3つ数えて目をつぶれ

映画と本の感想のみを綴ります。特に映画。ご連絡はhoto5now★yahoo.co.jp(お手数ですが★を@に変えてください)まで。

映画題名か行

『悲しみに、こんにちは』

 母ネウスを病気で亡くしたフリダは、バルセロナからカタルーニャの田舎の家に引っ越し、叔父一家と暮らし始める。叔父夫婦も幼い従妹アナも彼女をやさしく迎えるが、お互いすぐにはなじめずにいた。監督・脚本はカルラ・シモン。
 子供の視点、子供の世界を実によく再現しており、さらに子供の姿を通して彼女の家族に何があったのか、彼女に何が起きたのかをさりげなく提示していく周到さに唸った。フリダがごっこ遊びで「母親」の役をやる時の振る舞いは胸を刺す。これは、フリダも辛いけどネウスも相当辛いよなと。公園で遊んでいた子供の母親の態度はショッキングだが、そういう時代だったのだ(今もとっさに同じような行動をしてしまうかもしれない)。
 子供は大人の世界で何が起きているのか具体的にわかるわけではないが、異変は察知する。大人たちがフリダの処遇を話し合う場に彼女もいるのだが、自分のことが話し合われているのに当の自分には話の内容が説明されない。フリダの所在なさと、大人に対する何をやっているんだこの人たちはみたいなまなざしが際立っていた。また、フリダは母親の死について大人に尋ねないし、自分の気持ちを話すわけでもない。自分の中に疑問や不安が渦巻いていても、それを表現する言葉を彼女はまだ持っていないように見える。彼女は時に大人から見たら不可解な行動をとるが、なぜそういう行動をとったのか説明することはできない。だから大人との関係はもどかしく、時に双方イラついてしまう。
 アナにいじわるをしてしまうのも、祖母のプレゼントに対して駄々をこねるのも、自分の中にあるもやもやを吐き出すためなのかもしれないが、大人にはそれはわからないし、わかったとしても具体的になにか出来るわけではないだろう。フリダが自分でそのもやもやを外に出す回路と方法を見つけていくしかない。彼女は終盤、その回路と方法に辿りつくが、このシーンは特にドラマティックに演出されているわけでもないがはっとさせられる素晴らしいものだった。彼女の中での時間が、ようやく追いついたと実感できるのだ。
 そんなフリダの側に居続ける叔父夫婦も素晴らしい。まだ若く、自分の子供はフリダよりも幼いから育児の経験値豊富というわけでもない。大人は大人で手さぐりをし続けているし必死なのだ。2人の子供に対する(そしておそらく死んだネウスに対する)誠実さと責任感がわかる。べったりとではなく、側に居続けることがフリダにとっての安心感につながり、彼女から感情表現を引き出すのだ。

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『カメラを止めるな!』

 映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画の撮影をしている。そこに本物のゾンビが襲来。監督の日暮隆之(濱津隆之)は大喜びで撮影を強行するが、スタッフは次々にゾンビ化していく。監督・脚本は上田慎一郎。映画専門学校ENBUゼミナールのワークショップ、「シネマプロジェクト」第7弾として製作された作品。
 いかにも低予算、自主制作風の画質の悪い映像で始まり、これこの先どうなるんだろうなー大丈夫かなーと思っていたら、後半戦がすごかった。ゾンビ映画であってゾンビ映画ではない!ネタバレを避けようと思うと非常に表現しにくいのだが、前半戦/後半戦構成で、前半戦の解説が後半戦で行われると言えばいいのか。あの時のタイミングの不自然さ、意図がわからない演出などには、そういう理由があったのか!と唸り、爆笑した。解説として納得できるということは、脚本が良くできていて伏線に齟齬が少ないということだろう。前半のみだとさほど面白くない(30分以上の長回しという驚異的なことをやっているのだが、映画ファン以外にはあまりフックにならないよな・・・)というのが難点なのだが、これが後半への振りになっているので、ちょっと退屈だなと思っても、なんとか持ちこたえてほしい。パズル的な面白さがあり、内田けんじ監督の『運命じゃない人』あたりが好きな人ならはまるんじゃないだろうか。逆に、こういう「答え合わせ」的演出は野暮だという人には今一つ届かない気がする。
 後半の面白さは「答え合わせ」だけでなく、映画に限らず何かを製作する時の苦しみと喜び、そして父親の悲哀がよく描かれている所にもある。勝手なクライアント、無責任なプロデューサー、無駄にプライドの高い俳優やちゃっかりとしたアイドルなど、少々カリカチュアしすぎなきらいはあるが、「仕事」として監督業をこなす日暮が振り回されていく様はおかしくも哀しい。そんな「速い、安い、ほどほど」で作家性など皆無な日暮だが、いつもの雇われ仕事だったはずだが、ある瞬間からスイッチが入って、その範疇を越えていく様にカタルシスがある。また、彼が仕事を受けた動機は姑息といえば姑息なのだが、父親が成人した娘にいい恰好出来るのってこれくらいかもなぁと苦笑いをしてしまう。だからこそ、彼と娘が同じ方向を見て走り出すことに泣けるのだ。
 自主制作や不出来なアート系作品にありがちな内輪ノリや自己満足的な演出があまりなく、普段映画をあまり見ない人が見ても面白いように作っているのも良い。基本自主制作なので、予算故のビジュアルのチープさは否めないが、チープでも作品としてチープに見えないように工夫されていると思う。自主制作ということを言い訳にしない志の高さ(公開されてからの監督を始めスタッフ一同の営業努力も凄まじいし、ちゃんと黒字にしようという意思が感じられる)。

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『クレアのカメラ』

 映画会社で働くマニ(キム・ミニ)はカンヌ国際映画祭への出張中、上司のナム社長(チョン・ジニョン)から突然解雇を言い渡される。帰国を考えたものの航空券の交換ができず、カンヌを観光するうち、パリから来た女性クレア(イザベル・ユペール)と知り合う。ポラロイドカメラあちこち撮影しているクレアは、偶然ナム社長と、同行していたソ監督(チョン・ジニョン)の姿も捉えていた。監督・脚本はホン・サンス。
 時系列はバラバラに組み立てられており、1つの人生のようでもあるし、平行世界に複数いるマニの人生のようでもある。断片的なシーンがこまかく繋がっていくのでうっかりスルーしそうになったけど、よく見ていると季節がいつのまにか真夏から冬に変わっている。夏に出会ったクレアと冬になっても一緒にいるけど、これは2人が友人付き合いするようになったということなのか、夏の2人と冬の2人は別ものなのか。私は前者だといいなと思ったけど、どうとでもとれる微妙な見せ方だ。ラストもいつ、どこへ向けた作業なのか、明言はされない。余白が大きくて色々と想像を掻き立てられる。マニが「正直ではない」と評されるのも、一見こういう話に見えるけど実はこんな話だったかも、でもどちらでもないかもというあやふやさと呼応しているように思う。
 余白の大きさは、マニとクレアがそれぞれの母国語ではない、英語で会話をしていることからも生まれる。2人は英語を話せるがネイティブ並というわけではなく、わりとぎこちない。使える言語表現が限られ、細かいニュアンスがお互い伝わらない。言葉にされない部分が大きいのだ。
イザベル・ユペールはフランス人だが、本作中では不思議なことにマニよりも異邦人ぽく見える。彼女が演じるクレアという女性は正体不明感があり、非日常を感じさせる。彼女の媒介によって、マニも人生の新たな局面に向かっていくように思えた。
 ホン・サンス作品では混ざりたくない酒の席がしばしば出てくるが、本作ではソン監督が泥酔し、かなりみっともない振る舞いをする。彼が(その時はそれほどお酒は入っていないが)マニにする説教は、年長男性が若年女性にしがちな的外れ説教のテンプレ的なもので、大変イライラする。何を着るとかどんなメイクをするとか、貴様に関係ないわ!ホン・サンス作品に出てくる映画監督は本当に人としてはろくでもないなー。マニが何も言い返さないので見ている側としてはイライラが更に募るのだが、彼女が傷ついて嫌な思いをしているのは明らかにわかる。ホン・サンス、自戒を込めてのシーンなんだろうか・・・。

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『告白小説、その結末』

 自殺した母との生活を綴った私小説がベストセラーになった作家デルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)。スランプ中の彼女の前に、熱狂的な読者だというエル(エヴァ・グリーン)が現れる。聞き上手なエルにデルフィーヌは信頼を寄せるようになり、やがて同居を始める。しかしエルは徐々にデルフィーヌの生活を支配するようになり、不可解な行動を見せ始める。原作はデルフィーヌ・ドゥ・ヒガンの小説『デルフィーヌの友情』。監督はロマン・ポランスキー。脚本にオリヴィエ・アサイヤスが参加している。
 エルの仕事はゴーストライターなのだが、ポランスキー監督にはそのものずばり『ゴーストライター』(2011)という作品があった。誰かに成り代わる、誰かを作り上げるというシチュエーションに惹かれるのだろうか。本作ではエルがデルフィーヌを助けるが、その援助がだんだん支配的になる。デルフィーヌもエルへの依存が強まり、「一心同体ね」という台詞が笑えない。しかしそこからのまたひとひねりがあるのだ。私は原作小説は未読なのだが、原作小説ではこういう形式、こういう演出で書かれているのではないかなという匂いみたいなものが感じられる映画だった。ただ、その演出は小説ならではのもので、映像化にはあまり向いていなかったのではないかなとも。映画としては、どこかつっけんどんというか、唐突な印象を受けた。
 近年のポランスキー監督作は妙に額面通りというか、切ってそのまま出す、みたいな組みたて方に見える時があり、そこが逆に面白い。不思議な大雑把さがある。本作でも、こことここの間にストーリー上結構展開があったのでは?とか、そこあっさり台詞で説明しちゃうの?とか気になった。エルが聞き上手であること、デルフィーヌと彼女の作品を深く理解していることはデルフィーヌがそう言っているという所からしかわからないし、デルフィーヌがあまりに不用心(PCのパスワードあっさり教えないで!)。そういうディティールは不要と判断するというところが、何だか面白い。とは言えエヴァ・グリーンがエルを演じているので、これはふらっとパスワード教えちゃうし同居しちゃうわ・・・という気分にはなるかも。

デルフィーヌの友情 (フィクションの楽しみ)
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2017-12-15


ゴーストライター [DVD]
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2012-02-02


『恋は雨上がりのように』

 怪我によって陸上部選手として活躍できずにいた高校生・橘あきら(小松菜奈)は、雨宿りに入ったファミレスで店長の近藤正己(大泉洋)と出会ったことがきっかけで、そのファミレスでアルバイトを始めた。あきらは近藤への恋心を募らせるが、45歳離婚歴あり子供ありの近藤はその想いに戸惑う。原作は眉月じゅんの同名漫画、監督は永井聡。
 漫画原作だからなのか監督のテイストなのか、漫画的なコミカル、誇張された表現が度々見られるのだが、本作の場合はそれがミスマッチだったように思う。全体の構成や台詞も、もっと映画という媒体に寄せた方がよかったんじゃないかなと、少々勿体ない気がする。映画には映画としての表現方法があるので、漫画やアニメ、あるいはTVドラマの見せ方にそんなに近づけなくてもいいんだけどな。
 あきらの店長に対する想いは恋だが、近藤は(心揺れることはあっても)あきらに恋をしているわけではないだろう。あきらのことを好ましく、まぶしく思うことはあっても、それは本人が言及するように、自分が若い頃に抱いていた(そして本当は今も抱いている)情熱を思い出させる、媒介のようなものだ。恋愛物語としてはあきら側に大分寄せており、より青春映画のテイストが強まっているように思った。
 青春映画として悪くないなと思えた要因の一つは、あきらの同級生や後輩役の俳優たちが好演していたということもある。あきらの幼馴染で陸上部の同期でもあるはるかを演じる清野菜名は、前半はちょっと演技がぎこちないのだが、夏祭りのあたりからぐっと良くなる。近藤と話しているあきらの姿を見た時の表情や、その後の思いの吐露等、すごく巧みな演技というわけではないが心情がこもっている感じ。他校の陸上選手であきらと競いたいと願うみずき役の山本舞華も、素直さとふてぶてしさが同居しているような表情が良かった。
 キャスティングの妙としては、やはり大泉の安定感が大きいだろう。高校生がギリで好きになりそう、かつ未成年に手を出さなそうという信頼感。近藤の大学の同期で人気作家の九条ちひろ役に戸次重幸を起用しているあたりは確実に双方の古参ファンを狙っているのだろうが、色々な意味でもにゃもにゃしますね・・・。


『ゲティ家の身代金』

 石油王として富豪となった実業家ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の17歳の孫ポールが誘拐された。母親ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)の元に1700万ドルの身代金を要求する電話がかかってくるが、ゲティの息子と既に離婚しているゲイルにはそこまでの財力はない。しかしゲティは支払を拒否する。監督はリドリー・スコット。
 リドリー・スコットは自分の趣味に走らずに、職人に徹した方が(私にとっては)見やすい作品撮るんじゃないかなー。もうエイリアンシリーズはいいから本作みたいな邪念の表面化してないやつをお願いします・・・。スピーディな展開で、段取の良い映画という印象を受けた。作中で起きている事件は決して段取のいいものではないという対比が(ストーリー上の対比ってわけじゃないけど)妙に面白かった。事件の段取の悪さが犯人グループによるものではなく、ほぼイタリア警察(憲兵隊)の初動捜査のまずさ、見込みの甘さから生じるものだというのが、脱力感を煽るし逆に生々しい。焼死体の確認など、いくらなんでもそれはないだろう!と思ったけど、実話が元になっている話だそうだから、本当なのかな・・・。だとしたら、そりゃあゲイルも、交渉人のチェイス(マーク・ウォールバーグ)も怒るだろう。
 本作、画面の色合いをかなり調整している。舞台と、どの人が中心のパートかで色合いが違うので、話の展開が速くてあっちに行ったりこっちに行ったり(実際、物理的な移動の多い話だ)してもわかりやすい。誘拐犯たちのパートが一番温かみのある明るい色調だというのが(屋外シーンが多いからなのだろうが)皮肉だ。対してゲティの屋敷内は、ぎりぎりまで彩度を抑えたモノクロに近いような色調で、冷ややか。ゲティの不可思議な人となりを感じさせる。それぞれの行動の指針に関しても、犯人側の方が単純明快でビジネス的。ゲティのものは、おそらく彼の中では明確な基準があるのだろうが、他人には不可解なのだ。

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『GODZILLA 決戦機動増殖都市』

 ゴジラから地球を取り戻すべく、決死の戦いに挑んだハルオ(宮野真守)ら人類だったが、地中から現れた真のゴジラに敗退する。仲間とはぐれ負傷したハルオは、フツアと呼ばれる原住民の少女ミアナ(小澤亜李)に助けられる。フツアはゴジラから逃れ、地下で生活することで進化し生き延びてきたのだ。彼らが持つナノメタルは、21世紀に対ゴジラ兵器として開発されたメカゴジラに使用されていたものと判明。メカゴジラの開発プラントがまだ残っていると知ったハルオたちは再びゴジラに挑む。監督は静野孔文&瀬下寛之。ストーリー原案・脚本は虚淵玄。
 『GODZILLA』3部作の2作目。前回から直接ストーリーは続いており、作中での前回振り返り等はないので、3作続けて見ることが前提になっている。今シリーズのゴジラはかなり巨大化、かつでたらめにエネルギーに満ちているので、勝てる気が全然しない。むしろハルオはよく勝とうと思ったな!広げた風呂敷を畳めるのか心配になってくるくらいなので、ちょっと強さをインフレ化させすぎなのではないかという気もする。それに今回明かされる地表の生物の状況からすると、地球を再び人類が暮らせる 環境に戻すのってまあ無理なんじゃないかと思えてくる。
前作にしろ今作にしろ、ハルオが演説により仲間を扇動してゴジラと対決するが、という展開が見られるのだが、ハルオにそれほどカリスマがあるようには見えないのが痛い。そんなに頭良さそうにも見えないし、リーダーシップに優れているという感じでもない。ゴジラへの怨念で大分クレイジーになっているなというくらいだ。演説にしても、この程度の言葉で扇動される?だとしたらゴジラ甘く見すぎでない?という気も。ハルオが他人のもくろみに上手いこと乗せられてるんじゃないかなというふうに見えてしまう。実際どうなのかは次作で明らかになるんだろうが。
 なお、本作中では他のスター怪獣の存在も示唆されるし(実際に登場するかどうかはわからないが、双子の巫女がいるってことはアレだよな)、次作で登場する怪獣ははっきり提示される。エンドロールは最後までどうぞ。


シン・ゴジラ Blu-ray2枚組
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東宝
2017-03-22


『孤狼の血』

 昭和63年、暴力団対策法成立直前の広島、呉原。地元の暴力団・尾谷組と、広島から進出してきた五十子会系の加古村組の抗争がくすぶり始めていた。そんな折、加古村組のフロント企業である金融会社の会計係が失踪する。所轄署の若手刑事・日岡秀一(松坂桃李)はベテランの大上章吾(役所広司)と組まされる。暴力団との癒着が噂される大上の強引かつ型破りな捜査に日岡は翻弄される。しかし失踪事件をきっかけに、尾谷組と加古村組の抗争は激化する一方だった。原作は柚月裕子の同名小説。監督は白石和彌。
 原作は警察小説×『仁義なき戦い』と評されたそうで、映画化された本作を見るとなるほどと頷ける。ただ『仁義~』と決定的に色合いが違うのが、本作にはたぎるような熱さや爽快感はなく、泥沼が広がるばかりだという所ではないだろうか。昭和感を全面に出し(美術はすごく頑張っている)つつも、ヤクザ映画を爽快なものとしては描けない所が、今の映画なんだろうなと思う。
 ヤクザ映画でもあり、警察映画でもある。と同時に、どちらでもないように見える、それこそ大上が言うような「綱渡り」であるところが面白い。綱渡りをしている人の生き様を斜めから映すような視点があると思う。綱渡りを永遠に続けることは出来ず、いつか落下することは決まっている。なので、どうにも不吉でハッピーエンドの可能性が微塵も感じられない。生々しい暴力(暴力行為そのものというよりその結果を見せるところは上手いなと思った)描写や欲にまみれたしのぎ合いよりも、その不吉さ、出口の見えなさの方が精神的には堪える。
 松坂桃李が実にちゃんと俳優然としているので、何だかびっくりした。人間、成長するものなんだな・・・!また若手以外でも、一之瀬役の江口洋介や、野崎役の竹野内豊には、こういう感じに仕上がったかー!という新鮮さがある。それぞれある時代を代表するイケメン俳優だった(いや今も全然かっこいいけど)のが、こういう役柄も演じるようになったんだなと。特に江口の色気は大変よかった。その一方で、日本映画におけるピエール瀧の使い方がほぼ固定されてきたのにもびっくり。それこそ、まさかこういう存在になるとは思っていなかったもんね・・・。
 なお本作、最も昭和感を感じたのは女性たちの配置と見せ方。当時のこの世界ではこういう形でしか女性が存在出来なかったということなのかもしれないが、そこまで踏襲しなくてもなぁとはちょっと思う。

孤狼の血 (角川文庫)
柚月裕子
KADOKAWA
2017-08-25


『君の名前で僕を呼んで』

 1980年代、北イタリアの避暑地。両親と別荘にやってきた17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)は、大学教授である父親が招いた24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)と知り合う。一緒に過ごすうち、エリオはオリヴァーに強く惹かれていく。原作はアンドレ・アシマンの小説。監督はルカ・クァダニーノ。脚本はジェームズ・アイボリー。
 隅から隅まで美しくてびっくりする。特に夏の日差しを感じさせる光のコントロールが徹底しているように思う。また、かなりこれみよがしな音楽の使い方なのだが、それが鼻につかずぴったりとはまる、ぎりぎりの線を狙っている。あとちょっと分量が増えると鼻について我慢できなかっただろう。
 オリヴァーの動きの優雅「ではない」所が強く印象に残り惹きつけられた。ドアの開け閉めの雑さや、妙にもたつくダンスなど。その一方でエリオの父親とのやりとりは聡明で機知に富むもので、そこには速さ、軽やかさを感じる。またエリオを翻弄するような思わせぶりな言動やきまぐれさも、フィジカルの重さとはちぐはぐ。そのちぐはぐさが彼の魅力、というか何となく意識にひっかかる部分であったと思う。自由であると同時に不自由そうだ。オリヴァーの言動は一見自由奔放で軽やかだが、実際の所は(主に社会的に)様々なしがらみがあることが垣間見られる。自分では不自由なつもりかもしれないが実際は相当自由なエリオと対称的だ。エリオは、オリヴァーがユダヤ人であるということを自身のアイデンティティーにはっきりと組み込んでいることに憧れた様子だが、オリヴァーにとっては自分を構成するものであると同時に縛り付けるものでもある。エリオにはその相反する要素がよくわかっていないのかもしれないが。ハマーはどちらかというともったりとした「重い」俳優だと思うのだが、本作ではその重さがうまくはまっていた。
 恋愛の「今、ここ」しかない感が強く刻み込まれていて、きらきら感満載、陶酔感があふれ出ている。自分と相手との間に深く通じるもの、一体感が瞬間的にであれ成立するという、得難い時間を描く。しかしオリヴァーの「重さ」、彼の背後に見え隠れするものが、「今、ここ」の終わりを予感させ切ない。終わりの予感を含めて美しい恋愛映画であり、夏休み映画だと思う。舞台が夏でなかったら、こんなに浮き立った感じにはならないだろう。
 シャラメが17歳にしてもどちらかというと華奢な体格で、ハマーが24歳には見えない(実年齢考えたらしょうがないんだけど・・・)ので、シチュエーション的にかなりきわどく見える所もある。倫理的にどうなのともやもやしたことは否めない。が、予想していたほどのもやもやではなかった。エリオとオリヴァー、更にエリオの父親が、1人の人の別の時代を表しているように見えたからだ。壮年であるエリオの父親はエリオとオリヴァーの関係をかけがえのないもの、しかし自分は得られなかったものだと言う。青年であるオリヴァーはエリオの中に自分にもあったかもしれない可能性を見る。大人時代から過去に遡りこうであったら、という人生をやり直したいという願いにも思えた。「君の名前で僕を呼んで」とはそういう意味でもあったのではないか。
 エリオの両親の、理知的で子供を個人として尊重している態度が素晴らしい。また、エリオのガールフレンドの振る舞いが清々しい。このあたりが、本作を「今」の映画にしているなと思った。エリオは、父親やオリヴァーが選べなかった道を選ぶことができるのだ。



胸騒ぎのシチリア [Blu-ray]
ティルダ・スウィントン
Happinet
2017-06-02



『心と体と』

 ブタペスト郊外の食肉処理所で管理職として働くエンドレ(ゲーザ・モルチャーニ)。ある日、代理職員として若い女性マーリア(アレクサンドラ・ボルベーイ)が赴任してきた。対人関係が苦手で周囲から浮いている彼女を、エンドレは何かと気に掛ける。ふとしたことから、2人は自分が鹿になり森を散策しているという同じ夢を見ていたことが分かり、急接近していく。監督はエニェディ・イルディコー。2017年、第67回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作。
 本作がベルリンで金熊賞を獲ったというのは少々意外だった。あまり賞レースに絡んでこなさそうな雰囲気なのだ。こじんまりとしており、プライベートな雰囲気。夢を巡るストーリーだが、2人が起きているシーンもどこか夢のようでもある。映像がとても美しかった。食肉処理所が舞台なのでそのものずばり屠畜としての血肉の映像が出てくるのだが、あまり生々しくない。
 エンドレもマーリアも、自身の心と体の間に距離感があり、思いのままには振舞えない。マーリアのコミュニケーション下手さ、振る舞いのぎこちなさは見た通りで、他者に対する警戒心からも、周囲からなかなか理解されなずに生きてきたのだろうことが見て取れる。一方、エンドレは一見人当たりが良くそつなく見えるが、片手が不自由で動かない。マーリアとはまた違った形で、彼も心に体が沿っていない部分があるのだ。不自由さ・ぎこちなさを補完するために2人の夢があるように思えた。
 マーリアとエンドレは同じ夢をきっかけに、目が覚めている状態でも交流するようになる。しかし、夢の中では心と体は一致しているが、現実では思うようにはいかず、2人とも相手への関わり方を掴みあぐねる。それでも、自分が他人と何かを共有できると知ったマーリアの高揚感にははっとさせられた。彼女の率直すぎるアプローチは奇異の目で見られるのだが、そういう行動に出てしまう気持ちもわかるのだ。
 マーリアが心と体をコントロールしようとする様、双方を沿わせようと試行錯誤する様はユーモラスにも見え、実際、上映中にも客席から笑い声が生じていた。でも個人的には彼女の真摯さ、生真面目さが突き刺さり笑うどころではなかった。マーリアにしてみたら、笑われたらすごく傷つくだろうなと思ってしまう。エンドレは彼女を笑わないしバカにしない。本作を見る前、若い女性とかなり年上の男性という組み合わせに(悪い意味での)ひっかかりを感じるかと少々心配だったのだが、平気だった。エンドレがマーリアと対等に接していることに加え、年齢が2人の関係におけるアドバンテージになっていないからだろう。

夢違 (角川文庫)
恩田 陸
KADOKAWA/角川書店
2014-02-25


リザとキツネと恋する死者たち DVD
モーニカ・バルシャイ
オデッサ・エンタテインメント
2016-06-02



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