3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名か行

『刑事マルティン・ベック』

 日本・スウェーデン外交関係樹立150周年「シュウェーデン映画への招待」にて鑑賞。ストックホルムの病院に入院中だった警部が、騎兵銃の銃剣でめった刺しにされ殺されるという事件が起きた。主任警視マルティン・ベック(カール=グスタヴ・リンドステット)率いるストックホルム警察殺人課の刑事たちは捜査を開始する。被害者には悪評があり、不適切な捜査や行動に対する訴状が幾通も出てきた。ベックたちは怨恨による犯行とみて捜査を続けるが。原作はマイ・シューヴァル&パール・ヴァールーの人気警察小説シリーズ7作目『唾棄すべき男』。監督・脚本はボー・ヴィーデルベリ。1976年の作品。
 70年代の雰囲気が濃厚で、ざらついた渋い刑事ドラマ。前半は地道な捜査が続くのだが、後半で急に派手な見せ場が出てくるし、クライマックスでは群衆にヘリコプターや消防車まで動員した一大ロケが見られる。刑事もの好きにはお勧めしたい。ベックにしろその部下たちにしろ、いわゆる二枚目ではないが、皆味のあるいい顔つきで個性豊か。“キャラ”として完成された個性豊かさではなく、こういう人いそうだなという、人間の雑味が感じられる造形だ。
 ベックが最初「つまらない奴」と称する刑事が、確かに地味だが地道な書類チェックを厭わず着眼点も鋭い(が、それをことさら言い立てない)優秀さを垣間見せる、その優秀さをベックもわかっているというあたりがいい。また、色男風(美形ではないがモテそう)がいたり、一匹狼風なとんがった奴がいたりと、群像劇的な良さがある。ベックが決して愉快な人物というわけではないあたりもいい。妻とは家庭内別居っぽい(ベックは居間のソファーで寝ている)し、ハンサムでもスタイルがいいわけでもない。しかし存在感がある。演じるリンドステットは元々コメディ俳優だそうだが、本作では非常に真面目な演技を見せておりはまり役ではないかと思う。
 シリアスで時間との勝負という要素も出てくるサスペンス展開なのだが、ちょこちょこユーモラスな部分もある。これが狙ったユーモラスさなのか、思わぬところでそうなってしまったのかよくわからない所も面白い。終盤のベックの状況は大変深刻なんだけど、その扱われ方がどこか吹き出してしまいそうなもの。また、対象監視中におばあちゃんがやたらと話しかけてきてお茶やらクッキー(北欧土産でよく見かけるやつだった・・・やっぱり定番なのか)やら出してくるのとかは、明らかに狙っていると思うが。

刑事マルティン・ベック 笑う警官 (角川文庫)
マイ・シューヴァル
角川書店
2013-09-25


刑事マルティン・べック [DVD]
カルル・グスタフ・リンドステット
オルスタックソフト販売
2011-04-28


『くるみ割り人形と秘密の王国』

 母親を亡くした少女クララ(マッケンジー・フォイ)は家族と共に、名付け親であるドロッセルマイヤー(モーガン・フリーマン)のクリスマスパーティーに招かれる。プレゼント探しをするうち、クララは不思議な世界に迷い込む。その王国は「花の国」、「雪の国」、「お菓子の国」、そして「第4の国」から成り各国を摂政が治めていた。クララはプリンセスと呼ばれ戸惑うが、王国内の紛争に巻き込まれていく。チャイコフスキーのバレエが有名な「くるみ割り人形」が原作で、チャイコフスキーの組曲も当然使われている。監督はラッセ・ハルストレム&ジョー・ジョンストン。
 ロンドンでのクララの家や洋服も、ドロッセルマイヤーの屋敷も、王国の情景も美しく可愛らしいのだが、それしかない。ファンタジーとしての世界のふくらみや奥行、厚みみたいなものが全く感じられなかった。『くるみ割り人形』の楽しさって、作中に出てくる国を順番に旅していく、それぞれの国の風景や文化を楽しむという側面にもあると思うのだが、本作では王国の王宮と第4の国との行き来が殆どで、他の国の情景は申し訳程度にしか(本当に1シーンくらいしかなかったと思う)出てこない。せっかく複数の国があるんだからどんな風土なのか見て見たかったのに・・・。ガジェットが色々と華やかだし凝ってはいるのだが、装置の為の装置という印象が強くて、物語世界に溶け込んでいない印象を受けた。ぜんまい出せばいいってものじゃないんだぞ!また、大がかりな装置も色々出てくるのだが、どういう仕組みで動いているのか、何の為の装置か、見ていても今一つイメージが沸いてこない(序盤でクララが修理するドロッセルマイヤーの白鳥の玩具とか、その修理の仕方でいいの?って思うし)。作り手がそういう設定は考えずに漫然と動かしているように思った。
 くるみ割り人形の存在感が薄い、というか指摘されないと彼がくるみ割り人形だと気付かない。クララではなく弟がクリスマスプレゼントにもらったということになっておりそもそも玩具の状態でもあまり出てこないし、これ題名「くるみ割り人形」を付けなくてもよかったのでは?中心になるのはクララとお菓子の国の摂政であるシュガー・プラム(キーラ・ナイトレイ)だ。シュガー・プラムは母を亡くしたクララの分身とも言えるが、ここがもうちょっと響いてくればなと残念。母親を亡くしているというシチュエーションをあまり上手く処理できていないように思った。
 なお、アクション要素もあるのだが見せ方が概ねもたついており、監督はこういうの不得手なのかなと思った。ブリキの兵隊との戦いのリズムの悪さにいらついてしまった。


『恐怖の報酬』

 121分のオリジナル完全版で鑑賞。南米、ヴォルベニール。反政府ゲリラによってジャングルの中の油田が爆破され、大火災が起きた。油田会社はニトログリセリンによって爆破・鎮火させようとするが、ニトログリセリンの保管場所と火災現場は300キロの距離があり、ちょっとした刺激で爆発してしまうニトログリセリンの運搬は非常に難しいと思われた。会社側は一万ドルの報酬を提示し、名乗りを上げた4人の男にニトログリセリン運搬を依頼する。監督はウィリアム・フリードキン。1977年の作品。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督作品(1953)のリメイク。
 前知識が全くと言っていいほどなく、1978年に公開された当時には大幅にカットされていた(当時公開されていたのは92分版だそう)ということも初めて知った。多分、運搬に関わるまでに4人が何をしていたかという冒頭30分くらいの部分が丸ごとカットされていたのではないかと思うが、この部分が大変面白かった。全く違う国、違う町で4つの事件が起き、4人の男がその町を去ったことが順番に提示されるのだ。メキシコでターゲットを消した殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)は何事もなかったようにその場を去る。エルサレムで爆破テロを遂行した若者たちは軍の特殊部隊に追い詰められ、カッセム(アミドゥ)のみが逃げのびる。パリに暮らす投資家マンゾン(ブルーノ・クレメル)は証券取引所から不正取引を追及さる。ビジネスパートナーである義弟に、富豪の父親に金を出してもらうよう交渉しろと詰め寄るが、交渉は決裂、義弟は自殺し、マンゾンはその場から逃げ出す。ニュージャージー州で強盗により大金を手に入れたマフィアの一味だが、交通事故で4人中3人が瀕死の状態に。生き残ったスキャロン(ロイ・シャイダー)は事故現場から逃げるが、更に被害者の兄が対抗組織のボスだということが発覚。追手から逃れる為にスキャロンは国外へ高飛びしようとする。
 4人それぞれのパートが、それぞれ別の映画の導入部分であるようにスリリングで引きが強い。この時点では4人の接点はないので、一体どういう話なのか、4人がどう絡んでくるのかとわくわくしてくる。むしろ南米で大集合したことに、若干拍子抜けというか虚を突かれたというか。そこから南米に行きます?って感じの人もいるし(マンゾンは油田で働きそうにないもんな!)。私はどちらかというと、冒頭の乾いたハードボイルドサスペンス的なタッチに惹かれたので、ホラー味が増していく(作っている側としてはホラーと思っていないだろうけど)後半には戸惑った。
 とは言え、後半も緊張感が途切れず、本気で怖い。橋のシーンは噂には聞いていたが、トラック側も先導する人の側もどう見ても落ちそうだし全く安心できない!ストーリー上安心できないのはもちろんなのだが、これ撮影する側・される側共に大丈夫だったのだろうかと心配になってしまう(実際、相当過酷だったらしいが)。橋はセットとして作ったのだろうが、よく作ったよな。山道をトラックが走るシーンも、運転席のアップと車輪部分(車両の足元)のアップを交互に配置し、とにかく車幅がぎりぎりだということが強調される。良く考えると、こんな道ならヘリで運んだ方がいくらかましだったのでは(序盤で「揺れるから無理」と否定されるのだが、明らかにトラックの方が揺れてるだろう・・・)?と突っ込みたくなるが。
 過酷な道程を見せようとすればするほど、なぜだか幻想的で情念が濃くなっていくところが不思議だ。トラックが進んでいくジャングルや山道、そして吊り橋自体が化け物めいた存在感を放ってくる。終盤で迷い込むカッパドキアのギョレメのような不思議な風景は、南米のジャングルの中とは思えない。本当はかなり早い段階でニトログリセリンが爆発し、全員死んでしまった後の夢のようなものなのではという気もしてきた。


L.A.大捜査線/狼たちの街 [Blu-ray]
ウィリアム・L・ピーターセン
キングレコード
2018-07-04





『ギャングース』

 犯罪集団の盗品や収益金を狙って「タタキ」を繰り返すサイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は少年院で知り合いチームを組むようになった。親からも社会からも見捨てられた彼らには、窃盗以外に生活の手段がない。ある詐欺グループを狙って大金入手に成功したものの、犯行がバレ、後戻りできなくなる。原作は鈴木大介・肥谷圭介による同名漫画。監督は入江悠。
 サイケたちがやっている「タタキ」は窃盗なので当然犯罪なのだが、楽して金を手に入れようとしているわけではない。楽天的なカズキとタケオはともかく、情報収集に余念がないサイケは努力家で勤勉といっていいくらいだ。いわゆる不良とはちょっと違う。彼らは安定した職に就くためのベース自体がない。家族がいないと保証人を得にくいので住居の賃貸契約ができない、なので固定住所を持てないし、学校にも行っていないので履歴書段階で普通の採用では落とされる。スタートラインにすら立てないという苦しさだ。一方、せめてレースに出場して上の奴らを食い物にしてやる、というのが詐欺集団側。詐欺集団の「番頭」加藤(金子ノブアキ)が部下たちに仕事の心得を叩き込むのだが、その内容も若者の貧困ありきのもの。話のベースに経済的な貧困プラス家族関係の貧困があるあたりが現代の作品だなぁと思う。貧しくてもつつましく暮らす仲の良い家族、という設定はもうフィクションとしてのリアリティ(って変な言い方だけど)を持たないのかもしれない。経済的な貧困がもたらす負の連鎖が実社会にありすぎるもんなぁ・・・。
 サイケたちには頼れる親はいないし、カズオは明白に親から虐待されていた。彼らが少女ヒカリ(伊藤蒼)を行きがかり上保護してしまうのも、彼女が虐待されていたからだ。家族に対していい思い出はないはずなのに(いやだからこそか)、自分たちで疑似家族的なものを作って自己補完していくサイケたちの姿は、なんだかいじらしい。それでも親を憎めないとカズキが漏らす言葉も切なかった。なおヒカリの最終的な処遇についての判断がいたってまともで、ちょっとほっとする。
 シリアスとコメディのバランスが良くて、テンポよく進むし、出演者の演技も良く、当初見る予定はなかったのだが、見てよかった。東京フィルメックスのイベントで、入江監督とアミール・ナデリ監督の対談があり、ナデリ監督が本作をいたく気に入っていたので興味が出たのだ。ナデリ監督は本作の狂気、クレイジーさは、他の国の若手の作品ではあまり見ないタイプ、コミックの影響かな?と言っていたけど、正直なところそれほど狂気は感じなかった。マンガっぽい演技や演出のことなのかな?と思ったけど、ちょっと違う気がするしな・・・。こういうのがスタンダードになっていて自分が見慣れちゃっているということかな?


『GODZILLA 星を喰う者』

 武装要塞都市メカゴジラシティを起動させ、ゴジラに挑んだハルオ(宮野真守)らだったが、あと一息という所で失敗。更にその過程でビサイルドたちと地球人たちとの間に亀裂が生じる。ハルオは自信喪失し敗北感に苛まれていた。一方、エクシフの大司教メトフィエス(櫻井孝宏)はある目的の為に信者を増やしていた。監督は静野礼文&瀬下寛之、ストーリー原案と脚本は虚淵玄。
 アニメーション版『ゴジラ』3部作完結編。次作はもっと面白くなるのかな?盛り上がるのかな?と思っているうちに完結しちゃったな・・・。大きな難点や欠点があるとか非常に突っ込みたくなるとかではなく、漠然とさほど面白くないという、一番絡みづらい雰囲気になってしまった。怪獣の強さ能力設定や地球の変容度合いの設定等、ちょっと盛りすぎなくらいなんだけど、ドラマの濃さがその盛りの良さに追いついていないように思った。エクシフの「宗教」の設定には、ちょっと古さも感じる。このニュアンスは90年代末から00年代一桁台くらいなのでは・・・。今だと、わざわざそれやる?何度も見たやつでは?って気分になるのでは。
 個々の構成要素はそんなに悪くないのだろうが、組み合わせると食べ合わせが悪かったなぁという印象。これはゴジラというフォーマットでやるべき話だったのかな?と疑問に思った。ゴジラを外しても、文明の肥大化という設定さえあれば成立しちゃうんだよね。ゴジラを見たい人の為の映画ではないんじゃないかなと思う。私はゴジラにはさほど思い入れがないけど、本作のゴジラの見せ方にはあまり「怪獣」としてのスケール感とか魅力は感じなかった。今作のゴジラは過去最大サイズだけど、その大きさが映えていない。観客の予想を裏切るようなゴジラを!という意図だったのかもしれないが、だったらゴジラ使わなくてもいいよなぁ・・・。
 個人的にはあんまりぱっとしない印象の本作だが、櫻井孝宏劇場としては鉄板だった。櫻井孝宏が中の人のキャラといえばこういう感じだろう、という要素が集結されたセルフパロディような役柄でした、メトフィエス。




『幻土』

 第19回東京フィルメックスで鑑賞。シンガポールで建設現場の作業員をしている中国系移民のワンは、不眠に悩んでいた。ある日、移民仲間の友人が失踪する。現場監督は彼は国に帰ったんだと言うが、ワンは不審に思う。一方、地元の刑事がワンを探しに来る。ワンは何日も宿舎に戻っていなかった。監督はヨー・ショウホァ。ロカルノ映画祭で金豹賞を受賞した作品。
 監督はシンガポールで生まれ育ったそうだが、上映終了後のティーチインでシンガポールは夢のような国だと話していた。経済的に急速に発展し、都市の整備が整い富裕層が集まる、と言った「夢のような」ではなく、足元がおぼつかないという意味での夢。シンガポールは海岸の埋め立てによって国土を広げ、都市の風景の変化も激しい為、何だか地に足の着いた気がしない時があると言うのだ。そういう意味での幻の土地、幻土だと。
 作中でもワンが車を運転しながら「ここは~、ここは~」と、どこの国から来た砂で埋め立てられた場所なのか話すシーンがある。シンガポールにいながら他の国の土地にいるとも言える。建築現場で働く人々は殆どが移民、海外からの出稼ぎ民で、祖国ではないこの土地で生活している。しかしその生活も工事が終わるまでのもので、土地に根差したものではない。土地に根差して生活しているという実感のない不確かさが常にある。先日見た『クレイジー・リッチ』はシンガポールの超富裕層の世界が舞台だったが、あの世界を支える底辺が本作に登場するような世界なのか・・・。ワンが熱中するネットゲームもまた、実体がない不確かなものの象徴として登場するのだろうが、これは少々紋切型すぎると思う。他の国の土砂で新しく土地を作るというシチュエーションだけで十分では。
 ワンと刑事は一つの現象の裏表であるように見えてくる。2人が対面する瞬間はカメラには捉えられないし、刑事が追っているのは幻の男であるようにも思えてくるのだ。アントニオ・タブッキの小説でアラン・コルノー監督により映画化もされた『インド夜想曲』を思い出した。どこかリンクしているようでいて平行線のままのようでもある。この部分の調整はいまひとつという印象を受けた。社会派的なリアリズムと幻想との配分バランスがしっくりこない。

インド夜想曲 [DVD]
ジャン=ユーグ・アングラー
ジェネオン・ユニバーサル
2012-05-09



世界 [DVD]
チャオ・タオ
バンダイビジュアル
2006-07-28


『華氏119』

 トランプのアメリカ合衆国大統領当選が確定し、勝利宣言をした2016年11月9日を題名としたドキュメンタリー。『ボウリング・フォー・コロンバイン』でアポなし激突取材のインパクトを残したマイケル・ムーア監督の新作だ。ムーアは大統領選の最中から、このままでトランプが当選するのではと危惧していたが、その通りになってしまった。トランプ当選にはどのような背景があったのか、アメリカの今を追っていく。
 過去にブッシュ政権を批判した『華氏911』(2004)と対になった題名だ。しかしトランプに比べるとブッシュはまだしも政治家だったなと遠くを見る目をしてしまう現状があまりに辛い。現実が冗談を越えてきている。
 本作、トランプ批判かと思いきや、トランプよりも民主党の施策の方向への批判の方が痛烈。大統領候補選でのバーニー・ダンダースに対する民主党のあまりの仕打、サンダース浮かばれないわ!ヒラリーを推したいのはわかるが、そういう工作をするのはだめだろ・・・。共和党にしろ民主党にしろ、政治家が向いている方向がおかしいのではないか?というのがムーアの主張だろう。アメリカが傍から思われているよりもリベラル寄りだよというアンケート結果は、調査対象の分母選択の問題があるので何とも言えないけど、言うほどいわゆる保守というわけではないという面はありそう。問題は、そういったガチガチの保守ではない、トランプの政策にさほど同意しない層が選挙に行かなかったという所にある。アメリカは日本とどっこいどっこいの投票率の低さなのだ。
 政治への無関心や諦めを招き、ひいては現状を招いたのが、近年の政治だろう。民主党支持者が全てが経済的に富裕層というわけではなく、同時に共和党支持者全てが労働者層というわけではもちろんない。中間層が大半なわけだが、その中間層、さほど裕福ではない普通の労働者の意思を反映できる政治家・政党がなかったのだ。政治家が大企業と富裕層、ようするにお金の方ばかりを見るようになった最悪の事例として、ミシガン州の町、フリントで起きている汚水問題が取り上げられる。ディストピアSFもかくやという嘘みたいに極端な話であっけにとられた。フリント市の財政難がそもそもの原因とは言え、行政がまともに機能していないなんて・・・。
 そんな中、現行の政治に対してNOを突き付け、なんとかしようと団結する人たちが出てくる。無力感と根拠のない希望は民主主義の敵、ファシズムの元なんだなとつくづく思った。作中で紹介される、誰もやらないなら自分がやると立候補する新人議員たちや、教員たちのストや、銃規制を訴えるティーンエイジャーたちのデモ(これは日本でも結構報道された)等、こういう運動がちゃんと起こる所がアメリカのタフさだろう。見ていてちょっとぐっときてしまう。
 ムーア監督のドキュメンタリーは先に結論ありきで作られている向きが強いので、ドキュメンタリーの手法としてはちょっとどうなのとは毎回思う。とは言え、「今のアメリカ」と関わり続け他人事にしない、常にマウンドに立ち続ける姿勢はやっぱりえらいなと思う。

華氏 911 コレクターズ・エディション [DVD]
ドキュメンタリー映画
ジェネオン エンタテインメント
2004-11-12


マイケル・ムーア、語る。
マイケル・ムーア
辰巳出版
2013-10-24


『教誨師』

 死刑囚専門の教誨師である牧師・佐伯(大杉漣)は、6人の死刑囚と面談をしている。教誨師とは受刑者の道徳心の育成や心の救済につとめ、彼らが改心できるように導く存在。しかし自分が話したいことばかり話す者、佐伯との会話がすれ違うばかりの者もおり、自分の言葉が相手に届いているのか、佐伯は自信が持てずにいる。監督・脚本は佐向大。
 大杉漣の初プロデュース作であり、主演作であり、遺作であることで評判になった本作だが、むしろ死刑と向き合う刑務官の葛藤を描いた『休暇』の脚本家が監督を務めた作品ということで重要なのではないかと思う。ほぼ佐伯と死刑囚たちの面談シーンのみで構成されており、実質的な2人芝居であるパート、しかもショットが顔に集中しているパートが長い。俳優に相当技量がないと、間が持たなさそうなのだ。そこを緊張感途切れさせず演じ切る俳優の力を実感できる作品。どの人も顔の圧が強かった。カメラがほぼ面談室の外に出ない(佐伯の回想シーンや終盤でちょっと屋外に出るくらい)というかなり思い切った構成。ぱっと見地味だが力作で見応えあった。
 殆どの囚人たちはキリスト教に帰依する気があるようには見えず、対話が成立しているとは言い難い日とも。むしろ相手の不可解さ、全くの他者であるという部分がどんどん強くなる。理解や共感を拒む存在として彼らはそこにおり、むしろ人間同士はそういうものではという諦念が生まれそうになる。佐伯はその諦念を越えようとしているわけだが、囚人たちを前にするとなかなか難しい。饒舌な女性や無口な男性の、表出の仕方は違うが自分の世界に籠っている、自分の都合がいいようにしか他者を見ない(ということは他者がいないということか)姿の異質感が強烈だった。言葉が全く届かない感じなのだ。信仰以前の問題だなと言う徒労感がすごい。
 佐伯は牧師として人徳にあふれているというわけではなく、特に頭が切れるというわけでもなく、弁舌爽やかというわけでもない。むしろ面談相手の問いの一つ一つに躓き、揚げ足を取られることもある。決して器用ではない。しかし彼が相手を説得してしまうような巧みな言葉を持っていたら、教誨師ではなくなってしまうだろう。佐伯はある境地に辿りつくが、彼はその境地を少々陳腐な言葉でしか表現できない。それでいいのだ。しかしその境地の後、改めて彼を殴りつけるようなラストが襲ってくる。その不穏さが素晴らしかった。

休暇 [DVD]
小林薫
ポニーキャニオン
2009-05-20


死刑 (角川文庫)
森 達也
角川書店
2013-05-25


『コーヒーが冷めないうちに』

 喫茶店フニクリフニクラには、不思議な噂があった。ある席に座ると望んだ時間に戻れるというのだ。その不思議な現象は、店員の時田数(有村架純)がいれたコーヒーにより起こる。しかしいくつかのルールがあり、それを守らないと元の時間に戻れないのだ。店には様々な事情を抱えた人たちが訪れる。原作は川口俊和の同名小説。監督は塚原あや子。
 116分の作品だが、構成は映画よりも連続ドラマ向き。連作短編集的な構造で、30分×4回くらいの気軽に見られるTVドラマだとちょうどいい感じの話だった。個々の客の事情を順番にフォーカスしつつ、数が長年抱えるわだかまりにフォーカスしていくという構成なのだが、映画としては長すぎでメリハリに欠ける。ビジュアルもTVドラマっぽく平坦な印象で映画としては安っぽい(特に店内セットがテーマパーク内の飲食店みたい)。また結構いい役者が出ているのになぜか全員普段より下手に見え、よっぽど製作期間が短かったのかと思ってしまう。TVドラマとして見たら、多分そんなに悪い印象にならないので、メディアを間違ったなぁとしか・・・。
 特に気になったのは、導入部分の不恰好さだ。タイムスリップの「ルール」については本編中でも説明されるので、冒頭でわざわざ字幕にする必要はなかったのでは。また1つ目のエピソードが、それ過去に戻らないと言えないこと?って感じ(作中でも突っ込まれるくらいだし)でちょっと嫌になってしまった。タイムスリップする客を演じた波瑠が丸損した感じなっちゃっている。ただ、ドラマは徐々に持ち直す。特に松重豊と薬師丸ひろ子が演じるエピソードは時間が積み重なることの豊かさと残酷さ両方を見せており悪くない。



『検察側の罪人』

 金貸しをしていた夫婦が殺され、東京地検刑事部の検事・最上(木村拓哉)と新人検事の沖野(二宮和也)が事件を手掛けることになった。既に時効となった少女殺人事件の容疑者だった松倉(酒向芳)に疑いがかかるが決め手がない。沖のは徐々に、最上が松倉を真犯人に仕立てようとしているのではと疑い始める。原作は雫井脩介の同名小説。監督は原田眞人。
 映画のビジュアルや演出も、役者の演技も妙にくどい。二宮はしばしば見せる句点の置き方が不思議なせりふ回しが強化されており、木村はやたらと演技がかっている。最上に協力する闇ブローカー諏訪部(松重豊)は立ち居振る舞いが漫画みたいなデフォルメ度だし、容疑者・松倉は色々と奇矯すぎる。前景にいる登場人物はくっきりすぎるほど濃く、くどく、背景の登場人物は色が薄くナチュラルという描き分けがされているように思った。あえてのくどさなのだろうが、少々上滑りしているように思った。最上の新人研修教官としての立ち居振る舞いや、友人と同じ誕生日の有名人の名前を挙げていくシーンは、やり過ぎ感極まって、見ていて笑いそうになる。まあそのくどさも本作の持ち味だろう。
 本作、前半は割と普通のミステリ映画だと思うのだが、後半、最上が独自に動き始めるにつれて、どんどん奇妙なねじれを見せていく。後半の最上の行動は穴だらけでミステリ要素はどんどん薄まる。更に、最上の祖父は太平洋戦争中のインパール作戦の生き残りで、諏訪部はその手記に興味を持っている設定なのだが、このインパール作戦の記憶が他の部分とそぐわず浮いている。おそらく原作にはなかった要素だと思う。最上の親友・丹野(平岳大)が巻き込まれたスキャンダルの背後にあるもの、そして最上自身もその最中にいる組織、システムの病巣と根を同じくするものとして取り入れられているのだろうが、無理矢理感が強い。監督の熱意はわかるが、この作品でそれをやる必要があったのかは疑問。そしてラストショットがダサすぎて震えた。叫ぶやつ、もうやめませんか・・・。

検察側の罪人 上 (文春文庫)
雫井 脩介
文藝春秋
2017-02-10


検察側の証人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14


ギャラリー
最新コメント
アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ