3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名さ行

『PSYCO-PASS3 FIRST INSPECTOR』

 2120年、シビュラシステムによって管理された社会。刑事の慎導灼(梶裕貴)と炯・ミハイル・イグナトフ(中村悠一)は連続テロ事件の背後にある陰謀、そして過去の灼の父の死の謎と炯の兄の死の謎を追い続けていた。ある陰謀の為に暗躍する梓澤廣一(堀内賢雄)は、刑事課職員たちを人質にとり公安局ビルを占拠。人質を解放する条件として都知事・小宮カリナ(日笠陽子)の辞任を求めてくる。監督は塩谷直義。脚本はTVシリーズから引き続き冲方丁・深見真。
 TVシリーズの3シーズン目最終回から直接つながっているストーリーなので、基本的にシリーズを追ってきた人向け。そういう意味では劇場版作品というよりシリーズの一環としてイベント的に劇場上映したという体なのだろう(実際、劇場では2週間限定上映でメインは配信だし)。でも、だったら全部ちゃんとTVシリーズとして放送してほしかったな…。しかもきれいに完結するわけではなく、もうちょっと続くよ!アピールを残した終わり方なので。どちらにしろ続きがリリースされれば見るつもりだけど、メディア・形態を変えつつずるずる続けるというのは個人的にはあまり好きではない。とは言え、それと本作が面白いかどうかは別問題だが(面白いです)。またシリーズを見続けてきた人にとっては、この人はこういう風に変化したのか等、感慨深い部分も多いと思う。
 とは言えこのシリーズ、作品のクオリティとは別問題として本来は自分の嗜好にはそんなに沿っていないんだなということの確認にもなった。本シリーズはシビュラという高クオリティ管理社会システムとでもいうべきものの管理下にある社会と、そのシステムの中で適応する、あるいは適応しきれなかったりすり抜けたりする人々を描いてきた。そしてシリーズ3ではシュビラの盲点をついて「ゲーム」を行い勝ち残ろうとするグループが登場する。ディストピアSFとして王道と言えば王道、それなりに面白いが、私個人はシステムの中で生き残ることやシステムを出し抜くこと、ゲームをする・ゲームに勝ち抜くことにあんまり興味がない。本作に限らずゲームのルールを掌握することやシステムの穴を突くストーリー、特権的な視点が物語世界を俯瞰する構造に一種の全能感を持つ観客は多そうだが、個人的にははまらない。なので、作中で梓澤が持っている願望は随分と退屈なものに思えた。それ、何か楽しい…?
 では自分が本シリーズ(特にSinners of the System以降)の何が好みと言ったら、やはりアニメーション表現の部分、特にアニメーションで実写的な組み立てのアクション演技をどう見せるかという部分だ。一連のアクションがどうつながっているのかわかるよう、キャラクターの全身を見せてくれるあたりが楽しい。この点は、俳優(ないしはスタントマン)の身体能力に依存する実写よりも有利かもしれない。ヘリや宜野座の義手を使ったアクションシーン等、やりたかったんだろうなぁ。ストーリー上そんなに必然性ないから。


『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』

 2006年。人気俳優のジョン・F・ドノヴァン(キット・ハリントン)が29歳で突然死した。10年後、若手俳優のルパート・ターナー(ベン・シュネッツァー)は著書出版に際したインタビューを受けていた。ジョンの大ファンだったルパート(ジェイコブ・トンブレイ)は、11歳の頃、彼と文通しており100通以上の手紙を交わした。その内容を本に記したのだ。監督はグザヴィエ・ドラン。
 ドラン監督の作品は常に感情の圧が高く、そこで好き嫌いが分かれそうな気がするが、本作は割と間口が広いように思う。青年ルパートの目を通したジョンの生涯という入れ子構造の立て付けなので、感情にフィルターがかかっている。「私の声」としての生々しさやどぎつさは若干和らぐのだ。また、これまでのドラン作品と同じようにジョンと母親との間、またルパートと母親との間には愛があると同時に大きな拗れ、わだかまりがある。ただ、その描写もさほどとげとげしいものではない(とは言え実家帰省のシーンなどを見ると、こんな親子関係・親戚関係だったらちょっとしんどいなとは思わせるけど)。根底には愛があり共感が生まれる瞬間もある。加えて少年ルパートの母親(ナタリー・ポートマン)は息子の為に本気で奔走し、それがルパートの心を再び動かす。2人の心が通う感動的な瞬間があるが、この瞬間がなければ後のルパートはいなかったかもしれない。これはおそらくジョンが得られなかった体験で、あったかもしれないジョンの人生をルパートがやりなおしているようにも見えるのだ。親子関係の運任せな部分を垣間見たようで切なくもあるのだが。
 とは言え、本作に出てくるジョンのエピソードは、ルパートが語るものという側面が強い。実際の彼がこのようだったかどうかはわからない。ルパートは信用できない語り手でもあるのだ。彼が必要とした物語が本作におけるジョンの物語であり、彼がジョンに自分を重ねることで生まれた物語とも考えられる。憧れのスターに自分を重ねる、共感を重ねるという気持ちは個人的にはあまりわからないのだが、こういう物語の在り方を必要とする人はいるし、スターはそれを許容するからこそスターなのかなとも思えた。
 それにしても、ジョンが生きていた2006年は思った以上に窮屈そうで、意外だった。セクシャリティに対する許容度ってアメリカでもこんなものだったのかな?対して、2016年を舞台とするラストシーンの幸福感がまぶしい。ある映画へのオマージュになっているのだが、ここで堂々とハッピーエンド感を出せる所が2020年(作中は2016年、製作は2018年だが)なのだと思う。

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『ジュディ 虹の彼方に』

 1968年。『オズの魔法使い』以来、ミュージカルスターとして一世を風靡したジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)は、度重なる遅刻や失踪により仕事は途絶え、借金を抱えつつ巡業で生計を立てる日々を送っていた。幼い娘と息子と一緒に暮らす資金を手に入れる為、子供たちを元夫に預け、ロンドン公演へ向かう。監督はルパート・グールド。
 ガーランドは47歳で死去しているので、本作が描くのは彼女の晩年期と言ってもいいだろう。お酒と薬で心身ともにボロボロ、ステージにも支障をきたしかつて築いたスターとしての信用も失っていく彼女の姿は痛々しい。少女時代のエピソードが随所に挿入されるが、彼女が薬を手放せなくなったのは、ハードワークに耐えさせる為に周囲の大人たちから長年にわたり投与されていた為だとわかる。同時に、周囲の大人たちは彼女の若さと無知に付け込み、年齢相応に必要とされるケアは全くしてこなかったことが窺えるのだ。その状態のまま大人になったガーランドは、子供時代の自分が得られなかった愛情や庇護を受けようとするあまり、手近な愛(的なもの)に手を伸ばしてしまっているように見える。客観的にはいかにも脆そうなものを掴んでしまう様が痛々しくて辛い。
 ただ、男性運が悪かった彼女にとっても確かな愛、双方向に成立している愛はある。それはファン、ショーの観客との愛だ。遅刻魔でパフォーマンスも不安定な彼女には大失敗のステージも多く、大変なブーイングを浴びることもある。しかしひとたびスイッチが入って何かがかみ合った時、ステージの上と観客とが一体になった高揚感と深い共感(のように錯覚できるもの)が生まれる。その瞬間の為にガーランドはパフォーマンスするし、ファンもそれを待ち望み続ける。生の舞台の魔力がとてもよくわかるシーンだ。日常がパッとしない辛いものでも、その瞬間が生きる支えになってくる。ガーランドと彼女のファンであるゲイのカップルの交流は正にそれを表しているし、クライマックスのあの曲のシーンは、生きる支えを与え続けてくれたガーランドに対するファンの真心そのものだろう。とは言え、ファンがスターに出来ることはその程度であり、彼ら彼女らの実人生の幸せの担保にはなれないということでもあるのだが。
 エピソードの分量は多くはないが、ガーランドと子供たちの関係が深く刺さった。序盤、タクシーの中で見せる娘の表情(子役が上手い!)がすごい。この時点で、彼女らの家庭は今の状態に耐えきれないんだろうと悟らせる。そして終盤、電話をしている娘の表情もまたすごい。とどめを刺してくるのだ。ガーランドは子供たちをちゃんと愛しているし一緒にいたらとても楽しい母親なのだが、愛だけでは足りないのだ。子供にとって実の親の愛よりも必要なものがある。ガーランド当人は実の親の愛が足りない子供だったことを思うと何とも皮肉だ。


ジュディ・アット・カーネギー・ホール
ジュディ・ガーランド
ユニバーサル ミュージック
2020-03-04


『劇場版SHIROBAKO』

 上山高校アニメーション同好会の卒業生、宮森あおい(木村珠莉)ら5人は、アニメーション制作進行、アニメーター、声優、3Dクリエイター、脚本家などそれぞれの道を歩み、夢に一歩近づいてきた。皆が関わったTVアニメ『第三飛行少女隊』から4年、宮森が勤務する武蔵野アニメーションは大きな問題に直面する。監督は水島努。
 TVシリーズの4年後を描く完全新作劇場版。しかししょっぱい!アニメーション業界のしょっぱい現実から目を背けさせてくれないある意味非常に誠実な作品だ。業界全体の落ち込みと武蔵野アニメーションの「没落」が連動しており、TVシリーズの高揚感は最初ほぼなくなっている。宮森の表情も冴えず、記号的表現とは言え仲間との飲み会の前に無理やり笑顔を作る様が切ない。オープニングで流れる作中作曲がこれまた切ない歌詞で、しょっぱさ抜群だ。とは言え、宮森がプロデューサーがやるべきことを自覚し初心に帰る、その上でアニメを「完成させる」と決意し奔走する様は清々しいし、「仲間」が再結集する過程は少年漫画的な熱さがある。そのうえで現在のアニメ業界への批評(だいぶマイルドだけど)を含んだお仕事ドラマになっている所が面白い。ラストも決して順風満帆ではないが、現在のアニメ業界を鑑みたうえでぎりぎりのハッピーエンドなんだろうな。
 ただ、本作はアニメーション表現としては割と定型的というか、キャラクターデザインや演技の記号性等、ちょっと古い印象がある。だから作中作アニメとのメリハリが弱くて若干勿体ない気がする。記号的なルックでこういうドラマをやるというのがアンバランスなように思うが、あえてなのだろうか。
 なお、本作の主人公とその仲間たちは女性だし、職場の先輩らも女性登場人物が多く登場する。男性も当然多いのだが、仕事の現状に対して女性たちの方が切り替えが早いというか、この状況で何ができるかという方向に舵を切っているように思った。男性たちの方が自己憐憫から抜けられなかったり膠着状態になっちゃったりしているところがちょっと面白い。

SHIROBAKO Blu-ray BOX 1 スタンダード エディション (3枚組)
茅野愛衣
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2020-02-19


 

『スキャンダル』

 全米で視聴率ナンバーワンのテレビ局FOXニュースの元キャスター、グレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)が、CEOのロジャー・エイルズ(ジョン・リスゴー)をセクハラで提訴した。全米中のメディアが注目する中、FOXの看板キャスターであるメーガン・ケリー(シャリーズ・セロン)も自分の過去を思い返し平静ではいられなかった。一方、若手キャスターのレイラ(マーゴット・ロビー)はエイルズと直接面談するチャンスを得るが。監督はジェイ・ローチ。
 ごく最近の話(ケリーがニュース内で大統領選に出馬するトランプを批判している)だというのが結構ショック。エイルズの女性キャスターに対するルッキズム強要、セクシーさの強要は前時代的なのだがいまだにこれが現行しているのかと。少女たちに自身の意思決定の大切さを説くカールソンの番組は即中止を申し渡されてしまう。そしてクビを言い渡されたカールソンは長年にわたるハラスメント被害を訴えるが、激しいバックラッシュを受ける。またケリーは過去にセクハラにあっただけではなく、トランプの女性蔑視発言を批判したことで視聴者からのバッシングとメディアの目にさらされ、家族の身の安全にも不安がよぎる。レイラは自分の身に起きたことで自分を責め、誰にも相談できず苦しむ。彼女ら以外にもちょっとだけ出てくる女性たちが、女性であるが故にさらされる問題が手際よく(というのも変な表現だが)紹介されている。あーあるある!というものばかりだ。この「あるある」が男性たちにはほぼぴんときていない様子も作中で描かれている。
 ただ、ハラスメントに遭ったという共通項はあっても彼女たちが共闘するわけではない。他の被害者も声を上げるはずと思っていたカールソンは失望する。ケリーは自分も被害者であると公表することで自分の弱さをさらすことになると危惧する(そう思わせてしまう世間がおかしいのだが)。トップキャスターとしての野心満々な彼女は、勝てる勝負だと確信できるぎりぎりまで勝負に出ない。立場はまちまちで、女性の連帯・共闘というものは案外生まれないのだ。
 また、社内を牛耳ってきたエイルズのやり方が、女性同士を競わせるよう焚きつけ、分断するものだったという面も大きいだろう。競わせて優秀な方を男性である自分が取り立ててやるというシステム。女性の敵は女性という言い草は男性が作ったものだろうなとよくわかるエピソードだ。エイルズの人となりも一様ではなく、ゲスなセクハラ男であるが、経営者としては非常に目利きだった、かつ情に厚いところもあって身内と見なした人間は自腹を切って助けるという一面もある。登場する人たちは皆、多面的な造形になっている。
 ハラスメントの告発はもちろん自分自身の為、企業の膿を出すという社会正義の為ではあるが、後進の人たちの為でもある。レイラが「先輩」になぜなにもしてこなかったのかと訴えるシーンは胸に刺さる。レイラのように一人で苦しむ人を出さないためなんだよなと。本作、エンドロールのデザインがとても冴えている。女性たちが分断されている様、孤独な様が象徴されているのだ。


スタンドアップ (字幕版)
ジェレミー・レナー
2013-11-26



『ソン・ランの響き』

 1980年代のサイゴン。借金の取り立て屋ユン(リエン・ビン・ファット)は、ベトナムの伝統歌舞劇カイルオンの俳優リン・フン(アイザック)と知り合う。リン・フンは劇団に取り立てに来たユンに敵意を向けるが、店の客に喧嘩を売られた彼をユンが助けたことで距離が縮まっていく。実はユンの父親は民族楽器ソン・ランの奏者、母親はカイルオンの女優だった。ユン自身もかつてはソン・ラン奏者を目指していたのだ。監督はレオン・レ。
 すごくきちんとしているというか、かっちり組み立てられた作品という印象だった。丁寧に律儀に作っていると思う。ベトナムの映画を見ることは今まであまりなかったのだが、夜のシーンが多い映像が美しい。80年代のサイゴンの雰囲気もあいまってビジュアルも魅力があった。なお、ファミコンがとても効果的な小道具になっておりノスタルジー掻き立てられる。
 ユンは粗暴なようでいて自宅で鉢植えを育てていたり、部屋も質素ながら小ぎれいだったり、また借金取りとして非情になりきれなかったりと、繊細な面を見せる。演じるファットがこれがデビュー作とは思えないほど微妙なニュアンスを表現していてとてもよかった。一見荒んでいるけど荒み切れないが故の苦しさみたいなものがにじみ出ていたと思う。
 花形俳優であるリン・フンは酒も博打もやらず演技に打ち込む、非常に生真面目な人柄。また、いわゆるマッチョな男らしさを誇示せず、誇示しなければという男らしさのプレッシャーからも自由(と言うか退けている)ように見える。ユンも本来はそうなのだろうが、職業上、暴力性を伴う男らしさを示さざるを得ず、それが彼の生き辛さにつながっているように思えた。取り立て先の子供に対する態度等、やる必要はないし立場上それは悪手なのだろうが、せずにはいられない人なのだ。その矛盾から抜け出し本来の自分に戻ろうとした矢先に、業が巡ってくる。
 リン・フンと出会ったことでユンの人生は大きく動き始める。魂が響きあうとはこういうことかというほど、2人のわずかな交流は心が温まる、まぶしく切ないものだ。結果はどうあれ、ユンはリン・フンと出会えて幸せだったのではと思える。

第三夫人と髪飾り [DVD]
レ・ヴー・ロン
TCエンタテインメント
2020-06-10


ウィークエンド WEEKEND [Blu-ray]
ローラ・フリーマン
ファインフィルムズ
2020-04-29




『GのレコンギスタⅡ ベルリ撃進』

 宇宙海賊の元でキャピタル・アーミィを退け、海賊の母艦メガファウナと共に宇宙に上がったベルリ(石井マーク)。ベルリたち救出の為出撃したキャピタル・ガードの教官デレンセン(小山剛志)が急襲するが、ベルリはそれとは知らずG‐セルフで迎撃してしまう。一方キャピタル・アーミィはG‐セルフとラライヤ・マンディ(福井裕佳梨)の身柄を要求してくる。総監督・脚本は富野由宇季。
 Gレコ劇場版2作目が早々に公開。1作目『行け!コアファイター』を見たときも思ったが、基本的にTVシリーズの再編集版なのだが、スケール感があってむしろ劇場で見てよかった!と思える。今回はいきなりドンパチ盛りだくさんでアクションの比重の大きいので、大きな画面がよりうれしい。やっぱり大画面でのモビルスーツ戦は燃えるのだ。
 とは言え、戦闘機には大体人が乗っており、機体を撃沈させるというということは大体において、その中にいる人の命を奪うことでもある。今回は早い段階でそれを明示していると同時に、それに気づいたベルリのショックも描く。更に、ベルリ=子供にそれをやらせるべきではなかったという周囲の大人の悔恨も漂わせる。こういうところ、ちゃんと大人が作った作品だなという印象だった。ベルリはパイロットとして優秀で「特別」だと描かれてはいるが、同時にまだ子供であり、本来ならそういう(一人前のパイロット=大人)扱いをされるべきではないんだよなと。それはアイーダにしても同様で、未成年、子供が子供として扱われるべき場面というのはあるのだ。
 今回は登場人物の表情、振る舞いがより豊かで、キャラクター造形がより立体的だったと思う。ベルリと母が意外と似たもの同士(やることが結構すっとんきょうで思い切りがよすぎる)だったり、アイーダの言動がちょっと肩の力の抜けたものになっていたりと、微笑ましい。また、自然環境が豊かな世界設定だということがよくわかる。動物や鳥の登場頻度が高い!気候も温順そうで、暮らしやすい環境なんだろうなと。生活のディティールの細やかさがやはり楽しい。


『37セカンズ』

 ユマ(桂山明)は出生時に37秒間呼吸ができなかった為、脳性麻痺を患い、車椅子生活をしている。幼馴染の漫画家のゴーストライターをする傍ら、自分の作品をアダルト漫画専門誌に持ち込むが、リアルな体験がないと良い作品は描けないと編集長に言われてしまう。実際にセックスを体験しようと街に出たユマは、障碍者専門の娼婦・舞(渡辺真起子)やヘルパーの俊哉(大東駿介)と出会い世界を広げていく。しかし母・恭子(神野三鈴)は激怒する。監督・脚本はHIKARI。
 最初、ユマに対する恭子の接し方が、娘が身障者で介助が必要とは言え、22歳の人間相手にちょっと子ども扱いしすぎではないか?とひっかかったのだが、彼女の過保護さがこの後どんどん示されていく。ユマは実は時間がかかるけど一人で着替えはできるし、シャワーも浴びられるということが一方で提示されるのだ。彼女はおそらく、恭子が思っているよりもしっかりしているし自分の考えを持っている。漫画を描くためにセックスをしたいと即行動に移すユマの思い切りの良さ、舵の切り方の極端さにはハラハラするし、「私のことなんか誰も見ない」という彼女の言葉には、そういうことじゃないんだよ!(性的な側面以外からも加害する人はいるし事故だってある)と母親ならずとも言いたくもなる。
 とは言え大事なのは、ユマがしたいのであればセックスなりなんなりしてみていいし、身体的な問題を理由に選択肢を狭められる、世界を狭められる筋合いはないじゃないかということだ。そのために手助けを頼んだっていい。舞や俊哉のような人はそのためにいるのだから。もちろん難しいこともあるだろうけど、最初から無理だと言われるのはちょっと違うよなと。これは障碍だけでなく全ての人に言えることだろう。あなたはこのカテゴリーに入っているからこれをやるべきではない、という決めつけはおかしいのだ。「ためにならない」ことをやっても別にいいだろう。
 ユマは自分にもう一つの人生、障碍のない人生があったのではと思わざるを得ないし、その上で「私でよかった」と言うに至る。しかしもう一人の「彼女」にとっては、自分こそが選ばれなかった側、ある人から捨てられた側だという思いがあるのではないだろうか。もう一つの人生は、彼女にとっても思いを巡らさざるを得ないものだったのではないかと。
 なお作中、エンドロールでCHAIの楽曲が使用されているが、これは圧倒的に正しい!本作が目指すところが明示されている、いい選曲だと思った。


『囀る鳥ははばたかない The clouds gather』

 被虐趣味を持ち様々な男と関係を持ってきた真誠会若頭の矢代(新垣樽助)の配下に、雑用係として百目鬼(羽田野渉)がやってくる。矢代は百目鬼をなんとなく気にいり、からかいつつ傍に置くものの、距離を保つ。百目鬼は愚直に矢代に従いながら、自己矛盾を抱える彼に惹かれていく。原作はヨネダコウの同名漫画。監督は牧田佳織。
 超人気かつ名作BL漫画のアニメ化。私は原作は読んでいるものの、アニメ化された本作について事前情報をあまり入れていなかったので(ネタバレというわけではないので書いてしまうが)、最後の最後であっこれ続くんだ!と気付いた(原作連作中だからそりゃそうだろうという話なのだが)。まあ次作も見ますけれども…。
 原作と原作ファンを尊重した丁寧な映像化だと思うのだが、それが映像化として面白くなっているのかというと、ちょっと微妙な所だと思う。もちろん原作のストーリーが面白いからそれに沿って作って作っている以上一定水準の面白さはあるのだが、絵が動くという、アニメーションならではの面白みみたいなものはあまり感じない。原作の絵の通りですね、このシーンはあのコマですねという感想になってしまう。そもそも原作は物理的な動き=運動の多い作品ではないから、アニメーション化に向いているかというと、ちょっと微妙なのでは。コマ内が割と静止画寄りというか、コマとコマとの間にあまりダイナミックな動きの演出はないように思う。それが整理された読みやすさに繋がっているのだが。原作の魅力であるモノローグも、映像化した時にはもっと削っていいのではとも思った。そのモノローグが表現するものを映像として見せてほしいんだよな。
 とは言え、映像化されて本作が持つメロドラマ要素が際立ってきたところは面白い。メロウ寄りな音楽の効果もあるのだろうが、言葉を音声化することで強調されるものがあるんだなと再認識した。百目鬼は矢代のことをきれいだと言うのだが、BL漫画だとこれは常套句なので読者側はわりと流してしまいがちなように思う。しかし映像と音声で表現されると、男性に対してこの表現を使うことってあまりないなと(使って全然良いと思うけど)現実に引き戻される。と同時に、百目鬼にとってこの「きれいだ」という表現は非常に特別なもの、彼にとって矢代は何か代えがたいものなんだなと伝わってくるのだ。


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『サヨナラまでの30分』

 バンド「ECHOLL」でのデビューを目前に事故死したアキ(新田真剣佑)。彼が残したカセットレコーダーを拾った大学生の颯太(北村匠海)は、中のカセットテープを再生してみる。すると30分だけアキが颯太の体を借りて入れ替わる。2人は颯太の体を共有し、ECHOLL再結成の為に奔走する。しかし2人が入れ替われる時間は段々短くなっていく。監督は萩原健太郎。
 予想外の良さでびっくりした。若手人気俳優を起用した、さわやかな若年層向け作品ではあるのだろうが、カセットテープというレトロ(最近復権してきたけど)なモチーフを使っているところが面白い。再生時間の制限や「巻き戻し」という仕組みが入れ替わりシステムとリンクしており、カセット世代にはイメージとしても懐かしいのでは。
 一人でいるのが好きな颯太は、アキによって生活を引っ掻き回される。迷惑がる颯太だが、誰かと一緒に音楽をやる楽しさに目覚め新しい世界に心を開いていく。一方でアキも、颯太を通してかつての仲間や恋人を見ることで、自分の時間が止まっていたことに気付き認識を改めるのだ。颯太が就職活動中というのも要素として利いている。本来の自分を偽装してウケがいいように演じなければならない(と思わされている)から、面接だけ「ウケ」のいいキャラに交代できればなと思ったり、本来の自分の良さを見失ったりしがちな時期で、「入れ替わり」のハードルが下がるのだ。
 2人が変化し一歩を踏み出す物語だが、アキの恋人カナ(久保田紗友)の喪の仕事という側面も踏まえられており、彼女が添え物に甘んじていない所がよかった。バンド内での存在感はそんなにない(彼女のパートがなくても成立しそうな曲だ)ところがちょっと辛かったが。
 作中の楽曲がしっかりしており、「デビュー間近だったバンド」という設定に説得力が出ている。エンドロール曲もストーリーの内容をきちんと踏まえたものにしているあたりにもこだわりを感じた。ライブハウスの集客度合いや地方のフェスの規模感もわりとリアルなのでは。音楽面の演出をちゃんとしようという意欲が感じられた。


[新版]幽霊刑事 (幻冬舎文庫)
有栖川 有栖
幻冬舎
2018-10-10


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