3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名た行

『タリーと私の秘密の時間』

 2人の子供に加え、3人目が生まれたマーロ(シャリーズ・セロン)は家事と育児で疲れ果てていた。見かねた兄が夜だけベビーシッターを雇い、マーロの元に若い女性タリー(マッケンジー・デイビス)がやってきた。若いながらも彼女の仕事は完璧。久しぶりにぐっすりと眠り、また自由奔放なタリーとの交流で、マーロは生き生きとした表情を取り戻していく。監督はジェイソン・ライトマン。
 赤ん坊が生まれてからの、授乳、オムツ替え、寝かしつけ、泣く、授乳、オムツ替え・・・というエンドレス早回しにめまいがした。子供が生まれるってつまりこういうことなんだなと。脚本は『JUNOジュノ』『ヤング≒アダルト』でもライトマンとタッグを組んだのディアブロ・コーディなので、素直に「いい話」ってわけではないんだろうと思っていたけど、予想ほどには捻っていない。しかしこの話の場合、捻っていないからこそしんどいんじゃないだろうか。マーロと似た状況のが見たらどう思うのか(確かに強く共感するであろう、あるある!的要素は満載なんだろうけど)ちょっと分かりかねる。傷をえぐらないか心配よ・・・。マーロの、若くて自由なタリーに対する羨望と自分に対する後悔、それに対してタリーが平凡な1日を続けていくことがすごいんだ、と説得する様は、マーロの自分内での葛藤をそのまま再現しているよう。なんてことない1日のありがたさなんて、彼女は当然わかっているだろう。わかっていても、持っていたものを捨てていかなければならなかったことはやはり苦しいのだ。
 マーロの夫は好人物で子供たちは手はかかるが可愛い。元々共働き(マーロが休職中だという台詞がある)すごく金持ちというわけではないが経済的に逼迫しているわけでもない。客観的にはそこそこ幸せに見えるだろう。子育ては大変だが、「とは言え子供はかわいいでしょ」みたいに、大変さが見る側にとって無効化されやすい、当事者が大変さの中に取り残されがちなのかもしれないなとふと思った。いい母親、いい妻、素敵な家庭を成立させるために、どれくらいしんどい思いをしているのかなと。マーロの兄の家はゴージャスで、妻はおしゃれで小奇麗、子供たちもごきげんだが、それはお金の力で家事育児をアウトソーシングできているからだよな・・・。一人でやれることには限界がある。
 マーロがぎりぎりであることが、夫には今一つ伝わっていない。いい人だし世間一般的にはいい夫なのだろうが、当事者としての意識が今一つ希薄。彼は寝る前にTVゲームをするのが習慣なのだが、ヘッドフォンをして音声を外に漏らさないという気づかいはしても、コントローラーの音やTV画面の光が寝る時に邪魔なんじゃないかという所までは気が回らない。まあ話し合いの上での処置なのかもしれないけど・・・。とりあえず、食洗機とルンバを買ったらどうかな(食洗機はあったかも)。

ヤング≒アダルト [DVD]
シャーリーズ・セロン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2013-02-08


JUNO/ジュノ [Blu-ray]
エレン・ペイジ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2013-10-02



『追想』

 1962年、新婚旅行でドーセット州のチェジル・ビーチにあるホテルを訪れたフローレンス(シアーシャ・ローナン)とエドワード(ビリー・ハウル)。海辺を散策してからホテルの部屋に戻ったものの、初夜を迎える興奮や不安で会話は続かず、気まずい空気になってしまう。ついにフローレンスは部屋を飛び出してしまい、エドワードは追いかけるが。原作はイアン・マキューアンの小説『初夜』、監督はドミニク・クック。
 エドワードとフローレンスのどちらかに非があるというわけではない。2人の中のタイミングのちょっとしたずれが、修正されないまま物事が進んでしまったのだ。そしてどたんばで修正するには、2人はまだ若すぎたのだろう。更に、この時代、この土地柄でなければまた違った展開があったのではないかと思わせられる。人生の殆どは運とタイミングで決まるのではなかろうか。
 人生の一つの可能性が失われる様は哀感漂うのだが、あくまで可能性の一つでしかない。それで2人の人生がダメになるわけではないし、悪い方に進んだと言えるわけでもない。一つの分岐を迎えただけだというクールなタッチで描かれている。本作、脚本を原作者であるマキューアンが手がけているのだが、「その後」の描写には、マキューアンちょっと丸くなったかな?とも思わされた。ほろ苦いがそれほど辛辣ではない。作家本人が年齢を重ねたせいかもしれない。若い頃に感じたこの世の終わりだ!みたいな痛切さって、後から振り返るとそこまで深刻ではなかったりする。その時は大層辛くても、とりあえず人生は進行していってしまう。そこが救いでもあり物悲しさでもある。
 フローレンスとエドワードのくい違いはセックスそのものというよりも、生まれ育った環境や階級(フローレンスの両親があからさまに嫌な顔をする・・・)、関心を持っているものの相違が積もり積もって爆発したと言った方がいいのだろう。音楽の好みの違いがわかりやすく(分かりやすすぎるくらい)その差異を象徴している。しかし一方で、2人の気持ちがぴたりと重なっていた瞬間、深く理解しあった瞬間もたくさんあることがわかるので、切なさが増す。愛は確かにあったのだ。フローレンスがエドワードの家を訪問するエピソードは本当に美しい。エドワードの母親への対応を見て、彼が泣いてしまうのもよくわかる。上手くいく可能性も当然あったんだよな。それでもタイミングがずれるとすれ違ってしまう。

初夜 (新潮クレスト・ブックス)
イアン・マキューアン
新潮社
2009-11-27


愛の続き (新潮文庫)
イアン マキューアン
新潮社
2005-09


『つかのまの愛人』

 大学で哲学を教えている教師ジル(エリック・カラヴァカ)は教え子のアリアーヌ(ルイーズ・シュヴィヨット)と同棲している。ある日、ジルの娘ジャンヌ(エステール・ガレル)が転がり込んできた。恋人に振られやぶれかぶれになっていたのだ。同い年のアリアーヌとジャンヌは、ジルの恋人と娘という微妙な関係ながら、徐々に親密になっていく。監督はフィリップ・ガレル。
 ガレル監督作品は一貫して愛、恋愛を描くが、いわゆる美しい恋愛、甘美な恋愛にはあまりお目にかからない。甘美な瞬間はあるかもしれないが一転して苦くなり、時にイタく滑稽だ。ジャンヌの悲壮感と独占欲は空回りする。あなたと付き合ってからすごく自由なの!と言うアリアーヌに対しジルは同意するが、いざ彼女が「自由」である現場を目撃してしまうと嫉妬に悶え全然「自由」ではない。そしてアリアーヌはジルの「自由」に対する言葉を(意外なのだが)額面通りに捉え、後々大後悔する。愛と恋に自由はないのか、愛とは不寛容なのかとため息が出そう。
 アリアーヌとジャンヌは恋愛のあり方も服の好みも対称的で、あまり共通点はないように見える。お互い、ジルを巡るちょっとした嫉妬や混乱もあり、突発的に八つ当たり的な態度を取ったりもする。しかし、そういう行動の後ですぐに謝ったり、フォローしようとする。ほどほどの優しさと思いやりがあり、意外と2人の関係性は心地よさそうなのだ。2人とも方向性は違うが結構真面目で、自分に正直だ。
 アリアーヌは「女ってそういうもの」というように大きい主語をしばしば使うが、ジャンヌにとっての主語は常に「私」であるように思った。女性は何だかんだ言ってもこういうことには耐えられるものなのよと言われても、私は今辛いし耐えられない!というわけだ。ジャンヌは取り乱しているようでいて、自分の感情・欲望をちゃんと理解している。対してアリアーヌは自分の欲望に自覚的でその行使にも躊躇がないが、それがどういうものか(他者との関係性の中でどのように働くか)については意外と無自覚なようにも思った。2人の女性の対称性が、愛の顛末の皮肉さを含めて面白い。女性2人の存在感が強く、ジルはどうも蚊帳の外という感じだった。そもそもいくら口説かれたとは言え、娘と同い年の教え子と密かに同棲って、しょうもない奴だよね・・・。

パリ、恋人たちの影 [DVD]
クロティルド・クロー
紀伊國屋書店
2017-08-26


ジェラシー [DVD]
ルイ・ガレル
オンリー・ハーツ
2015-05-08




『正しい日、間違えた日』

映画祭に招かれたものの、予定より1日早く到着してしまった映画監督のハム・チュンス(チョン・ジェヨン)は、観光名所で魅力的な女性ユン・ヒジョン(キム・ミニ)と出会う。チュンスは彼女をお茶に誘い、更にお酒も入っていい雰囲気になるのだが。監督はホン・サンス。
原題の直訳だと「今は正しくあの時は間違い」という意味になるそうなので、邦題とはちょっとニュアンスが異なる。ただ作品を見ると、どちらの題名もちょっとそぐわないかなという気がしてきた。男女の出会いを2通りの展開で描いた作品で、前半でパターンA、後半でパターンBというような2部構成になっている(A、Bという章タイトルは付けられておらず、私が便宜上そう呼んでるだけ)。
 酔った男女のかけひきって、見ていてこんなにいたたまれないものだったっけ?と見ながらむずむずが止まらない。チョンスは明らかにヒジョンに好意があるが、いい年齢の大人の言動とは言い難い。「かわいい」の連呼なんて泥酔した大学生じゃあるまいし・・・。世間の噂によれば、彼はモテて女癖の悪い人らしいので、成功体験からくる言動なんだろうけど、よくこれで口説き成功してきたな!とは言えヒジョンもやぶさかではない感じだし、成功していると言えばしている。
 とはいえこのいい雰囲気は長くは続かない。AパターンでもBパターンでも何かしらに腰を折られ、険悪か険悪でないかという違いはあれど、2人の人生はすれ違っていく。AとBのどちらが正しくてどちらが間違いかなど、結局わからないのだ。どちらも間違いとも言えるし、交わらない運命だとするならどちらも正しい。曖昧さ、どうともならない儚さと滑稽さが余韻を残す。
 それにしても、ホン・サンス監督作に登場する映画監督は、大概クズ味がひどいな・・・。映画監督として評価はされているが、特に女性関係での脇の甘さや失礼さ(でもそこそこモテるところがイラっとする)は自虐ギャグなんだろうか。

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『デッドプール2』

 最愛のパートナー・ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)を取り戻し順風満帆だったデッドプールことウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)。彼の前に、1人の少年を殺す為に未来から来たサイボーグ、ケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れる。ヴァネッサと「良い人間になる」と約束していたデッドプールは特殊能力を持った仲間を集めて「Xフォース」を結成、少年を守ろうとするが。監督はデビッド・リーチ。
 Xメンやアベンジャーズのアメコミ映画のみならず、往年の名作から最近の珍作に至るまで、映画全般に関するネタが増量されている。OP部分はビジュアルも音楽の傾向も007オマージュなんだろうなぁ。本作を見ている人ならこのネタがわかる率が高いだろう!という観客に対する信頼(つまりサメがあれこれする映画とかお前ら好きなんだろ?って思われているということですが・・・)に基づき作られているように思う。もっとも、普段映画見ていない人でも十分楽しめるであろう作りで、そのあたりは堂々たる娯楽映画。
 過激なギャグが多いと言われる本シリーズだが、私はむしろ見ていて安心感があった。デッドプールは人殺しだしやっていることは非道ではあるのだが、どの分野の人に対しても基本的にフェアで属性による差別をしない。ここを押さえているので、下品なことをやっていても作品としてはあまり下品には感じられず、むしろすごく真面目に思える。特に女性の扱いがフラット(ヴァネッサとあれだけファックしている前作ですらも)なので、不愉快な要素が少ない。ここまでPCに配慮するヒーローはなかなかいないのでは・・・。もはやPCをギャグとして使う域だからなぁ。
 今回、タイムマシンが登場するので、これは歴史改変になってしまわない?そのあたりすごくざっくりそうだったけど大丈夫?と気になっていたのだが、やはり結構ざっくりとしている。とは言えデッドプールのキャラクターで何となく乗り切っている。デップーのキャラをここまで作り上げたレイノルズは本当にえらいよ・・・。とは言えどんなにタイムマシン使ってもあの黒歴史のことは忘れないよ!なかったことにしないで!

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『蝶の眠り』

 人気作家の松村淳子(中山美穂)は、母親同様に50代で遺伝性のアルツハイマー病に侵されていた。自分の思考がはっきりしているうちに小説以外のこともしようと、大学講師として教壇に立つことにする。ある日、学生らと行った居酒屋で、韓国人留学生チャネ(キム・ジェウク)と知り合い、犬の散歩や原稿の文字起こしを手伝ってもらうことに。監督・原案・脚本はチョン・ジェウン。
 監督自ら原案・脚本も手掛けており、結構力を入れたやりたかった作品なのだと思うが、日本公開された『子猫をお願い』の印象が強い身からすると、えっこういうのやりたかったの・・・?と、戸惑いを隠せない。キュートでありつつも苦味の強かった『子猫~』に対して、本作は多分に少女漫画的なメロドラマで、とてもロマンチック。主演の中山がまた妙に可愛らしくて、言動からもあまり貫禄、落ち着きがある女性という役柄に見えないのも一因か(衣装を含め、本当に可愛いのよ・・・)。全体的にふわふわしている。作中小説がこれまた典型的メロドラマのようで(そういう作品主体に書いている人気作家という設定みたいだからしょうがないんだけど)、あまり面白そうじゃないのがちょっと痛い。朗読される小説の文には、特に魅力がないんだよね。
 ただ、美しくオブラートでくるんだ中にも、文章を書く、自分の思考を整理していくことが生業の人がそれをできなくなっていく、無秩序な世界に突入していくことに対する怖さは滲んでいる。当人には徐々に何が起きているかすらわからなくなっていくという所が残酷だ。また、トイレから出てきた淳子のボトムのファースナーをチャネがそっと上げるシーンが堪えた。いつも身ぎれいにしている人がそういう風になるというのが辛い。淳子がやがてチャネを遠ざけようとするのも無理ない。一方的な行為に見えるかもしれないけど、やっぱりそういう姿を若い恋人には見られたくないし、介護させたくないよな・・・。愛があればなんとかなるってものじゃないから・・・。


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ポニーキャニオン
2005-01-19




『タクシー運転手 約束は海を越えて』

 1980年5月の韓国。民主化を求める大規模な民衆デモが起こり、光州では軍が戒厳令をしき、報道も規制されていた。ドイツ人ジャーナリストのマルゲン・ヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)は取材の為光州へ向かう。彼を送迎することになったタクシー運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)は報酬欲しさに機転を利かせて検問を突破。何とか光州市街へ辿りつくが。監督はチャン・フン。
 近年、光州事件(と当時の時代背景)を題材にした韓国の文学、映画等が目につくようになったが、映画や小説の題材としてがっぷり取り組むことができるくらいに時間がたったということなのだろうが。何にせよ、自国の負の歴史を再検証し、かつエンターテイメント作品に落とし込める所に韓国映画のタフさ、成熟度を見た感がある。本作、本国でも結構な動員数だったそうなので、映画を見る層の厚さとリテラシーがそもそも日本と違う気がする・・・。
 戒厳令下の光州が舞台で、非常にシリアスな背景なのだが、人情ドラマとして、活劇として、まさかのカーアクション映画として面白かった。もうちょっと短くてもいいなとは思ったのだが(マンソプの動線設定に無駄が多いように思う)、サービス精神旺盛なエンターテイメントだと思う。史実(ヒンツペーターは実在の記者)を元にしているが、絶対にここはフィクションだ!という部分がクライマックスにあり、その絶対にフィクションな部分が本作の核になっているように思った。そこでやっていることは映画としてのフィクションなのだが、彼らの気持ちは当時実際にいた市井の人々の気持ちと同じことなのではないだろうか。
 マンソプは政治には興味がなく、光州のデモについても、学生ならデモなんてやらずに勉強しないと親不孝だと言う(そもそも報道規制がされており電話も遮断されていて光州の実情が外部にはわからないのだが)。「韓国は世界一住みやすい国だ」と言う彼が光州で見たものは、その「世界一住みやすい国」が市民に何を強いているのかという現実だった。どこかの変わった人達の反乱ではなく、自分と同じように普通に生きてきた人が、これはおかしいと声を上げていたのだ。一刻も早くソウルに戻りたがっていたマンソプだが、光州の出来事が彼の中で他人事ではなくなっていく。この他人事ではない感覚、映画を見ている側にとっても同じなのではないかと思うし、そこを狙って作られた作品だと思う。



光州5・18 スタンダード・エディション [DVD]
イ・ジュンギ
角川エンタテインメント
2008-12-05

『ダウンサイズ』

 ノルウェーの科学者によって生物を縮小化する方法が発見され、身長180㎝の人間なら13㎝まで小さくなることが可能になった。環境破壊や食糧問題を解決する方法として注目され、各国で「ダウンサイズ」を選ぶ人々が徐々に増え、ダウンサイズされた人たちが暮らすコロニーも各地に建設されていく。ネブラスカ州オマハに暮らすポール・サフラネック(マット・デイモン)は少ない貯蓄でも豊かに暮らせるというダウンサイズされた世界に魅力を感じ、妻オードリー(クリステン・ウィグ)と共にダウンサイズを決意。しかし土壇場でオードリーは逃げ出してしまう。監督はアレクサンダー・ペイン。
 生物縮小技術によって人口増加による環境破壊を防ごうというのが話の発端なので、SF的な要素を含む話なのかなと思っていたら、予想外の方向に転がっていく。ダウンサイズはあくまで入口であって、そんなに大きい要素ではないと思う。ペイン監督作品の中では最もユーモラスなのでは。
 ポールは目新しい技術を知ったり、有名人に出会ったりすると、てらいなく「すごい!」と感心する単純で直な性格だ。またお人よしで「すごい!」と思った物事や人には影響されやすく流されやすい。ポール自身は平々凡々でこれといった資産もキャリアもなく、医大を退学せざるを得なかったというコンプレックスが少しある。自分は平凡で何者でもないと感じているからこそ、「何者か」である有名人に惹かれるのかもしれない。そこで変にひねくれたりしないところが、ポールのいい所なのだ。相手に流されやすいというのは、相手を肯定しているという側面もあるんだなと彼を見ていると思う。
 また理学療法士をしてたポールはお人よしと揶揄されるくらい、基本的に誰かの役に立ちたい人で、そのために自分のスキルを提供することにためらいがない。それだけで立派だと思うけど、当人としてはそれだけでは「何者かになった」気がしないんだろうなぁ。
 このポールの素直さ、流されやすさが、彼を予想もしなかった境地に連れて行く。彼を引っ張っていくのは東欧から来た商人であるドゥシャン・ミルコヴィッチや、インドネシアの活動家ノク・ラン・トラン(ホン・チャウ)等、アメリカ人ではなく外から来た人たちだ。一旦は文字通りの小さな世界に収まっていたポールが、街を越えコロニーを越え国境を越えていき、どんどん世界が広がるという爽快さ。視野が広くなるというよりも、どう流されても自分は自分であり続けるのだと確認するための旅みたいだ。流されるのも悪くないかもしれない。

ファミリー・ツリー [Blu-ray]
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2013-06-05


縮みゆく男 (扶桑社ミステリー)
リチャード・マシスン
扶桑社
2013-08-31



『デトロイト』

 1967年の夏、ミシガン州デトロイトでは社会に対する黒人たちの不満が噴出し、暴動が起きていた。暴動が起きてから3日目の夜、アルジェ・モーテルの一室で銃声が響いた。デトロイト市警、ミシガン州警察、ミシガン陸軍州兵らがモーテルに押し入り、ピストルの捜索・押収の為に黒人宿泊客らを拘束する。デトロイト市警の白人警官たちによる強制訊問は一線を越えていく。監督はキャスリン・ビグロー。
 アメリカ史上最大の暴動と言われるデトロイト暴動の最中のある一夜を、当事者への取材を元に描いた作品で、当時の報道映像なども挿入されている。ビグロー監督作の中では一番編集がタイトで緩みがない印象。物語の核心となる一夜の出来事があまりに緊張感張りつめていて目が離せないというのもあるが、その前のシンガー志望のラリー(アルジー・スミス)らの初ステージがおじゃんなる流れ、警備員ディスミュークス(ジョン・ボイエガ)の仕事の仕方、白人警官クラウス(ウィル・ポールター)が商店から出てきた黒人を銃撃する流れ等、群像劇としての手さばきがいい。ラリーの無念さが滲む空席の劇場のシーンや、クラウスの無自覚な差別が不穏さを煽る。「一夜」への前振りをきちんとしているので、モーテルで彼らが顔を合わせた後の展開が更にきつく感じられるのだ。
 クラウスたちはたまたまモーテルにいた黒人たちが銃を所持していると決めつけ、彼らに不当な取り調べ(というより拷問)を行う。同じく宿泊していた白人女性2人に対しても、「黒人と寝た娼婦」と決めつける。彼らは自分たちが差別をしているという意識や、不当な捜査をしているという意識は希薄だ。人間、こいつには何をやってもいいんだという前提が自分の中にあると、本当に何でもやりかねないという恐ろしさを突き付けてくる。1人の警官の思考停止振りには唖然とするが、クラウスなどはむしろ治安の為の正当な行動だと思っているんだろうし、自分内の前提条件に疑問を持たない。クラウスたちが特殊なのではなく、こういう構図に置かれると誰でもそうなりかねない(今まさに自分がそうなっているかもしれない)ということの怖さだ。州兵や州警察は市警がやりすぎだと思っても我関せずで何もしない(それぞれの縄張り争い的なものもあるのだろうが)。はっきりと「人種問題には関わりたくない」と言う人もいる。そこで何か介入しておけば事態は変わったのに!とはがゆくなるが、「我関せず」という態度は自分もやってしまいがちなので非常に耳が痛い。あまり見たくないもの、直面するとしんどい(が考え続けなければならないこと)を延々と見せられるような作品だ。
 昼間は工場の作業員として、夜は警備員として働くディスミュークスは、黒人側と白人側を行き来しつつバランスを保つ。州兵に対して親切に振舞うのも、黒人少年をたしなめるのも、彼の人柄であると同時に処世術としてずっとこういう振舞いをしてきた人なんだろうなと窺えるものだ。モーテルでの彼は警察に協力する素振りを見せつつ、モーテルの客たちへの被害を食い止めようとする。しかし、彼に出来ることはわずかだ。この、「出来ることはわずか」という点が最後まで徹底している。あれだけ耐え忍んだのにこの仕打か!という顛末には、そりゃあ嘔吐もするよな!といたたまれなくなる。エンドロール前の「その後」のテロップで、現在進行形の問題であることが強く意識され更に辛くなる。ビグロー監督は『ハート・ロッカー』でも『ゼロ・ダーク・サーティ』でも辛さを避けなかったが、本作は特にそうだと思う。

ゼロ・ダーク・サーティ スペシャル・プライス [Blu-ray]
ジェシカ・チャステイン
Happinet(SB)(D)
2014-06-03



ゲット・アウト ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]
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NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2018-04-11

『ダンシング・ベートーヴェン』

 1964年に初演され、20世紀バレエ史上に残る傑作と謳われた、モーリス・ベジャール率いる20世紀バレエ団による演目。それはベートーヴェンの『第九交響曲』を踊ったものだったが、ベジャール亡き後は再演は不可能と言われてきた。その伝説的な演目が、2014年にモーリス・ベジャール・バレエ団と東京バレエ団の共同制作として再演された。その過酷な練習やリハーサルを追うドキュメンタリー。監督はアランチャ・アギーレ。
 総勢80人余りのダンサーとオーケストラ、ソロ歌手と合唱団という非常にスケールの大きい、加えてダンサーへの要求が過酷な演目の為、なかなか再演が難しい演目だそうなのだが、これは生で見て見たかったとつくづく思う。私はバレエもクラシックも門外漢なのだが、本作で撮影された『第九』はエネルギッシュで美しく、素晴らしい。スペクタクル感が強烈だ。
 ベジャールの振り付けって、やっぱりすごかったんだなと実感した。当然『第九交響曲』をダンスで表現しているわけだが、ダンスを介することで、この曲はこういう構造だったのか、こういう音楽だったのかと再発見したような気持ちになる。こんなに力強く、生命力に満ちた楽曲だったんだなー。『第九』というと年末に必ず聴くよなというイメージしかなく、そんなに好きな楽曲というわけでもなかった(そもそも私はさほどベートーヴェン好きではない)のだが、ダンスを見ていると何だか『第九』を好きになってくる。この「改めて見せる・聞かせる」力を持つダンスであると言う部分が、この演目の非凡さなのだと思う。
 人類の多様性を意識して演出された演目だそうだ。本作中の公演でも、バレエはアジアの東京バレエ団とヨーロッパのモーリス・ベジャール・バレエ団(ベジャール・バレエ団の中だけでも国籍・人種は様々)との合同だし、オーケストラはイスラエル・フィル。実際に総勢350名ほどのアーティストが参加しており、このあたりは「多種多様」を意識したものだろう。とは言え、一般から公募したと思しきダンサー要因(ダンサーとしての技能は素人)たちが皆黒人で、これは多様性を意識して逆に肌の色で括るような感じになっていないか?と疑問に思った。本作だとつかわれている映像が断片的なので、どういう文脈で彼らが選ばれたのかわからないのだ。そのあたり、何か説明して!もやもやしちゃう。

ベジャール、そしてバレエはつづく [DVD]
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2010-06-02


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2004-12-10

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