3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名さ行

『スノー・ロワイヤル』

 スキーリゾート地キーホーに住む除雪作業員のネルズ・コックスマン(リーアム・ニーソン)は、模範市民賞を受賞するほど真面目な男。しかし一人息子が麻薬王バイキング(トム・ベイトマン)に殺され、復讐に乗り出す。監督はハンス・ペテル・モランド。
 モランド監督による『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』のセルフリメイク作品(元作品にかなり忠実だとのこと)だそうだが、なぜこれをわざわざリメイクした・・・。面白いが、珍妙な味わいがある。率直に言って変!基本的にふざけてはいないのだが、真顔でギャグを繰り出すようなところがある。
 息子を殺されて怒りに燃える男が主人公だし、近年は「悪い奴絶対殺すマン」として定着しているニーソンが主演なので、今回もリーアム無双なのかなと思っていたら、今回はそこまで無敵ではない。人を殴れば自分の拳はすりむけ、相手に引きずりまわされたりもする程度の生身感があるし、体力にも限界がある。そもそも戦闘のプロではないから色々危なっかしい。死体の処理もかなり大雑把で、手法も「クライムノベルで知った」というくらいの素人だ(大雑把な処理でも大丈夫なくらいの極寒地帯が舞台なので、そこも面白い)。不器用でどたばたした復讐劇として、当事者は大まじめなのに時々笑ってしまう。陰惨なのにどこか長閑でユーモアがある。登場人物が死ぬたびにちゃんと「死亡」字幕が表示され、更にその人の宗教的な背景がわかるマークも付けてくれる、拘るのそこ?という新設設計も味わい深い。
 ネルズにしろバイキングにしろ下っ端のギャングたちにしろ、登場人物が全員キャラ立ちしていて、悪党でも憎々しいと同時にどこか可愛らしさがある。親に似ず理性的でかしこいバイキングの息子や、バイキングの右腕的な部下の常識人ぶりがアクセントになっている。この部下については、後半であっそうか!という設定が明らかになり、それを知っちゃうとその後の行動もまあまあしょうがないよね・・・と納得。
 本作、何より除雪車その他の「働く自動車」映画としてとても楽しいので、クライマックスを楽しみにしてほしい。除雪車、運転したくなります。

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『12か月の未来図』

 名門高校の国語教師フランソワ(ドゥニ・ポダリデス)はパリ郊外の教育困難中学に送り込まれる。エリート校の生徒ばかりを相手にしてきたフランソワにとって、様々なルーツを持ち学力もまちまちな生徒たちを相手にするのは一苦労。特にトラブルメーカーである少年セドゥには手を焼く。しかし教師としての意欲を取り戻し、生徒たちと格闘していく。監督はオリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル。
 フランソワが教育困難中学へ派遣されたきっかけは、彼のちょっとうぬぼれた性格、意外と女好きな脇の甘さが招いたものだ。この脇の甘さと自惚れがこの後もちらほら見受けられるので、こいつ懲りてないなと思ってしまう。ちょっといいかっこしいなのだ。ただ、最初は成り行きで始めた中学校赴任だが、エリート校で教えるのとはまた違ったやりがいにフランソワは目覚めていく。冒頭、エリート校の生徒たちにフランソワが答案用紙を返却するが、点数とコメントを大分辛辣に公表しながらなので、下手すると(下手しなくても)モラハラだ。点数と生徒の人格を結びつけた発言をしてしまっているのだ。最初から勉強することが身についている、学習意欲が水準以上にある進学校の生徒相手ならこれも有効なのかもしれないが、学習困難校の生徒におなじことをやったら相手を傷つけやる気を削ぐだけだろう(そもそもどういう生徒が相手でもああいった言い方をしてはいけないと思うが)。フランソワはより基本的、根源的な「学ぶ」ことと向き合わざるを得なくなる。学ぶとはどういうことか、学ぶことの面白さはどんなものか生徒に伝えていかなければならないのだ。またセドゥのように学校で学ぶこと自体が辛い生徒がいるということにも初めて気づいていく。アーティストである妹からの示唆により気づくのだが、妹もまたフランソワやその父親のように学校の勉強がごく自然にこなせる人の間で居心地が悪かったんだろうことが垣間見える。出来る人には出来ない人の気持ちってわからないんだよなと。
 フランソワは一定水準以上の勉強を教えることには長けているのだろうが、中学校で要求されるのはそれとはまたちょっと違うことだ。何を持って「いい教師」と言うのかは、生徒の層や学校の性質によって変わってくる。教師の大変さが端々で垣間見られた。フランソワはセドゥの退学を阻止しようとするが、それはまだ中学校のやり方に慣れていないからで、僕たちが悪者で君が英雄かと揶揄したくなる数学教師の言い分もわかる。学校全体のことを考えると彼のようなやり方にせざるを得ないのかもなということも。とはいえ、場所が変わって要求されることが変わっても、それに適応しつつ教師の本分を全うしようとするフランソワは、やはり「いい教師」と言えるのでは。好かれる教師といい教師とはちょっと違うんだよな。生徒の顔と名前と名前の正確な発音(何しろ多民族多文化なので)を必死で覚えようとするあたり、基本的に真面目だ。

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『シャザム!』

身寄りがなく里親の家を転々としていたビリー・バッドソン(アッシャー・エンジェル)は、突然謎の魔術師に召喚され魔法の力を与えられる。シャザム!と唱えると銃弾も跳ね返す強靭な大人の体と、超人的なパワー、スピードを手に入れられるのだ。里子仲間のフレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)と力を無駄遣いして悪ノリするが、同じく魔力を手にしたシヴァナ(マーク・ストロング)が彼らに目をつける。監督はデビッド・F・サンドバーグ。
DCは重さで失敗して軽さにシフトを変えたのだろうか。ともあれ子供も楽しめるヒーロー映画で、力を抜いて楽しめる。ネタに対してちょっと長すぎる気はするが・・・。ビリーとフレディのいかにもティーンエイジャー的な悪ふざけの数々がちょっとくどい。そこそんなに尺いります?ってくらい。なお、バットマンやスーパーマンのようにヒーローがいることが自明の世界なのかそうではないのかがちょっとはっきりしない。最後のオチをそのまま受け取ると、他のヒーローもいる世界ってことなんだろうけど、メタなジョークなのか本編の範疇なのかよくわからないんだよね・・・。
シャザムのデザインにしろ登場人物の衣装にしろ室内装飾にしろ、2010年代の映画とは思えないレトロさで、有体に言うとダサい。七つの大罪たちのデザインなんてあまりにダサくて思わず笑った。もちろんこれはあえてのダサさなんだろうが、80年代あたりの香りが濃厚だ。その中で普通にスマホやYoutubeが出てくるのがなんだか不思議だった。
ビリーは身寄りがないが、生き別れた母親のことを探し続けている。一方、彼が預けられた里親カップルも里子仲間たちも、ビリーのことを受け入れ何かと気にかける。ビリーの母親探しの顛末はほろ苦いが、大事なのは血のつながった家族がいるということよりも、大人として自分をケアし案じる存在がいることの方が大事だという、至ってまともな話。血縁を持たなくても家族になれるという流れはスタンダードになっていくのかな。実母が「こういうことをした女性はDV受けがち」みたいに描かれているのはちょっと気になったが。
ヴィランが誕生するきっかけに、「男らしさ」の強要があるというのが現代っぽい。適正は人それぞれだし、そもそも男らしいってなんだよと。「男になれ」という言い回し、英語圏映画ではよく耳にするが、何かの条件を満たすことによって社会的に性別が認定されるって嫌だよなぁ。その条件が不向きな人もいるのに。ビリーが誰かの為に力を使う方向に踏み切る、本物のヒーローになるように促すのが、いわゆる「男らしさ」を持ち合わせない肉体的にも弱い人だというエピソードと対称的。ビリーの里親も里子仲間たもは男/女らしくなんて言わないのだ。

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『サンセット』

 1913年、オーストリア=ハンガリー帝国が栄華を極めた時代。トリエステからブダペストのレイター帽子店へやってきたイリス(ユリ・ヤカブ)。この名門店は彼女の亡き両親が経営していたのだ。しかし今のオーナー、ブリルは彼女を歓迎せず追い返そうとする。ブリルや店員に食い下がるうち、イリスは自分には兄がおり、その兄カルマンは伯爵殺しという犯罪を犯したのだと知る。監督・脚本はネメシュ・ラースロー。
 イリスは自分の家族についても、自分が生きる時代についてもよく知らない。映画を見ている側はイリスと同じ視線でこの世界の中を引き回され、翻弄されていく。何か色々なことが次々と起こっているのだが、それをとらえきれず状況に流され、巻き込まれていくイリスの行動はどこか危うい。自分が何に加担してしまったのか、彼女にはわからないままなのだ。
 彼女が巻き込まれているのは第一次世界大戦を目前としたヨーロッパ全体のうねりで、カルマンもブリルも同じく呑みこまれている。が、渦中にいる人たちには、それがどのような波なのか、何が起こっているのかわからない。本作、カメラはイリスにはりついたままで視野がかなり狭いのだが、そのわからなさを極端に強調するための視野の狭さなのだろう。イリスに近すぎて、光景を俯瞰で見られる部分がほとんどないのだ。ブリルがやっていること、彼がやっていることで店の女性達がどういう運命をたどったかを知った上で(大きな犠牲を払いながらも)彼を守ろうとするイリスの行動はちょっと不思議でもあるのだが、それもまた、彼女にことの一部しか見えていないからだろう。
200年近く前の時代が舞台なのだが、女性がさせられていたこと、女性への視線が現代でも大して変わっていない(もちろんそう意図して作劇されているのだが)ことが辛い。女性が「引き倒される」シーンは意図的に反復されていると思う。
 帽子店が舞台なだけあって、登場する帽子はとても美しく華やかで服飾品の細部まで見応えがある。生地の使い方が豪華。当時のファッションに興味がある人にはとてもお勧め。イリスの服がほぼ1着のみで、どんどんよれよれになっていくのもリアル。オールセットに近い環境で撮影しているのではないかと思うが、本作のような作品をオールセットで撮ることができるというのも豪華。

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夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか
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『PSYCHO-PASS SS Case3 恩讐の彼方に』

 東南アジア連合・SEAUnでの事件後、狡噛慎也(関智一)は紛争地帯を放浪し続けていた。南アジアの小国で武装ゲリラに襲われていたバスを救うが、乗客の1人だった少女テンジン(諸星すみれ)に闘い方を教えてほしいと頼まれる。彼女の両親は武装ゲリラに殺されており、復讐を願っていたのだ。監督は塩谷直義。
狡噛の旅がようやく終わるのか・・・。シリーズ通して、シビュラシステムという装置の元で人がどのように生きるのかという物語を描いていたが、同時に彼の長い長い自分探しと贖罪の物語でもあった。贖罪などできない、でも生きていくという境地にたどり着いたのか。過去との対峙の仕方という点で、テンジンの存在が鏡のようでもあり道しるべのようでもあった。テンジンの描写は女の子であるが「子供」という部分が強調されており、セクシャルでないところがよかった。
 肉弾戦のアクション設計には相変わらず力が入っている。SSシリーズ3作通して一番アクション映画っぽさがある。画面の奥行きを強く意識しているように思った。アクション映画の定番である列車上での攻防があるのが嬉しい。このシークエンスはかなり実写映画っぽいショットで構成されているという印象だったが、大々的な落下シーンはアニメーションならではの演出だろう。そういえばシリーズ3作通して空中に身体が投げ出されるシーン、落下シーンが印象深い。
 また乗り物が色々出てくる、かつ作画がいいというのも個人的には楽しかった。あの世界の中でレトロなスクーターが出てくるとなんとなく嬉しくなる。また、この時代のドローンは規模が違うな!というドローンの量産製品ぽさもいい。作画は3作中で最も、全編通して安定して良いのだが、キャラクターの演技(声ではなく動作)が1作目、2作目に引き続きかなりテンプレートっぽいのは気になった。格闘シーン等はアクション設計がきちんとされていて良いのだが、会話シーンの動作が正に「絵にかいたような」ものでちょっと想像力乏しいのでは・・・。なお、狡噛の上半身のラインの見せ方には妙な熱意を感じました。ありがとうございます。

『シンプル・フェイバー』

 ニューヨーク郊外に住むシングルマザーのステファニー(アナ・ケンドリック)は、息子の同級生の派はおオアy・エミリー(ブレイク・ライブリー)と親しくなる。エミリーは華やかなファッション業界で働いており、夫はスランプ中だが有名作家。保険を切り崩して生活し特技は料理というステファニーとは真逆だったが、2人は秘密を打ち明け合うほどに仲良くなっていく。ある日、エミリーから息子のお迎えを頼みたいと連絡が来る。快く引き受けたステファニーだが、エミリーはそれきり姿を消してしまった。原作はダーシー・ベルの小説『ささやかな頼み』。監督はポール・フェイグ。
 正にアナ・ケンドリック劇場。ちょっとウザい、若干自信なさそうなステファニーが、だんだんしぶとくずぶとく、ある才能を発揮していく様がケンドリックに似合いすぎる!ライブリーと並ぶと全く別の生き物のように見える異種格闘技戦感には笑ってしまった。プロポーション・・・。しかしそれが全く難点になっていない所がケンドリックの強さだろう。
 ステファニーがよく「聖人みたい」と言われるというエピソードが出てくるが、これは揶揄であることが随所からわかる。いい人、善意の人ではあるのだろうが、その善意や熱意は若干有難迷惑なのだ。学校のイベントで張り切り過ぎて他の保護者たちがひいている様が生々しい(保護者といっても学校イベントに割ける労力ってまちまちだから、1人にはりきられると他の人は辛いよね・・・)。全身からポジティブオーラを発揮している所や差し入れ料理のクオリティが無駄に高いあたりも、これは保護者仲間からは敬遠されるだろうなーという雰囲気がばしばし伝わる。彼女とエミリーが仲良くなるのは、お互い他に友人がいないからというのもあっただろう。
 基本サスペンスのはずなのに、後半に行けばいくほどスクリューボールコメディ的なおかしさが募ってくる。ステファニーがどんどん暴走を始め、隠された才能が開花していく。彼女が頭がよく行動力もあることは、ブロガーとしての振る舞いからも随所で察せられるんだけど・・・。演出がどんどん上手くなってるのだ。学習力高い!エンドロール前にさらっと言及される「その後」のオチには笑ってしまった。こんな「名探偵誕生」ってあります?!なおPTAの父兄(だけでなく警官とか保険調査員とか)が民族も性別もまちまちで絵にかいたような「多様性」なところにはリアルさというよりも何かの揶揄のようなものを感じてしまった・・・。実際は地域によって偏りがあるんじゃないかなとか。


 
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『女王陛下のお気に入り』

 18世紀初頭、ルイ14世統治下のフランスと戦争中のイングランド。アン女王(オリヴィア・コールマン)は政治については才能がなく幼馴染の側近サラ・チャーチル(レイチェル・ワイズ)に頼り切りで、政権を握り王宮を牛耳っているのは事実上レディ・サラだった。ある日、サラを頼ってきた従妹の没落貴族アビゲイル・ヒル(エマ・ストーン)が召使として宮廷で働き始める。サラに気に入られ侍女に昇格したアビゲイルは、徐々に野心を膨らませていく。監督はヨルゴス・ランティモス。第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門審査員グランプリおよび女優賞(オリヴィア・コールマン)受賞、第91回アカデミー賞主演女優賞(オリヴィア・コールマン)受賞作。
 ランティモス監督作品は、『籠の中の乙女』は面白く『ロブスター』はそこそこ、『聖なる鹿殺し』は枠組み、図式へのフェティッシュが前面に出過ぎていて映画としては痩せているなと個人的にはがっかりした。しかし本作は面白かった。脚本が他の人(デボラ・デイビス、トニー・マクナマラ)な所が良かったのかもしれない。間口は広く、奥行きは深くなった印象。広角レンズを使ったような映像が多く、箱庭感は相変わらず強いのだが、映画としてのダイナミズムみたいなものがようやく感じられた。やはりフレーム内の動きがないと面白くないんだよね・・・。本作は単純に「運動」としての面白さの要素が増しているように思う。森の中の追いかけっこや乗馬、射的のようなわかりやすい「運動」だけでなく、アン女王の車椅子移動とか、王宮の廊下での歩きながらの駆け引きなど、単調にならないように配慮されていると思う。
 アン女王とサラ、アビゲイルの三角関係に一見見える。若いアビゲイルが女王の寵愛を奪っていくかのように見える。が、実際には後にサラが言うように、サラが戦っているゲームとアビゲイルが戦っているゲームは同じように見えて別のものだ。サラが戦うのは国の行く末を賭けた政治の舞台であり、かつそれはアン女王との長年培った絆に基づくものだ。アビゲイルは自分がより安全な、暮らしやすいポジションにいく為に闘っているのであって、サラとは見えているものが違う。最後に彼女が見せるどこか困惑したような表情は、思いもよらぬ地点にまで来てしまったことへの戸惑いと恐れであるように見えた。
 美術、特に衣装が素晴らしくて見応えあった。凝った生地を多用しているように見えたのだが、このあたりは歴史考証は度外視しているのかな。当時の衣服のフォーマットを使いつつも現代的なアレンジがされているように見える。特にサラのパンツスタイルが美しい。また、女性よりも男性たちの方が往々にして白塗り厚化粧な所も面白かった。かつらやおしろいは史実として使われていたのだろうが、薄化粧なアン女王やサラとの対比はかなり意識しているように思えた。




『スパイダーマン スパイダーバース』

 ブルックリンの名門私立高に編入したマイルス・モラレス(シャメイク・ムーア)はエリートばかりの校風に馴染めずにいた。本当はグラフィックアートの道に進みたいが、警官の父親は認めてくれない。ある日クモにかまれたことがきっかけで超人的な力を身に着けるが、コントロールすることができずにいた。そんな中、キングスピン(リーブ・シュレイバー)によって時空が歪められ、阻止しようとしたスパイダーマンが殺されてしまい、マイルスは現場を目撃する。更に時空のゆがみから異なる次元で活躍する様々なスパイダーマンたちがマイルスの世界にやってきた。マイルスはその中の一人、スパイダーマンことピーター・B・パーカー(ジェイク・ジョンソン)の助けを借りようとするが。監督はボブ・ペルシケッティ&ピーター・ラムジー&ロドニー・ロスマン。
 3DIMAX、字幕版で鑑賞。これは3DIMAXを推奨したい!とにかく映像が素晴らしく、3Dとの相性も非常にいい。今年を代表するアニメーション作品になると思う。画面の奥行、広がりを最大限活かした視界の広さと、その隅々まで構築されたビジュアルに圧倒された。色合いもビビッドで楽しい。本作、「漫画である」ことを強く意識した作りになっている。擬音のフォントが大文字で入るし、「スパイダーセンス」はちゃんとうねうね線(わかる人だけわかって・・・)で表現される。周囲の声が箱型の吹き出しで表現されたりもする。更に、全体的に印刷物風ないしはスクリーントーン的な細かいドットが入っていること、人物の影の部分は斜線が入っていることがクロースショットになるとわかるのだ。すごく手の込んだことをさらっと見せている。
 アニメーション表現の最先端でありながらアナログな表現法を踏まえているというハイブリッド感がとても面白い。登場人物の台詞にあるように「カトゥーンで何が悪い!」というわけだ。カトゥーンだからこそ、多次元世界から複数のスパイダーマンがやってくるという設定が生きている。別の次元だからキャラクタービジュアルの表現のされ方も違う。ピーターBとグウェンはマイルスの世界とほぼ同じだが、スパイダー・ノワールは紙のざらつきまで伝わってきそうな白黒漫画の人だし、ペニー・パーカーはより二次元的だし、スパイダー・ハムはまさに古典的カトゥーン。それらが同じ画面内で違和感なく共存しているというビジュアルのバランス感覚が素晴らしい。
 ストーリーは王道の少年の成長物語。彼に関わる大人、特に父親的存在がピーターBを始め、複数名おり、大人の多面的な姿が描かれているのもいい。ピーターBはだらしないが腐ってもスパイダーマンでやる時はやる。父親はマイルスをとても愛しているが、息子の成長と彼の愛情のあり方とがまだ摺りあわされておらず、関係がぎこちない。双方、気持ちはわかるけどそれはちょっと・・・的なやりとりに等身大の親子感があった。そして自由人に見えるクールな叔父はマイルスの憧れの存在だが、自由とクールは代償を伴う。
 学校で馴染めない、親ともちょっとぎこちないし自分がやりたいことを打ち明けられないマイルスの孤独感は、スパイダーマン(たち)の孤独に通じる。マイルスは一人で成長するのではなく、彼ら、そして他の世界のスパイダーマンたちの後押しがあって一歩進むことができる。
 一人で進むのではないという意味では、ピーターBも同様だろう。ヒーローをドロップアウトしやさぐれていた彼は、教え導かなくてはならないマイルスという存在に引っ張られ、スパイダーマンとして再び歩みだす。少年が成長するだけでなく、大人もまた少年に感化されて成長するのだ。

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2017-03-15


『サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所』

 ニューヨーク、ブロンクスに母と弟と暮らす少年ユリシーズ(ルカ・カイン)は、女性の服や靴を身にまといたいという思いを押さえられずにいた。ある夜、路上で出会ったトランスジェンダーのエボニーらに「土曜の夜の教会」に誘われる。そこはLGBTをはじめとする様々な人たちが集う場だった。ユリシーズは自分の居場所を見つけたという思いでいっぱいになるが、厳格な叔母ローズに自分のハイヒールを見つけられ、家を追い出される。監督はデイモン・カーシダス。
 ミュージカルというよりミュージカル「風」で、歌と踊りがそこまで多いわけではない。しかし、ユリシーズが自分の内面深くに潜り込む時、また彼(ら)が重要な気持ちを吐露する時、音楽にのせて表現される。歌もダンスもすごく上手い、こなれているというわけではないのだが、手作り感があって微笑ましいし、素朴故に気持ちの切実さがよりにじんでいるように思う。ミュージカルシーン以外でも、ユリシーズと彼を取り巻く世界の距離感が、彼が耳にしている音、音楽で表現されている。自分が世界にうまくはまっていないと感じる時には音は遠くゆがんで聞こえるし、自分の在り方、やりたいことの糸口をつかむと音楽はクリアにビビットに聞こえ、彼の体もそれに乗って動き出す。iPodをずっと身につけているのは、彼にとってのシェルターであり、世界と繋がる為の道具でもあるのだろう。
 ユリシーズはまだティーンエイジャー。このくらいの年齢の子にとって、自宅に居づらい、居場所がないというのはかなりしんどい。大人だと(子供よりはお金も知識もあるから)何かしら時間をつぶせる場所があったり、場所を変えることができたりするが、子供は家と学校くらいしか居場所がない。学校でいじめにあっていても家で安心できるならいいのだが、ユリシーズは家族にも自分の在り方を否定されてしまう。家に居場所がないと、抽象的な問題ではなく実際問題として、ユリシーズのように心身の危険にさらされるリスクが高くなるのだ。もちろん居場所のなさに付け込む大人が一番悪いんだけど。そういう危険から子供(だけではないが)を守る為にも、「土曜の夜の教会」みたいな場所が必要なのだ。とにかく安心できる場所が、家でなくてもどこかにあるといい。
 ラストがあっさりしているようにも見えるが、ユリシーズにとって一番重要なのは、母親が自分の在り方を肯定し受け入れてくれること、居場所の保障がされるということなのだろう。最後に見せるパフォーマンスの表情は、最初の彼とは全然違う。安心できる、自分を肯定できるってこういうことなのだと思う。

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『PSYCHO-PASS SS Case2 First Guardian』

 国防軍第15統合任務部隊に所属する須郷徹平(東地宏樹)は極秘の軍事作戦に参加していたが、作戦は失敗し、先輩である大友逸樹(てらそまさき)は現地で行方不明に。3か月後、国防省が無人ドローンに襲撃される事件が起きた。被疑者となった須郷の前に現れたのは、刑事課一係執行官・征陵智己(有本鉄陵)だった。
 常守が一係に配属される前の話なので、あの人もこの人もまだご健在で・・・と何となく寂寥感を感じてしまう。宜野座がまだきゃんきゃん言っている時代の宜野座だよ・・・懐かしい・・・。それはさておき、『劇場版PSYCHO-PASS』で特に説明もないまま新キャラクターとして登場していた須郷がどういう人で、どういう経緯で一係に来たのかという補助線的なエピソードと言える。
 ディストピアSFである本シリーズらしいエピソードなのだが、中心にいる須郷と征陵があまりディストピア的でない、オールドタイプな軍人であり刑事な気質の持ち主だという所が面白い。須郷の正直で熱血漢的な部分や、征陵の勘と長年の経験に基づく刑事としての能力等、いつになく温度が高い。同時に、こういうタイプの人は、本作で描かれているような社会の中ではマイノリティであり生き辛いんだろうなと思わせる。人間を数値化できない、合理を受け入れきれないタイプなんだろうなと。本作のキーとなる人もおそらくそうなのだ。人間に対してただ一人の存在としての尊重がないと、やりきれないのだろう。
 征陵は刑事としては有能で後輩刑事からも尊敬されている。能力面だけでなく、人間的に尊敬されているのだ。しかし家族に対しては、決して良き父親、良き夫ではなかった。仕事にかまけすぎていたという自覚はあるが、そもそも家族として上手く機能するタイプの人ではないようにも思う。息子に示されるべきだった父性は、(TVシリーズにおいても)仕事の中で出会った他人に向けて示されているような気がしてちょっと切ない。

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