになってしまった不安から来るものだったのではないか。リリオへのリュカのアプローチは結構一方的というか、自分が「こうであろう」「よかれ」と思ってやってしまう所があるので、父親への思い入れの方向性とちょっと似たところがあるように思った。
 リュカの変調に対し、母親と兄がすごくしっかりしているというか、まともなのでほっとする。特のそっけないが大事なところは目配りしている常識人的なところがなかったら、この話成立しない気がする。

冬時間のパリ(字幕版)
パスカル・グレゴリー
2020-08-07


パリの家族たち
ジャンヌ・ローザ
2021-05-25



『ウーマン・トーキング 私たちの選択』

 自給自足で生活するキリスト教一派の村で、女性たちが寝ている間にレイプされるという事件が続いていた。周囲は「悪魔の仕業」「作り話」だとレイプを否定してきたが、一部の男性たちが家畜用の麻酔薬を使って女性を眠らせ犯行に及んだということが判明する。犯人は逮捕されるが、村の男性たちは保釈金を払って犯人を連れ帰ろうと街へ向かった。犯人が村に帰ってくるまでの2日間、女性たちは自分たちはどうするべきか話合う。原作は2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際にあった事件をもとにしたミリアム・トウズの小説。監督はサラ・ポーリー。
 舞台が2010年だということが途中でわかってびっくりした。舞台となる村は20世紀初頭のままで科学技術が止まったような場所だ。アーミッシュのように自給自足の生活と信仰とが一体となったような暮らし方なのだが、同時に強固な家父長制の元にある世界だ。女性の1人が言うように、長老を筆頭とする男性たちによって作られたルール、彼らが優位に立つルールによって世界が運営される。女性は読み書きを学ぶことは禁じられているし、村から出ることもない。夫に何かを頼むこともないと言う。夫の所有物、家に所属する備品みたいな存在なのだ。
 かなり極端な舞台設定ではあるが、被害者女性たちが言われることは、現代の一般的な社会で被害者が言われがちなことと何ら変わらない。騒いで注目を集めようとしているとか、自分ばかりが辛いような顔をするとか、糾弾したら犯人以外の男性を傷つけることになるとか。二次被害と言えるのだが、その背景にあるのは作中の女性たちの背景にあるのと同じものなのだということがよくわかる。性暴力というのは性的欲望というよりも権力の問題、社会構造に根差す所が大きいのだろうと改めて見えてくる。
 どこか舞台劇を思わせる作品だった。ほぼ会話で進行すること、舞台となる場所が限られている(一つの場所に人が出入りする)という作劇が要因なのだろうが、会話の内容がいわゆる日常会話というよりももっと抽象的なものだからかもしれない。信仰に深く関わる話だからか。彼女らの教義では「赦す」ことが大きなファクターになっているのだが、心からレイプ犯を「赦す」ことは果たしてできるのか。もし赦したところで、それは所属する社会が強制するものではないか、それは信仰に則った赦しと言えるのか。そもそも罪を犯した男性側は全く悔い改めている様子がない。「赦し」が権力を持った側に都合のいいように解釈されかねないのだ。赦しと許可は違うという言葉が印象に残る。
 「赦し」、そしてこの先どうするべきかについて女性たちは話し合う。自分たちの言葉を持つことを宗教上戒められていた人たちが言葉を尽くし考え、意見を交換しあう。そのこと自体が権力に対抗する手段、連帯する手段になるという側面が見える。だから女性に読み書きを教えないんだなということもよくわかるのだが。

テイク・ディス・ワルツ(字幕版)
ルーク・カービイ
2019-02-19


SHE SAID/シー・セッド その名を暴け [DVD]
アンドレ・ブラウアー
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2023-04-12




『ウィ、シェフ!』

 有名レストランでスーシェフを務めていたカティ(オドレイ・ラミー)は、腕はいいもののシェフとそりが合わず、喧嘩して衝動的に店をやめてしまう。やっとのことで見つけた新しい職場は移民の少年たちが暮らす自立支援施設だった。予算も食材も器材も人手も限られており不満が爆発するカティに、施設長のロレンゾ(フランソワ・クリュゼ)とスタッフのサビーヌ(シャンタル・ヌービル)は、少年たちを調理アシスタントにすればいいと言う。全くの未経験者相手に苦戦するカティだが、少年たちもカティ自身にも徐々に変化が生じる。監督はルイ=ジュリアン・プティ。
 カティのモデルは実在職業高校教師であるカトリーヌ・グロージャンだそうだ。彼女は未成年の移民たちにCAP(Certificat d’Aptitude Professionnelle=職業適格証)を取得させ、フランスでの安定した暮らしを得られるよう手助けする社会活動を行ってるそうで、グロージャンの姿勢がカティとロレンゾに振り分けられているのかもしれない。本作に登場する少年たちは同伴者のいない未成年移民で、受け入れ先がなければ成人すると同時に祖国に送還されてしまう(骨年齢を測定して問答無用で送還するという結構なシビアさだった)。最初は彼らの境遇に興味がなかったカティだが、やがて彼らを助けようと大きな決断をする。少年たちが料理に興味を持つと同時に、カティも彼ら個々人に興味を持つようになるのだ。一方、最初はいい加減な人に見えたロレンゾだが、少年たちが送還されることを何とか防ごうと必死であることが見えてくる。施設に従事する大人たちが、大人には子供に対する責任があるとわきまえている所に安心できた。カティは自分が料理するというだけでなく、料理によって人を育てるというもう一つのやりがいに目覚めていく。それは大人としての責任、子供から信頼されるということの重さと表裏一体なのだ。
 料理を教える際、調理だけではなくサーブ(給仕)も合わせて技術として教える所に、名門レストランで経験を積んだカティらしさが見える。きれいに盛り付けた料理をお給仕してもらうというのは、おいしいものを食べるという喜びだけではない充実感があるのだ。自分が個人として配慮されている、尊重されているという感じがするのだと思う。これは少年たちにとっても重要なことだったのでは。

ローズメイカー 奇跡のバラ(字幕版)
ヴァンサン・ドゥディエンヌ
2021-11-24


最強のふたり (字幕版)
アンヌ・ル・ニ
2015-12-01


『ウェンディ&ルーシー』

 配信にて鑑賞。ウェンディ(ミシェル・ウィリアムズ)は愛犬ルーシーを連れて車でアラスカを目指していたが、途中のオレゴンで車が故障し立往生。ルーシーのドッグフードもなくなり、持ち金が乏しいウェンディはスーパーマーケットで万引きをする。しかし店員に見つかって警察に連行され、長時間の勾留をされてしまった。ようやく解放されるものの、スーパーマーケットの前に繋いでおいたルーシーが姿を消していた。ウェンディは必死にルーシーを探す。監督はケリー・ライカート。
 ウェンディは特に奇矯な人というわけではないのが、根無し草的な雰囲気をまとっている。家族はいるようだがあまり折り合いはよくないらしい。彼女が家を出てアラスカを目指す経緯はさほど具体的には説明されないのだが、彼女が出てきた家は、彼女にとって「家」ではなかったんだろうなと想像はつく。彼女にとってかろうじて「家」や家族に近い存在は、愛犬のルーシーだ。スーパーの店員は「餌を買えないならペットを飼うべきではない」とウェンディの万引きを見逃さない。彼の言うことは正論ではあるのだが、でもそういうことでは収まりきらない切実さがあるんだよ!と言いたくなる。自分の一部をお金が足りないという理由で捨て置くことはできないだろう。
 世の中の人からは、ウェンディは人生の落後者であり、いい年をしてふらふらしているように見られるかもしれない。彼女には彼女の切実さややむを得ない事情があるということは、いわゆる世間は考慮しないのだ。世間に上手く乗れないまま生きていかないとならない人の苦しさ、そしてその苦しさが往々に経済的な苦しさと直結している様がやりきれなくなる。スーパーの警備員の優しさがわずかな救いになっているが、彼は世間というよりも、やはりそこからは少し離れた個人としての存在だ。世間、社会の中にはウェンディとルーシーが一緒にいられる場所がないように思えてしまい、ラストまで辛い。

ウェンディ&ルーシー
ウォルター・ダルトン
2021-07-16




『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネージ』

 記者のエディ(トム・ハーディ)と、彼に寄生している地球外生命体シンビオートのヴェノム(トム・ハーディ)は、不満を言い合いつつも共同生活を送っていた。未解決殺人事件を追うエディは刑務所で死刑囚のシリアルキラー、クレタス・キャサディ(ウッディ・ハレルソン)と面会する。クレタスはなぜかエディに強い興味を示す。エディにかみついたクレタスは、彼の血液が普通の人間とは異なることを見抜く。そして死刑執行の瞬間、クレタスもシンビオートとの共生体として覚醒してしまう。監督はアンディ・サーキス。
 サーキスとヴェノムの「中の人」であるハーディのヴェノム愛が炸裂している本作、ヴェノム単体での行動や独白も多く、クラブでの色々誤解されそうなクローゼットから出てきた発言や、エディに甲斐甲斐しく朝ごはんを作ってあげるくだりなど、コミカルさが強まっている。大味な作品なのだが、エディとヴェノムのトムとジェリー状態、ないしはいちゃいちゃを見ているだけでほんのり楽しくなる。干渉されたくないが放っておかれたくない(というか放っておかれたら死ぬ)、ムカつくがこいつなしでは立ち行かないという、ある意味ラブコメだ。雑貨店のチェンさん(ペギー・ルー)がいつの間にか彼らの生活に馴染んでいるあたりも良かった。
 ただ登場人物全員、前作とは若干キャラが若干違っている、単純化されているように思った。エディもヴェノムも知能指数が大分下がっており、特にエディは本当に売れっ子ジャーナリストだったの?と不思議になるくらいの鈍重さ。トム・ハーディなのに全然かっこよくもセクシーにも見えないというのは凄いと言えばすごい。また、アン(ミシェル・ウィリアムズ)がバカみたいな色仕掛けでヴェノムを懐柔しようとするのにも、ヴェノムがあっさり陥落するのにも、この人たち(特にアンは)こんなことする人だっけ?というがっかり感が強く、興ざめだった。また本作の悪役であるクレタスとその恋人フランシス(ナオミ・ハリス)も、ハレルソンとハリスの無駄遣いという感じで、少々勿体ない。そのあたりを掘り下げられるような趣旨の作品ではないということなのだろうが。またストーリー展開上もご都合主義的なショートカットが目立ち、クレタスが残した絵の解読など大分大雑把。このあたりの雑さもエディが頭良く見えない一因ではあったと思う。
 とは言え本作、見た後の満足度が低いわけではない。雑には雑の良さがある。『エターナルズ』を見た後だと、いやいやこういうのでいいんだよ!と言いたくなるのだ(『エターナルズ』はいい作品だと思っていますが)。本作、何しろ長さが98分だ。その点だけでも大いに褒めたくなる。ぱっと見に行ってぱっと終わる娯楽映画の良さがある。

ヴェノム (字幕版)
リズ・アーメッド
2019-01-11


スパイダーマン:ヴェノム VS. カーネイジ
クレイトン・クレイン
小学館集英社プロダクション
2021-05-20


『ウルフウォーカー』

 中世アイルランドの町キルケニーに、父ビル(ショーン・ビーン)と共にイングランドからやってきた少女ロビン(オナー・ニーフシー)。キルケニーでは護国卿が森を開拓しようとしていたが、森にすむ狼たちが人びとを脅かしており、ハンターであるビルが呼ばれたのだ。ロビンは森で不思議な少女メーヴ(エバ・ウィッテカー)と知り合う。彼女は人間と狼の魂を持つウルフウォーカーだった。監督はトム・ムーア&ロス・スチュアート。
 『ブレンダンとケルズの秘密』『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』に続く監督コンビのケルト三部作3作目。前2作よりも冒険物語、アクション映画としての側面が強くなり、躍動感にあふれたアニメーションだ。もちろん美術面も素晴らしく、キャラクターデザインが割と幾何学的なのにとても柔らかく動くところも魅力。町=人間の世界と森=狼の世界、キリスト教ベースの人間中心な世界とケルト神話の世界の間を主人公が行き来しその間でゆらぐという構造は『もののけ姫』っぽくもある。森の世界の美しさ、狼として体感する世界の鮮やかさが魅力なので(本作、人間の世界にはほぼ魅力がない)、もう人間やめますわ!という気持ちになってしまうが。
 本作を見てもう人間やめますわ!という気持ちになるのは、ロビンが女性であり、人間の社会の中では自由さが限られているという要素も大きいだろう。ただでさえ子供だからあれはダメこれはダメと言われるのに、女性となるとなおさらだ。ロビンは闊達で弓の腕にも自信があり、家事労働よりも狩りに出たいのだが、父親は許さない。娘を失うのではと心配でならないのだが、その心配はロビンの精神を「守る」ことにはならないのだ。ロビンはウルフウォーカーに加わることで、肉体的な自由も精神的な自由も得ていく。
 ただ、本作の世界でロビンが自由を手に入れるということは、自分がそれまで生きてきた世界から離れていくということでもある。共栄共存とはならないところにほろ苦さも感じた。どちらが正しいということではなく、あり方が相容れない。狼と敵対する護国卿も、最後まで敬虔なキリスト教徒として振る舞い自分の正しさを疑うことはないし、人間の為に人間の世界で生きる人ではあるのだ。

ブレンダンとケルズの秘密 【Blu-ray】
ミック・ラリー
TCエンタテインメント
2018-02-02


『ヴィタリナ』

 出稼ぎに出て数十年たつ夫が死んだという知らせを受け、カーボ・ヴェルデからリスボンにやってきたヴィタリナ(ヴィタリナ・ヴァレラ)。しかし夫は既に埋葬されていた。ヴィタリナは夫が住んでいた部屋に暮らし始める。
 ファーストショットが素晴らしい。暗い路地の奥から何かの気配が近づいてくる、時折白く光るものは杖だとわかってくる、人々が近づいてくるのだとわかってくる、という流れにしびれる。暗い画面の中、杖に反射するわずかな光が強烈なインパクトを残す。ペドロ・コスタ監督作品はどれも陰影のコントラストが劇的だが、本作も同様。夜の暗闇の中、アパートがスポットライトを当てられたように浮かび上がる。ちょっと舞台演劇的な光の使い方だ。実際スポットライト的に照明を当てているのかもしれないが、フレームとライティングがすごくかっこいい。ひとつひとつのショットが絵画のようにインパクトがあり決まっている。ペドロ・コスタの作品の強さはここにあるし、映画はフレーミングと光なんだなと実感する。映像がドラマティックなのだ。
 ヴィタリナの夫は移民としてポルトガルにやってきた。ヴィタリナも夫を追ってまた移民となる。彼女の言葉から、夫はヴィタリナに自身がどのような生活をしているか隠しており、彼女を裏切ったこともあるとわかってくる。夫が残した部屋で生活することは、夫の生活を彼女がなぞり、上書きしていくようでもあった。彼女と夫それぞれの人生は、彼女のモノローグや夫を知る人たち、近所の人たちの言葉の断片から立体的になっていく。ヴィタリナと夫のストーリーは、同時に多くの移民たちのストーリーでもあるのだろう。とは言え、ヴィタリナという個人が中心にあり、彼女固有のものとして一般化しきらない。男は働きに出て女は家を守るという旧来の世界に生きているが、それに納得しているわけではないし夫への文句もある。夫を亡くし異郷で途方にくれる一方で、一人で家を完成させ屋根の修理をするような独立した姿も見せる。「女の強さ」的なものに集約されないタフさを感じた。


歩く、見る、待つ ペドロ・コスタ映画論講義
ペドロ コスタ
ソリレス書店
2018-05-25




『ウィークエンド』

 金曜日の夜、友人たちと別れたラッセル(トム・カレン)は一晩付き合う相手を探しにクラブに立ち寄る。なんとなく惹かれたグレン(クリス・ニュー)を連れて帰宅し、セックスし、週末を共に過ごす。お互いに距離が縮まっていくが、土曜日の夕方、グレンはあることを告げる。監督はアンドリュー・ヘイ。
 かなり地味かつ地に足の着いた作品。3日足らずの出来事なのだが、もっと長い期間の話に感じられた。2人の間に流れる時間の速度が速いのか、密度が高いのか。関係が濃密というのではなく、むしろ付き合い始めの、好きなのかどうかまだ定かではないくらいの淡さではあるのだが(まあセックスはしてるけど)、お互いの出方を探る感じ、関係が固まっていない危うさから目が離せなかった。ラブストーリーではあるのだろうが、そう言い切っていいのかどうか迷ってしまう。
 ラッセルは自分がゲイであることを周囲の人間にはオープンにしている。友人たちもそれを受け入れており、一見フラットな付き合いだ。しかしそれでも「家にいる時は自分がゲイであることを意識することはない、でも外に出ると意識せざるをえない」というようなことを言う。本当にフラットな世の中だったらセクシャリティをいちいち意識する、他人の目を気にすることはないんだろうけど(実際、異性愛者の人は日常生活の中で自分のセクシャリティを強く意識する、どう見られているか気にすることはあまりないだろう)。現状、世の中は異性愛前提で作られているしその中にいる人たちも異性愛前提で考えてしまうよなとはっとした。そしてごく親しい人との間であっても、その部分のギャップは理解しあえないし話せない領域がある。グレンがセックスした相手の「語り」を収集し続けているのは、他の人たちはどうなんだろう、周囲との折り合いはつくものなんだろうかという思いがあるからかもしれない。
 ラッセルとグレンは付き合い方に対するスタンスは異なるし、愛、恋愛についてのスタンスも異なる。自分の中のどこまで立ち入らせるかという一線の引き方はひとそれぞれで、その部分でせめぎあいが生じる。ラストシーンに胸を打たれたのだが、そのせめぎあいと受け入れがありありと見られるのだ。

荒野にて [DVD]
チャーリー・プラマー
ギャガ
2019-09-03


スプリング・フィーバー [DVD]
チン・ハオ
アップリンク
2011-04-08


『ヴェノム』

 宇宙開拓分野に進出したライフ財団のロケットが墜落した。財団は密かに事態収拾を図っていた。一方、恋人の弁護士アン(ミシェル・ウィリアムズ)のPCの中の資料を覗き見たジャーナリストのエディ・ブロック(トム・ハーディ)は、財団が非人道的な人体実験を行っているという噂は真実だと確信し、取材を進める。財団の研究者と接触し、実験所の中に潜入するが、被験者と接触した時に地球外生命体シンビオートに寄生されてしまう。エディは「ヴェノム」と名乗るシンビオートの声が聞こえるようになり、肉体にも変化が現れ始める。監督はルーベン・フライシャー。
 予告編ではおどろおどろしさや残虐さが強調されていたが、本編ではそれほど残虐な印象はない(人間はさくさく殺されるが)。むしろブラックコメディぽい可笑しさがある。脚本が大分雑だったり、テンポがいまひとつ(前半エピソードのペース配分を間違ったかなという印象。シンビオートがなかなか活躍しない)で映画としてはさほど出来は良くないのだが、ヴェノムのキャラクターが立っており、キャラクタームービーとしては成功している。エディとヴェノムの人外凸凹バディものとしてかなり楽しめた。
 エディは危険な取材も辞さない正義感と勇敢さを持つが、ジャーナリストとして人気があるという設定に対して疑問符がつくくらいやっていることの脇が甘いし頭はさほど切れなさそう(エディが頭悪そうに見えるのは明らかに脚本の問題だと思うけど・・・)。ちょっとうかつで元気のいい、ごくごく普通の人という感じだ。肉体的にもちょっとタフという程度で突出した強さはない。そんな普通の人であるエディが、ヴェノムに寄生されることで超人的な力を使えるようになる。エディとしては自分が暴れて人を傷つけるのは不本意なので、ヴェノムと喧々諤々あるわけだが、その喧々諤々と強さとのギャップが本作の楽しさの一つだろう。
 ヴェノムが何だかんだ言ってエディに対して誠実と言えば誠実、結構尽くしてくれるので段々可愛く見えてくる。エディの為に故郷を捨てて地球に留まるし身を挺して守ってくれるし・・・。あれっパートナーとして最高なんじゃないの?!と思えてくる、まさかの超ブロマンス案件だった。エディはエディで、ヴェノムの破壊活動に辟易するが、ある瞬間、あっこの人気持ちよくなってるなという表情になるのがちょっと怖い。私はエディに対して冒頭からずっと不穏な印象があったのだが、ここで極まった感ある。一見普通の常識と正義感を持った人に見えるのだが、動き(トム・ハーディの素なのか演技なのかわからないが妙に左右に揺れる歩き方)の落ち着きのなさや、恋人のキャリアを破壊するとわかっていても重要文書を見てしまう根本的な身勝手さ等、そんなに「出来た人」ではないのだ。
 ヴェノムとのやりとりがどこかユーモラスだからごまかされているけど、自分本位な正義感とそれを行使できる力の組み合わせって、結構性質が悪いんじゃないだろうか。そういう意味では、日本版ポスターのうたい文句や「ダークヒーロー」というキャラクター付けは間違っていない。ラストのやりとりは可愛いだけではない。ヴェノムはエディに寄生することで人生(いや人じゃないけど・・・)が大幅に変わるが、エディの倫理観もまた、だいぶ変化してしまったことがわかる。双方、元のままではいられなかったのだ。そういう要素がまた運命的な出会いって感じなんだが・・・。

ヴェノムバース
カレン・バン
ヴィレッジブックス
2018-10-31


スパイダーマン:ヴェノム VS. カーネイジ (ShoPro Books)
ピーター・ミリガン
小学館集英社プロダクション
2018-10-18




『運命は踊る』

 テルアビブに暮らすミハエル(リオル・アシュケナージ)とダフナ(サラ・アドラー)夫婦の元に、息子ヨナタン(ヨナタン・シライ)が戦死したと言う知らせが入る。ショックでダフネは寝込み、ミハエルは軍の煮え切らない対応に苛立つ。しかし戦死は誤報だったと判明。激怒したミハエルは息子をすぐに呼び戻せと軍に要求する。一方、ヨナタンは前哨基地の検問所で、何も起こらない単調な日々を送っていたが。監督はサミュエル・マオス。
 原題はFoxtrot。作中で言及されるように「同じ場所に戻ってくる」ダンスのステップだ。人間は生きている限り踊り続けるしかないしステップを踏み続けてもどこにも行けないという、大分皮肉な題名。人生で何が起きるかはわからず、起きたことには抗いようがない。翻弄されるだけだ。
 とは言え、これは言うまでもないことなので、「運命のいたずら」をこんなに持って回った見せ方をする必要はあったのかは疑問。ミハエルたちが陥ってしまう事態は決して自分のせいではなく、かといって何か・誰かのせいとも断言できないあやふやかつ理不尽なもの。でも、人生で起きる殆どのことってそういうものでは?という気がしてくる。
 理不尽な戦死の知らせとその撤回、何もなさすぎから一転してシュールに見えるヨナタンの日常のパートは、スタイル先行というか作為が鼻につくと言うか、正直ちょっと飽きてしまった。ただ、後半のミハエルとダフネのパートは印象に残った。何かが起きた後、既に取り返しがつかなくなった後でないと、その時の感情、幸福に気付かないことが往々にしてある。気付く為に支払うものが大きすぎる!とは言え、過去を振り返ることでミハエルとダフネがもう一度向き合えたようにも思う。娘は「2人は一緒にいる方が似合う」と言う。そう上手くはいかないだろうけど、何かの糸口は見える気がするのだ。


レバノン [DVD]
ヨアフ・ドナ
ビデオメーカー
2011-01-07


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