3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名さ行

『ジュマンジ/ネクストレベル』

 テレビゲーム「ジュマンジ」の中での冒険から2年、スペンサー(アレックス・ウルフ)、マーサ(モーガン・ターナー)、フリッジ(サーダリウス・ブレイン)、ベサニー(マディソン・アイスマン)は大学生になりそれぞれの生活が始まっていた。しかしスペンサーは壊したはずのジュマンジを修理し、再びゲームの世界に入ってしまう。残された3人も彼を連れ戻す為にゲームにログインするが、スペンサーのおじいちゃんたちも一緒にゲーム内に吸い込まれてしまう。監督はジェイク・カスダシ。
 相変わらずゲームの構造がよくわからない大雑把さなんだけど、登場する人たちが(ゲームの悪役以外)皆いい人なので、安心して見られる。ゲームに再び入ってしまうスペンサーの行動は唐突にも見えるが、周囲は順調に進んでいるのに自分だけ取り残されたように感じてつい現実逃避してしまうというのは、何だかわかる。コンプレックスを「ジュマンジ」世界で冒険したことで克服できたのに、また元に戻ってしまう。ゲームの中での全能感は当然ゲームの中だけでのことだけど、一度味わうと忘れられないのか。そこから引き戻してくれるのが友達なわけだが、彼らもまた、ゲーム内のアバターには結構愛着を持っている。何だかんだいってルックスがよくて身体能力高いキャラになりたくなっちゃうんだよなー(マーサは全ての体は美しい!と自分に言い聞かせるけど、言い聞かせないとならない程度ってことだ)。ルッキズムの呪力の根強さよ。どうしてもわかりやすい強さ、かっこよさに流れちゃう。そこへの反論、どんな能力にも使い道があるということも作中提示はされているが。
 ブレイブストーン博士にしろオベロン教授にしろ、「中の人」が替わったことがちゃんとわかる所が楽しい。ジャック・ブラックはもちろんだけどドウェイン・ジョンソンも上手い!動きがちゃんと年寄りのものになっている。ジャック・ブラックは台詞のイントネーションの切り替えがさすがだった。

ジュマンジ [Blu-ray]
ロビン・ウィリアムズ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2011-07-22


『屍人荘の殺人』

 ミステリー愛好会の会長・明智恭介(中村倫也)とその助手葉村譲(神木隆之介)は、大学内で起きる様々な事件に首を突っ込んでいた。ある日、同じ大学に通う剣崎比留子(浜辺美波)に音楽フェス研究会の合宿への同行を持ち掛けられる。研究会に脅迫状が届いており、昨年の合宿で女子生徒が失踪したことと関係があるのではというのだ。3人は研究会のメンバーと共に、長野県の別荘「紫湛荘」に宿泊することになるが。原作は今村昌弘の同名小説。監督は木村ひさし。
 あるトンデモ設定が明かされるタイミングが原作よりも大分前倒しになっているのだが、その他は割と原作に忠実。登場人物の布陣もアレンジされオリジナルキャラクターも投入されているのだが、本格ミステリとしての謎解き部分に関しては原作通りというバランスがちょっと面白い。キャスティングによる犯人推測もやりにくいように配慮されているように思った。謎解きに関して映画オリジナルでちょっと追加されている部分もあるのだが、それもなるほどなと思える範疇。そこ割愛するの?とかそこで終わるの?とは思ったが。
 良くも悪くも「豪華なTVドラマ」感は否めない。監督がTVドラマ出身の人だからかなのか、あまり「映画」という感じはしないのだ。仲間内っぽい小ネタを使いすぎなせいかもしれない。お茶の間で気楽に見る用の作品という印象だった。出演者に関しても割と神木が一人で牽引しているというか(やっぱりコメディができる人は強いなと思った)…正直、演技を見る作品ではない。とは言え、高校生が友達同士で見に行くにはちょうどいい感じの面白さ。本格ミステリとしてのフェアな謎解きを意外にちゃんとやろうとしているので、ミステリ好きとしてもそんなに悪い印象はない。なお、死人は出るが露骨に残酷な描写はない(肝心なシーンはレントゲン図的に演出されます)のでその向きが苦手な方も安心。

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)
今村 昌弘
東京創元社
2019-09-11


魔眼の匣の殺人
今村 昌弘
東京創元社
2019-02-20


『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』

 ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)の意志を受け継ぎ、フォースを覚醒させ修行に励むレイ(デイジー・リドリー)。一方、祖父ダース・ベイダーに傾倒し銀河の支配者に登り詰めようとするカイロ・レン(アダム・ドライバー)。レイはレジスタンスのポー(オスカー・アイザック)やフィン(ジョン・ボイエガ)らと共に戦いに挑む。監督はJ.J.エイブラムス。
 1977年からの全9エピソード、ついに完結。関係者の皆様お疲れ様でした!解散!と言いたくなる。エピソード7,8,9は一方では現代性を考慮しつつ、一方ではオールドファン達を配慮しつつという四苦八苦が垣間見える作品だった。私はスターウォーズシリーズに思い入れがないし、エピソード4,5,6のリアルタイム世代ではないので正直そんなに面白いとも思っていなかった(スターウォーズ以降、フォロワー的作品が大量に出た後の世代なので、最早新鮮さを感じられない)。しかし、7,8,9については結構面白く見ることができた。やはり同時代性というのは馬鹿にできないのだと思う。
 スカイウォーカーの夜明けというサブタイトルだが、スカイウォーカー一族という血からの解放でもあり、帰属でもある、ただしどちらも自分で選ぶことができるのだという落としどころは苦し紛れというよりも、今スターウォーズを描くならこうなるだろう、という所では。レジスタンスらの自分たちは一人ではない、どこかに必ず後に続く者がいるという信念も、超王道ではあるが世界の分断が深まる現代にはより響くものがある。
 ただ、難点も結構ある。相変わらずレジスタンス側の作戦がぶっつけ本番的で勝てそうに思えない所や、帝国側も組織が現在どうなっているのか最後までよくわからない(組織の規模とか構成とかがよくわからない…カイロ・レンが妙に高い位置にいることで組織のスケール感が消えてるんだよな…)所など、設定にしろストーリー展開にしろ見せ方の大雑把さが目立つ。また、これは本作に限ったことではなくシリーズ全般的にその傾向があると思うのだが、地上戦の際の位置関係や移動距離等、空間設定がよくわからない。空中戦はかっこいいのに、地上の白兵戦はとりあえず大群動かしました的な大雑把さを感じる。
 レイ、ポー、フィンの関係がロマンスではなく、友情をベースにしたものであるというのはよかった。フィンはレイに対して何か言いたいことがあったみたいだけど(笑)、フィン本人が今回意外とモテていてレイへの感情がうやむやになっている。その一方で、レイとカイロ・レンに関しては、そうじゃないんだよなぁ…という不満が否めない。もう一人の自分みたいなもので、ロマンスとはちょっと違うと思う。


『Gのレコンギスタ 行け!コアファイター』

 リギルド・センチュリーと呼ばれる未来。貴重なエネルギー源フォトン・バッテリーを宇宙から地球上に運ぶ軌道エレベーター、「キャピタル・タワー」を護衛する「キャピタル・ガード」の候補生ベルリ・ゼナム(石井マーク)は、実習中に宇宙海賊の襲撃に遭う。海賊の一味であるアイーダ(嶋村侑)を捕らえるが、彼女が乗っていたモビルスーツ「G-セルフ」をベルリはなぜか起動することができた。総監督は富野由悠季。
 2014年に放送されたTVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』を劇場版として再構成した5部作の1作目。5部作…先は長い…。その長さゆえに見ようかどうか迷っていたが、見るとやっぱり楽しい。決してストーリーテリングがスマートなわけではなく、いきなり始まりいきなり終わる感じなのだが、躍動感に満ちている。作画がいいというより(一部リライトされているが基本TVシリーズの再構成なので)、キャラクターの演技や声優の演技によるところが大きいように思う。富野節とでもいうか、独特なセリフ回しが癖になる。言葉のやり取りの文脈が必ずしもかみ合っているわけではない所が逆に生の会話っぽい。
 また、ベルリの賢いがまだ子供で視野が狭い所や、一見大人っぽく見えるアイーダの余裕のなさなど、この人たちはまだ子供なんですよという示唆が結構はっきりしていたんだなと改めて感じた。特にアイーダの振る舞いは一見すごいわがままに見えるが、彼女なりに自分の役割を果たそうとあがいているんだなとよくわかる。自分が至らないことへの憤りは、自分にできないことをさらっとやってしまったベルリに対する憤りでもあり、だから八つ当たりにも見えてしまう。
 情報がぱんぱんに詰め込まれているので、監督は子供に見てほしいらしいけど子供にはついていけないのではないかなという気がした。TV版で見たときよりもかなり交通整理された印象にはなっているが、テクノロジーの度合いや国の体制(宗教国家に近い感じなのね)、エネルギー供給やそれに伴う軋轢など、矢継ぎ早に情報を繰り出してくる。密度が相当高い。


『シティハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』

 凄腕のスイーパー、「シティハンター」ことリョウ(フィリップ・ラショー)は相棒のカオリ(エロディ・フォンタン)と共に様々な依頼を請け負っていた。ある日、香りをかいだ者を虜にする惚れ薬「キューピッドの香水」の奪還を依頼される。48時間というタイムリミットのなかで2人は奔走する。原作は1980年代にアニメ化され人気を博した北条司の漫画『シティーハンター』。監督は主演も兼ねているフィリップ・ラショー。
 タイトルロゴはもちろん、サントラもアニメ版を踏襲。さらに掲示板(フランスにあの掲示板はないだろ!そもそも縦書きという概念がない!)、100tハンマーもカラスも登場するという徹底ぶり。キャラクターのビジュアル再現度もやたらと高い。ファッションも今が2019年だとは思えないもの。漫画の実写化としては異常な完成度でパリが新宿に見えてくるよ…。
 ただ、いくら原作に忠実とはいえそこまで忠実にする必要があるのか?という部分も。リョウの覗きや下着ネタは現代では(実際は当時でもだけど)完全にセクハラで笑えるものではないし、「もっこり」というワード(フランス語では何と言っているのだろうか…)も同様だ。今年日本で公開された劇場版アニメですら、このあたりのネタに対するエクスキューズは入れていたのだが、このフランス版ではそれが一切ない。また、セクシャリティや身体的特徴へのいじりは正直いただけない。今時これをやる?という感じだし欧米ではこういったいじりへの批判は日本よりも強いのではないかと思うのだが…。正直、フランス人がどういうスタンスで本作を見ているのか(ギャグはコンプラ上完全にアウトなので)よくわからないのだ。2019年に映画化するのならそれなりの、その時代に即した表現があると思うのだが(こういうギャグを排してもシティーハンターの面白さに変わりはないと思う)。ただランジェリーショーのシーンで、リョウがある事情により下着姿のモデルたちに全く反応しないというシチュエーションにしたのはひとつの配慮かなと思った。性的に見る視線がなければただの人体なんだなと妙に納得。
 とは言え本作、監督のシティーハンターが強烈だということはよくわかるし、理解の深さもうかがえる。カオリの兄である槇村とのエピソードを組み込み、その上でリョウとカオリの関係性を描いているところは原作ファンも納得だろう。そしてエンドロールではあの曲がばっちり流れる。あれがないとシティーハンター見た気にならないもんね。




『象は静かに座っている』

 中国の田舎町。高校生の少年ブー(パン・ユーチャン)は友人をかばい、不良の同級生シュアイを階段から突き飛ばし重傷を負わせてしまう。シュアイの兄はヤクザのチェン(チャン・ユー)。ブーはチェンと手下に追われて町を出ようとする。そのチェンは親友を自殺に追い込んでしまい、自責の念に駆られていた。監督はフー・ボー。
 234分の長尺だが、作中で経過している時間はたぶん1,2日。チェンの親友の自殺、シュアイの階段からの転落という2つの落下が登場人物たちの心を揺さぶり、波紋を広げていく。閉塞感が強く、動いてはみるもののどこへも行けそうにない辛さがある。彼らが漠然と目指すのは、「座り続ける象」がいるという満州里。そこへ行けば何かが変わるという保証もないのだが。
 ブーも友人の少女リン(ワン・ユーウェン)も、家族との折り合いが悪く家に居場所がない。特にリンと母親の関係は険悪(母親の言動が結構すごい。娘にそういうこというか…)で、彼女は教師との関係に居場所を求めるが、当然そちらもうまくいかない。またブーの近所に住む老人ジン(リー・ツォンシー)は娘夫婦と同居しているが、老人ホームに入ってほしいと言われる。チェンは恋人に愛想をつかされつつある。皆、居場所がないし行くべき場所もない。宙ぶらりんなのだ。何か一歩を踏み出そうとするごとに腰を折られるような展開、熱意の空回りが繰り返されるのがおかしくも悲しい。ああやっぱりどこにもいけないのかと思わせる。最後、ほのかに先を予感させるが「声」の実態は見えずまだ薄闇の中だ。
 恋人、家族、親友など、本来なら支えとなり助けとなる関係性が、ことごとく機能を果たしていない。前述のとおりブーもリンも家族と折り合いが悪く、トラブルがあっても相談できないし頼りにできない。シュアイは恋人に未練たらたらだが、関係に先が見えないことは双方わかっている。ブーと親友との関係の顛末も実に苦い。どの関係性においても、一方がこうと思い込んでいるものに対してもう一方は同調を拒み、双方向の関係にならないのだ。「お前のせいだ」という責任転嫁が何度か反復されるが、その都度はねつけられるというのはその象徴だろう。親密な関係性に対する幻想を許さないというところに時代の空気が感じられる。

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『人生、ただいま修行中』

 パリ郊外にある看護学校。年齢、性別、出身など様々な40人の学生たちが実習の現場で奮闘していく様子を追ったドキュメンタリー。監督は二コラ・フィリベール。
 私はフィリベール監督の作品が好きなのだが、それが大人であれ子供であれ基本的に他者(撮影対象)に対する敬意、尊重を感じるからかもしれない。対象に近づくが、無遠慮に踏み込まない微妙な距離感が踏まえられているように思う。本作は学生だけではなく、看護の現場なので当然患者も映されており、かなりデリケートな撮影だったのではないかと思う。でもカメラを向けられた人たちがカメラがあることによって不快そうだったり委縮していたりという印象は受けなかった。撮る側と撮られる側との間に信頼関係があるのだろう。
 学生たちの実習は、手の洗い方から始まり看護の理念に関する講義、病院での実習と進んでいく。講義の中で、患者の属性や状態によって看護の質を変えてはならないという理念、看護師の独立性について強調されることが印象に残った。
 採血に何度も失敗するという定番のシチュエーションや、片手を必ず清潔に保つための手の使い方、ガーゼを扱うときの手のふるえや患者とのぎこちない会話など、彼らがまだ「卵」であることがよくわかる。そこに寄りすぎもせず、しかし親密さも感じさせるというカメラの距離感が巧み。映し出される状況に関する説明はないので、この人は今どういう状況にいるのか?と戸惑うところもあるし、個々の学生たちのパーソナリティや背景が最初からわかっているわけでもない。しかし徐々に、あのシーンはこういうことだったのか、この人はこういう人なのかと映像の積み重ねの上わかる瞬間があってはっとする。編集がうまい。終盤に教官との面談があるのだが、その面談で学生たちの顔がよりはっきりするという、最後に個々のキャラクターが印象付けられる構成だ。人の命と向き合う仕事の中で彼らが感じているプレッシャーや喜びがここで言語化される。
 学生たちだけでなく、教育する側の姿も印象に残る。研修現場でなるべく手は出さずちょっとづつアドバイスをしたり、うまくいったら後からほめたり。患者の前で指導するというのはなかなかやりにくいと思うのだが。患者たちもしょうがないな…みたいな鷹揚な対応の人も、注射針を刺されてすごく痛そうな反応をする人もいてまちまち。患者もある意味教師だとも言える。看護の現場が人手不足で厳しいのは万国共通なようで、周囲が忙しすぎて具体的な指導が受けられず途方に暮れたという学生の声もあった。また、ハラスメントが起きやすい場であるのも残念ながらフランスでも同様らしい。研修中にずっと人格を否定され続けた(その現場の映像は作中では使われていない)という学生の話もあった。また、学生との面談中に教官がすごく怒っているのだが、聞いていると学生がハラスメントにあっているといことがわかる。「修了書の為に(ハラスメントを)我慢しなくていい」と断言するところがまともでほっとする。学校側が学生を守る立場なのだと明示しているのだ。

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2004-04-07


おたんこナース (1) (小学館文庫)
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小学館
2002-09-14


『空の青さを知る人よ』

 秩父の町に住む高校生のあおい(若山詩音)は、13年前に両親を亡くし、姉のあかね(吉岡里帆)と2人暮らし。あおいは東京でバンドをすることを目指し、受験勉強もせずベースの練習に打ち込む。地元を離れようとするのは、あおいの面倒を見る為に、当時付き合っていた慎之介(吉沢亮)と上京することを断念し、地元で就職したあかねへの負い目もあった。そんな折、町おこしの祭りに来た有名演歌歌手のバックバンドの一員として慎之介が帰郷してくる。それと同時に、高校生当時の慎之介があおいの前に現れるのだった。脚本は岡田磨里、監督は長井龍雪。
 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってるんだ』に続く秩父を舞台とした作品。ただ、少年少女たちの物語だった前2作に対し、本作はむしろ、かつて少年少女だった人たち、大人2人の物語という側面が強かったと思う。私が年齢的に大人の立場で見ているからということもあるが、あおいのエピソードはちょっと印象が薄かった。後で謝るとは言え同級生に対する態度がものすごく失礼(相手も相当無遠慮なんだけど、あれだけ言われて怒らないとはなんて心が広いんだ…)というくらいしかインパクトが残らなかったんだよね…。
 あおいとあかねは仲のいい姉妹と言えるだろう。しかしあおいは、あかねの人生、10代から30代にいたるまでの彼女の時間を自分が奪ってしまったと罪悪感に駆られており、自分が離れればあかねも「自分の人生」を歩めるだろうと考えるのだ。とは言え、あおいと過ごした時間もあかねの人生であり、彼女が不幸か幸せかはあかねが決めることだ。あかねの幸せはあかねが決めることだと見落としているあたりが、あおいの若さ・視野の狭さなのかなと思った。また、慎之介の「自分あかねを幸せにしないと」という思いもまた、独りよがりなものだろう。あかねにはあかねの空の青さがある。
 なので、エンドロールのおまけ的映像はちょっと蛇足というか、本作の趣旨からずれたものになってしまっている気がした。ああいう、当初思い描いていたような未来がなくてもそれぞれ幸せになれるはず、というのが趣旨なのではなかったか。10代の頃の思いと30代になってからの思いはそもそも違うしな…。


心が叫びたがってるんだ。 [Blu-ray]
水瀬いのり
アニプレックス
2016-03-30


『さらば青春の光』

 1964年ロンドン。オフィスのメッセンジャーとして働くジミー(フィル・ダニエルズ)は、毎晩ドラッグをキメてクラブで騒ぎ、改造スクーターを乗り回す日々を送っていた。週末に訪れたブライトンで、リーゼントに皮ジャンできめたロッカーズたちとの全面対決が勃発する。監督はフランク・ロッダム。THE WHOの1973年のアルバム「四重人格」を元に、彼らの音楽をふんだんに使い、メンバーもエグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。
 ジミーを見ていると、定職についているとはいえそんなに高い給料はもらっていなさそうだし、この人どうやって生活しているんだろう、いくら実家暮らしだとは言え…と思ってしまった。超スリムな(テーラーに無理ですよ!と言われても無理やり細身にする)ジャケットを着てばっちり決め、夜通し遊びまわる生活は、ずいぶんきままで明日のことなど考えていないように見える。ただ、そのきままさは、現状への不安・不満の裏返しなのかもしれない。明日のことは考えないのではなく、考えられないのではとも思えた。
 ジミーは自分自身が何になりたいのか、何が欲しくて何をやりたいのか迷走し続けているように見える。モッズとしてかっこよくありたいのも、女の子といちゃいちゃしたいのも、暴動に乗っかり盛り上がるのも、ふわふわしたイメージ的な願望で頼りない。あまりに刹那的だ。それが当時の時代の雰囲気であり、青春らしさというものなのかもしれないが、現代の若者が見てもあまり共感しなさそうだなとは思った。そもそもモッズとロッカーズの違いがよくわからないだろうし…。あくまで当時の風俗に根差した青春映画。映画ではなく、映画に使われた音楽の方が生き残っている感じがする。

さらば青春の光 [Blu-ray]
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ジェネオン・ユニバーサル
2012-12-05


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キングレコード
2009-12-09


『真実』

 フランスの国民的大女優ファビアン(カトリーヌ・ドヌーブ)は『真実』という題名の自伝を出版する。出版を祝うために、アメリカで脚本家をしている娘リュミエール(ジュリエット・ビノシュ)は俳優である夫ハンク(イーサン・ホーク)と娘と共に帰省する。しかし自伝に書かれたエピソードは架空のもの、そして家族にとって重要なはずなのに書かれていないエピソードがあった。監督・脚本は是枝裕和。
 超豪華キャストだが、やっていることはいつもの是枝監督作品。車体はコンパクトカーなのにエンジン等はレーシングカー並みとでもいえばいいのか、ドヌーブとビノシュがいるだけでバランス感がおかしなことになっている。贅沢すぎるのだ。とは言え、ドヌーブはいつもの是枝監督作品における樹木希林的な役回りなんだなと見ているうちに腑に落ちていく。傍若無人だが可愛げがあり、周囲を振り回していくと同時に俯瞰している年配者という立ち位置。そういう意味でも「いつもの是枝監督作品」なのだ。字幕の文体が普段見慣れているものとちょっと違って(あまりに是枝作品ぽくて)違和感があったのだが、日本語の脚本をそのまま字幕に転用しているのだとすると、腑に落ちる。
 ファビアンヌは自身が女優であることを最優先しており、その振る舞いは妻、母である以前に女優としてのもの。彼女の「真実」とは女優としての彼女にとっての「真実」なので、彼女を母として見ているリュミエールにとっての「真実」とは食い違う。2人の気持ちが通じ合ったと思えるいいシーンの直後、突如「女優」として考え始める姿には笑ってしまうし、リュミエールの唖然とした表情を見ると気の毒にもなる。この人はそういう人だからしょうがないとあきらめるしかないのだ。
 ではリュミエールにとっての「真実」が全面的に正しいのかというとそうでもない。彼女の立場からは、ファビアンヌの女優としての部分、またある人物の友人・ライバルとしての部分はあまり見えていない。お互い自分の立場から見ているから記憶にも食い違いがあり、どちらが正しいとも判断できない。お互い様なのだ。真実はモザイク状だったり、レイヤーになっていたり、グラデーションがあったりする。本作における「真実」とは主観でしか語れないものなのだ。客観的な事実としてどうだったのかということは、ずっとはっきりしないままだ。ファビアンヌとリュミエールは常にちょっとすれ違い、全面的に重なり合うことはないままの関係なのだろう。ある程度理解はしあっているし愛情もあるが、相入れないのだ。ファビアンヌがリュミエールが「逃げた」ことについて、言及するシーンがある。親にこういう言われ方したらかなりきついと思う。ファビアンヌなりに配慮しているところがまたきついのだ。
 ファビアンヌがフィクションを体現する表現者であるなら、リュミエールはフィクションを作る脚本家という立場。終盤でのある意趣返しとでもいうような行為は、ファビアンヌが自伝を書く行為とあまり変わらないようにも思えた。

秋のソナタ Blu-ray
イングリッド・バーグマン
紀伊國屋書店
2013-12-21


海よりもまだ深く [Blu-ray]
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2016-11-25



 
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