1955年、デビュー曲「トゥッティ・フルッティ」が大ヒットし、ロックンロールの創始者の1人に挙げられる黒人アーティスト、リトル・リチャード。デビュー以降ヒット曲を連発するが、突然キリスト教教会の活動に転身。5年間の教会活動を経て復帰した後は無名時代のビートルズやローリング・ストーンズに大きな影響を与えていく。本人および親族・関係者の証言、研究者の見解や多数のアーカイブ映像、さらにミック・ジャガー、ポール・マッカートニーを筆頭とした有名ミュージシャンのコメントを通し、リトル・リチャードの人生を追うドキュメンタリー。
リトル・リチャードの作品を良く知っている人にも知らない人にもおすすめできるドキュメンタリーで、アメリカの音楽シーン、アメリカという国の変化、そしてロックンロールの歴史を見るという意味でとても面白かった。エルヴィスはもちろん、ストーンズやビートルズへの影響は知識として知ってはいたがミック・ジャガーやポール・マッカートニーご本人の発言が裏付けていると実感としてわかってくる。ポールのシャウトはリトル・リチャードからの学習だったのか!また映画監督ジョン・ウォーターズの特徴である髭はリトル・リチャードオマージュだそうで、なんだか微笑ましい。
作中で挿入されるアーカイブ映像を見ると、リトル・リチャードの音楽や自分の考えについての発言は時代時代で結構矛盾があったりするのだが、彼としては嘘を言っているというわけではなく(自己演出は多々あるだろうが)、その時々で彼の様々な面が出ているということなのではないかと思った。本作を見ると音楽とはまた別に、彼のアイデンティティの多面性、矛盾をはらんだ複雑さが強く印象に残る。当時のアメリカではいうまでもなく人種差別が激しく、彼の出身である南部では猶更だった。さらに彼はゲイを公言するクィアだった。そういう人にとって生きることは相当困難だったろう。ただミュージシャンとしてはクィアであることを大っぴらにしていたことで、白人男性からの加害をむしろかわすことができた側面もある(自分たちの狩場を荒らす=女性を横取りする存在ではないと思われるから)というからまた複雑だ。
一方で彼はキリスト教教会の影響が多大にある環境(土地柄に加え、父親が教会の仕事をしていた)で育っており、教会の教義と自身のセクシャリティ、音楽性との矛盾を抱えていた様子も見受けられる。弟の死をきっかけにいきなり敬虔なクリスチャンとしてふるまうのもそういった素地があったからだろう。自分のクィアとしてのアイデンティティに忠実だと教会からは疎外されてしまう。自身が割かれていくような要素を持ちつつ生きてきたのであろうことが垣間見えてくる。教会の活動にのめりこんだ彼が自分はクィアではない、ヘテロセクシャルになったと公言したことで当時のクィアの人々はとても困った(「治せる」ものだと思われてしまうから)というがそれはそうだろう。リトル・リチャードはクィアとして何ができるかという部分にはあまり興味がなかったのかもしれないけど。
本作を見て、私はそういえばリトル・リチャードの曲は本人のパフォーマンスではなくカバーバージョンの方を主に聞いていたことに改めて気付いた。これが作中でも言及されてている問題なんだと。黒人歌手のヒット曲を白人歌手がカバーして大ヒットになる。しかしオリジナル版のことは忘れられていく。往々にしてよくあるパターンだと思うのだが、リトル・リチャードが折に触れて自分はすごい、自分がロックンロールを始めたと主張するのは、そうしないと自分の作品であることが忘れられていくからだ。主張し続けた彼がようやく公の場で評価される様にはやはりぐっとくるが、もっと早くに報われていればとも。ただなんだかんだでずっと音楽活動を続けていたところはやはりすごい。