3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名は行

『バトル・オブ・セクシーズ』

 1973年、女子テニス世界チャンピオンのビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は女子の優勝賞金が男子の8分の1である等、テニス界の男女格差に異議を唱え、仲間と共にテニス協会を脱会、女子テニス協会を立ち上げる。元男子世界チャンピオンのボビー・リッグス(スティーブ・カレル)は男性優位主義を主張。彼女に挑戦状をたたきつける。監督はバレリ・ファリス&ジョナサン・デイトン。
 ショットのつなぎ方による、ビリー・ジーンとボビーとの対比の強調が印象に残った。2人とも動作としては同じことを(例えばベッドに座る等)しているのだが、置かれている状況・背景は全然違う。お互い試合に挑むわけだが、ビリー・ジーンが背負っているものは自分の人生だけではない。女子テニス界の命運、そしてテニス界のみならず世界中の女性の未来が彼女の肩に乗っているのだ。それを理解してしまった彼女のプレッシャーは大変なものだったろう。ヘルドマン(サラ・シルヴァーマン)が「運命よ」と言うのだが、歴史が動く瞬間の当事者になってしまったのだ。だからこそ、「一人で行くわ」と戦いに挑む彼女の姿には凄みがあるし、試合後、ロッカールームでの彼女の振る舞いが胸に刺さりまくる。
 一方、ボビーにとってこの試合はスポンサー収入の為、ギャンブルの為、そして離れていった妻の心をつなぎとめる為の手段だった。しかし、ビリー・ジーンの本気にあてられるようにボビーの表情が試合中、徐々に変わっていく。プロとして真摯さには真摯さをもって応じなければならず、そこに性別は関係ない。対人関係の基本であるが、これがいかにないがしろにされてきたことか。
 ビリー・ジーンが戦う性差別や偏見は、ボビーのようなあからさまな形ではなく、テニス協会のジャック・クレイマー(ビル・プルマン)のような、一見紳士的な形で現れる。これは未だにそうだろう。冒頭、クラブにビリー・ジーンとヘルドマンが押しかけるシーンでのやりとりが象徴的だ。彼らは社会的な強者で、ボビーのように自ら矢面に立つ必要がない。旧来の社会が彼らを守っているのだ。ビリー・ジーンはそこに切り込み、エンドロール前の字幕でわかるようにその後も切り込み戦い続ける。その勇気と覚悟が現在に繋がっているということに、やはり胸が熱くなる。
 ビリー・ジーンとマリリン(アンドレア・ライズボロー)の恋の高揚感や、それに対して罪悪感を覚えるビリー・ジーンとマリリンとの自由さを巡る会話もいいのだが、ビリー・ジーンの夫ラリー(オースティン・ストウェル)の振る舞いは更に印象深い。彼女にとっての一番は僕でも君でもなくテニスだという言葉には、彼女への深い理解と尊重が込められている。こういう愛はなかなか得難い。

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『パンク侍、斬られて候』

 超人的剣客の流れ者・掛十之進(綾野剛)は、新興宗教はら振り党の脅威が迫っており、自分はそれを止められると大見得を切り士官を企むが、黒和藩の筆頭家老・内藤(豊川悦司)にそのハッタリを見抜かれる。しかし内藤は掛を起用し、はら振り党の脅威を逆手に取ろうとしていた。原作は町田康の小説、監督は石井岳龍。脚本は宮藤官九郎。
 ぱっと見、派手でキッチュな変格時代劇といった雰囲気だが、何しろ原作が町田康だから一筋縄ではいかない。爽快は爽快かもしれないが何もかも投げ捨てた後の爽快さとでも言えばいいのか。しかし、所々面白いシーンはあるものの、これ原作小説は面白いんだろうなぁ・・・という感想に留まってしまう勿体なさが拭えなかった。
 勿体なさの大半は、本作のテンポの悪さからくるものだと思う。宮藤官九郎は、長編の構成はあまり得意ではないのではないか。約45分×12回前後というフォーマットの、連続ドラマのテンポでの方がポテンシャル発揮していると思う。ナレーションを駆使したメタ演出も裏目に出ているように思った。おそらく原作の文体や、メタ構造を用いた表現をなんとか再現しようとしているのだと思うが、映像作品としてこれが正解なのかというと微妙。ひとつひとつのシークエンスがとにかくダレがちなので、実際の尺よりも体感時間が長く、全編見るのがかなり辛かった。全体を2倍速くらいで見るとちょうどいい気がする。
 綾野の身体能力はやはり素晴らしいのだが、本作のような面白方向に振り切った「超」アクションだと、逆にそのすごさがわかりにくい。この点も勿体なかった。そもそもアクションが出来る俳優を起用しなくても、本作の場合問題ないんだよな・・・。役者としての面白さが発揮されていたのは豊川。えっこの人こんなに面白かったっけ?!と新鮮だった。ぬめっとした色気とどこか気持ち悪いオモシロ感がとても生き生きとしている。本作、概ねテンポが悪いのだが綾野と豊川の掛け合いのシーンだけはやたらとキレが良かった。


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『ブリグズビー・ベア』

 外の世界は大気が毒されていると教えられ、シェルターの中のみで育った25歳のジェームズ(カイル・ムーニー)。彼の最大の楽しみは毎週届く教育番組『ブリグズビー・ベア』を見ること。ある日、シェルターに警察がやってきて両親は逮捕される。彼らは赤ん坊のジェームズを誘拐し今まで育ててきた犯人だったのだ。実の両親の元に返され「外の世界」で暮らすことになったジェームズだが。監督はデイブ・マッカリー。
 ジェームズが愛する『ブリグズビー・ベア』は、実は誘拐犯であり偽の父親であるテッド(マーク・ハミル)が彼の為だけに作った番組。その番組がジェームズの行動指針であり心の支えであるというのは、かなり危うい所がある。ジェームズとの心情的な関係がどのようなものであれ、テッドがやったことは犯罪でジェームズの本来の人生、彼の実の家族の人生を破壊することだった。ジェームズがブリグズビー・ベアに拘る様は、彼の実の両親には非常に残酷だし傷つくことだろう。
 とは言え、本作はこの倫理的なラインをぎりぎりでクリアしているように思う。実の両親はジェームズに対して一見無理解に見えるが、これは仕方ないこと(何しろ20数年会ってない)だし、彼らがジェームズとの間の溝を埋めようと一生懸命だと描写されている。またテッドはユニークな人物ではあるが、彼を過剰に擁護するような視点はない。何より、ブリグズビー・ベアに対するジェームズの情熱は彼のクリエイティビティの爆発を促し、彼と周囲の人たちとをつなげるものになっていくのだ。テッドが生み出したブリグズビー・ベアが、ジェームズを外の世界に導き実の家族との絆を育てるものになるというのは皮肉でもあるのだが、創作物の不思議ってこういう所にあるんだろうなとも思わせるのだ。
 ジェームズの初めての友達になる少年(妹の同級生)はスター・トレックのファンで映像制作をかじっているのだが、彼のブリグズビー・ベアへの食いつきが良すぎて笑ってしまった。スター・トレックファンはやっぱり宇宙探索ものが好きなのかなとかシリーズ数、話数に拘るのかー等、ジェームズとのやりとりはオタク同士の幸せな会話という感じ。この2人がエンジンとなったチープな映画作りが本当に楽しそうで、『僕らのミライへ逆回転』(ミシェル・ゴンドリー監督)を思い出した。映画を一緒に作ることで何かを取り戻す、新しい何かが生まれていくという所が共通しており、そこにぐっとくる。ジェームズは最終的に、映画を作る、それを人前で披露する(これがすごく大事なのではないかと思う)ことで自分と自分のこれまでの歴史にふんぎりをつけるのだ。ラスト、ブリグズビーベアがどうなったかという所はとても象徴的。

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『母という名の女』

 メキシコのリゾート地バジャルタに住む姉妹。17歳の妹バレリア(アナ・バレリア・デセリル)は、同い年のボーイフレンド・マテオ(エンリケ・アリソン)との子供を身ごもっている。そこに長年別居していた母アブリル(エマ・スアレス)が現れる。バレリアと新たに生まれた彼女の娘カレンの世話に奔走しているかに見えたが。監督はミシェル・フランコ。
 アブリルは母親として登場し、いかにも母親らしい振る舞いを強調していく。最初はバレリアも彼女を頼るし、3世代の女性達の共同体が作られているかに見える。しかし徐々に、アブリルの母親然とした言動には、支配的な側面もあることがどことなく感じられる。特に長女クララ(ホアナ・ラレキ)の体型と食生活に対する発言は、さりげないのだがこれってモラルハラスメントに当たるのでは?と見ていて気持ちがざわつく。アブリルは長女の健康とルックスを心配している体で言うのだが、自分の価値観に一方的に当てはめているということでもある。あの状況で病院に連れて行かれたらショックだし傷つく(そもそも病院に行くほどの問題には見えない)と思うんだけど・・・。クララが家庭内で、妹のバレリアからも蔑ろにされている様子が冒頭10数分でわかってしまう(バレリアの無頓着さは、そういう人だからというよりも相手がクララだから、侮っているからだろう)ので、その上でアブリルの言動を見ると更にいたたまれない。
 アブリルの支配力はクララを侵食し、バレリアとマテオにも及んでいく。彼女の行動はやたらと思い切りが良い。そして一見、「母親として当然」であるかのように装われている。バレリアとカレンに対する行動は、未成年だし止む無し、という側面もあるにはある。しかし問題なのは、バレリアへの意思確認や彼女との話し合いが全く行われない、ひたすら一方通行だということだ。アブリルの行動は結局アブリルの欲望に基づくもので、一方通行なのも当然だ。彼女の行動=欲望が加速していく様に唖然としつつ、これって「母」要素はあまり関係ないなと思った。アブリルがアブリルだから、というのが正しい所で、母という要素の方が後付だろう。仮に母親じゃなかったとしても、アブリルはこのような行動をする人なのだと思う。そういう意味では邦題はミスリードなのだが、ラストで「母」はアブリルだけではなかったとはっとする。母と言う名の女は、彼女の方だったのかと。

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『バーフバリ 王の凱旋』

 蛮族カーラケーヤとの戦争に勝利し、マヒシュマティ王国の次期国王に氏名されたアマレンドラ・バーフバリ(プラバース)。見聞を広げる為に身分を隠して国外を旅する中で、クンタラ王国王女デーヴァセーナ(アヌシュカ・シェッティ)と恋に落ちる。彼女を妃にしようと国に連れ帰るが、王の座とデーヴァセーナを奪われたことをねたむ従兄弟バラーラディーヴァ(ラーナー・ダッグバーティ)の策略に翻弄される。監督はS・S・ラージャマウリ。
 前作『バーフバリ 伝説誕生』(伝説誕生の主人公・シヴドゥの父親の話が王の凱旋なのね)は見ていないのだが、意外と大丈夫。また完全版で見たのだが、さすがに長すぎて終盤少々辛かった。ただ、音楽と踊りがあることでかなり間がもつし飽き難くなるんだなということは良く分かった。歌って踊っている場面は概ね楽しい。私は普段、本作のような超エンターテイメント大作のインド映画を殆ど見ないので、その作法には少々戸惑った。ブロマイド風ショットにそんなに尺がいるの?とか、CGの風合いがもろCGでも気にならないの?とか、このシークエンスここで切っちゃうの?そしてここと繋ぐの?とか。映画に求めるものの違いがなかなか面白い。ドラマ部分よりも歌謡ステージ的な部分の方が見ていて違和感ないのは、求めるもののギャップが少ないからなんだろうな。
 バーフバリのキャラクターが、意外と見えてこないところが興味深い。際立った個性があるわけではなく、最大公約数的な「英雄」「ヒーロー」といった感じだ。対してデーヴァセーナや王母シヴァガミ(ラムヤ・クリシュナ)らは、こういう人でこういう価値観を持っている、という造形がはっきりとわかる。特にデーヴァセーナの率直さや強さは好ましかった。そりゃあ指を切るよな!デーヴァセーナの従兄弟がバーフバリ言葉により本当の勇気を手にする姿にもぐっとくる。その分、後々の展開が辛いんだが・・・。

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『ファントム・スレッド』

 1950年代ロンドン。著名なオートクチュールの仕立て屋レイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)は、若いウェイトレス・アルマ(ビッキー・クリープス)を見初めて自身のハウスにモデルとして招き入れる。ハウスはレイノルズの美学、生活様式に合わせて、姉シリル(レスリー・マンビル)が厳密に取り仕切っていた。しかしアルマがハウスで暮らすようになり、レイノルズの整然とした生活は変化していく。監督・脚本はポール・トーマス・アンダーソン。
 映像もジョニー・グリーンウッドの音楽もとてもエレガントで、往年の名画のようなルックス(タイトルクレジットなどもろにそうだ)。車中のショットも昔の映画の、車窓の外の風景だけが流れていくスタイルを彷彿とさせる。しかし、男女の関係が少々ありきたりで、特に「衝撃」というほどの展開とは思えない。あえてオールドスタイルを狙ったというのならわかるが、そういうわけでもなさそうだしな・・・。ポール・トーマス・アンダーソン監督作としてはいまひとつパンチが弱い。
 アルマのような女性が、これまで何人もいたことは冒頭で示唆される。そしてレイノルズがどの女性のことも愛さなかった、少なくとも彼女たちが望むような形では愛さなかったことも。彼女らとアルマの違いは何だったのか。アルマが結構我が強い、自分がやりたいことをやろうとする人だということは、序盤から何となくわかる。私はこう思う、という意思表示がそれとなくされている(レイノルズはそれにイラつくわけだが)のだ。レイノルズのゲームをアルマが乗っ取っていく、自分のゲームにレイノルズを乗せていくようにも見えた。レイノルズの幼児退行的な傾向は、時代に取り残されていると彼が無意識に感じていく様と平行している。もう外の世界を捨ててしまえばいいという、支配される楽さに気付いてしまったようにも。
 中盤、レイノルズとアルマが初めて共犯関係を結ぶと言ってもいいエピソードがあるのだが、私にはとても醜悪なものに見えた。レイノルズは自分のドレスの処遇に怒るわけだが、そこをなんとかするのがドレスメイカーの矜持なのでは・・・。冒頭に登場する顧客に対しては、それができていた(彼のドレスを着ると自分に自信が出ると言う)のに。彼はむしろ自分の作品が敗北したと考えるべきなのでは。

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『ビューティフル・デイ』

 元軍人のジョー(ホアキン・フェニックス)は行方不明の少女たちを探し出す仕事を請け負って生計を立てながら、老いた母親(ジュディス・ロバーツ)と暮らしている。彼の元に、議員の娘ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)の捜索依頼が入る。ある売春宿でニーナを保護したジョーだが、何者かに襲われ、ニーナをさらわれてしまう。原作はジョナサン・エイムズ(製作総指揮にも参加)の小説。監督・脚本はリン・ラムジー。
 原作は非常に私好みだったが、映画版も良かった。監督の前作『少年は残酷な弓を射る』よりも本作の方が好きだ。ジョニー・グリーンウッドの音楽が作品のトーンとよくあっており、音楽あってこその作品だと思う。ジョーはトラウマを抱えており、幾度となく過去がフラッシュバックし彼を苦しみの中に引き戻す。この引き戻しと音楽とが強く結びついている。とても美しい部分と神経をゴリゴリ削っていく部分とが入り混じっているのだ。
 ホアキン・フェニックスがカンヌでまさかの主演男優賞を受賞した本作だが、本作のホアキンは確かに良い。お腹がだるーっとしているのに筋肉質で何となく怖いし強そう。そして動きが不審者ぽく、目は胡乱。非常に訓練されたプロフェッショナルであると同時に、強いトラウマを持ち精神を削がれ続けているジョーという人のパーソナリティを的確に演じていたと思う。ジョーは自殺願望があり何度も未遂行為をしているのだが、ぎりぎりでこの世に踏みとどまっているような不安定さがよく表れていた。ジョーの過去がどのようなもので、トラウマの原因は具体的に何なのかという部分はさほど説明されない。彼の過去のフラッシュバックで断片的に提示されるのみだ。しかしその映像と、ジョーの表情、佇まいから何となく関連がわかってくる。このあたりは編集の手腕と合わせ、ホアキンの演技の的確さで成立している部分も大きいと思う。
 原作とは後半の展開等が大きく異なるのだが、印象に残ったのは母親とのやりとり。原作では非常に静かで殆ど会話はないのだが、映画では認知症が始まっているらしき母親をこまめにケアし、一緒に食事をしたり歌ったりという、細やかな情感が描かれる。ロバーツ演じる母親の、若い頃はさぞ美しかったろうという風貌も良い。情愛あふれる描写があるので、その後の展開との対比が強烈。ニーナの存在が少々取って付けたようなものに見えてしまうくらいだった。
 本作、原作小説と同様に原題は『You Were Never Really Here』。この原題の意味合いは、映画での方がよりしっくりと感じられた。ジョーの宙に浮いたような佇まいも一因だが、ジョーもニーナもかつて本当にはそこにいないように扱われた、また自分をそのように扱わざるを得なかった存在だということ、その体験が2人を結びつけるものだということがよりはっきりと見て取れるように思う。

ビューティフル・デイ (ハヤカワ文庫NV)
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少年は残酷な弓を射る [DVD]
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2012-12-21


『ピーター・ラビット』

 ウサギのピーター(ジェームズ・コーデン)と仲間たちはマクレガー老人の庭の野菜を盗むことを日課にしている。ある日マクレガーさんが倒れ、家は空き家状態に。はしゃいで空き家を荒らしまくったピーターたちだが、マクレガー老人の甥トーマス・マクレガー(ドーナル・グリーソン)が引っ越してきて、ピーターたちを再び締め出す。しかもマクレガーはピーターの親友である隣人の画家ビア(ローズ・バーン)と恋仲になってしまう。ピーターは何とかマクレガーを追いだそうとする。監督はウィル・グラック。
 ビアトリクス・ポーターによる有名原作絵本とは全く方向性が違うので、ピーター・ラビットの名前に惹かれて見ると大分戸惑うと思う。ただ、あまりに突き抜けていて原作からの乖離が逆に気にならなくなってきた。むしろ、わざわざピーター・ラビットという超有名キャラクターを使ってこういう映画を作ろうとした度胸がすごい!何と闘っているんだ!と感心した。ウサギはチンピラ風だし、人間を本気で仕留めにくるし、爆撃戦(なぜか妙に本格的)まである。カトンテールのキャラクターなんて大分クレイジーだよ・・・。
本作、かなりなメタ構造になっており、登場人物たちもそのメタさに気付いているかのような発言をする所が面白い。ピーターが「そういうキャラ(付け)だから」と度々言うのもそうだし、動物たちが上着を着ているのに下半身は裸という所へのツッコミも。
 一方「おとぎ話ならこうなるところだけど、この話はそうじゃないから・・・」と言う(ピーターの両親の肖像画のくだりで)と同時に、最後に「これは“おとぎばなし”ですよ」という振りがあったりと、リアリティラインをどの地層に置いているのか、ナレーションは何目線なのか、語りの構造は曖昧だ。ピーターは制作が上手くいかなず不安定になっているビアのイマジナリーフレンドで、それがなぜかマクレガーにも見えてしまった、みたいな話にも思えてくる。ビアの方がマクレガーよりヤバい人なんでは・・・。

ピーターラビットの絵本 第1集
ビアトリクス・ポター
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2002-10-01


ピーターラビットと仲間たち [DVD]
英国ロイヤル・バレエ団
クリエイティヴ・コア
2009-10-21


『フェイ・グリム』

 ハル・ハートリー復活祭にて鑑賞。夫ヘンリー(トーマス・ジェイ・ライアン)が行方不明となって7年。フェイ(パーカー・ポージー)はシングルマザーとして息子ネッドと暮らしていた。フェイの弟サイモン(ジェームズ・アーバニアク)は、ヘンリーの逃亡を手伝った罪で未だ服役中だ。しかし突然、フェイにCIAが接触してくる。ヘンリーのノートには国家機密が隠されているというのだ。フランス政府が保持しているというそのノートを受け取る為、フェイはサイモンの釈放を条件に、CIAの指示を受けてパリに向かう。監督はハル・ハートリー。2006年作品。
 『ヘンリー・フール』3部作の2作目。『ヘンリー・フール』(1997年)を日本公開当時に見て以来、ようやく見ることができた。ハートリーが1作目を制作した当時は3部作になるなどと考えていなかったそうで、本作は『ヘンリー~』とは大分色合いが異なる。まさかの銃撃戦や格闘シーンまで登場するスパイスリラー風で、しかもアメリカからヨーロッパに飛び中近東にまで舞台が広がる。そんな話だったの?!とびっくりした。『ヘンリー~』のノートに隠された秘密の設定も結構強引、明らかに後付っぽくて、それが真相ならば『ヘンリー~』でのヘンリーの振る舞いは大分おかしい(まあおかしな人の話ではあったけど・・・)し出版したがっていた動機が謎なことになってしまう。
 とは言え、独立した映画として面白い。ちょっとすっとこどっこいなスパイ映画でコメディぽい要素も多い。話が二転三転していき、結構スピーディーで緊張感はあるのだが、各国の工作員の手腕が微妙、かつフェイが国際情勢に大分無頓着なので、コメディ感が否めないのだ。フェイのコート姿がとてもセクシーでかっこいいのだが、なぜ下着の上に直接コートなんだろう・・・。何も説明がないままなので気になってしまった。本作、画角が全て斜めなのだがその意図が不明。2006年の時点でこの演出はちょっとダサいんじゃないかという気もするが。ラストは『ヘンリー~』と被る。逃げ続ける男に尽くすのがグリム姉弟の運命なのだろうか。周囲から見たら間違っているように見えても、当人たちの間ではこれが正しいことなんだという姿勢も引き継がれている。
 なお、本作見た後に『ヘンリー・フール』を再見したのだが、『ヘンリー~』に登場した俳優たちがほぼ続投しており、しかもあの人こんな所に出ていた!という発見も。事前に意図した伏線のように見えてしまうあたり、やっぱりちゃんと続編になっている。

ヘンリー・フール・トリロジー
パーカー・ポージー
ポッシブル・フィルムズ
2017


ブック・オブ・ライフ [DVD]
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2000-05-25


『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』

 6才の少女ムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)と母親ヘイリー(ブリア・ビネイト)は、安モーテル「マジック・キャッスル」でその日暮らしをしている。ムーニーは同じようにモーテルで暮らす子どもたちと1日中遊びまわっている。モーテルの管理人ボビー(ウィレム・デフォー)はムーニーとヘイリーに時に眉をひそめつつ気に掛けていた。監督はショーン・ベイカー。
 ムーニーとヘイリーが住むモーテルは、フロリダ・ディズニーランドのすぐ側にある。ディズニーランド効果ときらきら眩しい日差しの効果で色合いは明るくパステルカラーが広がる。ぱっと見ファンタジックで正に「夢の国」のお隣という感じ。しかし冷静に考えると親子の生活は相当苦しそうだし、ヘイリーの生計の立て方は危なっかしい。ムーニーのことをすごくかわいがっているが、適切に保護し育てているのかというと、大分微妙で、かなりネグレクトに近づいているように思う。子どもたちはひっきりなしに動き回るのだが、アメリカって子供を一人で外歩きさせない国というイメージだったので、えっ子供だけでそんなに歩き回っていいの?と心配になってきた。
 子どもたち自身は自由奔放でとても楽しそうだし、子供にとってヘイリーはきれいで楽しくて素敵なお母さんなんだろうなと伝わってくるのだが、それが逆に辛い。キラキラしたものを別角度から見たらどんよりくすんでいたというような感じだ。とは言え、ヘイリーも好んでこの状況を続けているわけではなく、努力しても次の一手に届かないのだ。モーテルは本来一時的な居場所のはずなのに、出られる目途がたたない。その届かなさ、出口の見えなさが辛い。
 そんな親子を見守るのが管理人のボビー。彼がいなければ、本作はもっと陰惨な色合いになったのではないかと思う。子供に声を掛ける不審者に猛然と近づく姿は頼もしい。とは言え、ボビーもヘイリーやムーニーを具体的に助けられるわけではない。家賃の支払いが滞れば強制的に部屋を開け空けさせなければならないし、児童福祉局からヘイリーを庇えるわけでもない。あくまで管理人と入居者の関係だ。もちろんいないよりはいてくれる方が全然ましなわけだが・・・。なおボビーの仕事量がやたらと多く、機械の修理やペンキ塗りまでやっている。モーテルの管理人てそんなに忙しいの?

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