3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名は行

『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』

 結婚して40年になるブリット=マリー(ペルニラ・アウグスト)は、ある日夫が長年浮気していたことを知る。ショックを受けた彼女は家を飛び出すが、ずっと専業主婦として生きてきた彼女に就職先はなかった。ようやく見つけたのは小さな田舎町ボリのユースセンターの管理人だった。監督はツバ・ノボトニー。原作はフレドリック・バックマンの小説『ブリット=マリーはここにいた』。
 邦題「幸せ」使い過ぎ問題がここにも…。本作の場合、原作の題名が作品の非常に大事な部分をずばり表しているので、かなり勿体ない。加えて、彼女の旅立ちにとって重要なのは必ずしも「幸せ」ではない。ブリット=マリーが幸せなのか、この先幸せになるのかどうかは正直わからない。彼女にとって大切なのは幸せかどうかよりもむしろ、自力で踏み出せたしどこにでも行けるということなのだ。
 原作がそういう感じなのかもしれないが、若干ファンタジーっぽい話ではある(同じ原作者、かつブリット=マリーも登場する『おばあちゃんのごめんねリスト』もそんな雰囲気だった)。なんでこうなるの?という設定が多いのだ。サッカーのルールすら知らないブリット=マリーがジュニアサッカーチームのコーチをやるのはいくら何でも無理すぎな設定に思ったし、チームの子供たちが納得するだろうかと気になってしまう。ブリット=マリーの人柄や姿勢が子供たちのポテンシャルを引き出したという解釈はできるが、そこに至る必然性みたいな要素があまり見受けられなかった。ブリット=マリーは家事スキルが非常に高い人なので(有能ではあるのだ)、その知識が活かされる仕事であればまた印象が違ったかもしれない。全く違う人生をいつからでも始めることができるという話なのだろうが、それまでの人生を否定されるみたいで、それはそれで辛い気がする。
 また、恋愛要素は必要だったのだろうか。夫の裏切りが他の男性の存在と彼からの承認によって埋め合わせされるみたいで、なんだかすっきりしない。

ブリット=マリーはここにいた
Fredrik Backman
早川書房
2018-10-18


おばあちゃんのごめんねリスト
Fredrick Backman
早川書房
2018-03-20





『パブリック 図書館の奇跡』

 記録的大寒波に襲われた真冬のシンシナティ。70人のホームレスが公共図書館に立てこもった。緊急シェルターがどこも満員で、このままでは路上で凍死するというのだ。図書館員のスチュアート(エミリオ・エステベス)は彼らの苦境を見かね、共に図書館に立てこもることになる。監督・脚本は主演もしているエミリオ・エステベス。
 監督としてのエステベスの仕事は『星の旅人たち』しか知らなかったのだが、パブリック=公共とはどういうものかと真っ向から向き合った熱意溢れる作品だった。何より、「図書館は民主主義の最後の砦」であると明言されている、社会における図書館の存在意義がわかる作品。フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を思い出した。アメリカにおける公共図書館の位置づけがよくわかるのだ。図書館は誰もが知識にアクセスできる場であり、知識を得る=生活を助けること、生きる権利を保護することなのだ。冒頭、「臭い」にまつわるトラブル(日本でも頻発していそうで、図書館ユーザーとしては各方面の言い分がわかるだけになかなか辛い…)で図書館側が苦境に立たされるが、図書館の利用が誰にでも保障されているという前提、つまり生きる権利が保障されているという前提が世の中に浸透しているからこその訴えなわけだ。このあたりは日本との民度の違いを感じて、正直羨ましくもあった。
 スチュアートがホームレスらと共闘するのも、仲間や友人だからではなく、それが彼らの権利であり、自分はその権利を守ることが仕事だという信念があるからだろう。ホームレスたちの要求は寒さから身を守りたいというのが第一なのだが、内部の映像を見た人が言うように「デモみたい」なものでもある。こういう苦しみを抱えている者がここにいる、自分たちはここにいるという存在の主張なのだ。警察官たちはそこが見えていないのだが、スチュアートには見えた。
 良い作品なのだが、ちょっと古いなと思った所もある。アパート管理人がスチュアートに積極的に関わるようになる経緯としてセックスが織り込まれている所とか、女性キャスターの能力も知識も共感力もいまいちだが野心は満々な所とか、映画の中の女性の造形がひと昔前っぽい。同僚女性の造形も類型的な図書館ガールとでもいうような感じで、センスいまいちだと思う。

星の旅人たち (字幕版)
エミリオ・エステヴェス
2013-11-26







『はちどり』

 1994年、ソウルの団地で暮らす14歳のウニ(パク・ジフ)は学校には馴染めず、同じ塾に通う親友と悪さをしたり、ボーイフレンドや後輩の女子とデートをしたり、代わり映えのない日々を過ごしていた。両親はしばしば大ゲンカをし、受験生の兄はウニに暴力をふるい、姉は塾をさぼって留守がちだった。ある日、ウニが通う塾に新任教師ヨンジ(キム・セビョク)がやってくる。これまで会った大人とは雰囲気が違うヨンジにウニは心を開いていく。監督はキム・ボラ。
 ウニの家庭は父親が専制君主的に妻や子供たちを縛っており、家族は父の顔色を窺っている。とは言え真に強い父親というわけでもなく、家父長制というシステムに乗っかっているから威張れるという感じの頼りなさが漂う。母親は一応父親に従うがどこか上の空で子供たちの機微にも無頓着。兄は実際の能力以上の成績を親に求められて強いプレッシャーを感じており、そのストレスを妹たちにぶつける。ウニは家族に何も相談できず、明らかに家庭内に問題があると言える。
 しかしウニが抱えているような家庭の問題は、外部からは見えにくいし、相談しても「よくあること」「普通の家の子」として扱われがちだ。当人もこれが普通で、仕方のないことだと思ってしまいがちだろう。そこが非常に辛い。家族で囲む食卓がやたらと緊張感をはらんで不穏なので、これが毎日続くのかと思うと、そりゃあ生きているのが辛くもなるよなと納得してしまう。子供はいられる場所が限られているから、自宅の居心地が悪いというのは死活問題だろう。
 子供にとって、周囲にどんな大人がいるのか、どういう大人と知り合うかというのは本当に大きな要素だ。しかしこれは運任せだというのがまた辛い。兄の暴力に耐えるウニに、殴られたら反抗しなさいとヨンジ先生は話す。自分がないがしろにされているのを我慢する必要はない、嫌なことを訴えるのは正しいと教えてくる人がそれまでいなかったというのは、かなり深刻なことだと思う。ウニがヨンジを慕うのは、彼女がウニを独立した個人として尊重したからだろう。でも本来、誰でもそうするべきなんだけど。

ヤンヤン 夏の想い出 [DVD]
ケリー・リー
ポニーキャニオン
2004-03-03


冬の小鳥 [DVD]
コ・アソン
紀伊國屋書店
2011-06-25


『ペイン・アンド・グローリー』

 世界的に有名な映画監督のサルバトール(アントニオ・バンデラス)は母親を亡くしたこと、健康状態が思わしくなく脊椎の痛みがひどくなってきたことで、心身共に疲れ果て、仕事も手につかなくなっていた。幼少時代、母親と過ごした日々、バレンシアでの子供時代やマドリッドでの恋と破局など、自身の過去を回想していく。監督はペロド・アルモドバル。
 アルモドバル監督作はいつも色彩がビビッドで鮮やかかつ美しい、時に毒々しいくらいだが、本作の美術の色調は個人的には今までで一番好み。特にサルバトールの自宅のインテリアは大変しゃれていて(サルバトールは美術コレクターでもあり、アート作品も多数所蔵している)赤と水色とのコントラストが鮮やかだった。サルバトールが着ている服も、デザインはシンプルなのだが配色は結構思い切っている。無難な色の服を着ている人があまり出てこない。
 サルバトールは体のあちこちの調子が悪く、特に背中の痛みを常に抱えている。背を丸めてかがむことができないのだが、演じるバンデラスが非常にうまく、可動域が制限されている感じで、どうかすると痛いんだなということがよくわかる。見ている方が辛くなってきちゃうくらいだ。ただ、サルバトールはこういった痛みや不調の改善・治療に積極的かというとそうでもない。病院でこまめな診察を受けている様子はなく、痛みを抑える為にヘロインに手を出して依存気味になってしまう。自分の体に対してどこか投げやりなように見えた。
 しかし、自分作品に出演したものの不和に終わった元主演俳優や、破局したかつての恋人との関係を見直し、関係を築きなおしていくうち、自分の健康面の見直しにも行き着く。更に、創作意欲の復活にもつながっていく。自分の過去を振り返ることは、彼にとってこの先の人生と向かいあうこと、イコール映画を作り続けることでもある。過去の昇華が映画作りにつながるというのは正にナチュラルボーン映画監督と言う感じなのだが、ジャンルは何であれ創作に従事している人というのはそういうものかもしれない。
 今現在の元主演俳優や元恋人と接することで、苦い思い出も多少甘やかな、自分の中で許せるものになっていく。時間を置くことで見え方が変わってくるのだ。(主演俳優ともめたかつての監督作について)重すぎると思っていた主演俳優の演技が違って見えてきた、今はあの演技でよかったと思うとサルバドールが語るエピソードが面白かった。また、元恋人との再会も、円満に幕を閉じる。双方それぞれの人生があり、一緒にはいられなかったがそれぞれ幸せがあったと受け入れられるのだ。
 ただ、母親との関係は一見美しい思い出に見えるが、ずっと苦いものが残る。子供時代のサルバトールについて母が「誰に似たのかしら」といい顔をしなかったことを、彼はずっと記憶している。また老いた母は彼が同居しようとしなかったことをずっと根に持っている。サルバトールは(おそらくセクシャリティ含め)母が望むような息子にはなれなかったし、母の失望は(彼女はそんなこと意図しなかったろうが)ずっと彼を苦しめる。サルバトールのせいではなく単に「そうならなかったから」というだけなのだが、母への愛情ゆえに罪悪感が止まない。母に対してだけは彼女が生きている間に関係を結びなおすことができず、彼の思い出の中=映画の中でだけ再構築される。それはサルバトールの創作と直結しており映画監督として喜ばしいことではあるのだが、取返しのつかなさがどこか物悲しい。

ジュリエッタ(字幕版)
ダリオ・グランディネッティ
2017-06-02


マイ・マザー(字幕版)
スザンヌ・クレマン
2014-07-04


『ビッレ』

 EUフィルムデーズ2020にて配信で鑑賞。1930年代、幼い少女ビッレは貧しい家庭に育つ。両親は喧嘩が絶えず、父親はすぐにお金を使ってしまい、母親はそれにいらだっていた。ラトビアを代表する作家ビスマ・ベルシェヴィツァの自伝小説を映画化した作品。監督はイナーラ・コルマネ。2018年製作。
 主演の子役が非常にうまい、というかはまっている。変に可愛すぎない所が生々しかった。そして物語としては、子供は辛いよ、であり、大人はわかってくれない、でもあるのだが、大人からしたら子供はわかってくれない、でもある。まだ社会との接点が薄い子供の世界が映し出されていく。ビッレは「パラダイス」を目指して友人らと家出をしたりもするが、基本的に一人でいる子だ。自分の頭の中の世界があり、それは友人とも両親とも分かち合うことが難しいものだ。特に両親に自分の思いを伝えられない、伝わる言葉を持たないもどかしさが感じられた。この伝わらない感じ、子供の頃にこういうことあったなとほろ苦い気分になった。
 ビッレの家庭の暮らしぶりはかなり貧しく、両親はいつも金策にきゅうきゅうとしている。原因はよくわからないのだが、両親ともにあまり世渡りの上手い人たちではなく、何かの拍子にレールから外れてしまいそうな危うさがある。特に母親は人づきあいが下手と明言されており、ビッレに対する態度も不器用。夫や子供への愛はあるが、接し方が荒っぽくなりがちだ。一方で父親もどうも頼りなく、すぐに母親を怒らせる。貧しさと機嫌の悪さが悪循環を起こしていくようで、見ていて少々辛かった。お金のなさは気持ちの余裕のなさと直結しているのだ。
 とは言え、幸福としか言いようのない瞬間も確かにある。両親と「おばさん」にお金を無心しに行った顛末の可笑しさや、友人らと「パラダイス」を目指す高揚感など。ただ、徐々に彼女の世界と両親の世界は離れていく。学校に入ったことでそれは加速していくように思った。同時に、それにつれて家庭内の状況が徐々に良くなっていく感じが面白い。子供を学校に行かせるとその分費用がかかるから大変だと思うんだけど、経済状況が良くなるような何かがあったのだろうか(作中では言及されない)。

マイライフ・アズ・ア・ドッグ [HDマスター] [DVD]
トーマス・フォン・ブレムセン
IVC,Ltd.(VC)(D)
2014-10-24


『ポップスター』

 学校で同級生が起こした銃乱射に巻き込まれ、一命を取り留めた14歳のセレステ(ラフィー・キャシディ)。姉エレノア(ステイシー・マーティン)と作り追悼式で発表した曲が皮肉にも評判になり、マネージャー(ジュード・ロウ)にスカウトされプロデビューを果たす。18年後、トップスターとなったものの度重なるスキャンダルで低迷していたエレノア(ナタリー・ポートマン)は、再起をかけたカムバックツアーを控えていた。監督・脚本はブラディ・コーベット。主題歌・劇中歌はシーアが担当。
 作中でスクリーンサイズの変更がある映画、章立てされる映画はしゃらくさいという自分内での思い込みがあるのだが、本作はその両方をやっている。過去と現在はわけて章立てされ、各章の冒頭、ドキュメンタリータッチの映像でナレーション(なぜかウィレム・デフォー)が経緯を説明するパートはスクリーンサイズが正方形に近く、ストーリーが展開していくシーンは通常のサイズに戻る。これが何か効果的な演出になっているかというと正直微妙。更にエンドロールの流れが逆向き(下から上へと流れる)だがこれもまた何か効果的かというとそういうわけでもなく、しゃらくささの天丼感を強めているだけだ。ただ本作の場合、しゃらくさくあること自体が重要なのかなという気もする。表層、スタイルに特化してこその「ポップスター」ということなのでは(その表層がかっこよく仕上がってると言い切れないのが本作の辛い所なんだけど…)。
 少女時代に遭った事件はセレステの心身に影響を与えていることが示唆されるが、それが彼女のスターの資質に関わっているというわけではないだろう。セレステには「何かある」と語られるものの、具体的に歌が上手い、ダンスが上手いという評価を明示することは避けられている。曲作りの才能を見せたのはデビュー当時だけであとはエレノアがゴーストライターをしているとさらっと言及されるのだ。作中で出てくるセレステの曲がずば抜けていいというわけでも、MVが突出してスタイリッシュという感じでもない。何をもって彼女の「スター」性が担保されているのかいまひとつわからないまま話が進んでいく。クライマックスのステージを見ても、そこまでインパクトがない。これが演出上のものなのか見せ方に失敗しているのか判断できないのだが…。セレステを演じるポートマンがポップスターぽく見えないというのも一因なのだが、じゃあポップスターらしい人ってどんななんだと聞かれるとそれも困るだろう。むしろポップスターぽくない人が無理やりポップスターに徹する様を見せるというコンセプトなのだろうか。
 スターを主人公にした物語というと、才能ある若者が困難を乗り越え成長・成熟して素晴らしい作品を生みだし大成功、という展開がセオリーだが、本作ではセレステの成長・成熟と彼女のスター性に関連性は示さない。私生活がぐだぐだだろうが人として問題だらけだろうが、スターとしてのパフォーマンスとは別物であり、それこそがポップスターなのか。セレステに何か強烈な魅力があるようには見えないのだが、ステージ上の彼女を見る人たちにとってはおそらく熱狂すべき何かがある。ポップスターは徹底して演出された存在で、作中で見られるセレステの姿はその演出の及ばない部分なのだ。
 なお、スターとなったセレステの娘とエレノアの服装は、多分セレステのファッションに寄せているのだろうが、板についていなくてかなりダサい気がする。スターのイメージを守るのは大変だな…



シークレット・オブ・モンスター [DVD]
ロバート・パディンソン
ポニーキャニオン
2017-05-17





アリー/スター誕生 [Blu-ray]
アンドリュー・ダイス・クレイ
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2019-11-06






『ハリエット』

 1849年、メリーランド州の農園・ブローダス家が所有する奴隷のミンティ(シンシア・エリボ)は、自由の身となって家族と暮らすことを願い続けていた。しかし奴隷主エドワードが急死、借金返済に迫られたブローダス家は、ミンティを売ることにする。売られれば家族とはもう会えないと悟ったミンティは、脱走を決意し奴隷制が廃止されているペンシルバニア州を目指す。監督はケイシー・レモンズ。
 奴隷解放運動家ハリエット・タブマンの人生を映画化した作品。ミンティという名前は奴隷主がつけた呼び名で、彼女が自由を手に入れた時に自分で決めた名前がハリエット・タブマンなのだ。作中で出る字幕によると、彼女が逃亡を成功させた奴隷は70人。南北戦争では黒人兵を率いて戦い、晩年は参政権運動にも関わったという人だそうだ。恥ずかしながらこういう人が実在したことを初めて知ったのだが、本作で描かれる人生は大変ドラマティック。ストーリー展開は直線的で少々ダイジェスト版ぽい、正直野暮ったい作りなのだが、こういう人がいた、という面で面白く見られた。
 彼女は頭部を負傷したことの後遺症で睡眠障害(いきなり寝てしまう)があったのだが、たった一人で逃げ出し、その後は奴隷解放組織の一員として何度も南部と北部を行き来した。非常にタフで、自分を見くびるなという意志の強さがある。奴隷が置かれた過酷な状況は、自身が自由になってからもずっと、彼女にとっては自分の問題、自分の苦しみだ。他の組織のメンバーは自由黒人であったり白人であったりと、奴隷の立場そのものとはやはり切実さが異なる。下宿の主マリー(ジャネール・モネイ)に「臭う」と言われてくってかかる(そもそも失礼だしね)のも、想像力のなさに対するいら立ちからだろう。
 不公正さへの感覚は人によって差があって、ハリエットはそこに鋭敏、かつそれは間違っているという意志を持ち続け、行動に移すことができた。黒人で元奴隷である彼女にとってその行動のリスクは非常に高いし、解放組織の仲間も、彼女には無理だ、組織を危険にさらすなと止めようとする。彼女はそこを押し切って(そこもまた、自分を見くびるなということだろう)行動に移すわけだが、信仰が後ろ盾になっているという面も非情に大きい。ハリエットは睡眠障害の一環として、幻視体験をするのだが、それを神のお告げとして解釈し従うのだ。この幻視がストーリー上都合よく使われすぎな気もしたが、自分を導く存在がいると確信できるというのは行動するうえで大きな支えなのだと思う。解放組織のメンバーとしての彼女の通称は「モーゼ」なのだが、神のお告げに従い民を導く女性という面ではジャンヌ・ダルクのようでもある。白人奴隷主たちは彼女を捕らえてジャンヌ・ダルクのように火あぶりにしろ!といきまくのだが、クリスチャンとしてそのたとえは大丈夫なんだろうか…。

ハリエット
テレンス・プランチャード
Rambling RECORDS
2020-03-25


それでも夜は明ける [Blu-ray]
ブラッド・ピット
ギャガ
2016-02-02


『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』

 悪のカリスマである恋人・ジョーカーと破局したハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)は、町中の悪党から狙われるようになる。いわくつきのダイヤを盗んだ少女カサンドラ(エラ・ジェイ・バスコ)を巡り、街のクラブを仕切る悪党ブラックマスクことローマン・シオニス(ユアン・マクレガー)と対立することに。クラブの歌姫ブラックキャナリーことダイナ(ジャーニー・スモレット=ベル)や殺し屋のハントレスことヘレナ(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)、そしてシオニスを追い続けてきた刑事モントーヤ(ロージー・ペレス)と結託し起死回生を図るが。監督はキャシー・ヤン。
 DCの女性主人公映画というとワンダーウーマンが評判だったが、本作はワンダーウーマンに感じたひっかかり、つまり女性主人公はセクシーで美しく男性と恋愛しないとダメなのか?という点を克服している。女性が主人公のアメコミ映画を今作るならどうやるのか、ということがすごく考えられていると感じた。ハーレイ・クインといえばジョーカーの恋人で、当人も言及するように彼の為に悪の道に入り彼に尽くすというキャラクターだった。彼女の仕事は彼の為、彼女の功績は彼の功績になる。この点は男性上司に手柄を横取りされてきたモントーヤと通じるものがある。
 しかし本作では早々にハーレイ・クインとジョーカーは破局している。最初はショック状態だった彼女だが、段々彼を思い出すこともなくなり、自分の為に行動し始める。そして新たなロマンスは生まれない。異性からの愛とか、異性に対する支えとか献身とかは投げ捨てている。更に、カサンドラに対しても母性とか「女性ならでは」の動機付けではなく行きがかり上、ひいては仲間意識や友情というスタンスで接する。また、協力関係になるダイナらとも、いわゆるファミリー的な仲間意識ではなく、たまたま目的が同じ・敵が同じだから協力するというスタンスで、ミッションが終われば意外とあっさり解散で尾を引かない。関係性の中にヒエラルキーが希薄なのだ。この困ったことがあれば助け合うが基本あっさりとしている関係性が好ましいし、実際女性同士の連帯ってこういう感じだよなという手応えがある。本当に女性たちの物語なのだ。
 対して敵のシオニスは、男性同士でつるむホモソーシャルな(多分にミソジニーを含む)関係の中におり、更にマフィアの御曹司だが一族のみそっかすという父権的ヒエラルキーから抜け出せない人物。対称的なのだ。ハーレイらの魅力は、シオニスが所属しているような格付けの世界から自由であるところ、何かに所属することを拒む所にあると思う。

ハーレイ・クイン&バーズ・オブ・プレイ (ShoPro Books)
ポール・ディニ他
小学館集英社プロダクション
2020-03-12


スーサイド・スクワッド(字幕版)
アダム・ビーチ
2016-11-23


 

『ペスト』

カミュ著、宮崎嶺雄訳
 アルジェリアのオラン市でペストが流行し始める。医師のリウーは病気の妻を転地の為に送り出し、自身は病に倒れる人たちを助ける為に奔走する。しかしペストは広がり続け、リウーをはじめ治療に携わる人たちは疲弊していく。
 新型コロナウイルス流行に伴いにわかに注目されたカミュの作品。確かに今読まないとこの先読み逃し続ける気がしたので手に取った。どちらかというと抽象・観念的な小説かと思ったら、むしろルポルタージュ的な、記録小説的なタッチで意外。他のカミュ作品と比べても大分リアリズム寄りなように思う。疫病が蔓延し始めたら人びとはどのように行動するのか、行政は、医療はどうなるのか、ちゃんと想定して書かれている。特に集団がどのように動くかという部分には、今まさにリアルタイムで体感しているものだと感じた。感染対策にちょっと疲れた人たちの気が抜けてやや浮かれちゃうところとか、なかなかリアルだ。追い詰められた状況で人の高潔さが現れる、が、むしろそれ以上に暴力性や愚かさが目立ってしまう。ペスト流行の中に自分の居場所を見つけてしまう(つまり病気の恐怖の元では皆平等だから)男の姿には危うさを感じた。

ペスト (新潮文庫)
カミュ
新潮社
1969-10-30


『初恋』

 将来有望志されているボクサーの葛城レオ(窪田正孝)は、試合で予想外のKO負けをした。病院へかつぎこまれた彼は、余命わずかと告げられ呆然とする。歌舞伎町をふらついていた彼は、男に追われる少女モニカ(小西桜子)を助けるが、彼女はヤクザに追われていた。レオはなりゆきでモニカと共にヤクザに追われることになる。監督は三池崇史。
 三池監督、久々の快作ではないだろうか。アバンの流れの良さと題名が出るタイミング、全般的なテンポの軽快さ、ブラックユーモアとアクションとバイオレンスのバランスがいい。血肉とおかしみの過剰さで見落としがちだが、手堅くオーソドックスな映画の作法を守っている監督なんだよなと再確認した。ショットのつなぎ方とか、ちょっと懐かしい「映画」(本作は東映映画なのだが、本当に東映ぽい)だ!と実感させるものがある。ちょっと古臭いのではと思われそうな演出をきちんとやっていくという、律儀な作品とも言える。
 ブラックユーモアや盛りの良いアクションが前面に出ているものの、本作はちゃんと「初恋」の話で、ど直球なボーイミーツガール。茶化さず大真面目にラブストーリーをやっており、その一方でゲラゲラ笑えるところがいいのだ。ラブストーリーといってもいわゆる恋というよりも、もうちょっと幅の広い意味合いの愛情がレオとモニカの間にあるように思えた。そもそも2人の関係は、たまたまそこに居合わせただけというものだ。しかしレオが彼女の為に何かをしようと決意し、モニカがレオに助けを求めようと決めた時、関係が動き出す。
 この人でないと絶対駄目だ、という情熱的な関係は、むしろやくざの頭・権藤(内野聖陽)とチャイニーズマフィアのタン・ロン(三元雅芸)の間にあったように見える。こいつは必ず俺が殺すというお互いへの執着はもはや恋。また、ジュリ(ベッキー)の暴走特急のような愛による復讐劇はもはや清々しい。ベッキーは本作中ベストアクト、彼女のフィルモグラフィーにおいてもベストアクトではというくらいの切れの良さだった。こんなに体の動く人だったのかという発見があってすごくうれしくなった。
 俳優が皆好演している。いまだに初々しさを失わない主演の窪田、小西(新人だそうだが役柄にすごくはまっており良い)はもちろんだが、その他も豪華。若手ヤクザ役の染谷将太の軽さ・コミカルさはもちろん、昔気質の渋いヤクザを演じる内野がちょっとしたところで見せるユーモラスさ(スマホの使い方教えてもらうところとか)もいい味が出ている。またヤクザの親分代行役の塩見三省はちょっと間が抜けているのにやたらと色気がある。あの手袋の外し方、漫画でしか見たことがないやつだよ!


ケータイ捜査官7 Blu-ray BOX
バンダイナムコアーツ
2020-01-28


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