3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

映画い

『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』

 考古学者で冒険家のインディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)も年齢を重ねついに大学を退職することに。そんな彼の前に旧友の娘ヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)が現れる。彼女はかつてインディが発見した伝説の秘宝、アルキメデスが発明したというダイヤルを手に入れよう持ち掛ける。しかしダイヤルを追っているのは彼女だけではなかった。監督はジェームズ・マンゴールド。シリーズ作品の監督をつとめてきたスピルバーグはルーカスと共に製作総指揮に回った。
 インディ・ジョーンズシリーズ最新作にしておそらく完結編。『レイダース 失われたアーク』を踏まえたエピソードが多いので、シリーズ他作品を未見の人は一応レイダースだけ抑えておいた方がいいかも。レイダースを見ないとラストがいかにぐっとくるものかわからない。そういう意味では全く初心者向けではないわけだが。
 マンゴールドに痛快アトラクション的アクションが撮れるのか、ミスマッチではないのかと少々心配だったのだが、まあまあ無難にこなしている。いきなり過去のナチスがらみエピソードから始まり、一気に畳みかけてくる。序盤は全部サビみたいなもので盛りがいいし、インディ・ジョーンズシリーズがどういう雰囲気の作品かをよく伝えてくると思う。ただ、やはりカーチェイス等は冗長になりがちで切れがいいとは言い難かった。対して終盤のインディがある境地に至るシーンは味わい深い。マンゴールド監督の持ち味はやはりこういう地味なほろにがエピソードにあるのではないか。
 本作、インディ=ハリソン・フォードが老いたことをはっきり見せているのがよかった。いつまでもかっこよく活躍なんてできないと映画が断言してしまっている。老人だから同年代よりは多少動けても若い奴らには全然かなわないし、お腹ぽっこり体型になっているのを隠さない。シリーズを通して主人公、しかもアクションヒーロー的な主人公の老いを同一俳優により描けた作品というのは結構珍しいのでは。
 それにしてもインディが考古学者だということをちょいちょい忘れてしまう。今に始まったことではないがやっていることは学者ではなくならず者に近い。人の死に方もフランク(毎回モブが大量に死ぬイメージが…)だし、結構倫理的には雑なシリーズだったんだな…。





『EO イーオー』

 灰色のロバ、EOはサーカス団に飼われている。ロバと一緒にパフォーマンスをするカサンドラ(カサンドラ・ジマルスク)はEOを可愛がっていたが、動物愛護団体によりEOは連れ去られてしまう。保護先を逃げ出し放浪の旅に出たEOは様々な人間たちと出会う。監督はイエジー・スコリモフスキ。
 ロベール・ブレッソン監督『バルタザールどこへ行く』にインスパイアされた作品だそうだが、確かにバルタザールがもし旅を続けていたらこういう感じになっていたかもしれない。ただし本作はよりロバ中心。ロバ視点のロードムービーなのだ。風景が非常に美しく撮られており、EOの旅が進むにつれ叙事詩にようなスケール感が出てくる。EOの夢?と思われる幻想的なシーン、赤と黒のコントラストとフラッシュが強烈な演出については少々煩いと思ったが、不安感を煽る効果はある。EOにセリフがあるわけではないしロバの考えが明確にされるわけではないのだが、こういったシーンが挿入されることで観客の視点も徐々にEO寄りになっていくのではないか。少なくとも本作を見ていて人間側の立場に自分を置く人は、どちらかというと少ないのではないかなと思う。
 観客が本作中の人間たちに距離感を感じるのは、基本褒められたものではない人たちばかり登場するからという側面もあるだろう。EOが出会う人間たちの姿は実に俗っぽい。独りよがりな動物保護団体や田舎町のフーリガンたち、闇商人たち、訳ありらしい司祭や伯爵夫人など、人間たちは決して品行方正ではなく欲にまみれている。イノセントな存在としてとして位置づけられているEOとは対照的で、聖と俗の対比が際立つ。特にフーリガンたちの盛り上がりには、たかが町のサッカーチームでその熱狂て何!?と笑ってしまった。暴力沙汰になるのは全く笑えないのだが、世界が狭すぎる。EOはそういった小さい世界からどんどん離脱し旅していくように見えた。
 ただ、EOはロバでありロバはそもそも家畜だ。家畜である以上人間の世界からは離れられないという皮肉も感じた。本作にはロバ以外の動物たちも色々と登場する。EOは他の動物たちにも好意的にふるまっているように見えるが、なぜか同類のロバたちには馴染めていないように見える。むしろ自分と異なる者に対しての思いやり(と人間が一方的に解釈するものだが)があるように思えた。その最たるものがカサンドラだったのかもしれない。

バルタザールどこへ行く ロベール・ブレッソン [Blu-ray]
ヴァルテル・グレーン
IVC,Ltd.(VC)(D)
2017-06-30


イレブン・ミニッツ(字幕版)
ヤヌシュ・ハビョル
2017-02-23


『家からの手紙』

 シャンタル・アケルマン映画祭2023にて鑑賞。1970年代のニューヨークの街並みに、母からの手紙を朗読する声がかぶさる。1976年製作。監督はシャンタル・アケルマン。
 アケルマン自身による朗読と、NYの風景のみで構成されたドキュメントとも映像詩ともつかない作品だが、ショットがどれも決まっている。映される風景はいわゆる国際都市としてのニューヨークではなく、雑然とした路地であったり、車が行きかう大通りであったり、地下鉄のホームであったり、ほぼスラムのような一角であったりする。特に美しくもない、どちらかというとわびしい風景だ。アケルマンが当時暮らしていたエリアがこういった界隈だったのだろうか。異郷にいる人の目から見た疎外感や寂しさみたいなものも感じる。
 特に変哲もない風景だが、手紙がどんどん読まれていくことで、その風景が少し違うものに見えてくる。手紙の文面は、異国に渡った娘を案じ、故郷の様子や家族の状況、知人友人の近況を綴ったものだ。そしてもっと手紙を書いてほしい、帰省はいつになるのかと尋ねる。一見、ちょっと心配症な母親の愛情深い手紙に思えるが、似たような内容の手紙を何度も何度も聞いていると、母親の娘に対する執着が表面化してくるようで、段々どこか怖くなってくるのだ。殺風景なNYの風景は、追いかけてくる母の愛情から距離を置く為のバリケードのようにも思えてくる。映画が後半に進むにつれ、街の騒音が時に手紙の声をかき消す、その頻度が上がっていく。故郷との距離が遠くなっていくようだった。
 とは言え、故郷と距離を置いたからといってNYとの距離が縮まっていくかというと、あまりそうは思えない。カメラ=監督の視線はいつになってもよそ者としてのままのようだった。

ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行 [DVD]
シャンタル・アケルマン
Twin(ツイン)
2023-02-08


カウチ・イン・ニューヨーク(字幕版)
ウィリアム・ハート
2015-03-15


『生きる LIVING』

 1953年のロンドン。長年地道に働いてきた公務員ウィリアムズ(ビル・ナイ)は、ある日ガンを告知され、医師から余命半年と宣告される。死ぬ前に満ち足りた人生を味わいたいと願うウィリアムズは、仕事を放棄し、海辺のリゾート地を訪れ、たまたま出会った青年と飲み歩くが満足感は得られない。ロンドンへ戻った彼はかつての部下マーガレット(エイミー・ルー・ウッド)と再会し交流する。生き生きとした彼女を見るうち、ウィリアムズの心情にも変化が起きる。黒澤明監督『生きる』のリメイク作品として作家のカズオ・イシグロが脚本を手掛けた。監督はオリバー・ハーマナス。
 103分というコンパクトさで、カズオ・イシグロの手さばきの良さを感じた。彼の小説もそうなのだが、時間経過の処理・エピソードの省略の思い切りの良さがある。黒澤版は見たことがないのだが、本作は割とあっさりとしており、ともすると過剰にエモーショナルになりそうなところ、抑制がきいているところがいい。全般的に抑制が効いているので、ウィリアムズが故郷の歌を歌うシーンの情感が逆に印象に深く残った。
 ウィリアムズは他の職員たちと同様、ことなかれ主義で市民から持ち込まれた問題を他部署にたらいまわし、ないしは預かると称して積んだままにする。彼は真面目ではあるのだが仕事で何かを生み出す、能動的に動くということからは大分遠ざかっている。彼の人生は長らく歩みを止めているのだ。そんな彼が余命僅かと知り、更に人生に対して積極的に挑むマーガレットと触れることによって、新たな一歩を踏み出す。彼が本気で「生きる」気になった時、その為の行動は利他的なものだった。その熱が同僚たちにも燃え移ったとわかる電車内のエピソードが胸を打つ。が、その炎ははかなく消えやすいものでもあり、またこれまでのルーティンに回収されてしまうだろう。それでも若者たちの中にはわずかながら炎が残っている様子なことに救われる。
 とは言えウィリアムズが思い切ってやったことは、彼の職業なら本来やっておくべきことで、ようやくまともに仕事をしたという話とも言える。今までなにしてたんだということでもあるのだ。これは本当に感動する話か?という気もしなくはないんだけど…。


日の名残り (ハヤカワepi文庫)
土屋 政雄
早川書房
2012-08-01



『イニシェリン島の精霊』

 1923年、アイルランド本土では内戦が続いていたが、小さな島であるイニシェリン島では平和で単調な日常が続いている。パードリックは(コリン・ファレル)はある日、長年の友人コルム(ブレンダン・グリーンソン)から絶縁を言い渡される。パードリックは訳が分からず、何とか仲直りをしようとするが、コルムは頑なに彼を拒絶。とうとう、これ以上関るなら自分の指を切り落とすと宣言する。監督・脚本はマーティン・マクドナー。
 2人の感情の掛け違いは極端ではあるが、実は結構よくある話なのではないか。2人の関係は「友人」というくくりにされているが、「友人」とは考え方が似ているとか同じ趣味があるとかという以前に、単純に「物理的に近くにいてよく会う」という要素で成立していることが多々あると思う。学校の同級生とかはこのパターンなのでは。その程度の要素で「友人」を課せ続けられることは意外としんどくて、そのしんどさが臨界点に達すると本作のような珍妙かつ悲惨な事態になるのでは。
 パードックは人が良く優しいのだが、おそらく話していても退屈な人だ。音楽を愛し女性にもモテたというコルムにとっては物足りない相手だったろう。確かにだらだら一緒に飲んでいるのは時間が勿体ないかもしれない。とは言え、コルムの相対し方は人間として大分失礼で、「優しくない」。それを受けて、自分も変わろうとしたパードックが選んだやり方は、彼の最大の美点であったやさしさ、善良さを投げ捨てる道だ。2人が人生の中である目覚めに遭遇しこじれていくわけだが、2人とも目覚める方向がとんちんかんすぎるのだ。
 パードックの「強さ」がどんなものかという発想の貧しさは、ひいてはそれが彼が属している社会における「強さ」のイメージなのだと言える。パードックの優しさ、人の好さは美点なのだが、彼がいる社会の中では評価されない。だから村の中でもみそっかす扱いのドミニク(バリー・コーガン)とつるんでいるわけだろう。この身の置き所のなさが実にしんどい。これはパードックの妹であるしボーン(ケリー・コンドン)についても同様だ。彼女は読書家で聡明だが、本を読むという行為、ことに女性(しかも未婚で若くはない)が本を読むということは周囲に理解されない。そりゃあ戦時下であっても本土の方がまだしも息ができるというものだろう。とは言えパードックには島から出ると言う選択肢すらない。身の置き所のない場所であってもホームにせざるを得ない、愛着を持たずにいられないという不条理がある。

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『イントロダクション』

 将来の進路も決まらず、ふらふらしている青年ヨンホ(シン・ソクホ)。折り合いの悪い父、夢を追うためドイツへ留学した恋人ジュウォン(パク・ミソ)、ヨンホの進路を心配する母(ソ・ヨンハ)との再会から、彼の人生が浮かび上がってくる。監督はホン・サンス。2021年第71回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で銀熊賞(最優秀脚本賞)を受賞。
 ヨンホは何か仕事をしている風でもなく、かといって学生という風でもない。彼のバックグラウンドは詳しくは説明されない。彼が鍼灸治療院の院長を訪ねるエピソードから始まるのだが、職員とのやり取りから過去にこの医院で働いていたか研修していたことがあるのかな?と思っていた。話が進むうち、院長が彼の父親であること、あまりそりが合わないらしいということが分かってくる。院長は彼を待たせっぱなしで真剣に向かい合う気もあまりなさそうだ。母親とも同様で、少なくとも父親よりは交流が頻繁らしいのだが、母親は息子がどういう人間で何を考えているのか、あまり興味がなさそう。心配はしているが理解しようという気がなさそうなのだ。両親ともに息子とはタイプが違って分かり合えないのでは。
 両親にとってわかりにくいのは、彼のある種のナイーブさかもしれない。どうやら元々俳優志望だったらしい彼はベテラン俳優に対し、演技で女性を抱くことは恋人に対して申し訳ないからできなくなったと話す。行為と内面が一致していないと不誠実だということだろうが、それは演技という行為そのものを否定する言葉だ。ベテラン俳優は当然怒るのだが、こちらはこちらで抱き合うことは演技だろうが本当だろうが良いことだ!と言わんばかりなので、場合によってはハラスメントなのでは(ヨンホに対する態度がすでにハラスメントっぽいし)とハラハラしてしまう。
 ヨンホは自分のナイーブさを持て余して迷走しているようにも見える。彼の理屈は多分に自己中心的、我儘・自己愛が強いというよりも視野が狭くて他人のことまで配慮できないような感じなのだ。自分の情緒に振り回されているように思える。彼のナイーブさを両親は受け入れられない様子だが、治療院の女性職員は彼のそういう所を可愛がっていたようだし、母親との食事に同席してくれた友人も、彼をフォローする。特に海で友人が見せるケアは、まあまあ普通のことではあるのだがちょっとぐっときた。馬鹿にしたり怒ったりせず手伝ってくれるのだ。

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2015-07-24


田舎司祭の日記(字幕版)
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2021-10-26



『犬王』

 京の都・近江猿楽の比叡座の家に、1人の子どもが誕生した。しかし猿楽は己の芸の道を究めたいがために、その子供を己の芸と引き換えにしてしまう。生まれた子供は人間とは思えぬ奇妙な姿かたちをしていた。一方、盲目の琵琶法師の少年・友魚(ともな)は父の死の原因となり自分の視力を奪ったものを探す為に旅を続けていた。犬王と名乗るようになった異形の子供(アヴちゃん)と友魚(森山未來)は出会い、踊り・歌と琵琶の演奏とでお互いの才能を開花させる。2人の舞台は観客を魅了し、大きなうねりを生んでいく。原作は古川日出男の小説『平家物語 犬王の巻』、監督は湯浅政明。脚本を野木亜紀子、キャラクターデザインを松本大洋が手掛けた。
 平家物語の変奏曲的な位置づけのファンタジー作品なのだが、予想外のバンド映画でありフェス映画。いきなり時代を飛び越えてくるインパクトがあった。犬王と友魚の出会いと顛末はバンド結成、インディーズで売れてメジャーから声がかかるが大手では会社方針に従わないと…みたいな、バンド成り上がり物語の王道になっている。音楽のアプローチははっきりとロック、ポップス方向(ビジュアル上は琵琶だが)であり、舞台の演出もポップスターのスタジアム公演的な派手なもの。何よりオーディエンスが徐々に集まり熱くなっていく様がフェスっぽい。オーディエンスの沸き方もロックバンドのライブのそれ。ちゃんとオーディエンスを抑えるスタッフまでいるので芸が細かい。クライマックスの舞台など、かなりクイーン(というか映画『ボヘミアンラプソディ』)を意識しているのではないかなと思った。
 犬王も友魚も身体的な欠損や表現者としての方向性を含め、世間からははぐれものだ。そんな2人の舞台は古典からは外れた先鋭的なもので、邪道視されつつも徐々に人々の心を捉えスターとなっていく。しかし大衆の心を捉えて大勢から支持されるということは、はぐれものではなく多数派に与する、体制側に与するということにもなり得る。そして体制側は、人気があるものは自分たちの陣中・自分たちが望む表現のあり方に組み込んでしまおうとする。新しい表現がそれまでのルールを変えてしまう力と合わせ、表現と権力の関係の危うさにも言及しており、舞台の高揚感だけでは終わらせてくれない作品だ。
 個人的にあと一声ほしかったのは音楽面。大友良英の音楽は悪くないのだが、琵琶法師である友魚のソロパートが少々冗長に感じられた。琵琶法師のパフォーマンスは基本物語を伝える語りなので、曲としての展開は、現代の転調が派手な音楽に慣れた耳には若干単調に聞こえてしまう。森山未來の演技は上手いのだが、歌のプロではないという限界を感じた。逆に犬王の舞台にはアヴちゃんのパフォーマーとしての地力を感じた。同じフレーズの反復でもちゃんと間が持つ所が凄い。

平家物語 犬王の巻 (河出文庫)
古川日出男
河出書房新社
2021-12-21


劇場アニメーション「犬王」誕生の巻
湯浅政明
河出書房新社
2022-06-17




『偽りの隣人 ある諜報員の告白』

 大統領による実質独裁状態で、報道や学生のデモへの弾圧が強まる1985年の韓国。アメリカに逃れていた野党政治家イ・ウィシク(オ・ダルス)が次期大統領選に出馬するために帰国した。しかし空港で国家安全政策部に拉致され、自宅軟禁されてしまう。愛国心は強いが諜報機関内ではマヌケ扱いされているユ・デグォン(チョン・ウ)は監視チームのリーダーに選ばれ、ウィシクの隣家に住み込み24時間体制で彼とその家族を監視・盗聴する任務を遂行することになる。監督・脚本はイ・ファンギョン。
 1985年の韓国が舞台で、当時の政治情勢は反映されているがもちろんフィクションだし政治家らの存在もフィクション。しかし当時の韓国の情勢を踏まえた話で、ここ数年でこの時代を扱った作品が随分出てきたなという印象がある。主人公のデグォンはへっぽことは言え、一応、国家安全政策部に連なる諜報機関の工作員。ウィシクのことは体制を揺るがす共産主義者として敵視し、張り切って監視任務に挑む。しかし何しろへっぽこなので早々にウィシクと顔見知りになってしまい、顔を合わせて話をすれば記号的な「敵」とは割り切れなくなっていく。更に盗聴する中でウィシクが危険を冒して帰国するほどに国の行く先を案じていること、家族や友人たちへの思いや無念などを知ってしまい、自分の価値観が揺らいでいく。自分が信じてきた国家とは何なのか、愛国心とは何なのかと自問せざるを得なくなっていくのだ。ベタな展開ではあるが、彼が腹を括っていく姿にはやはりぐっとくるものがあった。
 一方、映画前半はなぜかやたらとコメディ的、しかもこてこてのギャグの連打で、映画題名やポスターのシリアスさとの乖離がすごい。笑いが泥臭すぎて逆に冷静になってしまい笑えなかったのもきつい。状況は凄く深刻なのにちょいちょい笑いを入れてくるのは、この監督の手癖なのか韓国エンターテイメントのお約束なのか。
 ベタはベタなドラマ展開なのだが、国を愛するとは何かという問いが一貫して真面目に投げかけられており、エンターテイメントとしても手堅くまとめている。もうちょっと短くてもいいかなとは思ったが。

タクシー運転手 約束は海を越えて [Blu-ray]
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TCエンタテインメント
2018-11-02


レッド・ファミリー [Blu-ray]
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ギャガ
2016-04-28


『1秒先の彼女』

 郵便局で働くシャオチー(リー・ペイユー)は極度のせっかちで、何をするにも人よりワンテンポ速い。ある日、ハンサムなダンス講師と親しくなり、バレンタインデーにデートの約束をする。が、目覚めるとなぜかバレンタインデーの翌日。自分のバレンタインデーはどこに行ったのか?一方、何をやるにもワンテンポ遅いバス運転手のグアタイ(リウ・グァンティン)は、毎日郵便局に行ってある宛先に手紙を出している。監督・脚本はチェン・ユーシュン。
 台湾のバレンタインデーは夏なのか!風景や小物(スマホとラジカセ、SNSと手紙が混在する世界)を含め、何となく懐かしいラブコメだった。懐かしい、と言えば聞こえがいいが、正直古臭いと感じたところも多々ある。序盤、シャオチーが職場の後輩に向けて放つ言葉は女性同士とは言えセクハラ(後輩は気にしていなさそうだが)で、一気に引いてしまった。懐かしいのはいいけど、そういうところはブラッシュアップしておいてよ!今2021年だから!シャオチーをイタい人として描いているのかな?と最初は思ったけど、グアタイ側のエピソードを見ると、どうも無自覚なのではと思った。
 グアタイの諸々の行動は、深い愛によるものではある。が、自分が知らない所でこういうことをされていたら、相当怖いと思うし、相手をこの先信頼できないのでは。これを愛、純愛だと思われてしまうとちょっとたまったものではない。考えを改めて。相手の意志が確認されていない所で愛は成立しないのでは。
 とは言え、ラストはやはりぐっときてしまう。世の中のテンポとはずれて生きてきた2人が、ずれたままある地点で合流するのだから。もうちょっと価値観ブラッシュアップしていたら、とてもチャーミングなラブコメになったのではないかと思う。

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2001-03-23


『いとみち』

 青森県で生まれ育った16歳のいと(駒井蓮)は、祖母と母の影響で津軽三味線が得意だったが、母の死後は三味線に触れることをやめてしまった。ある日いとは、青森市内のメイドカフェでのアルバイトを体験する。原作は越谷オサムの同名小説、監督は横浜聡子。
 横浜監督、脚本が上手くなったなと実感した。決して派手な作品ではないが、10代の少女の心の機微を丁寧に追った青春劇としても、青森ご当地映画としても手堅い。特に、その土地の名所は登場するが無理やり感はなく、ストーリーの中に自然に織り込まれている所がいい。生活の場としてのその土地の顔、魅力が捉えられていると思う。また方言による台詞をあえて方言のまま、下手にわかりやすくしていないところもよかった。民俗学教師であるいとの父親(豊川悦司)が言うように津軽弁はかなり癖があり、いとと祖母の会話は半分くらい何を言っているのかわからない(ニュアンスすらわからない所も…)。
 三味線という楽器、演奏を巡る話というわけではない。音楽はあくまで要素の一つだ。いとは方言が強く、口下手で思いを言葉で表現することが苦手。彼女の感情の表現方法は三味線の音だ。だが、再び三味線で表現できるようになるまでに助走期間が必要であり、本作のストーリーはその助走の期間を描いたものだ。まずは思いを言葉にし、自分の周囲の人のことにも思いが至るようになってから、音楽の表現がついてくる。
 いとと周囲の人達の関係が、距離が近すぎない所がいい。近すぎるとかえって不自然だろう。また周囲の人達の人間像が断片的とは言えしっかりと見えている。メイドカフェという要素は一見とってつけたみたいだが、メイドカフェという商売の基盤にある社会構造がどういうものなのか、それを地方でやるというのがどういうことか言及することで、通り一遍のキャッチーな要素になることを防いでいる。お金を持っていない若い女性は舐められる・搾取されがちである、こと地方ではなおさらだという側面が垣間見えるのだ。それでもカフェ店長らのようにそこを「居場所」として成立させたいと尽力する人たちがいるということは、ファンタジー的かもしれないが希望でもある。店の常連客に女性が結構いるあたり、あの店が「萌え」とは別のものも提供していたのではないかと思えるのだ。

いとみち(新潮文庫)
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2018-06-01


俳優 亀岡拓次
山﨑努
2016-08-14


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