3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名か行

『ゲティ家の身代金』

 石油王として富豪となった実業家ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の17歳の孫ポールが誘拐された。母親ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)の元に1700万ドルの身代金を要求する電話がかかってくるが、ゲティの息子と既に離婚しているゲイルにはそこまでの財力はない。しかしゲティは支払を拒否する。監督はリドリー・スコット。
 リドリー・スコットは自分の趣味に走らずに、職人に徹した方が(私にとっては)見やすい作品撮るんじゃないかなー。もうエイリアンシリーズはいいから本作みたいな邪念の表面化してないやつをお願いします・・・。スピーディな展開で、段取の良い映画という印象を受けた。作中で起きている事件は決して段取のいいものではないという対比が(ストーリー上の対比ってわけじゃないけど)妙に面白かった。事件の段取の悪さが犯人グループによるものではなく、ほぼイタリア警察(憲兵隊)の初動捜査のまずさ、見込みの甘さから生じるものだというのが、脱力感を煽るし逆に生々しい。焼死体の確認など、いくらなんでもそれはないだろう!と思ったけど、実話が元になっている話だそうだから、本当なのかな・・・。だとしたら、そりゃあゲイルも、交渉人のチェイス(マーク・ウォールバーグ)も怒るだろう。
 本作、画面の色合いをかなり調整している。舞台と、どの人が中心のパートかで色合いが違うので、話の展開が速くてあっちに行ったりこっちに行ったり(実際、物理的な移動の多い話だ)してもわかりやすい。誘拐犯たちのパートが一番温かみのある明るい色調だというのが(屋外シーンが多いからなのだろうが)皮肉だ。対してゲティの屋敷内は、ぎりぎりまで彩度を抑えたモノクロに近いような色調で、冷ややか。ゲティの不可思議な人となりを感じさせる。それぞれの行動の指針に関しても、犯人側の方が単純明快でビジネス的。ゲティのものは、おそらく彼の中では明確な基準があるのだろうが、他人には不可解なのだ。

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『GODZILLA 決戦機動増殖都市』

 ゴジラから地球を取り戻すべく、決死の戦いに挑んだハルオ(宮野真守)ら人類だったが、地中から現れた真のゴジラに敗退する。仲間とはぐれ負傷したハルオは、フツアと呼ばれる原住民の少女ミアナ(小澤亜李)に助けられる。フツアはゴジラから逃れ、地下で生活することで進化し生き延びてきたのだ。彼らが持つナノメタルは、21世紀に対ゴジラ兵器として開発されたメカゴジラに使用されていたものと判明。メカゴジラの開発プラントがまだ残っていると知ったハルオたちは再びゴジラに挑む。監督は静野孔文&瀬下寛之。ストーリー原案・脚本は虚淵玄。
 『GODZILLA』3部作の2作目。前回から直接ストーリーは続いており、作中での前回振り返り等はないので、3作続けて見ることが前提になっている。今シリーズのゴジラはかなり巨大化、かつでたらめにエネルギーに満ちているので、勝てる気が全然しない。むしろハルオはよく勝とうと思ったな!広げた風呂敷を畳めるのか心配になってくるくらいなので、ちょっと強さをインフレ化させすぎなのではないかという気もする。それに今回明かされる地表の生物の状況からすると、地球を再び人類が暮らせる 環境に戻すのってまあ無理なんじゃないかと思えてくる。
前作にしろ今作にしろ、ハルオが演説により仲間を扇動してゴジラと対決するが、という展開が見られるのだが、ハルオにそれほどカリスマがあるようには見えないのが痛い。そんなに頭良さそうにも見えないし、リーダーシップに優れているという感じでもない。ゴジラへの怨念で大分クレイジーになっているなというくらいだ。演説にしても、この程度の言葉で扇動される?だとしたらゴジラ甘く見すぎでない?という気も。ハルオが他人のもくろみに上手いこと乗せられてるんじゃないかなというふうに見えてしまう。実際どうなのかは次作で明らかになるんだろうが。
 なお、本作中では他のスター怪獣の存在も示唆されるし(実際に登場するかどうかはわからないが、双子の巫女がいるってことはアレだよな)、次作で登場する怪獣ははっきり提示される。エンドロールは最後までどうぞ。


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2017-03-22


『孤狼の血』

 昭和63年、暴力団対策法成立直前の広島、呉原。地元の暴力団・尾谷組と、広島から進出してきた五十子会系の加古村組の抗争がくすぶり始めていた。そんな折、加古村組のフロント企業である金融会社の会計係が失踪する。所轄署の若手刑事・日岡秀一(松坂桃李)はベテランの大上章吾(役所広司)と組まされる。暴力団との癒着が噂される大上の強引かつ型破りな捜査に日岡は翻弄される。しかし失踪事件をきっかけに、尾谷組と加古村組の抗争は激化する一方だった。原作は柚月裕子の同名小説。監督は白石和彌。
 原作は警察小説×『仁義なき戦い』と評されたそうで、映画化された本作を見るとなるほどと頷ける。ただ『仁義~』と決定的に色合いが違うのが、本作にはたぎるような熱さや爽快感はなく、泥沼が広がるばかりだという所ではないだろうか。昭和感を全面に出し(美術はすごく頑張っている)つつも、ヤクザ映画を爽快なものとしては描けない所が、今の映画なんだろうなと思う。
 ヤクザ映画でもあり、警察映画でもある。と同時に、どちらでもないように見える、それこそ大上が言うような「綱渡り」であるところが面白い。綱渡りをしている人の生き様を斜めから映すような視点があると思う。綱渡りを永遠に続けることは出来ず、いつか落下することは決まっている。なので、どうにも不吉でハッピーエンドの可能性が微塵も感じられない。生々しい暴力(暴力行為そのものというよりその結果を見せるところは上手いなと思った)描写や欲にまみれたしのぎ合いよりも、その不吉さ、出口の見えなさの方が精神的には堪える。
 松坂桃李が実にちゃんと俳優然としているので、何だかびっくりした。人間、成長するものなんだな・・・!また若手以外でも、一之瀬役の江口洋介や、野崎役の竹野内豊には、こういう感じに仕上がったかー!という新鮮さがある。それぞれある時代を代表するイケメン俳優だった(いや今も全然かっこいいけど)のが、こういう役柄も演じるようになったんだなと。特に江口の色気は大変よかった。その一方で、日本映画におけるピエール瀧の使い方がほぼ固定されてきたのにもびっくり。それこそ、まさかこういう存在になるとは思っていなかったもんね・・・。
 なお本作、最も昭和感を感じたのは女性たちの配置と見せ方。当時のこの世界ではこういう形でしか女性が存在出来なかったということなのかもしれないが、そこまで踏襲しなくてもなぁとはちょっと思う。

孤狼の血 (角川文庫)
柚月裕子
KADOKAWA
2017-08-25


『君の名前で僕を呼んで』

 1980年代、北イタリアの避暑地。両親と別荘にやってきた17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は、大学教授である父親が招いた24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)と知り合う。一緒に過ごすうち、エリオはオリヴァーに強く惹かれていく。原作はアンドレ・アシマンの小説。監督はルカ・クァダニーノ。脚本はジェームズ・アイボリー。
 隅から隅まで美しくてびっくりする。特に夏の日差しを感じさせる光のコントロールが徹底しているように思う。また、かなりこれみよがしな音楽の使い方なのだが、それが鼻につかずぴったりとはまる、ぎりぎりの線を狙っている。あとちょっと分量が増えると鼻について我慢できなかっただろう。
 オリヴァーの動きの優雅「ではない」所が強く印象に残り惹きつけられた。ドアの開け閉めの雑さや、妙にもたつくダンスなど。その一方でエリオの父親とのやりとりは聡明で機知に富むもので、そこには速さ、軽やかさを感じる。またエリオを翻弄するような思わせぶりな言動やきまぐれさも、フィジカルの重さとはちぐはぐ。そのちぐはぐさが彼の魅力、というか何となく意識にひっかかる部分であったと思う。自由であると同時に不自由そうだ。オリヴァーの言動は一見自由奔放で軽やかだが、実際の所は(主に社会的に)様々なしがらみがあることが垣間見られる。自分では不自由なつもりかもしれないが実際は相当自由なエリオと対称的だ。エリオは、オリヴァーがユダヤ人であるということを自身のアイデンティティーにはっきりと組み込んでいることに憧れた様子だが、オリヴァーにとっては自分を構成するものであると同時に縛り付けるものでもある。エリオにはその相反する要素がよくわかっていないのかもしれないが。ハマーはどちらかというともったりとした「重い」俳優だと思うのだが、本作ではその重さがうまくはまっていた。
 恋愛の「今、ここ」しかない感が強く刻み込まれていて、きらきら感満載、陶酔感があふれ出ている。自分と相手との間に深く通じるもの、一体感が瞬間的にであれ成立するという、得難い時間を描く。しかしオリヴァーの「重さ」、彼の背後に見え隠れするものが、「今、ここ」の終わりを予感させ切ない。終わりの予感を含めて美しい恋愛映画であり、夏休み映画だと思う。舞台が夏でなかったら、こんなに浮き立った感じにはならないだろう。
 シャラメが17歳にしてもどちらかというと華奢な体格で、ハマーが24歳には見えない(実年齢考えたらしょうがないんだけど・・・)ので、シチュエーション的にかなりきわどく見える所もある。倫理的にどうなのともやもやしたことは否めない。が、予想していたほどのもやもやではなかった。エリオとオリヴァー、更にエリオの父親が、1人の人の別の時代を表しているように見えたからだ。壮年であるエリオの父親はエリオとオリヴァーの関係をかけがえのないもの、しかし自分は得られなかったものだと言う。青年であるオリヴァーはエリオの中に自分にもあったかもしれない可能性を見る。大人時代から過去に遡りこうであったら、という人生をやり直したいという願いにも思えた。「君の名前で僕を呼んで」とはそういう意味でもあったのではないか。
 エリオの両親の、理知的で子供を個人として尊重している態度が素晴らしい。また、エリオのガールフレンドの振る舞いが清々しい。このあたりが、本作を「今」の映画にしているなと思った。エリオは、父親やオリヴァーが選べなかった道を選ぶことができるのだ。



胸騒ぎのシチリア [Blu-ray]
ティルダ・スウィントン
Happinet
2017-06-02



『心と体と』

 ブタペスト郊外の食肉処理所で管理職として働くエンドレ(ゲーザ・モルチャーニ)。ある日、代理職員として若い女性マーリア(アレクサンドラ・ボルベーイ)が赴任してきた。対人関係が苦手で周囲から浮いている彼女を、エンドレは何かと気に掛ける。ふとしたことから、2人は自分が鹿になり森を散策しているという同じ夢を見ていたことが分かり、急接近していく。監督はエニェディ・イルディコー。2017年、第67回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作。
 本作がベルリンで金熊賞を獲ったというのは少々意外だった。あまり賞レースに絡んでこなさそうな雰囲気なのだ。こじんまりとしており、プライベートな雰囲気。夢を巡るストーリーだが、2人が起きているシーンもどこか夢のようでもある。映像がとても美しかった。食肉処理所が舞台なのでそのものずばり屠畜としての血肉の映像が出てくるのだが、あまり生々しくない。
 エンドレもマーリアも、自身の心と体の間に距離感があり、思いのままには振舞えない。マーリアのコミュニケーション下手さ、振る舞いのぎこちなさは見た通りで、他者に対する警戒心からも、周囲からなかなか理解されなずに生きてきたのだろうことが見て取れる。一方、エンドレは一見人当たりが良くそつなく見えるが、片手が不自由で動かない。マーリアとはまた違った形で、彼も心に体が沿っていない部分があるのだ。不自由さ・ぎこちなさを補完するために2人の夢があるように思えた。
 マーリアとエンドレは同じ夢をきっかけに、目が覚めている状態でも交流するようになる。しかし、夢の中では心と体は一致しているが、現実では思うようにはいかず、2人とも相手への関わり方を掴みあぐねる。それでも、自分が他人と何かを共有できると知ったマーリアの高揚感にははっとさせられた。彼女の率直すぎるアプローチは奇異の目で見られるのだが、そういう行動に出てしまう気持ちもわかるのだ。
 マーリアが心と体をコントロールしようとする様、双方を沿わせようと試行錯誤する様はユーモラスにも見え、実際、上映中にも客席から笑い声が生じていた。でも個人的には彼女の真摯さ、生真面目さが突き刺さり笑うどころではなかった。マーリアにしてみたら、笑われたらすごく傷つくだろうなと思ってしまう。エンドレは彼女を笑わないしバカにしない。本作を見る前、若い女性とかなり年上の男性という組み合わせに(悪い意味での)ひっかかりを感じるかと少々心配だったのだが、平気だった。エンドレがマーリアと対等に接していることに加え、年齢が2人の関係におけるアドバンテージになっていないからだろう。

夢違 (角川文庫)
恩田 陸
KADOKAWA/角川書店
2014-02-25


リザとキツネと恋する死者たち DVD
モーニカ・バルシャイ
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2016-06-02



『きみへの距離、1万キロ』

 アメリカ、デトロイトに住むゴードン(ジョー・コール)の仕事は、1万キロ離れた北アフリカの砂漠地帯にある石油パイプラインを、小型ロボットで監視すること。ある日ゴードンは、パイプラインの近くの村の娘アユーシャ(リナ・エル・アラビ)を見かける。彼女は強制結婚から逃げる為、恋人と海外へ逃亡しようとしていた。監督はキム・グエン。
 ゴードンはアユーシャを助けるつもりではあるのだが、彼の行動は気になる女の子を監視カメラで逐一チェックし彼女の人生に勝手に介入していくというものなので、冷静に考えるとかなり危うい。しかし、ちょっとおとぎ話的な雰囲気で中和されている。何より6本脚のロボットの可愛らしさで乗り切っている気がする。そういえば本作もある意味、「二輪車二人乗り」映画だ(私は「二輪車二人乗りシーンがある映画は打率が高い」という持論を持っている)。
 正に当事者として問題の真っ只中にいるアユーシャに対して、ゴードンはその職業が象徴するように「見ている」だけの人だ。彼はアユーシャと彼女の恋人カリムのことを、『ロミオとジュリエット』のように「見て」いる。恋人に振られたばかりの彼にとって、アユーシャとカリムの真摯な関係はロマンティックであり、理想的なものに見えたのだろう。ゴードンは自分が欲する真摯な関係やロマンティックさは、モニターの向こう側にしかないように思っていたのではないか。しかし、モニターの向こうのアユーシャにとっては現実そのものなのだ。
 ある出来事から、ゴードンは当事者としてアユーシャの逃亡に手を貸すことを決意する。物語を眺めているだけだった人が、自分で物語を生き始めるのだ。彼の行為はアユーシャの物語を一方的に消費し「ただ乗り」している行為にも見えかねない。しかし自分で物語を動かそうとする、つまり彼女を助けようとするゴードンの意思と、逃げたいが助けが必要なアユーシャの意思がはっきりしているのでそれほど嫌悪感は沸かない。ラスト、それこそ物語の主人公になったようなゴードンの行動はなんだか微笑ましくもある。

魔女と呼ばれた少女 [DVD]
ラシェル・ムワンザ
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2013-10-23


不思議のひと触れ (河出文庫)
シオドア・スタージョン
河出書房新社
2009-08-04


『君の見つめる先に』

 サンパウロに暮らす高校生のレオナルド(ジュレルメ・ロボ)は目が見えない。幼馴染の同級生ジョヴァンナ(テス・アモリン)が学校生活をサポートしていた。ある日、彼とジョヴァンナのクラスにガブリエル(ファビオ・アウディ)が転校してくる。すぐに仲良くなる3人だが、レオナルドとガブリエルが2人で行動する機会が増え、3人の関係は変化していく。監督・脚本はダニエル・ヒベイロ。
 二輪車二人乗りシーンがある映画は打率が高いという自論を持っているのだが、本作には正に!という2人乗りシーンが2回ある。1回目と2回目の違いが重要な所であり、2人の関係性の変化を示しているのだ。「僕」は見つめることができなくても、同じ方向を向いていれば「君」が見てくれている。とても清々しくあまずっぱい青春映画だ。
 レオナルドは目が見えないということは、いちいち言及されたりはしない。彼がどういう生活をしているのか、ジョヴァンナや両親はどのように接しているのかによって、彼の境遇が見えてくる。また、レオナルドにとっての世界がどのようなものかもわかってくるのだ。ガブリエルはレオナルドに「この動画見たことある?」とか「映画を見にいこう」とか、少々無神経なことをうっかり言ってしまい、その度にしまった!となる。逆に、シャワールームでレオナルドを前にしてガブリエルが感じる気まずさや、パーティーでジョヴァンナが怒った理由はレオナルドにはわからない。しかし彼らの付き合い方に限らず、それでもいいんじゃないかなと思った。やらかしながら相手のやり方、生活の仕方にお互いが慣れていく・知っていくのだろう。その過程がきらきらとして眩しく、時にほろ苦い。
 人を好きになる時に何をもって好きになるのか、セクシャリティの自認がどのように芽生えるのかという部分の面白さがある。レオナルドは目が見えないから、見た目での男女の差がどのようなものかはわからない。一番身近な異性であるジョヴァンナにキス(したことないから)させてよと言ったりするが、あっさり断られる。2人の絆は深いのだが、そこに性愛めいたものはあまり感じられない。一方ガブリエルに対しては、彼が教室に入ってきた瞬間から何か惹かれる、印象付けられるものがあったように見える(そのように撮られているということだけど)。パーティーの顛末と言い、唐突に何かの瞬間が訪れる、といった感じだ。
 片思いや嫉妬が友人同士にもあるという所が、とても10代ぽいなと思った。ジョヴァンナはレオナルドのこともガブリエルのことも好きなのだろうが、2人の距離が近づきすぎると自分がないがしろにされているみたいに感じてしまうのだろう。レオナルドの1番はずっとジョヴァンナだったわけだから。

太陽は、ぼくの瞳 [DVD]
モフセン・ラマザーニ
アミューズ・ビデオ
2001-04-27


ウォールフラワー スペシャル・プライス [Blu-ray]
ローガン・ラーマン
Happinet(SB)(D)
2015-12-02

『去年の冬、きみと別れ』

 結婚を間近に控えたライターの耶雲恭介(岩田剛典)は出版社に、有名写真家・木原坂雄大(斎藤工)の密着取材企画を持ち込む。彼のモデルをしていた盲目の女性の焼死事件は木原坂が故意に起こしたものではないかというのだ。編集者の小林(北村一輝)は推測だけで裏が取れない記事は掲載しないと告げる。原作は中村文則の同名小説。監督は瀧本智行。
 原作は未読。結末は予想できない!絶対騙される!という触れ込みだったが、本格ミステリ慣れしている人だったら7割くらいは予想可能なのでは。「第二章」という字幕の出るタイミングで本作の仕掛けはなんとなくわかるだろうし、作る側もこれを前フリにして構成になにか色々ありますよ!と観客の興味を終盤までひっぱっているのだろう。ただ残り3割は予想が難しく、あっそういう方向か!とびっくり、というか唖然というか。何が予想しにくいかというと、ある人物のある側面がいきなり露呈されるのだ。えっあなたそういう人だったの?!確かにちょっと不穏な空気は出しているけれどそれほどかよ!これじゃあもう1人の人とどっちもどっちだわ・・・。
 題名の『去年の冬、きみと別れ』はこのある人が一つの決意をした瞬間を指しているのだが、ある側面が露呈した時点で、既に「きみと別れ」ていたのではないかと思う。「きみ」の思いが消えたわけではないだろうけど、別の側面を見てしまった以上、それまでと同じようにある人を思うことは出来なかったのではないか。
 予想していたのとは全然違う方向でびっくりさせられた。ちょっと昔のB級サスペンスっぽい舞台装置や映像の色調なのだが、作品には合っていたと思う。前半、ストーリー上の粗に見えた部分も、後半でなるほどそういうことねと凡そ納得させられた。精緻なミステリというわけではないのだが、この世界観であれば伏線回収したと理解できる。




『犬猿』

 印刷会社の営業職をしている金山和成(窪田正孝)は粗暴でトラブルメーカーの兄・卓司(新井浩文)にうんざりしつつも恐れていた。和成の取引先である印刷工場の二代目社長・幾野由利亜(江上敬子)は、和成に密かに思いを寄せていた。由利亜の妹・真子(筧美和子)は印刷工場を手伝いながら女優を目指している。仲の悪い2組の兄弟姉妹は、やがて感情を爆発させていく。監督・脚本は吉田恵輔。
 兄弟姉妹に起こりがちな気まずさ、険悪さに満ちている。兄弟姉妹のいる人なら、どこかしらあるある!と頷く部分があるのではないか。いやーな気分にさせる要素に関して、細かい部分まで目が行き届いておりいちいちいやさを感じさせる。他人に対してこういう種類のいやさはあまり感じないだろう。縁を切れないからいやさが募るのだ。
 彼らが抱える、兄弟姉妹への屈託・コンプレックスの描き方、そしてその原因となっている兄弟姉妹の描き方は、若干戯画的である種の型に沿ったものとも言える。しかしだからこそ「あるある」感に直結している。「出来のいいお嬢さん」ではあるが容姿に恵まれなかった由利亜の、容姿に恵まれ愛され上手な妹へのコンプレックスはそりゃあそうだろうなと言うもの。が、真子にとっては姉は有能で何でも自分より出来る(英会話のくだりがきつい)、少なくとも家業では必要とされる存在で、自分の取り柄は「かわいい」だけ、しかもその「かわいい」も中途半端なものなのだ。この姉妹は、お互いにもうちょっと違う接し方をしていたらこんなに関係悪化しなかったんじゃないかという部分が見え隠れして、いちいち「ちょっと言い方ー!」と突っ込みたくなりいたたまれなかった。
 対する金山兄弟は、卓司の暴力性があからさまで、それに対する恐怖が刷り込まれた和成は逆らえない。これは男兄弟特有の上下関係なのかな。とは言え和成は和成で兄の暴力を影でそれとなく利用したり、嫉妬しつつも言い訳がましく馬鹿にしたりと、恐怖一辺倒ではない。和成を演じた窪田は最近の出演作の中では最も好演だったのでは、目の不穏さが際立っている。一方、実家に高額なプレゼントをした卓司が、結局和成の安価なプレゼントの方が長年愛用されている様を見てキレるのだが、これって末っ子あるあるだわ!と。一見卓司が圧倒的強者に見えるが、対両親についてはそうでもないわけだ。
 終盤、沸点部分が長すぎな気がした。エモーショナルな音楽とか流されると逆に冷める。その後の「穏やかに見えるけど実は」的な不穏な気配は、兄弟姉妹ってそういうものだろうなとは思う。所で本作の兄弟姉妹、子供時代は仲が良かったという設定なのだが、仲悪い兄弟姉妹って大概子供時代から仲悪いんじゃないかな?むしろ子供時代は仲悪かったけど、大人になったら(大人として話し合えるようになるので)関係改善されたってパターンの方が多い気がするのだが。




『グレイテスト・ショーマン』

貧しい仕立て屋の息子として生まれたP・T・バーナムは、名家の令嬢チャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)と駆け落ち同然の結婚をし、2人の娘に恵まれる。しかし仕事先は倒産、「珍しいもの」を集めた博物館を開設するも客は来ず、窮地に追い込まれる。そんな中バーナムは、「特徴」を持った人たちを集めショーを開くことを思いつく。ショーは大成功しバーナムは一躍金持ちになるが。監督はマイケル・グレイシー。
 オープニングどころか20世紀FOXのロゴの時点でいきなりかましてくるな!というフックの強さ。メインテーマでぐっと引き込み、更に子供時代、青年時代、結婚して子供が出来てショーを思いつく、というあたりまで一気に見せる。序盤にかなりのスピード感があり、突っ込む余地を与えない。本作、手放しで絶賛できない要素が結構あるのだが、音楽の良さと華やかさ、展開のスピード感、そしてヒュー・ジャックマンの魅力で無理矢理押し切られた感じがする。映画体験としてはすごく楽しいのだが、見ている間常にもやもやも感じる、しかし音楽とショーに魅せられ、もやもやは一旦脇においておいて・・・となる。良くできた音楽とダンスの有無を言わせない引力って、やっぱりすごいんだなと痛感した。他のことを保留にさせてしまう力はちょっと怖いようにも思う。
 本作のもやもやは、ショーの団員たちがどう見られるか、という所に生じる。バーナムが集める団員は「特徴のある人物」、要するに当時はフリークス扱いされたり、肌の色が違ったりということで偏見の目にさらされていた人たちだ。バーナムは「君たちを見てお客は喜ぶ」「きっと皆君たちを好きになる」と言うが、その喜びや好意は奇異なものに対するもの(バーナム自身「人は奇異なものが好き」と言うし)で、彼らを一個の人間として見るものではない。いくらもてはやされても、同等の人間扱いというわけではない。彼らの「仲間」であるバーナムですらそうなのだ。そういう見られ方に対して「This is me」と言い続けられるだろうかと悩んでしまった。人間を見世物として扱うことに(おそらく意図的にそうしているんだろうけど)ノリが軽すぎない?バーナムが基本クズだという描写はあるにせよ少年漫画的にいい話風にしすぎじゃない?ということがずっとひっかかる。しかし映画としてはすごく気分が上がって楽しいしメインテーマでは泣きそうになる。実に悩ましい。

バーナム博物館 (白水uブックス―海外小説の誘惑)
スティーヴン ミルハウザー
白水社
2002-08-01


富を築く技術 (フェニックスシリーズ)
P.T.バーナム
パンローリング
2013-12-14




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