3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名さ行

『声優夫婦の甘くない生活』

 1990年、ソ連からイスラエルへ移住したヴィクトル(ウラジミール・フリードマン)とラヤ(マリア・ベルキン)夫婦。映画の吹替え声優としてのキャリアを活かして再就職しようとするが、需要がなく仕事が見つからない。ラヤはヴィクトルには内緒でテレフォンセックスの仕事を始めるが、意外な才能を発揮し贔屓客も着いてくる。一方ヴィクトルは海賊版ビデオ店で映画吹替えの仕事を得るが。監督はエフゲニー・ルーマン。
 監督自身が旧ソ連圏からの移民だったそうで、ヴィクトルとラヤが体験するカルチャーショックやギャップは、実体験によるものなのだろうか。邦題はフェリーニの『甘い生活』(ヴィクトルはフェリーニを敬愛している)のパロディだが、ヴィクトルとラヤの生活は邦題の通り甘くなく、ほろ苦いししょっぱい。若くはない状態で仕事が見つからないという状況は経済的にもプライド面でもかなりきつい。また、自分たちと同じ民族の国だが言葉は通じない、風土も生活環境もちょっと違うという、生活する中でのストレスが少しずつ溜まっていく。同じだけど違う、という微妙さは、傍で思うよりも結構きついものなのだろうなと思わされる。
 更に、夫婦間の溝も深まっていくのだ。ヴィクトルが新しい環境に馴染めないのに対し、ラヤは早々に仕事を見つけ、ヘブライ語の学習もしていく。語学学校での2人の姿勢の違いが対称的だった。ヴィクトルは自分のキャリアを輝かしいものと自負しているが、ラヤは「その他大勢」扱いだったことに不満があり未練がないからかもしれない。こういう夫婦間のギャップは移民ならずとも、定年退職後等にはありそうだなと思った。妻はそれぞれ自由に暮らしたいと思う一方、夫はようやく夫婦2人で過ごせると思っているという。でも2人で過ごし続けるにはそれまでの積み重ねが必須なんだよなと。ヴィクトルはラヤのことを愛してはいるが、独りよがりで彼女が実際何を考えているのかには思いが及ばない。記念写真の撮り方も、彼にとっては記念なんだろうけどラヤにとってはどうなんだろうと。記念写真は2人で撮るものではないのか?

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『ザ・プロム』

 ブロードウェーの「元」スター・ディーディー(メリル・ストリープ)とバリー(ジェームズ・コーデン)は新作が大コケし窮地に立たされていた。原因は2人のイメージがナルシスト、エゴイストで好感度が最悪だからだという。そんな折、インディアナ州の田舎町に住む高校生エマ(ジョー・エレン・ペルマン)がガールフレンドとプロムに出たいと願っているが、PTAに猛反対されたというニュースを知る。ディーディーたちはエマを助けてイメージアップを図ろうと田舎町に向かう。監督はライアン・マーフィー。
 エマの暮らす田舎町では、学校やモールにいる人たちはそこそこ他民族なのだが、ことセクシャリティに関してはものすごく保守的。カミングアウトしたエマは両親に家から追い出され、校内の味方は校長(キーガン=マイケル・キー)のみ。ガールフレンドのアリッサ(アリアナ・デボース)も生徒会長という立場上、2人の関係を秘密にしており表立ってかばうことができない。今時「同性同士のカップルはプロム禁止」なんて言ったら大炎上しそうなのに大丈夫?!と逆に心配になるPTAの硬直ぶりだ。そんな超保守的な土地にゲイのアイコン的なディーディーや「100%ゲイ」だというバリーが乗り込んでくるので、文化間のギャップが激しい。そのギャップを埋めていく、というより田舎の偏見を打開していく話だ。自身も自分のセクシャリティー故に田舎を飛び出してきたバリーのエマに対する思いやりや、彼のプロムへの思いが昇華される過程にはぐっときた。またちょっとマヌケなキャラだったトレント(アンドリュー・ラネルズ)が地元の価値観(やはりキリスト教強し…)を逆手にとって高校生たちの視野を開いていく様も意外性がある、かつやはり若い方が頭柔らかいよね、と思わせるいいナンバーだった。
 ただ、ゲイのカップルがプロムへ向かうという現代的なストーリー。だが、その現代性とプロムというイベントがアンマッチな気がした。プロムに行かなくては、という部分は旧来の価値観に乗っかっているのだ。そんな排他的なイベントなんて粉砕するぜ!という方向にはいかない。元々あるものを色々な人が享受できるように随時ブラッシュアップしていく、という姿勢は社会の構成員としては正しいのだろうが、個人的にはつまらないと思う。そこから脱出しちゃうという選択肢はないのかなと。『ブックスマート』見た時も同じことを思った。ベースの価値観はあんまり変わらないんだなと。プロムは異性にしろ同性にしろカップル文化の産物なので、その点は非常に保守的だと思うんだけど…。一人でいるという選択肢はないんだよなと。

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『シカゴ7裁判』

 配信で鑑賞。1968年、鹿安護で開かれた民主党全国大会の会場近くの公園に、ベトナム戦争に反対する大勢の市民・学生らが集まった。警察との間で激しい衝突が起き、デモの首謀者としてアビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、トム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)ら7人が起訴される。監督はアーロン・ソーキン。
 ソーキンは実際の事件を元にした作品を得意としているが、本作は陪審員の買収・盗聴が相次ぎ悪名を残すことになった「シカゴ7裁判」をドラマ化したもの。勝ち目の薄い裁判で正義を問うというハードな題材だが、導入部分が結構ポップでテンポがいい。登場人物の氏名テロップが表示され、どの組織のどういう立場の人か初登場時にぱっと見せていくという親切設計だが、説明過剰ではなくさらっと処理していく。全体的に手さばきがいい、構成が整理された作品だ。公園で実際に誰が何をやってどういうことが起きたのか、という部分は終盤まで映像としては見せられず、関係者の証言から部分的に語られるのみだ。それが集約されて終盤で全体像が見えてくる。そこでつい失言したかに思えたヘイデンの言葉を、彼とはそりが合わず反発していたホフマンが正しく文脈を理解し読み解く。ライバルと書いて友と読む的な、少年漫画的シチュエーションも熱い。ストーリーの山の作り方が上手いのだ。
 陪審員の構成を操作し、検察側の証言者は警官ばかりで客観的な証言とは言い難く、被告側の証人の証言は様々な理由をつけて却下され、そもそも判事が最初から実刑ありきで裁判に臨んでいるという、被告側にとっては非常に不利な裁判。法律はどういう立場の人にも等しく働くように作られているものだが、司法側にその気がなければ法の公正さは失われてしまう。力を持つものが自分の都合のいいように司法をコントロールしようとすると、司法のそもそもの土台が崩れてしまうという話で、今(というか2020年)のアメリカでこの話を映画化しなければ!という意志を感じた。「世界が見ている」という言葉が何度も出てくる。私たちが見ている、だから不正はするなということだろう。デモにはそもそもそういう(お前たちを見ているぞ、異議があるぞと知らせる)ものだと思うが、映画もまたそういうことができるのだと。 


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『粛清裁判』

 1930年、8名の科学者・技術者らが西側諸国と結託しクーデターを企てたとして、モスクワで裁判にかけられた。被告らが所属したとされるグループ名にちなみ、いわゆる「産業党裁判」と呼ばれるものだが、実はスターリンによる見せしめ裁判だった。無実の被告ら、彼らを裁く権力側、そして熱狂する群衆の姿を記録したアーカイブ映像を再構築した記録映画。セルゲイ・ロスニツァ監督による「群衆」三部作のうちの1作。2018年の作品。
 裁判ってこんなに皆ペラペラしゃべるものだったか?というくらい被告も検察も流暢にしゃべる。まるで芝居のように仕上がったしゃべりなのだ。被告らが一様にすんなりと罪を認め、反省の言葉をとうとうと述べ始める様は、証言も反省への道筋も一様すぎてあまりに不自然だ。実際、この裁判自体が政府によるやらせであり、被告らは無実で、見せしめの為に虚偽の告発をされた。嘘のものがその通り嘘らしく見えているというわけなのだが、誰もそこを突っ込まない。その突っ込み不在さがうっすらと気持ち悪いのだ。
 本作は被告と検察・裁判官側とを映し続けるが、同時に裁判を傍聴している多数の人々(ご時世柄、密!密すぎる!と気になってしまった)、裁判を撮影する撮影スタッフたち、そして町に溢れる民衆の姿を映す。当時の映像アーカイブに保管されていた映像を編集したものなので、裁判の現場と、町で赤軍万歳とパレードに湧く民衆の姿は、直接的には関係はない。しかしこの裁判が生じた背景にはこの民衆の熱狂があるのだろう。この熱狂を起こす為の見世物としての裁判であり、一大見世物を受けて更に民衆は熱狂する。裁判を傍聴していた人々が、被告らの死刑が決まった瞬間に拍手喝采するのにはぞっとした。全くショーとして見ているのだなと。そこに被告ら個々の人生や振る舞いの不自然さは抜け落ちており、完成した見世物としてのみ捉えられているように思えた。
 見世物を見ている側は自分たちは安全圏にいると思っているのだろうけど、なぜそう思っていられるのか。熱狂は批判精神を失わせるということか。独立政権の確立され方の一面を提示している映像作品になっているが、これはロスニツァ監督の批判精神と編集力によって成立しているものだろう。


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『少女ムシェット』

 14歳の少女ムシェット(ナディーヌ・ノルティエ)は酒飲みの父の暴力に耐え、病の母に代わって赤ん坊の世話をしている。貧しく孤独な生活で、家にも学校にも居場所がない。ある夜、嵐の中森で道に迷い、密猟者のアルセーヌに遭遇する。原作はジョルジュ・ベルナノスの小説「新ムシェット物語」。ロベール・ブレッソン監督、1967年の作品。
 『バルタザールどこへ行く』もなかなか辛気臭い話だが本作は更に辛気臭いし更に救いがない。ムシェットの人生って何だったんだよ!とキレたくなる勢いだ。しかし辛気臭さの強度が異常に高い、というか強い。最小限に抑えた俳優の演技と余剰な演出を排したショットの組み立てで冷酷さが際立つ。安易な共感や同情を寄せ付けない。
 ムシェットは悲惨な環境にいる少女だが、彼女の悲惨さは貧しさそのものよりも、子供として扱われない、保護されていないという所にある。両親も、周囲の大人たちも彼女をケアしないし、彼女の話を聞かない。信用できる大人が一切いないのだ。母親が死んだ時に彼女を気遣う大人はいるが、一方的なものであり彼女に気持ちは届かない。ムシェットはほとんどしゃべらないのだが、自分の話をまともに聞こうとする人がいないから喋らないのだ。彼女の心がこの世からどんどん離れていくのもしょうがないと思えてくる。原作者のベルノナスはカトリックの作家として知られているそうだが、本作はむしろ神の不在を感じさせるという所が面白い。悲惨さの質が宗教的なものとはちょっと違うように思ったのだが、これはブレッソンの特質なのだろうか。
 ムシェットを演じたノルティエの佇まいがとても良い。ムシェットは辛抱強いがいわゆる健気が少女というわけではなく、貧しさへの怒り、他の子供たちへの妬みや苛立ちを隠さない。ノルティエは不機嫌そうな表情、むっとした表情が似合う。ムシェットの靴と靴下に貧しさが象徴されているところがなんだかやりきれなかった。

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『ストレイ・ドッグ』

 ロサンゼルス市警の刑事エリン・ベル(ニコール・キッドマン)は酒におぼれ体はボロボロ。同僚からは疎まれ、別れた夫や娘とも疎遠になっている。17年前、FBIの捜査官クリス(セバスチャン・スタン)と犯罪組織に潜入捜査をしていたエリンは、取返しのつかないミスをし、その後生活は荒れる一方だったのだ。しかしある日、17年前の事件の主犯で姿をくらましていたサイラス(トビー・ケベル)が舞い戻ったという情報が入る。監督はカリン・クサマ。
 こういう女性主人公ハードボイルドが見たかった!と溜飲が下がった。女性が主人公であっても女性ならではの、みたいな言説が付きまとわないやつだ。登場人物の性別を入れ替えても話が成立するフラットさがある。同時に、男女間であっても(妙な言い方だが)暴力の振るい方度合いがフラットで、同じように殴り合い蹴りあう。こんなに爽快感がなくてしみじみ痛そうな映画内暴力、意外と久しぶりに見た。全然かっこよくなく、単に暴力なのだ。痛みと身体へのダメージにやたらと説得力があって、エリンの体がどんどん傷んでいくのがよくわかる。
 エリンとクリスの間に何があるのか、2人が何をやろうとしたのか、そしてエリンが何をやったのかが徐々に見えてくる。時系列がシャッフルされた構成なのだが、これが非常に効果的。ああそういうことだったのか!と鮮やかに全体図が見えてくるのだ。そして同時に、より胸を刺す光景が見えてくる。エリンはサイラスから「欲深い」と称されるが、彼女が欲したものはそんなに大それたものではない。今よりも少しだけ良い暮らし、少しだけ希望が持てる未来を欲した故の行動だった。しかしその欲を持とうとしたばかりに取返しのつかないことになる。飢えたことへの落とし前をつける為にだけ生きているといった体のエリンの姿は、強さを感じさせると同時に痛ましい。彼女はこういう形でないとけりをつけられない人間で、元夫や娘の存在も彼女を引き止められないのだ。私はある選択・生き方しかできない人間を描いた映画が好きなのだが、本作も正にそれだった。
 キッドマンのよれよれ感と肉体的な憔悴感がすごくてちょっと圧倒されてしまった。やはり名優なんだな…。

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『死霊魂』

 1950年代後半、人民の自由な発言を歓迎するという中国共産党主導の「百家争鳴」キャンペーンが行われた。これに乗って自由にものを言ったところ「右派」と呼ばれ、55万人の人びとが収容所に送られた。この「反右派闘争」の全容はいまだ明らかになっていないという。これに大飢饉が重なり、収容所は地獄と化した。2005年から2017年にかけて撮影した、収容者全体の10%と言われる生存者の証言から構成した一大ドキュメンタリー。監督はワン・ビン。
 何と8時間26分におよぶ超大作(劇場上映だとおおよそ9時間強)しかし密度が異常に高く、長いことは長いのだがダレた感じはしない。この点だけでも凄まじい作品だと思う。生存者の語り口は淡々としていたり時に強い感情を見せたりと様々な表情を見せるのだが、どの話からも極度の飢餓がどのようなものなのか、ひしひしと伝わってくる。語り口はあっさりとしており、普通のことのように語られている所に更に凄みがある。人間は飢えすぎるといきなり死ぬ(寝ている間に死ぬ人が多かったそうだ)とか、人肉を食べた噂とか、白いはずの布団が黒っぽいのでよく見るとシラミが全面にたかっている、シラミを叩き落とす力さえなくなるという具体的すぎるシチュエーションの数々。人間が人間でいられる域を軽く超えるような状況を体験した人たちが、一体どういうスタンスでその体験を語っているのかと思うと、ちょっと想像を絶するものがある。
 中国を襲った大飢饉は天災であり、元々環境が良くなかった収容所の状態が更に悪化したという面はあるが、国の失策という面も大きそうだ。地方の農家の飢餓は政府が作物を徴収しすぎたから、ノルマを達成するプレッシャー故に各自治体が収穫量の虚偽申告をしたから、という人為的な要素もあった様子が垣間見えてくる。また収容所に送られた人たちも明確な「右派」ではなかった人が多く、「人数合わせ」として選ばれたに過ぎなかったりする。右派は集団全体に特定の割合含まれているから、その割合に見合う人数を送らないとならないという、馬鹿馬鹿しい理屈がまかり通っていたそうだ。国が作った仕組みに振り回され生命まで奪われた人たちが何と多かったことかと気が遠くなる。収容所の跡地には、今でも人骨が大量に放置されているのだ。そういった経緯が順序だてて説明されるわけではないが、生存者たちの語り、また収容所を管理する側だった人達の話によって、断片が徐々につながり、一つの絵が見えてくる。
 ワン・ビン監督の作品を見る度、監督の聞き手としての力、粘り強さに唸ってしまう。よくこの場にカメラを置き続けさせてくれるなという作品ばかりだ。人との信頼関係の作り方、距離の縮め方が抜群に上手いのだろうが、このやり方で作り続けられるという所が凄い。

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『スパイの妻』

 1940年、太平洋戦争開戦直前の日本。神戸に住む織物商の勇作(高橋一生)は、仕事で満州に行った際、偶然に恐ろしい国家機密を知ってしまう。帰国した彼は正義の為、この事実を世界に知らせようとする。勇作の妻・聡子(蒼井優)は、スパイと疑われる夫を信じようとするが。監督は黒沢清。
 滝口竜介・野原位による脚本(黒沢も参加している)が良かったではないだろうか。黒沢監督の単独脚本では聡子の言動にここまでの勢いは出なかったかなという気がする。ミスにたいしテリとして、メロドラマとして大変面白かった。
 勇作は人としての正義感・倫理から国家機密を海外に持ち出す「スパイ」になろうとし、聡子は勇作への愛から「スパイの妻」になる覚悟をする。その目的の為に多大な犠牲が生じようともだ。2人とも方向は違うが、個人の心情・理屈を最優先しており、これは最後の最後、エンドロール前の字幕に至るまで一貫している。それは戦争へと向かう全体主義的な「国」の空気の中で異質だ。将校となった泰治(東出昌大)が「世間がどんな目で見るか」「どう見られるか気を付けた方がいい」と2人に忠告するが、国=世間と言えるだろう。自分がどう考えているか、何を正しいと考えるかよりも、世間がどう見るか、今世間がどんな雰囲気なのかということの方が、この国では重視される。勇作や聡子の生き方はそれに背を向けるものだ。ベースはメロドラマなのだが、個人と国家がどうやっても添えない、和解し得ない地点に向かう様が息苦しく迫ってきた。
 勇作は趣味で映画を撮っており(社長が撮った自主映画を納会で上映するって長閑な会社だよな…)、作品のヒロインを聡子に演じさせる。勇作が撮ったフィルムの中の聡子はひときわ美しい。勇作と秘密を共有するようになった聡子は、正に映画のヒロインのような華やぎを見せる。夫との秘密は、彼女にとっては自分が主役のお芝居のようなものだったのではないか。監視の目をかいくぐり、路上で勇作に抱き着く彼女は実に楽しく充実していそうなのだ。ただ、勇作が撮った映画のヒロインがたどった運命がどのようなものだったのか。勇作が、そういう彼女を見て見たかったのでは、彼にとっても全部映画、自身が映画監督をやっているような気持ちだったのでは。撮るものと撮られるもの、その交わらなさがにじみ出ていたようにも思えた。

散歩する侵略者
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『セノーテ』

 メキシコ、ユカタン半島北部にセノーテと呼ばれる洞窟内の泉がある。マヤ文明時代、水源として利用され、生贄が捧げられた場所でもあるという。現世と黄泉とをつなぐというセノーテを巡る言い伝え、人々の記憶が交錯していくドキュメンタリー。監督は小田香。
 セノーテの幻想的な姿と、周辺に暮らす人々の姿と語りから構成されており、ドキュメンタリーではあるが映像詩とでも言った方がふさわしそうなポエジーがある。今現在ここで暮らす人たちの姿、その生活の映像はなぜかぴんぼけな映像、輪郭があやふやで人にしろ場所にしろ個別化できない映像が多い。主体はやはりセノーテという場所であり、そこに暮らす人々の生活は背景として控えている。
 泉の存在、それにまつわる言い伝えや歴史は実際のものだが、映像とナレーションの組み合わせによって、現実から一層向こう側に立ち入ったような風景に見える。水中の風景に音が被されているのだが、水遊びをしている人々の喧騒らしきものが、太古の儀式のようにもの、生贄が泉に投げ入れられた水音のようにも聞こえてくる。時間を超越した不思議な魅力がある。また、水中には細かい塵状のものが舞っている場所もあるのだが、向こう側が見通しにくいことで、空間があるのに平面を追っているような奇妙な錯覚に陥る。自分が見ているのは一体何なのだ?とはっとする瞬間があるのだ。
 こういう絵を撮りたい、というよりも、ここにカメラを置いたらどういう絵になるか、という発想で撮られた作品のように思った。見方、角度がちょっと変わっただけで、全然違う世界が姿を現すという、世界の新鮮さ、豊かさに迫っている。泉自体は大昔からあるもので、その風景が大きく変わったというわけではないというだけに、何か不思議な気持ちになる。映像と音の魅力が大きい(というかほぼ全て)作品なので、音響の良い大画面な環境で見るほうがいいのだろうが、こういう作品を大きな劇場で上映するのはなかなか興行的に厳しそう。でも小さい画面で見るのは勿体ない。

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『幸せへのまわり道』

 記者のロイド・ボーゲル(マシュー・リス)は華々しいキャリアを積んできた。今は有名雑誌の編集部に勤め、弁護士だが育児の為休職中の妻と、幼い息子と3人暮らし。ある日、姉の結婚式で絶縁状態だった父ジェリー(クリス・クーパー)と再会し、大ゲンカしてしまう。数日後、ロイドは仕事でインタビューをすることになる。相手は子供番組の司会者で国民的スターのフレッド・ロジャース(トム・ハンクス)。フレッドは会うなり、ロイドが抱えている問題を察知する。監督はマリエル・ヘラー。
 スタジオ見学に来たがなかなか言葉を発さない子供に対して、フレッドが子供の発語をずっと待ち続けるシーンが印象に残った。フレッドは「聞く」力の鍛え方、胆力が半端ない人物なのだ。相手の話を本気で聞く姿勢を保ち続けるというのは、実は相当努力と技術がいる。そして聞く姿勢が本気でない場合、往々にして相手にバレる。フレッドは初対面の相手に結構立ち入ったことを聞いてくるのだが、そこで関係がいきなり拗れるという風でもない。この人は本気で聞く気があるなと思わせる何かがあるからだろうし、そういう人に対しては、相手も自分のデリケートな部分を開示してもいいと思える。
 一方ロイドは記者という職業にも関わらず、今一つ聞く態勢がとれていない人だ。彼が用意している質問は答えが予測されている、あるいはこう答えてほしいというシナリオが前提になっているもので、フレッドには「期待通りの答えじゃなかったかな?」と言われてしまう。また、相手を怒らせて本音を引き出すといった手法を取る様子も垣間見え、インタビューした相手からは嫌われているという。ロイドの聞き方は対話にならないのだ。彼のこの姿勢は家族に対しても同様で、関係がこじれている父親はともかく、妻に対しても今一つ上の空。子供の世話は一緒にやっているし決して不仲ではないのだが、妻は本当は復職したいのでは(保育所が決まらなくて、という会話がある)、ロイドにも家にいてほしいのではといった事情が垣間見えてくる。ロイドが取材に打ち込むのは、そういった対話をせざるを得ない状況から逃げ出すためでもあるのだろう。
 相手の話を本気で聞くのは、気力体力を使うし、自分をある程度律していなければできないことだ。フレッドが感情、特に怒りをコントロールするように努めているというのもそのためだろう。ロイドに一番出来ていないのはここだ。プレッシャーが重なっていく様が、耳鳴りや話が聞こえなくなるといった演出で表されているのだが、徐々に周囲が見えなくなり頭が飽和状態になる様子が伝わってくる。こういうキレ方をする人は結構多いと思うのだが、弱みを見せてはいけない、強くあらねばというプレッシャーが根底にあるのかなという気がする。だから悲しみや辛さで泣いたりできないし、間違いや弱さを指摘されるとキレるのではないか。
 そういった感情は言語化して整理する、またフラストレーションを何かで発散してバランスを保つのだとフレッドは言う。しかし彼にとっても決して簡単というわけではない、素の彼が垣間見えるラストに異様な迫力があった。それまではフレッドの番組というフレーム、その中で紹介されるロイドの物語という複数のフレームで構成されているのだが、ここだけフレームがなくなるのだ。実は構成に結構凝った作品だ。

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