3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名は行

『ポップ・アイ』

 バンコクで暮らす中年男タナー(タネート・ワラークンウクロ)はかつては有名建築家だったが、今では会社に居場所がなく、妻との関係も冷え切っていた。ある日、少年時代に飼っていた象ポパイ(ボン)を見かけたタナーは、思わず買い取って家に連れ帰る。しかし妻は激怒、仕事にも嫌気がさしたタナーは、ポパイを連れて田舎の故郷を目指す。監督・脚本はカーステン・タン。
 色合いがとても気持ちよく、なんだか懐かしい味わい。特に水色の色味が少々黄味がかっていて、レトロな印刷物的な風合いがある。象とおじさんという組み合わせも味わいがあって、ぱっと見てなんだか気になるルックの作品だった。ストーリー構成は少々ユルいが許せてしまう。
 異種間ブロマンスとでも言いたくなるロードムービー。エンドロールのキャスト名の一番最初に象の名前がくるのも頷ける、象のポパイの存在感が抜群だった。象の内面は人間にはわからないが、タナーへの優しさが行動に滲んでいるように見えるのだ。背中にタナーがよじ登ろうとするのを辛抱強く待ってくれる姿はユーモラスでもある。「家畜」としてすごく訓練されているということでもあるわけだけど。
 ポパイだけではなく、タナーもまた優しい。レストランでのゲイの娼婦に対する態度とか、ホームレス男性に対する声のかけ方とか、年齢の割に偏見が薄くフラットなのではないだろうか。ただ、彼の優しさは今一つ実を結ばない。結果として間の悪さに繋がってしまうというのがほろ苦かった。でも、周囲の人たちが何だかんだで優しいのは、彼の優しさに誘発されるからのように思える。「旅は道連れ、世は情け」という本作のキャッチコピーは、正に!という感じ。
 ちなみにタナーが30年前に設計して一世を風靡した高層ビルが、いよいよ取り壊されるという設定なのだが、高層ビルの寿命が30年て短くない?タイでは普通なのかな?

ハリーとトント [DVD]
アート・カーニー
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2016-01-20


光りの墓/世紀の光 Blu-ray
ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー
紀伊國屋書店
2017-02-25


『判決、ふたつの希望』

 レバノンの首都ベイルート。工事現場監督でパレスチナ人のヤーセル(カメル・エル=バシャ)と、車の修理工でキリスト教徒のレバノン人トニー(アデル・カラム)はバルコニーの水漏れを巡っていさかいを起こす。ヤーセルの悪態はトニーを激怒させ、トニーのある一言にヤーセルは我慢できず殴りかかってしまう。争いは法廷に持ち込まれ、やがて世間を巻き込んだ騒動になっていく。監督はジアド・ドゥニイリ。脚本はドゥニイリとジョエル・トゥーマとの共作。
 脚本が非常に良くできていて、ベイルートの現状やパレスチナ問題に疎くても(全く知らないと流石に厳しいかもしれないが)、見ているうちに自然と情報が入ってくる。情報の配置の仕方が上手い。ヤーセルが罵倒したことにはやはり非があるのだが、彼は非は認めるものの頑として謝らない。またトニーにしても、パレスチナ人をやたらと敵視しちょっとレイシスト寄りに見えるし、頑固さでいったらヤーセルとどっこいどっこい。当初の状況も彼に全く非がないというわけではない。2人の振る舞いは客観的にみると少々理屈に合わない、お互いちょっと頭を冷やして謝れば丸く収まりそうに思える。しかし、彼らを頑なにしている背景がわかってくるのだ。
 本作のちょっと怖いところは、2者間の問題がどんどん大きくなり、裁判が当事者の手から離れて行ってしまう所だ。少なくともトニーは自分の問題、自分の尊厳にかかわることとして怒っているのだが、話の主語が大きくなり、ある集団、ある文化としての問題にすり替わってしまう。とは言え、2人の背景には主語の大きい話が実際にあり、2人の振る舞いにも影響している。個人的な部分と社会的な部分との切り分けが非常に困難なのだ。個人としては謝罪できるかもしれないが、ある文化に所属するものとしては非を認められない、という矛盾が生まれる。ヤーセルの弁護士はパレスチナ難民の人権を守る為に彼の弁護を引き受けるが、ヤーセルの本意に沿うものなのか。トニーの弁護士はパレスチナ人への嫌悪を隠そうとせず、トニーの謝罪の言葉が欲しいという要求とは裁判の趣旨がどんどんずれていく。被告と原告が振り回され、両陣営の弁護士ばかりがエキサイトしていく様は滑稽でもあるが、空しくもある。トニーとヤーセルが何かを得たとしたら、裁判以外の所でだろう。そこに、他人と他人が関わり合う上での希望を感じるられるかもしれない。

愛しきベイルート アラブの歌姫 [DVD]
ファイルーズ
アップリンク
2007-06-29


もうひとりの息子 [DVD]
エマニュエル・ドゥヴォス
TCエンタテインメント
2014-09-03




『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』

 端正な風貌と冷静沈着なプレイスタイルから、「氷の男」と呼ばれたテニスプレイヤーのビヨン・ボルグ(スベリグ・グドナソン)。20歳でウィンブルドン選手権で初優勝し、以来4連覇という偉業を成し遂げた。前人未到の5連覇に挑む彼の前に立ちはだかるのは、アメリカのジョン・マッケンロー(シャイア・ラブーフ)。苛立ちや怒りを隠さず審判に噛みつき悪態をつく彼は「悪童」と揶揄されていた。1980年のウィンブルドン選手権でついに2人は対戦する。監督はヤヌス・メッツ。
 テニス全般に非常に疎い私でも、クライマックスである決勝戦には手に汗握った。実際にあった話でどういう試合結果になるのかはわかっているのに、息をつかせぬ緊張感が続く。ボルグとマッケンローの集中と高揚がビシビシ伝わるのだ。試合シーンの見せ方はとても上手いのではないかと思う。主演2人のプレー演技の良さもあるけど、撮影・編集が冴えていた(当時のスポーツ中継ぽいレトロ感もありつつ現代的なシャープさがある)ように思う。
 少年時代のボルグの振る舞いと、マッケンローの今現在の振る舞いが似通っているところが面白い。氷と炎という対称的な存在と見なされている2人だが、資質としては近いものがあるのではと思わせるのだ。選手としてのボルグは佇まいもプレースタイルも非常に冷静でコントロールされている。しかしテニスを始めた少年時代は癇癪持ちでラフプレーも目立ち、怒りや悔しさのコントロールが出来ていなかった。その怒りや苛立ちを発散する様は、マッケンローとよく似ているのだ。少年時代のマッケンローはむしろ大人しそうな少年で得意科目は数学というあたりが意外。少年時代のボルグとはこれまた対称的で、2人が入れ替わったような不思議さがあった。ボルグは極端にルール決めした生活で、マッケンローは罵倒や毒舌で極度のプレッシャーと闘っていることがわかってくる。
 ボルグのファインプレーに感化されるようにマッケンローもファインプレーを見せていくが、作中、2人が決勝戦前に交流するシーンは一切ない。決勝戦の途中でボルグがマッケンローに言葉をかけるが、これが引き金になったというよりも、良いプレーが良いプレーを誘発していく、スポ根漫画のお約束である対戦によって語り合う感に満ちていてぐっときた。ある域に達した人にしかわからないプレッシャーや喜びが2人の間で共感を生んでいると思える。エンドロール前の「その後」のエピソードで更にぐっとくる。強敵(ライバル)と書いて友と呼ぶ、を地で行くような話。


ウィンブルドン (創元推理文庫)
ラッセル・ブラッドン
東京創元社
2014-10-31


『ペンギン・ハイウェイ』

 小学校4年生のアオヤマ君(北香那)は、毎日学んだことをノートに記録す勉強家。ある日、町にペンギンたちが現れる。海のない町にペンギンたちがなぜ現れたのかさっそく研究を始めたアオヤマ君は、仲良しのお姉さん(蒼井優)が投げたコーラの缶がペンギンに変身するところを目撃する。原作は森見登美彦の同名小説。監督は石田祐康。
 新井陽二郎によるキャラクターデザインはやり過ぎ感がなく、あざとすぎずイヤミがないもので見やすい。お姉さんの胸の造形に力が入りすぎ(サイズと重力感が生々しい・・・)な所、女児キャラクターのデザイン、演技が少々類型的な所は気になるが、全体的には悪くなかった。いわゆるおねショタ感がすごくて大丈夫なの?とちょっとひくくらいなのだが、絵の方向性がニュートラルでそれほど偏執的ではないのでなんとか一般向け作品として着地している印象。声優陣もバランスが良く、特にお姉さん役に声が低めの蒼井をあてているところはよかった。また釘宮理恵によるウチダ君は白眉だと思う。私は釘宮さんの少年演技が好きなので・・・。また、アオヤマ君の父親役が西島秀俊なのだが、なんというか、心のないイケメン感とでもいうようなニュアンスがじわじわくる。すごい美形というわけではないが妙に生活感が希薄で、不思議な個性の人だよな・・・・。
 この映画がというよりも原作込でなのだが、SF的な側面やいつかは終わる夏休みのもの悲しさ、寂しさのニュアンスは涼やかで良い。ただ、おっぱい推しはちょっと勘弁していただきたかった。アオヤマ君はお姉さんのおっぱいに興味津々(多分彼女が初恋なのだ)で、それは別にかまわない。かまわないのだが、アオヤマ君のお姉さんに向ける視線が一貫して性的なものなので、落ち着かないのだ。子供が大人の女性を性的に見ているから、というのではなくて(これは多分に原作の問題だが)、子供が主体であればこのくらいの性的ニュアンスは微笑ましいでしょ?むしろかわいいでしょ?という作品の建て付けの甘え、油断に少々辟易とするのだ。アオヤマ君が(主に男性)視聴者にとっての「あらまほしき科学少年」として造形されているだけに、より鼻につく。男子のスケベ心は微笑ましいという慣習、いい加減ダサいからやめませんか・・・。性的に見られ続ける側の意識に全然触れられていないのはきつい。

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
森見 登美彦
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-11-22

台風のノルダ DVD通常版
野村周平
東宝
2015-08-19


『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』

 キューバの老ミュージシャン達のセッションを記録したヴィム・ベンダース監督のドキュメンタリー映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』から19年。現メンバーによる最後のツアーを追った新作ドキュメンタリー。ヴェンダースは製作総指揮に回り、監督はルーシー・ウェーカーが務めた。
 映画の制作・公開は1999年、日本での公開は2000年だから、前作見たのは18年前か・・・。時間が経つのが速すぎて茫然とする。映画は見たし、サウンドトラックも買ったし、この映画がきっかけでライ・クーダーの音楽を知った。彼らの音楽を聴くと懐かしい気分になるが、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ自体はずっと現役で活動を続けているわけで、懐かしいとかそういうものじゃないよな。
 前作に比べると幾分センチメンタルな雰囲気だ。監督が変わったからというのも一因なのかもしれないが、19年間のうちに主要メンバーの多くが亡くなっているというのが大きい。前作の時点で皆さんそこそこ高齢だったので、しょうがないといえばしょうがないのだが、やはり切ない。しかしその一方で、現メンバーの孫が新規加入していたりと、新しい動きもある。世代交代しつつ音楽は受け継がれていくのだ。
 前作ではあまり触れられなかった、個々のメンバーの人生やその時代背景にもスポットが当たる。これまでの彼らの歴史を振り返ると共に、キューバという国の変遷を垣間見た感もある。なにしろ、前作から本作までの間にアメリカとの国交回復してるんだもんなー(オバマ前大統領も登場する)!前作のツアーではアメリカでの公演もあったけど、あれは本当に大変だったんだな・・・。
 ボーカリストであるイブライム・ウェレールの人生が実に心に残った。バックコーラスとしてキャリアを積んだが運に恵まれず無名のままで、ブエナ~から声がかかった当時は靴磨きをして生活費を稼いでいたそうだ。それが70代でまさかの大ブレイク。彼がステージ上にいると場のまとまりがよくなるような、人柄の良さがにじみ出ていた。また同じくボーカリストであるオマーラ・ポルトゥオンドが前作のワールドツアーの際、盛り上がる観客に対し、この曲で踊れるなんて、私の母の苦労等知らないのに・・・と漏らす言葉が印象に残った。聞く側にとって外国語の曲って、歌詞の内容とちぐはぐな盛り上がり方をしてしまいがちかもなぁと。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
オマーラ・ポルトゥオンド
ライス・レコード
2008-06-01


『ファニーとアレクサンデル』

 11歳の少年アレクサンデル(バッティル・ギューヴェ)と妹ファニー(ペルニラ・アルヴィーン)は、父である劇場主で俳優のオスカル・エクダール(アラン・エドクール)、母で女優のエミリー(エヴァ・フレーリング)、元有名女優の祖母ヘレナ(グン・ヴォールグレーン)と暮らしていた。1907年のクリスマスイブ、エクダール家には叔父叔母に従兄弟ら一族が集まり、毎年恒例の賑やかさだった。しかし年明けにオスカルが急死。エミリーは色々と相談に乗ってくれたヴェルゲルス主教(ヤン・マルムシェー)と再婚することになる。監督・脚本はイングマール・ベルイマン。1982年の作品をベルイマン生誕100年映画祭にて鑑賞。
 何と5時間11分という長さで、体力的にはさすがにきつい。しかし映画的喜びに満ち溢れている。序盤、一人遊びから幻想の世界へと足を踏み入れるアレサンデルの世界といい、クリスマスパーティーで皆が並んで屋敷中を踊りまわるシーンのめくるめくような映像といい、映画の醍醐味ってこういうことだな!という豊かさに満ちている。撮影も美術も大変豪華。全5章の構成だが、各章タイトルの背景は水の流れの映像。これはアレクサンデルが主教館から見下ろす川なのだろうとわかってくるが、流れの止まらない時の流れの象徴のようにも見える。喜びも悲しみもその時その時のもので、全て過ぎ去っていく。華やかだがどこか寂しい。
 ドラマ部分は予想外にベタ。子供の視点を中心に、父の死、母の再婚、義父との不仲と虐待、そして大団円を大河ドラマのようなスケール感で見せていく。夫の死により気弱になったエミリーにつけこむヴェルゲルスと、彼のいいなりになってしまうエミリーのドラマはある意味非常に下衆いのだが、そこに信仰の問題が絡んでくる。ヴェルゲルスは非常に厳格なキリスト教者として振舞い、エミリーや子どもたちにもそれを強いる。しかし彼の信仰は信仰の形式のみを厳格化した、形骸化したもので、精神は伴っていないように見えるのだ。頼るものがなくなり不安なエミリーにとってはその形こそが頼もしく見えたのかもしれないが、アレクサンデルやエクダール家の叔父たちはヴェルゲルスの欺瞞を察知する。アレクサンデルがヴェルゲルスに嘘をつき続けるのは、ヴェルゲルスの内実のなさ(と本人は思っていないだろうが)、嘘に対抗しているようにも見えてくる。アレクサンデルの「嘘」は彼を守る物語のようなもので、彼の前に現れる死者たちもその一部。力を持たない子供である彼は、自分の物語でヴェルゲスに反発するのだ。
 エグダール家とその周囲の人々の描き方がとても面白い。クリスマスパーティでは和気藹々としているが、帰路につくと、実はお互いに諸々思う所もある。必ずしも愛情深いわけではない。一族の要であるヘレナは、いつも強気で女王然として見えるが、息子たちには少々失望している。好色な叔父はメイドを愛人にして子供まで作る。そのメイドと子供も一族として迎え入れるという、おおらかさというか底なし感というか。もう1人の叔父はドイツ人の妻をなじってばかりでてんでいくじがない。しかしエミリーと子どもたちが危機に陥ると一致団結して教会と闘う。彼らが劇場主と役者という、世俗の祭りと娯楽の世界の人たちだから、厳格なヴェルゲルスには余計に反感を持つのかもしれない。

ファニーとアレクサンデル HDマスターDVD
ペルニッラ・アルヴィーン
IVC,Ltd.(VC)(D)
2015-05-22


野いちご <HDリマスター版> 【DVD】
マックス・フォン・シドーほか
キングレコード
2014-12-24





『BLEACH』

 幽霊を見ることが出来る高校生・黒崎一護(福士蒼汰)は、ある日巨大な悪霊「虚(ホロウ)」に襲われる。死神と名乗る少女・朽木ルキア(杉咲花)に助けられるが、彼女は重傷を負ってしまう。虚を倒す為、ルキアは死神の力を一護に渡す。一護は死神代行として虚との戦いに巻き込まれていく。原作は久保帯人の同名漫画、監督は佐藤信介。
 大人気漫画の実写化であり、原作の性質上キャラクターを立てる、魅力的に見せることが非常に重要なはずなのだが、本作はそこが今一つぱっとしない。主人公である一護を始め、登場人物それぞれがそれぞれの意思をもって動いているという感じがしなくて、ストーリー展開上のタスクをこなすために動かされている感じがした。原作のビジュアルイメージを再現しようとしているのはわかるし、この部分で失敗しているわけではないと思うので、かなり勿体ない。
 一護の行動原理は母親の亡くし方によるもので、それは冒頭に提示されているにも関わらず、今一つ自然な流れに感じられない。俳優の演技が一本調子で(福士は身体は動くが、決して台詞回しが上手いわけではないのでなかなか厳しい)一護が単純すぎるように見えてしまう。また、序盤、死神代行になるまでの展開がやたらと早いのも一因かもしれない。他にも、この展開になるんだったらその前の展開いります?(ラストのルキアの選択とか)という部分が多くてストーリーの組み立てに色々ひっかかった。原作に全く忠実というわけではないので、もっとアレンジしてしまってもよかったと思う。説明と省略の配分がどうもうまくいっていない気がした。多分続編を造りたいんだろうけど、この路線ではちょっと厳しいのでは・・・。
 ただ、アクションはそこそこ見応えがあり、楽しかった。CGとの組み合わせも違和感がない。特に恋次役の早乙女太一の動きはとてもよかった。身体能力の高さが明白で、動きと止めのメリハリがしっかりしている感じ。



『バトル・オブ・セクシーズ』

 1973年、女子テニス世界チャンピオンのビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は女子の優勝賞金が男子の8分の1である等、テニス界の男女格差に異議を唱え、仲間と共にテニス協会を脱会、女子テニス協会を立ち上げる。元男子世界チャンピオンのボビー・リッグス(スティーブ・カレル)は男性優位主義を主張。彼女に挑戦状をたたきつける。監督はバレリ・ファリス&ジョナサン・デイトン。
 ショットのつなぎ方による、ビリー・ジーンとボビーとの対比の強調が印象に残った。2人とも動作としては同じことを(例えばベッドに座る等)しているのだが、置かれている状況・背景は全然違う。お互い試合に挑むわけだが、ビリー・ジーンが背負っているものは自分の人生だけではない。女子テニス界の命運、そしてテニス界のみならず世界中の女性の未来が彼女の肩に乗っているのだ。それを理解してしまった彼女のプレッシャーは大変なものだったろう。ヘルドマン(サラ・シルヴァーマン)が「運命よ」と言うのだが、歴史が動く瞬間の当事者になってしまったのだ。だからこそ、「一人で行くわ」と戦いに挑む彼女の姿には凄みがあるし、試合後、ロッカールームでの彼女の振る舞いが胸に刺さりまくる。
 一方、ボビーにとってこの試合はスポンサー収入の為、ギャンブルの為、そして離れていった妻の心をつなぎとめる為の手段だった。しかし、ビリー・ジーンの本気にあてられるようにボビーの表情が試合中、徐々に変わっていく。プロとして真摯さには真摯さをもって応じなければならず、そこに性別は関係ない。対人関係の基本であるが、これがいかにないがしろにされてきたことか。
 ビリー・ジーンが戦う性差別や偏見は、ボビーのようなあからさまな形ではなく、テニス協会のジャック・クレイマー(ビル・プルマン)のような、一見紳士的な形で現れる。これは未だにそうだろう。冒頭、クラブにビリー・ジーンとヘルドマンが押しかけるシーンでのやりとりが象徴的だ。彼らは社会的な強者で、ボビーのように自ら矢面に立つ必要がない。旧来の社会が彼らを守っているのだ。ビリー・ジーンはそこに切り込み、エンドロール前の字幕でわかるようにその後も切り込み戦い続ける。その勇気と覚悟が現在に繋がっているということに、やはり胸が熱くなる。
 ビリー・ジーンとマリリン(アンドレア・ライズボロー)の恋の高揚感や、それに対して罪悪感を覚えるビリー・ジーンとマリリンとの自由さを巡る会話もいいのだが、ビリー・ジーンの夫ラリー(オースティン・ストウェル)の振る舞いは更に印象深い。彼女にとっての一番は僕でも君でもなくテニスだという言葉には、彼女への深い理解と尊重が込められている。こういう愛はなかなか得難い。

スタンドアップ [DVD]
シャーリーズ・セロン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2011-12-21


ウィンブルドン (創元推理文庫)
ラッセル・ブラッドン
東京創元社
2014-10-31


『パンク侍、斬られて候』

 超人的剣客の流れ者・掛十之進(綾野剛)は、新興宗教はら振り党の脅威が迫っており、自分はそれを止められると大見得を切り士官を企むが、黒和藩の筆頭家老・内藤(豊川悦司)にそのハッタリを見抜かれる。しかし内藤は掛を起用し、はら振り党の脅威を逆手に取ろうとしていた。原作は町田康の小説、監督は石井岳龍。脚本は宮藤官九郎。
 ぱっと見、派手でキッチュな変格時代劇といった雰囲気だが、何しろ原作が町田康だから一筋縄ではいかない。爽快は爽快かもしれないが何もかも投げ捨てた後の爽快さとでも言えばいいのか。しかし、所々面白いシーンはあるものの、これ原作小説は面白いんだろうなぁ・・・という感想に留まってしまう勿体なさが拭えなかった。
 勿体なさの大半は、本作のテンポの悪さからくるものだと思う。宮藤官九郎は、長編の構成はあまり得意ではないのではないか。約45分×12回前後というフォーマットの、連続ドラマのテンポでの方がポテンシャル発揮していると思う。ナレーションを駆使したメタ演出も裏目に出ているように思った。おそらく原作の文体や、メタ構造を用いた表現をなんとか再現しようとしているのだと思うが、映像作品としてこれが正解なのかというと微妙。ひとつひとつのシークエンスがとにかくダレがちなので、実際の尺よりも体感時間が長く、全編見るのがかなり辛かった。全体を2倍速くらいで見るとちょうどいい気がする。
 綾野の身体能力はやはり素晴らしいのだが、本作のような面白方向に振り切った「超」アクションだと、逆にそのすごさがわかりにくい。この点も勿体なかった。そもそもアクションが出来る俳優を起用しなくても、本作の場合問題ないんだよな・・・。役者としての面白さが発揮されていたのは豊川。えっこの人こんなに面白かったっけ?!と新鮮だった。ぬめっとした色気とどこか気持ち悪いオモシロ感がとても生き生きとしている。本作、概ねテンポが悪いのだが綾野と豊川の掛け合いのシーンだけはやたらとキレが良かった。


生きてるものはいないのか [DVD]
染谷将太
アミューズソフトエンタテインメント
2012-09-21


『ブリグズビー・ベア』

 外の世界は大気が毒されていると教えられ、シェルターの中のみで育った25歳のジェームズ(カイル・ムーニー)。彼の最大の楽しみは毎週届く教育番組『ブリグズビー・ベア』を見ること。ある日、シェルターに警察がやってきて両親は逮捕される。彼らは赤ん坊のジェームズを誘拐し今まで育ててきた犯人だったのだ。実の両親の元に返され「外の世界」で暮らすことになったジェームズだが。監督はデイブ・マッカリー。
 ジェームズが愛する『ブリグズビー・ベア』は、実は誘拐犯であり偽の父親であるテッド(マーク・ハミル)が彼の為だけに作った番組。その番組がジェームズの行動指針であり心の支えであるというのは、かなり危うい所がある。ジェームズとの心情的な関係がどのようなものであれ、テッドがやったことは犯罪でジェームズの本来の人生、彼の実の家族の人生を破壊することだった。ジェームズがブリグズビー・ベアに拘る様は、彼の実の両親には非常に残酷だし傷つくことだろう。
 とは言え、本作はこの倫理的なラインをぎりぎりでクリアしているように思う。実の両親はジェームズに対して一見無理解に見えるが、これは仕方ないこと(何しろ20数年会ってない)だし、彼らがジェームズとの間の溝を埋めようと一生懸命だと描写されている。またテッドはユニークな人物ではあるが、彼を過剰に擁護するような視点はない。何より、ブリグズビー・ベアに対するジェームズの情熱は彼のクリエイティビティの爆発を促し、彼と周囲の人たちとをつなげるものになっていくのだ。テッドが生み出したブリグズビー・ベアが、ジェームズを外の世界に導き実の家族との絆を育てるものになるというのは皮肉でもあるのだが、創作物の不思議ってこういう所にあるんだろうなとも思わせるのだ。
 ジェームズの初めての友達になる少年(妹の同級生)はスター・トレックのファンで映像制作をかじっているのだが、彼のブリグズビー・ベアへの食いつきが良すぎて笑ってしまった。スター・トレックファンはやっぱり宇宙探索ものが好きなのかなとかシリーズ数、話数に拘るのかー等、ジェームズとのやりとりはオタク同士の幸せな会話という感じ。この2人がエンジンとなったチープな映画作りが本当に楽しそうで、『僕らのミライへ逆回転』(ミシェル・ゴンドリー監督)を思い出した。映画を一緒に作ることで何かを取り戻す、新しい何かが生まれていくという所が共通しており、そこにぐっとくる。ジェームズは最終的に、映画を作る、それを人前で披露する(これがすごく大事なのではないかと思う)ことで自分と自分のこれまでの歴史にふんぎりをつけるのだ。ラスト、ブリグズビーベアがどうなったかという所はとても象徴的。

僕らのミライへ逆回転 プレミアム・エディション [DVD]
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2009-03-06


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