3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名か行

『コーヒーが冷めないうちに』

 喫茶店フニクリフニクラには、不思議な噂があった。ある席に座ると望んだ時間に戻れるというのだ。その不思議な現象は、店員の時田数(有村架純)がいれたコーヒーにより起こる。しかしいくつかのルールがあり、それを守らないと元の時間に戻れないのだ。店には様々な事情を抱えた人たちが訪れる。原作は川口俊和の同名小説。監督は塚原あや子。
 116分の作品だが、構成は映画よりも連続ドラマ向き。連作短編集的な構造で、30分×4回くらいの気軽に見られるTVドラマだとちょうどいい感じの話だった。個々の客の事情を順番にフォーカスしつつ、数が長年抱えるわだかまりにフォーカスしていくという構成なのだが、映画としては長すぎでメリハリに欠ける。ビジュアルもTVドラマっぽく平坦な印象で映画としては安っぽい(特に店内セットがテーマパーク内の飲食店みたい)。また結構いい役者が出ているのになぜか全員普段より下手に見え、よっぽど製作期間が短かったのかと思ってしまう。TVドラマとして見たら、多分そんなに悪い印象にならないので、メディアを間違ったなぁとしか・・・。
 特に気になったのは、導入部分の不恰好さだ。タイムスリップの「ルール」については本編中でも説明されるので、冒頭でわざわざ字幕にする必要はなかったのでは。また1つ目のエピソードが、それ過去に戻らないと言えないこと?って感じ(作中でも突っ込まれるくらいだし)でちょっと嫌になってしまった。タイムスリップする客を演じた波瑠が丸損した感じなっちゃっている。ただ、ドラマは徐々に持ち直す。特に松重豊と薬師丸ひろ子が演じるエピソードは時間が積み重なることの豊かさと残酷さ両方を見せており悪くない。



『検察側の罪人』

 金貸しをしていた夫婦が殺され、東京地検刑事部の検事・最上(木村拓哉)と新人検事の沖野(二宮和也)が事件を手掛けることになった。既に時効となった少女殺人事件の容疑者だった松倉(酒向芳)に疑いがかかるが決め手がない。沖のは徐々に、最上が松倉を真犯人に仕立てようとしているのではと疑い始める。原作は雫井脩介の同名小説。監督は原田眞人。
 映画のビジュアルや演出も、役者の演技も妙にくどい。二宮はしばしば見せる句点の置き方が不思議なせりふ回しが強化されており、木村はやたらと演技がかっている。最上に協力する闇ブローカー諏訪部(松重豊)は立ち居振る舞いが漫画みたいなデフォルメ度だし、容疑者・松倉は色々と奇矯すぎる。前景にいる登場人物はくっきりすぎるほど濃く、くどく、背景の登場人物は色が薄くナチュラルという描き分けがされているように思った。あえてのくどさなのだろうが、少々上滑りしているように思った。最上の新人研修教官としての立ち居振る舞いや、友人と同じ誕生日の有名人の名前を挙げていくシーンは、やり過ぎ感極まって、見ていて笑いそうになる。まあそのくどさも本作の持ち味だろう。
 本作、前半は割と普通のミステリ映画だと思うのだが、後半、最上が独自に動き始めるにつれて、どんどん奇妙なねじれを見せていく。後半の最上の行動は穴だらけでミステリ要素はどんどん薄まる。更に、最上の祖父は太平洋戦争中のインパール作戦の生き残りで、諏訪部はその手記に興味を持っている設定なのだが、このインパール作戦の記憶が他の部分とそぐわず浮いている。おそらく原作にはなかった要素だと思う。最上の親友・丹野(平岳大)が巻き込まれたスキャンダルの背後にあるもの、そして最上自身もその最中にいる組織、システムの病巣と根を同じくするものとして取り入れられているのだろうが、無理矢理感が強い。監督の熱意はわかるが、この作品でそれをやる必要があったのかは疑問。そしてラストショットがダサすぎて震えた。叫ぶやつ、もうやめませんか・・・。

検察側の罪人 上 (文春文庫)
雫井 脩介
文藝春秋
2017-02-10


検察側の証人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー
早川書房
2004-05-14


『クレイジー・リッチ!』

 若くして経済学の教授となり、ニューヨークで働くレイチェル(コンスタンス・ウー)。恋人ニック(ヘンリー・ゴールディング)が親友の結婚式に出席するのに伴われ、初めて彼の故郷であるシンガポールにやってきた。初めてニックの家族に会うのでレイチェルは緊張していたが、彼はシンガポールの不動産王である名家の一人息子だと明かされる。ニックの母エレノア(ミシェル・ヨー)を始め親族、そして独身の富豪であるニックを狙う社交界の女性達から、レイチェルは敵視されてしまう。監督はジョン・M・チュウ。
 レイチェルは母親が中国からアメリカに移住してきた中国系移民2世。一方、ニックとその一族は何代も前に中国からシンガポールに移住して土地を切り開き財を成した華僑一族。同じ移民ではあるが、エレノアたちにしてみるとレイチェルは大幅に「格下」なのだ。また、同じ中国系移民ではあるが、レイチェルは友人に「バナナ(皮は黄色いが中身は白い)」と言われるようにアイデンティティはアメリカ人で、中国語もさほど出来ない。中国の伝統を受け継いできたエレノアたちにとってはそこもまた気に入らないところだ。嫁姑合戦というよりも、異文化間の不調和なのだ。レイチェルは聡明でやりがいのある仕事をしている、自立した人物だが、そういった特質はエレノアたちの文化圏では必ずしもプラスではない。
 とは言え、レイチェルは持ち前のガッツで事態を打開していこうとする。彼女がちゃんと話し合う人、自分の生き方を弁えている人であるという所が清々しい。エレノアも単に怖い姑ではなく、彼女には彼女の責任と苦悩があってこその行動だとわかる。女性達のキャラクターがしっかり立ち上がっていた。一方、彼女らに比べるとニックはちょっと頼りない。ラストにも不満が残った。この先どうなるのかというところが濁されているが、2人が「どうする」のかが見たかった。「俺たちの闘いはこれからだ!」エンドっぽく見えてしまった。
 本作、アメリカでは大ヒットしたそうだが、アジア系移民が多数いるアメリカで作られ、上映したからこそわかる面白さなのではないかと思う。日本で見ると、そういった背景が抜け落ちてしまうのではないか。正直、ストーリー単体は古今東西よくある話で、そんなに独自性があるわけではないので、映画が置かれた状況を知らないと何でそんなにヒットしたの?と不思議に思うのでは。

ミート・ザ・ペアレンツ [DVD]
ロバート・デ・ニーロ
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2012-08-10





『クワイエット・プレイス』

 音に反応して人間を襲う存在によって、人類は滅亡の危機に瀕していた。エヴリン(エミリー・ブラント)とリー(ジョン・クラシンスキー)夫婦、娘のリーガン(ミリセント・シモンズ)と息子のマーカス(ノア・ジュプ)は音を立ててはいけないというルールを徹底し、森に囲まれた農園でひっそりと生き延びていた。リーガンに聴覚障害がある為に元々手話でコミュニケーションを取っていたのだ。しかし彼らにも危機が迫る。監督はジョン・クラシンスキー。
 「音を立ててはいけない」というワンアイディアを膨らませたスリラーだが、勢いがありとても面白かった。冷静に考えるとどのくらいの音量ならアウトなのか、敵の聴覚はどのくらいの精度なのかという設定が結構曖昧なのだが、勢いよく話を転がしていくので見ている間はそれほど気にならない。伏線の提示が非常に分かりやすく、話を転がす為の設定がやや鼻につく(裸足でいるところとか)のだが、あざというというよりも不器用故に伏線の敷き方が目立ってしまうという感じだった。「音を立ててはいけない」という一点突破で、下手に話を広げすぎなかったところも勝因だろう。
 音を立てたら死ぬという状況下で子供を産もうというのが本作の設定で一番どうかしている所だと思うのだが、サスペンスの舞台装置としてはスリリングだしこの先どうするの?!という予想のつかなさもある。これに限らずラストに至るまで、全ての設定をスリラーの装置として機能させようという作品に想えた。そこが鼻につくと言えば鼻につくかもしれないが、手堅いし上手い。
 両親が子供にかける思い、子供の親兄弟に対する思いが深くしっかりと描かれているので、設定が単なる装置で終わらず、登場人物たちのキャラクターが浮かび上がっている。リーとリーガンのすれ違いは、聴こえる/聴こえないという立場の違いが生んだものでもあるが、過去のある事件に対する双方の後悔のすれ違いが生んだものでもある。親は子供にはとにかく生き延びてほしい、安全でいてほしくて色々やるわけだが、子供にはそのへんがいまひとつ伝わらないのだ。リーガン役のシモンズは『ワンダーストラック』(トッド・ヘインズ監督)でも好演だったが、今回も良い。親子の描き方がしっかりとしているので、安っぽいドラマには見えなかった。
 なお、撮影がなぜかとても良くて、秋の光が美しい。森の情景がいい!光の加減でちゃんと季節がわかる。

ブラインドネス [Blu-ray]
ジュリアン・ムーア
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2013-01-30


ドント・ブリーズ [AmazonDVDコレクション]
ジェーン・レヴィ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2017-10-04


『かごの中の瞳』

 夫ジェームズ(ジェイソン・クラーク)と共に、彼の赴任先であるバンコクで暮らすジーナ(ブレイク・ライブラリー)は、子供の頃に遭った交通事故で失明していたが、ジェームズが献身的に支え、幸せな生活を送っていた。運よく角膜移植に成功して視力を取戻し夫と共に喜ぶが、「想像していたのと違う」世界に違和感も感じていた。一人ではできなかったことに次々と挑戦するジーナだが、ジェームズは徐々に嫉妬を感じ始める。監督はマーク・フォスター。
 ジーナが視覚を失っている時の世界の感じ方、快感の捉え方の感覚を、ビジュアルとして表現している部分が面白かった。視覚以外で感じている人の世界を視覚で表すというのは矛盾しているような気もするが、こういう感じ方、という雰囲気は出ており何となく納得はいく(ジーナは後天的に視力を失っており、最初から見えなかったわけではないというのも大きいが)。
 ジェームズとジーナの仲が円満で、ジェームズが彼女を細やかに気遣っていることが、序盤でよくわかる。しかしジーナが視力を取り戻したあたりから、じわじわと不穏さが漂ってくる。ジーナは今までできなかったメイクやドレスアップをして外出するようになるが、ジェームズは彼女が他の男の目を引きつけるのでは、自分から目移りするのではと疑心暗鬼に駆られるようになる。自分の庇護が必要な存在だから、自分が影響力を持てる存在だから彼は彼女を愛していたのか?独立した存在としては見ていなかったのか?と2人の関係の前提が揺らいでいくのだ。セックスの時にジーナがイニシアチブを取ろうとするのにも、彼女の姉夫婦の家での滞在でも、自分が主導権を取れないことを、ジェームズは不安がり嫌がる。では彼女の何を愛していたのだろう。
 喜ばしいはずの変化が、2人の関係を揺るがし変化させていく。視力の回復という特殊な設定ではあるが、似たような食い違いや疑心暗鬼は、夫婦ならずともよくあることなのでは。2人だけで完結した世界のままだったら平穏だったのかもしれないが、いつまでもそのままではいられないだろう。ジーナとジェームズの関係も、仮にジーナの視力が戻らないままだったとしても、遅かれ早かれ破綻していったのではないかとも思う。

the EYE (アイ) デラックス版 [DVD]
アンジェリカ・リー
レントラックジャパン
2003-10-24


ビッグ・アイズ [Blu-ray]
エイミー・アダムス
ギャガ
2016-07-02




『累ーかさねー』

 伝説の女優・淵透世(檀れい)を母に持つ淵累(芳根京子)は、天才的な演技の才能があるものの、顔に大きな傷があり醜いと言われ続けてきたことに強いコンプレックスを持って生きてきた。舞台女優の丹沢ニナ(土屋太鳳)は容姿に恵まれているものの、才能は伸び悩んでおり、女優としての大成に強い執着を見せる。ある日ニナのマネージャー羽生田(浅野忠信)により累とニナは引き会される。累は母から譲り受けた不思議な口紅を持っていた。その口紅を塗ってほしいものにキスすればそれが手に入るのだ。累とニナはお互いに足りないものを補い、口紅を使って累をニナの顔にし、女優としてのし上がることを決意する。原作は松浦だるまの漫画、監督は佐藤祐市。
 そこそこ分量のある原作を2時間の映画にしているからか、特に前半がかなり詰め込んだ超展開になっているきらいは否めないし、顔の入れ替わりルール等があやふや(体は入れ替わらないなら身長や体つきですぐバレるのでは?とか、長期間寝たままだと体も顔も崩れない?とか)な所は気になった。基本設定の詰め方がかなり緩い。とは言え、さほど期待していなかった分かなり面白く見られた。主演2人の力によるところが大きいだろう。特に土屋の演じ分けは非常に頑張っていると思う(これはスベっているという演技なのか、それとも本当にスベっているのか?ともやもやするところはあったが)。
 難点があるとしたら、芳根が普通にかわいいので、顔に傷があるくらいでは「醜い」と言われるほどの容姿には見えないのだ。また土屋もかわいいが元々飛び抜けてオーラのある美女という感じではないので、わざわざ成り代わらなくても、とちらっと思ってしまう。本作の「演技」の場が舞台演劇であるというのも大きい。舞台の場合、映画やTVドラマほど俳優の顔の美醜が占めるウェイトは大きくないように思う。舞台上では「美形の振る舞い」をすれば「美形」に見えるのだ(そもそも大き目の劇場では、後方座席からは俳優の顔はよく見えない)。極端な話、累くらいの才能があればそのままの容姿で「美形」を演じられるんじゃないかと思える。
 だとすると、作中度々口にされる「偽物が本物に成り代わる」というテーマは成立しないのでは。演技者という点では、演技の才能にあふれる累こそが本物で、そこそこの演技しかできないニナはいくら容姿が女優らしくても偽物ということになるだろう。


〈プラチナファンタジイ〉 奇術師 (ハヤカワ文庫 FT)
クリストファー・プリースト
早川書房
2004-02-10




『500ページの夢の束』

 スタートレックが大好きなウェンディ(ダコタ・ファニング)はスタートレックの脚本コンテストが開催されることを知り、大作を書き上げる。しかし郵送では間に合わないと気付き、パラマウント・ピクチャーズまで自分で届けることを決意。しかし自閉症を抱えている彼女は、生活の範囲はごく限られており一人で遠出をしたことなどなかった。はたして数百キロ離れたハリウッドに辿りつけるのか。監督はベン・リューイン。
 邦題はダサいが(原題は『Please Stand By』)良作。リューイン監督は『セッションズ』(2013)が「人と違う(故に大多数の中では不自由である)」ということに対して誠実な向き合い方をしていると感じさせる作品だったのだが、本作も同様。冒頭、ウェンディの毎日の生活を通し、彼女が何に対して困難を抱えており、それをクリアするためにどういう工夫が(本人からもケアする人からも)なされているのかをさらっと見せている。説明的になりすぎないがわかりやすく、見せ方が上手い。ウェンディのケアをしている施設の職員スコッティ(トニ・コレット)の振る舞いがとてもいい。適度な愛情がありつつプロとして一線を守っている感じ。
 ウェンディは何も出来ないというわけではなく、ルーティンがはっきりと決まっていれば仕事だって出来る。ただ、1人で遠出をしたことはないから長距離バスの乗り方や切符の買い方はわからないし、額面通りに受け取るコミュニケーションの癖は危なっかしくてハラハラする。リアルに考えるとかなり怖いシーンがあると思う。
 ウェンディは他人の感情に疎いし感情表現に乏しいが、感情がないわけではない。スター・トレックの登場人物の1人スポックと同様に、感情を理解しようとしている。彼女も他人と、ことに家族とコミュニケーションを取りたいし、側にいたいのだ。そういう感情や愛、そしてなぜ自分はそれを上手く表せないのか、本当はどのように伝えたいのかということも含め、彼女は脚本という形で表現する。彼女にとってスター・トレックは自分を代弁し補完するもの、自分の一部なのだ。人間がなぜ物語を愛するのか、物語が人をどのように支え、変え得るのかとてもよく伝わる作品。

セッションズ [Blu-ray]
ジョン・ホークス
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2014-11-12


ブリグズビー・ベア ブルーレイ & DVDセット [Blu-ray]
カイル・ムーニー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2018-10-03


『きみの鳥はうたえる』

 函館郊外の書店でアルバイトをしている「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と同居している。「僕」が同僚の佐和子(石橋静河)と付き合い始めたことで、3人で遊ぶようになる。ビリヤードやダーツに興じ、クラブに通い、夜通し酒を飲む。しかし3人の心地よい関係にも変化が生じ始める。原作は佐藤泰志の同名小説。監督は三宅唱。
 作品全体にリズム感がある。劇伴としての音楽の量はそれほど多くはない、むしろ無駄な音楽は使っていない印象なのだが、映画全体が音楽的とでも言えばいいのか、編集が的確なのか、一定のリズムで流れ進行していく感じがして気持ちいい。劇伴、音声、生活音等、音全般の扱い方が上手い作品だ。ボイスオーバーを多用しているのだが、声の大きさや聞こえる方向の変化で、画面に映っている人との距離感が何となく変わってくるように感じられた。
 また、3人がクラブでライブを見るシーンがあるのだが、最近見た日本映画に出てくるクラブの中では一番ちゃんとクラブっぽく、佐藤泰志作品の映像化作品の中でも突出して「今」を感じさせる。地方都市の小さいハコでちょっといいパフォーマンス見て気分が上がってふわふわしている感じがすごくよく出ていた。佐和子の踊る姿には、ごく普通の人が音楽と体を動かすこととのシンプルな楽しさが滲む。なお佐和子がカラオケで熱唱するシーンもあるのだが、歌が上手い!石橋は演技以外の表現力も豊かであることが窺える。
 「僕」と静雄、佐和子の関係は、いわゆる三角関係とはちょっと違う印象を受ける。「僕」は佐和子に静雄と付き合うように勧め、お互いに束縛しないでいようというスタンスだ。3人でじゃれあっていること、佐和子と気楽にセックスすることが楽しいのだ。彼のスタンスは無責任と言えば無責任なのだがそれ故軽やかで気楽。佐和子はそこに惹かれたのだろう。
 とは言え、2人のスタンスがいつまでも一致しているわけではない。「僕」は軽やかで自由に見えるが、その生き方からは「今この時」しか感じられない。「今」より先が見えないのだ。「先」を見始めた、あるいは見ざるを得ない静雄や佐和子とは自然とずれていく。佐和子や静雄には軽やかになりきれないしがらみがあることが提示されるが、「僕」にそれはない。最後の「僕」の行動は、彼が自分のスタンスを曲げて一歩踏み出した、ルートを変えたかのように見える。佐和子たちに追いつくのかはわからないけれども。

きみの鳥はうたえる (河出文庫)
佐藤 泰志
河出書房新社
2011-05-07


海炭市叙景 (通常版) [DVD]
加瀬亮
ブロードウェイ
2011-11-03


『銀魂2 掟は破るためにこそある』

 金欠で家賃の支払いに困った万屋の銀時(小栗旬)、新八(菅田将暉)、神楽(橋本環奈)はアルバイトをすることを決意。しかしピンチヒッターで雇われたキャバクラでも床屋でも、なぜかお忍びで訪れる将軍・徳川茂茂(勝地涼)と遭遇するのだった。一方、真選組では新参者の伊藤鴨太郎(三浦春馬)が勢力を伸ばしつつあり、土方(柳楽優弥)らは内紛を懸念していた。原作は空知英秋の同名漫画。監督・脚本は福田雄一。
 前作を見た時、銀魂を本当に実写化し、しかもちゃんと原作漫画とTVアニメーション版を踏まえた銀魂になっている!と何か感動に近いインパクトの面白さがあったのだが、今回はいまひとつ。ちょっと長尺すぎて、中だるみしていたように思う。真選組パートが原作でもそこそこボリュームのあるエピソードなので、将軍エピソードと組み合わせて一本の映画にするのはなかなか厳しかったのだろう。それぞれの話はコメディもシリアスも面白いので(銀魂というコンテンツを初見の人はすごい勢いで置いていかれるだろうけど・・・)もったいない気もする。
 また、福田監督作品の常連である佐藤二朗とムロツヨシを使ったコメディ部分は、内輪ノリ感が強すぎて全く笑えなかった。特に佐藤のギャグは尺が勿体ないとしか思えなかった(ムロパートは一応原作のからみもあるので)。原作にしろアニメにしろ、銀魂は内輪ネタ、楽屋ネタが多い作品ではある。が、最大公約数的な内輪がよりこぢんまりとした内輪に縮小してしまったかな?という印象を受けた。監督としては安心感があるのだろうけど、見ている側には関係ないからなぁ・・・。
 ストーリー上、今回は万屋よりも真選組がおいしい部分を持っていく。特に近藤(中村勘九郎)と沖田(吉沢亮)のキャラクターの魅力はよく出ていたのではないかと思う。これは、演じた俳優の力によるところも大きいだろう。中村演じる近藤、本当にちょっとアホだけど好男子で器が大きい感じがする。近藤が愛されゴリラだということに初めて納得いったかもしれない(笑)。沖田が非情なようでいて近藤のこと大好きというニュアンスの出方にも作品ファンはぐっとくるだろう。そして顔面が大変良い。
 なお顔面の良さで言うと、桂(岡田将生)は女装してもちゃんと美形かつ美脚。ドレスから肉がはみ出る銀子も捨てがたいが、やはりヅラ子圧勝であった。

銀魂 [DVD]
小栗旬
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2017-11-22


『悲しみに、こんにちは』

 母ネウスを病気で亡くしたフリダは、バルセロナからカタルーニャの田舎の家に引っ越し、叔父一家と暮らし始める。叔父夫婦も幼い従妹アナも彼女をやさしく迎えるが、お互いすぐにはなじめずにいた。監督・脚本はカルラ・シモン。
 子供の視点、子供の世界を実によく再現しており、さらに子供の姿を通して彼女の家族に何があったのか、彼女に何が起きたのかをさりげなく提示していく周到さに唸った。フリダがごっこ遊びで「母親」の役をやる時の振る舞いは胸を刺す。これは、フリダも辛いけどネウスも相当辛いよなと。公園で遊んでいた子供の母親の態度はショッキングだが、そういう時代だったのだ(今もとっさに同じような行動をしてしまうかもしれない)。
 子供は大人の世界で何が起きているのか具体的にわかるわけではないが、異変は察知する。大人たちがフリダの処遇を話し合う場に彼女もいるのだが、自分のことが話し合われているのに当の自分には話の内容が説明されない。フリダの所在なさと、大人に対する何をやっているんだこの人たちはみたいなまなざしが際立っていた。また、フリダは母親の死について大人に尋ねないし、自分の気持ちを話すわけでもない。自分の中に疑問や不安が渦巻いていても、それを表現する言葉を彼女はまだ持っていないように見える。彼女は時に大人から見たら不可解な行動をとるが、なぜそういう行動をとったのか説明することはできない。だから大人との関係はもどかしく、時に双方イラついてしまう。
 アナにいじわるをしてしまうのも、祖母のプレゼントに対して駄々をこねるのも、自分の中にあるもやもやを吐き出すためなのかもしれないが、大人にはそれはわからないし、わかったとしても具体的になにか出来るわけではないだろう。フリダが自分でそのもやもやを外に出す回路と方法を見つけていくしかない。彼女は終盤、その回路と方法に辿りつくが、このシーンは特にドラマティックに演出されているわけでもないがはっとさせられる素晴らしいものだった。彼女の中での時間が、ようやく追いついたと実感できるのだ。
 そんなフリダの側に居続ける叔父夫婦も素晴らしい。まだ若く、自分の子供はフリダよりも幼いから育児の経験値豊富というわけでもない。大人は大人で手さぐりをし続けているし必死なのだ。2人の子供に対する(そしておそらく死んだネウスに対する)誠実さと責任感がわかる。べったりとではなく、側に居続けることがフリダにとっての安心感につながり、彼女から感情表現を引き出すのだ。

ポネット [DVD]
ヴィクトワール・ティヴィソル
ワーナー・ホーム・ビデオ
2012-11-07


ミツバチのささやき HDマスター [DVD]
アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス
IVC,Ltd.(VC)(D)
2015-06-19


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