3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

映画題名な行

『ニューヨーク・オールド・アパートメント』

 ティト(マルチェロ・デュラン)とポール(アドリアーノ・デュラン)兄弟はレストランのデリバリーで働きながら語学学校へ通っている。母ラファエラ(マガリ・ソリエル)はダイナーのウェイトレスをしている。彼らは祖国ペルーからアメリカへ渡り、ニューヨークで不法移民として暮らしているのだ。ティトとポールは語学のクラスに入ってきたクリスティン(タラ・サラー)に一目ぼれするが。監督はマーク・ウィルキンス。
 エピソード同士の繋がりが奇妙だと思ったら、過去のエピソードと現在のエピソードが入り混じっているのだと段々わかってくる。そういう構造の映画だという気配がしないまま時間軸がスライドするので少々戸惑った。
 ティトとポールは、自分たちは透明人間だと言う。それがどういうことなのか、冒頭の事故のエピソードを筆頭に随所で実演されるのだが、これが結構しんどかった。つまりいてもいなくてもいい、尊重しなくてもいい存在として扱われ続けるということなのだ。移民である、女性である、シングルマザーである等々、ある属性によって粗雑に扱っていい存在にされてしまう。ラファエラのボーイフレンドが段々増長し上から目線になるのも、クリスティンと恋人との顛末もそういうことだ。特にラファエラのボーイフレンドの態度はなかなかの気持ち悪さだった。相手を大雑把な属性でくくって、その属性故に尊重しているような振る舞いをするが、実のところ自分にとって扱いやすい相手と見下している。
 このボーイフレンド以外にも、人をざっくりと括る人がちょいちょい登場する。語学学校の教師など、様々な言語・文化的背景の人と日々接しているはずなのに、相手の多様さに全く興味を示していないし無神経。授業の中での質問の投げかけ等雑すぎて怖い。相手に対する解析度があまりに低いのだ。あえて低くして面倒な思考を排しているようにも見えた。すごく失礼なのだが、これは意外と人が陥りがちな思考の省略化な気もする。
 ティトとポールが言う透明人間状態は、移民としてだけではなく、家庭内でも生じる。ラファエラがボーイフレンドを連れてきている時は彼らはいないものとしてスルーされがちだ。ラファエラは息子たちを愛しているが、物理的にスペースがない状態ではお互いを透明人間化せざるを得ない時もある。お互いに尊重し合うには物理的なスペースや豊かさがないと難しいのかもしれない。

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『苦い涙』

 恋人と別れたショックで荒れている映画監督ピーター・フォン・カント(ドゥニ・メノーシュ)。彼の元妻であり親友である女優シドニー(イザベル・アジャーニ)が青年アミール(ハリル・ガルビア)を連れて訪ねてくる。アミールに一目ぼれしたピーターは、彼を自宅で同居させ、映画俳優として売り出そうと世話を焼く。ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督が1972年に手がけた「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」のリメイク作品。監督はフランソワ・オゾン。
 元作品「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」は未見なのだが、元は女性同士の話だったところ、男性主人公に変更されている。主人公カントの職業は映画監督だし、ルックスもかなりファスビンダーに寄せているという印象。ピーターは初対面のアミールに強烈に引き付けられ口説くが、壮年で知名度のある映画監督という立場で無名のアミールにアプローチする姿は、ちょっと(いや大分)ハラスメントぽく見えてしまった。アミールもまんざらでもなさそうではあるが、ここではちょっと断りにくい、みたいな躊躇は漂うので、この2人の関係を本当に恋愛と言ってしまっていいものかという不安さが序盤から漂う。映画監督としてのピーターは圧倒的に「見るもの」であり、アミールは常に「見られるもの」なのだ。
 しかしピーターがアミールにのめり込むにつれ、アミールがピーターを振り回すようになっていく。ピーターの愛は一途で献身的、というか少々暴走気味で、どうもこの人は恋愛をすると毎回こんな感じなんだなということもわかってくる。相手に対するピーターの愛と執着が深まるほど、彼は相手に対する支配力を失っていく。献身的なのか身勝手なのか最早わからないピーターの振る舞いには時に笑ってしまうのだが、同時に物悲しくもある。
 ピーターの滑稽さと物悲しさは、彼が愛しているのは本当にアミールその人なのか微妙な気がしてくるからでもある。熱烈に愛している割には相手の話を聞かず、振る舞いが一方的なのだ。彼が欲しいのは彼がアミールの中に見出している(見出したい)何かで、アミール個人とはまた違うのではないかと。ピーターはかなりナルシスティックな所があり、あらまほしき自分としての恋人を欲するではないかという気もした。身近な女性3人とはどこか距離感があるのも、彼女らとは同一化がしにくいからではないか。
 愛も涙もこてこてで美術はゴージャス。久しぶりにキッチュに振り切っているオゾン作品だった。最近の作品は比較的折り目正しい、シリアスな方向だったが、本作は初期作品への揺り戻しのようで楽しかった。

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『ナイン・マンス』

 工場勤務の傍ら、農学を学んでいるユリ(モノリ・リリ)。工場の上司と恋に落ちるがユリには前パートナーとの間に幼い息子がいることを伏せていた。やがて上司にも子供の存在は知られるが、彼はそれを受け入れられず家族に知られることを恐れた。監督はメーサーロシュ・マールタ。1976年製作。
 メーサーロシュ・マールタ監督特集にて鑑賞。女性監督として初めてベルリン国際映画祭最高賞を受賞し、その後もカンヌ国際映画祭やシカゴ国際映画祭などで高く評価された監督だそうだ。なぜか日本では今まで劇場公開されておらず、今回初の特集上映となる。本作は1977年のカンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞、同年のベルリン国際映画祭でOCIC特別賞を受賞。1人の女性の生きる姿の生々しさが迫ってくる。つっけんどんと言ってもいいようなスタイルの作品なのだが強いインパクトを残す。
 何よりあの当時、自分自身の人生を生きようとする女性の在り方をパートナー男性の存在が阻害するということを、ここまで率直に描いた作品があったのかと唸った。ユリが直面する困難や不愉快さの数々は現代の女性のそれと何ら変わらない。私たちは40数年間いったい何をしてきたんだと愕然とするくらいだ。ユリ自身は結構堂々、ずけずけと生きている。彼女が自分で言うように自分の行いを恥じてはいない。恥じるのは恋人であり彼が所属する世間なのだ。彼は家の新築に情熱を注いでおり、ユリにもそこで一緒に暮らしてほしいと願う。ユリは工場で働くと同時に学校を卒業したいと考えるが、恋人は彼女に仕事も学校もやめてほしいという。自分が稼いでいるんだから働くなくてもいいじゃないかと。このくだり、現代でも全く珍しくないシチュエーションだろう。なかなかにげんなりした。ユリは「大黒柱は2人よ」と切り返すが、現代でもそういいたくなる女性は大勢いるだろう(そもそも、たとえ一方の稼ぎが少ない、ないしはなかったとしても「自分が稼いでいるんだから」という言い方は卑怯だろう)。
 この恋人男性が退屈な男すぎて、ユリがなぜ惚れているのか謎だった。彼がこだわるのは固定化された(物質としての家も含め)家、家族だ。自分の中の「家庭」という概念が強すぎて、ユリの生き方を受け入れられない。ユリにとっても彼の人生観は自分のやり方と相容れないものだ。それなのに2人が強く惹かれ合い続けるという所が不思議だった。恋愛とはそういうものなのかもしれないが、いくら何でも相性悪すぎる。

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2023-09-06


幸福(しあわせ)(字幕版)
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2022-10-07


『ノーマ・レイ』

 アメリカ南部の紡績工場に勤めるノーマ(サリー・フィールド)は、幼い2人の子供と、彼女と同じ紡績工場に長年勤める両親と同居している。ある日、彼女の家にルーベン(ロン・リーブマン)と言う男がやってくる。彼は全米繊維組合から派遣された労働組合作りの活動家で、彼女の働く工場に組合を結成するためにやってきたのだ。工員たちに相手にされないものの粘り強く活動を続けるルーベンの様子に興味を持ち、ノーマも労働組合運動に関わっていく。監督はマーティン・リット。1979年製作。
 国立映画アーカイブの特集上映「アカデミー・フィルム・アーカイブ映画コレクション」にて鑑賞。本作を見るのは初めてなのだがとても面白かった。冒頭からテンポよく、メリハリのきいたエピソード省略の仕方も好み。このくらい思い切ってジャンプしてもいいんだよな。緩急はあるが全体的にびっくりするくらいスピード感のある作品だと思う。
 一方で、ノーマが置かれている環境の息苦しさもじわじわと伝わってくる。紡績工場の中は機械の作動音でお互いの声もろくに聞こえない。これが出口なしっぽくって閉塞感を煽るし、労働者同士がコミュニケーションをとり繋がること自体が難しいことの比喩のようにも見える。また実際問題として白人、黒人らが一緒に働いているところ、会社側が黒人の組合、白人の組合というように分断しようとする。逆に言うと労働者が連帯すると経営側にとっては都合が悪いということなので、やはり労働組合というのはそれなりに意味があるのだなと妙に納得するエピソードだった。
 ノーマは最初は組合活動に興味があるわけではないし、会社に不満があって上司とぶつかっても、それは彼女個人のものとして処理している。しかし徐々に、自分の境遇の苦しさは他の人の苦しさと繋がっている、ひいては組織の、社会の仕組みと繋がっていると気付いていくのだ。ノーマが見る世界が広がっていく過程の物語だが、それは彼女が少し自由になるということでもあると思う。本作は1978年の作品なのだが、あまりに「今」の作品として響いた。むしろ今の日本は前進どころか後退しているんじゃないかと思えてしまう。
 ノーマが「男性が必要」な女性として描かれており、そこを特に悪びれない所は当時としては珍しかったのでは。子供たち2人も父親が違うのだが、2人にそのあたりの事情を自分の口で説明するのも、彼女の性格、過去の引き受け方が垣間見られるシーンだった。そんなノーマに怒りつつ最終的には「そういう人だから(愛した)」と受け入れる夫ソニーや、一貫して同志として絆を深めるルーベンとの関係も印象に残る。

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ロン・リーブマン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2016-01-20


スタンドアップ (字幕版)
ジェレミー・レナー
2013-06-01


『ネイティヴ・サン アメリカの息子』

リチャード・ライト著、上岡伸雄訳
 1930年代のシカゴ。貧しいアフリカ系青年ビッガー・トマスは、裕福な白人一家の運転手として雇われるが、その家の娘を殺害してしまう。発覚を恐れたビッガーは娘の首を切り、遺体を暖房炉で焼却する。何とかその場を逃れようとするが、彼の運命は大きく変わってしまった。
 ブラック・ライヴズ・マターの原点とも言われる作品だそうで、20世紀アメリカ文学最大の問題作とも称されている。新訳で読むことができてありがたい(旧訳ではカットされた部分もあるそうだ)。舞台は1930年代当時で黒人差別は当然のこととされ、これが差別であるという意識すら希薄だ。そんな中で黒人でありお金も職もないビッガーの立場は極めて弱い。彼の言動はあまりに衝動的で計画性も思慮分別もないように見えるものなのだが、とにかく「今」生きているということしか手元にない、明日の生活も将来の展望も抱けないくらい足元が不安定だからだろう。更に、家族や雇用主が求めるいわゆる堅実・真面目な生活というのは、白人社会が期待する、彼らに都合のいい労働力・搾取対象としての「良き生活者」だ。ビッガーはそれに薄っすら気付いているから、自分に不利になるとわかっていても規範から外れた方向へどんどん行ってしまうのではないか。一方で規範から外れていくことによってビッガーが自分は何を感じているのか自覚していく、言語化されていく様は皮肉でもある。作中、ビッガーが神父をはねつけるのは、信仰は思考と言語化をある種棚上げする、自分をゆだねてしまうことでもあるからだろう。
 人種差別というのがどういうことなのか、本作出版から80年以上経った現代でも生生しく伝わってくる。特に差別に反対している・黒人に対し理解があると自認している人たちのビッガーに対する態度がいかに無自覚に差別的かという描写は、なるほど社会の仕組みに差別が織り込まれているというのはこういうことかと深く頷く、かつ薄っすらと寒気がする。こういうこと、自分もやっているのではないかと。


青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)
トニ モリスン
早川書房
2001-06-15


『猫たちのアパートメント』

 ソウル市内にある、かつてはアジア最大と呼ばれた遁村団地。老朽化による再開発が決まり、住民たちは次々と出ていき、少しずつ解体工事が始まった。しかし人間の住民の他に、団地に住み着いている約250匹が暮らしていた。団地に住む女性たちが中心となり、「遁村団地猫の幸せ移住計画クラブ」として保護活動を開始する。人間と猫たちの姿を追ったドキュメンタリー。監督はチョン・ジェウン。
 猫が大勢登場するが、個性は様々。人間によく懐いていて愛想のいい猫もいるし、なかなか懐かない猫もいる。人間は好きだが室内飼いにはなかなか慣れずに何とか外に出ようとする猫も。そして人間もそれぞれ。猫の保護活動に参加する人は基本的に猫好きではあるが、温度や猫との距離感は意外とまちまちだ。ペットのような存在として愛する人もいるし、隣人のように考えている人もいる。また、野良猫に餌をやるかどうかという点についても、もっと野生に慣らした方がいいという人もいる。とは言え猫は基本的に人間が飼う為に品種改良したものだから、最後まで人間が面倒みるべきなのではと思うが。
 まずは猫を捕獲して保護する、という流れは日本の保護活動と同じだと思うのだが、その後で里親がひきとるだけではなく、他の団地に移動させてまた野良として世話をするというやり方もあるのには驚いた。避妊や去勢手術はちゃんとしているが、野良猫を減らすという方向だけではないのかな?確かに室内外にどうしても向かない猫もいるだろうし、頭数が多いので現実的な判断なのかもしれないが。
 遁村団地は非常に大きいいわゆるマンモス団地。日本にもマンモス団地はあるが、更に大規模だ。そしてマンモス団地が抱える問題は日本と共通していそう。巨大な団地を思い切りよく解体してしまうろいうのは極端な気がするが、人口やライフスタイルの変化に見合わなくなるのだろう。日本では大型団地の過疎化や空き家の増加が問題になっているが、住宅数やその状態は本来、行政が「どういう街を作るか」というイメージの元ある程度コントロールした方がいいのかもしれない。作中、保護活動をしている人が、これは本来行政の役割だと言うのだが、それは野良猫たちの問題は人間の生活、街づくりの問題の延長線上にあるからだろう。本作はドキュメンタリーとしては今一つ物足りなくもあるのだが、それはこの問題がこの先も続くから、まだ手探り状態だからかもしれない。

子猫をお願い 4Kリマスター版 [Blu-ray]
イ・ウンジュ
株式会社ツイン
2022-09-02


なまえのないねこ
竹下文子
小峰書店
2019-04-25


『泣いたり笑ったり』

 イタリアの風光明媚な港町。この町に別荘を持つカステルヴェッキオ家と、カステルヴェッキオ家が持つコテージを借りたペターニャ家。同じ時期にバカンスに訪れるが、カステルヴェッキオ家の父親・トニ(ファブリッツィオ・ベンティボリオ)と、ペターニャ家の父親・カルロ(アレッサンドロ・ガスマン)が結婚すると言い出す。両家は大混乱に陥り、特にトニの二女・ペネロペ(ジャスミン・トリンカ)は大反対。何とか2人を別れさせようと画策するが。監督はシモーネ・ゴダノ。
 おおよそ予想通りのストーリーである種古典的な家族劇はあるのだが、家族間の微妙な関係やセクシャリティへの言及については割と配慮されている印象で、そこは現代の作品だなと思った。コンパクトにまとめてあるし緩急もちょうどよく、気持ちよく楽しく見られる作品だった。
 美術商で富裕層のトニと、漁師を生業とする労働者階級のカルロは文化的な背景が全く違い、共通項はなさそうに見える。2つの家庭の間に起こる大騒ぎは父親が同性と結婚しようとしていることが原因ではあるが、同時に2つの階級のギャップが原因でもある。結婚というものは異文化同士のすり合わせとはよく言ったもので、トニとカルロはこれまで相当すり合わせてきたのではないかと思える。とは言え、性格上カルロが譲歩することの方が多そうで、それが後々歪を生んでくるのだが…。結婚の障害になっているのは同性同士だからというよりも、文化背景の違いや家族同士の問題による所が大きいのだ。
 ペネロペはトニの結婚に大反対なのだが、それは彼女が父親から十分な愛情を受けてこなかったことも一因だと徐々にわかってくる。この見せ方がなかなかうまかった。彼女の異母姉は移り気な父親にさっさと見切りをつけているので、表面上は父親との関係は良好、お気に入りの娘としてふるまえる。ペネロペは良くも悪くも正直でそれができない。トニは子供たちのことを愛してはいるが、父親としての責任を引き受け切らなかった。トニが孫たちを放置してカルロたちが激怒するエピソードでもよくわかるのだが、保護者としてどうするべきかということがあまりぴんときていないままなのだ。親に不向きな人というのは絶対にいるし、たまたまそういう人の子供に生まれたら、ある程度諦めざるを得ないんだろうなというほろ苦さがある。対してカルロは絵に描いたようないい父親。ペネロペが求める父性は実の父親にはなくて、彼女が遠ざけたいカルロの方が持っているという所が皮肉だ。
 カルロがトニとの結婚を望むことに、カルロの息子は不愉快だと言う。それに対してカルロは「それはお前の問題だ」と返す。不愉快に思う側、なぜ不愉快に思うのかという心性が問題なのであって、同性婚をしようとする側の問題ではないということが明言される。はっきりこう言える時代になったんだなという感慨深さがあった。ただその一方で、トニが娘に結構なセクハラ発言(さすがに諫められるが)したりするのだが…。
 
天空の結婚式 [DVD]
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2021-07-02


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2021-01-06



『November』

 先祖を追憶する「死者の日」を迎えようとしている、エストニアの小さな村。戻って来た死者たちは家族を訪ね、一緒に食事をとりサウナに入る。村人たちはクラットと呼ばれる使い魔を使い、労働力にしていた。母親を亡くし父親と2人暮らしの少女リーナ(レア・レスト)は、村の青年ハンス(ヨルゲン・リイイク)に想いを寄せていた。一方、ハンスはドイツ人男爵の娘に一目ぼれし、森の十字路で悪魔と契約を結ぶ。監督はライナー・サルネ。
 エストニア映画というのは多分初めて見るのだが、エストニアの土着のエッセンスって本作のような感じなのだろうか。モノクロの映像は非常に美しいが、描かれる世界は民話や神話のように混沌としている。死者、精霊、悪魔が人間たちの営みの中にごくごく自然に、地続きの存在として現れる。「死者の日」というとメキシコのイメージだが、エストニアにも類似の祭りがあるのか。死者と食事をするのはともかく、サウナに入る(しかもサウナの中ではなぜかニワトリの姿になる)というのは何なんだ…腐りそうな気がする…。
 一応キリスト教圏(教会があるし神父もいる)なのだが、悪魔との契約がごく普通のこととしてまかり通っている。魔術による生活のスキルと毎週教会に通う習慣が、村人の間では矛盾なく存在しているのだ。がらくたでできたボディに悪魔と契約して(正確にはだまして)手に入れた魂を憑依させた使い魔、クラットの造形がどれも不気味かつユーモラスで、どこか可愛らしくもあった。クラットは労働の為に作られるので、どのクラットも結構労働意欲旺盛なのがなんだかおかしい。ちょっとシュヴァンクマイエルの作品を思い起こさせるような造形だった。
 土着の魔術がうごめく世界の中で、リーナとハンスの片思いはひたすら報われない。2人とも一途なのだが、彼らの望みは悪魔も魔術もかなえることができないのだ。リーナが恋敵を殺そうとして土壇場で逆に助けてしまう姿には、民話ではなく今の感情の生々しさを見た。


蝶男:エストニア短編小説集
メヒス・ヘインサー
葉っぱの坑夫
2022-06-02





蛇の言葉を話した男
アンドルス・キヴィラフク
河出書房新社
2021-06-26


『ナイトメア・アリー』

 故郷を捨てた青年スタン(ブラッドリー・クーパー)はカーニバルの一座にやとわれ、読心術を学ぶ。生来の人を引き付ける才能を持ったスタンは一座でも頭角を示すようになり、やがて独立。カーニバルで出会ったモリー(ルーニー・マー)とコンビを組み、各地で読心術ショーを開催する人気興行師になる。しかし心理学者のリリス・リッター博士(ケイト・ブランシェット)と出会ったことで彼の運命は大きく狂い始める。原作はウィリアム・リンゼイ・グレシャムの同名小説。監督はギレルモ・デル・トロ。
 ビジュアルの作りこみはデル・トロ監督の本領発揮というところなのだろうが、特にカーニバルのうさん臭さやいかにも「作り物」な安っぽさ、だからこそ醸し出される魅力は好きな人は好きだろうなと思う。私個人の好みというわけではないのだが、ハリボテだからこその美しさがある。一方で出てくる富豪の屋敷やゴージャスなホテル等は殺風景だったり凡庸だったりするので、そっちはあんまり興味ないんだろうなぁ…。良くも悪くも監督が好きなものがよくわかる。
 前半のカーニバルのパートがかなり長く、少々緩慢すぎるのではと思ったが、このパートで見られる登場人物のセリフや行動が、後半の展開の伏線になっている。だらだら長いようでいて、結構かっちり構成されているのだ(それが面白いかどうかはさておき)。ラストも原作よりは因果応報の文脈が明確になっており、運命の逃れ難さが際立つ。それを自覚するかしないかという話なのだ。もっと早くに自覚していたら別ルートがあったかもしれないのに。
 クーパーはスタン役には年長すぎるのではと思っていたが(原作だと最初はまだまだ未熟な青年なので)、後半に焦点を当てたキャスティングなのだとわかる。クーパーは顔のいいモラハラ系クズを演じると抜群に上手い。モラハラ感と読心術ショーという相手をコントロールする見世物の特質との相性がよく、いいうさん臭さがあった。またスタンにとってキーとなる3人の女性のキャスティングは鉄板といってもいいだろう。魅力的だが鉄板すぎて少々面白みには欠けたかもしれない。ケイト・ブランシェットがああいう役をやったらそりゃあ素敵だが、多分こういう素敵さだろう、という枠からは出ないのだ。アイコン度の低いトニ・コレットの方が陰影が深かったように思う。

ナイトメア・アリー 悪夢小路 (海外文庫)
ウィリアム・リンゼイ・グレシャム
扶桑社
2020-09-25


ナイトメア・アリー (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ウィリアム リンゼイ グレシャム
早川書房
2022-01-26






『ナイル殺人事件』

 美貌の資産家リネット(ガグ・ギャドット)はサイモン(アーミー・ハマー)と結婚し、新婚旅行でエジプトを訪れる。しかしサイモンの元婚約者でリネットの親友でもあったジャクリーン(エマ・マッキー)が2人に付きまとい続けていた。そしてナイル河を行く豪華客船の中で、リネットが殺害される。バカンスで船に乗り合わせていた名探偵ポワロ(ケネス・ブラナー)は犯人捜しに乗り出すが、強い動機を持つジャクリーンには完ぺきなアリバイがあった。原作はアガサ・クリスティ。監督はケネス・ブラナー。
 何度も映像化されている原作小説だが、ブラナー監督による本作は、ポワロの過去エピソードを盛り込んだり、登場人物構成を一部変更したりと、オリジナルアレンジも目立つ。クリスティ原理主義者は異論があるかもしれないが、これはこれで楽しく見た。ブラナーにとっては、自身が演じているからということもあるかもしれないが、ポワロは名探偵という記号ではなく、背景のある一人の人間として描きたいのだろう。
 ポワロの過去が描かれる一方で、原作で大きなウェイトを占めていた愛憎関係、また「持つもの」に対する「持たざるもの」の羨望と鬱屈は薄味だ。原作だとポワロとジャクリーンの会話がその後の展開を示唆する重要なものになっているが、このあたりは映画では割愛されている。その代わりに、ポワロの過去の恋愛と、ジャクリーンとサイモン、リネットとサイモンの官能的なダンスシーンが本作における愛の象徴となっているということか。ダンスがかなり下世話なのは逆に興ざめだったが…。この時代設定でこのダンスはありなのか?というところも気になってしまった。セックスの暗喩がおおむねダサいのだが笑いどころなのだろうか。
 映像化として成功していると思ったのは、最初の事件が発生した後、ラウンジから人が移動するシーン。誰がどのように移動したのかという動線と船の構造がはっきりわかる。本作のようなミステリの場合、空間内の位置関係が重要になってくるが、そのあたりへの配慮が感じられた。またビジュアルの美しさという面でも船内は豪華で見ごたえがある。急に舞台劇のような画面構成になる外連味は好みがわかれるだろうが、本作に合っていたと思う。


ナイル殺人事件 [DVD]
マギー・スミス
KADOKAWA / 角川書店
2018-04-27






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