3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名た行

『誰もがそれを知っている』

 ラウラ(ペネロペ・クルス)は妹アナの結婚式の為、家族と共に暮らすアルゼンチンから2人の子供を連れスペインの実家に里帰りする。ワイン農場を営む幼馴染のパコ(ハビエル・バルデム)とも再会し、結婚式も披露宴のパーティーも大いに盛り上がる。しかしパーティーのさ中、ラウラの娘イレーネが姿を消す。身代金を要求するメールが届き、誘拐されたことが判明するが、それぞれが解決の為に奔走する中、家族の秘密があらわになっていく。監督はアスガー・ファルハディ。
 この邦題はちょっと意地悪。当人は自分達だけの秘密だと思っているのに、周囲はなんとなく事情を察しているという・・・この田舎社会感が辛い!誘拐事件をきっかけに、お互いに隠していた「ということになっている」こと、取り繕っていたことがどんどんほつけて露呈していく。なかなかいたたまれない話なのだ。舞台が都会だったら、ここまで人間関係煮詰まらないような気がする。村の外に出にくい、社会の中での関係性が限定されているという所が事態をこじらせているように思った。そもそも事件のきっかけも、ここから出ていきたいという願望からだろうし。
 ファルハディ監督の作品は、人間の心理の不可思議、矛盾を精緻な脚本で描くという印象がある。本作も人の心のミステリを描いてはいるが、これまでの作品の模倣というか、ちょっと手くせで作ってしまったような印象を受けた。よくある話、凡庸な線でまとまってしまい、いまいちキレが鈍い。クルスとバルデムというスター俳優を使ってもスター映画っぽくはなっていないあたりは面白かった。俳優優先ではなく、作品のパーツとしての俳優なんだなと。
 男女の人間関係、家族間の人間関係のこじれやすれ違いはもちろん厄介なのだが、ラウラの一族が地元の人間に対しうっすらと優越感を抱いていることが、お金の問題が発生するに伴いポロポロ表面化していくるところにぞわっとした。差別発言、相手をさげすむ言葉がナチュラルに出てくるが、発する当人はその差別意識に無頓着なのだ。ラウラの父親の振る舞いは醜悪と言ってもいいのだが(そもそもお前のせいで没落したんだろ!と突っ込みたくなるし)、多分本人はそういう意識はないんだろうなぁ・・・。男女の因果よりもこっちの方が厄介に思えた。この一家、実は地元では好かれていないのでは・・・。


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『ドント・ウォーリー』

酒びたりの日々を送るジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)は交通事故で胸から下が麻痺し、車いす生活になってしまう。更に酒に溺れるキャラハンだが、アルコール依存症の互助会に参加するうち、徐々に立ち直っていく。そして風刺漫画家として歩みだす。監督はガス・ヴァン・サント。
キャラハンの車いす生活や風刺漫画家としての開花と成功は、大きな要素ではあるもののあくまでサブストーリーであるように思った。軸になっているのはアルコール依存症からの立ち直りだ。彼がアルコールに溺れる原因はどこにあるのか、自分と向き合っていく様が、過去と現在を行き来しながら描かれる。そんなに劇的な構成ではなく、むしろ平坦にも見えるのだが、少しずつしか歩めないものである、(作中で言及されるように)回復に劇的な瞬間などないという所がポイントなのだ。一歩進んで二歩下がる、を延々と続けていく。
断酒会の様子がなかなか良い。ずけずけ物を言う人もどこか憎めないし、それぞれ事情がある中、時に失敗しつつも踏ん張っているのだろうと思える。会の“スポンサー”であるドニー(ジョナ・ヒル)は多額の遺産を相続し何一つ不自由ない優雅な生活を送っているように見えるし、ちょっと新興宗教の教祖的なうさんくさい雰囲気もある。しかし、彼がこの境地に辿りつくまでにはやはり苦しかったし、今もまた苦しいのだと徐々に見えてくる。終盤のキャラハンと彼とのやりとりは、彼がキャラハンに渡したかったものがちゃんと渡された、かつやはり「互助」なのだということを感じさせしみじみと良かった。
キャラハンの漫画は過激だという触れ込みで、あえて差別的な表現もしている。彼のガールフレンドはそれについてあっさりと「あなたは古い」と言い放つ。多分、今だったらもっと古く感じるだろう。彼の「過激さ」というのはそういうもので、表現も価値観も時代と共に常に変化していくのだと示唆される。このあたりは、キャラハンの表現を必ずしも全面的には肯定しないという、監督の倫理観なのかなと思った。
登場する人たちは基本的に皆いい人だ。困った奴、どうしようもない奴はいても悪人ではない。とはいえルーニー・マーラ演じるガールフレンドはあまりに理想的で天使すぎないかと思った。キャラハンの脳内彼女なのではという疑いを最後までぬぐえなかった。

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『魂のゆくえ』

 ニューヨーク郊外の小さな教会の牧師トラー(イーサン・ホーク)は、ミサにやってきた女性メアリー(アマンダ・セイフライド)から、夫マイケルが悩んでいるので話を聞いてやってほしいと頼まれる。環境活動家のマイケルは環境汚染を心配するあまり、メアリーが妊娠中の子供を生むことが正しいのかどうか葛藤していた。更に。トラーは自分が所属する教会が、環境汚染の原因を作っている企業から多額の献金を受けていると気づく。監督はポール・シュレイダー。
 トラーは神父なので、仕事でも私的な課題としても、信徒と、自分自身との対話を続ける。神父という立場からは対話をはぐらかすことはできない。自分自身に対しては可能だろうが、彼は自分への枷としてそれをよしとしない。この対話が彼を追い詰めていく。トラーの自分内ロジック、ともすると思いこみが暴走していくところ、更にそれが何の役にも断っていないというところは、シュレイダー監督が脚本を手掛けた『タクシードライバー』とちょっと似ている。自分の行動の動機を勝手に他人に託してしまっているきらいがあるところも。メアリーに対する思い入れは、ともすると彼の一方通行っぽく見えてしまい少々危うい。
 信仰の話なのかと思っていたら、どんどんそれていき予想外の方向へ。信仰そのものというより、現状の、大企業的教会の一支部として、人道的とは言えない事業もしている大企業の献金を受けないと維持できないという、現状に対する葛藤と言った方がいいのか。とは言え、トラーは元々環境問題に強い関心を持っていたわけではなさそうだ。急にのめりこんでいくのでどうしちゃったの?と不安になる。彼が本来向き合わなくてはならない問題は別にあり、そこから逃れる為に手っ取り早く目の前の問題に飛びついているようにも見えるのだ。
 トラーの信仰は彼の息子が死んだときに既に死に向かい始めていたのではないかと思える。とはいえ、彼が救われるのは全く信仰によってではない!結局それか!という意外性というか、脱力感というか・・・。何とも奇妙な終盤。こうであればいいのにというトラーの幻想であるようにも思えた。でもそこに救いを見出されてもなぁ・・・。やはり他人に諸々託しすぎでは。

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『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』

ピーター・ゴドフリー=スミス著、夏目大訳
心、意識はどのように生じてきたのか。哲学者であり熟練のダイバーでもある著者が、生物の進化を追いつつ、脊椎動物とは全く異なる頭足類、タコやイカの仲間の生態の観察から、生き物の心の存在を考える.
本著の冒頭で、原文のmindに「心」、interlligenceに「知性」、consciousnessに「意識」という訳語を当てていることが編集部により記されている。加えて、英語のmindは心の機能の中でも思考、記憶、認識という人間で言う所の主に頭脳の働きを想起させる言葉だと解説されている(なので本著内で言う「心」は英語での意味)。いわゆる日本語で言う「心の動き」とはちょっと異なるということだ。タコの「心」、精神活動についてもこの英語/日本語の差異と似たところがある。人間が想像するタコの精神活動はあくまで人間の視点によるもの、タコの精神世界はタコ独自のもの、タコの身体に基づいたものだという本著の内容が、この前置きに既に現れている。タコの知能が高いという話は聞いたことがあったが、本著によると思っている以上に頭がいい(ただ人間にとっての「頭の良さ」とはちょっと違う所もある)。映画『ファインディング・ドリー』で描かれていたタコの行動はちゃんと事実に基づいていたんだな・・・。基本群れない生き物だが条件によっては小さい社会のようなものを形成するという所や、好奇心旺盛で「遊び」的な行動も見せるという所は新鮮だった。彼らの知能は定型を持たない身体と深く関わっているらしいという点も。ガワが決まると中身も決まるという側面はあるんだろうな。

『立ち上がる女』

 アイスランドの田舎町に住む合唱団講師のハットラ(ハルドラ・ゲイルハルズドッティル)にはもう一つの顔があった。環境活動家として、地元のアルミニウム工場に停電攻撃を仕掛けていたのだ。ある日、彼女の元に4年前に申請していた養子縁組が受け入れられたという知らせが届く。監督はベネディクト・エルリングリン。
 協力者の議員や双子の妹に反対されても我が道を突き進むハットラの姿は力強い。活動家としての手腕は結構なもので、冒頭のボーガンの使い方を見ているだけでも彼女のことをちょっと好きになってしまった。彼女の活動に対して、環境問題は大事だけど周りの人に迷惑がかかるようなやり方ってちょっと・・・と思う人は大勢いるだろう。ヨガのインストラクターであるハットラの妹も、姉の主義は尊重しているが暴力的な方法には賛成できないと彼女を諌める。しかし、ハットラの世間への迎合しなささ、自分を曲げない様を見ていると、(それが今の風潮に即さないものだとしても)いっそ清々しくて、誰かの迷惑なんて考えてられるかよ!正しいと思ったことをやりたいんだよ!って気分になってくる。彼女の中での優先順位がすごくはっきりしているのだ。
 とは言え、ハットラにも迷いはある。活動家である自分が幼い子供の保護者として責任を保ち続けられるのかということだ。これが、自分に母性があるのか女性としてこの生き方でいいのか等ではなく、保護者として適切だろうか(何しろそこそこ危険なことをしているので突然いなくなる=保護者としての責任を果たせなくなる可能があるのだ)という迷い方な所がとてもよかった。あくまで彼女個人(と引き取る子供)の問題であり、世の中のくくりやカテゴリを想定したものではないのだ。自分にとって、自分の家族となる存在にとってベストな道、生き方になるのかを考えている。彼女の妹が、姉のそういう生き方に賛同はしないが理解し尊重しているというのもいい。登場人物に対して個人としての尊重が保たれている映画は、やはり見ていて安心できる。
 音楽の使い方がとてもユニーク。ブラスバンドとウクライナ(ハットラが養子にしようとしている少女がウクライナ人)の合唱団によるものなのだが、背景に楽団が登場してそのまま演奏するのだ。背景に徹するのかと思ったら登場人物と目を合わせたりとちょっとしたコミュニケーションを取ったりもするので、これは何事?!と笑ってしまう。しかしとぼけたユーモアがあり、またハットラに寄り添い勇気づける存在にも見え、気分が和む。音楽自体もかっこいい。

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『天国でまた会おう』

 第一次世界大戦の終結目前。ドイツ軍との停戦が成立するかに見えたが、“戦争好き”なフランス軍のプラデル中尉(ローラン・ラフィット)は理不尽な攻撃命令を下す。戦場でフランス軍兵士のアルベール・マイヤール(アルベール・デュポンテル)は、若い兵士エドゥアール・ペリクール(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)に助けられる。アルベールを助けたことで、エドゥアールは顔の下半分に重症を負う。エドゥーアールは名門銀行家の息子だったが家族とは絶縁状態で、自分は死んだことにしてくれとアルベールに頼み込み、断りきれないアルベールは戦後も彼を引き取り同居するようになった。エドゥアールには絵の才能があり、その才能を活かした詐欺計画を思いつく。原作はピエール・ルメートルの同名小説。監督はアルベール・デュポンテル。
 原作は結構なボリュームなのだが、ダイジェスト感強いとは言え意外と忠実に映像化されている。時代劇としての美術の面白さやエドゥアールが自作する仮面の美しさ等、ビジュアル面に魅力がある。俳優も皆ハマっており良かった。ビスカヤートは物語中盤以降、ほぼ顔を隠して出演しているが、体の動きのしなやかさや、目の表情の豊かさに魅力がある。多分、目でどれだけ演技が出来るかという部分で役が決まったのではないかなと思う。
 アルベールとエドゥアールは、彼らにとっての戦後を生きているわけだが、彼らの人生から戦争の影が消えることはない。エドゥアールの顔には修復しようのない傷が残っているし、アルベールは元の仕事(銀行の簿記係)に戻れず給料の安い半端仕事を転々としている。何より同じ兵士として戦地に赴いた若者たちが無残に死ぬ様を見てしまっている。そして、彼らを戦地に送り込んだ政治家や指揮する上官たち、そして戦争で儲ける資本家たちは安泰なままだ。エドゥアールが思いつきアルベールを巻き込んでいく詐欺計画は、自分たちの運命を翻弄した戦争そのもの、そして戦争で儲けた、自分たちを食い物にした者たちへの復讐だ。そして、自分たちの正当な分け前を取り返すという意味合いもあるのだろう。ピカレスクロマンであると同時に、広義の戦争映画なのだ。社会的な「終戦」が訪れても個人の中の戦争は終わらないということに、最後の最後まで言及されている。
 更にエドゥアールにとっては、絵にかいたような資本家であり自分とは相いれなかった父親への意趣返しでもある。映画では、エドゥアールと父親との関係が原作小説よりもクロースアップされており、この部分はよりエモーショナルだった。関係がいくばくか修復されることと、取り返しのつかなさが一体となっており切ない。エドゥアールがあの瞬間の為に生きていたように見えてしまうのは、ちょっと感傷的すぎないかとは思うが。

天国でまた会おう(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ピエール ルメートル
早川書房
2015-10-16


天国でまた会おう(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ピエール ルメートル
早川書房
2015-10-16


『天才作家の妻 40年目の真実』

 現代文学の巨匠と称されるジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)がノーベル文学賞を受賞することになった。妻ジョーン(グレン・クローズ)は共に喜び、息子のデビッド(マックス・アイアンズ)を伴い授賞式が行われるストックホルムへ赴く。しかしライターのナサニエル(クリスチャン・スレイター)がジョゼフの作品はジョーンの手によるものではないかと疑問をぶつけてくる。監督はビョルン・ルンゲ。
 クローズは本作で第91回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされているが、それも納得。微笑だけでいくつもの感情、シチュエーションを感じ取らせる名演技だったと思う。人懐こいがちょいちょいクソ野郎感を醸し出すプライスの演技も的確。ストーリーやビジュアルはそんなに凝ったものではないので、俳優の演技を見る映画としてのウェイトが高いのは否めない。とは言え、やはりクローズの力で面白く仕上がっている。スレーターを映画で見るのも久しぶりなので嬉しかった。本作のナサニエルような、饒舌さが鼻につくがどこかチャーミングな役が似合う。
 冒頭、ベッドでのくだりで、ジョゼフはちょっと(いや大分、だろうか)無神経なのでは?と気になった。隣で寝ている人がいるのにわざわざベッドで夜食食べる?その後ジョーンとセックスする流れも、冗談交じりとは言え自分の欲求優先で(ジョーンの睡眠欲はどうなる)いい気がしない。、見ていくうちにその気になり度合いがどんどん高まっていく。彼は基本的に好人物でジョーンのことを愛しているのはわかる。ただ、ジョーン(に限らず家族や他の人が)何を考えているのか、自分の言動が何を意味することになるのかに無頓着で、それが無神経さに感じられるのだ。言葉を扱う職業なのに、相手にかける言葉の選び方は軽率だ。特に息子に対してはもうちょっと言いようがあると思うのに・・・。
 対してジョーンは常にそつなく感じが良い。正に「内助の功」的妻として振舞う。が、それが彼女の本意というわけではないこともそこかしこで感じられる。女性は結婚すると〇〇の妻、〇〇の母という呼ばれ方になってしまう。黙っているからと言ってそれらに納得しているというわけではないのだ。ジョゼフの言動はジョーンのその納得していなさを全く理解していないものだと思う。ジョーンが重要な話をしようとするたびに何かしらの出来事が起き話の腰を折られるのだが、この夫婦はずっと、こういう感じでやり過ごしてきたんじゃないかと思った。
 ジョーンとジョセフが何をやったのかはあっさりと明かされてしまうので、ドラマとしては少々物足りない。しかし、最期にジョーンが見せる微笑みは、最大のイベントはこれから、本作で語られたことの後に起こるんだろうなと思わせるものだ。

天才作家の妻 40年目の真実 (ハーパーBOOKS)
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2019-01-25



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『ともしび』

 ベルギーのある町で、夫と慎ましく暮らしているアンナ(シャーロット・ランプリング)。しかしある日夫(アンドレ・ウィルム)は刑務所に入り、彼女の生活は少しずつ狂っていく。監督・脚本はアンドレア・パラオロ。
 邦題は「ともしび」だが、むしろともしびが消えるような話だった。原題は「Hannah」で、これには納得。あくまでアンナという1人の女性の有り様を見せる話だ。アンナの夫が何をやったのか、夫婦がどういう状況にあるのか、具体的な情報は殆ど提示されない。特に序盤は、やたらとひっそり暮らしているなという印象を受ける程度なのだが、何かよからぬことが起こっているという気配はひしひしと感じる。徐々に周囲の反応や夫の言葉から、何があったのか察することは出来るのだが、決定的な答えは観客には提示されないままだ。
 しかしそれ以上にわからないのは、アンナと夫がどのような夫婦だったのか、アンナは夫のことをどのように思っていた(思っている)のかという部分だ。2人の関係性がびっくりするくらい見えてこない。要するにそういう夫婦だったということなのかもしれないが、だからこそ、アンナが直面する諸々の問題が降ってわいたようなもの、彼女があずかり知らぬうちに降ってわいたようなものに見える。彼女にとって自分の周囲で起こることは理不尽であり不条理なものなのだ。
 ただ、アンナが夫がやったあることを全く知らなかったのか、それとも何となく気付いて見て見ぬふりをしていたのか、何とも言えないようにも思う。アンナが何かに耐えている、自分の中に押さえこんでいるものがあるということはわかるが、彼女の葛藤の正体は明かされないままだ。終盤の階段を下りるショットが妙に不吉で、目が離せなかった。どう転んでもおかしくない危うさがある。
 サントラとしての音楽は使われず、町や室内で流れている音楽のみというストイックな演出。これも本作の不穏な雰囲気を強めていた。

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2003-03-28


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2016-10-05


『特捜部Q カルテ番号64』

 壁に塗りこまれた隠し部屋から、ミイラ化した3体の死体が発見された。過去の未解決事件専門の、コペンハーゲン警察の部署「特捜部Q」に所属するカール警部(ニコライ・リー・コス)とアサド(ファレス・ファレス)は捜査を開始する。過去に存在したある女性収容施設が関係していると睨むが。原作はユッシ・エーズラ・オールセンの同名小説。監督はクリストファー・ボー。
 過去と現在が交互に入り混じる構成だが、見ていて混乱することはない。エピソードと時間軸の交通整理がきちんとされており、結構なボリュームの原作をコンパクトにまとめている。あの原作を2時間以内に収める手腕は見事。映画単体としてはいいアレンジだったと思う。出来栄えが突出してよかった映画1作目と同等の緊張感を感じた。
 本作で表出するある人たちの思想は、ちょっと表現を変えるとあっさり受け入れられそうな所が怖い。自分たちが優れている、勝ち抜いた側だという思想って中毒性のある気持ち良さなんだろうな・・・。アサドが捜査陣の一員である意味がこれまでの作品の中で最も強い。
 過去と現在を行き来する構成によって、ある人の怒り、そしてたどり着いた境地がより深く余韻を残す。犯行の「どうやって」という部分にはあまり言及されないが(殺人としてはちょっと出来すぎだ)、「なぜ」の部分はひしひしと伝わってくる。自分の人間としての尊厳が侵されることへの怒りがそこにあるのだ。それを受けてのカールの行動もちょっと頷ける。
 最後、カールとアサドの関係が更に一歩前身しており、おおようやく!と微笑ましくなる。カールは相変わらず偏屈なのだが、アサドもローサもそんな彼のことを一貫して(時に腹を立てつつ)心配しており、こちらも微笑ましい。カールは偏屈だけど、アサドやローサの仕事能力に対してはフェアなのだ。

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『テルマ』

 信仰心深く抑圧的な両親の元で育ったテルマ(エイリ・ハーボー)は、オスロの大学に進学し、一人暮らしを始める。同級生のアンニャに心惹かれていくが、不可解な発作に襲われるようになった。発作の度にテルマの周囲で奇妙な出来事が起きる。そしてある時アンニャが姿を消してしまう。監督・脚本はヨアキム・トリアー。
 奇異な力を持った少女を主人公にしたホラーサスペンスという触れ込みだったが、あまりホラーっぽい印象は受けなかった。確かにホラー的な現象は起きるし、冷ややかな映像は何かが起こりそうという嫌な予兆には満ちているのだが、怖さ・怖がらせが主眼ではないからか。テルマの成長・変容の話でもあり、すごく極端だが親離れ子離れの話でもある。親からするとこんな離れ方は相当しんどいとは思うが・・・。親子であっても全くの他人であることを強烈に突きつけてくる。
 テルマは自分の身に何が起きているのか、記憶の失われた過去に何があったのか知ろうとする。両親は彼女にそれを知らせない為、彼女を事実に近づけない為に信仰を植え付け厳しく育てたのだろう。序盤では少々過干渉では?と思えるのだが、そうするだけの理由があり、彼らは彼らなりに娘のことを心配していることも徐々にわかってくる。しかし、その信仰や抑圧が、却って彼女を事実に近づけてしまうのが皮肉だ。抑圧が強いからこそ彼女の葛藤は大きくなり、強い葛藤は彼女の中のある部分を目覚めさせてしまう。
 テルマが個人として独り立ちしようとする(彼女に自覚はないだろうが)、家族以外の世界を広げようとするほど、両親との軋轢は強まり、更に彼女と「この世」の軋轢も強まっていく。彼女のような存在はこの世界では人を傷つけるだけなのか、いない方がいいのか。テルマの選ぶ道が鮮やか(と言っていいものか)だ。自分が生きたい世界で生きたいなら、なぜそれを選んではいけないのか?
 なおテルマが一人暮らししている部屋は学生寮らしいのだが、結構広くてびっくりした。ちゃんとベッドルームとダイニングが分かれているっぽい。環境良いなぁ・・・。テルマが女性であることを強調しない、そこに寄った話にしていないところが良かった。

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