3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名か行

『クリード 炎の宿敵』

 チャンピオンになったアドニス・クリード(マイケル・B・ジョーダン)の次の対戦相手は、ヴィクター・ドラゴ。彼はドニスの父アポロを死に追いやった、ドラゴ(ドルフ・ラングレン)の息子だった。因縁の対決に挑むアドニスだが、ロッキー(シルベスター・スタローン)は対戦に反対していた。監督はスティーブン・ケイブル・Jr。
 スタローン本人が脚本に参加しているそうだが、ちょっとした会話、やりとりの作り方が結構上手くて、本当に多才な人なんだなと実感。特にビアンカの妊娠がわかった時の、アドニスとビアンカ(テッサ・トンプソン)の振る舞いは、実際はこういう感じだよな、いきなり喜んだりはしないよなというリアリティがあった。自身の人生も軌道に乗ってきたばかりという2人が、果たして自分たちは親としてやっていけるのか、この先どうなるのかという不安感の方が先に立っており、等身大の若者という感じがあった。また、生まれた子供がある検査を受ける顛末も、その結果の出し方、それに対するロッキーの言葉は、ロッキーの人としてのまともさ、ひいてはスタローンのまともさが投影されたものではないかと思う。スタローン、ちゃんとした人だったんだな・・・。
 ロッキーとアドニスは疑似的な親子だが、今回は2人が別の方向を向いてしまう。2人がまた同じ方向を向いて戦い始めるのと合わせて、アドニスが自身も父親としてスタートを切るのだ。またロッキーはロッキーで、実の息子との関係がずっと棚上げになっている。本来はこの実の父子関係をどうにかしないとならないわけだ。ロッキーもまた、父親として問題と向き合うタイミングに来ている。彼にとっても「そして、父になる」話しなのだ。
一方、負の父性を背負っているのがドラゴだ。彼は息子を復讐の道具として育て上げている。そこに、息子であるヴィクターが何を求めているのかという要素はない。セリフ量は少ないが、ヴィクターは父親にしろ母親にしろ、「親」とのつながり、子供として親に愛される、必要とされることを望んでいるのだが、それは得られない。だから会食の場で深く傷つくのだ。ラングレンの風貌の作り込みも相まって、ドラゴ親子が辛酸なめてきた感が強く滲むだけに、求めるものを得られないヴィクターの姿が痛々しい。父子関係が何重にも反復される。
 とは言え、全体的なトーンはスポ根少年漫画的で熱い。特に「特訓」シーンが前作以上に「特訓」感があるのにはちょっと笑ってしまった。それ本当に効果あるの?って気もしちゃう。この部分だけ漫画度が高くなっている気がした。それはそれで楽しいのだが。

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『喜望峰の風に乗せて』

 1968年のイギリス。ヨットによる単独無寄港を競う、ゴールデン・グローブ・レースが開催されることになった。航海計器メーカーを経営するドナルド・クロウハースト(コリン・ファース)は、名立たるセーラー達が集う中、名乗りを上げる。アマチュアが優勝すれば大きな宣伝になると触れ込みスポンサーも確保し、周囲の期待に押されながら出航するが。監督はジェームズ・マーシュ。
 予告編は見たことがなく、ポスターも題名も何となく爽やかなので感動海洋冒険ものかと思ったら、とんでもなかった。いい方向(と言っていいものか・・・)に裏切られた作品。本作、中盤以降ほぼホラーな怖さだった。ドナルドは家族とヨット遊び等はしているものの、長距離航海をしたことはなく(「沖から出たことないだろう」と言われる)、ほぼ素人。そんな素人が単独無寄港レースに参加するというだけで無謀だし、妻クレア(レイチェル・ワイズ)が心配して止めるのも当然だろう。しかし子供たちは無邪気に喜ぶし、スポンサーや世論は「勇気ある挑戦者」として彼を持ち上げ、地元の町ぐるみで時の人として応援されるようになる。ドナルドがやっぱり無理なのではと危機感を感じた時には、引っ込みがつかなくなっている。ボートが不完全な状態で航海に出るなんて狂気の沙汰だが、出ざるを得ない「空気」が彼の周囲で形成されているのだ。そしてドナルドはその空気に負けてしまう。更に、リタイアすらできなくなっていく。現実的に考えれば、いくら叩かれるだろうとは言え、リタイアする方がまともと思えるのだが、そういう選択肢を持てなくなっていく所が、本作最大の恐怖だ。原題が「 The Mercy 」というのも容赦ない。
 ドナルドが不備を分かりつつも航海に出てしまったのは、周囲の期待に応えなくてはというプレッシャーと同時に、臆病者だと思われたくないというプレッシャーが非常に強かったからではないか。彼は展示会で聞いた、セーラーの「男らしい」冒険者としての言葉に魅了され、レース参加を思い立つ。レースに要求されるような勇気や強さを自分も持っていると証明したくなってしまったのだろう。彼は割と柔和で気の優しい人であり、いわゆるマッチョな男性ではないことが、言動の端々から感じられる。妻からも子供たちからも愛される良き夫・良き父であるはずなのだが、それだけでは満足できない、何かを証明したことにはならないのかと不思議な気もした(そもそも何かを証明する必要があるのかと思う)。そして、彼の自分の存在証明みたいなものが、レースのような無謀な形を取ることがまた不思議だ。父親/男性はこうであれ、勇気があるとはこういうことである、という理想のようなものにドナルドが食い殺されていくようでもあった。


『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』

 (本作、構造上ネタバレせずに感想を書くのがすごく難しそうだが、なるべくネタバレなしで書いてみます。)
 仮面ライダージオウこと常盤ソウゴ(奥野壮)の世界で、仲間たちが次々と記憶を失うという異変が起きた。ソウゴは仮面ライダービルドこと桐生戦兎(犬飼貴丈)と協力して原因を探るが、2人の前にスーパータイムジャッカー・ティード(大東駿介)が現れる。ティードはシンゴという少年を追っていた。監督は山口恭平。
 歴史改変SFとしてはどうなんだとか、この人結局何をやりたかったんだろうとか、ストーリー上の強引さは相当ある、そもそも歴代平成ライダーが全員登場するという大前提が強引だ。しかし、なぜ全ライダーが来る必要があるのか、誰の為に来るのか、という部分がすごく力強く打ち出されて、コアなファンと言うわけではない私でも胸を打たれるものがあった。ファンなら思わず泣くのでは。登場するライダー全員は知らなくても、1人でも同じ時代を生きたと思えるライダーがいる人には刺さってくると思う。平成最後に贈られてきた、製作側から歴代視聴者への渾身のプレゼントだ。
 仮面ライダーというジャンルのみならず、特撮にしろ漫画にしろアニメにしろ小説にしろ映画にしろ、全てのフィクションを愛する人ならこの気持ちわかるんじゃないかな、というものが全編に満ちていた。この世界で仮面ライダーはもちろんフィクションなわけだが、同時にファンが覚えている限り生きていて、それぞれの人生に並走している。たとえ忘れてもどこかで生きている。作中のある台詞に涙したファンは多いのでは。
 スーツアクターによるアクションがかなり豪華(何しろ人数が多い!)で見応えがある。歴代ライダーそれぞれの特徴も分かりやすい演出だった。この頃は肉弾戦中心だったんだなとか、この時期はギミックが増えたんだなとか、キックの方向性の変化とか、色々楽しいのだ。また、バイクアクションが結構ガチなのも嬉しかった。すごくいいショットがある!


『ゴッズ・オウン・カントリー』

 ヨークシャーで老いた祖母(ジェマ・ジョーンズ)や病身の父(イアン・ハート)に代わり、牧場を切り盛りし牛と羊を育てているジョニー(ジョシュ・オコナー)。父親は気難しく、ジョニーは深酒と行きずりのセックスで日々をやり過ごしていた。ある日、羊の出産シーズンを手伝う為に雇われた、ルーマニア移民の季節労働者ゲオルグ(アレック・セカレアヌ)がやってきた。最初は反発するが、ジョニーとゲオルグは急速に距離を縮めていく。監督はフランシス・リー。
 ゲイであるジョニーにとって、保守的な田舎町であろう故郷は決して自由な土地というわけではないだろう。とは言え、彼は牧場の仕事を「クソだ」といいつつも心底嫌ってはいないように見える。車で街に出たら行きずりのセックス相手くらいは見つかるみたいなので、ゲオルグの故郷の状況とはおそらく大分違うのだろう。今までのセオリーだったらこれは故郷を出ていく話になりそうだが、そうはならないところに時代が(多少なりとも)変わってきたんだなと実感した。旅立つ話は、それはそれで素敵だけど、自分(達)にはこの土地があると思えるのも素敵だし希望がある。祖母も父も、ショックは受けるがセクシャリティを理由に彼を糾弾したり追い出したりはしない。デリカシーがあるのだ(この点は、田舎か都会かというよりも、個人レベルの差異のような気がするが)。『ブロークバック・マウンテン』からここまで来たか・・・。セクシャリティに対する情報量が全然違うもんな。選択肢は確実に増えているのだと思いたい。
 冒頭、ジョニーが嘔吐しているシーンで、トイレの便座にカバーがかかっていたり、バスルーム内がこぎれいだったりと、彼が生活面ではきちんとケアされて育ってきたのだろうことが垣間見える。祖母が家の中をちゃんと切り盛りしているのだ。その年齢で服の用意までしてもらってるなんてちょっと甘えすぎ!という気はしたが、いわゆる荒れた家庭環境で育ったというわけではないんだなとさらっとわからせる見せ方だった。それでも現状のジョニーは大分荒んでいるように見える。彼の荒み方は父親との関係の険悪さ、自分をセクシャリティ込みで理解してくれる身近な人がいない孤独から来るものだろう。
 その荒んだ部分がゲオルグによってやわらげられていく様に、なんだかぐっときた。最初の接触は緊張感が漂い過ぎていて、セックスなのか殴り合いなのか、どちらに転ぶのかわかりかねるようなピリピリ感がある。しかしその後、ジョニーがゲオルグに急に甘える様や身の委ね方には、それまで見せなかったリラックス感がある。ちゃんと思い思われている感じが出ているのだ。ゲオルグの相手に対する配慮の仕方とか、生活をちゃんとしようという姿勢(食卓に花を飾るとか料理をするとか)も、気持ちを和らげさせるものだろうし、ジョニーにとっては救いのようだったろうなと。
 ジョニーの振る舞いは無骨だが根の繊細さが垣間見えるもの。鳥の声の使い方が彼の中の繊細な部分を表しているように思えた。籠の中の鳥(ジョニーは多分鳥好きで飼っているんだと思う)の鳴き声だったものが、どこか外界でさえずる鳥の鳴き声に変わる。

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『彼が愛したケーキ職人』

 ベルリンに住むケーキ職人トーマス(ティム・カルクオワ)は、イスラエルから出張でやってくる常連客オーレン(ロイ・ミラー)と恋人関係になる、しかしオーレンには妻子がいた。ある日、エルサレムに帰ったオーレンからの連絡が途切れる。彼は交通事故で亡くなっていたのだ。エルサレムに残されたオーレンの妻アナト(サラ・アドラー)は休業していたカフェを再開する。何も知らない彼女の前に、トーマスが客として現れる。監督はオフィル・ラウル・ブレイツァ。
 一歩間違うと愛憎泥沼劇になりそうなところ、抑制が効いた静かな作品に仕上がっている。この抑制と静かさは、トーマスのキャラクターによるところも大きいと思う。彼は口数は少なく、感情をあまり露わにしない。オーレンを失った辛さ・寂しさにも一人でじっと耐える。見ているうちに情の深い人で彼の中にはどうしようもない感情が渦巻いているんだなとわかってはくるが、あまり表面化しないのだ。それだけに、何も知らないアナトからオーレンの衣服を渡された時や、プールのロッカーに残された水着を手にした時の表情がより痛切だ。
 トーマスとオーレンの関係もまた「表面化しない」ものだったのだろう。傍から見るとオーレンのやり方はちょっとずるいと思うし、トーマスの扱われ方がいかにも「別宅」的で少々ひっかかった。オーレンにとって、アナトとトーマスとはどういう存在だったのか。どういう決着を付けるつもりだったのか、はたまただらだらと現状維持するつもりだったのか。オーレンの存在は本作における謎だ。
おそらくアナトもトーマスも謎の答えを知りたかったのだろう。2人の親密さは、お互いの中に残されたオーレンの片鱗を拾い集める作業のようでもあった。2人ともいい人だから余計に切ない。
 トーマスは料理のプロだから当然なんだけど、料理するシーン、食べるシーンが印象に残る。ユダヤ教上の料理・食事の戒律も垣間見えるが(トーマスがオーブンで焼いたものはNGとか)、同じユダヤ教徒でも食の戒律に対するスタンスはそれぞれな所も興味深い。アナトは「食べることが楽しくなくなる方がよくない」というスタンスで、これだけで何かいい人だなって思ってしまう。アナトの義兄が届けた「母の作ったパン」をなんとなしに口にしたトーマスの表情が変わっていくところがすごくよかった。絶対おいしかったんだな。

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『来る』

 香奈(黒木華)と結婚し幸せな新婚生活を送る田原秀樹(妻夫木聡)の会社に、「知紗さんのことで」と伝言を残した来客がいた。取り次いだ後輩社員はその来客の顔も名前も思い出せず、突然出血し倒れる。知紗とは香奈が妊娠している子供に付けるつもりの名前だった。2年後、秀樹の周辺で奇妙な出来事が起こり始め、身の危険を感じるようになる。友人の民俗学者・津田(青木崇高)からオカルト専門フリーライターの野崎(岡田准一)とその知人で霊能力のある比嘉真琴(小松菜奈)を紹介してもらう。原作は澤村伊智の小説『ぼきわんが、来る』、監督は中島哲也。
 中島監督作品は大概シネフィルに嫌われがちだが、今回は特にキッチュなビジアル、かつぎゅうぎゅうに要素を詰め込み盛りが良すぎるくらい。音楽も多用すぎるくらい多用しており見た目も音も余白がない。野暮と言えば野暮だしMVにしか見えない部分もある。しかしエンターテイメントとしては予想外に楽しかった。予告編ではあまり期待していなかったのだが、テンポがよく飽きさせない。
 序盤、秀樹が香奈を実家の法事に同行する、そして2人の結婚式、新居でのホームパーティという流れがあるのだが、自分内の「あっこれ耐えられない」メーターの針がすごい勢いで振り切っており、今年一番の映画内不愉快シチュエーションだった。映画の登場人物にこんなに殺意を感じたのは初めて。もちろんこの不愉快さは監督や俳優の意図したもので、そういう意味では非常にすぐれた作品だろう。本作のキモは何かが追ってくるという所にはなく、そのへんにいそうな人たちの気持ち悪さ、不愉快さにあると思う。
 秀樹はルックスはいいし愛想もいいし、ぱっと見友人が多くて人望もあって、という万事うまくいってそうな人なのだが、実は薄っぺらくパフォーマンスのみで中身を伴わない。法事の席でよそ者として不安を抱える香奈への配慮が全くなく、適当に大丈夫大丈夫という姿(香奈の膝をぱしぱし叩く動作がむかつく!あれやられると本当にイラっとするんだよなー!)には無神経さ・思いやりのなさ(というか的外れさ)がもろに出ている。また結婚式やホームパーティーでのこれみよがしなはしゃぎっぷりと、それに白けつつ表面上は同調する友人たちの姿は、正に地獄絵図。絶対にこの場に交じりたくないと思わせる見事な演出だった。
 キャスティングが手堅く、妻夫木のクズ演技は最早鉄板。見事だった。また、柴田理恵や伊集院光など、本業が役者でない人の使い方が上手く、いいアクセントになっている。特に柴田理恵は柴田理恵史上最高にかっこいい柴田理恵だった。そして松たか子の面白そうなら何でもやりますよというスタンスに感銘を受けた。だってキャリア的には全然やらなくていい仕事だもんなこれ・・・。



 

『刑事マルティン・ベック』

 日本・スウェーデン外交関係樹立150周年「シュウェーデン映画への招待」にて鑑賞。ストックホルムの病院に入院中だった警部が、騎兵銃の銃剣でめった刺しにされ殺されるという事件が起きた。主任警視マルティン・ベック(カール=グスタヴ・リンドステット)率いるストックホルム警察殺人課の刑事たちは捜査を開始する。被害者には悪評があり、不適切な捜査や行動に対する訴状が幾通も出てきた。ベックたちは怨恨による犯行とみて捜査を続けるが。原作はマイ・シューヴァル&パール・ヴァールーの人気警察小説シリーズ7作目『唾棄すべき男』。監督・脚本はボー・ヴィーデルベリ。1976年の作品。
 70年代の雰囲気が濃厚で、ざらついた渋い刑事ドラマ。前半は地道な捜査が続くのだが、後半で急に派手な見せ場が出てくるし、クライマックスでは群衆にヘリコプターや消防車まで動員した一大ロケが見られる。刑事もの好きにはお勧めしたい。ベックにしろその部下たちにしろ、いわゆる二枚目ではないが、皆味のあるいい顔つきで個性豊か。“キャラ”として完成された個性豊かさではなく、こういう人いそうだなという、人間の雑味が感じられる造形だ。
 ベックが最初「つまらない奴」と称する刑事が、確かに地味だが地道な書類チェックを厭わず着眼点も鋭い(が、それをことさら言い立てない)優秀さを垣間見せる、その優秀さをベックもわかっているというあたりがいい。また、色男風(美形ではないがモテそう)がいたり、一匹狼風なとんがった奴がいたりと、群像劇的な良さがある。ベックが決して愉快な人物というわけではないあたりもいい。妻とは家庭内別居っぽい(ベックは居間のソファーで寝ている)し、ハンサムでもスタイルがいいわけでもない。しかし存在感がある。演じるリンドステットは元々コメディ俳優だそうだが、本作では非常に真面目な演技を見せておりはまり役ではないかと思う。
 シリアスで時間との勝負という要素も出てくるサスペンス展開なのだが、ちょこちょこユーモラスな部分もある。これが狙ったユーモラスさなのか、思わぬところでそうなってしまったのかよくわからない所も面白い。終盤のベックの状況は大変深刻なんだけど、その扱われ方がどこか吹き出してしまいそうなもの。また、対象監視中におばあちゃんがやたらと話しかけてきてお茶やらクッキー(北欧土産でよく見かけるやつだった・・・やっぱり定番なのか)やら出してくるのとかは、明らかに狙っていると思うが。

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2013-09-25


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『くるみ割り人形と秘密の王国』

 母親を亡くした少女クララ(マッケンジー・フォイ)は家族と共に、名付け親であるドロッセルマイヤー(モーガン・フリーマン)のクリスマスパーティーに招かれる。プレゼント探しをするうち、クララは不思議な世界に迷い込む。その王国は「花の国」、「雪の国」、「お菓子の国」、そして「第4の国」から成り各国を摂政が治めていた。クララはプリンセスと呼ばれ戸惑うが、王国内の紛争に巻き込まれていく。チャイコフスキーのバレエが有名な「くるみ割り人形」が原作で、チャイコフスキーの組曲も当然使われている。監督はラッセ・ハルストレム&ジョー・ジョンストン。
 ロンドンでのクララの家や洋服も、ドロッセルマイヤーの屋敷も、王国の情景も美しく可愛らしいのだが、それしかない。ファンタジーとしての世界のふくらみや奥行、厚みみたいなものが全く感じられなかった。『くるみ割り人形』の楽しさって、作中に出てくる国を順番に旅していく、それぞれの国の風景や文化を楽しむという側面にもあると思うのだが、本作では王国の王宮と第4の国との行き来が殆どで、他の国の情景は申し訳程度にしか(本当に1シーンくらいしかなかったと思う)出てこない。せっかく複数の国があるんだからどんな風土なのか見て見たかったのに・・・。ガジェットが色々と華やかだし凝ってはいるのだが、装置の為の装置という印象が強くて、物語世界に溶け込んでいない印象を受けた。ぜんまい出せばいいってものじゃないんだぞ!また、大がかりな装置も色々出てくるのだが、どういう仕組みで動いているのか、何の為の装置か、見ていても今一つイメージが沸いてこない(序盤でクララが修理するドロッセルマイヤーの白鳥の玩具とか、その修理の仕方でいいの?って思うし)。作り手がそういう設定は考えずに漫然と動かしているように思った。
 くるみ割り人形の存在感が薄い、というか指摘されないと彼がくるみ割り人形だと気付かない。クララではなく弟がクリスマスプレゼントにもらったということになっておりそもそも玩具の状態でもあまり出てこないし、これ題名「くるみ割り人形」を付けなくてもよかったのでは?中心になるのはクララとお菓子の国の摂政であるシュガー・プラム(キーラ・ナイトレイ)だ。シュガー・プラムは母を亡くしたクララの分身とも言えるが、ここがもうちょっと響いてくればなと残念。母親を亡くしているというシチュエーションをあまり上手く処理できていないように思った。
 なお、アクション要素もあるのだが見せ方が概ねもたついており、監督はこういうの不得手なのかなと思った。ブリキの兵隊との戦いのリズムの悪さにいらついてしまった。


『恐怖の報酬』

 121分のオリジナル完全版で鑑賞。南米、ヴォルベニール。反政府ゲリラによってジャングルの中の油田が爆破され、大火災が起きた。油田会社はニトログリセリンによって爆破・鎮火させようとするが、ニトログリセリンの保管場所と火災現場は300キロの距離があり、ちょっとした刺激で爆発してしまうニトログリセリンの運搬は非常に難しいと思われた。会社側は一万ドルの報酬を提示し、名乗りを上げた4人の男にニトログリセリン運搬を依頼する。監督はウィリアム・フリードキン。1977年の作品。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督作品(1953)のリメイク。
 前知識が全くと言っていいほどなく、1978年に公開された当時には大幅にカットされていた(当時公開されていたのは92分版だそう)ということも初めて知った。多分、運搬に関わるまでに4人が何をしていたかという冒頭30分くらいの部分が丸ごとカットされていたのではないかと思うが、この部分が大変面白かった。全く違う国、違う町で4つの事件が起き、4人の男がその町を去ったことが順番に提示されるのだ。メキシコでターゲットを消した殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)は何事もなかったようにその場を去る。エルサレムで爆破テロを遂行した若者たちは軍の特殊部隊に追い詰められ、カッセム(アミドゥ)のみが逃げのびる。パリに暮らす投資家マンゾン(ブルーノ・クレメル)は証券取引所から不正取引を追及さる。ビジネスパートナーである義弟に、富豪の父親に金を出してもらうよう交渉しろと詰め寄るが、交渉は決裂、義弟は自殺し、マンゾンはその場から逃げ出す。ニュージャージー州で強盗により大金を手に入れたマフィアの一味だが、交通事故で4人中3人が瀕死の状態に。生き残ったスキャロン(ロイ・シャイダー)は事故現場から逃げるが、更に被害者の兄が対抗組織のボスだということが発覚。追手から逃れる為にスキャロンは国外へ高飛びしようとする。
 4人それぞれのパートが、それぞれ別の映画の導入部分であるようにスリリングで引きが強い。この時点では4人の接点はないので、一体どういう話なのか、4人がどう絡んでくるのかとわくわくしてくる。むしろ南米で大集合したことに、若干拍子抜けというか虚を突かれたというか。そこから南米に行きます?って感じの人もいるし(マンゾンは油田で働きそうにないもんな!)。私はどちらかというと、冒頭の乾いたハードボイルドサスペンス的なタッチに惹かれたので、ホラー味が増していく(作っている側としてはホラーと思っていないだろうけど)後半には戸惑った。
 とは言え、後半も緊張感が途切れず、本気で怖い。橋のシーンは噂には聞いていたが、トラック側も先導する人の側もどう見ても落ちそうだし全く安心できない!ストーリー上安心できないのはもちろんなのだが、これ撮影する側・される側共に大丈夫だったのだろうかと心配になってしまう(実際、相当過酷だったらしいが)。橋はセットとして作ったのだろうが、よく作ったよな。山道をトラックが走るシーンも、運転席のアップと車輪部分(車両の足元)のアップを交互に配置し、とにかく車幅がぎりぎりだということが強調される。良く考えると、こんな道ならヘリで運んだ方がいくらかましだったのでは(序盤で「揺れるから無理」と否定されるのだが、明らかにトラックの方が揺れてるだろう・・・)?と突っ込みたくなるが。
 過酷な道程を見せようとすればするほど、なぜだか幻想的で情念が濃くなっていくところが不思議だ。トラックが進んでいくジャングルや山道、そして吊り橋自体が化け物めいた存在感を放ってくる。終盤で迷い込むカッパドキアのギョレメのような不思議な風景は、南米のジャングルの中とは思えない。本当はかなり早い段階でニトログリセリンが爆発し、全員死んでしまった後の夢のようなものなのではという気もしてきた。


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『ギャングース』

 犯罪集団の盗品や収益金を狙って「タタキ」を繰り返すサイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は少年院で知り合いチームを組むようになった。親からも社会からも見捨てられた彼らには、窃盗以外に生活の手段がない。ある詐欺グループを狙って大金入手に成功したものの、犯行がバレ、後戻りできなくなる。原作は鈴木大介・肥谷圭介による同名漫画。監督は入江悠。
 サイケたちがやっている「タタキ」は窃盗なので当然犯罪なのだが、楽して金を手に入れようとしているわけではない。楽天的なカズキとタケオはともかく、情報収集に余念がないサイケは努力家で勤勉といっていいくらいだ。いわゆる不良とはちょっと違う。彼らは安定した職に就くためのベース自体がない。家族がいないと保証人を得にくいので住居の賃貸契約ができない、なので固定住所を持てないし、学校にも行っていないので履歴書段階で普通の採用では落とされる。スタートラインにすら立てないという苦しさだ。一方、せめてレースに出場して上の奴らを食い物にしてやる、というのが詐欺集団側。詐欺集団の「番頭」加藤(金子ノブアキ)が部下たちに仕事の心得を叩き込むのだが、その内容も若者の貧困ありきのもの。話のベースに経済的な貧困プラス家族関係の貧困があるあたりが現代の作品だなぁと思う。貧しくてもつつましく暮らす仲の良い家族、という設定はもうフィクションとしてのリアリティ(って変な言い方だけど)を持たないのかもしれない。経済的な貧困がもたらす負の連鎖が実社会にありすぎるもんなぁ・・・。
 サイケたちには頼れる親はいないし、カズオは明白に親から虐待されていた。彼らが少女ヒカリ(伊藤蒼)を行きがかり上保護してしまうのも、彼女が虐待されていたからだ。家族に対していい思い出はないはずなのに(いやだからこそか)、自分たちで疑似家族的なものを作って自己補完していくサイケたちの姿は、なんだかいじらしい。それでも親を憎めないとカズキが漏らす言葉も切なかった。なおヒカリの最終的な処遇についての判断がいたってまともで、ちょっとほっとする。
 シリアスとコメディのバランスが良くて、テンポよく進むし、出演者の演技も良く、当初見る予定はなかったのだが、見てよかった。東京フィルメックスのイベントで、入江監督とアミール・ナデリ監督の対談があり、ナデリ監督が本作をいたく気に入っていたので興味が出たのだ。ナデリ監督は本作の狂気、クレイジーさは、他の国の若手の作品ではあまり見ないタイプ、コミックの影響かな?と言っていたけど、正直なところそれほど狂気は感じなかった。マンガっぽい演技や演出のことなのかな?と思ったけど、ちょっと違う気がするしな・・・。こういうのがスタンダードになっていて自分が見慣れちゃっているということかな?


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