3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名数字アルファベット他

『NO SMOKING』

 ミュージシャン・細野晴臣の歴史を追う、デビュー50周年記念ドキュメンタリー。幼少期の音楽との出会い、はっぴいえんどやYMOの活動を経てソロへと至る痕跡を、本人へのインタビューや当時の映像、2018年から2019年に実施された海外公演の映像を織り交ぜ追っていく。監督は佐渡岳利。
 全体の構成も編集もどこかぎこちない。特に作中に流れる各楽曲のフェイドアウトのさせ方がちょっとぶつ切りっぽいのが気になった。ただ、このぎこちなさはあえてなのかなという気もする。流暢すぎない、完成品として収まりが良すぎない方が、被写体に合っているように思う。
 細野の子供の頃のエピソードからは、彼の音楽のルーツや、環境の持つ影響力の大きさが感じられる。戦後まもなく生まれてまだ隣家は焼け跡のままだった、戦争に行かなくてすむことが心底嬉しかったという話や、母親が音楽好きで自宅でよくレコードをかけていた(ベニー・グッドマン「sing,sing,sing」を太鼓の曲と呼んでお気に入りだったとのこと)、叔母宅の向いに住んでいる女性がパラマウント社勤務(当時でいったら相当なキャリアウーマンということだろう)で、会社から持ち帰った映画のサントラ盤をよく聞かせてもらったとか。やっぱり環境って大事なんだな…。父親が意外とユーモアがあってダンスやコメディが好きだった(フレッド・アステアにあこがれていた)というのも面白かった。細野のお笑い好きや意外と動きの切れがいいあたりはこのへんにルーツがあるのか。
 細野の音楽の変遷を追うという面では、YMO以降のアンビエント、ワールドミュージックへの傾倒にはあまり言及されておらず中途半端だし、ライブ映像は正直なところもっと見たかった。とは言え、ライブのゲストで高橋幸宏がドラムを叩き、そこに坂本龍一が飛び入りというシーンには多幸感が溢れる。いろいろあっただろうけど仲良くてよかった…。一緒に仕事をしていたミュージシャン同士は、ずっと会っていなくてもいざ会うと昨日会ったみたいに演奏できるという言葉も印象に残った。

HOSONO HARUOMI Compiled by HOSHINO GEN(2CD)
細野 晴臣
ビクターエンタテインメント
2019-08-28


HOSONO HARUOMI Compiled by OYAMADA KEIGO(2CD)
細野 晴臣
ビクターエンタテインメント
2019-09-25


 

『Girl ガール』

 ララ(ビクトール・ポルスター)はバレリーナを目指し難関バレエ校に入学する。しかし体のコントロールは難しく、クラスメイトからの嫌がらせもうけ、焦りは募っていく。監督はルーカス・ドン。第71回カンヌ国際映画祭カメラドール、最優秀俳優賞受賞作。
 ララはトランスジェンダーで、手術を受ける意思は固く、ホルモン治療も始めている。父親は彼女を娘として尊重し愛しており、主治医やカウンセラーも親身になっている。しかし、それでも彼女の苦しみを周囲が理解しているとは言い難い。いや客観的には十分理解しているように見えるし、彼らの愛情や思いやりは本物だ。ただ、ララ当人にとっては十分ではない。彼女は家族の愛情や医師らの配慮があることは重々理解しているが、それらの愛や思いやりは、彼女の「今ここ」にある苦しみを解決するものではないし、彼女の苦悩は周囲と分かち合えるものではない。だから「大丈夫」と言うしかないのだ。彼女の「大丈夫」が嘘だと気づいている父親との距離感が痛ましい。どちらのせいというわけではなく、そういうふうにならざるを得ない問題だということなのだろう。自分の体のことは自分以外には実感としてわからないだろうという、ララの諦念すら感じる。それが終盤でのある決断に繋がっていくわけだが、子供の苦しみを見続けなくてはならない(そこに介入できない)親も辛いだろうと思う。
 身体に関わる問題はデリケートなものが多く、特にララが抱えているようなものは、周囲が無遠慮に触れていいものではないだろう。ララのクラスメイトたちは一見、フラットなように見えるし、ララを「女性」として仲間に入れているように見える。しかし、学校でのララは笑顔でいても常に緊張し、何かに脅かされているように見える。トイレにいかなくてすむように激しい運動の時も水を飲まず、レッスン後は体の処理の為にトイレに一人こもる。自分の体のコントロールがそもそもきついのだ。加えて、何かの拍子にクラスメイト達のからかい、悪意が噴出する。誕生会での「見せなさいよ」という言葉の心なさ。彼女らにとっての自分の体と、ララにとっての自分の体は意味合いが全然違うし、「見せる」意味合いが全然違う。そもそも他人の体を見せろというのが問題外なんだけど・・・。このシーンがほんとうにきつくて気分悪くなってしまった(それだけ映画に訴えてくるものがあったということだが)。
 セクシャリティのことも、バレエを続けることも、ララにとっては自らの体の違和感との戦い、肉体を意思で屈服させていくことだ。バレエ講師は体を開放して、という様なアドバイスをするが、ララにとってはそれは到底できないことだというのが皮肉だ。

ポリーナ (ShoPro Books)
バスティアン・ヴィヴェス
小学館集英社プロダクション
2014-02-05






ボーイズ・ドント・クライ [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
ヒラリー・スワンク
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2018-08-17

『X-MEN:ダーク・フェニックス』

 X-MENの中でも強い能力を持つジーン・グレイ(ソフィー・ターナー)は、宇宙でのミッションがきっかけで更に強い力を身につけ、制御不能になっていく。周囲を傷つけることを恐れるジーンだが力は暴走し始め、X-MENの仲間たちとの関係にもひびが入っていく。更に彼女の力に目をつけた謎の女(ジェシカ・チャステイン)が接触してくる。監督はサイモン・キンバーグ。
 ファーストジェネレーションからの、若き日のプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビア(ジェームズ・マカボイ)とマグニートーことエリック・レーンシャー(マイケル・ファスベンダー)を中心としたシリーズ。しかし、毎回公開前にはすごく楽しみにしているのにいざ本編を見るといまひとつ乗れないということが個人的には続いている。残念ながら今回も同様。このシリーズ、初期のウルヴァリンを中心としたX-MENとは基本的に別物ということなんだろうけど、完全なリブートというわけでもないし、見ているうちにこのキャラクターってこんなのだっけ?この先なんでああなるの?と色々もやもやしてしまう。別物として見られるほどには制作スパンが開いていないんだよな。また、前作で色々時間軸をいじっているので、そのあとでこういう話をやられても、あれは何だったの?って思ってしまう。どういうスタンスで見ればいいのか微妙な作品だった。
 チャールズのミュータントを「代表」しようとする振る舞いや学園での指導方針は、異端と見られている彼らを世に認めさせる為にはもっともなやり方に見えるし実際成功している。X-MENはヒーローとして人気者になっていく。しかしそれは、常に一般人の役に立つミュータントであれと強いることでもある。無害で役につ存在でなければ人間の仲間として認められないというのは、本当に平等とは言えないだろう。レイヴン(ジェニファー・ローレンス)のように普通に静かに生きたいと願うものや、ミュータントであるが特に秀でた能力・役に立つ能力を持っているわけではないというものはどうすればいいのか。そもそも能力を使うのも使わないのも当人の自由だろう。同じマーベルコミックのヒーローであるスパイダーマンには「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉があるが、あれはヒーローを人間から差別化することでもあるんだよな・・・。本作のラストも、能力が過ぎるともう人ではいられない、この世にはいられないという結論になってしまうものなので、X-MENというシリーズのスタンスとしてこれでよかったのか?ともやもやした。
 このシリーズ、チャールズの「持っている」人間故の独善性が垣間見られるシリーズでもあったが、今回ははっきりと、彼のその行為は独善である、独りよがりであると指摘している。もう「お前そういうとこだぞ!」と突っ込めないかと思うと少々さびしくもあるが。

X-MEN:アポカリプス [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2018-03-16







X-MEN:フューチャー&パスト ローグ・エディション(2枚組) [Blu-ray]
ヒュー・ジャックマン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2015-07-15

『COLD WAR あの歌、2つの心』

 冷戦下、ソ連占領地帯のポーランド。歌手を目指し歌劇団に入団したズーラ(ヨアンナ・クーリク)とピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)は激しい恋に落ちる、しかしヴィクトルは政府に目をつけられるようになり、パリへの亡命を決意。ズーラに同行を願うが、待ち合わせ場所に彼女は現れなかった。やがて歌劇団の公演先で再会した2人は、お互いの気持ちに変わりがないことを確認するが。監督・脚本はパヴェラ・パヴリコフスキ。
 試写で鑑賞。モノクロの映像がクールで美しい。また、ズーラが歌手なだけあって音楽映画としてもいいのだが(監督がジャズ好きらしく、ジャズの選曲がいい)、彼女が歌うポーランドの歌曲「2つの心」が何度も違うアレンジで繰り返される。アレンジの違いが、ズーラとヴィクトルの関係の変化と重なっていくようでもあった。一番最初のシンプル、素朴なバージョンにはもう戻れないというような寂しさがまとわりつく。
 ズーラはヴィクトルの亡命についていかなかった理由を、「(自分が)まだ未熟で全てあなた(ヴィクトル)に劣っているから」だと言う。ヴィクトルにはこの理由はぴんとこなかったみたいだが、彼女の人となりをよく表わした言葉だと思う。相手に自分の全てをゆだねるのが嫌というか、イニシアチブを一方的には取られたくないのだろう。同じ熱量で向き合う関係、2人で同じ方向を見ることを強く求めているのだと思う。対等でありたいのだ。だからヴィクトルが音楽プロデューサー目線で君にはこの曲がいい、この歌詞がいいと指導するとカチンとくる。彼女が彼に求めているのはそういうことではないのだが、よかれと思ってやっているヴィクトルにはそこがわからないので、2人はすれ違い続ける。すれ違いつつ強く深く愛し合うという奇妙な関係を10数年間にわたって描くという、なかなかしんどいロマンス映画だ。しかし思いが深すぎてまともな関係(と世間的にみなされるような関係)に落とし込めない2人の在り方は胸に響く。
 作中時間は10数年にわたる大河ドラマなのだが、映画自体は90分程度と短い。経過する年数の省略の仕方が思い切っており、省略された部分が多々あることで2人が経た時間、そして彼らの背後に流れる歴史としての時間の経過がより際立っていたように思う。コンパクトな編集が良かった。

イーダ Blu-ray
アガタ・チュシェブホフスカ
2015-05-01








夜行列車 [DVD]
ルチーナ・ウィンニッカ
KADOKAWA / 角川書店
2018-11-30

『RBG 最強の85歳』

 アメリカ女性最高判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグ。ジェンダーによる差別と闘い続けた彼女の生涯を追うドキュメンタリー。監督はジュリー・コーエン&ベッツィー・ウェスト。
 この人がいなかったら、男女間の不平等は今頃どうなっていたか、というくらい功績があるギンズバーグ。精神的にも肉体的にも非常にタフな人というイメージがあるし、実際に体力を維持するためのメンテナンスと努力を欠かさない様が作中でも見受けられる。私より全然ちゃんと腕立て伏せ出来てる・・・。
しかし本来は、若い頃から物静かで引っ込み思案、必ずしも外向的、尖鋭的というわけではないというから意外だった。彼女のガッツ、闘志は生真面目さ、勤勉さから生まれるもののように思える。弁護士事務所への就職を軒並み断られた(彼女の伝記映画『ビリーブ 未来への大逆転』でも描写があった)時に「なぜ女性が弁護士になれないのか理解できなかった」というのだが、真面目に考えるとそれが理にかなっていない、不条理だから理解できないというわけだろう。理屈が通らないというのは、世の中や現行の法律の方がずれていて、そこを変えていくことが時に必要なのだ。ギンズバーグが「200年前に作られた法律の「我々」に私たちは含まれていない。黒人もヒスパニックも。」と言う。その時代ごとの「理屈」はあっても、背景となる時代の価値観からは逃れられないのだ。
 法解釈や主義主張が違う人とでも、その他の部分で気が合えば親しく付き合うという所も面白い。超保守派の判事と意外と仲がいいのだ。仕事とプライベートとの切り分けがはっきりしている。このスイッチの切り替え方が仕事が長続きするコツなのかもしれないとも思った。
 夫との関係性が理想的だ。こういう人と支え合っていたからここまで来られたのかもしれない。それだけに、夫の晩年になってからの病から目をそむけていたという孫の言葉が切ない。あんなに強い人でも、そこは直視できなかったんだと。夫マーティンはギンズバーグの知性、法律家としての能力を非常に高くかっており、自分のパートナーとして自慢に思っていた様子。彼自身も法律家(税務専門の弁護士)だったが、「2番手であることを気にしない」人だったとか。妻の知性を手放しで評価できる、自分よりも高くかうというのは当時の男性としては稀な資質だろう。映像からも人柄の良さが垣間見られた。
 それにしても、アメリカの現状を思うとギンズバーグはおちおち引退できないだろうな・・・。必要とあれば保守とも妥協し、最高判事間のバランスを取るためより保守にもリベラルにも方向修正する人だそうだが、相当リベラルとして頑張らないと現状ではバランスとれなさそう・・・。

『12か月の未来図』

 名門高校の国語教師フランソワ(ドゥニ・ポダリデス)はパリ郊外の教育困難中学に送り込まれる。エリート校の生徒ばかりを相手にしてきたフランソワにとって、様々なルーツを持ち学力もまちまちな生徒たちを相手にするのは一苦労。特にトラブルメーカーである少年セドゥには手を焼く。しかし教師としての意欲を取り戻し、生徒たちと格闘していく。監督はオリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル。
 フランソワが教育困難中学へ派遣されたきっかけは、彼のちょっとうぬぼれた性格、意外と女好きな脇の甘さが招いたものだ。この脇の甘さと自惚れがこの後もちらほら見受けられるので、こいつ懲りてないなと思ってしまう。ちょっといいかっこしいなのだ。ただ、最初は成り行きで始めた中学校赴任だが、エリート校で教えるのとはまた違ったやりがいにフランソワは目覚めていく。冒頭、エリート校の生徒たちにフランソワが答案用紙を返却するが、点数とコメントを大分辛辣に公表しながらなので、下手すると(下手しなくても)モラハラだ。点数と生徒の人格を結びつけた発言をしてしまっているのだ。最初から勉強することが身についている、学習意欲が水準以上にある進学校の生徒相手ならこれも有効なのかもしれないが、学習困難校の生徒におなじことをやったら相手を傷つけやる気を削ぐだけだろう(そもそもどういう生徒が相手でもああいった言い方をしてはいけないと思うが)。フランソワはより基本的、根源的な「学ぶ」ことと向き合わざるを得なくなる。学ぶとはどういうことか、学ぶことの面白さはどんなものか生徒に伝えていかなければならないのだ。またセドゥのように学校で学ぶこと自体が辛い生徒がいるということにも初めて気づいていく。アーティストである妹からの示唆により気づくのだが、妹もまたフランソワやその父親のように学校の勉強がごく自然にこなせる人の間で居心地が悪かったんだろうことが垣間見える。出来る人には出来ない人の気持ちってわからないんだよなと。
 フランソワは一定水準以上の勉強を教えることには長けているのだろうが、中学校で要求されるのはそれとはまたちょっと違うことだ。何を持って「いい教師」と言うのかは、生徒の層や学校の性質によって変わってくる。教師の大変さが端々で垣間見られた。フランソワはセドゥの退学を阻止しようとするが、それはまだ中学校のやり方に慣れていないからで、僕たちが悪者で君が英雄かと揶揄したくなる数学教師の言い分もわかる。学校全体のことを考えると彼のようなやり方にせざるを得ないのかもなということも。とはいえ、場所が変わって要求されることが変わっても、それに適応しつつ教師の本分を全うしようとするフランソワは、やはり「いい教師」と言えるのでは。好かれる教師といい教師とはちょっと違うんだよな。生徒の顔と名前と名前の正確な発音(何しろ多民族多文化なので)を必死で覚えようとするあたり、基本的に真面目だ。

パリ20区、僕たちのクラス [DVD]
フランソワ・ベゴドー
紀伊國屋書店
2011-04-28






Etre et avoir ぼくの好きな先生 [DVD]
ジョルジュ・ロペス
バップ
2004-04-07

『ROMA』

 1971年のメキシコ。医者のアントニオ氏一家の屋敷で家政婦として働くクレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)。ある日アントニオ氏は出張と称して家を出、妻ソフィア(マリーナ・デ・タビラ)と4人の子供を残したまま戻らないままだった。一方クレオは恋人に妊娠を告げるが、彼もまた姿を消す。監督はアルフォンス・キュアロン。 モノクロ映像が美しく、結構長回しが多い。相変わらず流暢な映像だが、映像よりも音の方が印象に残った。雨風の音や、鳥や動物の鳴き声や町の雑踏のざわめき、海の波の音等、環境音の入り方、広がり方にすごく気を使っているという印象だ。人の声の距離感も生々しい。  使用人としてつつましく生活しているクレオも、裕福な雇い主であるソフィアも、男性に捨てられる。クレオはソフィアや子供たちに忠実に仕えるし、子供たちはクレオにとても懐いている。ソフィアは妊娠したクレオを親身になってケアする。彼女らは家族のように見えるし、ソフィアはクレオを家族扱いしているつもりだろう。しかし、2人の女性の間には身分の差が依然としてある。クレオが病院に運び込まれた時、ソフィアの母は彼女のフルネームも生年月日も知らないことがわかる。彼女らにとって、クレオはそういう情報は必要のない存在であり、対等なものではないのだ。2つの世界が同じ空間で別個に展開されているような構造だ。子供たちはその2つの世界を自由に行き来しているようには見えるのだが。そしてクレオとソフィアそれぞれの世界の背景に、当時のメキシコの社会の変動が横たわる。絵巻物のようでいて、重層的な景色が展開されていく。  不吉な予感を感じさせるシーンが非常にわかりやすく、クレオの出産がどのような顛末になるのか、容易に想像できる。これ見よがしと言えばこれ見よがしなのだが、そのわかりやすさが神話のような味わいになっている。帰宅するたびに車をこすっちゃうという最早反復ギャグみたいなくだりも、分不相応なものを使っている(ので買い替えたらこすらない)という比喩みたいでわかりやすい。しかし駐車シーンのたびに他人事とは思えず、フェンダミラー!フェンダミラー気をつけて!とハラハラしてしまった。

『PSYCHO-PASS SS Case3 恩讐の彼方に』

 東南アジア連合・SEAUnでの事件後、狡噛慎也(関智一)は紛争地帯を放浪し続けていた。南アジアの小国で武装ゲリラに襲われていたバスを救うが、乗客の1人だった少女テンジン(諸星すみれ)に闘い方を教えてほしいと頼まれる。彼女の両親は武装ゲリラに殺されており、復讐を願っていたのだ。監督は塩谷直義。
狡噛の旅がようやく終わるのか・・・。シリーズ通して、シビュラシステムという装置の元で人がどのように生きるのかという物語を描いていたが、同時に彼の長い長い自分探しと贖罪の物語でもあった。贖罪などできない、でも生きていくという境地にたどり着いたのか。過去との対峙の仕方という点で、テンジンの存在が鏡のようでもあり道しるべのようでもあった。テンジンの描写は女の子であるが「子供」という部分が強調されており、セクシャルでないところがよかった。
 肉弾戦のアクション設計には相変わらず力が入っている。SSシリーズ3作通して一番アクション映画っぽさがある。画面の奥行きを強く意識しているように思った。アクション映画の定番である列車上での攻防があるのが嬉しい。このシークエンスはかなり実写映画っぽいショットで構成されているという印象だったが、大々的な落下シーンはアニメーションならではの演出だろう。そういえばシリーズ3作通して空中に身体が投げ出されるシーン、落下シーンが印象深い。
 また乗り物が色々出てくる、かつ作画がいいというのも個人的には楽しかった。あの世界の中でレトロなスクーターが出てくるとなんとなく嬉しくなる。また、この時代のドローンは規模が違うな!というドローンの量産製品ぽさもいい。作画は3作中で最も、全編通して安定して良いのだが、キャラクターの演技(声ではなく動作)が1作目、2作目に引き続きかなりテンプレートっぽいのは気になった。格闘シーン等はアクション設計がきちんとされていて良いのだが、会話シーンの動作が正に「絵にかいたような」ものでちょっと想像力乏しいのでは・・・。なお、狡噛の上半身のラインの見せ方には妙な熱意を感じました。ありがとうございます。

『THE GUILTY ギルティ』

 緊急通報指令室のオペレーター、アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は今まさに誘拐されているという女性イーベン(イェシカ・ディナウエ)から通報を受ける。車の発信音や物音、イーベンの声等から、彼女が置かれている状況に少しずつ近付きなんとか救出しようとするアスガーだが。監督はグスタフ・モーラー。第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞した作品。
 ここ数年でワンシチェーションスリラーのバラエティが増えたなという印象があったが、本作はその中でも頭一つ抜けて出来がよく、ストイックに「ワンシチュエーション」に徹していると思う。電話からの声と音だけで構成され、アスガーはオペレーター室から出ることがない。この縛りの中でよくここまでサスペンスを盛り上げたな!と唸った。90分足らず(88分)という短い作品ではあるが、全く飽きず最後まで観客を引っ張る。
 このシチュエーションの中で盛り上げる為のストーリー構成がよく考えられている。(ネタバレになるので妙な言い方になるが)まず彼女に何があったのか?という1周目の盛り上がりがあり、更にベクトルの向きが変わった2周目の盛り上がりがあるのだ。2周目の存在は何となく予想できるのだが、そこでクールダウンさせないのはアスガーと電話相手との会話の組み立て、タイミング設置が的確だからだろう。アスガーとイーベン、アスガーと所轄(という呼び方はデンマークではしないとは思うけど・・・)、アスガーと元相棒刑事という組み合わせでの言葉のやりとりが、何が起きているのかを徐々にあぶりだしていく。
 更に、事件の経緯と平行して、アスガーがなぜ緊急通報指令室に配属されたのか、彼が迎える「明日」とは何なのか、過去に何があったのかが徐々にわかってくる。アスガーの行動、相棒に対する態度等がちょっと独善的に思えたのだが、おそらくはそういう資質が招いたことへとつながってくる。これらの謎が明らかになった後、題名の意味が重く響いてくる。キレのいいサスペンスだが、ある事実が判明した後の雰囲気や後味は北欧ミステリっぽさがある。アメリカのミステリとは一味違った闇の濃さだ。

セルラー [DVD]
キム・ベイシンガー
アミューズソフトエンタテインメント
2005-08-26


search/サーチ ブルーレイ&DVDセット [Blu-ray]
ジョン・チョー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2019-03-06


『PSYCHO-PASS SS Case2 First Guardian』

 国防軍第15統合任務部隊に所属する須郷徹平(東地宏樹)は極秘の軍事作戦に参加していたが、作戦は失敗し、先輩である大友逸樹(てらそまさき)は現地で行方不明に。3か月後、国防省が無人ドローンに襲撃される事件が起きた。被疑者となった須郷の前に現れたのは、刑事課一係執行官・征陵智己(有本鉄陵)だった。
 常守が一係に配属される前の話なので、あの人もこの人もまだご健在で・・・と何となく寂寥感を感じてしまう。宜野座がまだきゃんきゃん言っている時代の宜野座だよ・・・懐かしい・・・。それはさておき、『劇場版PSYCHO-PASS』で特に説明もないまま新キャラクターとして登場していた須郷がどういう人で、どういう経緯で一係に来たのかという補助線的なエピソードと言える。
 ディストピアSFである本シリーズらしいエピソードなのだが、中心にいる須郷と征陵があまりディストピア的でない、オールドタイプな軍人であり刑事な気質の持ち主だという所が面白い。須郷の正直で熱血漢的な部分や、征陵の勘と長年の経験に基づく刑事としての能力等、いつになく温度が高い。同時に、こういうタイプの人は、本作で描かれているような社会の中ではマイノリティであり生き辛いんだろうなと思わせる。人間を数値化できない、合理を受け入れきれないタイプなんだろうなと。本作のキーとなる人もおそらくそうなのだ。人間に対してただ一人の存在としての尊重がないと、やりきれないのだろう。
 征陵は刑事としては有能で後輩刑事からも尊敬されている。能力面だけでなく、人間的に尊敬されているのだ。しかし家族に対しては、決して良き父親、良き夫ではなかった。仕事にかまけすぎていたという自覚はあるが、そもそも家族として上手く機能するタイプの人ではないようにも思う。息子に示されるべきだった父性は、(TVシリーズにおいても)仕事の中で出会った他人に向けて示されているような気がしてちょっと切ない。

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