3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名た行

『正しい日、間違えた日』

映画祭に招かれたものの、予定より1日早く到着してしまった映画監督のハム・チュンス(チョン・ジェヨン)は、観光名所で魅力的な女性ユン・ヒジョン(キム・ミニ)と出会う。チュンスは彼女をお茶に誘い、更にお酒も入っていい雰囲気になるのだが。監督はホン・サンス。
原題の直訳だと「今は正しくあの時は間違い」という意味になるそうなので、邦題とはちょっとニュアンスが異なる。ただ作品を見ると、どちらの題名もちょっとそぐわないかなという気がしてきた。男女の出会いを2通りの展開で描いた作品で、前半でパターンA、後半でパターンBというような2部構成になっている(A、Bという章タイトルは付けられておらず、私が便宜上そう呼んでるだけ)。
 酔った男女のかけひきって、見ていてこんなにいたたまれないものだったっけ?と見ながらむずむずが止まらない。チョンスは明らかにヒジョンに好意があるが、いい年齢の大人の言動とは言い難い。「かわいい」の連呼なんて泥酔した大学生じゃあるまいし・・・。世間の噂によれば、彼はモテて女癖の悪い人らしいので、成功体験からくる言動なんだろうけど、よくこれで口説き成功してきたな!とは言えヒジョンもやぶさかではない感じだし、成功していると言えばしている。
 とはいえこのいい雰囲気は長くは続かない。AパターンでもBパターンでも何かしらに腰を折られ、険悪か険悪でないかという違いはあれど、2人の人生はすれ違っていく。AとBのどちらが正しくてどちらが間違いかなど、結局わからないのだ。どちらも間違いとも言えるし、交わらない運命だとするならどちらも正しい。曖昧さ、どうともならない儚さと滑稽さが余韻を残す。
 それにしても、ホン・サンス監督作に登場する映画監督は、大概クズ味がひどいな・・・。映画監督として評価はされているが、特に女性関係での脇の甘さや失礼さ(でもそこそこモテるところがイラっとする)は自虐ギャグなんだろうか。

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『デッドプール2』

 最愛のパートナー・ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)を取り戻し順風満帆だったデッドプールことウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)。彼の前に、1人の少年を殺す為に未来から来たサイボーグ、ケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れる。ヴァネッサと「良い人間になる」と約束していたデッドプールは特殊能力を持った仲間を集めて「Xフォース」を結成、少年を守ろうとするが。監督はデビッド・リーチ。
 Xメンやアベンジャーズのアメコミ映画のみならず、往年の名作から最近の珍作に至るまで、映画全般に関するネタが増量されている。OP部分はビジュアルも音楽の傾向も007オマージュなんだろうなぁ。本作を見ている人ならこのネタがわかる率が高いだろう!という観客に対する信頼(つまりサメがあれこれする映画とかお前ら好きなんだろ?って思われているということですが・・・)に基づき作られているように思う。もっとも、普段映画見ていない人でも十分楽しめるであろう作りで、そのあたりは堂々たる娯楽映画。
 過激なギャグが多いと言われる本シリーズだが、私はむしろ見ていて安心感があった。デッドプールは人殺しだしやっていることは非道ではあるのだが、どの分野の人に対しても基本的にフェアで属性による差別をしない。ここを押さえているので、下品なことをやっていても作品としてはあまり下品には感じられず、むしろすごく真面目に思える。特に女性の扱いがフラット(ヴァネッサとあれだけファックしている前作ですらも)なので、不愉快な要素が少ない。ここまでPCに配慮するヒーローはなかなかいないのでは・・・。もはやPCをギャグとして使う域だからなぁ。
 今回、タイムマシンが登場するので、これは歴史改変になってしまわない?そのあたりすごくざっくりそうだったけど大丈夫?と気になっていたのだが、やはり結構ざっくりとしている。とは言えデッドプールのキャラクターで何となく乗り切っている。デップーのキャラをここまで作り上げたレイノルズは本当にえらいよ・・・。とは言えどんなにタイムマシン使ってもあの黒歴史のことは忘れないよ!なかったことにしないで!

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『蝶の眠り』

 人気作家の松村淳子(中山美穂)は、母親同様に50代で遺伝性のアルツハイマー病に侵されていた。自分の思考がはっきりしているうちに小説以外のこともしようと、大学講師として教壇に立つことにする。ある日、学生らと行った居酒屋で、韓国人留学生チャネ(キム・ジェウク)と知り合い、犬の散歩や原稿の文字起こしを手伝ってもらうことに。監督・原案・脚本はチョン・ジェウン。
 監督自ら原案・脚本も手掛けており、結構力を入れたやりたかった作品なのだと思うが、日本公開された『子猫をお願い』の印象が強い身からすると、えっこういうのやりたかったの・・・?と、戸惑いを隠せない。キュートでありつつも苦味の強かった『子猫~』に対して、本作は多分に少女漫画的なメロドラマで、とてもロマンチック。主演の中山がまた妙に可愛らしくて、言動からもあまり貫禄、落ち着きがある女性という役柄に見えないのも一因か(衣装を含め、本当に可愛いのよ・・・)。全体的にふわふわしている。作中小説がこれまた典型的メロドラマのようで(そういう作品主体に書いている人気作家という設定みたいだからしょうがないんだけど)、あまり面白そうじゃないのがちょっと痛い。朗読される小説の文には、特に魅力がないんだよね。
 ただ、美しくオブラートでくるんだ中にも、文章を書く、自分の思考を整理していくことが生業の人がそれをできなくなっていく、無秩序な世界に突入していくことに対する怖さは滲んでいる。当人には徐々に何が起きているかすらわからなくなっていくという所が残酷だ。また、トイレから出てきた淳子のボトムのファースナーをチャネがそっと上げるシーンが堪えた。いつも身ぎれいにしている人がそういう風になるというのが辛い。淳子がやがてチャネを遠ざけようとするのも無理ない。一方的な行為に見えるかもしれないけど、やっぱりそういう姿を若い恋人には見られたくないし、介護させたくないよな・・・。愛があればなんとかなるってものじゃないから・・・。


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『タクシー運転手 約束は海を越えて』

 1980年5月の韓国。民主化を求める大規模な民衆デモが起こり、光州では軍が戒厳令をしき、報道も規制されていた。ドイツ人ジャーナリストのマルゲン・ヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)は取材の為光州へ向かう。彼を送迎することになったタクシー運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)は報酬欲しさに機転を利かせて検問を突破。何とか光州市街へ辿りつくが。監督はチャン・フン。
 近年、光州事件(と当時の時代背景)を題材にした韓国の文学、映画等が目につくようになったが、映画や小説の題材としてがっぷり取り組むことができるくらいに時間がたったということなのだろうが。何にせよ、自国の負の歴史を再検証し、かつエンターテイメント作品に落とし込める所に韓国映画のタフさ、成熟度を見た感がある。本作、本国でも結構な動員数だったそうなので、映画を見る層の厚さとリテラシーがそもそも日本と違う気がする・・・。
 戒厳令下の光州が舞台で、非常にシリアスな背景なのだが、人情ドラマとして、活劇として、まさかのカーアクション映画として面白かった。もうちょっと短くてもいいなとは思ったのだが(マンソプの動線設定に無駄が多いように思う)、サービス精神旺盛なエンターテイメントだと思う。史実(ヒンツペーターは実在の記者)を元にしているが、絶対にここはフィクションだ!という部分がクライマックスにあり、その絶対にフィクションな部分が本作の核になっているように思った。そこでやっていることは映画としてのフィクションなのだが、彼らの気持ちは当時実際にいた市井の人々の気持ちと同じことなのではないだろうか。
 マンソプは政治には興味がなく、光州のデモについても、学生ならデモなんてやらずに勉強しないと親不孝だと言う(そもそも報道規制がされており電話も遮断されていて光州の実情が外部にはわからないのだが)。「韓国は世界一住みやすい国だ」と言う彼が光州で見たものは、その「世界一住みやすい国」が市民に何を強いているのかという現実だった。どこかの変わった人達の反乱ではなく、自分と同じように普通に生きてきた人が、これはおかしいと声を上げていたのだ。一刻も早くソウルに戻りたがっていたマンソプだが、光州の出来事が彼の中で他人事ではなくなっていく。この他人事ではない感覚、映画を見ている側にとっても同じなのではないかと思うし、そこを狙って作られた作品だと思う。



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『ダウンサイズ』

 ノルウェーの科学者によって生物を縮小化する方法が発見され、身長180㎝の人間なら13㎝まで小さくなることが可能になった。環境破壊や食糧問題を解決する方法として注目され、各国で「ダウンサイズ」を選ぶ人々が徐々に増え、ダウンサイズされた人たちが暮らすコロニーも各地に建設されていく。ネブラスカ州オマハに暮らすポール・サフラネック(マット・デイモン)は少ない貯蓄でも豊かに暮らせるというダウンサイズされた世界に魅力を感じ、妻オードリー(クリステン・ウィグ)と共にダウンサイズを決意。しかし土壇場でオードリーは逃げ出してしまう。監督はアレクサンダー・ペイン。
 生物縮小技術によって人口増加による環境破壊を防ごうというのが話の発端なので、SF的な要素を含む話なのかなと思っていたら、予想外の方向に転がっていく。ダウンサイズはあくまで入口であって、そんなに大きい要素ではないと思う。ペイン監督作品の中では最もユーモラスなのでは。
 ポールは目新しい技術を知ったり、有名人に出会ったりすると、てらいなく「すごい!」と感心する単純で直な性格だ。またお人よしで「すごい!」と思った物事や人には影響されやすく流されやすい。ポール自身は平々凡々でこれといった資産もキャリアもなく、医大を退学せざるを得なかったというコンプレックスが少しある。自分は平凡で何者でもないと感じているからこそ、「何者か」である有名人に惹かれるのかもしれない。そこで変にひねくれたりしないところが、ポールのいい所なのだ。相手に流されやすいというのは、相手を肯定しているという側面もあるんだなと彼を見ていると思う。
 また理学療法士をしてたポールはお人よしと揶揄されるくらい、基本的に誰かの役に立ちたい人で、そのために自分のスキルを提供することにためらいがない。それだけで立派だと思うけど、当人としてはそれだけでは「何者かになった」気がしないんだろうなぁ。
 このポールの素直さ、流されやすさが、彼を予想もしなかった境地に連れて行く。彼を引っ張っていくのは東欧から来た商人であるドゥシャン・ミルコヴィッチや、インドネシアの活動家ノク・ラン・トラン(ホン・チャウ)等、アメリカ人ではなく外から来た人たちだ。一旦は文字通りの小さな世界に収まっていたポールが、街を越えコロニーを越え国境を越えていき、どんどん世界が広がるという爽快さ。視野が広くなるというよりも、どう流されても自分は自分であり続けるのだと確認するための旅みたいだ。流されるのも悪くないかもしれない。

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『デトロイト』

 1967年の夏、ミシガン州デトロイトでは社会に対する黒人たちの不満が噴出し、暴動が起きていた。暴動が起きてから3日目の夜、アルジェ・モーテルの一室で銃声が響いた。デトロイト市警、ミシガン州警察、ミシガン陸軍州兵らがモーテルに押し入り、ピストルの捜索・押収の為に黒人宿泊客らを拘束する。デトロイト市警の白人警官たちによる強制訊問は一線を越えていく。監督はキャスリン・ビグロー。
 アメリカ史上最大の暴動と言われるデトロイト暴動の最中のある一夜を、当事者への取材を元に描いた作品で、当時の報道映像なども挿入されている。ビグロー監督作の中では一番編集がタイトで緩みがない印象。物語の核心となる一夜の出来事があまりに緊張感張りつめていて目が離せないというのもあるが、その前のシンガー志望のラリー(アルジー・スミス)らの初ステージがおじゃんなる流れ、警備員ディスミュークス(ジョン・ボイエガ)の仕事の仕方、白人警官クラウス(ウィル・ポールター)が商店から出てきた黒人を銃撃する流れ等、群像劇としての手さばきがいい。ラリーの無念さが滲む空席の劇場のシーンや、クラウスの無自覚な差別が不穏さを煽る。「一夜」への前振りをきちんとしているので、モーテルで彼らが顔を合わせた後の展開が更にきつく感じられるのだ。
 クラウスたちはたまたまモーテルにいた黒人たちが銃を所持していると決めつけ、彼らに不当な取り調べ(というより拷問)を行う。同じく宿泊していた白人女性2人に対しても、「黒人と寝た娼婦」と決めつける。彼らは自分たちが差別をしているという意識や、不当な捜査をしているという意識は希薄だ。人間、こいつには何をやってもいいんだという前提が自分の中にあると、本当に何でもやりかねないという恐ろしさを突き付けてくる。1人の警官の思考停止振りには唖然とするが、クラウスなどはむしろ治安の為の正当な行動だと思っているんだろうし、自分内の前提条件に疑問を持たない。クラウスたちが特殊なのではなく、こういう構図に置かれると誰でもそうなりかねない(今まさに自分がそうなっているかもしれない)ということの怖さだ。州兵や州警察は市警がやりすぎだと思っても我関せずで何もしない(それぞれの縄張り争い的なものもあるのだろうが)。はっきりと「人種問題には関わりたくない」と言う人もいる。そこで何か介入しておけば事態は変わったのに!とはがゆくなるが、「我関せず」という態度は自分もやってしまいがちなので非常に耳が痛い。あまり見たくないもの、直面するとしんどい(が考え続けなければならないこと)を延々と見せられるような作品だ。
 昼間は工場の作業員として、夜は警備員として働くディスミュークスは、黒人側と白人側を行き来しつつバランスを保つ。州兵に対して親切に振舞うのも、黒人少年をたしなめるのも、彼の人柄であると同時に処世術としてずっとこういう振舞いをしてきた人なんだろうなと窺えるものだ。モーテルでの彼は警察に協力する素振りを見せつつ、モーテルの客たちへの被害を食い止めようとする。しかし、彼に出来ることはわずかだ。この、「出来ることはわずか」という点が最後まで徹底している。あれだけ耐え忍んだのにこの仕打か!という顛末には、そりゃあ嘔吐もするよな!といたたまれなくなる。エンドロール前の「その後」のテロップで、現在進行形の問題であることが強く意識され更に辛くなる。ビグロー監督は『ハート・ロッカー』でも『ゼロ・ダーク・サーティ』でも辛さを避けなかったが、本作は特にそうだと思う。

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『ダンシング・ベートーヴェン』

 1964年に初演され、20世紀バレエ史上に残る傑作と謳われた、モーリス・ベジャール率いる20世紀バレエ団による演目。それはベートーヴェンの『第九交響曲』を踊ったものだったが、ベジャール亡き後は再演は不可能と言われてきた。その伝説的な演目が、2014年にモーリス・ベジャール・バレエ団と東京バレエ団の共同制作として再演された。その過酷な練習やリハーサルを追うドキュメンタリー。監督はアランチャ・アギーレ。
 総勢80人余りのダンサーとオーケストラ、ソロ歌手と合唱団という非常にスケールの大きい、加えてダンサーへの要求が過酷な演目の為、なかなか再演が難しい演目だそうなのだが、これは生で見て見たかったとつくづく思う。私はバレエもクラシックも門外漢なのだが、本作で撮影された『第九』はエネルギッシュで美しく、素晴らしい。スペクタクル感が強烈だ。
 ベジャールの振り付けって、やっぱりすごかったんだなと実感した。当然『第九交響曲』をダンスで表現しているわけだが、ダンスを介することで、この曲はこういう構造だったのか、こういう音楽だったのかと再発見したような気持ちになる。こんなに力強く、生命力に満ちた楽曲だったんだなー。『第九』というと年末に必ず聴くよなというイメージしかなく、そんなに好きな楽曲というわけでもなかった(そもそも私はさほどベートーヴェン好きではない)のだが、ダンスを見ていると何だか『第九』を好きになってくる。この「改めて見せる・聞かせる」力を持つダンスであると言う部分が、この演目の非凡さなのだと思う。
 人類の多様性を意識して演出された演目だそうだ。本作中の公演でも、バレエはアジアの東京バレエ団とヨーロッパのモーリス・ベジャール・バレエ団(ベジャール・バレエ団の中だけでも国籍・人種は様々)との合同だし、オーケストラはイスラエル・フィル。実際に総勢350名ほどのアーティストが参加しており、このあたりは「多種多様」を意識したものだろう。とは言え、一般から公募したと思しきダンサー要因(ダンサーとしての技能は素人)たちが皆黒人で、これは多様性を意識して逆に肌の色で括るような感じになっていないか?と疑問に思った。本作だとつかわれている映像が断片的なので、どういう文脈で彼らが選ばれたのかわからないのだ。そのあたり、何か説明して!もやもやしちゃう。

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『探偵はBARにいる3』

 札幌、ススキノでトラブル解決に奔走する探偵(大泉洋)と相棒・高田(松田龍平)。高田の大学の後輩が、失踪した女子大学生・麗子(前田敦子)の捜索を依頼してきた。調査に乗り出した探偵は、表向きはモデル事務所の怪しげな組織に辿りつく。そのオーナー、岬マリ(北川景子)は探偵を翻弄するのだった。原作は東直己の「ススキノ探偵シリーズ」。監督は吉田照幸。脚本はシリーズ1,2に引き続き古沢良太。余計なサブタイトルを付けなかったのは正解だと思う。
 本シリーズ、大泉洋がパンイチになるのがお約束なんでしょうか。今回かなり寒そう!これは厳しい(笑)!前作では往年の東映映画のごとくいきなりお色気要素を投入してきてどうした?!と思ったが、今回は控えめ。脱ぐのはほぼ大泉のみで、全年齢向き、ゴールデンタイムでのTV放送OKな画になっている。
 シリーズ3作目ということで、作品フォーマットがほぼ固まっている。とある事情を抱えた美女が探偵を翻弄し、ミステリとアクションと笑いとちょっと人情と涙、という定番。シーズン商品として1年に1本くらい見られると嬉しい。ほどほどに気を抜いて見られる面白さ度合いもちょうどよい。アクションは1,2作目に比べるとちょっと控えめ、かつあまり効果的な見せ方ではないように思え(スロー中途半端に使いすぎで、せっかくそこそこ長いシークエンスなのにぶつ切りされているように見える)、少々残念だった。ともあれ東映の定番として今後も続いていくといいな。
 毎回女性が物語の鍵を握るシリーズだが、今回は3人の女優がそれぞれ役柄にはまっていて魅力的。北川景子ってやっぱり美人なんだな・・・。麗子役の前田は、計算高いがあっけらかんとした女性を演じると非常にハマっており、やはり筋がいい。またマリの過去を知るかつての同僚(というか先輩)モンロー役の鈴木砂羽はどっしり構えた貫禄と気の良さが感じられる演技。今回のメイン登場人物であるマリはもちろんだが、麗子もモンローもキャラクターの存在感、こういう人なんだろうなと想像させる厚みがあってなかなか好感が持てた。
 マリの行動の動機がどうにもやるせなく切ない。他人から見たらバカみたい、何の意味もないように見えるかもしれないが、本人にとっては大真面目で、人生を賭ける価値がある。傍から見たら意味がない・得がないとわかっていても、突き動かされるようにやらざるを得ない、やらずにはいられない人が出てくる物語が自分は好きなんだなぁと改めて思った。それを否定しない探偵の悔恨と優しさが染みる。このシリーズ基本的に、この世から落っこちそうな人を探偵が助けようとする話なんだよな。

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『立ち去った女』

 教師だったホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)は、冤罪で投獄され30年になる。しかしある日、受刑者仲間のペトラがホラシアが犯人とされた殺人事件の真犯人だと告白。ホラシアに罪を着せたのは、ホラシアのかつての恋人・ロドリゴだと言う。ペトラは真相を告白した後、自殺してしまった。ホラシアは釈放され娘と再会するものの、夫は既に亡くなり、息子は失踪。ホラシアは復讐の為ロドリゴを追う。監督はラヴ・ディアス。原作はレフ・トルストイの短編小説『God Sees the Truth, But Waits(神は真実を見給ふ、されで待ち給ふ)』。
 228分という長尺だが、ディアス監督の作品の中では比較的短い方だそうだ。いくらなんでも長すぎるのではと思ったが、見ている間は不思議とさほど長さを感じない(肉体的にはじわじわ堪えてくるけど・・・)。むしろホラシアの旅路が2時間で収まるはずがない、じわじわと迂回しつつ進むのが妥当ではないかと思えてくる。時間の経過を体感することが、この作品においては非常に重要なのだと思う。
 本作の物語は王道メロドラマ、復讐譚だが、ホラシアは復讐の手前で躊躇し続けているように見える。物理的な旅はロドリゴを発見した時点で終わっているわけだが、彼女の心の変遷、精神的な旅路はまだ終わらない。実際にはロドリゴをロックオンして住家を手に入れ現地での商売も始め、更に情報源を確保してと着々と準備を進めていく。釈放された後の自宅の処分や管理人へのケアでもわかるのだが、ホラシアは行動力はあるし実務能力が高い人(しかも体術の心得もある)なのだ。彼女の立ち居振る舞いには、身一つで生きてきた人のかっこよさがある。
 しかしロドリゴへの一撃は遅々として始まらない。むしろ、彼女がその過程で接する人たちとのやりとりの方が豊かなドラマを見せてくる。卵売り、ホームレスの女性、食堂を任されている女性ら、どの人たちもそれぞれ訳有りっぽく、個々のドラマを背負っているであろう存在感がある。特にトランスジェンダーのオランドとの交流は、女友達同士のようでもあり親子のようでもあり、強い印象を残す。
 彼・彼女ら脇役が、ホラシアのドラマを復讐譚から徐々にずらして別の線路に乗せていくように見えた。それこそが、ホラシアの旅路だったのだろう。ある種の「行きて帰りし」物語であるようにも思える。特定の場所に帰るというよりも、自分の心の置き場が決まったという意味での帰郷。さまよい続けているのはむしろロドリゴの方だろう。神父とのやり取りからも垣間見られるが、彼の魂は休まる時がないのだ。

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『ドリーム』

 アメリカとソ連が宇宙開発でしのぎを削っていた1961年。バージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所には、ロケット打ち上げに必要な大量の計算を行う黒人女性のチームがあった。数学の天才キャサリン(タラジ・P・ヘンソン)、管理職志望のドロシー(オクタビア・スペンサー)、エンジニア志望のメアリー(ジャネール・モネイ)はそれぞれ優れた才能を持ちながら、黒人かつ女性であることで理不尽な境遇に立たされ、出世の道も閉ざされていた。監督はセオドア・メルフィ。
 冒頭、警察官とのやり取りの中で、キャサリン、ドロシー、メアリーが3人3様の対応のトラブルへの対応方法を見せる。この人はこういうスタンスなんだ、ということが簡潔によくわかる、上手い演出だ。誰のやり方が正解というわけではなくて、それぞれのやり方がある。そして、3人はお互いにそれぞれのやり方を尊重している。この「それぞれである」ということが、本作全体を貫く一つの柱にもなっているのだ。
 キャサリンたちは、頻繁に大雑把なくくりで括られ、偏見で判断される。黒人だから専門性の高い仕事は出来ない、女性だから働くことには向いていない、といったように。しかしそれらは、世の中が勝手に決めてそういうものだと見なしているというだけで、実際には黒人であろうが白人であろうが、女性であろうが男性であろうが、数学が得意な人も不得意な人もいる。千差万別なはずなのだ。それがなぜ、黒人だから、女性だからとひとくくりにされるのか。世間がそうしているから、これまでそうだったから、という以外の具体的な理由は見当たらない。「これまでそうだったから」ということの無頓着な暴力性は作中でしばしば目にされる。これまでのやり方に準じている側は、それが差別的なことであるとは気付かないのだ。だって「これまでそうだったから」。ドロシーの上司の「偏見があるわけじゃないのよ」という言葉(とそれに対するドロシーの返し)が象徴的だった。
 キャサリンたちが掴み取ったものは、彼女らの突出した才能による「特例」であったという一面は否めない。平等にはまだほど遠いのだ。メアリーの夫が彼女が出世しようとするやり方にイラつくのもわからなくはない(白人たちの土俵で彼らに認めて「もらう」ってことだから)。しかし、彼女らは自分たちの一歩が次の誰かの一歩に繋がる、その一歩が裾野を広げていつか本当に平等が得られるはずだと信じて進むのだろう。キャサリンの両親や教師たちもまた、次の誰かの為にと尽力したのだ。
 音楽と衣装がとても良い作品でもあった。いかにも60年代ぽい楽曲の数々はファレル・ウィリアムズによるものだが、ファレルの職人技を見た感がある。また、女性達のファッションが色とりどりで目にも楽しいし、着ている人のパーソナリティが垣間見える着こなしになっている。ドロシーがスタッフを引き連れて行進するシーンは圧巻だった。

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