3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名数字アルファベット他

『LION/ライオン 25年目のただいま』

 インドのスラム街で暮らす5歳のサルー(サニー・パワール)は、兄の仕事先についていった時、停車していた電車内に入り込んで眠ってしまい、そのまま遠くの地へと運ばれ、迷子になった。家族と生き別れ孤児院に保護された彼は、オーストラリアへ養子に出される。そして25年後、養父母の元で成人し順調な人生を歩んで生きたサルー(デヴ・パテル)は、ふとしたきっかけで生母と兄のことを思い出す。わずかな手がかりからGoogle Earthを使って故郷を特定しようと試み始める。監督はガース・デイヴィス。
 予告編等事前情報からは、なぜこの題名なのかはわからない。本編を見て題名の意味がわかると、ああそうか!と深く納得する。サルーが自分の人生を発見し直すまでの、長い旅の物語だったのかと。もちろん、養父母の元で過ごした日々も本物の彼の人生だ。しかし、人生の一部であって、養子になる前の幼い頃の人生については、裏付けが取れず曖昧なままだ。忘れたままなら、それはそれで穏やかな日々だったのかもしれないが、インドの菓子を目にしたことで、断片的な記憶がよみがえり、実母と兄を放っておいたという罪悪感に苦しむことに苦しむようになる。同時に、実母を求めることは養父母を裏切ることになるのではと、二重の罪悪感に駆られるのだ。故郷を探そうとするサルーの熱意は唐突に生じるようにも、少々行き過ぎているようにも見える。実際、日常生活に支障をきたし、恋人との関係も破綻してしまう。しかしサルーにとってはそのくらい、人生の一部が失われていることは苦しいことなのだろう。
 サルーは大きな不運によって「迷子」になったが、運の良さと機転とで生き延びる。本作、サルーの幼少時代に結構時間を割いているのが意外だったのだが、まだ幼い彼がどのような道筋を辿ってきたか垣間見ることで、本当に運が良かったのだと痛感する。あからさまには描かれないが、「ルート分岐点」でもし違う道を選んだらこうなっていたかも、という姿が、他の子供達の姿を借りて現れる。あっさり描いているようでいて、闇の深さが垣間見られるのだ。
 そういう「もしも」を一番強く感じたのは、養子先での義兄・マントッシュ(ディヴィアン・ラドワ)の存在だ。マントッシュはサルーより年長だが、養子に来たのは彼の後。順調に養父母とオーストラリアの生活に馴染んだサルーとは異なり、マントッシュは養父母との関係はぎこちなく、成長してからも土地に馴染めず、自分の生活を立て直すことができずにいる(子供の頃から精神的な問題があるという描写はされている)。サルーよりもむしろ、マントッシュの人生はどんなものだったのかという方が気になった。彼にとって、養子に出されたことは果たして幸運だったのだろうか。彼は、サルーが進んだかもしれないもう一つの人生なのだ。

『T2 トレインスポッティング』

 20年前に仲間を裏切り退勤を持ち逃げしたレントン(ユアン・マクレガー)は、全てを失い故郷のスコットランドのエディンバラに返ってきた。シック・ボーイことサイモン(ジョニー・リー・ミラー)はさびれたパブを経営する傍ら、売春や恐喝で金を稼いでいる。スパッド(ユエン・ブレムナー)は薬物依存を断ち切ろうとするも家族に愛想を尽かされ自殺を図る。ベグビー(ロバート・カーライル)は刑務所に服役していたが脱獄し、レントンへの復讐に燃える。原作はアービン・ウェルシュの小説、監督は前作に引き続きダニー・ボイル。
 はー20年か!と思わずため息をついてしまう。前作『トレイン・スポッティング』は当然劇場に見に行ったし周囲ではTシャツやらポスターやらクリアファイルやらが大流行りしていたし、サウンドトラックは当然買った。まさか今になって続編見ることになるとは・・・。見ている自分たちは当然年を取っているわけだが、作中のレントンたちもきっちり20歳老いているし、ユアン・マクレガー以外はそもそもスクリーンで見るのが久しぶりすぎる!皆、年取ったな・・・。その姿を見るだけで感慨深くもありしんみりさもあり。
 加えて、20年後の彼らは相変わらずジャンキー(スパッドは脱ジャンキーを目指しているが)で特に成長しておらず、社会的に成功しているわけでもない。見ている自分もレントンを笑えないくらい成長していないし生活はきゅうきゅうなわけで、しょっぱさ倍増である。前作では「未来を選べ」というフレーズが多用されていた。今回もレントンがヴェロニカに当時こういうフレーズが流行ったんだ、みたいなことを教えるが、当時の「未来を選べ」と今の彼にとっての「未来を選べ」は全く意味あいが違うだろう。20年前は、まだ未来は選び取るものとして、希望を孕んだものとしてあった。40代になった今、未来の枠は狭まり、先はそこそこ見えている。自分が選べるであろう中に選びたい未来などないにもかかわらず、選ばざるを得ないという辛さがあるのだ。これから世界を牛耳っていくのは自分達ではなく、ヴェロニカら下の世代なんだということが、レントンやサイモンに突きつけられていく。何者にもなれずに取り残されていくのは辛いのだが、それでもまた明日をこなしていなかなくてはならない。ラストのレントンの行動には、何だか泣き笑いしそうになった。結局そこに戻っちゃったなぁ。
 唯一前進した、未来を少し掴んだと感じられるのはスパッドだろう。本作の良心のような存在になっているが、彼は「書く」ことで自分と過去を相対化できるようになった。そうすると、未来も見えやすくなってくるのかもしれない。

『SING/シング』

 コアラのバスター・ムーン(マシュー・マコノヒー/内村光良)が支配人として運営する劇場は、赤字続きで危機に陥っていた。バスターは劇場をよみがえらせようと、街の人たちに歌唱コンテストの参加を募る。しかし秘書のミス・クローリー(ガース・ジェニングス/田中真弓)が賞金の桁数を間違えて広告を作ったせいで、高額賞金目当ての応募者が殺到する。監督はガース・ジェニングス。
 手際よくコンパクトに纏めた、ちょうどいい感じのエンターテイメント。老若男女で楽しめそうなところがいい。私は2D・吹替え版で鑑賞したが、吹替えセリフの翻訳、歌の歌詞の翻訳(こちらは一部苦戦しているなーという印象はあったが)はかなり頑張っていると思う。楽曲は翻訳許可が出たものと出なかったものがあるようで、日本語版と英語版が混じっているのだが、それほど気にならない。なお、演技は素人なMISIA(ミーナ役)と大橋卓弥(ジョニー役)が意外と好演で意表を突かれた(つたないが気になるほどではない)。2人とももちろんプロの歌手なので、セリフのぎこちなさと歌の流暢さ・エモーショナルさがちょうどいい対比になっているのだ。ミーナは極端に内気であがり症なのでそもそも喋りが得意でないキャラクターだし、ジョニーもギャングの父親からのプレッシャーで萎縮気味なので、キャラクターと演技のつたなさとのマッチングが良かったのかもしれない。
 信じれば夢は叶う、という言葉は出てくる(そしてバスターが自分の境遇を顧みてがっくりしたりする)が、そんなに大上段に構えた姿勢ではなく、歌が好き、だから歌うんだというシンプルさに貫かれているところが良かった。本作に登場するキャラクターたちは当然歌の才能があるわけだが、仮に才能がそれほどではなかったとしても、好きなことを好きなままでいていいんだという肯定感の方が強い。ミーナにバスターが「歌えばいいんだ」と励ますシーンにはぐっとくる。、また出場者の中でも、ロジーナ(リース・ウィザースプーン/坂本真綾)などはスターになりたいわけではなく、自分が好きなことを思いっきりやってみたい、その「好き」を家族にもわかってほしいという気持ちなんだろうし。
 このキャラクターはこういう性格で、こういうバックグラウンドがあって、といちいち説明せずに、物語の流れの中で提示していく序盤の手際がいい。また、ステージで歌われる以外の、サウンドトラックとしての楽曲の選び方が上手いなと思った。このキャラクターは今こういう気分だよ、こういうシチュエーションなんだよといういい補足になっている。特に「True Colors」には、なるほどここでか!と。

『The NET 網に囚われた男』

 北朝鮮で妻子と暮らす漁師ナム・チョル(リュ・スンボム)は、ボートで漁に出たものの、エンジンが故障し韓国側に流されてしまう。韓国の警察は彼を拘束し、スパイ容疑で厳しい取り調べを行いつつ、韓国へ亡命しろと迫ってくる。監督はキム・ギドク。
 真綿で首を絞めていくような息苦しさだ。ナム・チョルは妻子の元に戻りたいだけなのだが、韓国の警察は彼をスパイだと決めつけ、自白を迫り拷問まがいの取り調べをする。「未来のスパイだから」だと言うのだが、それを言ったらきりがないだろう。警察はナム・チョル個人は見ず、北朝鮮から来たスパイ、あるいは自分達の手駒として使える可能性があるスパイ候補としか見ていないのだ。ナム・チョルが何を言っても信じてもらえないという状況がとにかく怖い。唯一彼と個人として接する若い警官は、彼を救おうと奔走するが無力だ。組織や国家の名を借りないものは、本作では何もできない。常に自分の上に覆いかぶさってくる何かを意識し、その存在に奉仕することを強いられる世界のなんと息苦しいことか。
 韓国警察がナム・チョルを転向させようと、街の豊かさを見せに連れ出すが、ナム・チョルは固く目を閉じ見ようとしない。見なければ北朝鮮に戻った時に何も答えなくて済むし、亡命希望と疑われなくて済むというのだ。韓国にとってナム・チョルは「哀れな国民」「気の毒」なのだが、当人にしてみれば亡命を強いる韓国の方が無体なことをやっている。またナム・チョルにとっては、韓国の豊かな生活は、物を無駄にしお金がないと何もできない世界でもある。
 とは言え、北朝鮮は北朝鮮で極端な監視社会であり、ナム・チョルは韓国の豊かさを見たことでスパイと疑われ、やはり厳しい取り調べを受ける羽目になる。南も北も、警察の振る舞いは大して変わらない。取り調べとはナム・チョルの行動を確認することではなく、自分達にとって望ましい自白を引き出すことなのだ。当然、彼が何を言っても、警察側が望まない答えは「嘘」として扱われる。尋問のやり方まで同じ(まあルーツは同じなんでしょうが・・・)なのには笑ってしまった。どこにいても、ナム・チョルは国家や組織といった「網」に囚われた男であって、逃げ場はない。現代の韓国と北朝鮮という実在の国を舞台にしているのでよりインパクトがあるが、どこの国・時代でも当てはまりそうな、寓話的な味わい。

『MERU/メルー』

 難攻不落と言われる、ヒマラヤ・メルー峰シャークスフィンの登頂に挑む、登山家たちの奮闘を追うドキュメンタリー。2008年10月、コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レオン・オズタークの3人はメルー峰に挑むが、7日間のツアーの予定が倍以上も要する苦闘となった。監督は登頂に参加した当事者の登山家であり、山岳カメラマンでもあるジミー・チンと、エリザベス・C・バサヒリィ。
 元々映画化が前提だったのだろうが、登山中の映像が豊富で、登山素人の目から見ると色々と新鮮で面白かった。所要日数と持ち運べる荷物量の兼ね合い等、当然と言えば当然なのだが言われないと気付かなかった。また、場所によっては夜間に登るというのは、氷がより固くて剥落しにくい状態を選んでいるからだそうだ。昼間の方が見通し良くて安全な気がしてたけど、なるほど。一番驚いたのは、序盤でも映し出されるのだがテントの設置場所。設置というか、これは吊り下げている感じなのでは・・・。最近の登山用具はすごいなー。当然のことだけど、登山も進化するんだな。自分の知らない世界を垣間見る面白さがあった。
 登山のプロジェクト自体はもちろんドラマチックなのだが、登山家3人の背景、プロジェクトの過程で個々を襲うトラブルがこれまたドラマチックすぎる。特にチンとオズタークを襲うトラブルは、事実は小説より奇なりとはいうけれど、まさか連続してこんな羽目にあうなんてと唖然とした。当事者にとっては登山に対するモチベーションがぐらつくような事態だったろう。生死にかかわるトラブルを経てなお登頂に挑もうという姿勢には凄みを感じるが、そこまでして登りたいのか?という疑問も当然沸いてくる。登山家それぞれのパートナーたちは登山自体には理解があるが、大きなリスクを抱えた登山にはやはり反対する。そりゃあそうだよな・・・。それでも彼らが山に登るのは、「そこに山があるから」としか言いようがないのだろうというのも、本作を見ていて思った。
 なお、風景は当然素晴らしい。空撮も多用されており、結構な予算を組んだプロジェクトだったことが窺える。とは言え、雪山の恐ろしさもありありと見られる映画でもある。よく無事だったな・・・。

『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間』

 1970年代後半の約5年間、ジャズミュージシャンのマイルス・デイヴィス(ドン・チードル)は音楽シーンから姿を消していた。慢性の腰痛に苦しみ、酒とドラッグに溺れていたのだ。そんな彼の元に雑誌記者デイヴ・ブレイデン(ユアン・マクレガー)が押しかけてくる。マイルズはブレイデンを巻き込み、盗まれた自分の新作テープを取り戻し行く。監督・主演はドン・チードル。
 ドン・チードルが執念で完成させたマイルス・デイヴィスの伝記的映画・・・ではあるが、これ決して事実を映画化したという意味での伝記映画ではないだろう。むしろ、チードルがマイルスを好きすぎて、俺が思うマイルスの5年間はこんな感じだ!むしろ俺がマイルスになりたい!くらいの気持ちでやらかしてしまったファンフィクション的な作品(と言ったら怒られそうだがチードル思い入れはそのくらいあると思うの・・・)といった味わい。部分部分に事実を元にしたエピソードは使われていると思うのだが、概ねフィクションと思った方がよさそうだ。何しろマイルズがいきなり ギャングと撃ちあいカーチェイスを始めるんだからびっくりしたよ・・・。
とは言え、マイルズがことあるごとにフラッシュバックのように過去を思い出し、回想の中で妻との愛とその破綻が見えてくるという構造は切なさを感じさせ悪くなかったし、過去と現在が混然一体となり、幻想が具体化したかのようなボクシング試合のシーンは印象に残った。彼の頭の中ではこんな具合にぜんぶごちゃごちゃになっているんだろうなと。
 どちらかというと珍品的な作品だと思うのだが、音楽はさすがにいい(ロバート・グラスパーがサントラ担当、ライブシーンにはハービー・ハンコックやウェイン・ショーターが参加)。チードルの気合入りまくったなりきり振りも、見ているうちに段々愉快な気持ちになってくる。そしてなぜか出演しているユアン・マクレガーだが、最近の彼は大体巻き込まれ役を演じている気がするしそれがはまっている。

『92歳のパリジェンヌ』

 92歳の誕生日を迎えたマドレーヌ(マルト・ヴィラロンガ)は、家族の前で2か月後に自ら人生の幕を引くを宣言。長男ピエール(アントワーヌ・デュレク)は猛反発するが、長女ディアーヌ(サンドリーヌ・ボネール)はショックを受けつつも、母の望む人生にしたいと心が揺れていた。監督・脚本はパスカル・プザドゥー。
マドレーヌは若い頃から独立した人で、自分で決めた信念を曲げずに生きてきたと描かれる。妻であり母である前に、まずマドレーヌという個人であるというところに、フランスにおける個人主義の在り方を見た気がした。彼女の生き方は尊敬できるが、おそらく子供の立場だったら納得できない部分の方が大きいだろう。
 マドレーヌとピエールの関係はあまりよくないのだが、これはピエールが今一ついけ好かない人(という風に演出される)だという以上に、ピエールはマドレーヌから母親として受け取りたいものを十分に受け取ってこなかったということ、2人の関係の顛末は、今までの人生に対するペナルティみたいなものだということが垣間見える。基本的にマドレーヌに対して肯定的な描き方なのだが、この点に関しては、美味しい所取りはできないよ、と示しているようでもあった。ディアーヌが母親に協力しようと決心するのは、ピエールが与えられなかったものが、彼女には与えられていたからではないかと思う。それがいいとか悪いとかいうことではなく、マドレーヌはそれを込みとして、自分の人生を生きることを選んだのだ。
 しかし、家族にわざわざ「自殺します」と前もって宣言する必要はあったのだろうかと疑問には思った。自分の意思が固い以上、遺書だけ残してこの世を去るというやり方もあるだろうし、その方が自死までの障害は少なそうだ(実際、宣言したことでピエールに家探しされて薬を破棄されるし)。家族を混乱させない為、悲しませすぎない為かもしれないが、彼女が宣言後に自死しても、種類が変わるだけで家族は悲しむし混乱するだろう。何より、彼女の願いを聞き入れたことに対する自責の念に苛まれるのではないか。彼女のやり方は、家族の理解と受容にちょっと甘えすぎたのではないかなと、家族のその後が気になってしまった。

『HiGH&LOW RED RAIN』

 雨宮雅貴(TAKAHIRO)と広斗(登坂広臣)兄弟は、1年前に姿を消した長兄・尊龍(斎藤工)を探し続けていた。ヤクザに追われる少女・成瀬愛華(吉本実憂)から、尊龍の行方と目的に関する情報を得るが。監督は山口雄大。『HiGH&LOW THE MOVIE』の続編。
 前作、映画としては出来がいいとは言い難いし色々珍妙だったのだが、一つのアトラクションとしてはありかなと思ったし、とにかく作っている側のやる気に満ちているので、ある意味面白かった。本作は、前作よりもドラマ重視になっている。登場人物を雨宮兄弟とその周辺に絞り込んだことでドラマ作りがやりやすくなったのだろうが、ちゃんとドラマをやろうとしていることで、却って前作にあった映画としては異形の面白さみたいなものは薄れてしまったと思う。前作はある種の祭り、今回はスタンダードな兄弟ドラマだからテンションのパワーダウンはやむなしという部分はあるだろう。
 ただ、こういう映画を作るのか、という面での異文化を見るような面白さはやはりある。このシリーズ、一番重視されているのは見た目がいかにかっこいいかと言うことで、話の整合性とか、リアリティみたいなものは度外視しているんだなということが良くわかるのだ。架空の町が舞台とは言え、全員一応日本語喋っており日本が舞台と思われる(総理大臣いるし)のだが、序盤の、白い十字架が立ち並ぶ墓地のシーンでさっそく突っ込みたくなった。たしかにその方が見映えはするかもしれないけれども!クリスチャンだという設定とか特になかったじゃん!お線香とか存在しない世界なんだろうな・・・。PVを繋ぎ合わせたような世界観は前作通りなのだが、ここまで「俺が考えたかっこいいやつ」を徹底していると、むしろ清々しい。
 今回、肉弾戦のアクションの見せ方の手数が随分増えたという印象を受けた。前作では集団対集団だったが、今回は人数絞られていて、アクション指導を丁寧にやる余裕があったのかも。ただ、そのアクションの撮り方はカット割りが細かすぎていまひとつ迫力に欠ける。一連のアクションを通しの全体像で見たいのにーと思ったが、演じる側の技量の問題なのかな。
 なお、斎藤工が壁ドン通り越して壁になっていたので笑った。当然斎藤のキャリアを踏まえて台詞を作っているだろうから、笑わせにきてるよな・・・。それにちゃんと応える斎藤もえらい。プロである。

『HiGH&LOW THE MOVIE』

 ある地域一帯を仕切るグループ「MUGEN」が「雨宮兄弟」と抗争を繰り広げた後、MUGENは解散、雨宮兄弟も姿を消し、「山王連合会」、「White Rascals」、「鬼邪高校」、「RUDE BOYS」、「達磨一家」という5つのグループが頭角を現す。グループの頭文字を取り、この一帯はSWORD地区と呼ばれるようになった。かつてMUGENのリーダーだった琥珀が戻り、雨宮兄弟も長兄を探しに姿を見せる。更に海外マフィアもうろつくようになり、SWORD地区に不穏な空気が漂い始める。監督は久保茂昭。脚本は渡辺啓・平沼紀久・Team HI・AX。とにかく登場人物が大量、かつおそらく製作側が深く考えずにぶっこんだであろうネタが満載なので脚本の皆様にはご愁傷様ですとしか・・・。むしろよく2時間にまとめたな。
 日本人って、限定されたエリア内での派閥争いみたいなネタがほんと好きなんだろうな。学園ヤンキーものにしろヤクザものにしろ、その世界の中だけ、という特色が強いと思う。本作もある地域をいくつかの勢力が分割統治するようになって小競り合いを続けている、という過去のマンガやアニメで何度も見てきた設定。そして、設定の上に物語があるのではなく、思いついた設定をとにかく詰め込んだ結果、物語があるかのように見える、という奇妙な構造になっている。確かにキャラクターそれぞれの特徴とか、この人とこの人はこういう関係で、というエピソードの提示はあるのだが、それは全て設定の一つで、物語が稼働しているというわけではない。設定量が多い奴が強い、みたいな感じなのだ。一般的なドラマ映画を見るつもりで見ると、すごく不思議な感じがするのではないだろうか。
 ただ、映画ファンの間では珍妙だと言われているみたいだが、そこまで奇妙な印象は受けなかった。2クールくらいのTVアニメの総集編を劇場版として公開するパターンって、ちょっとこういう雰囲気だよなぁと思ったので、むしろ実写映画よりもアニメ(TVアニメ)を見慣れている層の方が違和感なく見られるのかもしれないなぁ。ただ、総集編として見ても退屈は退屈なのだが・・・。そんなに演技が上手くない出演者も多いし、セリフも薄っぺらく盛り上がりにも欠ける(そもそもドラマとしての盛り上がりがない)。
 設定の連打みたいな作品でキャラクター数もとにかく多いのだが、逆にこの設定にどんな素材でも乗っけていけるんじゃないかという気もする。商品展開がとってもやりやすそう。グループ分けされているのとかキャラソン作れるのとか、グッズ展開や関連音源販売にも便利そうだなぁと感心した。何しろキャラクター=出演者が元々歌って踊れる人たちなんだから、これは強い。作り方、見せ方、売り方全てが物量戦。明らかに結構予算がかかっているのだが、予算かけて作る映画って、今はこれなんだなー。
 ちなみに、キャラクターの見せ場への特化ぶりと一般的な(ドラマ)映画としての文脈の無視加減、ある意味キンプリ(KING OF PRISM by PrettyRhythm)に似ていると言えなくもない(というかキンプリの方がまだしもドラマ性がある・・・)。ヤンキーとオタクの親和性を再確認してしまった。でも、だったら2次元でやってよと思わなくもない。

『X-MEN:アポカリプス』

 『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』、『X-MEN:フューチャー&パスト』に続く、X-MEN前日譚シリーズ3作目。人類の文明発祥より以前から存在し、神として世界を支配していたものの、人間によってピラミッドの中に閉じ込められたミュータント・アポカリプス(オスカー・アイザック)。数千年の眠りから目覚めた彼は、世界に新たな秩序をもたらし支配する為、人類文明の一掃を計画する。彼の存在に気付いたプロフェッサーXことチャールズ・エブゼビア(ジェームズ・マカヴォイ)とミスティークことレイブン(ジェニファー・ローレンス)は計画阻止に立ち上がる。一方、普通の人間として家庭を築いていたマグニートーことエリック・レーンシャー(マイケル・ファスベンダー)を悲劇が襲う。監督はブライアン・シンガー。まず最初に気付いたのが、私は未だにマイケル・ファスベンダーの顔を認識できていない!散々見ているはずなのに毎回初めて見る人のような気がする・・・なぜだ・・・。
 私はX-MENシリーズの最初の2作くらいは結構好きなのだが、以降、特にファースト・ジェネレーション以降はいまひとつ乗れず、世間ではこんなにきゃあきゃあ盛り上がっているのに何か悔しい!ともやもやしていた。今回こそこの波に乗れるか、と思っていたけどやっぱり駄目だった。無念である。ファースト・ジェンレーションは学園ドラマのノリが苦手、フューチャー&パストは歴史改変SFとしていじりすぎ(そもそも映画のX-MENシリーズ自体、キャラクターの方向性や設定等微妙にずれこんできているので)・ストーリー盛りすぎで胃もたれ感が否めなかった。今回は、ストーリー自体はフューチャー&パストに比べるとシンプルになったが、全体的に(今までもだけど)長すぎ・間延びしすぎな気がして飽きてしまった。
 また、ファースト・ジェネレーション以降はチャールズとエリックの関係が物語のキモになるが、関係性自体は早い段階で固まってしまっているので、以降は物語の駆動力としては弱い。毎回、えーまたこれを繰り返すの・・・という気分になった。だって若い頃から晩年まで距離感ほぼ変化ないもんな!チャールズとエリックのキャラクターに愛着がないと見る側のモチベーション維持できない気がする。私はどちらもあんまり好きじゃないんですよ・・・(特にチャールズ。こいつエリックより全然性質悪い・・・)。
 唯一フックになっていたのは、レイブン=ミスティーク。チャールズともエリックとも共に歩めない彼女は、単独で虐げられているミュータントを助けていた。ミュータントの間では英雄扱いだが、自身ではそれを否定する。そんな彼女が、若い世代の為にあえて英雄であることを引き受けようとしていく。おそらくリーダーや教育者は柄でもない彼女が、腹をくくっていく様がいい。これは演じたローレンスの力が大きいのだと思う。その時々の感情の揺らぎがわかるのだ。

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ