3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名さ行

『スパイの妻』

 1940年、太平洋戦争開戦直前の日本。神戸に住む織物商の勇作(高橋一生)は、仕事で満州に行った際、偶然に恐ろしい国家機密を知ってしまう。帰国した彼は正義の為、この事実を世界に知らせようとする。勇作の妻・聡子(蒼井優)は、スパイと疑われる夫を信じようとするが。監督は黒沢清。
 滝口竜介・野原位による脚本(黒沢も参加している)が良かったではないだろうか。黒沢監督の単独脚本では聡子の言動にここまでの勢いは出なかったかなという気がする。ミスにたいしテリとして、メロドラマとして大変面白かった。
 勇作は人としての正義感・倫理から国家機密を海外に持ち出す「スパイ」になろうとし、聡子は勇作への愛から「スパイの妻」になる覚悟をする。その目的の為に多大な犠牲が生じようともだ。2人とも方向は違うが、個人の心情・理屈を最優先しており、これは最後の最後、エンドロール前の字幕に至るまで一貫している。それは戦争へと向かう全体主義的な「国」の空気の中で異質だ。将校となった泰治(東出昌大)が「世間がどんな目で見るか」「どう見られるか気を付けた方がいい」と2人に忠告するが、国=世間と言えるだろう。自分がどう考えているか、何を正しいと考えるかよりも、世間がどう見るか、今世間がどんな雰囲気なのかということの方が、この国では重視される。勇作や聡子の生き方はそれに背を向けるものだ。ベースはメロドラマなのだが、個人と国家がどうやっても添えない、和解し得ない地点に向かう様が息苦しく迫ってきた。
 勇作は趣味で映画を撮っており(社長が撮った自主映画を納会で上映するって長閑な会社だよな…)、作品のヒロインを聡子に演じさせる。勇作が撮ったフィルムの中の聡子はひときわ美しい。勇作と秘密を共有するようになった聡子は、正に映画のヒロインのような華やぎを見せる。夫との秘密は、彼女にとっては自分が主役のお芝居のようなものだったのではないか。監視の目をかいくぐり、路上で勇作に抱き着く彼女は実に楽しく充実していそうなのだ。ただ、勇作が撮った映画のヒロインがたどった運命がどのようなものだったのか。勇作が、そういう彼女を見て見たかったのでは、彼にとっても全部映画、自身が映画監督をやっているような気持ちだったのでは。撮るものと撮られるもの、その交わらなさがにじみ出ていたようにも思えた。

散歩する侵略者
笹野高史
2018-03-07


ハッピーアワー [Blu-ray]
川村りら
NEOPA
2018-05-18



『セノーテ』

 メキシコ、ユカタン半島北部にセノーテと呼ばれる洞窟内の泉がある。マヤ文明時代、水源として利用され、生贄が捧げられた場所でもあるという。現世と黄泉とをつなぐというセノーテを巡る言い伝え、人々の記憶が交錯していくドキュメンタリー。監督は小田香。
 セノーテの幻想的な姿と、周辺に暮らす人々の姿と語りから構成されており、ドキュメンタリーではあるが映像詩とでも言った方がふさわしそうなポエジーがある。今現在ここで暮らす人たちの姿、その生活の映像はなぜかぴんぼけな映像、輪郭があやふやで人にしろ場所にしろ個別化できない映像が多い。主体はやはりセノーテという場所であり、そこに暮らす人々の生活は背景として控えている。
 泉の存在、それにまつわる言い伝えや歴史は実際のものだが、映像とナレーションの組み合わせによって、現実から一層向こう側に立ち入ったような風景に見える。水中の風景に音が被されているのだが、水遊びをしている人々の喧騒らしきものが、太古の儀式のようにもの、生贄が泉に投げ入れられた水音のようにも聞こえてくる。時間を超越した不思議な魅力がある。また、水中には細かい塵状のものが舞っている場所もあるのだが、向こう側が見通しにくいことで、空間があるのに平面を追っているような奇妙な錯覚に陥る。自分が見ているのは一体何なのだ?とはっとする瞬間があるのだ。
 こういう絵を撮りたい、というよりも、ここにカメラを置いたらどういう絵になるか、という発想で撮られた作品のように思った。見方、角度がちょっと変わっただけで、全然違う世界が姿を現すという、世界の新鮮さ、豊かさに迫っている。泉自体は大昔からあるもので、その風景が大きく変わったというわけではないというだけに、何か不思議な気持ちになる。映像と音の魅力が大きい(というかほぼ全て)作品なので、音響の良い大画面な環境で見るほうがいいのだろうが、こういう作品を大きな劇場で上映するのはなかなか興行的に厳しそう。でも小さい画面で見るのは勿体ない。

リヴァイアサン Blu-ray
紀伊國屋書店
2016-03-26


ニーチェの馬 [DVD]
デルジ・ヤーノシュ
紀伊國屋書店
2012-11-24


『幸せへのまわり道』

 記者のロイド・ボーゲル(マシュー・リス)は華々しいキャリアを積んできた。今は有名雑誌の編集部に勤め、弁護士だが育児の為休職中の妻と、幼い息子と3人暮らし。ある日、姉の結婚式で絶縁状態だった父ジェリー(クリス・クーパー)と再会し、大ゲンカしてしまう。数日後、ロイドは仕事でインタビューをすることになる。相手は子供番組の司会者で国民的スターのフレッド・ロジャース(トム・ハンクス)。フレッドは会うなり、ロイドが抱えている問題を察知する。監督はマリエル・ヘラー。
 スタジオ見学に来たがなかなか言葉を発さない子供に対して、フレッドが子供の発語をずっと待ち続けるシーンが印象に残った。フレッドは「聞く」力の鍛え方、胆力が半端ない人物なのだ。相手の話を本気で聞く姿勢を保ち続けるというのは、実は相当努力と技術がいる。そして聞く姿勢が本気でない場合、往々にして相手にバレる。フレッドは初対面の相手に結構立ち入ったことを聞いてくるのだが、そこで関係がいきなり拗れるという風でもない。この人は本気で聞く気があるなと思わせる何かがあるからだろうし、そういう人に対しては、相手も自分のデリケートな部分を開示してもいいと思える。
 一方ロイドは記者という職業にも関わらず、今一つ聞く態勢がとれていない人だ。彼が用意している質問は答えが予測されている、あるいはこう答えてほしいというシナリオが前提になっているもので、フレッドには「期待通りの答えじゃなかったかな?」と言われてしまう。また、相手を怒らせて本音を引き出すといった手法を取る様子も垣間見え、インタビューした相手からは嫌われているという。ロイドの聞き方は対話にならないのだ。彼のこの姿勢は家族に対しても同様で、関係がこじれている父親はともかく、妻に対しても今一つ上の空。子供の世話は一緒にやっているし決して不仲ではないのだが、妻は本当は復職したいのでは(保育所が決まらなくて、という会話がある)、ロイドにも家にいてほしいのではといった事情が垣間見えてくる。ロイドが取材に打ち込むのは、そういった対話をせざるを得ない状況から逃げ出すためでもあるのだろう。
 相手の話を本気で聞くのは、気力体力を使うし、自分をある程度律していなければできないことだ。フレッドが感情、特に怒りをコントロールするように努めているというのもそのためだろう。ロイドに一番出来ていないのはここだ。プレッシャーが重なっていく様が、耳鳴りや話が聞こえなくなるといった演出で表されているのだが、徐々に周囲が見えなくなり頭が飽和状態になる様子が伝わってくる。こういうキレ方をする人は結構多いと思うのだが、弱みを見せてはいけない、強くあらねばというプレッシャーが根底にあるのかなという気がする。だから悲しみや辛さで泣いたりできないし、間違いや弱さを指摘されるとキレるのではないか。
 そういった感情は言語化して整理する、またフラストレーションを何かで発散してバランスを保つのだとフレッドは言う。しかし彼にとっても決して簡単というわけではない、素の彼が垣間見えるラストに異様な迫力があった。それまではフレッドの番組というフレーム、その中で紹介されるロイドの物語という複数のフレームで構成されているのだが、ここだけフレームがなくなるのだ。実は構成に結構凝った作品だ。

それでも、愛してる スペシャル・エディション [Blu-ray]
チェリー・ジョーンズ
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2012-11-09









『シチリアーノ 裏切りの美学』

 1980年初頭のシチリアでは、マフィアの全面戦争が激化していた。パレルモ派のトンマーゾ・ブシェッタ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)はブラジルに逃れるが、仲間や家族は次々と敵対するコルリオーネ派に殺されていく。ブラジルで逮捕されイタリアに引き渡されたブシェッタは、ファルコーネ判事から捜査への協力を求められる。監督はマルコ・ベロッキオ。実在したマフィアの一大摘発事件をドラマ化した作品。
 俳優たちの面構えにアクがあり、映像も色彩鮮やかでテンポよくエネルギッシュ。冒頭の死人カウント表示も抗争の規模が一目でわかり景気がいい。ベロッキオ監督は既には80歳越えていたと思うが、元気だなー。なかなかのくどさだった。
 シチリアはイタリアの中でも大分独特な土地柄なのだろうか。どうもかなり方言がきついらしいというだけでなく、1980年代の話ではあるが、更にひと昔前の世界みたいだ。法律と行政ではなく、マフィア同士の関係とローカルルールが支配する世界なのだ。法を守る側に協力したブシェッタは激しいバッシングを受け、地元では「雇用を守るマフィアを守れ!」というデモが起きていたりする。マフィアが経済を回す、犯罪が一大産業になっているのだ。そんな世界ではブシェッタは組織だけではなく土地全体に対しての裏切り者、卑怯者ということになる。このあたりの過剰な地元愛は外様から見るとなんとも不思議。ブシェッタと他のマフィアたちは双方卑怯者、裏切り者(ブシェッタからすると昔からのルールを無視し私欲に走ったマフィアたちは裏切り者というわけ)とののしりあうが、いずれにせよどちらも犯罪で飯を食っているわけで、どっちもどっちな気がしなくもなかったが…。その文化の中にいないとわからない理屈があるんだろうなという異文化を垣間見るような作品だった。
 異文化と言えば、本作で行われる裁判は、私が映画やTVドラマで見知ってきたものとは大分様相が違う。証人であるブシェッタと被告であるマフィアがその場で直接「対決」を出来る、更に他の被告(マフィア組織を摘発したので被告が大勢いる)もギャラリーとして待機しておりやんやと野次を浴びせることができるという、見世物的な状況だった。ブシェッタと「対決」相手も裁判官そっちのけで罵倒しあい、弁護士が介入する余地がない。具体的な証拠や証言の裏付け等は一切出てこない(実際の裁判ではあったのだろうが、作中には出てこない)ので、これは一体何を見せられているんだ…と謎の時間が流れた。

夜よ、こんにちは [DVD]
ジョヴァンニ・カルカーニョ
スタイルジャム
2007-01-12




『その手に触れるまで』

 13歳の少年アメッド(イディル・ベン・アディ)はイスラム指導者に感化され、過激な思想にのめりこんでいく。とうとう学校の教師をイスラムの敵として危害を加えようとするが。監督・脚本はジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ。
 ダルデンヌ兄弟作品の主人公は、必ずしも共感できる人ではない、何を考えているのか行動原理がわからない人物であることが少なくない。本作の主人公であるアメッドはその中でも特に不可解であり、共感できない主人公だろう。アメッドがなぜ過激な思想に傾倒していくのか、何をもって教師を敵とみなしているのか、周囲からはわからないし、作中で説明もされない。カメラはアメッドの行動をじっと見つめるのみだ。
 アメッドの母親は彼の変化を理解できず「昔のあなたに戻って」と泣くが、アメッドにそれが響いている様子は見られない。また更生施設の職員たちや、実習先の農場主やその娘など、彼に関わり、彼を引き戻そうとする。しかし、その言葉も試みもなかなか届かない。特に、農場主の娘はアメッドと同年代で彼と親しくなるが、届きそうで届かないままだ(彼女のアプローチがちょっとセクハラまがいだというのもあるけど…)。アメッドは彼女に好意はあるのだろうが、彼女に提示する「条件」は、他者、特に女性を対等の存在として扱っていない、尊重していないものだ。カウンセラーがアメッドに教師との面会を許さないのは、彼にその自覚がないからでもあるだろう。どうすればそこに気が付けるのかというアメッドの周囲の格闘を見ているようでもあったが、自分で気付くしかないんだろうな…。アメッドが「気付く」、というかぽろっと引き戻されるシチュエーションがあんまりにもあんまりなので、そこまでやられないとだめなのか!かつそこで終わるのか!という衝撃。
 アメッドはイスラムのコミュニティの中で生活しているが、イスラム教徒であっても信仰との向き合い方が様々な様子が垣間見えた。アメッドの学校の教師が地元のイスラムのコミュニティで、放課後学級でのイスラム語指導の仕方について話し合いをする。保護者の中には、授業の内容についてもあくまでコーラン上の言葉を扱うべきだという人も、将来働くためにも世俗的な言葉に慣れておくべきだという人も、様々だ。そういうコミュニティと関わり続ける教師の労力は大変なものだし、アメッドらに関わり続けようとする姿勢には頭が下がる。しかし彼女の誠意が地元のイスラム指導者は気に入らず、アメッドが起こす事件につながる。教師としてのまともさがリスクになる世界って何なのだろう。イスラム指導者とアメッドの言動から垣間見られるミソジニーの強烈さ・根深さもきつい。もし教師が男性だったら、彼らの敵意はここまでエスカレートしなかったのでは。

午後8時の訪問者(字幕版)
オリヴィエ・グルメ
2017-10-06


サンドラの週末(字幕版)
カトリーヌ・サレ
2015-11-27


『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』

 南北戦争時代のアメリカ。父親が北軍兵として戦地に赴いているマーチ家には、しっかり者のメグ(エマ・ワトソン)、わんぱくで作家志望のジョー(シアーシャ・ローナン)、内気で音楽好きのベス(エリザ・スカンレン)、絵を描くことが得意でおしゃまなエイミー(フローレンス・ピュー)の4姉妹と、優しい母(ローラ・ダーン)が暮らしていた。女性の働き口が限られていた時代、ジョーは作家になる夢を諦めずに突き進む。原作はルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』。監督はグレタ・ガーヴィグ。
 ニューヨークで作家を目指し下宿生活を始めたジョーが、家族と暮らした頃を折に触れて思い出すという、時制を行き来する構成。かつ、これが「書かれた」物語であるということが示唆される構成になっていく。邦題の評判がすこぶる悪かった本作だが、この構造が見えてくると案外的を得たものだったのかなと思えた。「わたしの」とはジョーの体験としての物語であり、彼女が記した物語ということでもある。一部メタ構造になっているのだ。 
 そして「わたし」には、原作者オルコットも含まれるのではないか。ジョーが出版社で言われる「ヒロインが結婚しないと作品は売れない(人気が出ない)」という言葉は、原作者であるオルコットが実際に言われたことだそうだ。オルコット自身は生涯独身だったが、作品を売る為に自作の中ではジョーを結婚させた。作家としては不本意だっただろう。彼女が本来望んでいたであろう展開を取り入れつついかに原作小説に添わせるか、というアクロバティックな構造なのだ。原作に忠実(実際、びっくりするくらい原作エピソードが盛り込まれている)でありつつ現代に即した作品になっており、ガーヴィグはこんなに腕のある人だったかと唸った。古典は古典として素晴らしいが、それを今作るのならどうやるか、ということをよくよく考えられている。
 自分で働き生計を立てることや資産を持つことが難しかった当時の女性にとって、結婚は自分や家族の生活を守る為の手段だった(現代でも未だその側面が強いというのがまた辛いが)。作中で言及されるようにまさに「結婚は経済」なのだ。マーチ伯母(メリル・ストリープ)がメグの結婚を祝福せずジョーを見込みなしとするのは、そういった社会背景がある。彼女自身は独身のままだったが、「お金があるからいいのよ」というわけだ。彼女はエイミーに資産家と結婚して家族を支えるのがあなたの役目だという。一家の命運を背負わされてしまうエイミーが気の毒だった。彼女の子供時代はあの瞬間に終わったのだなと。
 本作、4姉妹皆魅力的なのだが、特にエイミーの造形が新鮮だった。過去の映像作品では少々わがままでおしゃれでおしゃまなキャラクターとして描かれることが多かったと思うが、本作でもそれは踏襲されている。ただ、本作のエイミーは良くも悪くも普通の少女だ。メグのような美貌も、ジョーのような独立心と才能も、ベスのような天使の心も持ってはいない。可愛らしく聡明で絵の才能はあるが、どれもあくまで「ほどほど」。普通の女性に残されている道は経済の為の結婚である、というのはなんとも息苦しくやるせない。フローレンス・ピューが演じているというのも非常に効果的だった。貴婦人ぶりになんとなく、これはこの人の本分ではないのではという雰囲気が出るのだ。エイミーが後々ジョーやローリー(ティモシー・シャラメ)よりも大人びていくのは、年齢を重ねて大人になったというよりも、社会通念に自分を適応せざるをえなかったからだと思う。そういう形での子供時代の終わりはちょっと悲しいのだ。
 ジョーとローリーのじゃれあい、一緒に遊び回る姿は本当に幸福そうだ。男性/女性がまだ未分化な時代だから成立する幸福だったというのが寂しくもある。本来は分化した後も成立するはずのものだが、当時の(多分現代も)社会はそれを許さない。いつか失われる幸福だからこそより強烈に目に映るのか。

レディ・バード (字幕版)
ティモシー・シャラメ
2018-09-20


若草物語 1&2
ルイザ・メイ・オルコット
講談社
2019-12-12


『ジョゼとピラール』

 EUフィルムデーズにて配信で鑑賞。ポルトガル語圏唯一のノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴと、彼のパートナーであるピラールを追ったドキュメンタリー。2010年製作、監督はミゲル・ゴンサルヴェス・メンデス。
 サラマーゴといえばパンデミック小説とも言える『白の闇』(映画化された『ブラインドネス』も佳作だった)、そして今年はサラマーゴ没後10周年。半分は予期せずだがタイムリーな作品になってしまった。本作は晩年、80代のサラマーゴの活動を追うが、非常に若々しく精力的だ。執筆はもちろんだが、各種講演、シンポジウム、サイン会(時間と体力温存の為に献辞は遠慮願うというやり方)、はたまた次作の芝居に出演までという幅広い活動ぶり。しかもそれがスペイン(サラマーゴはスペインのランサローテ島にに移住)だけでなく様々な国で開催されるので、かなりあわただしく海外を飛び回ることになる。講演にもサイン会にも大勢の人が訪れ、文化や政治に関する発言も注目を集める。その注目度は日本における「作家」のあり方とは大分様子が違う。作家という立場のプライオリティの高さや、実際に彼の作品を読んでいる読者の多さが垣間見える。
 サラマーゴのあわただしい活動をマネージャー的にサポートするのがピラール。日常生活はもちろん、仕事のスケジュール管理やイベントの手配、マスコミ対応等、こちらもまた大変な仕事量。サラマーゴの絵画遠征にももちろん同行するし、一方で彼女自身の仕事もばりばりこなす。やたらとエネルギッシュなカップルなのだ。2人の会話の掛け合い、ぶつかり合いも小気味良い。ピラールがインタビュー内でプレジテントと呼ばれ「プレジデンテです」と訂正する(プレジデントは男性名詞、プレジデンテは女性名詞。プレジデンテという名詞が定着していないのはそのポジションが男性ばかりだからという文脈)様や、「セクシャルマイノリティに対して寛容ですよね」というな質問を投げかけられて寛容とかそういう問題でなくて(彼らは現に存在するわけだから)人権問題だと怒る様が彼女の人となり、立ち位置を示していた。
 とはいえば、サラマーゴも高齢は高齢なので、ある時点でがたっと調子を崩す。これが生々しくて(ドキュメンタリーだから当然「生」なんだけど)心がざわつく。彼の最晩年の映像だとわかっているだけに。それを支え続けるピラールの姿は、献身というよりも、チームの一員としての責務としてやっているように思えた。それが2人にとっての愛の形なのだろう。
 サラマーゴはポルトガルで生まれ育って、作家として成功した後にスペインで暮らすようになったという背景がある(当時のポルトガル政府の方針に同意できなかったらしい)。彼とポルトガル、スペインという2つの国の関係への言及が作中でやはり出てくるのだが、なかなか微妙。サラマーゴ展の開幕にポルトガル政府の関係者は出席しなかったというし、ポルトガルからは裏切り者扱いされている向きもあるのだろう。本人のアイデンティティはおそらくポルトガルにあり、祖国への愛もあるのだろうが、そこで生きやすいかどうかはまた別問題だ。

白の闇 (河出文庫)
ジョゼ・サラマーゴ
河出書房新社
2020-03-16


ブラインドネス スペシャル・エディション(初回限定生産2枚組) [DVD]
ガエル・ガルシア・ベルナル
角川エンタテインメント
2009-04-03


『3人の夫』

 配信で鑑賞。船の上で年老いた「父」と暮らす娼婦のムイ(クロエ・マーヤン)は、情人離れした性欲で次々と客を取っていた。彼女に恋した青年は彼女の「父」を口説き落として結婚し、陸上で新婚生活を始める。しかしムイの性欲は留まることがなく、また地上での生活にもなじめない様子だった。監督はフルーツ・チャン。
 とにかく男女が頻繁にセックスしている作品なのだが、ムイにとってはやらないと体調が悪くなる、死ぬくらいの必死さなので、あまりハッピーな感じではない。ムイにとっての自然な生き方は一般的な社会の中では不自然と捉えられる。また、彼女をとりまく3人の「夫」は協力して売春ビジネス(当然ムイを売るわけだが)を始め、ファミリービジネスとして勝手に盛り上がっていく。その盛り上がりはコミカルではあるが、ムイの意思を確認しようという様子が全然ないので少々気持ち悪い。
 とは言え、ムイの意思、彼女が自分をどう位置付けて何を感じているのかということは、一貫して示されない。もちろん彼女にも意思はあるのだが、それを他の人間がうかがい知ることが難しい。別の言語、別のルールで生きている存在のように見える。青年は彼女を伝説の人魚と重ねるが、まさに人魚のような異界の存在で、普通の人間社会からははみ出ている。海の上ではあんなに妖艶だったのに、陸で生活するうちどんどん色あせていく(撮影と演じるマーヤンの上手さが映える)のも人魚のようだ。海に帰りたくて彼女は暴れるのかもしれない。終盤、3人の夫たちは、彼女と共に異界に入っていくようにも思えた。最初はカラフルだった映像がどんどんモノクロに近づいていくのも、異界に近づいていく過程のようだった。
 ただ、ムイが「夢の女」すぎて今時これかと鼻につくところはある。意思疎通のできない、勝手に動いていく女という点では古典的な夢の女ではないと言えるが、性的な存在として都合がよすぎるようには思う。

三人の夫(字幕版)
チン・マンライ
2019-10-19


ハリウッド★ホンコン [DVD]
ウォン・ユーナン
レントラックジャパン
2003-12-19


『スケート・キッチン』

 郊外の住宅地に暮らす17歳のカミーユ(レイチェル・ビンベルク)はスケートボードに夢中だが、怪我が原因で母親からスケートボードを禁止されてしまう。こっそりとスケートボードをしに街に出掛けたカミーユは、女の子だけのスケートクルー「スケート・キッチン」に出会い、メンバーになる。しかしこのことで母親との関係はよりこじれてしまう。監督はクリスタル・モーゼル。
 カミーユが暮らしているのは住宅地(長屋風の集合住宅が並んでおり、わりと庶民的な雰囲気)だが、スケート・キッチンのクルーらがつるんでいる市街地に出るには、電車でそこそこ時間もお金もかかるらしい。ティーンエイジャーにとって距離とお金というのは大きなハードルだ。これは自分ではどうにもならない。
 そしてどういう親の元で生活しているかということも、自分ではどうにもならない。このもどかしさは万国共通だろう。カミーユの母親は決して悪い人ではないし母親としての責任を担える人ではあるが、娘が愛しているもの、彼女の内面の世界についてはあまり理解していない。母親としてはスケートボードは危ないからやめてほしい、せっかくかわいいんだからメイクしておしゃれすればいいのに…という気持ちなのだろうが、それはカミーユがやりたいこと、やりたいファッションとはずれている。心配とは言え、娘のフィールドに土足で踏み込んでくるのはちょっといただけない。友達の前で親と揉めなければならないのはきついなあ(特に10代にとっては)と、あるシーンを見ていていたたまれなくなった。母親は娘が自分が思う「娘」像とは大分違う人間らしいということになかなか気づかないのか、受け入れられないのか。ラストで若干歩み寄りが見えてほっとしたが。最終的に戻るのが親元の「家」であるのは、カミーユの年齢を考えると年齢相応なのだ。

 自宅と街との距離は、カミーユと母親との距離にも思える。かといって彼女が別居している父親の元に行きたいのかというとそういうわけでもない。後にカミーユが自分で家族の事情を口にするのだが、娘が成長していくことを受け入れられない(大人の女性の身体になっていくことを相談できる相手ではない)父親というのはかなり問題があるのでは…。カミーユの生理用品に関する知識に偏りがあって、17,18歳でその理解って大分ずれているのでは?と思ったのだが、そういうことをちゃんと教えてくれる・話し合える相手がいなかったということで、それは心細いだろう。彼女がスケート・キッチンの仲間と一緒にいたがるのはそういう話ができるから、というのも一因なのだと思う。
 女の子たちがボードで町中を疾走し、大声で笑ったり怒鳴ったりしているは小気味良い。よく描かれがちな「女子ならでは」みたいな感じではなく、単につるんで騒いでいるというニュートラルさ、雑さがいいのだ。ただ、会話の中では女性だから遭遇する不愉快さや迷惑行為などがぽろぽろ出てきてなかなかしんどい。また、男の子が絡むと一気にいわゆる「女の子集団にありがちな面倒くささ」みたいな表現になってしまうのは残念だった。恋愛であれ友情であれ個対個の関係だから、親友である自分への報告がないことをそんなに怒ったり裏切り者扱いするか?と思っちゃうんだけど…。

スケート・キッチン(字幕版)
ジェイデン・スミス
2020-04-01



SK8R’S(3) (ビッグコミックス)
トジツキハジメ
小学館
2015-07-10


『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』

 ダウン症の青年ザック(ザック・ゴッツァーゲン)は長年の夢だったプロレスラーの養成学校に入る為、施設を脱走する。その道中で漁師のタイラー(シャイア・ラブーフ)と出会い旅を共にするが、彼は漁師仲間の獲物を盗み網に火をつけたことで追われる身だった。ザックを追ってきた介護士のエレノア(ダコタ・ジョンソン)も加わり、ザックを目的地に送り届けようとする。監督はタイラー・ニルソン&マイケル・シュワルツ。
 ザックが暮らしているのはどうやら老人ホームらしいのだが、高齢者介護と障碍者支援とは別のスキルを必要とするものだろう。多分、他に手近な施設がないから無理やり入れられているんだろうが、ザックに適切な手助けをしてくれる、あるいは適切な施設を手配してくれる家族が介助者がいないということなのだろう。エレノアはザックのことを気にかけてはいるが、過保護すぎて彼に出来ることを見落としている。見た限りではザックは身の回りのことはそこそこ自分で出来るし、つきっきりでケアをしなければならないというわけでもない。ザックは自分が本来がいるべきではない場所から脱出したのだと言える。
 タイラーも同様で、地元の漁師仲間との関係は修復しようがない。彼の自暴自棄な振る舞いは兄の死によるものだとわかってくる。兄がタイラーにとってのいるべき場所で、彼はその場所を失ってしまったのだ。エレノアについても、タイラーと同様に大切な人と離別している。居場所をなくした人たちが自分がいるべき場所を見つけにいくロードムービーだと言える。いるべき場所とは具体的な場があるというよりも、ここは自分がいるべき場所だと思わせてくる人がいるかどうかなのだろう。
 心温まるストーリーではあるのだが、話の軸もディティールもわりとぼんやりしている。3人の間に何で信頼関係が成立したのかという描写が大分ふわっとしており、多分にご都合主義的だ。そんな簡単に流されちゃうの?!という感じは否めない。全体的に散漫な所が残念だ。音楽も含め、アメリカ南部の風土には魅力があるので勿体ない。なお、シャイア・ラブーフ出演作を久々に見たのだが、年齢重ねて痩せてきたらクリスチャン・ベールに似てきた気がする。

ザ・ピーナッツバター・ファルコン [Blu-ray]
トーマス・ヘイデン・チャーチ
Happinet
2020-08-05



ハックルベリー・フィンの冒けん
マーク・トウェイン
研究社
2017-12-19


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