3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名ま行

『マティアス&マキシム』

 幼馴染のマティアス(ガブリエル・ダルメイド・フレイタス)とマキシム(グザビエ・ドラン)は、友人の妹が撮影している短編映画でキスシーンを演じる羽目になる。これがきっかけでお互いに対する感情に気付き始めた2人だが、婚約者がいるマティアスは自分の気持ちに戸惑い混乱する。一方、マキシムは思いを告げないままオーストラリアへ渡る準備を進めていた。監督・脚本はグザビエ・ドラン。
 マティアスとマキシムと友人たちの賑やかさ、はしゃぎっぷりは私にとってかなり苦手なノリで、見ていて若干苦痛な所も。10代ならともかく、30代の大人がああいうはしゃぎ方をするのはちょっと見苦しいなと思ってしまった。とは言え、彼らの友人関係はなかなか良い。マティアスとマキシムの関係が微妙になっていることを勘付きつつもいじらず、仲直りできそうなタイミングでパスを出すという配慮がある。また、彼らの仲間内では家庭環境に結構経済格差があるようで、今の生活水準もまちまち。リヴェット(ピア=リュック・ファンク)は明らかにそこそこ豊かな家の息子だし、マティアスは自身が新進気鋭の弁護士で実家もそこそこ安定していそう。一方マキシムは母親との関係にかなり問題があり、子供の頃から生活に苦労していた様子が垣間見られる。今の仕事もバイトのバーテンらしく不安定だ。しかし、仲間内ではこういう格差を追た阿木に感じさせることがほとんどなくフラットな関係が維持されている。意外とお互い気を使っており、ぎりぎりでバランス保っている感じだった。
 マティアスは「言葉警察」と言われるくらい言葉の使い方に厳密。意味のある話、ちゃんと言語化された話に拘りがある。しかしマキシムに対する自分の気持ちは言語化できないし、自分の心の動きを受け入れることができず、なかったものにしてしまう。マティアスのマキシムに対する態度はかなり不誠実だと言えるだろう。
 一方、マキシムは言葉の使い方こそ上手くはないが、自分の気持ちには誠実だ。言葉の正確さを求めるマティアスと言葉を使いこなせないマキシムのコミュニケーションの齟齬と距離がもどかしくもある。2人の距離が縮まるのは、言葉が介在しない瞬間、体が動いた瞬間だ。それはマティアスにとっては受け入れがたいことなのかもしれないが(それにしてもそこで逃げるの?!という逃げっぷりで退いた)。ラストシーンの後、マティアスはマキシムに何か告げることができたのだろうかと気になった。

トム・アット・ザ・ファーム(字幕版)
マニュエル・タドロス
2015-05-02


君の名前で僕を呼んで(字幕版)
アミラ・カサール
2018-09-14


『マーティン・エデン』

 貧しい船乗りのマーティン・エデン(ルカ・マリネッリ)は、ブルジョア階級の令嬢エレナ(ジェシカ・クレッシー)に恋し、彼女のような教養を身に付け彼女が所属する世界に参入したい、彼女と結ばれたいと切望する。文学に夢中になり小説家を目指した彼は、幾多の挫折を乗り越えて富と名声を手にするが。原作はジャック・ロンドンの自伝的小説。監督・脚本はピエトロ・マルチェッロ。
 主演のマリエッリの正に映画俳優的なビジュアル、佇まいで存在感抜群だった。またマーティンが憧れるエレナを演じるクレッシーは、ボッティチェリの作品に描かれた女性のような風貌。イタリアの古典的な美人というのはこういう感じなのだろうか。俳優は皆良かった。
 俳優もいいのだが、彼らが置かれた空間、背景となる風景もとても魅力的。人がいないシーンの間が持つというか、ずっと見ていたくなる。映像はざらつきのある質感で、色合いはクール。寒々しさの一歩前でとどまっている感じだ。ナポリ以外の土地の名前、具体的な時代はぼかしてあるのだが、時代・場所の抽象性が嘘くさくならないようなディティールの造形もよかった。
 ジャック・ロンドンの原作はもちろん20世紀初頭のアメリカ、オークランドが舞台だ。それをなぜにイタリア映画に?何か全然感触違いそうだけど?と思っていたが、全然成立している。むしろ最初からイタリアの作家作品が原作なのでは?というハマり方で、これはアレンジの上手さなんだろうなぁ。特に労働組合運動、ストの盛り上がり等はイタリアっぽい。最近読んだイタリア小説で描かれていた、60年代前後の左翼活動の盛り上がり方が印象に残っていたからかもしれないが。
 マーティンはエレナたちの世界、文化と教養の世界に憧れ渇望するが、同程度の教養を身に付けても彼らの世界は彼を拒む。そもそもエレナはマーティンに思いやりと愛を示すが、彼が自分たちの世界ルールに合わせることを前提とした付き合いで、自分が彼の世界に歩み寄るという発想はない。マーティンに対しても結構失礼なことを言っているのだが、彼女にはそんな自覚はないだろう。その自覚のなさが「持つもの」である所以なのだろうけど…。マーティンは元々文学に惹かれる人物だったという描写があるが、そんな彼がエレナに見合うような同等の教養を得ようとし、徐々に独自の表現を掴んでいく。彼の中にあったものが一気に噴出していく熱気が鮮やかだ。憧れと現実とのギャップが彼を走らせ続けたとも言える。
 ただ、自らの言葉を手に入れる中で、彼は彼女の失礼さ、彼女の世界が絶対に自分を同等には扱わないことにも気付いてしまう。彼女に憧れ続けても共に生きることは出来ないし幸せにはなれない。マーティンは富も名声も手に入れるが、エレナは手に入らないし最早手に入れたいものでもなくなっていく。最後はまた何も持たず、一人で(というかずっと一人でいる感じの人なんだけど…)立ち尽くしているように見えた。


火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)
ジャック・ロンドン
スイッチ・パブリッシング
2008-10-02


『メイキング・オブ・モータウン』

 2019年に創設90年を迎えた音楽レーベル・モータウン。スプリームス、スティービー・ワンダー、マービン・ゲイ、ジャクソン5らを輩出した名門レーベルの歴史を、創設者ベリー・ゴーディや彼と二人三脚で数々の楽曲を送り出したスモーキー・ロビンソンへのインタビューから構成し追ったドキュメンタリー。
 モータウンが生み出した数々の名曲を追う楽しさはもちろんあるのだが、思っていたほど音楽そのものが占めるウェイトは大きくない。むしろ、モータウンという組織の成り立ちと構造、商品の製造過程を追う、企業ドキュメンタリー的な面白さが強かった。楽曲を作る仕組みは、ゴーディがフォードの製造ラインで働いていた時の体験から生み出したというから驚きだ。自動車と音楽は全然違うものだけど、企業としてどのように活動を維持していくのか、という点では通じるものがある。工程を細分化してセクションごとの役割を明確にする、売れるポップスにはどういう要素が必要なのか突き詰めて構成したと言えるだろう。モータウンが目指した楽曲って良質の工業製品に近いものがあるのかなと思った。
 とは言え、レーベルが成熟しブランドのカラーが固まっていくと、逆にアーティストたちがレーベルの枠からはみ出た独自の表現に目覚めていくというのも面白い。社会が大きく動く時、アーティストの表現にも当然影響が出てくる。ゴーディーはレーベルの色に合わないと難色を示したが、アーティストに押し切られたそうだ(とは言え、スティービー・ワンダーの天才的な仕事を目の当たりにしたから首を縦に振ったという面も大きそうなので、そのくらいのクオリティでないと譲れなかったということかも)。音楽表現も社会の中で行われる以上、無縁というのは無理だよな。今だったらゴーディも違った判断をするのかも。時代が変われば考えも対応も変わってくる。モータウンはミュージシャンへの教育に注力し、音楽だけでなくパフォーマンスや日常の立ち居振る舞いまで専門の講師が教えたそうだ。スプリームスには特に優美さを叩きこんだそうだ。結果、こんなにクールで優雅な黒人は初めて見た!と人気沸騰するが、これって「白人と同じように」相手の土俵に立つってことだよなと(実際に反発するアーティストもいたそうだ)。現代だったらまた違った教育の仕方になるのかもしれないが、当時はまずここから始めなければならなかったのだろう。
 一方、モータウンでは早い段階からミュージシャン以外でも女性が活躍しており、女性幹部もいたということは初めて知った。当時「取引先にはそんな会社なかった」という話も出てくるので、かなり先進的だったのだろう。いいポップスの前には黒人も白人もない、だったら男性も女性もないはず、という姿勢だったのだろう。音楽が全ての垣根を越えることはないだろうが、ちょっと越えることはあるのだ。
 ゴーディー側へのインタビューが中心なので、語られる内容に偏りはあるのだろうし、他のスタッフやアーティストは別のモータウンの姿を語るかもしれない。とは言え、ゴーディとスモーキーがいまだに仲良さそうなのには和む。エンドロールも必見。

永遠のモータウン コレクターズ・エディション [Blu-ray]
ブーツィ・コリンズ
ポニーキャニオン
2017-06-21


モータウン60
オムニバス
Universal Music =music=
2019-03-20


『ミッドナイト・スワン』

(ストーリー後半に言及しています) 
 ショーパブのステージに立つ凪沙(草彅剛)は、養育費目的で親戚の少女・一果(服部樹咲)を預かる。最初は双方心を開かなかったものの、社会の片隅で生きてきた2人の間に気持ちが通い始める。凪沙はバレエに情熱を傾ける一果を支えたいと考えるが。監督・脚本は内田英治。
 俳優はかなり良かった。草彅の「あえてけだるげな女をわざわざ演じている女を演じる」という二重の演技性がハマっていた。凪沙は素があまりない、ほぼ「凪沙という女性」を演じている人なのだという感じがする。また新人だという服部は、序盤の寄る辺のない目つきが印象に残る。
 ただ、いい部分もあるがそれ以上に問題点が多い作品だと思う。トランスジェンダーの扱いが安易だしあまり考えてないなという印象を受けた。まず、ショーパブのステージで踊る一果を凪沙たちが見て心打たれるというエピソードだが、一果が本物、凪沙が偽物という対比になってしまっているように思う。一果が踊る前に凪沙らが踊っていて客に馬鹿にされるという流れがあるので、本物の才能にはかなわない、みたいな演出に見えてしまう。しかし凪沙が仕事で踊るのと一果がバレエに情熱を燃やすのとは全然意味合いが違うだろう(一果とバレエの才能が対比される存在として同級生も登場するが、彼女の扱いも雑だったと思う。なぜとってつけたような悲劇にしないとならないんだ…)。
 更に、「本物の女性の体」と「(トランスジェンダーという)にせものの女性の体」の対比に見えかねないのも厳しい。凪沙は「女性」と自認しており、偽物ではない。性転換手術を受けた凪沙に「本物の女性になったからあなたの母親になれる」と言わせてしまうのも問題だ。肝心なのは「親」で「母親」ではないし、女性の体をもっていれば母親になれるわけでもない。いまだに母性神話かとうんざりする。また、子供に必要なのは適切な「保護者」であって必ずしも父親・母親というわけではないだろう。
 更に、手術後の凪沙の顛末が、現代の医療水準でいきなりそれは不自然なのでは?というもの。悲劇の為の悲劇に見えてしまう。失明についても、前々から何らかの疾患があって、という前フリがあれば理解できるがいきなりぶっこんでくるので不自然。不幸に舵切りすぎで凪沙が「母親」になろうとしたペナルティにも(そんなものあるはずがないのだが)見えてしまいかねない。
 一方、素人が見てもバレエの扱いには問題がありそう。そんな短期間で劇的にうまくなるもの?!中学生で習い始めるのって世界を目指すには遅すぎない?!と突っこみ入れたくなった。全般的に、こういうシチュエーションがあったら泣けるな、盛り上がるなというものを無頓着に投入しているように思えた。この要素を盛り込むならもうちょっと勉強しては…という部分が悪目立ちしていた気がする。

ナチュラルウーマン [DVD]
ニコラス・サヴェドラ
アルバトロス
2018-08-03



『mid90's ミッドナインティーズ』

 1990年代、ロサンゼルスに暮らす13歳のスティーヴィー(サミー・スリッチ)は母ダブニー(キャサリン・ウォーターストン)と年の離れた兄イアン(ルーカス・ヘッジズ)と暮らしている。スケートボードに魅せられたスティーヴィーは、町のスケートボードショップに通いつめ、常連の少年たちと親しくなっていく。監督・脚本はジョナ・ヒル。
 冒頭、スティーヴィーがイアンにボコボコに殴られるシーンがある。カメラはやや引いた位置なのだが、殴られる音は間近に聞こえる。むしろ自分が殴られているような、頭の中に響くような音の設計だ。スティーヴィーがスケートボードに出会ってから感じる高揚感や、ボードで滑走し宙に舞う少年たちの姿はきらきらしていて軽やかなのだが、本作の底辺に流れるのはこの暴力の音であったように思う。
 スティーヴィーはイアンに日常的に暴力を振るわれているが、兄が所属する「大人」(イアンもまだ子供だが、スティーヴィーから見たら大人だ)の世界に憧れ、彼が愛好する音楽やゲームに興味津々だ。スティーヴィーはイアンと世界を共有したいのだろうが、イアンは取り合わない。そんなスティーヴィーを仲間として受け入れてくれる年長者たちが、スケートボード店にたむろうレイ(サケル・スミス)たちだ。ただ、レイたちがスティーヴィーのことを対等に扱っているかというとそうでもない。傍から見ると、レイたちとの関係は安定性があるものにも安心できるものにも見えないのだが、スティーヴィーはそこにはまっていってしまう。自分をバカにする人にニコニコついて行ってしまうメンタリティというのは何なんだろう。
 イアンもレイたちもいわゆる不良ということになるのだろうが、子供がワルぶっている年長者に惹かれていくのは何故なんだろうと不思議だった。素行の悪さや粗暴さがかっこいいという価値観はいつ頃から定着したのだろうか。本作でスティーヴィーが感じる「かっこよさ」は、「男らしさ」の負の側面の要素がかなり強い。強くあらねば、という価値観が暴力や粗暴さの方向にシフトしてしまっているようで、結構きつかった。また、性的な体験の共有、異性への嘲りで仲間意識を強める(これは性別問わず)というのもホモソーシャルの悪しき慣習という感じ。最後にはそういった世界の脆弱さが露わになるが、なぜそういう方向を選んでしまうのかという不可解さがずっと付きまとった。

ロード・オブ・ドッグタウン (字幕版)
ジョニー・ノックスビル
2013-11-26


スケート・キッチン(字幕版)
ジェイデン・スミス
2020-04-01


『ミッドサマー』

 突然家族を失ったダニー(フローレンス・ピュー)は、大学で民俗学を研究している恋人のクリスチャン(ジャック・レイナー)、彼の友人ジョシュ(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)、マーク(ウィル・ポールター)らと、スウェーデンのとある村を訪ねる。この村では90年に一度の祭りが行われるというのだ。その村、ホルガの人びとはダニー達をやさしく迎え入れ歓迎するが、祭りの儀式は彼女らにとって予想外のものだった。監督はアリ・アスター。
 まさかの盛り上がりで大ヒット中だが、個人的にはそれほどでも…。いわゆるホラー的に怖い映画ではないので割と平常心で見られたが、ちょっと長すぎて飽きてしまった。何が起こるか最初からある程度想定内だし、ダニーとクリスチャンとの関係やホルガの村のロッジ内に書かれている壁画の内容からも儀式の顛末は大体予想がつく。「まあそうなりますよね」としか思えないのだ。ただ、すごく拘りをもってきちんと演出されている作品だということはわかる。特にドラッグ類でハイになっているときの描写が、客観的にも当人の主観的にもすごく上手いと思った。芝生の上で全員間の抜けた表情になっている所とか笑ってしまうし、ホルガの食卓の上がぐねぐねしていたり花冠が常に動いていたりというほんのりとした不気味さがいい。ダニーが手足末端に感じる違和感の表現も説得力がある。
 ダニーとクリスチャンとの関係は、この2人なんでまだ別れていないの?というレベルに冷えている。冷えているというよりも、噛み合っていないといった方がいいか。ダニーは元々精神的に不安定だったことに加え、家族を失ったことで更に悪化しており一人になりたくない欲求が強まっている。クリスチャンには依存気味なのだ。対してクリスチャンは、ダニーとの関係は冷えているものの、傷ついている彼女を放っておくこともできず、中途半端な責任感でずるずる付き合っているように見える。クリスチャンはちょっと物事にだらしがない、身勝手な所があるということが友人に対するある態度でもわかるのだが、基本的に良い人なのだろう。とは言え、支えきれない人と安易に関わり続けるというのは双方にとって不幸な気がするし、一緒に異文化圏への旅行なんてもっての外だろう。別れられない、という所にこのカップルの最大の問題があるのだ。
 ホルガの民は迷いや葛藤が薄くて幸せそうだ。何かに所属しており、役割がはっきり決まっており存在を肯定されているという環境は、背景を失ったダニーにとって魅力的なのだろう。その安心感はクリスチャンは与えてくれないものだ。クリスチャンや彼の友人と一緒にいる時のダニーは、大麻を勧められた時のように本意に沿わなくても「私なら大丈夫だから」「気にしないから」と受け入れる。クリスチャンは、最初はダニーに寄り添おうとはするが、途中で止めちゃうし理解を諦めちゃうのだ。ホルガの人たちに対してはダニーは忖度する必要がない。彼らはダニーに共感してくれるのだから。


ウィッカーマン [Blu-ray]
ダイアン・シレント
KADOKAWA / 角川書店
2017-04-28


『見習い警官殺し(上下)』

レイフ・GW・ペーション著、久山葉子訳
 バカンスシーズンのスウェーデン、ヴェクシェー。警官見習いの若い女性・リンダの遺体が、母親のマンションで発見された。彼女は強姦され絞殺されていた。県警本部長は国家犯罪捜査局に応援を要請、エーヴェルト・ベックストレーム警部が派遣されることになった。捜査チームが早速捜査を開始するが。
 CWA賞やガラスの鍵賞を受賞した著者の『許されざる者』を読んだ後に本作を読むと、あれ?だいぶ雰囲気違うな?と思うかもしれない。『許されざる者』の主人公は超切れ者の元警察官ヨハンソン(本作にも現役警官としてちょっと登場する)だが、本作の主人公といえるベックストレームは相当問題がある。セクハラ、モラハラ、経費の使い込みは日常茶飯事。かつ、警官としてあまり有能でない!そしてその自覚がない!普通の警察小説だったら素行は悪いが能力はあるというのがセオリーなのに、ベックストレームはそもそも捜査能力が低いのだ。これが逆に新鮮だった。ほんとに頭悪いんだ…と。
 彼だけでなく、バカンスシーズン故にたまたま手が空いていた人の寄せ集め的な構成の捜査班はお世辞にも腕がいいとは言い難い。まあ普通なのだ。そんな普通の警官たちが右往左往しつつ、地道に事実を拾い上げていくところが本作の読みどころなのだろう。容疑者特定もいきなり出てきたな!って感じの唐突さ。ただ、その唐突さとそこから先の決定打の出せなさがリアル。時に誇張された登場人物の描写とはうらはらだ。文章が少々大げさで鼻につくところがあったが、警察群像小説としてはむしろ地味な展開だろう。

見習い警官殺し 上 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2020-01-22


見習い警官殺し 下 (創元推理文庫)
レイフ・GW・ペーション
東京創元社
2020-01-22




『マザーレス・ブルックリン』

 1950年代、NY。私立探偵事務所の所長フランク・ミナ(ブルース・ウィリス)が殺された。少年時代から彼に育てられた部下のライオネル・エスログ(エドワード・ノートン)は事件の真相を探ろうとする。ミナは何者かの秘密を追っていたのだ。原作はジョナサン・レセム。監督はエドワード・ノートン。
 ノートンが監督主演を兼ねているが、俳優としてはもちろん監督としての筋の良さがわかる好作。90年代が舞台だった原作よりも時代設定をさらにさかのぼらせたことで、翻訳ミステリ小説ファンには懐かしさを感じさせる、クラシカルな探偵映画になっている。ビジュアルの質感や、ジャズを中心とした音楽の使い方(なぜかトム・ヨークが楽曲提供&歌唱しているんだけどあまり違和感ない)も雰囲気あってよかった。ただ、クラシカル故にというかそれに流されたというか、女性の造形・見せ方も少々レトロで、(特に当時の黒人女性がおかれた立場を描くなら)もう少し彫り込むことができたのでは?とは思った。ノートンが実年齢よりだいぶ若い設定の役柄なので、女性と年の差ありすぎないかという所も気になった。設定上はそんなに年齢が離れていないはずだし、確かにノートンは年齢の割に若く見えるのだが、さすがに厳しい。
 題名の「マザーレス・ブルックリン」はミナがライオネルに着けたあだ名。文字通り、ライオネルは母のいない孤児として、疑似父親であるミナに育てられた。ライオネルが親しくなる黒人女性ローラ(ググ・ンバータ=ロー)もまた母親を早くに亡くしており父親に育てられた。ライオネルが追う謎は、2組の父子の父親の謎でもある。父親は実はどのような人間なのか、何をしていたのかという。そして彼が清廉潔白でなかったとしても、子供への愛は依然として残り、それがほろ苦くもある。
 ミナ役のブルース・ウィリスをはじめ、ウィレム・デフォー、アレック・ボールドウィンという大御所がなぜか出演しているのはノートンの人脈か。ボールドウィン演じる不動産王はトランプ大統領を思わせる造形。50年代が舞台なのにも関わらず、地上げと地元民の排除が背景にある点はより現代に通じるものがある。


銃、ときどき音楽
ジョナサン レセム
早川書房
1996-04



『マリッジ・ストーリー』

 NYで活動している女優のニコール(スカーレット・ヨハンソン)と舞台演出家のチャーリー(アダム・ドライバー)夫婦はすれ違いが増え、協議離婚をすることになる。しかしそれまでため込んでいた不満と怒りが噴出し、息子の親権争いも加わり弁護士を立てて全面的に争うことになってしまう。監督はノア・バームバック。
 お互いの「良い所リスト」から始まり、終わるという構成が上手いが皮肉でもある。ニコールとチャーリーの関係は大きく変わるが、双方で挙げた良い所がなくなったというわけではない。人生を共にすることはできなくなってもそれが残っていくということが、救いでもありより辛くもあるのだろう。他人になりきれないのだ。関係が冷えて別居していてもニコールがチャーリーの髪を切ったりしてあげるのも、関係がよかろうが悪かろうがもはや他人ではない、家族でなくなりきる(って変な言い方だけど)のは難しいというとなのだと思う。
 子は鎹とは言うが、ニコールとチャーリーの場合、子供がいるからこそ拗れるという面もある。2人ともお互いにいい親だと認めているだけに、親権争いの為に相手の親としての不備をあげつらっていかないとならないというのがすごくつらい。アメリカの親権争いの苛烈さを垣間見てしまった。当人たちよりそれぞれの弁護士がエキサイトしている感じなのもきつい。
 ニコールとチャーリーの離婚の原因は、チャーリーの浮気にあるともわかってくる。が、真の原因はこれまでのすれ違いの積み重ねだ。多くの離婚がそうなのだろうが。ニコールがロスに滞在したがるのは、実家がロスだということ以上に、NYだと映画の仕事を続けることが困難だという要因が大きいだろう。逆にチャーリーのフィールドである演劇はNYが本拠地。結婚生活はチャーリーにばかり得があるのでは?という気がしてしまう。チャーリーがニコールの事情、彼女のキャリアに対して無頓着に見えるので、よけいそう思った。自分に都合の悪いことには気づかぬようにしているんじゃないの?と。
 ヨハンソンとドライバーの演技がとても良い。特にヨハンソンは、最近は『アベンジャーズ』でアクションを披露しているイメージばかり強くなっているが、本来はすごく微細な演技ができる俳優なんだよなと再確認した。弁護士との面談で泣き出してしまう所や、チャーリーとの言い合いでたぶん思いを言い切れていないんだろうなという表情等、ちょっとした動作や声のトーンがとてもよかった。言外に垣間見える感情のインパクトが強い。ドライバーはハンサムなんだかそうじゃないのかわからないぬーぼーとした面持ち、ちょっともったりとした動きがいい。2人ともセクシーなイメージがあるが、実は典型的な美男美女というわけじゃないんだよな。

イカとクジラ コレクターズ・エディション [DVD]
ジェフ・ダニエルズ
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2009-12-23


ビフォア・サンライズ/サンセット/ミッドナイト ブルーレイ トリロジーBOX(初回仕様/3枚組) [Blu-ray]
イーサン・ホーク
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2017-12-16


『門司の幼少時代』

山田稔著
 フランス語翻訳家であり随筆家である著者が、福岡県の門司(現在の北九州市門司区)で過ごした少年時代を綴った随筆集。
 1930年生まれの著者は市の最盛期に育っており、港町に活気があった様子が端々からうかがえる。比較的裕福だったと思われる著者の家は、行商人からちょっといいお菓子を買ったり百貨店への母親の買い物にお供して、食堂でアイスクリームを食べるのが楽しみだったりと、ちょっと華やいだイベントの描写が楽しい。また、都会からの転校生にあこがれつつも距離を縮められなかったり、持ち回り制のように仲間外れになったりまた何もなかったように一緒に遊んだりという子供の世界を、ちょっと距離を置いたクールな視線でつづる。基本乾いた、あまり感傷的にならない書き方なのだが、両親や姉妹についての文章の方が親密さがあり、近所の遊び仲間や学校の同級生との関係の描写の方が、ちょっと冷徹といってもいいくらいの突き放したものを感じた。肉親か否かということよりも、幼少時の遊び友達というのは案外感傷的ではない、あっさりとしたものなのではと思う。
 なお本作、装丁が素晴らしいので手にとってみてほしい。造本自体にノスタルジック(下手すると文章よりも)な雰囲気がある。

こないだ
山田 稔
編集工房ノア
2018-06-01


天野さんの傘
山田 稔
編集工房ノア
2015-07-18


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