3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名ま行

『名探偵ピカチュウ』

 子供の頃はポケモン大好きでポケモンマスターを目指していたティム(ジャスティス・スミス)は、探偵だった父親のハリーが事故で亡くなったと連絡を受ける。人間とポケモンが共存する都市、ライムシティにある父の事務所を訪れたティムは、自分とだけ会話ができるピカチュウと出会う。ピカチュウはハリーが生きていると確信しており、ティムと共に捜査を始める。監督はロブ・レターマン。
 名探偵ピカチュウを実写映画化ってどういうこと・・・?フェイクニュース・・・?と思っていたが、完成作を見てみたらすごかった。制作側が本気すぎる。ストーリーは正直大分大味でさほど出来がいいというわけではないのだが、「ポケモンがいる世界」の再現度、説得力が凄まじい。私はポケットモンスターの熱心なファンというわけではないしポケモンの種類・名前にも詳しくはないが、冒頭、鳥型のポケモンが空を飛び、草原をポケモンの群れが移動している様を見るとそれだけで何だか感動してしまった。あの2次元のキャラクターが3次元の世界に実在したらどんな感じなのか、人間とポケモンが一緒に生活しているのってどういう感じなのか、一心に考えて作り上げたという気迫がひしひしと伝わってくる。本作の魅力はここに尽きると思う。
 ポケモンの質感にしてもふさふさだったりつるっとしていたり、鱗っぽい凹凸があったりと、バラエティがありつつ「あの」ポケモンだとすぐ納得できて違和感がない。ポケモンの造形だけでなく、舞台となる街並みとか車などのデザイン、サイズなど、デザイン全体が本当によく出来ている。2.5次元てこういうこと・・・?
 父と息子の物語としてはとてもオーソドックス。ティムとハリーの間のわだかまりにしろ、もう1組の父息子のすれ違いにしろ、あっさり風味ではあるが、きちんと王道押さえたエピソードだ。「父の過ちだが後ろめたい、罪悪感を感じる」という言葉がちらっと出てくるのだが、父親を尊敬している、あるいは絆がある(求める)からこそのジレンマではないか。ちょっとした部分なのだが、親子問題の厄介さを象徴しているように思った。自分のせいではなくてもひっかかっちゃうんだよね。

『マイ・ブックショップ』

 1959年、イギリスの小さな港町。戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)はオールドハウスと呼ばれる建物で本屋を開こうと決意する。しかしオールドハウスを文化センターにしようと目論んでいた町の有力者・ガマート夫人(パトリシア・クラークソン)がしつこく嫌がらせをしてくる。町の隠遁者で目利きの読書家・ブランディッシュ氏はフローレンスと心を通わせていく。監督はイザベル・コイシェ。
 フローレンスは夫を亡くして10数年たつ、いわゆる未亡人。彼女は本屋を開くために銀行に行ったり弁護士にあったり、ガマート夫人のパーティーに出向いたりするが、何れの場面でも相手からなめられる。女性だから、特に男性の後ろ盾がない女性だからというわけだ。フローレンスは一見おっとりとおとなしげだが結構しぶとく、彼らの予想を裏切っていく。彼女は何かすごく秀でた所があるというわけではない。しかしへこたれないし、ブランディッシュ氏が評するように「勇気がある」。このシーンは胸を打つ。人と会話することが決して好きではない、言葉のごくごく少ない人が言葉を選んで放つ言葉なのだ。この言葉によってフローレンスは勇気を持ち続けることができたのではないかと思う。そしてブランディッシュ自身も、フローレンスの勇気に打たれて自身も勇気を出すのだ。
 序盤で言及されるように、フローレンスは、そしてブランシッシュも強者ではない。搾取されていく側の人々であり、消えていく側の人々だ。しかし勇気ある人々だし、何より自分が愛するものの為に戦うことができる、それを愛し続けることができる人々だ。本作は何者かの語りによりストーリーが進行するが、その語り手の正体が明らかになると、フローレンスやブランディッシュ氏の勇気がまた誰かの勇気に繋がったこと、その勇気が何を生みだしたのかがわかり、そこにまたぐっとくる。
 本好きにとっては楽しくも切ない物語だ。個人の愛と勇気で出来ることは限られている。しかしその愛と勇気がまた誰かに火を付け、その火が誰かの人生を動かすこともある。
 風景がとても素敵な映画だった。フローレンスの散歩コースが羨ましい。ああいう場所を一人でずんずん歩いて行けたら気持ちいいだろうな。そして本屋の中の本のタイトルを必死で目で追ってしまう。

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『港の兄妹』

 ちいさな港町で自閉症の妹・真理子(和田光沙)と2人暮らしをしている良夫(松浦祐也)。工場の仕事を解雇されて食事にも事欠く状況になった良夫は、真理子に売春をさせ日銭をかせごうとする。妹を斡旋することに罪悪感を持ちつつ、今まで知らなかった彼女の一面を目にしていくが。監督・脚本は片山慎三。
映像にはっとするような部分があるし、俳優の鬼気迫る演技はすごい。人間のかっこわるい、みっともない表情を赤裸々に見せている。しかしその赤裸々さが大分古臭い、昔のテンプレートっぽいなと思った。貧しい兄妹というのも、妹に体を売らせるという設定も、セックスによって違った面が見えてくるというのも、今これをやる必要があるのかな?という気がした。
 妹が売春をするというくだりにはイ・チャンドン監督『オアシス』に似通ったものを感じた。障害者の性を描くことが危ういというのではなく、当事者である女性の真意がどういうものであるか確認しようがないというシチュエーション、にも関わらず本人が意欲的であるという風に作劇されているところの無頓着さがどうも気になった。
気になると言えば、兄妹の世界がすごく内向きだという所も気になった。社会からどんどん乖離していく。ある程度抽象的な描き方を意図しているのだろうとは思うが、具体的にどういう仕事をしてきた人でどういう生活をしていてという部分が(食生活の貧しさ等が具体的に見せられているにも関わらず)あまり迫って来ない。貧しさと社会とが乖離している感じが気になった。
 本作に限らず日本映画で貧困を描く時、当事者の外側がないというか、どういう社会に所属していて公的な支援があるのかないのかといった視点があまりないように思う。本作の場合、貧しさを具体的に描くことが目的というわけではないだろうが、あまりに抽象的になのも不自然。貧しさが観念的すぎるし、当事者の内面の問題に帰結しているように見えてしまう。

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『〈山〉モンテ』

 中世のイタリア。山麓の村のはずれで暮らすアゴスティーノ(アンドレ・サルトレッティ)とニーナ(クラウディア・ポテンツァ)夫婦は幼い娘を亡くし、悲しみにくれていた。過酷な環境に耐え兼ね、仲間たちは山を去っていくが、アゴスティーノは留まり続ける。しかし町に行商に出ると、山の民に対する厳しい差別が待っていた。追い詰められていくアゴスティーノは、1人岩山をハンマーで叩き始める。監督・脚本はアミール・ナデリ。
 何かに取りつかれた人、異様な情熱に突き動かされていく人を描くという点ではナデリ監督が西島秀俊主演で撮った『CUT』と同様と言えるが、本作では更にクレイジーさを極めている。そして更にパワフル。山が動くって、そういう方向か!と唖然とする。ナデリ監督は(結果の出る出ないは別問題として)人間の意思の力に対して信頼感がある、あるいはこうでなければならないという信念を持ち続けているように思える。アゴスティアーノは情念に取りつかれて動いているという一面はあるが、同時にその動きは、自分を縛り付けるもの(の象徴)を打ち砕く為のもの、自由を手にする為のものでもある。おかしいのは世界の方だ!だからそれを変える!という強い怒りと意志がある。
 ナデリ監督作はどれも音の使い方がとてもいいのだが、本作も同様。山の底の方から響いてくるような、低い不協和音に満ちている。また、山の中にいるとよく聞こえる、虫や動物の声っぽいが正体がよくわからない音。これが聞こえると、すごく山っぽい。ほぼほぼ何の音かわかるのだが、たまにえっ何?!という音が混じってくるのだ。
 アグスティーノは、町ではいわゆる被差別民として扱われ、不吉な存在として忌み嫌われている。しかし、町の人たちのそういった態度が、彼を本当に「邪眼持ち」、理解しがたい存在にしてしまうのではないかとも思えた。祭壇前のロウソクを逆さにして火をもみ消すシークエンスには凄みがあった。ああこちら側とのつながりを全部捨てちゃったんだなと。

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『メリー・ポピンズ リターンズ』

 バンクス家の長男マイケル(ベン・ウィショー)は家族を持つ父親に、長女ジェーン(エミリー・モーティマー)は貧しい労働者を援助する市民活動家になっていた。しかしマイケルは妻を亡くし、融資の返済期限切れで抵当に入れていた家まで失いそうになる。そんな彼らの前に、完璧な子守だったメリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が戻ってくる。監督はロブ・マーシャル。
 1964年のディズニー映画の20年後を描く、(ディズニー的には)正式な続編。リメイクや「別物」扱いではなく続編としたことは、結構勇気がいったのではないかと思う。ジュリー・アンドリュース主演の前作(ロバート・スティーブンソン監督)はミュージカルとしても、実写とアニメーションを合成したファンタジー作品としても高い評価を得ており根強いファンがいる作品。これの「続編」とうたってしまうと、全作のイメージを壊さず、しかし現代の作品としてアップデートし、かつ旧来のファンの期待を裏切らないように作らなくてはならない(加えて、私のように原作ガチ勢で1964年版も映画単体としては楽しいけど『メアリー・ポピンズ』シリーズの映画化作品と思っちゃうとちょっと・・・という人もいる)。しかし本作、このへんの問題はそこそこクリアしていたように思う。
 衣装や美術セットのデザイン、色合いがとてもかわいらしいのだが、まるっきり「今」の映画として作られていたらこういう色味は選ばれないのでは、というニュアンスがある。昔の映画の、ちょっと人工的でカラフルな色味だ。お風呂から出発する海の冒険のシーンなど、それこそ昔のミュージカル映画のレビューシーンのバージョンアップ版ぽい。技術も演出も現代の映画なのにどこかレトロさもある。このレトロ感と現代感の兼ね合いが上手くっていたように思う。またセル(風)アニメーションとの組み合わせも前作を引き継いでの演出だろうが、こんな面倒くさいことをよくもまあ(今アニメーションと合成するならもっと楽な方法があるのではと思う)!という絶妙な懐かしさ演出。
 音楽に関しても、前作の言葉遊びノリを引き継いだものでとても楽しい。ブラントもウィショーもこんなに歌って踊れる人だったのか!と新鮮だった。ただダンスに関しては、ブラントはリズム感の強いものはちょっと苦手なのかな?という気もしたが。ミュージックホールでの彼女はちょっと動きが重い感じがした。ダンスシーンで一番楽しかったのは点灯夫たちが歌い踊るシーン。前作の煙突掃除夫たちのダンスを踏まえてのものだろうが、自転車を使った動きは現代的。ショットの切り替えが頻繁なのは少々勿体なかった。舞台を見る様に引きで全体を見ていたい振り付けだったと思うんだけど。ドラマ映画としての見せ方とミュージカルとしての見せ方がどっちつかずになっていた気がする。
 メリー・ポピンズは子守、家庭教師であり、彼女が直接的に世話をするのは子供たちだ。しかし彼女が来たのは父親であるマイケルの為と言っていいだろう。子供たちは死んだ母親を恋しがってはいるが、死を受け入れられないわけではない。このあたり、マイケルが父親としてちゃんとしているんだろうなと窺える。マイケルは少々頼りないし時に子供の前でも取り乱すのだが、すぐにフォローを入れる。彼が子供に安心感を与えることが出来ていればおそらくこの一家は大丈夫なので、マイケルを助ける為にメリー・ポピンズが来るのだ。とは言え、抵当を巡るクライマックスの展開には、それが出来るなら最初からやればいいのに!と突っ込みたくなる。メリー・ポピンズが何に魔法を使うことを良しとし何には使わないという主義なのか、線引きがご都合主義だと思う。


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『マチルド、翼を広げ』

 9歳の少女マチルド(リュス・ロドリゲス)は母親(ノエミ・ルボフスキー)と2人暮らし。母親は少々風変りで、マチルドは彼女の言動に振り回されっぱなしだ。ある日、母親が小さなフクロウをマチルドにプレゼントした。フクロウは何と人間の言葉を喋りだすが、その声はマチルドにしか聞こえない。フクロウはマチルドの心の支えになっていく。監督は母親役も演じたノエミ・ルボフスキー。
 マチルドの母親は、いわゆる母親らしからぬ、大人としてはちょっと突飛で困った人ではある。しかしマチルドにとっては愛する母親だ。マチルドが必死で母親のフォローをする姿はいじらしい。冒頭、校長室での校長先生とのアイコンタクトらしきものは、子供がそこまでやらなくてはならないのかとちょっとやりきれなくなる。マチルド自身もそんな状況に納得しているというわけではない。フクロウは母親が変なんだという怒りを口にするが、これは普段は言えないマチルドの心の代弁だろう。とは言えマチルド当人が怒りを爆発させる時もある。クリスマスの夜の顛末は思いきりが良すぎて危なっかしい以上に小気味良いくらいだ。マチルドが置かれている境遇はネゴレクトとも言えるのだろうが、あまりそういう印象を受けないのは、マチルドがはっきりと怒りを見せ、母親に反抗するからだろう。
 一方マチルドの母親は娘を愛してはいるが、自分が母親という役割に不向きだという自覚はある。一見、母親が娘に依存しているようではあるが、離れたがらないのはむしろマチルドの方だ。母親はずっと、娘と距離を置く決意をしていたとある言葉からわかってくる。愛の有無ではなく、どんなに愛情があっても夫婦、親子という形状に不向きな人はいるはずだ。母親が漏らす、「人との距離が近すぎる、あなた(元夫)の手も重い」という言葉が痛切だ。マチルドの両親は離婚しているが、父親(マチュー・アマルリック)は娘のことはもちろん、元妻のことも未だ愛している様子が見て取れる。愛の有無と、一緒に暮らせるかどうかは別問題というところが切なくもあり、一方でこういう形の家族もありだと思える。おそらくマチルドもその境地に達するのだ。ラストはちょっと蛇足な気もしたが、彼女が母親と同じ言語を獲得したと言うことかなと思う。
 色合いがとてもきれいな作品だった。青みがかった映像の中に、黄色やピンクが映えていた。マチルドの服が柄×柄だったり、カラータイツが鮮やかだったりと可愛らしい。

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『マイル22』

 インドネシアのアメリカ大使館に保護を求めてきた現地警察官のリー・ノア(イコ・ウワイス)。彼は何者かに奪われた危険物質の行方を知っている、亡命させてくれればその情報を教えると取引を持ちかけてきた。国外に脱出させるため、ジェームズ・シルバ(マーク・ウォールバーグ)率いるCIAの機密特殊部隊が護衛につき、空港までの22マイルを移動し始めるが、次々と武装勢力が迫ってくる。監督はピーター・バーグ。
 バーグ監督の前作『パトリオット・デイ』では、銃撃戦をどのようなバリエーションで演出できるかというチャレンジが印象に残ったが、本作も同じ系統にあると思う。バーグ監督は銃撃戦とマーク・ウォールバーグが大好きなんだなーとしみじみ実感できる作品だった。ウォールバーグは多分監督にとってのミューズなんだろうが、この人のどのへんがそんなにいいのか、見ている分にはちょっとよくわからないんだよな・・・俳優として何か突出しているタイプの人という印象がない。銃撃戦アクション演技への対応が的確なんだろうとは思うが。あとは単に人として相性がいいとかなのかな・・・。本作の主人公シルバは神経質かつクレイジーなキャラクターで、ウォールバーグの持ち味とはちょっと違う気もしたのだが、そのへんはねじ伏せてしまうウォールバーグ愛だった。多分またウォールバーグ主演で何か撮るんだろうな・・・。
 銃撃戦の面白さはもちろんだが、本作は肉弾戦も魅力的。リー・ノア役のウワイスの動きが良すぎる!速い!(ジャンプが)高い!強い!と思っていたら、『ザ・レイド』の人だというので納得。彼のアクションシーンだけ別ジャンルの映画に見えるくらい、突出している。他の人たちと重力のかかり方が違う感じがするのだ。しかしウォールバーグのやや重めの肉体感とのバランスが良く、この2人主演での続編を見たくなった。
 アクションシーンがほぼ移動しながらのもののみというユニークさだが、ちょっと禁じ手的な部分もあり、それを出せるならもっと早くに出せば?と思った所も。また、監視カメラの類から(という設定の)映像を駆使した構成だが、そのカメラはいつ設置したんだ?(特に冒頭の突入先)と突っ込みたくなった。あと、ハリウッド映画では本作と同様の「危険物質」が盗まれ過ぎなので、そろそろ別のパターンが必要なのでは。そんなに精緻な作品ではなく、見た後には内容を忘れてしまうのだが、スカッと楽しめた。

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2015-07-24


『メアリーの総て』

 19世紀のロンドン。思想家の両親の元に生まれ、父が経営する書店を手伝いながら自らも執筆を夢見ているメアリー(エル・ファニング)。スコットランドの知人宅に滞在した際、新進気鋭の詩人パーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と出会う。しかりパーシーには妻子があった。情熱に駆りたてられた2人は駆け落ちし夫婦生活を始めるが、パーシーの経済的な問題、幼い娘の死と相次いで悲劇に見舞われる。詩人バイロン卿(トム・スターリッジ)の別荘に滞在したメアリーは、「皆で1つずつ怪談を書こう」と誘われ、あるアイディアに着手する。監督はハイファ・アル=マンスール。
 作家メアリー・シェリーが後世に読み継がれる怪奇小説『フランケンシュタイン』を執筆するまでをドラマ化した作品。エル・ファニングがまあはまり役で、今こういう役を演じたら敵うものなしという感じなのだが、こういう役ばかりでもなぁ・・・とちょっと複雑な気分にもなる。少女性を加味されすぎな気がするので。それはさておき、キャストが全員ハマっていてなかなか良かった。特にパーシー・シェリーのまず顔ありきな感じにはちょっと笑ってしまった。顔と才能が傑出していなければただのクズというところが潔い。
 メアリーは先進的な家庭に生まれたけど、時代の壁は厚い。自由恋愛とは言っても、パーシーにとっては自分に都合のいい「自由」で、メアリーを個人として尊重しているとは言えない。パーシー自身にはメアリーを尊重していないという自覚はないのだろうが、この「自覚すらない」というのが非常にやっかい。彼が自由恋愛を主張するロジック、現代でも使う人がいると思われるけど、元々2者が立っている地平が同等ではないということが念頭にないのだろう。
 パーシーはメアリーの文才は認めているものの、彼女にとって自分の作品がどのような意味を持つのかという所までは考えが及ばない。(作品のクオリティが高ければ)作者名はどうでもいいというのは、既に名がある、自分の著作物だと主張することが許されている(女性作家名の作品は出版できない等とは言われない)から言えることだろう。また、モンスターではなく天使のような創造物を描けばいいのにという意見も、なぜモンスターなのかということを全く考えていない(心当たりがない)から言えることだ。そこから言われてもね、という苛立ちは否めない。メアリーは出版社への持ち込みや出版の条件からして、パーシーら男性作家に付与されているものを持っていないのだ。著作権問題といえば、ドラキュラを執筆した(と主張する)医者も気の毒だ。バイロン本人が自分の著作ではないと言ってもダメなのか・・・。当時の女性の辛さがてんこ盛りでなかなかどんよりとしてくるのだが、現代でもこういうことってあるなと思えてしまう所がさらに辛い。
 メアリーが『フランケンシュタイン』を執筆し始め、書きすすめる過程は史実とは違うのだろうが、それまで彼女が読んだ本や体験、全部盛り込まれ集約されていくことが分かる見せ方になっていたと思う。前半で出てくるスコットランドの情景がとてもよかった。広くて静かで寂しく、寒々しい。メアリーは「夜が静かすぎて眠れない」と言うのだが、そうだろうなぁ。この風景もメアリーの著作の下地になっているということが実感できる。こういう環境でしばらく暮らしてみたくなった。

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光文社
2010-10-13






ワアド・ムハンマド
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2014-07-02

『未来を乗り換えた男』

 ファシズムの嵐から逃れ、祖国ドイツからフランスへやってきたゲオルグ(フランツ・ロゴフスキー)。しかしパリもドイツ軍に占領されつつあり、南部の港町マルセイユへ向かった。パリのホテルで自殺していた作家ヴァイデルのパスポートをたまたま手に入れた彼は、ヴァイデルに成りすましてメキシコへ渡ろうとする。しかしたまたま知り合ったヴァイデルの妻マリー(パウラ・ベーア)に心奪われてしまう。原作はアンナ・ゼーガースの小説『トランジット』。監督・脚本はクリスティン・ペッツォルト。
 第二次大戦下のヨーロッパのような社会情勢で描かれているが、舞台となっているのは明らかに現代(スマホも出てくる)。しかし登場人物の服装はどこかレトロで時代の特定はしにくい。どこでもありどこでもない、いつでもありいつでもないという不思議な雰囲気がある。この特定できなさ、逆に言うとどこでも・いつでもありうる普遍性を醸し出す美術面の匙加減が上手いと思った。マルセイユという町の風景も効果的。
 ゲオルグの行動はマリーに魅せられてのものではあるのだろうが、それ以上に彼の人となりから来るもののように思えた。汽車で同乗した相手にしろ難民の子供にしろ、困っている・傷ついている人がいたらとりあえず助けようとはするのだ。見込みが甘かったり自分の都合が優先させられたりはするが、基本的に善意がある。人間には善意があるはず、窮地の中でも人として正しいことをする瞬間があるはずという、オプティミズムのようなものを感じる。同監督の『東ベルリンから来た女』でも、自分の処遇はともかく「正しいことをした、これが私にとっては勝利だ」という話だった。人間は利他的になれるという希望を常に持っているように思える。本作は三角関係を含んだロマンス映画でもあるが、ロマンス以上に人間のこういった部分の方が強く印象に残った。善意は中途半端な形で発揮されるかもしれない。ゲオルグの手助けは概ね中途半端なものだ。でも、やるんだよ!というのが本作の方向性では。
 
 一方で、ゲオルグを引き留めているのは土地そのものでもあるように思えた。この土地に辿りついた人は土地の呪縛に絡み取られ、ずっとこの地でさまよい続けるのではないかと。マリーが夫を探し続けるのも、彼を愛し続けているからというよりも、この地を出られないような呪いをかけられたように見える。彼女の気持ちがふわふわしているように見えるのも、そのせいではないだろうか。

東ベルリンから来た女 [DVD]
ニーナ・ホス
アルバトロス
2013-07-03





『マイ・サンシャイン』

 1992年、ロサンゼルス・サウスセントラル。ミリー(ハル・ベリー)は色々な事情で家族と暮らせない子供たちを預かり育てる、里親をしていた。怒りっぽい隣人のオビー(ダニエル・クレイグ)は子供たちの騒々しさに文句をつけつつも、子供たちが困っていると捨て置けずにいる。ある日、黒人少女が万引き犯と間違われ射殺された事件、拘束された黒人男性が警官から集団暴行を受けた事件で、不当判決が下される。裁判の行方を見守ってきた市民たちが暴動を起こし、その怒りはあっという間に広がっていく。ミリーと子供たちもそのうねりに巻き込まれていく。監督はデニズ・ガムゼ・エルギュベン。
 ロサンゼルス暴動を背景としているが、暴動そのものというよりも、たまたまその時期、その場所に居合わせてしまったロスの住民たちの姿を描く。ミリーにしろ“長男”的なジェシー(ラマー・ジョンソン)にしろ、裁判の行方をTVニュースや中継で追い続けるくらいには関心を持っているし、裁判の結果に「ありえない!」と憤慨する。ただ積極的に暴動に参加しようとはしない。当時、ミリーと似たようなスタンスだった人も大勢いただろう。ジェシーも本来暴動に関わったり面白がったりするような性格ではないが、友人や思いを寄せる少女の手前、何となく行動を共にしてしまい、ある悲劇に直面する。暴動がいい・悪いという問題ではなく、その中ではこういうことが起きやすくなるしそれはどうにも出来ないのだろうという所がやるせない。ジェシーは法律が不当なことを正すはずと考えており、それは至ってまともなことなのだが、そのまともさが通用しない世界であることを目の当たりにせざるを得ないということが、また辛いのだ。彼がこの先世界を信頼できるのかどうか、とても心配になる。
 ミリーとオビーは一見共通項がなさそうだが、ある出来事で2人の心がすごく近づいて見える所がいい。シリアスな状況なのにどこかコミカルな味わいがある。2人を近付けるきっかけも、その後の進展も子供たちの存在によるものだ。オビーは大抵何かしら怒ったり怒鳴ったりしているのだが、子供への対応が意外とちゃんとしている。外に子供がいたら保護して何か食べさせようとするし、一緒に踊るし、暴力描写のある映像は見せないように配慮する。子供はケアしなければならない、という意識がミリーと共通しているのだ。弱いものを無視できない所が垣間見え、ミリーが惹かれていくのも何となくわかる。ダニエル・クレイグと子供たちとのコントラストがまた意外と良い。
 また、子供がきっかけになるものの、子供との関係とはまた別の部分でミリーにとってのオビーの存在が大きくなるというのも良かった。母親としての面と恋に浮き立つ面との両方があり、どちらかがどちらかを圧迫するものではないのだ。

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