異端の天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)は入水自殺をしたばかりの女性の遺体を回収。彼女が妊娠していた胎児の脳を女性の体に移植し、蘇生を試みる。奇跡的に蘇生した女性はベラ(エマ・ストーン)と名付けられ、身体は大人、精神は子供の存在として、バクスターと彼の助手マッキャンドレス(ラミー・ユセフ)の元で育てられる。外の世界を見たいという強い願望を持つようになった彼女は、弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)と駆け落ちをし世界旅行に出る。原作はアラスター・グレイの同名小説。監督はヨルゴス・ランティモス。
舞台は一応19世紀のロンドン、リスボン、パリなど実在の都市の名前として出てくるのだが、ビジュアルはおとぎ話のようなどこかファンタジックなもの。あの時代にはなかったはずの乗り物らしきものも走っており、バクスター宅の駆動装置付き馬車(蒸気機関らしく車輪走行だがなぜか馬の頭だけ付いている…なぜ付けた)や、町の上を走っていくロープウェイや飛行船みたいなもの等が楽しい。バクスター邸の室内装飾も基本は時代を意識したクラシカルなものだが、食堂はサンルーム的に大きな窓があったり、所々ゴシック的な装飾や謎の実験装置があったりと細部まで魅力的。また、ベラの衣装は大きな見所の一つだろう。立体的でデコラティブなユニークな造形で、下半身はショートパンツのような短いボトム。他の登場人物はそんなに特異な服装はしていないので、ベラのキャラクターがより際立つのだ。
ベラは肉体的には大人だが精神は赤ん坊として生まれる。何も知らない状態から体の動かし方を筆頭として様々な知識を獲得していくのだが、体は成熟しているが精神は無垢な女性というのは、往々にして性的に理想的な存在、要するに性的に与しやすい存在として扱われがちだ。バクスターは実験と称して彼女を箱入り娘のように育て、与える知識・経験も制限していくが、科学者としての関心だけではなく自分の理想の女性を作りたいという欲望がないとは言えないだろう。ただ、ベラは成長するにつれ自身の欲望を主張するようになり、知識を吸収し自我を目覚めさせていく。男性たちにとっての理想的な(扱いやすい)存在ではなくなっていくのだ。ベラにメロメロになったダンカンは彼女の好奇心や自立心・反論を厭い嫉妬に狂うし、ベラと因縁のあるブレシントン将軍は女性を自身に紐づく財産、所有物としてのみ扱う。男性側の他者に対する所有欲、女性への抑圧の表現が絵にかいたような典型で、それが退けられていく様は女性が自我と尊厳を獲得し自由になっていく成長物語として非常にわかりやすい。旅路の中で知り合うメンター的存在が年配女性でしかもハンア・シグラが演じているというのも、非常にアイコン的でわかりやすい。ランティモス監督作品がこんなにわかりやすいなんて拍子抜けでもある。
ただ、女性の成長、自由・自立の獲得物語としては少々引っ掛かる所もあった。本作で表現される自由は、セックスに偏りすぎているのではないかと思った。もちろん自分が選んだ相手と合意の上でセックスできる権利、自分の体を自分の意志で扱う権利は重要だ。ただ、セックスを自由意志で享受しようというベラの意志に、男性たちや娼館のマダムが乗っかっていく、搾取しているという構図も見られ危うい。ベラが「店の女性が客を選ぶ方が理にかなっているのでは?」と発案するもマダムに即却下される。win-winのように見えてそうではないのだ。原作小説はこのあたりの構造にも自覚的だったように思うが、本作は原作のある一面だけを映像化しているので、かなりもどかしい。