3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名さ行

『ザ・サークル』

 派遣社員をしていたメイ・ホランド(エマ・ワトソン)は親友アニー(カレン・ギラン)の尽力を得て、世界最大手の巨大SNS企業「サークル」に就職する。新サービス「シーチェンジ」のモデルケースに抜擢されたメイは、サークル社が新たに開発した超小型カメラによって自身の生活を24時間公開する。コンテンツは大人気でフォロワーは1000万人越え、メイは世界中の人気者になる。やがてサークル社は、世界中に設置したカメラとフォロワーの力によって、会いたい人をすぐに探し出せるというサーチサービスを発表する。原作はデイヴ・エガーズの同名小説。監督はジェームズ・ポンソルト。
 見ている間は退屈というわけではないが、見終わった後の印象が薄い。サークル社やそのサービスの設定には既視感がある(実際に類似した設定が出てくる過去のSF作品は色々とあるだろう)。そのもう一歩先へ、というほどの踏込みは感じられなかった。現実の世界もこれに似た状況に近づきつつある(私に実感がないだけでかなり近いのかもしれないけど)んだろうし、新しさみたいなものはあまり感じない。少し未来の世界設定を描きたいのか、メイという人間とその周囲の人間を描きたいのか、どっちつかずでどちらも薄味に思えた。あまり人間ドラマに寄って行っても面白くない類の話ではあるのだが、少し未来の世界を見せるには実際の現状に近すぎるのかな。また、サスペンス部分が少々大味(チートキャラを出すとシステム上簡単に話終わっちゃう・・・)。
 現実的にも、諸々可視化され、記録され、その引換として利便さ・安全さが提供されるという社会への違和感は、10数年前に比べると大分薄くなっているように思う。作中、子供にチップを埋めて犯罪被害に遭わないか監視するという社員に対して、メイは最初冗談かと思う。しかし社員は大真面目だ。プライバシーと安全・利便を天秤にかけると、安全・利便の方が(特にテロが頻発するようになった世の中では)重く見られるのはしょうがないのかもしれない。とは言え、実際には現状ではまだ気持ち悪さを感じる人の方が多いのかなと思う。本作はそのもう少し先を描いているのだ。
 作中の世界では、個人、プライベートの有り方が従来とはどんどん変質してきている。ここは他人に見られたくない、明かしたくないという領域は誰しもあるだろう。しかしなぜ見られたくないのか、明かしたくないのかという部分は、合理的な説明がしにくい。サークルはそこに付け込んでいるとも言える。これは人間個々の感性・環境によって違うとしか言いようがなく、それを統一されたらすごくストレス感じる人も多いだろう。サークルに入社したばかりのメイに同僚2人が「ガイダンス」に来るのだが、この2人の胡散臭さ(そう思わない人ももちろんいるだろう)たるや。他の社員との「繋がり」、社内のアクティビティーへの参加をやんわりと強要されるのだが、もうこの部分だけで御社悪い意味でやばいです・・・という気分に。オフィシャルとパーソナルの領域の切り分けを許さない社風なのね。サークル社が目指すのがそういった「繋がる」社会だというのなら、私にとっては地獄だわ・・・。


ザ・サークル (上) (ハヤカワ文庫 NV エ 6-1)
デイヴ エガーズ
早川書房
2017-10-14


ザ・サークル 下 (ハヤカワ文庫 NV エ 6-2)
デイヴ エガーズ
早川書房
2017-10-14



『セントラル・インテリジェンス』

 高校時代は学園のスターだったカルヴィン・ジョイナー(ケビン・ハート)だが、20年後の今は会社勤めのしがない会計士。高校の同級生だった妻は同窓会を楽しみにしているが、カルヴィンは気乗りがしない。そんな時、高校時代にぽっちゃり体型のいじめられっこだったボブ・ストーン(ドウェイン・ジョンソン)から連絡が入る。20年ぶりに再会したボブは、筋骨隆々で強面のCIA捜査官になっていた。裏切り者の濡れ衣を着せられ追われているというボブと、なりゆきで一緒に逃げるハメになるカルヴィンだったが。監督はローソン・マーシャル・サーバー。
 これは「当たりの時の午後ロー」案件だなぁ。TVで吹替え版放送されている様が目に浮かぶ!107分という時間のコンパクトさも含め、気楽な娯楽作品としてのちょうどよさがある。アクションの見せ方がちょっと古臭く洗練されていないところも何となく午後ローっぽい。ボブとカルヴィンが組織に追われるというサスペンス要素はあるものの、大分ユルいし情報提示の仕方がごちゃごちゃしているせいで、そもそも何を調査していたんだっけ?と見失いそうになった。ボブが切れ者のはずなのに根本的な所で簡単に騙されていないか?という所も含め。とは言え、ジョンソンのスター性もあって愉快な作品に仕上がっている。何より、作品の大元にある精神が真っ当で安心して見ていられた。
 冒頭の高校生時代のレセブション部分で、カルヴィンの人としての真っ当さ、常識人である様が提示される。現在のカルヴィンは決してかっこよくはないが、冒頭のあのエピソードがあるので、この人は本来ちゃんとした人だという信頼感が持続するのだ。「いじめ、ダメ絶対」という指針は一貫しているし、いじめた奴が絶対悪いんだというスタンスなところもほっとした(本作のいじめっ子は心底クズである)。ボブのトラウマは大分ベタ、コミカルな形で表現されるが、彼にとっては深い傷であり克服できないということは切実に伝わる。彼の背中を押すのは、ボブにとってのヒーローであるカルヴィンだ。カルヴィンをスター扱いするボブのはしゃぎっぷりは、青春やり直し版みたいで少々イタいし、カルヴィンとしても気恥ずかしく居心地悪そう。それでも、カルヴィンがボブにしてあげたことは、彼にとってはちょっとしたことかもしれないが、ボブにとっては人生変えるくらいの大きな意味があったのだ。
 ユニコーンのキャラグッズとパンケーキが好きな中年男性がアメリカだとどういうイメージで見られるのか、いまひとつつかめないんだけど(すごくガーリー、ってことでいいのかな?)、ロック様、ユニコーンのTシャツも甘いものも結構似合っている(笑)。

なんちゃって家族 [DVD]
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ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2015-02-04


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マーク・ウォー
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2014-09-10


『セブン・シスターズ』

 2073年、人口過多と食糧不足に悩まされるヨーロッパ連邦は、厳格な一人っ子政策を発令、1人目以降の子供は親元から引きはがされて冷凍保存されるようになった。七つ子として生まれたが祖父(ウィレム・デフォー)に匿われ全員成人したセットマン姉妹は、週に一日ずつ外出し、1人の人物「カレン・セットマン」(ノオミ・ラパス)を演じて生活していた。しかしある日、「月曜日」が帰宅せず姿を消す。残された6人は月曜日を探すが。監督はトミー・ウィルコラ。
 ある事実が明らかになった時点で、失踪事件の真相は大体見当がついてしまう。ミステリとしてもサスペンスとしても割と大味だ。ただ、人口管理社会の世界設定が結構えぐく、思っていたよりもシリアスなトーンだった。政府による人口統制は非人道的だが、そうでもしないと現状の人口を社会は支えることができず、子孫の為の「豊かな世界」を残すことも難しい。どちらを選んでも出口なし!という惨酷さだ。ある人物の動機が明らかになると更にやりきれない。色々なものを両天秤にかけていく話なのだ。
 姉妹の祖父は、家族のあり方を一律に規定する全体主義的な政府のやり方に反旗を翻し、姉妹を密かに育てる。しかし7人が1人の人物を演じるというやり方は、姉妹にそれこそ家庭内での全体主義的な共同責任、一律であり「個人」ではないことを強いることになってしまう。個々が存在するために個を否定しなくてはならないのが皮肉だ。そこから「個」に立ち返る為の闘いを本作は描いているとも言える。
 7人姉妹を1人で演じるラパスが見事だ。1人で演じているから当然同じ顔、同じ姿なのに、全く別人に見える。衣装やメイクだけではなく、ちょっとした動きの違いで別人に見えるという部分が大きい。ラパスは日本でウケるような美人、可愛いルックスというわけではないが、顔つきに存在感があっていい。個でいられなくなった姉妹を個性の強い女優が演じるというあたりも面白かった。

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2016-11-16


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オルダス・ハクスリー
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2017-01-07



『先生!、、、好きになってもいいですか?』

 高校生の島田響(広瀬すず)は、クールで生真面目な世界史教師・伊藤貢作(生田斗真)に恋をする。不器用ながらも伊藤に思いをぶつける響。伊藤は響に惹かれるが、教師という立場から彼女と距離を置こうとする。原作は河原和音の大ヒット漫画『先生!』。監督は三木孝浩。脚本を『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の岡田磨里が手がけた。
 映画(だけじゃないけど)は万人に開かれたものではあるが、やはり大抵の場合メインターゲットは設定してあり、またある年齢の時に見たからこそ響く作品というのもあるだろう。本作、響たちと同年代で見たら初恋の高揚感にきゅんきゅんしたかもしれないけど、いい大人、というかむしろ響たちの保護者に近い年齢になった身で見ると、なかなかしんどい。もう初恋できゅんきゅんとかしないからさ・・・。ストーリーと登場人物の行動原理がシンプルすぎるのもきつかった。長編漫画を2時間の映画にまとめているからという面もあるだろうが。
 また、若者の無鉄砲さと視野の狭さにはイライラするし、保護者目線になっちゃうと伊藤それはいかん!いかんぞ!と諌めたくなってしまう。教師と生徒の恋愛って、生徒側の年代だったころはちょっと憧れるし大人が素敵に見えたりもしたが、いざ大人になってみると、そこちょっと我慢しろよ!と思っちゃう。その時代を過ぎてみないとわからないわけだけど、「今」だけじゃなくてこの先長いぞ・・・という目で見てしまうのだ。映画のせいではなく、映画を見る自分の立場が変わったからこそのイライラなのだが。映画としては、ごくごく手堅く仕上げており、中高生が友達同士で見るにはちょうどいいのではないかと思う。
 ただ本作、教師と生徒の恋愛を描きつつ、やはり大人には責任があるのだという部分は一応ふまえており、そこには好感持った。「大人」としての振る舞いを美術教師の中島(比嘉愛未)が担っていたように思う。真剣なら許されるというわけではない、という浩介たちを諌める言葉は、高校生の時はわからないかもしれないけど、後々考えてみるとあの先生真っ当だったんだなと思えるものでは。同僚とのデート現場を目撃された時の態度も、大人はこのくらい堂々としらばっくれないとなというもの(笑)。あそこでうろたえる関矢先生は小物すぎる。



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2016-04-27


『静かなふたり』

 地方からパリへ引っ越してきたマヴィ(ロリータ・シャマ)は友人のアパートに居候しているが、彼女の恋人が頻繁に出入りをしている部屋では落ち着けずにいた。ある日、カルチェ・ラタンの古書店で従業員募集の張り紙を見たマヴィは、店主ジョルジュ(ジャン・ソレル)に雇われ、古書店の2階に間借りすることもできた。2人は親子ほどの年齢差があるが、徐々に惹かれあう。しかしジョルジュの過去には秘密があるようで、不審な男が店を訪ねてくる。監督はエリーズ・ジラール。
 若い女性と年配男性とのラブストーリーには、個人的には見ていてあまりいい気がしないことが多い。往々にして男性側の欲望が出過ぎているように感じられるからだ(もちろん必然性があって年齢差設定になっていることもあるが、特に意味なく女性が若いってケースの方が多い)。しかし本作にはそんなに嫌な感じはしなかった。ジョルジュは気難しいがマヴィとは対等に接するし、彼女を脅かすような振る舞いはしない。マヴィもジョルジュにはあまり遠慮しないし結構ずけずけものを言う。
 マヴィとジョルジュの関係は都合が良すぎて(何しろマヴィにとっては仕事も住家も恋人も一気に手に入る)、安直なマンガのようなのだが、本作そもそも、マヴィの想像・妄想が綴られているのではないかなという気もした。だとしたら安直で全然かまわないわけだ。パリの風景があまりに狙い澄ました「パリ」然としたものなのも、それなら納得がいく。
 マヴィは頻繁に「自分の為に」文章を綴る。作中随所でマヴィのモノローグやジョルジュとの会話の音声が流れ、それがナレーションとしてストーリー進行するのだが、この音声のみの部分はマヴィが作った物語なのではないか。マヴィにとって理想的な年上男性としてのジョルジュはこう言うだろう、というような、画面上に姿実際にを現すジョルジュとの齟齬を何となく感じる。映画としては他愛ないといえば他愛ない、ジョルジュの過去の設定等も中途半端なのだが、マヴィがあくまで「自分の為」に語るのであれば、その他愛なさこそが中核になる作品とも見えた。本作で切り取られるのはマヴィにとっての人生の隙間、インターミッションみたいな期間だろうから。

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2015


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『7人の名探偵 新本格30周年記念アンソロジー』

綾辻行人、歌野晶午、法月綸太郎、有栖川有栖、我孫子武丸、山口雅也、麻耶雄嵩著
 ミステリ小説分野で「新本格」と呼ばれる言葉が生まれて30年。この新本格ミステリブームを牽引した代表的作家らによる記念アンソロジー。
 久しぶりに講談社ノベルスを買った!一時は新本格と言えば講談社ノベルズだったもんなぁ。本格ミステリ自体が下火になっている近年だが、こうして記念企画をやってくれるのはやはりうれしい(が、一時期の盛り上がりを体験している身からすると寂しくもある)。新本格と言えばこの人、という作家が集まり、テーマは「名探偵」だが、それぞれの新本格ミステリの定義や、今本格をやるならこういう手でいくよ、というような技の出し方の差異に、それぞれ作家性が垣間見えて比較すると面白い。最もスタンダードな「本格」をやるのが有栖川と法月。そこから少しずらして小説のフレーム部分で仕掛ける歌野。本格ミステリの構造・機能に着目する我孫子と麻耶(麻耶は相変わらず開き直りなんだかやっつけ仕事なんだかわからないが)。本格に則ったパロディを披露する山口。綾辻が実在の(本作の執筆陣である)作家をキャラクター化したいわば内輪受け作品を出してきたのは意外だったが、これもジャンルへの愛着と作家同士の信頼感の賜物だろうから、ファンには楽しいだろう。我孫子先生の扱いが微妙にぞんざいなのは気になりますが・・・。それ以上に、ある人の扱いがなんだか別格で、えっ何その超絶信頼感・・・これは綾辻先生なりのデレなの・・・?!と衝撃を受けましたね。なお収録作中、私が最も新本格っぽいなと思ったのは歌野作品。






『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』

 高度な知能を得た猿=エイプたちと人類が全面戦争に突入して2年。エイプたちのリーダー、シーザー(アンディ・サーキス)は砦の奇襲を受け、妻子を殺される。砦を襲った軍のリーダー・大佐(ウッディ・ハレルソン)への復讐心に駆られ、シーザーは数名の仲間と共に大佐を追う。監督はマット・リーブス。
 『猿の惑星:創世記』、『猿の惑星:新世紀』に続く3作目で完結編。私は創世記も新世紀も見ていない(さらに言うと元祖『猿の惑星』も細部は記憶にない)のだが、本作単品でも設定はわかるし結構面白かった。もう少し短ければもっと良かったかなと思う。本作、かなり重厚な雰囲気がベースにあるので、所々で挿入されるコメディ的部分が浮いており、余分な部分に見えるのだ。
 このシリーズ、SFというよりも神話的な側面の方が強いんだなと本作を見て感じた。前2作はについてはわからないが、本作はエイプたちのエクソダスであり、建国神話だ。人類の話を猿に置き換えました、という感じ。シーザーの思考方法や内面は全く「人」としてのものなので、人類とは別の種の進化過程という感じには見えない。なので、エイプたちもこのまま進化を続けると人類と同じような道を辿るのでは、とも思える。シーザーを特権的な存在にしているのが明瞭な音声を使った言語の習得であり、人類がそれを失いつつあるというのも象徴的。しかし、人間と同じような言語の習得がエイプたちを進化の次の段階に推し進めるのだったら、やはり人類の別バージョンにすぎないのでは?ともやもやした。そういう部分のおおらかさというか、あまり細部を詰めていない感じは、やはり「神話」だからだろうなぁ。エイプたちの食糧事情とかもかなり気になったし・・・。
 シーザーの敵として立ちはだかる大佐が、分かりやすく悪人というわけではないところが、作品の厚みを加えている。大佐の造形は、コンラッドの小説『闇の奥』のクルツや、フランシス・フォード・コッポラ監督『地獄の黙示録』のカーツ大佐(そもそも『地獄の黙示録』は『闇の奥』を下敷きにしているので当然ではある)に通じるものがある。カリスマのあるイカれた人に見えるが、イカれた人なりの理論があってそこは筋道が通っている。ハレルソン、最近ちょいちょいいい味を出してくるが、本作の役はかなり怖かった。

猿の惑星:新世紀(ライジング) [Blu-ray]
アンディ・サーキス
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2015-11-25

猿の惑星:創世記(ジェネシス) [Blu-ray]
ジェームズ・フランコ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2014-09-03

『スイス・アーミー・マン』

 無人島に漂着したハンク(ポール・ダノ)は絶望して命を絶とうとしていた。その時、波打ち際に男が打ち上げられているのに気づく。男は既に息絶えていたが、死体からガスが出ており動力源になるとに気付いたハンクは、死体をメニー(ダニエル・ラドクリフ)と呼び、共に「故郷」に帰ろうとサバイバルを開始する。監督はダニエル・シャイナート&ダニエル。クワン。
 この題名どういうことなの?邦題かと思ったら原題そのままなの?と思っていたらなるほどそういうことか・・・。文字通り「万能死体」なのだ。突飛なアイディアを思いつくのはもちろんだが、それをちゃんと映像として成立させる、俳優にちゃんと演じさせるという所に呆れたというか感心したというか・・・。予告編の段階でかなりどうかしているのだが、本編がそれを余裕で越えてくる所にすさまじさを感じる。普通、あの予告編だったら一番いい部分使っちゃったんだなって思うじゃん!序の口だった!ラドクリフの死体演技がとにかく素晴らしく、この人間違いなく上手い!(にしてもなぜこんな役を!)と納得させられる。アイディア一発勝負と思いきや、人生といかに向き合うかという話にまで推し進めている。力技ではあるがイマジネーションがさく裂している作品だ。
 ハンクは遭難して孤独の為に狂いそうになる。しかし、無人島で一人きりになる前から、彼は孤独だった。メニーという友人(ハンクの妄想に過ぎないようにも見えるが)を得て初めて、ハンクは自分の孤独さ、誰かと親密な関係を持ちたい、世間一般で言うような「人生を謳歌」するような体験をしたいという欲求に気付いていく。彼はメニーに人生ってこういうものだと話す内容は、実の所自分がそのような人生を送れていなかった、本当はそういう人生に挑戦してみたいんだという願望を持っていたということに他ならない。ハンクは故郷を目指すことで、あったかもしれない、これからありうる人生を掴もうとしているのだ。
 しかしそれに冷や水がかけられる。ハンクとメニーの友情も憧れも、傍から見たら狂気の沙汰であり、ある人にとっては恐怖に他ならない。この展開によりリアリティラインの設定が大分曖昧・混乱気味になっているので、映画全体の構成としてはどうなのかなとは思ったが、こういう展開にしたい、しないとならないという監督の意図もよくわかる。わかるだけに、非常に痛切だった。「やってみたかった人生」をたまたま出来なかった(機会があればできる)人もいるけど、そもそもできない人、そういう人生に縁のない人がいる。そして、そういう人生に縁がなくても、周囲から変人扱いされても、幸せな暮らしというものもやはりあるのだろう。ラストは、世間では理解されないだろうけど、でも幸せだったんだよ!というハンクとメニーの叫びのように見えるのだ。

フランケンウィニー DVD+ブルーレイセット [Blu-ray]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2013-04-17


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ポニーキャニオン
2010-07-21


『スクランブル』

 高級クラシックカー専門の強盗、アンドリュー・フォスター(スコット・イーストウッド)とギャレット・フォスター(フレディ・ソープ)のフォスター兄弟。オークションで落札された37年型ブガッティを盗み出すが、落札者であるマフィアのボス・モリエールにつかまってしまう。モリエールは、敵対するマフィア・クレンプが所有する62年型フェラーリ250GTOを1週間で盗めば兄弟を見逃すと条件を出してきた。監督はアントニオ・ネグレ。
 ストーリーの密度はそんなに高くはなく、かつ脚本がスムースでない印象。伏線の回収に失敗しているのか、単に行き当たりばったりなのか判断に困る所が多々あった。前フリがなさすぎて後出しじゃんけんみたいに見えたり、そもそも時系列的につじつま合わなかったりするんだよな・・・。アクション部分以外のシーンのつなぎ方がなんとなくぎこちなく、流れが悪いのも気になった。なぜこの部分でこんなドヤ顔ショット?みたいな気分になるのだ。
 とは言え、気を抜いてのんびり見るにはちょうどいい塩梅。当たりの時の「午後のロードショー」感とでも言うか、気負わない楽しさがあった。別に、常に傑作名作映画を観たいわけじゃないもんね。
 何より、本作では実際に走り、カーチェイスをするクラシックカー(ブガッティはレプリカ、フェラーリ250GTOはリクリエーションモデルだそうだが、その他は本物を借りてきているそうだ)を見ることができる。車に詳しくなくてもフォルムの美しさは目に楽しいし、車に詳しい人ならなおさら面白いだろう。車が宙を舞ったり大回転したり次々にクラッシュするような派手さはないが、本作のような「走り」を見せるのが本来のカーアクションだよなぁ。舞台のマルセイユが風光明媚で、そこを華やかなクラシックカーが走っていくので実に絵になる。車を大切にしているカーアクション映画と言えると思う。登場人物のキャラクターはそんなにインパクトないのだが、それでいいのだ。

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2005-11-16


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『サーミの血』

 1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族サーミ人の少女エレ・マリャ(レーネ・セシリア=スパルロク)は、妹と共に寄宿学校に通っていた。エレ・マリャが進学を望むが、教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」と取り合わない。当時、サーミ人は差別的な扱いを受けており、部族の伝統的な生活以外の人生は認められなかった。エレ・マリャは今の生活から抜け出す為、クリスティーナと名乗りダンスパーティーで知り合った青年ニクラスの家を頼って街へ向かう。監督はアマンダ・ケンネル。
 サーミ人の子供たちにたいして行われる「身体測定」がショックだった。何の目的か、何をするのか説明されず、おもむろに身体や顔のパーツを図られ、裸にさせられ写真を撮られる。同等な人間ではなく、保護すべき動物のような扱いなのだ。教師が「あなたたちの脳は文明に適応できない」と言うのもショックだったが、当時の先住民に対する理解はそんなものだったのだ。衣服や顔を触られるのも、相手に悪意はないのだろうが(だからなおさら。断りなく触っていい対象だと思っているってことだから)非常に不愉快。見世物の動物みたいに「観賞」されるのだ。サーミ族が伝統的な生活を送れるよう保護していると言えば聞こえはいいが、それ以外の道を閉ざすという差別をしているわけだ。エレ・マリャが都会で出会った学生たちは無邪気に民謡を歌ってとねだるが、その民謡が本来どういう場で歌われる、彼女にとってどういう意味を持つものなのかは全く考慮されていない。やはり見世物扱いなのだ。
 エレ・マリャは自分たちが見世物として扱われていると感じており、見世物としてではない人生を選ぼうとする。彼女はそのために家族も伝統も故郷も捨てる。自分のルーツを否定して「クリスティーナ」としての人生を選ぶのだ。彼女の取った方法は極端で、現代の目で見ると(当時としてもか)色々と問題がある。そのやり方だと、差別される側からする側への移動にすぎず、差別や無理解はそのままだ。実際、年を取ったエレ・マリャ=クリスティーナは、かつて自分が侮蔑されたのと同じような言葉を、サーミ族に対して投げかける。ただ、当時他にやり方があったかというと、多分なかったのだろう。欲しい物を手に入れるために自分の出自やそれまでの生活を否定しなければならない、ある意味嘘の人生を歩むことになるというのは、あまりに理不尽だ。
 とは言え、エレ・マリャ=クリスティーナの家族を捨てても自分の道を歩もうとする頑固さ、タフさは心を打つ。初めて街に出てきた時の、新しい世界を見た!これが見たかったんだ!というような表情が清々しかった。



サーミ人についての話 (東海大学文学部叢書)
ヨハン トゥリ
東海大学出版会
2002-03-01

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