3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名や行

『読まれなかった小説』

 大学を卒業し教員試験を控えたシナン(アイドゥン・ドウ・デミルコル)は作家志望。故郷へ戻り処女小説を出版しようとするが資金の援助は得られなかった。シナンの父イドリス(ムラト・ジェムジル)は引退間際の教師だが競馬にのめりこみ、借金まみれ。シナンはイドリスを非難する。監督はヌリ・ビルゲ・ジェイラン。
 シナンが故郷の町(トロイ遺跡の近くで、広場に大きな木馬がある)ターミナルに降り立った時の侘しさが身に染みる。地方の町ということもあるが、知り合いに「お前の父親に金貨を貸したから返せと伝えておいて」って行く先々で言われるのってやっぱりきついよな…。イドリスは人柄は悪くないし仕事はちゃんとやっているらしい。またユーモアがある理想化肌なのだが、ギャンブル依存症という一点がそれらを帳消しにしている。借金で家を手放し狭いアパート暮らしになり、車も売りに出し(車に「売ります」という張り紙をしたままにしているのがまた辛い…)、支払いが滞り自宅の電気まで止められる。大学の学費を出してもらった身とは言え、シナンがキレ気味なのもわかる。
 とは言え、母も妹も父親にあきれ果ててはいるが本気で愛想をつかしているようには見えないし、家を出ていこうともしない(出ていく先がないというのも大きいだろうが)。シナンも何だかんだ言って、決定的な糾弾はためらう。どう考えてもイドリスが犯人だというある状況で、シナンは真相に踏み込めない。イドリス本人がそれを示唆し焚きつけるにもかかわらず。父は父として一つの権威であり続けてほしいということなのだろうか。トルコはまだまだ父権主義が強い、父親という存在に重きを置いている文化圏なのかなと思った。腐っても父親ということか。母親が「父さんは他所の父親みたいに殴ったりしない」というが、それは比較対象がおかしいよな…。
 シナンが疑似父親とも言える有名作家に絡みまくる(舞台となる書店がすごくいい!)エピソードがあるのだが、本当に青いというか、後になってみたら黒歴史決定だなという空回り感。なかなかのイタイタしさだ。冷静な議論ではなく自分を擁護するための妄想交じりになっている感じがして、ちょっと怖かった。シナンとイドリスは理想家肌という部分では似ている(故にシナンの文学上の理解者はイドリスになってしまう)のだ。

雪の轍 [DVD]
ハルク・ビルギネル
KADOKAWA / 角川書店
2016-01-29


百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)
ガブリエル ガルシア=マルケス
新潮社
2006-12-01



『よこがお』

 訪問介護士の市子(筒井真理子)は周囲からの信頼も厚く、特に本門先の大石家の長女・基子(市川実日子)には懐かれていた。ある日、基子の妹サキが行方不明になる。すぐに保護され犯人も逮捕されるが、市子は事件への関与を疑われる。マスコミが押し寄せ、職場を追われ恋人との結婚も破談になった市子は、ある行動に出る。監督・脚本は深田晃司。
 試写で鑑賞。以前見た同監督『淵に立つ』はいまいち頭でっかちというか、映画の枠組みばかりが前面に出ていた印象を受けたが、本作はすごく面白かった。最初から不可解なものが登場しとにかくずっと不穏であるという点は共通しているが、本作の方が不可解さが地に足のついたもののように思った。
 一見、市子の物語であるように見えるが。実はその物語は基子の物語と鏡合わせになっている。市子にとっては、自分には預かり知らない基子の情念に振り回され、それまでの人生を失うわけで、全くわけがわからないし基子の在り方は不可解なものだろう。しかし、基子にとっては憧れの人があっさり結婚して自分から離れていくということが不可解で許せない。そして許せないという自分の情念も、それ故に行ってしまった行動も不可解なものだろう。お互いの情念と不可解さが時間差で空回りしているという構造なのだ。市子が「復讐」に走ったのは当時の基子からしたら本望かもしれない。自分の存在が彼女にそれだけの跡を残した、自分が彼女にとって忘れられない存在になったということだから。とはいえ、市子の「復讐」が成立した時点で基子が彼女をどう思っていたのかはわからないので、これもまた空回りかもしれないのだが。
 筒井の演技、存在感が強靭。地味な時は本当に地味なのにぶわっとなまめかしさが溢れる瞬間がある。それを受ける市川の胡乱さとキュートさが入り混じる存在感も相変わらず面白い。この2人の実力を実感できる作品だった。

よこがお
深田 晃司
KADOKAWA
2019-07-19






淵に立つ(通常版)[DVD]
浅野忠信
バップ
2017-05-03

『夜明け』

 木工所を経営する哲郎(小林薫)は、川辺に倒れている1人の青年(柳楽優弥)を見つけた。自宅に連れ帰り介抱された青年は、シンイチと名乗る。哲郎はシンイチを木工所に連れて行き、技術を教え、共に暮らし始める。2人は徐々に心を通わせていくが、シンイチにはある秘密があった。監督・脚本は広瀬奈々子。
 訳有りの2人が絆を深め、疑似親子的な関係を形成していくというある種定番のドラマではあるが、それはあくまで途中まで。そこからの展開で冷や水を浴びせられる。ちょっと冗長な部分があるが、長編初監督作としては高いレベルで引きつけられた。監督はこの部分に興味があるんだろうなという、焦点がはっきりしていると思う。
 疑似親子的な関係は、哲郎にとってもシンイチにとっても過去の傷を癒すものになる。ただ、それはあくまでかりそめのものだ。ずっとこのままではいられない。彼らはそれぞれ、向き合わなければならない相手が他にいる。この点、かなりシビアに描かれていた。意外だったのは、若いシンイチに対してではなく、初老の哲郎に対する視線に容赦がない所。
 両親との不和、過去のある事件が原因となり心を閉ざしているとはっきり提示されているシンイチに対し、哲郎が抱えている問題が何なのか、何から目を背けているのかという部分はなかなか現れてこない。彼の息子が既におらず、そのことが傷になっているということはわかる。しかし、息子との関係がどんなものであったのかは、哲郎の言葉からはわかりにくいのだ。
 哲郎の問題がどこにあるのかは、婚約者からなじられるシーンではっきりとわかってくる。彼にとって息子のような存在であるシンイチとの絆は、目の前の現実から逃げる為のものになってしまったいる。シンイチ本人を見ているわけではなく、理想的な父と息子、師匠と弟子という幻想にしがみつく為のものだ。そして実の息子との不和は、彼のそういった態度によるものではなかったかと垣間見えてくる。しかし哲郎はシンイチに対して、実の息子にしたことと同じことを繰り返してしまうのだ。その時点で、疑似親子的な絆はかりそめのものであると決定づけられてしまったように思う。

しゃぼん玉 [DVD]
林遣都
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2017-11-02



ゆれる [DVD]
オダギリジョー
バンダイビジュアル
2007-02-23


『夜の浜辺でひとり』

 映画監督との不倫で騒がれ、ソウルからハンブルグに逃げてきた女優ヨンヒ(キム・ミニ)は、恋人を待ちつつ後悔に苦しむ。数年後、韓国のカンヌンに戻ってきたヨンヒは、旧友たちと再会する。監督・脚本はホン・サンス。
 またしても「絶対混ざりたくない飲みの席」シーンがある!しかも2回!先日見た『それから』はわけありカップルに巻き込まれた部外者としての居心地の悪さのある飲みの席だったが、今回は色々な意味で昔馴染みの宴席。なまじ関係性が濃いからこそいたたまれない。ヨンヒもそこそこ酒癖が悪く、絡み酒で周囲をちょっと困らせるのだが、彼女は絡まずにいられないしんどさを抱えている。それを周囲も察しているからこそ余計にいたたまれない。特に2度目の宴席、1度目とは面子が違うのだがそこに混ざりたくない度合いは1度目の比ではなかった。ここまでこじれる前に決着つけてよ!と思わずにいられない。とは言えヨンヒの苦しさは、自分一人で決着をつけるしかないものだ。彼女が抱える問題を迂回しつつも、最終的にそこから逃げないからこそラストが清々しい。
 再会した男性の先輩2人のヨンヒに対する態度が、結構失礼な気がした。いきなりそんな立ち入ったことを聞くの?とか、何で自分を無視したんじゃないかとか言うの?と。これは意識的に彼らを失礼な人として描いているのか、それとも彼らの文化圏の男性先輩としては平均的な態度なのか、ちょっとよくわからない。年齢による上下関係をうっすら醸し出してくるのが何かイヤなんだけど・・・。対して、年上の女性2人、ハンブルグの先輩もカンヌンの先輩も好ましく、こういう女性っていいな、信頼できるな(特にハンブルグの先輩)と思った。2人ともヨンヒのことを気遣っているが、立ち入りすぎないところがいい。
 途中、これは何なの?!という展開がある。ハンブルグの浜辺でのラストショットと、カンヌンのホテルのベランダのシークエンスだが、いきなりリアリティラインがずるっとずれこんだような気持ちの悪さでインパクトがある。特に浜辺でのロングショットは、この為にヨンヒに白いパンツをはかせたのか!と唸った。忘れられない。

自由が丘で [DVD]
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2015-07-24


次の朝は他人 [DVD]
ユ・ジュンサン
紀伊國屋書店
2013-06-29




『ゆれる人魚』

 ポーランド、ワルシャワの岸辺に、人魚の姉妹シルバー(マルタ・マズレク)とゴールデン(ミハリーナ・オルシャンスカ)が現れる。歌手のクリシア(キンガ・プレイス)らにより地上に引き上げられた2人は、ナイトクラブでデュエットを披露するようになり人気者に。シルバーはベーシストのミーテク(ヤーコブ・ジェルシャル)と恋に落ちるが、ゴールデンは彼女に批判的だった。人魚にとって人間は食料なのだ。監督はアグニェシュカ・スモチンスカ。
 ポーランドから一風変わった映画がやってきた。レトロでちょっとキッチュな美術といいテクノポップ満載の音楽といい、1980年代ぽいなーと思っていたら本当に80年代が舞台だった。この時代を舞台にする必然性は全然ないと思われる(ポーランドの歴史文化を熟知していれば必然性がわかるのかもしれないが)のだが・・・。監督も脚本家も70年代生まれなので、彼女らにとってのノスタルジー、レトロなのだろうか。ともあれ、チープでちょっと悪趣味なかわいらしさで統一されており、見ているうちにクセになってくる。
 また、音楽を多用しているとは聞いていたけどミュージカル仕立てになっているとは知らなかった。人魚姉妹を引き上げて保護するクリシアは歌手だしバックバンドもついており、ステージ上で披露される音楽と、人魚姉妹の「語り」としての音楽が混在している。歌に合わせたダンス、群舞シーンもあるが、ミュージカルを見ているという感じはあまりしない。撮影の仕方がちょっともったいないのだ。群舞を俯瞰で見られるショットが案外少なく、変な所で見切れていて全体がどういう動きになっているのか十分に楽しめないは残念。ミュージカルは体の動きの要素も大きいのでもったいない。少人数でのシーンはそれなりに見られるので、大勢がいるシーンに慣れていないのかな?
 アンデルセンの人魚姫を下敷きにしているが、血と魚臭さが生々しく漂う。人魚たちの尾の大きさ、ぬめっとした質感は、分かりやすい可愛らしさ・セクシーさやブランド的な「少女」性を拒否しているようにも見える。「王子」との顛末も、あなたは許しても私は許さないよ!というある種のフェアさ、自己犠牲や純粋さの否定があってむしろ爽快。だって「王子」のやることは大分最低だからね・・・。

リザとキツネと恋する死者たち DVD
モーニカ・バルシャイ
オデッサ・エンタテインメント
2016-06-02



人魚姫 アンデルセン童話集 (2)
アンデルセン
新書館
1993-12-20


『夜の果て、東へ』

ビル・ビバリー著、熊谷千寿訳
 15歳の少年イーストは、ロサンゼルスの犯罪組織に所属し、麻薬斡旋所の見張り役をしていた。しかし警察が踏み込んできたことで、組織は複数の斡旋所やねぐらを捨てざるを得なくなる。イーストは責任を取る形で、ボスからある任務を命じられる。元大学生のウィルソン、コンピューターに精通した17歳のウォルター、そしてイーストの異父弟で13歳のタイと車でウィスコンシン州へ行き、ある人物を殺すのだ。英国推理作家協会賞最優秀長篇賞受賞作。他にも複数の賞を連続受賞しているがこれがデビュー作だというからすごい。
 今年読んだ翻訳ミステリの中では、もしかしたらベストかもしれない。賞総なめというのも納得。クライムミステリであり、2000マイルに及ぶロードノベルであり、少年の成長物語でもある。イーストの仲間3人は計画を遂行するために集められたメンバーにすぎず、経験豊富というわけでもない。イーストも言動は大人びているがやはり15歳、しかもこれまでの体験の範囲がかなり限られている15歳にすぎない。仲間とのコミュニケーションの取り方や反りが合わないタイに対する怒り等からは、彼が世の中に対してまだ不慣れである様、如才なさとは程遠い様が見て取れる。自分をコントロールできる部分と、できない部分の落差が痛々しくもあった。彼はそもそも、ロサンゼルスの自分が「見張る」エリアから出たこともないのだ。旅の過程で物理的に世界が広がっていく様と、イーストの内的な世界が初めての経験を経て広がっていく様が重なっていく。あったかもしれない、もう一つの「普通」の人としての生活を体験していくのだ。イーストがある夫婦のディナーに招かれた時、これがいわゆる家庭というやつなんだなと新鮮に驚く(というか学習する)シーンが強く印象に残った。つまり、彼はこういう普通さとは無縁だったんだなと。イーストは何度か大きな決断をし、自分の人生の方向を変えていく。最後の選択の先に広がる景色は、きっともっと広いはずだ。




プリズン・ガール (ハーパーBOOKS)
LS ホーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-05-17

『汚れたダイヤモンド』

 強盗を生業とするピエール(ニールス・シュネデール)の元に、長年音信不通だった父が死んだという知らせが入る。アントワープのダイヤモンド商家の二男だった父は、ダイヤの研磨中に事故で指を失い、家族からも見放された。無理に研磨を強いたせいだと父親の境遇を恨むピエールは、伯父ジョセフ一家への復讐と、ダイヤの強奪を計画する。監督はアルチュール・アラリ。
 60~70年代の犯罪映画のような、どこか憂いを帯び、かつ泥臭い雰囲気がある。瞳のアップのけれん味など、昔の犯罪映画っぽいなぁと思った。映像の質感も、ややざらっとした手ざわりで陰影が深く見えるように意図しているよう見える。撮影は監督の実兄トム・アラリなのだが、この人は『女っ気なし』『やさしい人』(ギョーム・ブラック監督)の撮影をしていたのか・・・(本作の前に見た『あさがくるまえに』でも撮影を手掛けていたので、2作続けてアラリ撮影作を見たことになる)。質感は確かに似ているかもしれない。クリアにしすぎない、きれいすぎないさじ加減がちょうどよかった。
 犯罪映画、ミステリとしての側面と並行して、父親と息子という古典的なテーマが一貫して流れている。ピエールの実の父は彼が15歳の頃に失踪しており、実際の所、彼は父親との具体的な関係を築けないまま成長したと言えるだろう。彼は父親の敵討ちのつもりでいるかもしれないが、それは必ずしも根拠のあるものではない。彼の父親的存在として振舞うのは、強盗団のボス・ラシッド(アブデル・アフェド・ベノトマン)。彼とは使うものと使われるもの、教師と教え子という関係ではあるが、ラシッドはピエールのことを相当気に入っているらしく、ピエールもラシッドに懐いていて親子のような親密さを見せる。また、ダイヤモンドのベテラン研磨士リック(ジョス・フェルビスト)はピエールに研磨士としての才能を見出し、彼に自分の技術を伝授する。彼もまた、父親的な存在と言えるだろう。そしてジョセフは倒すべき父とも言えるのだが、ピエールが変化するにつれジョセフもまた変化していく。
 複数の父親的存在は、ピエールが所属する複数の世界それぞれを象徴するものだ。ピエールが立ち位置を変えていくにつれ、其々の父親的存在がピエールにとって占めるウェイトが変化していく。ピエールは最終的にどの父親の世界を選ぶのか。関わりが時間的にも社会的な関係としても一番薄いはずの人物が、ピエールにとっても最も重要な決断を促す、「良き父」として表れるというところが大変面白かった。この人物とピエールは、社会的にはいわゆる深い関係ではない。しかし、何を美しいと思うか、人生において何が大切なのかという深い部分での共感があるのだ。



ハムレット (新潮文庫)
ウィリアム シェイクスピア
新潮社
1967-09-27

『山村浩二 右目と左目で見る夢』

アニメーション作家・山村浩二の最新短編をまとめたプログラム。全9作品から成る。

『怪物学抄』(2016)
架空の中世ヨーロッパの学者による、架空の生き物=怪物に関する公文書。「飼いならされた野生」「鎧という名の武器」等想像膨らませる言葉による紹介と、それを受けたイメージにわくわくする。どの怪物にも愛着が沸いてくるのだ。この怪物はこういう生態、という雰囲気が、短い時間の中でも伝わってくる。アニメーションというよりもイラストの良さと文章、そしてヘンデルの音楽とのマッチングの妙という印象だった。特に音楽の合わせ方は上手い!

『Fig(無花果)』(2006)
アニメーション映画生誕100年を記念して、「東京」をテーマに制作されたオムニバス・アニメーション『TOKYO LOOP』より、山村浩二制作パートを抜粋したもの。墨絵のようなモノクロっぽい画面で、東京タワーは登場するけど東京っぽいかと言われるとどうかなぁ・・・。自分の中の東京のイメージよりも、静かでひそひそざわめいている感じだった。音楽(山本精一)がやはり良い。

『鶴下絵和歌巻』(2011)
17世紀に製作された俵屋宗達の「鶴下絵和歌巻」をモチーフとした作品。その構造や宗達の意図を読みとき解釈を試みた作品。いわゆるアート系アニメーションという感じだが、正直な所あまり印象に残らなかった。山村の作家性よりも、宗達の作品をモチーフとして実験する、という意図が前面に出ているからか。日本ががそのまま動くようなイメージは美しいが。

『古事記 日向篇』(2013)
古事記のうち、日向を舞台にしたエピソード、「禊」「天照大御神」「此花之佐久夜毘売」「海佐知山佐知」をアニメーション化したもの。よく知られた創世神話なので物語に馴染みもあり、「お話」としての側面は今回上映作の中では一番強い。繊細だがどこか素朴な味わいのアニメーションの画風とも合っていた。それにしても、古事記の神様たちは結構やることがひどいな(笑)!改めて見ると、「海佐知山佐知」のオチとか結構エグくて軽くひくレベル。さらっと語られてるので余計に。

『干支1/3』(2016)
2016年トロント・リールアジアン国際映画祭20周年を記念し、「20」をテーマに製作された作品。干支は十干と十二支を組み合わせたとされるもので、60年で一周することから、20年を1/3周として表現した。1997年から2016年までの20の干支の要素が現れる。文字が生き物や表象に変化していく様は、漢字の醍醐味でもある。ほぼ朱と黒のみでの色彩表現で筆で描いたようなタッチはシンプルだが、メタモルフォーゼの連続はアニメーションならではの表現。

『five fire fish』(2013)
カナダ国立映画制作庁(国立でこういう省庁があるということがすごいな・・・)が開発した映画製作用iPadアプリ「McLAREN's WORKSHOP」のデモンストレーション映像として、その仲のEtching on film」というアプリを使って即興的に制作した作品だそうだ。アプリの名称通り、エッチングのようなひっかいた感じの線描によるモノクロアニメ。「fish」のスペルが魚になって泳ぎ回る、これも文字のメタモルフォーゼを表現した物。わずか1分強の作品だがのびのびとしている。

『鐘声色彩幻想』(2014)
本作もカナダ国立映画制作庁と、Quartier des Spectaclesのパートナーシップにより、カナダの実験映像・アニメーション作家ノーマン・マクラレンの『色彩幻想』の抜粋を用いて制作した作品。教会にプロジェクションする為、縦に長い画面構成になっている。今回上映されたものの中ではこれが一番好き。ドローイングにより音を視覚化するような作品。色と形の運動が楽しく、音楽との連動が実にかっこいい。こういうのがミュージックビデオってことじゃないかなと思った。なお、音楽はモーリス・ブラックバーン。鐘の音が印象的で、教会へのプロジェクション・マッピングには良く合っていたのではないか。プロジェクションされたものを見て見たかったな。

『水の夢(1原生代)』(2017)
ピアニストのキャサリン・ヴェルヘイストと舞台デザイナーのエルヴェ・トゥゲロンからの依頼による舞台用作品だそうで、当然音楽はヴェルヘイストによる演奏。これも音楽そのものと音楽との一体感が素晴らしい。山村監督、音楽への素養・理解度が高いんだろうなぁ。なおジョージ・クラムへのオマージュ作品でもある。海中での古生代の生物の発生と進化を描くが、アニメーションてこういう表現もあるのか!とちょっとはっとするところも。墨絵と写真の合成のような質感があって面白い。

『サティの「パラード」』(2016)
エリック・サティによるバレエ音楽「パラード」を、サティのエッセイの中の文章、ウィレム・ブロイカー楽団の演奏と合わせアニメーション表現にしたもの。バレエの登場人物の他、サティのエッセイ内に登場するジャン・コクトーやピカソだけでなく、同時代のマティスやマン・レイ、モンドリアンやジョアン・ミロらしきモチーフも登場する。そして当時アメリカと言えば映画!映画といえばチャップリン!なんだなぁと。賑やかでカラフルな楽しい作品。サティのエッセイの中に、「コクトーは明らかに私のことを敬愛しているが、机の下で足を蹴ってくる」というような一文があって、それはどんなツンデレ・・・!と吹き出しそうになった。

怪物学抄
山村浩二
河出書房新社
2017-07-14



『夜明けの祈り』

 1945年、第二次世界大戦終結直後のポーランド。赤十字の医療活動として赴任中のフランス人医師のマチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)は、修道女に助けを求められる。ソ連兵の暴行により7人の修道女が妊娠し、信仰と現実の板挟みになり苦しんでいた。マチルドは修道院長の反対にあいながらも医者として修道女たちを助けるために修道院に通い、徐々に修道女たちの信頼を得ていく。監督はアンヌ・フォンテーヌ。
 マチルドの両親は共産主義者で、当人も無神論者と言わないまでも特に信仰に拘りはない様子。彼女から見れば、修道女たちの信仰の姿勢、現実と信仰との折り合いのつかなさで苦しむ様は、ぴんとこないものだろう。彼女は肌を見せること、人に触られることを忌避して診察すら拒む修道女に「信仰はちょっと脇に置いて」と言うのだが、それが出来ないのが信仰というものなのだろう。修道女たちも、自分たちの生き方は理解されにくいだろうというのは重々承知だ。
 マチルドが彼女らの生き方を理解する、積極的にそこに参加することはないのかもしれない。それでも彼女は、考え方・生き方は違うが医者として、助け合うことができる存在として、修道女たちに寄り添っていく。マチルドの機転により間一髪でソ連兵を退けた後の修道女たちの安堵感、高揚感は、見ている側もああよかった!と手足の先が暖まっていくように伝わってくる。主義主張とは別の所での理解や共感がそこにあるように思う。マチルドと同僚の男性医師とのやりとりにも、似たものを感じた。2人はセックスはするが恋仲というわけではないだろうし、赴任地を離れたら再会することもないのかもしれない。しかしそこには共感と思いやりがある。
修道女たちも様々で、一様ではない。修道院に入る前には恋人がいたという人もいるし、世の中のことを全く知らないまま修道女となった人もいる。生まれてくる赤ん坊を慈しむ人もいるが、人に託して修道院を去る人もいる。どの道が正しいかということではなく、その人個人にとって何が最適なのか、その人が何を「良い」と思うのかなのだろう。
 それにしても、修道女たちに襲いかかったもの、それを追体験するようなマチルドの体験を目にすると、カッと腹が立つ(どころではない)し怖くなる。そんなことがまかり通っていいのか!とわめかずにいられない気分だ。戦争の副産物としてつきもの出来事だが、戦時下=異常な状況だからってわけではなく、その芽は日常に見え隠れしている、それが表に出てきたということだろうから。

ボヴァリー夫人とパン屋 [DVD]
ファブリス・ルキーニ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2015-12-02

イーダ DVD
アガタ・チュシェブホフスカ
2015-05-01


『夜空はいつでも最高密度の青色だ』

 看護師をしながら夜はガールズバーで働く美香(石橋静河)。工事現場の日雇い仕事をしている慎二(池松壮亮)。東京で生活しつつも馴染めずにいた2人は、美香が働いてるガールズバーで出会い、徐々に近づいていく。原作は最果タヒの同名詩集。監督・脚本は石井裕也。
 詩集を原作にした映画、それもちゃんとドラマ仕立ての映画というのはなかなかないと思うし、どういう仕上りになっているんだ?と思っていたけど、なるほどこうなるのかと納得。詩の言葉をそのままセリフやモノローグとして使うのは難易度高いと思うのだが、なかなかうまく消化されていたと思う。詩の言葉は物語の中に組み入れると往々にして強すぎるので、最初はちょっと気合入りすぎてるんじゃないのと見ていてむずむずしたが、段々慣れてきた。主人公2人の気を張っている感じ、どこか武装している感じが、言葉のインパクト、強さと合っているのだ。言葉があふれ出てきて止まらないような慎二に対し、美香は口数少なく、自分内での気持ちの内圧が高い感じ。しかし、自分の言葉を投げるべき相手がいない、言葉が通じる気がしていないという点では2人は共通している。コミュニケーションの為ではない言葉がたくさん出てくる映画なのだ。自分の中身がこぼれだすような言葉だから、たまたま相手にそれが通じた瞬間がより貴重に思える。
 石井監督の作品を見ていると、お金のなさに対する感覚が毎度冴えているなぁと思う(お金がある状態もちゃんと描けるのかもしれないけど、今まで作品内に出てきたことがない)。この仕事だとこのくらいの年収でこういう感じの生活、という部分に肌感覚の説得力がある。そこが、見ていて辛くなる(身に染みるので)ところでもあるのだが。本作の主人公2人は、若いがここよりも上に行ける、将来的にもっといい暮らしが出来るというような希望を感じていない。這い上がるということがとてもし難いし、そういう意欲を削がれるような世の中で生きているという感じが、すごくするのだ。ただ、2人とも無理に自分を大きく見せるようなことはせず(2人の周囲の人たちも同様だ)、地に足がついているともいえる。2人の関係には浮き立つような部分は少ないのだが、そのテンションのまま距離が縮まっていく感じに、むしろ希望が持てる。
 東京、主に新宿と渋谷が舞台で、街中を移動するシーンも多い。しかし、移動経路が今一つ不自然なように思った。街に対してあまり思い入れを感じない。外から来た人にとっての東京の映画なのか。


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