時空を超えて冒険してきたビル(アレックス・ウィンター)とテッド(キアヌ・リーブス)ももはや50代。音楽活動を続けてきたものの人気は落ちる一方で、もはや応援してくれるのは娘たちだけ。そんな彼らの前に未来からの使者が現れ、時空のゆがみによって世界が終わるまで77分25秒、それを止める為にビルとテッドの「世界を救う曲」が必要なのだと告げる。監督はディーン・パリソット。
まさかこのシリーズで3作目を今更作るとは思わないし(何しろキアヌ・リーブスは今や大スターだ)、ビルとテッドがあのまま50代になっていると思わないよな…。ずっと頭悪くて能天気なままだし大成とも成功とも程遠い。ただ、この成長のなさを全く笑えないし、自分たちはまだやれるはず!という根拠のない自信はいっそ尊敬してしまう。こういうメンタリティだと人生大分楽なのでは…。新曲が思いつかないから未来の自分たちからパクろう!という発想は大分クズなのだが。
タイムトラベルというSF設定、未来の自分過去の自分と遭遇するというタイムパラドックス起きかねないシチュエーションはあるのだが、SF的なルールや整合性はほぼ無視されている。本シリーズらしく実に緩く雑。そして未来世界に対するセンスがとにかく古い!その未来は90年代に想像していた未来で2000年代の未来じゃないぞ!と非常に突っこみたくなった。良くも悪くも進化がないのだが、それこそがこのシリーズの真骨頂なのだろう。
安い・緩い・頭悪いという三拍子なのだが、不思議と不快感はない。誰かを貶めるような笑いの作り方ではないからか。また、ビルとテッドの徹底した自己肯定感(強すぎるし2人一体化しすぎなのでこれはこれで怖いけど)も一因だろう。何より、本作、本気で世界を音楽で救えると思って作られているような気がする。世界中が分断されたコロナ禍の中で本作を見ると、その能天気さは逆に腹をくくったものに見えるのだ。一瞬かもしれないが世界中の人の心が重なる、同じ方向を向く瞬間があると信じて作られている気がした。その本気さが一見実にいい加減な本作を「映画」として立ち上げている。映画は大勢が一緒に見て同じものを共有するものだ。エンドロールにもその信念が込められていると思う。