3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画あ

『アンモナイトの目覚め』

 イギリス西南部の海辺の町ライム・レジスで老いた母と暮らすメアリー・アニング(ケイト・ウィンスレット)。彼女は古生学者として貴重な化石の発掘実績があったが、今は土産用のアンモナイトを売ってつましい生活をしている。ある日、ロンドンの裕福な化石収集家の妻シャーロット(シアーシャ・ローナン)を預かることになる。自分とは全く逆なシャーロットとの生活にメアリーは苛立つが、同時に強く彼女に惹かれる。監督・脚本はフランシス・リー。
 メアリーとシャーロットは見た目も年齢も生まれ育った環境も所属する階級も、全く違う。2人が分かち合えるものは何もないように見える。全く違うからこそ惹かれあうのか、はたまた寂しさや理解・ケアへの飢えが2人を結び付けたのか。ともあれなぜ惹かれあったのか、という部分は恋愛においてはあまり重要ではないのだろう。2人が呼応しあうような情動の高ぶりと押しとどめられなさが強烈だった。この人たちは色々なものに飢えていた、それを見ないように我慢して生きてきたのではないかと思わせる。2人の過去について詳しい言及はないものの、メアリーは町のある女性と訳ありだったらしいこと、シャーロットの夫は妻にあまり関心がなく(これは一目瞭然なのだが)彼女の傷の深さにも無頓着であることは垣間見られる。2人とも、深く情愛で繋がる関係を持てずに(あるいは失った)来た人たちなのだ。
 女性同士の関係、かつシャーロットは既婚者なので、2人が人生を共に歩める道は当時の社会の中ではとても狭いだろう。シャーロットが海辺にとどまるワンシーズンのみの関係になりそうなことが見えており、そこで終わっていたらむしろきれいな話だったかもしれない。しかし、性別、年齢や間柄に関係なく、人と人とが関わると、特に愛情をもって関わるときに往々にして生じる齟齬があるという部分こそ、本作の肝のだろう。共にいたい、相手を支えたいという愛情と、相手を自分とは異なる存在として尊重することの両立がいかに難しいか。女性同士という共通項はあるがバックグラウンドは全く違うという設定で、恋愛もまた個と個のぶつかり合いだという側面がより際立っていたように思う。
 メアリーとシャーロットは愛し合っていると言えるだろう。しかしメアリーにとっての大切なもの、自身と分かちがたいものは何なのか、シャーロットは理解していなかった。「サプライズ」シーンはシャーロット側から見たら可愛らしいのかもしれないが、メアリー側から見ると決定的な亀裂が目の当たりになり、やるせなくいたたまれない。この人は自分の何を見ていたのか、という失望が強烈なのだ。ただ本作、それでもなお、というワンシーンを最後に置いており、全くの失望では終わらないのではと予感させる。

ゴッズ・オウン・カントリー [Blu-ray]
ジェマ・ジョーンズ
ファインフィルムズ
2019-06-04


燃ゆる女の肖像 [Blu-ray]
ヴァレリア・ゴリノ
ギャガ
2021-06-02


『あのこは貴族』

 配信試写で鑑賞。東京の医者一族に生まれ、何不自由なく育った華子(門脇麦)。結婚相手探しに奔走した結果、良家の生まれの弁護士・幸一郎(高良健吾)と縁ができる。一方、富山で生まれ大学進学に伴い上京した美紀(水原希子)は実家が経済難で退学。以来、東京で働き続けてきた。全く違う環境で生きてきた2人の人生が、ある一点で交錯する。原作は山内マリコの小説。監督は岨手由貴子。
 華子と美紀のキャスティングの妙があった。生まれながらの「いいおうち」の娘さんて実際こんな感じだよなという華子と、上京して洗練され華やかになっていく美紀の対比がくっきりしている。華子のような環境だと、華やかであることはあまり必要ないしさほど美点というわけでもないんだろうなと思わせる。対して「持ってない」美紀は自身の華やかさも使ってサバイブしないとならない。
 華子が年始をホテルの食事会で迎えるあたり、あーこういうおうちあるわ!という説得力だった。ちょっと戯画的すぎないかなという所もあるのだが、東京の「ある層」のニュアンスは出ているのでは。華子のような人々を美紀は「貴族」と呼ぶが、貴族の中にもヒエラルキーがある。幸一郎は華子よりも更に貴族。美紀が大人になったらクリスマスなんてやらないというのに対し、華子が信じられないと漏らすのだが、それをぽろっと口に出してしまうあたりが貴族ということか。
 美紀から見ると華子は非常に恵まれているように見える。しかし、彼女らが直面する困難や社会のしがらみはびっくりするほど似ている。華子の世界でも美紀の世界でも女性は結婚と出産を期待され、夫の不始末には「上手くやれ」と言われ、値踏みされ続ける。むしろ華子や幸一郎の方が「持っている」ものが多く捨てられないだけに、閉塞感は強いように見えた。日本の社会がそもそも持っている旧弊さ・閉塞感なのだ。美紀や友人は「持っていない」からこそそこから飛び出せる。階級の閉塞感から飛び出す為の手段がシスターフッドだという所にほのかな希望があった。そのシスターフッドは、かすかではあるが華子と美紀の間にもある。ただ、階層を越えた連帯というのはかなり成立しにくいんだろうなとも思わされたが…。同質の苦しみがあるが、それに対して取り得る手段が異なるというか。
 一方、幸一郎は自分が生まれた世界に骨を埋めるしかなさそうだ。ブラザーフッドとシスターフッドの決定的な違いを見た気がした。家父長制の中ではブラザーフッドはその強化の方向に働いてしまうのだろうか。男性の場合、同性同士でケアしあうという意識が希薄な気がする。

あのこは貴族 (集英社文庫)
山内マリコ
集英社
2020-07-03


パリ行ったことないの (集英社文庫)
山内 マリコ
集英社
2017-04-20


『アウステルリッツ』

 ベルリン郊外で、バカンス中と思しき老若男女が大勢門をくぐっていく。様々な言語が飛び交い、スマホであたりを撮影したり、芝生でスナックをかじったりと楽し気だ。ここは第二次世界大戦中にホロコーストで大勢のユダヤ人が虐殺されたザクセンハウゼン収容所の跡地。監督はセルゲイ・ロズニツァ。2016年の作品。「群衆」三部作のうちの一作にあたる。
 人類の負の歴史の記念碑を社会で共有し、未来へつなげる試みとして実施されるようになったダークツーリズム。ザクセンハウゼン収容所が記念館として見学者を受け入れているのもこの一環ということになる。しかし、現地を訪れる人たちの様子を見ていると、ダークツーリズムからダークが抜け落ち、ただのツーリズム、観光になっているように思えた。単に見学する、単に写真を撮るという為だけの観光で、その歴史的背景やどういう思想に基づきこのような施設が作られたのか、それが現代にどのように繋がっているのかという流れについては、「観光」の中に含まれない。音声ガイド等を使っている人たちの姿も多く見られるのだが、この人たちがどういうスタンスでこの場に来たのかはわからない。背景を知っていたら、この場で無邪気に写真を撮るというのはためらわれそうな気がするが…。
 とは言え、悲惨な歴史の遺物だから神妙な顔をして見学しろ、ちゃんと勉強してから見学に来いというのも違うだろう。そういう人にも興味を持ってもらうためにダークツーリズムがあるのだろうし、結果興味を持てなかったとしてもそのことで云々言うのもおかしい。見れば見るほど非常にもやもやする情景なのだ。
 「群衆三部作」というだけあって、本作で映し出されるのはとにかく人。見学者の人々を延々と映し続ける。あまりに人が多くてちょっとひく(一大観光地化されすぎている)のだが、ダーク「ツーリズム」としてしまった以上、こうなることは免れない、むしろこれだけ人が来れば大成功と言えるのかもしれない。ただ、現地のガイドたちの解説の内容はちょっと気になった。本作、その場でどういう言葉が飛び交っているのか、字幕はほぼない。唯一翻訳されているのが様々なガイドによる解説だ。言語は様々なのだが、これは私が教わったり本で読んだりした内容とはちょっと違うのでは…?という部分もあった。すごく省略しているとか経年により研究が進んだとかもあるのかもしれないが、少々ガイドの「俺史観」になっていないか?面白感出そうとしすぎていないか?と気になった。映画『否定と肯定』で出てきた話と同じ流れもあったので…。

アウステルリッツ(新装版)
W・G・ゼーバルト
白水社
2020-02-29


否定と肯定 (字幕版)
ジャック・ロウデン
2018-06-20




『甘いお酒でうがい』

 40代独身の川嶋佳子(松雪泰子)はとある会社で派遣社員として働いている。職場の後輩・若林ちゃん(黒木華)との交流、撤収された自転車との再会、楽しみにしているお酒等、日々は続く。そんなある日、二回り年下の岡本君(清水尋也)と恋に落ちる。監督は大九明子。
 原作がお笑いコンビ「シソンヌ」のコントだそうなのだが、映画も全編コントみたいだった。松雪泰子が演じているし基本笑わせる演出ではない(コメディ部分もあるが)のだが、真面目に見るものなのどうなの?という中途半端さ微妙さを感じた。佳子の言動が、自意識強めのSNSやブログのパロディみたいで、見ているとお尻がむずむずしてくる。松雪の衣装があまり似合っていないので余計にそう思ったのかもしれない。40代女性の生活をかなりカリカチュアしているように見えてしまう。「こういう人いるでしょ」という前提に基づいた「あるある」を並べていく話だけど、その前提自体が実在しないものだという空虚さを感じた。生々しさの演出が生々しさのパロディでしかないというか…。やはりコント原作ゆえの特性だろうか。また、短いエピソードの連続による構成なので、実際の上映時間(107分)よりも大分長く感じられた。体感時間は二時間越え。このネタだったら1時間くらいでよかったんじゃないかな…。
 ただ本作、黒木華がやたらと可愛い。こういう後輩がいたらそりゃー好きになっちゃうし一緒に飲みに行くの楽しいだろうなーという説得力がある。松雪と黒木の掛け合いがかわいすぎて、もはや岡本君いらないじゃないかと思った。

勝手にふるえてろ
片桐はいり
2018-05-06


『浅田家!』

 浅田家の次男・政志(二宮和也)は写真専門学校に進学し、卒業写真の被写体として家族を選ぶ。浅田家の思い出のシーンを再現したその写真は学校長賞を受賞した。卒業後、仕事もせずふらふらしていた政志だが、再び写真に取り組もうと決意。その題材もまた家族だった。様々なシチュエーションに扮した写真は、やがて木村伊兵賞を受賞。プロの写真家として順調に歩みだすが、2011年3月11日、東日本大震災が起こる。監督は中野量太。
 かなりダラーっとした構成に思えた。もうちょっとカットしてもよかったんじゃないかなという気もしたが、構成・編集が下手でダラーっとするというよりも、このシークエンス内の流れをそのまま保存したい、このシーンのこの人の表情の変化を追い続けたいという意図が入りすぎてのことだったように思う。びっくりするくらいひねりがないというか、王道なつくりで、ダサくても直球でやろうとする作品だった。
 中野監督は一貫して家族の話を撮り続けているが、本作はそのものずばり「浅田家」なのでど直球で家族が中心にある。政志の兄(妻夫木聡)のモノローグで始まるので、これは家族から見た政志の話なのかと思って見ていると、最後は政志のモノローグで終わる。彼にとっての「家族」、自分の家族の姿であり様々な家族の姿であったことがわかる。
 政志が家族写真って何だろうと真剣に考え始めるのはおそらく後半だ。写真家として何をするのかという自覚も、後半になってから考え始める。それまではわりとフィーリングでやってきたけど、深く傷ついた人、自分の想像の及ばない人と相対しカメラを向けるのは、フィーリングだけでは無理なのだろう。ポートレートとは何かをやっと考え始めたな!という印象があった。
 家族の話ではあるのだが、政志本人は家族を愛してはいるけど、家族の為には生きられない人なのではないかと思った。思い付きでぱっと動いてしまうように、常に表現衝動の方が上回る。父親や兄のようには家族を想えないという面はあるのでは。それがダメだというのではなく、そういう人、そういう家族だということだが。
 母親役の風吹ジュンがすごくいい感じなのだが、中野監督は母親という存在に対する思い入れ、期待みたいなものが少々重すぎる気がした。また、黒木華演じる政志の幼馴染があまりにザ・幼馴染キャラというテンプレさで、主人公を支える女性キャラとしての役割しかないのにはちょっとがっかりした。

浅田家
浅田政志
赤々舎
2019-02-28


チチを撮りに
滝藤賢一
2016-04-28


『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』

 アルコール依存症の詩人ジョゼフ(ロバート・ラロンド)は、かつて家族で過ごした思い出の地に離婚した元妻エマ(ジョアンヌ=マリー・トランブレ)を呼び出す。街ではケベック州独立運動が高まっていた。監督はフェリックス・デュスル=ラペリエール。レイモンド・カーヴァーの短編『シェフの家』にインスパイアされた作品だそうだ。
 ジョゼフは海辺の家で家族と過ごした時間がよっぽど懐かしいのか、この場所に拘っている。ここでエマと一緒に過ごせばあの時間を取り戻せるのでは?という淡い期待が見え隠れする。しかしエマにとっては既に過ぎた時間であり、良い思い出かもしれないがそれ以上のものではない。文筆家としてどうやらジョゼフより活躍しつつあるエマが見ているのは未来だ。2人が過ごす海辺の家での時間は一見穏やかなのだが、それぞれの視線は過去と未来、逆方向を向いており重なり合うことはない。それぞれのモノローグでそのすれ違いが露わになっていくのだ。
 2人の休日の背景にあるのは、住民独立運動だ。1995年にカナダのケベック州で実際にあったそうで、現実の投票では1%差で独立否決。本作中では逆に可決された世界になっている。地域の独立が、ジョセフ一家それぞれの独立と重なっていく。不安さの中にもその先の時間が見えるような、不穏だけど暗くはない余韻。
 アニメーションとしてとても魅力がある。線もフォルムも揺らぎ続ける手書きのタッチが、ジョゼフとエマの揺らぎ続ける心情とリンクしていく。フォルムが安定しない所に惹かれた。特に暗闇の中で家が燃え落ちるイメージは少々禍々しいのだがインパクトがある。色調の淡さ、渋さも魅力。静かなトーンなのだが、街のデモや交通渋滞、ライブの狂騒などの暴発しそうな空気感も伝わる。

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)
レイモンド カーヴァー
中央公論新社
2007-03-01





『アメリカの影』

 黒人の血を引いたヒュー(ヒュー。ハード)、レリア(レリア・ゴルドーニ)、ベン(ベン・カルーザス)の兄妹を中心に、マンハッタンに暮らす若者たちの姿を描いた群像劇。シナリオなしの即興演出で、映画の新たな方向性を確立したと言われる作品。監督はジョン・カサヴェテス。本作が長編デビュー作。1959年製作。
 ヒューは歌手だが段々仕事がなくなっているようで、ストリップショーの司会をやらされるようになり、納得がいかない。歌手であるというプライドを損なわれることに強い怒りを抱き、仕事をとってくるマネージャーにも八つ当たり気味だ。レリアは作家志望でビート族の若者たちとつるんでいるが今一つ馴染めない。ベンは一応ミュージシャン(トランぺッター)らしいが働いている様子はほとんどなく、酒に溺れ気味で不安定だ。彼・彼女らの行動は騒々しく刹那的で「今」を生きている感じが強烈だ。動きも感情表現も騒々しく、エネルギーを持て余しているようにも見える。
 ただ、「今」が火花のようにはじけるほど、その先の未来に期待できないという閉塞感も強まってくる。今を生きる、というよりもとりあえず今しかないから生きる、という感じだ。ベンがバーで絡んできた相手に喧嘩をふっかけるのも、絡まれてきたから喧嘩するのではなく、喧嘩をする為に絡んでいるように見えた。何か爆発させないとやっていられないという哀しさがある。
 3兄妹は黒人の血を引いているが、レリアは見た目はほぼ白人だ。親しくなった青年が彼女に黒人の兄弟がいると知ってたじろぐ。後から「君と僕は同じだ」という伝言をレリアに残すが、取ってつけたようで空しい。理念としては確かにそうなんだけど、じゃあ彼と同じ位置にレリア達が立てるのかというと、そうではない。彼が「同じだ」と言えるのは自分が守られた、強い立場だからで、そこに無自覚なことにレリア達は苛立つのだろう。
 ほぼ俳優の即興で台詞や演技は考えられているそうなので、彼らが生きている時代・場所がダイレクトに反映されている。しかし時代性に頼らず、時代を経た後に鑑賞してもそれが生き生きと感じられるという所が、本作の強さだ。

アメリカの影 2014年HDリマスター版 [DVD]
ヒュー・ハード
キングレコード
2018-08-08


ザ・フィフティーズ1: 1950年代アメリカの光と影 (ちくま文庫)
デイヴィッド ハルバースタム
筑摩書房
2015-08-06


『悪人伝』

 ヤクザの組長チャン・ドンス(マ・ドンソク)はある晩何者かにめった刺しにされる。一命を取り留めたドンスは対抗組織の犯行と見て、犯人捜しを始める。一方、連続殺人犯を追っていたチョン刑事(キム・ムヨル)は犯行時の状況から、ドンスを襲ったのも同一犯と見て情報を得る為ドンスに近づく。なりゆきで情報交換し共闘することになる2人だが。監督はイ・ウォンテ。
 ヤクザと刑事が組んでシリアルキラーを追い詰めていくというバディもの…を意識したのだろうが、あまりバディ感はない。2人が一緒に行動する機会が意外と少ない(そりゃあ立場上一緒にいてばかりじゃまずいのだが)し、信頼感もいまひとつ。相手のことを知ろう、理解しようという意志はあまりないのだ。利用しあうという関係にとどまっており、そこがライトで見やすい所でもあるし物足りない所もでもある。本作、面白いことは面白いのだが、ストーリー上起こるべきことが順次起きていくという感じで、いまひとつ奥行きがない。ドンスにしろチョンにしろ、ヤクザという役割、刑事という役割という表層的な所にキャラクターが留まっており、1人の人間として立ち上がってくる感じには乏しい。特にドンスはマ・ドンソクが演じる必然性があまり感じられないのが勿体なかった。
 ドンスとチョン刑事は、殺人犯を捕まえるという、一見共通の目的を持っている。しかし犯人をどう扱うか、何をもって罰するかという点は相容れない。ドンスは私的制裁を加える(要するにリンチの上殺す)ためであり、チョンは法律で裁くためである。ヤクザと警官という2人の立場の差がここにはっきりと出ているのだ。ラストは2人の方向性の折衷案みたいなのでこれはこれでかなり怖い、同時に笑っちゃうんだけど…。
 なお「悪人伝」というほどドンスもチョンも悪人ではない。ヤクザとしての悪知恵、刑事としてのこ狡さはあるし、ドンスは犯罪者ということになるが、純粋な「悪人」とはちょっと違うだろう。犯人こそが悪なわけだが、彼は「Devil」と表され「人間」ではないのだ。

犯罪都市(字幕版)
チェ・グィファ
2018-09-04


『アングスト/不安』

 刑務所から出所したばかりの殺人犯K.(アーウィン・レダー)は、新たな犠牲者を求めてさまよっていた。大きな庭に囲まれ、周囲に民家のない屋敷に狙いを定めたK.は、その屋敷に暮らす一家が帰宅するのを待ち構えて犯行に及ぶ。1980年にオーストリアで実際に起きた、殺人鬼ベルナー・クニーセクによる一家惨殺事件を元にした作品。監督はジェラルド・カーグル。
 1983年に制作されて以来オーストリアでは長年放映禁止になっていたそうだが、この度なぜか日本で劇場初公開された。相当猟奇的らしいしショッキングな描写が多いから心臓の弱い人は注意!という事前のお知らせもあったし、普段こういった作品はあまり見ないので、見るかどうか迷った。しかし撮影を短編『タンゴ』(偏執的かつ珍妙で素晴らしい)のズビグニェフ・リプチンスキが担当したというので、どうしても気になって見に行ってみた。
 で、実際に見てみると、危惧していたほどえぐくはなかった。確かに残酷なシーンはあるのだが、むしろ非常に冷徹で残酷さに酔うようなナルシズムは薄い。主人公であるK.のモノローグにより、あくまでシリアルキラー目線で進行する。彼の行動原理や殺人の動機に安易な理由付けをせず、「共感させない」「わからせない」という姿勢に徹した演出だ。それが対象との距離感を保つ冷静さを生んでおり、かつわからなさによる怖さが強調される。
 K.の犯行にはある程度の計画性と狡猾さがあるが、どう考えてもそれは理屈に合わないな?!とか、自分の首を絞めているよな?!と言いたくなるわきの甘さや衝動性も強い。自分をコントロールできる部分と出来ない部分の落差が激しいのだ。K.は殺人により快楽を得るシリアルキラーだが、得られる快楽に対する殺人と言う行為のコストパフォーマンスはものすごく悪そうに見える。殺人は重労働かつ高リスクでロマンとは程遠い。それをわざわざやってしまう心境の不可解さ、怖さが際立っていた。
 ユニークなショットが多く、撮影の面白さが味わえる作品だった。移動するK.を間近から追うショットは、カメラが並走しているというよりも、俳優自体にカメラを取り付けて一緒に移動しているみたいに見えるなと思っていたら、本当に俳優にカメラを取り付けた器具を背負わせていたそうだ。

屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ(字幕版)
グレタ・ゾフィー・シュミット
2020-06-17


『アンティークの祝祭』

 大きな屋敷に一人で暮らすクレール(カトリーヌ・ドヌーブ)は、長年集めてきたアンティークをヤードセールで売り始める。意識や記憶がおぼろげになることが増え、人生の幕引きを決意したのだ。彼女の奇妙な行動を知った娘のマルティーヌ(キアラ・マストロヤンニ)は疎遠になっていた実家を訪れる。監督はジュリー・ベルトゥチェリ。
 冒頭、夜の子供部屋で幼少期のマルティーヌが寝付けずにいる、一方で若き日の母クレール(アリス・タグリオーニ)は身支度をしている。子供の世界と大人の世界の境界を感じさせる構造と色味の美しさで引き込まれた。クレールの屋敷の内装や登場するアンティークの数々も美しい。ドヌーブとマストロヤンニという実の母娘共演が話題の作品だが、むしろ美術面に目がいった。
 クレールとマルティーヌは実の親子ではあるが疎遠。過去のある事件が大きな要因ではあるのだが、元々この2人は人との距離の取り方や情愛の示し方が違うタイプなのだろう。少女時代のマルティーヌがクレールに甘えてもたれかかるシーンがあるのだが、クレールは「痛い」と言ってどかせる。大人になったマルティーヌに対しても(けがをしているとは言え)抱きしめられて「痛い」と言う。娘に対する愛情がないわけではないが、マルティーヌが望む形では差し出せない。マルティーヌの愛の示し方はクレールには少し重いのだろう。誰が悪いというわけではなくそういう人同士の組み合わせになってしまったということなのだ。実の親子であってもこのミスマッチは如何ともしがたい。このギャップが地味に堪える。2人の関係は基本的には変わらないしお互いが満足するようなものにはならない。ほんちょっとだけ許せるようになるというくらいで、ほろ苦さが残る。相互理解による大団円とはいかないのだ。
 ラストの展開が唐突で少々びっくりしたのだが、アンティークにはやはり時間と共に加わった「重さ」があるのかもしれない。クレールが耐えられなくなってきたのは自分の過去・思い出の重さだけでなく、屋敷に詰まったくアンティークの重さものしかかってきたからのように思えた。確かに美術・工芸的な価値は高く見ていて美しいが、一緒に暮らすのは結構圧迫感がありそう。クレールがアンティークをため込んでいったのは、息子や夫を死なせてしまったことに対する自罰みたいなものだったのかもしれない。そこから離れられない、忘れられない状態に自ら追い込んでいったように思えた。それが最後に開放されたのか。

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