3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名た行

『田園の守り人たち』


 1915年、第一次世界大戦中のフランスの田園。未亡人オルタンス(ナタリー・バイ)は、長女で夫が出征中のソランジュ(ローラ・スメット)と農園を取り仕切っていた。人手不足の中、身寄りのない若い娘フランシーヌ(イリス・ブリー)を雇うが、彼女は働き者で家族同然になっていく。ある日、前線から二男ジョルジュが一時休暇で帰ってくる。ジョルジュとフランシーヌは惹かれあっていくが。監督はグザヴィエ・ボーヴォワ。  音楽が何だかいいなと思っていたらミシェル・ルグランだった。最晩年の仕事ということになるのか。全般的には控えめな音楽の使い方なのだが、エピソードの節目節目で印象に残る。また、四季を通して描かれるフランスの田舎の風景が美しい。ジョルジュが農場の周りの森に拘るのもわかる。  女性ばかりの農園が舞台ということで、大地母神神話的に母性賛歌みたいな方向だとちょっと困るなと思っていたら、あまりそういう側面は感じられずほっとした。農園のあり方はむしろ、経営、経済活動という側面が目についた。男性は出征していて働いているのは女性と老人ばかりなのだが、耕運機など農耕器具が改良され(作中描かれているのは3,4年程度なのだが、その中でも結構進化している)、生産量が上がっていると言及されるシーンがある。技術が発展すると労働力としての男性のアドバンテージはそれほど高くなくなっていくのだ。ソランジュが帰郷した夫に得意げな顔で農耕器具を見せるシーンが印象に残った(夫が君すごいな!的リアクションなのもいい)。農場主であるオルタンスの個性は、母性よりもむしろ経営者、事業者としての有能さに象徴されている。  とはいえ、オルタンスは経営者であると同時に娘、息子たちの母親であることは間違いない。彼女の「母」としての側面が強く出るのは、特に息子に対してだ。それまで冷静でフェアだった人が、息子の為には急にひとりよがりで卑怯なことをしてしまう。母親の業みたいなものなのかもしれないが、息子に対する執着が見え隠れしてちょっと怖かった。  女性たちの強さ、有能さが印象に残るが、女性故に我慢しなくてはならない側面は依然としてある。「女」として扱われる不愉快さが、主にアメリカ兵相手に漂う。あるシーンで、ジョルジュはフランシーヌが立場上そうせざるを得ないということが多分わからないのだろう。その時彼もフランシーヌが感じる不愉快さに加担していることになるのだが、その自覚もないのだろう。オルタンスはそれがわかっていて、やはり加担してしまうというのが辛い。



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『隣の影』

静かな住宅地。老夫婦のインガ(エッダ・ビヨルグヴィンズドッテル)とバルドウィン(シグルズール・シーグルヨンソン)が隣家の中年夫婦エイビョルグ(セルマ・ビヨルンズドッテル)とコンラウズ(ソウルステイン・バックマン)にクレームをつけられた。庭木がポーチに影を落とすので切ってほしいというのだ。これを皮切りに2家の関係は悪化。身の回りで起こる災難は全て相手の嫌がらせに見えてくる。一方、インガ夫婦の息子アトリ(ステインソウル・フロアル・ステインソウルソン)は妻アグネス(ラウラ・ヨハナ・ヨンズドッテル)との関係が破綻しそうになり、実家に転がりこんできた。監督はハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言うかなんというか・・・。相手のやることなすこと気に食わない!というご近所付き合いの闇が広がっていく様をブラックユーモアで描いている。アイスランドの映画のユーモアってちょっと独特というか、人間の可能性にあまり期待していない感じがする。かなりシニカルだ。
2つの家庭がぶつかりあっていくが、双方の憎しみの度合いは同等のものではない。インガは少々被害妄想に走っているように見える。彼女の憎しみは大分理不尽だ。エイビョルグの妊娠を知った時の一言には、えっそっちに反応する?!そんなこと言う?!というもの。そしてコンラウズは妻の異変に気づいているが、肝心な所で逃げる。インガの変調は長男の死がきっかけらしいということが徐々にわかってくるものの、そもそも愛情のあり方にちょっと問題のある人なのでは。夫婦共にその問題、そして長男の死とちゃんと向き合ってこなかったのではと思えてくる。アトリの妻子に対する態度もかなり問題あるが、当人は自覚していない。この一家「そういう所だぞ」という部分が多すぎるのだ。隣家とのもめごとにしろ妻から愛想尽かされることにしろ、今に始まったことではなさそう。
エイビョルグとコンラウズは彼らに巻き込まれてしまったように見えてくる。2人の言動は確かに無神経だし傲慢なところもあるのだが、そこまで病的な印象ではない。何の因果で・・・。不条理劇ホラーのような作品だった。

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『トム・オブ・フィンランド』

 第二次大戦後のフィンランド。帰還兵のトウコ・ラークソネン(ペッカ・ストラング)は広告会社でイラストレーターの仕事をしつつ、自分の為だけにたくましくセクシーな男性の絵をスケッチブックに描き続けていた。当時のフィンランドでは同性愛は法律で禁止されており、ゲイであるトウコは自分のセクシャリティを明かすことも、公の場でパートナーのヴェリ(ラウリ・ティルカネン)との関係を明かすこともできなかったのだ。トウコは作品をアメリカに送るようになり、雑誌の表紙に起用されたことがきっかけで、世界中でその作品は評判になっていく。監督はドメ・カルコスキ。
 本名で作品を発表できないトウコのペンネームが「トム・オブ・フィンランド」。実在したゲイアートの先駆者、トム・オブ・フィンランドの伝記映画だ。フィンランドでは法的に同性愛が禁止されているため、アメリカに作品を送って売っていたわけだが、トウコがあずかり知らぬところで彼の絵がどんどん知られるようになり、ゲイの人々の間で愛されるように、また彼らをエンパワメントするようになる。その流れを作家当人は全然知らないままだったという所に時代背景を感じた。ファンの招きにより渡米して初めて、トウコは自分の作品がどのように受けいられているのかということ、そして作品に勇気づけられた人たちがいることを知る。このエピソードはアートの持つ力、役割を感じさせ感動的ではあるのだが、同時にヘルシンキとカリフォルニアとの状況が違いすぎて辛くもある。同じ時代であっても生まれた場所が違うだけでこんなに自由の度合いが違うのかと。カリフォルニアで警官の振る舞いを見たトウコの表情が何とも言えない。トウコにとって警官は自分を迫害し痛めつけるもので、礼儀も尊重もなかったのだから。
 トウコの戦時中の体験と、戦後の生活、そして晩年とを行き来する構成で、彼の人生を追っていく。また同時に、彼の作品がどのように受容されていったのか、ゲイ社会がどのように変化していったのかという社会背景も映画いている。トウコが初めて渡米した頃は解放感に満ちていたのに、エイズの発症が確認されるようになると同性愛者差別が加速し、また時代が逆行したようになっていく。同性愛が法に触れなくなった後も、トウコはヴェリと外で手をつなごうとしないし、「ゲイっぽい」振る舞いをすることに抵抗があるように見えた。妹にも自分とヴェリの関係をちゃんと説明していたのかどうか、はっきりしない。職場でヘテロっぽさを強調するあまりちょっと女性へのセクハラっぽくなるあたりはいただけなかった。トウコ自身はかなり保守的というか、ゲイに対する差別と闘うといった意欲は長らくなかったように見える。長い間そういったことが禁じられていたから、隠すことが習い性になってしまっていたというのもあるだろう。彼の意識がちょっとずつ変わっていく過程を描いた物語でもある。終盤、カーテンにまつわるエピソードにはちょっとほろっとしてしまった。あの時無理だと言っていたことが、ちゃんとできるようになっているじゃないかと。時代は確実に変わるのだ。
 彼の作品はゲイの人々をエンパワメントするものだったが、作者当人はなかなか自由にはなれなかった。作品の方が作家よりも早く遠くに行けた、作家当人にはその自覚がずっと希薄だったところが面白いし、皮肉でもある。それがアートの面白さなのかもしれない。

『天気の子』

 16歳の帆高(醍醐虎汰朗)は、離島から家出し東京にやってくるが、すぐに資金が尽き仕事もみつからず途方に暮れていた。船で出会ったライターの須賀(小栗旬)を頼り、彼の事務所で住み込みのアシスタントを始める。ある日であった少女・天野陽菜(森七菜)は「100%の晴れ女」だった。2人は晴れを届ける商売を始めるが。監督・脚本は新海誠。
 プロデュース川村元気、キャラクターデザイン田中将賀、音楽RADWIMPSという『君の名は。』の布陣を引き継いだ布陣。まさかのメガヒット作の次にどんな作品を作るのかと思っていたら、基本毎回同じネタというかブレがないというか。もう自分はこのネタ一本でいきます!という開き直りを感じた。好き嫌いは別として、この度胸と作家性はやっぱり強みなんだろうなぁ・・・。10代少年のメンタルを維持し続けるというのが、
 天候の描写は本当に美しく見応えがあるのだが、本作を好き、面白いと思えるかというとちょっと微妙だった。今に始まったことではないのだが、「特殊能力ゆえに悲劇から逃れられない少女を僕が助けたい」という新海誠監督作に頻繁に出てくる願望がモロに表出しており、いまだにこれなのかと辟易した。それが作家性というものなんだろうけど、延々とやるのか…。少女に色々なものを仮託しすぎだし、主人公の少年は何も出来ないのに彼女に全面的に受け入れられすぎで、まあ都合がいい話だよなという面は否めない。ラストを、「特別な少女」を犠牲にしがちなオタクコンテンツへのアンチテーゼと見る向きもあるようだが、どちらかというと世界に対して何か決定的な影響力を持ちたい!という少年の独りよがりな願望に見えてしまった。そもそも、なぜいつも特殊能力を持ち負荷をかけられるのが「少女」という設定にするんだという話だからな・・・。自分に何もないから少女に託すんだろうけど、もうちょっと何か引き受けようよと思ってしまう。
 帆高にしろ陽菜にしろ、大人への不信感、大人のサポートを拒否する感じは何なんだろうなと不思議だった。少年少女が身を寄せ合う状況にしたいというストーリーの建てつけ上の都合とはいえ、彼らの行動原理の説明がないので不自然に感じた。ぱっと見楽しそうでもすぐに破綻しそうな生活で、ボーイミーツガール以前に大人が保護しろよと思ってしまった。本来なら、帆高と「ちょっと(不完全な)大人」である須賀たちとの生活のエピソードの方が、帆高の成長過程では重要なんじゃないかと思うんだけど・・・。女子とまともに関わるのはそのあとでいい。

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『旅のおわり、世界のはじまり』

 テレビ番組のリポーターとしてウズベキスタンを訪れた葉子(前田敦子)。伝説の怪魚を探すロケはなかなかうまくいかず、スタッフも苛立つ。ある夜、路地裏に繋がれたヤギを見かけた葉子は、そのヤギを野に放ちたいという衝動に駆られる。監督・脚本は黒沢清。
黒沢監督にしてはかなりフワっとしたゆるさのある作品。前田敦子の存在感にゆだねた部分が大きい(黒沢清流のアイドル映画と思えばいいのか)からか。それでも室内でカーテンは揺れるし、急に日が陰るし、黒沢印は健在なんだけど。
 テレビクルーは葉子以外全員男性。染谷将太演じるディレクターが現地の人に対してすごく失礼だし、クルーに対しても感じ悪いのだが、こういうディレクターいそうで笑ってしまった。海外ロケのあるバラエイティ番組を見ていると、これはかなり失礼なのではという企画がちらほらあってぞっとすることがあるので、笑いごとではないのだが・・・。現地ガイドの青年とADは葉子にに対して多少気遣いがある。ADが「歌」を聴いたのは彼女と少しだけ心の距離が近かったからか。男性のグループの中で女性が働く時のいまひとつ打ち解けられない感じ、緊張感が随所で見られる。バスに乗ったら男性乗客ばかりだった時(前田の表情が上手い!)や、夜道で男性のグループとすれ違う時の緊張感等、葉子がリラックスしていられるシーンがほぼないのだ。海外にいるからというのも一因だが、仕事仲間の間でいまひとつ意思疎通ができていないというのも大きいんだなとわかる。気を許せる場がないのだ。この気の許せなさ、リラックスできなさは見ていてちょっときつかった。
 ヤギを野に放つという葉子のアイディアは多分に短絡的ではあるのだが、何か自分だけの物語のようなもの、自分の予想をちょっとだけ越えるものが欲しいのだ。彼女が山頂で得たものは多分それだろう。あの瞬間、彼女がウズベキスタンで体験した不愉快さを含めた諸々が物語となる。それは彼女のこの先を支えるものだろう。前田敦子の歌唱は、決して達者と言うわけではないのだとてもよかった。少なくともあのシーンにとってはベストの歌唱。

散歩する侵略者 特別版 [Blu-ray]
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黒沢清、映画のアレゴリー
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『誰もがそれを知っている』

 ラウラ(ペネロペ・クルス)は妹アナの結婚式の為、家族と共に暮らすアルゼンチンから2人の子供を連れスペインの実家に里帰りする。ワイン農場を営む幼馴染のパコ(ハビエル・バルデム)とも再会し、結婚式も披露宴のパーティーも大いに盛り上がる。しかしパーティーのさ中、ラウラの娘イレーネが姿を消す。身代金を要求するメールが届き、誘拐されたことが判明するが、それぞれが解決の為に奔走する中、家族の秘密があらわになっていく。監督はアスガー・ファルハディ。
 この邦題はちょっと意地悪。当人は自分達だけの秘密だと思っているのに、周囲はなんとなく事情を察しているという・・・この田舎社会感が辛い!誘拐事件をきっかけに、お互いに隠していた「ということになっている」こと、取り繕っていたことがどんどんほつけて露呈していく。なかなかいたたまれない話なのだ。舞台が都会だったら、ここまで人間関係煮詰まらないような気がする。村の外に出にくい、社会の中での関係性が限定されているという所が事態をこじらせているように思った。そもそも事件のきっかけも、ここから出ていきたいという願望からだろうし。
 ファルハディ監督の作品は、人間の心理の不可思議、矛盾を精緻な脚本で描くという印象がある。本作も人の心のミステリを描いてはいるが、これまでの作品の模倣というか、ちょっと手くせで作ってしまったような印象を受けた。よくある話、凡庸な線でまとまってしまい、いまいちキレが鈍い。クルスとバルデムというスター俳優を使ってもスター映画っぽくはなっていないあたりは面白かった。俳優優先ではなく、作品のパーツとしての俳優なんだなと。
 男女の人間関係、家族間の人間関係のこじれやすれ違いはもちろん厄介なのだが、ラウラの一族が地元の人間に対しうっすらと優越感を抱いていることが、お金の問題が発生するに伴いポロポロ表面化していくるところにぞわっとした。差別発言、相手をさげすむ言葉がナチュラルに出てくるが、発する当人はその差別意識に無頓着なのだ。ラウラの父親の振る舞いは醜悪と言ってもいいのだが(そもそもお前のせいで没落したんだろ!と突っ込みたくなるし)、多分本人はそういう意識はないんだろうなぁ・・・。男女の因果よりもこっちの方が厄介に思えた。この一家、実は地元では好かれていないのでは・・・。


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『ドント・ウォーリー』

酒びたりの日々を送るジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)は交通事故で胸から下が麻痺し、車いす生活になってしまう。更に酒に溺れるキャラハンだが、アルコール依存症の互助会に参加するうち、徐々に立ち直っていく。そして風刺漫画家として歩みだす。監督はガス・ヴァン・サント。
キャラハンの車いす生活や風刺漫画家としての開花と成功は、大きな要素ではあるもののあくまでサブストーリーであるように思った。軸になっているのはアルコール依存症からの立ち直りだ。彼がアルコールに溺れる原因はどこにあるのか、自分と向き合っていく様が、過去と現在を行き来しながら描かれる。そんなに劇的な構成ではなく、むしろ平坦にも見えるのだが、少しずつしか歩めないものである、(作中で言及されるように)回復に劇的な瞬間などないという所がポイントなのだ。一歩進んで二歩下がる、を延々と続けていく。
断酒会の様子がなかなか良い。ずけずけ物を言う人もどこか憎めないし、それぞれ事情がある中、時に失敗しつつも踏ん張っているのだろうと思える。会の“スポンサー”であるドニー(ジョナ・ヒル)は多額の遺産を相続し何一つ不自由ない優雅な生活を送っているように見えるし、ちょっと新興宗教の教祖的なうさんくさい雰囲気もある。しかし、彼がこの境地に辿りつくまでにはやはり苦しかったし、今もまた苦しいのだと徐々に見えてくる。終盤のキャラハンと彼とのやりとりは、彼がキャラハンに渡したかったものがちゃんと渡された、かつやはり「互助」なのだということを感じさせしみじみと良かった。
キャラハンの漫画は過激だという触れ込みで、あえて差別的な表現もしている。彼のガールフレンドはそれについてあっさりと「あなたは古い」と言い放つ。多分、今だったらもっと古く感じるだろう。彼の「過激さ」というのはそういうもので、表現も価値観も時代と共に常に変化していくのだと示唆される。このあたりは、キャラハンの表現を必ずしも全面的には肯定しないという、監督の倫理観なのかなと思った。
登場する人たちは基本的に皆いい人だ。困った奴、どうしようもない奴はいても悪人ではない。とはいえルーニー・マーラ演じるガールフレンドはあまりに理想的で天使すぎないかと思った。キャラハンの脳内彼女なのではという疑いを最後までぬぐえなかった。

ミルク [DVD]
ショーン・ペン
ポニーキャニオン
2009-10-21





八百万の死にざま (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ローレンス ブロック
早川書房
1988-10-01

『魂のゆくえ』

 ニューヨーク郊外の小さな教会の牧師トラー(イーサン・ホーク)は、ミサにやってきた女性メアリー(アマンダ・セイフライド)から、夫マイケルが悩んでいるので話を聞いてやってほしいと頼まれる。環境活動家のマイケルは環境汚染を心配するあまり、メアリーが妊娠中の子供を生むことが正しいのかどうか葛藤していた。更に。トラーは自分が所属する教会が、環境汚染の原因を作っている企業から多額の献金を受けていると気づく。監督はポール・シュレイダー。
 トラーは神父なので、仕事でも私的な課題としても、信徒と、自分自身との対話を続ける。神父という立場からは対話をはぐらかすことはできない。自分自身に対しては可能だろうが、彼は自分への枷としてそれをよしとしない。この対話が彼を追い詰めていく。トラーの自分内ロジック、ともすると思いこみが暴走していくところ、更にそれが何の役にも断っていないというところは、シュレイダー監督が脚本を手掛けた『タクシードライバー』とちょっと似ている。自分の行動の動機を勝手に他人に託してしまっているきらいがあるところも。メアリーに対する思い入れは、ともすると彼の一方通行っぽく見えてしまい少々危うい。
 信仰の話なのかと思っていたら、どんどんそれていき予想外の方向へ。信仰そのものというより、現状の、大企業的教会の一支部として、人道的とは言えない事業もしている大企業の献金を受けないと維持できないという、現状に対する葛藤と言った方がいいのか。とは言え、トラーは元々環境問題に強い関心を持っていたわけではなさそうだ。急にのめりこんでいくのでどうしちゃったの?と不安になる。彼が本来向き合わなくてはならない問題は別にあり、そこから逃れる為に手っ取り早く目の前の問題に飛びついているようにも見えるのだ。
 トラーの信仰は彼の息子が死んだときに既に死に向かい始めていたのではないかと思える。とはいえ、彼が救われるのは全く信仰によってではない!結局それか!という意外性というか、脱力感というか・・・。何とも奇妙な終盤。こうであればいいのにというトラーの幻想であるようにも思えた。でもそこに救いを見出されてもなぁ・・・。やはり他人に諸々託しすぎでは。

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『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』

ピーター・ゴドフリー=スミス著、夏目大訳
心、意識はどのように生じてきたのか。哲学者であり熟練のダイバーでもある著者が、生物の進化を追いつつ、脊椎動物とは全く異なる頭足類、タコやイカの仲間の生態の観察から、生き物の心の存在を考える.
本著の冒頭で、原文のmindに「心」、interlligenceに「知性」、consciousnessに「意識」という訳語を当てていることが編集部により記されている。加えて、英語のmindは心の機能の中でも思考、記憶、認識という人間で言う所の主に頭脳の働きを想起させる言葉だと解説されている(なので本著内で言う「心」は英語での意味)。いわゆる日本語で言う「心の動き」とはちょっと異なるということだ。タコの「心」、精神活動についてもこの英語/日本語の差異と似たところがある。人間が想像するタコの精神活動はあくまで人間の視点によるもの、タコの精神世界はタコ独自のもの、タコの身体に基づいたものだという本著の内容が、この前置きに既に現れている。タコの知能が高いという話は聞いたことがあったが、本著によると思っている以上に頭がいい(ただ人間にとっての「頭の良さ」とはちょっと違う所もある)。映画『ファインディング・ドリー』で描かれていたタコの行動はちゃんと事実に基づいていたんだな・・・。基本群れない生き物だが条件によっては小さい社会のようなものを形成するという所や、好奇心旺盛で「遊び」的な行動も見せるという所は新鮮だった。彼らの知能は定型を持たない身体と深く関わっているらしいという点も。ガワが決まると中身も決まるという側面はあるんだろうな。

『立ち上がる女』

 アイスランドの田舎町に住む合唱団講師のハットラ(ハルドラ・ゲイルハルズドッティル)にはもう一つの顔があった。環境活動家として、地元のアルミニウム工場に停電攻撃を仕掛けていたのだ。ある日、彼女の元に4年前に申請していた養子縁組が受け入れられたという知らせが届く。監督はベネディクト・エルリングリン。
 協力者の議員や双子の妹に反対されても我が道を突き進むハットラの姿は力強い。活動家としての手腕は結構なもので、冒頭のボーガンの使い方を見ているだけでも彼女のことをちょっと好きになってしまった。彼女の活動に対して、環境問題は大事だけど周りの人に迷惑がかかるようなやり方ってちょっと・・・と思う人は大勢いるだろう。ヨガのインストラクターであるハットラの妹も、姉の主義は尊重しているが暴力的な方法には賛成できないと彼女を諌める。しかし、ハットラの世間への迎合しなささ、自分を曲げない様を見ていると、(それが今の風潮に即さないものだとしても)いっそ清々しくて、誰かの迷惑なんて考えてられるかよ!正しいと思ったことをやりたいんだよ!って気分になってくる。彼女の中での優先順位がすごくはっきりしているのだ。
 とは言え、ハットラにも迷いはある。活動家である自分が幼い子供の保護者として責任を保ち続けられるのかということだ。これが、自分に母性があるのか女性としてこの生き方でいいのか等ではなく、保護者として適切だろうか(何しろそこそこ危険なことをしているので突然いなくなる=保護者としての責任を果たせなくなる可能があるのだ)という迷い方な所がとてもよかった。あくまで彼女個人(と引き取る子供)の問題であり、世の中のくくりやカテゴリを想定したものではないのだ。自分にとって、自分の家族となる存在にとってベストな道、生き方になるのかを考えている。彼女の妹が、姉のそういう生き方に賛同はしないが理解し尊重しているというのもいい。登場人物に対して個人としての尊重が保たれている映画は、やはり見ていて安心できる。
 音楽の使い方がとてもユニーク。ブラスバンドとウクライナ(ハットラが養子にしようとしている少女がウクライナ人)の合唱団によるものなのだが、背景に楽団が登場してそのまま演奏するのだ。背景に徹するのかと思ったら登場人物と目を合わせたりとちょっとしたコミュニケーションを取ったりもするので、これは何事?!と笑ってしまう。しかしとぼけたユーモアがあり、またハットラに寄り添い勇気づける存在にも見え、気分が和む。音楽自体もかっこいい。

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