3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名は行

『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』

 リチャード・ニクソン大統領政権下の1971年アメリカ。ベトナム戦争は泥沼化し、アメリカ国民の間でも反戦の気運が高まっていた。そんな中、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書、通称ペンタゴン・ペーパーズの内容をニューヨーク・タイムズがスクープする。ライバル紙のワシントン・ポスト紙は、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)を筆頭に文書の入手に奔走する。ようやくネタを手にしたものの、ニクソン政権はニューヨーク・タイムズに記事の差し止めを要求。記事を掲載すればワシントン・ポストも同じ目に遭いかねない。株式上場を果たしたばかりの社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は経営陣と記者の板挟みになり苦悩する。監督はスティーブン・スピルバーグ。
 スピーディーな展開でスリリング。これが映画の醍醐味!って感じに満ち満ちており、スピルバーグ会心の一撃という感がある。アメリカの現状への怒りが込められているのだろうが、むしろ今の日本で見ると心に刺さる要素がいっぱいだし、正に今見るべき作品だろう。ブラッドリーの「報道の自由を守る方法は一つ、報道し続けることだ」という言葉が響く。そして報道の自由は誰の為にあるのか、更に憲法は誰の為にあるのかということも。ペンタゴン・ペーパーズをリークした調査員も、それを掲載したタイムズも、そしてもちろんポストの記者たちも社主であるグラハム、さらにその他の新聞社も、報道は何の為・誰の為にあるのか、何を持って正義とするのかを真剣に考え、ぎりぎりの所で判断する。裁判所が最後に提示されるような判決を下す所が、アメリカの強さ・健全さなのだと思う。
 本作は報道の自由を守ろうと文字通り命を賭けた人たちを描いているが、それと並行して、当時、女性経営者(に限らず女性全般)がどのように見られていたのかということも描いている。ポスト社は元々グラハムの父親が経営していたが、有能だったグラハムの夫が跡を継ぎ、夫の死により彼女が社主となった。彼女はながらく新聞社のお嬢様、社交界の花的存在として振舞ってきた。とは言え社主となったからには資料を読み込み研究を積み、社主にふさわしい振舞いをしようとする。が、周囲の役人や銀行家たちにとっては「魅力的な女性だけど(経営者としては能力不足)」という扱いで、スタートラインにも立てない。ずっと「あなたには無理だから」という接し方をされていると、いざ発言できる場になっても萎縮してしまうよなと、会議でのグラハムの姿を見てつくづく思った。
 そんな彼女がリベンジを果たし、正にマスコミ全体が一番となって戦うクライマックスにはやはり震える。そして、ブラッドリーたちは正義感にあふれ有能であってもあくまで記者で、社主であるグラハムの覚悟には思いが及ばなかったんだなとも。それを指摘するのはブラッドリーの妻だが、「彼女(グラハム)は勇敢よ」という言葉に思いやりがある。グラハムは会社全体と一族の歴史、これまで社交界で培った人脈の全て、つまり彼女の世界全てを賭けている(妻が指摘するように、ブラッドリーたちは転職可能だしむしろ箔がつくんだよね・・・)。ブラッドリーは正しいのだが、正しさの追求は時に残酷でもある。相手を目の当たりにしてその残酷さにようやく気付くということもあるのだ。記者の目と経営者の目、双方での闘いが本作をよりスリリングにしている。

大統領の陰謀 [Blu-ray]
ロバート・レッドフォード
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2011-04-21


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ジョージ・クルーニー
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2006-11-22


『BPM ビート・パー・ミニット』

 1990年代初頭のパリ。エイズ活動家団体ACT UP Parisのメンバーは、エイズ患者やHIV感染者への無知・差別に対して様々な抗議活動を行っていた。メンバーのショーン(ナウエル・ペレーズ・ビスカ)は新メンバーのナタン(アーノード・バロワ)と恋に落ちる。しかしHIV陽性のショーンの症状は次第に進行していく。監督はロバン・カンピヨ。2017年第70回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作。
 まだHIVに対して多くの人たちが無知で偏見が強かった時代が背景にある。当時エイズに対する有効な治療方法はなく、発症すれば遅かれ早かれ死に至る。しかしHIVウイルスがどのようなもので、どのような経緯で感染して、対処法としてはどういったものがあるのかはろくに周知されていない。同性愛者の病気だから自分たち異性愛者には関係ないだろう、くらいの認識だ。フランスでの感染者の増加が激しいと作中で触れられるのだが、これは病気についての広報を怠った政府の責任でもあったんじゃないかなと(感染症を防ぐ為の情報通知って民間レベルでは限界があって、自治体や国レベルじゃないと広く通知させるのは難しいと思う)思わせるし、実際作中でもそういう言及がある。
 ACT UPの活動は特に過激だが、これは今生きている感染者の残り時間が刻一刻と迫ってくるからという切迫感に加え、問題自体が世の中に認識されていない、ないものにされているからという面もあるだろう。元々世間の視野に入っていない存在で、共通言語がなく、何かを訴えても他人事として耳を傾けられないのなら、暴れるくらいしか自分たちがここにいる、こういう問題があると知らせる方法がないということでもある。暴れるのにはそれなりの理由があるのだ。彼らの活動はエイズ患者に対する支援や患者に対する差別撤廃を訴えるものだが、同時にエイズによって、またセクシャリティその他の属性によって自分たちを分断するなという訴えでもある。
 とは言え、ACTUP内でも分断は生じる。病気の進行度合いやどういう経路で感染したのか(薬害エイズ患者と薬物依存症で注射針によって感染した患者とではやはり見られ方が違う)によって、日常の生活の逼迫感や残り時間への焦り、世間からどう見られるかという部分は少しずつ異なり、そこに意識の差が生じてくる。ショーンが徐々にACTUPへの苛立ちを強めるのは、彼の持ち時間の終わりが見えてきてしまったからだ。
 困難な側面を描く作品だが、人と人の関わり方、「今、この時」を全力で生きようとする人たちのきらめきは眩しく、ちょっと涙が出てきそうになる。相手のことを好きでも嫌いでも、恋人でも友人でも親子でも、相手と関わっていきそれを途絶えさせないという意思がある。本作、セックスシーンがそこそこあるが、双方の意思の疎通が感じられるとても丁寧な描き方で、最近見た映画内セックスシーンの中ではベストかもしれない。

パリ20区、僕たちのクラス [DVD]
フランソワ・ベゴドー
紀伊國屋書店
2011-04-28


体の贈り物 (新潮文庫)
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新潮社
2004-09-29

『ハッピーエンド』

 3世代にわたって建設会社を経営しているロラン一家。家長のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は高齢の為に引退し長女アンヌ(イザベル・ユペール)が跡を継いだが、ジョルジュは交通事故に遭って車椅子生活に。二男のトマ(マチュー・カソビッツ)の前妻との間に13歳の娘エブ(ファンティーヌ・アルドゥアン)がいる。エブは前妻と暮らしていたがある事件が起きてロラン家に引き取られる。アンヌの一人息子ピエール(フランツ・ロゴフスキ)は会社の専務職を任されたがうまくいかず、トラブル続きだった。監督はミヒャエル・ハネケ。
 PCのチャット画面やスマホで撮影している画面が頻繁に出てきて、ハネケの映画もこういうふうになったのか!と時代の流れを感じた。チャットもスマホ録画も主観的なものなので、誰が見ているのか・誰に見せることを意図している画面なのかということを強く意識させる。ただ、これが何を意味するのかということは、後追いでわかってくるという構成。
 登場人物が他人に秘密にしていること、言いにくいことが後から観客に提示されるという構造の繰り返しになっている。冒頭、バスルームの女性をロングで撮影しているスマホ画面、そしてハムスターの顛末が映される。そして後々のある事件。それらを通して、ああそういうことが起きていたのかとわかってくる。また黒人青年たちに声をかけるジョルジュが年配男性にたしなめられているらしいシーン、ピエールが突然殴られるシーンも、後々出てくる会話から何をやろうとしていたのか推測できる。重要なことが起きているシーンは往々にしてロングショットで、登場人物が何を言っているのかは聞き取れないような撮影の仕方。全部後からわかってくるのだ。もちろん登場人物にとってはわかっているわけだけど、観客側は落ち着かない、座りの悪いような気分が続く。
この落ち着かなさ、座りの悪さは、登場人物たちがもくろむ諸々の事柄の顛末にも及ぶ。彼らは様々なことをもくろむが、それは成功した方がいいのかしない方がいいのかもやもやする案件ばかり。題名は非常に皮肉だ。そうは問屋が卸さない!と言わんばかり。トランティニャンとユペールは『愛、アマチュア』に続く共演だが、本作は『愛、アマチュア』のB面とも言えるかも。なお、ハネケ監督作でしばしば見られる、ブルジョア白人による無自覚な人種差別シチュエーションも盛り込まれておりこれも居心地悪い。失礼なことをやっている側は往々にしてその失礼さに気付かないのだ。

愛、アムール [DVD]
ジャン=ルイ・トランティニャン
KADOKAWA / 角川書店
2014-06-27


隠された記憶 [DVD]
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タキコーポレーション
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『ブラックパンサー』

 アフリカにある王国ワカンダは、絶大な力を秘めた鉱石ヴィブラニウムを利用し、密かに超文明を築いていた。ヴィブラニウムが悪用されることを防ぐ為、代々の国王の元、秘密を守ってきたのだ。父である前国王の死により王位を継承したティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン)は、王位継承の儀式の中でブラックパンサーとしての超人的な力を得る。ヴィブラニウムの輸出をもくろむ武器商人のユリシーズ・クロウ(アンディ・サーキス)と彼に協力する元工作員エリック・キルモンガー(マイケル・B・ジョーダン)の存在を知り、国を守る為に元婚約者で諜報員のナキア(ルピア・ニョンゴ)、王国最強の戦士オコエ(ダナイ・グリラ)らと動き始めるが。監督はライアン・クーグラー。
 クーグラー監督の前作『クリード チャンプを継ぐ男』はザ・少年漫画!的な王道感が熱かったが、本作もなかなかの少年漫画感。アベンジャーズシリーズで既に登場しているブラックパンサー=ティ・チャラは大変クールでかっこよく陛下素敵!超頼もしい!と思っていたのだが、本作を見てみると、最初は意外と未熟で悩める青年という感じ。ナキアはじめ周囲の女性たち(ハーレム的でなく女性に囲まれているヒーローが登場するようになったんだなとも)の方がよっぽど頼もしい。そんなティ・チャラが国を守るとは、良き王になるとはどういうことなのかと葛藤し、前王を越えていく、ストレートな成長物語だ。なので、そんなに捻ったストーリー展開ではないしストーリーに限って言うとそれほど突出して面白いわけではない。アクションシーンも3Dを意識しているのかカメラがぐるぐる動き、目まぐるしくて期待していたほどではなかった。
 とは言え本作、今、現代のヒーロー映画で「国王」というキャラクターを使って何を物語るか、国を愛する・守るとはどういうことなのかと果敢に挑んでおり、そこがとても面白かった。ワカンダはヴィブラニウムの存在を秘密にし自国の中だけで使うことで、繁栄を保っていた。しかし諜報員として他諸国の紛争や困窮を知るナキアは、自国の利益を守るだけではだめだ、技術や資源を提供して世界が抱える困難の解決に取り組むべきではと訴える。ティ・チャラは歴代の王たちの方針に則り、自国の技術や資源を外に出すことには反対する。しかしキルモンガーの出現で、それが揺らいでいくのだ。キルモンガーのやり方は許されることではないが、彼の理念は実はナキアに近い。本作、ティ・チャラとキルモンガーが光と影になっているのではなく、ナキアとキルモンガーが光と影になっているようにも思えた。
 終盤でティ・チャラはあるスピーチをする。本作の物語は、このスピーチに説得力を持たせる為に紡がれてきたようなものだろう。このシーンが力を持っていれば、本作は成功なのだ。アメコミのヒーローである「国王」(そもそも正式な手続きに則って就任すれば正しい王と言えるのか?という要素も本作には含まれている。ワカンダの伝統的な王位継承システムは「王位継承者はそれなりに有能で倫理的」という大前提に基づいてるよね・・・)にこのスピーチをさせることに、本作の矜持が見られると思う。

ブラックパンサー・ザ・アルバム
オムニバス
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2018-02-28


ブラックパンサー (ShoPro Books)
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2016-04-20



『blank13』

 コージ(高橋一生)は兄ヨシユキ(斎藤工)から、13年前に失踪した父親・雅人(リリー・フランキー)が末期がんで入院しており、余命3か月だと知らされる。コージは面会に行くが父とのやりとりはぎこちなく、その後父はあっという間にこの世を去ってしまった。葬儀の参列者たちの話から、家族が知らなかった父親の姿が立ち現れる。監督は齊藤工。
 70分という長さがちょうどいい。前半と後半でがらっと雰囲気が変わる(題名が出るのは作品中盤)所や、冒頭の導入の仕方、回想シーンへの入り方など、ちょっと映画学科の学生の自主制作作品のような演出だなと思った。が、全編見ると意外とオーソドックスな撮り方をしている。特に美術がとてもしっかりとしており、衣装のヨレ方や室内の作りこみ等説得力があった。コージ一家は雅人の借金のせいで困窮しているのだが、本当にお金ない感じがにじみ出ている(家の構造はちょっと謎だったけど・・・)。ここに説得力を持たせないと、コージとヨシユキの父親に対する憎しみ、母のわだかまりがぼやけてしまうだろう。
 スタッフと出演者に恵まれた作品だと思う。高橋一生はやっぱり上手いんだなと改めて思った。父親を見舞いに行った時に顔のこわばり方や動きのぎこちなさから、父親に対して強い葛藤があること、父親を許容できないことが伝わってくる。また母・洋子役の神野三鈴がとてもいい。生活が逼迫しすぎてちょっとおかしくなっている感じにぞわっとした。
 コージもヨシユキも父親を許せないし、雅人がろくでもない父・夫だったのは確かだろう。彼らはそんな父親を切り捨てて生きてきたわけだが、わずかな良い思い出が、コージを子供時代に引き戻す。こういうのって、すっぱり切り捨てられた方が楽なんだろうけど、なかなかそう出来ないよなぁ・・・。母親の苦労をより鮮明に覚えているであろうヨシユキとは、父親への距離感が少し違う所は、目配りがきめ細かい。葬儀での洋子、コージ、ヨシユキそれぞれの振る舞いが、彼らと雅人との関係を示しているように見えた。

父、帰る [DVD]
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角川書店
2005-04-08


連続テレビ小説 ひよっこ 完全版 DVD BOX1
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2017-08-25


『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目覚め』

 シカゴに暮らすコメディアンのクメイル(クメイル・ナンジニア)はパキスタン出身。パキスタンを紹介する持ちネタは今一つぱっとしない。両親からはパキスタン文化に則り見合い結婚しろと迫られている。ある日自分が出演するライブを見に来ていた大学院生のエミリー(ゾーイ・カザン)と恋に落ちるが、同郷者との結婚が当然と考えている家族に彼女のことを打ち明けられずにいた。これがエミリーに知られ2人は破局。しかしエミリーが原因不明の病気で昏睡状態になってしまう。監督はマイケル・シュウォルター。
 コメディアンのナンジニアの実体験を本人が演じる、しかも脚本は妻のエミリー・V・ゴードン(つまり作中のエミリー!)。今シーズンは実話を本人が演じるムーブメントでも来ているんですかね・・・。自身の体験に基づく話というと非常にパーソナルなものになりそうだし、実際にパーソナルな話ではあるのだが、どの人、どの家庭でも生じそうな普遍的な話としての側面もある。
 パキスタン人として生きてきた両親の元でアメリカ人に「なった」クメイルと、元々アメリカ人の両親の元でアメリカ人として育ったエミリーとでは、背景となる文化にギャップがある。クメイルにとってアメリカ人であることは選び取るもの、エミリーにとっては無条件で付与されたもの(だからいちいち意識しない)なんだなと考えさせられるシーンがいくつかあった。エミリーの両親は、最初はクメイルを「アメリカ人」とは見なしていなかったんじゃないかな・・・(娘を傷つけた男に対する怒りもあるし)。
 クメイルとエミリー、またクメイルとエミリーの両親の間には育った文化の違いによるギャップがある。が、同じ文化圏にいたはずのクメイルと家族の間、あるいはエミリーの父親と母親との間にもギャップはある。人と人とがコミュニケートするというのは、多かれ少なかれ異文化同士がぶつかり合うことだろう。お互い何とかやっていくにはすり合わせていくしかない。それ故か、彼らは実によく喋る。本作におけるコミュニケーションの殆どは言葉によるものなのだ。これやっていい?これはどう思う?とクメイルとエミリーは相手の意思を確認し応酬を続ける。だからクメイルが家族について説明しなかったエミリーは怒るのだろう。とは言え言葉、会話が多すぎて少々疲れる作品でもあった。コミュニケーションて、労働だよな・・・。

40歳からの家族ケーカク [DVD]
ポール・ラッド
ジェネオン・ユニバーサル
2014-03-05






『The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ』

 南北戦争中のアメリカ南部。女子寄宿学校で暮らす7人の女性たちの元に、怪我をした北軍の兵士・マクバニー伍長(コリン・ファレル)が転がりこむ。女性たちは彼を敵軍の兵士だと警戒すると同時に、徐々に興味を覚えていく。原作はトーマス・カリナンの小説『The Beguiled』。監督はソフィア・コッポラ。なお原作小説は1971年に『白い肌の異常な夜』(ドン・シーゲル監督)として映画化されている。
 ソフィア・コッポラ監督の映画は、女性を(男性も)美しく撮るが、そこにセクシャルな臭いをあまり感じない。本作も、シチュエーション的にこれはエロいだろう!というシーンは結構あるのだが、どれもエロティックな形があるだけで、中身を伴わない。かなりあからさまにセックスしているよというシーンですら、さほど色っぽくはない。セクシーとされるものの形をなぞっているだけという印象だ。そこが見ていて気楽な所でもある。脅かされている感じがしないのだ。
 音楽といい映像といい、冒頭から不穏な雰囲気をかきたててくるのに不安にならないのも、そのせいだろう。物語上はマクバニーが屋敷に入り込み、エドウィナ(キルステン・ダンスト)を、ミス・マクバニー(ニコール・キッドマン)を、またアリシア(エル・ファニング)を性的な対象として見るわけだが、絵としてはあんまりそういう風に見えない。私がコリン・ファレルにあまりセクシーさを感じないというのもあるのかもしれないけど。
 本作で描かれる女性たちの共同体は、男性という異分子に揺さぶられるが、意外とほどけない。彼女が、あるいは彼女が同性たちを裏切るかのように見えるが、また引き戻される。彼女たちだけで完結した世界なのだ。時代背景は設定されているのに物語上は反映されない所も、箱庭的な雰囲気を強める。この時代のアメリカ南部だったら黒人の使用人がいる方が自然だと思うが、そういったものは現れない。他の兵士もちらりと姿を見せるだけで、遠くで大砲の音が響くにとどまる。世界から取り残されていくようにも見えた。この外側のなさがソフィア・コッポラの作家性なのかなと思う。

ビガイルド 欲望のめざめ
トーマス・カリナン
作品社
2017-12-26


白い肌の異常な夜 [DVD]
クリント・イーストウッド
キングレコード
2017-08-02



『ぼくの名前はズッキーニ』

 母親が死亡し、施設に入ることになった9歳のズッキーニ(カスパール・シュラター)。施設にはリーダー格でちょっと意地悪なシモン(ポーラン・ジャワー)を始め、それぞれ異なる事情を持つ子どもたちが集まっていた。ズッキーニは新たに入居してきた少女カミーユ(シクスティーヌ・ミュラ)に一目惚れする。監督はクロード・バラス。
 丁寧に作られたストップモーションアニメで、単なる可愛らしさからちょっとはみ出すキャラクターのデザインが、決して甘くない物語とマッチしている。冒頭、ズッキーニの母親の死に方がいきなりヘビーなのだ。ズッキーニが背負っているものがあまりに重い。しかしそこを取り立ててクローズアップするわけではない。ズッキーニ以外の子どもたちも、親に健康上の問題があったり、子供に性的暴力を振るったり、犯罪者であったり、不法入国者として強制送還されたり(これは正に現代の話だなと実感した)とそれぞれに問題を抱えている。親の難点がかなりシビアでぼかさず言語化されるが、彼らに対しても、そこを深堀するわけではない。一貫して退いた目線がある。この施設に入所している、という点では子どもたちは皆同じなのだ。
 子どもたちの保護者には色々と問題があり、彼らを守る存在になり得ていない。しかし一方で、子どもたちを大人として支えようとする人たちもいる。ズッキーニを施設に連れてきた警官は、その後も度々、彼との面談に訪れ、遊びに連れ出したりもする。警官にも息子がいるが、家を出て断絶状態だ。彼とズッキーニは家族に見捨てられた者同士とも言える。また、施設の職員たちも子どもたちの為に尽力していることがよくわかる。ステレオタイプ的な「施設のいじわるな大人」ではない。ベタベタした優しさではないし、実の親の代わりにはなれない、それでもプロとしての愛と責任感を持って子どもたちと接しているのだ。雪山のロッジでの「クラブ」の光景にはちょっとぐっときてしまった。子どもたちを教える、育てるだけでなく、ちゃんと生活を楽しませようとしているんだなと。
 施設はやがて出ていく場所だが、いつ、どのような形で出ていけるのかはわからない。望んでいた形では出られない、あるいは大人になるまで出られない子もいるかもしれない。楽観視はさせないながらも、それでも人生には可能性があり、あなたは一人ではないと思わせるラストのさじ加減に誠実さを感じた。

冬の小鳥 [DVD]
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紀伊國屋書店
2011-06-25


小鳥はいつ歌をうたう (Modern & Classic)
ドミニク・メナール
河出書房新社
2006-01-11



『THE PROMISE 君への誓い』

 オスマン帝国の小さな村に住むアルメニア人青年ミカエル(オスカー・アイザック)は、医学学ぶためにイスタンブールの大学に入学した。親戚の家に身を寄せ都会での生活を送る中で、アメリカ人記者のクリス・マイヤーズ(クリスチャン・ベール)とそのパートナーでアルメニア人のアナ(シャルロット・ルボン)と知り合い親しくなる。第一次大戦開戦と共にトルコ人によるアルメニア人への弾圧は強まり、ミカエルたちもイスタンブールにいられなくなる。監督・脚本はテリー・ジョージ。
 最近ツイストのきいた作品ばかり見ていたからか、本作のようなストレートな作品は却って新鮮だった。王道の大河ドラマ的な味わいがある。歴史のある側面というだけではなく、現在に繋がる話なのだ。アルメニア人虐殺についてはファティ・アキン監督『消えた声が、その名を呼ぶ』にも描かれていたが、本作はほぼミカエル視点なので、なぜ迫害されるのか、虐殺に発展するのかという説明が殆どなく、心当たりがないのに一気に状況が悪化したという感じの怖さを感じた。記者のクリスの方がむしろ状況を懸念し、アナに国外への脱出を勧めたりする。元々の居住地から追い立て、列車で強制移動させる等、ユダヤ人に対するホロコーストとやっていることがほぼ同じなのもぞっとする。
 題名の「PROMISE」には、いくつもの意味が込められている。お互いパートナーがいるにもかかわらず惹かれあうミカエルとアナの、再会の約束であり、ミカエルと故郷に残した婚約者の必ず戻るという約束でもあり、何より、アルメニア人として必ず生き延びる、民族をとだえさせないという自分たちの過去と未来に対しての約束である。
 また、トルコでは「よそ者」であるアメリカ人クリスの決意にも心を打たれた。トルコ人によるアルメニア人虐殺の記事を書き続けるクリスは、軍に捕えられる。自分の記事が間違いだったと署名すれば命は助けると言われるが、彼は署名を拒む。「署名したら記者としての未来がなくなる」と言う彼に、殺されたらそもそも未来がないと友人は呆れるが、もし記事が間違いだと発表してしまったら、彼が記事に書いたアルメニア人たちはいなかったことにされてしまう。生き延びたとしても彼が今後書いた記事は信用されないし、ひいては志を同じくするジャーナリストたちがどのように見られるかというこのにも関わってくる。職責に対しての約束なのだ。

ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション [DVD]
ドン・チードル
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2006-08-25


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タハール・ラヒム
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2016-07-02


『ベロニカとの記憶』

 60歳を過ぎ、小さなカメラ店を営業しつつ引退生活を送るトニー・ウェブスター(ジム・ブロードベント)の元に、弁護士からの手紙が届く。40年前に別れた当時の恋人ベロニカ(シャーロット・ランプリング)の母親が亡くなり、遺品として日記を残しているというのだ。元恋人の母親から遺品を残される理由がわからず困惑するトニー。しかもベロニカは母の遺品をトニーに渡すことを拒んでいるというのだ。トニーの青春時代の記憶が呼びさまされていく。原作はジュリアン・バーンズの小説『終わりの感覚』、監督はリテーシュ・バトラ。
 私にとっての原作の面白さが、映画では大分スポイルされてしまったように感じた。私は原作小説を好きなので残念に思ったけど、逆に映画の方が好ましいと思う人もいると思う。ラストの味わいが、映画の方が大分優しいのだ。原作は過去との向き合い方に対してかなり辛辣で、取り返しのつかなさの方が強調されていたように思う。小説(文章)の方が、記憶の欺瞞というシチュエーションに向いた表現方法であるという面もあるだろう。映像の方が客観性が高くなるんだなと改めて認識した。本作は、トニーの主観の身勝手さについての物語とも言える。
 トニーと会話をしていた元妻が、「そういうことじゃないのよ」と彼に言うシーンがある。トニーはおそらく、何度となく「そいういうことじゃないのよ」と言われてきたんじゃないか、そして彼自身は言われていることにぴんとこないままだったんじゃないだろうか。
 トニーは悪い人ではないしバカでもないが、自分で思っているほどには利口ではなく、他人の気持ちや状況に対していまひとつ考えが浅い。そして考えが浅い故に一言多い。その一言、面白いつもりかもしれないが全然面白くないぞ!元妻の元に押しかけるのは、見ていてちょっと嫌な気分になった(そういう関係性の夫婦だったんだろうし元妻も彼の振る舞いをある程度許容しているというのはわかるのだが)。相手に歓迎されていない、相手が話を聞きたがっていないという発想はないんだなと。何かと言い訳がましいのも、基本的に自分本位だからだろう。後ろめたさをつい正当化したくなる気持ち、わからなくはないがみっともないからなぁ・・・。



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