3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画い

『犬ヶ島』

 ドッグ病が大流行するメガ崎市では、人間への感染を防ぐ為という名目で、全ての犬を犬ヶ島に追放することを小林市長(野村訓市)が決定。愛犬スポッツ(リーブ・シュレイバー)を奪われた市長の養子アタリ(コーユー・ランキン)は、単身犬ヶ島へ渡り、スポッツを連れ戻そうとする。島で出会った5匹の犬たちとスポッツを探すが、大人たちの陰謀が彼らを巻き込んでいく。監督はウェス・アンダーソン。
 アンダーソン監督の作品は、まずスタイルありきというか、強固なスタイルが中身を規定してしまっているような部分があって、そこが好みの別れるところではないかと思う。ドラマの組み立てがふわふわしていても、外枠があまりに強くて作品が成立しちゃう感じ。本作はストップモーションアニメの極北(犬の毛が風にたなびく様を表現しようとするのって、よっぽどだよな・・・)とでも言いたくなる緻密さとユニークさ。アニメーションの動きの部分だけではなく、動かない部分、動きと動きの間の部分の活かし方に注力しているように思う。動きがぎくしゃくする、制限されていることによる面白みを作り手がよく理解しているんだろうな。なめらかなだけだと、すごい!で終わってしまいそう。ミニチュアール的な面白み、魅力を引き出すには、ちょっとぎくしゃくしているくらいの方がいいのかもしれない。
 「少年と犬」というジャンルがあるなら、本作もその一つだろう。犬は犬の言葉、人間は人間の言葉で話し、お互いに言っていることが理解できているわけではない。でもなんとなく気持ちは通じ合っておりコミュニケーションが成立しているというニュアンスの出し方、また人の声に対する犬の反応やしぐさ等、犬と暮らしている人ならもっとぐっとくるところがあるのかなと思いながら見た(私は動物飼ったことがないので)。犬を追放する側は例によって猫を飼っているのだが、犬猫対立させなくてもいいのになぁ。犬も猫も両方そこそこ好き、という人の方が絶対にどちらかの派閥だという人よりも多いのではないだろうか。メガ崎市、猫が増えたら猫ヶ島作って猫を追放しそうだし・・・。
 市長の陰謀やデマによる世論のコントロールなど、昔からありがちな戯画的なもので特にとんがっているわけでも世相に切りこむ意図を持ったものでもないと思う(時代に関わらず普遍的なものだろう)のだが、期せずして今の日本にフィットするような雰囲気になってしまったような気がした。作中では、若者たちが真相究明しようとするけど・・・。市長が自ら自宅の犬(アタリの愛犬なわけだけど)を追放するあたりは、太平洋戦争の家畜徴用みたいでぞわっとする。

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『イカリエ-XB1』

 太陽系外での生命探査の為、アルファ・ケンタウリ系を目指して旅立った宇宙船・イカリエ-XB1。目的地へ近づく中、漂流中の朽ちた宇宙船を発見する。それは20世紀に地球から旅立ったものと見受けられたが、乗組員たちは全員死亡していた。監督はインドゥジヒ・ポラーク、1963年の作品。原案はスタニスワフ・レムの小説『マゼラン星雲』。
 デジタル・リマスター版を鑑賞したが、今見てもスタイリッシュで、白黒のバランスが非常に美しい。映像美的な部分だけでなく、当時のSF表現としては(デザイン的にもSF考証としても)最先端だったのだろう。上記にあらすじを書いてはみたが、大きな事件が起こっているはずなのに妙に淡々としていて、悲劇も喜劇も長い旅路の中の1幕でしかないというクールさが感じられる。限られた人数で長期間生活していると、このように変化していくという様を観察しているようでもあった。食事の微妙さとか、栄養素を強制的に摂取させられるところとか、妙な生活感が踏まえられているところも面白い。ちょっとしたストレスや違和感がじわじわ増殖していく感じが不安をあおるのだが、このあたりの描写は現代では最早定番なのでは。
 全般的に、なぜだか死の匂いが漂っている。具体的な死、死体の描写があるからというよりも、その死体が置かれている状況の無常感により醸し出されるものではないかと思った。この死体(と死体のある環境)、20世紀の遺物のような扱いなので、20世紀は死の時代であった、その時代の匂いがまだイカリエを追いかけてきているということなのかもしれない。逆に、本作が作られた当時(1960年代)は、その先の時代(本作は23世紀あたりが舞台)への希望があったってことなんだろうなぁ・・・。本作、死の匂いはあるものの、基本的には未来、また未知の存在への希望、ないしはそれに対峙していく勇気みたいなものを含んでいると思う。それは原作のテイストなのかもしれないが。

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『Infini-T Force ガッチャマン さらば友よ』

 界堂を倒して自分たちの世界を取り戻し、それぞれの世界へと戻ったガッチャマン=健(関智一)、テッカマンン=城二(櫻井孝宏)、ポリマー=武士(鈴村健一)、キャシャーン=鉄也(斉藤壮馬)。しかしある異変により、笑(茅野愛衣)と共に再び時空を超えて一つの世界を訪れる。そこは人類の敵ギャラクターと、それに対抗する科学忍者隊が戦い続け、その末にこの世界の健をはじめとする科学忍者隊は死亡。彼らを創造した南部博士(舩越英一郎)は現れたヒーロー4人に対して、君たちは敵だと告げる。更に健の仲間だった科学忍者隊の一員“コンドルのジョー”(鈴木一真)が現れる。監督は松本淳。
 TVシリーズのダイジェストが序盤20分くらいを占めるのだが、編集の出来があまりよくない。これだったら、映像にナレーションをかぶせて言葉主体で説明してくれた方があらすじとしてわかりやすかったんでは・・・。TVシリーズ自体、ストーリーや設定がわかったようなわからないような話だったからな・・・。今回はガッチャマンがいる世界線が複数存在すると認識しておけばまあまあ大丈夫かと思うが。
 制作側が意識したのかどうかわからないが、TVシリーズに続き本作も、トチ狂った父親(的な存在)と闘う話だ。とは言え、父親の庇護から笑が独立していく物語だったTVシリーズに対し、科学忍者隊を作った南部博士は健やジョーにとって父親的な存在であると同時に共に戦う同志的存在。仲間割れといったほうが近いのか。健は教科書通りの「正しさ」を主張する人でしかもそんなにクレバーではないので、チームメイトとして一緒に戦うのは色々疲れそうではあるなぁ・・・。
 相変わらずゲームのムービー画面的な質感のアニメーションで、正直なところ大画面で見る醍醐味はさほどない(配信でもいいんじゃないかなというくらい)。ただ、モーションキャプチャーを使っているからか、組み合い等のアクションには意外と重さがあって、肉体感が感じられ悪くない。体に厚みがあるキャラクターデザインなので、肉弾戦が映える。
 なお、ゲスト出演の舩越英一郎が上手い!本業声優に交じっても違和感が全くなかった。演技における「キャラ」感をわかっている人なんだろうなー。鈴木一真はちょっとつたないんだけど、ジョーのキャラクターにはあっていると思う。

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『イップ・マン 継承』

 1959年、香港。詠春拳の師父として地位を築き、周囲からも尊敬されるイップ・マン(ドニー・イェン)は妻ウィンシン(リン・ホン)と息子と暮らしていた。しかし、息子の通う小学校を立ち退きさせようと、英国人フランク(マイク・タイソン)の手下が執拗な嫌がらせをしてきた。学校を守ろうとするイップ・マンだが、息子が巻き込まれてしまう。そして彼の妻もある問題を抱えていた。監督はウィルソン・イップ。
 『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』に続くシリーズ三作目。
本シリーズはどれも美術が素晴らしいのだが、本作もセットも衣装も素晴らしい!第二次大戦後、好景気で沸く香港の街並みは、建物に繊細さとどこかヨーロッパ風でもある異国情緒(イギリスの影響だろうから複雑ではあるけど)があって美しい。また、イップ・マンの自宅のインテリアの作りが細やか!ほどよくお金があり、かつきちんと手を入れて暮らしている雰囲気が出ている。ウィンシンの衣装も、どれも華美ではないがおしゃれで楽しい。 こういう所に予算を割いて映画を作れるって、やっぱりいいものだなとしみじみとした。
前2作では自分の拳を確立しようと模索していたイップ・マンだが、本作では「詠春拳の師父」としての地位は盤石で、がつがつしていない。弟子に稽古をつけるシーンも作中にはない。いわば「あがり」の状態だ。だからこそ、息子の学校が安全であるよう手を尽くすといった、地域活動みたいなものに専念できるわけだろう。ただ、これから同じ道でのし上がってやろうという野心に燃える人にとっては、イップ・マンの余裕は癇に障るものでもあるだろう。息子の同級生の父親で、同じく詠春拳の使い手であるチョン・ティンチ(マックス・チャン)がイップ・マン宅を訪問した時の表情には、屈託が滲んでいる。そりゃあ、同じ流派で腕も劣らないと自信があるのに、何で自分だけって思っちゃうよなぁ。とは言え、チョンは野心家だが拳に対しては彼なりのまっすぐさがあり、イップ・マンとお互いのまっすぐさをぶつけ合うクライマックスは爽快だ。マックス・チャンがやたらと色気を垂れ流す(ドニーについては言うまでもなく)ので、ちょっとくらくらしてくるが。
 カンフーアクションはもちろん見応えがありとても愉快。拳法で戦うという部分は毎回同じではあるのだが、今回はこういう風にしてみよう、みたいな新鮮味を出す為の工夫が感じられる。エレベーターからの階段経由の一連のアクションは、階段で「踏みとどまる」足の描写をいちいち入れるあたりが面白かった。
 本作、カンフー映画ではあるが、同じくらいの注力度で夫婦の愛と絆が堂々と描かれており、なんだかぐっときた。イップ・マンのある局面での選択は、王道アクション映画だったらやらないんじゃないかというものなのだが、彼にとっては、もう一方の方がもっと大事なのだ。また、ウィンシンも、イップ・マンにとって拳がどういうものなのか、よく理解している。詠春拳をふるうのはイップ・マンだが、その道はイップ・マンとウィンシンが一緒に戦い、守ってきたものだと明言するような作品だった。2人が並んで歩いていく後姿に、つい感動してしまった。ここまで真向から夫の妻への愛を描くカンフー映画って、なかったんじゃないかなー。

『五日物語 3つの王国と3人の女』

 ロングトレリス国の女王(サルマ・ハエック)は不妊に悩み、犠牲と引き換えに怪物の心臓を食べて男の子を授かる。怪物の心臓を料理した下女も同時に妊娠しており、男の子を産んだ。2人の男の子は兄弟のように育つ。一方、ストロングクリフ国で染料仕事をしている老姉妹。姉は美しい歌声を彼女の姿を知らない王(ヴァンサン・カッセル)に見初められ、不思議な力で若さを取り戻し王宮に入る。そしてハイヒルズ国の王女は城の外に出る為に結婚を切望していたが、王の謎かけを解き結婚の権利を得たのは“鬼”だった。監督・脚本はマッテオ・ファローネ。
 衣装とセット、ロケ地が、中世スペインかイタリアのようでいてどこでもないような雰囲気で素晴らしい!撮影もとても美しく、全般的にゴージャス。しかし、ファンタジーとは言っても本来の昔話の味わいの強い、血と土の臭いがするもの。時にグロテスクで不条理だ。近年増えた「実は○○だった昔話」とは一味違う。原作は17世紀にイタリアで書かれた民話集『ペンタメローネ 五日物語』だそうだ。『ゴモラ』の監督が本作のような作品を撮るというのが意外だった。
 3つの物語から成る作品だが、物語の中心にいるのは3人の女性だ。どの人も、それぞれ欲望を抱いている。ロングトレリス国の女王の前に現れた老人は、望みを叶えるには犠牲が必要と言う。彼女らは何が犠牲になるのかわからないまま、望みの為に邁進してしまい、それが思わぬ結果を呼び寄せる。特に老姉妹のエピソードは、王の好色さ(カッセルって本当に好色な役が似合うな・・・)下種さと相まって痛ましい。
ラスト、燃える綱の上を曲芸師が綱渡りするシーンがある。美しいが危うい。人の人生もまたこのように危ういものという暗喩のようでもあった。
 しかし最も昔話、おとぎ話っぽいのは、ハイヒルズ国王が飼育していたある物だろう。よ、よりによってそれか!人によっては卒倒しそうだけど見ているうちになんとなく可愛く見えてくるから不思議だ。クリーチャーの造形にはさほど気合が入っていない(意外とシンプル)なところに逆に味があった。
 なお、若返った老姉妹の姉が森の中に立ちつく姿が、なんとくなくマックス・エルンストの絵(「花嫁の装い」あたりの)の一部みたいに見えた。赤毛のつややかさ、ボリューム感とその隙間から見える肉体の質感がそう思わせたのか。

『怒り』

 東京・八王子で、若い夫婦が自宅で殺害され、現場に「怒」という血文字が残される事件が起きた。容疑者は顔を整形してどこかへ逃亡したと見られ、警察の捜査は頓挫していた。1年後、千葉の漁港で暮らす洋平(渡辺謙)と娘の愛子(宮崎あおい)の前に、田代(松山ケンイチ)という青年が現れる。東京の大手企業会社員の優馬(妻夫木聡)はなりゆきで大西直人(綾野剛)を居候させる。沖縄に転校してきた高校生の泉(広瀬すず)は、無人島でバックパッカーの田中(森山未來)と知り合う。同じころ、警察は八王子事件の公開捜査に踏み切り、TVで整形後の犯人の似顔絵が公開された。原作は吉田修一の同名小説。監督・脚本は李相日。
 監督も役者も全力投球した力作なのはわかるが、全ての部分が全力なので、作品全体としては却って平坦な印象を受ける。やはり緩急とか抜け感とかって必要なんだなーと改めて思った。また、李監督が本作と同じく吉田修一原作を映画化した『悪人』でも思ったのだが、クライマックスを無駄に引き延ばす、盛りすぎる傾向があるように思う。ボリュームのある原作をせっかくタイトにまとめることが出来たのに、こういう部分で冗長になるのはとても勿体ない。私がどちらかというと引き算に引き算を重ねたような映画の方が好きだから、というのもあるかもしれないが、盛られすぎると少々興ざめする。
 とは言え、面白かった。素性の分からない3人の男のうち、誰が八王子事件の犯人なのか?というミステリ的な導入はあるものの、これはむしろミスリードだと思う。物語として誰が犯人かは一応わかるが、わからなくても本作の核の部分は変わらない。重要なのは、犯人「ではなかった」時の方なのだ。自分はこの人を信じきれなかった、その上で関係を築いていけるのか?自分はどうすればいいのか?という問題を突きつけてくる。自分の中にある卑小さ、弱さと向き合わざるを得ない。相手を疑った、その結果相手を裏切ってしまったということをどう越えていくか、ないしは越えられないのかという部分が、本作の一番の見所なのだと思う。
 その意味では、優馬のパートは原作に比べてちょっと弱いのが残念。微妙なニュアンスが色々抜け落ちてしまっている。対して、内容をシェイプした上で核がぶれていない洋平・愛子のパートはよかった。


『イレブン・ミニッツ』

 さほど売れてなさそうな女優とその夫、彼女と「オーディション」をする映画監督、ホットドッグ屋の主人と常連客の少女と犬、バイク便の男や登山家のカップル等、様々な人々の「11分」を描く。監督・脚本はイエジー・スコリモフスキ。
 相変わらず好き勝手になってるなー監督。安心しました!冒頭の、おそらく女優と夫がスマホで撮影している設定なのだろうが、移動しまくり不安定なカメラが不安感をあおる。その後も、どのショットも妙に不吉で、あっこの人次の瞬間死ぬかも・・・というような嫌な予感が途切れない。平穏な光景があっても、次のショットで何かが起こるのではないかという不安さが途切れないのだ。一貫して、見る側の心を落ち着かせない。ショットのひとつひとつ、編集の仕方のせいなのだろうが、ここに何か(いるべきではないものが)立ち現れるのではないか、と思わせるのだ。実際、壁を奇妙なものが這っていたりするし・・・あれは何だったんだろう。
 また、音の効果も大きい。スコリモフスキ監督の作品では、外界からの音(フレームの中に音源がなく、外側から聞こえてくる類の)が持つ役割はかなり大きいのではないか。音が聞こえすぎる感じなのだ。特に飛行機が飛ぶ音は世界を引き裂くようで恐ろしかった。以前、『アンナと過ごした四日間』の爆音上映を見たことがあるが、確かにこれは爆音で見る意義があると思ったのを思い出した。
 様々な人たちの、それぞれの人生の一瞬が交錯するが、深く交わるわけではない。たまたま居合わせた、という程度で、そこに深い意味は設定されていないと思う。むしろ、「たまたま」こうなってしまうことの滑稽さ、陳腐な言い方だが「一寸先は闇」な生の不確かさを感じる。また、登場する人たち一人一人はさほど個性的というわけでもなく、個を際立たせる見せ方もしていない。もちろん、彼らはそれぞれ異なる存在で、それぞれ異なる人生がある。ただ、それが集積され俯瞰されていくと、TVの砂嵐のようにのっぺりとした、グレーな塊になっていくのかもしれない。色々な色を混ぜると黒になるように。

『インサイダーズ 内部者たち』

 チンピラから表向きは実業家に成り上がったアン・サング(イ・ビョンホン)は、兄貴分で新聞社社長のイ・ガンヒ(ペク・ユンシク)の指示で、裏の仕事を代行していた。財閥企業であるミライ自動車が大統領候補チャン・ピル(イ・ギョンスン)へ裏金を渡していた証拠を入手したアン・サングはミライ自動車をゆすろうとするが、バレて片腕を切り落とされ追放される。一方、本来その証拠を入手するはずだった検事ウ・ジャンフン(チョ・スンウ)は責任を取らされ左遷。しかしジャンフンは密かにサングに接触し、協力を仰ぐ。監督はウ・ミンホ。
 映画としての見得を思い切り切っている感じで、冒頭からぐいぐい飛ばしていく。ちょっと話の展開が粗く(最後の“逆襲”とか、これをやるならもっと早くに同じことができたんじゃないか?って思ってしまう)突っ込みたくなるところはあるが、ここがクライマックスなのか?と思ったらそれを反復するように更にクライマックスが、というボリューム感とサービスの良さ。スターを起用した娯楽大作、かつ韓国社会の世相を反映している。作中で描かれる“悪”の姿があまりに画一的、絵にかいたような悪の悪役すぎという面はあるが、後半の展開からも、見ている側をスカっとさせることが目的の作品とわかるので、これはこれでいいと思う。
 韓国はコネ社会である、コネがないと有能でも出世できないという話は韓国映画を見ているとしばしば出てくるが、本作でも嫌と言うほど出てくる。ジャンフンは有能な検事だが、元警察官で有力なコネもなく、「コネなし検事」としてバカにされている。ここまで「コネなし」が世間的にマイナス要素として打ち出されている登場人物は初めて見たかもしれない。コネで出世という方がむしろマイナスイメージな気がするが、韓国社会ではコネもないなんて人望がない、くらいの感覚なのだろうか。またコネの一つになるであろう先輩後輩関係の強固さもお馴染み。フィクションとしてかなり誇張した描写になっていると思うのだが、それにしても窮屈そうな社会だ。日本でもコネや先輩後輩関係は少なからずあるだろうが、それによって個人の人生が決定されてしまうという絶望感みたいなものが、韓国ではもっと強いのかな。大企業や財閥に対する嫌悪感も、日本における大企業に向けたものとは、ちょっと感覚が違う感じ。

『偉大なるマルグリット』

 1920年のフランス。パリ郊外の屋敷に住むマルグリット・デュモン男爵夫人(カトリーヌ・フロ)は定期的にサロン音楽会を開いていた。音楽会にもぐりこんだ新聞記者のボーモン(シルヴァン・デュエード)はマルグリットの歌を聴いて仰天する。彼女は大変な音痴だったのだ。しかし社交界の上流階級の人々は、礼儀にのっとり拍手喝采、マルグリットに忠実な執事や召使たちも、彼女が音痴であるとはおくびにも出さない。さっそく皮肉まじりの絶賛評を新聞に書いたボーモンだが、マルグリットは大喜びし、彼にお礼を言う為にパリまでやってくる。マルグリットに近づこうというボーモンの企みは成功するが、彼はマルグリットの純真な人柄に好感を持つようになる。一方マルグリットの夫であるジョルジュ・デュモン男爵(アンドレ・マルコン)は妻を理解できず、妻の友人と浮気をしていた。監督はグザヴィエ・ジャノリ。
 周囲が巧妙に隠蔽しているために、マルグリットは自分が音痴であることを知らない、という設定なのだが、果たして彼女は本当に気付いていないのか?というと、何とも言えないように見える。彼女が何を考え、何を思っているのか、提示されているようでいて、実の所映画を見てる側には明確には提示されていない。これはマルグリットを演じるフロの表情の素晴らしさによるところもあるのだろうが、どちらにも取れる曖昧さを常にはらんでいるのだ。ストーリー自体は単純、直線状態なのにも関わらず曖昧なまま、喜劇とも悲劇ともつかずにラストまでそれが貫かれるという、絶妙のバランス感。これが本作を奥行きのあるものにしている。
 マルグリットは歌の才能はないかもしれないが、音楽への愛と敬意はある。彼女の芸術に対する愛は率直で、常に本気で楽しみ、かつ周囲を楽しませようとしている。だからマルグリットをカモにしようとしていたボーモンも、音楽教師も、彼女に最後まで付き合うのだろう。彼女を見ていると、何かを好きだと思う気持ち、夢中になる気持ちというのはこういうものだったよなと思いだすのではないだろうか。彼女は夫の気を引きたいから歌うんだという人もいるし、彼女としても聞いてほしいことは聞いてほしいのだろうが、そういうことだけじゃない(というかそうじゃない部分の方が大きい)んだろうな。
 マルグリットに心酔する執事が印象に残った。彼は、彼女の中に何を見ていたんだろうなぁ。彼は彼女の鑑賞者であり、その鑑賞を自分の手で完成させたかったんだろうけど、それはあくまで他人の夢の尻馬に乗っかることに過ぎないんだろう。

『犬どろぼう完全計画』

 小学生のジソ(イ・レ)は父親が失踪した為に家を追われ、母(カン・ヘジョン)と弟と車中生活をしていた。ある日、迷子の犬を見つけたら500万ウォンの謝礼金を払うという広告を見かける。その犬は既に見つかっていたのだが、どうしても家を買いたいジソは、手ごろな犬を盗み出して謝礼金をもらうことを思いつく。目を付けたのは、母親が就職したレストランのオーナーである裕福な奥様(キム・ヘジャ)の愛犬だった。原作はアメリカのベストセラーであるバーバラ・オコーナーの小説。監督はキム・ソンホ。
 全然事前情報ないまま見たのだが、予想外に良かった。こういう作品こそ、夏休みに親子で見てほしい。なんなら日本語吹き替え版があってもいいなというレベル。カラフルで楽しいし、基本的に根っからの悪人は出てこないので安心して見られる。一部、いかにもテンプレなキャラクター造形(金持ちの同級生とか)がお子様向け風で気になったけど、主人公のジソ自体はあくまで単なる子供で、よけいな可愛らしさが付帯されていないので、そこもほっとした。
 ジソは賢くてなかなか良くできた子供なのだが、あくまで「子供」であって、それ以上の何かではない。車中生活に対する不満、母親に対する不満はあるが、その背後にある事情には(漠然とはわかっているが)あまり思いが至らない。家が欲しくて謝礼金を狙うのも、「一坪500万」という不動産広告を見て、500万ウォンで家が買えると勘違いしたからだ。もちろん子供は子供なりに色々と大変なのだが、大人もまたいっぱいいっぱいなのだ。
 本作に出てくる大人は主に3人。母親、「奥様」、レストランの経営権を狙う「奥様」の甥、ホームレスの男だ。ジソから見たら母親はふわふわしていて頼りないし、「奥様」の甥は犬どろぼうを邪魔する、やがて犬を捨てようとする気に食わない奴。「奥様」とは接点がなさすぎて「金持ち」というイメージしかない。そしてホームレスの男は得体のしれないちょっと怖い存在だ。しかし物語が進むうちに、母親は母親なりに一生懸命かつぎりぎりまで踏ん張っている(靴の使い方がよかった)ことが、映画を見ている側だけでなく、子供であるジソにもわかってくる。ホームレス男はジソを助けてくれたし、「奥様」とも一人の人間として向き合うことになる。悪役的な立ち位置の「奥様」の甥も、コンプレックスと功名心の間で(ちょっと頭悪いんだけど・・・)葛藤しており、決して「奥様」が憎いわけではない。どちらかを下に見るのではなく、大人も子供も、それぞれ色々事情があって辛い、ということがちゃんと描かれているところがいい。
 ジソと同級生の友情の在り方がよかった。車に住んでいても一緒にいると面白いから友達だよ、とさらっと言う同級生との関係は、ベタついていない。一緒に行動しているが、好みも一緒というわけではない(同級生のお部屋はかなりガーリーなのだが、ジソの持ち物にはそういう雰囲気はないし、価値観も一緒というわけではない)ところに、適切な距離感があると思う。

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