3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。

映画題名た行

『ダム・マネー ウォール街を狙え!』

 2020年、コロナ禍中のアメリカ。マサチューセッツ州に暮らす会社員のキース・ギル(ポール・ダノ)は、赤いはちまきに猫柄Tシャツがトレードマークの「ローリング・キティ」という名前で株式投資アドバイスの動画配信をしている。彼が目を付けたのはゲームストップ社。ゲームストップはアメリカの各地に実店舗を置くゲームソフト販売会社だが、時代遅れで倒産間近と噂されていた。キースは同社に全財産の5万ドルをつぎ込み株式を購入しこれをネットで公開し、ゲームストップ社は過小評価されていると訴える。これに共感した視聴者たちが次々とゲームストップ株を買い始め、株価は高騰し始める。同時に、空売りをしていた資産家たちは大損をすることになっていく。監督はクレイグ・ギレスピー。
 SNSを通して個人投資家たちが団結し金融マーケットを席巻した実話をドラマ化した作品。ギレスピー監督にはやはり実話のドラマ化である『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』という傑作があるが、本作も大変面白かった。素材のどこを使うといいのか、一連の出来事の中で何がポイントなのかという分析・見極めが上手い監督というイメージがある。また編集のキレがすごくよくてテンポがいい。本作はキースだけでなくゲームストップ株を買った個人投資家たち、また大手投資会社の富裕層たちのエピソードも組み込まれているので群像劇的な側面も強いのだが、個々のエピソードがケンカせずに組み込まれており、この時あの人はこんなことに!という見せ方が効果的。職人的な手際の良さを感じる。
 株式投資の話なので、当然お金の話、お金を儲ける為に投資をやるわけなのだが、ゲームストップ株が高騰し空売りを阻止できるかもという目が出てくるにつれ、もうお金の問題ではなくなってくる、お金よりも大事なものがあるという方向になってくる所が面白い。これがキース一人ではなく、彼に賭けた大勢の個人投資家たちの間で共有される。キースが訴えるのは市場は公正であるべきなのにそうではなくなっている、より持っている・より強いものが食いつくすゲームになってしまっている(個人投資家の一人である女子大生は、そのゲームの中で家族が経済的に苦しむことになるし自身も負債を負う身)ということだ。そこに多くの人が共感し協力し合ったという所は、これも一つのアメリカンドリームかなと思える。人間の利己的、非情な面が際立つと思われる株式市場を舞台にそういった側面が現れる所が意外でもあり、そこが株の面白さなのかなという気もしてくる。
 キースと妻キャロライン(シャイリーン・ウッドリー)の関係性の描写がいい。信頼関係があって(でないと全財産投資させないよな…)、お互いに尊重していることがよくわかるのだ。また個人投資家たちがどういう生活をしているどういう人たちなのかということも、露出時間は少ないのにちゃんと伝わってくる。人となりと示すちょっとした部分の演出が上手いのだ。シングルマザーの看護師の気風の良さや、パーティーの罰ゲームがきっかけで付き合うようになる女子大生2人等、皆生き生きとしていて魅力があった。悪役扱いの富裕層たちもどこか面白みが出ている所もいい。



アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル[Blu-ray]
アリソン・ジャネイ
ポニーキャニオン
2018-11-21



『ダンサーインParis』

 パリ・オペラ座バレエ団でエトワールを目指すエリーズ(マリオン・バルボー)は公演でソロパートを獲得したが、恋人の浮気を知りショックを受け、足首を負傷してしまう。医師からプロとして踊れなくなる可能性もあると告げられた彼女は、退団し実家に戻る。友人のサブリナ(スエリア・ヤクーブ)から料理のアシスタント係の仕事を紹介されブルターニュを訪れた彼女は、新進気鋭の振付師が率いるコンテンポラリーダンスカンパニーのトレーニングに触れ、新しいダンスの道を模索する。監督はセドリック・クラピッシュ。
 エリーズは古典バレエからコンテンポラリーダンスに方向転換するが、どちらがいい・優れているという話ではない。彼女の人生にあるタイミングが来て、表現方法を変えることで新しい景色が見えるということだろう。バレエとコンテンポラリーの重量に対するアプローチの違いの話が面白かった。エリーズはより重力を感じたいターンにきている。同じ人でもその時々によってどちらがフィットするか変わってくるんだろう。
 エリーズが彼女にとっての新しい表現方法を獲得していく過程と合わせ、彼女と父親との考え方の噛み合わなさが印象に残る。父親は弁護士で文学に造詣が深い言語の人。肉体と情感をベースにするエリーズの表現は、父親には二流のもの(彼にとって言語を使わないバレエは格下の芸術なのだ。同じく肉体をベースとする料理が得意な妹のことも軽く見ている)で、怪我で落ち込むエリーズに「法律を勉強すればよかったのに」と無神経なことを言う。それでもエリーズはダンスが自分の表現、自分の人生なのだと父親に説明しようと試みる。父親もわからないながらも彼女の真剣さは理解し、その姿に涙するようになる。「わからなくても受け入れる」というのが親子の関係の一つの形なのだと思う。
 一方で、エリーズの友人である整体トレーナーの関係、というより彼がエリーズに向ける視線が気になった。彼はエリーズに思いを寄せているが、お互い恋人に振られた者同士だからというよくわからない思い込みでうまくいくような気になっている。そんなところでもじもじされても困るんだけど…。距離の詰め方が一方的なのがちょっと気持ち悪い。最後、エリーズと同じ名前で足が少々不自由らしい女性と付き合っている風なのも、そういう属性が好きだったってこと?と若干ひいてしまった。

ニューヨークの巴里夫(字幕版)
ケリー・ライリー
2015-06-02


パリ・オペラ座のすべて [DVD]
紀伊國屋書店
2013-04-27



『トランスフォーマー ビースト覚醒』

 1994年。シングルマザーの母と持病のある幼い弟と暮らす青年ノア(アンソニー・ラモス)は就職活動中だがうまくいかない。とうとう弟の治療費の為に友人を手伝い高級車窃盗に手を染めるが、その自動車は突然勝手に動き出す。自動車の正体は異星人のオートボット、ミラージュ(ピート・デビッドソン)だった。オプティマスプライム(ピーター・カレン)率いるオートボットたちは故郷を離れ地球に身を隠していたのだ。しかしあらゆる星を食べ尽くす、巨大な敵「ユニクロン」が地球を次の標的に動き出した。ノアと考古学学芸員インターンのエレーナ(ドミニク・フィッシュバック)はオートボットたちと協力して地球の危機に立ち向かう。監督はスティーブン・ケイプル・Jr。
 マイケル・ベイ監督が長らく手掛けてきたトランスフォーマーシリーズだが、前作『バンブルビー』以降はベイ監督の手を離れている(ベイは本作では製作で参加)。結果、オートボットたちの見せ方は各段に洗練されて画面が見やすくなった。無茶さはあまりないのでケレンは薄れたが、手堅い夏休み映画になっている。オートボットの仕組み、変形という本シリーズのキモの部分はより「わかってるな~」という見せ方。これまでのシリーズ作との関連性はそれほどない、パラレルな設定なので初見の人でも安心だ。
 人間とオートボットが協力するのが本シリーズのお約束だが、今まで人間との距離感が近かったバンブルビーに代わり、本作では口達者なミラージュが活躍する。ちょっとペットみたいな要素があったバンブルビーと比べると、より「相棒」という感じはする。今までで一番人間が「一緒に戦う」感は強いかもしれない。本作、人間の2人がそこそこまともだし真面目。終盤の展開には日本のトランスフォーマーのアニメシリーズの影響もあるように思った。




トランスフォーマー超神マスターフォース DVD-SET1
森 功至
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2015-01-28


『探偵マーロウ』

 1939年のロサンゼルス。老年になった私立探偵マーロウ(リーアム・ニーソン)のもとに、裕福な女性クレア・キャヴェンディッシュ(ダイアン・クルーガー)が依頼に訪れる。依頼内容は失踪した元愛人の捜査。彼は交通事故で死んだと思われていたが、離れた町で生きている姿を見かけたというのだ。依頼を引き受けたマーロウは調査を進めるうちに、ハリウッドの暗部に足を踏み入れていく。原作はチャンドラー『長いお別れ』の正式な続編として認められたジョン・バンビル『黒い瞳のブロンド』、監督はニール・ジョーダン。
 原作は未読。リーアム・ニーソンがフィリップ・マーロウのイメージに近いのかどうかはわからないが、そもそもマーロウは誰が演じてもいいような、あまり突出した個性や肉体性のないキャラクター造形ではないかと思う。彼は物事を見る眼であり、物事をあるべき形に収束させる為に動き回って謎を解くことが役割であり、彼自身がどうこうということはない、それが探偵小説(特にハードボイルド)における探偵の役割とも言えるだろう。本作はマーロウが誰かを追っているシーン、ないしは移動する人をカメラが追うシーンが多いのが印象に残ったのだが、探偵の仕事はあちらこちらを行ったり来たりする(チャンドラーの他の小説でもマーロウはよく行ったり来たりしてるし)ことで、それを端的に表現しているとも言える。
 マーロウはキャヴェンディッシュとの距離が親密になっても「親子くらい年齢が離れているから」肉体関係は持たない(チャンドラーの小説を踏まえるとあっさり寝そうなので映画のアレンジかもしれないが)。彼女の母親ドロシー(ジェシカ・ラング)に対してもずけずけ立ち入るようでいてある一線は越えない。消えた男の妹に対しても、彼女に迷惑をかけられつつもその身を案じて奔走する。彼が女性たちに対してとる距離感はむしろ現代のセンスに近いもの、彼女らが置かれた不平等さに対するエンパシーがあるものではないかと思う。ある人のことを一度は見過ごすのも、その人にとってそれまでの境遇がフェアではなかった埋め合わせ(それを彼がやるべきなのかはともかく)とも言える。マーロウは力のバランスを常に意識しているように思えた。だから彼にとって不利益であってもマフィアにはくってかかるし、ある人が権力を手にしたなら、もう彼が手を貸す必要はなくなるので肩入れはしない。マーロウの行動は無軌道に見えつつ結構首尾一貫している。


ただの眠りを (私立探偵フィリップ・マーロウ)
ローレンス オズボーン
早川書房
2020-01-09


『テノール! 人生はハーモニー』

 寿司店でバイトをしながら会計士になるため学校に通っている青年アントワーヌ(MB14)は、夜になると地元の仲間とラップバトルに挑んでいた。ある日寿司の配達のためオペラ座ガルニエ宮を訪れたアントワーヌは、オペラ教室で自分に絡んできた学生に対抗し、オペラの真似事で歌声を披露する。その声を聴いたオペラ教師マリー(ミシェル・ラロック)に才能を見込まれて、強引にレッスンに参加させられることに。アントワーヌは自分とは世界が違うと思いつつもオペラの魅力に取りつかれていく。監督はクロード・ジディ・Jr。
 アントワーヌがオペラに魅せられる瞬間の説得力が強かった。私はそれほどオペラ全般に魅力は感じないのだが、アントワーヌの表情で、この人は今自分が知らなかった世界と出会ってしまったんだという衝撃が伝わってくるのだ。アントワーヌを演じたMB14(実際にビートボックスの世界チャンプの人なんですね)の力なのだろうな。全般的にアントワーヌが音楽に触れる時の表情が良くて、ラストシーンについても彼が自分の表現、自分がいるべき場所にいるという確信をつかみ取った瞬間だということが表情でわかる。ここに至るまでのエピソードの積み重ねがきちんとなされていることでも、説得力が生まれている。このラストの先を見たいという人もいるだろうが、アントワーヌの自己発見の物語としてはこのラストでよかったと思う。
 対してマリーのキャラクターも魅力的だった。自分の欲望に忠実でチャーミングだ。そして家族とは縁を切ったことを後悔していないと言い切る所が清々しい。彼女を満たす「愛」は家族やパートナーの存在によるものではなく、音楽そのものと音楽を共に作る仲間から得られるものだ。こういう形の「愛」で生きる人もいる。彼女の生き方は家族との愛故に不自由になるアントワーヌの生き方とは大分違うのだが、そういう2人の人生が重なり合うという所が本作の魅力。一歩間違うとマリーがアントワーヌを「導いてあげる」的な上から目線になりそうな階層格差があるところ、割とうまくクリアしている印象だった。
 アントワーヌは兄や友人を愛しているが、何かと派閥でぶつかり合う荒っぽい地元文化の中では若干無理をしないとならない。ヒップホップは好きだがヒップホップのマチズモには馴染めない感じが滲んでいた。なお作中で披露されるラップはかっこいいのかどうか今一つわからず。韻の踏み方等は字幕にはあまり反映されていなかったように思う(そういう面では『クリード 過去の逆襲』のライム翻訳はうまかったんだな…)。

プッチーニ: 歌劇(トゥーランドット)[DVD]
ジェイムズ・レヴァイン
ユニバーサルミュージック
2020-09-09


All Eyez On Me [12 inch Analog]
2Pac
Interscope Records
2022-11-11



『TAR/ター』

 リディア・ター(ケイト・ブランシェット)はドイツの名門オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命され世界的な名声を得ている。しかしマーラーの交響曲第5番の演奏と録音、更に新曲制作のプレッシャーに苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入る。ターは彼女へのハラスメント疑惑をかけられ追い詰められていく。監督はトッド・フィールド。
 ケイト・ブランシェットの演技は確かにすごく、世界トップレベルの指揮者の振る舞い、そしてプレッシャーとはこういうものではないかと思わせる真に迫ったもの。私はクラシック音楽には疎いので細かいネタがわからないのだが、ああこういうことありそう!という雰囲気は伝わるので、クラシック音楽業界に詳しい人には更に面白いのでは。
 ただ、それ以外の部分にはそれほど面白みを感じず、絶賛されているのには正直ぴんとこない。指揮者としてスターになり、楽団もアシスタントも自分の意に添わせることに慣れきっている。彼女の振る舞いは時にハラスメント的だ。若い女性楽団員の気を引こうとする様など滑稽で、見た目はブランシェットなのにやっていることはおっさんのそれという、奇妙なおかしさがある。権力を持つと人はみな「権力を持ったおっさん」的振る舞いになっていくという、権力をテーマにした作品のようにも見える。
 しかし実際のところ指揮者の世界、権力を持った者の世界では未だに壮年の異性愛男性が大半を占めており、その中で女性、ことに少数派であろう同性愛者の女性であるターがのし上がっていくには、周囲の「おっさん」的振る舞いに同化せざるを得ない、おっさんを内面化せざるを得ないという背景があるのではないか。本作ではターの権力者としての振る舞いとその凋落を描くが、そこにあるであろう社会構造には踏み込まない。もしジェンダーによる格差・差別がない世界で本作のような物語が出てきたらストレートにターの栄光と凋落と受け止められるのだが、現状世界はそこに追いついておらず、片手落ちであるように思った。

リトル・チルドレン(字幕版)
フィリス・サマーヴィル
2015-12-01


セッション(字幕版)
オースティン・ストウェル
2016-10-27


『トリとロキタ』

 少年トリ(パブロ・シルズ)と少女ロキタ(ジョエリー・ムブンドゥ)は姉弟を称しているが、実は他人。2人はアフリカから密航しベルギーのリエージュにやって来たのだが、船の中で仲良くなり、一緒に暮らそうと心を決めている。トリは現地の学校に通っているが、10代後半のロキタはビザがないため就職できず、ドラッグの運び屋をして金を稼いでいた。ロキタは偽造ビザを手に入れるため、さらに危険な仕事を始める。監督はジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ。
 ダルデンヌ兄弟の作品は、毎回その時々の社会の中で起きている問題、しかし社会の中では力を持たない為に見過ごされがちな人たちの問題を扱っている。こういう扱い方はともすると安全圏から他人事として見ているような視線になる危険があるが、本作の切迫感、トリとロキタが脅かされている感じは強烈で見ている側にも刺さってくる。サスペンス映画のようなスリリングな「面白さ」も発生しているのだが、背景が笑えなさすぎる。
 ロキタの方がトリよりも年長だが、時にトリの方がロキタの保護者としてふるまう場面もある。ロキタにはパニック障害があり、精神的なサポートが必要なのだ。トリはそれをよく理解しているから彼女から離れようとはしない。しかし2人とも子供は子供なので、自分たちを十分に守れるわけではない。こと難民という不安定な立場なので、更に危うい。2人の力の足りなさというか行き届かさなさというかが痛ましい。しかもそれは彼らの責任ではないのだ。本来なら大人の保護下にあるべき人達だから。
 トリとロキタの周囲にいる大人には、彼らを保護する福祉側の人間と、彼らを搾取する犯罪側の人間がいる。福祉のスタッフたちは恐らく2人を本気で心配し、ロキタのビザが下りないことを案じてもいるのだろう。しかし法と行政が2人を守らない限り、彼らは力になれないのだ。一方、麻薬の売人たちは2人を都合のいい労働力として使う。「仕事」の枠の中では無駄に絡んだりしないので一見フェアに見えるかもしれないが、人として扱う気はない。2人がそこから逃げ延びられるのかどうか、息が苦しくなるような緊張感と共に見た。

ある子供(字幕版)
オリヴィエ・グルメ
2015-06-03


サンドラの週末 [DVD]
オリヴィエ・グルメ
KADOKAWA / 角川書店
2015-11-27


『対峙』

 ある教会に2組の夫婦が訪れる。どちらも非常に緊張しており会話はぎこちない。6年前、ある高校で生徒による銃乱射事件が起き、多数の生徒が殺され、犯人の少年も自殺した。夫婦のうち1組は被害者の1人の両親、そしてもう1組は加害者の両親だった。加害者少年について知りたいという被害者夫婦の強い希望で話し合いの場が設けられたのだ。監督・脚本はフラン・クランツ。
 事態が事態なので緊張感に満ちたシチュエーションなのはもちろんなのだが、映画の構成そのものにゆるみがなく息がつけない。クランツ監督はこれが初監督作だというから唸ってしまう。そしてほぼ4人芝居状態で最後まで押し切る俳優の力が素晴らしかった。メイン4人も素晴らしかったが教会の職員とそのアシスタント青年も、こういう人いそうだなという説得力がある。職員の人は良いんだろうけどちょっと小うるさいというか、色々張り切りすぎな感じには、あーこういう人いる!と笑ってしまう。
 被害者遺族と加害者遺族が会って話し合ったとして、双方傷が広がるだけでは?という気もするが、許すという行為に大きな意味がある、キリスト教的価値観が背景に色濃くある文化圏(会合の場に選ばれるのも教会だし)、そして対話という文化が根付いている文化圏の話なんだろうとは思う。日本で同じ設定でドラマを作ったらそもそも対話にならなさそうだ。
 とは言え、登場人物たちの中に当初あるのは、相手を許すことで自分も怒りから解放されたいという気持ちよりも、なぜこういう事態が起きたのか知りたい、何らかの形で納得したいという気持ちであるように思った。加害者がどんな人物で、家族とどういう関係だったのか知ることで事件に至る経緯がわかるかもしれないと被害者の両親は考え、特に夫は加害者の両親を執拗に問い詰める。しかし、加害者の両親も、自分たちの息子が何を考えていたのかわからないままでいる。あの時ああすればよかったのか、こうすればよかったのかと考え続けても答えは出ないままだ。彼らがなぜ、と問う内容は答えのないもの、解決することがもはやないものだ。その問いとどうやって向き合い生き残っていけばいいのかという問題が4人の対峙の中に凝縮されているように思った。
 理解も納得もできないままの彼らの糸口になるのは、相手の話を聞く、そして自分も語るというやりとりだ。本気の聞く/話す姿勢は、たとえ問題解決には繋がらなかったとしても、相手の、そして自分の力になるのではないか。最後のある人の行動には、この人は人の話を聞く立場に回るばかりで、この人の話を真剣に聞く人はいなかったのではないかと思い当たる。夫婦の関係性までもそこに垣間見えてすっと寒くなるのだ。

ウトヤ島、7月22日(字幕版)
マグヌス・モエン
2019-10-16


ぼくだけのぶちまけ日記 (STAMP BOOKS)
スーザン・ニールセン
岩波書店
2020-07-17




『ドリーム・ホース』

 ウェールズの谷間にある小さな村で、夫ブライアン(オーウェン・ティール)と2人暮らしのジャン(トニ・コレット)。ブライアンは無職で、ジャンは昼間はスーパー、夜はパブで働き、その傍ら実家の両親の介護をしている。ある日、パブで共同馬主をやっていたという税理士・ハワード(ダミアン・ルイス)の話を聞いたジャンは、自分たちも競走馬を育てたいと思い立つ。彼女は貯金をはたいて血統の良い牝馬を購入、資金を集めるため村の人々に馬主組合の結成を呼びかける。やがて産まれた子馬は「ドリームアライアンス(夢の同盟)」と名付けられる。監督はユーロス・リン。
 シンプルだが爽やかで気持ちのいい作品だった。ジャンは単調な毎日にうんざりしているが、元々ドッグコンテストや伝書鳩のコンテストでの受賞歴があり、動物の飼育自体には慣れているし、交配に関する知識もそれなりにあるらしいことがわかる。ドリームアライアンスをプロの調教師に預けてからロス状態になるのも、動物に対する愛情の深さ故だ。彼女の目的は馬主として一発当てることではなく、動物を育てる喜びと、自分たちの馬が活躍するかもしれないという人生におけるわくわく感、何か起きるかもしれないというときめきを得ることなのだ。
 この「一発当てることが目的ではない」ということが、馬主組合でも早い段階で明言されている所が良心的というか面白い所なのだが、ジャン以外の馬主にとっても、儲けよりも大切なものが生まれてくる。皆の人生がよりカラフルなものになっていくのだ。もしかしたら儲かるかもという期待はもちろんあるだろうが、それ以上に何か夢中になれるもの、わくわくするもの、そしてそれを分かち合える仲間がいることが生きる上でいかに大切か、生活を支えるものなのかということが伝わってくる。馬主組合が職場でも家庭でもない、彼らの居場所の一つになっていくのだ。馬を媒介に、性別も年齢も職業・社会階層も越えて彼らが繋がっていく、コミュニティが生まれるという所がいい。そもそも馬主というのは富裕層の娯楽みたいなものだろう。それを庶民がやるというのが小気味よいのだ。クライマックスのレースには思わず手に汗握ってしまった。
 私は地元・自国のチーム・選手だからという理由でスポーツ等が盛り上がる現象があまり好きではないのだが、本作を見ていると一概に否定できなくなってきた。ナショナリズムは嫌だし、そもそもえらいのは競技に挑む当事者(馬・騎手や選手)なんだけど、自分の所属する地域を代表する何か、自分のバックグラウンドを託せる象徴みたいなものがあると勇気づけられるのかもしれない。


シービスケットBlu-ray
ウィリアム・H・メイシー
ポニーキャニオン
2016-09-21



 

『ドライビング・バニー』

 40歳のバニー(エシー・デイビス)は路上で車を洗う仕事をしつつ、妹夫婦の家に居候している。幼い娘とティーンエイジャーの息子は一時的に里子に出されており、児童相談所職員の同席でしか面会しかできないが、バニーが新居を確保して条件を満たせば、また親子で暮らせる。娘の誕生日に新居でパーティーをすることを夢見てバニーは必死に働いていた。ある日、妹の再婚相手が継娘トーニャ(トーマシン・マッケンジー)にセクハラしている様を目撃したバニーはビーバンに立ち向かうが、家を追い出されてしまう。監督はゲイソン・サバット。
 子供と再び一緒に暮らしたい一心で突き進むバニーの奮闘は、たくましくユーモラスでもある。難所を機転と度胸で半ば無理やり突破する彼女のやり方は、時にイリーガルではあるのだが彼女なりの生活の知恵と言える。ただ、彼女の奮闘の愉快さは、生活の絶望と紙一重のように思えた。バニーは警察の取り締まりをかいくぐりながら低賃金の仕事をし、居候先の妹の家でも家事に奔走し、休む暇がない。働けないから金がないのではなく、働いても働いても金にならないのだ。家事が無賃労働である、女性の労働は安く扱われていると割とはっきり見せている作品だと思う。
 バニーの働く環境は不安定すぎて先が見えてこない。まして子供2人を養って安定した衣食住を与え続けられるかというと、微妙だろう。バニーが子供たちを大切に思っているのはわかるのだが、彼女と生活するよりも里親の元にいるほうが、子供たちの将来にとってはいいのではないかと思ってしまう。バニーは必死なのだが、その必死さが時に明後日の方向に暴走していく。
 ただ、それはバニーのせいというわけではなく、社会の中に彼女のような人が安定して暮らせる、家庭を築いていける仕組みがないからという側面の方が大きいと思う。バニーは社会の「こうであれ」という規範からはずれがちな人だが、そういう人でもそれなりに生活を維持できるようにするのが社会というものだろう。これはバニーの妹についても同じで、へとへとになるまで働いても「私の家じゃない」、夫の経済力がないと生活できないというのはおかしいだろう。夫に頼っているという負い目と経済的な問題があるから、娘への加害に目をつぶってしまう。女性の経済問題が如実に現れているシチュエーションだった。


レディバード・レディバード(字幕版)
レイ・ウィンストン
2014-12-01


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