3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画い

『五日物語 3つの王国と3人の女』

 ロングトレリス国の女王(サルマ・ハエック)は不妊に悩み、犠牲と引き換えに怪物の心臓を食べて男の子を授かる。怪物の心臓を料理した下女も同時に妊娠しており、男の子を産んだ。2人の男の子は兄弟のように育つ。一方、ストロングクリフ国で染料仕事をしている老姉妹。姉は美しい歌声を彼女の姿を知らない王(ヴァンサン・カッセル)に見初められ、不思議な力で若さを取り戻し王宮に入る。そしてハイヒルズ国の王女は城の外に出る為に結婚を切望していたが、王の謎かけを解き結婚の権利を得たのは“鬼”だった。監督・脚本はマッテオ・ファローネ。
 衣装とセット、ロケ地が、中世スペインかイタリアのようでいてどこでもないような雰囲気で素晴らしい!撮影もとても美しく、全般的にゴージャス。しかし、ファンタジーとは言っても本来の昔話の味わいの強い、血と土の臭いがするもの。時にグロテスクで不条理だ。近年増えた「実は○○だった昔話」とは一味違う。原作は17世紀にイタリアで書かれた民話集『ペンタメローネ 五日物語』だそうだ。『ゴモラ』の監督が本作のような作品を撮るというのが意外だった。
 3つの物語から成る作品だが、物語の中心にいるのは3人の女性だ。どの人も、それぞれ欲望を抱いている。ロングトレリス国の女王の前に現れた老人は、望みを叶えるには犠牲が必要と言う。彼女らは何が犠牲になるのかわからないまま、望みの為に邁進してしまい、それが思わぬ結果を呼び寄せる。特に老姉妹のエピソードは、王の好色さ(カッセルって本当に好色な役が似合うな・・・)下種さと相まって痛ましい。
ラスト、燃える綱の上を曲芸師が綱渡りするシーンがある。美しいが危うい。人の人生もまたこのように危ういものという暗喩のようでもあった。
 しかし最も昔話、おとぎ話っぽいのは、ハイヒルズ国王が飼育していたある物だろう。よ、よりによってそれか!人によっては卒倒しそうだけど見ているうちになんとなく可愛く見えてくるから不思議だ。クリーチャーの造形にはさほど気合が入っていない(意外とシンプル)なところに逆に味があった。
 なお、若返った老姉妹の姉が森の中に立ちつく姿が、なんとくなくマックス・エルンストの絵(「花嫁の装い」あたりの)の一部みたいに見えた。赤毛のつややかさ、ボリューム感とその隙間から見える肉体の質感がそう思わせたのか。

『怒り』

 東京・八王子で、若い夫婦が自宅で殺害され、現場に「怒」という血文字が残される事件が起きた。容疑者は顔を整形してどこかへ逃亡したと見られ、警察の捜査は頓挫していた。1年後、千葉の漁港で暮らす洋平(渡辺謙)と娘の愛子(宮崎あおい)の前に、田代(松山ケンイチ)という青年が現れる。東京の大手企業会社員の優馬(妻夫木聡)はなりゆきで大西直人(綾野剛)を居候させる。沖縄に転校してきた高校生の泉(広瀬すず)は、無人島でバックパッカーの田中(森山未來)と知り合う。同じころ、警察は八王子事件の公開捜査に踏み切り、TVで整形後の犯人の似顔絵が公開された。原作は吉田修一の同名小説。監督・脚本は李相日。
 監督も役者も全力投球した力作なのはわかるが、全ての部分が全力なので、作品全体としては却って平坦な印象を受ける。やはり緩急とか抜け感とかって必要なんだなーと改めて思った。また、李監督が本作と同じく吉田修一原作を映画化した『悪人』でも思ったのだが、クライマックスを無駄に引き延ばす、盛りすぎる傾向があるように思う。ボリュームのある原作をせっかくタイトにまとめることが出来たのに、こういう部分で冗長になるのはとても勿体ない。私がどちらかというと引き算に引き算を重ねたような映画の方が好きだから、というのもあるかもしれないが、盛られすぎると少々興ざめする。
 とは言え、面白かった。素性の分からない3人の男のうち、誰が八王子事件の犯人なのか?というミステリ的な導入はあるものの、これはむしろミスリードだと思う。物語として誰が犯人かは一応わかるが、わからなくても本作の核の部分は変わらない。重要なのは、犯人「ではなかった」時の方なのだ。自分はこの人を信じきれなかった、その上で関係を築いていけるのか?自分はどうすればいいのか?という問題を突きつけてくる。自分の中にある卑小さ、弱さと向き合わざるを得ない。相手を疑った、その結果相手を裏切ってしまったということをどう越えていくか、ないしは越えられないのかという部分が、本作の一番の見所なのだと思う。
 その意味では、優馬のパートは原作に比べてちょっと弱いのが残念。微妙なニュアンスが色々抜け落ちてしまっている。対して、内容をシェイプした上で核がぶれていない洋平・愛子のパートはよかった。


『イレブン・ミニッツ』

 さほど売れてなさそうな女優とその夫、彼女と「オーディション」をする映画監督、ホットドッグ屋の主人と常連客の少女と犬、バイク便の男や登山家のカップル等、様々な人々の「11分」を描く。監督・脚本はイエジー・スコリモフスキ。
 相変わらず好き勝手になってるなー監督。安心しました!冒頭の、おそらく女優と夫がスマホで撮影している設定なのだろうが、移動しまくり不安定なカメラが不安感をあおる。その後も、どのショットも妙に不吉で、あっこの人次の瞬間死ぬかも・・・というような嫌な予感が途切れない。平穏な光景があっても、次のショットで何かが起こるのではないかという不安さが途切れないのだ。一貫して、見る側の心を落ち着かせない。ショットのひとつひとつ、編集の仕方のせいなのだろうが、ここに何か(いるべきではないものが)立ち現れるのではないか、と思わせるのだ。実際、壁を奇妙なものが這っていたりするし・・・あれは何だったんだろう。
 また、音の効果も大きい。スコリモフスキ監督の作品では、外界からの音(フレームの中に音源がなく、外側から聞こえてくる類の)が持つ役割はかなり大きいのではないか。音が聞こえすぎる感じなのだ。特に飛行機が飛ぶ音は世界を引き裂くようで恐ろしかった。以前、『アンナと過ごした四日間』の爆音上映を見たことがあるが、確かにこれは爆音で見る意義があると思ったのを思い出した。
 様々な人たちの、それぞれの人生の一瞬が交錯するが、深く交わるわけではない。たまたま居合わせた、という程度で、そこに深い意味は設定されていないと思う。むしろ、「たまたま」こうなってしまうことの滑稽さ、陳腐な言い方だが「一寸先は闇」な生の不確かさを感じる。また、登場する人たち一人一人はさほど個性的というわけでもなく、個を際立たせる見せ方もしていない。もちろん、彼らはそれぞれ異なる存在で、それぞれ異なる人生がある。ただ、それが集積され俯瞰されていくと、TVの砂嵐のようにのっぺりとした、グレーな塊になっていくのかもしれない。色々な色を混ぜると黒になるように。

『インサイダーズ 内部者たち』

 チンピラから表向きは実業家に成り上がったアン・サング(イ・ビョンホン)は、兄貴分で新聞社社長のイ・ガンヒ(ペク・ユンシク)の指示で、裏の仕事を代行していた。財閥企業であるミライ自動車が大統領候補チャン・ピル(イ・ギョンスン)へ裏金を渡していた証拠を入手したアン・サングはミライ自動車をゆすろうとするが、バレて片腕を切り落とされ追放される。一方、本来その証拠を入手するはずだった検事ウ・ジャンフン(チョ・スンウ)は責任を取らされ左遷。しかしジャンフンは密かにサングに接触し、協力を仰ぐ。監督はウ・ミンホ。
 映画としての見得を思い切り切っている感じで、冒頭からぐいぐい飛ばしていく。ちょっと話の展開が粗く(最後の“逆襲”とか、これをやるならもっと早くに同じことができたんじゃないか?って思ってしまう)突っ込みたくなるところはあるが、ここがクライマックスなのか?と思ったらそれを反復するように更にクライマックスが、というボリューム感とサービスの良さ。スターを起用した娯楽大作、かつ韓国社会の世相を反映している。作中で描かれる“悪”の姿があまりに画一的、絵にかいたような悪の悪役すぎという面はあるが、後半の展開からも、見ている側をスカっとさせることが目的の作品とわかるので、これはこれでいいと思う。
 韓国はコネ社会である、コネがないと有能でも出世できないという話は韓国映画を見ているとしばしば出てくるが、本作でも嫌と言うほど出てくる。ジャンフンは有能な検事だが、元警察官で有力なコネもなく、「コネなし検事」としてバカにされている。ここまで「コネなし」が世間的にマイナス要素として打ち出されている登場人物は初めて見たかもしれない。コネで出世という方がむしろマイナスイメージな気がするが、韓国社会ではコネもないなんて人望がない、くらいの感覚なのだろうか。またコネの一つになるであろう先輩後輩関係の強固さもお馴染み。フィクションとしてかなり誇張した描写になっていると思うのだが、それにしても窮屈そうな社会だ。日本でもコネや先輩後輩関係は少なからずあるだろうが、それによって個人の人生が決定されてしまうという絶望感みたいなものが、韓国ではもっと強いのかな。大企業や財閥に対する嫌悪感も、日本における大企業に向けたものとは、ちょっと感覚が違う感じ。

『偉大なるマルグリット』

 1920年のフランス。パリ郊外の屋敷に住むマルグリット・デュモン男爵夫人(カトリーヌ・フロ)は定期的にサロン音楽会を開いていた。音楽会にもぐりこんだ新聞記者のボーモン(シルヴァン・デュエード)はマルグリットの歌を聴いて仰天する。彼女は大変な音痴だったのだ。しかし社交界の上流階級の人々は、礼儀にのっとり拍手喝采、マルグリットに忠実な執事や召使たちも、彼女が音痴であるとはおくびにも出さない。さっそく皮肉まじりの絶賛評を新聞に書いたボーモンだが、マルグリットは大喜びし、彼にお礼を言う為にパリまでやってくる。マルグリットに近づこうというボーモンの企みは成功するが、彼はマルグリットの純真な人柄に好感を持つようになる。一方マルグリットの夫であるジョルジュ・デュモン男爵(アンドレ・マルコン)は妻を理解できず、妻の友人と浮気をしていた。監督はグザヴィエ・ジャノリ。
 周囲が巧妙に隠蔽しているために、マルグリットは自分が音痴であることを知らない、という設定なのだが、果たして彼女は本当に気付いていないのか?というと、何とも言えないように見える。彼女が何を考え、何を思っているのか、提示されているようでいて、実の所映画を見てる側には明確には提示されていない。これはマルグリットを演じるフロの表情の素晴らしさによるところもあるのだろうが、どちらにも取れる曖昧さを常にはらんでいるのだ。ストーリー自体は単純、直線状態なのにも関わらず曖昧なまま、喜劇とも悲劇ともつかずにラストまでそれが貫かれるという、絶妙のバランス感。これが本作を奥行きのあるものにしている。
 マルグリットは歌の才能はないかもしれないが、音楽への愛と敬意はある。彼女の芸術に対する愛は率直で、常に本気で楽しみ、かつ周囲を楽しませようとしている。だからマルグリットをカモにしようとしていたボーモンも、音楽教師も、彼女に最後まで付き合うのだろう。彼女を見ていると、何かを好きだと思う気持ち、夢中になる気持ちというのはこういうものだったよなと思いだすのではないだろうか。彼女は夫の気を引きたいから歌うんだという人もいるし、彼女としても聞いてほしいことは聞いてほしいのだろうが、そういうことだけじゃない(というかそうじゃない部分の方が大きい)んだろうな。
 マルグリットに心酔する執事が印象に残った。彼は、彼女の中に何を見ていたんだろうなぁ。彼は彼女の鑑賞者であり、その鑑賞を自分の手で完成させたかったんだろうけど、それはあくまで他人の夢の尻馬に乗っかることに過ぎないんだろう。

『犬どろぼう完全計画』

 小学生のジソ(イ・レ)は父親が失踪した為に家を追われ、母(カン・ヘジョン)と弟と車中生活をしていた。ある日、迷子の犬を見つけたら500万ウォンの謝礼金を払うという広告を見かける。その犬は既に見つかっていたのだが、どうしても家を買いたいジソは、手ごろな犬を盗み出して謝礼金をもらうことを思いつく。目を付けたのは、母親が就職したレストランのオーナーである裕福な奥様(キム・ヘジャ)の愛犬だった。原作はアメリカのベストセラーであるバーバラ・オコーナーの小説。監督はキム・ソンホ。
 全然事前情報ないまま見たのだが、予想外に良かった。こういう作品こそ、夏休みに親子で見てほしい。なんなら日本語吹き替え版があってもいいなというレベル。カラフルで楽しいし、基本的に根っからの悪人は出てこないので安心して見られる。一部、いかにもテンプレなキャラクター造形(金持ちの同級生とか)がお子様向け風で気になったけど、主人公のジソ自体はあくまで単なる子供で、よけいな可愛らしさが付帯されていないので、そこもほっとした。
 ジソは賢くてなかなか良くできた子供なのだが、あくまで「子供」であって、それ以上の何かではない。車中生活に対する不満、母親に対する不満はあるが、その背後にある事情には(漠然とはわかっているが)あまり思いが至らない。家が欲しくて謝礼金を狙うのも、「一坪500万」という不動産広告を見て、500万ウォンで家が買えると勘違いしたからだ。もちろん子供は子供なりに色々と大変なのだが、大人もまたいっぱいいっぱいなのだ。
 本作に出てくる大人は主に3人。母親、「奥様」、レストランの経営権を狙う「奥様」の甥、ホームレスの男だ。ジソから見たら母親はふわふわしていて頼りないし、「奥様」の甥は犬どろぼうを邪魔する、やがて犬を捨てようとする気に食わない奴。「奥様」とは接点がなさすぎて「金持ち」というイメージしかない。そしてホームレスの男は得体のしれないちょっと怖い存在だ。しかし物語が進むうちに、母親は母親なりに一生懸命かつぎりぎりまで踏ん張っている(靴の使い方がよかった)ことが、映画を見ている側だけでなく、子供であるジソにもわかってくる。ホームレス男はジソを助けてくれたし、「奥様」とも一人の人間として向き合うことになる。悪役的な立ち位置の「奥様」の甥も、コンプレックスと功名心の間で(ちょっと頭悪いんだけど・・・)葛藤しており、決して「奥様」が憎いわけではない。どちらかを下に見るのではなく、大人も子供も、それぞれ色々事情があって辛い、ということがちゃんと描かれているところがいい。
 ジソと同級生の友情の在り方がよかった。車に住んでいても一緒にいると面白いから友達だよ、とさらっと言う同級生との関係は、ベタついていない。一緒に行動しているが、好みも一緒というわけではない(同級生のお部屋はかなりガーリーなのだが、ジソの持ち物にはそういう雰囲気はないし、価値観も一緒というわけではない)ところに、適切な距離感があると思う。

『インヒアレント・ヴァイス』

 1970年代初頭。ロサンゼルスのビーチに事務所を構える私立探偵ドック(ホアキン・フェニックス)の元に、かつての恋人シャスタ(キャサリン・ウォーターストン)が訪ねてくる。彼女の愛人である大富豪が失踪したので探してほしいというのだ。捜査に乗り出したドックは、天敵の警官“ビッグフット”(ジョシュ・ブローリン)に妨害されながらも、予想外に大きな組織犯罪に迫っていく。原作はトマス・ピンチョンの同名小説(日本では『L.A.ヴァイス』として出版)。監督はポール・トーマス・アンダーソン。
 難解かつボリュームがありすぎることで有名なピンチョンの小説だが、本作はピンチョン作品としてはわかりやすい方だそうだ。確かに、あらすじや舞台装置はわりとよくあるハードボイルド小説っぽい。ただ、いわゆるミステリ的な筋立てを使ったハードボイルドとはまた異なる。謎を追う、というよりも、何か別の物を追っていたら謎の答えがたまたまというか自動的に、芋蔓式にやってきたという印象なのだ。ドックが流石ジャンキーというべきか、論理的な推理というよりもその場で得たひらめき(というかたまたまそんな感じになった、というような)によって行動しているからだ。
 ではドックは何を追っているのかというと、シャスタとの思い出ではないだろうか。ドックとシャスタがなぜ別れたのかは作中では説明されないが、彼はいまだにシャスタに思いを残しているように見える。少なくとも、シャスタと過ごした日々は彼にとって大切なものだ。だからこそ彼女の依頼を受け、奔走するのだろう。彼が真相に近づく手がかりを得るのも、シャスタとのある思い出がヒントになったからだ。ドックとシャスタの思い出は、どれも(大してさえない状況なのにもかかわらず)どこか幸福そうで、キラキラしている。過去が美化されていると言えばそれまでだが、シャスタが彼の幸福の一部であったことは違いないだろう。一貫してぼんやりとした表情だったドックが、ラストショットではちょっとかっこ良く見える。とするとこれは、(過去の愛に向けられたものではあるのかもしれないが)ラブストーリーなのだ。トーマス・アンダーソン監督作品の中では『パンチドランク・ラブ』に連なるんじゃないかなという印象を受けた。アッパーかダウナーかという違いはあるが。


『イマジン』

 視覚障害を持つイアン(エドワード・ホッグ)は、反響定位という技術を使って、杖を使わずに歩くことができる。リスボンの寄宿制の視覚障害者施設で教師として働くことになった彼は、反響定位を使って外の世界への興味を生徒たちから引き出していく。引きこもりがちのエヴァ(アレクサンドラ・マリア・ララ)に惹かれたイアンは、彼女を誘って町に出る。監督はアンジェイ・ヤキモフスキ。舞台はポルトガルだが監督はポーランドの人。
 イアンは生徒たちに、音により世界の様子が浮かんでくることを度々教える。人の同さの物音、宿舎の敷地の外から聞こえる鳥の声やバイク、車の走行音。時には船の汽笛の音など。視覚を使える人が見るのとはまた違った世界が広がっているのだろう。ただ、その音の広がりの見せ方(というか聞かせ方)は、そんなにはっとするものでもなかった。普段から(視覚を使える人でも)これくらいは聞いているし、そのくらい想像するよなぁと思った。視覚主体でとらえている世界とは違った世界の広がりみたいなものは感じられなかった。このあたりは個人差があって、すごく新鮮に思う人もいるかもしれない。ともあれ必要に迫られないと、そこに音があることを取り立てて意識しないということなのだろうか。
 はっとしたのは、イアンが杖を使うのを嫌がるところや、エヴァがカフェで「いい女」風の振る舞いをする部分だ。確かに、杖を持っている人がいると、周囲にとってはまず「視覚障害者」であって、男性/女性というカテゴリーは後付けになりがちだ。それがイアンやエヴァには鬱陶しい(まず視覚障害があると認識してほしい、とという人ももちろんいるだろうが)。人は他人を見ると多かれ少なかれ、なんらかのカテゴリーに入れて判断することが多いと思うが、常に同じカテゴリーで判断されて同じような対応をされるというのは、うんざりするものなのかもしれないと改めて気づかされる。
 イアンとエヴァのラブストーリーと言う要素はあるものの、見ている間はあまり意識しなかった。それよりも、イアンの新奇さが人気を博するものの管理側からは受け入れられないという、一種の教師もののパターンだなと思った。イアンが少々胡散臭い人として描かれているところも面白い。新奇さによって迫害されるという感じではなく、イアンのやり方が不完全だという感じなのだ。イアンに対して黒とも白ともつかない、あいまいな見せ方をしているのだが、そこが単に「人」という感じがした。

『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』

 1939年のイギリス。第二次世界大戦がはじまり、イギリスはドイツに宣戦布告していた。ケンブリッジ大学の特別研究員で天才数学者と評判のアラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッジ)は、政府の極秘作戦チームに抜擢され、ドイツ軍の暗号エニグマの解読に挑む。チューリングは解読の為にコンピューターを開発するが、作業は遅々として進まず、チームメンバーとの溝も深まっていく。監督はモルテン・ティルドゥム。第87回アカデミー賞脚色賞受賞。エニグマを解読しコンピューターの祖でもある数学者、アラン・チューリングの人生をドラマ化した。
 戦後、とある状況に陥ったチューリングが過去を回想し語り始めるという、時間を行き来する構成だが、スピード感があり飽きなかった。チューリングは、いわゆる「空気を読む」ことが出来ない。行間が読めないので、省略した話法や、複雑な暗喩や言外の駆け引き等は、出来ないしされてもわからない。普通、面識がある同士で会話をすると、文法通りの話し方ではなく、言葉や文法を省略したり、仕草を多用したりするだろう。それを上手く読み取れないというのは、(人嫌いというならともかくそれほどでもない人にとっては)かなりしんどいのではないだろうか。
 チューリングにとって周囲の人たちの会話は、ある種の暗号みたいなものなのだ。自分にはよくわからないルールで周囲がやりとりしているのだ。また、周囲の人たちから見ると、四角四面で情感がないように見える(ちゃんとあるが、他の人と出方が違う)チューリングは、彼が発明したコンピューターのように見えたかもしれない。作品のキーとなっている暗号とコンピューターが、チューリング自身と重なってくるのだ。チューリングは自作のコンピューターに、ある思いを込めて名前までつけているのだが、自分の一部のようでもある。
 チューリングはチームの一員であるジョーン(キーラ・ナイトレイ)と親しくなるが、彼女は世の中のコミュニケーションが多かれ少なかれ暗号のようであるということに気づいており、ことにチューリングにとっては難解な暗号なのだということを理解している。パブでのナンパ見学シーンが象徴的だった。チューリングが、ジョーンが研究所で働けるように彼女の両親を説得する時、おそらく苦手(というかほぼできない)腹芸を必死でこなす。彼にとって、彼女は本当に理解者であったのだとぐっとくる。
 しかし彼女が抱えている、当時の女性ゆえの困難さにはなかなか思いが至らないあたりが、またせつなかった。彼にとっては周囲の人間も人の世も、エニグマと同じく、もしかしたらそれ以上に(エニグマには何であれ法則性がある)難解なミステリだったのかもしれない。
 

『インフェクション 感染』

 中東の紛争地帯で生物兵器が使用された。生物兵器による感染は紛争地域にとどまらず、世界中に蔓延していく。アメリカに住むアナ(テリーサ・パーマー)とエリック(ペン・バッジリー)は結婚を控えて2人の世界に浸っていた。エリックの祖父アンディ(フランク・ランジェラ)は生物兵器開発に関わった罪悪感にさいなまれながら、妻エスター(ジーナ・ローランズ)と支えあう。アンディの弁護士ミア(ロザリオ・ドーソン)とその夫でスランプ中の作家レン(ジョシュ・ハートネット)は心が離れていた。彼らの日常にもパンデミックが押し寄せてくる。監督・脚本はブライアン・ホリウチ。
 3組のカップルを中心とした群像劇。題名からパニックホラーっぽい内容なのかと思っていたら、いわゆるホラー要素は薄く、SF風味をまぶし、ちょっとポエティックでもある。アナとエリックのやりとりがやたらとポエミーだからかもしれないが・・・。これがもうちょっと年長のミアとレン夫婦だと仲も冷えて辛辣、アンディとエスターには長年苦楽を共にした重みを感じる。カップルの3つの時代を象徴しているようでもある。
 パンデミックがどんどん広がっていくという絶望的な状況なのだが、カップルたちのやりとりは痴話喧嘩のようだ(そもそもアナとエリックはパンデミックの深刻性も認識していないみたいだけど)。緊迫感がないというよりも、切羽詰まった状況だからこそ普段から問題になっているがうやむやにしていたことが噴出してしまうというように見える。2人の関係の根本的な部分が全部露呈されてしまうようだった。
 時間軸が様々な時期を行ったり来たりするので、あの時のあのセリフはこれが元ネタだったのか等と、シーンが連鎖していくのが、人の思い出がよみがえってくる感じに似ている。2人の間だけで通じる冗談等、親密さの見せ方は手堅いものがあった。
 前知識の全くない状態で見たのだが、ジーナ・ローランズが出ていてびっくり。本当におばあちゃんなのだが、ぱっと見てもただものでない感じが漂っている。華やかなオーラがあった。

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