3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

映画題名は行

『梟 フクロウ』

 17世紀の朝鮮。盲目の鍼医ギョンス(リュ・ジョンヘル)は病の弟を救うため、宮廷で働いていた。ある夜、ギョンスは王の長男の死を“目撃”してしう。恐ろしい事実を知った彼は、真犯人を突き止めかつ自分の身を守る方策を探り奔走する。17世紀・朝鮮王朝時代の記録物「仁祖実録」に記された“怪奇の死”を題材にした歴史ミステリ。監督はアン・テジン。
 予告編はホラー映画のようなのだが、本編冒頭でテロップで説明されるように、実在の記録が元ネタになった作品。本作で描かれるような怪死事件があったそうだ。歴史ミステリとして本格ミステリ要素もありつつ、スピーディーに仕上げられておりとても面白かった。
 ミステリとしての面白さを盛り上げるのは、ギョンスの「盲目」設定。盲人が目撃者というのはどういうことなのかという設定が一つの謎になっており、更にこの謎の設定があることでその先の犯人の追及とそこからの自衛をどのように組み立てていくのか、更にある事情から時間制限がある中で果たして時間内にことを終わらせられるかというスリリングさが重なっていく。中盤まではギョンスがどういう才能を持ち、どういう経緯で宮廷に入るのか、宮廷内での仕事はどういうものなのか、また宮廷内の政治的な派閥は今どいう様子になっているのかという部分を順を追って見せていき、なかなかミステリが始まらない。しかしこの前半での説明が後半効いてくる。そして後半は怒涛の展開。スピード感のメリハリがきいていて最後まで飽きさせない、よくできた作品だと思う。
 ギョンスは盲目であることで、周囲からは若干舐められている所がある。また王族らは盲人であれば近づけても大丈夫だろうと安心する。ギョンスはこういった自分の属性をよくわかっており、何も見ない・何も聞かない・何も言わないスタンスでやりすごそうとする。謀略渦巻く宮廷の中ではそれが一番安全なのだ。しかし大きな不正を知ってしまった、それによって命を奪われそうな人がいると知ってしまった時にどうするか。ギョンスが危険を承知で告発するか、保身のために見て見ぬふりをするか、彼の思いの揺れがスリリング、かつ苦さを残す。


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『ボーはおそれている』

 中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)は、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然死んだと魚知る。天井から落ちてきたシャンデリアに頭をつぶされたというのだ。母の葬儀の為に帰省しようとアパートを飛び出したものの、予期せぬトラブルが次々に起こり、帰省の旅はとんでもない方向に進んでいく。監督はアリ・アスター。
 アリ・アスター作品の中では一番嫌いじゃない部類の作品だった。3時間近い尺は流石に長すぎると思うが、悪夢に限ってなかなか覚めない出口のなさとうっとおしさを追体験するようだった。題名の通り、ボーは様々なものを恐れている。怖がりで、心配性なのだ。彼の住まいの周囲もアパートの中もやたらと治安が悪そうで、路上で暴力沙汰は起きているし隙あらば不法侵入されるし連続殺人犯までやってくる。不安要素のインフレで最早ギャグ、どんなスラムだよ!と突っ込みたくなるのだが、これはボーの主観の世界なのだろう。多分他の人にとってはちょっと柄が悪いが割と普通の街並みなのではないか。恐怖や不安はあくまで個々の主観に根差すもので、他人には理解しがたい部分がある。そのギャップがボーをどんどん追い詰めていくのだ。ボーはどちらかというとぼんやりとしていて自分の主義主張をあまり表明できないタイプだということが、子供時代のエピソードを交えることで徐々に見えてくる。そして彼の不安と恐怖が何に根差すのかということも。
 典型的な「母が怖い」案件の話ではあるのだが、ボー個人の母というより、母的なものの支配への恐怖というように思える。ボーの母親はかなり強権的な人のようなのだが、この人が特別変というわけではなく、母親が持ちがちなある傾向を誇張して描いている感じだ。だから普遍的な話になり得るのにすアウトプットの仕方が珍妙で、受け取る側(観客)にとっては普遍的な話ではないというねじれが生じているように思った(多分宗教的なものも絡んでいるのだと思うが)。ただボーの母親に対する恐れは彼から母親に対する一方的なものではなく、母親もまた彼をある意味恐れているという面がある。お互い様なのだ。お互いにもう愛せないと認め合ってしまえばこんなにこじれなかったかもしれないのに…という所はやはり普遍的な話に思えた。
 ラストは個人的には拍子抜け。ボーは悪夢から覚めてしまった(から悪夢の世界にはもういない)ということにならないか。


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『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』

 宮城県の烏野高校は春高バレー宮城県予選を勝ち上がり、兵庫県代表・稲荷崎高校を破って3回戦に進出。対戦相手の音駒高校はかつて烏野とライバル関係にあり、一時は交流が減ったものの再び合宿や練習試合で交流する好敵手になっていた。現メンバーでの公式戦初対決は白熱の試合となる。原作は古舘春一の大ヒット漫画。監督・脚本はテレビアニメ第1~3期の監督を務めた満仲勧。
 TVシリーズと同様Production I.Gの製作作品だが、すっかりスポーツアニメは十八番になった印象(Production I.G製作のスポーツアニメとしては『風が強く吹いている』が原作からのアダプテーションという側面からも大傑作だから皆見てくれ…)だが、本作も例外ではなくTVシリーズから引き続き面白い。基本的に原作漫画に忠実で、競技内の動きをどう見せるかという方向でアニメーションならではの醍醐味を発揮している。カメラの動きはかなり挑戦的で(すごく作画が面倒くさそうで)唸った。また、いわゆる漫画的比喩、鳥かごとか鴉とネコの対比とかはアニメーションでやるとちょとダサいなと個人的には思うのだが、「漫画である」という部分を尊重した作品作りなのだと思う。堂々と漫画だよ!と言っていく方向というか。ただあくまでTVシリーズの続きという立ち位置の作品なので、本作単品で映画として見るには厳しい(映像面というよりもストーリーの流れ上)だろう。まあ本作見に来る人はまずTVシリーズないし原作漫画に触れてから来るだろうからそれでいいのだが。
 原作を読んだ時にはそれほど心に響かなかったのだが、このエピソードは音駒高校の孤爪研磨(梶裕貴)と黒尾鉄朗(中村悠一)のエピソードという側面が強かったんだなと改めて感じた。本作を構成する上で改めてスポットが当たるように調整しているのだと思うが、こういう子たちだったんだなとようやく腑に落ちた感がある。研磨が自分にとってバレーボールとは何なのかようやくつかむ話だったのかなと。ひいては、研磨をバレーボールに誘った黒尾への呼応でもあったかと。それにしても黒尾、人間力あるな!ウザがらみしてくる先輩というだけではなかったのか。研磨に対しても月島に対してもコミュニケーションを諦めない粘り強さに頭が下がる。人を育てられる人としての造形がはっきりわかり、彼が報われる話でもあった。よかったね。










『ヒート2』

マイケル・マン、メグ・ガーディナー著、熊谷千寿訳
 1988年シカゴ。ニール・マコーリー率いる強盗団はメキシコの麻薬カルテルの現金貯蔵庫を狙っていた。一方、シカゴ市警殺人課の刑事ヴィンセント・ハナはは高級住宅地を狙った連続強盗殺人事件を追っていた。そして7年後、LAでの銀行強盗事件で両者は交錯。ニールの仲間だったクリス・シハーリスは新しい名前と身分を手に入れメキシコへと逃れる。
 マイケル・マン監督による1995年の映画『ヒート』の前日譚かつ続編として書かれた本作。冒頭で『ヒート』の内容をざっくり説明してくれるので映画を見ていなくても大丈夫だと思う。私は一応『ヒート』を見直してから本作を読んだのだが、さすがに映画の方は古さを感じてしまった。また、映画と比べるとクリスが大分スマートというか頭がいいので、えっこういう人だったの!?と意表を突かれた。映画だとギャンブル依存で妻との関係も崩壊していたので、本作で2人のなれそめを知ると、あのカップルには情熱的な過去があったのにこんなことになってしまうのかとやるせない。映画『ヒート』を挟む過去未来の時間軸が1冊に収録されているのだが、この構造だと何があって、何を経て、どこへ至るのか、という流れが時間を越えて徐々に見えてくる。同時に人の変わっていく部分、変われない部分が成功と悲劇の両方を引き起こしていくという哀感も漂う。ニールは同じようなことを繰り返していたのかと。長いスパンで描かれる物語の醍醐味はこういう所にあるのだろう。
 一方で描かれる犯罪の種類の変化も時代の動きを感じさせ興味深かった。クリスは犯罪最先端へと移動していくのだが、これは本作の続きがあるんだろうな。とするとハナは旧世界の住民として取り残されていくのだろうかという予感も。

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『瞳をとじて』

 かつて映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演の人気俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が突然の失踪し、映画はお蔵入りとなった。22年後、「別れのまなざし」の監督だったミゲル・ガライ(マノロ・ソロ)のもとに、失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼がくる。出演することにしたミゲルは、親友でもあったフリオとの思い出を辿り、彼を映したフィルムを掘り出す。番組放送後、フリオに似た男が海辺の介護施設にいるとの情報が寄せらる。監督はビクトル・エリセ。
 序盤、男が森を抜けて大きな屋敷を訪れ、屋敷の居間に通されていくというシーン、特に居間を真横から撮るショットがあまりにも映画的で少々くどいと思っていたら、これは本当に作中作、映画内の映画、つまりミゲルが撮った映画の映像なのだった。より強く映画であろうと主張するとこういう風になるのかと妙に納得してしまった。この作中作の主演俳優であったフリオは、自身の人生が誇張された映画のようになってしまった人物とも言える。過度にフィクショナルなのだ。そして、元映画監督であるミゲルは、フリオの人生を更にフィクショナルなものにしようと働きかけているように思えた。彼はフリオの為にと思って奔走しているつもりなのだが、一方で、自分が撮り損ねた映画をやりなおすかのような、フリオの人生を自分の作品のように演出しているように見えてくる。このミゲルの一方的な情熱が少々気味悪くも思えた。当事者のフリオはもちろんだが、フリオの娘であるアナ(アナ・トレント)もミゲルの意図した装置として使われているようで、彼らの人生は何だったんだと思う。特にある意味父親にとってないものにされてしまったアナの心中はどういったものだろうと。アナ自身も父親をもはや父親とは思えないかもしれないが、そこを父娘という枠を機能させるためにフリオによってむりやり娘として起動させられているとでも言えばいいか。
 作中作に登場する中国人使用人があまりに戯画的な中国人で、これは今時でなくてもアウトなのではと気になってしまった。昔の映画という設定だからというエクスキューズも通じなさそうな造形なので、なぜこういう演出にしたのか意図がよくわからない。アジア人女性を愛人としてその間に子供が、という設定もあまりにステレオタイプなエキゾチズム。これは作中作監督であるミゲルの発想がその程度のもの、そういう人だということなのだろうか。

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2015-06-19


エル・スール (字幕版)
フランシスコ・メリノ
2018-04-09




 

『Here』

 バカンスのシーズンを迎えつつあるベルギーの首都ブリュッセル。建築現場で働くシュテファン(シュテファン・ゴタ)は、故郷ルーマニアに帰国するか迷いつつ、冷蔵庫を空にするため残り物で作ったスープを親しい人に配ってまわる。ある雨の日、彼は中華料理店で中国系ベルギー人の女性シュシュ(リヨ・ゴン)と出会う。後日、森の中で2人は再会。シュシュは苔類の研究者で、サンプル採集に来ていたのだ。シュテファンはシュシュを介して苔や植物の世界の広がりに触れる。監督はバス・ドゥヴォス。
 ドゥヴォス監督の最新作を『ゴースト・トロピック』に続き鑑賞。『ゴースト~』は冬の夜の物語だったが、本作は概ね昼間の屋外が舞台で、季節も夏。光と草木の緑が眩しく、風や大気の香りが感じられそう。とても心地のいい映像体験だった。鳥の声や木々のざわめき、町の喧騒等、環境音の入れ方がいいというのもあるだろう。私は環境音の入れ方が上手い(気持ちがいい)映画が好きだ。
 シュテファンは残り野菜でさっとスープを作れる(そしておいしいらしい)し洗濯物を干すシーンもごく自然なもので、生活全般に手慣れている印象。仕事仲間ともごく自然に談笑し、姉や親せきにスープを差し入れ彼らの体調を気遣う。彼の地に足の着いた様が本作の雰囲気の基本の基調になっているように思う。一方でシュシュは苔の研究者という一見浮世離れした人物として現れる。しかし彼女の講義は学生としっかり向き合っているように見えるし、何より苔と向き合うことはそれらが繁殖している土地、環境そのものを把握し向き合うことだ。シュテファンとはまた違った位相で地に足が着いていると言えるのでは。
 シュテファンとシュシュは普段の生活の中で接点・共通項がなさそうだ。しかし2人が一緒にいるシーンは心地よい。人と人との距離が一定に保持されている心地よさなのだ。思いやりや優しさはあるが立ち入りすぎない。この距離間の控えめさ、つつましさは『ゴースト・トロピック』とも共通するところだと思う。関係が深まっていく(それがロマンスだとは限らない)予感だけ残していく後味が良い。

MEMORIA メモリア(字幕版)
ジャンヌ・バリバール
2022-09-02


自由が丘で(字幕版)
ユン・ヨジョン
2015-07-24




『僕らの世界が交わるまで』

 母エブリンと、高校生のジギー(フィン・ウルフハードネット)は、弾き語りライブ配信で2万人のフォロワーを集めている。その母親エブリン(ジュリアン・ムーア)はDV被害に遭った人々のためのシェルターを運営している。配信で頭がいっぱいなジギーは両親を煩がっており、社会奉仕を身上とするエブリンは自分のことにしか興味がない息子を理解できない。ことあるごとに2人はすれ違う。監督はジェシー・アイゼンバーグ。
 ジェシー・アイゼンバーグは言うまでもなく俳優としての評価は高いが、監督としての手腕もかなりのものだった。本作、特に奇をてらった所がなく、スタンダードに「ちょっといい小品」的なたたずまいを見せている。すごく映画っぽいな!という当然といえば当然な印象を受けたのだが、間合いの取り方や場面の切り替え方、そして終わり方が映画的なんだと思う。映画をよく見ている人が作った映画という感じがした。
 そして人の「イタい」部分の捉え方が非常に上手い。ジギーは自身の配信がそこそこ人気があるというのが自慢で、片想い相手の同級生の前でいちいち口に出してアピールする。しかし彼女が興味を持っているのは政治や環境問題なので、彼のアピールは全然響かない。ジギーはじゃあ自分も社会問題を歌に織り込んでみようと張り切るものの、浅知恵でできることはたかが知れている。一方、エブリンはジギーとは対称的に社会の為、他人の為に何かしようという奉仕意欲が旺盛でおそらく有能だ。ただ、彼女が行う人の為にという行為は、相手にこうであってほしい、こうあるべきという自身の思い込み時に強く反映されてしまう。彼女が思う「よかれ」と相手にとってのベストとは違うのだ。シェルター入居者の息子にあらまほしき息子の姿を見出してしまいあれこれ世話を焼くエブリンの行動はかなりイタいし、正直な所思い込みが強くて怖い。シェルター運営者であるエブリンは入居者にとってはある種権力者であり、その力関係は対等ではない。相手にとって彼女の申し出は断りにくいのだ。そういった意識が彼女には欠けている。この傾向は職業上致命的と思われるので、彼女はこの先大丈夫だろうかと心配になってしまう。
 ジギーとエブリンは相容れないようであって、実はとても良く似ている。ジギーの父親(エブリンの夫)が指摘するように、利己的なのだ。形は違えど自分先行な考え方で、相手がどのように考えているのか頓着しない。邦題には「交わるまで」とあるが、本作は交わる所まで行っていないように思える。原題は「When You Finish Saving the World」なのだが、つまりそんな瞬間来ないということか。

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ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
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2013-06-01




『バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト』

 ニューヨークの刑事LT(ハーベイ・カイテル)は、ギャンブル三昧で麻薬にも溺れ売春宿に入り浸るという絵にかいたような悪徳警官。ある日、教会の尼僧が強姦されるという事件が起こり、犯人に懸賞金5万ドルがかけられる。LTは野球賭博でできた借金を穴埋めしようと犯人逮捕に乗り出す、肝心の被害者である尼僧は犯人の告発を拒むのだった。監督はアベル・フェラーラ。
 私は本作をヴェルナー・ヘルツォーク監督がリメイクした『バッド・ルーテナント』がすごく好きなのだが、元作品である本作は見たことがなかった。上映される機会があったので初めて見たのだが、ヘルツォーク版とはかなり味わいが異なる。もちろん監督の作風が違うわけだが、それ以上に宗教に対するスタンスが大分違うことがわかる。元作品である本作は邦題のサブタイトルにもあるように、キリスト教色がかなり強い。LTは自分の目的、欲望の為なら悪事も辞さない強欲な人物だが、尼僧が自分を犯した犯罪者を許そうとする、人間の善性を信じ神にゆだねようとする姿に心を揺さぶられる。LT自身も罪深い人間であり、そんな自分が神の前でどのようにふるまえばいいのか、果たして自分も許される存在になりうるのかという信仰上の葛藤を持つのだ。
 ただ、この信仰を巡るエピソードは現代ではなかなか通じにくいのではないか。法的な問題と信仰の問題はまた別物だろう。許しはあるとしても本作のような形では表現されないのではと思う。現代だったらむしろ、LTがどっぷりはまっているマチズモの問題の方がクローズアップされそうだ。冒頭の子供たちとのやりとりや野球解説からして、「男は強くなければ」という価値観が反映されており、LTのギャンブルやドラッグへの依存はその強くあれというプレッシャー、負けられない・弱くいられないという男性のあり方に依る所が大きいのではないかと思う。

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2011-04-28


バッド・ルーテナント (字幕版)
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2013-05-15


『PERFECT DAYS』

 トイレの清掃員として働く平山(役所広司)。早朝に起きて仕事に行き、シフトをこなすと銭湯に入って少し酒を飲んで帰宅する。同じような毎日だが、彼にとっては満ち足りた毎日だ。そして変わらない日々の中に、年下の同僚や彼のガールフレンド、居酒屋のおかみ、そして彼の過去に繋がる人々とのやりとりによりさざ波が立つ。監督はビム・ベンダース。
 本作、舞台が日本、更に言うなら日本の東京以外だったら大分自分が受け取るものが変わったのではないかと思う。舞台が東京の渋谷近辺というなまじ自分の生活圏と重なっている土地なので、平山が清掃するトイレにまつわる背景や、平山の賃金てどれくらいなんだろうとか、その収入であの生活はできるのかなとか、いろいろと生々しい所が気になってしまい、フラットに見るのは難しい。平山のつつましくもその人なりに充足した生活っていいよね、という趣旨なのだろうが、現実の生活を度外視して「こういう日本ステキでしょ」という製作側(日本側のスタッフがかなり入っているので)のアピール、エキゾチズムとしての日本描写に見えてしまう。なまじ日本の貧困を知っていると、平山の生活はもはや優雅(多分自動車は所有物だし毎日首都高使ってちょっと外飲みして銭湯にも通えるし、そもそも実家は資産家らしい。それを捨ててきたということだろうが)に見える。少なくとも今の日本では、生き方の選択肢の一つとして見るほどの余裕が持てない観客が多いのではないか。
 ただ、そういう観客側の事情を置いておいても、本作は映画としてちょっと弱いなと思った。ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』は本作とほぼ同じパターンの「地味な仕事と代り映えのない日々の反復に見えるが、実際は毎日少しずつ違い美しい」ストーリー構造なのだが、『パターソン』の方が圧倒的に映画としての強度があるというか、足腰の強さを感じる。本作は確かに映像は美しく詩情はあるが、いまひとつ緊張感に欠ける。ベンダース監督ってこんなにふわふわした映画撮る人だったかなー。

パリ、テキサス(字幕版)
オーロール・クレマン
2015-01-22


パターソン(字幕版)
チャステン・ハーモン
2021-12-22


 
 

『ポトフ 美食家と料理人』

 19世紀、フランス。斬新なメニューを開発し食を芸術の域に高めた美食家のドダン(ブノワ・マジメル)と、彼が考案したメニューを具現化する天才的な料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)の評判はヨーロッパ各国に広まっていた。ユーラシア皇太子の退屈な晩餐のメニューにうんざりしたドダンは、逆に皇太子を最もシンプルな料理・ポトフでもてなそうと決める。そんな矢先、ウージェニーが倒れてしまう。監督はトラン・アン・ユイ。
 料理をするシーンがかなり長く、野菜の収穫・選別から下ごしらえ、煮たり焼いたりという手順をじっくり見せてくれる。匂いや味まで想像できる映像で楽しく美しい。ドダンは美食家とあって料理の素材となる野菜や果物、家畜も屋敷の敷地内で栽培・飼育しているし、この時代にはおそらく大変贅沢であったろう氷室まで完備している。台所も広々としていて、この時代の調理用具やコンロ、オーブンはこういう風になっていたのかと眺めているのも楽しい。料理を中心とした映像がとても美しいのだ。ただ、食にあまり興味のない人が見ていて果たして面白いのかどうかは何とも言えないが。
 邦題のサブタイトルが少々余計ではと思ったのだが、ドダンとウージェニーの関係を端的に表しているものだった。2人は長年プライベートでもパートナーと言える関係にあり、愛し合ってはいる。ただ、カップルとしての関係以上に、料理という共通のテーマ上でのパートナーなのだ。同じものを見て同じ方向を目指せる知識と情熱がある。2人の最後の会話にもその関係が反映されていた。

青いパパイヤの香り (字幕版)
グェン・アン・ホア
2022-05-20


大統領の料理人(字幕版)
イポリット・ジラルド
2015-01-16



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