3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名た行

『探偵はBARにいる3』

 札幌、ススキノでトラブル解決に奔走する探偵(大泉洋)と相棒・高田(松田龍平)。高田の大学の後輩が、失踪した女子大学生・麗子(前田敦子)の捜索を依頼してきた。調査に乗り出した探偵は、表向きはモデル事務所の怪しげな組織に辿りつく。そのオーナー、岬マリ(北川景子)は探偵を翻弄するのだった。原作は東直己の「ススキノ探偵シリーズ」。監督は吉田照幸。脚本はシリーズ1,2に引き続き古沢良太。余計なサブタイトルを付けなかったのは正解だと思う。
 本シリーズ、大泉洋がパンイチになるのがお約束なんでしょうか。今回かなり寒そう!これは厳しい(笑)!前作では往年の東映映画のごとくいきなりお色気要素を投入してきてどうした?!と思ったが、今回は控えめ。脱ぐのはほぼ大泉のみで、全年齢向き、ゴールデンタイムでのTV放送OKな画になっている。
 シリーズ3作目ということで、作品フォーマットがほぼ固まっている。とある事情を抱えた美女が探偵を翻弄し、ミステリとアクションと笑いとちょっと人情と涙、という定番。シーズン商品として1年に1本くらい見られると嬉しい。ほどほどに気を抜いて見られる面白さ度合いもちょうどよい。アクションは1,2作目に比べるとちょっと控えめ、かつあまり効果的な見せ方ではないように思え(スロー中途半端に使いすぎで、せっかくそこそこ長いシークエンスなのにぶつ切りされているように見える)、少々残念だった。ともあれ東映の定番として今後も続いていくといいな。
 毎回女性が物語の鍵を握るシリーズだが、今回は3人の女優がそれぞれ役柄にはまっていて魅力的。北川景子ってやっぱり美人なんだな・・・。麗子役の前田は、計算高いがあっけらかんとした女性を演じると非常にハマっており、やはり筋がいい。またマリの過去を知るかつての同僚(というか先輩)モンロー役の鈴木砂羽はどっしり構えた貫禄と気の良さが感じられる演技。今回のメイン登場人物であるマリはもちろんだが、麗子もモンローもキャラクターの存在感、こういう人なんだろうなと想像させる厚みがあってなかなか好感が持てた。
 マリの行動の動機がどうにもやるせなく切ない。他人から見たらバカみたい、何の意味もないように見えるかもしれないが、本人にとっては大真面目で、人生を賭ける価値がある。傍から見たら意味がない・得がないとわかっていても、突き動かされるようにやらざるを得ない、やらずにはいられない人が出てくる物語が自分は好きなんだなぁと改めて思った。それを否定しない探偵の悔恨と優しさが染みる。このシリーズ基本的に、この世から落っこちそうな人を探偵が助けようとする話なんだよな。

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『立ち去った女』

 教師だったホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)は、冤罪で投獄され30年になる。しかしある日、受刑者仲間のペトラがホラシアが犯人とされた殺人事件の真犯人だと告白。ホラシアに罪を着せたのは、ホラシアのかつての恋人・ロドリゴだと言う。ペトラは真相を告白した後、自殺してしまった。ホラシアは釈放され娘と再会するものの、夫は既に亡くなり、息子は失踪。ホラシアは復讐の為ロドリゴを追う。監督はラヴ・ディアス。原作はレフ・トルストイの短編小説『God Sees the Truth, But Waits(神は真実を見給ふ、されで待ち給ふ)』。
 228分という長尺だが、ディアス監督の作品の中では比較的短い方だそうだ。いくらなんでも長すぎるのではと思ったが、見ている間は不思議とさほど長さを感じない(肉体的にはじわじわ堪えてくるけど・・・)。むしろホラシアの旅路が2時間で収まるはずがない、じわじわと迂回しつつ進むのが妥当ではないかと思えてくる。時間の経過を体感することが、この作品においては非常に重要なのだと思う。
 本作の物語は王道メロドラマ、復讐譚だが、ホラシアは復讐の手前で躊躇し続けているように見える。物理的な旅はロドリゴを発見した時点で終わっているわけだが、彼女の心の変遷、精神的な旅路はまだ終わらない。実際にはロドリゴをロックオンして住家を手に入れ現地での商売も始め、更に情報源を確保してと着々と準備を進めていく。釈放された後の自宅の処分や管理人へのケアでもわかるのだが、ホラシアは行動力はあるし実務能力が高い人(しかも体術の心得もある)なのだ。彼女の立ち居振る舞いには、身一つで生きてきた人のかっこよさがある。
 しかしロドリゴへの一撃は遅々として始まらない。むしろ、彼女がその過程で接する人たちとのやりとりの方が豊かなドラマを見せてくる。卵売り、ホームレスの女性、食堂を任されている女性ら、どの人たちもそれぞれ訳有りっぽく、個々のドラマを背負っているであろう存在感がある。特にトランスジェンダーのオランドとの交流は、女友達同士のようでもあり親子のようでもあり、強い印象を残す。
 彼・彼女ら脇役が、ホラシアのドラマを復讐譚から徐々にずらして別の線路に乗せていくように見えた。それこそが、ホラシアの旅路だったのだろう。ある種の「行きて帰りし」物語であるようにも思える。特定の場所に帰るというよりも、自分の心の置き場が決まったという意味での帰郷。さまよい続けているのはむしろロドリゴの方だろう。神父とのやり取りからも垣間見られるが、彼の魂は休まる時がないのだ。

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『ドリーム』

 アメリカとソ連が宇宙開発でしのぎを削っていた1961年。バージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所には、ロケット打ち上げに必要な大量の計算を行う黒人女性のチームがあった。数学の天才キャサリン(タラジ・P・ヘンソン)、管理職志望のドロシー(オクタビア・スペンサー)、エンジニア志望のメアリー(ジャネール・モネイ)はそれぞれ優れた才能を持ちながら、黒人かつ女性であることで理不尽な境遇に立たされ、出世の道も閉ざされていた。監督はセオドア・メルフィ。
 冒頭、警察官とのやり取りの中で、キャサリン、ドロシー、メアリーが3人3様の対応のトラブルへの対応方法を見せる。この人はこういうスタンスなんだ、ということが簡潔によくわかる、上手い演出だ。誰のやり方が正解というわけではなくて、それぞれのやり方がある。そして、3人はお互いにそれぞれのやり方を尊重している。この「それぞれである」ということが、本作全体を貫く一つの柱にもなっているのだ。
 キャサリンたちは、頻繁に大雑把なくくりで括られ、偏見で判断される。黒人だから専門性の高い仕事は出来ない、女性だから働くことには向いていない、といったように。しかしそれらは、世の中が勝手に決めてそういうものだと見なしているというだけで、実際には黒人であろうが白人であろうが、女性であろうが男性であろうが、数学が得意な人も不得意な人もいる。千差万別なはずなのだ。それがなぜ、黒人だから、女性だからとひとくくりにされるのか。世間がそうしているから、これまでそうだったから、という以外の具体的な理由は見当たらない。「これまでそうだったから」ということの無頓着な暴力性は作中でしばしば目にされる。これまでのやり方に準じている側は、それが差別的なことであるとは気付かないのだ。だって「これまでそうだったから」。ドロシーの上司の「偏見があるわけじゃないのよ」という言葉(とそれに対するドロシーの返し)が象徴的だった。
 キャサリンたちが掴み取ったものは、彼女らの突出した才能による「特例」であったという一面は否めない。平等にはまだほど遠いのだ。メアリーの夫が彼女が出世しようとするやり方にイラつくのもわからなくはない(白人たちの土俵で彼らに認めて「もらう」ってことだから)。しかし、彼女らは自分たちの一歩が次の誰かの一歩に繋がる、その一歩が裾野を広げていつか本当に平等が得られるはずだと信じて進むのだろう。キャサリンの両親や教師たちもまた、次の誰かの為にと尽力したのだ。
 音楽と衣装がとても良い作品でもあった。いかにも60年代ぽい楽曲の数々はファレル・ウィリアムズによるものだが、ファレルの職人技を見た感がある。また、女性達のファッションが色とりどりで目にも楽しいし、着ている人のパーソナリティが垣間見える着こなしになっている。ドロシーがスタッフを引き連れて行進するシーンは圧巻だった。

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『ダンケルク』

 第二次世界大戦中の1940年、北フランスまで勢力を広げたドイツ軍は英仏連合軍をフランス北部の港町・ダンケルクに追いつめていた。イギリス首相チャーチルは、ダンケルクに取り残された兵士40万人の救出を命じ、5月26日、軍艦の他に民間の船舶を徴収・総動員したダイナモ作戦が発動する。監督はクリストファー・ノーラン。
 IMAX版で鑑賞。自分が見られる上映形態のうち、ノーランが意図した画角に一番近いのがIMAXだということで選んだのだが、正直な所、上下左右、多少切れていても私は気付かなかったんじゃないかな・・・。どうしてもこの画角じゃないと駄目、というほどの絵の説得力は感じなかった。見比べれば色々と違うのかもしれないけど、わざわざ見比べる意欲が沸くかというと今一つ。私がこういう部分にあまり拘らないというのも一因だし、見ていると(内容とか音とか)結構疲れる作品だということも一因。 とは言え、疲れるというのは、それだけ迫力があるということでもある。特に音量、音響のデリケートさはIMAXで見て良かったと思える点だった。爆撃機のエンジン音の迫り方や銃撃の音など、見ていてびくっとするくらい迫ってくる。
 自分にとってノーラン監督の作品は、新作を初見で見ている間はすごく面白いんだけど、再見するとこんなに構成下手だったっけ?間延びしてたっけ?と思うことが多い。語り口があまり上手くないという弱点があるのだ。本作はノーラン作品としては尺がかなりタイトで、こなすべき出来事を短時間に圧縮してどんどん処理していく感じだった。慌ただしさ故に、物「語る」感がわりと薄く、そのおかげで弱点が目に付きにくかったように思う。浜辺の兵士、パイロット、民間船舶という3つの視点が入れ代わり立ち代わり提示されるが、それぞれ時間の圧縮具合が違うので、全体的に何がどうなってどことどこがつながるという流れはわかりにくい。これは意図的なものだろう。あえて俯瞰の「物語」を見せないことで、登場人物たちのその場のことしかわからないという、戦争の只中にいる感じが強まるのだ。
 ダンケルクの救出劇は、イギリスにとって敗退ではあるが人々の勇気と倫理(見殺しには出来ないという)を示した英雄的なエピソードだ。しかしこの出来事の後、戦争は更に激化し、更に大勢の人が死ぬ。登場人物の中にも、この後の命運が危うい人もいる。救出の高揚感は、一時の気休めみたいなものでもある。ラストに映し出される人物の顔がどこか懐疑的な表情にも見えるのは、周囲の浮き立ちに対しての違和感でもあるだろう。

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『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』

 19歳で史上最年少のロイヤル・バレエ団プリンシパルになったセルゲイ・ポルーニン。圧倒的な才能で絶賛されるが、2年後に突如退団を発表する。その後、ホージアの『Take Me To Church』のMV出演で再び注目を集め、YouTubeでのMV公開によりバレエファン以外にも知られるようになった。本人、家族、友人らのインタビューを通し彼の姿に迫るドキュメンタリー。監督はスティーブン・カンター。
  私はバレエには疎くてポルーニンの名前も本作で初めて知ったくらいなのだが、素人目にも子供時代から才能がずば抜けていることがわかる。特に横っ飛びにすっ飛んで行くような飛翔の仕方がすごい。えっこんなに飛ぶの!とびっくりする。彼の母親は息子の才能を確信し、家族全員で学費を工面してバレエ学校に入学させるのだが、実に先見の明があったということだろう。また、息子の才能と母親の確信を信じた家族も、本当に理解と愛情があったのだと思う。 しかし、費用の工面の為に父と祖母が出稼ぎに、更にイギリスにはポルーニン単身で渡るという状況の中、両親は離婚。誰のせいというわけでもなく、こういう状況だったらしょうがないんじゃないかなとは思う。ポルーニンが責任を感じることはないのだろうが、彼がバレエに打ち込んだのは経済面を含め家族の努力に報いる為(当人もプレッシャーを感じたと言っている)という側面も多々あったのだろう。ロイヤル・バレエ時代のポルーニンはスキャンダラスな言動でも有名だったそうだが、バレエに賭けたことで結果的に家族がバラバラになっていったことも、彼の迷走の一因だったのかもしれない。梯子を外されたような気がしたんじゃないだろうか。精神的に成長しきっていないまま地位を築いてしまった人の右往左往という感じがするのだ。
  また、ポルーニンのバレエ学校での担当教師によると、彼は振付をマスターしつつ、毎回違う解釈を加えてきたそうだ。彼の退団後の紆余曲折を見ると、バレエという枠にダンサーとしての彼が求めるものが収まり切らなかったのかなという気もする。もちろんバレエダンサーとして突出してはいるのだが、どんどんはみ出ていく感じの人なのかなと。
 本作、ポルーニン本人の言葉は意外と少ない。彼の周囲の人たちが見た彼、という側面の方が強いが、それも少々通り一遍な言葉であるように思った。家族の話にしても、アウトラインはなぞっているが彼の内面には迫っていないのだ。その為、ドユメンタリーとしては少々薄味になっている。ポルーニンを知らない人に紹介するにはいいが、既に知っている人には大分物足りないのではないか。ポルーニン自身が言葉での表現があまり得意ではない人なのではないかもしれない。彼の雄弁さはやはりダンスによるものだ。随所で挿入される彼が踊っている映像を見ると、もっとこれを見たい!と思うのだが、だったら彼のステージのDVDでも見ていればいいわけで、ドキュメンタリーを見る必要はない。ドキュメンタリーである本作が彼のダンスに負けている。撮影側が、ポルーニンに切り込めなかった(ポルーニンが距離を詰めさせなかった)んだろうなぁ。なお、ロックやポップミュージックを多用しており楽しいことは楽しいのだが、ちょっと音楽による説明過剰になっている気がした。エンドロールは正に!って感じではまっていたが。

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『トランスフォーマー 最後の騎士王』

 宇宙へと去ったオプティマス・プライムは故郷のサイバトロン星で、創造主と呼ばれる存在と遭遇。創造主は地球を侵略しサイバトロン星を再生しようとしていた。地球ではオートボット達は人類の敵とみなされ、彼らをかばったことでお尋ね者となったイェーガー(マーク・ウォールバーグ)は、オートボットのバンブルビーらと身を隠していた。彼らの前にオプティマスが姿を現すが、彼は人類と敵対し、地球に隠されたタリスマンを奪おうとしていた。監督はマイケル・ベイ。
 IMAX3Dで鑑賞。本作のIMAX3Dはベイ監督が自信を持っているだけのことはあって、確かにクオリティが高い。特に後半、奥行き、高低が強調されるシーンが増えるとそれがよくわかる。むしろ、そこのみが見所と言ってもいいくらいなんだけど・・・。正直、お話は(毎度のことだが)そんなに面白いわけではない。
このシリーズ、作品数を重ねるにつれ、唐突に新しい設定をぶち込んでくるのだが、今回はそれが特に顕著。導入部分はいきなり中世イギリスのアーサー王伝説から始まり、これ本当にトランスフォーマー?という感じ。マーリンの杖がオートボットの遺産だった!オートボットと協力する秘密結社があった!という設定なのだが、何だか段々、当初の設定からずれてきているような・・・。そんな秘密結社があったならシリーズ前作までの話、大分違うものになってきそうなんだけど・・・。
 ドラマとしては人間パートが大分退屈だった。このシリーズにドラマの面白さはそんなに期待していないのだが、毎度のことながらエピソードが団子状にだらだら続く感じで緩急に乏しい。映像としては見所はたくさんあるのだが、その映像に寄り添う物語には無頓着。また、とってつけたようなセリフやシチュエーション、特に男女のやりとりのずさんさが気になった。まあ、ベイ監督作品にそういう部分のクオリティは期待していないですが・・・。
 ドラマは平坦だが、映像に関しては毎回ちゃんとアップデートされており、ベイ監督の勤勉さがうかがえる。オートボットの見せ方、見得の切らせ方が毎回上手くなっているんだよなー。今回も、オートボットのファンならここを見たいであろう、変身時の可動部分をしっかり見せてくれるし、スローモーションの使い方もやたらめったら使うのではなくここぞという所で使っている(まあムダに使っている部分もあるが)。今回はバンブルビーに新機能が加わり、「組み立てていく」感を更に味わえる。

トランスフォーマー/ロストエイジ [Blu-ray]

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2015-06-10


『ダイ・ビューティフル』

 長年の夢だったミスコンで優勝したトリシャ・エチェバリア(パオロ・バレステロス)は、突然死してしまう。トリシャは生前、葬儀では毎日メイクを変えてくれと親友に頼んでいた。彼女は裕福な家庭の一人息子として生まれたが、トランスジェンダーであることを認めない父親に家を追い出され、自分らしく生きようとしてきたのだ。監督はジュン・ロブレス・ラナ。
 トリシャの人生(と葬儀)の様々な局面を行ったり来たりする、少々目まぐるしい構成。時間の流れ通りに進行する葬儀と、過去の様々な局面との行ったり来たりであれば、もう少し整理された印象になるのだろうが、葬儀のシーンも時系列通りじゃないんだよなー。記憶はそもそも秩序立っておらず芋づる式に呼び起されるものだというなら、この構成で間違いではないんだろうけど、ストーリーの見せ方としてはちょっともたついている。しかしそれが疵にならないくらい、大変面白かった。1人の人間が自分の人生を生きようとした物語として、ぐっとくる。
 トリシャの父親は彼女をあくまで「息子」として見ているので、彼女のセクシャリティには全く理解がない。彼女が死んだ際も男の体に「戻して」葬儀をしようとする為、トリシャの友人たちは猛反発する。姉は彼女にもう少し同情的だが、やはり理解はできない。また、トリシャはなぜか恋愛運が悪く、イケメンと付き合ってもすぐに浮気されたり相手が訳ありだったりする。肉親の愛とパートナーとの愛には恵まれない人生なのだ。
 しかし彼女には、それを補って有り余る友人たち、そして養女からの愛がある。子供の頃からの親友バーブ(クリスチャン・バブレス)はトリシャを励まし笑わせ、時に彼女の代わりに怒ったり闘ったりもする(ちょっとだけ登場するバーブの母親のおおらかさも素晴らしい)。手厳しく彼女にはっぱをかける“ママ”やトランスジェンダー仲間たち等、彼女の周囲には人が絶えない。恋愛は上手くいかないし血のつながった家族とは絶縁状態だが、トリシャはそれに代わるような愛し愛される人たちを獲得している。彼女は恋愛にしろ養子を迎える流れにしろ、愛することをためらわない勇気がある人なんだなとわかるのだ。それが、周囲に人を集めるのだろう。
 葬儀での日替わりメイクは見事で、確かに不謹慎かもしれないけどSNSで拡散したくなるなと笑ってしまった。有名人のそっくりメイクというコンセプトなのだが、確かにものによっては完成度高い。

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2006-12-22

『手を失くした少女』

 東京アニメアワードフェスティバル2017のコンペティション部門・長編アニメーショングランプリ受賞作品。監督はセバスチャン・ルドバース。グリム童話の「手なし娘」を下敷きに、デッサン、ペインティング風の線と色彩で構成されたアニメーション。
 アンスティチュ・フランセ東京での特別上映会で鑑賞したのだが、本編上映前に監督からの本作に対するコメント映像が15分ほどあった。それによると、作画は1人で行っており、製作スピードはかなり速かったそうだ。アニメーションというと、最初に絵コンテを切ってタイムシートを作ってそれに合わせて原画を描いていくものなのだろうが、本作の場合は、監督の頭の中におおまかなストーリーと映像の流れがあり、とにかくどんどん原画(監督によると“デッサン”)を描いていく。描いては修正し、また描き足して修正し、という繰り返しだったようで、ドローイングがそのままアニメーションの原画になっているようだ。絵のタッチも、完成した絵に拘らず、あえて線が途中で切れたり大まかなアウトラインのみの絵を繋げることで、今線を描いているような臨場感が生まれている。線のない部分も見る側は頭の中で補完して見ていることに気付き、この手法で通すことにしたのだとか。製作をスピードアップできる、かつ製作時の線の勢いをそのままアニメーションとして活かせる手法だと思う。躍動感があって、とても美しい。
 主人公の娘が能動的で、父親からも巡り合った王子からも離れて自力で生きようとする所は、今日的な造形でこれもよかった。彼女が王子からもらった金の義手を捨て、手が不自由なら不自由なりに生活を築いていく姿は、地に足の着いた感がある。果物にかぶりついたり、口も使って畑を耕し種を植える姿は、屋敷で王子を待つ生活よりもずっと生き生きとしている(このパートの作画が素晴らしいと思った)。また、王子が一人の人間として彼女についていくという結末も今の作品らしいなと思った。グリム童話的な血なまぐささや土着の臭いも濃いが、ラストは清々しい。なお本作の悪魔、やたらと諦めが悪くほぼストーカーである。聖なる力や奇跡によって撃退されるのではなく根負けして去るというのが、少女のタフさを際立たせる。

初版グリム童話集(2) (白水uブックス 165)
ヤーコプ・ルードヴィヒ・グリム
白水社
2007-12-12



『TAP THE LAST SHOW』

 天才タップダンサーとして一世を風靡したものの、ステージ上で事故に遭い引退した渡新二郎(水谷豊)。引退から10数年経ち酒に溺れる毎日を送っていた渡の元を、旧友の劇場支配人・毛利(岸辺一徳)が訪ねてくる。劇場を閉めることになったので、最後のショーを渡に演出してほしいというのだ。最初乗り気でなかった渡だが、オーディションに集まった若いダンサーたちを見るうち、本気になっていく。監督は主演もしている水谷豊。
 水谷豊初監督作品、かつ主演作だが、予想していたほど本人は全面に出てこない(演技がちょっとくどいのは気になったけど・・・)。なにはともあれダンサー達をしっかりと見せよう、タップダンスの魅力を伝えようという意思が一貫して感じられる。正直な所お話は少々古臭いし、若い俳優たちの演技も若干厳しい(プロのダンサーたちが演じているので、映画の芝居は本職ではない)。登場人物の造形も、設定は盛っているのに浅くてアンバランスだ。オーディションシーンでのコメディ色が大すべりしているのも痛い。
 しかし、ひとたびダンスが始まるとそういう疵が吹っ飛ぶ。そのくらいダンスシーンが楽しい。終盤の20数分間、ほぼぶっ通しでダンスショーを見せるという思い切った構成だが、これこそ見せたいところなんだよ!という熱気があった。ショーの途中でドラマの都合上観客の表情も映し出されるのだが、客席ショットでショーが中断されるのが勿体ない。確かに観客の反応がないとドラマっぽさは薄れるかもしれないけど、もっとダンスが見たい!という気持ちにさせられる。そう思わせた時点で本作は成功しているのだと思う。
 渡によるダンサーへのしごきは、デイミアン・チャゼル監督『セッション』を彷彿とさせるが、本作の方が私にとって好感度は高い。渡が、自分は去りゆく者だと自覚しており、去る前に若者たちに何か残してやりたいと必死になっていくからだろう。次の世代へ橋渡しするという部分が、ラストで明かされるとある設定でも明らかだが、そこを強調しすぎないのは良かった。とは言え設定を積みすぎな気はするのだが。
 なお、全力投球しているようには見えないのに、そこにいると画面が締まる岸辺一徳はもちろん、毛利の片腕・吉野役の六平直政がチャーミングだった。彼の衣装が一番良かった気がする。三つ揃いが固くなりすぎずに、かわいい(笑)着こなしだった。


 
フラッシュダンス [DVD]
ジェニファー・ビールス
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2013-08-23


『ダブルミンツ』

ごく普通の会社員、壱河光夫(淵上泰史)に1本の電話がかかってきた。発信元は高校の同級生で今はチンピラまがいの生活をしている市川光央(田中俊介)。光夫は高校時代、光央の「犬」として下僕扱いをされていた。光央は「女を殺した、なんとかしろ」と言う。数年ぶりで光央と再会した光夫は彼の共犯者になり、2人の関係は徐々に変化していく。原作は中村明日美子の同名漫画。監督・脚本は内田英治。
 根強いファンがいる漫画なり小説なりが原作の場合、あくまで原作に沿うのか映像作品として新たな解釈をするのか、さじ加減が難しい所だと思う。特に漫画原作の場合はビジュアルのイメージが既に固まっているから、どこまで原作のイメージに寄せるかという部分は活字原作よりもやりにくいだろう。ビジュアルイメージがかけ離れ過ぎたら原作ファンの反感をかう、かといって原作そっくりにすれば映画が面白くなるのかというとそうでもない。本作は、このあたりのどこを寄せてどこを寄せないか、という取捨選択が上手くいっていたように思う。漫画はあくまで原作、実写映画には実写映画としての見せ方があるという、当然と言えば当然のことがきちんとできているなという印象だった。脚本も内田監督が手がけているが、原作の咀嚼・再構成が上手くいっていると思う。
 光夫と光央の関係は、倒錯した主従関係でありつつ、時に主と従が逆転しそうな兆しも見せる。光央は傲慢で光夫を翻弄するが、どこか不安定で脆さも見える。ヤクザにもなりきれず、かといって気質に戻る気骨もない。彼の不遜さはその不遜さをぶつける光夫がいればこそだ。一方光夫は光央に翻弄されているようでありつつ、何でも従うことで逆に光央をじわじわ縛り付けているようにも見える。この反転し続ける共依存的な主従関係はBLの定番ではある(んですよ・・・)が、あえて関係性に名前をつけられないような演出にしているところにわかっている感がある。お互いに執着はあるが恋愛とも言い切れず、おそらく彼ら自身(特に光央は)も自分の行動が何を意味するのかよくわかっていない。あいまいで多面的な関係であるからこそ面白い。
 主演俳優2人が好演していた。わかりやすいルックスの良さではなく、ちょっとアクのある風貌の俳優を起用したのは正解だったのでは。特に光夫役の淵上は、冒頭のオフィスのシーンが大根役者っぽかったので大丈夫かな?と思ったのだが、後半でどんどん追い上げてきた感じ。また要所でベテラン俳優を起用して安定感を保っているので、割と安心して見られた。

ダブルミンツ (EDGE COMIX)
中村 明日美子
茜新社
2009-07-24




下衆の愛DVD
渋川清彦
SDP
2016-11-25


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