リチャード・ニクソン大統領政権下の1971年アメリカ。ベトナム戦争は泥沼化し、アメリカ国民の間でも反戦の気運が高まっていた。そんな中、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書、通称ペンタゴン・ペーパーズの内容をニューヨーク・タイムズがスクープする。ライバル紙のワシントン・ポスト紙は、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)を筆頭に文書の入手に奔走する。ようやくネタを手にしたものの、ニクソン政権はニューヨーク・タイムズに記事の差し止めを要求。記事を掲載すればワシントン・ポストも同じ目に遭いかねない。株式上場を果たしたばかりの社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は経営陣と記者の板挟みになり苦悩する。監督はスティーブン・スピルバーグ。
スピーディーな展開でスリリング。これが映画の醍醐味!って感じに満ち満ちており、スピルバーグ会心の一撃という感がある。アメリカの現状への怒りが込められているのだろうが、むしろ今の日本で見ると心に刺さる要素がいっぱいだし、正に今見るべき作品だろう。ブラッドリーの「報道の自由を守る方法は一つ、報道し続けることだ」という言葉が響く。そして報道の自由は誰の為にあるのか、更に憲法は誰の為にあるのかということも。ペンタゴン・ペーパーズをリークした調査員も、それを掲載したタイムズも、そしてもちろんポストの記者たちも社主であるグラハム、さらにその他の新聞社も、報道は何の為・誰の為にあるのか、何を持って正義とするのかを真剣に考え、ぎりぎりの所で判断する。裁判所が最後に提示されるような判決を下す所が、アメリカの強さ・健全さなのだと思う。
本作は報道の自由を守ろうと文字通り命を賭けた人たちを描いているが、それと並行して、当時、女性経営者(に限らず女性全般)がどのように見られていたのかということも描いている。ポスト社は元々グラハムの父親が経営していたが、有能だったグラハムの夫が跡を継ぎ、夫の死により彼女が社主となった。彼女はながらく新聞社のお嬢様、社交界の花的存在として振舞ってきた。とは言え社主となったからには資料を読み込み研究を積み、社主にふさわしい振舞いをしようとする。が、周囲の役人や銀行家たちにとっては「魅力的な女性だけど(経営者としては能力不足)」という扱いで、スタートラインにも立てない。ずっと「あなたには無理だから」という接し方をされていると、いざ発言できる場になっても萎縮してしまうよなと、会議でのグラハムの姿を見てつくづく思った。
そんな彼女がリベンジを果たし、正にマスコミ全体が一番となって戦うクライマックスにはやはり震える。そして、ブラッドリーたちは正義感にあふれ有能であってもあくまで記者で、社主であるグラハムの覚悟には思いが及ばなかったんだなとも。それを指摘するのはブラッドリーの妻だが、「彼女(グラハム)は勇敢よ」という言葉に思いやりがある。グラハムは会社全体と一族の歴史、これまで社交界で培った人脈の全て、つまり彼女の世界全てを賭けている(妻が指摘するように、ブラッドリーたちは転職可能だしむしろ箔がつくんだよね・・・)。ブラッドリーは正しいのだが、正しさの追求は時に残酷でもある。相手を目の当たりにしてその残酷さにようやく気付くということもあるのだ。記者の目と経営者の目、双方での闘いが本作をよりスリリングにしている。
スピーディーな展開でスリリング。これが映画の醍醐味!って感じに満ち満ちており、スピルバーグ会心の一撃という感がある。アメリカの現状への怒りが込められているのだろうが、むしろ今の日本で見ると心に刺さる要素がいっぱいだし、正に今見るべき作品だろう。ブラッドリーの「報道の自由を守る方法は一つ、報道し続けることだ」という言葉が響く。そして報道の自由は誰の為にあるのか、更に憲法は誰の為にあるのかということも。ペンタゴン・ペーパーズをリークした調査員も、それを掲載したタイムズも、そしてもちろんポストの記者たちも社主であるグラハム、さらにその他の新聞社も、報道は何の為・誰の為にあるのか、何を持って正義とするのかを真剣に考え、ぎりぎりの所で判断する。裁判所が最後に提示されるような判決を下す所が、アメリカの強さ・健全さなのだと思う。
本作は報道の自由を守ろうと文字通り命を賭けた人たちを描いているが、それと並行して、当時、女性経営者(に限らず女性全般)がどのように見られていたのかということも描いている。ポスト社は元々グラハムの父親が経営していたが、有能だったグラハムの夫が跡を継ぎ、夫の死により彼女が社主となった。彼女はながらく新聞社のお嬢様、社交界の花的存在として振舞ってきた。とは言え社主となったからには資料を読み込み研究を積み、社主にふさわしい振舞いをしようとする。が、周囲の役人や銀行家たちにとっては「魅力的な女性だけど(経営者としては能力不足)」という扱いで、スタートラインにも立てない。ずっと「あなたには無理だから」という接し方をされていると、いざ発言できる場になっても萎縮してしまうよなと、会議でのグラハムの姿を見てつくづく思った。
そんな彼女がリベンジを果たし、正にマスコミ全体が一番となって戦うクライマックスにはやはり震える。そして、ブラッドリーたちは正義感にあふれ有能であってもあくまで記者で、社主であるグラハムの覚悟には思いが及ばなかったんだなとも。それを指摘するのはブラッドリーの妻だが、「彼女(グラハム)は勇敢よ」という言葉に思いやりがある。グラハムは会社全体と一族の歴史、これまで社交界で培った人脈の全て、つまり彼女の世界全てを賭けている(妻が指摘するように、ブラッドリーたちは転職可能だしむしろ箔がつくんだよね・・・)。ブラッドリーは正しいのだが、正しさの追求は時に残酷でもある。相手を目の当たりにしてその残酷さにようやく気付くということもあるのだ。記者の目と経営者の目、双方での闘いが本作をよりスリリングにしている。