3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名は行

『ひとり暮らしの戦後史 戦中世代の婦人たち』

塩沢美代子・島田とみ子著
 太平洋戦争により夫を奪われる、また男性人口が一気に減ったために結婚の機会を失い、一人で生きることを余儀なくされた女性たち。生活苦に追われながら戦後を生き抜く女性たちへの聞き取り調査と統計から、戦後生活史の様々な側面をたどる。
 1975年に出版された本だが地味に版を重ね、近年再注目されているそうだ(私の手元にあるのは2015年の第5刷)。本著が再注目されたのは、女性の自立やキャリア構築を阻む日本の社会制度が、未だに根深いからだろう。労働運動に内部矛盾と行き詰まりを感じる女性が「保守・革新を問わず共通な日本人の精神構造に深く根差しているような気がして、そう簡単に展望がもてないんですね」と語るのにはため息が出た。本当にそうなんだよな…。
 一応男女平等という建前にはなったが、本著で聞き取りに応じた女性たちが置かれた立場や直面している困難の数々は、現代でも驚くほど変わらない。確かに男女雇用機会均等法は出来たし当時に比べればずっとましにはなっている。が、社会の性質や、社会の仕組みを作る立場にいるのが男性ばかりだという状況はあまり変わっていない。女性は結婚して仕事をやめ家庭に入るもの、長期で働くことはないという前提の元に雇用制度が作られていたために、本著に登場する女性たちは職を転々としたり、長く働いても昇給は男性に比べると圧倒的に少なく当然年金額も僅かになってしまう。いまだに同じ構造だ。単身で働き続ける女性は増えたのにも関わらず、女性は労働力の調整弁として扱われがちだ。また単身高齢者の住居確保の難しさは、男女関係なく現代では更に度合いが増しているように思う(収入に占める家賃の割合は現代の方が厳しいかも)。70年代の問題が今も現役であるというのが何か情けなくなってしまう。老若男女の多様な生き方が尊重され安心して生活できる社会保障制度を全く作ってこられなかったということだから。
 自分が体験してきた(している)苦しさ、将来直面するであろう困難が記されており正直読んでいてかなりしんどかった。が、こういう声を拾い集め記録し、これは社会の問題で社会の仕組みから変えなくてはならないのだと、声を上げる人たちのリレーを続けるしかないのだろうなと思う。ちょっとづつでもましにしたいよね…。


三ギニー (平凡社ライブラリー)
ウルフ,ヴァージニア
平凡社
2017-10-10


『ビバリウム』

 トム(ジェシー・アイゼンバーグ)とジェマ(イモージェン・プーツ)は新居探し中のカップル。ふと立ち寄った不動産屋から、そっくりな家屋が整然と立ち並ぶ新興住宅地「ヨンダー Yonder」を紹介される。内見を終えて帰ろうとすると、不動産屋は姿を消していた。2人は車に乗ってヨンダーを出ようとするが、いくら走っても毎回同じ家の前に出てしまう。そして町に閉じ込められた2人の元に、赤ん坊が入った段ボール箱が届く。監督はロルカン・フェネガン。
 「世にも奇妙な物語」とか奇想コレクションとか異色作家短編集みたいな不条理の世界。ただし不条理なのはトムとジェマにとってだけで、ある存在にとっては理にかなっているわけだが。アバンの映像でどういう話なのかはほぼ分かってしまうので、ミステリ的な要素はない。そのままあまり考えずに見る方が楽しめる作品だと思う。シュールな話かと思っていたら終盤で急にわかりやすくホラーめいてくるのだが、意外なストレートさも持ち味だ。
 ルネ・マグリットの絵画のような青緑の色合いと、くっきりとして見える輪郭にインパクトがある。雲の散らばり方が不自然に牧歌的なあたりはちょっと笑ってしまう。同じ形の家屋が延々と並ぶ風景は、色合いはキュートだが嘘くさくて不気味だ。また室内のしつらえも、色味はマグリット的できれいだけど、間取りやインテリアはスタイリッシュとは無縁の野暮ったさで退屈な空間だという、ギャップに妙な味わいがあった。ひと昔前の平均的な建売住宅という感じなのだが、平均的すぎて逆に変だ。
 何か決定的な違和感を感じさせるという点で、子役の演技が見事だった。人の神経を逆なでするのだ。一つ気になったのは、ジェマが務める幼稚園の生徒がほぼ全員白人のように見えたこと。アメリカの都市部としてはかなり珍しいのでは?それこそ「ヨンダー」的な統一感とも言えるのだが、そういう企みはあまりしてなさそうな緩さのある作品だった。

街角の書店 (18の奇妙な物語) (創元推理文庫)
シャーリイ・ジャクスン
東京創元社
2015-05-29


さあ、気ちがいになりなさい (異色作家短編集)
フレドリック・ブラウン
早川書房
2005-10-07


 

『花束みたいな恋をした』

 明大前駅で終電を逃した山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は、好きな映画や文学が同じで話が盛り上がり、恋に落ちる。大学を卒業し同棲を始め、いつまでも2人でキラキラした「現状維持」の日々を送るつもりだったが、麦はイラストレーターの仕事を中断し就職活動を始める。脚本は坂元裕二、監督は土井裕泰。
 脚本を手掛けた坂元の作品としての側面が強い。土井監督は脚本の持ち味を活かすための映像作りに徹している印象だった。なので、脚本の良さは発揮されているが1本の映画としては微妙だなと言うところもある。坂元脚本作品の特徴は台詞、モノローグの量と人工性にあると思う。50分前後のドラマを週1で見るくらいのペースだと楽しめるのだが、2時間の映画には言葉の量が少々過剰すぎて、胃もたれしてしまった。とは言え、2人の会話が立場入れ替えて反復されたり、同じやり取りの意味が全く変わってしまったりという、時間の経過のいかんともしがたさ、残酷さを突き付ける演出はテクニカルでインパクトがある。そこに感心するか、鼻につくか、好みが分かれそう。恋の終わり、というか終わらせようという意志とその手順を後処理含め(同棲していると実務的な片付けが結構面倒だよね…)きちんと描いたという面では、日本の恋愛映画としては珍しいのかもしれない。
 麦と絹は驚くくらい趣味が合い、出会ったころはいつまでも話していたいくらい盛り上がる。だからこそ、それは恋でないとダメだったのか?と不思議だった。趣味の話で盛り上がるなら友人の方がいいだろうと個人的には思ってしまう。そういう友達のような恋人・夫婦もいるが、麦と絹は「いかにも恋人らしいことをする恋人」でありたかったのか。だとすると、やはり結婚という方向には行かない(言い出した方も多分「これじゃない」と思いつつ言っているなというのが滲んでいて辛い)だろう。
 麦と絹の距離が離れていく過程に、具体的に第三者が介入してくるとか障害が立ちはだかるみたいな「事件」はない。個別の人間が一緒にいることの宿命みたいな離れ方だ。ただ、背景に2人の経済状況があるというのは否めないだろう。仕送りを絶たれたらスタバのコーヒーは飲めないし、イラストレーターでは生活できないから麦は会社員になり企業の価値観で行動するようになる。そこで絹との距離が広がるわけだ。結構世知辛いのだが、こういった部分はあまり深掘りされない。が、そこはもうちょっと掘っておくべきなのでは?と思った。麦は仕事だから辛くない、辛いというのは甘えだと言うが、仕事だろうが何だろうが辛いものは辛いし当人のせいではない。そこを甘えだと言わせてしまうような価値観が、2人の恋を終わらせたという側面もあるのでは。

カルテット Blu-ray BOX
吉岡里帆
TCエンタテインメント
2017-07-07


あひる (角川文庫)
今村 夏子
KADOKAWA
2019-01-24


『ベイビーティース』

 難病を抱える16歳のミラ(エリザ・スカンレン)は、不良青年モーゼス(トビー・ウォレス)に一目ぼれする。ミラの両親は素行不良で薬物にも手を出しているモーゼスとの交際に大反対だが、ミラのモーゼスへの気持ちは強まる一方。刺激的で色鮮やかな日々に夢中だったが、ミラの病状は悪化していく。監督はシャノン・マーフィ。
 色調と音楽がポップで楽しく、キラキラしている。音楽の選び方、シーンへのはめ方へのセンスで映画の格が一段上がっているように思う。短いエピソードのつなぎ合わせで、エピソード間の時間の経緯はあえて示さないという、散文的なスタイルだ。多分、ミラの症状が本当に悪くて辛い時期もあるはずなのだが、そこはあえて見せない。が、多分今このあたりのステージだよなということは見ていれば察しが付くといったように、情報の示し方と構成が上手い。若々しい作品なのだが、こういう部分のテクニックは意外とこなれていると思う。使い古されたネタでも料理の仕方次第でフレッシュになるのだ。
 一見、ミラとモーゼスのラブストーリーのようだが、この2人の間にあるのは本当に恋愛なのか微妙ではないだろうか。ミラはモーゼスにぞっこんだが、一方的すぎる。モーゼスもミラのことを可愛いとは思ったのだろうが、薬物ほしさにミラの家に押し入るくらいなのであまり信用できない。ミラにはその臆面のなさ、遠慮なく踏み込んでくるあたりが魅力だったのかもしれないが、2人の間の思いは噛み合っていない、お互いへの思いがかなり不均等なように思った。何より、モーゼスはミラよりも大分年上(両親もそこを指摘する)なので、倫理的にちょっとアウト寄りでは?フェアな力関係にならないのでは?と思ってしまった。そういった2人の間の齟齬を意図的に演出しているように思われた。2人の間に心の繋がりは生まれるが、実はそれほど「ラブストーリー」というわけではないのでは。
 リアとモーゼスよりも、リアの両親ら大人たちの姿の方が(私の年齢のせいもあるだろうが)印象に残った。リアの両親は彼女の幸せを祈るが、モーゼスとの関係にどう対処していいのか迷い続ける。母親は娘と薬に依存気味だし、父親は向かいの家の女性にときめいてしまう。両親は不仲と言うわけではなくむしろ愛し合っており結構いちゃつくのだが、なかなか立派な大人、立派な両親にはなれない。しかし娘の為に迷い続ける姿は、親ってこういう感じだろうなとしみじみさせられる。またちらりと登場するモーゼスの母親の姿も印象深かった。彼女はモーゼスのことを強く拒否するのだが、母親には母親なりのどうにもならない事情があり、モーゼスはおそらく相応のことをしたのだろうと思えるのだ。親たちの話という側面もある物語だと思う。




パンチドランク・ラブ [DVD]
ルイス・ガスマン
パラマウント
2016-06-03




『羊飼いと風船』

 チベットの草原で、羊の放牧をして暮らすドルカル(ソナム・ワンモ)とタルギェ(ジンバ)。3人の息子と子供たちの祖父も一緒だ。尼になったドルカルの妹シャンチュ・ドルマ(ヤンシクツォ)も帰省していた。近代化により一人っ子政策がチベットにも押し寄せる中、ドルカルの妊娠が発覚する。タルギェらは喜ぶが、ドルカルは思い悩む。監督・脚本はペマ・ツェテン。
 だだっ広い風景が美しい。馬の代わりにバイクで移動しテレビや携帯電話も普通にあるなど、伝統的な生活が変化している一面が見られる一方で、信仰を重んじ輪廻転生を信じるという、伝統的な価値観も依然として続いている。一人っ子政策の影響で数は不十分とはいえ避妊具が配られていたり、女性医師が避妊手術を促したりするといった時代の変化も見られる。男性医師が女性の問題なので女医に相談したいというドルカルに「世界は変わったのに君たちは変わらない」というが、これは男性医師側の意識があまり変わっておらずドルカルの悩みに親身になれないから、女性医師に相談したいという状況なのではと思った。変わっていないのはチベットの人達だけではないだろう。
 転生という概念が日常生活にすっと入ってくるというシチュエーションはなかなか新鮮なのだが、チベットの人達の間ではこれが普通ということなのだろう。とすると、ドルカルの葛藤もまた普通のものとしてあるだろうということだ。子供を産むことは経済的な負担が増え家族の生活が更にひっ迫することでもあり、出産・育児を担う女性の健康負担が更に増えることでもあるのだ。死んだ家族の転生かもしれないからと出産を促されるのは、精神的にかなりきついだろう。信仰と生活の間の葛藤であると同時に、共同体の価値観と個人との間の葛藤でもある。病院に長男を連れて説得に来るタルギェの行動は、ドルカルを追い詰めるかなり卑怯なものだと思う。ドルカルは伝統的な生活の中で生きていると同時に、現代の文化の中でも生きている。女性の身体の問題も家庭の経済問題も差し迫った現実なのだが、タルギェにはいまひとつそれが実感できていないように見えた。
 ドルカルとシャンチュ・ドルマは価値観は結構違うし、衝突もする。しかし最終的には姉妹で寄り添いあう様に、家父長制社会とは別の道が(細くだが)垣間見られた。飛んでいく赤い風船には彼女たちの未来を託したくなる。

風船 ペマ・ツェテン作品集
ペマ・ツェテン
春陽堂書店
2021-02-12


月と金のシャングリラ 1
蔵西
イースト・プレス
2020-04-17


『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』

 時空を超えて冒険してきたビル(アレックス・ウィンター)とテッド(キアヌ・リーブス)ももはや50代。音楽活動を続けてきたものの人気は落ちる一方で、もはや応援してくれるのは娘たちだけ。そんな彼らの前に未来からの使者が現れ、時空のゆがみによって世界が終わるまで77分25秒、それを止める為にビルとテッドの「世界を救う曲」が必要なのだと告げる。監督はディーン・パリソット。
 まさかこのシリーズで3作目を今更作るとは思わないし(何しろキアヌ・リーブスは今や大スターだ)、ビルとテッドがあのまま50代になっていると思わないよな…。ずっと頭悪くて能天気なままだし大成とも成功とも程遠い。ただ、この成長のなさを全く笑えないし、自分たちはまだやれるはず!という根拠のない自信はいっそ尊敬してしまう。こういうメンタリティだと人生大分楽なのでは…。新曲が思いつかないから未来の自分たちからパクろう!という発想は大分クズなのだが。
 タイムトラベルというSF設定、未来の自分過去の自分と遭遇するというタイムパラドックス起きかねないシチュエーションはあるのだが、SF的なルールや整合性はほぼ無視されている。本シリーズらしく実に緩く雑。そして未来世界に対するセンスがとにかく古い!その未来は90年代に想像していた未来で2000年代の未来じゃないぞ!と非常に突っこみたくなった。良くも悪くも進化がないのだが、それこそがこのシリーズの真骨頂なのだろう。
 安い・緩い・頭悪いという三拍子なのだが、不思議と不快感はない。誰かを貶めるような笑いの作り方ではないからか。また、ビルとテッドの徹底した自己肯定感(強すぎるし2人一体化しすぎなのでこれはこれで怖いけど)も一因だろう。何より、本作、本気で世界を音楽で救えると思って作られているような気がする。世界中が分断されたコロナ禍の中で本作を見ると、その能天気さは逆に腹をくくったものに見えるのだ。一瞬かもしれないが世界中の人の心が重なる、同じ方向を向く瞬間があると信じて作られている気がした。その本気さが一見実にいい加減な本作を「映画」として立ち上げている。映画は大勢が一緒に見て同じものを共有するものだ。エンドロールにもその信念が込められていると思う。

ビルとテッドの大冒険 [Blu-ray]
ジョージ・カーリン
KADOKAWA / 角川書店
2018-08-24



『パリのどこかで、あなたと』

 パリで一人暮らしをしている30歳のメラニー(アナ・ジラルド)とレミー(フランソワ・シヴィル)は隣同士のアパートメントに住んでいるがお互いを知らない。がんの免疫治療研究者であるメラニーはプレゼンを控え仕事に追われているが、別れた恋人への思いを引きずっている。レミーは物流会社で働いているが同僚が解雇され自分だけ昇進したことへの罪悪感と深刻な不眠症に悩んでいた。監督・脚本はセドリック・クラピッシュ。
 まだ見知らぬ男女の都会での孤独と不安を描く、まあ月並みといえば月並み、どうということはない話ではある。しかし何だか良い手触りがある。どこかにいる、もしかしたらお隣に住んでいるあの人、みたいな近さを感じた。作中、しばしば夜になるとアパートメントやビルの窓に明かりが灯り、中にいる人たちの様子が垣間見える。夜、電車や自動車に乗っているとよく目にする風景なのだが、私はこれが好き。自分がそこに参加できないとしても、そこで生活し生きている人たちがいる。それを目にすると、世界がちゃんと動いている気がして何となくほっとすると同時に、ほんのり寂しくなるのだ。本作はそういう「窓の中の人」の人生を垣間見させてくれる。
 コミカルに描かれているが、メラニーもレミーも結構大変な状況にある。精神状態はかなりまずいのではないか。特にレミーは自分の大変さをあまり自覚していない(あえて自覚しないようにしてきた)。パニック障害と睡眠障害のダブルパンチって結構大変だとおもうのだが…。彼は極端に内省しないというか、自分の状態・内面を言語化することができないのだ。カウンセリングを受けても何を話すべきか途方に暮れる。とは言え、徐々に彼の自分自分自身へのある種の無関心さや他人との距離感の根がどこにあるのかが見えてくる。本作、カウンセリングの有効性が描かれているという側面もあった。
 一方メラニーはカウンセラーにも積極的に話すし、自分の状態の何が問題か自覚的だ。ただ、わかっていても自分をコントロールできない。彼女のトラブルへの妹の対応を見るにつけ、多分これが初めてではないんだろうな…と思える。妹、手慣れすぎ。
 なお、レミーにしろメラニーにしろ、何となく上手くいかない、不調な時に周囲から「付き合っている人いないの?」「デートしてる?」といったことをまず聞かれるというのが、なかなかしんどい。結婚ありきの価値観ではないのはいいのだが、カップル文化なんだな~と痛感する。皆が皆、恋愛をしたい、もしくはパートナーを得たいわけではないしそれによって問題が解決されるわけでもないと思うのだが…。


ブエノスアイレス恋愛事情 [DVD]
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2014-09-03


 

『ハッピー・オールド・イヤー』

 インテリアデザイナーのジーン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は実家をミニマムなデザインの事務所にリフォームしようと思い立つ。実家は父親が営んでいた音楽教室で、様々な不要品でいっぱいだった。断捨離を決行し、借りっぱなしだった物は持ち主に返却していったジーンは、元恋人から借りていたカメラを送り返すものの、受取拒否されてしまう。監督・脚本・製作はナワポン・タムロンラタナリット。
 冒頭、親友ピンクにリフォームの相談をしたジーンは、年内には実家の中を片付けてと言われる。言われた日付は11月末。複数名が暮らす一軒家の引っ越し・リフォーム・建て替えなどを体験したことがある人にはわかるだろうが、スケジュールが無茶である。ミニマリストは計画性があるというイメージだったのだが、ジーンのリフォーム計画は練られているとは言い難い。何より、この時点でジーンは家族にリフォームの計画を説明していないのだ。誰かと一緒に暮らす以上、住まいのことはその都度相談し、各々が納得する形にしないと後々色々問題が起きるというのは言うまでもないことなのだが…。
 現実的に考えるとちょっとなさそうなシチュエーションなのだが、ストーリー展開上の都合の良さというよりも、ジーンの性格をよく表すエピソードとして設定されているように思う。彼女は自分の思い・都合が先行して周囲の気持ちや都合は後回しになってしまうのだ。この性格のせいで、彼女も映画を見ている側も何度か冷や水を浴びせられたような気持ちになる。そしてジーンは、自分のこういう性格を自覚していくことになる。物事が丸く収まるのではなく、彼女が自分の身勝手さを自覚し引き受けていく過程の物語なのだ。そして一番先に説明・説得しておくべき家族への対応を後回しにしていた以上、終盤、家族のエピソードに帰結していくのも自然と言えるだろう。
 思い出の処理の仕方は人それぞれで、その方向性の違う人たちが一緒に住んでいるとしみじみ大変だ。特にジーンと母親の思い出に対する態度は真逆だ。母親の、思い出を一見封印しているようでいて実はずっと拘っている姿は、痛々しくもある。そこにしがみついても何も生まれなさそうだが、それでも断ち切れないのだ。ジーンはそんな母親を切り捨てる。彼女もまた極端だ。家屋の整理は家族解散にもつながっているのだ。

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マクザム
2019-03-22


 

『ホモ・サピエンスの涙』

 信仰を失い絶望の淵にいる牧師、廃墟となった町の上空を漂うカップル、シャンパンが好きでたまらない女性、昔の同級生に無視される男、機嫌の悪い歯科医。様々な人々の人生のあるシーンを繋ぎ合わせた群像劇。監督・脚本はロイ・アンダーソン。
 スウェーデンの巨匠であり奇才であるロイ・アンダーソン監督の新作。監督の作品はCGをほぼ使わず、巨大スタジオ内のセットで模型や手書きのマットペイントを駆使して作られることで有名だ。そのアナログさ、徹底した人工が、絵画のような完成度の高く美しい情景を作り上げている。33のエピソードから構成された作品だが、それぞれのエピソード間に具体的なつながりがあるわけではない。ともすると本当に断片的に見えかねないところ、美術の統一感の強さによって一作品としてまとめ上げられているように思う。それぞれのエピソードはほぼ1ショットで撮影されているので、ある町のあちらこちらに出没して人々の営みを眺めているような不思議な気分になる。「~な人を見た」といった言葉で始まるナレーションが、その気分を高める。神の目に近い視点だ。神から見たのなら、この世界全体が作り物とも言えるのだろうか。
 エピソードの一つ一つは人生の悲哀を感じさせるほろ苦いものであったり、また洒落にならない悲惨なものであったりする。また、ヒトラーらしき独裁者や、シベリアの収容所に向かう兵士たちなど、歴史の負の部分を垣間見せるものであったりする。写真撮影に興じる家族や、土砂降りの中誕生会に向かう親子など、ほっとするような情景もあるが、悲哀や悲惨を相殺するほどのものではない。にも関わらず、本作を見ていると人間に対して希望を持ち続けられる気がしてくる。というとちょっと言いすぎかもしれない。絶望しなくても済む気がしてくると言った方がいいか。単純に絵画のようなショットひとつひとつが美しいからというのもあるのだが、人間のしょうもなさや愚かさも飲み込めるような奥行を感じるのだ。諦念を突き抜けたおおらかさのように思う。

さよなら、人類
ニルス・ウェストブロム


愛おしき隣人 [DVD]
オリー・オルソン
Happinet(SB)(D)
2008-11-28




 

『パピチャ 未来へのランウェイ』

 1990年代、アルジェリアの首都アルジェ。大学生のネジュマ(リナ・クードリ)はファッションデザイナーを目指し、ナイトクラブのトイレで自作のドレスを売っている。しかしイスラム原理主義が台頭してテロが多発し、女性にヒジャブ着用を強要するポスターがそこら中に貼られるようになる。イスラム原理主義グループはやがて大学寮にまで乗り込んでくる。自分たちの自由の為、ネジュマは命がけでファッションショーを行おうとする。監督はムニア・メドゥール。
 90年代のアルジェリアがこのような状況にあったとは、恥ずかしながらよく知らなかった。本国では上映中止されたり、製作側が政府からの圧力があったと訴えたりで大変だったそうだが、すごく勢いのある快作。ただ、快作と言うには彼女らの戦いが現在進行形すぎて辛いのだが…。ネジュマらが直面している問題は、当時のアルジェリアに限ったことではなく、いまだに世界のあちこち(ことに日本では)で散見されることだと思う。
 はつらつとした女性たちの青春が映されるのだが、中盤で衝撃的な展開があり愕然とした。映画を見ている側にとってもネジュマにとっても、自分が生きている世界はこのようなところになってしまったということを突き付けてくる。邦題のサブタイトルは「未来へのランウェイ」だが、キラキラしたものではなく、文字通り生きるか死ぬか、自分固有の生を守る為の戦いなのだ。彼女らが立ち向かうものはあまりに理不尽で、ラストからの「その先」も前途多難だろう。
 ネジュマや友人が男性から向けられる視線、言葉はかなり偏見に満ちているのだが、今の日本でも見聞きするシチュエーション、言葉なので暗澹たる気分になった。「男の目をひく(から露出の大きい服を着るな)」という言い方、いまだに根深い(それは見る側の問題であり女性側にどうこう言うことではないだろう)。また、最初はネジュマの独立心に理解がある風だったボーイフレンドが、その「理解」はネジュマが彼の価値観の範疇に収まっている間だけのものだったと露呈するのにもがっくりくる。まあこういう人多いですよね…。

少女は自転車にのって [DVD]
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アルバトロス
2014-07-02


裸足の季節(字幕版)
アイベルク・ペキジャン
2016-12-14


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