3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名さ行

『散歩する侵略者』

 数日間行方不明になっていた夫・加瀬真治(松田龍平)が別人のようになって帰ってきたことに妻・鳴海(長澤まさみ)は戸惑う。同じ頃、一家惨殺事件が発生し、ジャーナリストの桜井(長谷川博己)は事件の生き残りである少女・立花あきら(恒松祐里)を追っていた。そんな桜井に天野(高杉真宙)が声を掛けてくる。自分とあきらは地球を侵略しにきた宇宙人で、桜井にガイドを頼みたいというのだ。一方、鳴海も真治に自分は地球を侵略しにきたと告げられる。原作は前川知大による劇団イキウメの舞台。監督は黒沢清。
 宇宙からの侵略者たちは、人間の「概念」を奪うことで人間らしい振る舞いを獲得していく。概念を奪われた人間はどこか崩れていく。この「概念を奪う→奪われた人はまともでなくなる」という設定はわりとふんわりとしていて、奪われた後どういう影響が出るのかも、人によって違う。なぜこの人のこの概念を?役に立つの?と思う所もあり、なかなか扱いが難しい設定だったのでは。これは映画というよりも、原作の舞台の難点と言った方がいいのかもしれない。同じくイキウメの舞台が原作の映画『太陽』を見た時も私はあまりぴんとこなかったので、もしかしたらイキウメと相性が悪いのかもしれないなぁ・・・。SF的設定の扱いとか終末感の演出が自分と相いれない感じがする(ただ、本作はそういう部分の精密さが求められる類の作品ではない)。
 ただ、真治が牧師(東出昌大)から「愛」の概念を取ろうとする件には笑ってしまったので、このシーンの為だけにでもこの設定でよかったな!と思えた。東出の存在が最早出オチのようだった。彼は決して演技が達者というわけではないんだろうけど、ハマるとものすごい効果を発揮するなぁ。
 脇役の東出のみならず、個々の俳優の存在感、特異さで成立しているような作品だった。主演の松田もまた演技が達者というよりも存在感で魅せる、画面内にいるだけでいい系の俳優という印象だったが、本作を見て、あっこの人しっかりスキルあるんだな!と再発見した感があった。概念を獲得していく度にちょっとづつ立ち居振る舞いが変わっていくのがちゃんとわかる。また、長谷川博己のいるだけで何となくおかしい感じになっていく独自の存在感と身体能力(今回、結構走らされている)も素晴らしい。シリアスなやりとりのはずなのに、彼がやるとどこかユーモラスに見えてくる(声質のせいかなーという気もする)。また、引きこもり青年役の満島真之介のインパクトがすごかった。怪演とも言える。
 身近な人がふっと見知らぬ人になる、あるいは圧倒的な他者が現れるというパターンは黒沢監督作品によく見られるが、本作では全くの異物であった侵略者との間に、何となく親密さのようなもの、何らかの繋がりが生まれていくという所が面白い。夫にある意味擬態している真治と鳴海の組み合わせよりも、そもそも全くの他人でたまたま出会った桜井と天野の組み合わせの方がそれが顕著だった。いやいや相手侵略者だから!と突っ込みたくなるし、桜井も人類が滅べばいいと思っているわけでもない。それでもそこには何らかの繋がりがある。もう損得越えちゃっていると言ってもいいだろう(少なくとも桜井に得はない)。これは、真治が最後に獲得した概念に近いものでもあるような気がするのだ。



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『三度目の殺人』

 弁護士の重盛(福山雅治)は、殺人前科があり、勤務先の社長を殺したという新たな容疑がかかっている三隅(役所広司)の弁護を担当することになる。社長を殺害後、火をつけたと三隅は自供しており、このままでは死刑は免れないが、動機は曖昧なままだった。重盛は面会と調査を重ねるが、三隅の自供は二転三転していく。監督・脚本は是枝裕和。
 是枝監督は、主語が大きい話を描くのは苦手なんじゃないかなと思った。本作の主人公は重盛だと言っていいし、重要人物はもちろん三隅と言えるだろう。しかし、重盛という個人、三隅という個人の物語になっているかというと、ちょっと違うのではないかと思った。彼らはある思想、観念を表現するための道具であり、手足の代わりのようなものなのではないだろうか。そのせいか、台詞は紋切型が目立ち、「こういう人」というバックグラウンドや人間のディティールには、他の是枝監督作に比べて少々乏しいように思った。会話シーンは概ね退屈なのだが、その中で面白いと思った部分は、重盛と元裁判官である父親のやりとり。距離と不躾さとが混在している感じに、ああ老年の父親と成人した息子のやりとりってこんな感じだろうなという説得力がある。是枝監督の良さ、得意なものは、こういうディティールの部分にあるのだろう。
 本作では真実が曖昧であること、そして司法のシステムの(外部から見た際の)奇妙さが描かれる。真実の曖昧さについては、ご丁寧に「盲人と象」の例えが持ち出され、そういう所はやたらとわかりやすくするんだ・・・とちょっとおかしくなってしまった。しかし、三隅の真実を追求するという部分と、司法システムの奇妙さ・限界を見せる部分とが、一つの映画として意外と噛み合っていないように思った。三隅を巡る部分は多分に不条理劇のようなのだが、司法の不条理とは質が違う。司法の不条理は、物事を処理していく上での合理性が逆に司法の本来の目的から逸れていくという所にあるのだろう。原因がまあわかっていると言える。しかし、三隅の不条理さはそれとは違う。そもそも原因などわからない類のものだ。この2種の不条理さを一緒にしたことで、何とも座りの悪い作品になっているように思った。意図した座りの悪さ(「藪の中」的な座りの悪さは意図したものだろう)ではなく、監督の意図しない部分での噛み合っていなさなのではないか。すっきりしない、ではなく設計されきれていない、という印象だった。絵の魅力に乏しいのも残念。やはり紋切型で、ラストシーンなどなぜそんなベタなメタファーを・・・といっそ不思議なくらい。面白いことは面白かったのだが、あとちょっとでもっと面白くなるはずなのにそれがどこだかわからない、というもどかしさが拭えなかった。



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2002-06-25

『戦争のはらわた』

 デジタルリマスター版で鑑賞。サム・ペキンパー監督、1977年作品。
 第二次大戦中のロシア戦線。ソ連からの奇襲・猛襲にさらされドイツ軍は圧倒的不利だった。その中で、シュタイナー(ジェームズ・コバーン)曹長率いる小隊は絶対的な信頼を集めていた。フランス戦線からプロイセン貴族であるシュトランスキー(マクシミリアン・シェル)大尉が赴任してくるが、名誉欲が強く鉄十字勲章に執着するシュトランスキーは、捕虜の扱いを巡ってシュタイナーと対立する。
 ドイツ軍視点で描く第二次大戦だが、アメリカ映画故ドイツ人の登場人物の台詞は英語。最初のうちはここがどこで彼らがどこに所属する兵士なのかも明言はされないので、見ているうちに、だんだんどこの国の話なのか曖昧になってくる。ソ連兵はロシア語を話しているが、シュタイナーたちに関しては自国への言及も少なめ。特にドイツ軍=ナチスという側面をあまり見せないようにしているように思った。観客が多少なりとも共感しやすいようにという意図ではあるのだろうが、同時に、彼らはあまりナチスの思想に染まっておらず、だからこそ旗色が悪いソ連戦線に送られたのかなとも思えてくる(執務室にヒトラーの肖像がかけられているが、落ちてもそのままだ)。
 そもそも、シュタイナーは軍人ではあるが組織や国への帰属意識、ナショナリズムはあまり強くなさそうだ。いわゆる(国家が想定するような)「愛国者」には見えない。彼は優秀な軍人ではあるが、あくまで職能としての軍人で、メンタリティは少々違うのではないかと思った。彼は何よりもまず個人であり、帰属意識はあるとしても自分の小隊に留まっているように見える。自分と自分の部下を生き延びさせることが最優先で、名誉や国の行く末は二次的なもの(というよりも本人は殆ど気にしていないもの)なのだろう。本隊とはぐれて四苦八苦しつつも、「だが自由だ」と笑うところに、シュタイナーの本質があるように思った。本来、軍人に向かない人なのだ。
 対するシュトランスキーはろくな戦場経験はなさそうだが名誉欲は旺盛で、勲章の為なら他人を見殺し手柄を横取りすることも厭わない。嫌な奴だが、勲章でもないと親族に顔向けできないとぽろっと漏らすあたり、妙に人間味がある。やっていることは最低だが・・・。勲章欲しさに彼がやる行為は、平時だったらここまで極端なことはやらないだろうというもので、戦時下だから許されてしまう怖さがある。人間のたがが段々外れていくのだ。シュタイナーとシュトランスキーが、共に(違う方向ではあるが)ある一線を越えてしまうクライマックスは悲惨だが、どこか笑ってしまう悲惨さでもある。こんなに理屈が通らないことってあるか!と。シュタイナーの暴走は理屈が通らないことへの怒りでもあるように思う。

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『セザンヌと過ごした時間』

 少年時代に出会ったポール・セザンヌ(ギョーム・ガリエンヌ)とエミール・ゾラ(ギョーム・カネ)は共に芸術を志、夢を語り合う。やがてパリに出たゾラは小説家として成功するが、セザンヌはパリの画壇では評価されず、苦しい生活を続けていた。ゾラはセザンヌを支え続けるが、小説『制作』を発表したことで、セザンヌは自分を勝手にモデルにしたと怒り、2人の友情に亀裂が入る。監督・脚本はダニエル・トンプソン。
 セザンヌの作品が好きな者としては、題材に興味があって見たのだが、『制作』発表時からスタートし少年時代に一気に遡るという構造が、あまり上手く機能しておらず冗長に感じられた。『制作』発表時に至るまでの経緯を見せるわけだが、途中の年代の飛び石状態は唐突だし、過去に遡ってという構成が逆に月並みに見えてしまった。『制作』発表後の2人の晩年まで描くので、発表時にそれまでの経緯が集約されていく感が薄まってしまっている。当時の画壇、文壇の面々の名前が出てくる所や、南仏の風景は楽しかったが。
 セザンヌとゾラが友人同士だったが、ゾラの小説が原因で仲たがいしたというエピソードはどこかで読んだことがあったが、そのエピソードはセザンヌ側の言い分に軸足を置いたものだったと記憶している。本作は、どちらかというと(この件に関しては)ゾラ側の視点が強い。映画原題も『Cezanne et moi』(セザンヌと私)だもんな。そして、セザンヌが付き合いにくい人だったというエピソードも読んだことがあるが、本作で描かれるセザンヌ像は、確かに付き合いやすくはなさそう。彼と決裂したにせよ長年友情を保ち、経済的支援までしていたゾラは聖人じゃなかろうかというレベルだ。
 (本作の)セザンヌはプライドは高いが卑屈、傷つきやすいのに毒舌で喧嘩っ早い、加えて女好きで手が速いという控えめに言っても面倒臭い人。この手の人間として難点が多いが天才肌タイプの人というのは、困った人だがそれでもどこか人間的な魅力がある、というパターンが一つの定型としてあると思う。だがセザンヌ(くどいようだが本作中の、である)は魅力に乏しい。彼が長年不遇だったのは、彼の才能が時代の先を行き過ぎていたのはもちろんだろうが、多分に人として愛されにくい、手助けしたくならないタイプの人だったからじゃないかなという実も蓋もないことを想ってしまった。先鋭的な天才であればあるほど、生きていくために愛され力が必要なのでは・・・なんとも世知辛い話だが(セザンヌはマネやルノワール、モネと比べて更に革新的ではあったろうが、飛び抜けてという感じでもないので、やっぱり人徳が・・・)。
 ゾラもセザンヌの妻も指摘するが、「自分が」すぎで、元々他人への興味が薄いのでは。彼は自分とゾラとの思い出が小説の材料にされて激怒する。自分たちだけのものだったのに矮小化しやがってという思いもあるだろうが、セザンヌの存在のみで『制作』が成り立ったわけではないだろう。そして彼はゾラも表現者であるということを失念している。興味深いネタがあったら、それが自分の親友のことであってもやっぱり描きたくなるんじゃないだろうか。

セザンヌ (岩波文庫)
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岩波書店
2009-04-16


制作 (上) (岩波文庫)
エミール・ゾラ
岩波書店
1999-09-16

『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』

 19世紀半ばのアメリカ、マサチューセッツ州で、豊かな家庭に生まれたエミリ・ディキンスン(少女時代のエミリ/エマ・ベル)は、マウント・ホリヨーク女子専門学校に通っていた。しかし学校の福音主義的な方針に背き、アマストの家に戻る。詩作を続けていたエミリ(シンシア・ニクソン)は父エドワード(キース・キャラダイン)の介添えを得て新聞に作品を掲載されるが、編集者の反応は芳しくなかった。進歩的なヴライリング・バッファム(キャサリン・ベイリー)との友情やワズワース牧師への思慕を抱くが、彼らは去っていき、エミリは家に閉じこもるようになる。生前は無名だったが1800篇近い詩稿を残し、後に伝説的な詩人となったエミリ・ディキンスンの伝記映画。監督はテレンス・デイヴィス。
 エミリが学校で自身の信仰を問われるシーンから始まるのだが、ここでの発言で、(この映画の登場人物としての)彼女のことをぐっと好きになった。エミリは自分に信仰があるかどうかはまだわからない、見たことのない物を信じることは出来ないと言う。他の生徒たちは信仰の道を進む、ないしは今は保留しているけど後に進むという返答で、この場では信仰があるのかどうかわからないという返答はあり得ないのだ。エミリが無神論者だというわけではない。よくよく考えた結果、学校の不興を買うことは承知でわからないと答える。波風立たせぬ様適当な答えを言うことも出来るだろうが、それは自分に嘘をつくことになる。またエミリは教会に行くことや牧師の前で膝をつくことを拒むが、当時の良家の子女としては型破りで非難もされる。しかし、信仰があるとしたらエミリ自身の中にあるのであって、教会や牧師が関与することではない。教会や牧師は型にすぎないというのが彼女の考えだったのではないか。
 エミリは非常に正直で率直でもあり、特に自分の魂に関わること(信仰や創作等)については、自分に忠実に振舞う。その正直さは時に周囲を、時には自分をも傷つけもするし、本人もそれはわかっているのだが、やめられない。この姿勢にとても共感した。周囲に合わせておけば波風立たないとわかっている、でも自分の中の何かがそれに強く抵抗するのだ。そこで流されると、自分が最も大切にしている部分が損なわれるように思うのだ。周囲から見たらエゴイスティックなのかもしれないが、自分の魂に忠実であり続けようという、ある意味非常に誠実な姿勢が一貫している。詩作という、自分の中へ深く潜るような行為を続けるには、この誠実さを手放すわけにはいかないのだろう。真剣になればなるほど、周囲からは孤立してしまう。
 エミリは生涯引きこもっていたと「伝説」化しているし晩年は確かに引きこもっていたようだが、まったくもって孤独だったかというと、そうでもない。彼女は家族に恵まれており、特に妹・ラヴィニア(ジェニファー・イーリー)とは親密な信頼関係があった。弁護士だった父親はエミリを理解したとは言い難いのだろうが、それはそれとして彼女のやり方を尊重する。姉妹と兄が、そりの合わない伯母を見送る際の「チック・タック・・・」が微笑ましい。この伯母も、エミリとは価値観が違うのだが、それはそれとして、皮肉の応酬でやりあえるような情愛があるのだ。エミリは家族と家を愛し、ここ以外にいるなんて想像できないと漏らす。彼女が生涯家から離れなかったのには、そういう背景もあったように思う。
 エミリは美男の兄、美人のラヴィニアに対するコンプレックスを垣間見せるが、この気持ちもよくわかるなとしみじみと見た。彼女は内面を非常に重視しているが、かといって自分や他人の外面から自由になれるわけではない。詩人としての彼女に会いに来た男性から姿を隠し、声だけでつっけんどんなやりとりをする様は痛々しくもある。姿を見せて失望されるのが怖いわけだが、そんなに気にすることないのに!とは言え気になるもんなぁと。



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『スパイダーマン ホームカミング』

 15歳の高校生ピーター・パーカー(トム・ホランド)はクモのような特殊能力を持ち、スパイダーマンとしてご近所の平和を守っていた。アイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)から特性のスーツをもらい、ベルリンでアベンジャーズ同士の闘いに参加したピーターは、自分もアベンジャーズの一員になれると期待するが、トニーはピーターを子ども扱いして諌める。彼に認められたいピーターは、スターク社を敵視する謎の武器商人バルチャー(マイケル・キートン)を一人で追い始める。監督はジョン・ワッツ。
  私はサム・ライミ監督によるスパイダーマン三部作(ピーター役はトビー・マグワイヤ)が大好きなのだが、本作はそれとはまた違った、非常にティーンエイジャーらしいスパイダーマンで、これはこれですごく楽しかった。実際ピーターの設定年齢は下がっているのだが、言動が実に年相応。頭はいいのに思慮が足りなくて、やる気が空回りし失敗する(だがへこたれない)。注目されたいが自信がない、何者かになりたいが何者になれるのかわからない、誰かに認めてもらいたくてしょうがないというエネルギーが溢れている。ピーターは学校での自分はダサい奴で、スパイダーマンとしての力がなくなったら何もなくなると思っている。しかし実の所、彼の頭の良さは同級生も認める位には際立っており、これだけでも将来有望と言えるだろう。親友だっているし、両親はいないがメイおばさん(マリサ・トメイ)から深く愛されている。スパイダーマン部分なくてもアドバンテージ高いじゃん!と客観的には見える。これが必ずしも自己評価に繋がらない、自分を客観視できていないところがティーンっぽいし、学園ものっぽいなぁと思った。学校でのヒエラルキーって、勉強のでき具合と必ずしも比例しないもんね・・・。まずはルックスがそれなりでコミュニケーション能力高い人が有利だからなぁ・・・。
 スパイダーマンが活躍するのは「地元」であり、「隣人としてのヒーロー」というコンセプトであることが、最後まで一貫している。ピーターの最後の選択は、そういうことなのだ。これはアイアンマンに対するカウンターにもなっており、アベンジャーズシリーズと隣接しつつもちょっとスタンスが異なる作品なんだなとわかる。アイアンマン=スタークやソーは多分、弱い者・持たざる者に寄り添うことは出来ない(何しろ2人とも「持ってる」状態しか経験してないからな・・・)。本作の敵役であるバルチャーはスターク(が象徴・所属するもの)への強い反感・敵意を抱いているが、ピーターはむしろバルチャーと同じ側、市井の人間の側で生きてきた存在だ。だからこその闘いの結末ということだろう。スパイダーマンは彼の「隣人」でもあるのだ。
 今回、スパイダーマンのお目付け役、保護者役的なアイアンマン=スタークだが、裏側から見るとスタークが父親をやろうとする(が頓挫する)物語にも見える。スタークの大人として振舞い、勢いづくピーターを自重させようとする行動は概ね妥当ではあるのだが、どうも扱いあぐねている感が否めない。元々、スタークの対人スキルはあまり高くないということはアイアンマンシリーズで露呈しているが、年少者の振る舞い方のモデルが頭の中にない人なんだろうなと。逆に、相手が子供ではないと認識すればもっと適切な距離の取り方が出来るのかな。

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『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』

 海辺の町・杜王町に母と祖父と住む高校生の東方仗助(山崎賢人)は触れることで他人のけがや壊れた物を修復する特殊能力を持っていた。彼を訪ねてきた「甥」で同じような能力を持つ空条承太郎(伊勢谷友介)によれば、その力は「スタンド」だと言う。仗助と承太郎は、杜王町で続発している変死事件はスタンドによるものではないかと気づく。原作は荒木飛呂彦の大ヒット漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の第四部。監督は三池崇史。
 漫画原作映画ブームなのかもしれないが、いくらなんでもハードル高すぎないか、誰も幸せになれなさそうな気配がぷんぷんするわ・・・と思っていたのだが、予想より全然面白かった。侮りまくって申し訳ない・・・。原作に沿った登場人物のビジュアルは実写にするとなかなか素っ頓狂だし、スタンドという漫画ならではの設定はあるのだが、映画としての見せ方は意外とスタンダードで、案外奇をてらっていない印象。なので、原作をなんとなく知っている程度なら十分楽しめるのでは(とりあえずスタンドの概念を知っていれば大丈夫)。また、CGのスタンドにしろ、衣装にしろ、あんまり安っぽくない。ちゃんと「映画」をやるぞ!という意気込みが感じられる。ただ、わざわざイタリアでロケをした意味はあまりなかった気がする。いかにも観光地という絵にかいたような街並みなので逆に嘘っぽい。なんだったら舞浜とか熱海とかのほうが説得力あったかもなぁ・・・。
 本作、原作のうち片桐のエピソードと虹村兄弟のエピソードを映画化しているのだが、エピソードの分量と内容、組み合わせ方が映画のボリュームにちょうど良かったというのも勝因かと思う。また、片桐編で仗助の家庭と家族に対する思いが表明され、虹村兄弟編がその反転になっている。仗助は言動は不良だが、家族に愛されいい環境で育っていることが言動の端々からわかる。虹村兄弟はそういう家族になる可能性を奪われてしまった人たちだ。しかしそれでも「家族」だった時間がある。兄・億泰(岡田将生)の行動は非情で利己的ではあるが、悲哀も漂うのだ。演じた岡田は、本作出演者の中では一番好演だったのではないかな。セリフの発声が案外しっかりしているので、聞き取りやすい。
 このシリーズ、問題は二章以降だろう。登場人物が結構増えるし、枝葉のエピソードも多いので、原作をどの程度アレンジしてくるか気になる。ちょっと大変そうだよね・・・。

『ザ・マミー』

 
(一部訂正しました)
古代エジプトの王女アマネット(ソフィア・ブテラ)は、次期女王にするという約束を破った父王を恨み、死の神セトと契約して父王とその妃、生まれたばかりの王子を殺害。その報いとして生きたまま棺に葬られ封印された。そして2000年後、米軍兵のニック・モートン(トム・クルーズ)と考古学者ジェシー・ハルジー(アナベル・ウォーリス)は古代メソポタミアにあたる現代の中東地域で石棺を発見。輸送機でイギリスに持ち返ろうとするが、トラブルにより墜落し、石棺は行方不明になってしまう。監督はアレックス・カーツマン。
 なんだか大味なストーリーだなー、第一これは「マミー」ではないんじゃ・・・(言うほどミイラが活躍しない。そもそもミイラというよりもゾンビなのでは)と思っていたら、監督はトランスフォーマーシリーズ(『トランスフォーマー』『トランスフォーマー/リベンジ』)の脚本書いた人だったのね・・・うん、じゃあしょうがない!世間ではあまり評判芳しくない本作、確かにストーリーが直線的でキレには乏しいのだが、私はそんなに悪いとは思わなかった。全ての映画を気合入れてすごく楽しみにして見に行くわけではないので、空き時間にぷらっと見に行って何も考えずに見られる娯楽作って、それなりに価値があると思う。非難されているとしたら、本作がミイラが出てくるホラー映画ではない、あまりドキドキしない(だからぼーっと見るにはちょうどいいんだけど)という所ではないか。
 とは言え、トム・クルーズが主演していると他の部分がぐだぐだでも「トム・クルーズ映画」として立ち位置が定まるので、やはりトム・クルーズは偉い。本作ではヌードまで披露して頑張っている。近年はコミカルな顔芸も見せているトムだが、本作もコメディっぽい演出が結構多い(劇場内で殆ど笑いが起きていなかったのが痛いが・・・)。冒頭のドタバタ展開はジャッキー・チェンの映画みたいだった。演じるニックというキャラクターは、取り柄が顔だけなくそったれとして登場するので、最近のトム主演作としては珍しいパターンなのかもしれない。
しかしトム・クルーズがかすむ勢いでソフィア・ブテラが最高だった。アマネットは悪い!強い!美しい!の三拍子が揃った悪役なのでもっと見たかったなぁ。絶対後悔してなさそうなところがいい。

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『裁き』

 ムンバイの下水道で、下水清掃人の死体が発見された。逮捕されたのは民謡歌手のカンブレ(ヴィーラー・サーティダル)。歌の歌詞が自殺を駆り立てるものだったと容疑を掛けられたのだ。弁護士のヴォーラー(ヴィヴェーク・ゴーンバル)、検察官のヌータン(ギータンジャリ・クルカルニー)、裁判官のサダーヴァルテー(プラディープ・ジョシー)が法廷に集い、裁判が進んでいく。監督はチャイタニヤ・タームハネー。
 法廷という限られた場で、現代のインドの様々な側面が垣間見られとても面白かった。カンブレが逮捕される理由や彼を有罪とする根拠だと検察が主張する法律の解釈などは、えっ冗談でしょ?と言いたくなるものなのだが、インドではこれも司法の一つの姿なんだろうなぁ。法律の「どうとでも解釈出来る」領分にはひやりと寒くなった。司法が人の心のあり方にまで踏み込んでくるというのは、やはり恐ろしい。警察の捜査のずさんさ、有罪確定ありきで捜査は後付にすぎないのではという投げやりさは、インドに限らず往々にしてあることだろうが、ちょっと勘弁してほしいよな・・・とため息をつきたくなるもの。弁護士とのいたちごっこのようでもある。
 弁護士のヴォーラーと検察官のヌータンは、法廷外での私生活が映し出される。弁護士と検察官という職業上の立場の違いもあるが、この2人はそもそも住んでいる世界が違う。ヴォーラーは親が不動産を持っている裕福な家の息子で独身、もちろんインテリ層だし友人も同じような階層の人たち。ヌータンはおそらく中流層で、夫と2人の子供と暮らしている。ヴォーラーは自家用車で通勤し、ヌータンは電車。2人とも娯楽で音楽や芝居を楽しみ、家族と外食をするが、その方向性も全然違う。カンブレや死亡した下水清掃人はさらに貧しく異なる階層にいるが、ヴォーラーとヌータンの階層の違い、考え方の違いは特に強調されている。それぞれ似たような行動をしているがその中身が違う、という照らし合わせるような見せ方だった。法廷でやりとりされる言語の差異(ヴォーラーはローカルな言語はよくわからない様子で、英語で話してくれというシーンがある)も、それぞれが違う世界で生きていることを感じさせた。そして、その世界はなかなか重ならないし、歩み寄ろうという意思もあまり感じない。この人たちが法廷以外で交流することはないのではないかなという気がするのだ。
 異なる世界を生きているという点では、ヴォーラーと両親との間にある文化の差も強く感じた。これはインドに限ったことではないだろうが、両親が思っている「普通」と、ヴォーラーが生きる「普通」は違うんだなと。そして、その違いは両親にはなかなか理解されない。ヴォーラーは高級スーパーでワインやデリを買い、ジャズを好み、バーでポルトガルのファドを聞くような趣味嗜好の人なので、両親との価値観の違いは、結構大きそう。実家で食事しているシーンからも、あー色々苦労してそう・・・と同情してしまった。

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『ジョン・ウィック チャプター2』

 ロシアン・マフィアへの復讐劇から5日後。ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)の元へイタリアン・マフィアのサンティーノ(リッカルド・スカマルチョ)が訪れる。実の姉である組織のトップの殺害依頼をもちかけてきたが、ジョンは断り、見せしめとして自宅を爆破されてしまう。かつての盟約により依頼を受けざるを得ないジョンだが、依頼遂行の後にはサンティーノへ復讐すると宣言。命の危機を感じたサンティーノは高額の懸賞金をジョンに掛け、世界中の殺し屋が動き始める。監督はチャド・スタエルスキ。
 キアヌ・リーブスって演技派かというと正直いまだに微妙だし、ハンサムではあるがトム・クルーズのような「ザ・スター」感もいまひとつだし、個性が薄い割に、決してどんな役柄にでも適応できる使い勝手の良さがあるわけでもないと思う。しかし本作のように彼にハマる役柄を演じると、やっぱりスター感あるし魅力的だ。メジャーど真ん中の大ヒット主演作を持っているにも関わらず、何となくカルトスター感がいつまでも漂っている、不思議な俳優だと思う。ちょっと浮世離れした感じというか、実体感が薄い役柄だとハマるなぁと改めて思った。
 前作の5日後という設定で、ストーリーは直接つながっており、前作でのエピソードは特に説明されない。とは言え、そんなに入り組んだ話ではないので、単品で見ても大丈夫そうではある。前作よりも世界観のスケールが広がっているが、これは良し悪しだな・・・。殺し屋専用ホテルは今回も登場するが、更にその背後にある殺し屋ビジネスの存在も垣間見える。これはホテルが総元締めってことなんだろうけど、だとすると完全な中立って難しいんじゃないのかな?そしてなぜそのレトロな電信・・・スマホとタイプライターが並立する世界・・・単にビジュアル的にやりたかったんだろうけど。「やりたい」が先に立ちすぎて設定が色々とちぐはぐな気もするが、ビジュアルは確かに良いので眺めていて楽しい。
 アクションも前作より更に多く、長く、増量している。本作、冒頭から常にベース音がなっているような、一定のリズムで進行しようとしている気がした。アクションはふんだんにあるが、意外とめりはりがない。ペースが一定なので気持ち良く眠くなってきてしまった。だからつまらない、というわけではなく、体感として気持ちがいい。遠距離射撃系の武器が出てこないのは、リズムが崩れるからじゃないだろうか。基本的に、近距離の射撃と格闘による殺し合い(ジョンがいちいち相手をしとめるあたり、プロ殺し屋感ある)で殺すという目的のみで考えると不自然は不自然なのだが、これが殺し屋の美学なんだろうな・・・。
 ジョンは生きた伝説になるレベルの凄腕の殺し屋なのだが、意外とすぐに怪我をするし、攻撃されればちゃんとダメージを受けるし、痛そうな顔もするし、なかなか回復しない。今回、かなり早い時点でフラフラになっており、ほぼ全編ヨロヨロしつつ闘い続けるところが、キャラクター性として面白く味がある。死にそうで死なない、というよりも今にも死にそうなままで居続ける存在なのかなと。また、前作から引き続き、一貫して怒っているキャラクターでもある。自分にとってかけがえのないものを侵されたら怒るし、その怒りは消えないという主張がすごくはっきりしているのだ。

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