3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名ら行

『ルージュの手紙』

 パリ郊外に住むクレール(カトリーヌ・フロ)の元に、長年音信不通だった元義母のベアトリス(カトリーヌ・ドヌーブ)から連絡が入る。重要な話があるから会いたいと言うのだ。30年前、ベアトリスが家を出て行った後に父親は自殺し、クレールは彼女を許せずにいた。しかし、脳腫瘍を患っているというベアトリスを放っておけず、不承不承付き合うようになる。監督はマルタン・プロヴォ。
 クレールは助産師という仕事にも、これまでの自分の人生にも誇りを持っている。地に足の着いた生活をする彼女には、破天荒で感情の赴くままに生きるベアトリスのやり方は理解できない。生活者として生き生きとするクレールと、放蕩者として生き生きとするベアトリスは対称的だ。しかし2人の間には、何か通じ合うものが生まれてくる。かつて短い時間とは言え母娘であったから、父親=夫という2人が愛し合た存在があったからというのは一因にすぎないだろう。むしろ、それぞれのやり方で人生を楽しんでおり、相手の人生を尊重しているからではないだろうか。クレールはベアトリスの食生活や喫煙等生活習慣に色々口出しするし、ベアトリスはクレールの野暮ったい服装やストイックな食生活に難癖つけるが、ある一線以上はお互い踏み込まない。口出しはするが、相手を否定するようなことは言わないという大人の振る舞いだ。ベアトリスはずうずうしく振舞うが、一線は弁えているように思えた。
 この距離感の保ち方は、クレールと恋人(らしき)ポール(オリヴィエ・グルメ)の間にも言える。ポールは親切で色々とクレールの世話をやいてくれるが、彼女が踏み込んでほしくなさそうな部分には踏み込まない。クレールはポールに好意は持っているが、常に一緒にいてほしいわけではないだろう。それぞれ自分の生活があり、お互い都合がつくときに一緒に過ごすというスタンスの無理のなさが好ましい。クレールは節制したきちんとした生活を好むのに、自由人ぽいポールと付き合っているしポールの生活態度についていちゃもんつけたりしない。それはそれ、これはこれ的な、領域の重なる部分と重ならない部分をちゃんと見分けている感じがして面白かった。

ヴィオレット ある作家の肖像 [DVD]
エマニュエル・ドゥヴォス
ポニーキャニオン
2017-07-05


クロワッサンで朝食を [DVD]
ジャンヌ・モロー
ポニーキャニオン
2014-02-04



『ラブラバ』

エルモア・レナード著、田口俊樹訳
 元シークレット・サービスの捜査官で、今では写真家のジョー・ラブラバは、12歳の頃の初恋の相手である、元女優のジーン・ショーと知り合う。ジーンとの出会いに心浮き立つラブラバだが、彼女は厄介な男たちに目を付けられていた。アメリカ探偵作家クラブ最優秀長篇賞を受賞した作品の、新訳版。
 ラブラバは一見呑気でピントがずれているが、実は頭がきれ腕っぷしも強いという、なかなかのチートキャラ。都合が良すぎるチートぶり(経歴が結構すごいもんね・・・)もレナードの軽口をたたくような軽妙で洒脱、しかしクールすぎない文体だと違和感を感じない。世界観の統一がされているということだな。ラブラバの、頭はきれるが基本的に人が良く、特に女性に対しては脇が甘い所も、やりすぎ感を抑えている。ラブラバの中の客観的で冷静な部分と、自分が信じたいものを信じたいという情の部分のせめぎ合いが、本作を単なる「クール」ではなくしていると思う。
 本作、’40年代フィルムノワールへのオマージュに満ちていて、固有名詞をわかる映画好きにはより楽しいのでは。ジーンがどのような女優なのかということも、よりわかる(そこが辛い)はず。引退したとはいえ彼女はやはり女優で、「映画」をやりたいのだ。事件の謎は中盤で明かされてしまうが、謎解きは本作の重点ではない。女優として生きるジーンと、それに対するラブラバの配慮が泣かせるのだ。ラブラバは信じたいものを信じようとしても真実に引き戻されるが、ジーンは自分が見せたいものに殉ずるようでもあった。夢に生きてこそのハリウッドの住民ということか。
 悪役として登場するノーブルズとクンドー・レイの珍道中もいい。ノーブルズの言動は頭が悪いのに結構怖い。中途半端な悪人、かつ思い込みの激しさ故の怖さがあるのだ。



グリッツ (文春文庫)
エルモア レナード
文藝春秋
1994-01

『リュミエール!』

 1895年12月28日、撮影と映写の機能を持つ「シネマトグラフ」で撮影された映画『工場の出入り口』などが上映された。撮影したのはシネマトグラフの発明者でもあるルイ&オーギュスト・リュミエール兄弟。本作はリュミエール兄弟が撮影した短編映画で構成された、「映画の父」へのオマージュ作品。監督はリュミエール研究所のディレクターを務めるティエリー・フレモー。
 1895年から1905年の10年間に撮影された1422本の短編映画(1本約50秒)のうち、108本から構成された本作。有名な『工場の出入り口』はもちろん、リュミエール社のカメラマンによって海外で撮影された映像も含む。リュミエール兄弟(とリュミエール社)の作品を纏めて見られる機会はなかなかないと思うので、貴重な1作なのでは。なお映像は4Kデジタルで修復されており非常にクリア。一見の価値はある。
 「映画」は最初から「映画」なんだな!と『工場の出入り口』を見てちょっと感動した。題名の通り、工場の門から工員たちが出てくるだけの映像なのだが、これは「映画」だなと思わせる何かがある。しかもこの作品複数バージョンがあるのだが、バージョンが進むにつれ全体の構造がより「映画」的な、最後にちゃんとクライマックスが用意されたものになっていくのだ。リュミエール兄弟は最初から映画はこういうものだ!という風には考えてはいなかったろう(そもそも映画という概念がまだなかったはず)。しかし、最初から映画のセンスを持った人たちではあったんだろうと思う。奥行を意識した構図、対象物の動き、カメラの移動といったものが、短編作品を重ねるにつれどんどん構築されていくのがとても面白かった。基本的な構造は、既に現代の映画と変わらない。
 海外での映像など顕著なのだが、知らないものを見たい・見せたいという初期衝動みたいなものに満ちている。わずか1分足らずの作品だが、熱量があるのだ。そこで動いているものをただ撮影するのではなく、動きの演出、ストーリーの付与、トリック撮影等がどんどん盛られていく。こういうこともできるぞ!という発見の連続だったのだろう。その驚き、新鮮さがちょっとうらやましい。



エジソンと映画の時代
チャールズ・マッサー
森話社
2015-04-08

『ローガン・ラッキー』

 脚が不自由なことを理由に工事現場での仕事をクビになったジミー・ローガン(チャニング・テイタム)は、イラクで片腕を失った元兵士の弟クライド(アダム・ドライバー)と一攫千金を企む。アメリカ最大のモーターイベント、NASCARレース会場に集まった現金を強奪しようというのだ。美容師でカーマニアンの妹メリー(ライリー・キーオ)も計画に加え、爆破のプロとして服役中のジョー・バング(ダニエル・クレイグ)に協力を求める。監督はスティーブン・ソダーバーグ。
 ソダーバーグの映画監督復帰第1作。小気味良い快作で、脚本(レベッカ・ブラウン)にほれ込んだと言う話にも頷ける。想像していたよりも1ターン多い感じというか、ちょっと長すぎないかなとは思ったが、登場人物が皆生き生きとしていてとても楽しかった。俳優が活かされているなぁと嬉しくなる。テイタムにしろドライバーにしろ、二枚目のはずなのに何とも言えない情けなさ、ボンクラ感を漂わせていている。また、久しぶりにチープかつ悪そうなダニエル・クレイグを見ることが出来てうれしい。刑務所の面会室で「服・役・中・だぞ」とやるシーンが妙にツボだった。ジョーはなかなかいいキャラクターで、爆破準備中に壁に化学式を書いて説明し始める所とか、見た目に寄らず几帳面で妙に可愛い。
 ローガン一族はやることなすこと上手くいかない、不幸な星のもとに生まれているのだとクライドは悲観している。実際、ジミーは失職し別れた妻との間にいる娘ともなかなか会えなくなりそうだし、携帯は通話料延滞で止められているし、色々と詰んでいる。クライドも、兄弟内で最もタフそうなメリーも傍から見たらぱっとしない。そんな彼らが一発逆転しようと奮起するので、犯罪ではあるがついつい応援したくなる。本作の語り口も、彼らの抜けている所を見せつつも、バカにしたり断罪したりはしない。意外に優しい視線が注がれている。根っからの悪人はおらず、犯罪者であっても彼らなりのマナー、良心がある。ジミーの作った「リスト」が意外とストーリーに反映されているにはにやりとさせられた。筋が通っているのだ。
 ソダーバーグ作品はクール、知的、スタイリッシュというイメージで、当人も労働者階級という感じではない(育つ過程でお金の苦労はしていなさそう・・・)のだが、泥臭い世界、お金のなさの実感、あるいはアメリカの「地方」感を意外と上手く描くし、そこに生きる人たちへの誠実さがあるように思う。本作、泥棒という要素では『オーシャンズ11』を連想するが、どちらかというと『エリン・ブロコビッチ』寄りかな。

トラフィック [DVD]
マイケル・ダグラス
東宝ビデオ
2001-12-21


エリン・ブロコビッチ コレクターズ・エディション [DVD]
ジュリア・ロバーツ.アルバート・フィニー.アーロン・エッカート
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2007-07-25

『ローサは密告された』

 マニラのスラムで、小さな雑貨店を営むローサ(ジャクリン・ホセ)一家。ある日、ローサ夫婦は麻薬の密売容疑で逮捕されてしまう。ローサと夫は生活の為に、店で少量の麻薬を扱っていたのだ。警察から恐喝まがいの麻薬売人の密告要求と高額な保釈金の要求を突き付けられたローサと家族は、自分たちの生活を守る為に奔走する。監督はブリランテ・メンドーサ。第69回カンヌ国際映画祭主演女優賞受賞作。
 舞台はスラム、ローサは麻薬の売買もする個人商店主だが、それが特別なこととしては描かれていない。麻薬を売ることも、突然逮捕されることも、密告されることも、密告を強要されることもこの土地では普通のことなのだという、画面の中の「日常」感に圧倒された。ローサたちは、別に特別なことだと思っているわけではないんだよなと。裏社会とか闇社会とか俗にいうが、裏も表もない、これが今いる世界なんだという生々しさ。裏社会とかスラムの闇とか軽々しく言ったら、ローサたちにぶっとばされそうである。彼女たちは自分たちが運が悪かったとは思っているだろうけど、不幸だとはそれほど思っていないのではないか。ここはそういう世界だから、それに応じて生きるしかない。
 フィリピンの警察怖いし酷い!につきる話でもある。腐敗しきっており、麻薬も金も応酬して横流し(警部が札束を持って訪れる先が署長室というのがなんともはや)である。公的な保安機関が自分たちを守ってくれず、搾取する一方なので一般市民の無力感が半端ない。警察とギャングとやっていることが同じだし、権力の後ろ盾がある分警察の方が性質が悪い。不条理を解決できるのはお金だけという不条理さで、法治国家って何よ、という気分になってくる。こういう社会だと、「身を守る」ということへの意識のあり方のレベルが全然違ってくるんだろうな。
 ローサを含め登場人物たちが歩く背中が、度々映し出される。映画を観る側は背中についていく感じになるが、彼らが歩いていく先には目的は異なれどお金が絡んでいる。その金が、彼らの自由をわずかながら保証するのだ。ほぼ全編誰かしらがお金を追いかけていく話なので、見ていてなんだかげっそりしてしまった。お金のことばっかり見ていると、体も心も削られていく感じが(私個人は)するのだ。





『ロスト・イン・パリ』

 雪に覆われたカナダの小さな村に暮らす、図書館司書のフィオナ(フィオナ・ゴードン)には、彼女が子供頃にパリへと旅立った伯母マーサ(エマニュエル・リバ)がいた。ある日、マーサから老人ホームに入れられそうだから助けてくれという手紙が届く。フィオナは勇気を振り絞ってパリへ旅立つが、パリのアパートにマーサはいなかった。セーヌ川に落ちたフィオナは荷物もお金もパスポートも失くしてしまい大ピンチに。更に奇妙な男ドム(ドミニク・アベル)がフィオナに一目惚れして付きまとう。監督はベルギーの道化師夫婦であるドミニク・アベル&フィオナ・ゴードン。2人は製作、監督、脚本、主演を兼ねている。
 夏休みの香りが漂う楽しいファンタジー。これはファンタジーだし少々ナンセンスなのねと、序盤で納得させる。何しろ、フィオナが旅立つ時のカナダは吹雪なのに、彼女がパリに到着すると夏なのだ。いくらなんでもカナダはそこまで北ではない。しかしこういうデタラメがとてもチャーミング。自由の女神を見上げると星が文字通り動いているというのも、味わいがある。ちょっと笑っちゃうけどロマンティックな感じがするのだ。
 映画の楽しさはやはり動きの楽しさなんだなと実感する作品だった。人の体の動きが面白い、というのはプリミティブな面白さだと思うのだが、プリミティブ故に強い。冒頭、室内に雪が吹き込むシーンはコントかよ!と突っ込みたくなるようなベタな人体表現なのだが、やっぱり笑っちゃう。また、レストランでドムとフィオナが踊る、というかドムがフィオナを躍らせるシーンは、多分演じている2人とも相当踊れる(というか体を使える)人のはずなのに、ドムが踊れないフィオナをリードして動かしているように見える、更にそれが(写実的な描写というわけではなく)一つのショーになるように見える所にプロの技を見た。体の部分のちょっとした調整具合でそう見えるんだろうけど、面白いなぁと。また、マーサと旧友とが足だけでダンスするシーンも、とても可愛らしかった。本作、セリフの量はそんなに多くないし状況の説明もあまりされない。しかし、体の動きの表現は豊かで、寡黙な印象は受けない。フィオナの性格など、歩き方だけで伝わってくる気がする。
 生真面目で臆病だったフィオナが、めちゃくちゃな目に遭ううちに段々こなれて解放されていく様に、なんだかほっとする。伯母であるマーサはむしろ大胆で自由な生き方を選ぶ人で、その片鱗が作中のそこかしこに見られておかしい(マーサのある秘密をフィオナが知ってしまったシーンなど、なんだか気まずそうで)。マーサの自由さがフィオナにも染みこんでいくみたいだ。この解放されていく感じも夏休みぽかった。そして本作の素敵なところは、夏休みがまだ終わらないというところですね!

クロワッサンで朝食を [DVD]
ジャンヌ・モロー
ポニーキャニオン
2014-02-04


PARIS-パリ- (通常版) [DVD]
ジュリエット・ビノシュ
CCRE
2009-08-26


『LOGAN ローガン』

 ミュータントの大半が姿を消した2029年。不死の力を失いつつあるウルヴァリンことローガン(ヒュー・ジャックマン)は、老いて自身の力を制御できなくなりつつある“プロフェッサーX”チャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュアート)を匿い、メキシコ国境付近で暮らしながら、リムジン運転手として働いていた。ある日ローガンは、ガブリエラという女性から少女ローラ(ダフネ・キーン)をノースダコタに送り届けてほしいと頼まれる。彼女はある組織に追われていた。監督はジェームズ・マンゴールド。
 ジャックマン演じるローガン=ウルヴァリンと言えばアメコミ原作の映画『Xメン』シリーズでお馴染み、最も人気のあるヒーローだろう。しかし本作はこれまでのXメンおよびウルヴァリンのシリーズ作品とはだいぶ色合いが異なる。これまでのシリーズとは別物でありつつ一応シリーズのキャラクターや設定は踏まえている(ローガンとチャールズの関係やチャールズの能力など、Xメンシリーズを見ておいた方がよくわかるだろう)という、間口が広いのか狭いのかよくわからない作品だ。作中でコミック本としての『Xメン』が登場し、ローガン自らコミックに描かれていることは嘘だ、作り話だと言うくだりがあるので、Xメンシリーズに対するメタフィクション的な側面もあるのか。
 ローガンにしろチャールズにしろ、明確に老いを感じさせる描写が多く、この点情け容赦ない。片足を悪くし、かつてのような治癒能力も衰えた(そして老眼鏡常備・・・)ローガンはともかく、チャールズがおそらくアルツハイマーが進み、時に脈絡のないことをしゃべり始めたりする様には、Xメンシリーズを見てきた人は愕然とするのでは。チャールズは元々、非常に知的で精神的に豊かな人という造形だったので、知性や情緒が損なわれた状態を見ているとやりきれない。とは言え、本作は辛気臭いわけではなく、殺伐とした中にも妙なユーモアが入り混じったりする。「ボケ老人」感を逆手にとったチャールズのリアクションや、車に八つ当たりするローガンの姿はどこかユーモラスだ。老人と子供を連れたロードムービーの味わいもある。
 これまでの、Xメンのヒーローとしてのウルヴァリンをある程度引き継ぎつつ全否定するような作品なので、ファンがどう受け止めているのか気になった。今までのヒーローとしての「戦い」は相手を殺すことにほかならず、人を殺したらもう元には戻れないと明言してしまう。この点を強調する為か、アメコミ映画としては異色なほど(アメコミ原作のものは大抵年齢制限がつかないように配慮されているので)血肉があからさまに飛ぶ。映画『シェーン』からの引用ではあるが、この言葉は戦い続けてきたローガンだけではなく、まだ子供であるローラもこの先背負っていくということでもある。しかしローガンはローラに対し、それでもなお生きろ、自分の人生を他人に蹂躙させるなと言い切る。こういうところが、すごくアメリカの映画という感じがするなぁと思った。自分の生は自分だけのものであり、何/誰の為に闘うかも自分が決めることだ。そういう意味では、ローガンは本作で、アメリカのヒーローとしての生を全うしたと言えるだろう。少なくともローラにとっては、ローガンはウルヴァリンであり最後までヒーローだった。
 

『LION/ライオン 25年目のただいま』

 インドのスラム街で暮らす5歳のサルー(サニー・パワール)は、兄の仕事先についていった時、停車していた電車内に入り込んで眠ってしまい、そのまま遠くの地へと運ばれ、迷子になった。家族と生き別れ孤児院に保護された彼は、オーストラリアへ養子に出される。そして25年後、養父母の元で成人し順調な人生を歩んで生きたサルー(デヴ・パテル)は、ふとしたきっかけで生母と兄のことを思い出す。わずかな手がかりからGoogle Earthを使って故郷を特定しようと試み始める。監督はガース・デイヴィス。
 予告編等事前情報からは、なぜこの題名なのかはわからない。本編を見て題名の意味がわかると、ああそうか!と深く納得する。サルーが自分の人生を発見し直すまでの、長い旅の物語だったのかと。もちろん、養父母の元で過ごした日々も本物の彼の人生だ。しかし、人生の一部であって、養子になる前の幼い頃の人生については、裏付けが取れず曖昧なままだ。忘れたままなら、それはそれで穏やかな日々だったのかもしれないが、インドの菓子を目にしたことで、断片的な記憶がよみがえり、実母と兄を放っておいたという罪悪感に苦しむことに苦しむようになる。同時に、実母を求めることは養父母を裏切ることになるのではと、二重の罪悪感に駆られるのだ。故郷を探そうとするサルーの熱意は唐突に生じるようにも、少々行き過ぎているようにも見える。実際、日常生活に支障をきたし、恋人との関係も破綻してしまう。しかしサルーにとってはそのくらい、人生の一部が失われていることは苦しいことなのだろう。
 サルーは大きな不運によって「迷子」になったが、運の良さと機転とで生き延びる。本作、サルーの幼少時代に結構時間を割いているのが意外だったのだが、まだ幼い彼がどのような道筋を辿ってきたか垣間見ることで、本当に運が良かったのだと痛感する。あからさまには描かれないが、「ルート分岐点」でもし違う道を選んだらこうなっていたかも、という姿が、他の子供達の姿を借りて現れる。あっさり描いているようでいて、闇の深さが垣間見られるのだ。
 そういう「もしも」を一番強く感じたのは、養子先での義兄・マントッシュ(ディヴィアン・ラドワ)の存在だ。マントッシュはサルーより年長だが、養子に来たのは彼の後。順調に養父母とオーストラリアの生活に馴染んだサルーとは異なり、マントッシュは養父母との関係はぎこちなく、成長してからも土地に馴染めず、自分の生活を立て直すことができずにいる(子供の頃から精神的な問題があるという描写はされている)。サルーよりもむしろ、マントッシュの人生はどんなものだったのかという方が気になった。彼にとって、養子に出されたことは果たして幸運だったのだろうか。彼は、サルーが進んだかもしれないもう一つの人生なのだ。

『レゴバットマン ザ・ムービー』

 レゴの世界でもヒーローとして活躍しているバットマンことブルース・ウェイン(ウィル・アーネッ/山寺宏一ト)。孤独なヒーローとして人を寄せ付けない彼の元に、彼に憧れるロビンことディック・グレイソン(マイケル・セラ/小島よしお)が養子になろうと押しかけてくる。更に自称宿敵のジョーカー(ザック・ガリフィアナキス/子安武人)が異次元に閉じ込められていた悪者たちを脱走させ、ゴッサムシティを大混乱に陥れる。監督はクリス・マッケイ。
 前作『レゴ・ザ・ムービー』はレゴという玩具の性質をフルに活かしたレゴのメタ映画とでも言える作品だったが、本作はレゴ要素は薄れている(クライマックスでレゴならではの「修繕」方法が披露されたりするけど)。本作はバットマンが主人公どころかテーマになっており、バットマン、ひいてはヒーローVS悪役というフォーマットに対するメタ映画と言えるだろう。正直なところ、バットマン関連としては直近の作品になる『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』よりはよっぽどバットマンという存在に迫っており説得力がある。ビジュアルはレゴだししょうもないギャグも満載なのだが、バットマンが抱える孤独、それが何に由来しているのかということ、そしてそれをいかに乗り越えるかということをちゃんと描いているのだ。
 序盤、バットマンが孤独であるという演出がこれでもか!と積まれてくる。様々な映画の中で、電子レンジを使うシーンというのはしばしば出てくると思うのだが、今まで見てきた中で本作の電子レンジシーンが一番心に刺さる。つ、辛い!バットマン本人がその辛さに気付かないようにしているのがまた辛い!バットマンが自分のまわりに壁を作るのは、子供の頃に両親を理不尽な形で亡くしているから、というのは基本設定だと思うのだが、本作ではそれに加え、人との距離感が上手く測れない社交下手な要素が乗っかってくるので、彼のイタさが何だか身につまされるのだ。スーパーマンの自宅を訪ねるエピソードでは、「シンプルに人柄と人徳の差だよ」ということが露呈されていてまあ辛い。
 辛いと言う面では、ジョーカーの辛さも描かれている。ジョーカーは言うまでもなくバットマンシリーズ最大の悪役で宿命のライバル的な存在だが、そもそもバットマンが彼のことを「宿命のライバル」と思っていないと、ジョーカーの立ち位置は揺らいでしまう。相反する相手の存在によってしか存在することができない、悪役の悲哀(それはヒーローの悲哀でもあるのだが、バットマンはそれをよくわかっていない)があるのだ。ジョーカーがある意味一途な片思いをしており、なかなかに不憫。

『ラビング 愛と言う名前の二人』

 1958年、バージニア州で暮らす大工のリチャード・ラビング(ジョエル・エドガートン)は、恋人のミルドレッド(ルース・ネッガ)の妊娠を機に結婚を決意する。しかしバージニア州では異人種間の結婚は法律で禁止されていた。密かにワシントンDCで結婚し地元に戻った2人だが、ある夜保安官に逮捕され、離婚するか故郷を捨て二度と戻らないかの選択を迫られる。一度は故郷を去ることに同意した2人だが、裁判の判決が不当であると申し立てる。監督・脚本はジェフ・ニコルズ。
 とても良かった。全体的に非常に抑制が効いており、見せすぎない、説明しすぎない、盛り上げすぎないという作劇に徹している。いつ、どこを舞台としているのかも、字幕等での説明はなく、登場人物のセリフと劇中で映し出される世相からなんとなくわかってくるといった塩梅。これは映画を見る側を信頼してくれているなぁ。情緒面も、ラビング夫婦がどちらかと大人しい人で感情をあからさまに出すシーンが少ないというのもあるのだが、これ見よがしな煽りがない。とても品のいい演出だと思う。
 結婚は違法とされたラビング夫婦に対する処遇は、今見ると明らかに不当だ。しかし、当時のバージニアでは異人種間の結婚は違法であり、その結婚は倫理的にも間違っている、異人種間の子供を増やすことも罪だと考えられていた。リチャードもミルドレッドも、自分達の結婚、自分達が愛し合っていることが間違っているとされることは、おかしいと声をあげる。リチャードは黒人の友人に、なぜ同棲では駄目なんだと問われる。また、DCでひっそりと暮らすという道もあるだろう。しかし、おかしいと思ったことにはおかしいと誰かが声を上げないと、世の中は変わらない。ラビング夫妻は元々、人権運動や政治活動をしていたわけではなく、裁判のやり方にも疎かった。それでも、自分達が愛し合っていることが間違っているとはどうしても思えない、その結果生まれた子供達が間違った存在のはずはないという一心で、10年間裁判で戦い続ける。作中ではあからさまには描かれないものの、2人に危害を加えようとする人たちも少なくない。そういう状態で10年間耐えるというのは、お互いによっぽど信頼感がないと乗りきれなかっただろう。
 2人ともそんなに口数は多くないが、ミルドレッドの方が時に思い切った行動を起こし、リチャードはそれについていく。リチャードは、当時の白人男性としては割と例外的な人だったのではないかと思うが、人種差別意識は希薄だし、女性に対する態度も強権的ではない。彼は妻のすること全てを理解しているわけではない(当時のアメリカで黒人であるというのがどういうことかは、黒人のコミュニティの中にいたとしても、やはり本当にはわからないのだと思う)が、彼女のことを尊重し、肯定し続ける。彼にとっての「絶対守る」という行為がどういうものだったのか、本作全編を使って描かれているようにも思った。

ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ