3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

映画題名わ行

『ワンダーウーマン1984』

 1984年のアメリカ。人間よりも遥かに長寿で超人的な力を持つスーパーヒーロー・ワンダーウーマンとして人助け励むダイアナ(ガル・ガドット)は、スミソニアン博物館で働く考古学者という身分を隠れ蓑にしていた。ある日、博物館に願いをかなえるという伝説のある石が持ち込まれる。鉱物学者バーバラ(クリステン・ウィグ)もダイアナも伝説を本気にはしなかったが、実業家マックス(ペドロ・パスカル)が密かに石を持ち出し本当に願いを叶えてしまう。監督はパティ・ジェンキンス。
 前半、いかにも80年代という街並みが映し出される。ショッピングモールでワンダーウーマンが強盗相手に大活躍するのだが、このパートは街並みや衣装、ヘアスタイルなど美術面だけではなく、モブ含め俳優たちの演技自体が80年代のハリウッド映画っぽい。オーバーアクション気味というか大味というか、あーこういう映画TVで(というか「午後のロードショー」で)見たことある…というよくわからない懐かしさを感じた。その懐かしみまで製作側の計算の内だったらすごいのだが、本作全体的にそういうノリで、よくも悪くも大味・大雑把。バーバラとダイアナの関係(コンプレックスと憧れから反転しての敵意なんて盛りのいいネタなのにあ!)や、マックスのキャラクター性、「真実」の声の使い方など、掘り下げようと思えばどんどん掘り下げられる要素が色々あるのに、全部ざっとさらいましたよくらいの扱い。ストーンの「願いをかなえる」ルールについても大雑把すぎて、今のはアリなのか?他の願いとの矛盾がどんどん増えるけど大丈夫?どの水準なら「叶えた」認定になるの?等々気になることが多すぎ。特に敵ボスであるマックスのキャラクターがいまいち立ち上がってこず、何が動機で何をどうしたいのかぼんやりしている。彼の生い立ちからくる欲望なのだと終盤に提示されるものの、取ってつけたみたいで、これまた勿体なかった。悪役に魅力がないというのはヒーロー映画としては片手落ちな気がする。
 何より、スティーブ(クリス・パイン)の使い方があまりよくない。ある経緯で復活する彼だが、ダイアナの背中を押す為だけの装置になってしまっているように思った。前作ではダイアナとの関係を一から築いていくというストーリーがあったので一人の人間としての彼の姿が立ち上がってきたし、彼にとってのストーリーの側面もあった。が、本作ではダイアナ側のストーリーのみで、彼の事情というのはほぼない。フィクションの中の生き死にはどんなものであれストーリーの為の装置にすぎないということはできるだろうが、あまりに安易に使われるとちょっと冷めるし寂しい。一作目と逆転した着せ替えシーンなど楽しい所もあるのだが…。
 なお、ダイアナの衣装が全て素敵だった。着られるものなら自分でも着たくなる。

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『わたしは金正男を殺していない』

 2017年2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、北朝鮮の最高指導者・金正恩の異母兄・金正男が殺害された。マレーシア警察が逮捕した容疑者は若い女性2人。世界中に衝撃が走ったが、彼女らはとても「暗殺者」とは思えず北朝鮮との接点もありそうにない人物だった。監督はライアン・ホワイト。
 最近の事件だし、報道された内容が映画や小説のような劇的かつ謎の多いものだったが、容疑者逮捕の後の展開を追った本ドキュメンタリーは、更に「まるでフィクション」のような話。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。容疑者として逮捕されたインドネシア人のシティ・アイシャとベトナム人のドアン・ティ・フォンは一貫して無実を訴えた。彼女らは「いたずら動画」撮影のキャストとして仕事を頼まれ、相手が金正男だとは全く知らなかったし自分たちが持たされたのが劇薬だとも知らなかったと言う。当時、メディアでもこの辺りは報道されており、暗殺にしてはあまりに脇ががばがばだし容疑者たちは無防備だし、本当に何も知らないんじゃないかな?と思ったものだった。本作は彼女らの弁護士、北朝鮮に詳しイジャーナリスト、地元メディアの記者(マレーシアはマスコミに対する政府の統制が厳しく、ローカルメディアの方が動きやすい面もあるんだとか)らのコメント、様々な図解やシュミレーションから、事件を再構成し迫っていく。この過程がサスペンス映画ばりにスリリングでとても面白かった。
 マレーシア警察の動きが妙に鈍く、北朝鮮の関係者に対する捜査は何らされないまま出国させてしまったという経緯追求されていく。マレーシア政府は北朝鮮との取引の為に工作員を見逃したのではないかという。シティとドアンは工作員のコマで、本当に何も知らなかったのではという線が傍目にも濃くなっていくのだ。しかしマレーシア政府は面子の為に彼女らを犯人にしておきたかった。国の目的の為には個人の尊厳・命(マレーシアは死刑制度があるので殺人罪で有罪になったら確実に死刑になる)はどうとでもなる、ということを実演してしまっているのだ。ドアン、シティが「自分たちは軽く扱っていい人間だと思われていたということがショックだった」というのだが、これが痛切だった。彼女らは2人ともマレーシア人ではなく、言葉も流暢ではないし、人脈もお金もない。反論し身を守ることが難しい立場にあり、工作員も国家も、そこに付け込んだと言える。彼女らの弁護士も、マレーシアの司法制度とは何なのかと漏らす。北朝鮮の工作の強引さも恐ろしいのだが、一見法治国家であるマレーシアの闇を垣間見てしまった感がある。しかもこういう傾向は、マレーシアに限ったことではないのだろう。


『ワイルド・ローズ』

 スコットランド、グラスゴーに暮らすシングルマザーのローズ(ジェシー・バックリー)は、カントリー歌手として本場アメリカ、ナッシュビルに行くことを諦められずにいる。彼女の強い思いは、時に母親や幼い2人の子供を傷つけてしまう。大きなチャンスを目の前にしたローズは思い悩む。監督はトム・ハーパー。
 ローズが刑務所から出所するところから始まるので、えっそういう話なの?!と少々びっくりするけど、その後披露される彼女の喧嘩っ早さや歌うことに対する衝動の強さ、動物的とも言える行動原理は、確かにトラブルを招きやすいだろうなとわかってくる。一方で、久々にクラブのステージに立ったローズのパフォーマンスからは、歌声にもキャラクターにも人を引き付ける個性があることがわかる(バックリーの歌唱がすごくいい!ちょっと野太い感じにぐっときた)。
 ローズにとって歌うことは生きることにも等しいが、それゆえに歌うことと生活の両立しなさが苦しい。経済的にはもちろんだが、子供たちを最優先に出来ない苦しさがきつい。自分の母親に任せっきりだったとは言え、ローズは子供たちを愛しており、やろうと思えば「ちゃんとした母親」をやれる力もある(一念発起してからの部屋の整い方は、家事全般基本的にできる人のものだよな…)。しかし、それをやり続けると彼女が本来生きたい道は閉ざされていく。ただ、母親が「責任を持ってほしかったけど希望を奪うつもりはなかった」と言うように、両方あっていいのだ。
 本作、困難な状況にあるヒロインがハードルを越えて夢を掴もうとするという古典的なストーリーだが、ちょっと新しい、「今」の作品だなと思う点がいくつかあった。この責任と希望と両方正しいという点もその一つ。あれかこれか、ではなく、何とかして両方それなりに成立させていくことが是とされる。また、夢を追うというと故郷・家族を捨てるというイメージがあるが、そこも別に捨てなくていいのでは?と提示される。ローズはちょっとレトロなところがあって、カントリーをやるならナッシュビルに行かないとならない(まあグラスゴーでカントリーというのはかなり変わっているんだろうけど…)、有名になるにはラジオ局に手紙を出し続けなければならない、と思い込んでいる節があるが、それこそ「メールを出す」ことだって出来る。夢のかなえ方、生き方が一様ではなくなっているし、あれかこれかの二択の世界ではなくなっているんだ、色々やれるんだという話にも思えた。
 なお、シンデレラガール的なお話だと、ヒロインを引っ張り上げる男性が往々にして登場するが、本作でローズを助ける、あるいは反発するのはほとんど女性。ボーイフレンドらしき男性は出てくるが、ほぼセックスのみだし、あこがれのDJもアドバイスをくれた程度。具体的な助けになるのは母親であったり、ご近所の女性であったり、仕事先の女性であったりする。これもまた現代的かなと思った。

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『わたしは光をにぎっている』

 長野県の湖畔の町に住む20歳の宮川澪(松本穂香)は、両親を亡くして祖母と2人、民宿を切り盛りしていた。しかし祖母が入院することになり、民宿を畳むことに。父の親友だった涼介(光石研)を頼って上京するがアルバイト先をすぐにクビになってしまう。涼介が営む銭湯を手伝ううちに、澪は東京での生活に慣れていく。監督は中川龍太郎。
 澪のもったりとした動き、言わなくてはならないことを言い出せずぐずぐずしてしまう様には、ちょっとイラッとさせられる。しかし、銭湯が自分の居場所になりやらなくてはならない仕事がはっきりしてくると、おどおど感は消えてくる。ここならばいていい、という場所がある、役にたっているという手応えで人は安定していくものなんだろうな。一度そういう体験をすると、次につまづいても転ばなくてすむ、また転んでも起き上がるのに時間がかからなくなるのだと思う。銭湯を畳まなくてはならないと知らされた彼女が出す結論は清々しい。澪は実家の商売を無くして上京し、そこで新しい仕事と居場所を得るが、それもまた失っていく。それでも暗い気持ちにならないのは、彼女がまた歩き出せるしこういうことを繰り返してもたぶん大丈夫になったろうと思えるからだ。
 東京の下町(立石だったか?)のごちゃごちゃした街並みが、そういう場所に住んだことはないのに何でか懐かしい。しかしそれは再開発により失われていく風景だ。とは言え、そこに住んでいる人たちの暮らしは風景が変わっても続いていく。「続いてしまった」涼介のマンションでの暮らしがわずかに垣間見えるのだが、これが何とも切なかった。迷子のようなのだ。冒頭、文字通り迷子になっていた澪のその後とは対照的だった。
 ほのかに寂しくほろ苦いながらも、さわやかな佳作。ただ脚本はちょっと安易な所が気になった。すっぽん鍋の位置づけや、その場で処女云々持ち出すところは大分古い感覚だと思う(同性同士でもあれはセクハラだよな)。また、帰省の際に湖に入っていくシーンも月並みというか、今時このテンプレをやる人がいるのかという感じ(その後の夢の中で遊覧船に乗るシーンはすごくいいだけに残念)。また、覗き犯のおじいちゃんの処遇について澪が疑問をなげかけた時に、涼介が「お客さんのことを想像して」と言うが、じゃあ覗かれた女性客はその「お客さん」に含まれていないの?と。あれ、年齢性別関係なくやられたら怖いと思うんだよね。

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

 1969年のハリウッド。テレビ俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)はキャリアのピークを過ぎ、映画スターへの転身を図っていた。リック専属のスタントマンで付き人も兼ねるクリス・ブース(ブラッド・ピット)とは強い絆で結ばれていた。ある日リック宅の隣に、時代の寵児となった若き映画監督ロマン・ポランスキーと、その妻で女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してくる。やがて1969年8月9日が訪れる。監督・脚本はクウェンティン・タランティーノ。
 題名の通り、昔々ハリウッドでは・・・というタランティーノ流おとぎ話で、スタイルとしては『イングロリアス・バスターズ』に連なる。実在の人物が登場し、実際にあった事件を扱っている(本作を見ようと言う人は大体シャロン・テートとマンソンファミリーのことは知っているんだろうけど、事前におさらいしておくことをお勧めする)。その上での力技だ。映画はハッピーエンドでなければ!というタランティーノの祈りと言えるのだろうが、実在の人物の関係者はどのように感じるのかは微妙な所ではないか。また、実際に起こったことに対するアプローチとして誠実なのかどうかがちょっと何とも言えないんだよな・・・。映画としてはすごくいいんだけど、当事者じゃないからそう思えるという側面がかなりあるんじゃないだろうか。クライマックスで無理やりファンタジーの勝利に持ち込む力技は清々しい。せめてここでだけは、というタランティーノの映画というフィクションに対する愛と祈りが込められているように思う(が、前述の通り関係者がどういう風に思うかはわからないよな・・・冒涜になりかねないとも思うし)。
 とはいえそれ以上に、俳優という職業の悲哀と歓びが濃い陰影を残す。リックは西部劇TVドラマのスター俳優だが既にピークは過ぎており、落ち目。思い切ってイタリアに渡り映画俳優への道を選ぶか、ハリウッドでの仕事で粘るか、俳優を引退するかという選択を迫られている。自分の人生だけではなく専属スタントマンであるクリスの人生もかかっているわけで責任重大だ。演じる役柄はタフガイが多いが当人はどこか気が弱く思い悩みがちというギャップがおかしくも哀しい。泣きごとをいいつつ、やはり演じること、俳優という仕事が好きなんだと痛烈に感じられるシーンがあり、ぐっときた。やめられないんだろうな。
 一方でクリスはいつもクールで動じず、リックが泣きついても平然としている。とはいえ、「(リックの友人であろうと)努力している」という言葉からは、リックとの関係の中でその態度が培われたとのかなとも思え、その献身に泣ける。本作のブラッド・ピットがまたえらくセクシーでちょっとびっくりした。若い頃は自分の中で全然ぴんとこなかったのに、ここにきてヒットしまくるな・・・。

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『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』

 アメリカの捜査官ルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)は、因縁浅からぬイギリスの犯罪者デッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)と無理やりコンビを組まされ、ある指令を受ける。政府の研究組織から盗まれた新種のウイルスを奪還しろというのだ。ウイルスを盗んだ容疑者はイギリスのエージェントでショウの実の妹であるハッティ(バネッサ・カービー)。しかしそれはウイルスを入手しようとするテロ組織が仕組んだ罠だった。ホブス&ショウは組織が擁する強化人間ブリクストン(イドリス・エルバ)と対決する。監督はデビッド・リーチ。
 私はワイルド・スピードシリーズは好きだし、このシリーズに精緻なシナリオや細やかなドラマを求める気は毛頭ない。が、本作はそれにしてもちょっと雑すぎないか。シリーズのスピンオフ的な立ち位置ではあるが、過去作でのホブス一派とショウの因縁が(仲間を殺されているわけなのに)あるはずのなのに反目は口だけという感じで、双方深く内省しているわけではない。また、ホブスとパートナーが都合よく別居しており、これまた都合よくハッティとロマンス的雰囲気になるのもいただけない。無理やりお約束展開を持ちこもうとしているように見える。
 何より、本作で描かれる「ファミリーの絆」は、これまでのシリーズで描かれたものよりも後退し、保守的なものになっているように思った。そもそも家族という概念が保守的なんだと言えばそれまでなのだが、これまでのシリーズでは血縁による家族だけでなく、共に生きる仲間を「ファミリー」としていた。しかし本作では血縁による家族こそが帰るべき場所、という方向になってしまった。ショウのご家庭の事情は前作で既に明らかになっており、これはこれで微笑ましく楽しい(お母様最高だしな)。しかしホブスの家族はそこか?!これまでファミリーファミリー言ってたのは何なの?!と裏切られた気持ちになってしまった。彼の実家の事情がいきなり明らかになるのも苦しい展開だった。今までそんな描写あったっけ・・・?
 ホブスとショウの喧嘩するほど仲がいい、理想のケンカップルみたいな関係は確かに楽しいし可愛いのだが、あまりにテンプレすぎてちょっと気持ちが乗って行かなかった。それぞれのキャラクターは好きだし、2人の対称的なライフスタイルを画面分割で見せていく序盤もいい(かっこいいかというと微妙だが)んだけど。ただ、ステイサムのアクション演出はかなりいいシーンがあった。敵アジトでの密室1対複数名はユーモラスな演出もされており楽しかった。ステイサム、本当に体が動く人なんだな・・・。


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『ワイルドライフ』

 1960年代、モンタナ州の田舎町に住む14歳のジョー(エド・オクセンボールド)。父ジェリー(ジェイク・ギレンホール)は働いていたゴルフ場をクビになってしまった。母ジャネット(キャリー・マリガン)はスイミングプールで働き始め、ジョーも写真館でアルバイトするように。就職活動もしないまま、ジェリーはジャネットの反対を聞かず山火事を消化する出稼ぎに行ってしまう。ジャネットは不安と孤独にさいなまれていく。監督はポール・ダノ。
 試写で鑑賞。俳優ポール・ダノの初監督作で、脚本・制作はゾーイ・カザンと共同だそうだ。ダノは監督としてもセンスいい!奇をてらわない地味な作品だが、抑制のきいた情感があってとてもよかった。
 それにしてもしんどい話だ。ジェリーもジャネットも基本的に良い人、良い親ではあるのだが、自分達の心・環境が揺れている時もそれを維持していられるほどには強くない。14歳の子供にとって、親の弱い面を目の当たりにするのはかなり辛いし、どうしたらいいのかわからないだろう。彼にとっては愛する両親、自分を愛してくれる両親なのに、どんどんそれに当てはまらない面が見えてくる。ジョーは概ね途方に暮れたような顔をしているのだが(オクセンボールドの表情の作り方が素晴らしい)、それも無理ない。
 いわゆる「男性らしさ」に絡め取られている故の妙なプライドをこじらせ家族から離れてしまうジョー、生活の不安から裕福な男性にすがってしまうジャネット。2人とも、その気持ちわからなくはないけれどもうちょっと一人で踏ん張れないだろうか・・・という気持ちになってしまった。一人で踏ん張るのは確かに辛い。が、子供の前で見せてはならないものがあるだろう。ジョーがもうすこし年長だったら親も「親」としてではない顔を併せ持つ一個人だと受け入れられるかもしれないが、まだそれには早い。ジャネットが浮気相手の家にジョーを同行させる(そして息子の前でいちゃつく)のにはちょ、ちょっと待って・・・と。そりゃあジョーも接し方分からないだろう。ジェリーはそういう面は見せないが、その代わりに親・夫としての責任から逃避してしまう。どっちもどっちだ。
 自分を保てない人と生活する辛さをしみじみと感じさせる作品だった。家族仲の円満、不和は経済的な問題から生じることが多々あると実感させるのもかなりきつい。経済的不安は精神状態悪化させるんだよな・・・。

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マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ (ヴィレッジブックス)
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『私の20世紀』

 エジソンが電球を発明した1880年。ハンガリーのブタペストで、リリ、ドーラと名付けられた双子の女の子が生まれた。孤児となって2人は生き別れ、ドーラ(ドロタ・セグダ)は華麗な詐欺師、リリ(ドロタ・セグダ二役)は不慣れな革命家になっていた。2人は偶然、オリエント急行に乗り合わせる。監督はイルディコー・エニエディ。
電気の発明は映画の発明につながっていく。が、まだ「シネマトグラフ」がまやかしと見られていた時代。2人の女性はZなる男性と出合い、Zは2人は同一人物だと勘違いして恋心を抱く。ファンタジー的な、電気の歴史をおとぎばなし化したような、シネマトグラフのいかがわしさと少女漫画の可愛らしさ、ロマンティックさが混ざり合っている。メリエスの映画など映画の原初を連想させるような演出があちらこちらにある。過去の映画のアーカイブ的でもあった。
 双子の数奇な人生が描かれるが、彼女らの人生はマッチ売りの時点で終わっており、大人になった2人の人生は彼女らが僅かな間に見た夢、ないしは並行世界のバリエーションのようにも見えた。あったかもしれない人生がモノクロの夢として再生されているようで、どこかあの世感がある。ただ、誰かのあったかもしれない人生という側面は、映画が本来持ち合わせている要素の一つでもあると思う。そういう意味ではとても映画らしい映画と言えるのでは。
 作中、女性の自我について憤懣やるかたない講義がなされる。女性は生殖と性の本能で生きており知性や論理的な判断力はないというものだ。もううんざりするようなものなのだが、当時の女性についての認識ってこういうものだったんだよなー。ドーラとリリが恋するZも、彼女らをこういった存在として扱う節がある。性愛に流されやすく弱い存在として舐めてかかっているのだ。現代からするとちゃんちゃらおかしい、という文脈で見せたかったのだと思う。が、本作ではそもそもドーラとリリがかなりテンプレート的な「女性」として描かれているような気がして、ちょっと齟齬が生じているように感じた。

心と体と [Blu-ray]
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オデッサ・エンタテインメント

『若おかみは小学生!』

 小学6年生の関織子、通称おっこ(小林星蘭)は交通事故で両親を亡くし、祖母・峰子(一龍斎春水)が経営する老舗旅館「春の屋」に引き取られる。旅館には少年の幽霊ウリ坊(松田颯水)や子鬼の鈴鬼(小桜悦子)が住みついており、おっこだけは彼らを見て、話をすることができた。若女将を目指して宿の手伝いを始めたおっこは、幽霊たちやライバル旅館の跡取り娘・秋野真月(水樹奈々)と接するうちに少しずつ成長していく。原作は令丈ヒロ子・亜沙美(絵)による児童文学シリーズ。監督は高坂希太郎。
 やたらと評判がいい割には上映規模がすぐに縮小されそうなので、慌てて見に行った。見てよかった!子供はもちろん、大人も楽しめる良作アニメーション。吉田玲子による脚本が大変しっかりしており、物語の軸がぶれない。題名から、小学生が女将として働く!働くことで居場所が出来るような話だとちょっと嫌だなぁと思っていたのだが(こと子供に関しては、労働と居場所・自己肯定がトレードされてはいけないと思うので)、そういった側面はそれほど強くない。おっこが旅館の仕事の大変さや面白さに気付いていくという要素はあるが、仮におっこが女将を継ぐと宣言しなくても、彼女の居場所は周囲と接するうちに出来ていくだろうと思える作りなのでほっとした。
 本作のキモは働くことよりもむしろ、おっこが家族の死とどう向き合い、受け入れていくかという所にある。おっこと不思議な友人たちのドタバタは楽しいのだが、ずっと伏線として事故の記憶がある。いわゆる喪の仕事と言えるだろう。そして、おっこにとっての喪の仕事の裏側には祖母にとっての喪の仕事もある。彼女もまた、娘夫婦の死に深く傷ついているのだ。おっこの(ウリ坊に強要されたものとはいえ)若女将発言を受け入れてしまうのも、彼女自身が何かよすがになるものを切実に必要としていたからではないかと感じた。
 物語のスタートが意外とヘビー、かつちょっと生々しいので、子供にはショックかもしれないなと思った。同時に、死者との近しさは子供(小学校中学年くらいまで)にはあまりぴんとこないのかもしれないとも(劇場内の反応を見ていて)思った。子供にとっては、具体的に側にいてくれないというのは一人ぼっちにされるのと同じことなのではないかなと。おっこも多分、当初はそう感じていたのかもしれない。ある程度成長したからこそ、いなくなった人達と自分との関係を捉えなおすことができるのだろう。
 なお、おっこの同級生でありライバル的存在の真月のキャラクターが最後までブレない、デレないところがとても良かった。彼女は自分の主義主張としてあの服装なのであり、おっこ言うところの「普通」におもねる必要はないだろう。
 脚本がしっかりしており、作画も非常によい。オーソドックスな演出がきちんとされており、かつカメラの動かし方がアニメーションとしてはユニーク(つまり作画がすごく大変そう・・・)なシークエンスが目立った。ただ難点として、キャラクターデザインの方向性が統一されていない印象を受けた。おっこやウリ坊、祖母や旅館の従業員達は同じ方向性のデザインと思えるが、おっこの両親はいわゆるジブリ系、幽霊のみよは90年代の萌えキャラ風テイストが入っており、ベクトルがちょっとちぐはぐ。特にみよのデザインは少々古い印象を受けた。


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『若い女』

パリで暮らす31歳の女性ポーラ(レティシア・ドッシュ)は10年付き合った恋人に振られて家を追い出され、お金も仕事もない。恋人の飼い猫ムチャチャを道連れに安宿や友人の家を渡り歩いていた。ようやく住込みのシッターの仕事を見つけ、ショッピングモールの下着店でも働き始めるが。監督・脚本はレオノール・セライユ。第70回カンヌ国際映画祭カメラドール受賞作品。
 ポーラのじたばたする様、自分をコントロールしきれずあとからあとからボロが出る様はかっこ悪いしみっともないのだが、何だか嫌いになれない。むしろ映画の女性主人公としては新鮮で引きつけられた。お友達にはあまりなりたくないタイプだが、どうかすると応援したくなってしまう。
 この嫌いになれなさ、ポーラの行動が「この年齢の女性ならこうするべき」「この年齢の女性ならこうあってしかるべき」という社会規範をガン無視しているところに所以するのかもしれない。ポーラは31歳で、世間的には仕事もし社会性も常識も備えているはずの立派な大人と言えるだろう。でも恋人に締め出されて泣きわめくし、猫は勝手に連れて行くし、まともに働いたことがない(学生時代に講師だった恋人と出会い、実家が裕福、かつプロカメラマンとしてブレイクした彼に養ってもらっていたらしい)。採用面接での彼女の受け答えは挙動不審かつ嘘ばかりだし、シッターのアルバイト先では「もっと若い人かと思ったわ」と雇い主に言われてしまう。シッター先の子供からも大人というよりも仲間扱い。やりたくないことはやりたくない、出来ないことは出来ない、欲望には忠実でいるという彼女の生き方は、正直と言えば正直。周囲には嘘ばかりつくが、自分には正直だ。
 恋人は彼女に成長しろ、成熟しろと言うのだが、そもそも成長や成熟って何だ?というのが彼女の言い分ではないか。彼女の行動には計画性はなく行き当たりばったりで、この手の話にありそうな「成長」や「気付き」を得る気配も希薄。唯一、疎遠だった母との関係が気持ち改善されるが、それも修羅場を経てだし(31歳はなかなか親と物理的に格闘ってしないから・・・)、結果も曖昧。そのなるようにしかならない、「大人」というカテゴリーでひとつにくくれない感じが時代の気分と合ってたように思う。

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