3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名は行

『HiGH&LOW THE MOVIE 2 END OF SKY』

 拮抗する5つのチームの名前の頭文字をとってSWORD地区と呼ばれているエリア。SWORDの面々は湾岸連合軍との戦いに勝利し、再開発の波もひとまず収まる。しかし林蘭丸(中村蒼)率いる悪名高いスカウト集団「DOUBT」がSWORDのスカウトチーム「White Rascals」をつぶそうとしてくる。更にジェシー(NAOTO)を筆頭とした武闘派集団「プリズンギャング」も蘭丸に加勢し始める。一方、カジノ計画に絡んだ癒着事件を明らかにしようとする琥珀(AKIRA)雨宮兄弟らには、証拠隠滅を図る九龍グループの刺客が迫っていた。監督は久保茂昭・中茎強。
 ドラマと映画が連動する「HiGH&LOW」プロジェクトの劇場作品3作目。1作目『HiGH&LOW THE MOVIE』、2作目『HiGH&LOW THE RED RAIN』からストーリーは直接つながっているのだが、正直ストーリーに重点を置いた作品ではないので、多少あらすじやキャラクターをかじって本作をいきなり見るという形でも大丈夫ではないかと思う。1作目、2作目でも決してストーリーが面白い、良くできているという類の作品ではなく、見せたいシーンとキャラクターのつなぎの為にストーリーらしきものがあるという感じだった。しかし、本作ではエピソード間のつなぎ方がもうちょっとましになったかなという気はする。九龍の幹部らが全員(多分)登場して新たな動きが見える等、ストーリーの広がりを見せてくるところはいい。とは言え相変わらず「何やってるんすか琥珀さぁぁん!」と叫びたくはなりますが・・・。
 アクション面は前作よりも更に強化されており、演出の創意工夫が素晴らしい。冒頭、パルクールを取り入れた下方向へのアクションで一気に引き込まれる。このシーンに限らず、アクションの飛距離、スピード感が爽快。ストーリーがどんなにザルでも人体の動きを見ているだけで楽しくなってくる。体の良く動く出演者といいアクション監督(アクション監督は大内貴仁)を使うとこうも違うのかと唸った。上下左右各方向への動きがちゃんと設定されており、1作目でもそうだったが、群衆での乱闘シーンでも画面の奥のモブキャラまでちゃんと演技指導されていることがわかる。行き届いているのだ。
 また、カー&バイクアクションもこれまでの日本映画ではなかなか見られなかった領域に突入している。USBの奪い合いが車とバイクでのカーチェイス中に行われるのだが、ちょっと最近の韓国映画っぽいシーンだった。日本でもとうとう「人VS車」をやるやつが出てきたか!また九龍会からの刺客である源治(小林直己)の日本刀も使ったアクションも素晴らしかった。演じる小林の身体能力の高さあってのことだろうが。しかし、これだけキレッキレのアクションシーンにもかかわらず、その原因となっているUSBメモリに関してはなぜコピーしておかない!琥珀さん海外にUSBメモリ持ち出して何やってたんすか!何もやってなかったんすか!という突っ込みが止まらないのだった。
 なお、これをカーアクションというのか微妙だが、クライマックスの廃駅での達磨一家の登場の仕方は最高だった。いやーあれやってみたいな(笑)!

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2017-01-18

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2017-04-05



『パターソン』

 ニュージャージー州の街パターソンで暮らす、バス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。毎日定時に出勤してバスを運転し、帰宅後は愛犬マービンの散歩に出て、バーに立ち寄りビールを1杯だけ飲む。詩人である彼は毎日ノートに少しずつ詩を綴る。監督はジム・ジャームッシュ。
 パターソンの1週間を追うドラマだが、冒頭、ベッドから出た彼がキッチンでシリアルを食べているシーンで、ガラスの器が素敵なことや、部屋は狭いけどインテリアのコーディネートはユニークで住みやすいようにコーディネートされていることに気付く。ここで何だかほっとした。パターソンと妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)は、自分たちの生活を心地よくしようとする意欲があるし、生活を楽しんでいるんだとわかるのだ。
 パターソンが住む町はどうということもない、むしろさびれた地方の小さな町だ。しかし、彼の出勤風景は妙に美しい。煉瓦造りの古い工場跡のような建物や、同じく古びたバス会社の操車場が、なんだかかけがえのないものに見えてくる。これは、パターソンが自分が住む世界を愛しており、その彼の目を通して見た風景だからだろう。随所で挿入されるパターソンの詩(少しずつ修正しながら書く為、これもまた反復の一種にも見える)は、彼にとっての世界に対する驚き、美しさの記録でもある。
 パターソンの生活は反復を重ねているように見える。仕事である路線バスの運転も、同じルートをぐるぐると回る行為だ。しかし、乗客の会話はその日によって違うように、日々は似ているようでいて一日一日が全然違う。彼の日々はささやかかもしれないが驚きに満ちている。映画を観ている側も、なんだか彼と一緒にびっくりしているような気分になってきた。
 パターソンとローラは、性格のタイプとしては大分違うように見える。パターソンは内向的で詩の発表をする気もあまりない。対してローラは彼に作品を発表するよう勧めるし、彼女自身の表現活動も外へ外へと向かっていくものだ。行動力にあふれ、ぱっと思いつきで実行できる人なのだ。それでも、お互いに相手が何を大切にしているかを理解しており、そこは尊重している。2人の愛情、信頼関係も本作を見ていて安心できた要因の一つだ。パターソンが何らかのトラブル(終盤でトラブルどころではない大事件が起きるのでびっくりした)が起きてもローラやマービンに八つ当たりしない所も、とてもよかった。彼は人間がすごくできている人だと思う。
 翻訳された詩はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの、という台詞が出てくるのだが、本当にそうなんだろうなぁと思う。思いつつも、でもレインコートがないと私は他国の詩を読めないのに!ともどかしくなった。翻訳業の人たちは、より良いレインコートを作る為に尽力してくれているわけだな。

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2006-11-24


パタソン―W・C・ウィリアムズ詩集
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
沖積舎
1988

『ブレンダンとケルズの秘密』

 9世紀のアイルランド。バイキングの襲来を恐れる修道院長は、修道院の周囲に高い壁を築いていた。そこに、優れた写本士として高名な僧エイダン(ミック・ライリー)が逃げ込んでくる。院長の甥である少年僧ブレンダン(エバン・マクガイア)は、エイダンが持つ「ケルズの書」に興味津々で、彼を手伝おうとする。インクの材料の木の実を取に、危険だからと禁じられていた森に入るが、そこで精霊アシュリン(クリステン・ムーニー)に出会う。監督はトム・ムーア。
 『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』のムーア監督の長編デビュー作。『ソング~』と比べるとストーリーの運び方が少々荒っぽく、話の焦点が絞り切れていない。キャラクターデザインも、『ソング~』の方がより洗練されているように思う。本作は、キャラクターの動きがちょっとカートゥーン寄りで、他の部分と少々ミスマッチを起こしているように思った。
 しかし、美術面はとてもユニークで美しい。「ケルズの書」の文様をそのまま動かせないかという試みをしているのだが、よくまあこれを動かそうと思ったな!と唸った。他の部分でもケルト文様が多用されており、あらゆるところがうごめいているような印象を受ける。ブレンダンには絵の才能があり、様々な文様を幻視するのだが、世界は図像で満ちており、それを見る目を持った人が「ケルズの書」のような作品を残したのではないかと思えてくる。ブレンダンが闇のものと闘う際に白墨で線を引き、図像を描く。良く見ること、それを記すことが闇を払うことになるのだ。
 ケルズの書は福音書で、ブレンダンたちは修道士だ。にもかかわらず、意外なほど神の名が出てこないし、宗教色も薄いように思った(宗教色については、クリスチャンが見るとまた違うのかもしれない)。ブレンダンを助けるのは、彼の信仰対象の神ではなく、おそらくキリスト教にとっては異教であろう土着の存在たちだ。この2つが両立しているように見えるところが、とても面白かった。ブレンダンにとっての祈りは描く行為そのものなのかもしれない。

ソング・オブ・ザ・シー 海のうた [Blu-ray]
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2017-04-05


ケルズの書
バーナード ミーハン
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2002-03-01

『ベイビー・ドライバー』

 天才的なドライビングテクニックを持ち、とある事情により犯罪組織のドク(ケビン・スペイシー)から仕事を請け負っているベイビー(アンセル・エルゴート)。ある日、ウェイトレスをしているデボラ(リリー・ジェームズ)に一目惚れしたベイビーは裏稼業から足を洗おうと決意するが、ドクに脅され、強盗犯の逃走を助けることになる。監督はエドガー・ライト。
  ベイビーは耳鳴りを防ぐため、常にiPodで音楽を聴いている。彼の動きも運転も音楽に合わせたものだ。冒頭のベイビーの一連の動きは音楽に合いすぎていて笑っちゃうくらいで、これをわざわざやったのか!と監督に大して少々呆れる気持ちもある。見ていて楽しいし体感として気持ちいい(とにかく、音と動きを徹底して合わせているので)のだが、ちょっとやりすぎだなぁという気もした。ともあれ、こういうやり方の音楽映画もアリだとは思う。意外とMV的ではないように思えたところも、面白い。音楽と並走しているが、主体はやはり人体であり車なんだなぁと。  カーアクションに魅力がある。荒唐無稽過ぎないラインがすごい、という感じ。非常に高いドライビングテクニックを駆使して車をちゃんと運転している感のあるカーアクションというか、トンデモ感が薄いのだ(ようするにワイルドスピード的なものではないということで)。カースタントってこういうことだよなー!とうれしくなる。しかしクライマックスではやっぱり車同士のガチンコを始めるので、これは近年のトレンドなんだろうか。
 ベイビーが常に音楽を聴いているのは、耳鳴りを防ぐ為の行為であると同時に、自分自身にサントラを付ける、自分を演出することでもある。冒頭の彼のはしゃぎっぷりは正に「主人公」だし、音楽はその感覚を更に強めている。ただこの音楽、周囲の人には聞こえない(イヤホンで聞いてるから)はずなので、ちょっとイタい人みたいに見えないかな・・・。ベイビーにとって音楽と車は、自分を外界から守る鎧みたいなものでもあるのだろう。それを脱いでいく話なのかなと思っていたら、そうでもないのでちょっと拍子抜け。まあ趣旨は音楽映画なんだろうからそれでいいのか。
ベイビーは裏社会に染まり切っているわけではない。暴力を見るとすくんでしまうし、人を傷つけたくない。そんな彼が、デボラを守りそこから抜け出す為、裏社会のルールに自ら乗っかっていくというところには違和感があった。違うやり方でもいける、という成長の仕方もあるんじゃないかなぁと。同じ土俵に乗らなくてもなぁというもやもやが残った。
 ところで、エドガー・ライトは男女のやりとりに興味がないのか描けないのか。ベイビーとデボラのやりとりにしろ、作中の男女関係にさっぱり魅力がないのには参った。バディ(ジョン・ハム)を援護しようとダーリン(エイザ・ゴンザレス)がバッツ(ジェイミー・フォックス)に言い返す内容、もうちょっと何とかならないのか。ダーリンがその程度のことしか言えない人である、という設定なのかもしれないがそれこそ退屈すぎる。





『ハートストーン』

 アイスランドの漁村で暮らす少年ソール(バルドル・エイナルソン)とクリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)。ソールは大人びた少女ベータに夢中だった。クリスティアンはソールの後押しをしつつも、彼に対する特別な思いをもてあましつつあった。監督はグズムンドゥル・アルナル・グズムンドン。
 思春期の少年少女らの、同性の友人との濃密な関係、自分のセクシャリティに対する戸惑いを描いた作品だが、何よりも強く印象に残ったのは、小さな町の息苦しさだ。ソールとクリスティアンが暮らしているのはいわゆる田舎の小さな漁村で、周囲は海と山ばかり。隣の家まで何キロ離れているんだと言うような地域だ。当然人口は少ないので、村人はほぼ全員顔見知り。更に人数が少ない子供は全員顔と名前が知られており、子供たちのたまり場になる場所も限られているので、カフェに行けば同級生がいるし、クラブにもぐりこむと母親が地元の男性と踊っている。人づきあいが苦手な人、周囲から浮いている人にとってはかなりしんどい環境だろう。誰にも会わずに一人でふらふらしたいなと思ったら、野山をふらつくくらいしかやることがない。安心して自宅にいられる環境ならいいのだろうが、ソールは姉2人と同室、クリスティアンは父親と折り合いが悪く、家にも居辛い。2人は度々、つるんで外を歩き回っているのだが、要するに行く場所がないんだなぁと。2人の仲の良さは村の子供たちからも揶揄されており、他の子供たちと顔を合せるのも面倒くさいのだ。
 小さいコミュニティの息苦しさを感じると同時に、外部からの情報が入ってきにくいことの息苦しさ、世界の狭さも強く感じる。子供達だけでなく、ソールの母親のように大人でも息苦しく感じる人がいる。本作の時代設定は現代よりも少し前、まだインターネットが普及しておらず、携帯電話も登場していない頃。子供が「外の世界」の情報を得るにはテレビや雑誌しかなく、セクシャリティに関する情報等はなかなか入手できない。自分のように悩んでいる人は他にもいるのか、どういう受け止め方をすればいいのかという判断材料が乏しいのだ。舞台となる風景は広大なのに(アイスランドの地形ってやっぱり独特だよなーと思う)のに、描かれる世界は閉塞的で風景の広さと反比例していく。ロケーションが開けているだけよけいに「ぼっち感」が強まるのだ。
 クリスティアンはソールよりもやや大人で、自分のセクシャリティにも、周囲がそれになんとなく気付いていることも自覚的だ。それに比べてソールの悩み方はまだまだ子供っぽく単純(女の子とセックスした翌朝のすがすがしく達成感漂う表情、ほんと腹立つわ・・・)。2人の気持ちの並走できない感が辛い。冒頭から破局への予感に満ちていてハラハラしっぱなしだった。2人とも、自分の心を持て余して自爆してしまいそうなのだ。

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『ベンヤメンタ学院』

 召使養成学校のベンヤメンタ学院に入学したヤーコプは、服従を学ぶレッスンに励む。学園長ベンヤメンタ氏の妹で唯一の教師であるリーサに惹かれ、彼女に学園の奥へと導かれていく。原作はローベルト・ヴァルザーの小説『ヤーコプ・フォン・グンテン』。監督はブラザーズ・クエイ。「ブラザーズ・クエイの世界」Cプログラムにて鑑賞。
 クエイ兄弟と言えば人形を使ったアニメーション作品だが、本作は数少ない全編通して人間の俳優を使った長編映画。しかし、やはりクエイ兄弟はクエイ兄弟。作風は一貫している。銀板写真のような質感の映像と、閉ざされた空間。そしてフェティッシュさとセットになったエロティシズム。本作では生身の人間が出てくるが、生身であるということよりも、体のパーツに対するフェティッシュ、特に手の動き(ここは非常に厳密な演技が要求されてるんだろうなぁという気がする)によるエロティシズムが濃厚だった。生身の人間全体としてのエロティックさというものは、実はそれほど感じられない。また、召使養成学校ということで、服従が課されていることによるSM的な味わいも。ヤーコプはベンヤメンタ氏やリーサに従順だが、ベンヤメンタ氏やリーサもまた、ヤーコプに、あるいは学院そのものに服従しているようにも見える。
 ヤーコプとキリストになぞらえるようなベンヤメンタ氏の発言や、教会のミサを模したような学生たちのパフォーマンスがあったりする。しかし、ヤーコプは殉教者でも救世主でもなさそうだし、ベンヤメンタ氏もリーサも何かに帰依しているという感じではない。ベンヤメンタ氏とリーサがいる世界は、変化のない完結した閉じた世界だ。スノードームのように舞い散る雪や丸い金魚鉢は、閉じた世界の象徴だろう。2人はそこから解放されたいようでもあり、閉じた世界が壊れることを恐れているようでもある。ヤーコプが入学してきたことで、彼には全く自覚はないのだが、ベンヤメンタ氏もリーサも揺り動かされ世界は変動していく。しかしそれは、完結していた世界が壊れて元には戻らないということでもあるのだ。その壊れていく予兆がそこかしこに感じられ、見ている側も不安に駆られてくる。

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『パワーレンジャー』

 それぞれの事情から補習クラスに通う羽目になった高校生のジェイソン(デイカー・モンゴメリー/吹替:勝地諒)、キンバリー(ナオミ・スコット/広瀬アリス)、ビリー(RJ・サイラー/杉田智和)、同じ高校に通うが欠席がちなトリニー(ベッキー・G/水樹奈々)、ザック(ルディ・リン/鈴木達央)は偶然、同じ場所に居合わせ不思議なコインを手に入れる。しかしそのコインのせいで彼らに超人的なパワーが生まれた。不思議に思いコインを発見した場所に戻った彼らは、かつて世界を守った「パワーレンジャー」の1人ゾードン(ブライアン・クラストン/古田新太)と、機械生命体アルファ5(ビル・ヘイダー/山里亮太)に出会う。ゾードンがかつて戦った悪の戦士リタ・レバルサ(エリザベス・バンクス/沢城みゆき)を阻止する為、ジェイソンらが新たなパワーレンジャーに選ばれたと言うのだ。監督はディーン・イズラライト。
 日本のスーパー戦隊シリーズをアメリカ向けにローカライズしたテレビドラマを、映画としてリブートした作品。当然日本では東映が配給しているのだが、洋画の前に東映のロゴが表示されるのって何か新鮮だわ・・・。作品自体はとてもお金がかかってブラッシュアップされたやや年長向けの戦隊ものといった感じなのだが、今回吹替え版で見たので、自分が馴染のある「戦隊もの」感をより味わえたように思う。ジェイソン役の勝地はアニメ吹替えの実績があるので特に心配はしていなかったが、キンバリー役の広瀬が達者とはいかないまでもなかなか頑張っていて、好感が持てた。本業声優の皆さんに関しては当然全く心配ないので、吹替え版も結構お勧めできる。特に沢城みゆきの沢城みゆき感はあーこれこれ!って感じで素晴らしかった。安心感ばっちり。
 パワーレジャーとなる5人の少年少女それぞれが、家庭や自分自身の問題を抱えていたり、学校に馴染めなかったりという背景が設定されている。自閉症やセイクシャルマイノリティという設定も盛り込まれているあたりは現代的だ。5人が何事もなく学校に通っていたら、同級生であっても特に仲良くはならない「別ジャンル」の人同士(ジェイソンとキンバリーはアメフトの花形選手とチアリーダーだから接点あるだろうけど)というあたりは、特撮版『ブレックファスト・クラブ』とも言える。全然「別ジャンル」の相手であっても協力し合えるし話してみたら面白いかもしれないし仲良くなれるかもしれないよ、という示唆はティーン向け映画として真っ当。5人の造形はなかなか良く、通り一遍から若干ずらした感じなので、むしろTVシリーズをこのキャラクターで見てみたくなった。映画だと、やはり5人の背景までちゃんと見せるのは時間的に難しいんだろうな。映画だから当然全員それなりのルックスではあるが、いわゆる美男美女、スタイル抜群という感じではない所も良かった。年齢相応な雰囲気が出ていて、女の子たちも、意外と寸胴だったりする。
 5人がパワーレンジャーに変身するのが大分後半で、しかも1度のみというあたりも、彼ら個人のドラマを見せようという意図だろう。変身や巨大メカというガジェットはあるものの、ベースは思春期の少年少女たちの青春ドラマだ。そこが間口の広さでもあるが、大人が見るには若干物足りないかなという気もする。戦隊もののお約束的カットや音楽の特徴もちゃんと踏まえているが、それに興ざめする人もいるだろうしなぁ。

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『ブラザーズ・クエイの世界 Fプログラム 21世紀のクエイ兄弟』

 特集上映『ブラザーズ・クエイの世界』のうち、Fプログラムを鑑賞。2000年代の作品をセレクトした以下のラインナップだった。現在、渋谷区の松濤美術館で開催中の企画展「クエイ兄弟 ファントム・ミュージアム」(私は神奈川県立近代美術館葉山別館で開催した際に見た)と連携した特集上映。

『ソングス・フォー・デッド・チルドレン』(2003)
 以前のブラザーズ・クエイ特集上映で鑑賞したことがある。当時の感想はこれ。ブラザーズ・クエイ作品の中でもかなり好きな作品になる。コーラスとマリンバを多用した音楽と相まって、異様な高まりを感じる。チョークと子供の手の鬼ごっこのような円環運動等、中毒性が高い。クエイ・ブラザーズの作品て、実部を見るとわかるのだが決して人形やセットが大きいわけではない。それをさも奥行があるように見せるのは、撮影技術が高いからなんだなとよくわかる。また(本作に限ったことではないが)同じ映像を何度も反復しても手抜き感とか使い回し感が出ないところは、編集センスの良さなんだろうなぁ。やや強迫神経症的な作風との相性の良さかもしれないが。

『ファントム・ミュージアム』(2003)
 ロンドン科学博物館の医学コレクションを取り上げた作品。今回初見かと思っていたら、以前の特集上映でこれも見ていた。コレクション自体はいたって真面目なもので、過去の医療機器や人体模型等を収集したものなのだが、フェティッシュさを強く感じる。対象物自体がフェティッシュさをまとっているというよりも(そもそも大半は実用の「道具」だから)、自分の中にあるフェティシズムを喚起させられるような撮り方をされている、と言った方がいいかもしれない。ただし、女性型の人体内臓模型(人体内臓の模型で、横たわった女性の「蓋」を開けると内臓が見える)には作った人の執念というか、強いこだわりみたいなものを感じた。素朴とは言え胎児とへその緒まで再現してある。この女性型内臓模型、当時同じようなものが流行したという話をどこかで読んだことがあるのだが、何か一部の人の心に訴えるものがあるのだろうか・・・。クエイ・ブラザーズの手腕というより、対象物の強烈さが印象に残る。

『ワンダーウッド』(2013)
 題名の通り木材を使ったアニメーション。研磨された木材の質感、木目を活かしたビジュアルは、クエイ・ブラザーズ作品の中では異色かもしれない。他の作品に比べると世界観が明るくクリアというか、アクがないなと思っていたら、コム・デ・ギャルソンからの発注だったのね・・・(同名の香水の発売に合わせて制作されたらしい)。予想外のヘルシーさだったが、松ぼっくりや蓮の根のアップは少々禍々しく、朽ちて液体化するイメージも付きまとう。

『涙を流すレンズを通して』(2011)
 フィラデルフィア医師会内にある医学コレクションを取り上げた作品で、『ファントム・ミュージアム』の発展形とも言える。フェティシズムが更に加速しているが、これはコレクションの内容にもよるのかな。個々の死亡背景まで伝えられる大量の頭蓋骨や、骨外性骨形成の少年の骨格標本は、その標本の背後にある死者の物語込みで妙に人を引きつける美しさがある。それは死者の尊厳、死者との思い出を冒涜することなのかもしれないが・・・。収集した人の妄執みたいなものは、『ファントム・ミュージアム』よりも強く感じられた。同じタイプのものを大量に、というのが(それこそがコレクターということなのだろうが)何となく怖いのだ。

『正しい手:F.Hへの捧げもの』(2103)
 ある貴婦人を巡る短編。ラテン文学のマジックリアリスムのような味わい。ナレーションがついているのだが、何か原作となった小説等があるのかな?水辺を舞台に、蒸し暑さ、湿度、夜の風みたいなものに満ちている。熱気をはらんだ空気感は、クエイ・ブラザーズ作品としては珍しいかもしれない。夢の中で感じるような水の気配の再現度が高かった。自分を映し出すものとしての水=鏡と、自分を(船で)運んでいくものとしての水の存在感が大きい。




『プリズン・ガール』

LS・ホーカー著、村井智之訳
 21歳のペティは18年間、父親と2人暮らしだった。父親は彼女を学校には通わせず、夜は部屋に閉じ込め、銃器やナイフの扱いと対人戦術を叩き込むという、常軌を逸した教育をしていた。そんな父親が突然死亡。遺言内容は、遺言執行人と結婚しないと全ての財産を取り上げられるというとんでもないものだった。このままでは自由になるチャンスが奪われ、囚人のように一生を送ることになる。ペティは父の遺品を奪い、逃亡を図る。
 一気読みに最適な面白さ!父親に護身術を叩き込まれており滅法強いものの、家の外の世界を全く知らないペティの行動は危なっかしい。何しろテレビすらろくに見たことがなく、車の運転もできない(アメリカの田舎住まいで車の運転ができないというのは、いかに致命的かよくわかる小説でもある)し、父親以外の人間と接したことがないから一般的な人づきあい、適度なコミュニケーションの取り方もわからない。冒頭、警察が父親の遺体の確認にやってきたときの彼女の言動の「不自然」さの造形が上手い。ここでぐっと引きこまれた。父親はなぜ彼女をそのように育てたのか、父親はいったい何者だったのか、その痕跡を辿ることで彼女が自分の人生を切り開いていく。庇護を拒否し、初めて自分の生活を獲得しようとするペティを応援したくなる。初めて「世界」に触れる彼女の視線と通して、世界が新鮮に見えてくるシーンも。同時に、彼女に同行することになった青年の成長物語でもある。気はいいが意志が弱く流されがちだった彼が、本気でペティの力になろうとしていく。ペティの父親の遺言は、彼が忌避したものと同じものになってしまうのでは、何でこんな遺言になるんだという疑問点は残るのだが、勢いがあり息をつかせない。なおこういう設定の場合、日本だったら主人公を10代の少女にしがちなところ、ちゃんと成人なのでほっとしました(笑)

プリズン・ガール (ハーパーBOOKS)
LS ホーカー
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-05-17

音もなく少女は (文春文庫)
ボストン テラン
文藝春秋
2010-08-04

『ハクソー・リッジ』

 敬虔なキリスト教徒で、人を殺してはならないという信念を持ち、宗教上の理由で銃を手にすることも忌避している青年デズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は、衛生兵として軍に志願するものの、武器を持たない彼は仲間からは疎んじられ上官からは理解されない。彼の所属部隊が派遣されたのは沖縄。ハクソー・リッジと呼ばれる断崖絶壁がアメリカ軍を拒んでおり、そこは激戦地となっていた。監督はメル・ギブソン。
 第二次世界大戦中、沖縄戦で武器を使わず75人の命を救った米軍衛生兵、デズモンド・ドスの実話を映画化した作品。第89回アカデミー賞で編集賞と録音賞を受賞している。録音賞受賞は納得。音の距離感や奥行がはっきりと感じられる。銃を撃つ際の、引き金を引く作動音、火薬の爆発音、薬莢が落ちる金属音まで音の粒が立っていると言えばいいのか、音のひとつひとつがクリアでインパクトがある印象だ。音の設計や画面上の構成が3D映画ぽい(本作は2D上映のみ)気がした。
 メル・ギブソンてこんなにテンポのいい映画を撮る人だったっけと驚いた。映画の段取が良く、必要な情報を順次開示していくという感じの、よく整理されている話の運び方だと思う。少年時代のエピソードでドスの信念の根っこの部分を提示し、更に父親との関係が銃を忌避する伏線として後からきいてくる。子供の頃の遊びから、岩山を走り回る体力と敏捷さが身についたんだなという情報も得られる。父親(ヒューゴ・ウィービング)の造形もいい。彼は第一次世界大戦で従軍したが、その時の体験により人が変わってしまった。今ならPTSDと名前がつくのだろうが、当時はそういう概念はなかっただろう。戦中を舞台にした物語だが、父親のあり方は戦争の後に生じること、戦争の後には彼のような人たちが大勢現れるであろうことも提示しているのだ。
 新兵の訓練では、当然銃を扱う課題がある。課題をすべてクリアしないと一人前の兵士としては認められないのだが、ドスは宗教上の主義としてこれを拒む。上司や同僚からすると戦場で武器を持たないというのは理解しがたい。ドス本人が危機にさらされるだけでなく、無力な隊員を守らなくてはならないという「手間」は隊全体にとってリスクとなるからだ。ドスは上官に逆らったことで軍法会議にかけられるのだが、ある手紙によって窮地を救われる。この手紙の内容が、なるほどアメリカは腐っても立憲主義国ということなんだなと納得させられるものだ。憲法は信仰の自由を守る、軍は憲法を守る為に存在するというスタンスなのだ。ダンを疎んじていた上官や同僚も(表面上とは言え)この指摘に納得するし、映画を観ている観客も納得するはずと思われているのだろう。ダンの行動は理にかなっているとは言い難いだろうし、上官も同僚も理解はしていないと思う。とは言え、彼には信仰を持ち続ける権利も、信仰を持ちつつ兵士になる権利もある。理解は出来ないがその権利は認める、ということなのだろう。

アポカリプト Blu-ray
ルディ・ヤングブラッド
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2016-10-19



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