3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名は行

『ホテル・ムンバイ』

 2008年11月、インド、ムンバイで同時多発テロが起きた。インドを代表する5つ星ホテルのタージマハル・パレス・ホテルは、テロリストに選挙され500人以上の宿泊客と従業員が閉じ込められ、人質にとれらた。従業員たちは宿泊客を逃すために奔走する。一方、特殊部隊の投薬まで数日かかるという中、地元警察官たちがホテルに突入する。監督はアンソニ・マラス。
 実際に起きた事件を元にドラマ化された作品。中心となる人物はホテルマンのアルジュン(デブ・パテル)をはじめ何人かいるものの、群像劇としての側面が強い。123分とそこそこ長さはあるが、テンポが良く、むしろコンパクトに感じられた。個々の登場人物の見せ方、エピソード展開の手際がいい。ストーリー内の状況が状況なので、緊張感が途切れようがないという事情もあるのだが。
 ホテル従業員たちのプロ意識、職業倫理の高さが称揚されそうだが、彼らが元々特に素晴らしい人たちなのかというと、ちょっと違うと思う。本作に登場する人たちは、ホテル従業員にしろ、宿泊客にしろ、あくまで普通の人たちだ。テロリストですら、何かすごく特別な能力があるわけではない。武器で武装してはいるが、パニックになるとごく普通の、それほど頭がいいわけでも意志が強いわけでもない若者たちであることが露呈していく。従業員も宿泊客も、あくまで一般人の知恵と勇気の範疇で生き残るために戦っていく。普通の人たちが極限状態で勇気や利他性を発揮する姿には胸が熱くなるが、運不運としか言えない展開もあって、テロの不条理さがつらい。テロを起こす側の若者たちは、いいように使い捨てられる駒のようなもので、その上にいる人物は無傷。貧しい環境出身と思われる彼らが富裕層に憎しみを燃やし、不平等への不満・怒り故に利用されていく様がやりきれない。

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『ブラインド・スポッティング』

 黒人青年コリン(ダビード・ディグス)は刑務所から出所し保護観察期間もあと3日に迫った。幼馴染の白人青年マイルズ(ラファエル・カザル)と運送会社で働いていたが、ある日白人警官が黒人男性を背後から撃った現場を目撃してしまう。また、衝動的でけんかっ早いマイルズの行動が、コリンをトラブルに巻き込んでいく。監督はカルロス・ロペス・エストラーダ。
 アメリカ、オークランドが舞台だが、ご当地事情が垣間見える。住宅地の高級化が進み、若い小金持ち層が転入してきて、町の雰囲気は変わっていく。昔から住んでいるコリンやマイルズのような決して豊かではない層と、新しく入ってきた層とは文化が違い、お金がない彼らはだんだん追いやられていく。マイルズがパーティーで見せる爆発は、そういった思いが積み重なった上でのことだろう。白人であるマイルズはこのエリアではむしろ少数派として生きてきており、彼のチンピラとしての振る舞いは周囲に溶け込みなめられない為の自衛でもある。が、最近転入してきた人たちには、「黒人不良の真似をしてイキってる白人のにわかチンピラ」に見えてしまう。住民層に対するステレオタイプ+経済格差によって見えなくなっているものがあるのだ。
 コリンの恐怖にしろマイルズの怒りにしろ、自分のバックグラウンドを知らない奴らに好き勝手言われたくない、お前らは俺の何を知っているんだという話だ。本作ではこの「お前らは俺の何を知っているんだ」というシチュエーションが繰り返される。黒人を撃つ警官も、パーティーで声をかけてくる男も、カテゴリーごとの「こういうジャンルの人ならこういうことになっているはず」という見方しかしていない。
 そしてこれは、親友であるはずのコリンとマイルズの間でも同じなのだ。同じ場所で長年一緒に過ごしていてもまだ見えない部分がある。黒人であるコリンが日々感じる緊張感は、マイルズにはわからない。同じことをやってもコリンの方がリスクが高くなる(疑われ制裁される可能性が高くなる)のは、前科者だからではなく前科者の「黒人」だからなのだ。ニガーという言葉をコリンが自分で言ってもかまわないが、マイルズが口にするのはNG(と当然マイルズもわかっている)というニュアンスにははっとする。

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『ピータールー マンチェスターの悲劇』

 1819年、ナポレオン戦争の後、不景気が続き庶民は困窮していた。深刻化する貧困問題の改善、庶民代表の義会参加の権利を売った、マンチェスターのセント・ピーターズ・フィールド広場に6万人が集まった。しかし鎮圧の為に政府の騎馬隊が出動する。監督、脚本はマイク・リー。
 人権の為の戦いを始めた人々を描くが、カタルシスは全くない。セント・ピーダーズ・フィールドでの集会とそこでの衝突に至るまでの数年間、様々な人たちが何をしていて、どのように変化していくのかといううねりを描く群像劇。ナポレオン戦争の悲惨な戦場から始まり、かろうじて生き残った人にもまた辛い展開が待ち受けるラストへ進む。大惨事により何がどう変わったのかということもはっきりとは提示されない。
 民衆は生活も尊厳も奪われる一方であるように見える。織物工場で働くネリー(マキシン・ピーク)が、ストライキに参加したものの結局殴られ賃金も払われなかったと言うように。とは言え、誰かが声をあげ、その声がおおきくなって行かないと、そういう声がある、そういう人達がいると言うこと自体、他の階層では知られないままになってしまう。長い道のりのまだ初期の段階で、この後に続く人たちが必要なのだ。作中、集会を主催する地元の新聞社や、ロンドンや各地の記者たちマスコミが登場する。彼らはそんなに「立派」には見えないし、野次馬根性で来たような記者もいる。しかし民衆の声が広く伝わるかどうかは彼らにかかっているわけで、マスコミの必要性が見えてくる。また、弁論家のヘンリー・ハント(ロリー・キニア)は自己顕示欲が強く保身に走っているようにも見えるし、実際、口がうまい山師という印象は否めない。しかし彼の立ち回りは、とにかく自分の声を広く遠くまで届ける為のもの(なので逮捕されないように日和見も辞さない)ではあるのだ。
 国王をはじめ貴族、政治家、聖職者、軍人、商人など権力者層が登場するが、彼らの(富裕層以外の)「国民」理解は実に表層的で、血肉を持った、意思も知性もある存在としての「国民」はイメージされていない。具体的に庶民がどういう生活をしていて、どの程度の金銭や物資があれば困窮していないと言えるのかという実感がないのだ。まだ「人間らしい生活」という概念がない時代だったことが、工場経営者の言葉からありありとわかる。こういう人たちに対して基本的人権を訴えていかなければらなないわけだから、道のりは長い。また、声が届かないのは上の層だけではない。演説の言葉、報道の言葉には独自の文法があり、同じ階層であってもその文法の外にいる人には通じないこともある。婦人会に出席したネリーは議長が「何を言っているのかわからない」と何度も訴える。ハントの演説の時も彼の言葉は物理的に(遠すぎて)ネリーには届かないというのが象徴的だった。世の中を変えようという言葉はこういう人たちにも届けなくてはならないし、またその言葉を理解しない人であっても(主張の趣旨により)すくい上げるものでないとならないのだろう。
 作中、具体的な年月日や経年数にはあまり言及されないので、はたと気づくと数年経過していたりする。それでも、見ていてそんなに混乱することはなかった。控えめに見えるが、結構丁寧な演出がされている。権力者は醜悪に描かれているが、庶民が善良かと言うとそうでもない、どちらもほどほどに愚かでほどほどに知恵があるという描き方がいい。

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『パピヨン』

 金庫破りのパピヨン(チャーリー・ハナム)は殺人の濡れ衣を着せられ、終身刑を言い渡される。投獄先は南米ギアナの孤島にある刑務所で、過酷な強制労働が待ち受けていた。脱獄を決意したパピヨンは、紙幣の偽造で投獄され金を持っていると噂のルイ・ドガ(ラミ・マレック)を仲間に引き入れる。刑務所内でドガを守る代りに逃走資金を提供してもらおうというのだ。やがて2人の間には奇妙な友情が生まれていく。原作はアンリ・シャリエールの手記。監督はマイケル・ノアー。1973年に制作された脱獄映画の名作のリメイク。
 先日原作本を読んだのだが、映画は原作を大幅にアレンジしていたんだなと再認識した(リメイク元作品は見たことあるけど、記憶が大分薄れている)。ドガは原作で登場するパピヨンの囚人仲間を総合したような造形だ。映画の最後にパピヨン=リシャールと同じように投獄された男たちへの献辞が出てくるが、ドガはその男たちの代表とも言える。パピヨンとドガ、一対一の関係を長期的に描いている所が、映画の改変。これは成功しているように思う。2人の間には囚人であること以外共通項がない。最初は打算ありきの取引関係だったのが、段々本物の友情になっていく。独房への差し入れについてパピヨンが口を割らずに耐えきる、また一人で逃げることもできるのにドガを連れに戻ってしまう(同じく囚人仲間のマチュレットのことはスルーするのに)。ドガに対する振る舞いが損得抜きになっていく所に、パピヨンにとっての人間の尊厳がある。ドガとの絆を守ることは、パピヨンにとっては極めて個人的なことであり、非人間的な刑務所というシステムに対する反抗でもあるのだ。
 原作との大きな違いは、看守や署長らが一貫して非人間的で、「システム」の象徴だという所だろう。原作だと囚人に対して非人道的な振る舞いをする看守がいる一方、一定の敬意を払う所長や看守もいる。囚人同士の関係も同様だ。それが本映画だと、囚人から徹底して個人の尊厳をはく奪していく。所長たちもまた、個人としての顔の見えない存在として描かれる。パピヨンが何度も脱獄を試みるのは、殺人罪が濡れ衣であること以上に、非人間性、個人の尊厳を奪うものへの怒り故なのだとより浮き彫りになる。独房のパートが妙に長いのも、刑務所の非人道さを強調する為だろう。

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河出書房新社
2019-04-19

『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』

クリストファー・R・ブラウニング著、谷喬夫訳
 一般市民を中心に編成された第101警察予備大隊。狂信的な反ユダヤ主義者というわけでもなく、ナチスによる教育を受けてきたわけでもない彼らは、ポーランドで約38,000人のユダヤ人を殺害、45,000人以上を強制移送した。ごく普通の人たちになぜそんなことが可能だったのか。限られた資料や証言から当時の実態を描き出し、大量殺戮のメカニズムを考察する。初版出版から25年後に加筆された増補分(研究対象を同じくするゴールドハーゲンの著作への反論)を加えた決定版。
 ホロコーストの加害者側の証言を収集し当時のドイツ軍内部の様子、いわゆるエリート軍人以外の軍従事者はどのような精神状態だったのか垣間見え興味深い。残された資料や証言、増補分ではポーランドで撮影された写真をひも解き、地道に情報をすくい上げていく。
 101予備大隊は元々軍人ではない、職人や商人などごく一般的な市井の人々から構成された隊で、世代的に(ナチス台頭の前に生まれた世代なので)ナチスによる教育を受けておらず、必ずしも熱烈な愛国心は反ユダヤ主義に駆られていたわけでもないという指摘がされている。ユダヤ人、特に女性や子供、老人を殺すことに強い抵抗を感じた人も少なくなかった。そういった抵抗を感じつつも大量のユダヤ人を収容所に送り、殺すことが出来てしまったという点が、非常に恐ろしい。ユダヤ人狩り、殺害方法がだんだんシステマティックになり、人間対人間という意識が薄れていく(自分がトリガーを引かずに済む、殺害現場を目撃しなくて済むとこの傾向はどんどん強まる)と殺害に抵抗を感じなくなっていき、習慣化していく。人間の慣れも、見たくないものは見ないようになる傾向も、実に恐ろしい。何でも日常に回収していく性質は人間の強さでもあるが、本件の場合は最悪の形で発揮されてしまったわけだ。
 また、大隊は男性のみで構成されていたようだが、「殺しに怯える弱い男」とみなされることを恐れ、周囲との同化の為に殺す、同化が強まると更に殺害に対して抵抗がなくなっていくという「空気を読む」ことによる罪悪感や抵抗感の希薄化も指摘される。101大隊の派遣先が海外で、隊からはずれると言葉も通じず行く場所もないというロケーションも、この傾向を強めたようだ。男らしさの呪縛はほんとろくなことにならないな・・・。
 ともあれ、101大隊の置かれた条件をひとつずつ見ていくと、どこの国、どの社会、どの層においてもこういうことは起こりうるだろうと思える。人間、自分の倫理観、善良さを過信してはいけないのだな・・・。こういうことが私たちは出来てしまう、その性質を利用しようとする者もいるということを、肝に銘じておかなくては・・・。内容が内容なのでなかなか読むのが辛かった。人間の負の可能性を目の当たりにし、暗欝とした気分になる。

『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』

 ブルックリンでレコードショップを営むフランク(ニック・オファーマン)は店を閉めることにした。娘のサム(カーシー・クレモンズ)は医者を志しUCLAへの進学が決まっているので、いい頃あいだと考えたのだ。しかしフランクがサムを一緒にレコーディングした曲をネットにアップロードしたところ予想外に人気が出て、レコード会社からも声がかかる。かつてバンドマンだったフランクは浮かれるが。監督・脚本はブレット・ヘイリー。
 フランクはシングルファーザーとしてサムを育ててきたが、どこか子供っぽい。今ではサムの方が地に足がついて大人っぽく見える。自分たちの曲が注目されたことに対しても、ツアーはどこにいこうかなんてはしゃぐフランクに対して、サムは進学の準備に余念がない。進学を1年延ばせないかと言いだす父親に彼女がキレるのも無理はないのだ。入学は決まってるし奨学金だって受けている、何よりフランクの都合で振り回されてはたまらないだろう。彼女も心底音楽好きで、多分フランクよりも音楽の才能はあるので心が揺れないわけではない。それでも彼女が選らんだ道があるのだ。
 フランクのふるまいはなかなかイラっとさせられる所があるのだが、ぎりぎりで嫌な感じにはならない。子供っぽいが父親としての役割はちゃんと果たしてきた、親として役割を果たすため、断念しなければならないことがあると受け入れてきた様子が垣間見られるのだ。更に、彼がサムにはサムの人生があり、フランクとは別の意思をもっていること、彼女の選択を尊重しなければならないということを本当はわかっているからだろう。同じものを愛していても、2人は別の人間なのだ。
 2人が歌う歌の歌詞にもあるように「大切なものを置いて」旅に出ることは、決して悲しいことではない。これは親子の間だけではなく、サムとガールフレンドのローズとの関係において同じだろう。愛し合うことと、共にいることは必ずしも一致しない。それぞれ別の人格、別の生き方だというスタンスが一貫している。
 音楽に溢れた作品で既存楽曲の使い方も良いのだが、特にライブシーンの多幸感が素晴らしかった。クレモンズのパフォーマンスが本当にチャーミングで見ていて嬉しくなる。また、まさかトニ・コレットのカラオケを聞けるとは思わなかった(上手い!かわいい!)ので得した気分になる。

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2017-10-04





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2017-12-22

 

『ベン・イズ・バック』

 クリスマスイブの朝、19歳のベン(ルーカス・ヘッジズ)が急に帰宅し家族を驚かせた。ベンは薬物依存症の治療中で、施設で暮らしていたのだ。母ホリー(ジュリア・ロバーツ)と幼い弟妹は再会に喜ぶが、妹アイビー(キャスリン・ニュートン)と継父ニール(コートニー・B・バンス)は不安がる。1日だけの在宅を許すが、外出先から一家が帰宅すると、家の中が何者かに荒らされ愛犬がいなくなっていた。昔の仲間の仕業だと考えたベンは一人で彼らの元に向かい、ホリーはそのあとを追う。監督はピーター・ヘッジズ。
 息子が薬物依存症で大変という映画は最近だと『ビューティフル・ボーイ』もあったが、本作の方がストーリー展開にメリハリがありスリリング。依存症の、当人にとって、周囲にとって何が大変なのかという面も端的に垣間見える。ここまでやらないとだめなのか!と少々ショックだった。そして絶対に長期戦で、三歩進んで二歩下がるの繰り返し。これは本人はもちろん辛いが、周囲が消耗していくな・・・。
 ベンは弟妹からは素直に慕われており、彼らに対する振る舞いからもいい兄だったことがわかる。一方で、薬物依存が原因で取り返しのつかないことをしてしまったことが徐々にわかってくる。その事件によって人間関係がおおきく損なわれ、家族は深く傷ついているのだ。しかし、家族は良き兄、良き息子としてのベンの顔も知っている。いっそ良い思い出がなければもっと気持ちが楽なのだろうが、気持ちが引き裂かれていく。ホリーはベンと守る為、彼につきっきりで一緒に行動する。薬物依存症患者への対応として、絶対に一人にしないということが必要なのだろうが、いくら家族でもなかなかできない、むしろ家族だからよけいきついのではないかと思う。ベンを愛しているし信じたいけど、依存症である彼を決して信じてはダメなのだ。ホリーは彼を守りつつ他の家族も守ろうとする為、嘘をつき続ける羽目になっていく。演じるロバーツの表情には鬼気迫るものがあり、徐々に母と息子の地獄めぐりのような様相になってくる。とても母は強しなんて気軽に言えない雰囲気だった。
 一方、アイビーが何とか母を支え続けようとニールに嘘をつく様が切ない。ニールはとてもちゃんとした父親でベンにとっての「敵」ではないし、ホリーもアイビーもそれは重々わかっている。とはいえ、ベンと過ごした時間の違いによる切実さの差異が出てしまうのかなと思った。切実さという面では、子供との関わり方という一点で立場を越えてホリーに手助けするある人物が強く印象に残った。同じ立場でないとわからない類の辛さなんだろうと。

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2018-09-06





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『プロメア』

 突然変異により生まれた炎を操る種族、バーニッシュの出現により、各地で大火事が起き世界の半分が消失した。それから30年後、対バーニッシュ災害用の高機動救命消防隊バーニングレスキューは、攻撃的なバーニッシュの組織マッドバーニッシュから町を守っていた。新人(松山ケンイチ)とマッドバーニッシュのリーダー・リオ(早乙女太一)はぶつかり合う。。監督は今石洋之、脚本は中島かずき。制作スタジオはトリガー。
 始まっていきなりクライマックス!そしてTVシリーズならここで最終回だろー的なクライマックスがその後も波状攻撃してくる。やたらとテンションが高く緩急の急しかないような構成だ。ストーリーは極めて大味なのだが、本作の場合はそれが魅力になっているし、監督はじめスタッフもそこはよくわかっているんだろうな。バンクに決めポーズを惜しみなく多用し、かつそこにメタ的な突っ込みも入れる(とはいえテロップ芸のかっこよさはトリガーのお家芸的)。ビジュアルデザインが全般的に素晴らしかった。
 いわゆる日本的なアニメ、セル画風アニメの面白さ、持ち味はこういう所にあるという確信に満ちた作り。例えばハリウッド産アニメーションの最前線のような『スパイダーマン スパイダーバース』とはまた別の方向でのアニメーションの最前線を見た感がある。動画にしろ背景美術にしろ、非常にかっこよくて唸った。特に背景の省略の仕方がいい。登場するメカやロボットの全てが洗練されたかっこよさをもっているわけではない、あえてダサくしたり相当なバカ設定だったりするわけだが、全体的にはクールな印象になる所が面白かった。ちょっと匙加減を間違うとごちゃごちゃになりそうな所、絶妙なバランスが保たれている。正直、冒頭のバーニングレスキューが出動する20分くらいで動きの鮮やかさに満足してしまった。そのくらい密度が高い。
 最終的には気合で何とかする非常に中島かずきらしいストーリーで、大分ご都合主義ではある。が、大真面目でこれをやれるというのは、すごいヒューマニズムなのではないかと思う。人間の意志の力、善性を信じているということだから。ポジティブ、かつカラっとしている。
 なお本作、海外マーケットをかなり意識しているのかなという印象だった。舞台は多民族都市的な雰囲気で、モブキャラのデザインを見ても様々な人種がいる雰囲気が出ている。また研究所の職員がほぼ男女半々だったりと、男女比にも気をつけているように思った。メイン女性キャラに対してセクシャルな描写が少ない(露出度が高い衣装でも胸や尻を強調しない、いわゆるサービスショットを入れない)あたりも配慮されていると思う。トリガー制作の『キルラキル』では衣装デザインでちょっとひいてしまったので、このあたりの配慮は好ましかった。

『僕たちは希望という名の列車に乗った』

 1956年、東ドイツの高校生テオとクルトは、こっそりもぐりこんだ西ドイツの映画館で、ハンガリーの民衆蜂起のニュースを見る。感銘を受けた2人はクラスメイトに呼びかけ、授業中に2分間の黙祷を実行。しかしソ連の影響下におかれた東ドイツでは国家への反逆とみなされてしまう。首謀者とあげろと彼らは迫られるが。原作はディートリッヒ・ガルスカ『沈黙する教室 1956年東ドイツ 自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』、監督はラース・クラウメ。
 教育委員たちが学生から「ゲシュタポ」と揶揄され激怒するが、やっていることは似ている。力と恐怖で国民、国を画一的に支配しようとするやり方は、大体似通ってくるのか。体制側と違う考え方をすることは認められないのだ。本作中でも、学生たちの弱みを握り、脅し、彼らが疑心暗鬼に陥り仲間を裏切るよう煽っていく。若者たち、国民たちが自分の頭で考え団結することが、体制側は怖いのだとよくわかる。管理しようという姿勢が徹底していてすごく怖い。なりふりかまわずそこまでやるのかと。若者たちが何も考えず言うことをきく状況は、支配する方としてはそりゃあ楽だよな。だから個々が自分で考え行動することが、権力の肥大化を押さえる為にもとても重要なのだ。学生たちが黙祷を「皆でやろう」と多数決を取るのは、ちょっと同調圧力っぽくないか?という気もしたが・・・。 
 彼らの行動は最初はあまり深い考えに基づくようなものには見えない、その場の思いつきのようなものだ。しかし、その思いつきで自分の生き方、ひいては自分が今いる国が何をしようとしているのか、自分たちが何に加担することになりかねないのか、深く、しかも短時間で考えざるを得なくなっていく。少年少女が急激に成長していく様が鮮やかではあるのだが、こういう形で成長を強いられるのってちょっと辛い。他の場所だったらしなくていい苦労だし、理不尽すぎる。
 裏切り者になること、嘘をつくことを大人が子供に強いる国は、大分終わっているのではないだろうか。この5年後にベルリンの壁ができるわけだから、変なことを変だと言える環境がどんどんなくなっていく過程を描いた物語でもある。この先、こういう体制が何年も続くのだから本当に暗い気持ちになってしまうが、心が折れそうになっても自分達で考え屈しない若者たちの姿には希望がある。
 走るシーンが多く、どれも印象に残った。動きのテンポがいいというか、躍動感がある。ストーリーは重いが軽やかさがあるのだ。


アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 [DVD]

ブルクハルト・クラウスナー
アルバトロス
2017-07-05



『ピクニック・アット・ハンギングロック』

ジョーン・リンジー著、井上里訳
 寄宿学校・アップルヤード学院の生徒たちは、ハンギングロックへピクニックへ出かけた。しかし巨礫を見に出かけた4人の少女と、彼女らとは別行動していた教師1人が行方不明になってしまう。必死の捜索が行われたものの手掛かりは得られず、事件は迷宮入りに。事件の噂は広まり、以来、学院では歯車が狂い始める。
 舞台は1900年のオーストラリア。いかにも良家の子女が通っている風の箱庭的なアップルヤード学院の世界と、だだっ広く人間を拒むような土地・風土の独特さが強いコントラストを生んでおり、不思議な雰囲気。これがたとえばヨーロッパを舞台にしていたら、全然違う雰囲気だったろう。人がいきなりいなくなっても不思議ではない、人間の入る隙がない感じなのだ。
 少女たちだけの世界は閉鎖的、箱庭的な親密さがあり、そこが魅力だと感じる人もいるだろう。箱庭は徐々に崩壊し、学院の人たちは外の世界にさらされていく。生徒からも教師からも今一つうとまれている学院長が、頻繁に亡き夫のことを思い出すのがなんだか切なかった。彼女にとっては夫といた時間こそ箱庭的な安心しているられる場所だったのではないかと。
 中心的な、美しく聡明な少女たちがいなくなったことで美しい小さな世界は終わりを迎える。崩壊のイメージもまた美しいかもしれないが、姿が美しい少女は心も美しく聡明で、見た目がぱっとしない少女は中身もぱっとせず人柄にも愛すべき部分が少ないという描写は、見た目偏重すぎて少々辟易した。なお百合の文脈で語られがちな作品だと思うが、貴族の青年マイケルと、彼の叔父の御者であるアルバートとの関係は微妙にBL感が・・・。この2人も少女たちの失踪に影響を受けるが、「崩壊」には至らず、むしろそれまでの身分や立場から自由になっていくという所が面白い。



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