3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

映画題名数字アルファベット他

『Here』

 バカンスのシーズンを迎えつつあるベルギーの首都ブリュッセル。建築現場で働くシュテファン(シュテファン・ゴタ)は、故郷ルーマニアに帰国するか迷いつつ、冷蔵庫を空にするため残り物で作ったスープを親しい人に配ってまわる。ある雨の日、彼は中華料理店で中国系ベルギー人の女性シュシュ(リヨ・ゴン)と出会う。後日、森の中で2人は再会。シュシュは苔類の研究者で、サンプル採集に来ていたのだ。シュテファンはシュシュを介して苔や植物の世界の広がりに触れる。監督はバス・ドゥヴォス。
 ドゥヴォス監督の最新作を『ゴースト・トロピック』に続き鑑賞。『ゴースト~』は冬の夜の物語だったが、本作は概ね昼間の屋外が舞台で、季節も夏。光と草木の緑が眩しく、風や大気の香りが感じられそう。とても心地のいい映像体験だった。鳥の声や木々のざわめき、町の喧騒等、環境音の入れ方がいいというのもあるだろう。私は環境音の入れ方が上手い(気持ちがいい)映画が好きだ。
 シュテファンは残り野菜でさっとスープを作れる(そしておいしいらしい)し洗濯物を干すシーンもごく自然なもので、生活全般に手慣れている印象。仕事仲間ともごく自然に談笑し、姉や親せきにスープを差し入れ彼らの体調を気遣う。彼の地に足の着いた様が本作の雰囲気の基本の基調になっているように思う。一方でシュシュは苔の研究者という一見浮世離れした人物として現れる。しかし彼女の講義は学生としっかり向き合っているように見えるし、何より苔と向き合うことはそれらが繁殖している土地、環境そのものを把握し向き合うことだ。シュテファンとはまた違った位相で地に足が着いていると言えるのでは。
 シュテファンとシュシュは普段の生活の中で接点・共通項がなさそうだ。しかし2人が一緒にいるシーンは心地よい。人と人との距離が一定に保持されている心地よさなのだ。思いやりや優しさはあるが立ち入りすぎない。この距離間の控えめさ、つつましさは『ゴースト・トロピック』とも共通するところだと思う。関係が深まっていく(それがロマンスだとは限らない)予感だけ残していく後味が良い。

MEMORIA メモリア(字幕版)
ジャンヌ・バリバール
2022-09-02


自由が丘で(字幕版)
ユン・ヨジョン
2015-07-24




『PERFECT DAYS』

 トイレの清掃員として働く平山(役所広司)。早朝に起きて仕事に行き、シフトをこなすと銭湯に入って少し酒を飲んで帰宅する。同じような毎日だが、彼にとっては満ち足りた毎日だ。そして変わらない日々の中に、年下の同僚や彼のガールフレンド、居酒屋のおかみ、そして彼の過去に繋がる人々とのやりとりによりさざ波が立つ。監督はビム・ベンダース。
 本作、舞台が日本、更に言うなら日本の東京以外だったら大分自分が受け取るものが変わったのではないかと思う。舞台が東京の渋谷近辺というなまじ自分の生活圏と重なっている土地なので、平山が清掃するトイレにまつわる背景や、平山の賃金てどれくらいなんだろうとか、その収入であの生活はできるのかなとか、いろいろと生々しい所が気になってしまい、フラットに見るのは難しい。平山のつつましくもその人なりに充足した生活っていいよね、という趣旨なのだろうが、現実の生活を度外視して「こういう日本ステキでしょ」という製作側(日本側のスタッフがかなり入っているので)のアピール、エキゾチズムとしての日本描写に見えてしまう。なまじ日本の貧困を知っていると、平山の生活はもはや優雅(多分自動車は所有物だし毎日首都高使ってちょっと外飲みして銭湯にも通えるし、そもそも実家は資産家らしい。それを捨ててきたということだろうが)に見える。少なくとも今の日本では、生き方の選択肢の一つとして見るほどの余裕が持てない観客が多いのではないか。
 ただ、そういう観客側の事情を置いておいても、本作は映画としてちょっと弱いなと思った。ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』は本作とほぼ同じパターンの「地味な仕事と代り映えのない日々の反復に見えるが、実際は毎日少しずつ違い美しい」ストーリー構造なのだが、『パターソン』の方が圧倒的に映画としての強度があるというか、足腰の強さを感じる。本作は確かに映像は美しく詩情はあるが、いまひとつ緊張感に欠ける。ベンダース監督ってこんなにふわふわした映画撮る人だったかなー。

パリ、テキサス(字幕版)
オーロール・クレマン
2015-01-22


パターソン(字幕版)
チャステン・ハーモン
2021-12-22


 
 

『Winterboy』

 17歳のリュカ(ポール・キルシェ)は寄宿舎暮らしの高校生。ある夜、教員に起こされアルプスの麓の村にある実家に連れ戻される。父親が交通事故で不慮の死を遂げたのだ。リュカと家族は突然のことに呆然とし深く悲しむ。葬儀の後、パリで独り暮らしをしている美大生の兄の家に滞在することにしたリュカは、兄のルームメイトであるリリオと出会い惹かれていく。監督はクリストフ・オノレ。
 リュカが正面からのショットでモノローグを語るシーンが随所に挿入され、基本的に彼の語り、彼の主観でストーリーが進む。リュカの語りは聡明だが自意識強めでナルシズムが漂い、いかにもティーンエイジャーという感じだ。語りの地点では彼は冷静なのだが、大人びている割にちょと視野が狭いなと思わせる所もある。大人に近づいているがまだ大人ではない、という位置づけがとてもよく表れている。
 リュカは父親の心情について想像するが、それはあくまで彼が考えられる範疇であり、実際の父親の心情には思いが至っていないように見える。リュカはゲイであり、自身では自分のセクシャリティに葛藤しているわけではなくボーイフレンドもいるし、家族も彼のセクシャリティを受け入れている。ただリュカは、父親は自分がゲイであることにがっかりしたのではないかという気持ちをぬぐい切れない。その思い込みは兄から強く否定されるし、実際そんなことはなかったのだろう。父親がリュカを大切に思っていることは冒頭のドライブのシーンからも見て取れる。本作はリュカのセクシャリティや恋がストーリーに織り込まれているものの、底辺に流れているのはリュカの父親に対する思いだ。なぜか、父親は自分の生活に満足していなかったので、家族が疎ましくなっていたのではという恐れを彼は抱いているのだが、それはやはり彼の一方的な思いという側面が強いだろう。家族をよく見ているようで見ていないという所が子供(大人もかもしれないが)の目線なのだ。
リュカの恐れは父親の死によって、永遠に解決されない問題になってしまった。パリでのリュカの混乱は一見リリオとの関係によるもののように見えるが、実際はその前から、父親との関係が宙づりになってしまった不安から来るものだったのではないか。リリオへのリュカのアプローチは結構一方的というか、自分が「こうであろう」「よかれ」と思ってやってしまう所があるので、父親への思い入れの方向性とちょっと似たところがあるように思った。
 リュカの変調に対し、母親と兄がすごくしっかりしているというか、まともなのでほっとする。特のそっけないが大事なところは目配りしている常識人的なところがなかったら、この話成立しない気がする。

冬時間のパリ(字幕版)
パスカル・グレゴリー
2020-08-07


パリの家族たち
ジャンヌ・ローザ
2021-05-25



『658㎞、陽子の旅』

 42歳の独身女性・陽子(菊地凛子)は、フリーターをしつつ引きこもりがちな生活をしていた。ある日、従兄の茂(竹原ピストル)が突然訪ねてきた。陽子の父が急死し、これから実家の青森へ向かうというのだ。茂とその家族とともに、東京から青森県弘前市まで車で向かう陽子だが、途中のサービスエリアでのトラブルにより、陽子は置き去りにされてしまう。所持金も携帯電話もなく途方に暮れる陽子だが、とうとうヒッチハイクで故郷を目指すことにする。監督は熊切和嘉。
 都内から青森まで車で行くのは体力的にかなりきついし時間がかかると思うのだが、長距離運転慣れしている人にとってはそうでもないのだろうか。車で移動するロードムービーはいつも距離感と体力度合いの兼ね合いが気になってしまう。それはさておき、陽子をいかに1人だけ、連絡取れない状態にするかという設定が強引なようでいてそうでもないかなという微妙なところ。
 陽子を同乗させてくれる人たちは様々だが、ヒッチハイク、ことに女性1人でヒッチハイクする行為の危うさもやはり描かれる。その危うさは陽子が軽率とかいうことではなく、彼女を食い物にしようとする人が全面的に悪いのだが、こういう、選択肢がないからやむなくのことを自己判断・自己責任扱いにする人っているよなーとしみじみ嫌な気持ちになった。ライターの男は自分は自分のことを話したんだから陽子にも話せというが、それは取引するような事柄ではないしそもそも本気で聞く気がない人には話せないだろう。同乗させてくれる人たちは、最初のうちは自分のことをひたすらしゃべる人が続く。しかし目的地に近づくにつれ、陽子との間に会話が成立するようになる。最後は運転手はほとんどしゃべらず、陽子が自分のことを一気に話す。陽子に話す準備ができたということでもあり、その時の運転手には聞く姿勢が出来ていたということでは。
 陽子は「私みたいなものが」と卑下するのはひっかかった。彼女は家族の反対を押し切って状況したものの夢かなわず何者にもならなかったことを悔いており、もうやり直しがきかない年齢だと考えている。しかし20年も実家に頼らず何とかかんとか生きてきたんだから、むしろ大したものだろう。何者かになる必要はないし42歳でいわゆる社会的な「実績」がないから何も持っていないというわけでもないし、人生が失敗したというわけでもない。そこへのフォローは何か欲しかった。

海炭市叙景
小林薫
2019-02-13


寝ても覚めても
田中美佐子
2019-03-06


『CLOSE クロース』

 13歳のレオ(エデン・ダンブリン)とレミ(グスタフ・ドゥ・ワエル)は幼馴染でいつも一緒に過ごしてきた。同じ中学校に入学するが、その親密さを同級生にからかわれる。戸惑ったレオはレミと距離を取ろうとするが、やがて2人は大ゲンカをしてしまう。監督・脚本はルーカス・ドン・アンジェロ・タイセンス。
 レオとレミは親密であり、2人の間にははっきりと愛情があると言えるだろう。ただ、その愛情はいわゆる恋人同士のもの、性愛とは一概には言えない(含まれているかもしれないが)。2人のセクシャリティは作中で明示されることはない。しかし同級生が「2人は付き合っているの?」と尋ねるように、世の中は親密な2人がいるとなぜか性愛と結び付けたがる。なぜそうもカテゴライズしたがるのか、単に「親密な2人」というだけでいいじゃないかと同級生の無神経さに苛立った。世の中は名前がついていないもの、付け難いものを許さないのだなと。ヘテロセクシャルだろうがホモセクシャルだろうがカップルであれという圧がすごい。じゃあ性愛の希薄な人同士の情愛だったらどうなるんだ、いくら何でもくくりが雑だ等といらいらする。余計なお世話なのだ。
 レオは世間の通念に馴染もうとして、わかりやすい男らしさ、カテゴライズのされやすい振る舞いを試みるが、その姿はどこか板についていなくて痛々しく見えた。そしてレオの世間向けのパフォーマンスにより突き放されたレミの傷つきは深い。2人の行き先があまりに痛ましく、何でこんなことになってしまうのかとやりきれなかった。世間的な通念が生む害悪って本当に罪深いよな…。
 過剰な盛り上げ方はされないが、ディティールのさりげなさの積み重ねが説得力を生んでいた。レオの心情の言葉にできなさやレミの母親との関係等、言語化されない部分に凄みを感じる。レオは家業である花農家の手伝いをまめにしておりよく働く子供なのだが、両親や兄との関係は良好である様子が見て取れる。それはレミも同様で、親子の間に愛情があるし親が子供のことをよく見ているというのもわかる。それでもなお、親が子供のことを救いきれない、理解が及ばない時があるというのもまたやりきれなかった。悔恨の深さに立ちすくみそうになる。子供視点でも辛いのだが親の視点でも大変辛い。

Girl/ガール
ティヒメン・フーファールツ
2020-04-03


おれの墓で踊れ (徳間文庫)
エイダン・チェンバーズ
徳間書店
2021-08-11




『TAR/ター』

 リディア・ター(ケイト・ブランシェット)はドイツの名門オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命され世界的な名声を得ている。しかしマーラーの交響曲第5番の演奏と録音、更に新曲制作のプレッシャーに苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入る。ターは彼女へのハラスメント疑惑をかけられ追い詰められていく。監督はトッド・フィールド。
 ケイト・ブランシェットの演技は確かにすごく、世界トップレベルの指揮者の振る舞い、そしてプレッシャーとはこういうものではないかと思わせる真に迫ったもの。私はクラシック音楽には疎いので細かいネタがわからないのだが、ああこういうことありそう!という雰囲気は伝わるので、クラシック音楽業界に詳しい人には更に面白いのでは。
 ただ、それ以外の部分にはそれほど面白みを感じず、絶賛されているのには正直ぴんとこない。指揮者としてスターになり、楽団もアシスタントも自分の意に添わせることに慣れきっている。彼女の振る舞いは時にハラスメント的だ。若い女性楽団員の気を引こうとする様など滑稽で、見た目はブランシェットなのにやっていることはおっさんのそれという、奇妙なおかしさがある。権力を持つと人はみな「権力を持ったおっさん」的振る舞いになっていくという、権力をテーマにした作品のようにも見える。
 しかし実際のところ指揮者の世界、権力を持った者の世界では未だに壮年の異性愛男性が大半を占めており、その中で女性、ことに少数派であろう同性愛者の女性であるターがのし上がっていくには、周囲の「おっさん」的振る舞いに同化せざるを得ない、おっさんを内面化せざるを得ないという背景があるのではないか。本作ではターの権力者としての振る舞いとその凋落を描くが、そこにあるであろう社会構造には踏み込まない。もしジェンダーによる格差・差別がない世界で本作のような物語が出てきたらストレートにターの栄光と凋落と受け止められるのだが、現状世界はそこに追いついておらず、片手落ちであるように思った。

リトル・チルドレン(字幕版)
フィリス・サマーヴィル
2015-12-01


セッション(字幕版)
オースティン・ストウェル
2016-10-27


『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』

 2118年1月。公安局統括監視官・常守朱(花澤香菜)のもとに事件の知らせが入る。朱は厚生省統計本部長・慎導篤志(菅生隆之)と共に現場である外国船舶へ向かうが、捜査権は外務省海外調整局行動課にあると告げられる。船からは、篤志が会議のゲストとして呼んだストロンスカヤ博士の遺体が発見された。犯行は行動課が以前から追っていた組織・ピースブレイカーによるものだと判明し、刑事課一係と行動課との共同捜査になる。一係の面々は、かつて公安局から逃亡し、行動課の所属となった狡噛慎也(関智一)と再会する。監督は塩谷直義。
 シリーズ集大成の10作目だが、作中時間は2019年公開の劇場版「PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に」とテレビアニメ3期の間に位置するという奇妙な立ち位置。時間軸を遡っての完結編(なのかどうかはわからないが一応一区切りではあるだろう)というのは作る側にとってもやりにくいのでは?と思ったが、常守が至るある境地は、確かに本シリーズの一つの結末と言えるだろう。常守は私にとっては、いまひとつどういう人なのかわからないキャラクターだったのだが、ここにきてああこういう人だったのかと腑に落ちた感がある。常守の決断を受けての狡噛のリアクションにも、この人はこういう風に変化したのかという感慨深さがあった(このシーンはすごく良い。ちゃんとこういう見せ方をできたのは偉いと思う)。正直、テレビシリーズ1作目の段階ではキャラクターの奥行をここまで持ってこれるとは思っていなかった。シリーズ重ねて作っていく中で、製作側の中でもこの人はこういう人、という解析度が高まっていったのだろう。常守と狡噛の重なる部分と相容れない部分、そこがどのように変化したのかという点においても、本作はクライマックスと言える。
 解析度が高まるという点は、作品世界全体に関しても言える。これまたテレビシリーズ1作目の段階ではここまでシリーズとして続けられるとは思っていなかったので、正直驚いた。ここ数作に関してはシリーズ構成・脚本に関わった冲方丁と深見真の力が相当大きいのではないかと思う。脚本て大事だなとしみじみ実感するシリーズでもあった。どういう社会が背景にある話なのか、という部分が明確に意識されていったのでは。
 劇場版はアクション映画としての側面も強くなったシリーズだが、本作もアクション、特に肉弾戦で魅せる。一見地味だが人体の関節をかなり意識したアクション演技ですごく面白かった。私が好きなアニメーションのアクション(戦闘)はこういう方向性なんだなと再確認した。また宜野座(野島健児)の義手の使い方は、これやっておきたかったんだろうなーというもので(『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰』でも同じことを思ったのだが)少々制作側のフェティッシュを感じる。




 
 

『EO イーオー』

 灰色のロバ、EOはサーカス団に飼われている。ロバと一緒にパフォーマンスをするカサンドラ(カサンドラ・ジマルスク)はEOを可愛がっていたが、動物愛護団体によりEOは連れ去られてしまう。保護先を逃げ出し放浪の旅に出たEOは様々な人間たちと出会う。監督はイエジー・スコリモフスキ。
 ロベール・ブレッソン監督『バルタザールどこへ行く』にインスパイアされた作品だそうだが、確かにバルタザールがもし旅を続けていたらこういう感じになっていたかもしれない。ただし本作はよりロバ中心。ロバ視点のロードムービーなのだ。風景が非常に美しく撮られており、EOの旅が進むにつれ叙事詩にようなスケール感が出てくる。EOの夢?と思われる幻想的なシーン、赤と黒のコントラストとフラッシュが強烈な演出については少々煩いと思ったが、不安感を煽る効果はある。EOにセリフがあるわけではないしロバの考えが明確にされるわけではないのだが、こういったシーンが挿入されることで観客の視点も徐々にEO寄りになっていくのではないか。少なくとも本作を見ていて人間側の立場に自分を置く人は、どちらかというと少ないのではないかなと思う。
 観客が本作中の人間たちに距離感を感じるのは、基本褒められたものではない人たちばかり登場するからという側面もあるだろう。EOが出会う人間たちの姿は実に俗っぽい。独りよがりな動物保護団体や田舎町のフーリガンたち、闇商人たち、訳ありらしい司祭や伯爵夫人など、人間たちは決して品行方正ではなく欲にまみれている。イノセントな存在としてとして位置づけられているEOとは対照的で、聖と俗の対比が際立つ。特にフーリガンたちの盛り上がりには、たかが町のサッカーチームでその熱狂て何!?と笑ってしまった。暴力沙汰になるのは全く笑えないのだが、世界が狭すぎる。EOはそういった小さい世界からどんどん離脱し旅していくように見えた。
 ただ、EOはロバでありロバはそもそも家畜だ。家畜である以上人間の世界からは離れられないという皮肉も感じた。本作にはロバ以外の動物たちも色々と登場する。EOは他の動物たちにも好意的にふるまっているように見えるが、なぜか同類のロバたちには馴染めていないように見える。むしろ自分と異なる者に対しての思いやり(と人間が一方的に解釈するものだが)があるように思えた。その最たるものがカサンドラだったのかもしれない。

バルタザールどこへ行く ロベール・ブレッソン [Blu-ray]
ヴァルテル・グレーン
IVC,Ltd.(VC)(D)
2017-06-30


イレブン・ミニッツ(字幕版)
ヤヌシュ・ハビョル
2017-02-23


『search/サーチ2』

 ロサンゼルスから南米・コロンビアに恋人と旅行に行った母が、突然消息を絶った。高校生の娘ジューン(ストーム・リード)は警察に捜索依頼を出した一方で、何とか母を見つけようと検索サイトや代行サービス、SNS等を駆使して情報を集める。コロンビアの代行サービス業者・ハビ(ヨアキム・デ・アルメイダ)の力を借りて母が失踪した地点を突き止めるものの、事態は予想外の方向に展開していく。監督はウィル・メリック&ニック・ジョンソン。
 失踪した娘を探す父親の奮闘がパソコンの画面上の映像でのみ展開していくというアイディアが光った『search サーチ』のシリーズ2作目。とはいっても、前作との繋がりはない(同じ世界の話だということが冒頭でわかるが、その数年後の設定)ので本作単品で見て全く問題はない。一発芸的な作品で2匹目のドジョウが狙えるのか?と正直疑問だったのだが、本作もしっかり面白かった。よくよく考えるとわざわざこんなことするか?このエピソードは不自然では?と気になる部分は出てくるのだが、見ている間は飽きさせずにどんでん返しを重ねてきっちり終わる、という娯楽作として正しい作りだった。前作の監督・脚本だったアニーシュ・チャガンティは今回は原案・製作を担当し、前作の編集を担当したメリックとジョンソンが監督に回った。経験者が主導しているのがよかったのか、シリーズのキモをわきまえた見せ方になっている。今回は各種ツールを更に使いこなすティーンエイジャーが主人公なので、情報提示のバリエーションがより広がり飽きさせない。アプリが万能すぎ、話がトントン調子で進みすぎなきらいはあるのだが(ハビの英語急に達者になってないか?とか)、スピード感重視でコンパクトにまとまっているところがいい。
 気軽に見られる娯楽作なのだが、事件の真相は前作よりも怖かった。冒頭のアドレスやアカウントを削除する動作が、誰が何のために行ったのか結びついてくるとぞわっとする。恐怖の原因が現代的というか、より具体的な恐怖を感じさせるものになっている。

search/サーチ
ミシェル・ラー
2019-09-06


THE GUILTY/ギルティ(字幕版)
オマール・シャガウィー
2019-10-16






『AIR エア』

1984年、ナイキ本社に勤めるソニー・ヴァッカロ(マット・デイモン)は、CEOのフィル・ナイト(ベン・アフレック)との縁で、バスケットボール部門を立て直すために起用された。しかし当時のバスケットシューズ界ではコンバースとアディダスが市場を独占しており、ナイキは企業規模としても弱小と言ってよかった。ソニーと上司ロブ・ストラッサー(ジェイソン・ベイトマン)は、まだNBAデビューもしていない新人選手マイケル・ジョーダンに着目し、彼との契約という賭けに出る。監督はベン・アフレック。
 80年代の雰囲気がかなり出ているのではないか。冒頭、一気に「この時代ですよ」とアピールしてくる映像と音楽の数々は野暮と言えば野暮だが、この物語の時代、背景に一気に引き込まれていく納得感はある。そういえばベン・アフレック監督作『アルゴ』でも時代感はよく出ていた。こういう部分の演出が上手いのだろうか。アフレックは映画に出る人としてよりも、映画を製作する人としての方が少しだけ才能が多い気がする。手堅くまとめられていて面白い作品だった。
 ナイキのエアジョーダンがいかに生まれたかという実話を元にしたストーリーだが、社運をかけた一発逆転劇がギャンブルすぎて、よくこれで成功したなと唸ってしまう。前述の通り、当時のナイキはバスケットボールブランドとしては今一つで、ジョーダン本人にナイキは絶対履かないと言われるくらいだった。更に、今だからジョーダンは大スターだとわかっているわけだが、当時の彼は有望視されている選手で各メーカーから声がかかっているとはいえ、まだ学生で将来は未知数。そこに社運を賭けようというソニーらの決意と奮闘は見ていて応援したくなってくる。プロジェクトとしてのエピソードと決断の積み上げの見せ方が上手いので、見ている側のテンションも上がってくるのだ。交渉の最後の最後でソニーがとった行動が、ある偉人のエピソードと被ってくるという構成も小気味よい。あそこが伏線だったのか!と。ただ、ソニーが本当にギャンブラー(カジノの常連)だというのには笑ってしまう、と同時に本当に大丈夫か?と心配になるのだが。
 本作で描かれた交渉が後のスポーツ用品ビジネスを大きく変え、ナイキの大躍進に繋がるという歴史ドラマでもある。非常にアメリカ的な成功譚だ。ただ、限定モデルの品薄商法やシューズが投機対象になりもはや履くものではなくなっている現状、また途上国での労働問題等、企業としてのナイキが抱える諸問題が広く知られるようになった現在では、素直に眩しい物語として見ることは難しい。また、当時のアメリカのバスケットボール界、またマイケル・ジョーダンがどのくらい凄いのかを多少知らないとぴんとこない話ではあると思う。逆にアメリカではジョーダンの凄さは言うまでもなく知られているということだろうが。

アルゴ (字幕版)
ジョン・グッドマン
2013-03-13


SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。
フィル・ナイト
東洋経済新報社
2017-10-27





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