3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名な行

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

 世界最大の知の殿堂と呼ばれ、ニューヨーク有数の観光スポットでもあるニューヨーク公共図書館。文学、芸術などの分野で多くの人材を育て、世界有数のコレクションを誇る一方で、ニューヨーク市民の生活に密着した様々な役割と果たしている。図書館の存在の仕方と未来に思いをはせるドキュメンタリー。監督はフレデリック・ワイズマン。
 図書館の役割と言うと資料の収集・保管と貸出ばかりに着目されがちだが、本作に登場するニューヨーク公共図書館は、資料の扱いを越えた、幅広い活動を行っている。子供向け勉強会や作家の公演、音楽界に留まらず、就職活動支援の職業説明会や、障害者支援の説明会、インターネット接続用機器の貸し出し等、ここまでやるの?!とびっくりするようなももある。しかしどれも、「知識を得る手助けをする」という意味では共通している。知識に触れる機会は、どんな人にも平等であるべき、そこに奉仕すべきというのが図書館が考える公共の在り方なのだろう。市民からのニーズにこたえていくというのはもちろんなのだが、サービスを提供するだけではなく、どういう社会にしていきたいのか、そのために図書館が出来ること、やるべきことは何なのかを図書館に携わる人たちがずっと考え続けているのだと思う。
 作中、何度も図書館員たちのディスカッションが挿入される。予算をめぐる本館での論議(ベストセラーを多く入れれば貸出率=利用率は上がる、しかし研究書や貴重な資料を購入・保管するのも図書館の使命だという定番の論議がここでも出てくる)からは、市の予算と民間の寄付の両方から成る台所事情が垣間見える。やはり公的予算は削減されなかなか苦しい所もあるようだが、民間から一定の寄付があるというところが、なんだかんだ言って民度が高い。また分館では、子供たちの学習支援だけでなく教員に対する学習支援や適切な資料の提供をどうするかディスカッションしていたり、地域の経済問題や差別問題などにも言及がある。分館の方が生活に密着している度合いが高そうだが、規模はどうあれ「公共」とはどうあるべきかということを一貫して体現しているように思う。この筋の通し方は正直うらやましい。日本はこういう所が本当に弱いんだよな・・・。
 公共であること、平等であること、ひいては民主主義とは何かということが作中提示され続けている。今、分断が進み偏狭になりつつあるアメリカの社会を見据えての、この編集・構成なのだろう。黒人文化センターへの言及が多いのもあえてか。アメリカでも歴史改変主義者が幅をきかせつつあるらしく、意図的に改変した歴史の教科書が流通してしまったという話はちょっとショックだった。そういったものへのカウンターとしても図書館は存在するのだ。
 また、図書館の素晴らしい建物や、建物のポテンシャルを活かしたイベントの様子は眺めていて楽しい。図書館の表も裏も見ることができて、とても面白かった。いきなり著名人が登場したり、ちらっと見える資料の中にあんな名前やこんな名前、肖像画があったりと、予期せぬ楽しさもあった。3時間25分という長さだが、案外気にならない。体力的には少々きつかったですが・・・。


『ナポリの隣人』

 ナポリで暮らす元弁護士のロレンツォ(レナート・カルペンティエーリ)は、妻を亡くし一人暮らし。アラビア語の法廷通訳をしている娘エレナとは折り合いが悪い。母の死の原因はロレンツォの浮気にあるとエレナは考えていたのだ。ロレンツォは向かいに越してきたファビオとミケーラ夫婦、そして2人の子供と親しくなり、実の家族のような付き合いをしていくが。監督はジャンニ・アメリオ。
 ファビオはナポリには馴染めない、好きになれないと漏らすが、やはり独特の雰囲気、地元ルールみたいなものが強い町なのだろうか。ロレンツォは根っからのナポリっ子でナポリから出たことがないと豪語するくらいなので、好きな人はすごく好き、地元愛が強い土地柄なのかもしれない。ロレンツォが町中を散歩する場面がたびたび出てくるのだが、結構人が多くて、渋滞気味の車の間を歩行者や自転車がすりぬけていくようなにぎやかさだった。ざわついている感じがファビオは苦手だったのかな。
 ロレンツォは自分の家族は普通ではない、ファビオとミケーラ一家こそ普通だと言う。しかし、ファビオもミケーラもロレンツォが思っているような「普通」の人たちだったのだろうか。そもそも普通の家族とは何だろうか。ロレンツォの家族は不仲ではあるが、その不仲さこそ至って普通、ありふれた不調和とも言える。普通の家族とはロレンツォの頭の中にだけある理想の「普通」で、それをファビオたちに投影していただけなのではないだろうか。それは彼の幻想にすぎないのだが。元愛人の元を去った経緯も、急に訪問してくる経緯も自分本位だが、本人には自覚がない。自分では相手のことを考えて行動しているつもりなのだろうが、その「相手」は彼の頭の中にいる存在なのだ。
 ロレンツォは多分に思いこみが激しいというか、自分本位なものの見方をする。彼は子供はなぜ成長するんだ、大人になんてならなければいいのにと言う。彼は子供好きで子供を守らなくてはと思っている。逆に言うと、大人になると自分の力が及ばない存在になっていくから気に入らないのだろう。それは相手を一個人として尊重しているということにはならない。だからある人物に「別の愛し方を学ばなければ」と指摘されるのだ。

家の鍵 [DVD]
キム・ロッシ・スチュアート
ハピネット
2007-03-23






『22年目の記憶』

 1972年、南北共同声明が発表された。韓国は南北首脳会議に備え、北朝鮮の最高指導者・金日成の代役オーディションを密かに行う。オーディションに合格したのは、売れない役者ソングン(ソル・ギョング)だった。金日成という役になりきる為の厳しい訓練に耐えるソングンだが、彼の出番は結局なかった。そして22年後、心を病み自分を金日成だと信じ込むソングンは、父である彼に人生を狂わされた息子テシク(パク・ヘイル)と同居することになる。借金まみれのテシクは、実家の土地を売る為に実印を探していたのだ。監督はイ・ヘジュン。
 予告編だと父息子の感動ストーリーっぽいが、それはあくまで本作の一部だ(ということは、全貌を見せずにキャッチーな部分を抽出した良くできた予告編なんだと思う)。リハーサルを行う構想は実際にあったそうだが、金日成の代役を作るという荒唐無稽な設定のコメディである一方、ソングンが受けるオーディションや訓練は、不条理ホラーのように見えてきてかなり怖い。着地点がどこなのかがわからないのだ。そしてソングンの演技への執着、彼に取りついて離れない金日成という「役」の不気味さがじわじわくる。ソングンに演技を教える教授は、役者は役を飲み込み、その上で吐き出さないとならないと言う。演技には魔力があるのだろう。ソングンは演技の魔に取りつかれて冒頭で失敗し、その失敗を引きずるが故に更に演技の魔に取りつかれた人生を送る羽目になってしまう。テシクが、父が正気に戻る時間が増えると逆に不安になるというのがうすら寒さを感じさせた。正気でない状態が普通ってことだから。
 本作、笑いや涙があってもどうにも不気味だった。ソングンとテシクが辿る珍妙な人生の裏には、人1人の人生を道具扱いにする国家という存在がある。金日成の代役を立ててリハーサルをするという計画自体、冷静に考えるとそれ何か意味あるの?という気がするのだが、そういうことを平気で出来る存在だと言うことが、不気味かつ不穏なのだ。


『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』

 ニューヨーク市クイーンズ区の北西にある、人口13.2万人の町ジャクソンハイツ。60年代後半から各国の移民が住むようになり、現在では167もの言語が話され、マイノリティが集まる、ニューヨークで最も多様性があると言われる町だ。しかし近年、ブルックリン、マンハッタンの地価上昇により、地下鉄で市の中心部へ30分で出られるという便利さから人気が高まり、再開発が進んでいる。ジャクソンハイツの今を映すドキュメンタリー。監督はフレデリック・ワイズマン。
 再開発によって地価が上昇し、税金、家賃が上がって古くからの住民が退去せざるを得なくなる、空き家が出来て家賃を取れなくなるから家主がやむを得ず物件を手放すところを不動産会社が買いたたくという構図には、大きな波に対する無力さを感じてしまい辛い。市民団体が反対運動をしているが、大資本の前で相当厳しいだろう。ニューヨーク市は再開発に積極的と思われるので、地元の市議会議員が動いても効果が薄いんだろうな・・・。議員は長年地元に尽くした住民(元町長?)の誕生日パーティーに出席したり、レインボーパレードに率先して参加したりと活動的なのだが。ただの「こじゃれた町」になってしまうのかな。本作に登場するのは元々住んでいた人たちなので、転入してくる人たちが何を考え何を求めているのかはわからないが。
 様々な人がいて様々な視点がある。それらが同じ町で暮らしていく為には様々な配慮、随時考えることが必要なんだと随所で知らされる。もちろん面倒くさいことも多いだろう。議員事務所では苦情、相談(と言う名の苦情)の電話が鳴りやまない。でも少しずつすり合わせていくしかないし、この町はそうやって発展してきたのだろう。違う民族の人たちが同じ場に集っているシーンが案外目立たない(~街、みたいに棲み分けがされているっぽい)のだが、それも一つの知恵か。
 トランスジェンダーの人たちのグループワークで、「私たちは道を歩いている時も(他の人たちより)とても注意しなければならない(突発的に暴力を振るわれる機会が多いから)」という言葉が出てきてはっとした(と同時に暗澹たる気分になる。そこまで注意してないとならないのか・・・)。トランスジェンダーの黒人女性が、女の恰好よりも男の恰好をしている時の方が周囲の視線を感じる、でかい黒人男性がいると警戒される、黒人女性はむしろ存在しない扱いに近い、というようなことを口にするのにも。
 ユダヤ教のシナゴーグが公民館のように使われており、ユダヤ教徒だけでなく他の宗教団体、またLGBTの団体も利用できるところが面白い。ユダヤ教徒だけだと経済的に維持が厳しいので、使用料を取って共存しているんだとか。こういう「都合」が関わる所からお互いを許容していくようになるのかもしれない。
 移民に対する様々な講習会、支援団体が出てくる。ある集会で、勤務先の店長が残業代を払わないという相談があるのだが、その店長がどこの国出身かという言葉が出ると、議長がストップをかける。金を払わない人は自分がどこの出身であれ、相手がどこの出身であれ、払いたくないのだ(出自は関係ない)と諭す。これが大事なんだろうな。



『劇場版 夏目友人帳 うつせみに結ぶ』

幼い頃から、他の人の目には見えない妖を見ることができた夏目貴志(神谷浩史)は、亡き祖母レイコが妖怪たちから名前を集めた「友人帳」を受け継ぎ、名前を返してほしいとやってくる妖怪にはその名を返していた。強い妖力の持ち主だったレイコは、妖怪と勝負をして負かした相手に契約書を書かせていたのだ。ある日夏目は10代の頃の祖母を知る津村容莉枝(島本須美)とその息子・椋雄(高良健吾)と知り合う。2人が住む町で妖怪の気配を感じた夏目は、自称用心棒の妖怪・ニャンコ先生(井上和彦)と調べに向かう。緑川ゆきの同名漫画をアニメ化したTVシリーズ作品の、オリジナル劇場版。総監督はTVシリーズ監督を務めた大森貴弘、監督は伊藤秀樹。
104分の劇場用作品だが、中身はいたって通常営業。妙な気負いや派手なイベントはなく、このシリーズらしい地味ながら丁寧なストーリーテリングと美術を見せている。シリーズのファンの期待はまず裏切らないのではと思う。下手に特別なことをやろうとせずに、きちんとウェルメイドに仕上げている。
本シリーズ、季節感の演出に毎回味わいがあってとても良い。舞台は田園風景広がる結構な田舎(モデルは熊本らしい)だが、本作では盛夏~秋の気配が感じられる頃までを描く。緑の濃さの変化や日差しの強さが、だんだん秋らしくなる様が気持ち良かった。随所で挿入される虫や鳥のショットもアクセントになっていて良い。
さすらい続け人の記憶に留まれない妖怪の寂しさが、人間の世界では異端視され一か所に留まれなかったレイコが感じていたかもしれない寂しさと呼応する。それは、かつての夏目が感じており、めぐりあわせによっては今も感じ続けることになったかもしれないものだ。本シリーズ、心温まるエピソードであってもいつもどこか寂しい。人間と妖怪は交流することはあっても、本質的に別の時間、別の理論で生きているのだと折に触れて感じさせるからだ。とは言え、常に何も残らないというわけではない。ささやかながら、異質なものと、あるいは異質なものとして生きることの希望が込められているように思う。


夏目友人帳 Blu-ray Disc BOX
神谷浩史
アニプレックス
2011-06-22


『泣き虫しょったんの奇跡』

 おとなしく特にやりたいこともない少年だった「しょったん」こと瀬川晶司(松田龍平)は、将棋の面白さに目覚め、プロ棋士をめざし奨励会に入会。しかし26歳までに四段昇格できなければ退会という規定のプレッシャーがのしかかり、年齢制限により退会に至る。棋士の道を諦めて、就職して働き始めるが、将棋への思いは捨てられず、再びプロ棋士を目指すべく立ち上がる。原作は瀬川晶司五段の自伝的小説。監督・脚本は豊田利晃。
 豊田監督作品の中では一番安定感があり、まっすぐど真ん中のストレートを投げてくるような作品。静かだが熱い。劇伴は控えめで、駒を置く音が効果的に響く。この音が意外と高く頭に刺さるような感触があり、緊張感を煽る。対局中、瀬川が追い詰められていくにしたがって、周囲の駒を置くパチパチという音や対局相手が扇子で仰ぐ音がどんどんノイズとして彼を責め、飽和状態になっていくように感じた。音の設計が上手いと思う。また、概ね静かなのだが、ここぞというところでじわじわと盛り上げていく、照井利幸によるギター主体の音楽もよかった。
 瀬川は才能はあると作中でも断言されているのだが、勝負弱い。将棋のことはわからなくても、この人はここぞと言う所で踏ん張れないんだなということが、周囲の言葉や反応から何となく伝わるのだ。「瀬川君が負ける相手じゃないよ」と負けた後に言われるのって結構きついんじゃないかな・・・。そして、瀬川の人柄の良さも、彼の言動というよりも周囲の言動から伝わる。彼のアパートに奨励会の仲間がたむろっているシーンは、彼らがくすぶっているにも関わらず、青春ぽさと多幸感を感じた。「負けた時は一人でいたくないでしょう」というのは意外な気もしたけど、そういうものなのかな。落ち込む瀬川を新藤(永山絢斗)がドライブに連れ出す、しかしドライブ先の風景がこれまたひどくわびしくて全然元気にならなそうというエピソードが、何だか胸に染みる。
 周囲の人に恵まれているということが、まわりまわって彼をプロ棋士への道に引き戻す。瀬川が人柄の良さで掴んだ運であり縁だとも言える。瀬川が奨励会を去る冬野(妻夫木聡)に、瀬川さんは(将棋の)指し方がきれいだ、人の良さが将棋に出ているがそれでは生き残れないと言うシーンがある。冬野は瀬川の人の良さは弱点だと考えたわけだし実際にそういう面もあるのだろうが、瀬川はそういうタイプの棋士にも活路があると証明したと言えるだろう。彼の過去から現在に至るまでの人との出会いが集約していくクライマックスは、ベタだなとわかっていてもやはり泣けた。
 主演の松田は得難い存在感がある。また脇役、モブに至るまで、役者が皆いい。今回、いつになく役者の顔にカメラが集中しているように見えた。少し出てくるだけの人も、はっとするような表情を見せる。役者の顔への信頼感が感じられた。そして松たかこが飛び道具的存在になっている。監督の私情が大分入っているのではないだろうか。「おうちの人に若くてきれいな先生だと言って」というくだりには、今時(作中では’80年代だけどそれにしても・・・)それはないわーと思ったけど。


ナイン・ソウルズ [DVD]
原田芳雄
ポニーキャニオン
2004-01-21


『寝ても覚めても』

 大阪で暮らす朝子(唐田えりか)は麦(東出昌大)と出会い恋に落ちる。しかしある日、麦は姿を消した。2年後、東京へ引っ越した朝子は麦とそっくりな亮平(東出昌大2役)と出会う。麦のことを忘れられない朝子は激しく動揺するが、亮平は朝子に好意を抱いていく。原作は柴崎友香の同名小説。監督は濱口竜介。
 朝子と麦が初めて出会い向き合うシーン、ザ・運命の出会い!もう恋に落ちる以外ありえない!的演出で、あっこれを堂々とやるのか!と逆に新鮮だった。一方、亮平との出会いでは、二人が向き合うまでの時間、助走の部分がある。最初から麦と亮平は違ったわけだ。劇的な出会いだったから想いが持続するというわけでもないだろうが、朝子は同じ容姿という部分に引っ張られてしまう(と自分で思い込んでいる)。
 朝子のある種のバカ正直さとでもいうか、自分に対する誠実さ、嘘のなさが面白い。彼女は周囲にもそうした誠実さで接しようとするが、それは相手を傷つけたり周囲をかき回したりすることにもなる。「それ言って幸せになる人いないよ」と言われても、自分にとって事実であるなら、嘘はつけない。世間の人は多少自分を押さえて場をとりなすようなことをできるものだろうが、彼女にはそういう面が希薄だ。逆に亮平はそういった場のとりなし、雰囲気の作り方が大変上手く、気遣いの人であることがよくわかる。朝子の友人である春代(伊藤沙莉)やマヤ(山下リオ)も同様で、押しなべて良識的。社会性が高いとも言える。朝子は自身でも言うように「自分のことばかり」なのだ。それが悪いというのではなく、自分に忠実であろうとするところが彼女のいい所だと思うのだが、時に自分と「彼」に集中しすぎて世界から断絶されているように見える。
 幽霊譚のような、ちょっとホラーめいた怖さも感じた。過去の一点がずっと追ってきて離れない。終盤の亮平にとっての朝子もまた、そういう存在になっているのかもしれない。麦の人間ではない何かであるような立ち居振る舞いもまた不気味だった。東出が二役を演じているが、同じ顔だが違う人に見えるし、何だったら同じ顔に見えないようにも思った。
 登場人物それぞれの「その人」としての佇まいや動作の手応えが素晴らしい。台詞や分かりやすい顔の表情がなくても、振舞い方でエモーショナルな部分、この人はどういう人かという部分が伝わってくる。とにかく行動設計が上手いなという印象。どの俳優もとても良かったのだが、亮平の同僚である串橋役の瀬戸泰史があるシーン以降とても良くて、こんなに出来る人でしたか!とびっくりした。これは監督の演技指導の腕でもあるのだろうか。


寝ても覚めても: 増補新版 (河出文庫)
柴崎友香
河出書房新社
2018-06-05


『2重螺旋の恋人』

 原因不明の腹痛に悩むクロエ(マリーヌ・バクト)は精神分析医ポール(ジェレミー・レニエ)のカウンセリングを受けることにした。症状が好転したクロエはポールと恋に落ち、一緒に暮らし始める。ある日クロエはポールとうり二つな男性を見かけた。その男性はポールの双子の兄レイ(ジェレミー・レニエ 二役)で、彼と同じく精神分析医だった。兄の存在を隠すポールを不審に思い、クロエはレイの診察を受け双子の秘密を探ろうとする。原作はジョイス・キャロル・オーツの短編小説。監督はフランソワ・オゾン。
 オゾン監督はあたりとはずれを交互にリリースしている印象があるのだが、本作は残念ながらはずれなのでは・・・。前作『婚約者の友人』が秀作だったからなー。なかなか連続して秀作とはいかないか。本作、エロティックな幻想をちりばめたサスペンスという趣なのだが、美形双子と色々やりたい!なんだったら双子同士でも色々やってほしい!というフェティッシュが前面に出てしまい、クロエの内面の要素と噛み合っていない。実は(多分原作とは異なると思うのだが)最後にタネあかしのようなオチがあるのだが、このオチから逆算すると性的な要素が介入してくるとは考えにくいのだ。それよりは最初に不仲であると提示されている母親の存在がクローズアップしてしかるべきだろう。にもかかわらず母親が登場するのは最終幕のみで、それまでは殆ど言及されない。なので、性的ファンタジーばかりが悪目立ちしている印象になる。下世話なことがやりたいなら妙な小理屈つけずに堂々とやればいいのに・・・
 また、ポールとレイを臨床心理士という設定にしたわりには、臨床心理的なものにオゾンはあんまり関心なさそうなところもひっかかった。そもそも(元)患者と恋人関係になるって臨床心理士としてはダメだろ・・・。支配/被支配関係を強調したかったのかもしれないけど、もうちょっとやりようがあったんじゃないかなと思う。

17歳 [DVD]
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KADOKAWA / 角川書店
2014-09-05


とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢 (河出文庫)
ジョイス・キャロル オーツ
河出書房新社
2018-01-05


『ニンジャバットマン』

 ゴッサムシティで街の平和を脅かすヴィランたちと戦うバットマン(山寺宏一)。ある日ゴリラグロッド(子安武人)の企みに巻き込まれ、ジョーカー(高木渉)らと共に時空転送されてしまう。バットマンがタイムスリップしたのは戦国時代の日本。各地の戦国大名に成り代わったジョーカーたちによる歴史改変を止める為、忍者たちと共に戦いを挑む。監督は水崎淳平。
 アニメーション制作は神風動画で、スタジオ代表の水崎が監督を務めている。アニメーションとしてのクオリティは素晴らしくかつユニークで、これが今の神風動画だ!という自負と自信を感じる。岡﨑能士のスタイリッシュかつややこってりめのキャラクターデザイン、またディティールのデザインや背景美術の和風テイスト、それぞれの要素のバットマンという作品への落とし込み方がとても上手い。特に背景美術は浮世絵っぽい構成だったり、背景全体に和紙の風合いや空摺っぽい文様を入れる等、大変凝っている。和「風」であり、伝統的な和というわけではなくどこかキッチュさをまとっているところも魅力。アメコミを戦国時代舞台でやる、という設定に対してのビジュアル面でのアイディアが満載で、とても楽しい。アニメーションの方向性も、セル画に寄せた部分、3DCGに寄せた部分等バラエティに富んでいて楽しい。一部手書きアニメーションのパートもあり、スタジオのイメージとは大分違うのでちょっと驚いた。
 中島かずき脚本だが、実にらしいというか、キャッチーさとケレンたっぷり。後半の城の使い方にしろ猿やコウモリの使い方にしろ、やりすぎ!と突っ込みたくなるが、バカバカしいことを全力フルスイングでやられると逆にバカっぽくならないものだなと思った。悪ふざけをしているという感じではなく、ストーリーにしろビジュアルにしろ、自分たちのバットマンはこれだ!という大真面目な姿勢に感じられる。これをやってもOKだというDCコミックは懐が深い・・・。バットマン、ジョーカーというアメコミキャラクターの汎用性の広さも実感した。
 声のキャスティングはベテラン揃いでどのキャラクターも良い。特にジョーカー役の高木は、この人以外のジョーカーはちょっともう考えられないかなというくらいハマっていた。逆に、絶対安全パイ的な山寺の方が、別に山寺さんじゃなくても・・・的な雰囲気。今回割と抑え気味の演技だし、バットマン自体そんなに個性の強いキャラクターではないからかな。

バットマン:ハッシュ 完全版
ジェフ・ローブ
小学館集英社プロダクション
2013-09-28


ポプテピピック vol.1(Blu-ray)
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キングレコード
2018-01-31


『ネッド・ライフル』

 ある罪により逃亡中のヘンリーと、拘留中のフェイの息子ネッド(リーアム・エイケン)は18歳になった。叔父サイモンを含め、家族の不幸の元凶である父ヘンリーに復讐しようと、ネッドは彼をさがしに旅に出る。サイモンの作品に執着している風変りな女性スーザンも同行することになる。監督はハル・ハートリー。2014年の作品。
 『ヘンリー・フール』三部作の3作目。出演者の加齢と同じスピードで物語が進んでいるので、この人変わらないなとか、こんなに大きくなって!とか、久しぶりに親戚に会ったような気分にもなる。本作、3部作の中では一番テンポが良く、タイトな作りになっていると思う(実際85分という短さだし)。
 父親殺しや世代を超えて受け継がれていく因がなど、ドストエフスキーのような様相を見せるが、ネッドの潔さがさわやかな後味を残す。ヘンリーは最後まで責任を取らない人、逃げる人として造形されている。しかし、グリム家は逃げない人たちなのだろう。彼らのふんばりと善良さで、ヘンリーの因果にようやく終止符が打たれるのだ。ラストがとてもきっぱりとして心を打つものだった。この人はこっち側に行くことに決めたんだなと深く納得するのだ。ハートリー監督の映画は、どれもラストショットがかっこよくて強く印象に残る。
 ヘンリーとスーザンの過去に遡っての諸々は、物議をかもしそうだけどやはり危ういと思う。ヘンリーは罰を受けており自分に責任があるという自覚もある(1作目ではなさそうだったけど・・・)という描写は織り込まれているとは言え、ロマンティックな要素を加味しすぎではないかな。

ヘンリー・フール・トリロジー
パーカー・ポージー
ポッシブル・フィルムズ
2017


はなしかわって [DVD]
D.J.メンデル
J.V.D.
2014-06-06





 
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