3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名さ行

『ジョーカー』

 コメディアンを目指し、道化師として働くアーサー(ホアキン・フェニックス)。しかしクビにされ、貧困と持病に苦しむ中、市の経費削減で福祉ケアも打ち切られる。不遇に追い詰められていく彼に、さらに追い打ちをかける事実が明らかになり、アーサーは変容していく。監督はトッド・フィリップス。
 (ストーリー内容に触れています)これまで映画に登場してきたジョーカーというキャラクターは、内面やその行動への共感を拒む、ただただ悪でありそこに理由はないという造形だったと思う。しかし本作では、1人の人間としての名前があり、家族があり、他人に対する共感も優しさも持ち合わせている、不当に扱われたりバカにされたりしたら傷つく存在であることが明白だ。そういう「変わり者」と揶揄されることはあるもののごく普通の人が、どういう経緯で狂気に走っていくのか、思いやりや倫理をなくてして全ての人間に破壊衝動を向けるようになるのか、ねっちりと見せていく。彼の行動にうっかり共感させてしまうところが性質が悪い。誰でもジョーカーになりえるのだと。
 アーサーが人間性を捨てていく過程には、いくつも分岐点がある。ここで何か助けがあれば、裏切られなければ、別の選択肢があれば、という歯がゆいシチュエーションで、逆に彼の背中を押していくものが何なのか浮彫になっていく。個人として尊重されないことは人の心を着実にむしばんでいく。福祉はそれに歯止めをかける最後の砦でもあると、なんだかケン・ローチやダルデンヌ兄弟の映画を見ているような気分にもなった。そういう話をアメコミ原作映画で、ことにジョーカーという超有名キャラクターを使ってやる必要があるのか?という批判もありそうだが、そういうものすら料理できる許容範囲の広さ・深さがアメコミというジャンル、ひいてはヴィランという存在の強さではないだろうか。
 アーサーが社会から取り残され、自分を片隅に追いやった社会、そしてその社会を牛耳り彼を見捨てた(と彼が思っている)存在への憎しみを爆発させる過程は、最近頻発しているいわゆる一人テロに近い。ただ、アーサーの爆発は現実の一人テロとはちょっと違うところがあるように思った。彼には異性にモテないことによる恨み、ミソジニー的なものはさほど強くないように見える。ある女性への執着は確かにあるのだが、異性との性愛というより、自分が愛され尊重されること全般についての得られなさといった方がいいのだろう。ただ一つの存在として大事にされたいという思い(本来なら母親から得られるはずのものだったのに)が、彼に「父親」との絆(そして「父親」を奪った者への憎しみ)という夢を見させてしまい、その夢の破綻が狂気の背中を押す。人として基本的な尊厳と性愛、セックスを得られるかどうかは別物だぞという監督の念押しか。
 本作の上手いところは、すべてがアーサーの夢であるようにも解釈できるというところだろう。実際にはアーサーはずっとあの白い部屋にいたのでは、コメディアンにもヴィランにもなれなかったのではと。そして本作に登場する町は、音頭を取るジョーカーが存在しなくても近いうちに暴動が起きそうに見える。ジョーカーは町で生活苦にあえぐ人たちの共同幻想が生み出したものかもしれない。だとすると、ウェイン一族はどちらにせよ町の救世主にはなりえないだろう。富裕層と低所得層との分断という今現在起きている現象が映しこまれているが、ウェイン家はそれに加担してしまった立場だ。ヒーロー全否定なので、アメコミファンにとっては許しがたいのかもしれないが、非常に「今」の作品だなと思った。
 
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ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
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2018-12-06


『サタンタンゴ』

 経済的に行き詰ってうらさびれた、ハンガリーのとある村。死んだはずのイリミアーシュが村に帰ってくるという噂が流れ始める。村人たちは彼が現状を変えてくれるのではと、期待と不安に駆られる。彼は救世主なのか詐欺師なのか。原作はクラスプホルカイ・ラースターの小説。監督・脚本はタル・ベーラ。
 438分という超長尺かつ全約150カットという長回しの連打。だいぶどうかしている、なぜやろうと思った⁈というくらいの力業だが、無理やり感がない、かつエネルギーが途切れないところがすごい。全12章から成る構成は、一見ゆるゆると進むようでいて、あの時実はこういうことが、というパズルのような部分もある。意外とタイト(というには上映時間的に語弊があるんだけど…)だ。モノクロ映画なのだが、4Kデジタルレストア版だと非常にクリアで美しい。白黒なのにどことなく色づいて見えてくるのが不思議だ。
 不思議といえば、構成も撮影も厳密に練りこまれていると思われる(でないとあんなに長回しばかりできないだろう)のに、大雨の後のシーンなのに地面が乾いていたり、ナレーションでは暗闇と言っているのに映像は昼間のようだったりと、整合性のないおおざっぱなところもある。どこを精緻にしてどこをおおらかにするのかという判断基準が見えそうで見えない。
 長時間という体力的な負荷よりも、精神的な負荷の方がきつかった。とにかく精神を削られる。冬の雨が降り続き、町へ出るバスもなくなり、経済も人間関係もどん詰まり、どうにもならない世界なのだ。降り続く雨には世界の終末の気配さえ漂い、神話的な雰囲気が濃厚なのに、どうかすると泥臭くちっぽけな人間同士のいさかいや欲が転がりだす。壮大さと卑小さが同居している。いわゆる人間固有の美点とされるもの、知性や倫理、理性や善良さといったものにあまり信頼をおいていない(本作のような作品を作るという点で観客の知性・感性は信用しているんだろうけど)作品内世界なので、なんとも気が滅入る。気が滅入る話を大変な強度と美しさで見せてくるので破壊力がなんだかすごい。

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2012-11-24





Satantango
Laszlo Krasznahorkai
Atlantic Books
2013-07-04


『サウナのあるところ』

 自宅や別荘などプライベートなサウナから、街中の公衆サウナまで、様々なサウナが息づく国フィンランド。その様々なサウナで語らう人たちの会話を追ったドキュメンタリー。監督はヨーナス・バリヘル&ミカ・ホタカイネン。
 フィンランドはサウナが盛んという話は聞いていたが、サウナの形態が本当にそれぞれでバラエティに富んでいる。いわゆる北欧の「サウナ」と聞いて連想するようなウッディでこじんまりとした個人宅のものから、森の中の小屋、テント風、キャンピングカーや電話ボックスを改造したもの、街中にある公衆サウナや軍や企業の設備まで。日本のお風呂みたいな感覚で使っているんだろうな。中の温度湿度もまちまちみたいで、サウナといえば汗!というわけでもないみたい。サウナの中では暑すぎ湿度高すぎでゆっくり語らうなんて無理では?と思っていたけれど、これなら大丈夫かなと納得。あまり汗をかいていない人もいる。
 最初に登場する夫婦を除き、登場するのは男性ばかり。そして、かなり立ち入った、その人にとってデリケートなものであろう話をする人が多い。映画の構成として編集時にそういうエピソードをピックアップしているのかもしれないが、サウナだとそれこそ裸の付き合いで話しやすいのだろうか。他にすることないしな…。家族との死別や、子供に会えない(親権を取り上げられた)という話が多い。皆普通の人だし意識してうまく話そうとしているわけではないから、ぽつぽつとエピソードが出てくるという感じなんだけど、ぎこちないからこそダメージの深さの深刻度がわかる気がした。
 北欧は男女平等、ジェンダーのフラット化が進んでいるというイメージがあるが、フィンランドでは男は男らしく、人前で泣くなんてみっともない、弱音をはくな、という文化が根強く残っているようだ。喪失による痛み、悲しみなど心のやわらかい部分を明かせる場がないのだろう。サウナのような密閉空間だと、かろうじてそういう話がしやすいのかもしれない。


旅人は夢を奏でる [DVD]
ヴェサ・マッティ・ロイリ
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2015-03-06



『サマーフィーリング』

 真夏のベルリンで、30歳のサシャが突然亡くなった。パートナーのロレンス(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)とサシャの妹ゾエ(ジュディット・シュムラ)は茫然とする。それぞれの生活が続くものの、悲しみはなかなか癒えない。監督はミカエル・アース。
 同監督の『アマンダと僕』と同じく、喪の仕事を描く物語だ。舞台は夏のまぶしい光の中だが、どこか寂しい。ロレンスにとってもゾエにとっても異国であるベルリンから、ゾエの故郷であるパリ、ロレンスの故郷であるニューヨークへと1年ごとに舞台は変わる。2人を照らす夏の光も雰囲気もその都度異なる。そして、2人とサシャとの距離、ロレンスとゾエの距離も変わっていく。
 それは少し楽になっていく、日常に立ち返っていくことだが、元に戻るということではない。失われたものはやはり失われたものにほかならず、そこを埋めるものはないのだ。時間がたつにつれ、それがありありと立ち現われてくる。悲しみは薄れるのではなく、距離を取るのが上手くなるだけで依然としてそこにある。ニューヨークでゾエが泣くのは、(現状自分が幸せかどうかとは関係なく)失ったもの、変わってしまったものの動かせなさ、時間の止まらなさを再確認してしまったからではないだろうか。夏の光はいつもまぶしいのだが、どこか寂しい。
 ロレンスとゾエ(とゾエの家族)の関係の微妙さが印象に残った。仲がいい悪いではなく、そもそも面識がろくにない状態からサシャの訃報がきっかけで対面するというのは、お互いどう振る舞うのが正解なのかわからないだろう。会食の席でのロレンスの居心地が悪そうな表情が忘れられない。こういう時って何かしら言い訳を造って帰りたくなっちゃうよな・・・。
 なお、ロレンスには姉がいるのだが、姉弟の関係はかなり親密そう。『アマンダと僕』の主人公にも親密な姉がおり、どちらの作品でも親とは疎遠、というよりも親からのケアが希薄だから姉弟の絆が強固になったという設定が透けて見えた(本作では、父親が仕事で不在がちで、いなくなった母の代りに姉がロレンスの世話をしていたと明言されている)。この設定は監督(ないしは身近な人)の実体験が反映されているのかなとちょっと気になった。

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『主戦場』

 日韓の間でくすぶり続ける慰安婦問題。アメリカ人YouTuberのミキ・デザキは“ネトウヨ”から度重なる強迫を受けたことがきっかけで、彼らの主張に興味を持ち、慰安婦問題の渦中に飛び込む。取材先は右左、日米韓を問わず論争の中心人物たちだ。
 ミキ・デザキ監督は本作が長編ドキュメンタリーのデビュー作になるそうだが、組み立ての手際がよく、編集が的確かつ「突っ込み」スキルが高い。ここはボケだな!という部分の発見の仕方が上手いのだ。デザキ監督がアメリカ人で元々この問題に詳しいわけでもなかったという、いわば部外者、新参者的な立場でアプローチしていることが、この問題のいびつな部分を発見しやすくしているだろうと思う。
 監督にとって「ボケ」であるのは、右翼陣営のインタビュー対象らだ。話し方は穏やか、理知的でまともそうに見える。しかし、その歴史認識はどこかおかしい、持論の文脈も、資料の解釈の仕方も恣意的すぎるのでは?とひとつひとつ検証していく、つまりツッコミをいれていくのだ。能面のようにがっちりガードしてそつがない人がいる一方、話していく中で、この人はもうあまり喋らない方がいいのでは・・・本人も所属している陣営も得しないのでは・・・という場面も。ここに壮大なボケがあるけどなぜ世間は突っ込まないの?というのが監督のスタンスであるようにも思った。そして取材を重ねる中で、この問題をある目的にしようとしている集団がいるのではということを後半であぶりだしていく。
 慰安婦問題は歴史認識の問題としての側面と同時に、人権問題、ジェンダーの問題をはらんでいる。この人権問題、ジェンダーの問題であるという認識が右左双方であまり浸透していない。右派はあえてそこを避けようとしているし、左派でも意外と理解されていないように思う。女性の性被害の理解されなさは日韓問わず、また家父長制の弊害があることも韓国の研究者により指摘されていた(国内ではこの指摘にかなり反発があったようだ)。現在、この問題が非常にこじれているのは、これらのことにも関係しているように思う。本作の後半では慰安婦問題をある目的に利用しようとしている集団がいるという新たな側面を展開するが、その中で人権問題としての慰安婦問題のあり方から焦点がブレてしまった気がした。とはいえ、ズレた先の面白さ、怖さが予想外で、そこも本作の力なのだろう。ただ、それを部外者から指摘されるというのはかなり恥ずかしいしキツいのではないかと思うけど・・・。

『さらば愛しきアウトロー』

 1980年代初頭のアメリカ。誰ひとり傷つけず、拳銃をちらりと見せるだけで仕事を成功させる銀行強盗、フォレスト・タッカー(ロバート・レッドフォード)。何度も脱獄してきた彼も今や74歳になっていた。彼の反抗はアメリカ中で報道されるようになり、刑事ジョン・ハント(ケイシー・アフレック)がタッカーの痕跡を追っていた。監督・脚本はデヴィッド・ロウリー。
 「ほぼ真実の物語」にはじまり、ちょっと人を食った字幕の文句(「そして彼はそうした」という直訳とか)がしゃれている。80年代が舞台だが、車や衣装、小道具など美術面だけではなく映像の質感そのものも80年代のアメリカ映画っぽい、ざらっとしたものに加工されているという凝り方。色みの黄色っぽさなど、あーあの頃っていく感じがすごくする。当時の映画をリアルタイムで見ていたわけではないのにそう思うのが不思議なんだけど。
 タッカーは人好きのする、すごくチャーミングな人物だ。何しろ演じているのはレッドフォードなので、顔はしわしわなんだけどいまだハンサムで色気がある。銀行強盗中の振る舞いにもしゃれっ気がありお茶目で憎めない。ジュエル(シシー・スペイセイク)へのナンパの仕方も、いやーこれいいナンパだな!と思わずにやにやしてしまう。ちゃんと年配者同士のロマンスを出会いの段階からやっている映画って意外と目にしない。2人の距離感が縮まっていく過程に、それまでの2人の人生を踏まえたものという感じが出ていてとてもよかった。
 ただ、タッカーはチャーミングだが人としてどうにもダメな面があることも、彼の関係者の言葉で示される。人への愛はあるが自分のやり方の愛でしかない。相手に対する責任をもつことができない。夫、父親としてはまずダメだろう。その人間性の変わらなさにおかしさと悲しさがあり、ほろ苦い。タッカーはドキドキしていないと、動き続けずにはいられない人なのだ。
 レッドフォードの俳優引退作ということだが、引退作としてはばっちりだったのではないだろうか。彼と相対するスペイセクもまたチャーミング。加齢による聡明さ、魅力が感じられる女性像だった。また、タッカーを追う刑事ハント役のアフレックが、抑えた演技でなかなか良い。普段はちょっと屈折した役を演じることが多いが、本作ではそうでもない。真面目な警官で家族思いだが、どうかするとドキドキさせるもの、追跡のスリルが先に立ってしまう、実はハントと似通った部分があるというアンビバレンツが面白い。

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『シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢』

 2年前から鬱病で仕事をやめ、引きこもりがちなベルトラン(マチュー・アマルリック)。ある日、公営プールで男子シンクロナイズドスイミングのメンバー募集を目にする。なぜか引きつけられ参加することにしたベルトランだが、チームのメンバーも彼同様になんらかの問題を抱える中年男性たちだった。監督はジル・ルルーシュ。
 男子シンクロチームが舞台ではあるが、スポーツ映画としての側面はあまり強くない。練習もあまり本格的に見えないし、シンクロしている姿が本格的に見られるのはクライマックスくらいなのだ。エピソードが散漫で、緩い群像劇と言った感じ。むしろ中年男性・女性のミドルクライシスの方が物語の中心にある。鬱のベルトランはもちろん、仕事では成功しているのに家族と心が離れていくロラン(ギョーム・カネ)や、起業マニアなのにどの事業も上手くいかないマルキュス(ブノワ・ポールヴールド)、いまだに芽は出ないが夢を諦めきれないシモン(ジャン=ユーグ・アングラード)、いつも周囲から浮いているティエリー(フィリップ・カトリーヌ)。皆それぞれ問題があり、更にコーチで元女子シンクロ選手だったデルフィーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)もアルコール依存症だ。
 彼らは社会的に決して強くないし、いわゆる負け犬と言われる存在だ。彼らが一歩前に進んでいく姿を本作は描いているが、彼らを前に進めるのはシンクロへ打ち込むことそのものではなく、チームの仲間と自分の問題、仲間が抱える問題について対話していく行為であるように思えた。もちろんシンクロに取り組むことで自信がつくとかやる気が出てくるという面はあるのだが、むしろお互いに話し合うことで自分の中での問題の筋道がついていく、そういう場があり仲間がいると思えることが支えになるという要素の方が、彼らの前進にとっては大きかったのではないだろうか。鍛えて強くなるのではなく、弱いままでもちょっとだけ良くなるという方向性だ。
主人公であるベルトランのスタンスが象徴的で、彼は最初から自分が鬱であることを受け入れておりあまり隠さない。その上で物事に挑戦しようとし、最後までいわゆる「強い人」にはならないし目指さない。彼の妻も、ベルトランの弱さを受け入れており、軋轢は生じるがそれ込みで彼を大事に思っている。夫婦の関係がすごくよかった。弱い人が弱いままで生きるという方向性に現代性を感じた。

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『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』

 夏休みに部活の研修旅行でヨーロッパに行くことになったピーター・パーカー(トム・ホランド)は、旅行中に片思いしているMJ(ゼンデイヤ)に告白しようと計画していた。しかしベネチアで水の怪物が出現。謎のヒーロー、ミステリオ(ジェイク・ギレンホール)が危機を救うが、ピーターの前には元S.H.I.E.L.D長官のニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)が現れる。ミステリオことベックは別の世界からやってきて、彼の世界を破壊した存在エレメンタルズがピーターたちの世界に出現したのだと言う。監督はジョン・ワッツ。
 夏休み前哨戦にぴったりな作品。ピーターはバカンスをフューリーたちに邪魔されてがっくりするわけだけど、見ている側としてバカンス気分、かつ青春映画の良い部分を味わえる、そして当然ヒーロー映画としての爽快感もある。
 ピーターは「親愛なる隣人」としての自分の立ち位置を前作で確かめた(だから今回、地元のチャリティーイベントにも出るわけだ)。ところが今回は『アベンジャーズ エンドゲーム』後の世界であり、スパイダーマンを含むヒーローたちが人類を救ったことが世界中に知られている。当然人々はスパイダーマンにもアベンジャーズに代わる世界のヒーローとしての活躍を期待するし、フューリーもまた、ヒーローとしての覚悟をピーターに要求する。意欲の空回りをいさめられた前作とは逆の展開だ。しかし今回、ピーターは正に夏休み気分だし好きな女の子は気になるしで、ごくごく普通のティーンエイジャーとしての側面が強く出ている。ヒーローとして困っている人を助けたいという気持ちと引っ張り合いになるのだ。
 ただ本作、ピーターに対して大人になれ!立派なヒーローになれ!と強いるのではなく、しかるべき大人たちが彼をサポートし、成長を見守っている。メイおばさんはもちろん、今回はハッピーが頼もしい。彼があるシーンでとてもうれしそうな顔をする。スタークとピーターが重なって見えたんだろうなとぐっときた。スタークはピーターのことを案じていたが、実はそんなに的確に保護者、指導者になれたわけではない。むしろ今回、彼が遺したものがピーターを導いていく。そしてスタークから遺産を受け取ったのはピーターだけではないのだ。ピーターの存在が、ハッピーにとってはスタークから受け継がれたものと言えるだろう。
 ただ、前作の敵にしろ今作の敵にしろ、スタークの負の遺産ともいえる。良くも悪くもスタークが残したものとどう向き合っていくかというのが、本シリーズの裏テーマ見たいになってしまっている気がした。そういう点で、スパイダーマンシリーズの敵ってちょっと他のマーベル作品とは質が違うように思う。人により意図せず生み出されたもの、人の営みの一部としての悪という側面が強い。今回の敵には、なるほどそうきたか!と唸った。非常に現代的だし、明らかにアベンジャーシリーズの敵とは意味合いが違う。次作は更に、戦うことの意味合いが変わってきそうだ。

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『存在のない子供たち』

 12歳の少年ゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)は両親を訴える裁判を起こした。罪は「僕を生んだ罪」。ゼインは出生届が出されておらず、生年月日がわからないし社会に存在すらしていない扱いになっている。学校に通うこともなく、路上で物売りをする毎日だった。大切な妹が11歳で強制結婚させられたことがきっかけで、ゼインは家を飛び出す。監督・脚本はナディーン・ラバキー。
 試写で鑑賞。幼い子供が辛い目にあい続けている、かつそこそこ長いので見ていて結構辛かったのだが、力作。ゼインはなぜ自分を産んだのかと両親を責めるが、彼が置かれた苦境はむしろ社会のシステムの問題であって、個人がどうこう出来る規模の問題ではないだろう。ゼインの両親が子供たちに対してやっていることは、子供の人権といったものを全く無視しているし倫理的にも許されない(特に妹の運命は痛ましい)。面会に来た母親に対してゼインが取る態度は、これまでこの親子がどういう関係だったのか、親が子に何をしてきたのか端的に表している。子供が全然守られていないのだ。母親とゼインとの問題意識が全くすれ違っていることが辛い。
 ただ両親もまた、ゼインと同じく出生届のない、世の中からは「ないもの」にされている存在だ。ないものに対しては社会的な保障も、保護も与えられないというわけだ。そういう環境、仕組みの中で生きてきた両親には、他のやり方は最早わからないだろう。家出したゼインを助けてくれる、不法滞在者の女性も同様だ。「ないもの」から、「ないもの」であることにつけこんでまた搾取しようとする人達もおり、それがまた辛い。ゼインたちの境遇を家族や個人の責任にとどめず、彼らを「ないもの」にしている政治家、世間へのサイレン的な思いが込められている。貧困は国の失策なのだ。社会保障が個人を個人として存在させる、人の搾取を食い止める(少なくとも子供を売るような事態は避けられる)という側面はあるだろう。
 ゼインの、今を何とかしたいというもがきが痛ましくはあるのだが、彼は大人びているがさめきってはいない。まだこの世界を諦めていないまなざしは、物悲しげだが力強かった。なりゆきで赤ん坊と2人で生活をしなくてはならない様など、本当にはらはらしてしまうし、見ていてしんどいのだが、子供は圧倒的に「今」を生きているなと感じさせる作品でもあった。それは監督が彼らにはこの先が、光がなくてはならないと確信しているからでもあるんだろうけど。

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『新聞記者』

 東都新聞の記者、吉岡(シム・ウンギョン)は、社に匿名で送られてきたFAXを目にする。それは医療系大学新設計画に関する極秘文書だった。一方、内閣情報調査室の官僚・杉原(松坂桃李)は、現政権に不都合なニュースをコントロールする職務に疑問を持っていた。外務省時代の元上司・神埼(高橋和也)と久しぶりに会い喜ぶものの、数日後、神埼は自殺する。彼を自殺に追い込んだものは何だったのか、神埼は自分が所属する組織の暗部に気づいていく。原案は望月衣塑子の同名著作。監督は藤井道人。
 メディアは権力を監視する為にあると言う矜持を持ち続け、「自分を一番信じ疑え」という父が残した言葉に従い続ける吉岡の一本気が胸を打つ。彼女は日本人の父親と韓国系の母親を持ちアメリカで育ったという、日本では「異物」として扱われる存在。だからこそ、この国のいびつさ、危うさを客観的に見ることが出来る。
 一方、杉原は与えられた任務に疑問をもつことがない内閣情報調査室において、ごくごく普通の感覚、倫理観や正義感を持ち続ける。その普通さが彼を組織からはみ出た存在にしていき、彼を苦しめるのだ。組織の特殊性、組織の論理に染まらずにいられるかという部分は、どんな人にも心当たりがある、なかなか耳の痛い部分ではないだろか。ただ、昨今の世の中を見ていると、本作における内閣情報調査室が掲げる論理に、世間の論理が近づいてきているような気がして怖い。内閣情報調査室の論理は国や国民を守る為のものではなく、現政権の利益を守る為のものにしか見えないのだが、自分達を圧迫していくものの為に奉仕してしまう現象、何と名づければいいのか・・・。汚職にまみれた政権でも安定している方がいいのか、安定の為には非合法・非倫理的な手段をとってもいいのかといったら、いいわけないと思うんだけど。作中、「この国には本物の民主主義は不要だ」とまで言われてるんだけど・・・。でも、近年の日本社会を見ると民主主義の根付いてなさに茫然とすることが多いのは確かだ。
 本作に対し社会批判、政権批判をよくやった!という声が多いようだが、どちらかというと社会派と言うよりも王道のサスペンスとしての側面の方が強いように思った。むしろ、この程度で社会批判、政権批判をうたったことになるのかという拍子抜け感の方が強い。時事ネタを取り入れていくのはエンターテイメントとしては定番で、本来ならテレビドラマ等でもっとタイムリーにネタにしてもよかったことだと思う(本当に『相棒』の2時間SPとかでやりそうな話なんだよね)。それすらためらわれる空気があるなら、それこそ民主主義死んだということになるのでは。

新聞記者 (角川新書)
望月 衣塑子
KADOKAWA
2017-10-12






1987、ある闘いの真実 [DVD]
キム・ユンソク
株式会社ツイン
2019-02-06
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